confidant。
2007年6月26日 ミュージカル・舞台 コメント (5)コンフィダント・絆。
今のところ、今年観たお芝居(脚本)のNo.1に輝いている作品。
大阪公演の楽が過ぎたら、詳しいストーリーとか細かい泣きポイントとかを書いてみようと思っていたのですが。
じたばたしているうちに、緑野こあら様があまりにも素晴らしいレポート(?)をしてくださいましたので、TBさせていただきます(^ ^;ゞ
http://diarynote.jp/d/22804/20070607.html
…まさにその通り!
付け加えることは何もございません、ってな感じでございます…。
というわけで。
私も妄想配役で遊んでみたいと思います(^ ^)。
花組さんは、こあら様の書かれた以上のキャスティングが思いつきませんので割愛しまして、
まずは月組。
天才ゴッホに霧矢大夢。
ゴッホに恋するゴーギャンに嘉月絵理。
理屈先行のスーラに大空祐飛。
空気の読めないシュフネッケルに遼河はるひ。
そして、ルイーズは末子姐。(←ココ重要)
…自分で書いておいてなんですが。大空祐飛さんのファンとしては、ものすごく痛い配役だな…。
ファンだから、贔屓役者にはやっぱりゴーギャンをやってほしい、っていう気持もあります。だって、そりゃあゴーギャンの方がかっこいいもん!
でも。
すごーく個人的になんですけど、2幕でゴッホが絵を切るのを見凝める場面、スーラが祐飛さんだったら、いったいどんな顔をしてくれるんだろう?というところにモノ凄く興味があるので。
そして、絵理さんは絶対スーラよりゴーギャンなので、
あえてこの配役、です。(…言い訳っ)
お披露目を迎えたばかり(オメデトウゴザイマス)の宙組。
まず、シュフネッケルのみっちゃんは決定ね(^ ^)。
で。
ゴーギャンはともちん、
スーラは七帆くんに。
で、ゴッホは……ウメちゃんがいいんだけどなあ……。
あの破壊力と繊細さの同居っぷりとか、持って生まれたモノを持て余している感じとか、生活能力なさそうなイメージ(←勝手なイメージですみません)とか、
…すごくぴったり。
で、ルイーズが蘭トムね(←マジか)
タニちゃんは、この4人の中でどれか、と言えばゴッホなんでしょうけど、個人的にはあまり積極的に観たいと思えない…。やっぱりタニちゃんには、もっと少年っぽい、王子さま系の役が似合うと思うんですよね。こういうドロドロした役よりも。
ウメちゃんが駄目なら、蘭トムの方がまだイメージ近いかな。ちゃんと壊れてくれそうな気がします。
まぁ、あの子供っぽい残酷さが出せるかどうかは…わかりませんが。
さて、星組。
ルイーズはあすか。これは決定。
トウコさんは、ホントはゴーギャンよりゴッホな気がするんですけど、せっかくルイーズがあすかなので、ここはあえてゴーギャンをやっていただきたいと思います。
スーラはすずみん。
シュフネッケルはしいちゃん。
で。
トウコさんのゴーギャンから、愛憎のありったけを向けられるゴッホ。
生活能力皆無の天才児、は。
……OGねったん特出でお願いします…。(←最終兵器発動中)
Confidant。
この言葉には、(打明け話のできる)親友・腹心、心許す相手、という意味があるそうですが。
これは本来、優越感を持つ者と劣等感を持つ者の間では成立しにくい関係、ですよね。
三谷の脚本において、スーラは「成功者」として描かれています。
独特の「点描画法」の開拓者として「成功」しており、展覧会などにも「呼ばれる」立場にある彼は、確かに『無意識の』優越感を抱いている。
スーラは、2幕でゴッホの絵を見るまで、彼の天才に気づいていなかった(…よね?)ので、あの瞬間まで、「4人の中で一番優れているのは自分である」と信じていたはず。
それに対して、ゴッホとゴーギャンが抱く「劣等感」は、「いや、でも、絵の才能は俺の方があるし」という確信によって「優越感」にすり替えられていまする。
「奴は才能なんぞない。人の描かない分野を開拓して悦にいっている、哀れな奴だ」と。
でもゴーギャンは、その欺瞞にも気づいてしまっている。
なんとなれば、自分より更に先行する天才の存在があるから。
ゴッホは自分が天才であることを知っている。
他のメンバーが天才でないことも知っている。
…でも、それを信じることができない。
シュフネッケルは「(仲間内では比較的)金持ち」でり、美術教師の定職もあって、経済的には余裕があった。
だから何も気づかない。彼はただ、「芸術」を「愉しんで」いる、だけ。
だから彼はしあわせで。しあわせなまま、コンフィダントでいられるのでしょう。
このシュフネッケルを見ながら、私は、昔読んだコミックの登場人物を思い出していました。
“芸術家”を志しながら、生家が「まともで幸せな、ごくありふれた家庭」であり、生い立ちもごく平凡で幸せなものであったことに、コンプレックスを抱く青年。
彼は“芸術家”たらんために事件を起こし、自分自身を不幸にしようとするのですが。
…家庭的な幸せと芸術の昇華、というのは、絶対的に相反するものなのでしょうか?
4人の中で、唯一の「まともな家庭人」シュフネッケルの、最後の慟哭が。
真の“芸術家”たりえない、自分自身への深い絶望が。
もちろん、現実のシュフネッケルは、そのまま“そこそこの”人生を送ったのだと思いますが…
彼は、何か事件を起こしてでも、自分自身に不幸を招いて“芸医術家”として立つ路を考えることはなかったのだろうか、と。
そこまでの狂気は持たない人だった、という結論でいいのかどうか、と。
万が一、そうなった時に。
彼の「コンフィダント」たちは、いったいどうしただろうか、とか。
4つの部分に分けられるこの作品の中で、シュフネッケルのエピソードが最後に来るのは、「観客」という名の凡人にとって、一番痛いのが彼だから、なんだろうな、とか。
そんなことを考えながら。
さらには。
宝塚という、あるいは他の分野であれ、「舞台芸術」という総合芸における“互いの信頼関係”というのは、何なのか、と。
そこに「Confidant」が、…あるのかどうか?と。
役者として「信頼」しあうことと、舞台上で「馴れ合う」ことは、まったく違う次元のことですが。
この「コンフィダント・絆」という舞台作品において、馴れ合っている人は誰もいなかった。
これだけ長いつきあいのあるメンバーが一堂に会して、馴れ合うことなく、もの凄い緊張感を持って舞台に取り組んでいる。
それ自体が、奇跡なのかもしれない、とか。
そんなことが、泣き疲れて頭痛がする頭をぐるぐる回っていたのでした……。
最後に(また関係ない話だよ…)。
本命さんの記念日を吹っ飛ばしておきながら、コレを書くのはちょっと勇気がいるのですが、
(………絵理さん末子姐のばかぁっ!!)
未涼亜希さま、お誕生日おめでとうございます。
「舞姫」を観にいくこともしなかった私は、本当の“まっつファン”ではないのだけれども。
(…行けなかったんですけど、まぁファンなら何を差し置いても行ったよな…)
でも。
今、花組にまっつが居てくれる幸いに想いを馳せてみたりして。
…ご活躍をお祈りしています。
.
今のところ、今年観たお芝居(脚本)のNo.1に輝いている作品。
大阪公演の楽が過ぎたら、詳しいストーリーとか細かい泣きポイントとかを書いてみようと思っていたのですが。
じたばたしているうちに、緑野こあら様があまりにも素晴らしいレポート(?)をしてくださいましたので、TBさせていただきます(^ ^;ゞ
http://diarynote.jp/d/22804/20070607.html
…まさにその通り!
付け加えることは何もございません、ってな感じでございます…。
というわけで。
私も妄想配役で遊んでみたいと思います(^ ^)。
花組さんは、こあら様の書かれた以上のキャスティングが思いつきませんので割愛しまして、
まずは月組。
天才ゴッホに霧矢大夢。
ゴッホに恋するゴーギャンに嘉月絵理。
理屈先行のスーラに大空祐飛。
空気の読めないシュフネッケルに遼河はるひ。
そして、ルイーズは末子姐。(←ココ重要)
…自分で書いておいてなんですが。大空祐飛さんのファンとしては、ものすごく痛い配役だな…。
ファンだから、贔屓役者にはやっぱりゴーギャンをやってほしい、っていう気持もあります。だって、そりゃあゴーギャンの方がかっこいいもん!
でも。
すごーく個人的になんですけど、2幕でゴッホが絵を切るのを見凝める場面、スーラが祐飛さんだったら、いったいどんな顔をしてくれるんだろう?というところにモノ凄く興味があるので。
そして、絵理さんは絶対スーラよりゴーギャンなので、
あえてこの配役、です。(…言い訳っ)
お披露目を迎えたばかり(オメデトウゴザイマス)の宙組。
まず、シュフネッケルのみっちゃんは決定ね(^ ^)。
で。
ゴーギャンはともちん、
スーラは七帆くんに。
で、ゴッホは……ウメちゃんがいいんだけどなあ……。
あの破壊力と繊細さの同居っぷりとか、持って生まれたモノを持て余している感じとか、生活能力なさそうなイメージ(←勝手なイメージですみません)とか、
…すごくぴったり。
で、ルイーズが蘭トムね(←マジか)
タニちゃんは、この4人の中でどれか、と言えばゴッホなんでしょうけど、個人的にはあまり積極的に観たいと思えない…。やっぱりタニちゃんには、もっと少年っぽい、王子さま系の役が似合うと思うんですよね。こういうドロドロした役よりも。
ウメちゃんが駄目なら、蘭トムの方がまだイメージ近いかな。ちゃんと壊れてくれそうな気がします。
まぁ、あの子供っぽい残酷さが出せるかどうかは…わかりませんが。
さて、星組。
ルイーズはあすか。これは決定。
トウコさんは、ホントはゴーギャンよりゴッホな気がするんですけど、せっかくルイーズがあすかなので、ここはあえてゴーギャンをやっていただきたいと思います。
スーラはすずみん。
シュフネッケルはしいちゃん。
で。
トウコさんのゴーギャンから、愛憎のありったけを向けられるゴッホ。
生活能力皆無の天才児、は。
……OGねったん特出でお願いします…。(←最終兵器発動中)
オマケ。
ルイーズ=堀内敬子嬢がコゼットをやっていた時代の、レ・ミゼラブル(マリウス)メンバーで選ぶとしたら。
ゴッホ 石井一孝
ゴーギャン 戸井勝海
スーラ 津田英佑
シュフネッケル 石川禅
かな…。津田さんのスーラがちょっと微妙。戸井さんと逆でもいいかも。
アンジョルラスも入れるなら、ゴーギャンに今拓也さん、スーラに戸井勝海さん、かな。岡幸二郎さんは、イマイチこの作品のイメージに合わない気がするのでパス(汗)で
Confidant。
この言葉には、(打明け話のできる)親友・腹心、心許す相手、という意味があるそうですが。
これは本来、優越感を持つ者と劣等感を持つ者の間では成立しにくい関係、ですよね。
三谷の脚本において、スーラは「成功者」として描かれています。
独特の「点描画法」の開拓者として「成功」しており、展覧会などにも「呼ばれる」立場にある彼は、確かに『無意識の』優越感を抱いている。
スーラは、2幕でゴッホの絵を見るまで、彼の天才に気づいていなかった(…よね?)ので、あの瞬間まで、「4人の中で一番優れているのは自分である」と信じていたはず。
それに対して、ゴッホとゴーギャンが抱く「劣等感」は、「いや、でも、絵の才能は俺の方があるし」という確信によって「優越感」にすり替えられていまする。
「奴は才能なんぞない。人の描かない分野を開拓して悦にいっている、哀れな奴だ」と。
でもゴーギャンは、その欺瞞にも気づいてしまっている。
なんとなれば、自分より更に先行する天才の存在があるから。
ゴッホは自分が天才であることを知っている。
他のメンバーが天才でないことも知っている。
…でも、それを信じることができない。
シュフネッケルは「(仲間内では比較的)金持ち」でり、美術教師の定職もあって、経済的には余裕があった。
だから何も気づかない。彼はただ、「芸術」を「愉しんで」いる、だけ。
だから彼はしあわせで。しあわせなまま、コンフィダントでいられるのでしょう。
このシュフネッケルを見ながら、私は、昔読んだコミックの登場人物を思い出していました。
“芸術家”を志しながら、生家が「まともで幸せな、ごくありふれた家庭」であり、生い立ちもごく平凡で幸せなものであったことに、コンプレックスを抱く青年。
彼は“芸術家”たらんために事件を起こし、自分自身を不幸にしようとするのですが。
…家庭的な幸せと芸術の昇華、というのは、絶対的に相反するものなのでしょうか?
4人の中で、唯一の「まともな家庭人」シュフネッケルの、最後の慟哭が。
真の“芸術家”たりえない、自分自身への深い絶望が。
もちろん、現実のシュフネッケルは、そのまま“そこそこの”人生を送ったのだと思いますが…
彼は、何か事件を起こしてでも、自分自身に不幸を招いて“芸医術家”として立つ路を考えることはなかったのだろうか、と。
そこまでの狂気は持たない人だった、という結論でいいのかどうか、と。
万が一、そうなった時に。
彼の「コンフィダント」たちは、いったいどうしただろうか、とか。
4つの部分に分けられるこの作品の中で、シュフネッケルのエピソードが最後に来るのは、「観客」という名の凡人にとって、一番痛いのが彼だから、なんだろうな、とか。
そんなことを考えながら。
さらには。
宝塚という、あるいは他の分野であれ、「舞台芸術」という総合芸における“互いの信頼関係”というのは、何なのか、と。
そこに「Confidant」が、…あるのかどうか?と。
役者として「信頼」しあうことと、舞台上で「馴れ合う」ことは、まったく違う次元のことですが。
この「コンフィダント・絆」という舞台作品において、馴れ合っている人は誰もいなかった。
これだけ長いつきあいのあるメンバーが一堂に会して、馴れ合うことなく、もの凄い緊張感を持って舞台に取り組んでいる。
それ自体が、奇跡なのかもしれない、とか。
そんなことが、泣き疲れて頭痛がする頭をぐるぐる回っていたのでした……。
最後に(また関係ない話だよ…)。
本命さんの記念日を吹っ飛ばしておきながら、コレを書くのはちょっと勇気がいるのですが、
(………絵理さん末子姐のばかぁっ!!)
未涼亜希さま、お誕生日おめでとうございます。
「舞姫」を観にいくこともしなかった私は、本当の“まっつファン”ではないのだけれども。
(…行けなかったんですけど、まぁファンなら何を差し置いても行ったよな…)
でも。
今、花組にまっつが居てくれる幸いに想いを馳せてみたりして。
…ご活躍をお祈りしています。
.
日本の興行界は間違っている。
…というか。
ウチの会社は間違っている…………
いや、単に私の能力が足りないだけのことかもしれませんが。
どうにもこうにも仕事が終わらず、大坂侍は観られずに終わってしまいました(号泣)。
観たかったよー、観たかったよー、観たかったよーーーーー!
やっぱりバウに行っておけばよかったなあ。
………しょんぼり(っていうか、反省)。
気をとりなおして、レ・ミゼラブルのお話でも。
☆★☆♪祝!20周年♪☆★☆
というわけで、20周年スペシャルキャストを観てまいりました。
一番嬉しかったこと!
2幕、エポニーヌの名曲「オンマイオウン」の後、
バリケードが最初に完成して学生たちが登場するところの曲が、10周年版(=オリジナル)に戻っていましたーーーーーっ!!
学生たちの数少ない見せ場の一つ、ソロフレーズ歌い継ぎを削ってアンジョルラスのソロになっていた2003年版が許せなかったので、そこが元に戻ったことは、高く評価したいです。
でも。
一番悲しかったこと。
バリケードでの一夜が明けて、アンジョルラスが「市民は来ない…子供あるものと女たちは去りなさい」と歌う時。
それ受けてフィイ(学生の一人)が歌いだす「共に飲もうReprise」が、残念ながら復活していなかったこと。
ここを復活してくれたら、もうあんまり大きな声では文句言わないから、ぜひ戻してくださいまし!!>東宝さま
他にもチョコチョコ変わってましたが、まぁ、根本的にオケの編成と編曲を戻していただかないとあの重厚な音が出なくて…。どうしたって感動は薄れるちゃうんですよね、あの音響だと。シンセの音はどうしても軽いので。
でももう、それは仕方のないことなんだろうなぁ…。
とりあえず。
編成を戻して、編曲も基本戻して、アンサンブルのソロを全部戻していただければ、(なるべく)文句言いませんってば!
…などと、いきなりとってもディープな話から始めてしまいましたが。
この日記を読んでくださっている方で、東宝ミュージカル「レ・ミゼラブル」をご覧になったことがない方はどのくらいいらっしゃるのでしょうか…?
「レ・ミゼラブル」。
「ミス・サイゴン」と同じくブーブリル&シェーンベルクコンビが作った、ロンドンミュージカルの金字塔。
素晴らしい音楽と舞台装置。しっかりした人物設定で、半ば通し役の“アンサンブルが主役”と言われたこの作品によって、多くの役者が育ち、華開いて、東宝ミュージカル全盛時代を築きあげてきました。
人物の造形的な深さと凄み。時間的な制約もあって、ユゴーによる長大な原作の持つ魅力にはかなわない部分もありますが、ミュージカル独特の「音楽」というイメージ喚起に強〜い味方の存在によって、複雑なストーリーをシンプルに見せ、心を奪う。
宝塚を見慣れた目には大変に暗い(←物理的に。19世紀パリの照明状況に合わせているので基本的にもの凄く暗い)作品ですが、OGは今回渚あきさんが大役で出演されています。私はまだ観ておりませんが、おおむね芝居は高く評価されているようです。
う〜ん、いつ観にいこうかな〜。
さて。
私は今回、20周年スペシャルキャストの回を観て参りました。
キャストは以下のとおり。
ジャン・バルジャン 別所哲也
ジャベール 鹿賀丈史(SP)
エポニーヌ 知念里奈
ファンテーヌ 岩崎宏美(SP)
コゼット 富田麻帆
マリウス 藤岡正明
テナルディエ 斎藤晴彦
テナルディエの妻 阿知波悟美
アンジョルラス 岡幸二郎(SP)
指揮は若林さん(多分初見?)。
私は佐藤さんの指揮でのテンポ感が身体に染み付いているので、他の方の指揮になかなか慣れないのですが、佐藤さんはもうレ・ミッズは振られないのでしょうか…(涙)。
もともとは、鹿賀さんのジャベール(初見!)と岡幸二郎さんのアンジョルラスを目当てに取ったチケット。
…うん、私にとってはやっぱり、岡さんのアンジョルラスこそが永遠のアンジョルラスなんだな、とあらためて実感。
森田さんも、今拓哉さんも、吉野圭吾さんも、坂元健児さんも、(他は未見)皆さんそれぞれによいところもあり、いまひとつなところもあり、という感じでしたが。
岡さんも、ダメなところはもちろんアチコチにあるのですが。
だけど。
私にとっては。
…早く、岡さんを超えるアンジョルラスを観たいと思います…。
(←そういうことは、キャスティングされている人を全員ちゃんと観てから言いましょう)
鹿賀さんジャベールは、10年来、私のドリームキャストでした。
滝田バルジャンのファンであった私にとって、滝田バルジャン&鹿賀ジャベールの組み合わせは想像しただけで涎が出そうなほど本当に夢で。
初演から観ている人がどれほどうらやましかったことか…。
前回の2000回記念スペシャルのときは、チケットが取れなくて観ることが叶わなかった鹿賀ジャベール。
「観る」という夢が叶ってしまうと、もっと「彼の体調が万全のときに観たかった」とか、「全盛期に」とか思ってしまうのですが…
でも、そうは言ってもやっぱり“さすが”でした。
観ることができて本当によかったです。
岩崎宏美さんのファンテーヌは、ただただ懐かしい…。
最後に観てから、もう5年はたっているんですね。歌は相変わらずのすばらしさ。ちょっと痩せてしまって、もともと細いのにさらに一回り小さくなったような気がしましたが、綺麗でした。
本役で出演するのは難しいと思いますが、スペシャルで時々出てくれたら嬉しいな(涙)。
別所さんのバルジャンは、2003年に観て非常に感銘を受け、こりゃまずは別所さんでしょう、くらいの気持ちで取ったのですが。
…あれ?おとなしくなってる…?
声が出ていないのか、音響さんの調整ミスなのかわかりませんが、あまり覇気のないバルジャンで、ちょっと拍子抜けしました。
まだ初日があいたばかりで、別所さん自身このシーズンで何度目のバルジャン?という感じでしたが。(鹿賀さんの前ではただのファンだったし…)。
別所さんに限らず、まだ初日あいて一週間という状況なので探り探りやっている印象が残りました。
キャストも手探り、照明も手探り、音響も手探り。
今回とにかくキャストが多い(1役に3〜4人がキャスティングされ、メインキャストだけでも30人以上)ので、稽古が十分にできていないんだろうな、まだ私が観ているコレはまだスタッフの意識としてはプレビューなんだろうな(でも価格は正規料金さ ^ ^;ゝ)、と思わせてしまう出来でした。
まぁ、公演はまだ始まったばかり。7月くらいになればきっとまたあの熱い夏がやってくるのだと思います。
今上演されているのは、一部は戻ったとはいえ「短縮版」であることに変わりはありませんので、あまり強くはお勧めできませんが。
数年ぶりに観劇して、やはりこの作品が私のミュージカルファン人生の原点なんだな、と深く感じ入ったことはご報告しておきます♪
20年。
20年前の東宝ミュージカルは、基本的に座長がいるのが当たり前。
そんな東宝が、「アンサンブルが主役」といわれたこの作品をよくぞ持ってきて、よくぞ全役オーディションをしたものだ、とあらためて感心してしまいます。
前回は公演も終盤近くに観にいって、もの凄い盛り上がりだったので、
今年の公演も、これから盛り上がって盛り上がって、熱い夏を乗り切れるようがんばってくれていると思います。
どうぞ、この名作ミュージカルを、観客もキャストもスタッフも一緒に楽しみ、満足できますように……
.
…というか。
ウチの会社は間違っている…………
いや、単に私の能力が足りないだけのことかもしれませんが。
どうにもこうにも仕事が終わらず、大坂侍は観られずに終わってしまいました(号泣)。
観たかったよー、観たかったよー、観たかったよーーーーー!
やっぱりバウに行っておけばよかったなあ。
………しょんぼり(っていうか、反省)。
気をとりなおして、レ・ミゼラブルのお話でも。
☆★☆♪祝!20周年♪☆★☆
というわけで、20周年スペシャルキャストを観てまいりました。
一番嬉しかったこと!
2幕、エポニーヌの名曲「オンマイオウン」の後、
バリケードが最初に完成して学生たちが登場するところの曲が、10周年版(=オリジナル)に戻っていましたーーーーーっ!!
学生たちの数少ない見せ場の一つ、ソロフレーズ歌い継ぎを削ってアンジョルラスのソロになっていた2003年版が許せなかったので、そこが元に戻ったことは、高く評価したいです。
でも。
一番悲しかったこと。
バリケードでの一夜が明けて、アンジョルラスが「市民は来ない…子供あるものと女たちは去りなさい」と歌う時。
それ受けてフィイ(学生の一人)が歌いだす「共に飲もうReprise」が、残念ながら復活していなかったこと。
ここを復活してくれたら、もうあんまり大きな声では文句言わないから、ぜひ戻してくださいまし!!>東宝さま
他にもチョコチョコ変わってましたが、まぁ、根本的にオケの編成と編曲を戻していただかないとあの重厚な音が出なくて…。どうしたって感動は薄れるちゃうんですよね、あの音響だと。シンセの音はどうしても軽いので。
でももう、それは仕方のないことなんだろうなぁ…。
とりあえず。
編成を戻して、編曲も基本戻して、アンサンブルのソロを全部戻していただければ、(なるべく)文句言いませんってば!
…などと、いきなりとってもディープな話から始めてしまいましたが。
この日記を読んでくださっている方で、東宝ミュージカル「レ・ミゼラブル」をご覧になったことがない方はどのくらいいらっしゃるのでしょうか…?
「レ・ミゼラブル」。
「ミス・サイゴン」と同じくブーブリル&シェーンベルクコンビが作った、ロンドンミュージカルの金字塔。
素晴らしい音楽と舞台装置。しっかりした人物設定で、半ば通し役の“アンサンブルが主役”と言われたこの作品によって、多くの役者が育ち、華開いて、東宝ミュージカル全盛時代を築きあげてきました。
人物の造形的な深さと凄み。時間的な制約もあって、ユゴーによる長大な原作の持つ魅力にはかなわない部分もありますが、ミュージカル独特の「音楽」というイメージ喚起に強〜い味方の存在によって、複雑なストーリーをシンプルに見せ、心を奪う。
宝塚を見慣れた目には大変に暗い(←物理的に。19世紀パリの照明状況に合わせているので基本的にもの凄く暗い)作品ですが、OGは今回渚あきさんが大役で出演されています。私はまだ観ておりませんが、おおむね芝居は高く評価されているようです。
う〜ん、いつ観にいこうかな〜。
さて。
私は今回、20周年スペシャルキャストの回を観て参りました。
キャストは以下のとおり。
ジャン・バルジャン 別所哲也
ジャベール 鹿賀丈史(SP)
エポニーヌ 知念里奈
ファンテーヌ 岩崎宏美(SP)
コゼット 富田麻帆
マリウス 藤岡正明
テナルディエ 斎藤晴彦
テナルディエの妻 阿知波悟美
アンジョルラス 岡幸二郎(SP)
指揮は若林さん(多分初見?)。
私は佐藤さんの指揮でのテンポ感が身体に染み付いているので、他の方の指揮になかなか慣れないのですが、佐藤さんはもうレ・ミッズは振られないのでしょうか…(涙)。
もともとは、鹿賀さんのジャベール(初見!)と岡幸二郎さんのアンジョルラスを目当てに取ったチケット。
…うん、私にとってはやっぱり、岡さんのアンジョルラスこそが永遠のアンジョルラスなんだな、とあらためて実感。
森田さんも、今拓哉さんも、吉野圭吾さんも、坂元健児さんも、(他は未見)皆さんそれぞれによいところもあり、いまひとつなところもあり、という感じでしたが。
岡さんも、ダメなところはもちろんアチコチにあるのですが。
だけど。
私にとっては。
…早く、岡さんを超えるアンジョルラスを観たいと思います…。
(←そういうことは、キャスティングされている人を全員ちゃんと観てから言いましょう)
鹿賀さんジャベールは、10年来、私のドリームキャストでした。
滝田バルジャンのファンであった私にとって、滝田バルジャン&鹿賀ジャベールの組み合わせは想像しただけで涎が出そうなほど本当に夢で。
初演から観ている人がどれほどうらやましかったことか…。
前回の2000回記念スペシャルのときは、チケットが取れなくて観ることが叶わなかった鹿賀ジャベール。
「観る」という夢が叶ってしまうと、もっと「彼の体調が万全のときに観たかった」とか、「全盛期に」とか思ってしまうのですが…
でも、そうは言ってもやっぱり“さすが”でした。
観ることができて本当によかったです。
岩崎宏美さんのファンテーヌは、ただただ懐かしい…。
最後に観てから、もう5年はたっているんですね。歌は相変わらずのすばらしさ。ちょっと痩せてしまって、もともと細いのにさらに一回り小さくなったような気がしましたが、綺麗でした。
本役で出演するのは難しいと思いますが、スペシャルで時々出てくれたら嬉しいな(涙)。
別所さんのバルジャンは、2003年に観て非常に感銘を受け、こりゃまずは別所さんでしょう、くらいの気持ちで取ったのですが。
…あれ?おとなしくなってる…?
声が出ていないのか、音響さんの調整ミスなのかわかりませんが、あまり覇気のないバルジャンで、ちょっと拍子抜けしました。
まだ初日があいたばかりで、別所さん自身このシーズンで何度目のバルジャン?という感じでしたが。(鹿賀さんの前ではただのファンだったし…)。
別所さんに限らず、まだ初日あいて一週間という状況なので探り探りやっている印象が残りました。
キャストも手探り、照明も手探り、音響も手探り。
今回とにかくキャストが多い(1役に3〜4人がキャスティングされ、メインキャストだけでも30人以上)ので、稽古が十分にできていないんだろうな、まだ私が観ているコレはまだスタッフの意識としてはプレビューなんだろうな(でも価格は正規料金さ ^ ^;ゝ)、と思わせてしまう出来でした。
まぁ、公演はまだ始まったばかり。7月くらいになればきっとまたあの熱い夏がやってくるのだと思います。
今上演されているのは、一部は戻ったとはいえ「短縮版」であることに変わりはありませんので、あまり強くはお勧めできませんが。
数年ぶりに観劇して、やはりこの作品が私のミュージカルファン人生の原点なんだな、と深く感じ入ったことはご報告しておきます♪
20年。
20年前の東宝ミュージカルは、基本的に座長がいるのが当たり前。
そんな東宝が、「アンサンブルが主役」といわれたこの作品をよくぞ持ってきて、よくぞ全役オーディションをしたものだ、とあらためて感心してしまいます。
前回は公演も終盤近くに観にいって、もの凄い盛り上がりだったので、
今年の公演も、これから盛り上がって盛り上がって、熱い夏を乗り切れるようがんばってくれていると思います。
どうぞ、この名作ミュージカルを、観客もキャストもスタッフも一緒に楽しみ、満足できますように……
.
『蝶々夫人』。
あまりにも有名なプッチーニのオペラには、勿論原作があります。書いたのはジョン・ルーサー・ロング。彼は、日本に駐在した宣教師夫人(の弟?)から一人の日本女性の物語を聴き、それを本にしたのだといいます。
蝶々さん、という一人の日本の少女の物語を。
ミュージカル「蝶々さん」は、プッチーニのオペラからは離れて、一人の実在した「武士の娘」を主人公にして構成されています。
そしてそれは、彼女と関わる宣教師夫婦とその書生の物語でもあります…。
メインキャストは4人。
主人公の蝶々さん(伊東蝶)に、島田歌穂ちゃん。
コレル夫人にウタコ(剣幸)さん、
その夫、アーヴィン・コレル宣教師に戸井勝海さん。
そして、コレル夫妻の書生・木原青年に山本匠馬さん。
蝶々さんの夫・フランクリン少尉の妻ケイト夫人に小野妃香里さん。
歌穂ちゃんの旦那様でもある島健さんの音楽が優しくて、心にすっとしみこんでくる物語でした。
原作は市川森一さん、これを忠の仁さんが潤色して、演出は荻田浩一さん。
まぁ、荻田さん目当てで行ったようなものだったわけですが……
時は明治。1890年代(←またか)。
場所は長崎。
「武家の娘」である少女が、両親を亡くして花街に売られ、横笛で身をたてることになる。
向学心に溢れた少女は、宣教師として長崎に来ていたコレル夫人に英語を学ぶようになり、女学校へ進む夢さえ抱くようになる。しかし、彼女の「オーナー」の反対にあって夢は潰え、見合いでアメリカ人の海軍士官と結婚します。
夫の名は、フランクリン少尉。
…コレル夫人は、それをきいて一つの危惧を抱く。
フランクリン少尉が「蝶々さんを見初めた」というのは本当なのか?
コレル宣教師は、「長崎の結婚」(現地妻として形だけの結婚をする、売春の一形式)という噂を聞いていながら、疑念は抱きながら、それでも見て見ぬふりをする。
そして、わずか数ヶ月でフランクリン少尉の乗った船は本国へ戻り、蝶々さんが一人、慎ましい留守宅を守る…。
物語自体は、オペラ「蝶々夫人」とほぼ同じ展開を辿ります。
夫は帰ってこない。
便りもない。
そうこうしているうちにお金は底をつく。
子供を身籠もっていることに気づいた蝶々さんは、アメリカ領事館に行ってみるが、領事はおそらく真実を知っていながら、のらりくらりと逃げるばかり。
味方のいない蝶々さんの、唯一の味方であったコレル夫人も、領事から少尉には本国に妻があることを聞かされ、蝶々さんに対して秘密を抱く…。
そしてついに日清戦争が始まり、アメリカから軍艦が戻ってくる。
フランクリン少尉を乗せて、
そして、
その妻も共に…。
ロンドン・ミュージカルの名作「ミス・サイゴン」。
これが、オペラ「蝶々夫人」に題材を得ていることは有名ですが。
東宝の「ミス・サイゴン」のプログラムには、ある有名な写真が掲載されています。作者であるブーブリル&シェーンベルクが想を得た写真。あるベトナム人の女性が、今まさに本国の父親のもとへ旅立たんとする混血の息子と別れるために、悲嘆にくれた瞳でじっと子供を見詰めている写真。
すなわち。
「ミス・サイゴン」というのは、息子を喪う母親の悲しみをテーマにしたものだったのだと思います。
その課程で、キムを「初めて店に出た」少女に設定し、キムとクリスの「純愛」の末の子供、という説明を加えた。クリスは勿論独身で、キムを本国へ連れて帰るつもりだったのに、サイゴン陥落の騒ぎで離ればなれになってしまった、という設定までつけ加えて。
それに対して。
この「蝶々さん」は、「日本人女性の誇り」を中心軸とした物語でした。
「なにがなくとも、大切なのは誇り」と教えた蝶々さんの母親。
鍋島藩に仕える藩士としてとして誇り高く使命を全うし、暗殺に命を落とした父親。
「武家の誇り」。
士農工商という身分制度が崩れ去った明治時代にあって、なおこれだけの誇りを維持していたというのはすごいことだと思います。
父を喪い、困窮しても誇りは捨てなかった。常に「武家の娘」である自分を意識し、「名に恥じぬふるまい」を要求される毎日の中で、自分を高く維持することを課題に生きてきた蝶々さん。
その清々しさは特別なものだったのです…。
ウタコさんのコレル夫人。
凛として、でも優しい思いやりのある風情。
柔らかな声が、その優しさを見事に表現していたと思います。
21世紀の私たちに一番近いところで蝶々さんを見守り、私たちに彼女のことを教えてくれる人。狂言回しではなく、「語り手」。蝶々さんのことを語ってくれる人です。
そして勿論、この人がいなければこの作品は成立しなかったでしょう。
島田歌穂。
日比谷の帝国劇場(レ・ミゼラブル絶賛上演中)では、歌穂ちゃんのエポニーヌをみんなが待っているのに。
こんなところで、16歳から19歳までの3年間を演じる歌穂ちゃん。
…ウタコさんよりはさすがに年下だと思いますが。でも、もしかしてそんなに違わないんじゃ……?
…若いっ!!
宝塚月組の、ジョルジュくん18歳!?若っっ!!というのとは
、桁の違う若さですね…。
ま、歌穂ちゃんは「葉っぱのフレディ」なんかだと10歳以下の少年を演じちゃったりするからな…。
まぁ、ちょっと頭でっかちの子供っぽいスタイルであることも確かではありますが。
やはり表情の明るさ、可愛らしさ、元気さ、そして肌のキレイさ。
これですよね、歌穂ちゃんがいつになっても子役がやれるのは。
ウタコさんと歌穂ちゃん。
この二人の共演は、たぶん初めて観たと思いますが。
…似合いすぎ。雰囲気が良すぎです。
もっと他の作品も、このお二人のコンビで観てみたいです♪
ウタコさんの旦那さん役、戸井勝海さん。
「ジキル&ハイド」アターソンに引き続き、My髭でご登場。この人も年齢の割に若く見えるので、ウタコさんとのバランスを取ったのでしょうか。
「ジキル&ハイド」から殆ど間ナシでの本番だったのでどうかなあと思っていたのですが、納得の出番の少なさでした(笑)。
ただただ苦悩する夫人を背後から暖かく見守っている紳士、という役所(笑)
でも、歌は圧倒的ですね流石に…。久しぶりに美声を聴けて嬉しいです♪
フランクリン夫人ケイトの小野妃香里さん。
…ウタコさんよりよっぽど男顔で背も高くてすらっとかっこいい、声も低くて、絶対宝塚の男役だと思った!!って観客が何人も居たに違いない(笑)。
ケイトとしては2幕のラストしか出ないのですが、それとは別に、1幕から象徴的に背景を歩く役を仰せつかっていて、とっかえひっかえいろんな色の振り袖で舞台上を歩いていらっしゃいました。
この世のものとは思えぬ佇まいで、すごく印象的でした。
蝶々さんに片思いする青年役の山本匠馬くん。
…美形だ。芝居はまだまだ経験不足ですが(良い役なのに)、ま、成長を待とうかな、と思わせてくれる美貌でした。うん。
ご活躍楽しみにしています♪
小柄な歌穂ちゃんと山本くん、長身のウタコさん小野さん戸井さん(←戸井さんは決して大きくもないですが。ま、小柄ではないでしょう〜)。日本人チームとアメリカ人チームでちゃんと大きさが違うのはさすがだなあと思いました。
荻田さんの演出は、今回は硬め。
ストーリーがもの凄くしっかりしているので(有名だし)、それに沿ってごくごくシンプルに演出されていました。
ぽつんぽつんと毒を混ぜ込みつつ。
コレル牧師がちょっと役として物足りなかったのが残念。もう少し「コレル夫人」と「ケイト夫人」の間をつなぐじゃないですけど、「日本」と「西欧」両方を理解しつつ、両方から距離をおいた人物として描けていれば、ウタコさんももう少しやりやすかったんじゃないかなあ、と。
何もかもコレル夫人の肩にかかってくるので、大変だと思うんですよね、夫夫人としても、役者としても。
でも、いい公演でした。
ミス・サイゴンやオペラ『蝶々夫人』をいくら観ても決してわからない、「武家の誇り」。
誇り高く生きた少女、蝶。
歌穂ちゃんの、新しい当たり役にブロージット!
そしてウタコさんの、素敵な女性にもう一度!
北千住のシアター1010(センジュ)で、まだあと半月くらいやっています。
「ミス・サイゴン」やオペラ「蝶々夫人」のラストに納得できなかった方は、ぜひ一度ご覧になってみてくださいませ……
.
あまりにも有名なプッチーニのオペラには、勿論原作があります。書いたのはジョン・ルーサー・ロング。彼は、日本に駐在した宣教師夫人(の弟?)から一人の日本女性の物語を聴き、それを本にしたのだといいます。
蝶々さん、という一人の日本の少女の物語を。
ミュージカル「蝶々さん」は、プッチーニのオペラからは離れて、一人の実在した「武士の娘」を主人公にして構成されています。
そしてそれは、彼女と関わる宣教師夫婦とその書生の物語でもあります…。
メインキャストは4人。
主人公の蝶々さん(伊東蝶)に、島田歌穂ちゃん。
コレル夫人にウタコ(剣幸)さん、
その夫、アーヴィン・コレル宣教師に戸井勝海さん。
そして、コレル夫妻の書生・木原青年に山本匠馬さん。
蝶々さんの夫・フランクリン少尉の妻ケイト夫人に小野妃香里さん。
歌穂ちゃんの旦那様でもある島健さんの音楽が優しくて、心にすっとしみこんでくる物語でした。
原作は市川森一さん、これを忠の仁さんが潤色して、演出は荻田浩一さん。
まぁ、荻田さん目当てで行ったようなものだったわけですが……
時は明治。1890年代(←またか)。
場所は長崎。
「武家の娘」である少女が、両親を亡くして花街に売られ、横笛で身をたてることになる。
向学心に溢れた少女は、宣教師として長崎に来ていたコレル夫人に英語を学ぶようになり、女学校へ進む夢さえ抱くようになる。しかし、彼女の「オーナー」の反対にあって夢は潰え、見合いでアメリカ人の海軍士官と結婚します。
夫の名は、フランクリン少尉。
…コレル夫人は、それをきいて一つの危惧を抱く。
フランクリン少尉が「蝶々さんを見初めた」というのは本当なのか?
コレル宣教師は、「長崎の結婚」(現地妻として形だけの結婚をする、売春の一形式)という噂を聞いていながら、疑念は抱きながら、それでも見て見ぬふりをする。
そして、わずか数ヶ月でフランクリン少尉の乗った船は本国へ戻り、蝶々さんが一人、慎ましい留守宅を守る…。
物語自体は、オペラ「蝶々夫人」とほぼ同じ展開を辿ります。
夫は帰ってこない。
便りもない。
そうこうしているうちにお金は底をつく。
子供を身籠もっていることに気づいた蝶々さんは、アメリカ領事館に行ってみるが、領事はおそらく真実を知っていながら、のらりくらりと逃げるばかり。
味方のいない蝶々さんの、唯一の味方であったコレル夫人も、領事から少尉には本国に妻があることを聞かされ、蝶々さんに対して秘密を抱く…。
そしてついに日清戦争が始まり、アメリカから軍艦が戻ってくる。
フランクリン少尉を乗せて、
そして、
その妻も共に…。
ロンドン・ミュージカルの名作「ミス・サイゴン」。
これが、オペラ「蝶々夫人」に題材を得ていることは有名ですが。
東宝の「ミス・サイゴン」のプログラムには、ある有名な写真が掲載されています。作者であるブーブリル&シェーンベルクが想を得た写真。あるベトナム人の女性が、今まさに本国の父親のもとへ旅立たんとする混血の息子と別れるために、悲嘆にくれた瞳でじっと子供を見詰めている写真。
すなわち。
「ミス・サイゴン」というのは、息子を喪う母親の悲しみをテーマにしたものだったのだと思います。
その課程で、キムを「初めて店に出た」少女に設定し、キムとクリスの「純愛」の末の子供、という説明を加えた。クリスは勿論独身で、キムを本国へ連れて帰るつもりだったのに、サイゴン陥落の騒ぎで離ればなれになってしまった、という設定までつけ加えて。
それに対して。
この「蝶々さん」は、「日本人女性の誇り」を中心軸とした物語でした。
「なにがなくとも、大切なのは誇り」と教えた蝶々さんの母親。
鍋島藩に仕える藩士としてとして誇り高く使命を全うし、暗殺に命を落とした父親。
「武家の誇り」。
士農工商という身分制度が崩れ去った明治時代にあって、なおこれだけの誇りを維持していたというのはすごいことだと思います。
父を喪い、困窮しても誇りは捨てなかった。常に「武家の娘」である自分を意識し、「名に恥じぬふるまい」を要求される毎日の中で、自分を高く維持することを課題に生きてきた蝶々さん。
その清々しさは特別なものだったのです…。
ウタコさんのコレル夫人。
凛として、でも優しい思いやりのある風情。
柔らかな声が、その優しさを見事に表現していたと思います。
21世紀の私たちに一番近いところで蝶々さんを見守り、私たちに彼女のことを教えてくれる人。狂言回しではなく、「語り手」。蝶々さんのことを語ってくれる人です。
そして勿論、この人がいなければこの作品は成立しなかったでしょう。
島田歌穂。
日比谷の帝国劇場(レ・ミゼラブル絶賛上演中)では、歌穂ちゃんのエポニーヌをみんなが待っているのに。
こんなところで、16歳から19歳までの3年間を演じる歌穂ちゃん。
…ウタコさんよりはさすがに年下だと思いますが。でも、もしかしてそんなに違わないんじゃ……?
