ジャポネス・ガランチード
2010年3月24日 ミュージカル・舞台東京芸術劇場中ホールにて、TSミュージカル「Garantido~生きた証~」を観劇いたしました。
(2月の落穂を拾わせていただきます)
謝珠栄さんが企画・演出・振付を手がける「TSミュージカルファンデーション」。
私は「黒い瞳」の謝さんの振付が大好きで(^ ^)、「天翔ける風に」初演以降の作品は、予定が合う限り観るようにしていました。でも、公演期間があまり長くないので結構抜けている作品があって、、、この作品の前身となった「砂の戦士たち」も、観たい観たいと思っているうちに公演が終わってしまってとても残念だったのを覚えています。
まぁ、解説などを読むと、「砂の戦士たち」と「Garantido!」の関係はあまり深くないみたいなので、あまり気にせず楽しんでまいりました♪
「現代」の日本で、ある劇団が公演の稽古に入っている。
この公演は、その劇団の“前主宰”=「先生」の追悼公演であり、“新しいリーダー”=「演出家」である吉村(吉野圭吾)のデビュー作品でもあるらしい。
新作の舞台は第二次世界大戦中~戦後のブラジル。
そして、テーマは『仲間』。彼の地に生きることを選んだ日系移民たち(&二世たち)の、苦悩と苦闘のものがたり。
アマゾンの開拓を夢見てブラジルに移住した日本人たちは、1942年の日本ーブラジル国交断絶により、『敵地』の真ん中に放置、いいえ、“放棄”されることになりました。
アメリカにいた日本人二世・三世たちの苦労話はイロイロ伝わってきていますが、改めて考えてみれば、日本政府の肝いりで移民(国策移民)したブラジル移民たちの苦労も、なみなみならぬものだったはずですよね。
勤勉で真面目な日本人は、現地人たちともうまくやっていたはずなのに。ある日突然てのひらを返したように態度が変わる。
焼打ち、略奪、そして収容所。殺されはしなかったにしても、土地は荒らされ、財産は奪われ、、、、夢を抱いて広い太平洋を渡り、気候も違う食べ物も違う病気も違う……さまざまな苦労の末にやっと食っていけるようになったところで、突然巻き込まれた「戦争」。
勝手に戦争を始めておいて、迎えには来なかった、日本政府。
それでも、「ジャポネス・ガランチード(信頼できる日本人)」というアイデンティティを守ろうとした移民たち。
彼らの苦闘と、頭(前主宰)を喪った劇団のアイデンティティを守ろうとする吉村の苦闘を縒り合わせて、「仲間とは?」というテーマを投げかけた一幕。
戦後のブラジルで、自分たちの育てた作物の販売権を取り戻し、『開拓民』として生きていこう!とがんばる若者たちを、『仲間意識』はつくるものじゃない、と気づいていく劇団員たちの目覚めと対比して描く二幕。
二重構造を持つ作品の中で語られるのは、自分たちのアイデンティティを護るために支払われるものと、「仲間でいる」ために払われる犠牲の対価………みたいなものなのかな、と思いました。
非常に勝手な解釈ですみません(^ ^;ゞ
宝塚ファン的には、「夢をかなえるために」船を作るぞ!という展開が、「パリの空よりも高く」の原作である「花咲く港」を思い出させてくれて、ちょっとウケてしまいました(*^ ^*)。
ここできっと嵐が来て、マストが倒れそうになるのよ、でも吉野くんが一人で支えるんだわきっと!!……いや、もしかしたら、支えるのは樹里ちゃんかも……などと、どんどん想像が膨らんだ数分間でした。
……実際には、嵐ではなく、悪意を持つ『ヒト』の存在によって船は傷を負うのですが。
この『悪意を持つヒト』の登場が若干唐突(伏線が無いの)で説得力に欠けたことと、
ラストの展開が…というか、ラストのオチが今ひとつすっきりしないものであったことが残念ではありましたが、総じて非常に面白い物語だと思いました。
生まれたところがイコール故郷なのではなく、自分で選んだ故郷への忠誠心、というテーマの切実さは、非常に謝さんらしいところだと思うんですよね。
故郷=無条件に自分を受け入れてくれるところ、というふうに捉えるならば、『ホンモノの仲間』は故郷となりうるわけです。
だから、自分自身も選ばなくちゃいけない。今の時代、帰属しうるモノはたくさんあるわけです。その中の、どれを自分の「故郷」とするのか?そして、自分はその「故郷」にとっての「故郷」になれているのか、と。
謝さんらしいテーマだな、と思いながらも、あれこれ思い悩む自分がいました。
「ジャポネス・ガランチード!」
そんな魂の叫びに、心洗われながらも。
吉野圭吾
吉村(某劇団の新しいリーダー)/関川カツオ(移民)
基本的に彼の視点で全ての物語が動くので、とても大変だったと思います。
でも、すごく良かったです!さすがだなあと感心しました★TSにも又出て欲しい♪
坂元健児
紀元(某劇団の客演者で、今回の新作の脚本家。吉村の友人)/山田アキラ(日系二世)
「仲間」のあり方を探して苦しむ吉村を一歩離れて見守りながら、自分自身を探している彼が、とても切なくて良かったです。
最後に答えを見つけた紀元と、アキラのモノローグがリンクしていくのがすごく良かったです。
……ラストは、脚本的にちょっとイマイチ…という感じでしたが、坂元くん自身はすごく良かったです。あの、絶妙に『一歩離れた』感って、彼の特技のような気がします。他に、ああいう存在感で舞台に居られる人って思いつかないような気がする…。
畠中洋
畠野上(某劇団の劇団員)/ゲンゾウ(移民)
役としてもいろいろ語りたい役ですが、とにかく畠中さんは格好良くて素敵でした!(きっぱり)
他に言うべきことはございません。(……えっ?)
樹里咲穂
千里(元は某劇団に所属していた女優。新作に客演予定)/ヒデミ(日系二世)
クールであまり感情を表に出さないけれども、誰よりも真剣に作品に取り組んでいた千里。最近メジャーデビューして別の事務所に移籍した元劇団員という設定がぴったりはまっていたと思います
先生の追悼という気持ちだけでなく、劇団が変わっていくのをきちんと見届けたいんだろうな、と、そんなことを思いました。
ヒデミは、たしか幼い頃に両親を亡くし、移民団の若者たちに育てられた…という設定だったと思います。戦争中は収容所に入っていたけれども、戦争が終わってそこを出て、でも女の子一人で生きて行けるはずもなく、娼婦まがいのことをして生き延びて、移民団のいるアカラまで歩いて戻ってきたところで舞台に登場、みたいな感じ。
「そんなこと(←身を売るような真似)をしてまで、なぜココへ戻ってきたのか?」と問われたヒデミは、「だってここには、パパとママのお墓があるから」と答えます。
「無縁仏になんてしたくない」と。
そんな彼女を憐れんだ移民団の若者たちは、彼女を関川(吉野)と結婚させます。
……えっ?と思いましたが(^ ^;ゞ。まあ、多分、設定を考えると、ヒデミはまだ子供みたいな年頃なんだと思うんですよね。せいぜい16,7?樹里ちゃんと吉野さんが演じているからちょうどお似合いの二人に見えちゃいますけど、実際には相当に年の離れたカップルだったんだろうな、と。
二人のラブラブ場面はあまり無いんですが、建設中の船の側でちょっと言葉を交わす場面が、私はとても好きでした。
紅一点だった樹里ちゃんですが、ショートカットだし衣装もシンプルでパンツが多かったので、あんまり紅一点感はなかったなあ~(^ ^; 下手に色気があると辛い役なので、樹里ちゃんでちょうど良かったんだと思います。謝作品の並み居るダンサー陣に一歩もひけをとらず踊りまくる姿の格好良さといったら(はぁと)、さすが!!という感じでした♪
西村直人
西尾(劇団員)/タダオ
いやあん、かっこいい♪♪
ベテランの劇団員で、「どうしてアイツ(吉村)がリーダーなんだよ。納得いかねぇ」ってぶちぶち言ってる姿も可愛かったし、移民団の中でふらふらしている姿も素敵でした。
ああいう役、似合うなあ……。っていうか、謝さんの信頼篤いよなあ……。
岸祐二
根岸(劇団員)/山田ノボル(アキラの兄)
この人が、どちらの物語でもキーマンとなるのですが、芝居も歌もさすがの巧さでした。
伊礼彼方
伊藤(劇団員)/イチロウ(日本人の父とブラジル人の母の間に生まれたハーフ)
彼が一番、劇中劇の現実に近いひとなんですよね。チリ移民のお父上と、チリ女性の母上。この人がいてこその、この作品だったような気がします。
100%の日本人ではないからこそ、誰よりも『日本』への憧憬が強かったイチロウ。彼の気持ちを憐れむのは簡単なことですが、最初から『与えられた故郷』を持たなかった彼が、『日本こそ我が故郷』と定めたからこそ、裏切りに加担してしまう……その想いがひどく切なかったです。
ひょうひょうと演じているようで、結構苦しんだんじゃないかなあ、なんて勝手な想像をしてしまいました(^ ^;ゞ
他の出演者は、良知真次、川本昭彦、平野亙、島田邦人、上口耕平。謝さんが選ぶにふさわしい実力派ぞろいで、面白かったです♪
で。
本題とはあまり関係ないような気もするのですが、、、
吉村が継ごうとする「劇団」の前主宰、亡くなられた「あずませんせい」は、元東京キッドブラザーズの東(ひがし)由多加氏をモデルにしているのでしょうか…?私は実は東氏の作品を直接観たことはないのですが、謝さんのなみなみならぬ思い入れを感じて、映像でもいいからちょっと観てみたい、と思いました。
……今プログラムを見ていて、初めて気づいた事実がひとつ。
エレクトーン演奏=林アキラだったのか!!
ええええっ?アンコールでミュージシャンたち挨拶に出てきてたよね?何故気がつかなかったの、私っっ!?
.
(2月の落穂を拾わせていただきます)
謝珠栄さんが企画・演出・振付を手がける「TSミュージカルファンデーション」。
私は「黒い瞳」の謝さんの振付が大好きで(^ ^)、「天翔ける風に」初演以降の作品は、予定が合う限り観るようにしていました。でも、公演期間があまり長くないので結構抜けている作品があって、、、この作品の前身となった「砂の戦士たち」も、観たい観たいと思っているうちに公演が終わってしまってとても残念だったのを覚えています。
まぁ、解説などを読むと、「砂の戦士たち」と「Garantido!」の関係はあまり深くないみたいなので、あまり気にせず楽しんでまいりました♪
「現代」の日本で、ある劇団が公演の稽古に入っている。
この公演は、その劇団の“前主宰”=「先生」の追悼公演であり、“新しいリーダー”=「演出家」である吉村(吉野圭吾)のデビュー作品でもあるらしい。
新作の舞台は第二次世界大戦中~戦後のブラジル。
そして、テーマは『仲間』。彼の地に生きることを選んだ日系移民たち(&二世たち)の、苦悩と苦闘のものがたり。
アマゾンの開拓を夢見てブラジルに移住した日本人たちは、1942年の日本ーブラジル国交断絶により、『敵地』の真ん中に放置、いいえ、“放棄”されることになりました。
アメリカにいた日本人二世・三世たちの苦労話はイロイロ伝わってきていますが、改めて考えてみれば、日本政府の肝いりで移民(国策移民)したブラジル移民たちの苦労も、なみなみならぬものだったはずですよね。
勤勉で真面目な日本人は、現地人たちともうまくやっていたはずなのに。ある日突然てのひらを返したように態度が変わる。
焼打ち、略奪、そして収容所。殺されはしなかったにしても、土地は荒らされ、財産は奪われ、、、、夢を抱いて広い太平洋を渡り、気候も違う食べ物も違う病気も違う……さまざまな苦労の末にやっと食っていけるようになったところで、突然巻き込まれた「戦争」。
勝手に戦争を始めておいて、迎えには来なかった、日本政府。
それでも、「ジャポネス・ガランチード(信頼できる日本人)」というアイデンティティを守ろうとした移民たち。
彼らの苦闘と、頭(前主宰)を喪った劇団のアイデンティティを守ろうとする吉村の苦闘を縒り合わせて、「仲間とは?」というテーマを投げかけた一幕。
戦後のブラジルで、自分たちの育てた作物の販売権を取り戻し、『開拓民』として生きていこう!とがんばる若者たちを、『仲間意識』はつくるものじゃない、と気づいていく劇団員たちの目覚めと対比して描く二幕。
二重構造を持つ作品の中で語られるのは、自分たちのアイデンティティを護るために支払われるものと、「仲間でいる」ために払われる犠牲の対価………みたいなものなのかな、と思いました。
非常に勝手な解釈ですみません(^ ^;ゞ
宝塚ファン的には、「夢をかなえるために」船を作るぞ!という展開が、「パリの空よりも高く」の原作である「花咲く港」を思い出させてくれて、ちょっとウケてしまいました(*^ ^*)。
ここできっと嵐が来て、マストが倒れそうになるのよ、でも吉野くんが一人で支えるんだわきっと!!……いや、もしかしたら、支えるのは樹里ちゃんかも……などと、どんどん想像が膨らんだ数分間でした。
……実際には、嵐ではなく、悪意を持つ『ヒト』の存在によって船は傷を負うのですが。
この『悪意を持つヒト』の登場が若干唐突(伏線が無いの)で説得力に欠けたことと、
ラストの展開が…というか、ラストのオチが今ひとつすっきりしないものであったことが残念ではありましたが、総じて非常に面白い物語だと思いました。
生まれたところがイコール故郷なのではなく、自分で選んだ故郷への忠誠心、というテーマの切実さは、非常に謝さんらしいところだと思うんですよね。
故郷=無条件に自分を受け入れてくれるところ、というふうに捉えるならば、『ホンモノの仲間』は故郷となりうるわけです。
だから、自分自身も選ばなくちゃいけない。今の時代、帰属しうるモノはたくさんあるわけです。その中の、どれを自分の「故郷」とするのか?そして、自分はその「故郷」にとっての「故郷」になれているのか、と。
謝さんらしいテーマだな、と思いながらも、あれこれ思い悩む自分がいました。
「ジャポネス・ガランチード!」
そんな魂の叫びに、心洗われながらも。
吉野圭吾
吉村(某劇団の新しいリーダー)/関川カツオ(移民)
基本的に彼の視点で全ての物語が動くので、とても大変だったと思います。
でも、すごく良かったです!さすがだなあと感心しました★TSにも又出て欲しい♪
坂元健児
紀元(某劇団の客演者で、今回の新作の脚本家。吉村の友人)/山田アキラ(日系二世)
「仲間」のあり方を探して苦しむ吉村を一歩離れて見守りながら、自分自身を探している彼が、とても切なくて良かったです。
最後に答えを見つけた紀元と、アキラのモノローグがリンクしていくのがすごく良かったです。
……ラストは、脚本的にちょっとイマイチ…という感じでしたが、坂元くん自身はすごく良かったです。あの、絶妙に『一歩離れた』感って、彼の特技のような気がします。他に、ああいう存在感で舞台に居られる人って思いつかないような気がする…。
畠中洋
畠野上(某劇団の劇団員)/ゲンゾウ(移民)
役としてもいろいろ語りたい役ですが、とにかく畠中さんは格好良くて素敵でした!(きっぱり)
他に言うべきことはございません。(……えっ?)