…若いっ!!
宝塚月組の、ジョルジュくん18歳!?若っっ!!というのとは
、桁の違う若さですね…。
ま、歌穂ちゃんは「葉っぱのフレディ」なんかだと10歳以下の少年を演じちゃったりするからな…。
まぁ、ちょっと頭でっかちの子供っぽいスタイルであることも確かではありますが。
やはり表情の明るさ、可愛らしさ、元気さ、そして肌のキレイさ。
これですよね、歌穂ちゃんがいつになっても子役がやれるのは。
ウタコさんと歌穂ちゃん。
この二人の共演は、たぶん初めて観たと思いますが。
…似合いすぎ。雰囲気が良すぎです。
もっと他の作品も、このお二人のコンビで観てみたいです♪
ウタコさんの旦那さん役、戸井勝海さん。
「ジキル&ハイド」アターソンに引き続き、My髭でご登場。この人も年齢の割に若く見えるので、ウタコさんとのバランスを取ったのでしょうか。
「ジキル&ハイド」から殆ど間ナシでの本番だったのでどうかなあと思っていたのですが、納得の出番の少なさでした(笑)。
ただただ苦悩する夫人を背後から暖かく見守っている紳士、という役所(笑)
でも、歌は圧倒的ですね流石に…。久しぶりに美声を聴けて嬉しいです♪
フランクリン夫人ケイトの小野妃香里さん。
…ウタコさんよりよっぽど男顔で背も高くてすらっとかっこいい、声も低くて、絶対宝塚の男役だと思った!!って観客が何人も居たに違いない(笑)。
ケイトとしては2幕のラストしか出ないのですが、それとは別に、1幕から象徴的に背景を歩く役を仰せつかっていて、とっかえひっかえいろんな色の振り袖で舞台上を歩いていらっしゃいました。
この世のものとは思えぬ佇まいで、すごく印象的でした。
蝶々さんに片思いする青年役の山本匠馬くん。
…美形だ。芝居はまだまだ経験不足ですが(良い役なのに)、ま、成長を待とうかな、と思わせてくれる美貌でした。うん。
ご活躍楽しみにしています♪
小柄な歌穂ちゃんと山本くん、長身のウタコさん小野さん戸井さん(←戸井さんは決して大きくもないですが。ま、小柄ではないでしょう〜)。日本人チームとアメリカ人チームでちゃんと大きさが違うのはさすがだなあと思いました。
荻田さんの演出は、今回は硬め。
ストーリーがもの凄くしっかりしているので(有名だし)、それに沿ってごくごくシンプルに演出されていました。
ぽつんぽつんと毒を混ぜ込みつつ。
コレル牧師がちょっと役として物足りなかったのが残念。もう少し「コレル夫人」と「ケイト夫人」の間をつなぐじゃないですけど、「日本」と「西欧」両方を理解しつつ、両方から距離をおいた人物として描けていれば、ウタコさんももう少しやりやすかったんじゃないかなあ、と。
何もかもコレル夫人の肩にかかってくるので、大変だと思うんですよね、夫夫人としても、役者としても。
でも、いい公演でした。
ミス・サイゴンやオペラ『蝶々夫人』をいくら観ても決してわからない、「武家の誇り」。
誇り高く生きた少女、蝶。
歌穂ちゃんの、新しい当たり役にブロージット!
そしてウタコさんの、素敵な女性にもう一度!
北千住のシアター1010(センジュ)で、まだあと半月くらいやっています。
「ミス・サイゴン」やオペラ「蝶々夫人」のラストに納得できなかった方は、ぜひ一度ご覧になってみてくださいませ……
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くたばれ!ヤンキース
2007年6月3日 ミュージカル・舞台 コメント (2)前回の日記から丸一週間以上たってしまいました…。
反省っ。
なんだか5月は忙しかったなぁ…。記事数12件で終わってしまったし(涙)。
書くことが無かったわけではなく、純粋に仕事が忙しくてそれどころではありませんでした。(観る暇はそれなりに作ったのですが)
とりあえず、今日のところは「まだ書いてない話」のリストを数えてみて、自分にプレッシャーをかけてみよう…。
○エリザ話続き(多分、あと1回か2回)
○「コンフィダント・絆」続き
○月組「ハロー!ダンシング」
○星組「シークレットハンター」本公演と新人公演
○中日劇場「ジキル&ハイド」
○PARCO劇場「魔法の万年筆」
○青山劇場「ダム・ヤンキース」
うわぁ(蒼白)。
あと、雑談も結構たまっているんですよね。
CSの「日本史探訪」、宙組はチギ(早霧せいな)ちゃんで、題材も竜馬でしたね、とか。
(さすがに5組全部私の好みで固めてはマズイ、という判断があったのでしょう/^O^)
それにしても。
今度はスカイフェアリーズにカナリ私の好みが反映されまくっているのは気のせいでしょうか…?
私の好みは劇団の好みとは真っ向から反対なことが多いので(苦笑)、最近のCSとか新公のキャスティングが不思議で仕方ないんですが…いいのかなあアレで…(←黙って喜んでなさい)
もとい。
ま、仕事の方は一段落した(はずな)ので、これからはまた、雑談含めてぼちぼち書いていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m。
さて。
まだ終わっていない公演を優先して、ってことで。
最初は「ダム・ヤンキース」から。
この公演。
もちろん、宝塚ファン的には「湖月わたるさん、卒業後『女優として』初出演!」ってところが一番のネタなわけですが。
ミュージカルファンのねこ的には、前年の「パジャマ・ゲーム」と2作連続でトニークラウンに輝いたリチャード・アドラー&ジェリー・ロスのコンビによる甘い音楽がとっても楽しみだったのでした。
実際、オープニングでメグ(杜けあき)中心にアンサンブルメンバーが踊り歌う、パワフルで耳になじむ「6ヶ月!」のナンバーもすごくいいし、ストーリーが動き出す時、悪魔に魂を売った中年男のジョー(青山明)が妻への思いをしみじみと歌う「Goodbye, Old Girl」なんてものすごく甘く優しいラヴ・ソング。
そして、ワシントン・セネタースの“ちょっと情けない”チームメンバーに監督(光枝明彦)が歌って元気づける「Heart!」も素晴らしい。
とにかく、心に響く名曲ぞろいの作品です。
ただ、振付にはちょっと不満が残った、かも…。
ローリー・ワーナーさんも、ダンサーとしての経歴は素晴らしいし、振付助手としてもかなり経験を積んでいらっしゃることはわかるのですが。
ミュージカル作品の振付は初、だそうで。
最初の「6ヶ月!」など、かなり身体の動くメンバーが揃っているのに、あまり利用しきれていなかったのが残念。セネターズチームのアクロバティックな動きは面白かったんですが、あれがローリーさんの本領なのか(だとしたらかなり出演者を選ぶ振付家ですね)、それとも出演者がある程度勝手に動いていたのか(…)、そのあたりはよく判りませんが…
それと、もう一つはせっかく大澄賢也というセンターをはれるダンサーがいるのに、あまりダンスの見せ場がなかったこと。
大澄さんも歌はずいぶん上達されていて、中年のジョー(青山明)さんのソロを受け継いで歌う場面なんかもそれほどコケることなく、しっかり聴かせてくれましたので、大きな不満は特にないのですが。
でも、せっかくだから大澄さんとわたるさんでしっかり組んで、「おおっ!」とうならせてくれるようなダンスシーンが欲しかったよお(涙)。せっかく2幕で、かなり長い1シーン丸々二人の「愛の一夜」のはずなのに、あんまりホールドしないで離れて踊ってるし、わたるさん脱がないし(←そこか)。
オリジナル版では、これでトニー賞を獲ったボブ・フォッシーの振付。そりゃあ大澄&湖月ならではのダンスシーンがふんだんにあるだろう!踊りまくり、って売り文句になってるしっ!!と、すっごく期待しまくっていたので……
うん。ちょこっと残念でした。
ま、次の作品に期待、かな。
その代わり、わたるさんも大澄さんも歌が予想外に良かったので(←どんだけ期待値が低いんだ)、プラスマイナスゼロ、ってところかな…。
悪魔(?)ローラのわたるさんは、超キュート。
私は、彼女が専科時代に外部出演した「フォーチュン・クッキー」のボーイッシュな少女がものすごく好きだったので、久しぶりにキュートで可愛いわたるさんに会えて幸せでした。
「漢」な湖月わたるのファンの方には、ちょっと不満だったりするのかもしれませんが、私は大満足でした。
…チラシの衣装が無かったのは大きな不満ですけどねっ!!ぷんぷんっ!!
でも、ハートマーク付きのツナギの作業着とか、豪奢な金髪巻き毛にほっそーいパンツとか、生腹にへそピアスとか(はぁと)、予想もしなかったところにヒットがあったので許したいと思います。
でもでも!チケット代のの2/3はわたるさんの脚線美に払うつもり満々だった私には、出し惜しみ衣装はちょっと残念でした………。
…いや、あの、もちろん脚は出してくれますよ!映画のDVDの表紙になっているローラの衣装はそのままです。ただ、私の期待度が高すぎただけ…(←なにを期待してたんだ)
ジョーの妻・メグの杜さんはまた、わたるさんに輪をかけてキュート!!
可愛らしい中年女性で、ちょっと「きゃぴっ」としてみたり、落ち着いた主婦らしくなったり、ギャップがあってとても素敵でした。
歌もさすが。幕開きでソロを取るのも納得の美声です。
個人的に、ここでの旦那とのやりとりは何年か前に上演された「I Love You〜愛の果ては?」の1シーン、野球ファンの夫(川平慈英)と妻(絵麻緒ゆう)の大爆笑シーンを、久々に思い出させてくれました(笑)。
ああいう人って、どこのチームに限らず本当にいるんでしょうね、アメリカには。
悪魔・アップルゲートの川崎麻世さんは超ステキでした。
なんか久々に「ステキ」な麻世さんにお会いしたような気がしたわ。…ジャベール以来?(←マジかも)
ああいう、人を喰ったようなトボけたキャラは素晴らしいですね。歌も安定してました。
惜しむらくは、ローラと一曲ダンスがあれば良かったのになぁ。。
中年のジョー・青山明さんは…すっげー良かったです。はい。
モダン・ミリーから引き続いての舞台ですが、がっちりと作品を締めてましたね。どっちも良かった!メグとの息もぴったり。杜さんのまろやかな声と合うんですね。
青山さん、四季時代から大好きなんですけど、ああいう「心やさしい、不器用な中年(老年)男性」の役って四季だと割と少ないので、外部でがんがん活躍してほしいです〜!
オリジナルでは、ジョーとメグのカップルが主役だったんじゃないかと思ったほど、良かったです。泣けました。
(実際にはローラとアップルゲートがトニーの主演女優・男優賞を獲っているので、こっちが主演扱い)
セネターズ監督の光枝さん…これまた最高のハマリ役でした。
光枝さんは、逆にああいう「ダンディな中年(老年)男性」の役って四季以外では比較的珍しいので、退団なさって苦労されるんじゃないかと思っていたのですが。
…こういう役がありましたね!
最高でした。マジで。「Heart」はしびれましたよ。うう、青山さんと光枝さんのとこだけでもいいから(←おい)CDほしい。(わたるさんのところはDVDがほしい…)
矢口真里さんは、なんとういか、わたるさんとは違う意味でキュート(←多分こっちが普通のキュート)でした。
観劇前はてっきり子役での出演かと思っていたのですが(←すみません)、立派な女性の役でした。ただ、ルポライターには見えなかったかな…。チラシの髪型の方が大人っぽくてキレイだと思うのですが、あえてああいうバービー人形みたいな可愛らしい髪型に子供体型に見える衣装を着せるということは、演出意図なんでしょうかねぇ…。
歌も結構多い役なんですが、声がとっても魅力的で私は好きでした。これからもミュージカルに出演されるのでしょうか?ミニモニ時代はダンスで有名だったと聞いたのですが、これはやはり、ミュージカルの振付だと体型的にちょっと苦しかったかも…でも、よく動けるなぁと感心しました。
前に座っていた方が矢口さんのファンらしく、座席に小さくなってオペラグラスをあげていたのが可愛らしかったです(笑)。そして、他の人のコトはずーっと無視だったのに、わたるさんローラがジョーを誘惑するためにスカートをバッと取った途端に、私のオペラグラスの視界に影が入ったと思ったら彼も観てた(爆)。思わず舌打ちしてしまってゴメンナサイ………。
福麻むつ美&伊東弘美のミラー姉妹はサイコーでした(^o^)。
福麻さんって私はその昔の「グイン・サーガ」のリギア初め、どちらかというとカッコイイ系の役しか観ていないのですが。
伊東さんも、レミゼのファンティーヌとかエリザベートのリヒテンシュタインとかのイメージがすごく強いのですが。
…すげー………あとかたもなく弾けてる………。
意外と出番もおおい儲け役でしたが、出てくるたびにホント目が離せなくて。
ふと気が付くと杜さんを観ていなかったりして焦りました(^ ^;ゞ。
アンサンブル陣も本当に素晴らしかった。歌もダンスもアクロバットも。
衣装(←ココ強調)・振付を含めた演出・そして潤色した時の細かい部分の詰めにはかなり不満もありますが、作品としてはよくまとまった佳作だと思います。
とりあえず、キュートで可愛いわたるさんに会えて、幸せな一日でした♪
今後のご活躍をお祈りしていま〜す!
反省っ。
なんだか5月は忙しかったなぁ…。記事数12件で終わってしまったし(涙)。
書くことが無かったわけではなく、純粋に仕事が忙しくてそれどころではありませんでした。(観る暇はそれなりに作ったのですが)
とりあえず、今日のところは「まだ書いてない話」のリストを数えてみて、自分にプレッシャーをかけてみよう…。
○エリザ話続き(多分、あと1回か2回)
○「コンフィダント・絆」続き
○月組「ハロー!ダンシング」
○星組「シークレットハンター」本公演と新人公演
○中日劇場「ジキル&ハイド」
○PARCO劇場「魔法の万年筆」
○青山劇場「ダム・ヤンキース」
うわぁ(蒼白)。
あと、雑談も結構たまっているんですよね。
CSの「日本史探訪」、宙組はチギ(早霧せいな)ちゃんで、題材も竜馬でしたね、とか。
(さすがに5組全部私の好みで固めてはマズイ、という判断があったのでしょう/^O^)
それにしても。
今度はスカイフェアリーズにカナリ私の好みが反映されまくっているのは気のせいでしょうか…?
私の好みは劇団の好みとは真っ向から反対なことが多いので(苦笑)、最近のCSとか新公のキャスティングが不思議で仕方ないんですが…いいのかなあアレで…(←黙って喜んでなさい)
もとい。
ま、仕事の方は一段落した(はずな)ので、これからはまた、雑談含めてぼちぼち書いていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m。
さて。
まだ終わっていない公演を優先して、ってことで。
最初は「ダム・ヤンキース」から。
この公演。
もちろん、宝塚ファン的には「湖月わたるさん、卒業後『女優として』初出演!」ってところが一番のネタなわけですが。
ミュージカルファンのねこ的には、前年の「パジャマ・ゲーム」と2作連続でトニークラウンに輝いたリチャード・アドラー&ジェリー・ロスのコンビによる甘い音楽がとっても楽しみだったのでした。
実際、オープニングでメグ(杜けあき)中心にアンサンブルメンバーが踊り歌う、パワフルで耳になじむ「6ヶ月!」のナンバーもすごくいいし、ストーリーが動き出す時、悪魔に魂を売った中年男のジョー(青山明)が妻への思いをしみじみと歌う「Goodbye, Old Girl」なんてものすごく甘く優しいラヴ・ソング。
そして、ワシントン・セネタースの“ちょっと情けない”チームメンバーに監督(光枝明彦)が歌って元気づける「Heart!」も素晴らしい。
とにかく、心に響く名曲ぞろいの作品です。
ただ、振付にはちょっと不満が残った、かも…。
ローリー・ワーナーさんも、ダンサーとしての経歴は素晴らしいし、振付助手としてもかなり経験を積んでいらっしゃることはわかるのですが。
ミュージカル作品の振付は初、だそうで。
最初の「6ヶ月!」など、かなり身体の動くメンバーが揃っているのに、あまり利用しきれていなかったのが残念。セネターズチームのアクロバティックな動きは面白かったんですが、あれがローリーさんの本領なのか(だとしたらかなり出演者を選ぶ振付家ですね)、それとも出演者がある程度勝手に動いていたのか(…)、そのあたりはよく判りませんが…
それと、もう一つはせっかく大澄賢也というセンターをはれるダンサーがいるのに、あまりダンスの見せ場がなかったこと。
大澄さんも歌はずいぶん上達されていて、中年のジョー(青山明)さんのソロを受け継いで歌う場面なんかもそれほどコケることなく、しっかり聴かせてくれましたので、大きな不満は特にないのですが。
でも、せっかくだから大澄さんとわたるさんでしっかり組んで、「おおっ!」とうならせてくれるようなダンスシーンが欲しかったよお(涙)。せっかく2幕で、かなり長い1シーン丸々二人の「愛の一夜」のはずなのに、あんまりホールドしないで離れて踊ってるし、わたるさん脱がないし(←そこか)。
オリジナル版では、これでトニー賞を獲ったボブ・フォッシーの振付。そりゃあ大澄&湖月ならではのダンスシーンがふんだんにあるだろう!踊りまくり、って売り文句になってるしっ!!と、すっごく期待しまくっていたので……
うん。ちょこっと残念でした。
ま、次の作品に期待、かな。
その代わり、わたるさんも大澄さんも歌が予想外に良かったので(←どんだけ期待値が低いんだ)、プラスマイナスゼロ、ってところかな…。
悪魔(?)ローラのわたるさんは、超キュート。
私は、彼女が専科時代に外部出演した「フォーチュン・クッキー」のボーイッシュな少女がものすごく好きだったので、久しぶりにキュートで可愛いわたるさんに会えて幸せでした。
「漢」な湖月わたるのファンの方には、ちょっと不満だったりするのかもしれませんが、私は大満足でした。
…チラシの衣装が無かったのは大きな不満ですけどねっ!!ぷんぷんっ!!
でも、ハートマーク付きのツナギの作業着とか、豪奢な金髪巻き毛にほっそーいパンツとか、生腹にへそピアスとか(はぁと)、予想もしなかったところにヒットがあったので許したいと思います。
でもでも!チケット代のの2/3はわたるさんの脚線美に払うつもり満々だった私には、出し惜しみ衣装はちょっと残念でした………。
…いや、あの、もちろん脚は出してくれますよ!映画のDVDの表紙になっているローラの衣装はそのままです。ただ、私の期待度が高すぎただけ…(←なにを期待してたんだ)
ジョーの妻・メグの杜さんはまた、わたるさんに輪をかけてキュート!!
可愛らしい中年女性で、ちょっと「きゃぴっ」としてみたり、落ち着いた主婦らしくなったり、ギャップがあってとても素敵でした。
歌もさすが。幕開きでソロを取るのも納得の美声です。
個人的に、ここでの旦那とのやりとりは何年か前に上演された「I Love You〜愛の果ては?」の1シーン、野球ファンの夫(川平慈英)と妻(絵麻緒ゆう)の大爆笑シーンを、久々に思い出させてくれました(笑)。
ああいう人って、どこのチームに限らず本当にいるんでしょうね、アメリカには。
悪魔・アップルゲートの川崎麻世さんは超ステキでした。
なんか久々に「ステキ」な麻世さんにお会いしたような気がしたわ。…ジャベール以来?(←マジかも)
ああいう、人を喰ったようなトボけたキャラは素晴らしいですね。歌も安定してました。
惜しむらくは、ローラと一曲ダンスがあれば良かったのになぁ。。
中年のジョー・青山明さんは…すっげー良かったです。はい。
モダン・ミリーから引き続いての舞台ですが、がっちりと作品を締めてましたね。どっちも良かった!メグとの息もぴったり。杜さんのまろやかな声と合うんですね。
青山さん、四季時代から大好きなんですけど、ああいう「心やさしい、不器用な中年(老年)男性」の役って四季だと割と少ないので、外部でがんがん活躍してほしいです〜!
オリジナルでは、ジョーとメグのカップルが主役だったんじゃないかと思ったほど、良かったです。泣けました。
(実際にはローラとアップルゲートがトニーの主演女優・男優賞を獲っているので、こっちが主演扱い)
セネターズ監督の光枝さん…これまた最高のハマリ役でした。
光枝さんは、逆にああいう「ダンディな中年(老年)男性」の役って四季以外では比較的珍しいので、退団なさって苦労されるんじゃないかと思っていたのですが。
…こういう役がありましたね!
最高でした。マジで。「Heart」はしびれましたよ。うう、青山さんと光枝さんのとこだけでもいいから(←おい)CDほしい。(わたるさんのところはDVDがほしい…)
矢口真里さんは、なんとういか、わたるさんとは違う意味でキュート(←多分こっちが普通のキュート)でした。
観劇前はてっきり子役での出演かと思っていたのですが(←すみません)、立派な女性の役でした。ただ、ルポライターには見えなかったかな…。チラシの髪型の方が大人っぽくてキレイだと思うのですが、あえてああいうバービー人形みたいな可愛らしい髪型に子供体型に見える衣装を着せるということは、演出意図なんでしょうかねぇ…。
歌も結構多い役なんですが、声がとっても魅力的で私は好きでした。これからもミュージカルに出演されるのでしょうか?ミニモニ時代はダンスで有名だったと聞いたのですが、これはやはり、ミュージカルの振付だと体型的にちょっと苦しかったかも…でも、よく動けるなぁと感心しました。
前に座っていた方が矢口さんのファンらしく、座席に小さくなってオペラグラスをあげていたのが可愛らしかったです(笑)。そして、他の人のコトはずーっと無視だったのに、わたるさんローラがジョーを誘惑するためにスカートをバッと取った途端に、私のオペラグラスの視界に影が入ったと思ったら彼も観てた(爆)。思わず舌打ちしてしまってゴメンナサイ………。
福麻むつ美&伊東弘美のミラー姉妹はサイコーでした(^o^)。
福麻さんって私はその昔の「グイン・サーガ」のリギア初め、どちらかというとカッコイイ系の役しか観ていないのですが。
伊東さんも、レミゼのファンティーヌとかエリザベートのリヒテンシュタインとかのイメージがすごく強いのですが。
…すげー………あとかたもなく弾けてる………。
意外と出番もおおい儲け役でしたが、出てくるたびにホント目が離せなくて。
ふと気が付くと杜さんを観ていなかったりして焦りました(^ ^;ゞ。
アンサンブル陣も本当に素晴らしかった。歌もダンスもアクロバットも。
衣装(←ココ強調)・振付を含めた演出・そして潤色した時の細かい部分の詰めにはかなり不満もありますが、作品としてはよくまとまった佳作だと思います。
とりあえず、キュートで可愛いわたるさんに会えて、幸せな一日でした♪
今後のご活躍をお祈りしていま〜す!
Un Grande Amore【2】
2007年5月22日 ミュージカル・舞台一週間の間に、二つの「エリザベート」に出会ってきました。
宝塚大劇場での『雪組再演版』と、新宿コマ劇場での『ウィーン版コンサート』。
台詞などはだいぶ割愛されたコンサート版でしたけれども、観ることができて良かったです。本当に。
その「場」にいることができて、幸せでした。
ああ、ウィーンに行きたいなあ〜〜〜!!
いや違う、ちょっとくらい無理しても梅田に行っておけばよかったなあ…(←後悔先に立たず)。
「エリザベート」。
同じタイトルと(ほぼ)同じ音楽を使った、宝塚版とウィーン版。二つの作品が語ってくれたのは、全く違う物語でした。
「エリザベートの愛」を語った宝塚版と、
「エリザベートの人生」を語るウィーン版。
そして。
この「『エリザベート』宝塚版」を創りあげた小池修一郎は、間違いなく天才だったのだと実感したのでした。
宝塚版では。
「主役」はあくまでもトート。
「タイトルロール」はエリザベート。
「立役者」はゾフィーとフランツ。
そしてもちろん、ルキーニが「説明役」だったわけですが。
ウィーン版では。
「主役」も「タイトルロール」も「立役者」も、ぜーんぶエリザベート!
トートもフランツも、せいぜい彼女の人生を彩った「華」でしかない。
そしてルキーニは、「説明役」ではなく「語り手」。
一人だけイタリア人の彼が、観客に向かって彼女の人生を語っている。
「タイトルロール」と「主役」は、同じように見えても微妙に違うもの。
「タイトルロール」は「作品の主題」であって、作品により「主役」本人であることもあれば、「主役の見る夢」であることもあります。
たとえば、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」の主役が、シーザーではなくブルータスであったように。
同じように、宝塚版「エリザベート」の主役はトート。そして、彼が見る夢、あるいは彼が欲する対象としての「皇后エリザベート」がいるのです。
だから、フランツは主役であるトートと敵対する役割を果たすことになり、ルキーニはその「トートの夢」を説明するだけの役割になってしまった。
でも。
よりオリジナルに近い、今回のウィーン版では。
「タイトルロール」=「主役」というわかりやすい設定で、彼女の人生を斜すに構えて揶揄するルキーニが二番手、という、ロイド・ウェッバーの「エヴィータ」と同じ劇構造。
実際、アルゼンチンの大統領夫人エヴァ・ペロンとオーストリア皇后エリザベート、アルゼンチン生まれの社会主義革命家チェ・ゲバラとイタリア生まれの無政府主義者ルイジ・ルケーニの比較は昔からよく見かける議論ですし、表面的にはよく似た設定だと思います。
でも。
「エヴィータ」は、エヴァ・ペロンの人生を「外側から」描いた作品。彼女の内面に踏み込むのは、ほとんどがチェが歌う「想像の」あるいは「説明の」ナンバーばかり。
エヴァ自身が自分自身の心情を吐露するのは、「ブエノスアイレス」くらいではないでしょうか?一番の名曲「アルゼンチンよ泣かないで」が就任後の国民への演説の形で歌われることを考えれば、その構造は明らかです。
言ってみれば、あの作品そのものが、エヴァ・ペロンの事績に対する「裁判」なのです。被告(エヴァ)本人の弁論も弁護人もなしで、検事(チェ)と裁判官(観客)のみで行われる裁判。
証人として登場するペロンやマガルディ、あるいは国民が見た「エヴァ像」が語られ、それをつないでいくことで「エヴァの人生」を再構築する試みなのです。
それに対して「エリザベート」は、シシィの内面の奥深く踏み込んでいきます。
こちらはルキーニの裁判という形で幕が開き、証人としてこの時代に生きた人々が召喚される設定で始まりますが。
本編に入ると、これもルキーニが「検事」の立場で、「観客」という裁判官に向かって「被告」であるシシィの人生を語る形に見えてくるのです。
でも、そのストーリーのポイントポイントで、ルキーニ自身が時にカフェの噂話に風を送り、時に怒りの炎を焚き付けつつ主体的に動いたり、シシィ本人が自分の心情を率直に吐露し、謳いあげている(「私だけに」など)ところが「エヴィータ」とは全然違っていて、作品をものすごくダイナミックな印象にしているところだと思います。
…なんか話がそれてますけれども(←いつものこと)
面白かったんです。本当に。
そして、「宝塚版」と「ウィーン版」、二つが全然違う作品だったから、どちらも本当に面白かったし、両方を観ることで、両方がより面白く感じられるようになりました。
宝塚版の「縛り」。
男役を主役にすること、あまりリアルに下世話なものは排除すること、そして、日本人でもすぐに話が分かるようにすること。
(他にもあるかもしれませんが、とりあえず)この3点を守ったが故に、宝塚版「エリザベート」という作品には、避けられない歪みがあることは事実です。
トートというキャラクターの分裂、ルキーニの矛盾…
でも、それは決して「間違ったエリザベート」ではなかったのだ、と。
「エリザベート」のルールよりも「宝塚」のルールを重視した「宝塚版」は、「宝塚作品」として奇跡を起こし得る作品になりました。
そして、実際奇跡は起きたのでしょう、きっと。
これだけの人気を博し、これだけいろいろなキャストでの再演がかない、それぞれに(色々言われつつも)評価されてここまで来ているのですから。
…先にウィーン版を観ていたらどう感じたかは自分でもわかりませんが(苦笑)。
ウィーン版を観て、あらためて「宝塚版エリザベート」は、宝塚作品として名作中の名作なのだと確信したのでした♪
そういう意味では、やっぱり東宝版はちょっと中途半端だったんじゃないかな〜、とも思っちゃいましたけどね(滝汗)。
えーっと。
エリザベートの夢見た放埒、マックス公爵の「自由」は、いわゆる「ラテンの享楽」とは違うものなのでしょうね。
それは、ルーマニアからハンガリーにかけて特に多かった、ロマニ語を話す人々の「自由」だったのではないでしょうか。
自分自身が属する集団の「掟」にのみ縛られることを是とし、それ以外の全てのルールを否定する。そしてそのルールを遵守した場合に得られるはずの利益をも、すべて否定してのける。
でも、そのルールに従うものを見下すわけではない。
ただ、自分は違うのだ、と。
その檻の中で生きていくことはできないのだ、と…。
檻に閉じこめられることを拒否しながら、檻の外では生きていけない愚かな獣もいます。
たとえば、母そっくりと言われながら、ひ弱で精神的にも脆すぎるルドルフのように。
彼は、母と同じ、“檻の外”だけを見凝めつづける。
でも。自分が檻の外では生きていけないことに、最後まで気が付かなかった…。
でも、エリザベートは違う。
彼女は、檻の外でもちゃんと生きて行けたのです。
それは、彼女が闘うすべを知っていたから。
自分のアイデンティティを守り、取引をすることを知っていたから。
自分の美貌を武器にするだけでなく、それによる政治効果を取引材料にする知性と理性。
マヤ・ハクフォートさんのエリザベートは、ものすごく理性的な存在に見えました。彼女は、その持っている知識と理性の全てをかけて「押しつけられるルール」と戦い抜くのです。
それは、となみ(白羽ゆり)ちゃんのエリザベートにはあまり感じられなかった部分でした。となみちゃんのシシィは、“意味もわからず、とにかく束縛されるのが嫌だから拒否する”という天然素材の天使。(←誉めています)
でも、マヤさんのシシィは。国を守る、あるいは「オーストリア帝国という世界」を守ることに一片の価値も見いださない、「人は一人で生きていくモノ。国に守られるものではないわ」という主張を前面に掲げて生きていく“強い”人。
麻子(瀬奈じゅん)さんのシシィは、もう少し情がありましたね。フランツと共に生きていく術を探して彷徨っている感があり、愛する人を理解できない寂しさもにじませて。最後まで“大人”にはならなかったけれども、“孤独な子供”のまま、息子を捨ててしまったけれども。それでも、やっぱり情があったから、最後にトートと結ばれた時に「やっと幸せを見つけたんだね」と祝福してあげたくなったのです。
シシィは、自分を否定する宮廷を拒否しつつ、時代の中を生き抜いていく。
その背中の皓い翼を、
マヤさんのシシィは自分自身の理性と知性で守り抜き、
麻子さんのシシィは堕ちた翼を拾い上げ、繕ってより美しく輝かせて。
…となみちゃんのシシィの翼は、堕ちてもまた生えてくる、ような気がするんですよね……。
それが良いことなのか悪いことなのか、その答えはまだ出ていないと思いますが…。
そんなシシィを見守るトート。
彼は、ウィーン版では完全に「エリザベートの幻想」の中の、「激しい」存在、という感じでした。
水くんのトートは、出てくるたびに「生身の熱い血(←色は青いかも…)の熱さ・激しさ」を感じさせ、
サエコさんのトートは「幻想の閑けさ、子供の孤独」を纏っていましたが。
マテ・カマラスのトートは。
子供っぽくて乱暴者。もの凄い力づくでシシィを、そしてルドルフを引っ張り回して。
その激しさ、熱さ、なのに絶対に生身ではない違和感。
どうしても憎めない、目が惹き付けられて離せないキャラクター。
そして。
あの、声。
何も判っていないっぽい、子供っぽくて粗野なキャラクターに見えて、なのに声だけは世界を呑み込んでしまうほど甘く優しい、あの声は…。
この声は、ぜーったい、中川晃教だ〜〜〜!!
っと、開始15分くらいで思ってしまったのですが…。
……似てないでしょうか?
「エリィザベー…」と甘くけだるく囁きかける時の声。
激しくシャウトする声。
目を瞑ってきいたら判らないくらい、ものすごーく似た色の声だと思うんですけど。…似てませんかねぇ。
東宝版の武田真治トートも大変に興味深い役作りでしたが。
私は。
次回再演があるなら、中川くんのトートがぜひ観てみたくなりました。
というか。
その前に、今度のルカス・ペルマン&中川コンサートで、中川トート&ルカスルドルフで闇は広がるをやってほしい! これが実現したら私は2,3年のうちに絶対ウィーンに行くぞ!(←何の関係があるのかさっぱりわからん/涙)
それから、ついでにもう一つ。
ゾフィー役のクリスタ・ヴェットシュタイン。
この方がまた、ぞっとするほど前田美波里さんに声もキャラクターもそっくりでした…(^ ^;ゞ。
中川くんのトート。
美波里さんのゾフィー。
このキャスト、実現しないかなあ…(←無理)
最後に。
今回のコンサートで一個だけ残念だったのは、少年ルドルフが素人だったこと。
日本語でもいいから東宝公演のキャストを出してほしかったなぁ…(←無理)。
やっぱりね、「ママ、どこなの?」というナンバーは、エリザベートが高らかに勝利を謳いあげた直後に、足許の亀裂を見せるナンバーですから。青年ルドルフの芝居ともつながらないといけないし、作品的にも非常に重要なナンバーなんです(涙)。
まぁ、向こうからプロを連れてくるのは無理にしても、日本にも良いキャストがたくさんいるのになぁ〜。残念!
.
宝塚大劇場での『雪組再演版』と、新宿コマ劇場での『ウィーン版コンサート』。
台詞などはだいぶ割愛されたコンサート版でしたけれども、観ることができて良かったです。本当に。
その「場」にいることができて、幸せでした。
ああ、ウィーンに行きたいなあ〜〜〜!!
いや違う、ちょっとくらい無理しても梅田に行っておけばよかったなあ…(←後悔先に立たず)。
「エリザベート」。
同じタイトルと(ほぼ)同じ音楽を使った、宝塚版とウィーン版。二つの作品が語ってくれたのは、全く違う物語でした。
「エリザベートの愛」を語った宝塚版と、
「エリザベートの人生」を語るウィーン版。
そして。
この「『エリザベート』宝塚版」を創りあげた小池修一郎は、間違いなく天才だったのだと実感したのでした。
宝塚版では。
「主役」はあくまでもトート。
「タイトルロール」はエリザベート。
「立役者」はゾフィーとフランツ。
そしてもちろん、ルキーニが「説明役」だったわけですが。
ウィーン版では。
「主役」も「タイトルロール」も「立役者」も、ぜーんぶエリザベート!
トートもフランツも、せいぜい彼女の人生を彩った「華」でしかない。
そしてルキーニは、「説明役」ではなく「語り手」。
一人だけイタリア人の彼が、観客に向かって彼女の人生を語っている。
「タイトルロール」と「主役」は、同じように見えても微妙に違うもの。
「タイトルロール」は「作品の主題」であって、作品により「主役」本人であることもあれば、「主役の見る夢」であることもあります。
たとえば、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」の主役が、シーザーではなくブルータスであったように。
同じように、宝塚版「エリザベート」の主役はトート。そして、彼が見る夢、あるいは彼が欲する対象としての「皇后エリザベート」がいるのです。
だから、フランツは主役であるトートと敵対する役割を果たすことになり、ルキーニはその「トートの夢」を説明するだけの役割になってしまった。
でも。
よりオリジナルに近い、今回のウィーン版では。
「タイトルロール」=「主役」というわかりやすい設定で、彼女の人生を斜すに構えて揶揄するルキーニが二番手、という、ロイド・ウェッバーの「エヴィータ」と同じ劇構造。
実際、アルゼンチンの大統領夫人エヴァ・ペロンとオーストリア皇后エリザベート、アルゼンチン生まれの社会主義革命家チェ・ゲバラとイタリア生まれの無政府主義者ルイジ・ルケーニの比較は昔からよく見かける議論ですし、表面的にはよく似た設定だと思います。
でも。
「エヴィータ」は、エヴァ・ペロンの人生を「外側から」描いた作品。彼女の内面に踏み込むのは、ほとんどがチェが歌う「想像の」あるいは「説明の」ナンバーばかり。
エヴァ自身が自分自身の心情を吐露するのは、「ブエノスアイレス」くらいではないでしょうか?一番の名曲「アルゼンチンよ泣かないで」が就任後の国民への演説の形で歌われることを考えれば、その構造は明らかです。
言ってみれば、あの作品そのものが、エヴァ・ペロンの事績に対する「裁判」なのです。被告(エヴァ)本人の弁論も弁護人もなしで、検事(チェ)と裁判官(観客)のみで行われる裁判。
証人として登場するペロンやマガルディ、あるいは国民が見た「エヴァ像」が語られ、それをつないでいくことで「エヴァの人生」を再構築する試みなのです。
それに対して「エリザベート」は、シシィの内面の奥深く踏み込んでいきます。
こちらはルキーニの裁判という形で幕が開き、証人としてこの時代に生きた人々が召喚される設定で始まりますが。
本編に入ると、これもルキーニが「検事」の立場で、「観客」という裁判官に向かって「被告」であるシシィの人生を語る形に見えてくるのです。
でも、そのストーリーのポイントポイントで、ルキーニ自身が時にカフェの噂話に風を送り、時に怒りの炎を焚き付けつつ主体的に動いたり、シシィ本人が自分の心情を率直に吐露し、謳いあげている(「私だけに」など)ところが「エヴィータ」とは全然違っていて、作品をものすごくダイナミックな印象にしているところだと思います。
…なんか話がそれてますけれども(←いつものこと)
面白かったんです。本当に。
そして、「宝塚版」と「ウィーン版」、二つが全然違う作品だったから、どちらも本当に面白かったし、両方を観ることで、両方がより面白く感じられるようになりました。
宝塚版の「縛り」。
男役を主役にすること、あまりリアルに下世話なものは排除すること、そして、日本人でもすぐに話が分かるようにすること。
(他にもあるかもしれませんが、とりあえず)この3点を守ったが故に、宝塚版「エリザベート」という作品には、避けられない歪みがあることは事実です。
トートというキャラクターの分裂、ルキーニの矛盾…
でも、それは決して「間違ったエリザベート」ではなかったのだ、と。
「エリザベート」のルールよりも「宝塚」のルールを重視した「宝塚版」は、「宝塚作品」として奇跡を起こし得る作品になりました。
そして、実際奇跡は起きたのでしょう、きっと。
これだけの人気を博し、これだけいろいろなキャストでの再演がかない、それぞれに(色々言われつつも)評価されてここまで来ているのですから。
…先にウィーン版を観ていたらどう感じたかは自分でもわかりませんが(苦笑)。
ウィーン版を観て、あらためて「宝塚版エリザベート」は、宝塚作品として名作中の名作なのだと確信したのでした♪
そういう意味では、やっぱり東宝版はちょっと中途半端だったんじゃないかな〜、とも思っちゃいましたけどね(滝汗)。
えーっと。
エリザベートの夢見た放埒、マックス公爵の「自由」は、いわゆる「ラテンの享楽」とは違うものなのでしょうね。
それは、ルーマニアからハンガリーにかけて特に多かった、ロマニ語を話す人々の「自由」だったのではないでしょうか。
自分自身が属する集団の「掟」にのみ縛られることを是とし、それ以外の全てのルールを否定する。そしてそのルールを遵守した場合に得られるはずの利益をも、すべて否定してのける。
でも、そのルールに従うものを見下すわけではない。
ただ、自分は違うのだ、と。
その檻の中で生きていくことはできないのだ、と…。
檻に閉じこめられることを拒否しながら、檻の外では生きていけない愚かな獣もいます。
たとえば、母そっくりと言われながら、ひ弱で精神的にも脆すぎるルドルフのように。
彼は、母と同じ、“檻の外”だけを見凝めつづける。
でも。自分が檻の外では生きていけないことに、最後まで気が付かなかった…。
でも、エリザベートは違う。
彼女は、檻の外でもちゃんと生きて行けたのです。
それは、彼女が闘うすべを知っていたから。
自分のアイデンティティを守り、取引をすることを知っていたから。
自分の美貌を武器にするだけでなく、それによる政治効果を取引材料にする知性と理性。
マヤ・ハクフォートさんのエリザベートは、ものすごく理性的な存在に見えました。彼女は、その持っている知識と理性の全てをかけて「押しつけられるルール」と戦い抜くのです。
それは、となみ(白羽ゆり)ちゃんのエリザベートにはあまり感じられなかった部分でした。となみちゃんのシシィは、“意味もわからず、とにかく束縛されるのが嫌だから拒否する”という天然素材の天使。(←誉めています)
でも、マヤさんのシシィは。国を守る、あるいは「オーストリア帝国という世界」を守ることに一片の価値も見いださない、「人は一人で生きていくモノ。国に守られるものではないわ」という主張を前面に掲げて生きていく“強い”人。
麻子(瀬奈じゅん)さんのシシィは、もう少し情がありましたね。フランツと共に生きていく術を探して彷徨っている感があり、愛する人を理解できない寂しさもにじませて。最後まで“大人”にはならなかったけれども、“孤独な子供”のまま、息子を捨ててしまったけれども。それでも、やっぱり情があったから、最後にトートと結ばれた時に「やっと幸せを見つけたんだね」と祝福してあげたくなったのです。
シシィは、自分を否定する宮廷を拒否しつつ、時代の中を生き抜いていく。
その背中の皓い翼を、
マヤさんのシシィは自分自身の理性と知性で守り抜き、
麻子さんのシシィは堕ちた翼を拾い上げ、繕ってより美しく輝かせて。
…となみちゃんのシシィの翼は、堕ちてもまた生えてくる、ような気がするんですよね……。
それが良いことなのか悪いことなのか、その答えはまだ出ていないと思いますが…。
そんなシシィを見守るトート。
彼は、ウィーン版では完全に「エリザベートの幻想」の中の、「激しい」存在、という感じでした。
水くんのトートは、出てくるたびに「生身の熱い血(←色は青いかも…)の熱さ・激しさ」を感じさせ、
サエコさんのトートは「幻想の閑けさ、子供の孤独」を纏っていましたが。
マテ・カマラスのトートは。
子供っぽくて乱暴者。もの凄い力づくでシシィを、そしてルドルフを引っ張り回して。
その激しさ、熱さ、なのに絶対に生身ではない違和感。
どうしても憎めない、目が惹き付けられて離せないキャラクター。
そして。
あの、声。
何も判っていないっぽい、子供っぽくて粗野なキャラクターに見えて、なのに声だけは世界を呑み込んでしまうほど甘く優しい、あの声は…。
この声は、ぜーったい、中川晃教だ〜〜〜!!