樹里咲穂
千里(元は某劇団に所属していた女優。新作に客演予定)/ヒデミ(日系二世)
クールであまり感情を表に出さないけれども、誰よりも真剣に作品に取り組んでいた千里。最近メジャーデビューして別の事務所に移籍した元劇団員という設定がぴったりはまっていたと思います
先生の追悼という気持ちだけでなく、劇団が変わっていくのをきちんと見届けたいんだろうな、と、そんなことを思いました。
ヒデミは、たしか幼い頃に両親を亡くし、移民団の若者たちに育てられた…という設定だったと思います。戦争中は収容所に入っていたけれども、戦争が終わってそこを出て、でも女の子一人で生きて行けるはずもなく、娼婦まがいのことをして生き延びて、移民団のいるアカラまで歩いて戻ってきたところで舞台に登場、みたいな感じ。
「そんなこと(←身を売るような真似)をしてまで、なぜココへ戻ってきたのか?」と問われたヒデミは、「だってここには、パパとママのお墓があるから」と答えます。
「無縁仏になんてしたくない」と。
そんな彼女を憐れんだ移民団の若者たちは、彼女を関川(吉野)と結婚させます。
……えっ?と思いましたが(^ ^;ゞ。まあ、多分、設定を考えると、ヒデミはまだ子供みたいな年頃なんだと思うんですよね。せいぜい16,7?樹里ちゃんと吉野さんが演じているからちょうどお似合いの二人に見えちゃいますけど、実際には相当に年の離れたカップルだったんだろうな、と。
二人のラブラブ場面はあまり無いんですが、建設中の船の側でちょっと言葉を交わす場面が、私はとても好きでした。
紅一点だった樹里ちゃんですが、ショートカットだし衣装もシンプルでパンツが多かったので、あんまり紅一点感はなかったなあ~(^ ^; 下手に色気があると辛い役なので、樹里ちゃんでちょうど良かったんだと思います。謝作品の並み居るダンサー陣に一歩もひけをとらず踊りまくる姿の格好良さといったら(はぁと)、さすが!!という感じでした♪
西村直人
西尾(劇団員)/タダオ
いやあん、かっこいい♪♪
ベテランの劇団員で、「どうしてアイツ(吉村)がリーダーなんだよ。納得いかねぇ」ってぶちぶち言ってる姿も可愛かったし、移民団の中でふらふらしている姿も素敵でした。
ああいう役、似合うなあ……。っていうか、謝さんの信頼篤いよなあ……。
岸祐二
根岸(劇団員)/山田ノボル(アキラの兄)
この人が、どちらの物語でもキーマンとなるのですが、芝居も歌もさすがの巧さでした。
伊礼彼方
伊藤(劇団員)/イチロウ(日本人の父とブラジル人の母の間に生まれたハーフ)
彼が一番、劇中劇の現実に近いひとなんですよね。チリ移民のお父上と、チリ女性の母上。この人がいてこその、この作品だったような気がします。
100%の日本人ではないからこそ、誰よりも『日本』への憧憬が強かったイチロウ。彼の気持ちを憐れむのは簡単なことですが、最初から『与えられた故郷』を持たなかった彼が、『日本こそ我が故郷』と定めたからこそ、裏切りに加担してしまう……その想いがひどく切なかったです。
ひょうひょうと演じているようで、結構苦しんだんじゃないかなあ、なんて勝手な想像をしてしまいました(^ ^;ゞ
他の出演者は、良知真次、川本昭彦、平野亙、島田邦人、上口耕平。謝さんが選ぶにふさわしい実力派ぞろいで、面白かったです♪
で。
本題とはあまり関係ないような気もするのですが、、、
吉村が継ごうとする「劇団」の前主宰、亡くなられた「あずませんせい」は、元東京キッドブラザーズの東(ひがし)由多加氏をモデルにしているのでしょうか…?私は実は東氏の作品を直接観たことはないのですが、謝さんのなみなみならぬ思い入れを感じて、映像でもいいからちょっと観てみたい、と思いました。
……今プログラムを見ていて、初めて気づいた事実がひとつ。
エレクトーン演奏=林アキラだったのか!!
ええええっ?アンコールでミュージシャンたち挨拶に出てきてたよね?何故気がつかなかったの、私っっ!?
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銀河劇場にて、ダンス・アクト「MATERIAL」を観劇してまいりました。
朝海ひかるさん主演のダンス・アクト……というか、波津彬子さんの「雨柳堂夢咄」を原作としたダンス作品、しかも荻田浩一演出、ということで観てまいりました。
…………荻田さんのやりたいことは、わかる。
コムさんのやりたいことも、たぶん、わかる。
たぶん。
でも……って感じ(汗)。
……後半のショー部分が素晴らしくて、あれを2時間観ていたかったです!(正直)
……原作ファンって、本当にうるさいですよね。すみませんm(_ _)m。
さて。
私は「雨柳堂夢咄」のファンですので、今回舞台化されるにあたり、どの作品が使われるかな?といろいろ想像しておりました。
その予測、ここに書いておけばよかったなあ。
今書いても後だしジャンケンみたいなんですけど(^ ^;ゞ、私はお雛様のエピソードと蜃気楼のエピソードは入るだろう、と思っていました。
単純に、私が好きだという理由と、あと、蜃気楼の話は、チラシに台詞が載っていたので。
もう一つの、観音様の手の話は予想外でしたが、流れで観てみれば納得……という感じ。
そもそも原作が非常にイメージ喚起力の高い幻想的な作品なので、中途半端にダンスアクトにするからイマイチ感があったんじゃないか、と思いました。
完全なショーのモティーフとして雨柳堂のイマジネーションを使うか、ちゃんとオムニバスのお芝居として構成を考えるか、どちらかにしてほしかったような気がします。
あと、原作どおりの台詞を喋らせるなら、蓮さんに喋れない人を当てちゃ、ダメ。
コムさんは、最近の女優姿を観ていて予想していたよりも更に女性的に美しくなっていて、確かに蓮さんは無理だな、と思いました。荻田さんも、その見極めは正しかったと思います。
彼女は蓮さんの裏側、というか……あの世側の蓮さん、みたいな感じで。表で蓮さんを演じる三浦涼介さんと表裏一体な感じになっていたのですが。
で、その、表の蓮さんを演じた三浦涼介さん。
綺麗だし踊れるし、スタイルいいし、得がたい人材だと思います。たしかに、見た目だけなら100%蓮さんそのもので、驚きました。
※経歴見ると、TSの「カリィ」に出ていたみたいなんですが、覚えてないや(T T)。
でも、残念ながら、台詞はまだまだ(T T)。声が高いのはまあいいとして(蓮さんも少年なので)、口調が甘えたな感じで、女の子みたい。っていうか、オカマみたい(真顔) 蓮さんはそんなふうに喋らないもんっっっ!!(←原作ファンの悪いところが出てます)
幻想的で意味ありげな台詞を、意味ありげに口にする役なので、もっと台詞の巧い人に、なんだったらアテレコでもいいので喋らせて欲しかった気がします。
蓮の祖父(雨柳堂の店主)は、植本潤さん。
このほかにも、赤姫だの「観音様の手」の住職だの、怪しげな役をたくさんやってらっしゃいましたが、本当に何をやっても巧い人で、感心しました。
ショー場面で、ショートヘアの鬘にタイトなドレスでがんがん踊る場面があって、最初本気で誰だかわかりませんでした!!体型的に、あんなにタイトなドレスを着ても完全な女に見える(汗)。しかも、結構スタイルが良い(頭小さいし。腰ほそいし。)
すごい……。
蜃気楼のエピソードのメイン・由貴哉役は、川原一馬さん。
最初に振袖で登場(女の子として育てられた設定なので)し、お芝居の間はずっと白塗り化粧でしたが……う〜ん、植本さんの方が美人だった、かも(涙)。
芝居は良かったです。こちらも経歴を見ると「GODSPELL」に出ているらしいんですが、どの回だろう?まぁでも、アレに出てるってことは歌も芝居もある程度はOKってことですよね。たしかに良かった……と、思います。台詞も自然だったし。表情は、白塗りだったので今ひとつよく判らなかったけど。
後半のショーで、化粧を落として楽しそうに踊っているときが凄く可愛くて、びっくりしました。笑顔に吸引力があるの♪ 素化粧でも少年役がよく似合うと思うので、由貴哉役なら白塗りじゃなくても良かったのでは…と思いました。荻田さんのこだわりなのかしら。そんなに妖しげな子じゃなくて、普通の良い子なんだけどなあ。
雨柳堂にやってくる客たち、そして、由貴哉が敬愛する家庭教師須永役は、石井一彰さん。
歌えることは7月のコンサートで知っていますが、それにしても柔らかなテノールで、かなり感動しました。素晴らしい。芝居も良かったし、荻田作品の二枚目役として過不足ない存在感でした。またポイントアップしてます♪さあ、次の舞台が楽しみな人だ!!
ダンサーズは、男性が森川次朗さんと東山竜彦さん、女性が紀元由有さんと宮菜穂子さん。
宮さんは何度か観てますが、相変わらずキュートで可愛いです♪
紀元さんは、「Mr.PINSTRIPE」に出ていらっしゃいましたよね?今回はダンスに歌に大活躍で、素敵でした。特に、ショーでの黒いドレスでのダンスが素晴らしかった!!
男性二人は、東山さんがメインなのかな?コムさんとメインで踊っていたのも東山さんだったような。すごくセクシーで、目が離せないダンサーでした。
森川さんはどちらかというとアクロバティックなダンサーで、物語をひっかきまわす“もののけ”役のときの元気な動きが印象的です。
コムさんは、蓮さんの裏側、というか、もののけ側の代表、というか、その二つを繋ぐ存在感があって、素敵でした。ちょっともののけ側に近い時の表情豊かなコケティッシュさ(波津さんの描くもののけはとても可愛らしい)と、蓮の裏側に居るときの無表情な涼しさの対比が印象的。
ただ、芝居部分では意外と登場が少なくて、あれ?これって「朝海ひかるダンス・アクト」だよね?という戸惑いもありました。
その分まで、後半のショーでは出ずっぱりで踊ってくれて、とても楽しかったです。道成寺の清姫が最高!でした(はぁと)。……だから、あのショーが2時間でも良かったのにと(黙)
あああ、荻田さんのショーがもう一度観たい!!と、あらためてそう思いました(涙)。
.
朝海ひかるさん主演のダンス・アクト……というか、波津彬子さんの「雨柳堂夢咄」を原作としたダンス作品、しかも荻田浩一演出、ということで観てまいりました。
…………荻田さんのやりたいことは、わかる。
コムさんのやりたいことも、たぶん、わかる。
たぶん。
でも……って感じ(汗)。
……後半のショー部分が素晴らしくて、あれを2時間観ていたかったです!(正直)
……原作ファンって、本当にうるさいですよね。すみませんm(_ _)m。
さて。
私は「雨柳堂夢咄」のファンですので、今回舞台化されるにあたり、どの作品が使われるかな?といろいろ想像しておりました。
その予測、ここに書いておけばよかったなあ。
今書いても後だしジャンケンみたいなんですけど(^ ^;ゞ、私はお雛様のエピソードと蜃気楼のエピソードは入るだろう、と思っていました。
単純に、私が好きだという理由と、あと、蜃気楼の話は、チラシに台詞が載っていたので。
もう一つの、観音様の手の話は予想外でしたが、流れで観てみれば納得……という感じ。
そもそも原作が非常にイメージ喚起力の高い幻想的な作品なので、中途半端にダンスアクトにするからイマイチ感があったんじゃないか、と思いました。
完全なショーのモティーフとして雨柳堂のイマジネーションを使うか、ちゃんとオムニバスのお芝居として構成を考えるか、どちらかにしてほしかったような気がします。
あと、原作どおりの台詞を喋らせるなら、蓮さんに喋れない人を当てちゃ、ダメ。
コムさんは、最近の女優姿を観ていて予想していたよりも更に女性的に美しくなっていて、確かに蓮さんは無理だな、と思いました。荻田さんも、その見極めは正しかったと思います。
彼女は蓮さんの裏側、というか……あの世側の蓮さん、みたいな感じで。表で蓮さんを演じる三浦涼介さんと表裏一体な感じになっていたのですが。
で、その、表の蓮さんを演じた三浦涼介さん。
綺麗だし踊れるし、スタイルいいし、得がたい人材だと思います。たしかに、見た目だけなら100%蓮さんそのもので、驚きました。
※経歴見ると、TSの「カリィ」に出ていたみたいなんですが、覚えてないや(T T)。
でも、残念ながら、台詞はまだまだ(T T)。声が高いのはまあいいとして(蓮さんも少年なので)、口調が甘えたな感じで、女の子みたい。っていうか、オカマみたい(真顔) 蓮さんはそんなふうに喋らないもんっっっ!!(←原作ファンの悪いところが出てます)
幻想的で意味ありげな台詞を、意味ありげに口にする役なので、もっと台詞の巧い人に、なんだったらアテレコでもいいので喋らせて欲しかった気がします。
蓮の祖父(雨柳堂の店主)は、植本潤さん。
このほかにも、赤姫だの「観音様の手」の住職だの、怪しげな役をたくさんやってらっしゃいましたが、本当に何をやっても巧い人で、感心しました。
ショー場面で、ショートヘアの鬘にタイトなドレスでがんがん踊る場面があって、最初本気で誰だかわかりませんでした!!体型的に、あんなにタイトなドレスを着ても完全な女に見える(汗)。しかも、結構スタイルが良い(頭小さいし。腰ほそいし。)
すごい……。
蜃気楼のエピソードのメイン・由貴哉役は、川原一馬さん。
最初に振袖で登場(女の子として育てられた設定なので)し、お芝居の間はずっと白塗り化粧でしたが……う〜ん、植本さんの方が美人だった、かも(涙)。
芝居は良かったです。こちらも経歴を見ると「GODSPELL」に出ているらしいんですが、どの回だろう?まぁでも、アレに出てるってことは歌も芝居もある程度はOKってことですよね。たしかに良かった……と、思います。台詞も自然だったし。表情は、白塗りだったので今ひとつよく判らなかったけど。
後半のショーで、化粧を落として楽しそうに踊っているときが凄く可愛くて、びっくりしました。笑顔に吸引力があるの♪ 素化粧でも少年役がよく似合うと思うので、由貴哉役なら白塗りじゃなくても良かったのでは…と思いました。荻田さんのこだわりなのかしら。そんなに妖しげな子じゃなくて、普通の良い子なんだけどなあ。
雨柳堂にやってくる客たち、そして、由貴哉が敬愛する家庭教師須永役は、石井一彰さん。
歌えることは7月のコンサートで知っていますが、それにしても柔らかなテノールで、かなり感動しました。素晴らしい。芝居も良かったし、荻田作品の二枚目役として過不足ない存在感でした。またポイントアップしてます♪さあ、次の舞台が楽しみな人だ!!
ダンサーズは、男性が森川次朗さんと東山竜彦さん、女性が紀元由有さんと宮菜穂子さん。
宮さんは何度か観てますが、相変わらずキュートで可愛いです♪
紀元さんは、「Mr.PINSTRIPE」に出ていらっしゃいましたよね?今回はダンスに歌に大活躍で、素敵でした。特に、ショーでの黒いドレスでのダンスが素晴らしかった!!
男性二人は、東山さんがメインなのかな?コムさんとメインで踊っていたのも東山さんだったような。すごくセクシーで、目が離せないダンサーでした。
森川さんはどちらかというとアクロバティックなダンサーで、物語をひっかきまわす“もののけ”役のときの元気な動きが印象的です。
コムさんは、蓮さんの裏側、というか、もののけ側の代表、というか、その二つを繋ぐ存在感があって、素敵でした。ちょっともののけ側に近い時の表情豊かなコケティッシュさ(波津さんの描くもののけはとても可愛らしい)と、蓮の裏側に居るときの無表情な涼しさの対比が印象的。
ただ、芝居部分では意外と登場が少なくて、あれ?これって「朝海ひかるダンス・アクト」だよね?という戸惑いもありました。
その分まで、後半のショーでは出ずっぱりで踊ってくれて、とても楽しかったです。道成寺の清姫が最高!でした(はぁと)。……だから、あのショーが2時間でも良かったのにと(黙)
あああ、荻田さんのショーがもう一度観たい!!と、あらためてそう思いました(涙)。
.
今週は仕事でバタバタしておりまして、ずいぶん間があいてしまいました。すみません。
(誰も待ってない?…そんなホントのコトを涙)
宙バウの配役が発表されたり(天輝トニカちゃん、大劇場で待っています!!)、オリンピックが盛り上がってきたりしていますが、とりあえず、中日劇場にいく前に落穂ひろいを終わらせておきたいと思います。……もう少し、お付き合いくださいませ。
青山劇場にて、「ウーマン・イン・ホワイト」を観劇しました……一ヶ月ほど前に。
二年前の上演時の日記はこちら。
http://80646.diarynote.jp/m/200711240059480000/
思い出してみれば、あのときも「ウーマン・イン・ホワイト」と「蜘蛛女のキス」は、なにげにセットだったんですねぇ。偶然なのかしら。
そして。
感想も「蜘蛛女のキス」とよく似てる、かも。
やっぱり音楽が良いし脚本が良いし、前回から引き続きのメインキャストは皆さん素晴らしいし、変わったキャストはそれぞれに良い味を出しているし。
どっちも、ホントにすごく良いカンパニーでした(*^ ^*)。
キャストは大幅に変更されていて、メインキャストで継続だったのは、主役・マリアンの笹本玲奈と、マリアンローラの父の弟(ローラの叔父)で二人の後見役の光枝明彦のみ、でした。
変更キャストは……
マリアンの異父妹で、父親の遺産を相続した資産家の美少女・ローラが神田沙也加⇒大和田美帆。
姉妹が恋する貧乏な(下層階級の)美術教師・ウォルターを別所哲也⇒田代万里生。
ローラの許嫁・グライド卿を石川禅⇒パク・トンハ。
グライド卿の友人、エピキュリアンなイタリア男・フォスコ伯爵を上條恒彦⇒岡幸二郎。
そして、白い服を着た謎の女、アン・キャスリックを、山本カナコ⇒和音美桜。
いや、面白かったです。
一番印象的だったのは、上條さんから岡さんに変わったフォスコ伯爵かな。
というか、そもそもフォスコ伯爵ってものすごく印象に残る役なので、それが全くの別人になったことで、ずいぶん作品のイメージが変わったな、と思いました。
前回観たときは、『もうこの作品は、上條さんが主役でいいよ!』…と思ったりしたのですが、キャストが変わった今回は、違う意味で同じことを思いました(^ ^)。いやー、フォスコ伯爵って本当に良い役なんですねぇ。
上條さんだと、どうしても年齢的に「初老の男」になるので、ああいう行動を見ていると「色ボケ!」という気がしてしまうのですが(汗)、岡さんだとマリアンたちと同世代……は言いすぎにしても、まあ相手をしてもおかしくない感じはするので。いろんな行動が自然なんですよね。
マリアンに興味を持つ過程も、屋敷に訪ねてきたマリアンをモノにしようとする場面(you can get away with anything)も、すごくテンポが良くて面白かったです。
まあ、岡さんは残念ながらそういう意味での色気のない人なので、夢中になってしまった上條さんのような可愛らしさや、「あ~あ、オジサンったら騙されちゃって…」みたいな見えかたは無かったのですが。その代わりに、彼にあるのは『冷静な観察者』としての存在感、ですね。マリアンが一生懸命チャンスを狙ってアレコレするのを、一歩離れたところで面白がっているような、そんな空気を感じました。
マリアンに髭を嫌がられて、ちょっとしょんぼりしながら剃るために席を外した、後。
ヤル気満々で戻ってきてみたら、マリアンが書類を掴んで立ち尽くしていた……その、場面。
上條さんの、何とも言えず残念そうな、「まったく、貴女ときたら……」という声が聞こえてきそうな芝居がすごく好きだったのですが、岡さんの「まーったく、何か企んでいると思ったら案の定……」という、ちょっと蔑んだような冷たい態度も、なかなかにツボでした。
作品的には、やはり年代的に岡さんの方が役にはあっていたような気がしますが、二人のフォスコ伯爵を観ることができて、とても楽しかったです。
大きく印象が変わったのは、ぐっと若く、真直ぐになった田代さんのウォルターですね。
私は別所さんのバルジャンはすごく好きだったんですが、こういう普通の二枚目役、若くてハンサムなテノール向きの役はイマイチ似合わないんですよね…(涙)それでも、他の作品…たとえば「ユーリンタウン」の主人公みたいな、ああいう役に比べれば、ウォルターは元々マリアンやローラの“先生”なので、彼女たちより一世代上で大丈夫だし、頼りがいのある誠実で不器用な男、という設定なのでそこまでの違和感は無かったのですが、今回田代さんのウォルターを観て、やっぱりあれは違っていたんだな、と思いました(^ ^;ゞ。
ウォルターには、若さゆえの『無力さ』と『無鉄砲さ』が必要なんだな、と思ったのです。
彼は労働者階級で、喪うものなど何もない、“持たざる者”なのですから。ジェントルメン階級のマリアンとローラ、労働者階級のウォルター。ウォルターはそれでも食事をマリアンたちと一緒にとることを赦されますが、本質的には『ジェントルメン』ではない、とみなされているわけですから。
そういう“持たざるも者”の、“持てる者”へ向ける憧憬や焦燥、そういった感情が、別所さんには全く無かった。落ち着いた大人の男でした。でも、決して芝居が巧いわけではないはずの田代さんには、そういう“焦り”があったんですよね。
ローラに対しても、真直ぐに愛を表現するのではなく、後ろめたくて一直線に駆け寄るわけにはいかない、という空気を感じさせたところが良かったのだと思います。それがあるから、ローラも駆け落ちとかそういうのを考えることができないわけで。唯々諾々と姉の言うままに嫁ぎ、決定的な傷を負わされるまで気がつかない。
そして、パーシヴァル卿のパク・トンハ。
なんせ初演は石川禅ちゃんだったわけで、現役エポニーヌな玲奈ちゃんと現役バルジャン&ジャヴェールな別所&石川のコンビっていうのは物凄い違和感だったんだな、と、今回観てあらためて思いました。やっぱり、マリアンがエポニーヌならウォルターとパーシヴァル卿はマリウス&アンジョルラスクラスでないと、ね(^ ^)。
マッチョな見た目と頑固な雰囲気は、エピキュリアンなフォスコ伯爵の仲間というよりは、厳格な軍人家庭みたいなものの方がイメージかな、とも思いましたけれども、二幕ラストの光枝さんを脅しつけてサインをさせようとする場面の小物っぷりとか、的確に役の人物を表現していたような気がします。あと、「エリザベート」のルドルフでデビューしているだけあって、さりげなく貴族に見えるところはさすがでした。ウォルターに対する態度の傲慢さとか、マリアンやローラをさりげなく下に見ているところとか、パーシヴァル卿>マリアン・ローラ>ウォルターという身分の差がよく見えて、話がわかりやすくなっていたかな、と。
ローラの大和田さんは、それなりに歌えていたのでホッとしました。
ソロもデュエットも聴きやすかったし、芝居も無難で、良かったんじゃないかなあ。ただ、玲奈ちゃんが最近急激に綺麗になってきているので、ウォルターがどうしてマリアンじゃダメだったんだろう?と思ってしまいましたが。神田さやかちゃんは、歌はアレでも、やっぱり可愛かったもんな。
……いや、大和田さんも可愛いんですけどね。玲奈ちゃんが、一幕前半はもう少し地味に(衣装とか、髪型とか、お化粧とか)する必要があるのかもしれません。
アン・キャスリックのたっちん(和音美桜)。
いやー、可愛かった!初演の山本さんのあの線の細さとヒステリックな声質が役にすごく合っていたので、どうなるかなあと思っていたのですが、さすがたっちん。演技力は半端ないですね。
初演より実在感のある演技で、玲奈ちゃんと対等にやりあっていたのがさすがでした。ヒロイン経験っていうのはこういうところでも役に立つんだなあ。
一つだけ改良点を挙げるなら、物語のラスト、駅のセットの上に立って笑顔でマリアンたちを見守っている場面だけは、幽霊メークじゃなくて普通のメークでよかったと思う。
結構長い時間、笑顔で目立つ所に立っていて、照明も当たっている場面なのに、目元のクマとか頬のコケた影とかが強すぎて、怖かった……(T T)。
最後に。
マリアン・ハルカムの笹本玲奈。
初演時にこの役でいくつかの賞を獲り、女優として大きく躍進した玲奈ちゃん。あの後もいろんんな役を経て、大きく成長しての再演。
……すごく良かったです。名実ともに、主演女優でした。物語を立ち上げ、支え、そして幕を降ろす……その一番難しい所を、ちゃんと責任を持ってやっているように見えました。
ホントに、いい女優になったなあ(*^ ^*)。
今回は、歌や芝居の基本的な技術にハテナがつく人がいなかったので、とても気持ちよく観ることができました。ちあきしんさんが歌唱指導のみで出演されなかったのがとても残念ですが、ソンちゃん(秋園美緒)がいたり、レ・ミゼラブル組が何人もいたり、アンサンブル観てるだけでも楽しかったです。
やっぱりこの作品、音楽がいい!!玲奈ちゃんの「All For LAURA」、また聴きたいです。良い作品は何度でも再演してほしい。
そして。ロイド=ウェッバー作品が劇団四季以外で上演されるたびに思うことを、ことだまとして書かせていただきたいと思います。
【祈】「サンセット・ブールバード」の、四季以外での上演が実現しますように!!【祈】
.