っと、開始15分くらいで思ってしまったのですが…。
……似てないでしょうか?
「エリィザベー…」と甘くけだるく囁きかける時の声。
激しくシャウトする声。
目を瞑ってきいたら判らないくらい、ものすごーく似た色の声だと思うんですけど。…似てませんかねぇ。
東宝版の武田真治トートも大変に興味深い役作りでしたが。
私は。
次回再演があるなら、中川くんのトートがぜひ観てみたくなりました。
というか。
その前に、今度のルカス・ペルマン&中川コンサートで、中川トート&ルカスルドルフで闇は広がるをやってほしい! これが実現したら私は2,3年のうちに絶対ウィーンに行くぞ!(←何の関係があるのかさっぱりわからん/涙)
それから、ついでにもう一つ。
ゾフィー役のクリスタ・ヴェットシュタイン。
この方がまた、ぞっとするほど前田美波里さんに声もキャラクターもそっくりでした…(^ ^;ゞ。
中川くんのトート。
美波里さんのゾフィー。
このキャスト、実現しないかなあ…(←無理)
最後に。
今回のコンサートで一個だけ残念だったのは、少年ルドルフが素人だったこと。
日本語でもいいから東宝公演のキャストを出してほしかったなぁ…(←無理)。
やっぱりね、「ママ、どこなの?」というナンバーは、エリザベートが高らかに勝利を謳いあげた直後に、足許の亀裂を見せるナンバーですから。青年ルドルフの芝居ともつながらないといけないし、作品的にも非常に重要なナンバーなんです(涙)。
まぁ、向こうからプロを連れてくるのは無理にしても、日本にも良いキャストがたくさんいるのになぁ〜。残念!
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コンフィダント 〜絆〜
2007年5月11日 ミュージカル・舞台 コメント (6)今週の土曜日から旅に出るので(残念ながら「あなたと一緒ならどこへでも」と言ってくれる可愛い相方はいなかった…)。
旅から戻ると、旅の話がしばらく続くはずなので(^ ^)、その前に書かなくっちゃ、と思っていた話題が、書き終わらないうちに一つ残ってしまいました。
でも。
明日は朝早いので。
とりあえず、さわりだけ。
…ってゆーか、ほんとにちょっとだけよ!まだ荷物できてないんだからねっ!>自分
正式な公演タイトルは「コンフィダント・絆」。
作・演出は三谷幸喜。
三谷がPARCO劇場と組んで…何作目だろう?とにかくその一環です。でも別に何かのシリーズというわけではなく、独立した作品だと思います。
題材は。
19世紀末(この時代ホントに多いなー!)のパリ・モンマルトルの「ラ・ボエーム」=共同で助け合いながら生きる貧乏画家たちの物語。
セットは一つ。
シュフネッケルが中心になって借りた、どこか古ぼけた、薄暗い
パリのアトリエ。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットに近い、ってことは当時の「新開地」だったモンマルトルの丘近辺の、ベランダがあって、結構本格的な台所がある、心地よい空間。
三谷得意のシチュエーション芝居。コミカルな部分も多いですが、ものすごくシリアスな物語でもありました。
登場人物は5人。
メインは、アトリエに集う4人の貧乏画家たち。
理論家で、「理論さえ心得ていれば誰にだって絵が描ける」と豪語する、理屈屋でなかなか素を見せない点描手法の開拓者、
ジョルジュ・スーラ(中井貴一)
対象と向き合って思いのままに観たものを画布に写し取る、躁鬱の激しい繊細で攻撃的なオランダの天才、
フィンセント・ファン・ゴッホ(生瀬勝久)
ペルーで育ち、船員として商才を存分に発揮し、広い世界を見てきた生活能力のある色男。なのに画家になるために妻子を捨て、安定してた仕事も捨てて身ひとつでパリに来た、
ポール・ゴーギャン(寺脇康文)
そして、温厚で誠実で、話がうまく、妻子を愛し、普通の生活を送る幸運に恵まれた美術教師、
クロード・ミッシェル・シュフネッケル(相島一之)
そして紅一点、4人の画家の共同アトリエの専属モデルとなった、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの踊り子志望のウェイトレス、
ルイーズ(堀内敬子)
これに、音楽監督でピアノ生演奏の荻野清子さんがちょこっと絡みつつ物語は進行します。
うーん、何から話しましょうか。
まず驚いたのは、このキャスティング。
それぞれに違うバックボーンを持った、それぞれに「自分の世界」を持っている同世代の俳優4人。
それぞれ、自分が主宰しているユニットなり劇団なりをもち、あるいは持っていたことがあり、自分一人で座長をつとめる力も人脈もあって、プロデュース能力に長け、演出だって出来ちゃうような、そんな“一流”の男たち。
三谷さんはパンフレットに「同世代の仲間達で何かをやりたかった」と書いていますが。
この4人が二つ返事で参加を引き受け、精一杯の力を出し切って、イタの上で思いっきり傷つけあって、幸せそうに輝いてしまう、
それだけの魅力が三谷のホンにはあるんだなあと改めて思いました。
…今更なんですけどね。
「ラ・ボエーム」のモデルになったモンマルトルの貧乏芸術家たち、というと、宝塚ファン的には星組さんの「1914」が浮かぶ…のが正しいのかな?
私はあの公演、日程が合わなくて観られずじまいだったのですが、あれは確か20世紀初頭の話ですよね?「コンフィダント」の舞台になっているのは、エッフェル塔が工事中のパリなので、1886〜89年の間です。
(月組ファン的には、エッフェル塔に関する話題が何度も出てくるので、そのたびに笑ってしまった。しかも三谷さん、結構いい加減なこと言わせてるし…)
パリの貴族趣味な「サロン」では全く評価されない、「印象派」を中心とする新時代の画家たち。
彼らはまったく収入を得る見込みはなく、お互いに助け合って共同生活をし、また共同で芸術活動を行い、可能なものは必要なものに援助し、
慰めを与え、批評しあい…
そんな。
すべてを分け合っているはずの「芸術家」仲間が。
【人間】というモノが、時としてどこまで残酷に、そして痛烈になれるものなのか。
…なんというか。
観ていてこんなに“痛い”と思った作品は久しぶりでした。
自分より優れた人に対して抱く、憧れとねたみ、そして、恨み。
きっと、「何もかも全て」が優れているなら憧れだけですむはずなのです。
そうであったなら、自分も天使でいられたのに。
なのに、この「天才」は、「絵」以外のことはからっきし駄目で…。
でも、もう魅せられてしまったから、離れることもできない。
とらわれて、
逃げられない。
「ゴッホがいると知っていたら、おれはこんな(画家の)道になんて入らなかったのに」
血を吐くようなゴーギャンの叫び。
それでも、彼は一度踏み込んでしまった道を戻ることは考えない。
ただ、
「俺は、絵以外のすべてで必ずゴッホを上回ってやる」
と。
これって、一番悲しい叫びなんですよね。
だって、彼が本当に陵駕したいと思うのは、越えなくては生きていけないのは、まさに「ゴッホの絵」なんだもの。
たった一つの「絵の才能」 と、「それ以外の全て」。
それは、天秤に載せれば必ず左に傾くのです。
彼らの秤は。
その二つを、秤に載せるゴーギャンの痛み。
それが左に傾くようすから目を離せない、ゴーギャンの痛み。
…そして、その秤が何故左に傾くのか、それがさっぱりわからない、ルイーズの痛み。
そしてまた。
ゴッホの痛み。
シュフネッケルの痛み。
スーラの痛み。
一人一人、それぞれに違う傷をさらけだして、慰めと赦しを与えながら。
物語は進んでいく。
「友情」とは何なのか、
芸術家にとって、「仲間」とか「友達」というのは何かになりうるのか…?
その問いかけそのものが、酷く心に突き刺さって、
もう本当に、痛くて痛くてたまりませんでした……(号泣したんですホントに)
PARCO劇場公演は終わっちゃいましたが、今は大阪のシアターBRAVA!で上演が始まったみたいです。BRAVA!って、一時期劇団四季の大阪劇場だったところですよね?京橋から歩くと、大阪城ホールのちょっと手前。
割と観やすくて、好きな劇場でした。ディズニーの「アイーダ」好きなので結構行ったなあ。懐かしい〜!
…とりあえず。
今日はこのへんにして、またいつか、時間ができたら続きを書かせていただきたいと思っています。
それこそ、すごい長文になっちゃいそうですけどね…(汗/いや、今もう充分長いからっ!!)
.
旅から戻ると、旅の話がしばらく続くはずなので(^ ^)、その前に書かなくっちゃ、と思っていた話題が、書き終わらないうちに一つ残ってしまいました。
でも。
明日は朝早いので。
とりあえず、さわりだけ。
…ってゆーか、ほんとにちょっとだけよ!まだ荷物できてないんだからねっ!>自分
正式な公演タイトルは「コンフィダント・絆」。
作・演出は三谷幸喜。
三谷がPARCO劇場と組んで…何作目だろう?とにかくその一環です。でも別に何かのシリーズというわけではなく、独立した作品だと思います。
題材は。
19世紀末(この時代ホントに多いなー!)のパリ・モンマルトルの「ラ・ボエーム」=共同で助け合いながら生きる貧乏画家たちの物語。
セットは一つ。
シュフネッケルが中心になって借りた、どこか古ぼけた、薄暗い
パリのアトリエ。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットに近い、ってことは当時の「新開地」だったモンマルトルの丘近辺の、ベランダがあって、結構本格的な台所がある、心地よい空間。
三谷得意のシチュエーション芝居。コミカルな部分も多いですが、ものすごくシリアスな物語でもありました。
登場人物は5人。
メインは、アトリエに集う4人の貧乏画家たち。
理論家で、「理論さえ心得ていれば誰にだって絵が描ける」と豪語する、理屈屋でなかなか素を見せない点描手法の開拓者、
ジョルジュ・スーラ(中井貴一)
対象と向き合って思いのままに観たものを画布に写し取る、躁鬱の激しい繊細で攻撃的なオランダの天才、
フィンセント・ファン・ゴッホ(生瀬勝久)
ペルーで育ち、船員として商才を存分に発揮し、広い世界を見てきた生活能力のある色男。なのに画家になるために妻子を捨て、安定してた仕事も捨てて身ひとつでパリに来た、
ポール・ゴーギャン(寺脇康文)
そして、温厚で誠実で、話がうまく、妻子を愛し、普通の生活を送る幸運に恵まれた美術教師、
クロード・ミッシェル・シュフネッケル(相島一之)
そして紅一点、4人の画家の共同アトリエの専属モデルとなった、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの踊り子志望のウェイトレス、
ルイーズ(堀内敬子)
これに、音楽監督でピアノ生演奏の荻野清子さんがちょこっと絡みつつ物語は進行します。
うーん、何から話しましょうか。
まず驚いたのは、このキャスティング。
それぞれに違うバックボーンを持った、それぞれに「自分の世界」を持っている同世代の俳優4人。
それぞれ、自分が主宰しているユニットなり劇団なりをもち、あるいは持っていたことがあり、自分一人で座長をつとめる力も人脈もあって、プロデュース能力に長け、演出だって出来ちゃうような、そんな“一流”の男たち。
三谷さんはパンフレットに「同世代の仲間達で何かをやりたかった」と書いていますが。
この4人が二つ返事で参加を引き受け、精一杯の力を出し切って、イタの上で思いっきり傷つけあって、幸せそうに輝いてしまう、
それだけの魅力が三谷のホンにはあるんだなあと改めて思いました。
…今更なんですけどね。
「ラ・ボエーム」のモデルになったモンマルトルの貧乏芸術家たち、というと、宝塚ファン的には星組さんの「1914」が浮かぶ…のが正しいのかな?
私はあの公演、日程が合わなくて観られずじまいだったのですが、あれは確か20世紀初頭の話ですよね?「コンフィダント」の舞台になっているのは、エッフェル塔が工事中のパリなので、1886〜89年の間です。
(月組ファン的には、エッフェル塔に関する話題が何度も出てくるので、そのたびに笑ってしまった。しかも三谷さん、結構いい加減なこと言わせてるし…)
パリの貴族趣味な「サロン」では全く評価されない、「印象派」を中心とする新時代の画家たち。
彼らはまったく収入を得る見込みはなく、お互いに助け合って共同生活をし、また共同で芸術活動を行い、可能なものは必要なものに援助し、
慰めを与え、批評しあい…
そんな。
すべてを分け合っているはずの「芸術家」仲間が。
【人間】というモノが、時としてどこまで残酷に、そして痛烈になれるものなのか。
…なんというか。
観ていてこんなに“痛い”と思った作品は久しぶりでした。
自分より優れた人に対して抱く、憧れとねたみ、そして、恨み。
きっと、「何もかも全て」が優れているなら憧れだけですむはずなのです。
そうであったなら、自分も天使でいられたのに。
なのに、この「天才」は、「絵」以外のことはからっきし駄目で…。
でも、もう魅せられてしまったから、離れることもできない。
とらわれて、
逃げられない。
「ゴッホがいると知っていたら、おれはこんな(画家の)道になんて入らなかったのに」
血を吐くようなゴーギャンの叫び。
それでも、彼は一度踏み込んでしまった道を戻ることは考えない。
ただ、
「俺は、絵以外のすべてで必ずゴッホを上回ってやる」
と。
これって、一番悲しい叫びなんですよね。
だって、彼が本当に陵駕したいと思うのは、越えなくては生きていけないのは、まさに「ゴッホの絵」なんだもの。
たった一つの「絵の才能」 と、「それ以外の全て」。
それは、天秤に載せれば必ず左に傾くのです。
彼らの秤は。
その二つを、秤に載せるゴーギャンの痛み。
それが左に傾くようすから目を離せない、ゴーギャンの痛み。
…そして、その秤が何故左に傾くのか、それがさっぱりわからない、ルイーズの痛み。
そしてまた。
ゴッホの痛み。
シュフネッケルの痛み。
スーラの痛み。
一人一人、それぞれに違う傷をさらけだして、慰めと赦しを与えながら。
物語は進んでいく。
「友情」とは何なのか、
芸術家にとって、「仲間」とか「友達」というのは何かになりうるのか…?
その問いかけそのものが、酷く心に突き刺さって、
もう本当に、痛くて痛くてたまりませんでした……(号泣したんですホントに)
PARCO劇場公演は終わっちゃいましたが、今は大阪のシアターBRAVA!で上演が始まったみたいです。BRAVA!って、一時期劇団四季の大阪劇場だったところですよね?京橋から歩くと、大阪城ホールのちょっと手前。
割と観やすくて、好きな劇場でした。ディズニーの「アイーダ」好きなので結構行ったなあ。懐かしい〜!
…とりあえず。
今日はこのへんにして、またいつか、時間ができたら続きを書かせていただきたいと思っています。
それこそ、すごい長文になっちゃいそうですけどね…(汗/いや、今もう充分長いからっ!!)
.
ジキル&ハイド 裏か表か?
2007年4月30日 ミュージカル・舞台 コメント (2)「ジキル&ハイド」日生劇場公演、千秋楽おめでとうございます。
そして、7年間ルーシィという役と闘ってきたマルシア。
最後の最後に、素晴らしいルーシィを魅せていただきました。
楽間近な公演でのテンションの高さ、美しさ。
照明さんのスポットとは別に、マルシア自身の中からもの凄い輝きが出ていたと思います。
人のオーラって、見えるもんなんだなあ、と。
「ルーシィ」の、最後の輝き。
涙が出ました。
…ありがとうございましたm(_ _)m。
マルシア以外のカンパニーは、(多分)休む間もなくお稽古して
半月も経たずに梅田で初日、ですね。
香寿たつきさんが加わって、名古屋・中日の千秋楽まで約2週間。
どうぞみなさま、お怪我や病気のないように、
最後まで気を抜かないでがんばってくださいね!
最後にもう一度観ることができたのですが。
蘭々のエマ、歌もかなり佳くなってました!
歌いながら腕がブレスに合わせて上下してしまう癖はそのままでしたけれども、声は良くでていたし、音程もばっちり。「In His Eyes」のマルシアとのデュエットも、力強さで負けてない。
な〜んだ、大丈夫じゃん!
その調子で、梅田・中日とがんばってくださいね!楽しみにしています♪
戸井さんのアターソン、貴族服の着こなしがずいぶん良くなって、格好良くなっていたような(贔屓目?)。
あと、ホッとしたのが、最後の結婚式でのばかでっかい銃がなんとか隠せるようになっていたこと。
あれはねぇ…戸井さんが悪いんじゃないんですけどね。最後にジキル/ハイドを撃たなきゃいけないから、音と光を出せるサイズの銃、っていうと大きくなっちゃうのかもしれないけど…もうちょっとどうにかならなかったのかな>小道具さん(涙)。あんなデカい銃持って結婚式に出る人いませんからっ!!
それから、ラストシーン。
あらためて観てみて、自分の記憶していた流れと微妙に違うことに気づいてしまいました(滝汗)。
まだちょっと、ハイド(ジキル)の心理の流れとして私自身が納得できていないんですね。なので、細かい行動がまだ記憶に留まらないみたいで(T T)。
次回観たら、その辺をもう一度整理して書きたいなーと思っています。
最後に。
先週行われたアフタートークイベントの内容を(ホントいまさらですが)ちょこっとだけご報告させていただきます。
夜公演の終演後、10分くらい休憩を挟んで、幕があがると本舞台に椅子が4脚。
まず演出の山田さんが出てきてちょこっと挨拶して、それからマルシアさん、浜畑賢吉さん、戸井勝海さんの3人が登場。
3人ともカーテンコールの衣装だったのかな?マルシアが「どん底」のショーで着ている、前で分かれたスカートだったんですが…椅子に座るなり、隣をみてちょっと挙動不審な感じ。何かと思ったら、男性二人が座るとき、私は良く見てなかったんですけどすぐに脚を組んだらしいんですよね。
「この衣装じゃねぇ…」とボヤきながら脚を組もうとして、スカートの合わせ目から美脚丸見えのサービスをしてくださいました(笑)。
思わず私もオペラグラスを上げてしまったんですが(笑)、マルシアはすぐに脚を揃えて、スカートも合わせて手で押さえてしまいました。残念!(^ ^)。
最初の質問は「公演も半分過ぎたけどどう?」
マルシアは「普通」と。「鹿賀さんとも話してるんだけど、あと残り何回、とかは考えないようにしている」そうです。「一回一回を大事に生きている」と。
浜畑さんもそんな感じ。
戸井さんは、山田さんに「少しは落ち着いた?」みたいなことを訊かれて「そう見えませんか?」とちょっと拗ねたような口調で。
なんだか今回の戸井さんは、全体的に拗ね拗ねモードだったような気がします。初参加だから浮いてるのかなあ、とかちょっと心配になってしまいました(可愛がられてもいるようですが…笑)。
「初演を観劇して、アターソンをやりたい!と思ったので、夢が叶って幸せ」と。確か雑誌のインタビューでもそんなこと言ってましたね。最後の最後に参加できて、本当に良かったね…(感涙)
この流れで、「今までのアターソンと比べてどうか」という質問が出て。
マルシアがすっごく真剣な声で「素晴らしい」と言ってくれました。
…で、すぐに続けて、「すごくユニーク。エロエロで」(爆)。
戸井さんが「…役作り間違ってるってこと?」とか心配そうに訊いていました。マジ不安そうだった…。でも確か「どん底が楽しいんです」ってコメントしていたと思うので。多分大丈夫なんでしょう…。
浜畑さんからは、「段田さんや石川禅ちゃんは面白い人だったし、池田成志さんは真面目だった。戸井くんは、真面目なところもひょうきんなところも両方持ち合わせている。それと、ジキルに対して誠実」と、かなりベタ誉め。戸井さん背筋が痒そうでした(笑)。
山田さんからは「歴代で1番“二枚目”だけど、ダントツで“スケベ”なアターソン」と言われてました。
戸井さんは「最初の稽古で、えんえんと“どん底”でのルーシィとの絡みばっかりやったじゃないですか。それが役作りのベースになって…」と、スケベっぷりを説明。山田さんに「俺のせいか」と突っ込まれてました。
でもね、レ・ミゼラブルでアンサンブルの工場長やってたときから「スケベ」は戸井さんの特技の一つですから。言い訳してないでガンガンいっていただきたいです(笑)。
あと、ここだったかな。どこかで、山田さんが「僕が観劇すると、必ず何か事件が起こるんだけど。前回のトークショーの時は戸井ちゃんの銃が撃てなかった(鳴らなかった)。でも今日は何事もなかく幕が降りて、ホッとしました」をいう話をしたら、マルシアが「でも今日は、戸井さん帽子落とたのよ」とばらされてました(笑)。
まぁ、何事もなく公演が終わることは滅多にない人なので。毎回何かしらあるんでしょう、きっと…。
次の質問は、「初演からの7年間で変わったことは?」
マルシアがしみじみ〜と「大幅に変わったのは年齢」。
…場内爆笑。
浜畑さんは「マルシアにはそうでも、僕の年になるとあんまりね…」と。
まぁ、二人とも「やることは同じだけど、体力を保つことと、いかに新鮮でいられるかをいつも考えている」という結論でしたね。
戸井さんは「出られて良かった。とにかく全ての場面が楽しい」とコメント。浜畑さんが「初演は楽しめなかったよね。大変だったよね」ってマルシアに話しかけて、慌てて「みなさんがノセてくださっているので…」と言い訳してました。
あと、浜畑さんが「鹿賀さんは大変だな〜、とずっと思っていたけど、今回、やっと余計な力が抜けて、少し楽になったのかな?と思った」と言っていたのが印象的。確かにそんな感じもしましたね。舞台の上で自由になった感じ。
「ミュージカル界全体をみても、すごく力のある人が増えたし、お客さまも変わって、ものすごく沢山の人が見てくれるようになった」と嬉しそうに。たしかに、浜畑さんのキャリアを考えたらすごい変化かもしれませんね…。
あとは、幕間に募集していた観客からの質問をいくつか。
最初の質問「衣装がステキですが誰が作っているんですか、 …衣装さんです」と山田さんが質問を読み上げてそのまま平坦に答えまで喋ってしまったのがすごい笑えました。
で、まずはアターソンに、「どん底でのジキルとの会話はどんなことを話しているのか?」
普通に会話をしているんだそうです。どの娘が良い?とか、そんなレベルで(^ ^)。あの場面は「アターソンとして、ショーを楽しみながらヘンリーの様子を見て、フォローしている」そうです。
素でスケベしているんじゃありません、と一生懸命言い訳していました。…言い訳すればするほど怪しいから(笑)。
次はルーシィに。「今まで以上に可愛いのですが、意識していることは?」
今回は、どこで生まれて、どんな人生を歩んできて、どんな嫌なことがあって…ということを全部組み立てなおしたんだそうです。そしたら、すごく素直でピュアな女の子だった、と。「可愛くしよう、と思っているんじゃないけど、そこを組み立てたからかな?」
この辺で観客席から「可愛いっ」というかけ声がかかって。
マルシアがポッと両手で頬を押さえて「弱いんだよねその言葉…」と小さな声で嬉しそうに呟いていました♪
それから、「どうしてあんなスゴい声が出せるんですか」。
「出ちゃうものは出ちゃう」と即答した後、ちょっと考えて。
歌は魂の声、役の魂の叫びだから、と。
なんだか妙に納得してしまう答えでした。
最後の質問は全員に。「鹿賀さんの素晴らしいところは?」
浜畑さん「劇団四季時代から一緒にやってきたけど、いろんな顔を持っている人。生真面目なジキル、怖いハイド、そして、ひょうきんな顔。
20代の頃は、明るく楽しい第三の人格(ひょうきん)が表に出ていたけど、今はすべてをさらけ出して勝負している」
戸井さん「レ・ミゼラブルの時とは役の関係が違うので…。初めて組んだ稽古のとき、呑まれたというか負けたと思った。包み込むどころか、近寄ることもできない感じ」と、その大きさに圧倒されたことを告白。
今はもう乗り越えたようですけど、最初はさぞ大変だったでしょうねぇ…。
マルシア「初めての相手役が鹿賀さん。もうそれが全て。何もかも教えてもらった。本当に、説明できないけど本当に凄い人。
鹿賀さんと出会えて良かった(しみじみ〜)。もっと若かったら結婚したかったね」
この辺で切って、あとは抽選会して終了、という感じでした。
割と和気藹々と、戸井さんをスケープゴートにしつつ(笑)浜畑さんが要所をしっかりおさえつつ進みました。
カンパニー全体の雰囲気も楽しそうで、良かったなーと。
短いトークショーでしたが、面白かったです♪
最近、こういうアフタートークってすごく普通に実施されているみたいですね。モダン・ミリーも何回かやってたし。
昔は滅多に無かったと思うのですが。
宝塚ファンしていると、公演の途中にお茶会が当たり前にあって、そこでバックヤードの話を聞けたりするけど、他の公演ではお茶会って普通無いから、こういうイベントがあるのは嬉しいですね。
でも、一般発売後に設定が決まったりすると、スケジュール調整するのも大変なんですけど…。モダン・ミリーのも参加したかったよぉ〜。
.
そして、7年間ルーシィという役と闘ってきたマルシア。
最後の最後に、素晴らしいルーシィを魅せていただきました。
楽間近な公演でのテンションの高さ、美しさ。
照明さんのスポットとは別に、マルシア自身の中からもの凄い輝きが出ていたと思います。
人のオーラって、見えるもんなんだなあ、と。
「ルーシィ」の、最後の輝き。
涙が出ました。
…ありがとうございましたm(_ _)m。
マルシア以外のカンパニーは、(多分)休む間もなくお稽古して
半月も経たずに梅田で初日、ですね。
香寿たつきさんが加わって、名古屋・中日の千秋楽まで約2週間。
どうぞみなさま、お怪我や病気のないように、
最後まで気を抜かないでがんばってくださいね!
最後にもう一度観ることができたのですが。
蘭々のエマ、歌もかなり佳くなってました!
歌いながら腕がブレスに合わせて上下してしまう癖はそのままでしたけれども、声は良くでていたし、音程もばっちり。「In His Eyes」のマルシアとのデュエットも、力強さで負けてない。
な〜んだ、大丈夫じゃん!
その調子で、梅田・中日とがんばってくださいね!楽しみにしています♪
戸井さんのアターソン、貴族服の着こなしがずいぶん良くなって、格好良くなっていたような(贔屓目?)。
あと、ホッとしたのが、最後の結婚式でのばかでっかい銃がなんとか隠せるようになっていたこと。
あれはねぇ…戸井さんが悪いんじゃないんですけどね。最後にジキル/ハイドを撃たなきゃいけないから、音と光を出せるサイズの銃、っていうと大きくなっちゃうのかもしれないけど…もうちょっとどうにかならなかったのかな>小道具さん(涙)。あんなデカい銃持って結婚式に出る人いませんからっ!!
それから、ラストシーン。
あらためて観てみて、自分の記憶していた流れと微妙に違うことに気づいてしまいました(滝汗)。
まだちょっと、ハイド(ジキル)の心理の流れとして私自身が納得できていないんですね。なので、細かい行動がまだ記憶に留まらないみたいで(T T)。
次回観たら、その辺をもう一度整理して書きたいなーと思っています。
最後に。
先週行われたアフタートークイベントの内容を(ホントいまさらですが)ちょこっとだけご報告させていただきます。
夜公演の終演後、10分くらい休憩を挟んで、幕があがると本舞台に椅子が4脚。
まず演出の山田さんが出てきてちょこっと挨拶して、それからマルシアさん、浜畑賢吉さん、戸井勝海さんの3人が登場。
3人ともカーテンコールの衣装だったのかな?マルシアが「どん底」のショーで着ている、前で分かれたスカートだったんですが…椅子に座るなり、隣をみてちょっと挙動不審な感じ。何かと思ったら、男性二人が座るとき、私は良く見てなかったんですけどすぐに脚を組んだらしいんですよね。
「この衣装じゃねぇ…」とボヤきながら脚を組もうとして、スカートの合わせ目から美脚丸見えのサービスをしてくださいました(笑)。
思わず私もオペラグラスを上げてしまったんですが(笑)、マルシアはすぐに脚を揃えて、スカートも合わせて手で押さえてしまいました。残念!(^ ^)。
最初の質問は「公演も半分過ぎたけどどう?」
マルシアは「普通」と。「鹿賀さんとも話してるんだけど、あと残り何回、とかは考えないようにしている」そうです。「一回一回を大事に生きている」と。
浜畑さんもそんな感じ。
戸井さんは、山田さんに「少しは落ち着いた?」みたいなことを訊かれて「そう見えませんか?」とちょっと拗ねたような口調で。
なんだか今回の戸井さんは、全体的に拗ね拗ねモードだったような気がします。初参加だから浮いてるのかなあ、とかちょっと心配になってしまいました(可愛がられてもいるようですが…笑)。
「初演を観劇して、アターソンをやりたい!と思ったので、夢が叶って幸せ」と。確か雑誌のインタビューでもそんなこと言ってましたね。最後の最後に参加できて、本当に良かったね…(感涙)
この流れで、「今までのアターソンと比べてどうか」という質問が出て。
マルシアがすっごく真剣な声で「素晴らしい」と言ってくれました。
…で、すぐに続けて、「すごくユニーク。エロエロで」(爆)。
戸井さんが「…役作り間違ってるってこと?」とか心配そうに訊いていました。マジ不安そうだった…。でも確か「どん底が楽しいんです」ってコメントしていたと思うので。多分大丈夫なんでしょう…。
浜畑さんからは、「段田さんや石川禅ちゃんは面白い人だったし、池田成志さんは真面目だった。戸井くんは、真面目なところもひょうきんなところも両方持ち合わせている。それと、ジキルに対して誠実」と、かなりベタ誉め。戸井さん背筋が痒そうでした(笑)。
山田さんからは「歴代で1番“二枚目”だけど、ダントツで“スケベ”なアターソン」と言われてました。
戸井さんは「最初の稽古で、えんえんと“どん底”でのルーシィとの絡みばっかりやったじゃないですか。それが役作りのベースになって…」と、スケベっぷりを説明。山田さんに「俺のせいか」と突っ込まれてました。
でもね、レ・ミゼラブルでアンサンブルの工場長やってたときから「スケベ」は戸井さんの特技の一つですから。言い訳してないでガンガンいっていただきたいです(笑)。
あと、ここだったかな。どこかで、山田さんが「僕が観劇すると、必ず何か事件が起こるんだけど。前回のトークショーの時は戸井ちゃんの銃が撃てなかった(鳴らなかった)。でも今日は何事もなかく幕が降りて、ホッとしました」をいう話をしたら、マルシアが「でも今日は、戸井さん帽子落とたのよ」とばらされてました(笑)。
まぁ、何事もなく公演が終わることは滅多にない人なので。毎回何かしらあるんでしょう、きっと…。
次の質問は、「初演からの7年間で変わったことは?」
マルシアがしみじみ〜と「大幅に変わったのは年齢」。
…場内爆笑。
浜畑さんは「マルシアにはそうでも、僕の年になるとあんまりね…」と。
まぁ、二人とも「やることは同じだけど、体力を保つことと、いかに新鮮でいられるかをいつも考えている」という結論でしたね。
戸井さんは「出られて良かった。とにかく全ての場面が楽しい」とコメント。浜畑さんが「初演は楽しめなかったよね。大変だったよね」ってマルシアに話しかけて、慌てて「みなさんがノセてくださっているので…」と言い訳してました。
あと、浜畑さんが「鹿賀さんは大変だな〜、とずっと思っていたけど、今回、やっと余計な力が抜けて、少し楽になったのかな?と思った」と言っていたのが印象的。確かにそんな感じもしましたね。舞台の上で自由になった感じ。
「ミュージカル界全体をみても、すごく力のある人が増えたし、お客さまも変わって、ものすごく沢山の人が見てくれるようになった」と嬉しそうに。たしかに、浜畑さんのキャリアを考えたらすごい変化かもしれませんね…。
あとは、幕間に募集していた観客からの質問をいくつか。
最初の質問「衣装がステキですが誰が作っているんですか、 …衣装さんです」と山田さんが質問を読み上げてそのまま平坦に答えまで喋ってしまったのがすごい笑えました。
で、まずはアターソンに、「どん底でのジキルとの会話はどんなことを話しているのか?」
普通に会話をしているんだそうです。どの娘が良い?とか、そんなレベルで(^ ^)。あの場面は「アターソンとして、ショーを楽しみながらヘンリーの様子を見て、フォローしている」そうです。
素でスケベしているんじゃありません、と一生懸命言い訳していました。…言い訳すればするほど怪しいから(笑)。
次はルーシィに。「今まで以上に可愛いのですが、意識していることは?」
今回は、どこで生まれて、どんな人生を歩んできて、どんな嫌なことがあって…ということを全部組み立てなおしたんだそうです。そしたら、すごく素直でピュアな女の子だった、と。「可愛くしよう、と思っているんじゃないけど、そこを組み立てたからかな?」
この辺で観客席から「可愛いっ」というかけ声がかかって。
マルシアがポッと両手で頬を押さえて「弱いんだよねその言葉…」と小さな声で嬉しそうに呟いていました♪
それから、「どうしてあんなスゴい声が出せるんですか」。
「出ちゃうものは出ちゃう」と即答した後、ちょっと考えて。
歌は魂の声、役の魂の叫びだから、と。
なんだか妙に納得してしまう答えでした。
最後の質問は全員に。「鹿賀さんの素晴らしいところは?」
浜畑さん「劇団四季時代から一緒にやってきたけど、いろんな顔を持っている人。生真面目なジキル、怖いハイド、そして、ひょうきんな顔。
20代の頃は、明るく楽しい第三の人格(ひょうきん)が表に出ていたけど、今はすべてをさらけ出して勝負している」
戸井さん「レ・ミゼラブルの時とは役の関係が違うので…。初めて組んだ稽古のとき、呑まれたというか負けたと思った。包み込むどころか、近寄ることもできない感じ」と、その大きさに圧倒されたことを告白。
今はもう乗り越えたようですけど、最初はさぞ大変だったでしょうねぇ…。
マルシア「初めての相手役が鹿賀さん。もうそれが全て。何もかも教えてもらった。本当に、説明できないけど本当に凄い人。
鹿賀さんと出会えて良かった(しみじみ〜)。もっと若かったら結婚したかったね」
この辺で切って、あとは抽選会して終了、という感じでした。
割と和気藹々と、戸井さんをスケープゴートにしつつ(笑)浜畑さんが要所をしっかりおさえつつ進みました。
カンパニー全体の雰囲気も楽しそうで、良かったなーと。
短いトークショーでしたが、面白かったです♪
最近、こういうアフタートークってすごく普通に実施されているみたいですね。モダン・ミリーも何回かやってたし。
昔は滅多に無かったと思うのですが。
宝塚ファンしていると、公演の途中にお茶会が当たり前にあって、そこでバックヤードの話を聞けたりするけど、他の公演ではお茶会って普通無いから、こういうイベントがあるのは嬉しいですね。
でも、一般発売後に設定が決まったりすると、スケジュール調整するのも大変なんですけど…。モダン・ミリーのも参加したかったよぉ〜。
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またもや終わってしまった公演ですみません。
DOWNTOWN FOLLIES番外編「そっとおやすみ Killing you softly」。
…こんなに笑ったのは久しぶり(汗)。
笑いすぎて疲れたし、腹筋も痛くなりました。
毎年恒例の「DOWNTOWN FOLLIES」。今年は北村岳子さんが帝劇の「マリー・アントワネット」に出演(ジキル&ハイドに出て欲しかったのに〜〜〜!!)のため欠席、ということで、
メンバーは島田歌穂さん、玉野和紀さん、吉野圭吾さんの3人でした。
やっぱりね、岳子さんがいらっしゃらないのは寂しかったです。
あの「元気溌剌」っぷりと迫力あるダンスがないとね(涙)。
でも、その分歌穂ちゃんが絶好調!!って感じでしたね(苦笑)。今までなら4人で均等に場面を貰って、均等に大変な思いをして、均等に遊んでいたのに。
今回は完全に歌穂ちゃんセンターのつくり。
ま、男二人に女一人の構成だからそうなって当たり前なんですけどね。観劇前の私の予想では、玉野さんセンターに二人が絡むと思っていたので(笑)、外れちゃったーと思ったり。
ま、だからといって素直な展開になるわけないんですけどね…
歌穂ちゃんラストは一人だし。
それが「DOWNTOWN FOLLIES」。
私自身、今までのバージョン全てを観ているわけではないのですが。
大概は場面ごとにオムニバスっぽいショー、って感じだった「DOWNTOWN FOLLIES」。
今回は番外編、ということもあってか、いちおう一本のストーリーに沿って場面を作っていて、ストーリー仕立てのショー、という感じになってました。
…妄想族というか妄想の塊みたいな3人で、順繰りにいろんな妄想が展開されていくんで、どれが現実だかさっぱりハテナだけど、とりあえずどの妄想も爆笑の渦、ってゆーストーリーですけどね…。
…まぁ、あの。
チラシの煽り文句が「本格サスペンス」だったり、チラシ自体の雰囲気も今までと全然違ってシリアスな雰囲気だったり…
ひっかける気は満々だったようですが。
ま、騙される人はいませんよね(^ ^)
だって「DOWNTOWN FOLLIES」だもん♪
3人とも、のっけから笑わせてくださってありがとう。最初の場面が終わった時点で、既に腹筋痛くて死にそうだった私はいったいどうしたら…。
と言いつつ、実はネタはあまりよく判らなかったものも多いんですよね。パンフレットも売り切れで買えなかったし。
ミュージカルネタはだいたい判ったつもりですけど、ミステリー映画はあまり観ないので、映画ネタは全然判らず。
周りがドッと受けてもわからないのって結構落ち込みます(苦笑)。それでも十分笑えるところは、さすが「DOWNTOWN FOLLIES」クオリティ!なんですけど。
まぁ、「DOWNTOWN FOLLIES」というのはそういう作品なので。
番外編もそういうことになるんでしょうねー。
とりあえず、3人が3人とも、ダンスも芝居ももの凄いハイレベルな上に振付は神様が参加してるし、音楽のセンスもいいし…
良いことづくめのカンパニー。
歌だって、玉野さんはまぁこのメンバーの中では微妙ですけど十分平均点以上だし、吉野くんは本当に上手くなったなぁと感心するし、歌穂ちゃんは天下の島田歌穂だし…
常に最高のパフォーマンスを見せてくれるメンバー。
常に最高のパフォーマンスを用意してくれるカンパニー。
来年はまた4人揃うといいな、と思いつつ、
腹の筋肉痛をどうもありがとうございました、と、
とりあえずアンケートには書いておきました(^ ^;ゞ
.
DOWNTOWN FOLLIES番外編「そっとおやすみ Killing you softly」。
…こんなに笑ったのは久しぶり(汗)。
笑いすぎて疲れたし、腹筋も痛くなりました。
毎年恒例の「DOWNTOWN FOLLIES」。今年は北村岳子さんが帝劇の「マリー・アントワネット」に出演(ジキル&ハイドに出て欲しかったのに〜〜〜!!)のため欠席、ということで、
メンバーは島田歌穂さん、玉野和紀さん、吉野圭吾さんの3人でした。
やっぱりね、岳子さんがいらっしゃらないのは寂しかったです。
あの「元気溌剌」っぷりと迫力あるダンスがないとね(涙)。
でも、その分歌穂ちゃんが絶好調!!って感じでしたね(苦笑)。今までなら4人で均等に場面を貰って、均等に大変な思いをして、均等に遊んでいたのに。
今回は完全に歌穂ちゃんセンターのつくり。
ま、男二人に女一人の構成だからそうなって当たり前なんですけどね。観劇前の私の予想では、玉野さんセンターに二人が絡むと思っていたので(笑)、外れちゃったーと思ったり。
ま、だからといって素直な展開になるわけないんですけどね…
歌穂ちゃんラストは一人だし。
それが「DOWNTOWN FOLLIES」。
私自身、今までのバージョン全てを観ているわけではないのですが。
大概は場面ごとにオムニバスっぽいショー、って感じだった「DOWNTOWN FOLLIES」。
今回は番外編、ということもあってか、いちおう一本のストーリーに沿って場面を作っていて、ストーリー仕立てのショー、という感じになってました。
…妄想族というか妄想の塊みたいな3人で、順繰りにいろんな妄想が展開されていくんで、どれが現実だかさっぱりハテナだけど、とりあえずどの妄想も爆笑の渦、ってゆーストーリーですけどね…。
…まぁ、あの。
チラシの煽り文句が「本格サスペンス」だったり、チラシ自体の雰囲気も今までと全然違ってシリアスな雰囲気だったり…
ひっかける気は満々だったようですが。
ま、騙される人はいませんよね(^ ^)
だって「DOWNTOWN FOLLIES」だもん♪
3人とも、のっけから笑わせてくださってありがとう。最初の場面が終わった時点で、既に腹筋痛くて死にそうだった私はいったいどうしたら…。
と言いつつ、実はネタはあまりよく判らなかったものも多いんですよね。パンフレットも売り切れで買えなかったし。
ミュージカルネタはだいたい判ったつもりですけど、ミステリー映画はあまり観ないので、映画ネタは全然判らず。
周りがドッと受けてもわからないのって結構落ち込みます(苦笑)。それでも十分笑えるところは、さすが「DOWNTOWN FOLLIES」クオリティ!なんですけど。
まぁ、「DOWNTOWN FOLLIES」というのはそういう作品なので。
番外編もそういうことになるんでしょうねー。
とりあえず、3人が3人とも、ダンスも芝居ももの凄いハイレベルな上に振付は神様が参加してるし、音楽のセンスもいいし…
良いことづくめのカンパニー。
歌だって、玉野さんはまぁこのメンバーの中では微妙ですけど十分平均点以上だし、吉野くんは本当に上手くなったなぁと感心するし、歌穂ちゃんは天下の島田歌穂だし…
常に最高のパフォーマンスを見せてくれるメンバー。
常に最高のパフォーマンスを用意してくれるカンパニー。
来年はまた4人揃うといいな、と思いつつ、
腹の筋肉痛をどうもありがとうございました、と、
とりあえずアンケートには書いておきました(^ ^;ゞ
.
日生劇場「ジキル&ハイド」。
もっと早く書くつもりだったのですが、なかなかまとまらなくて…この週末で東京公演は終わってしまうので(^ ^;ゞ、その前に。
先週のアフタートークの内容も併せて書くつもりだったのですが。
…あまりにも長くなってしまったので、アフタートークは別途書きますね(今更ですが…もう誰も待っててくれないでしょうけれども/涙)。
作品については初日に書きましたので。
今回は、観劇しての感想を…ということで、どうしてもキャスト寄りの話になってしまうのですが。
ご不快になる方もいらっしゃると思います。ごめんなさいm(_ _)m。
まず、私はこの作品、日本版の再演・再々演は、スケジュールが合わなくて観られなかったのですが…。
というか。
今だから正直に言いますが、「スケジュールを無理してまで観よう」とは思わなかったのですが(T T)。
日本版の初演を観て、感動したのはアンサンブルのみでした(涙)。
4月6日の日記にも書きましたが、元々音楽的にもワイルドホーンの音楽はコーラスが魅力ですし、また初演のアンサンブルメンバーは、キャスティングディレクター(誰だか知りませんが)がメインキャストの鬱憤(←言いすぎ)をアンサンブルではらしたんじゃないかと思うほど凄いメンバーで、本当に涙が出るほど素晴らしかったのですが。
タイトルロールの鹿賀丈史さんは、ハイドはとても良かったのですが、ジキルとしては受け入れがたくて。
エマの茂森あゆみさんは、声はキレイだけど、それだけ(涙)。
ルーシィ役で賞も獲ったマルシアさんは、日本語の発音もミュージカルの発声もまだまだ。芝居は悪くなかったけどちょっと空回り気味。
アターソンの段田さんは…ごめんなさい。ワイルドホーンの歌って、素晴らしいだけに難しいんです(涙)。役者としては素晴らしい方で私も大好きですが(遊眠社時代からずーっと観てますので)…
アターソンって、芝居がメインの役でソロ歌もないんですけど、やっぱりもう少し歌える人だったらなぁ…と思ったことは否めません。
…あ、でも、ダンヴァース卿の浜畑さんは初演から素晴らしかったです!忘れるな自分!
ごめんなさいm(_ _)m。
…初演は、作品というか音楽が本当に好きだったので、たぶん3回くらい観たと思うのですが。(というか、観る前にチケット取っていた)
再演・再々演ではエマとアターソンが変わって、また雰囲気は違ったのでしょうけれども。
無理して時間を作るだけの意欲が取り戻せないまま、楽日を迎えてしまったのでした…(涙)。
なので。
今公演の一番の注目は、前回公演で評判の良かったエマの鈴木蘭々さんと、アターソンの戸井勝海さん。
そして。
マルシアの成長ぶりに涙が出ました。
台詞は、ずいぶん聞けるようになったとはいえ、普通に「ジャパゆきさん」(←舞台は19世紀末のロンドンだってば)が慣れない異国で苦労している、という印象ではありましたが、
歌がね、全然違うんです。
ちゃんと「ミュージカル歌唱」になっていた。
そのうえで、しっかり芝居として成立させてくれていました。
それが、一番嬉しかったです。
私がこの作品の中で一番好きな曲は、2幕でハイドとルーシィが「どん底」で歌う色っぽいデュエット「Dangerous Game」。
そこが。
初演は「二人」で動きと歌の息を合わせることで精一杯、だった…
なのに、さすがは4演目。
お二人とも、息ぴったり!完璧!だった。
…幸せでした。
マルシアは、29日の日生楽が本当の千秋楽。
この後の梅田&中日公演は、香寿たつきさんがルーシィ役です。
たーたんのルーシィ、色っぽい娼婦の役…
…まったく想像がつかない…。
エマ役の鈴木蘭々さん。
台詞の声が独特で、面白いキャラクターだな、と思いました。
私は「ユーリンタウン」と「キレイ〜神様と待ち合わせした女」で拝見したのですが、あの声、実はかなり好きなんです…。
歌は、デュエットは良かったのですが「Once Upon a Dream」(2幕、ジキルの研究室で歌うソロ)がヘロヘロだったのが残念!あと、歌うときに腹の前に腕を組んでブレスに合わせて上下に動かすのが…見るまいとしてもどうしても目に入っちゃって、気になりました。
芝居自体は悪くなかったと思うのですが、あの腕の動きでどうしても「歌」と「芝居」が切れてしまうんですよね(涙)。もったいない癖だと思います。
戸井さんのアターソンは、そりゃー歌は良かったですよ、はい。
再演の池田成志さん、再々演の石川禅さんを観ていないので(←ごめんなさい)、まったく別次元なのですが。
キャラクターも、レ・ミゼのアンサンブル時代に培ったスケベっぷりと生真面目さの裏表、ジキル博士なんぞよりよっぽど二重人格じゃないのコイツ、ってくらいの変わりようで(^ ^)。面白かったです。
段田さんは、もう少し年齢的にも立場的にも上めな感じで、目上からヘンリー(ジキル)を見守り、心配するというスタンスだったように見えたのですが、戸井さんは「同じ目線」での友情、って奴を真正面から出していたと思います。
そういう解釈なんでしょうね、きっと。
実際の立場では、戸井さんから見たら鹿賀さんなんて雲の上なんじゃないかと思うのですが(苦)、そこはさすがに役者同士、対等の立場でやり合っていらしたと思います。
鹿賀さんのジキル/ハイド。
4演目になる今回は、かなり「尊大で傲慢で、人を人とも思わない、自分を恃むこと大な、早熟の天才タイプ」でした。
でも、エマの前でだけは素直になれる。
これはたぶん、「エマが若くて真っ直ぐ」だから、なのだと思いました。エマは若くて、幼くて、最初からヘンリー(ジキル)を「憧れの眼」で見ているんです。ダンヴァース卿が才能を認めた研究者だから、「私にはよくわからないけど、きっと素晴らしい才能があるんだわ」という、ある意味幸せな思い込み。
それが、なかなか「認知」されない研究を続けるヘンリーにとって唯一の救いとなる。
ブロードウェイ版を観た時の印象では、ヘンリーとエマは対等か、もしかしたらエマの方が年上?という感じだったんですよね。歌声にも包容力があって、とても魅力的なエマでした。
日本版の初演が受け入れられなかったのは、その印象が強かったせいもあると思うのですが(ごめんなさい)、ヘンリー役の鹿賀さんが「ミュージカル界の大御所」であり、完全に「座長」であったために、どうしてもヘンリーに比べてエマを「小娘」がやらざるをえなくなってしまう。
そこを、演出がフォローしきれていなかったのだと思います。
でも今回、蘭々さんのエマは。
上手い、とは言いません。特に歌は、上にも書きましたけど、もう一息伸びてほしい。
でも、演出の要求するキャラクターには合っているのだと思いました。
「ヘンリーを信じる」ことを貫く、幼くて純粋な“美少女”。
アリスの生意気さでビーコンズフィールドのおばさまに反論し、自分の信じたものに盲目で、それ以外のものをきっぱり捨てる強さが魅力的な娘。
たぶん彼女自身も、「上流社会」の中で微妙に“浮いた”存在だったんだろうな、と、
そんなことを想像させる存在感でした。
独特の声と、たたずまい。
それだけを武器に、19世紀末のロンドン社交界に闘いを挑む勝利の女神…というには貫禄が足りませんが(汗)、まぁヘンリーはそう思っていたんじゃないかな、と。
いちおう、意図してそういう演出になっていたのだと思います。
(思いたいです…)
そしてヘンリーは、薬を飲む。
「精神の異常は遺伝する」と思われていた時代。父が精神に異常をきたしているということは、いずれは自分も、という恐怖。それは、ただの恐怖ではなく、事実に基づく、物質的な「恐怖」となりうる。
精神治療の特効薬を開発することで、この恐怖から逃れるため、
自分を見下す人々を見返すため、
自分自身の名誉のため、
そして、自分を信じる人々(=愛する人々)を喜ばせるため、
そして大義名分としてはもちろん父親を救うために、
ヘンリーはどうしても「実績」を必要とする。
そして、その「実績」が、「他人」でなくてはいけないという理屈はないことに気づいたときに。
彼は、自分の中の「エドワード・ハイド」と出会う。
「First Transformation」〜「Alive」にかけての「変貌」シーン。初めて姿を現したハイドは、「自由だ!」と叫びます。
「良心」という鎖を断ち切った「尊大な暴君」は、今までの抑圧を糧とするかのように、「ヘンリーが」憎んだ人間を殺していく。
ヘンリーは、彼らを「高尚な研究を理解できぬ愚かな人間」と蔑んでいるので、いくら妨害されても殺したりしない。社会的良心だけではなく、自分自身のプライドにも邪魔されるから。
でも、ハイドにはその邪魔が入らない。
良心とプライドはどちらもジキル側。
ハイド側に残ったのは、ある意味一番「人間的な」、いえ、原始的な欲望のみ。
ヘンリーは「禅善と悪」を切り離す薬を作ったつもりだった。
でも完成した薬は、精神の「文明的」な部分と「本能的」な部分をわける薬だったのではないでしょうか?
19世紀末という時代の、新教国であるイギリスにおいて。
「文明的」=「善」、「本能的」=「悪」という図式が真実であったのかもしれませんが…。
だから、ハイドは現代的な意味での「悪意」の象徴ではないのだと思うのです。もっと子供っぽい「欲望」の象徴。
欲しいものは欲しいから、奪う。
憎い奴は憎いから、二度と見なくてすむように殺す。
それだけの存在。
で、また話が飛ぶんですけれども(毎回すみません)、
小野不由美さんの「魔性の子」という小説に、これと良く似た状況の物語があります。
主人公の少年を抑圧(苛めたり怪我をさせたり)すると、少年自身のあずかり知らないところで、非現実的としか思えない制裁を受ける。なぜそんなことが起きるのか、少年に「普通」の生活を送らせてやることはできるのか、といったことを主題としたストーリーなのですが…
まぁ、ヘンリーは比較的早い時期にハイドの正体に気づいて、自分で解決策(新薬)を開発するわけですから、物語の展開はまったく違いますし、勿論最後の結末もまったく違うのですが、
「自分の知らないところで、自分のための殺人が行われる」という発端だけは、良く似ているなぁ、と。
ヘンリーがそれを知ったときの衝撃。
「なぜだ?俺はそんなこと望んではいない!」という叫び。
それを作品の中で明示的に表現する場面は無いのですが、2幕でエマが研究室に訪ねてくる場面でのヘンリーが痛々しいのは、それを秘めているからなのかも、と今回思ったのでした。
そして。
この場面でヘンリーを苦しめたことが、最後の場面で、再びハイドに戻ってしまったときにエマを襲うひとつの理由なんじゃないか、と。
…「魔性の子」にも、主人公の少年への「愛のムチ」として叱っただけの人が、少年自身はその愛情を理解しているにも関わらず厳しい制裁を受ける、という場面があるのですが。
こういう「愛しているゆえに苦しめる」という“よくあるシチュエーション”を、「故意の苛め」と区別するポイントは何か、という難しい問題を出してきたな、と、
…たぶん、思い込みの考えすぎなんでしょうけれども、
そんなことを思ったりしたのでした…。
そんなハイドが、唯一執着する女・ルーシィ。
たぶん、なんらかの夢をみて日本ロンドンにきたんですよね、彼女は。
たぶんフィリピンモロッコあたりから(←また適当なことを)。
彼女は、この作品において、ハイドに捧げられる哀れな生贄として存在しています。
エマが決して受け入れることのない、それゆえにヘンリーは決して望むことの無い、
人間の本能としての嗜虐-被虐の関係。
傷つけることで自分の支配欲を満足させるハイド。
傷つけられることで支配される快感に酔うルーシィ。
2幕の「どん底」で。
ハイドの姿を見ただけで悲鳴をあげるほど怯えているルーシィが、ハイドの手が背中に触れた瞬間、硬直して、そして、
恍惚の表情を浮かべる。
怖い。
何をされるか判らない恐怖。
自分がどうなってしまうか解らない恐怖。
…怖い。
だけど、
忘れられない。
逃れられない。
ならば、酔ってしまえばいい。
受け入れてしまえば、怖くない。
恐怖を快感にすりかえる。
ほら、
もう、
…怖く、ない…
緊張の限界に達した精神が、どこまで耐えられるか、
希んで受け入れる苦痛、
それが「危険なゲーム」の真髄。
もしかしたら、無意識のどこか奥深くで、それがジキル博士本人であることに気づいているからなのかもしれない…
2幕終盤、ルーシィの部屋。
アターソンに「すぐにロンドンから出るように」と言われ、ジキル博士からの手紙を読んで、「A New Life」…文字通り「新しい生活」を夢見るルーシィは。
モロッコ(←だから違うってば)に帰ってやりなおすの!ではなくて、もう一度、あきらめた夢に挑戦してみよう、という「新しさ」のような気がしました。
そして、そばにはジキルがいる。ジキルがそばにいてくれるような自分になれる。きっと、そうよ、そんな新しい人生!
そんな、賛歌。
ジキルは、アターソンに「奴はルーシィを殺すかもしれない…」と打ち明け、ルーシィにロンドンから出るよう伝えることを依頼する。
ここってずっと謎だったんです。
なぜハイドはルーシィを殺すんだろう、と。
だってハイドは、それまでヘンリーの“愛する人”に手を出したことはないのに。
でも、今回観て、もしかしたら違うのかもしれない、と思ったのです。
ヘンリーは、ハイドがルーシィに執着していることを知っている。
そして、ハイドにとって「執着」=「殺意」だと思い込んでいた。
でも、ハイドにとってのルーシィは、「愛」の対象だったのではないでしょうか。
…まぁ、ちょっと原始的な、「子供の愛」ですけれども。
愛していた。
いえ、必要としていた、の方が近いかな?
いずれにせよ、部屋に行った時点で殺意があったのではないのではないか。
(苦痛を与えるつもりはあったかもだけど←酷っ)
ハイドが実際にルーシィを殺す動機は、
「奴にあって俺にないものはなんだ!?」という問いかけに対するルーシィの答え「あの人はやさしくしてくれたわ…」にあるのではないか、と。
その答えを聞いた瞬間、表情が凍りついてすっごい怖かったんです…(T
T)
ハイドが本気でルーシィに「当たり前の恋人が欲しがるもの」を求めたとは考えにくいけど、「現実世界」で、ハイドとある程度親密な関わりを持ったのはルーシィただ一人だったので、彼女の歓心はハイドにとって全世界にも等しかったのかもしれないな、とは思うのです。
で、「本能」の象徴であるハイドは、自分よりもジキル(自分を切り捨てようとする半身)を欲しがるルーシィを見てカァッとなったら、その衝動を止めることができない。止めるための手段(良心とか保身とか)を持っていないんですから。
そして、その衝動のままに彼女を手にかける。
そして、彼女を喪った衝撃でジキルに戻ってしまう…。
なんだか、こうやって色々理屈を(無理矢理ですが)つけてみると、実は哀れな存在なんですね、ハイドって…
だって、ハイドはヘンリーの活動(薬の開発)の邪魔もしないんですよ。薬屋も殺さないし、ノートも捨てない。
自分を消す薬を作っているのだと知らないはずはないのに。
…ヘンリーの活動はいっさい邪魔しないんです。“敵”を片付けているだけ。
なのにヘンリーには忌み嫌われ、誰も愛してくれない。
…哀れな存在…。
えーっと。
この後の「Confrontation(対決)」の場面は。
すみません。ここだけは日本版の演出も鹿賀さんの歌唱もどうしても受け入れられないので…(涙/だって鹿賀さん、最初から最後までハイドの声のままなんだもん!)。
…あれって、作品を観たことのない人でもあの場面だけは知ってる、ってくらい有名かつ「Jekyl & Hyde」という作品の象徴的な演出だと思うのですが…何か契約の関係とかで使わせてもらえなかったのでしょうか…?あっちこっちのパロディで散々使われている演出で、今更っちゅー気もするんですけどねぇ…(T T)
何年ぶりかでこの作品を観て、一番驚いたのは、ラストシーン。
あれ?場面の絵面が、宝塚版「ファントム」のラストシーンにそっくりだよ…?
というか、こっちの方が先なので。
「ファントム」のラストがこれにそっくりなのですけれども。
舞台センターに、「異形」の主役と、彼を抱きかかえる花嫁。
息をひきとった彼を抱いて、ヒロインが周りを見回す。
キッと、にらむように。
彼と自分の敵を、確認するかのように。
そして、そっと彼にキスをする。
舞台上手には、銃をもって主役を撃った、主役を「愛する」男。
彼は、「異形」の主役を守ろうとして失敗し、主役自身から「自分を殺すこと」を要求されて、一度は拒否するけれども、最後には希望を叶えてあげる。
…一緒じゃんっ!!!
もとい。
アターソンとキャリエール。
この二人には、大きな差があります。
キャリエールはエリック(=ファントム)をこの世に生み出したことに責任がある。
だから、エリック自身が死を望むなら、それを与えてやるのも責任のうち(自殺はできないから)。
だから、殺人の罪も、その悔恨も、彼自身が背負っていかなくてはならない十字架なのです。
アターソンには、その責任はないんですよ。
ハイドが生まれたのは、ヘンリー自身に責任があるわけで。
本来はヘンリー自身が始末をつけなくちゃいけない。
でも、ハイドはアターソンにその行為を依頼する。
「俺を自由にしてくれ」と。
「自由だ!」と産声をあげた彼は、死への旅路もそう表現する。
それとも、あれはハイドの声を使ったジキルの本心なのでしょうか…?
アターソンは、一度は断る。「できない」と。
だから、ハイド(ヘンリー)はもう一度エマに手を出す。
アターソンにもわかっていたはずなのに、
ハイド(ヘンリー)にエマは殺せない、と
なのに、アターソンはハイドの望みを叶える。
それが彼自身にとっても地獄への道だと知っていながら…
「自殺」できないキリスト教徒にとって、自分が「異形」であることを自覚したら、もう「殺してもらう」ことしかできないのでしょうか。
そして、その希望をかなえた人間は、その罪を背負って神の前に出ることになるんですね…。
それでも、彼の苦しみを取り去ってあげたい、とアターソンは思う。
友情、愛情、それら、ハイドが希んで、どうしても得られなかったもの。
そして、エマは最期にキスを与える。
愛、と、赦し。
その、証として。
この物語が幕を降ろした後、エマとアターソンはどんな人生を歩むのかな、というのがちょっと気になりました。
特に、アターソン。
彼は幸せになれるのかな…。
もともとゴチックホラーの小説が原作なので、そこまで想像しなくていいんですけど(^ ^;、つい習慣でいろいろ考えてしまうのでした…。
なにはともあれ。
日生劇場2階席は、音響良いし、価格は安いし、お勧めです♪
ちなみに。宝塚ファンとして付記。
1幕中盤、バー「どん底」の娼婦たちの登場は、
1階のセンター(階段の下)から登場するのが茜ちゃん、2階の下手側の窓がソン(秋園美緒)ちゃん。
2幕冒頭、「Murder!Murder!」のアンサンブル。
黄色のショールを巻いて最初の女性ソロを歌うのが茜ちゃん、ピンクのショールがソンちゃんです♪
役者が少ないので、アンサンブルの場面には基本的に全部出ているはず。宝塚と違って舞台が全体的に暗いので、見落とさないように探してみてください♪
.
もっと早く書くつもりだったのですが、なかなかまとまらなくて…この週末で東京公演は終わってしまうので(^ ^;ゞ、その前に。
先週のアフタートークの内容も併せて書くつもりだったのですが。
…あまりにも長くなってしまったので、アフタートークは別途書きますね(今更ですが…もう誰も待っててくれないでしょうけれども/涙)。
作品については初日に書きましたので。
今回は、観劇しての感想を…ということで、どうしてもキャスト寄りの話になってしまうのですが。
ご不快になる方もいらっしゃると思います。ごめんなさいm(_ _)m。
まず、私はこの作品、日本版の再演・再々演は、スケジュールが合わなくて観られなかったのですが…。
というか。
今だから正直に言いますが、「スケジュールを無理してまで観よう」とは思わなかったのですが(T T)。
日本版の初演を観て、感動したのはアンサンブルのみでした(涙)。
4月6日の日記にも書きましたが、元々音楽的にもワイルドホーンの音楽はコーラスが魅力ですし、また初演のアンサンブルメンバーは、キャスティングディレクター(誰だか知りませんが)がメインキャストの鬱憤(←言いすぎ)をアンサンブルではらしたんじゃないかと思うほど凄いメンバーで、本当に涙が出るほど素晴らしかったのですが。
タイトルロールの鹿賀丈史さんは、ハイドはとても良かったのですが、ジキルとしては受け入れがたくて。
エマの茂森あゆみさんは、声はキレイだけど、それだけ(涙)。
ルーシィ役で賞も獲ったマルシアさんは、日本語の発音もミュージカルの発声もまだまだ。芝居は悪くなかったけどちょっと空回り気味。
アターソンの段田さんは…ごめんなさい。ワイルドホーンの歌って、素晴らしいだけに難しいんです(涙)。役者としては素晴らしい方で私も大好きですが(遊眠社時代からずーっと観てますので)…
アターソンって、芝居がメインの役でソロ歌もないんですけど、やっぱりもう少し歌える人だったらなぁ…と思ったことは否めません。
…あ、でも、ダンヴァース卿の浜畑さんは初演から素晴らしかったです!忘れるな自分!
ごめんなさいm(_ _)m。
…初演は、作品というか音楽が本当に好きだったので、たぶん3回くらい観たと思うのですが。(というか、観る前にチケット取っていた)
再演・再々演ではエマとアターソンが変わって、また雰囲気は違ったのでしょうけれども。
無理して時間を作るだけの意欲が取り戻せないまま、楽日を迎えてしまったのでした…(涙)。
なので。
今公演の一番の注目は、前回公演で評判の良かったエマの鈴木蘭々さんと、アターソンの戸井勝海さん。
そして。
マルシアの成長ぶりに涙が出ました。
台詞は、ずいぶん聞けるようになったとはいえ、普通に「ジャパゆきさん」(←舞台は19世紀末のロンドンだってば)が慣れない異国で苦労している、という印象ではありましたが、
歌がね、全然違うんです。
ちゃんと「ミュージカル歌唱」になっていた。
そのうえで、しっかり芝居として成立させてくれていました。
それが、一番嬉しかったです。
私がこの作品の中で一番好きな曲は、2幕でハイドとルーシィが「どん底」で歌う色っぽいデュエット「Dangerous Game」。
そこが。
初演は「二人」で動きと歌の息を合わせることで精一杯、だった…
なのに、さすがは4演目。
お二人とも、息ぴったり!完璧!だった。
…幸せでした。
マルシアは、29日の日生楽が本当の千秋楽。
この後の梅田&中日公演は、香寿たつきさんがルーシィ役です。
たーたんのルーシィ、色っぽい娼婦の役…
…まったく想像がつかない…。
エマ役の鈴木蘭々さん。
台詞の声が独特で、面白いキャラクターだな、と思いました。
私は「ユーリンタウン」と「キレイ〜神様と待ち合わせした女」で拝見したのですが、あの声、実はかなり好きなんです…。
歌は、デュエットは良かったのですが「Once Upon a Dream」(2幕、ジキルの研究室で歌うソロ)がヘロヘロだったのが残念!あと、歌うときに腹の前に腕を組んでブレスに合わせて上下に動かすのが…見るまいとしてもどうしても目に入っちゃって、気になりました。
芝居自体は悪くなかったと思うのですが、あの腕の動きでどうしても「歌」と「芝居」が切れてしまうんですよね(涙)。もったいない癖だと思います。
戸井さんのアターソンは、そりゃー歌は良かったですよ、はい。
再演の池田成志さん、再々演の石川禅さんを観ていないので(←ごめんなさい)、まったく別次元なのですが。
キャラクターも、レ・ミゼのアンサンブル時代に培ったスケベっぷりと生真面目さの裏表、ジキル博士なんぞよりよっぽど二重人格じゃないのコイツ、ってくらいの変わりようで(^ ^)。面白かったです。
段田さんは、もう少し年齢的にも立場的にも上めな感じで、目上からヘンリー(ジキル)を見守り、心配するというスタンスだったように見えたのですが、戸井さんは「同じ目線」での友情、って奴を真正面から出していたと思います。
そういう解釈なんでしょうね、きっと。
実際の立場では、戸井さんから見たら鹿賀さんなんて雲の上なんじゃないかと思うのですが(苦)、そこはさすがに役者同士、対等の立場でやり合っていらしたと思います。
鹿賀さんのジキル/ハイド。
4演目になる今回は、かなり「尊大で傲慢で、人を人とも思わない、自分を恃むこと大な、早熟の天才タイプ」でした。
でも、エマの前でだけは素直になれる。
これはたぶん、「エマが若くて真っ直ぐ」だから、なのだと思いました。エマは若くて、幼くて、最初からヘンリー(ジキル)を「憧れの眼」で見ているんです。ダンヴァース卿が才能を認めた研究者だから、「私にはよくわからないけど、きっと素晴らしい才能があるんだわ」という、ある意味幸せな思い込み。
それが、なかなか「認知」されない研究を続けるヘンリーにとって唯一の救いとなる。
ブロードウェイ版を観た時の印象では、ヘンリーとエマは対等か、もしかしたらエマの方が年上?という感じだったんですよね。歌声にも包容力があって、とても魅力的なエマでした。
日本版の初演が受け入れられなかったのは、その印象が強かったせいもあると思うのですが(ごめんなさい)、ヘンリー役の鹿賀さんが「ミュージカル界の大御所」であり、完全に「座長」であったために、どうしてもヘンリーに比べてエマを「小娘」がやらざるをえなくなってしまう。
そこを、演出がフォローしきれていなかったのだと思います。
でも今回、蘭々さんのエマは。
上手い、とは言いません。特に歌は、上にも書きましたけど、もう一息伸びてほしい。
でも、演出の要求するキャラクターには合っているのだと思いました。
「ヘンリーを信じる」ことを貫く、幼くて純粋な“美少女”。
アリスの生意気さでビーコンズフィールドのおばさまに反論し、自分の信じたものに盲目で、それ以外のものをきっぱり捨てる強さが魅力的な娘。
たぶん彼女自身も、「上流社会」の中で微妙に“浮いた”存在だったんだろうな、と、
そんなことを想像させる存在感でした。
独特の声と、たたずまい。
それだけを武器に、19世紀末のロンドン社交界に闘いを挑む勝利の女神…というには貫禄が足りませんが(汗)、まぁヘンリーはそう思っていたんじゃないかな、と。
いちおう、意図してそういう演出になっていたのだと思います。
(思いたいです…)
そしてヘンリーは、薬を飲む。
「精神の異常は遺伝する」と思われていた時代。父が精神に異常をきたしているということは、いずれは自分も、という恐怖。それは、ただの恐怖ではなく、事実に基づく、物質的な「恐怖」となりうる。
精神治療の特効薬を開発することで、この恐怖から逃れるため、
自分を見下す人々を見返すため、
自分自身の名誉のため、
そして、自分を信じる人々(=愛する人々)を喜ばせるため、
そして大義名分としてはもちろん父親を救うために、
ヘンリーはどうしても「実績」を必要とする。
そして、その「実績」が、「他人」でなくてはいけないという理屈はないことに気づいたときに。
彼は、自分の中の「エドワード・ハイド」と出会う。
「First Transformation」〜「Alive」にかけての「変貌」シーン。初めて姿を現したハイドは、「自由だ!」と叫びます。
「良心」という鎖を断ち切った「尊大な暴君」は、今までの抑圧を糧とするかのように、「ヘンリーが」憎んだ人間を殺していく。
ヘンリーは、彼らを「高尚な研究を理解できぬ愚かな人間」と蔑んでいるので、いくら妨害されても殺したりしない。社会的良心だけではなく、自分自身のプライドにも邪魔されるから。
でも、ハイドにはその邪魔が入らない。
良心とプライドはどちらもジキル側。
ハイド側に残ったのは、ある意味一番「人間的な」、いえ、原始的な欲望のみ。
ヘンリーは「
でも完成した薬は、精神の「文明的」な部分と「本能的」な部分をわける薬だったのではないでしょうか?
19世紀末という時代の、新教国であるイギリスにおいて。
「文明的」=「善」、「本能的」=「悪」という図式が真実であったのかもしれませんが…。
だから、ハイドは現代的な意味での「悪意」の象徴ではないのだと思うのです。もっと子供っぽい「欲望」の象徴。
欲しいものは欲しいから、奪う。
憎い奴は憎いから、二度と見なくてすむように殺す。
それだけの存在。
で、また話が飛ぶんですけれども(毎回すみません)、
小野不由美さんの「魔性の子」という小説に、これと良く似た状況の物語があります。
主人公の少年を抑圧(苛めたり怪我をさせたり)すると、少年自身のあずかり知らないところで、非現実的としか思えない制裁を受ける。なぜそんなことが起きるのか、少年に「普通」の生活を送らせてやることはできるのか、といったことを主題としたストーリーなのですが…
まぁ、ヘンリーは比較的早い時期にハイドの正体に気づいて、自分で解決策(新薬)を開発するわけですから、物語の展開はまったく違いますし、勿論最後の結末もまったく違うのですが、
「自分の知らないところで、自分のための殺人が行われる」という発端だけは、良く似ているなぁ、と。
ヘンリーがそれを知ったときの衝撃。
「なぜだ?俺はそんなこと望んではいない!」という叫び。
それを作品の中で明示的に表現する場面は無いのですが、2幕でエマが研究室に訪ねてくる場面でのヘンリーが痛々しいのは、それを秘めているからなのかも、と今回思ったのでした。
そして。
この場面でヘンリーを苦しめたことが、最後の場面で、再びハイドに戻ってしまったときにエマを襲うひとつの理由なんじゃないか、と。
…「魔性の子」にも、主人公の少年への「愛のムチ」として叱っただけの人が、少年自身はその愛情を理解しているにも関わらず厳しい制裁を受ける、という場面があるのですが。
こういう「愛しているゆえに苦しめる」という“よくあるシチュエーション”を、「故意の苛め」と区別するポイントは何か、という難しい問題を出してきたな、と、
…たぶん、思い込みの考えすぎなんでしょうけれども、
そんなことを思ったりしたのでした…。
そんなハイドが、唯一執着する女・ルーシィ。
たぶん、なんらかの夢をみて
たぶん
彼女は、この作品において、ハイドに捧げられる哀れな生贄として存在しています。
エマが決して受け入れることのない、それゆえにヘンリーは決して望むことの無い、
人間の本能としての嗜虐-被虐の関係。
傷つけることで自分の支配欲を満足させるハイド。
傷つけられることで支配される快感に酔うルーシィ。
2幕の「どん底」で。
ハイドの姿を見ただけで悲鳴をあげるほど怯えているルーシィが、ハイドの手が背中に触れた瞬間、硬直して、そして、
恍惚の表情を浮かべる。
怖い。
何をされるか判らない恐怖。
自分がどうなってしまうか解らない恐怖。
…怖い。
だけど、
忘れられない。
逃れられない。
ならば、酔ってしまえばいい。
受け入れてしまえば、怖くない。
恐怖を快感にすりかえる。
ほら、
もう、
…怖く、ない…
緊張の限界に達した精神が、どこまで耐えられるか、
希んで受け入れる苦痛、
それが「危険なゲーム」の真髄。
もしかしたら、無意識のどこか奥深くで、それがジキル博士本人であることに気づいているからなのかもしれない…
2幕終盤、ルーシィの部屋。
アターソンに「すぐにロンドンから出るように」と言われ、ジキル博士からの手紙を読んで、「A New Life」…文字通り「新しい生活」を夢見るルーシィは。
モロッコ(←だから違うってば)に帰ってやりなおすの!ではなくて、もう一度、あきらめた夢に挑戦してみよう、という「新しさ」のような気がしました。
そして、そばにはジキルがいる。ジキルがそばにいてくれるような自分になれる。きっと、そうよ、そんな新しい人生!
そんな、賛歌。
ジキルは、アターソンに「奴はルーシィを殺すかもしれない…」と打ち明け、ルーシィにロンドンから出るよう伝えることを依頼する。
ここってずっと謎だったんです。
なぜハイドはルーシィを殺すんだろう、と。
だってハイドは、それまでヘンリーの“愛する人”に手を出したことはないのに。
でも、今回観て、もしかしたら違うのかもしれない、と思ったのです。
ヘンリーは、ハイドがルーシィに執着していることを知っている。
そして、ハイドにとって「執着」=「殺意」だと思い込んでいた。
でも、ハイドにとってのルーシィは、「愛」の対象だったのではないでしょうか。
…まぁ、ちょっと原始的な、「子供の愛」ですけれども。
愛していた。
いえ、必要としていた、の方が近いかな?
いずれにせよ、部屋に行った時点で殺意があったのではないのではないか。
(苦痛を与えるつもりはあったかもだけど←酷っ)
ハイドが実際にルーシィを殺す動機は、
「奴にあって俺にないものはなんだ!?」という問いかけに対するルーシィの答え「あの人はやさしくしてくれたわ…」にあるのではないか、と。
その答えを聞いた瞬間、表情が凍りついてすっごい怖かったんです…(T
T)
ハイドが本気でルーシィに「当たり前の恋人が欲しがるもの」を求めたとは考えにくいけど、「現実世界」で、ハイドとある程度親密な関わりを持ったのはルーシィただ一人だったので、彼女の歓心はハイドにとって全世界にも等しかったのかもしれないな、とは思うのです。
で、「本能」の象徴であるハイドは、自分よりもジキル(自分を切り捨てようとする半身)を欲しがるルーシィを見てカァッとなったら、その衝動を止めることができない。止めるための手段(良心とか保身とか)を持っていないんですから。
そして、その衝動のままに彼女を手にかける。
そして、彼女を喪った衝撃でジキルに戻ってしまう…。
なんだか、こうやって色々理屈を(無理矢理ですが)つけてみると、実は哀れな存在なんですね、ハイドって…
だって、ハイドはヘンリーの活動(薬の開発)の邪魔もしないんですよ。薬屋も殺さないし、ノートも捨てない。
自分を消す薬を作っているのだと知らないはずはないのに。
…ヘンリーの活動はいっさい邪魔しないんです。“敵”を片付けているだけ。
なのにヘンリーには忌み嫌われ、誰も愛してくれない。
…哀れな存在…。
えーっと。
この後の「Confrontation(対決)」の場面は。
すみません。ここだけは日本版の演出も鹿賀さんの歌唱もどうしても受け入れられないので…(涙/だって鹿賀さん、最初から最後までハイドの声のままなんだもん!)。
…あれって、作品を観たことのない人でもあの場面だけは知ってる、ってくらい有名かつ「Jekyl & Hyde」という作品の象徴的な演出だと思うのですが…何か契約の関係とかで使わせてもらえなかったのでしょうか…?あっちこっちのパロディで散々使われている演出で、今更っちゅー気もするんですけどねぇ…(T T)
何年ぶりかでこの作品を観て、一番驚いたのは、ラストシーン。
あれ?場面の絵面が、宝塚版「ファントム」のラストシーンにそっくりだよ…?
というか、こっちの方が先なので。
「ファントム」のラストがこれにそっくりなのですけれども。
舞台センターに、「異形」の主役と、彼を抱きかかえる花嫁。
息をひきとった彼を抱いて、ヒロインが周りを見回す。
キッと、にらむように。
彼と自分の敵を、確認するかのように。
そして、そっと彼にキスをする。
舞台上手には、銃をもって主役を撃った、主役を「愛する」男。
彼は、「異形」の主役を守ろうとして失敗し、主役自身から「自分を殺すこと」を要求されて、一度は拒否するけれども、最後には希望を叶えてあげる。
…一緒じゃんっ!!!
もとい。
アターソンとキャリエール。
この二人には、大きな差があります。
キャリエールはエリック(=ファントム)をこの世に生み出したことに責任がある。
だから、エリック自身が死を望むなら、それを与えてやるのも責任のうち(自殺はできないから)。
だから、殺人の罪も、その悔恨も、彼自身が背負っていかなくてはならない十字架なのです。
アターソンには、その責任はないんですよ。
ハイドが生まれたのは、ヘンリー自身に責任があるわけで。
本来はヘンリー自身が始末をつけなくちゃいけない。
でも、ハイドはアターソンにその行為を依頼する。
「俺を自由にしてくれ」と。
「自由だ!」と産声をあげた彼は、死への旅路もそう表現する。
それとも、あれはハイドの声を使ったジキルの本心なのでしょうか…?
アターソンは、一度は断る。「できない」と。
だから、ハイド(ヘンリー)はもう一度エマに手を出す。
アターソンにもわかっていたはずなのに、
ハイド(ヘンリー)にエマは殺せない、と
なのに、アターソンはハイドの望みを叶える。
それが彼自身にとっても地獄への道だと知っていながら…
「自殺」できないキリスト教徒にとって、自分が「異形」であることを自覚したら、もう「殺してもらう」ことしかできないのでしょうか。
そして、その希望をかなえた人間は、その罪を背負って神の前に出ることになるんですね…。
それでも、彼の苦しみを取り去ってあげたい、とアターソンは思う。
友情、愛情、それら、ハイドが希んで、どうしても得られなかったもの。
そして、エマは最期にキスを与える。
愛、と、赦し。
その、証として。
この物語が幕を降ろした後、エマとアターソンはどんな人生を歩むのかな、というのがちょっと気になりました。
特に、アターソン。
彼は幸せになれるのかな…。
もともとゴチックホラーの小説が原作なので、そこまで想像しなくていいんですけど(^ ^;、つい習慣でいろいろ考えてしまうのでした…。
なにはともあれ。
日生劇場2階席は、音響良いし、価格は安いし、お勧めです♪
ちなみに。宝塚ファンとして付記。
1幕中盤、バー「どん底」の娼婦たちの登場は、
1階のセンター(階段の下)から登場するのが茜ちゃん、2階の下手側の窓がソン(秋園美緒)ちゃん。
2幕冒頭、「Murder!Murder!」のアンサンブル。
黄色のショールを巻いて最初の女性ソロを歌うのが茜ちゃん、ピンクのショールがソンちゃんです♪
役者が少ないので、アンサンブルの場面には基本的に全部出ているはず。宝塚と違って舞台が全体的に暗いので、見落とさないように探してみてください♪
.
初台の、新国立劇場中ホールで上演中のブロードウェイミュージカル「モダン・ミリー」。
こんなに爽快な気分になったのは久しぶり!というくらい楽しい公演でした。
…なんだか最近、どっかの公演プロモーターの宣伝マンみたいだな私…。
でも、本当に楽しかったんですよ!!
まずはキャストから。
宝塚OGは、リカ(紫吹淳)さん・樹里(咲穂)さんのお二人。
あとは川崎麻世さん、岡幸二郎さん、前田美波里さんのミュージカルスターに、歌手兼女優の今陽子さん。そして、元劇団四季の青山明さん、木暮清貴さん、レ・ミゼラブルなどで大活躍の高谷あゆみさん、西原純さん他、総勢24名のキャストが綴る、オトナの夢物語。
こうして見ると感心するくらい、実力派のキャストを集めたなーという印象です。その中で、歌に限ってはどうしても元男役のリカさんは一歩下がってしまうのですが、やはり舞台の上での華は抜群でした。1920年代っぽい“モダン”な衣装がもの凄く似合って、やっぱこの人は人間じゃない…って感じ。
樹里ちゃん共々、あのキレイな脚を全開にして舞台を駆け回ってます。あの美脚だけでもチケット代の元が取れます(←おい)
作品も音楽も、何もかももちろん良かったのですが、
なんと言っても最高だったのは演出・振付のジョン・マクニーリーなのだと思います。
モダン・ミリーのオリジナルブロードウェイ版でトニーの振付賞を獲ったRob Ashford本人は参加していませんが、マクニーリー自身、他作品で何度もノミネートされている実力派。しかも、モダン・ミリーは全米ツアー版から入っているから、作品理解も十分。
加えて、日本キャストの理解が素晴らしい!これはプロデューサーとの意思疎通がはかれていたおかげでしょうね。芝居の細かいところまで演出が行き届いていて、本当に良くできていました。
…ま、このスタッフとキャスティングなら、もう安心、って感じですよね(笑)。
2002年のトニー賞ミュージカル作品賞を獲得した「モダン・ミリー」。「マンマ・ミーア」や、脚本・演出・スコア賞を獲った「ユーリンタウン」を抑えての受賞でした。
ストーリー的には、シンプルな「A Boy Meets a Girl」系…とは言えませんね。
…「A Girl Dreams a Boy」とでもいいましょうか。
『玉の輿』=『ボスとの結婚』を夢見て面接を繰り返す、NYに出てきたばかりの田舎娘(テキサスだったかな…)、ミリー。
まず、この「あたしがボスを面接するのよ!」という意外性でまず笑えます。
リカさんが、あの丸顔にぱっつりボブで可愛らしく、キュートに、1920年代らしい“モダン”なファッション(モチロン膝上!)で歩くだけで、もうステキっ!!俺も面接してっ!!…って感じ(←オヤジすぎるよ自分)。
で、女性専用の貧乏下宿屋(というかウィークリーホテル?)“ホテル・プリシラ”のおかみ、ミセス・ミアースの前田美波里。
この役は、2002年のトニー賞の助演女優賞(ハリエット・ハリス)を獲った役ですが、ものすごーーーーく印象的な役でした。ビバリさんもすっごい楽しそうに(え?)演じていらっしゃいました(笑)。メークも何もかも、怖いのなんの。チラシのメークなんてごくごく普通の「ちょっと化粧が派手目な奥さん」って感じですが、まさに「悪魔メーク」。そのまま聖鬼魔IIと一緒にライブやって欲しい感じでした(爆笑)。
この人は、田舎からやってきた純真な女の子を格安で泊めてあげる替わりに、身寄りがないことが判った子はとっとと香港だかどこだかへ売り飛ばすという特別ルートの持ち主。
お父さんが亡くなって身寄りが亡くなった子を$400で売り飛ばすところから話が始まります。
樹里さん扮するドロシーは、そんなホテル・プリシラにうっかり迷い込んできた、「世間知らずな田舎のお嬢さん」。ただし女優志望。
これまた、1920年代だけど最先端ではなく少しクラシカルな、膝が隠れるスカートでに身を包んで、イライザみたいな(←意味不不明)縦ロール…
初日は登場しただけで爆笑だったそうですね(^o^)。
私が観た日はそんなこともなくて、私は一人で笑いをこらえるのに必死でした(大笑)。
でも今回、一番驚いたのはその扮装ではなく(←当たり前だ)、その、声。
先月のミュージカル・ガラ・コンサートからわずか一ヶ月半。
たったそれだけで、あんなに劇的に声が変わるとは!