(誰も待ってない?…そんなホントのコトを涙)
宙バウの配役が発表されたり(天輝トニカちゃん、大劇場で待っています!!)、オリンピックが盛り上がってきたりしていますが、とりあえず、中日劇場にいく前に落穂ひろいを終わらせておきたいと思います。……もう少し、お付き合いくださいませ。
青山劇場にて、「ウーマン・イン・ホワイト」を観劇しました……一ヶ月ほど前に。
二年前の上演時の日記はこちら。
http://80646.diarynote.jp/m/200711240059480000/
思い出してみれば、あのときも「ウーマン・イン・ホワイト」と「蜘蛛女のキス」は、なにげにセットだったんですねぇ。偶然なのかしら。
そして。
感想も「蜘蛛女のキス」とよく似てる、かも。
やっぱり音楽が良いし脚本が良いし、前回から引き続きのメインキャストは皆さん素晴らしいし、変わったキャストはそれぞれに良い味を出しているし。
どっちも、ホントにすごく良いカンパニーでした(*^ ^*)。
キャストは大幅に変更されていて、メインキャストで継続だったのは、主役・マリアンの笹本玲奈と、マリアンローラの父の弟(ローラの叔父)で二人の後見役の光枝明彦のみ、でした。
変更キャストは……
マリアンの異父妹で、父親の遺産を相続した資産家の美少女・ローラが神田沙也加⇒大和田美帆。
姉妹が恋する貧乏な(下層階級の)美術教師・ウォルターを別所哲也⇒田代万里生。
ローラの許嫁・グライド卿を石川禅⇒パク・トンハ。
グライド卿の友人、エピキュリアンなイタリア男・フォスコ伯爵を上條恒彦⇒岡幸二郎。
そして、白い服を着た謎の女、アン・キャスリックを、山本カナコ⇒和音美桜。
いや、面白かったです。
一番印象的だったのは、上條さんから岡さんに変わったフォスコ伯爵かな。
というか、そもそもフォスコ伯爵ってものすごく印象に残る役なので、それが全くの別人になったことで、ずいぶん作品のイメージが変わったな、と思いました。
前回観たときは、『もうこの作品は、上條さんが主役でいいよ!』…と思ったりしたのですが、キャストが変わった今回は、違う意味で同じことを思いました(^ ^)。いやー、フォスコ伯爵って本当に良い役なんですねぇ。
上條さんだと、どうしても年齢的に「初老の男」になるので、ああいう行動を見ていると「色ボケ!」という気がしてしまうのですが(汗)、岡さんだとマリアンたちと同世代……は言いすぎにしても、まあ相手をしてもおかしくない感じはするので。いろんな行動が自然なんですよね。
マリアンに興味を持つ過程も、屋敷に訪ねてきたマリアンをモノにしようとする場面(you can get away with anything)も、すごくテンポが良くて面白かったです。
まあ、岡さんは残念ながらそういう意味での色気のない人なので、夢中になってしまった上條さんのような可愛らしさや、「あ~あ、オジサンったら騙されちゃって…」みたいな見えかたは無かったのですが。その代わりに、彼にあるのは『冷静な観察者』としての存在感、ですね。マリアンが一生懸命チャンスを狙ってアレコレするのを、一歩離れたところで面白がっているような、そんな空気を感じました。
マリアンに髭を嫌がられて、ちょっとしょんぼりしながら剃るために席を外した、後。
ヤル気満々で戻ってきてみたら、マリアンが書類を掴んで立ち尽くしていた……その、場面。
上條さんの、何とも言えず残念そうな、「まったく、貴女ときたら……」という声が聞こえてきそうな芝居がすごく好きだったのですが、岡さんの「まーったく、何か企んでいると思ったら案の定……」という、ちょっと蔑んだような冷たい態度も、なかなかにツボでした。
作品的には、やはり年代的に岡さんの方が役にはあっていたような気がしますが、二人のフォスコ伯爵を観ることができて、とても楽しかったです。
大きく印象が変わったのは、ぐっと若く、真直ぐになった田代さんのウォルターですね。
私は別所さんのバルジャンはすごく好きだったんですが、こういう普通の二枚目役、若くてハンサムなテノール向きの役はイマイチ似合わないんですよね…(涙)それでも、他の作品…たとえば「ユーリンタウン」の主人公みたいな、ああいう役に比べれば、ウォルターは元々マリアンやローラの“先生”なので、彼女たちより一世代上で大丈夫だし、頼りがいのある誠実で不器用な男、という設定なのでそこまでの違和感は無かったのですが、今回田代さんのウォルターを観て、やっぱりあれは違っていたんだな、と思いました(^ ^;ゞ。
ウォルターには、若さゆえの『無力さ』と『無鉄砲さ』が必要なんだな、と思ったのです。
彼は労働者階級で、喪うものなど何もない、“持たざる者”なのですから。ジェントルメン階級のマリアンとローラ、労働者階級のウォルター。ウォルターはそれでも食事をマリアンたちと一緒にとることを赦されますが、本質的には『ジェントルメン』ではない、とみなされているわけですから。
そういう“持たざるも者”の、“持てる者”へ向ける憧憬や焦燥、そういった感情が、別所さんには全く無かった。落ち着いた大人の男でした。でも、決して芝居が巧いわけではないはずの田代さんには、そういう“焦り”があったんですよね。
ローラに対しても、真直ぐに愛を表現するのではなく、後ろめたくて一直線に駆け寄るわけにはいかない、という空気を感じさせたところが良かったのだと思います。それがあるから、ローラも駆け落ちとかそういうのを考えることができないわけで。唯々諾々と姉の言うままに嫁ぎ、決定的な傷を負わされるまで気がつかない。
そして、パーシヴァル卿のパク・トンハ。
なんせ初演は石川禅ちゃんだったわけで、現役エポニーヌな玲奈ちゃんと現役バルジャン&ジャヴェールな別所&石川のコンビっていうのは物凄い違和感だったんだな、と、今回観てあらためて思いました。やっぱり、マリアンがエポニーヌならウォルターとパーシヴァル卿はマリウス&アンジョルラスクラスでないと、ね(^ ^)。
マッチョな見た目と頑固な雰囲気は、エピキュリアンなフォスコ伯爵の仲間というよりは、厳格な軍人家庭みたいなものの方がイメージかな、とも思いましたけれども、二幕ラストの光枝さんを脅しつけてサインをさせようとする場面の小物っぷりとか、的確に役の人物を表現していたような気がします。あと、「エリザベート」のルドルフでデビューしているだけあって、さりげなく貴族に見えるところはさすがでした。ウォルターに対する態度の傲慢さとか、マリアンやローラをさりげなく下に見ているところとか、パーシヴァル卿>マリアン・ローラ>ウォルターという身分の差がよく見えて、話がわかりやすくなっていたかな、と。
ローラの大和田さんは、それなりに歌えていたのでホッとしました。
ソロもデュエットも聴きやすかったし、芝居も無難で、良かったんじゃないかなあ。ただ、玲奈ちゃんが最近急激に綺麗になってきているので、ウォルターがどうしてマリアンじゃダメだったんだろう?と思ってしまいましたが。神田さやかちゃんは、歌はアレでも、やっぱり可愛かったもんな。
……いや、大和田さんも可愛いんですけどね。玲奈ちゃんが、一幕前半はもう少し地味に(衣装とか、髪型とか、お化粧とか)する必要があるのかもしれません。
アン・キャスリックのたっちん(和音美桜)。
いやー、可愛かった!初演の山本さんのあの線の細さとヒステリックな声質が役にすごく合っていたので、どうなるかなあと思っていたのですが、さすがたっちん。演技力は半端ないですね。
初演より実在感のある演技で、玲奈ちゃんと対等にやりあっていたのがさすがでした。ヒロイン経験っていうのはこういうところでも役に立つんだなあ。
一つだけ改良点を挙げるなら、物語のラスト、駅のセットの上に立って笑顔でマリアンたちを見守っている場面だけは、幽霊メークじゃなくて普通のメークでよかったと思う。
結構長い時間、笑顔で目立つ所に立っていて、照明も当たっている場面なのに、目元のクマとか頬のコケた影とかが強すぎて、怖かった……(T T)。
最後に。
マリアン・ハルカムの笹本玲奈。
初演時にこの役でいくつかの賞を獲り、女優として大きく躍進した玲奈ちゃん。あの後もいろんんな役を経て、大きく成長しての再演。
……すごく良かったです。名実ともに、主演女優でした。物語を立ち上げ、支え、そして幕を降ろす……その一番難しい所を、ちゃんと責任を持ってやっているように見えました。
ホントに、いい女優になったなあ(*^ ^*)。
今回は、歌や芝居の基本的な技術にハテナがつく人がいなかったので、とても気持ちよく観ることができました。ちあきしんさんが歌唱指導のみで出演されなかったのがとても残念ですが、ソンちゃん(秋園美緒)がいたり、レ・ミゼラブル組が何人もいたり、アンサンブル観てるだけでも楽しかったです。
やっぱりこの作品、音楽がいい!!玲奈ちゃんの「All For LAURA」、また聴きたいです。良い作品は何度でも再演してほしい。
そして。ロイド=ウェッバー作品が劇団四季以外で上演されるたびに思うことを、ことだまとして書かせていただきたいと思います。
【祈】「サンセット・ブールバード」の、四季以外での上演が実現しますように!!【祈】
.
東京芸術劇場中ホールにて、ミュージカル「蜘蛛女のキス」を観劇して参りました。
二年前に上演された、荻田浩一演出版の再演です。
その時の日記はこちら。
http://80646.diarynote.jp/m/200711070033480000/
前回とのメインキャストの変更点は……
モリーナ 石井一孝
ヴァレンティン 浦井健治
オーロラ(蜘蛛女) 金志賢 ← 朝海ひかる
モリーナの母 初風諄
所長 今井朋彦 ← 藤本隆宏
マルタ 朝澄けい
ガブリエル 縄田晋
そして、役名はありませんが、ダンサーの辻本和彦さんが加わって、ダンスでの表現が非常に高度になっていました。
なんだか、作品については前回の日記と、そこから更にリンクしている日記(公演が発表された頃のもの)にだいたい書いたので、今日は、変更点を中心に述べさせていただきます。
よろしければ、昔の日記を合わせてお読みいただければ幸いです。
三年前の、発表時の日記に、大浦さんのオーロラを観てみたいと書いている自分……あらためて、哀しい(T T)
あ。でも。
変更点を語らせていただくまえに、残念ながら変更されていなかった点、について。
前回公演でも気になった、舞台と映像の使い方、なのですが。
荻田さんの、特に宝塚を卒業してからの作品を観ていて特徴的だな、と思うことは、舞台をとにかく小さく使うこと、です。
彼の演出思想の根幹に『閉塞感』というイマジネーションがあるんだろうな、とは思うのですが、それにしても極端なくらいに、彼は舞台の手前に大きなセットを置いて、間口を狭めたがるんですよね。
そして、狭めた間口の閉じた部分に、象徴的なものを置く。
それは、セットそのものであることもあるし、人を配置することもありますが、、、
意外と多いのが、映像を映写するという手法。
その演出手法自体が悪いとは言いません。
それで成功する事例もあります。映画とのコラボのようだった「カサブランカ」のように。
でも。
……「蜘蛛女のキス」には、余計な演出だと思うんですよね。
モリーナが語るのは、映画の物語。で、彼女が映画を語ると、映写機の回る『カラカラ』という音が鳴り、照明が、ザラついて薄汚れた映写機っぽい質感に変わり……
その役に扮したオーロラが舞台に登場する。
そこまでやっておいて、さらに間口を閉じたところに映像を映す、というのは、やりすぎだと思うんですよ。石井さんの語り口から映像を想像する楽しみが、ない。
しかも、その映像そのものがイケてない……(T T)
まあ、どうも映像の使い方にセンスがないな~と思っていた小池さんが「カサブランカ」でものすごく見事なコラボレーションを見せたので、荻田さんもいずれ自分のイマジネーションの中に映像を取り込めるのかもしれませんが。
……今のところ、映像の使い方については失敗続きなのがちょっと気になる……。
ま、そんなことはおいといて。
まず、なんと言ってもキャスト変更で大きいのは、主役3人の一角である処のオーロラ(蜘蛛女)。
歌は本当に素晴らしかったです(はぁと)。今回のキャストでCDを出してほしいです。ええ。
私は四季ファンとは名乗れなくなってから長く、「CATS」も「ライオンキング」も、金さんが出てきてからは観たことがないんですよね。お名前は勿論知っていますし、歌が素晴らしいという噂も聞いておりましたが、実際に聴いたのは初めてで……
第一声から、「おお~~~!!!」という感じでした(^ ^;ゞ
やっぱり、ジョン・カンダーの甘美な音楽は、甘美に歌い上げてくれる人で聴くと違いますね(*^ ^*)コムさんも予想よりずっと良かったんですけど、、、、根本的なレベルが違うのは仕方の無いことなので。
ただ。
オーロラ役がコムさんから金さんに代わったことで、荻田さんの演出から伝わってくるものも若干変わったことは事実で、それが彼の狙いだったのかどうなのかはわからないなあ……という気はしました。
コムさんのオーロラは、全く実在感のない人形的な象徴。その「血の通ってない」感じがすごく魅力的な蜘蛛女でした。でも、金さんはソコまで非現実的な存在ではなくて、むしろ宝塚時代の荻田さんのショーにおけるシビさん(矢代鴻)の存在感に近かったと思います。
そうか、荻田さんにとって、シビさん=蜘蛛女だったのか!(真顔)と思いましたので。
……シビさんの蜘蛛女、かなり聴いてみたいです。(←踊らなくていいから!)
コムさんとシビさん。
全くタイプは違うけれども、どちらも荻田さんにとってのミューズだったことは間違いないお二人。
シビさん本人ではないけれども、良く似たタイプでさらに現実感が高く、しかもダンサーとしても一定レベルをクリアしている金さんという役者との出会いは、荻田さんにとってラッキーだったのか、どうなのか。これからの舞台づくりに興味は尽きません。
そういえば。
コムさんから金さんに代わって、ダンス場面はどうするのかな?と思っていたのですが、すみませんすみません、金さんも十分にスタイル良いし踊れるんですね。どうもグリザベラとラフィキで評価された人という印象があって、金井小夜子さんと同列に考えていたのですが(^ ^;ゞ。
……あのド迫力のダンサー脚にはちょっと感動しましたわ(^ ^)。
ただ、金さんは、声では十分にファンタジックなんだけど、踊ると結構リアルに存在感があるんですよね。だから、歌っているシーンと踊っているシーン、場面ごとに蜘蛛女という存在の実在感にムラがあって、ちょっと違和感を感じてしまいました。
う~ん、なまじ踊れるからダンスもやらせてしまったけれども、今回はダンサーとして辻本さんが参加してもいるので、彼に身体表現は任せて蜘蛛女はただそこに居るだけ、という演出もありだったと思うんだけどな……。
もうお一人の変更キャスト、今井朋彦さん。
前回の藤本さんがマッチョで尊大な所長さんだったのに対して、非常に怖ろしい、真綿で首を絞めあげていくようなタイプの責め方をする人だな、と思いました。
石井さんのモリーナは割とシンプルに優しいので、こういうのに引っかかったらひとたまりもないな、という感じ。独特の存在感があって、面白い役者ですよね。
歌も良かったし、これからもミュージカルにぜひ出ていただきたいです♪……本業でお忙しいこととは思いますが(汗)。
そして。
浦井ヴァレンティンと石井モリーナ。
石井さん、ぶっ飛んでました。ええ。
本当に素晴らしかった。モリーナがタイトルロール(蜘蛛女)みたい に見えて、すごく新鮮。
対する浦井ヴァレンティンは、前回の、肩に力が入った感じ…というか、ちょっと突っ張った不良少年みたいなところが抜けて、下っ端のチンピラなりにプライドのある大人になっていた印象。
そして、モリーナへの愛は、初演の方が明確だったかな。今回はちょっと、計算の方が強く見えました。「なんでもするさ俺のためなら」と歌いながら、唇の端で嗤うあたりが。
でも、それでも「二度と自分を…」のくだりに愛があるのは、彼の魅力だと思うのです。と、まんまと泣いた猫は語る。(←単なる浦井ファンだから、それ)
前回に比べると、生意気な青さが影をひそめた分、あちこちがとんがって、あたりがキツくなった印象もありました。それが、より懐大きく、包容力を増した石井モリーナとの組み合わせの妙で、物語が大きく膨らんだように見えたのが面白いところだな、と。
ただ、マルタとの関係が少し変わったように見えたのがも面白いところだな、とおもいます。
で、カヨコちゃんのマルタ。
私は彼女の声というか存在感が好きすぎて、彼女が喋ったり歌ったりすると、もう、それだけで何でもいいやというか(^ ^;ゞそんな気持ちになるのですが。
マルタって役は難しい役で、ハロルド・プリンス演出版では、モリーナからの電話に出たときも、ほとんど動揺もみせずに「そんな男知らないわ。なんの話?」と言いきる女で。そもそもヴァレンティンが彼女を恋人だと思っていたこと自体が妄想だったのか?(←その場合、所長はガガセネタをつかまされていたことになる) それとも、ホンモノの組織の中心メンバーに近い女だから、恋人とはいえ下っ端の男の生死に心乱れたりしないという感じなのかな?と思いながら観ていたのですが。
荻田さんの演出では、マルタはすごく悩むんですよね。モリーナからの電話に対してすごく動揺を見せる。もしかしたら、彼女はモリーナが監視されているであろうことを予想してあんな態度に出たのではないか、と、そんな想像をする余地があるくらい、絶妙のお芝居でした。
舞台の前半の、アムネスティ・インターナショナルの一員として視察にきたという芝居(声のみ)では、すごく真剣に「ここには彼がいるはずです!」と詰め寄るような芝居をしていましたよね。あれは、マルタが彼を探しにきたという設定なのか、別人格のなのか……どっちだろう?と思ったり。難しい存在ですが、彼女の不安定さや掴みどころのなさがあってこそのモリーナであり、“蜘蛛女”なのですから、あれはあれで良いんだろうな、と思います(はぁと)。
……歌も踊りも、もちろん芝居も、どれも素晴らしくて。
やっぱり私は、この作品が好きだなあ……と思ったのでした。
う~ん。
非現実的な血の通わない人形タイプで、スタイルが人間離れしていて、肺活量があって中音域~低音域が柔らかい、音程の確かな美声の歌手?
……いないか、そんな人……(T T)
歌さえ歌えればみなこちゃん(愛原実花)で観てみたい役ではあるのですが、荻田さん的には、だったらコムさんで良いんだろうな、たぶん……。
.