あの時、出ることは出たけどあんなに不安定だった頭声が、信じられないほど見事に響いてくれて。ちょっと厚みのあるメゾの声。
岡幸二郎さんとのデュエットなんてもう最高でした!!いつまでも聴いていたかった(涙)。
その岡さんは、リカさんミリーに面接『される』ハンサムな社長さん。
ミリーはすっかり「私の婚約者」扱いされるのですが、全く気が付かない鈍感な仕事中毒。
ちょっと意外なキャラクターで、ラストも意外なところに落ち着くのですが。
ネタバレは後に取っておいて。
とりあえずは、岡さんのクラシカルな美声を、久しぶりなくらいうっとりと堪能できますよとだけ書いておきます♪
…っていうか、あのキャラは私の一番好きな“岡幸二郎”だったりします(幸)。
対する川崎麻世さんは。
ちょっとうさんくさい、神出鬼没のフリーター(?)青年。
実は大歌手のマジー(今陽子)と親しかったり、ドロシーとも以前からの知り合いっぽかったり、と謎の多い男ですが、とりあえず2枚目で、でも社長(ボス)じゃないからミリーの恋の対象にはならない。
そんな存在。
私は麻世さんってレ・ミゼラブルのジャベールを観るまであまり良い印象を持っていなかったのですが。
ジャベールは良かったんですよね、切れ者で。歌も、声が合っていて良かったですし。
その後も何度か拝見していますが、良い俳優さんだなーと思って観てきました。
そして、今回。
すっげー、かっこよかったです♪(^ ^)
なんというか、あの“うさんくささ”がいいんですよ!
まっとうな「美青年」ではない(もうそういうお年でもありませんし)、ちょっと嘘のある、でも誠実な役柄が、とってもよくお似合いで。
背中がイロっぽくて、リカさんとのバランスも良くて。
久々の麻世さんでしたが、とってもステキでした♪
まぁ、濃い人だらけのこのキャストの中で、リカさんのミリーと麻世さんのジミーだけが「まとも」な人生を歩もうとしている人間なので。
どうしても印象としてはミセス・ミアースとか樹里ちゃんのドロシーとか岡さんの社長とかが目立ってしまうのですが…
やっぱり、「まとも」な二人を主役にしないと話がまとまらないんですよね。
そして、「おかしな」人に囲まれた「まとも」な主役を演じるには、よほど圧倒的な「華」ないと本当に無理なんですね…。
ミセス・ミアースにしても、ドロシーにしても、社長にしても、キャラクターがものすごーく立っているだけに「見せ場」もはっきりしていて、そこで全てを持って行けるのですが。
ミリーとジミーは、それなりに見せ場はたくさんあるけれども、キャラクターがそこまで強烈ではないので、「全てをかっ浚う」感じにはならないんです。
でも、リカさんも麻世さんも、さすがに大劇場の座長を務めて来た人は違うな、という華がありましたね。
素直に凄い、と思いました。
2幕のリカさんのソロは、音域がちょっと合わないんで苦戦していらっしゃいましたが。
うーん、舶来ミュージカルは音域に自分を合わせないといけないので苦しいところですよね…。もうちょっとなので、がんばってほしいです!
あと、元劇団四季の誇るおじさん俳優、青山明さんが、ミセス・ミアースの悪事の手伝いをさせられている中国人の役で出演されていて。
彼が、最後の最後にすべてをさらっていってくれました。
四季を退団後初めて拝見しましたが、本当に良い味だしてくれて嬉しいです!
青山さんの弟役の西原純さんは、私は過去、一度だけストレートプレイで拝見したことがありますが、こんなに歌える方だとは露ほども思わず…!びっくりしました。
また兄弟そろって中国語のお上手なこと!青山さんは四季の中国公演とかにも行っていらっしゃるはずですが、西原さんはなんであんなに巧いんでしょうか。最初は(日本語全く話さない役なので)中国人キャストかと思いました(汗)。
中国服と帽子がメチャクチャお似合いで、小柄なのに動きのキレがよくて、相手役さんとのバランスも最高で(爆)、ホント良かったです。次の出演が楽しみ♪
ちなみに、27日の夜公演は、終了後に麻世さんと樹里ちゃんのトークショーがあるそうです。ご興味のある方は、ぜひ♪観てみてくださいませ♪後悔はさせませんぜ♪
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こんなに爽快な気分になったのは久しぶり!というくらい楽しい公演でした。
…なんだか最近、どっかの公演プロモーターの宣伝マンみたいだな私…。
でも、本当に楽しかったんですよ!!
まずはキャストから。
宝塚OGは、リカ(紫吹淳)さん・樹里(咲穂)さんのお二人。
あとは川崎麻世さん、岡幸二郎さん、前田美波里さんのミュージカルスターに、歌手兼女優の今陽子さん。そして、元劇団四季の青山明さん、木暮清貴さん、レ・ミゼラブルなどで大活躍の高谷あゆみさん、西原純さん他、総勢24名のキャストが綴る、オトナの夢物語。
こうして見ると感心するくらい、実力派のキャストを集めたなーという印象です。その中で、歌に限ってはどうしても元男役のリカさんは一歩下がってしまうのですが、やはり舞台の上での華は抜群でした。1920年代っぽい“モダン”な衣装がもの凄く似合って、やっぱこの人は人間じゃない…って感じ。
樹里ちゃん共々、あのキレイな脚を全開にして舞台を駆け回ってます。あの美脚だけでもチケット代の元が取れます(←おい)
作品も音楽も、何もかももちろん良かったのですが、
なんと言っても最高だったのは演出・振付のジョン・マクニーリーなのだと思います。
モダン・ミリーのオリジナルブロードウェイ版でトニーの振付賞を獲ったRob Ashford本人は参加していませんが、マクニーリー自身、他作品で何度もノミネートされている実力派。しかも、モダン・ミリーは全米ツアー版から入っているから、作品理解も十分。
加えて、日本キャストの理解が素晴らしい!これはプロデューサーとの意思疎通がはかれていたおかげでしょうね。芝居の細かいところまで演出が行き届いていて、本当に良くできていました。
…ま、このスタッフとキャスティングなら、もう安心、って感じですよね(笑)。
2002年のトニー賞ミュージカル作品賞を獲得した「モダン・ミリー」。「マンマ・ミーア」や、脚本・演出・スコア賞を獲った「ユーリンタウン」を抑えての受賞でした。
ストーリー的には、シンプルな「A Boy Meets a Girl」系…とは言えませんね。
…「A Girl Dreams a Boy」とでもいいましょうか。
『玉の輿』=『ボスとの結婚』を夢見て面接を繰り返す、NYに出てきたばかりの田舎娘(テキサスだったかな…)、ミリー。
まず、この「あたしがボスを面接するのよ!」という意外性でまず笑えます。
リカさんが、あの丸顔にぱっつりボブで可愛らしく、キュートに、1920年代らしい“モダン”なファッション(モチロン膝上!)で歩くだけで、もうステキっ!!俺も面接してっ!!…って感じ(←オヤジすぎるよ自分)。
で、女性専用の貧乏下宿屋(というかウィークリーホテル?)“ホテル・プリシラ”のおかみ、ミセス・ミアースの前田美波里。
この役は、2002年のトニー賞の助演女優賞(ハリエット・ハリス)を獲った役ですが、ものすごーーーーく印象的な役でした。ビバリさんもすっごい楽しそうに(え?)演じていらっしゃいました(笑)。メークも何もかも、怖いのなんの。チラシのメークなんてごくごく普通の「ちょっと化粧が派手目な奥さん」って感じですが、まさに「悪魔メーク」。そのまま聖鬼魔IIと一緒にライブやって欲しい感じでした(爆笑)。
この人は、田舎からやってきた純真な女の子を格安で泊めてあげる替わりに、身寄りがないことが判った子はとっとと香港だかどこだかへ売り飛ばすという特別ルートの持ち主。
お父さんが亡くなって身寄りが亡くなった子を$400で売り飛ばすところから話が始まります。
樹里さん扮するドロシーは、そんなホテル・プリシラにうっかり迷い込んできた、「世間知らずな田舎のお嬢さん」。ただし女優志望。
これまた、1920年代だけど最先端ではなく少しクラシカルな、膝が隠れるスカートでに身を包んで、イライザみたいな(←意味不不明)縦ロール…
初日は登場しただけで爆笑だったそうですね(^o^)。
私が観た日はそんなこともなくて、私は一人で笑いをこらえるのに必死でした(大笑)。
でも今回、一番驚いたのはその扮装ではなく(←当たり前だ)、その、声。
先月のミュージカル・ガラ・コンサートからわずか一ヶ月半。
たったそれだけで、あんなに劇的に声が変わるとは!
あの時、出ることは出たけどあんなに不安定だった頭声が、信じられないほど見事に響いてくれて。ちょっと厚みのあるメゾの声。
岡幸二郎さんとのデュエットなんてもう最高でした!!いつまでも聴いていたかった(涙)。
その岡さんは、リカさんミリーに面接『される』ハンサムな社長さん。
ミリーはすっかり「私の婚約者」扱いされるのですが、全く気が付かない鈍感な仕事中毒。
ちょっと意外なキャラクターで、ラストも意外なところに落ち着くのですが。
ネタバレは後に取っておいて。
とりあえずは、岡さんのクラシカルな美声を、久しぶりなくらいうっとりと堪能できますよとだけ書いておきます♪
…っていうか、あのキャラは私の一番好きな“岡幸二郎”だったりします(幸)。
対する川崎麻世さんは。
ちょっとうさんくさい、神出鬼没のフリーター(?)青年。
実は大歌手のマジー(今陽子)と親しかったり、ドロシーとも以前からの知り合いっぽかったり、と謎の多い男ですが、とりあえず2枚目で、でも社長(ボス)じゃないからミリーの恋の対象にはならない。
そんな存在。
私は麻世さんってレ・ミゼラブルのジャベールを観るまであまり良い印象を持っていなかったのですが。
ジャベールは良かったんですよね、切れ者で。歌も、声が合っていて良かったですし。
その後も何度か拝見していますが、良い俳優さんだなーと思って観てきました。
そして、今回。
すっげー、かっこよかったです♪(^ ^)
なんというか、あの“うさんくささ”がいいんですよ!
まっとうな「美青年」ではない(もうそういうお年でもありませんし)、ちょっと嘘のある、でも誠実な役柄が、とってもよくお似合いで。
背中がイロっぽくて、リカさんとのバランスも良くて。
久々の麻世さんでしたが、とってもステキでした♪
まぁ、濃い人だらけのこのキャストの中で、リカさんのミリーと麻世さんのジミーだけが「まとも」な人生を歩もうとしている人間なので。
どうしても印象としてはミセス・ミアースとか樹里ちゃんのドロシーとか岡さんの社長とかが目立ってしまうのですが…
やっぱり、「まとも」な二人を主役にしないと話がまとまらないんですよね。
そして、「おかしな」人に囲まれた「まとも」な主役を演じるには、よほど圧倒的な「華」ないと本当に無理なんですね…。
ミセス・ミアースにしても、ドロシーにしても、社長にしても、キャラクターがものすごーく立っているだけに「見せ場」もはっきりしていて、そこで全てを持って行けるのですが。
ミリーとジミーは、それなりに見せ場はたくさんあるけれども、キャラクターがそこまで強烈ではないので、「全てをかっ浚う」感じにはならないんです。
でも、リカさんも麻世さんも、さすがに大劇場の座長を務めて来た人は違うな、という華がありましたね。
素直に凄い、と思いました。
2幕のリカさんのソロは、音域がちょっと合わないんで苦戦していらっしゃいましたが。
うーん、舶来ミュージカルは音域に自分を合わせないといけないので苦しいところですよね…。もうちょっとなので、がんばってほしいです!
あと、元劇団四季の誇るおじさん俳優、青山明さんが、ミセス・ミアースの悪事の手伝いをさせられている中国人の役で出演されていて。
彼が、最後の最後にすべてをさらっていってくれました。
四季を退団後初めて拝見しましたが、本当に良い味だしてくれて嬉しいです!
青山さんの弟役の西原純さんは、私は過去、一度だけストレートプレイで拝見したことがありますが、こんなに歌える方だとは露ほども思わず…!びっくりしました。
また兄弟そろって中国語のお上手なこと!青山さんは四季の中国公演とかにも行っていらっしゃるはずですが、西原さんはなんであんなに巧いんでしょうか。最初は(日本語全く話さない役なので)中国人キャストかと思いました(汗)。
中国服と帽子がメチャクチャお似合いで、小柄なのに動きのキレがよくて、相手役さんとのバランスも最高で(爆)、ホント良かったです。次の出演が楽しみ♪
ちなみに、27日の夜公演は、終了後に麻世さんと樹里ちゃんのトークショーがあるそうです。ご興味のある方は、ぜひ♪観てみてくださいませ♪後悔はさせませんぜ♪
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今日は、日生劇場「ジキル&ハイド」の初日。
そして明日は、東京宝塚劇場花組公演と、東京芸術劇場「心中・恋の大和路」の初日。
…毎日どこかの劇場が初日を迎え、
どこかの劇場が千秋楽を迎え、
そして
どの劇場でも、観客は泣いて、笑って、みんなきっと、楽しんでいる。
ステキな、夢です。
時代は変わりましたねー。
昔は、まぁ「お芝居」はイロイロやっていたのかもしれませんが、「音楽劇」に類するものなんて宝塚が0〜1本、劇団四季が1〜2本、そしてそれ以外に1本か2本。合計4本もやっていたら「多いわね」くらいなもんだったのに。
今は、東京近郊だけで劇団四季が3〜4本、宝塚が1〜2本、それ以外が2〜5本。下手すると10本以上同時に走っていたりする時代ですものね。
それだけ観客層が増大して、観劇が「普通の娯楽」になったんだなあ、と思うと感慨深いです。
…私の回りはまだまだ時代遅れのようで、一つの作品を3回以上観ると言ったら変人扱いされましたが…(涙)。
宝塚も、せめて日本語としてまとも かどうかくらいは吟味してからイタに載せてほしいものです(懇願)。
もとい。
今回の日生「ジキル&ハイド」には、宝塚OGが3人出演されています。
真木めぐみさん、秋園美緒さん、岡本茜(神月茜)さん。
多分3人ともアンサンブル(メインは娼婦)だと思うのですが、この作品は音楽的に「アンサンブルが主役」の作品なので、がんばってほしいな〜!
スティーブンソンの傑作ホラー小説を、「スクルージ」「ヴィクター/ヴィクトリア」のレスリー・ブリカスが脚色し、
フランク・ワイルドホーンが作曲したブロードウェイ・ミュージカル「Jekyl & Hyde」。
「Never Say Good-bye」の作曲家として宝塚ファンにも名前を知られたワイルドホーンの、これが出世作。
私が初めてワイルドホーンを知ったのも、「jekyl&Hyde」でした。
フランク・ワイルドホーン。
私は本当にこの人の音楽が大好きです。
20世紀の世界は、たくさんの作曲家を生み出しました。
その中でも、私が“とりあえず”作曲家の名前「だけ」で観劇を決める作曲家は。
「レ・ミゼラブル」のシェーンベルク、「オペラ座の怪人」のウェッバー、「エリザベート」のリーヴァイ、そして、「ジキル&ハイド」のワイルドホーンの4人。
…多分、実際にはもっといると思いますけど。「香港ラプソディ」のディック・リーも、新作作ったら絶対観に行くだろうし。
でも、なんていうか。この4人は、私の中では別格、なのです。
そんな中でも、ワイルドホーンは本当に別格。
この人だけです。CDを聴いただけで嵌ったのは。(他の方は皆、舞台を観て嵌ったので)
音楽のカッコ良さ、力強さ。
甘美なとしか言いようのないメロディライン。
エロティックなコード進行。
どこかの怪しげな宗教団体と組んだら、あっという間に世界を制覇してしまいそうな、ありえない求心力。
名曲「This is the Moment」だけじゃないんです。
他にも名曲だらけ。
そして、一番素晴らしいのはアンサンブルのナンバー!とにかくワイルドホーンは、コーラスがカッコイイ!!コード進行なんかもすごく特別なんですよね。聴いていると本当に引き込まれてしまうんです。
日本版の初演では、メインキャストが軒並み歌唱面でコケる中、林アキラさんたちを中心とするアンサンブルのコーラスで作品を支えていました。ブロードウェイよりも日本の方がアンサンブルのレベルはずっと上だ、と言われていたのを覚えています(私も全く同感です)。
一幕で市民たちが辛い現実を嘆く「Facade」、2幕冒頭で殺人事件に怯えて騒ぐロンドン市民たちの「Murder, Murder」。この2曲を最大限に楽しむなら、2階席センターがお勧めです。コストパフォーマンスもいいですしね♪
気が狂った父(…アルツハイマーなのか、別の理由なのか?)に正気を取り戻させるため、人間の精神を作り替える薬、人間の心の「善と悪を分離」する薬を作ったヘンリー・ジキル。
そして、彼に絡む女性が二人。
貴族の娘で、ジキルと強い愛情で結ばれた婚約者エマ。
パブでジキルと出会って恋をし、ハイドとも惹かれ合う娼婦ルーシィ。
この物語は、この3人にジキルの親友アターソン、エマの父親にしてジキルの理解者であるダンヴァース卿を加えた5人を中心に進みます。
ジキルは、表面上は「この上もなくお堅い」優等生だった、という設定もありですが、「尊大で傲慢で、人を人とも思わない、自分を恃むこと大な、早熟の天才タイプ」というのもありなんですよね。
前者であれば、「優等生」の部分はエマを求め、その裏で抑圧された別人格が薬をきっかけに表に出て、ルーシィを求める、という関係になりますし、
後者であれば、「尊大さの陰に隠れた優しい青年」的な部分がエマを求め、薬をきっかけに「良心」と切り離された表人格(尊大な天才児)が暴走する話、ということになります。
ブロードウェイで観た時は、前者だと思ったのですが…(英語には弱いので台詞はわかりませんでしたが、なんとなく)、少なくとも日本版は、鹿賀さんの演技としても後者の方針で作っているのではないかと思います。(アターソンの台詞に「僕は君の数少ない友人の一人なんだよ」というのがありますし)
まぁ、どちらの設定でもエマはジキルを愛するだけな(ハイドの存在は最後まで知らない)ので、キャラクターもあまり変わりませんが、ジキルとハイド、両方に関わるルーシィは結構違うはずなんですよね…。
私がブロードウェイで観たルーシィ(以前TVで放送された時のルーシィ役)は、若くてものすごい美人でした。
不幸な境遇の中でけなげに生きている、というか、何をどうすれば自分が救われるのかさっぱり解らず、回りの人間の一挙手一投足に怯えて生きている子猫のような存在。
ジキルに憧れて、憧れて、でも、王子さまには手が届かなくて。
ただひたすら、星に手を伸ばすように夢見るばかりで。
最初から諦めている。
ハイドとはただ客と娼婦の関係で、お金を貰うためには仕方がないと思っているだけ。ハイドには惹かれないルーシィ。
厭で厭でたまらないのに、逃げられない現実。
だから、初めてジキルに振り向いてもらった(と思う)「A New Life」は、文字通り「人生これから!やり直すのよあたし!」的な、圧倒的な喜びに溢れていたんですよね…。
でも、日本版では。
マルシア、という、ちょっと日本語に不自由な歌手がキャスティングされているせいもありますが。
なんとなく、アジアの片隅から密入国船で入ってきて10年たった、そんな雰囲気で観てしまうのです。
(香寿さんになったらまた違うのでしょうね。楽しみです!)
どん底の店で、古株(売れっ子?)として君臨するルーシィにととって、「自分に興味を示さない」男というのがそもそも初めてだったんじゃないかと思います。
踊っていても性的な目では見ていない。
(実際には、ジキルは自分の研究のことで頭がいっぱいなだけなのですが)
だから、誘いをかけてみる。
水を向ける。「私で試してみない?」
その呪文で、ジキルは気づいてしまう。
そうだ。実験台なんかいらないじゃないか。自分で薬を呑んでみればいいんだ!!
そんな思いつきで頭がいっぱいになったジキルには、女のことなどほとんど残っちゃいなかったのでしょう。
そして。
ジキルは自分の研究室に戻り、呑んではいけない薬を口にする。
自分が失敗するわけがないと思っているから。
「自分が作ったものに間違いはない」
謙虚さのかけらもなく。
「頭の固い爺ぃ婆ぁが、なぜ自分の邪魔をするのか」、
「単に自分の才能に嫉妬しているだけに違いない!」
そんな思いこみ。
過剰な自信。それが、神の領域に踏み込む動機になる。
心の奥底で、良心は叫んでいたはずなのに。
『ヤバいよ、それは。やめておけよ。エマに相談してみろよ…』
それとも、呟いただけだったのか。
呟いただけでは、尊大な魂には伝わらないのに。
そして彼は、薬を口にする。
怪しげな蛍光レッドの液体を、一気に飲み干す。
『良心』から切り離され、『自由』を得た主人格。
心の赴くまま、誰に邪魔されることもなく街へ出てルーシィと出会う。
自分(ジキル)に実験を示唆した娼婦。
気の強い女。
でも、憐れみをほしがっている。
自分の纏う血の匂いに怯えている。
もっと。
もっとこの女を傷つけたら。
…ジキルは悲しむだろうか?
ジキルが悲しむことが俺は愉しい、
そんな嗜虐の気持。
そして、ルーシィ側にもそれ(虐待)を受け入れる素地がある。
被虐の快感。一度はまったら抜けられない地獄の穴に、落ちてしまったルーシィ。
そのくらいの、刺激的な関係。
それに比べて、ルーシィのジキルへの恋心は、相手をちゃんと見ていない幻想の恋。ある意味、とっても闇雲な恋です。
でも、諦めているわけじゃない。必ず手は届く、と信じている。
「A New Life」を聴きながら、思い浮かぶのは「ジキルのいる風景」。ルーシィは、ジキルとはじめる新生活を信じて疑わないんだと思ったのです。そして、そう思った自分に吃驚しました。CDでも、ブロードウェイでも、…そんなふうに思ったことは、なかったから…。
今回の公演では、どんな設定に見えるのでしょうか。
自分でもとても楽しみです。
なるべく白紙で観たいと思っております♪
2幕のハイドとルーシィのエロティックなナンバー、「Dangerous Game」。
実は、この作品の中でも一番好きな音楽だったりもするのですが。
ルーシィが応じて、自らハイドを求めるか、それともひたすら嫌がって逃げるか。
同じ歌でも、全然違う場面が作れる曲ですから。
どんなふうに演出されて、どんなふうに演じられるのか。
本当に、とっっっても楽しみです!
・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
宝塚で上演するとしたら(あり得ないけど)、娘役トップは絶対!エマ、なんですよね。
ルーシィは、専科時代の檀ちゃんとかあすかちゃんみたいな、主役もはれるけど『娘役トップ』ではない人がやる役。
役の印象としてはルーシィの方が濃いので、2番手娘役がやるわけにはいかない役なんですよね…。
うーん。ジキル/ハイド役は、主役であることをさっぴいても、どうしたって自分の贔屓にやってもらいたい役。
なので、あえて名前を挙げるのは避けますが。
ブロードウェイのプレイビルには「Young Smart Doctor」と書かれていたので、そういう人にやっていただきたいです(笑)。
話はいきなり吹っ飛びますが。
スティーブンソンが「ジキル博士とハイド氏の不思議な事件」を発表したのは、1886年のこと。
例の、「3回目の」パリ万博の3年前。
…ちょうど、アルマンドとジョルジュがパリに着いた頃の出来事なんですね♪(←違うからそれは)
.
そして明日は、東京宝塚劇場花組公演と、東京芸術劇場「心中・恋の大和路」の初日。
…毎日どこかの劇場が初日を迎え、
どこかの劇場が千秋楽を迎え、
そして
どの劇場でも、観客は泣いて、笑って、みんなきっと、楽しんでいる。
ステキな、夢です。
時代は変わりましたねー。
昔は、まぁ「お芝居」はイロイロやっていたのかもしれませんが、「音楽劇」に類するものなんて宝塚が0〜1本、劇団四季が1〜2本、そしてそれ以外に1本か2本。合計4本もやっていたら「多いわね」くらいなもんだったのに。
今は、東京近郊だけで劇団四季が3〜4本、宝塚が1〜2本、それ以外が2〜5本。下手すると10本以上同時に走っていたりする時代ですものね。
それだけ観客層が増大して、観劇が「普通の娯楽」になったんだなあ、と思うと感慨深いです。
…私の回りはまだまだ時代遅れのようで、一つの作品を3回以上観ると言ったら変人扱いされましたが…(涙)。
宝塚も、せめて日本語としてまとも かどうかくらいは吟味してからイタに載せてほしいものです(懇願)。
もとい。
今回の日生「ジキル&ハイド」には、宝塚OGが3人出演されています。
真木めぐみさん、秋園美緒さん、岡本茜(神月茜)さん。
多分3人ともアンサンブル(メインは娼婦)だと思うのですが、この作品は音楽的に「アンサンブルが主役」の作品なので、がんばってほしいな〜!
スティーブンソンの傑作ホラー小説を、「スクルージ」「ヴィクター/ヴィクトリア」のレスリー・ブリカスが脚色し、
フランク・ワイルドホーンが作曲したブロードウェイ・ミュージカル「Jekyl & Hyde」。
「Never Say Good-bye」の作曲家として宝塚ファンにも名前を知られたワイルドホーンの、これが出世作。
私が初めてワイルドホーンを知ったのも、「jekyl&Hyde」でした。
フランク・ワイルドホーン。
私は本当にこの人の音楽が大好きです。
20世紀の世界は、たくさんの作曲家を生み出しました。
その中でも、私が“とりあえず”作曲家の名前「だけ」で観劇を決める作曲家は。
「レ・ミゼラブル」のシェーンベルク、「オペラ座の怪人」のウェッバー、「エリザベート」のリーヴァイ、そして、「ジキル&ハイド」のワイルドホーンの4人。
…多分、実際にはもっといると思いますけど。「香港ラプソディ」のディック・リーも、新作作ったら絶対観に行くだろうし。
でも、なんていうか。この4人は、私の中では別格、なのです。
そんな中でも、ワイルドホーンは本当に別格。
この人だけです。CDを聴いただけで嵌ったのは。(他の方は皆、舞台を観て嵌ったので)
音楽のカッコ良さ、力強さ。
甘美なとしか言いようのないメロディライン。
エロティックなコード進行。
どこかの怪しげな宗教団体と組んだら、あっという間に世界を制覇してしまいそうな、ありえない求心力。
名曲「This is the Moment」だけじゃないんです。
他にも名曲だらけ。
そして、一番素晴らしいのはアンサンブルのナンバー!とにかくワイルドホーンは、コーラスがカッコイイ!!コード進行なんかもすごく特別なんですよね。聴いていると本当に引き込まれてしまうんです。
日本版の初演では、メインキャストが軒並み歌唱面でコケる中、林アキラさんたちを中心とするアンサンブルのコーラスで作品を支えていました。ブロードウェイよりも日本の方がアンサンブルのレベルはずっと上だ、と言われていたのを覚えています(私も全く同感です)。
一幕で市民たちが辛い現実を嘆く「Facade」、2幕冒頭で殺人事件に怯えて騒ぐロンドン市民たちの「Murder, Murder」。この2曲を最大限に楽しむなら、2階席センターがお勧めです。コストパフォーマンスもいいですしね♪
気が狂った父(…アルツハイマーなのか、別の理由なのか?)に正気を取り戻させるため、人間の精神を作り替える薬、人間の心の「善と悪を分離」する薬を作ったヘンリー・ジキル。
そして、彼に絡む女性が二人。
貴族の娘で、ジキルと強い愛情で結ばれた婚約者エマ。
パブでジキルと出会って恋をし、ハイドとも惹かれ合う娼婦ルーシィ。
この物語は、この3人にジキルの親友アターソン、エマの父親にしてジキルの理解者であるダンヴァース卿を加えた5人を中心に進みます。
ジキルは、表面上は「この上もなくお堅い」優等生だった、という設定もありですが、「尊大で傲慢で、人を人とも思わない、自分を恃むこと大な、早熟の天才タイプ」というのもありなんですよね。
前者であれば、「優等生」の部分はエマを求め、その裏で抑圧された別人格が薬をきっかけに表に出て、ルーシィを求める、という関係になりますし、
後者であれば、「尊大さの陰に隠れた優しい青年」的な部分がエマを求め、薬をきっかけに「良心」と切り離された表人格(尊大な天才児)が暴走する話、ということになります。
ブロードウェイで観た時は、前者だと思ったのですが…(英語には弱いので台詞はわかりませんでしたが、なんとなく)、少なくとも日本版は、鹿賀さんの演技としても後者の方針で作っているのではないかと思います。(アターソンの台詞に「僕は君の数少ない友人の一人なんだよ」というのがありますし)
まぁ、どちらの設定でもエマはジキルを愛するだけな(ハイドの存在は最後まで知らない)ので、キャラクターもあまり変わりませんが、ジキルとハイド、両方に関わるルーシィは結構違うはずなんですよね…。
私がブロードウェイで観たルーシィ(以前TVで放送された時のルーシィ役)は、若くてものすごい美人でした。
不幸な境遇の中でけなげに生きている、というか、何をどうすれば自分が救われるのかさっぱり解らず、回りの人間の一挙手一投足に怯えて生きている子猫のような存在。
ジキルに憧れて、憧れて、でも、王子さまには手が届かなくて。
ただひたすら、星に手を伸ばすように夢見るばかりで。
最初から諦めている。
ハイドとはただ客と娼婦の関係で、お金を貰うためには仕方がないと思っているだけ。ハイドには惹かれないルーシィ。
厭で厭でたまらないのに、逃げられない現実。
だから、初めてジキルに振り向いてもらった(と思う)「A New Life」は、文字通り「人生これから!やり直すのよあたし!」的な、圧倒的な喜びに溢れていたんですよね…。
でも、日本版では。
マルシア、という、ちょっと日本語に不自由な歌手がキャスティングされているせいもありますが。
なんとなく、アジアの片隅から密入国船で入ってきて10年たった、そんな雰囲気で観てしまうのです。
(香寿さんになったらまた違うのでしょうね。楽しみです!)
どん底の店で、古株(売れっ子?)として君臨するルーシィにととって、「自分に興味を示さない」男というのがそもそも初めてだったんじゃないかと思います。
踊っていても性的な目では見ていない。
(実際には、ジキルは自分の研究のことで頭がいっぱいなだけなのですが)
だから、誘いをかけてみる。
水を向ける。「私で試してみない?」
その呪文で、ジキルは気づいてしまう。
そうだ。実験台なんかいらないじゃないか。自分で薬を呑んでみればいいんだ!!
そんな思いつきで頭がいっぱいになったジキルには、女のことなどほとんど残っちゃいなかったのでしょう。
そして。
ジキルは自分の研究室に戻り、呑んではいけない薬を口にする。
自分が失敗するわけがないと思っているから。
「自分が作ったものに間違いはない」
謙虚さのかけらもなく。
「頭の固い爺ぃ婆ぁが、なぜ自分の邪魔をするのか」、
「単に自分の才能に嫉妬しているだけに違いない!」
そんな思いこみ。
過剰な自信。それが、神の領域に踏み込む動機になる。
心の奥底で、良心は叫んでいたはずなのに。
『ヤバいよ、それは。やめておけよ。エマに相談してみろよ…』
それとも、呟いただけだったのか。
呟いただけでは、尊大な魂には伝わらないのに。
そして彼は、薬を口にする。
怪しげな蛍光レッドの液体を、一気に飲み干す。
『良心』から切り離され、『自由』を得た主人格。
心の赴くまま、誰に邪魔されることもなく街へ出てルーシィと出会う。
自分(ジキル)に実験を示唆した娼婦。
気の強い女。
でも、憐れみをほしがっている。
自分の纏う血の匂いに怯えている。
もっと。
もっとこの女を傷つけたら。
…ジキルは悲しむだろうか?
ジキルが悲しむことが俺は愉しい、
そんな嗜虐の気持。
そして、ルーシィ側にもそれ(虐待)を受け入れる素地がある。
被虐の快感。一度はまったら抜けられない地獄の穴に、落ちてしまったルーシィ。
そのくらいの、刺激的な関係。
それに比べて、ルーシィのジキルへの恋心は、相手をちゃんと見ていない幻想の恋。ある意味、とっても闇雲な恋です。
でも、諦めているわけじゃない。必ず手は届く、と信じている。
「A New Life」を聴きながら、思い浮かぶのは「ジキルのいる風景」。ルーシィは、ジキルとはじめる新生活を信じて疑わないんだと思ったのです。そして、そう思った自分に吃驚しました。CDでも、ブロードウェイでも、…そんなふうに思ったことは、なかったから…。
今回の公演では、どんな設定に見えるのでしょうか。
自分でもとても楽しみです。
なるべく白紙で観たいと思っております♪
2幕のハイドとルーシィのエロティックなナンバー、「Dangerous Game」。
実は、この作品の中でも一番好きな音楽だったりもするのですが。
ルーシィが応じて、自らハイドを求めるか、それともひたすら嫌がって逃げるか。
同じ歌でも、全然違う場面が作れる曲ですから。
どんなふうに演出されて、どんなふうに演じられるのか。
本当に、とっっっても楽しみです!
・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
宝塚で上演するとしたら(あり得ないけど)、娘役トップは絶対!エマ、なんですよね。
ルーシィは、専科時代の檀ちゃんとかあすかちゃんみたいな、主役もはれるけど『娘役トップ』ではない人がやる役。
役の印象としてはルーシィの方が濃いので、2番手娘役がやるわけにはいかない役なんですよね…。
うーん。ジキル/ハイド役は、主役であることをさっぴいても、どうしたって自分の贔屓にやってもらいたい役。
なので、あえて名前を挙げるのは避けますが。
ブロードウェイのプレイビルには「Young Smart Doctor」と書かれていたので、そういう人にやっていただきたいです(笑)。
話はいきなり吹っ飛びますが。
スティーブンソンが「ジキル博士とハイド氏の不思議な事件」を発表したのは、1886年のこと。
例の、「3回目の」パリ万博の3年前。
…ちょうど、アルマンドとジョルジュがパリに着いた頃の出来事なんですね♪(←違うからそれは)
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「SHOCK」、そして「朧の森に棲む鬼」
2007年4月4日 ミュージカル・舞台 コメント (5)年度末が過ぎて、ここ数日は年度末に積み残した仕事を片づけるのに必死になっています。
「年度末なので、今はちょっと待って下さい」と言い続けた日々はなんだったんだ>自分。結局一年中忙しいってぇのは、やっぱり要領が悪いんでしょうか…(涙)。
さて。
月組東京公演が終わって、ふと気が付けば。
2月に観た公演で、感想を書いていない作品が2つもありました。
ジャニーズの「SHOCK」(主演:堂本光一)と、松竹&劇団☆新感線の「朧の森に棲む鬼」(主演:市川染五郎)。
まずは、「SHOCK」。
樹里ちゃんが出演して以来ですから、5年…(?)ぶりの「SHOCK」。
私、あの公演で「KAT-TUN」を初めて知って、某Tくんに惚れ込んだんですよね…。長身でジャニーズの中ではスタイル抜群の彼は、絶対映像よりも舞台の方が映えるのに、なんで映像ばっかりなんでしょうか…売り方間違ってるよジャニーさん!それこそ、この「SHOCK」に出させてもらえれば少しは知名度も上がるでしょうに。
…なーんて思いながら、斗真くんのかっこよさにくらくらしてしまいました。
(ごめんねTくん)
光一さんはさすがですね。
かっこいい、ってだけじゃなく、エンターテイナーとして超一流。
作品的にも、6年前は「パリの空よりも高く」の10倍くらい突っ込みどころ満載のステキ脚本だった(というか、ストーリーと呼べるものではなかった)のに、数年のうちにすっかり進化して、今回のは「パリの空よりも高く」よりよっぽどマトモなストーリーなんじゃないの!?って感じでした。
…宝塚ファンとしては、かなり…痛い現実だわ…(涙)。
もとい。
今回、光一さんの回りは生田斗真くんとMAの4人で集中して固めていたので、それ以下の若手を覚える余地はなかったです。楽しみにしてたのに、残念。
MAは、ミュージカルもイロイロ出ていることもあって一番「舞台慣れ」してましたね。錦織さんや光一さんが可愛がるのも解る気がします。テレビに、コンサートに、そして舞台に、忙しいでしょうけれども、一番充実した時期だと思うので、ぜひがんばって、そして楽しんで毎日を過ごしてほしいです★
「朧の森に棲む鬼」。
相変わらず、新感線の作品は痛い。
心にむず痒い傷が残るの。
いつまでもうずいて、掻きむしりたくなってしまうほどに。
「感想」を言葉に直す作業がとても難しくて、今までほっぽらってしまったのですが。
そして、今に至ってもまだ、「言葉」が落ち着かなくて、何も書くべきことが見つからないままですが。
…みんな良い仕事してました。
脚本家も、演出家も、各スタッフも、キャストも。
特に装置が良かったです。虚仮威しチックだけど、すごくかっこよかった。本水も意義のある使い方されてると良いもんだなあ…
なんだか、うらやましいです。
プロが「良い仕事」をするのは当たり前ので、
観客は出来上がったものを美味しく戴けばいいはずで、
プロが作るモノなんだから、美味しいのが当たり前で。
でも、そうは言っても美味しいモノは案外と難しいらしいから、「あ、美味しい」と思ったら、素直にそう言えばいいのだけれども。
…普段「あれっ?」っていうものを食べ慣れているので、ついつい
「これが美味しいのは何故なのか」を追求したくなってしまうのですが…
追求しはじめると止まらないので、なるべく簡単にいきたいと思います。
市川染五郎も、阿部サダヲも、古田新太も、みんなよかった!
儲け役は文句なし阿部サダヲさんかな。
古田さんもおいしかったけど♪
でも、なんといってもこの作品の立役者は染五郎。
染さんと言えば、なんとなく昔、アマデウスをやっていた頃の「ぼんぼん♪」なイメージがあったのですが。
いつの間にこんなにハードな役が演じきれる役者になったのでしょうか。酷い男なの。傍若無人で、冷酷で、残忍で…なのに、圧倒的に魅力的。そんな「男」を。
どうせ染さんだしなー、観たいけどどうしようかなー、なんぞと考えていた自分を許してください。素晴らしかったです。
今回のお目当てだった秋山菜津子さん。
文句なく格好良かった〜!!(うっとり)。
私は菜津子さんという役者自身が大好きだし、新感線とコラボしている菜津子さんは最高にステキだと思うのです☆
高田聖子さんも文句なしです。
女の厭らしさとうとましさを完璧に表現してらした。素晴らしい!シキブが嫌われてこそ、あの話が成り立つんですよね…。本当にさすがです。
はじめまして、だった(多分)真木よう子さん。
凄い声ですね。菜津子さんも相当の美声(低音)ですが、真木さんも素晴らしい!
最初男役OGかと思ったんですよね。声低いし、スタイルも凄いし。知らない人だけど、OGさんなのかな、と。
どうやら違うようですが、この人が宝塚に入っていたら私はファンになったでしょう。…きっとね(笑)。
とにかく、ナニをドウ書けばいいのか解らないので内容については省略しますが(いまさらだしね)。
おねがいがあります。
中島さん、宝塚のために脚本書いてくださいませんか。
いのうえさん、宝塚の演出をお願いしたいんですけどどうですか…?
血まみれで極悪な「朧…」は難しいとは思いますが。
ぜひ「SHIROH」を〜〜!!! (←結局それかいっ)
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「年度末なので、今はちょっと待って下さい」と言い続けた日々はなんだったんだ>自分。結局一年中忙しいってぇのは、やっぱり要領が悪いんでしょうか…(涙)。
さて。
月組東京公演が終わって、ふと気が付けば。
2月に観た公演で、感想を書いていない作品が2つもありました。
ジャニーズの「SHOCK」(主演:堂本光一)と、松竹&劇団☆新感線の「朧の森に棲む鬼」(主演:市川染五郎)。
まずは、「SHOCK」。
樹里ちゃんが出演して以来ですから、5年…(?)ぶりの「SHOCK」。
私、あの公演で「KAT-TUN」を初めて知って、某Tくんに惚れ込んだんですよね…。長身でジャニーズの中ではスタイル抜群の彼は、絶対映像よりも舞台の方が映えるのに、なんで映像ばっかりなんでしょうか…売り方間違ってるよジャニーさん!それこそ、この「SHOCK」に出させてもらえれば少しは知名度も上がるでしょうに。
…なーんて思いながら、斗真くんのかっこよさにくらくらしてしまいました。
(ごめんねTくん)
光一さんはさすがですね。
かっこいい、ってだけじゃなく、エンターテイナーとして超一流。
作品的にも、6年前は「パリの空よりも高く」の10倍くらい突っ込みどころ満載のステキ脚本だった(というか、ストーリーと呼べるものではなかった)のに、数年のうちにすっかり進化して、今回のは「パリの空よりも高く」よりよっぽどマトモなストーリーなんじゃないの!?って感じでした。
…宝塚ファンとしては、かなり…痛い現実だわ…(涙)。
もとい。
今回、光一さんの回りは生田斗真くんとMAの4人で集中して固めていたので、それ以下の若手を覚える余地はなかったです。楽しみにしてたのに、残念。
MAは、ミュージカルもイロイロ出ていることもあって一番「舞台慣れ」してましたね。錦織さんや光一さんが可愛がるのも解る気がします。テレビに、コンサートに、そして舞台に、忙しいでしょうけれども、一番充実した時期だと思うので、ぜひがんばって、そして楽しんで毎日を過ごしてほしいです★
「朧の森に棲む鬼」。
相変わらず、新感線の作品は痛い。
心にむず痒い傷が残るの。
いつまでもうずいて、掻きむしりたくなってしまうほどに。
「感想」を言葉に直す作業がとても難しくて、今までほっぽらってしまったのですが。
そして、今に至ってもまだ、「言葉」が落ち着かなくて、何も書くべきことが見つからないままですが。
…みんな良い仕事してました。
脚本家も、演出家も、各スタッフも、キャストも。
特に装置が良かったです。虚仮威しチックだけど、すごくかっこよかった。本水も意義のある使い方されてると良いもんだなあ…
なんだか、うらやましいです。
プロが「良い仕事」をするのは当たり前ので、
観客は出来上がったものを美味しく戴けばいいはずで、
プロが作るモノなんだから、美味しいのが当たり前で。
でも、そうは言っても美味しいモノは案外と難しいらしいから、「あ、美味しい」と思ったら、素直にそう言えばいいのだけれども。
…普段「あれっ?」っていうものを食べ慣れているので、ついつい
「これが美味しいのは何故なのか」を追求したくなってしまうのですが…
追求しはじめると止まらないので、なるべく簡単にいきたいと思います。
市川染五郎も、阿部サダヲも、古田新太も、みんなよかった!
儲け役は文句なし阿部サダヲさんかな。
古田さんもおいしかったけど♪
でも、なんといってもこの作品の立役者は染五郎。
染さんと言えば、なんとなく昔、アマデウスをやっていた頃の「ぼんぼん♪」なイメージがあったのですが。
いつの間にこんなにハードな役が演じきれる役者になったのでしょうか。酷い男なの。傍若無人で、冷酷で、残忍で…なのに、圧倒的に魅力的。そんな「男」を。
どうせ染さんだしなー、観たいけどどうしようかなー、なんぞと考えていた自分を許してください。素晴らしかったです。
今回のお目当てだった秋山菜津子さん。
文句なく格好良かった〜!!(うっとり)。
私は菜津子さんという役者自身が大好きだし、新感線とコラボしている菜津子さんは最高にステキだと思うのです☆
高田聖子さんも文句なしです。
女の厭らしさとうとましさを完璧に表現してらした。素晴らしい!シキブが嫌われてこそ、あの話が成り立つんですよね…。本当にさすがです。
はじめまして、だった(多分)真木よう子さん。
凄い声ですね。菜津子さんも相当の美声(低音)ですが、真木さんも素晴らしい!
最初男役OGかと思ったんですよね。声低いし、スタイルも凄いし。知らない人だけど、OGさんなのかな、と。
どうやら違うようですが、この人が宝塚に入っていたら私はファンになったでしょう。…きっとね(笑)。
とにかく、ナニをドウ書けばいいのか解らないので内容については省略しますが(いまさらだしね)。
おねがいがあります。
中島さん、宝塚のために脚本書いてくださいませんか。
いのうえさん、宝塚の演出をお願いしたいんですけどどうですか…?
血まみれで極悪な「朧…」は難しいとは思いますが。
ぜひ「SHIROH」を〜〜!!! (←結局それかいっ)
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ミュージカル・ガラ【終】
2007年3月28日 ミュージカル・舞台塩田明弘主催のミュージカル・ガラ・コンサートのレポート最終回♪
出演は樹里咲穂、泉見洋平、新妻聖子、吉野圭吾(登場順)。
前のレポートはこちら。
http://diarynote.jp/d/80646/20070317.html
男×男、女×女のデュエットが終わって、次は4人揃ってトークタイム。
これは盛り上がりましたねー。…主に吉野君を中心に。
いつも話題の中心にいる樹里さんは、今日はずいぶんと遠慮がちで、あの「オモロキャラ」を出してきませんでした。やっぱり初めて共演する方ばかりだし、出ているジャンルも違うしで、かなり緊張していたのでしょうか…。ちょっとだけ残念。
話題の一つ目は、「ミュージカルをはじめたきっかけ」。
樹里、泉見、新妻と3人がわりと常識的というか、(まぁ新妻さんの「『王様のブランチ』のレポーターから」という経歴は、知らない方には意外だったかもしれませんが…)経歴を知っていればある程度予想がつくような答えだった中で。
吉野くんだけが。
「近藤真彦さんのファンだったので、あんなふうに歌いたい!と思って」。
…マッチとミュージカル?何の関係が?
私の知らないところで(←多分たくさんある)なにかに出ていらっしゃったのでしょうか……?
吉野くんの経歴は知っていたつもりの私でしたが、「初舞台はジーザス・クライスト・スーパースター ジャポネスク版」のアンサンブル(白衣)と聞いてちょっとびっくり。
音楽座が最初だとばかり思っていました。違ったんだー。四季が先だったんですね。
四季が当時から今みたいなダンス重視の劇団だったら、全く違う俳優人生を歩いていたかもしれないってことか…。
次のお題は、「舞台での失敗や驚いたことは?」
泉見くんは、「ダンス・オブ・ヴァンパイア」の時に、肝心のシーンでヴァンパイアを殺すための杭と木槌が入った鞄があかなくて困った話。
市村正親さん扮する教授と助手アルフレートのコンビが、ヴァンパイア伯爵(?)の館で、昼間は眠っている伯爵を倒しに行くんだけど、教授は罠にかかって吊されてしまい、頼りな〜い助手が一生懸命杭を打とうとして、がんばって、がんばって………「でもできな〜い!」っていう場面だったと思うのですが。
あそこで鞄があかなかったのか…そりゃ焦るわ。
で、思いあまった泉見くん、靴でヴァンパイアの胸を踏みつけて、踏みつけて…「でもダメです〜!」って言ったそうなんですが。
その時に、「『くい』と『くつ』、一文字しか違わないからきっとなんとかなる!」と思った、とか。
もしもーし?
すかさず吉野さんが突っ込んでくださいました(笑)。
樹里ちゃんより早かった。すげはやっ!
新妻さんは、「マリー・アントワネット」で大階段の上に登場し、拳をふりあげてカッコヨク「あの女を断頭台に!(←多分)」と叫ぶ場面で、拳をふりあげた瞬間に後ろに落ちてしまった、と。
…大階段の上にかっこよく登場して、拳を振り上げた瞬間に消えた女。
ミステリーですね…。
吉野くんは、「レ・ミゼラブル」のバリケードが登場した時に、セットが完全にくっつかなくて困った、というお話を。
短縮版レ・ミゼラブルでは、完成したバリケードにアンジョルラス(吉野)が超かっこよく登場して「レーーーッド!♪」と歌い出すのですが。
なかなかセットがくっつかないので、そういう場合は効果音っぽいドラムをしばらく打ち続けて…という対処方法を、その場にいた指揮者の塩田さんが説明。
本来ならドドドドドド、ジャジャン、「レーーーッド!」と入るのですが、あの時は
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド…、ジャジャン「レーーッド(ちょっと急ぎ気味)」というのを二人で口三味線で再現してくださって、とても面白かったです。
…先週末に宝塚月組公演を観たのですが、ショーで車が出てくる場面で車が止まってしまい、ハケられないので大道具さんが片づける間ずーっと「ドドドドドッドドドドドド…」とドラムが続いていたことがあったので(笑)、対処法はどこも同じなんだなあと思いました(^o^)。
樹里さんは、宝塚の舞台セットは(豪華)で凄いんです、という話をした後、そのセット(電飾のセット)が倒れてきたことがあって、「逃げろ!」と言われて逃げた、というエピソードでした。
…何の公演だろう?笑いながら話していらっしゃいましたが、大きな事故にならなくて本当に良かったです…!
盛り上がったトークタイムが終わって、オケだけで「ミー&マイガール」メドレーをやった後、次は4人がそれぞれにソロを一曲。
吉野さんは、ギンギラギンにさりげないシルクハットを持って登場。歌はもちろん、シカネーダーのソロ(『モーツァルト!』)。
いやもう。さすがです。大好きです、吉野さんのシカネーダー。
彼は「歌」だけで勝負する必要のない役者ですね。歌とダンスの総合点、いえ、何よりも彼の強みは、キャラクターでの勝負。
本当に面白い役者になったなあ、と感慨しきりです。
確か次が樹里さんだったはず。『スウィート・チャリティ』よりチャリティのソロ、「If My Friends Could See Me Now」
(「友達はきっと言うわ、ありえない、嘘ね♪」って歌)
もう最高!でした。声がどうこう、歌がどうこうじゃなくて、最高。
昨年の「スウィート・チャリティ」、玉置成実さんも若いのに歌が上手くて可愛くて、決して悪くはなかったのですが。
チャリティという「莫迦だけどホントに可愛いオンナ」は、きっと、樹里さんみたいな、酸いも甘いも…を軽やかに演じられる女優が演じてこそ、痛くておかしい、おかしくて痛いストーリーになるんでしょうね、きっと。
樹里ちゃんチャリティで、全編通して観てみたいですねぇ。無理なことは解っていますけれども、でも。上演したら絶対通うのになあーーーーーっ。
次は泉見さん、『ダンス・オブ・ヴァンパイア』よりアルフレートのソロ、「Salah」。
彼の、「一曲」への入り込みようは本当に凄い!です。
最初の「空のテーブル、空の椅子」もそうでしたけど、時間も短いのによくあれだけ感情を爆発させなくてはならない歌が歌いきれるなあと感心しました。
根本的に声がいいのと、やっぱりこの役が好きだったんでしょうね。すごく良かったです。私が観たのは浦井くんのアルフレートだけなのですが、やっぱり泉見くんのも見るべきだったなあ…。
新妻さんは、名曲中の名曲「Memory」(『CATS』)。
結果的には、この曲がコンサートのトリになったと思います。
…トリだからこそ、誰もが知っている名曲をもってくる。それも、有りです。構成としては。
でも新妻さんには、最初の登場で「Memory」、ラストに「命をあげよう」を歌ってほしかったなあ。
新妻さんは、娼婦猫グリザベラを歌うのはまだ無理なんですよね。
だから、今回は幼い白猫シラバブの「Memory」。
それでも、元々が名曲ですし新妻さんくらいの美声の持ち主なら、コンサートで歌うくらい十分やれると思います。
だけど。
仮にも歌唱力自慢のミュージカル俳優が集まった「ガラ・コンサート」のトリを勤めるなら。
ミュージカルの歌は、あくまでも芝居歌なんですから。
やっぱり持ち歌が良いと思いました…。
それも含めて。
全体に構成の甘いショーだな、という印象でした。選曲も、衣装も、照明も。
伴奏なんてせっかく生オケなのに、すごーくもったいない使い方。
本当にサロン・コンサートのノリ。
でもサロン・コンサートにしては、会場にお客さんを詰め込みすぎでキツかったのが残念。
ちょっとしたディナーショークラスの金額を取るのに、会場の雰囲気がちょっと安っぽくなっちゃって…食事は美味しかったし、すごく不満というほどではないのですが。
あと、せっかく美声が4人揃ったんですから、「4人」で歌う曲を一曲用意してほしかったですねぇ。
まぁ男性が二人ともテナーなので選曲が難しいのですが…
ありがちなのは、「レ・ミゼラブル」から「OneDayMore」ですね。以前タナボタ企画でもやっていましたから、4人用に編曲するのはそんなに難しくないはず。
樹里さんだけ若干ジャンルが違うので、イチから勉強しないといけない上に、新妻さんがエポニーヌだから必然的にコゼット(!?)をやらなくてはいけなくって大変でしょうけれども。
ま、曲は何でもいいのですが。
「4人で」の曲を一曲聞きたかったです。
それが心残りです。
それでも。
吉野&泉見の「闇は広がる」、そして樹里咲穂の「チャリティ」を聴けたことでものすごーーーく満足しましたので。
次回が有れば、また参加したいと思います。
回を重ねるごとに内容も段々改良されていくでしょうから、これからが楽しみです!第三回のご案内をお待ちしておりまーーーす!>塩田さん
.
出演は樹里咲穂、泉見洋平、新妻聖子、吉野圭吾(登場順)。
前のレポートはこちら。
http://diarynote.jp/d/80646/20070317.html
男×男、女×女のデュエットが終わって、次は4人揃ってトークタイム。
これは盛り上がりましたねー。…主に吉野君を中心に。
いつも話題の中心にいる樹里さんは、今日はずいぶんと遠慮がちで、あの「オモロキャラ」を出してきませんでした。やっぱり初めて共演する方ばかりだし、出ているジャンルも違うしで、かなり緊張していたのでしょうか…。ちょっとだけ残念。
話題の一つ目は、「ミュージカルをはじめたきっかけ」。
樹里、泉見、新妻と3人がわりと常識的というか、(まぁ新妻さんの「『王様のブランチ』のレポーターから」という経歴は、知らない方には意外だったかもしれませんが…)経歴を知っていればある程度予想がつくような答えだった中で。
吉野くんだけが。
「近藤真彦さんのファンだったので、あんなふうに歌いたい!と思って」。
…マッチとミュージカル?何の関係が?
私の知らないところで(←多分たくさんある)なにかに出ていらっしゃったのでしょうか……?
吉野くんの経歴は知っていたつもりの私でしたが、「初舞台はジーザス・クライスト・スーパースター ジャポネスク版」のアンサンブル(白衣)と聞いてちょっとびっくり。
音楽座が最初だとばかり思っていました。違ったんだー。四季が先だったんですね。
四季が当時から今みたいなダンス重視の劇団だったら、全く違う俳優人生を歩いていたかもしれないってことか…。
次のお題は、「舞台での失敗や驚いたことは?」
泉見くんは、「ダンス・オブ・ヴァンパイア」の時に、肝心のシーンでヴァンパイアを殺すための杭と木槌が入った鞄があかなくて困った話。
市村正親さん扮する教授と助手アルフレートのコンビが、ヴァンパイア伯爵(?)の館で、昼間は眠っている伯爵を倒しに行くんだけど、教授は罠にかかって吊されてしまい、頼りな〜い助手が一生懸命杭を打とうとして、がんばって、がんばって………「でもできな〜い!」っていう場面だったと思うのですが。
あそこで鞄があかなかったのか…そりゃ焦るわ。
で、思いあまった泉見くん、靴でヴァンパイアの胸を踏みつけて、踏みつけて…「でもダメです〜!」って言ったそうなんですが。
その時に、「『くい』と『くつ』、一文字しか違わないからきっとなんとかなる!」と思った、とか。
もしもーし?
すかさず吉野さんが突っ込んでくださいました(笑)。
樹里ちゃんより早かった。すげはやっ!
新妻さんは、「マリー・アントワネット」で大階段の上に登場し、拳をふりあげてカッコヨク「あの女を断頭台に!(←多分)」と叫ぶ場面で、拳をふりあげた瞬間に後ろに落ちてしまった、と。
…大階段の上にかっこよく登場して、拳を振り上げた瞬間に消えた女。
ミステリーですね…。
吉野くんは、「レ・ミゼラブル」のバリケードが登場した時に、セットが完全にくっつかなくて困った、というお話を。
短縮版レ・ミゼラブルでは、完成したバリケードにアンジョルラス(吉野)が超かっこよく登場して「レーーーッド!♪」と歌い出すのですが。
なかなかセットがくっつかないので、そういう場合は効果音っぽいドラムをしばらく打ち続けて…という対処方法を、その場にいた指揮者の塩田さんが説明。
本来ならドドドドドド、ジャジャン、「レーーーッド!」と入るのですが、あの時は
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド…、ジャジャン「レーーッド(ちょっと急ぎ気味)」というのを二人で口三味線で再現してくださって、とても面白かったです。
…先週末に宝塚月組公演を観たのですが、ショーで車が出てくる場面で車が止まってしまい、ハケられないので大道具さんが片づける間ずーっと「ドドドドドッドドドドドド…」とドラムが続いていたことがあったので(笑)、対処法はどこも同じなんだなあと思いました(^o^)。
樹里さんは、宝塚の舞台セットは(豪華)で凄いんです、という話をした後、そのセット(電飾のセット)が倒れてきたことがあって、「逃げろ!」と言われて逃げた、というエピソードでした。
…何の公演だろう?笑いながら話していらっしゃいましたが、大きな事故にならなくて本当に良かったです…!
盛り上がったトークタイムが終わって、オケだけで「ミー&マイガール」メドレーをやった後、次は4人がそれぞれにソロを一曲。
吉野さんは、ギンギラギンにさりげないシルクハットを持って登場。歌はもちろん、シカネーダーのソロ(『モーツァルト!』)。
いやもう。さすがです。大好きです、吉野さんのシカネーダー。
彼は「歌」だけで勝負する必要のない役者ですね。歌とダンスの総合点、いえ、何よりも彼の強みは、キャラクターでの勝負。
本当に面白い役者になったなあ、と感慨しきりです。
確か次が樹里さんだったはず。『スウィート・チャリティ』よりチャリティのソロ、「If My Friends Could See Me Now」
(「友達はきっと言うわ、ありえない、嘘ね♪」って歌)
もう最高!でした。声がどうこう、歌がどうこうじゃなくて、最高。
昨年の「スウィート・チャリティ」、玉置成実さんも若いのに歌が上手くて可愛くて、決して悪くはなかったのですが。
チャリティという「莫迦だけどホントに可愛いオンナ」は、きっと、樹里さんみたいな、酸いも甘いも…を軽やかに演じられる女優が演じてこそ、痛くておかしい、おかしくて痛いストーリーになるんでしょうね、きっと。
樹里ちゃんチャリティで、全編通して観てみたいですねぇ。無理なことは解っていますけれども、でも。上演したら絶対通うのになあーーーーーっ。
次は泉見さん、『ダンス・オブ・ヴァンパイア』よりアルフレートのソロ、「Salah」。
彼の、「一曲」への入り込みようは本当に凄い!です。
最初の「空のテーブル、空の椅子」もそうでしたけど、時間も短いのによくあれだけ感情を爆発させなくてはならない歌が歌いきれるなあと感心しました。
根本的に声がいいのと、やっぱりこの役が好きだったんでしょうね。すごく良かったです。私が観たのは浦井くんのアルフレートだけなのですが、やっぱり泉見くんのも見るべきだったなあ…。
新妻さんは、名曲中の名曲「Memory」(『CATS』)。
結果的には、この曲がコンサートのトリになったと思います。
…トリだからこそ、誰もが知っている名曲をもってくる。それも、有りです。構成としては。
でも新妻さんには、最初の登場で「Memory」、ラストに「命をあげよう」を歌ってほしかったなあ。
新妻さんは、娼婦猫グリザベラを歌うのはまだ無理なんですよね。
だから、今回は幼い白猫シラバブの「Memory」。
それでも、元々が名曲ですし新妻さんくらいの美声の持ち主なら、コンサートで歌うくらい十分やれると思います。
だけど。
仮にも歌唱力自慢のミュージカル俳優が集まった「ガラ・コンサート」のトリを勤めるなら。
ミュージカルの歌は、あくまでも芝居歌なんですから。
やっぱり持ち歌が良いと思いました…。
それも含めて。
全体に構成の甘いショーだな、という印象でした。選曲も、衣装も、照明も。
伴奏なんてせっかく生オケなのに、すごーくもったいない使い方。
本当にサロン・コンサートのノリ。
でもサロン・コンサートにしては、会場にお客さんを詰め込みすぎでキツかったのが残念。
ちょっとしたディナーショークラスの金額を取るのに、会場の雰囲気がちょっと安っぽくなっちゃって…食事は美味しかったし、すごく不満というほどではないのですが。
あと、せっかく美声が4人揃ったんですから、「4人」で歌う曲を一曲用意してほしかったですねぇ。
まぁ男性が二人ともテナーなので選曲が難しいのですが…
ありがちなのは、「レ・ミゼラブル」から「OneDayMore」ですね。以前タナボタ企画でもやっていましたから、4人用に編曲するのはそんなに難しくないはず。
樹里さんだけ若干ジャンルが違うので、イチから勉強しないといけない上に、新妻さんがエポニーヌだから必然的にコゼット(!?)をやらなくてはいけなくって大変でしょうけれども。
ま、曲は何でもいいのですが。
「4人で」の曲を一曲聞きたかったです。
それが心残りです。
それでも。
吉野&泉見の「闇は広がる」、そして樹里咲穂の「チャリティ」を聴けたことでものすごーーーく満足しましたので。
次回が有れば、また参加したいと思います。
回を重ねるごとに内容も段々改良されていくでしょうから、これからが楽しみです!第三回のご案内をお待ちしておりまーーーす!>塩田さん
.
いのうえひでのり&なかがわあきのり
2007年3月22日 ミュージカル・舞台 コメント (2)日生劇場で上演中の「TOMMY」を観てまいりました。(31日まで)
主演:中川晃教、演出:いのうえひでのり。
この二人の組み合わせは、3年(?)前の帝国劇場「SHIROH」以来。私はあの公演にメチャクチャ嵌りましたので、今回ももの凄く楽しみにしておりました!
中川晃教。
クンツェ&リーヴァイコンビの2作目「モーツァルト!」初演で小池さんに抜擢され、舞台デビューして以来、何年たったのかな…?その後彼が出演したミュージカル作品を、私はほとんど観ていると思います。
まぁ、観られなかった作品も若干ありますけれども。
中川くんの最大の魅力は、その、圧倒的な声。
音域も広いし、テクニックも確かですが、
それ以上に、なんというのか。
存在感のある、声。
声そのものに、もの凄いチカラがあるんです。
容姿をいうなら、ヴォルフガングをダブルキャストで演じた井上芳雄さんの方が、よっぽど顔も美形だしスタイルも段違いに良い。芝居の技術も井上くんの方が上です。
たとえば「ルドルフ」役で勝負したら、多分井上くんの圧勝。
「ファンタスティックス」のマット役だったら…中川くんのマットはちょっと観てみたい気もしますが、おそらく(芝居やダンスなどの技術面の差で)井上くんが勝つのではないでしょうか。
まぁ、この辺は私の主観なので、なまぬる〜く見逃していただけるとありがたいのですが(^ ^;ゞ
とにかく、中川くんの最大の魅力は、容姿でも芝居の技術でも台詞術でもなんでもなく、ひたすら歌にある、ということに異論を唱える方は、少数派ではないかと思います。
しかも、技術はなくても本能的にキャラクターを掴む能力があるので、演じられる役の幅も意外に広いという強みもある。
そのチカラを、完全に生かし切って、使い切った作品。
彼の魅力を余すところなく出し切った、
それが、「SHIROH」でした。
一方、いのうえひでのり。
こちらも言わずとしれた、「劇団☆新感線」主宰。
ど派手でけれん味たっぷりの「いのうえ歌舞伎」と呼ばれる一連の作品群で、ミュージカルでも芝居でもない独自の世界を構築。
私は、佐藤アツヒロさんが主演された「犬夜叉」なんかがもの凄く好きで、何回も通いましたねぇ(笑)。
私は昔から、彼にぜひ一度、「宝塚」の演出をやってみてほしいなーと思っているのですが………(^ ^;ゞ
どうでしょう。
絶対面白いものを作ってくれると思うのですが。
…まぁ、宝塚は彼には難しいだろうなあ、というのは解っているのですが。
音楽のジャンルが違いすぎますからね…。
ハードロックの鬼、ヘヴィメタルの鬼、と、呼ばれているかどうかは知りませんが。
彼の作品には、常にロックの魂が溢れていて、その辺のジャンルにはあまり詳しくない私なんて、毎回圧倒されるばかりですから。
今回上演されたの「TOMMY」という作品は、イギリスのハードロックバンド「ザ・フー」が作成したコンセプト・アルバム(1969年の『ロック・オペラ “トミー”』)が元になったものですので、きっと「やりたい!」とずっと思っていらしたのではな
いかと思います。
でもでも!
本格的なミュージカルに参戦したら、次はぜひ、宝塚を♪
いのうえひでのり、新しいジャンルに挑戦!!
…ダメかなあ…。
ブロードウェイ・ミュージカル「TOMMY」。
まず、ストーリーは以下のとおり。
父親が母親の愛人を殺害する現場を目撃してしまい、それを口外しないよう両親に強制されたために、目と耳と言葉が不自由になるという三重苦を負った少年トミーが、様々な虐待を受けながら成長し、なぜか(!)ピンボールの名手となる。
「ピンボールの魔術師」と呼ばれた彼は、後に三重苦も回復し、
教祖=カリスマとなるが、その後いったん失脚する。しかしその時、トミーは真の『悟り』を得る。
…まぁ、理屈はあるようでないような。
ぶっ飛んでいるような、それなりに筋は通っているような。
多分、元々がコンセプト・アルバムですから、通常の舞台作品以上に「理屈」ではなく「音楽」のチカラで進んでいくものなのでしょうね。
一番印象に残ったのは、トミー役の中川くんが繰り返し歌う曲「See Me, Feel Me」。
三重苦というのも、機能不全ではなく、両親に「お前は何も見ない、何も聞かない、何も言わない、誰にも言わない」と繰り返し言い聞かせられて、彼自身という強固な殻の中に閉じこもってしまった状態なのですが。
何を見ることも聞くことも許されない彼は、鏡の中に己を見いだし、そこでおもちゃたちと遊ぶ幻想の世界を作り上げて「現実」を遮断します。
そうして、ぬくもりのない妄想の世界だけで生きる彼は、「感じて」いるけれども、相手にはそれが解らない(伝えられない)。
そのもどかしさ、寂しさ、苦しさが真っ直ぐに伝わってくる歌でした。
「ピンボール」という「特異な才能」を天啓として与えられた彼は、象徴的な存在としての「鏡」を母親に破壊されて、現実との接点を取り戻します。
三重苦から解放された彼は、ピンボールの魔術師としてだけではない「奇跡」を起こしたことで「教祖」として祭りあげられるのです。この時の「Sensation」という曲も、歌詞も含めて真剣に聞いているとあまりにも痛くて辛い曲でした。(曲調はいたって明朗なのですが…)
このあたりは、ザ・フーの主宰であったピート・タウンゼントが傾倒していたインド人導師の影響が強かったようですね。
彼の宗教観ナシには理解しにくい作品なのかもしれません。
(特にラストが)
演出的に新奇だったのは、ちょっとグロテスクな「TOMMY人形」の使い方でしょうか。
時にトミー自身の身代わりとして虐待を受け止め、時に鏡の向こうの世界に閉じこもったトミーの現実での姿として表現される人形。
そして、映像の使い方。
宝塚では小池さんがよく映像を使われますが、いのうえさんの演出における映像の地位は、あんなものではないので。
今回は、舞台いっぱいに広がった紗幕スクリーンに、アニメチックというかマンガチックな、人形のビジュアルに近い映像をあえて使って。チープでファンタジックで陰惨な世界観を、よく出していたと思います。
また、両親がトミーを責める場面、三重苦になったトミーが両親の言動に翻弄される場面での、かなりリアルでグロテスクな目と唇の画像など、「トミー視点での映像」を意識した画像を多用。それがすごく「トミーの心理表現」として卓越していたと思います。
本当に怖いんですよ、あの映像が。
それともうひとつ印象的だったのは、父親がトミーに必死で話しかける「Do you hear me?」での、音楽と映像のコラボレーション。
あそこまでいけば、音楽と映像が一つになって一つの「表現」になっていることがわかります。きっといのうえさんとしては、全編あのレベルに持って行きたかったんだろうなぁ…。
映像は、どうしても「事前」に準備しておく必要があります。
たとえば稽古終盤に手をいれた演出に合わせて映像を修正する、といったことは非常に困難。
まして、「その日」のノリに映像を合わせることはほぼ不可能。
「ライブ」であることが命の舞台と「映像」は、噛み合わないものだとずっと思っていたのですが。
「TOMMY」での映像の使い方は、今までの「転換が容易な舞台装置または背景」という使い方ではなく、それ自体が「演出」の一部だったので、非常に面白かったです。
まぁ、場面によってやはり完成度にかなり差がありましたが…。
さすがにいのうえさんはプロだなあと感心しつつ。
とにかく「音楽」にチカラのある作品でしたが、そういった工夫によってビジュアル面の表現力も「音楽」と対等なところまで持って行って、作品全体のイメージ喚起力をあげたかったのだろうと思います。
もともと、ちょっと難解というか、ぶっ飛んだ展開なので(汗)
聴覚だけでは、もともとの「ザ・フー」のファンには解っても、私みたいな「舞台」ファンには伝わらない。
それをどうすれば伝えることができるか。
その試行錯誤した結果が、あの演出なんでしょう、きっとね。
主演の中川くんをはじめ、出演者全員が滅多にないほどの歌唱力の持ち主で、特に宝塚や東宝ミュージカルなどを聞き慣れている耳には信じられないほど「ロック」な声の人が多かったのが素晴らしかったです。
ストーリー的にはかなり病的な部分もあるので、万人受けするものではないかもしれませんが。
もの凄くイタくて、辛くて、最後の「悟り」でいろいろなものが昇華されても、なお非常に硬いナニカが心に刺さったまま残る…
そんな作品でした。
私自身は、まだまだ全てを受け止められたわけではないのだと思います。
だってよく分からなかったところ沢山あるもの!
眠くなっちゃったところもあったし。
でも、パワーは伝わりました。
だからこそ、ちょっと消化不良な自分がとても悔しい。
今回の公演(31日まで)は予定が詰まっているので(なんで年度末〜!号泣)、もう一度観ることはできませんが。
映画にもなっている作品なので、ちょっとレンタルビデオを探してみようかな、と思っています。
・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
ちなみに。
「SHIROH」は。
上川隆也と中川晃教が、「天草の乱」で有名な天草四郎時貞の「表」と「裏」を演じた意欲作でした。
表に出て活動する「天草四郎時貞」(四郎)を上川隆也さん、その裏で彼らに協力し、人の心を動かす歌を唄う少年シローを中川くん。
この作品を語りはじめると長くなるのでやめておきますが、私は本当にこの作品には嵌ったんですよね〜。
天草まで観光しに行っちゃったくらい。
もし宝塚で上演されることが、万が一(←いや絶対にないだろうが)あるとしたら。
ぜひ。
大空祐飛さんの四郎に、明日海りおさんのシローでお願いしたいです…。
ねっ、>>いのうえさんっ♪♪
…って、この項目で本当に書きたいのはそれか?それなのかっ!? >自分
.
主演:中川晃教、演出:いのうえひでのり。
この二人の組み合わせは、3年(?)前の帝国劇場「SHIROH」以来。私はあの公演にメチャクチャ嵌りましたので、今回ももの凄く楽しみにしておりました!
中川晃教。
クンツェ&リーヴァイコンビの2作目「モーツァルト!」初演で小池さんに抜擢され、舞台デビューして以来、何年たったのかな…?その後彼が出演したミュージカル作品を、私はほとんど観ていると思います。
まぁ、観られなかった作品も若干ありますけれども。
中川くんの最大の魅力は、その、圧倒的な声。
音域も広いし、テクニックも確かですが、
それ以上に、なんというのか。
存在感のある、声。
声そのものに、もの凄いチカラがあるんです。
容姿をいうなら、ヴォルフガングをダブルキャストで演じた井上芳雄さんの方が、よっぽど顔も美形だしスタイルも段違いに良い。芝居の技術も井上くんの方が上です。
たとえば「ルドルフ」役で勝負したら、多分井上くんの圧勝。
「ファンタスティックス」のマット役だったら…中川くんのマットはちょっと観てみたい気もしますが、おそらく(芝居やダンスなどの技術面の差で)井上くんが勝つのではないでしょうか。
まぁ、この辺は私の主観なので、なまぬる〜く見逃していただけるとありがたいのですが(^ ^;ゞ
とにかく、中川くんの最大の魅力は、容姿でも芝居の技術でも台詞術でもなんでもなく、ひたすら歌にある、ということに異論を唱える方は、少数派ではないかと思います。
しかも、技術はなくても本能的にキャラクターを掴む能力があるので、演じられる役の幅も意外に広いという強みもある。
そのチカラを、完全に生かし切って、使い切った作品。
彼の魅力を余すところなく出し切った、
それが、「SHIROH」でした。
一方、いのうえひでのり。
こちらも言わずとしれた、「劇団☆新感線」主宰。
ど派手でけれん味たっぷりの「いのうえ歌舞伎」と呼ばれる一連の作品群で、ミュージカルでも芝居でもない独自の世界を構築。
私は、佐藤アツヒロさんが主演された「犬夜叉」なんかがもの凄く好きで、何回も通いましたねぇ(笑)。
私は昔から、彼にぜひ一度、「宝塚」の演出をやってみてほしいなーと思っているのですが………(^ ^;ゞ
どうでしょう。
絶対面白いものを作ってくれると思うのですが。
…まぁ、宝塚は彼には難しいだろうなあ、というのは解っているのですが。
音楽のジャンルが違いすぎますからね…。
ハードロックの鬼、ヘヴィメタルの鬼、と、呼ばれているかどうかは知りませんが。
彼の作品には、常にロックの魂が溢れていて、その辺のジャンルにはあまり詳しくない私なんて、毎回圧倒されるばかりですから。
今回上演されたの「TOMMY」という作品は、イギリスのハードロックバンド「ザ・フー」が作成したコンセプト・アルバム(1969年の『ロック・オペラ “トミー”』)が元になったものですので、きっと「やりたい!」とずっと思っていらしたのではな
いかと思います。
でもでも!
本格的なミュージカルに参戦したら、次はぜひ、宝塚を♪
いのうえひでのり、新しいジャンルに挑戦!!
…ダメかなあ…。
ブロードウェイ・ミュージカル「TOMMY」。
まず、ストーリーは以下のとおり。
父親が母親の愛人を殺害する現場を目撃してしまい、それを口外しないよう両親に強制されたために、目と耳と言葉が不自由になるという三重苦を負った少年トミーが、様々な虐待を受けながら成長し、なぜか(!)ピンボールの名手となる。
「ピンボールの魔術師」と呼ばれた彼は、後に三重苦も回復し、
教祖=カリスマとなるが、その後いったん失脚する。しかしその時、トミーは真の『悟り』を得る。
…まぁ、理屈はあるようでないような。
ぶっ飛んでいるような、それなりに筋は通っているような。
多分、元々がコンセプト・アルバムですから、通常の舞台作品以上に「理屈」ではなく「音楽」のチカラで進んでいくものなのでしょうね。
一番印象に残ったのは、トミー役の中川くんが繰り返し歌う曲「See Me, Feel Me」。
三重苦というのも、機能不全ではなく、両親に「お前は何も見ない、何も聞かない、何も言わない、誰にも言わない」と繰り返し言い聞かせられて、彼自身という強固な殻の中に閉じこもってしまった状態なのですが。
何を見ることも聞くことも許されない彼は、鏡の中に己を見いだし、そこでおもちゃたちと遊ぶ幻想の世界を作り上げて「現実」を遮断します。
そうして、ぬくもりのない妄想の世界だけで生きる彼は、「感じて」いるけれども、相手にはそれが解らない(伝えられない)。
そのもどかしさ、寂しさ、苦しさが真っ直ぐに伝わってくる歌でした。
「ピンボール」という「特異な才能」を天啓として与えられた彼は、象徴的な存在としての「鏡」を母親に破壊されて、現実との接点を取り戻します。
三重苦から解放された彼は、ピンボールの魔術師としてだけではない「奇跡」を起こしたことで「教祖」として祭りあげられるのです。この時の「Sensation」という曲も、歌詞も含めて真剣に聞いているとあまりにも痛くて辛い曲でした。(曲調はいたって明朗なのですが…)
このあたりは、ザ・フーの主宰であったピート・タウンゼントが傾倒していたインド人導師の影響が強かったようですね。
彼の宗教観ナシには理解しにくい作品なのかもしれません。
(特にラストが)
演出的に新奇だったのは、ちょっとグロテスクな「TOMMY人形」の使い方でしょうか。
時にトミー自身の身代わりとして虐待を受け止め、時に鏡の向こうの世界に閉じこもったトミーの現実での姿として表現される人形。
そして、映像の使い方。
宝塚では小池さんがよく映像を使われますが、いのうえさんの演出における映像の地位は、あんなものではないので。
今回は、舞台いっぱいに広がった紗幕スクリーンに、アニメチックというかマンガチックな、人形のビジュアルに近い映像をあえて使って。チープでファンタジックで陰惨な世界観を、よく出していたと思います。
また、両親がトミーを責める場面、三重苦になったトミーが両親の言動に翻弄される場面での、かなりリアルでグロテスクな目と唇の画像など、「トミー視点での映像」を意識した画像を多用。それがすごく「トミーの心理表現」として卓越していたと思います。
本当に怖いんですよ、あの映像が。
それともうひとつ印象的だったのは、父親がトミーに必死で話しかける「Do you hear me?」での、音楽と映像のコラボレーション。
あそこまでいけば、音楽と映像が一つになって一つの「表現」になっていることがわかります。きっといのうえさんとしては、全編あのレベルに持って行きたかったんだろうなぁ…。
映像は、どうしても「事前」に準備しておく必要があります。
たとえば稽古終盤に手をいれた演出に合わせて映像を修正する、といったことは非常に困難。
まして、「その日」のノリに映像を合わせることはほぼ不可能。
「ライブ」であることが命の舞台と「映像」は、噛み合わないものだとずっと思っていたのですが。
「TOMMY」での映像の使い方は、今までの「転換が容易な舞台装置または背景」という使い方ではなく、それ自体が「演出」の一部だったので、非常に面白かったです。
まぁ、場面によってやはり完成度にかなり差がありましたが…。
さすがにいのうえさんはプロだなあと感心しつつ。
とにかく「音楽」にチカラのある作品でしたが、そういった工夫によってビジュアル面の表現力も「音楽」と対等なところまで持って行って、作品全体のイメージ喚起力をあげたかったのだろうと思います。
もともと、ちょっと難解というか、ぶっ飛んだ展開なので(汗)
聴覚だけでは、もともとの「ザ・フー」のファンには解っても、私みたいな「舞台」ファンには伝わらない。
それをどうすれば伝えることができるか。
その試行錯誤した結果が、あの演出なんでしょう、きっとね。
主演の中川くんをはじめ、出演者全員が滅多にないほどの歌唱力の持ち主で、特に宝塚や東宝ミュージカルなどを聞き慣れている耳には信じられないほど「ロック」な声の人が多かったのが素晴らしかったです。
ストーリー的にはかなり病的な部分もあるので、万人受けするものではないかもしれませんが。
もの凄くイタくて、辛くて、最後の「悟り」でいろいろなものが昇華されても、なお非常に硬いナニカが心に刺さったまま残る…
そんな作品でした。
私自身は、まだまだ全てを受け止められたわけではないのだと思います。
だってよく分からなかったところ沢山あるもの!
眠くなっちゃったところもあったし。
でも、パワーは伝わりました。
だからこそ、ちょっと消化不良な自分がとても悔しい。
今回の公演(31日まで)は予定が詰まっているので(なんで年度末〜!号泣)、もう一度観ることはできませんが。
映画にもなっている作品なので、ちょっとレンタルビデオを探してみようかな、と思っています。
・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
ちなみに。
「SHIROH」は。
上川隆也と中川晃教が、「天草の乱」で有名な天草四郎時貞の「表」と「裏」を演じた意欲作でした。
表に出て活動する「天草四郎時貞」(四郎)を上川隆也さん、その裏で彼らに協力し、人の心を動かす歌を唄う少年シローを中川くん。
この作品を語りはじめると長くなるのでやめておきますが、私は本当にこの作品には嵌ったんですよね〜。
天草まで観光しに行っちゃったくらい。
もし宝塚で上演されることが、万が一(←いや絶対にないだろうが)あるとしたら。
ぜひ。
大空祐飛さんの四郎に、明日海りおさんのシローでお願いしたいです…。
ねっ、>>いのうえさんっ♪♪
…って、この項目で本当に書きたいのはそれか?それなのかっ!? >自分
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ミュージカル・ガラ 【2】
2007年3月17日 ミュージカル・舞台樹里咲穂さんが出演された、塩田明弘主催のミュージカル・ガラ・コンサートのレポートの続きでーす♪
ちなみに、【1】はこちら。
http://diarynote.jp/d/80646/20070314.html
吉野くんが「Sunset Boulevourd」を歌い終わると、そのまま塩田さんと少しトーク。泉見洋平さんも呼んで、たしかここでは「塩田さんと初めて出会ったのは?」というお題だったと思います。
泉見くんは「2003年のレ・ミゼラブルで」。吉野くんは「……年前のラ・カージュ・オ・フォールで」。
えーっと。吉野くんが初めて出たラ・カージュって、風花舞さんが退団後第一弾で出た時のことでしょうか…?あの時の風花さんの相手役(ジャン・ミッシェル)が吉野くんだったことは覚えているのですが。もっと前から出ていらっしゃったんだっけ。
にしても何年前だ?…懐かしいですね(^ ^;ゞ。
というか。
今となっては、吉野くんがラ・カージュでカジェル(女装して踊る踊り子さんたち)をしていないことが信じられません!!ジャン・ミッシェルの前はカジェルしてたんだったっけか………?…覚えてない!一生の(←大袈裟)不覚だ!
もとい。
黒いトレンチに黒づくめの吉野くんと。
紅いハイネックの、軍服調デザインの上着を着こなした泉見くんと。
次の曲は男二人のデュエットで、「闇は広がる」でした。
さすがに素晴らしかったです♪
文句なく。
吉野くんの歌って、わりとムラがあるというか。
合う曲と合わない曲があるというか…
…いや、違いますね。
本人が入り込める曲、本当に好きでのめりこめる曲(役)はもの凄くいいんですけど、それほどでもない曲は「まぁ普通」、くらいになってしまうんですよね…。
元々ダンサーとして活躍されていた方ですし、「朗々と歌い上げる」系の歌は今ひとつなことが多くて、もっとこう、芝居歌というか、動きのある歌の方が得意で。
それに、声に特徴があって、元々クールというか厳しい歌、あるいはシャウトしたりするような激しい歌の方が似合うんですよね。
トートは良かったです。
それは、歌唱力自慢の方々とは比べられませんが、
芝居と歌の総合点で言うならば、東宝の歴代(男性)トートの中ではかなり上位に来そうな感じ。
全編観てみたい、もし吉野くんがキャスティングされたら観に行くぞ!と思いました。
泉見くんのルドルフ。
これもすごく良かったです。
まず声が合ってましたね。今まで割とルドルフは、初演の井上芳雄さん(花組の初輝よしやさんのお兄さん♪)以来、比較的声質としては軽めのテノールが歌うことが多かったのですが…
泉見くんの声は、マリウス向きというか、革命を志す男の力強さを秘めた美声。
それが、前半は本当に、歌い方も声も繊細に絶妙に弱さを出して歌って、後半「がまんできない!」あたりからガラっと雰囲気を変えてくれました。かっこよかったーーーっ!