二年前に上演された、荻田浩一演出版の再演です。
その時の日記はこちら。
http://80646.diarynote.jp/m/200711070033480000/
前回とのメインキャストの変更点は……
モリーナ 石井一孝
ヴァレンティン 浦井健治
オーロラ(蜘蛛女) 金志賢 ← 朝海ひかる
モリーナの母 初風諄
所長 今井朋彦 ← 藤本隆宏
マルタ 朝澄けい
ガブリエル 縄田晋
そして、役名はありませんが、ダンサーの辻本和彦さんが加わって、ダンスでの表現が非常に高度になっていました。
なんだか、作品については前回の日記と、そこから更にリンクしている日記(公演が発表された頃のもの)にだいたい書いたので、今日は、変更点を中心に述べさせていただきます。
よろしければ、昔の日記を合わせてお読みいただければ幸いです。
三年前の、発表時の日記に、大浦さんのオーロラを観てみたいと書いている自分……あらためて、哀しい(T T)
あ。でも。
変更点を語らせていただくまえに、残念ながら変更されていなかった点、について。
前回公演でも気になった、舞台と映像の使い方、なのですが。
荻田さんの、特に宝塚を卒業してからの作品を観ていて特徴的だな、と思うことは、舞台をとにかく小さく使うこと、です。
彼の演出思想の根幹に『閉塞感』というイマジネーションがあるんだろうな、とは思うのですが、それにしても極端なくらいに、彼は舞台の手前に大きなセットを置いて、間口を狭めたがるんですよね。
そして、狭めた間口の閉じた部分に、象徴的なものを置く。
それは、セットそのものであることもあるし、人を配置することもありますが、、、
意外と多いのが、映像を映写するという手法。
その演出手法自体が悪いとは言いません。
それで成功する事例もあります。映画とのコラボのようだった「カサブランカ」のように。
でも。
……「蜘蛛女のキス」には、余計な演出だと思うんですよね。
モリーナが語るのは、映画の物語。で、彼女が映画を語ると、映写機の回る『カラカラ』という音が鳴り、照明が、ザラついて薄汚れた映写機っぽい質感に変わり……
その役に扮したオーロラが舞台に登場する。
そこまでやっておいて、さらに間口を閉じたところに映像を映す、というのは、やりすぎだと思うんですよ。石井さんの語り口から映像を想像する楽しみが、ない。
しかも、その映像そのものがイケてない……(T T)
まあ、どうも映像の使い方にセンスがないな~と思っていた小池さんが「カサブランカ」でものすごく見事なコラボレーションを見せたので、荻田さんもいずれ自分のイマジネーションの中に映像を取り込めるのかもしれませんが。
……今のところ、映像の使い方については失敗続きなのがちょっと気になる……。
ま、そんなことはおいといて。
まず、なんと言ってもキャスト変更で大きいのは、主役3人の一角である処のオーロラ(蜘蛛女)。
歌は本当に素晴らしかったです(はぁと)。今回のキャストでCDを出してほしいです。ええ。
私は四季ファンとは名乗れなくなってから長く、「CATS」も「ライオンキング」も、金さんが出てきてからは観たことがないんですよね。お名前は勿論知っていますし、歌が素晴らしいという噂も聞いておりましたが、実際に聴いたのは初めてで……
第一声から、「おお~~~!!!」という感じでした(^ ^;ゞ
やっぱり、ジョン・カンダーの甘美な音楽は、甘美に歌い上げてくれる人で聴くと違いますね(*^ ^*)コムさんも予想よりずっと良かったんですけど、、、、根本的なレベルが違うのは仕方の無いことなので。
ただ。
オーロラ役がコムさんから金さんに代わったことで、荻田さんの演出から伝わってくるものも若干変わったことは事実で、それが彼の狙いだったのかどうなのかはわからないなあ……という気はしました。
コムさんのオーロラは、全く実在感のない人形的な象徴。その「血の通ってない」感じがすごく魅力的な蜘蛛女でした。でも、金さんはソコまで非現実的な存在ではなくて、むしろ宝塚時代の荻田さんのショーにおけるシビさん(矢代鴻)の存在感に近かったと思います。
そうか、荻田さんにとって、シビさん=蜘蛛女だったのか!(真顔)と思いましたので。
……シビさんの蜘蛛女、かなり聴いてみたいです。(←踊らなくていいから!)
コムさんとシビさん。
全くタイプは違うけれども、どちらも荻田さんにとってのミューズだったことは間違いないお二人。
シビさん本人ではないけれども、良く似たタイプでさらに現実感が高く、しかもダンサーとしても一定レベルをクリアしている金さんという役者との出会いは、荻田さんにとってラッキーだったのか、どうなのか。これからの舞台づくりに興味は尽きません。
そういえば。
コムさんから金さんに代わって、ダンス場面はどうするのかな?と思っていたのですが、すみませんすみません、金さんも十分にスタイル良いし踊れるんですね。どうもグリザベラとラフィキで評価された人という印象があって、金井小夜子さんと同列に考えていたのですが(^ ^;ゞ。
……あのド迫力のダンサー脚にはちょっと感動しましたわ(^ ^)。
ただ、金さんは、声では十分にファンタジックなんだけど、踊ると結構リアルに存在感があるんですよね。だから、歌っているシーンと踊っているシーン、場面ごとに蜘蛛女という存在の実在感にムラがあって、ちょっと違和感を感じてしまいました。
う~ん、なまじ踊れるからダンスもやらせてしまったけれども、今回はダンサーとして辻本さんが参加してもいるので、彼に身体表現は任せて蜘蛛女はただそこに居るだけ、という演出もありだったと思うんだけどな……。
もうお一人の変更キャスト、今井朋彦さん。
前回の藤本さんがマッチョで尊大な所長さんだったのに対して、非常に怖ろしい、真綿で首を絞めあげていくようなタイプの責め方をする人だな、と思いました。
石井さんのモリーナは割とシンプルに優しいので、こういうのに引っかかったらひとたまりもないな、という感じ。独特の存在感があって、面白い役者ですよね。
歌も良かったし、これからもミュージカルにぜひ出ていただきたいです♪……本業でお忙しいこととは思いますが(汗)。
そして。
浦井ヴァレンティンと石井モリーナ。
石井さん、ぶっ飛んでました。ええ。
本当に素晴らしかった。モリーナがタイトルロール(蜘蛛女)みたい に見えて、すごく新鮮。
対する浦井ヴァレンティンは、前回の、肩に力が入った感じ…というか、ちょっと突っ張った不良少年みたいなところが抜けて、下っ端のチンピラなりにプライドのある大人になっていた印象。
そして、モリーナへの愛は、初演の方が明確だったかな。今回はちょっと、計算の方が強く見えました。「なんでもするさ俺のためなら」と歌いながら、唇の端で嗤うあたりが。
でも、それでも「二度と自分を…」のくだりに愛があるのは、彼の魅力だと思うのです。と、まんまと泣いた猫は語る。(←単なる浦井ファンだから、それ)
前回に比べると、生意気な青さが影をひそめた分、あちこちがとんがって、あたりがキツくなった印象もありました。それが、より懐大きく、包容力を増した石井モリーナとの組み合わせの妙で、物語が大きく膨らんだように見えたのが面白いところだな、と。
ただ、マルタとの関係が少し変わったように見えたのがも面白いところだな、とおもいます。
で、カヨコちゃんのマルタ。
私は彼女の声というか存在感が好きすぎて、彼女が喋ったり歌ったりすると、もう、それだけで何でもいいやというか(^ ^;ゞそんな気持ちになるのですが。
マルタって役は難しい役で、ハロルド・プリンス演出版では、モリーナからの電話に出たときも、ほとんど動揺もみせずに「そんな男知らないわ。なんの話?」と言いきる女で。そもそもヴァレンティンが彼女を恋人だと思っていたこと自体が妄想だったのか?(←その場合、所長はガガセネタをつかまされていたことになる) それとも、ホンモノの組織の中心メンバーに近い女だから、恋人とはいえ下っ端の男の生死に心乱れたりしないという感じなのかな?と思いながら観ていたのですが。
荻田さんの演出では、マルタはすごく悩むんですよね。モリーナからの電話に対してすごく動揺を見せる。もしかしたら、彼女はモリーナが監視されているであろうことを予想してあんな態度に出たのではないか、と、そんな想像をする余地があるくらい、絶妙のお芝居でした。
舞台の前半の、アムネスティ・インターナショナルの一員として視察にきたという芝居(声のみ)では、すごく真剣に「ここには彼がいるはずです!」と詰め寄るような芝居をしていましたよね。あれは、マルタが彼を探しにきたという設定なのか、別人格のなのか……どっちだろう?と思ったり。難しい存在ですが、彼女の不安定さや掴みどころのなさがあってこそのモリーナであり、“蜘蛛女”なのですから、あれはあれで良いんだろうな、と思います(はぁと)。
……歌も踊りも、もちろん芝居も、どれも素晴らしくて。
やっぱり私は、この作品が好きだなあ……と思ったのでした。
う~ん。
非現実的な血の通わない人形タイプで、スタイルが人間離れしていて、肺活量があって中音域~低音域が柔らかい、音程の確かな美声の歌手?
……いないか、そんな人……(T T)
歌さえ歌えればみなこちゃん(愛原実花)で観てみたい役ではあるのですが、荻田さん的には、だったらコムさんで良いんだろうな、たぶん……。
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ナチス台頭の時代~「キャバレー」と「カサブランカ」
2010年2月5日 ミュージカル・舞台 コメント (4)日生劇場にて、ミュージカル「キャバレー」を観てまいりました(だいぶ前に)。
別件ですが、東京芸術劇場の「蜘蛛女のキス」も観ました(^ ^)。
こちらは、キャスト・演出ともに大変素晴らしくて、ぜひぜひ皆様に観ていただきたいと思うのですが(←ちなみに、7日が千秋楽です/涙)、とにかく「キャバレー」の話は「カサブランカ」の楽前に書いてしまいたいので、そちらを先に。
ブロードウェイ・ミュージカル「キャバレー」。
原作はイギリス人作家クリストファ・イシャーウッドのドイツ旅行記「ベルリン物語」。主人公の一人であるクリフォード・ブラッドショー(阿部力)は、クリストファ自身なのでしょうか。
脚本はジョー・マステロフ。
作詞・作曲は「蜘蛛女のキス」「カーテンズ」「シカゴ」「ザ・リンク」のジョン・カンダー&フレッド・エッブ。
1966年の初演の演出はハロルド・プリンス。関係ないですが、初演の演出がハルだったことも「蜘蛛女のキス」との共通点なんですね♪
私はこの作品を過去に二回観ています。(ライザ・ミネリ主演の映画版は未見)
一回目は、MC:市村正親、サリー:前田美波里、クリフ:草刈正雄。正直、音楽は素晴らしくて感動したけど、作品としては「ふぅん」という感じでした。
二度目はブロードウェイのリバイバル版(サム・メンデス演出)。これは素晴らしかった。ラストの演出も印象的でしたし、なんといってもサリー役の女優が若くて可愛くて、ホントにステキだったの♪♪
で、今回のホリプロ上演ですが。
正直、あまり期待はしていませんでした。小池さんの演出というのに惹かれて観たのですが、観る前は『なにもこんな時期(「カサブランカ」と丸かぶり)にやらなくってもねぇ……』という気持ちで一杯でしたし、キャストを聞いたときの印象も、「……」という感じでしたので。
でも。
予想外に面白かったです!
「カサブランカ」と同時上演だったのも納得だったし。いやー、本当に、ぜひお隣に通っていた皆様にも観ていただきたかったわ…。
1929~30年という時代の、ベルリン。
第一次世界大戦に敗れ、何もかも喪ったドイツ。ヴェルサイユ条約の厳しい締め付けと賠償金の取立ては凄まじいインフレを引き起こし、ドイツの経済は事実上崩壊していました。
これを救ったのが、アメリカ資本。追い詰められたドイツが窮鼠となって猫に噛みつく(ソヴィエトと手を組む、とか)を怖れたアメリカは、賠償金の支払い条件の緩和を提案し、資本投下によってドイツ経済の復興を促します。
この資本投下は、アメリカン・バブルで資本に余裕ができた20年代半ばから世界恐慌の29年まで続き、ベルリンは奇跡的な復興を果たしてヨーロッパ屈指の芸術の都として花開きます。オペラハウス、劇場、映画館、キャバレー、、、娯楽施設がひしめきあい、性的にも比較的自由な、解放的な芸術都市。街中に溢れる芸術の匂いに惹かれて、世界中から自称“芸術家”たちが流れ込んでいました……。
同性愛者であったイシャーウッドも、そんな匂いに惹かれてベルリンを訪れた“芸術家”たちの一人だったのでしょうか。
原作となった短編集「ベルリン物語」の一篇、「サリー・ボウルズ」は、享楽的に男から男を渡り歩く女性・サリーが主人公。捕まえようのない彼女の姿は、当時の“ベルリン”そのものであるかのようです。そして、そんな『ベルリンそのもの』と恋を語るアメリカ人のクリフ(“自称”作家)もまた、愚かな蛾たちの一人だ、と。そんなふうに。
まあ、詳しいストーリーはホリプロさんの公式サイトを見ていただくとして。
観劇しながら、この『クリフ』というアメリカ人は、「カサブランカ」におけるアメリカ人観光客カーティスであり、ヒーロー志願だったリック(過去の)でもある んじゃないか、と思いました。
ある都市の「現実」に起こっている、『怖ろしい事態』。
1930年のベルリンではナチスの台頭であり、1941年のカサブランカではナチスの侵攻であるわけですが、これが進む中で、常に『部外者』であり、『帰るところ』がある男。それが、クリフであり、カーティスであり、リックでもあるんだな、と。
シュナイダーやシュルツ、あるいはリックのカフェの客たちや店の従業員たちにとっては、今生きている地が全て。だけどクリフは、カーティスは、リックは、エトランゼなんですよね。あくまでも今は“仮住まい”で、いずれ『居るべき場所』に戻る。そういうものがあるひとたち。
もしかしたらリックは、一度はカサブランカに定住しようと本気で思ったのかもしれません。でも多分、彼自身の本音の一番深いところでは、やっぱりそれを選んではいなかった、と思う。イルザやラズロとのことがなかったとしても、いずれは自ら傷を癒して戻っていっただろうな、と思うんですよね。
そして。
カーティスにとっては『帰る場所』=アメリカで良いけど、
リックにとっては『還る場所』=戦場、という違いがあるわけですが。
クリフにとっては、劇中では『還る場所』=アメリカだったはずなのに、ラストでいきなり引っ繰り返ったことが、非常に興味深い解釈だな、と思ったのでした。
言ってみれば、カーティスがいきなりリックになっちゃったんですよ(^ ^;ゞ それも、ラストの数分間で!!(@ @)
本編の物語が全て終わって、クリフがベルリンを出るために汽車に乗った後。
それは、物語の一番最初に、ベルリンへ向かう汽車の中でエルンスト(戸井勝海)に出会ったときの風景に良く似ているけれども、時は確実に流れていて。
うたた寝するクリフに忍び寄る、MCの影。
彼は、クリフを連れて、影たちのキャバレー(?)に向かう。
そのまま、影たちに迷彩服を着せられ、銃を渡されるクリフ。
差別されるシュルツに心を痛め、虐げられる人々を護ろうとしたクリフ。でも、彼はベルリンではただの観光客。どんなに同情しても、地元のひとびとにしてみれば、「勝手なことを」という感じですよね。
だって、彼らは必死なんですから。命が懸かっているんですから。
……ならば俺も、命を懸けてやろうか?