舞台の端と端に離れて立って歌うだけで、振付はまったくナシ、だったのですが、二人が目と目で会話しながら芝居をすすめていっていたのが凄かったです。
まぁ、振付がないので「操られている感」を出すのは無理な感じでしたが(笑)。ほとんどお稽古もしていないだろうに、細かい間の取り方のニュアンスまで、本当によく合わせたなと思いました。
衣装はお二人とも「それらしいもの」を意識して選んで着てきたようですが(笑)、ちゃんとした衣装に振付つけてフルオケでやってほしい場面でした。
…泉見くんのルドルフ…いくら童顔とはいえ、本公演でやるには年齢的に無理がありますけどね…(爆)
その次は、入れ替わりで女性二人が登場。
同じ質問(塩田さんとの出会いは?)をされて、新妻さんは「泉見さんと同じ2003年のレミゼから。その後はミス・サイゴンもご一緒させていただきました」と。
(…そこも泉見くんと同じですね)
樹里さんは、「一方的にお会いしたんですけど(共演は今回が初めて)、一昨年秋の春野さんのコンサートで」と。
塩田さんの方からも、「僕も一方的に樹里さんを知ってるんですよ。2年前のエリザベート・ガラ・コンサートでルキーニされてましたよね」と話をふられて、樹里ちゃん
「そうなんです。ルキーニやりましたね。がんばってたんですよね、あの頃のあたし。ひげ生やしてね」
…樹里ちゃん?ホントに生えてたのかよ、あの髭は…?
んで、もちろんこの後は女性二人でデュエットでした。
曲は「ジキルとハイド」から、エマとルーシーがジキルを思って歌う「In His Eyes」。
この曲は。
私はものすごく!!好きな曲でなので、歌ってくださってとても嬉しかったのですが。
それは事実なのですが……。
この曲って、メロディもシンプルなのにとてもキレイで、素人にも歌いやすい歌なのですが。
実は。ほとんど同じ音域なのに、3度のハーモニーを頭声と胸声でピッチを合わせなくてはならない、という、いわゆる「難曲」とは違う意味で「聴かせる」ことの難しい曲。
で。
…樹里ちゃんはまだ、頭声で新妻さんと勝負できるレベルではないので……。
男役のちょっと声が高めな方だと、あの曲はちょうどチェンジボイスにかかっちゃうんですよね。
だから、すごく歌いにくかったんじゃないかと思います…。
新妻さんはさすがだったのですが。
樹里ちゃんも、普通ならさすがと思える出来だったのですが。
知らないうちに、頭声も豊かに響くようになっていて吃驚したくらい。ファンとしては、十分満足できる成果は挙げていらっしゃったとも思うのですが。
でも。
…「In His Eyes」。
意外と難しい曲なんですよ、あれはね…。
せっかく樹里ちゃんが女性二人のデュエットに挑戦するのなら、ウェストサイドストーリーの「あんな男に/私は愛してる」をやって欲しかったです、私は。
新妻さんのマリアは絶対良かったと思うんですよ。
樹里さんのアニタに負けなかったと思うし。
ああ、聴きたかったなあ…(悲)。
この後は、4人全員揃ってのトークがあって、もう一曲づつ全員歌って、それで終了、なのですが。
続きはまた来週〜〜(^ ^)/~
.
ちなみに、【1】はこちら。
http://diarynote.jp/d/80646/20070314.html
吉野くんが「Sunset Boulevourd」を歌い終わると、そのまま塩田さんと少しトーク。泉見洋平さんも呼んで、たしかここでは「塩田さんと初めて出会ったのは?」というお題だったと思います。
泉見くんは「2003年のレ・ミゼラブルで」。吉野くんは「……年前のラ・カージュ・オ・フォールで」。
えーっと。吉野くんが初めて出たラ・カージュって、風花舞さんが退団後第一弾で出た時のことでしょうか…?あの時の風花さんの相手役(ジャン・ミッシェル)が吉野くんだったことは覚えているのですが。もっと前から出ていらっしゃったんだっけ。
にしても何年前だ?…懐かしいですね(^ ^;ゞ。
というか。
今となっては、吉野くんがラ・カージュでカジェル(女装して踊る踊り子さんたち)をしていないことが信じられません!!ジャン・ミッシェルの前はカジェルしてたんだったっけか………?…覚えてない!一生の(←大袈裟)不覚だ!
もとい。
黒いトレンチに黒づくめの吉野くんと。
紅いハイネックの、軍服調デザインの上着を着こなした泉見くんと。
次の曲は男二人のデュエットで、「闇は広がる」でした。
さすがに素晴らしかったです♪
文句なく。
吉野くんの歌って、わりとムラがあるというか。
合う曲と合わない曲があるというか…
…いや、違いますね。
本人が入り込める曲、本当に好きでのめりこめる曲(役)はもの凄くいいんですけど、それほどでもない曲は「まぁ普通」、くらいになってしまうんですよね…。
元々ダンサーとして活躍されていた方ですし、「朗々と歌い上げる」系の歌は今ひとつなことが多くて、もっとこう、芝居歌というか、動きのある歌の方が得意で。
それに、声に特徴があって、元々クールというか厳しい歌、あるいはシャウトしたりするような激しい歌の方が似合うんですよね。
トートは良かったです。
それは、歌唱力自慢の方々とは比べられませんが、
芝居と歌の総合点で言うならば、東宝の歴代(男性)トートの中ではかなり上位に来そうな感じ。
全編観てみたい、もし吉野くんがキャスティングされたら観に行くぞ!と思いました。
泉見くんのルドルフ。
これもすごく良かったです。
まず声が合ってましたね。今まで割とルドルフは、初演の井上芳雄さん(花組の初輝よしやさんのお兄さん♪)以来、比較的声質としては軽めのテノールが歌うことが多かったのですが…
泉見くんの声は、マリウス向きというか、革命を志す男の力強さを秘めた美声。
それが、前半は本当に、歌い方も声も繊細に絶妙に弱さを出して歌って、後半「がまんできない!」あたりからガラっと雰囲気を変えてくれました。かっこよかったーーーっ!
舞台の端と端に離れて立って歌うだけで、振付はまったくナシ、だったのですが、二人が目と目で会話しながら芝居をすすめていっていたのが凄かったです。
まぁ、振付がないので「操られている感」を出すのは無理な感じでしたが(笑)。ほとんどお稽古もしていないだろうに、細かい間の取り方のニュアンスまで、本当によく合わせたなと思いました。
衣装はお二人とも「それらしいもの」を意識して選んで着てきたようですが(笑)、ちゃんとした衣装に振付つけてフルオケでやってほしい場面でした。
…泉見くんのルドルフ…いくら童顔とはいえ、本公演でやるには年齢的に無理がありますけどね…(爆)
その次は、入れ替わりで女性二人が登場。
同じ質問(塩田さんとの出会いは?)をされて、新妻さんは「泉見さんと同じ2003年のレミゼから。その後はミス・サイゴンもご一緒させていただきました」と。
(…そこも泉見くんと同じですね)
樹里さんは、「一方的にお会いしたんですけど(共演は今回が初めて)、一昨年秋の春野さんのコンサートで」と。
塩田さんの方からも、「僕も一方的に樹里さんを知ってるんですよ。2年前のエリザベート・ガラ・コンサートでルキーニされてましたよね」と話をふられて、樹里ちゃん
「そうなんです。ルキーニやりましたね。がんばってたんですよね、あの頃のあたし。ひげ生やしてね」
…樹里ちゃん?ホントに生えてたのかよ、あの髭は…?
んで、もちろんこの後は女性二人でデュエットでした。
曲は「ジキルとハイド」から、エマとルーシーがジキルを思って歌う「In His Eyes」。
この曲は。
私はものすごく!!好きな曲でなので、歌ってくださってとても嬉しかったのですが。
それは事実なのですが……。
この曲って、メロディもシンプルなのにとてもキレイで、素人にも歌いやすい歌なのですが。
実は。ほとんど同じ音域なのに、3度のハーモニーを頭声と胸声でピッチを合わせなくてはならない、という、いわゆる「難曲」とは違う意味で「聴かせる」ことの難しい曲。
で。
…樹里ちゃんはまだ、頭声で新妻さんと勝負できるレベルではないので……。
男役のちょっと声が高めな方だと、あの曲はちょうどチェンジボイスにかかっちゃうんですよね。
だから、すごく歌いにくかったんじゃないかと思います…。
新妻さんはさすがだったのですが。
樹里ちゃんも、普通ならさすがと思える出来だったのですが。
知らないうちに、頭声も豊かに響くようになっていて吃驚したくらい。ファンとしては、十分満足できる成果は挙げていらっしゃったとも思うのですが。
でも。
…「In His Eyes」。
意外と難しい曲なんですよ、あれはね…。
せっかく樹里ちゃんが女性二人のデュエットに挑戦するのなら、ウェストサイドストーリーの「あんな男に/私は愛してる」をやって欲しかったです、私は。
新妻さんのマリアは絶対良かったと思うんですよ。
樹里さんのアニタに負けなかったと思うし。
ああ、聴きたかったなあ…(悲)。
この後は、4人全員揃ってのトークがあって、もう一曲づつ全員歌って、それで終了、なのですが。
続きはまた来週〜〜(^ ^)/~
.
ミュージカル・ガラ・コンサート
2007年3月14日 ミュージカル・舞台今日も「コンサート 吉野圭吾」で検索していらっしゃった方がお一人。
検索って本当に不思議だ。吉野君の名前なんて、今まで書いたことありましたっけ私?
というわけで、まだ途中なんですがとりあえず書き始めることにしました。
東京會舘「Musical GALA Concert vol2」。
ミュージカルの指揮者としては第一人者(でいいのかな?最近は…)である塩田昭弘さんがホストになって、ミュージカル俳優をゲストに呼ぶ、食事付きミニオケ付きのイベント、第二弾。
一回目は確か去年。企画自体は似たような感じで、伊東恵里さんやシルビア・グラブあたりが呼ばれていた記憶があります。
残念ながら都合がつかなくて、参加できませんでしたけれども。
今回、2回目のゲストは一応登場順に樹里咲穂さん、泉見洋平さん、新妻聖子さん、吉野圭吾さん。
4人とも扱いとしては同格でしたが、いちおう、キャリアを考えて吉野圭吾さんがメインっぽかったかな?お客さまも、多分一番多かったのは吉野さんのファンでしょうしね。
入籍後初仕事となった樹里さんも、すごーくよかったのですが、まだ「ミュージカル」という水に慣れてないような気もしてしまいました。
…やっぱりタカラジェンヌはちょっと違う…のかもしれません。
会場に入って、まず驚きました。
…ここはどこ?どっかの会社の食堂!?
普通、ディナーショーとかだと丸テーブルじゃないですか。
そうじゃないんです。東京會舘ローズルームいっぱいに、敷き詰められた(←そうじゃない)、長テーブル。
あれですよ。ハリ・ポッターの映画第一弾で、生徒が大広間で、全員で食事をする場面があるじゃないですか。
あんな感じ。
長テーブル(8人掛けだったかな…?)に白いテーブルクロス、真ん中にろうそくの炎。
キレイでしたよ。
食事も美味しかったし。
でも。
どうしても「食堂!?」ショックから抜けられなくて、なんだか「サロン」な気分になれませんでした…(涙)。
ショーの始まりは、まず塩田さんのご挨拶から。
塩田明弘。
ラ・カージュ・オ・フォールの指揮をしていらした頃でしたでしょうか。「踊る指揮者」としてファンの間で有名になったのは。
軽やかで弾むようなリズムと、明るく華やかな音を強みとしてされていて、私も大好きでした。
「音楽」を表現するために、本当に指揮台の上で踊るような指揮ぶりが有名で。最前列センターなんかで観ていると、突然視界に指揮者の頭が飛び込んできてびっくりしたりしたものです(笑)。
だんだん色んなパフォーマンスを担当するようになって、演出の中で使われるようになって…
そして。
オケボックスの外でトークやイベントを仕切るようになってからももう随分たちますね。お話がとても面白いので、ひっぱりだこで。
宝塚ファン的には、2年前の春野寿美礼さんのコンサートで、舞台の上でちょっと春野さんとトークしていたりしたのが記憶に新しいかと思います。
もともと塩田さんの音は大好きでした。
ただ。
本来重厚な音楽を特徴とするロンドン・ミュージカル、特にオケ楽曲としても重厚なオペラ形式のレ・ミゼラブルやミス・サイゴンを、明るく軽やかを持ち味とする塩田さんに任せるというのは…
…そんなに東宝には人材がいないのか、と。
塩田さんがレ・ミゼラブルを担当するようになったのも、短縮版になった2003年からなんですね。
音楽が軽やかに、明るくなったのは、短縮版になって編曲が変わったからだと思っていたのですが。もしかして、指揮者が変わったのも大きかったのでしょうか……。
最初のソロは、樹里さんの「Somewhere」(West Side Story)
何度か歌っていらっしゃる曲ですが、今回はマイクとのノリがちょっとかみ合っていなかったのかな?
マイクと相談しながら歌っている感じがしました。
ゲストとして呼ばれて、最初に歌うというのは結構プレッシャーがかかるものですし、特に今回、おそらくほとんどお稽古がなかったんじゃないかと思いますので。
樹里さん的にはかなり厳しかったんだろうな、と思いました。
でも、良かったです。伸びる声は健在で。
次の曲が楽しみ♪と思いました♪
次は、泉見洋平さんの「空のテーブル、空の椅子」(Les Miserables)
2003年からマリウスに入っている泉見さん。
私は2003年以降のマリウスキャストの中では彼が一番好きなんですが♪
最初に彼を観たのは「RENT」再演のベニー。
初演のベニーが割とワルっぽい、たくましいキャラクターだったので、再演でいきなり小さくて可愛らしく(多分樹里さんより小さくて可愛いと思う)なってしまったのに吃驚したんですよね。
あれが初舞台だったというのは今日はじめて知りました(笑)。
その後、基本的に彼の出演はチェックしていました。
「君はいい人、チャーリーブラウン」のライナスとか。
「GODSPELL」とか。
顔に似合わない、力強い声が好きなんですよね。
なのに、ラブソングは吃驚するほど甘くて優しい。そのギャップに惚れ込んでいます。
あんなに可愛らしいマスクなのに、ミス・サイゴンでは敵役のトゥイをカッコヨク演じてしまう幅の広さが、本当に好きなんですよね♪
…ま、「空のテーブル、空の椅子」は、この曲だけを取り出して歌うのはすごく難しいので。
しかもコンサートの一発目に歌う歌ではないです。はい。
もっと違う歌歌って欲しかったかもなあ…。
次は新妻聖子さんの「命をあげよう」(Miss Saigon)
いやーよかったです。
私、彼女のキムは確か観ることができなかったのですが、やっぱり観ておけばよかったなあとすごく後悔しました。
新妻さんの声は本当に素晴らしい。
役に合わせて、場面(メロディ)に合わせて、7色の声で感情表現が出きるんです。本当に、ああ、これが「歌の翼」なんだなあ、と思いますね。ものすごく自由自在で、その「曲」の世界に一瞬にして観客を連れて行ける人なんだなあと思いました。
また、この曲が合ってるんでしょうね。エポニーヌも良かったけど、こんなに良いとは思わなかったので吃驚しました。
「On My Own」も聴きたかったなーーー。
トリは吉野圭吾さん「Sunset Boulevourd」(同名)
べったりまとめたオールバックに、黒のトレンチで登場。
非情なジゴロ(?)のジョー役になりきっての熱唱でした♪
以前、「4Knights」(石井一孝さん・岡幸二郎さん・戸井勝海さん・吉野圭吾さんという、イニシャルが「K」のミュージカル俳優4人が集まったユニット)のコンサートでも歌われた曲。
あの時も、「本当にこの曲が好きなんだろうなあ〜〜」と思いましたが。
あらためて「本当にこの曲が好きなのねっ!!」と。
…ってゆーか、私も好きだし!!
歌い終わった後のトークで塩田さんがぼやいていましたが。
全編5拍子。
なんですよね、この曲…。
私も一度歌ったことがあるのですが、本当に難しいんです。
…まぁ、今回は歌詞が日本語だったので、あまりシビアに刻まなくても良くなって、かなり楽になっていると思いますが(笑)。
さすがダンサー吉野。リズム感いいですねぇ☆
本当は私の贔屓役者に歌ってみてほしい曲なのですが。
うーん、無理そうだなあ……。(←だってリズム感ないんだもーん…号泣…)
他のメンバーに比べると、歌は一歩を譲る感じの吉野さんですが。
「4Knights」のコンサートの時も、この曲は、思い入れの深さと酷薄な声の良さで乗り切っていたんですよね。
ただ、ラストの「さんせっとぶーるばーーーーーーーーど!」という長音で、クレッシェンドがかからなかったのがちょっと残念でしたけれども(あそこが一番かっこいいので)
でも。
「サンセット・ブールバード」は、日本では上演されていない、A.L.ロイド=ウェッバーの名作ミュージカル。
中でも、年老いた大女優ノーマが歌う長大なソロ2曲と、この青年ジョーが歌うテーマ曲が有名ですが。
もし、この作品を日本で上演する日がきたならば。
個人的には、ノーマは麻実れいさんと決めて(?)いるのですが。
ジョーは吉野さんだといいですねぇ…。
…最初の4人のソロでこんなに長くなっちゃうなんて(涙)。
この次がサプライズ、このコンサートの一番の目玉なのにっ!!
続きは後日にさせてください…。
検索って本当に不思議だ。吉野君の名前なんて、今まで書いたことありましたっけ私?
というわけで、まだ途中なんですがとりあえず書き始めることにしました。
東京會舘「Musical GALA Concert vol2」。
ミュージカルの指揮者としては第一人者(でいいのかな?最近は…)である塩田昭弘さんがホストになって、ミュージカル俳優をゲストに呼ぶ、食事付きミニオケ付きのイベント、第二弾。
一回目は確か去年。企画自体は似たような感じで、伊東恵里さんやシルビア・グラブあたりが呼ばれていた記憶があります。
残念ながら都合がつかなくて、参加できませんでしたけれども。
今回、2回目のゲストは一応登場順に樹里咲穂さん、泉見洋平さん、新妻聖子さん、吉野圭吾さん。
4人とも扱いとしては同格でしたが、いちおう、キャリアを考えて吉野圭吾さんがメインっぽかったかな?お客さまも、多分一番多かったのは吉野さんのファンでしょうしね。
入籍後初仕事となった樹里さんも、すごーくよかったのですが、まだ「ミュージカル」という水に慣れてないような気もしてしまいました。
…やっぱりタカラジェンヌはちょっと違う…のかもしれません。
会場に入って、まず驚きました。
…ここはどこ?どっかの会社の食堂!?
普通、ディナーショーとかだと丸テーブルじゃないですか。
そうじゃないんです。東京會舘ローズルームいっぱいに、敷き詰められた(←そうじゃない)、長テーブル。
あれですよ。ハリ・ポッターの映画第一弾で、生徒が大広間で、全員で食事をする場面があるじゃないですか。
あんな感じ。
長テーブル(8人掛けだったかな…?)に白いテーブルクロス、真ん中にろうそくの炎。
キレイでしたよ。
食事も美味しかったし。
でも。
どうしても「食堂!?」ショックから抜けられなくて、なんだか「サロン」な気分になれませんでした…(涙)。
ショーの始まりは、まず塩田さんのご挨拶から。
塩田明弘。
ラ・カージュ・オ・フォールの指揮をしていらした頃でしたでしょうか。「踊る指揮者」としてファンの間で有名になったのは。
軽やかで弾むようなリズムと、明るく華やかな音を強みとしてされていて、私も大好きでした。
「音楽」を表現するために、本当に指揮台の上で踊るような指揮ぶりが有名で。最前列センターなんかで観ていると、突然視界に指揮者の頭が飛び込んできてびっくりしたりしたものです(笑)。
だんだん色んなパフォーマンスを担当するようになって、演出の中で使われるようになって…
そして。
オケボックスの外でトークやイベントを仕切るようになってからももう随分たちますね。お話がとても面白いので、ひっぱりだこで。
宝塚ファン的には、2年前の春野寿美礼さんのコンサートで、舞台の上でちょっと春野さんとトークしていたりしたのが記憶に新しいかと思います。
もともと塩田さんの音は大好きでした。
ただ。
本来重厚な音楽を特徴とするロンドン・ミュージカル、特にオケ楽曲としても重厚なオペラ形式のレ・ミゼラブルやミス・サイゴンを、明るく軽やかを持ち味とする塩田さんに任せるというのは…
…そんなに東宝には人材がいないのか、と。
塩田さんがレ・ミゼラブルを担当するようになったのも、短縮版になった2003年からなんですね。
音楽が軽やかに、明るくなったのは、短縮版になって編曲が変わったからだと思っていたのですが。もしかして、指揮者が変わったのも大きかったのでしょうか……。
最初のソロは、樹里さんの「Somewhere」(West Side Story)
何度か歌っていらっしゃる曲ですが、今回はマイクとのノリがちょっとかみ合っていなかったのかな?
マイクと相談しながら歌っている感じがしました。
ゲストとして呼ばれて、最初に歌うというのは結構プレッシャーがかかるものですし、特に今回、おそらくほとんどお稽古がなかったんじゃないかと思いますので。
樹里さん的にはかなり厳しかったんだろうな、と思いました。
でも、良かったです。伸びる声は健在で。
次の曲が楽しみ♪と思いました♪
次は、泉見洋平さんの「空のテーブル、空の椅子」(Les Miserables)
2003年からマリウスに入っている泉見さん。
私は2003年以降のマリウスキャストの中では彼が一番好きなんですが♪
最初に彼を観たのは「RENT」再演のベニー。
初演のベニーが割とワルっぽい、たくましいキャラクターだったので、再演でいきなり小さくて可愛らしく(多分樹里さんより小さくて可愛いと思う)なってしまったのに吃驚したんですよね。
あれが初舞台だったというのは今日はじめて知りました(笑)。
その後、基本的に彼の出演はチェックしていました。
「君はいい人、チャーリーブラウン」のライナスとか。
「GODSPELL」とか。
顔に似合わない、力強い声が好きなんですよね。
なのに、ラブソングは吃驚するほど甘くて優しい。そのギャップに惚れ込んでいます。
あんなに可愛らしいマスクなのに、ミス・サイゴンでは敵役のトゥイをカッコヨク演じてしまう幅の広さが、本当に好きなんですよね♪
…ま、「空のテーブル、空の椅子」は、この曲だけを取り出して歌うのはすごく難しいので。
しかもコンサートの一発目に歌う歌ではないです。はい。
もっと違う歌歌って欲しかったかもなあ…。
次は新妻聖子さんの「命をあげよう」(Miss Saigon)
いやーよかったです。
私、彼女のキムは確か観ることができなかったのですが、やっぱり観ておけばよかったなあとすごく後悔しました。
新妻さんの声は本当に素晴らしい。
役に合わせて、場面(メロディ)に合わせて、7色の声で感情表現が出きるんです。本当に、ああ、これが「歌の翼」なんだなあ、と思いますね。ものすごく自由自在で、その「曲」の世界に一瞬にして観客を連れて行ける人なんだなあと思いました。
また、この曲が合ってるんでしょうね。エポニーヌも良かったけど、こんなに良いとは思わなかったので吃驚しました。
「On My Own」も聴きたかったなーーー。
トリは吉野圭吾さん「Sunset Boulevourd」(同名)
べったりまとめたオールバックに、黒のトレンチで登場。
非情なジゴロ(?)のジョー役になりきっての熱唱でした♪
以前、「4Knights」(石井一孝さん・岡幸二郎さん・戸井勝海さん・吉野圭吾さんという、イニシャルが「K」のミュージカル俳優4人が集まったユニット)のコンサートでも歌われた曲。
あの時も、「本当にこの曲が好きなんだろうなあ〜〜」と思いましたが。
あらためて「本当にこの曲が好きなのねっ!!」と。
…ってゆーか、私も好きだし!!
歌い終わった後のトークで塩田さんがぼやいていましたが。
全編5拍子。
なんですよね、この曲…。
私も一度歌ったことがあるのですが、本当に難しいんです。
…まぁ、今回は歌詞が日本語だったので、あまりシビアに刻まなくても良くなって、かなり楽になっていると思いますが(笑)。
さすがダンサー吉野。リズム感いいですねぇ☆
本当は私の贔屓役者に歌ってみてほしい曲なのですが。
うーん、無理そうだなあ……。(←だってリズム感ないんだもーん…号泣…)
他のメンバーに比べると、歌は一歩を譲る感じの吉野さんですが。
「4Knights」のコンサートの時も、この曲は、思い入れの深さと酷薄な声の良さで乗り切っていたんですよね。
ただ、ラストの「さんせっとぶーるばーーーーーーーーど!」という長音で、クレッシェンドがかからなかったのがちょっと残念でしたけれども(あそこが一番かっこいいので)
でも。
「サンセット・ブールバード」は、日本では上演されていない、A.L.ロイド=ウェッバーの名作ミュージカル。
中でも、年老いた大女優ノーマが歌う長大なソロ2曲と、この青年ジョーが歌うテーマ曲が有名ですが。
もし、この作品を日本で上演する日がきたならば。
個人的には、ノーマは麻実れいさんと決めて(?)いるのですが。
ジョーは吉野さんだといいですねぇ…。
…最初の4人のソロでこんなに長くなっちゃうなんて(涙)。
この次がサプライズ、このコンサートの一番の目玉なのにっ!!
続きは後日にさせてください…。
レ・ミゼラブルの世界
2007年3月11日 ミュージカル・舞台 コメント (4)宝塚にかまけてすーっかり忘れていたのですが(汗)、今月末には帝国劇場「レ・ミゼラブル」の6月分が一般発売されるんですね。
明日行われるファン感謝デー(「体験する『レ・ミゼラブル』」)には落選してしまったので(泣)、まだしばらくはオアズケ、なのですが…。
「レ・ミゼラブル」。
言わずとしれた、ヴィクトル・ユゴーの「噫 無情」を原作とするメガヒットミュージカル。
1980年にパリで初演された、クロード・ミッシェル・シェーンベルク作曲、アラン・ブーブリル作詞のミュージカルが、名プロデューサー キャメロン・マッキントッシュに出会って進化し、1987年にロンドンで初演。ジョン・ケアードとトレバー・ナンという、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーを背負う鬼才の手で生まれ変わったこのミュージカルが、日本に来たのは1987年(日本版の演出はジョン・ケアードが担当)。
ミュージカル「レ・ミゼラブル」には、私が認識している限り3つのバージョンがあります。
初演版、10周年版(1997〜)、そして短縮版(2003〜)。
10周年版は、ロンドンで行われた10周年記念コンサートをきっかけにオリジナルスタッフで全体の演出を見直したもので、コゼットとバルジャンが出会う「森の中」の場面を追加したのが一番大きな変更なのでしょうか?
その頃はマニアという程ではなかったので詳細は解りませんが、
他にもあちこち演出変更があったようなので、初演版のファンの方は複雑な思いがあったのでしょうね、きっと。
個人的には、アンジョルラスとマリウスが最初に登場する場面で、群衆(乞食たち)の中にいきなり現れる演出が「おおっ!」という感じで好きだったので、1997年の公演を観た時に、二人がどこにもいないのに声だけが聞こえて(橋の上からの登場に変更されていた)きて、びっくりしたことが印象深いです。
2003年から上演されている短縮版(いつか、こっちが主流になって以前のバージョンを「ロング版」とか言うようになるのでしょうか…)は、ブロードウェイだかロンドンだかの俳優組合が上演時間が長すぎるとクレームをつけたため、アンサンブルの見せ場を削って全体の時間を短縮したもの。
日本の俳優組合が文句をつけたワケじゃないんだから、日本は旧版で続ければよかったのに、と私などは思いますが…。契約上の都合でもあったのでしょうか。2000回公演記念スペシャルキャスト、など、十数年ぶりな上に数回しか出演しないようなキャストでも短縮版でやっていたので、大変だっただろうなあと思いました。
…バージョンの違いによる作品としての力の差みたいな話については、いずれ書くかもしれません…。(←もったいぶるな)
私は1992年の帝国劇場公演ではじめて観て、本格的に嵌ったのは1997年の10周年記念公演。
だから、この「20周年記念公演」がどんなキャストで、どんな音楽で、そしてどんな演出で上演されるのか、とても楽しみにしていました。
で、あらためてキャストスケジュールをチェックしてみました。(←今頃?本当に楽しみにしてたの?)
上演2000回記念公演で登場した鹿賀丈史ジャベールがまた登場!しかも、私が嵌った岡アンジョルラスと一緒だ〜!
というワケで、2000回記念公演のチケットが取れなかった私としては、どうしてもこの公演を見逃すことはできない、のですが。
土日は6月9日、10日のみ、かよ。
平日夜もなし、かよ。
6/9〜10は旅行に行く予定の私(涙)。
…平日に休め、ってコトですか。そうですか…(がっくり)。
いまの今日まで気が付かなかった私も私ですが。
東宝も結構えげつないことしますよねぇ………。
今更ながら、いつ観にいくか悩みながら、あらためてキャスト紹介を見てみました。
コゼットの富田麻帆さん(元ヤングナラ)や菊地美香さん(アニー出演経験あり)、アンジョルラスの原田優一さん(元ガブローシュ)など、ミュージカルの子役出身の役者がどんどん出てきているのは、「役者の再生産」がうまく回っている感じがしてとても嬉しいですね。
…っていうか、原田さんって天狼プロダクションの「グインサーガ〜炎の群像」のミアイル公子なんですか!おお〜!可愛かったんですよねぇ〜〜!…ってか、こんなところに(^ ^;ゞ
でも。
この20周年公演で、「アンサンブルからプリンシパルにあがった」役者は、ジャベール役の阿部裕さんだけ?ファンテーヌの今井麻緒子さんも経験者ですが、だいぶブランクがあるし…。
「レ・ミゼラブル」の一番の魅力は、「スターを生むミュージカル」であるということ。
実際、ジャベールの石川禅さん・今井清隆さんなど、過去にアンサンブルからプリンシパルにあがった人はたくさんいるのに、今回の公演では少ないのは、やっぱり短縮版になってアンサンブルの見せ場が削られたからじゃないのか?と思ってしまうのは、私が10周年版でプリンシパルにあがった人のファンだからなんでしょうか…(拗)。
なんだか、つらつらと思いついたことを書いてしまいましたが。
とにかく今日から真剣にスケジュールを検討して、発売に備えたいと思います。
レ・ミゼラブルよ永久に!
.
明日行われるファン感謝デー(「体験する『レ・ミゼラブル』」)には落選してしまったので(泣)、まだしばらくはオアズケ、なのですが…。
「レ・ミゼラブル」。
言わずとしれた、ヴィクトル・ユゴーの「噫 無情」を原作とするメガヒットミュージカル。
1980年にパリで初演された、クロード・ミッシェル・シェーンベルク作曲、アラン・ブーブリル作詞のミュージカルが、名プロデューサー キャメロン・マッキントッシュに出会って進化し、1987年にロンドンで初演。ジョン・ケアードとトレバー・ナンという、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーを背負う鬼才の手で生まれ変わったこのミュージカルが、日本に来たのは1987年(日本版の演出はジョン・ケアードが担当)。
ミュージカル「レ・ミゼラブル」には、私が認識している限り3つのバージョンがあります。
初演版、10周年版(1997〜)、そして短縮版(2003〜)。
10周年版は、ロンドンで行われた10周年記念コンサートをきっかけにオリジナルスタッフで全体の演出を見直したもので、コゼットとバルジャンが出会う「森の中」の場面を追加したのが一番大きな変更なのでしょうか?
その頃はマニアという程ではなかったので詳細は解りませんが、
他にもあちこち演出変更があったようなので、初演版のファンの方は複雑な思いがあったのでしょうね、きっと。
個人的には、アンジョルラスとマリウスが最初に登場する場面で、群衆(乞食たち)の中にいきなり現れる演出が「おおっ!」という感じで好きだったので、1997年の公演を観た時に、二人がどこにもいないのに声だけが聞こえて(橋の上からの登場に変更されていた)きて、びっくりしたことが印象深いです。
2003年から上演されている短縮版(いつか、こっちが主流になって以前のバージョンを「ロング版」とか言うようになるのでしょうか…)は、ブロードウェイだかロンドンだかの俳優組合が上演時間が長すぎるとクレームをつけたため、アンサンブルの見せ場を削って全体の時間を短縮したもの。
日本の俳優組合が文句をつけたワケじゃないんだから、日本は旧版で続ければよかったのに、と私などは思いますが…。契約上の都合でもあったのでしょうか。2000回公演記念スペシャルキャスト、など、十数年ぶりな上に数回しか出演しないようなキャストでも短縮版でやっていたので、大変だっただろうなあと思いました。
…バージョンの違いによる作品としての力の差みたいな話については、いずれ書くかもしれません…。(←もったいぶるな)
私は1992年の帝国劇場公演ではじめて観て、本格的に嵌ったのは1997年の10周年記念公演。
だから、この「20周年記念公演」がどんなキャストで、どんな音楽で、そしてどんな演出で上演されるのか、とても楽しみにしていました。
で、あらためてキャストスケジュールをチェックしてみました。(←今頃?本当に楽しみにしてたの?)
上演2000回記念公演で登場した鹿賀丈史ジャベールがまた登場!しかも、私が嵌った岡アンジョルラスと一緒だ〜!
というワケで、2000回記念公演のチケットが取れなかった私としては、どうしてもこの公演を見逃すことはできない、のですが。
土日は6月9日、10日のみ、かよ。
平日夜もなし、かよ。
6/9〜10は旅行に行く予定の私(涙)。
…平日に休め、ってコトですか。そうですか…(がっくり)。
いまの今日まで気が付かなかった私も私ですが。
東宝も結構えげつないことしますよねぇ………。
今更ながら、いつ観にいくか悩みながら、あらためてキャスト紹介を見てみました。
コゼットの富田麻帆さん(元ヤングナラ)や菊地美香さん(アニー出演経験あり)、アンジョルラスの原田優一さん(元ガブローシュ)など、ミュージカルの子役出身の役者がどんどん出てきているのは、「役者の再生産」がうまく回っている感じがしてとても嬉しいですね。
…っていうか、原田さんって天狼プロダクションの「グインサーガ〜炎の群像」のミアイル公子なんですか!おお〜!可愛かったんですよねぇ〜〜!…ってか、こんなところに(^ ^;ゞ
でも。
この20周年公演で、「アンサンブルからプリンシパルにあがった」役者は、ジャベール役の阿部裕さんだけ?ファンテーヌの今井麻緒子さんも経験者ですが、だいぶブランクがあるし…。
「レ・ミゼラブル」の一番の魅力は、「スターを生むミュージカル」であるということ。
実際、ジャベールの石川禅さん・今井清隆さんなど、過去にアンサンブルからプリンシパルにあがった人はたくさんいるのに、今回の公演では少ないのは、やっぱり短縮版になってアンサンブルの見せ場が削られたからじゃないのか?と思ってしまうのは、私が10周年版でプリンシパルにあがった人のファンだからなんでしょうか…(拗)。
なんだか、つらつらと思いついたことを書いてしまいましたが。
とにかく今日から真剣にスケジュールを検討して、発売に備えたいと思います。
レ・ミゼラブルよ永久に!
.
No Day But Today!
2007年2月17日 ミュージカル・舞台 コメント (4)宝塚歌劇団月組のみなさま、東宝劇場初日おめでとうございます。
多少は台詞などの変更もあったみたいで、アルマンド=サイボーグ説の反証なるか?My観劇日を楽しみにしたいと思います(^ ^)。
で。
かく言う私は、今日は東宝劇場ではなく、天王洲へロックミュージカル・ガラを体験しに行って参りました。
予想以上に良い作品なのに、あまりに宣伝不足で誰も知らない公演なのが悲しい(T T)ので。
もしかして、万が一、ココを読んで興味を持ってくださる人がいらっしゃいましたら、明日(18日13時開演)の千秋楽をぜひぜひ観てあげてほしい、と思い、急いで書いてみました。
…でも誰も読まないよねきっと(涙)。
旧アートスフィア、知らないうちに名前が(主催も)替わっていて吃驚したのですが、今は「天王洲 銀河劇場」と言うのだそうですね。相変わらず観やすくて、座席も良くて、音響も良くて、いい劇場なんですが…いかんせんアクセスが良くないのと、どうも使用料が高いらしくてチケット代が高めなんですよね、いつも(涙)。どの作品も集客には苦労していた記憶があります。
でも、「蜘蛛女のキス」を観たのもここでしたし「I Love You 〜愛の果ては?」とか「香港ラプソディ」とか、良い作品やっているんですよね…。銀河劇場に生まれ変わっても、がんばってほしいです。
さて。
今回のガラ「GENERATIONS」は、宝塚ファン的にはどっかの若手本のタイトルみたいで笑えるんですが(^ ^;、「RENT」日本公演でコリンズを演じ、(私的に)大評判をとった石原慎一さんが中心になって構成されたもののようです。
70年代に次々と発表・制作され、一世を風靡した「ロックミュージカル」。
1967年に初演された「HAIR」を皮切りに「FAME」、71年の「GODSPELL」と「Jesus Christ SuperStar」…そして、1996年の「RENT」までの約30年間。
時代は動き、人は変わる。
それでも、決して変わらないものがそこにあるから。
だからこそ、人は生きる。
今日という日は、二度とない。
そして No Day But Today、今日でない日はないのだから、と。
昨日もない
明日もない
ただ、今日を生きるだけ
作品的には「GODSPELL」がメインの扱いでしたが(もともと昨年「GODPELL」が再演される予定があったのに中止になったので、その代わりに、という感じの企画だったらしい)、内容的には石原さんがメインだったこともあって、前半の山に「RENT」を持ってきていました。
ちょうど、2008年秋に「RENT」再演の予定があるようですし、昨年の映画もヒットしていたのでちょうどタイムリーな感じ。
もっと宣伝したらこの公演ももっとお客さま入ったでしょうに、もったいない…。
(全然関係ないのですが、なぜRENT再演は東宝なんでしょうか。あれは東宝がやる作品じゃないでしょうに!?不安…/涙)
日本版コリンズの「I’ll Cover You〜リプライズ」を、時を経て再び拝聴でき、とてもとっても!幸せでした。
客席でいろいろ思い出してしまって、滂沱の涙…。
私は本当に「RENT」という作品が好きなんだなあ、と(^ ^;ゞ。
来日公演も観に行きましたし、ブロードウェイでも観ているのですが。
私は実は、日本初演版が一番好きです。
なんといってもエンジェル(KOJIRO)とコリンズ(石原慎一)が秀逸だった。今のところ、あれを超えるコンビは観ていません。
そしてモーリーン&ジョアンナの森川美穂& 坪倉唯子もサイコー!日本にもあんなソウルフルな人がいるのか!?と目から鱗でした。
もちろん、マークの山本耕史も素晴らしかった。再演には、彼は絶対はずせません!山本耕史抜きで日本版RENTはあり得ない。そのくらい、彼のマークは「RENT」の世界そのものだったのです。
アンサンブルも、知らない人ばかりでしたが全員歌もダンスも素晴らしく、本当にすみずみまで充実した公演でした。
「RENTが好き」
スタッフのその一念が、キャスティングから訳詞から、なにからなにまでを覆い尽くしていました。
日本でも、凄いものが作れるんだ、と。
日本にもこれだけの役者がいるんだ、と、ミュージカルファンとして誇らしい公演でした。
(と言いつつ、ロジャーミュージカル界から出せなかったのは残念でしたが… ^ ^;ゞ)
同じように「熱狂的なファンのいる、オン・ブロードウェイのアングラ作品」とくくられがちな「Jekyl&Hyde」日本公演(東宝)の企画の杜撰さ、作品への愛の無さに比べて、なんという違いなのか、と。
それこそ、作曲家としてのワイルドホーンの熱狂的なファンとしては、どれほどに悲しかったことか…(涙)。
(RENT東宝再演…すっごく不安です…祈)
ま、そんな話はおいておいて。
Generationsの話。
幕開きは「ヘアー」より「Aquarious 〜Let The Sunshine In」。
あまりに有名な曲ですが、あらためて舞台で聴く機会というのは案外ないもの。
やはり名曲は名曲です。ぜひ聴いてみてください!
次は、高橋洋子さんで「Out Here On My Own」(FAME)。
高橋さんは、スタジオボーカリストとしてご活躍されている方で、『新世紀エヴァンゲリオン』の「残酷な天使のテーゼ」「魂のルフラン」などを歌われている方。CMソングも多くレコーディングされているようで、トークの中ではミツカンのCMソングを口ずさんでくださいました(笑)。
1991年の「P.S. I miss you」で日本レコード大賞新人賞を取られた歌手だそうです。
私は全然存じ上げなかった(エヴァンゲリオンは勿論見てますが)のですが、本当に素晴らしい声の持ち主でした。歌唱力・表現力ともに抜きん出て、「さすが、『歌だけ』で勝負してきた(←そして勝ってきた)プロは違う!」という感じでした。
ただ、ステージで歌われることにはあまり慣れていらっしゃらないようで、手の動きなどはちょっと気になった処もありましたが…(^ ^;ヾ
一曲一曲の詳細は、今回パンフレットが無かったので覚えていない部分も多く、語るとボロが出そうなので割愛しますが、「ロック・ミュージカル」の魂を伝えたい、という制作側の気持はすごく伝わりました!
HAIR。
FAME。
LITTLE Shop Of Horrors。
Jesus Christ Superstar。
天使にラブソングを。
そして、RENTとGODSPELL。
形式にとらわれずに。
昨日と違う今日、
今日と違う明日、
たった一度の“今日”を、精一杯生きてみようよ!
生きなくちゃいけないよ!
という、魂の根幹からのメッセージ。
それを、あらためて私に教えてくれたコンサートでした…
キャストは、豪華!
本当に豪華でした♪
宝塚OGは真織由季さん一人でしたが、ミュージカル界やポップス、シャンソンまで錚々たるメンバー。
いちおう、一通りご紹介してみますね。
ご本人の自己紹介は当然それぞれにおありですが、ここでは私の中での分類で書かせていただきます♪(敬称略)
■宝塚OG
真織由季
■「レ・ミゼラブル」組
鈴木ほのか、戸井勝海、宮川浩、山形ユキオ
■クンツェ・リーバイ組
新納慎也(=初演トートダンサーのNIROくん)と野沢聡
■「RENT」チーム
石原慎一、結樺健(山本耕史さんとユニットを組んだアルバム絶賛発売中)、Tina(ボーカリストと言った方がいいかも?)