そんな単純なものではない、とは思います。もちろん。
でも、リックが武器の横流しを始めたきっかけなんて、もしかしたらそんな程度のものだったのかもしれません。
掌いっぱいに溢れた好奇心と、指先につまんで振りかけた正義感。そんな程度、の。
クリフは、ベルリンを出るときに棄てたつもりの愛を引き摺って、武器商人……いや、あの素直さでは武器商人はちょっと難しそうですが、レジスタンスにはなりそうですよね。
あるいは、クリフは“自称”作家なので、剣より強いはずのペンで闘うのかもしれませんが。
彼の前に、そういった途を敷いてあげるMCが、怖いと思いました。
そこまでは、別に何とも思っていなかったのですが。ラストのMCは、怖かったです。本当に。
神の手、あるいは、キャバレーの幽霊。妖精。そんな、非現実的な存在に見えてきて。
MCという存在の意味を、あらためて考えた公演でした……。
それでは、キャスト別に。
■サリー・ボウルズ(藤原紀香)
ベルリンのキャバレー「キット・カット・クラブ」の歌姫。まあ、あれですよ。『誰かに会いたければ、キット・カット・クラブに行けばいい』的な店の、看板、というわけです。
なのに。愛人だったクラブのオーナーと喧嘩して店もアパートも追い出され、知り合ったばかりのクリフの家に転がり込み、そのまま居ついてしまう。
彼女には目の前の現実しかみえなくて。享楽的で刹那的で、男から男へ、気楽に渡り歩いてきた。そんな彼女の前半生にショックを受けるクリフ。
そんな二人でも、時間がたてば子供ができて、その子供のために二人でがんばろう、と誓い合うが……
さすがの華やかさと超絶なスタイルの良さで、一見の価値はありました。歌も、歌姫と呼ぶにはちょっと弱いけど、まあ、あのくらい歌えていればタレントとしては十分な仕事をしていたと思います。
ただ、以前観た前田美波里さんもそうだったんですが、藤原さんも健康的で前向きな精神の持ち主であることが随所に垣間見えてしまうので、どう考えてもサリーのような選択をしそうにない(- -; という印象が否めなくて(涙)。
どうして日本ではああも健康的なキャラクターがサリーに回ってくるんでしょうね(T T)。
ああ、でも確かに、不健康な色っぽい系の破滅的なタイプで、「歌姫」と言われるだけの華やかさと歌唱力があって……って言われても、うーん、思いつかない……。
■クリフォード・ブラッドショー(阿部力)
容姿も芝居も歌も、すべてが「素直」の一言、という感じで、役には非常に合っていたような気がします。以前観た草刈さんがあまりにも濃ゆくて胸焼けがする感じだったので、このくらいサラッとした存在感のクリフもありだなあ、と思いました。
水のように、全てを受け容れ、赦して去っていくエトランゼ。その生活感の無さが、いかにも『外国人』らしくて良かったような気がします。手垢がついていない感じなんですよね。あれは彼の個性だと思うので、素直さを武器にご活躍いただきたいと思います。
■フロイライン・シュナイダー(杜けあき)
キャスティングを聞いたときの私の印象は、「事実上の主役はシュナイダーとシュルツの二人だな」でした……(^ ^;ゞ いやー、めっちゃ楽しみでした(はぁと)。
杜さんにとってもあそこまでの老け役は冒険だったんじゃないかと思うんですが、大地の女神のような重たさのある見事な芝居で、「キャバレー」という物語の一方の核としての役割を、きちんと果たしていたと思います。私の期待値のハードルは相当に高かったはずなのですが、それでも期待以上だった杜さんはさすがだな、と思います(*^ ^*)。
シュナイダーの選択は、当時の『ドイツ人』にとっては「普通の」選択、なんですよね。
それがどんなにか厳しい差別であり、『庶民』一人一人が、恐怖からそういう差別に加担することによって、差別する側にもされる側にも逃げ場がなくなっていく という現実はあるのですけれども、それでも、彼らはそうやって、自分の運命を「選択」していく。それは彼らの罪ではないのか?という疑問を抱えつつ。
当時はまだワイマール政権下。ナチスは台頭してきているとはいえ、ドイツ人とユダヤ人の結婚が表立って禁じられているわけでも、罪もないユダヤ人の財産が没収されたりといったことが罷り通っていたわけでも、まだ、ない。
それでも、確かに恐怖はあった。だから、アニーナとヤンが故郷を棄てたように、シュナイダーはシュルツを、彼女自身の生涯最後の恋を切り捨てる。
それでも彼女は、生きていくことを望むのです。
このベルリンで。今まで生きてきたとおりに。
今までと同じ時代は、もう間もなく終わるのに。
……そういう“時代の重み”を独りで、……いや、シュルツの木場さんと二人できちんと伝えてくれたのが凄いなあ、と。うん。歌も素晴らしかったし、(木場さんが巧いのに驚きました!もっとミュージカルに出てほしい!!)
本当に、大変良かったです(*^ ^*)。
■ヘル・シュルツ(木場勝己)
フロイライン・シュナイダーの恋人。ユダヤ人。
もう、木場さんが本当に素敵すぎてクラクラしました。……こないだ観たときは、無骨だけどヤることはしっかりヤってたタルボット卿(ヘンリー六世)だったのに!
なんて可愛いんでしょう。なんて素敵なんでしょう。
「……でも、私はドイツ人です」
その一言の重み、そこに籠められた明解な誇りが、とても胸に刺さります。木場さんだからこその、見事なシュルツでした。良いものを見せていただきました!
■フロイライン・コスト(高嶺ふぶき)
フロイライン・シュナイダーの下宿の下宿人。
生き延びるために、次から次と男を連れ込む娼婦同然の女。色っぽい化粧としどけないしぐさが珍しくて、思わず見入ってしまいました。歌も芝居もさすがで、とても良かったです♪
■エルンスト・ルートヴィヒ(戸井勝海)
ベルリンに向かう汽車の中でクリフと知り合うビジネスマン。実は、ナチスの党員。
とってもお似合いでした。そういえば、「ミス・サイゴン」ではトゥイでしたね♪
前半はちょっと企みすぎかな?とも思ったのですが、後半、シュナイダーとシュルツの結婚式での豹変ぶりをみると、あれでも大分抑えていたんだな、と思います。
もし万が一、「カサブランカ」を外部で上演することがあれば、シュトラッサーはこの人でお願いしたい!!この人の声で「シュトラッサーの屈辱」を聴いてみたいです(*^ ^*)。
■MC(諸星和己)
想像していたよりもずっと良くて、非常に感心しました。
私は光GENJI時代をほとんど知りませんが、いつの間にか、こんなに良い役者になってたんですね(@ @)。歌もダンスも、ミュージカルっぽくはないけれどもアイドルチックでもなくて、なんとなくMCという役の存在にあっているような気がしました。
「大好きな役をやっている!」という喜びが全身から溢れていて、素晴らしかったです。
……ローラースケートは、まあ、ファンサービスかな?(^ ^)。
アンサンブル陣もなかなか充実していたし、全体に小池さんらしいキャスティングだな、と思いました。「キャバレー」という作品のファンの方にとってはイロイロ思うところもおありでしょうけれども、なかなかに面白い試みだったと思います。
ぜひ、お隣の東京宝塚劇場とのコラボという斬新な試みに、付き合ってあげてくださいませ(^ ^)。
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別件ですが、東京芸術劇場の「蜘蛛女のキス」も観ました(^ ^)。
こちらは、キャスト・演出ともに大変素晴らしくて、ぜひぜひ皆様に観ていただきたいと思うのですが(←ちなみに、7日が千秋楽です/涙)、とにかく「キャバレー」の話は「カサブランカ」の楽前に書いてしまいたいので、そちらを先に。
ブロードウェイ・ミュージカル「キャバレー」。
原作はイギリス人作家クリストファ・イシャーウッドのドイツ旅行記「ベルリン物語」。主人公の一人であるクリフォード・ブラッドショー(阿部力)は、クリストファ自身なのでしょうか。
脚本はジョー・マステロフ。
作詞・作曲は「蜘蛛女のキス」「カーテンズ」「シカゴ」「ザ・リンク」のジョン・カンダー&フレッド・エッブ。
1966年の初演の演出はハロルド・プリンス。関係ないですが、初演の演出がハルだったことも「蜘蛛女のキス」との共通点なんですね♪
私はこの作品を過去に二回観ています。(ライザ・ミネリ主演の映画版は未見)
一回目は、MC:市村正親、サリー:前田美波里、クリフ:草刈正雄。正直、音楽は素晴らしくて感動したけど、作品としては「ふぅん」という感じでした。
二度目はブロードウェイのリバイバル版(サム・メンデス演出)。これは素晴らしかった。ラストの演出も印象的でしたし、なんといってもサリー役の女優が若くて可愛くて、ホントにステキだったの♪♪
で、今回のホリプロ上演ですが。
正直、あまり期待はしていませんでした。小池さんの演出というのに惹かれて観たのですが、観る前は『なにもこんな時期(「カサブランカ」と丸かぶり)にやらなくってもねぇ……』という気持ちで一杯でしたし、キャストを聞いたときの印象も、「……」という感じでしたので。
でも。
予想外に面白かったです!
「カサブランカ」と同時上演だったのも納得だったし。いやー、本当に、ぜひお隣に通っていた皆様にも観ていただきたかったわ…。
1929~30年という時代の、ベルリン。
第一次世界大戦に敗れ、何もかも喪ったドイツ。ヴェルサイユ条約の厳しい締め付けと賠償金の取立ては凄まじいインフレを引き起こし、ドイツの経済は事実上崩壊していました。
これを救ったのが、アメリカ資本。追い詰められたドイツが窮鼠となって猫に噛みつく(ソヴィエトと手を組む、とか)を怖れたアメリカは、賠償金の支払い条件の緩和を提案し、資本投下によってドイツ経済の復興を促します。
この資本投下は、アメリカン・バブルで資本に余裕ができた20年代半ばから世界恐慌の29年まで続き、ベルリンは奇跡的な復興を果たしてヨーロッパ屈指の芸術の都として花開きます。オペラハウス、劇場、映画館、キャバレー、、、娯楽施設がひしめきあい、性的にも比較的自由な、解放的な芸術都市。街中に溢れる芸術の匂いに惹かれて、世界中から自称“芸術家”たちが流れ込んでいました……。
同性愛者であったイシャーウッドも、そんな匂いに惹かれてベルリンを訪れた“芸術家”たちの一人だったのでしょうか。
原作となった短編集「ベルリン物語」の一篇、「サリー・ボウルズ」は、享楽的に男から男を渡り歩く女性・サリーが主人公。捕まえようのない彼女の姿は、当時の“ベルリン”そのものであるかのようです。そして、そんな『ベルリンそのもの』と恋を語るアメリカ人のクリフ(“自称”作家)もまた、愚かな蛾たちの一人だ、と。そんなふうに。
まあ、詳しいストーリーはホリプロさんの公式サイトを見ていただくとして。
観劇しながら、この『クリフ』というアメリカ人は、「カサブランカ」におけるアメリカ人観光客カーティスであり、ヒーロー志願だったリック(過去の)でもある んじゃないか、と思いました。
ある都市の「現実」に起こっている、『怖ろしい事態』。
1930年のベルリンではナチスの台頭であり、1941年のカサブランカではナチスの侵攻であるわけですが、これが進む中で、常に『部外者』であり、『帰るところ』がある男。それが、クリフであり、カーティスであり、リックでもあるんだな、と。
シュナイダーやシュルツ、あるいはリックのカフェの客たちや店の従業員たちにとっては、今生きている地が全て。だけどクリフは、カーティスは、リックは、エトランゼなんですよね。あくまでも今は“仮住まい”で、いずれ『居るべき場所』に戻る。そういうものがあるひとたち。
もしかしたらリックは、一度はカサブランカに定住しようと本気で思ったのかもしれません。でも多分、彼自身の本音の一番深いところでは、やっぱりそれを選んではいなかった、と思う。イルザやラズロとのことがなかったとしても、いずれは自ら傷を癒して戻っていっただろうな、と思うんですよね。
そして。
カーティスにとっては『帰る場所』=アメリカで良いけど、
リックにとっては『還る場所』=戦場、という違いがあるわけですが。
クリフにとっては、劇中では『還る場所』=アメリカだったはずなのに、ラストでいきなり引っ繰り返ったことが、非常に興味深い解釈だな、と思ったのでした。
言ってみれば、カーティスがいきなりリックになっちゃったんですよ(^ ^;ゞ それも、ラストの数分間で!!(@ @)
本編の物語が全て終わって、クリフがベルリンを出るために汽車に乗った後。
それは、物語の一番最初に、ベルリンへ向かう汽車の中でエルンスト(戸井勝海)に出会ったときの風景に良く似ているけれども、時は確実に流れていて。
うたた寝するクリフに忍び寄る、MCの影。
彼は、クリフを連れて、影たちのキャバレー(?)に向かう。
そのまま、影たちに迷彩服を着せられ、銃を渡されるクリフ。
差別されるシュルツに心を痛め、虐げられる人々を護ろうとしたクリフ。でも、彼はベルリンではただの観光客。どんなに同情しても、地元のひとびとにしてみれば、「勝手なことを」という感じですよね。
だって、彼らは必死なんですから。命が懸かっているんですから。
……ならば俺も、命を懸けてやろうか?
そんな単純なものではない、とは思います。もちろん。
でも、リックが武器の横流しを始めたきっかけなんて、もしかしたらそんな程度のものだったのかもしれません。
掌いっぱいに溢れた好奇心と、指先につまんで振りかけた正義感。そんな程度、の。
クリフは、ベルリンを出るときに棄てたつもりの愛を引き摺って、武器商人……いや、あの素直さでは武器商人はちょっと難しそうですが、レジスタンスにはなりそうですよね。
あるいは、クリフは“自称”作家なので、剣より強いはずのペンで闘うのかもしれませんが。
彼の前に、そういった途を敷いてあげるMCが、怖いと思いました。
そこまでは、別に何とも思っていなかったのですが。ラストのMCは、怖かったです。本当に。
神の手、あるいは、キャバレーの幽霊。妖精。そんな、非現実的な存在に見えてきて。
MCという存在の意味を、あらためて考えた公演でした……。
それでは、キャスト別に。
■サリー・ボウルズ(藤原紀香)
ベルリンのキャバレー「キット・カット・クラブ」の歌姫。まあ、あれですよ。『誰かに会いたければ、キット・カット・クラブに行けばいい』的な店の、看板、というわけです。
なのに。愛人だったクラブのオーナーと喧嘩して店もアパートも追い出され、知り合ったばかりのクリフの家に転がり込み、そのまま居ついてしまう。
彼女には目の前の現実しかみえなくて。享楽的で刹那的で、男から男へ、気楽に渡り歩いてきた。そんな彼女の前半生にショックを受けるクリフ。
そんな二人でも、時間がたてば子供ができて、その子供のために二人でがんばろう、と誓い合うが……
さすがの華やかさと超絶なスタイルの良さで、一見の価値はありました。歌も、歌姫と呼ぶにはちょっと弱いけど、まあ、あのくらい歌えていればタレントとしては十分な仕事をしていたと思います。
ただ、以前観た前田美波里さんもそうだったんですが、藤原さんも健康的で前向きな精神の持ち主であることが随所に垣間見えてしまうので、どう考えてもサリーのような選択をしそうにない(- -; という印象が否めなくて(涙)。
どうして日本ではああも健康的なキャラクターがサリーに回ってくるんでしょうね(T T)。
ああ、でも確かに、不健康な色っぽい系の破滅的なタイプで、「歌姫」と言われるだけの華やかさと歌唱力があって……って言われても、うーん、思いつかない……。
■クリフォード・ブラッドショー(阿部力)
容姿も芝居も歌も、すべてが「素直」の一言、という感じで、役には非常に合っていたような気がします。以前観た草刈さんがあまりにも濃ゆくて胸焼けがする感じだったので、このくらいサラッとした存在感のクリフもありだなあ、と思いました。
水のように、全てを受け容れ、赦して去っていくエトランゼ。その生活感の無さが、いかにも『外国人』らしくて良かったような気がします。手垢がついていない感じなんですよね。あれは彼の個性だと思うので、素直さを武器にご活躍いただきたいと思います。
■フロイライン・シュナイダー(杜けあき)
キャスティングを聞いたときの私の印象は、「事実上の主役はシュナイダーとシュルツの二人だな」でした……(^ ^;ゞ いやー、めっちゃ楽しみでした(はぁと)。
杜さんにとってもあそこまでの老け役は冒険だったんじゃないかと思うんですが、大地の女神のような重たさのある見事な芝居で、「キャバレー」という物語の一方の核としての役割を、きちんと果たしていたと思います。私の期待値のハードルは相当に高かったはずなのですが、それでも期待以上だった杜さんはさすがだな、と思います(*^ ^*)。
シュナイダーの選択は、当時の『ドイツ人』にとっては「普通の」選択、なんですよね。
それがどんなにか厳しい差別であり、『庶民』一人一人が、恐怖からそういう差別に加担することによって、差別する側にもされる側にも逃げ場がなくなっていく という現実はあるのですけれども、それでも、彼らはそうやって、自分の運命を「選択」していく。それは彼らの罪ではないのか?という疑問を抱えつつ。
当時はまだワイマール政権下。ナチスは台頭してきているとはいえ、ドイツ人とユダヤ人の結婚が表立って禁じられているわけでも、罪もないユダヤ人の財産が没収されたりといったことが罷り通っていたわけでも、まだ、ない。
それでも、確かに恐怖はあった。だから、アニーナとヤンが故郷を棄てたように、シュナイダーはシュルツを、彼女自身の生涯最後の恋を切り捨てる。
それでも彼女は、生きていくことを望むのです。
このベルリンで。今まで生きてきたとおりに。
今までと同じ時代は、もう間もなく終わるのに。
……そういう“時代の重み”を独りで、……いや、シュルツの木場さんと二人できちんと伝えてくれたのが凄いなあ、と。うん。歌も素晴らしかったし、(木場さんが巧いのに驚きました!もっとミュージカルに出てほしい!!)
本当に、大変良かったです(*^ ^*)。
■ヘル・シュルツ(木場勝己)
フロイライン・シュナイダーの恋人。ユダヤ人。
もう、木場さんが本当に素敵すぎてクラクラしました。……こないだ観たときは、無骨だけどヤることはしっかりヤってたタルボット卿(ヘンリー六世)だったのに!
なんて可愛いんでしょう。なんて素敵なんでしょう。
「……でも、私はドイツ人です」
その一言の重み、そこに籠められた明解な誇りが、とても胸に刺さります。木場さんだからこその、見事なシュルツでした。良いものを見せていただきました!
■フロイライン・コスト(高嶺ふぶき)
フロイライン・シュナイダーの下宿の下宿人。
生き延びるために、次から次と男を連れ込む娼婦同然の女。色っぽい化粧としどけないしぐさが珍しくて、思わず見入ってしまいました。歌も芝居もさすがで、とても良かったです♪
■エルンスト・ルートヴィヒ(戸井勝海)
ベルリンに向かう汽車の中でクリフと知り合うビジネスマン。実は、ナチスの党員。
とってもお似合いでした。そういえば、「ミス・サイゴン」ではトゥイでしたね♪
前半はちょっと企みすぎかな?とも思ったのですが、後半、シュナイダーとシュルツの結婚式での豹変ぶりをみると、あれでも大分抑えていたんだな、と思います。
もし万が一、「カサブランカ」を外部で上演することがあれば、シュトラッサーはこの人でお願いしたい!!この人の声で「シュトラッサーの屈辱」を聴いてみたいです(*^ ^*)。
■MC(諸星和己)
想像していたよりもずっと良くて、非常に感心しました。
私は光GENJI時代をほとんど知りませんが、いつの間にか、こんなに良い役者になってたんですね(@ @)。歌もダンスも、ミュージカルっぽくはないけれどもアイドルチックでもなくて、なんとなくMCという役の存在にあっているような気がしました。
「大好きな役をやっている!」という喜びが全身から溢れていて、素晴らしかったです。
……ローラースケートは、まあ、ファンサービスかな?(^ ^)。
アンサンブル陣もなかなか充実していたし、全体に小池さんらしいキャスティングだな、と思いました。「キャバレー」という作品のファンの方にとってはイロイロ思うところもおありでしょうけれども、なかなかに面白い試みだったと思います。
ぜひ、お隣の東京宝塚劇場とのコラボという斬新な試みに、付き合ってあげてくださいませ(^ ^)。
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年末のことですが。
東京芸術劇場中ホールにて、音楽座ミュージカル「泣かないで」を観劇いたしました。
原作は、1963年に発表された遠藤周作の小説「わたしが・棄てた・女」。
音楽座がミュージカル化したのが1994年。音楽座が解散する二年前。
解散後も1997年に再演されていますが、なかなかスケジュールが合わなくて、私には今回が初見になりました。
遠藤周作ファンなので、やっと観ることができて、なんだか安心したような(^ ^)。
音楽座作品(プロデュース作品を含む)は、タカラヅカとは対極(?)にあるような、非常にリアルな作風。特に、原作自体が相当に悲惨で読むのも苦しいような作品であり、それをかなり忠実に、生真面目にミュージカル化しているものだから、『夢』も『希望』も無い、辛い作品になってしまっていたことは否定できないと思います。
でも、そんな悲惨な状況の中でも、ただただ真直ぐに不器用に生きて、誰よりも愛されたヒロインの森田ミツ(高野菜々)。彼女が最後に遺す言の葉は、彼女の性格どおりにとても優しくて、痛々しいほど真っ直ぐで。
♪たとえどんなに小さなことでも
♪心に傷を残して過ぎてゆく
出会ったことにも、棄てたことにも、そして棄てられたことにも、意味はあるのだ。たぶん。
♪この胸の奥で、誰かがささやく声がする
……泣かないで、
泣かないで……
いつもあなたを視ているから、と。
富士山の麓にある癩(ハンセン)病患者の保護施設「復活病院」を舞台にしたこの作品。
ヒロイン・森田ミツには、一人の実在のモデルがいたそうです。
裕福な家に生まれ、幸せな縁談さえ決まっていながら「癩(ハンセン)病」と診断された、22歳のうら若い美女。隔離政策のため、御殿場にあった「神山復生病院」に入院させられて数年。再検査で誤診であったことが判明し、家に戻るよう言われるが、そのまま病院に残って看護婦として一生を捧げた、井深八重。
森田ミツは、モデルとなった井深八重とは違い、貧乏な田舎育ちで、垢抜けない芋娘。
雑誌の文通欄で若い学生(吉岡努/藤岡正明)と知り合い、デートすることになるが、男の方はただ「ヤル」ことしか頭に無かった……
戦後の混乱期の東京で、ただ一度出会い、そのまま棄てられた娘。男と付き合ったこともなく、初めて出会った大学生にのぼせあがって、何もかもあげてしまったのに。
彼との二度目のデートを夢見て、綺麗なカーディガンを買うお金を貯めようと決意するナンバーは、明るくて軽やかで可愛らしいのに、観客は吉岡の本音を知っている。……観ていて一番辛い所でした。
そんなこんなしているうちに、ミツは手首のあざを診た医者に「ハンセン病かもしれない」と診断され、「復活病院」に行くよう指示される……。
ミツ側の物語は、ごくシンプルです。
苦しい生活 ⇒ 初めてのデートで有頂天 ⇒ その後、なかなか会えなくて切ない ⇒
⇒ 病院での診断に衝撃を受ける ⇒ 悲壮な決意で病院に向かう ⇒
⇒ 不安に怯える入院生活 ⇒ 誤診だった!という歓喜 ⇒
⇒ 後ろ髪ひかれる想い ⇒ 病院に戻り、彼らと共に生きることを決意 ⇒ 心の平安
それに対して、縒り縄のように絡みつく吉岡の物語も、ある意味物凄くシンプル。
苦しい学生生活 ⇒ 欲望のはけ口としての女(森田ミツ) ⇒
⇒ ミツを棄てて大学を卒業し、就職する ⇒ 学歴の低い先輩たちに苛められる ⇒
⇒ 社長の姪である美人(三浦マリ子/井田安寿)と親しくなり、口説く ⇒
⇒ マリ子と結婚(逆玉?)し、幸せな家庭を築く
けれども、彼の人生は、そこかしこの場面でミツとの思い出がフラッシュバックする。
卒業するとき。就職先で。マリ子との会話の中で。
そのたびにかれは、街のどこかにいるミツを求めて彷徨う。蜜を求めて飛び回る蜜蜂のように。
おそらく、彼にとってミツは「天使」だったんだろうな、と思いました。
「眼には見えないけれども、いつも自分を見ていてくれる」存在。
いつか彼女が、自分の罪を暴きに来るだろう、と。
現世でか、隔り世でか、それはわからないけれども、いつの日か白い翼を拡げて、彼女が自分を迎えに来るのだろう、と。
それはいわば『心の中の神』です。ミツは、棄てられることで吉岡にとってのそういう存在になった。あるいは、吉岡はミツを棄てることで、「いつも誰かが視ている」という観念から逃れられなくなった。それは、「常に神は視ておられる」という観念にとても近い。
クリスチャンである遠藤周作らしい、見事なレトリック。
別に、吉岡はこの物語の中でなんら罰を受けないんですよね。天に召されるのはミツだし、吉岡はマリ子と幸せな結婚生活を送り、長生きする。でも、その人生が幸せなものだったのか?ということなんだと思います。
幸せなのかもしれない。それは、吉岡自身にしかわからない、決められないことなのだと思う。
そして、藤岡さんの吉岡務は、その人生を「幸せだった」と言い切れるだけの強さがあるように見えました。
自分が選んだ人生なのだから、と。ミツを棄てたことも、それによって背負ったものの重さも受け入れて、彼は彼の人生を一歩ずつ歩いていく。
ミツがミツの人生を、ゆっくりと歩いていったように。
森田ミツ(高野菜々)
可愛らしくて一生懸命で、役によく合っていたと思います。歌声も素直で聴きやすかった♪
吉岡努(藤岡正明)
「レ・ミゼラブル」のマリウスだの「ミス・サイゴン」のクリスだの、立て続けにメジャー作品の二枚目役を演じた藤岡さん。吉岡は非常にイヤな奴なのでやりにくかったのではないかと思うのですが、なかなか良かったと思います。「悪い奴」なのではなく、単に「嫌な奴」というか(^ ^;ゞ、彼なりに一生懸命生きたら、回りの反感を買っちゃった……みたいな、なんともいえずKYな感じがすごく良かったです(←誉めてるんですってば!)。
歌は流石の一言。Rカンパニーメンバーとはランクが違う感じがしました(^ ^)。
三浦マリ子(井田安寿)
元四季の井田さん。可愛いダンサーという認識だったのですが(←だって「コンタクト」のピンクが一番印象的だったし……)、芝居も歌も良かったです。さりげない存在感と、美人すぎない上品さが魅力的でした♪
こないだの「メトロに乗って」再演では、お時(初演は福麻むつ美)を演じられたんですね。こんなに素敵な女優さんになっているんなら、観れば良かったなあ……。
スール・山形(秋本みな子)
こちらも元四季。劇団四季も、数年前に中堅がごそっと辞めましたが、Rカンパニーに入った人は案外と多いんですね。四季時代から、『何をやらせても安心な人』という評価は確立していたと思いますが、「復活病院」のシスター役、という難しい役を自然体でやれるところは本当に凄いな、と思いました。
病院に戻ってきたミツが「あたしも病院で働きたい」と言うのに、「あなたは私たちとは違う(だから無理よ)」みたいなことを言って東京に帰そうとする場面がすごく良かったです。ああ、秋本さんの「メトロに乗って」みち子(初演は毬谷友子)を観たかったなあ(; ;)。そんなキャストだったなんて知らなかったよ(↓)。
他のRカンパニーメンバーも皆さんがんばってました。
で、「タカラジェンヌのスタイルって異常なんだな」と改めて認識したりもしました(^ ^)。
……以下、つぶやきです(^ ^)v
タカラヅカファンかつ宙組ファンの猫にとって、この作品で一番面白かったのは、
吉岡とマリ子が映画を観る場面でした。
その映画館でやっていたのは「カサブランカ」だったの!!
ロビーでの二人の芝居がメインなので映像は出ないんですが、音だけは、いかにもドア越しに微かに聴こえてくるっぽくぼかされた、何を言ってるんだかさっぱり判らない音が流れていて。
すっごいソレらしい!!とテンション上がりました(^ ^)。
そして、その後の場面では、トレンチコートを着た男と女のデュエットダンスがちょっと(場つなぎみたいな感じですが)あって、これは空港の場面をイメージしているのかな?と思いながら見入ってしまいました。
いやーーーーーー、
それにしても、祐飛さんのトレンチコートの着こなしがいかに素晴らしいか、を思い知らされてみました(←いまさら?)
宙組ファン&映画「カサブランカ」ファンのみなさま、
これから、相模大野と大阪で公演をするみたいなので、もし暇で暇でしょーがないようでしたらご覧になると面白いかもしれませんよ★保証はいたしかねますけど、ねっ★
.