■シャンソニエ
花木佐千子(元劇団四季→天狼プロ【中島梓=栗本薫主催のミュージカル制作事務所。石原慎一さんもよく出ていらっしゃいました】)
■「GODSPELL」組
中山眞美(MAMI)。
この公演では、宮川・真織・戸井・新納・野沢・結樺がGODSPELL組という扱いでした。
前半はいかにもガラコンサートっぽく、一作品2曲くらいずつ。
そして後半は、「GODSPELL」の大半の曲を使った「GODSPELL GALA」。
「GODSPELL」って、ご覧になっていない方も多いかもしれませんが、タイトル(「神の詞」)どおり、「マタイの福音書」の物語を音楽と寸劇でつづった作品です。
ジーザス(初演は山本耕史、再演再々演は新納慎也)とユダ(再演は戸井勝海、初演と再々演が大沢樹生)のみ固定で、あとのメンバーは「十二使徒」ということで、特に役柄を固定することなく、ジーザスの「ファン」あるいは「おっかけ」として存在し続けます。
「マタイによる福音書」の内容に沿って寸劇を繰り返し、「マグダラのマリア」になったり、「出奔した息子とその父」になったり、「羊と山羊」になったり…。
そして、最終的には「愛するゆえに」ジーザスとユダを追いつめ、ゲッセマネへとなだれ込むのですが…。
「宗教」に対する思い入れ・思いこみの強い方にはあまり向かない作品ですが、よく言われているような「洗脳系」の作品では全く(!)なくて、ごく普通に「標は自分で探さなくてはいけない(与えられてはいけない)」ということを教えてくれる作品でした。
最初と最後に歌われる「Prepare Ye」も「道 整え 迎えよう 主を」という歌詞のとおり、最初に「道を整える」のは自分自身、なのです。
決して「神に祈れば道を造ってくれる」とか、ましてや「皆で神に祈って道を造ってもらおうよ!」という話ではなくて、ね。
私はキリスト教徒では決してありませんので、この欧米における「常識」=「聖書」をどこまで理解しているのか、全然自信がありません。
なので、これ以上語るのは遠慮しておきます。
ただ、「GODSPELL」を観もしないで、「聖書物語そのものの説教ミュージカル」と呼ぶのはどうぞやめてくださいm(_ _)m。
今回のコンサートでは、途中でトークを挟みながら、基本的には公演でやった役に合わせて次々と歌ってくださいました。
でも結構違ってた歌も多かったかな…。
ユダ役だった戸井さんが「Turn Back,O Man」の中盤のジーザスのソロを歌ってたり(前半のユダの部分は花木さん)。あと、名曲「Day By Day」を高橋さんで、など、初めて歌う方も多かったですしね。
うーん、このパンフレットというか無料配布の紙、歌う人の名前もないし掲載順と歌った順番も違うから全然わかんないよーーーーっ。
ちゃんとしたパンフレット売って欲しかったなあ(涙)。
装置はシンプルだけど階段形式になっていて、そこにバンドを配し、キャストがその間を縦横無尽に動き回る、という、ちょっと凝った創りになっていました。
衣装は。
なんと!女性陣の服は真織さん、男性陣は新納(NIRO)くんが揃えてくれたようです。鈴木ほのかさんが、トークで「上から下までぜ〜んぶ真織さんの私物です」と仰ってました(^O^)。
ちなみに、誰か(石原さんかな?)に「さすが元宝塚、あり得ないような服をお持ちですよね」とコメントされていました(爆)。
ミュージカル俳優の岡幸二郎さんも、コンサートとかは良く衣装担当をしていましたが、新納くんもそういうのが好きなんでしょうかねぇ。
真織さんほどぶっ飛んだ衣装は用意されていませんでしたが…。
でもでも、一つだけ尋きたい。
新納くん、あなたにとって、戸井さんのイメージはそれ(ピンク)なんですか…(哀)。
ココまで読んでくださった奇特な貴女。
ぜひぜひ、18日の13時に、銀河劇場でお会いしましょう♪
.
多少は台詞などの変更もあったみたいで、アルマンド=サイボーグ説の反証なるか?My観劇日を楽しみにしたいと思います(^ ^)。
で。
かく言う私は、今日は東宝劇場ではなく、天王洲へロックミュージカル・ガラを体験しに行って参りました。
予想以上に良い作品なのに、あまりに宣伝不足で誰も知らない公演なのが悲しい(T T)ので。
もしかして、万が一、ココを読んで興味を持ってくださる人がいらっしゃいましたら、明日(18日13時開演)の千秋楽をぜひぜひ観てあげてほしい、と思い、急いで書いてみました。
…でも誰も読まないよねきっと(涙)。
旧アートスフィア、知らないうちに名前が(主催も)替わっていて吃驚したのですが、今は「天王洲 銀河劇場」と言うのだそうですね。相変わらず観やすくて、座席も良くて、音響も良くて、いい劇場なんですが…いかんせんアクセスが良くないのと、どうも使用料が高いらしくてチケット代が高めなんですよね、いつも(涙)。どの作品も集客には苦労していた記憶があります。
でも、「蜘蛛女のキス」を観たのもここでしたし「I Love You 〜愛の果ては?」とか「香港ラプソディ」とか、良い作品やっているんですよね…。銀河劇場に生まれ変わっても、がんばってほしいです。
さて。
今回のガラ「GENERATIONS」は、宝塚ファン的にはどっかの若手本のタイトルみたいで笑えるんですが(^ ^;、「RENT」日本公演でコリンズを演じ、(私的に)大評判をとった石原慎一さんが中心になって構成されたもののようです。
70年代に次々と発表・制作され、一世を風靡した「ロックミュージカル」。
1967年に初演された「HAIR」を皮切りに「FAME」、71年の「GODSPELL」と「Jesus Christ SuperStar」…そして、1996年の「RENT」までの約30年間。
時代は動き、人は変わる。
それでも、決して変わらないものがそこにあるから。
だからこそ、人は生きる。
今日という日は、二度とない。
そして No Day But Today、今日でない日はないのだから、と。
昨日もない
明日もない
ただ、今日を生きるだけ
作品的には「GODSPELL」がメインの扱いでしたが(もともと昨年「GODPELL」が再演される予定があったのに中止になったので、その代わりに、という感じの企画だったらしい)、内容的には石原さんがメインだったこともあって、前半の山に「RENT」を持ってきていました。
ちょうど、2008年秋に「RENT」再演の予定があるようですし、昨年の映画もヒットしていたのでちょうどタイムリーな感じ。
もっと宣伝したらこの公演ももっとお客さま入ったでしょうに、もったいない…。
(全然関係ないのですが、なぜRENT再演は東宝なんでしょうか。あれは東宝がやる作品じゃないでしょうに!?不安…/涙)
日本版コリンズの「I’ll Cover You〜リプライズ」を、時を経て再び拝聴でき、とてもとっても!幸せでした。
客席でいろいろ思い出してしまって、滂沱の涙…。
私は本当に「RENT」という作品が好きなんだなあ、と(^ ^;ゞ。
来日公演も観に行きましたし、ブロードウェイでも観ているのですが。
私は実は、日本初演版が一番好きです。
なんといってもエンジェル(KOJIRO)とコリンズ(石原慎一)が秀逸だった。今のところ、あれを超えるコンビは観ていません。
そしてモーリーン&ジョアンナの森川美穂& 坪倉唯子もサイコー!日本にもあんなソウルフルな人がいるのか!?と目から鱗でした。
もちろん、マークの山本耕史も素晴らしかった。再演には、彼は絶対はずせません!山本耕史抜きで日本版RENTはあり得ない。そのくらい、彼のマークは「RENT」の世界そのものだったのです。
アンサンブルも、知らない人ばかりでしたが全員歌もダンスも素晴らしく、本当にすみずみまで充実した公演でした。
「RENTが好き」
スタッフのその一念が、キャスティングから訳詞から、なにからなにまでを覆い尽くしていました。
日本でも、凄いものが作れるんだ、と。
日本にもこれだけの役者がいるんだ、と、ミュージカルファンとして誇らしい公演でした。
(と言いつつ、ロジャーミュージカル界から出せなかったのは残念でしたが… ^ ^;ゞ)
同じように「熱狂的なファンのいる、オン・ブロードウェイのアングラ作品」とくくられがちな「Jekyl&Hyde」日本公演(東宝)の企画の杜撰さ、作品への愛の無さに比べて、なんという違いなのか、と。
それこそ、作曲家としてのワイルドホーンの熱狂的なファンとしては、どれほどに悲しかったことか…(涙)。
(RENT東宝再演…すっごく不安です…祈)
ま、そんな話はおいておいて。
Generationsの話。
幕開きは「ヘアー」より「Aquarious 〜Let The Sunshine In」。
あまりに有名な曲ですが、あらためて舞台で聴く機会というのは案外ないもの。
やはり名曲は名曲です。ぜひ聴いてみてください!
次は、高橋洋子さんで「Out Here On My Own」(FAME)。
高橋さんは、スタジオボーカリストとしてご活躍されている方で、『新世紀エヴァンゲリオン』の「残酷な天使のテーゼ」「魂のルフラン」などを歌われている方。CMソングも多くレコーディングされているようで、トークの中ではミツカンのCMソングを口ずさんでくださいました(笑)。
1991年の「P.S. I miss you」で日本レコード大賞新人賞を取られた歌手だそうです。
私は全然存じ上げなかった(エヴァンゲリオンは勿論見てますが)のですが、本当に素晴らしい声の持ち主でした。歌唱力・表現力ともに抜きん出て、「さすが、『歌だけ』で勝負してきた(←そして勝ってきた)プロは違う!」という感じでした。
ただ、ステージで歌われることにはあまり慣れていらっしゃらないようで、手の動きなどはちょっと気になった処もありましたが…(^ ^;ヾ
一曲一曲の詳細は、今回パンフレットが無かったので覚えていない部分も多く、語るとボロが出そうなので割愛しますが、「ロック・ミュージカル」の魂を伝えたい、という制作側の気持はすごく伝わりました!
HAIR。
FAME。
LITTLE Shop Of Horrors。
Jesus Christ Superstar。
天使にラブソングを。
そして、RENTとGODSPELL。
形式にとらわれずに。
昨日と違う今日、
今日と違う明日、
たった一度の“今日”を、精一杯生きてみようよ!
生きなくちゃいけないよ!
という、魂の根幹からのメッセージ。
それを、あらためて私に教えてくれたコンサートでした…
キャストは、豪華!
本当に豪華でした♪
宝塚OGは真織由季さん一人でしたが、ミュージカル界やポップス、シャンソンまで錚々たるメンバー。
いちおう、一通りご紹介してみますね。
ご本人の自己紹介は当然それぞれにおありですが、ここでは私の中での分類で書かせていただきます♪(敬称略)
■宝塚OG
真織由季
■「レ・ミゼラブル」組
鈴木ほのか、戸井勝海、宮川浩、山形ユキオ
■クンツェ・リーバイ組
新納慎也(=初演トートダンサーのNIROくん)と野沢聡
■「RENT」チーム
石原慎一、結樺健(山本耕史さんとユニットを組んだアルバム絶賛発売中)、Tina(ボーカリストと言った方がいいかも?)
■シャンソニエ
花木佐千子(元劇団四季→天狼プロ【中島梓=栗本薫主催のミュージカル制作事務所。石原慎一さんもよく出ていらっしゃいました】)
■「GODSPELL」組
中山眞美(MAMI)。
この公演では、宮川・真織・戸井・新納・野沢・結樺がGODSPELL組という扱いでした。
前半はいかにもガラコンサートっぽく、一作品2曲くらいずつ。
そして後半は、「GODSPELL」の大半の曲を使った「GODSPELL GALA」。
「GODSPELL」って、ご覧になっていない方も多いかもしれませんが、タイトル(「神の詞」)どおり、「マタイの福音書」の物語を音楽と寸劇でつづった作品です。
ジーザス(初演は山本耕史、再演再々演は新納慎也)とユダ(再演は戸井勝海、初演と再々演が大沢樹生)のみ固定で、あとのメンバーは「十二使徒」ということで、特に役柄を固定することなく、ジーザスの「ファン」あるいは「おっかけ」として存在し続けます。
「マタイによる福音書」の内容に沿って寸劇を繰り返し、「マグダラのマリア」になったり、「出奔した息子とその父」になったり、「羊と山羊」になったり…。
そして、最終的には「愛するゆえに」ジーザスとユダを追いつめ、ゲッセマネへとなだれ込むのですが…。
「宗教」に対する思い入れ・思いこみの強い方にはあまり向かない作品ですが、よく言われているような「洗脳系」の作品では全く(!)なくて、ごく普通に「標は自分で探さなくてはいけない(与えられてはいけない)」ということを教えてくれる作品でした。
最初と最後に歌われる「Prepare Ye」も「道 整え 迎えよう 主を」という歌詞のとおり、最初に「道を整える」のは自分自身、なのです。
決して「神に祈れば道を造ってくれる」とか、ましてや「皆で神に祈って道を造ってもらおうよ!」という話ではなくて、ね。
私はキリスト教徒では決してありませんので、この欧米における「常識」=「聖書」をどこまで理解しているのか、全然自信がありません。
なので、これ以上語るのは遠慮しておきます。
ただ、「GODSPELL」を観もしないで、「聖書物語そのものの説教ミュージカル」と呼ぶのはどうぞやめてくださいm(_ _)m。
今回のコンサートでは、途中でトークを挟みながら、基本的には公演でやった役に合わせて次々と歌ってくださいました。
でも結構違ってた歌も多かったかな…。
ユダ役だった戸井さんが「Turn Back,O Man」の中盤のジーザスのソロを歌ってたり(前半のユダの部分は花木さん)。あと、名曲「Day By Day」を高橋さんで、など、初めて歌う方も多かったですしね。
うーん、このパンフレットというか無料配布の紙、歌う人の名前もないし掲載順と歌った順番も違うから全然わかんないよーーーーっ。
ちゃんとしたパンフレット売って欲しかったなあ(涙)。
装置はシンプルだけど階段形式になっていて、そこにバンドを配し、キャストがその間を縦横無尽に動き回る、という、ちょっと凝った創りになっていました。
衣装は。
なんと!女性陣の服は真織さん、男性陣は新納(NIRO)くんが揃えてくれたようです。鈴木ほのかさんが、トークで「上から下までぜ〜んぶ真織さんの私物です」と仰ってました(^O^)。
ちなみに、誰か(石原さんかな?)に「さすが元宝塚、あり得ないような服をお持ちですよね」とコメントされていました(爆)。
ミュージカル俳優の岡幸二郎さんも、コンサートとかは良く衣装担当をしていましたが、新納くんもそういうのが好きなんでしょうかねぇ。
真織さんほどぶっ飛んだ衣装は用意されていませんでしたが…。
でもでも、一つだけ尋きたい。
新納くん、あなたにとって、戸井さんのイメージはそれ(ピンク)なんですか…(哀)。
ココまで読んでくださった奇特な貴女。
ぜひぜひ、18日の13時に、銀河劇場でお会いしましょう♪
.
ヘイズ・コードの話の続きにしようか、先にHalleruja Go!Go!の話をさせていただこうか、と結構迷ったのですが。
まずはトウコさんとも関わりの深い玉野さんを中心に「ヘイズ・コード」と、彼が主催した「Club 7」のお話を。
トウコ(安蘭けい)さんのファンの方なら、お名前くらいはご存知かと思いますが。
日生劇場「雨に唄えば」、そして今回のDC「ヘイズ・コード」の振付を担当された、世界に誇るタップ・キング玉野和紀。
元々ミュージカルオタクな私にとっては、ヘイズのプログラム見て「え”、玉野さんが振付に入ってる〜!!すげ〜〜〜、さすがトウコさん!!」って友人にメールしてしまったくらいの有名人(苦笑)、なワケですが。
さすがに振付の腕は見事なもので、パーティーでの華やかなタップシーンはもちろん最高に華やかにカッコよく。そして、女の子たちがリヴィあすかをからかう場面や、悪漢とカールトンしい(立樹よう)さま&ジョニー水輝くんの対決などなど、「ダンス」で芝居をする場面をきっちり作り、しっかりキャストを動かして見せる腕の冴えが。
さすが、です♪
国産ミュージカルは大好きなので色々観ているつもりですが、あんな風に タップで物語を紡げるのは、玉野さんだけだと思うんですよね…。
“タップの名手”、“名ダンサー”、そして“名振付家”は他にもたくさんいらっしゃいますが。
玉野さんって人は、やっぱり偉大、なんです。
たとえば、今月組で公演中のショー「ファンシー・ダンス」も、錚々たる顔ぶれの振付家を集めて構成されたショーですけれども。
「ダンスシーン」としては素晴らしくても、「芝居」として見たらまるっきりつまらない。
だって。
ペトルーシュカもオルフェも「ただの三角関係」になりさがり、糸が切れたら(=恋が成就すれば)死ぬしかないペトルーシュカの悲哀も、自分のミスでエウリディーチェをを失うオルフェの慟哭も関係ないし、シェヘラザードは「出てきただけで王様の心をとかしてしまう美女」だし…。
それは、勿論 振付家の責任ではなく、場面構成を考えて指示した三木氏の責任なわけですが。
でもまあ、やっぱり「ヘイズ・コード」のあの成功には、大野さんの依頼どおりに、いえ、多分想像以上の名場面にしてくれた玉野さんの功績も大きいよね、と思ってしまうわけです。
だって、玉野作品に出る役者は皆幸せそうなんだもん!
だって、星組ッ子たち、本当に本当に楽しそうで、幸せそうで、見ているこっちまで夢見心地だったんですもん♪
踊れる人には、(泣きたいほど大変だけど)幸せな場面を。
そして、踊れない人には笑いをとれる場面を…
(私が応援している役者さんは、玉野作品では常にお笑い担当です。なぜだ)
どんな作品でどんな役でも、その人に合った見せ場を必ず用意してくれる、そんな振付家で、演出家で、作家、それが玉野和紀。
そして、たぶん、大野さんもそうなんじゃないでしょうか。
大野さんは、玉野さんにもない「脚本力」という力もあるので。
ぜひ、これからも良いものを作ってください。
とりあえず、大野作品は万難払って観にいきますので。
玉野さんの作品は、96年(多分)の「UP★RUSH!」が初めてだったと思います。
大爆笑のショー(?)作品でしたが、これですっかりファンになって。その後は、欠かさず、とは言いませんけど大概のものは観ているはず。
CLUB SEVENは、そんな彼が品川プリンスホテルと組んで(多分)、3年くらい前からやり続けている「クラブのショータイム形式のショー」。
品川プリンスホテルの「クラブeX」を舞台に繰り広げられる、ディナーショーのディナー無し(←意味わからん)みたいなモノ、です。
珍しく真面目に、出演者紹介なんてものをしてみましょうか。
玉野さん中心に、宝塚OGがガイチ(初風緑)さん、優子(風花舞)姫、(蘭香)レアちゃん。ミュージカル界から吉野圭吾さん、西村直人さん、原知宏さん、桜木涼介さんの8人(あれ?Club7じゃないじゃん…?)
吉野さんは言わずとしれた、唄って踊れるミュージカルスター。
西村さんは、レ・ミゼラブルでアンサンブルをしていた実力派。面白い舞台には大概出ていらっしゃいます。玉野さんの舞台は8割くらいの確率で出ているんじゃないかな?脇を締めるというタイプではないけれど、ダンサーで歌も巧くて笑いもとれる…歌も芝居も巧い園加ちゃん、みたいな存在でしょうか(←多分全然違う)。
原くんは元四季だったかな。背の高いハンサムくん。
桜木くんは、去年樹里さんたちとも共演した実力派ダンサーです。
宝塚OGは、多分ガイチさんは初めてだと思います。優子(風花)さんと蘭香レアちゃんは2回目かな?前回は思ったほど出番がなくてとても残念だったのですが。(ところでレアちゃんって芸名を宝塚時代に戻したのでしょうか?退団直後は本名、その次は「三咲レア」で活動されていて…探すの大変だから決めてほしいなあ…)
上でいろいろ(振付を)褒めた後で言うのもなんですが、玉野さんの「脚本力」とゆーのは、まぁ、宝塚でいえば斎藤さんや藤井さんのレベルなので。(あの二人もショーは良い物作るし、レベルはかなり近いかも)。
なので、「芝居仕立て」のショーはいいけど、「ショー仕立てのお芝居」は…激つまらん、のも事実ではあるのですが。
でもでも、楽しかったもん!
なんたって本物のダンサーが揃ってますから。
ダンスシーンはどこも手抜き無しで、まばたきする暇もなく。
音楽が止まると、ぐったり疲れます。
すごい集中して観ているから。
オープニングの総踊りがあまりにかっこよくて、ついつい燃え尽きた…優子姫、健在!でした。
あっというまに時間が過ぎて。
…個人的に、優子姫の藪かゆみ(ヤブ蚊)が再見できると思ってなかったのでとても幸せ(^ ^;ゞ。
レアちゃんは相変わらず最高にキレイ。透明で硬質で、なのに時々、ほろっと蕩けてしまう色っぽさもあって。
なのに、玉野作品に出演するのに必要不可欠なお笑い感性は、本当に!!凄いんです…(疲)。あの数々のネタはいったいどこから出てくるんでしょうか。宝塚時代にあの片鱗を見せていたら、大人気スターになっていたかもしれないと思うのですが…。(でも私は、そんな生真面目なレアちゃんが大好きでした。ポ)
ガイチさんは可愛い。
3人の中で、一番可愛い「女の子」だったかもしれません。
少なくとも、一番「乙女」だったのは間違いないような気がする…。
あの、エネルギッシュで濃密な時間を、どう表現すればいいのか悩みつつ。
それ以上に、
ああ、このとりとめのない文章を、どのカテゴリーに入れればいいんだろうなあ……悩む……。
.
まずはトウコさんとも関わりの深い玉野さんを中心に「ヘイズ・コード」と、彼が主催した「Club 7」のお話を。
トウコ(安蘭けい)さんのファンの方なら、お名前くらいはご存知かと思いますが。
日生劇場「雨に唄えば」、そして今回のDC「ヘイズ・コード」の振付を担当された、世界に誇るタップ・キング玉野和紀。
元々ミュージカルオタクな私にとっては、ヘイズのプログラム見て「え”、玉野さんが振付に入ってる〜!!すげ〜〜〜、さすがトウコさん!!」って友人にメールしてしまったくらいの有名人(苦笑)、なワケですが。
さすがに振付の腕は見事なもので、パーティーでの華やかなタップシーンはもちろん最高に華やかにカッコよく。そして、女の子たちがリヴィあすかをからかう場面や、悪漢とカールトンしい(立樹よう)さま&ジョニー水輝くんの対決などなど、「ダンス」で芝居をする場面をきっちり作り、しっかりキャストを動かして見せる腕の冴えが。
さすが、です♪
国産ミュージカルは大好きなので色々観ているつもりですが、あんな風に タップで物語を紡げるのは、玉野さんだけだと思うんですよね…。
“タップの名手”、“名ダンサー”、そして“名振付家”は他にもたくさんいらっしゃいますが。
玉野さんって人は、やっぱり偉大、なんです。
たとえば、今月組で公演中のショー「ファンシー・ダンス」も、錚々たる顔ぶれの振付家を集めて構成されたショーですけれども。
「ダンスシーン」としては素晴らしくても、「芝居」として見たらまるっきりつまらない。
だって。
ペトルーシュカもオルフェも「ただの三角関係」になりさがり、糸が切れたら(=恋が成就すれば)死ぬしかないペトルーシュカの悲哀も、自分のミスでエウリディーチェをを失うオルフェの慟哭も関係ないし、シェヘラザードは「出てきただけで王様の心をとかしてしまう美女」だし…。
それは、勿論 振付家の責任ではなく、場面構成を考えて指示した三木氏の責任なわけですが。
でもまあ、やっぱり「ヘイズ・コード」のあの成功には、大野さんの依頼どおりに、いえ、多分想像以上の名場面にしてくれた玉野さんの功績も大きいよね、と思ってしまうわけです。
だって、玉野作品に出る役者は皆幸せそうなんだもん!
だって、星組ッ子たち、本当に本当に楽しそうで、幸せそうで、見ているこっちまで夢見心地だったんですもん♪
踊れる人には、(泣きたいほど大変だけど)幸せな場面を。
そして、踊れない人には笑いをとれる場面を…
(私が応援している役者さんは、玉野作品では常にお笑い担当です。なぜだ)
どんな作品でどんな役でも、その人に合った見せ場を必ず用意してくれる、そんな振付家で、演出家で、作家、それが玉野和紀。
そして、たぶん、大野さんもそうなんじゃないでしょうか。
大野さんは、玉野さんにもない「脚本力」という力もあるので。
ぜひ、これからも良いものを作ってください。
とりあえず、大野作品は万難払って観にいきますので。
玉野さんの作品は、96年(多分)の「UP★RUSH!」が初めてだったと思います。
大爆笑のショー(?)作品でしたが、これですっかりファンになって。その後は、欠かさず、とは言いませんけど大概のものは観ているはず。
CLUB SEVENは、そんな彼が品川プリンスホテルと組んで(多分)、3年くらい前からやり続けている「クラブのショータイム形式のショー」。
品川プリンスホテルの「クラブeX」を舞台に繰り広げられる、ディナーショーのディナー無し(←意味わからん)みたいなモノ、です。
珍しく真面目に、出演者紹介なんてものをしてみましょうか。
玉野さん中心に、宝塚OGがガイチ(初風緑)さん、優子(風花舞)姫、(蘭香)レアちゃん。ミュージカル界から吉野圭吾さん、西村直人さん、原知宏さん、桜木涼介さんの8人(あれ?Club7じゃないじゃん…?)
吉野さんは言わずとしれた、唄って踊れるミュージカルスター。
西村さんは、レ・ミゼラブルでアンサンブルをしていた実力派。面白い舞台には大概出ていらっしゃいます。玉野さんの舞台は8割くらいの確率で出ているんじゃないかな?脇を締めるというタイプではないけれど、ダンサーで歌も巧くて笑いもとれる…歌も芝居も巧い園加ちゃん、みたいな存在でしょうか(←多分全然違う)。
原くんは元四季だったかな。背の高いハンサムくん。
桜木くんは、去年樹里さんたちとも共演した実力派ダンサーです。
宝塚OGは、多分ガイチさんは初めてだと思います。優子(風花)さんと蘭香レアちゃんは2回目かな?前回は思ったほど出番がなくてとても残念だったのですが。(ところでレアちゃんって芸名を宝塚時代に戻したのでしょうか?退団直後は本名、その次は「三咲レア」で活動されていて…探すの大変だから決めてほしいなあ…)
上でいろいろ(振付を)褒めた後で言うのもなんですが、玉野さんの「脚本力」とゆーのは、まぁ、宝塚でいえば斎藤さんや藤井さんのレベルなので。(あの二人もショーは良い物作るし、レベルはかなり近いかも)。
なので、「芝居仕立て」のショーはいいけど、「ショー仕立てのお芝居」は…激つまらん、のも事実ではあるのですが。
でもでも、楽しかったもん!
なんたって本物のダンサーが揃ってますから。
ダンスシーンはどこも手抜き無しで、まばたきする暇もなく。
音楽が止まると、ぐったり疲れます。
すごい集中して観ているから。
オープニングの総踊りがあまりにかっこよくて、ついつい燃え尽きた…優子姫、健在!でした。
あっというまに時間が過ぎて。
…個人的に、優子姫の藪かゆみ(ヤブ蚊)が再見できると思ってなかったのでとても幸せ(^ ^;ゞ。
レアちゃんは相変わらず最高にキレイ。透明で硬質で、なのに時々、ほろっと蕩けてしまう色っぽさもあって。
なのに、玉野作品に出演するのに必要不可欠なお笑い感性は、本当に!!凄いんです…(疲)。あの数々のネタはいったいどこから出てくるんでしょうか。宝塚時代にあの片鱗を見せていたら、大人気スターになっていたかもしれないと思うのですが…。(でも私は、そんな生真面目なレアちゃんが大好きでした。ポ)
ガイチさんは可愛い。
3人の中で、一番可愛い「女の子」だったかもしれません。
少なくとも、一番「乙女」だったのは間違いないような気がする…。
あの、エネルギッシュで濃密な時間を、どう表現すればいいのか悩みつつ。
それ以上に、
ああ、このとりとめのない文章を、どのカテゴリーに入れればいいんだろうなあ……悩む……。
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Kiss Of The Spider Woman
2007年1月24日 ミュージカル・舞台 コメント (5)もう大分前のニュースなのに今更、という感じですが。
1996年に日本初演され、1998年に「日本最終公演」が行われた、ある意味伝説のミュージカル「蜘蛛女のキス」が
…ついに再演されるんですね。
私はこれ、ハロルド・プリンス演出の初演をアートスフィア(知らないうちに名前が変わってた!ホリプロ運営になっていたなんて…吃驚!!)で観て、衝撃のあまり寝込んだ記憶があります(苦笑)。
その後、二人芝居版も観て、原作(の翻訳)も読みましたが。
…やっぱり、今でもミュージカルを観た時の衝撃が忘れられません。
最初は小説として書かれ、映画と舞台になって、ミュージカルにもなった物語。
それぞれのメディア特性に合わせて様々な改変がなされていますが、どのメディアも成功している、というのは非常に珍しいケースなんじゃないかと思います。
それだけこの原作の力が大きかった、ということなのでしょうね。
…それとも、最初に出会ったのが小説だったとしたら、やっぱり映画も舞台もましてやミュージカルなんて、「あり得ない!」モノだったのかしら…。
もし「蜘蛛女のキス」を、先に小説を読んでから舞台(または映画)を観たよ、という方がいらっしゃいましたら、こっそり感想を教えてくださいましm(_ _)m
監獄の二人部屋に閉じこめられた二人の男、モリーナとヴァレンティン。
原作にも、お芝居にも、「オーロラ」というキャストは出てきません。(映画には出ているのかな…?)オーロラが『主役』として扱われるミュージカルでさえ、物語の主筋は、現実と非現実の境界線上に佇む二人の男、なのです。
ゲイである自分を認めて貰えず、映画の世界、美しい夢の中に逃避し、閉じこもろうとするモリーナ。
自分が存在する現実を現実として認められず、より良い時代、という夢に逃げ込んで、“革命”という大義名分のもと、暴力を駆使するヴァレンティン。
二人の男は、「監獄」という名の閉鎖空間に、閉じ込められていると同時に『閉じこもって』いるのです。
そしてモリーナは、ヴァレンティンに「夢」を語り続ける。
語っている間は、その「夢」に浸っていられるから。
そしてヴァレンティンは、モリーナの話を聞きたがる。
その世界の中になら自分の居場所があるのかもしれない、と思うから。
そうして彼らは、自己紹介ではなく、映画の話をし、その話を聞く中でお互いのことを知り、
そうやって、知らなかった自分の真実をも知り始める。
私は映画を見ていないので語れませんが、この、同じ作品を原作とした芝居とミュージカル、二つの作品において、ストーリーの骨格はさほど変わりません。
お芝居は二人の対話で進められ、ミュージカルは音楽で進められていくところが最大の違いかと思います。
もちろん、『オーロラ』という存在をキャストとしておくことで「幻想」と「現実」の境界を溶かしてしまったミュージカルと、あくまでも「二人の男」の物語として組み立てたお芝居とでは話法もかなり違いますが。
でも。
やっぱり、音楽の力というのは凄いものだ、と感心してしまいます。
遠くにある愛する人を想う「Dear One」の美しさ、革命歌というべき「Day After That」のもつ純粋で強烈な熱、テーマ曲「Kiss of the Spider Woman」の強烈な存在感(…コムさん、がんばれ…)、
そして、モリーナとヴァレンティンが終盤に来て歌う「Anything for Him」。
「(奴は)何でもするさ、俺のためなら」
「(あたしは)何でもするわ、彼のためなら」
そう呟く二人は、このとき初めて対等になってお互いを見詰めるのです。お互いがお互いを裏切ることを決めた、この時に。
この「Anything for Him」のメロディが。
甘い甘いラブソングにしか聞こえないところが。
この作品の、一番の痛いポイントだと思うのです…。
自分がなじめない「現実」を否定して、現実逃避の結果としてのテロを『革命』と名付け、その罪を自覚しながら他人を利用し、傷つけることを厭わないヴァレンティン。
「現実」になじめない自分を否定すしつつ、優しさと弱さの区別もつかない、ただただ他人に与えることしか知らないモリーナ。
二人の選ぶ結末は、あっさり消化できないからこそ、いつまでも棘のように心に残る。
単純に愛したのでもないし、単純に裏切ったのでもない。
二人とも、お互いに、それしか選べなかった。
それだけのこと。
だから、辛い。
だから、痛い。
荻田さんがこの作品を演出する。
この痛い作品を、荻田さんが!?
…いったいどうなるんだろう。
また私、寝込むんじゃなかろうか…。
世界に冠たるハロルド・プリンスの、虚仮威しに近い装置(でも、あの閉塞感を出すには必要なセットだったのかも)や、刻々と移り行く不安定な照明による昏いエネルギーに満ち溢れた演出とは、多分まったく違う世界観になるのでしょうね。
荻田さんって、外部のオリジナル作品では、登場人物の内面に入り込みすぎて観客を置いていってしまうことがあるのですが、このミュージカルは、内面描写を他人(オーロラ)を介して表現し、観客をその狂気に巻き込んでいくところが眼目なので。
その構造を生かして、観客に伝えたいこと…いえ、観客に『読み取らせたいコト』を整理して演出してくれたらいいなあ、と思っています(エラそうですみません!)
ミュージカルでない、二人芝居の方は、村井(国夫)さんと岡本(健一)さん再演と、山本(亨)さんと高橋(和也・元男闘呼組)さんの2回観ているのですが。
細かいところはあまり覚えていませんが、ミュージカル以上に濃くて胸が痛む展開に、「宝塚でやるなら(←やらないから)、絶対ケロ(汐美真帆)さんのモリーナにユウヒ(大空祐飛)さんのヴァレンティンだな、と思ったことだけは覚えています。
(もう少しまともなコトを覚えましょう)
…「日本最終公演」からももうすぐ10年。実際に公演をご覧になっていない方も多いと思います。
ですので、あえてキャストの話は、今はしません。
ただ、マルタ(ヴァレンティンが愛する女)について少しだけ。
あれって案外難しい役なんですよ。非常に複雑な人物なのに出番が少ないという難役。
初演の大浦みずきさん、再演の麻生かほ里さんはいずれもダンサーで、「マルタ」というより「オーロラの代役」という感じがしてしまって…重要な役だけに、唯一不満が残ったキャスティングだったのでした。
なので、今回カヨコ(朝澄けい)さんがキャスティングされていると聞いて、とても楽しみです。2006年3月の「アルジャーノンに花束を」で久々に拝見した彼女ですが、あの透明感と立ち姿の綺麗さ、存在感のある声があれば、幻想と現実の両方に存在する「マルタ」という女性がちゃんと立ち上がるかもしれない、と期待しています。
まぁ、逆にカヨコさんにオーロラ役をやれって言っても無理なので(苦笑)。たとえカヨコさんの「マルタ」が大浦さんのより良かったとしても、それは役者としての価値の話ではなく、合う役合う役者がいるってことですので、どうぞ誤解のなきようm(_ _)m。
大浦さんは、マルタよりやっぱりオーロラを観たかった!!いえ、過去形ではなくて今も観たいです、真剣に。いつか演じてくれるといいなあ。
勿論、コム(朝海ひかる)さんも楽しみですよ♪
ただ、人間外の役を得意とするコムさんですが、オーロラって本来はモリーナが語る映画のヒロインで、「実はそれが蜘蛛女」っていう…最初から人間外じゃないんですよね、あれは。
どうなるんでしょうね、いったい(笑)。正直、見当もつきません。
とりあえずは、観にいくしかないよなあ、コレ…。チケットあるんだろうか…。
1996年に日本初演され、1998年に「日本最終公演」が行われた、ある意味伝説のミュージカル「蜘蛛女のキス」が
…ついに再演されるんですね。
私はこれ、ハロルド・プリンス演出の初演をアートスフィア(知らないうちに名前が変わってた!ホリプロ運営になっていたなんて…吃驚!!)で観て、衝撃のあまり寝込んだ記憶があります(苦笑)。
その後、二人芝居版も観て、原作(の翻訳)も読みましたが。
…やっぱり、今でもミュージカルを観た時の衝撃が忘れられません。
最初は小説として書かれ、映画と舞台になって、ミュージカルにもなった物語。
それぞれのメディア特性に合わせて様々な改変がなされていますが、どのメディアも成功している、というのは非常に珍しいケースなんじゃないかと思います。
それだけこの原作の力が大きかった、ということなのでしょうね。
…それとも、最初に出会ったのが小説だったとしたら、やっぱり映画も舞台もましてやミュージカルなんて、「あり得ない!」モノだったのかしら…。
もし「蜘蛛女のキス」を、先に小説を読んでから舞台(または映画)を観たよ、という方がいらっしゃいましたら、こっそり感想を教えてくださいましm(_ _)m
監獄の二人部屋に閉じこめられた二人の男、モリーナとヴァレンティン。
原作にも、お芝居にも、「オーロラ」というキャストは出てきません。(映画には出ているのかな…?)オーロラが『主役』として扱われるミュージカルでさえ、物語の主筋は、現実と非現実の境界線上に佇む二人の男、なのです。
ゲイである自分を認めて貰えず、映画の世界、美しい夢の中に逃避し、閉じこもろうとするモリーナ。
自分が存在する現実を現実として認められず、より良い時代、という夢に逃げ込んで、“革命”という大義名分のもと、暴力を駆使するヴァレンティン。
二人の男は、「監獄」という名の閉鎖空間に、閉じ込められていると同時に『閉じこもって』いるのです。
そしてモリーナは、ヴァレンティンに「夢」を語り続ける。
語っている間は、その「夢」に浸っていられるから。
そしてヴァレンティンは、モリーナの話を聞きたがる。
その世界の中になら自分の居場所があるのかもしれない、と思うから。
そうして彼らは、自己紹介ではなく、映画の話をし、その話を聞く中でお互いのことを知り、
そうやって、知らなかった自分の真実をも知り始める。
私は映画を見ていないので語れませんが、この、同じ作品を原作とした芝居とミュージカル、二つの作品において、ストーリーの骨格はさほど変わりません。
お芝居は二人の対話で進められ、ミュージカルは音楽で進められていくところが最大の違いかと思います。
もちろん、『オーロラ』という存在をキャストとしておくことで「幻想」と「現実」の境界を溶かしてしまったミュージカルと、あくまでも「二人の男」の物語として組み立てたお芝居とでは話法もかなり違いますが。
でも。
やっぱり、音楽の力というのは凄いものだ、と感心してしまいます。
遠くにある愛する人を想う「Dear One」の美しさ、革命歌というべき「Day After That」のもつ純粋で強烈な熱、テーマ曲「Kiss of the Spider Woman」の強烈な存在感(…コムさん、がんばれ…)、
そして、モリーナとヴァレンティンが終盤に来て歌う「Anything for Him」。
「(奴は)何でもするさ、俺のためなら」
「(あたしは)何でもするわ、彼のためなら」
そう呟く二人は、このとき初めて対等になってお互いを見詰めるのです。お互いがお互いを裏切ることを決めた、この時に。
この「Anything for Him」のメロディが。
甘い甘いラブソングにしか聞こえないところが。
この作品の、一番の痛いポイントだと思うのです…。
自分がなじめない「現実」を否定して、現実逃避の結果としてのテロを『革命』と名付け、その罪を自覚しながら他人を利用し、傷つけることを厭わないヴァレンティン。
「現実」になじめない自分を否定すしつつ、優しさと弱さの区別もつかない、ただただ他人に与えることしか知らないモリーナ。
二人の選ぶ結末は、あっさり消化できないからこそ、いつまでも棘のように心に残る。
単純に愛したのでもないし、単純に裏切ったのでもない。
二人とも、お互いに、それしか選べなかった。
それだけのこと。
だから、辛い。
だから、痛い。
荻田さんがこの作品を演出する。
この痛い作品を、荻田さんが!?
…いったいどうなるんだろう。
また私、寝込むんじゃなかろうか…。
世界に冠たるハロルド・プリンスの、虚仮威しに近い装置(でも、あの閉塞感を出すには必要なセットだったのかも)や、刻々と移り行く不安定な照明による昏いエネルギーに満ち溢れた演出とは、多分まったく違う世界観になるのでしょうね。
荻田さんって、外部のオリジナル作品では、登場人物の内面に入り込みすぎて観客を置いていってしまうことがあるのですが、このミュージカルは、内面描写を他人(オーロラ)を介して表現し、観客をその狂気に巻き込んでいくところが眼目なので。
その構造を生かして、観客に伝えたいこと…いえ、観客に『読み取らせたいコト』を整理して演出してくれたらいいなあ、と思っています(エラそうですみません!)
ミュージカルでない、二人芝居の方は、村井(国夫)さんと岡本(健一)さん再演と、山本(亨)さんと高橋(和也・元男闘呼組)さんの2回観ているのですが。
細かいところはあまり覚えていませんが、ミュージカル以上に濃くて胸が痛む展開に、「宝塚でやるなら(←やらないから)、絶対ケロ(汐美真帆)さんのモリーナにユウヒ(大空祐飛)さんのヴァレンティンだな、と思ったことだけは覚えています。
(もう少しまともなコトを覚えましょう)
…「日本最終公演」からももうすぐ10年。実際に公演をご覧になっていない方も多いと思います。
ですので、あえてキャストの話は、今はしません。
ただ、マルタ(ヴァレンティンが愛する女)について少しだけ。
あれって案外難しい役なんですよ。非常に複雑な人物なのに出番が少ないという難役。
初演の大浦みずきさん、再演の麻生かほ里さんはいずれもダンサーで、「マルタ」というより「オーロラの代役」という感じがしてしまって…重要な役だけに、唯一不満が残ったキャスティングだったのでした。
なので、今回カヨコ(朝澄けい)さんがキャスティングされていると聞いて、とても楽しみです。2006年3月の「アルジャーノンに花束を」で久々に拝見した彼女ですが、あの透明感と立ち姿の綺麗さ、存在感のある声があれば、幻想と現実の両方に存在する「マルタ」という女性がちゃんと立ち上がるかもしれない、と期待しています。
まぁ、逆にカヨコさんにオーロラ役をやれって言っても無理なので(苦笑)。たとえカヨコさんの「マルタ」が大浦さんのより良かったとしても、それは役者としての価値の話ではなく、合う役合う役者がいるってことですので、どうぞ誤解のなきようm(_ _)m。
大浦さんは、マルタよりやっぱりオーロラを観たかった!!いえ、過去形ではなくて今も観たいです、真剣に。いつか演じてくれるといいなあ。
勿論、コム(朝海ひかる)さんも楽しみですよ♪
ただ、人間外の役を得意とするコムさんですが、オーロラって本来はモリーナが語る映画のヒロインで、「実はそれが蜘蛛女」っていう…最初から人間外じゃないんですよね、あれは。
どうなるんでしょうね、いったい(笑)。正直、見当もつきません。
とりあえずは、観にいくしかないよなあ、コレ…。チケットあるんだろうか…。