東京芸術劇場中ホールにて、音楽座ミュージカル「泣かないで」を観劇いたしました。
原作は、1963年に発表された遠藤周作の小説「わたしが・棄てた・女」。
音楽座がミュージカル化したのが1994年。音楽座が解散する二年前。
解散後も1997年に再演されていますが、なかなかスケジュールが合わなくて、私には今回が初見になりました。
遠藤周作ファンなので、やっと観ることができて、なんだか安心したような(^ ^)。
音楽座作品(プロデュース作品を含む)は、タカラヅカとは対極(?)にあるような、非常にリアルな作風。特に、原作自体が相当に悲惨で読むのも苦しいような作品であり、それをかなり忠実に、生真面目にミュージカル化しているものだから、『夢』も『希望』も無い、辛い作品になってしまっていたことは否定できないと思います。
でも、そんな悲惨な状況の中でも、ただただ真直ぐに不器用に生きて、誰よりも愛されたヒロインの森田ミツ(高野菜々)。彼女が最後に遺す言の葉は、彼女の性格どおりにとても優しくて、痛々しいほど真っ直ぐで。
♪たとえどんなに小さなことでも
♪心に傷を残して過ぎてゆく
出会ったことにも、棄てたことにも、そして棄てられたことにも、意味はあるのだ。たぶん。
♪この胸の奥で、誰かがささやく声がする
……泣かないで、
泣かないで……
いつもあなたを視ているから、と。
富士山の麓にある癩(ハンセン)病患者の保護施設「復活病院」を舞台にしたこの作品。
ヒロイン・森田ミツには、一人の実在のモデルがいたそうです。
裕福な家に生まれ、幸せな縁談さえ決まっていながら「癩(ハンセン)病」と診断された、22歳のうら若い美女。隔離政策のため、御殿場にあった「神山復生病院」に入院させられて数年。再検査で誤診であったことが判明し、家に戻るよう言われるが、そのまま病院に残って看護婦として一生を捧げた、井深八重。
森田ミツは、モデルとなった井深八重とは違い、貧乏な田舎育ちで、垢抜けない芋娘。
雑誌の文通欄で若い学生(吉岡努/藤岡正明)と知り合い、デートすることになるが、男の方はただ「ヤル」ことしか頭に無かった……
戦後の混乱期の東京で、ただ一度出会い、そのまま棄てられた娘。男と付き合ったこともなく、初めて出会った大学生にのぼせあがって、何もかもあげてしまったのに。
彼との二度目のデートを夢見て、綺麗なカーディガンを買うお金を貯めようと決意するナンバーは、明るくて軽やかで可愛らしいのに、観客は吉岡の本音を知っている。……観ていて一番辛い所でした。
そんなこんなしているうちに、ミツは手首のあざを診た医者に「ハンセン病かもしれない」と診断され、「復活病院」に行くよう指示される……。
ミツ側の物語は、ごくシンプルです。
苦しい生活 ⇒ 初めてのデートで有頂天 ⇒ その後、なかなか会えなくて切ない ⇒
⇒ 病院での診断に衝撃を受ける ⇒ 悲壮な決意で病院に向かう ⇒
⇒ 不安に怯える入院生活 ⇒ 誤診だった!という歓喜 ⇒
⇒ 後ろ髪ひかれる想い ⇒ 病院に戻り、彼らと共に生きることを決意 ⇒ 心の平安
それに対して、縒り縄のように絡みつく吉岡の物語も、ある意味物凄くシンプル。
苦しい学生生活 ⇒ 欲望のはけ口としての女(森田ミツ) ⇒
⇒ ミツを棄てて大学を卒業し、就職する ⇒ 学歴の低い先輩たちに苛められる ⇒
⇒ 社長の姪である美人(三浦マリ子/井田安寿)と親しくなり、口説く ⇒
⇒ マリ子と結婚(逆玉?)し、幸せな家庭を築く
けれども、彼の人生は、そこかしこの場面でミツとの思い出がフラッシュバックする。
卒業するとき。就職先で。マリ子との会話の中で。
そのたびにかれは、街のどこかにいるミツを求めて彷徨う。蜜を求めて飛び回る蜜蜂のように。
おそらく、彼にとってミツは「天使」だったんだろうな、と思いました。
「眼には見えないけれども、いつも自分を見ていてくれる」存在。
いつか彼女が、自分の罪を暴きに来るだろう、と。
現世でか、隔り世でか、それはわからないけれども、いつの日か白い翼を拡げて、彼女が自分を迎えに来るのだろう、と。
それはいわば『心の中の神』です。ミツは、棄てられることで吉岡にとってのそういう存在になった。あるいは、吉岡はミツを棄てることで、「いつも誰かが視ている」という観念から逃れられなくなった。それは、「常に神は視ておられる」という観念にとても近い。
クリスチャンである遠藤周作らしい、見事なレトリック。
別に、吉岡はこの物語の中でなんら罰を受けないんですよね。天に召されるのはミツだし、吉岡はマリ子と幸せな結婚生活を送り、長生きする。でも、その人生が幸せなものだったのか?ということなんだと思います。
幸せなのかもしれない。それは、吉岡自身にしかわからない、決められないことなのだと思う。
そして、藤岡さんの吉岡務は、その人生を「幸せだった」と言い切れるだけの強さがあるように見えました。
自分が選んだ人生なのだから、と。ミツを棄てたことも、それによって背負ったものの重さも受け入れて、彼は彼の人生を一歩ずつ歩いていく。
ミツがミツの人生を、ゆっくりと歩いていったように。
森田ミツ(高野菜々)
可愛らしくて一生懸命で、役によく合っていたと思います。歌声も素直で聴きやすかった♪
吉岡努(藤岡正明)
「レ・ミゼラブル」のマリウスだの「ミス・サイゴン」のクリスだの、立て続けにメジャー作品の二枚目役を演じた藤岡さん。吉岡は非常にイヤな奴なのでやりにくかったのではないかと思うのですが、なかなか良かったと思います。「悪い奴」なのではなく、単に「嫌な奴」というか(^ ^;ゞ、彼なりに一生懸命生きたら、回りの反感を買っちゃった……みたいな、なんともいえずKYな感じがすごく良かったです(←誉めてるんですってば!)。
歌は流石の一言。Rカンパニーメンバーとはランクが違う感じがしました(^ ^)。
三浦マリ子(井田安寿)
元四季の井田さん。可愛いダンサーという認識だったのですが(←だって「コンタクト」のピンクが一番印象的だったし……)、芝居も歌も良かったです。さりげない存在感と、美人すぎない上品さが魅力的でした♪
こないだの「メトロに乗って」再演では、お時(初演は福麻むつ美)を演じられたんですね。こんなに素敵な女優さんになっているんなら、観れば良かったなあ……。
スール・山形(秋本みな子)
こちらも元四季。劇団四季も、数年前に中堅がごそっと辞めましたが、Rカンパニーに入った人は案外と多いんですね。四季時代から、『何をやらせても安心な人』という評価は確立していたと思いますが、「復活病院」のシスター役、という難しい役を自然体でやれるところは本当に凄いな、と思いました。
病院に戻ってきたミツが「あたしも病院で働きたい」と言うのに、「あなたは私たちとは違う(だから無理よ)」みたいなことを言って東京に帰そうとする場面がすごく良かったです。ああ、秋本さんの「メトロに乗って」みち子(初演は毬谷友子)を観たかったなあ(; ;)。そんなキャストだったなんて知らなかったよ(↓)。
他のRカンパニーメンバーも皆さんがんばってました。
で、「タカラジェンヌのスタイルって異常なんだな」と改めて認識したりもしました(^ ^)。
……以下、つぶやきです(^ ^)v
タカラヅカファンかつ宙組ファンの猫にとって、この作品で一番面白かったのは、
吉岡とマリ子が映画を観る場面でした。
その映画館でやっていたのは「カサブランカ」だったの!!
ロビーでの二人の芝居がメインなので映像は出ないんですが、音だけは、いかにもドア越しに微かに聴こえてくるっぽくぼかされた、何を言ってるんだかさっぱり判らない音が流れていて。
すっごいソレらしい!!とテンション上がりました(^ ^)。
そして、その後の場面では、トレンチコートを着た男と女のデュエットダンスがちょっと(場つなぎみたいな感じですが)あって、これは空港の場面をイメージしているのかな?と思いながら見入ってしまいました。
いやーーーーーー、
それにしても、祐飛さんのトレンチコートの着こなしがいかに素晴らしいか、を思い知らされてみました(←いまさら?)
宙組ファン&映画「カサブランカ」ファンのみなさま、
これから、相模大野と大阪で公演をするみたいなので、もし暇で暇でしょーがないようでしたらご覧になると面白いかもしれませんよ★保証はいたしかねますけど、ねっ★
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宝塚歌劇団月組のみなさま、千秋楽おめでとうございます!
そして。
麻子さん、
あひちゃん、
おときち、
あいちゃん、
りこちゃん、
しずく、
しおりちゃん、
もえちゃん、
ご卒業おめでとうございますm(_ _)m.
雨男(?)の麻子さんの千秋楽とは思えない暖かな夜で、いろいろ着こんでいったのは結構無駄な感じでしたが、人波の隙間から、とおく皆さんにお別れしてまいりました。
中継を観るかどうしようか迷ったのですが、パレードを優先して正解だったような気がします。愛おしい月組っ子たちの最後の笑顔を、この目で視ることができて、よかった。
みなさまの今後のお幸せと、そしてご活躍を、心から祈っています。
さて。
日生劇場にて、「シェルブールの雨傘」を観てまいりました。
ジャック・ドゥミ監督の脚本で1963年に公開された名作映画「シェルブールの雨傘」。
私も映画館で観たことはないので、これも「カサブランカ」同様テレビ鑑賞のみだと思うのですが。主題曲の美しいメロディと、カトリーヌ・ドヌーヴの美貌、そしていくつものカラフルな傘を上から撮影したエンドロール(?)の印象が残っているくらいで、ストーリーもなにも、ほとんど覚えていませんでした(^ ^;ゞ
この作品は、もともと映画用に創られたミュージカルであって、先に舞台があったものではないと思うのですが、今回の舞台化の成立の経緯がプログラムにも書いていないのでよくわからない……
普通に、謝珠栄さんによる新演出の初演、と思っていいのかな。以前にも何度か舞台化されているはずですが、それとは関係ないっぽいよね?
なんだかこの映画、主役はジュヌヴィエーヴ(カトリーヌ・ドヌーヴ)だと思っていたのですが、今回の舞台版では、カーテンコールの順序からみてギィ(井上芳雄)が主役だったみたいですね(^ ^)。
たしかに、アルジェリアの戦闘場面とかが入っているので、ギィの印象は映画よりだいぶ強くなっているなと思いましたが。……しかし、あのアルジェリアの場面で使っている音楽は映画にもあった音楽なんでしょうか(映画には戦闘場面は無かったはず)。まさかルグランに新曲を作ってもらったわけじゃないだろうし、別の場面の音楽を使ったとかなのでしょうか。
まずは、スタッフ。
脚本・作詞 ジャック・ドゥミ(映画版監督)
音楽 ミシェル・ルグラン
演出・振付 謝珠栄
翻訳・訳詩 竜真知子
装置 松井るみ
指揮 塩田明宏
ルグランの音楽については、何も言うことはありません。あの緩やかでペシミスティックなメロディラインの美しさは、原作映画の最大の魅力であり、その輝きは舞台になっても変わることはありませんでした。
そして、塩田さんの指揮も繊細でとても良かったと思います。こういう、心の襞をわけいってくるような切ない音楽も良いんですねえ。才能のある人だ。
松井さんの装置は、「パイレート・クイーン」とはちょっと違った面白い雰囲気。映画っぽい感じをよく出したイラスト調の街並みと、ひたすら雨を降らせ続けるバックスクリーンの電光との対比。本水を使うより、ずっと良い表現だったと思います。面白かった。
<この先ネタバレしています。ご注意を>
作品は、なんとなくのイメージとして残っていた以上にシンプルなメロドラマ。
1957年11月
20歳の若者と16歳の少女の熱烈な(だと本人たちは思っている)恋。
でもある日、若者の手許に一通の召集令状(←この時代のフランスでも“赤紙”だったらしい)が届く。二年間の兵役。戦場であるアルジェリアへの、出征命令。
一度きりの『思い出の夜』を過ごして、別れる二人。
1958年3月
ジュヌヴィエーヴは『思い出の夜』で出来た子供と共に不安な日々を過ごす。
ギィからの便りは途絶え、不安に苛まれる彼女に優しく手を差し伸べる宝石商のカサール。
「お腹の子供を二人で育てよう」と言うカサールに、心揺れるジュヌヴィエーヴ。
アルジェリア独立戦争の最前線で闘うギィ。ジュヌヴィエーヴへの手紙を書きかけては、そのたびに夜襲やなにかで中断させられ、手紙を書くことができない。
「それでも愛している。君にもう一度逢う為に、僕は生きる……!」
1959年1月
敵の手榴弾が近くにおちて、脚を怪我したギィは、負傷兵として除隊し、シェルブールに帰ってくる。
しかし、ジュヌヴィエーヴの母親がやっていた雨傘店は、無かった。
家に帰り、伯母からジュヌヴィエーヴが他の男と結婚し、店を閉めてパリへ移ったことを聞かされる。荒れるギィ。復帰した仕事(自動車の修理工)も放り出し、年金を食いつぶしながら街を彷徨う。
彼を心配する伯母と、伯母の世話をしてきたマドレーヌ。
そうこうするうちに、体の弱かった伯母が亡くなり、その遺産で念願だったガソリンスタンドを購入。支えてくれたマドレーヌと結婚して、ささやかながら新しい生活をはじめる。
1963年12月
クリスマスの飾り付けを終えたマドレーヌが、小さな息子と買い物へ行くのを見送るギィ。
そこへあらわれた一台のベンツ。車から降りた美しいマダムの顔をみたギィは、立ち竦む。
ギィの顔をみたジュヌヴィエーヴも、また。
「娘の用事で、近くに来たの。…シェルブールに来たのは、結婚以来初めてよ」
「そう……」
「なのに、こんなところで会うなんて……」
事務所へ招き入れたジュヌヴィエーヴが、奇妙な饒舌さで語る。
「このツリーの飾りは?あなたがしたの?」
「……いや、それは、………妻が、息子と」
ふと零れて落ちる、沈黙。
「………幸せ?」
「ああ、………幸せ、だよ」
万感の思いをこめて、見詰め合う二人。
交わすべき言葉はすべて過去のもので。今となっては、何も語ることなどなくて。
「子供の名前は…?」
「……フランソワーズ、よ」
すべては、もう、終わってしまったこと。
「会っていくでしょう?」
「……いや、いいんだ」
幸せそうに微笑んで、そう告げる男は、もう20歳の青年ではなくて。
それを聞いて、すこし寂しげに微笑む彼女も、もう16歳のマドモアゼルではなくて。
パリへ帰るベンツのテールランプを見送って、彼はもう一度、空を視あげる。
舞い落ちる雪に浸されて、追憶への旅を終えて。
買い物から帰ってきた妻と子を迎えて笑う彼には、もう翳り一つなく。
「幸せ、だよ…」 と。
ギィ(井上芳雄)
この人は、ソロよりもデュエットの方がいいんだなあ、ということを思いました。
これだけ歌えて、これだけ踊れるって凄いコトだなあと感心。
「ミス・サイゴン」のクリスの経験が生きたのか、アルジェリアでの戦闘場面の迫力やその追い詰められたエネルギー、シェルブールへ戻ったときの荒んだ雰囲気など、非常に的確な芝居だったと思います。
最初の能天気な若者から、戦場で疵付いた野良犬、そして、ラストの穏やかな大人の男まで、幅広い演技力を必要とする役でしたが、とても良かったと思います♪♪
ジュヌヴィエーヴ(白羽ゆり)
これが、宝塚卒業後初舞台…ってことでいいのかな?
残念ながら井上くんより4つも歳下の女の子には見えないので、一幕は苦戦していた印象ですが、二幕の心の揺れはさすがでした。天使だからね、となみちゃんは。人間と同じ理屈では動かないので。来ない手紙への不安、自分の中で大きく育っていくモノへの恐怖心。人間としての強靭さを持たない、儚げですぐに折れてしまう天使の心が、とても切なかったです。
私が一番好きだったのは、ラストの再会の場面。
マダムとしてのちょっと色っぽい(?)風情がとても良かったです。ああ、グルーシェニカをもう一度観てみたい…。
歌は現役時代より落ち着いて、良かったと思います。井上くんとはピッチがあうみたいで、デュエットの響きがすごく綺麗でした。
でも、、、体型はタカラジェンヌ時代をキープしてほしいよー(T T)。男役さんは、卒業したらすこしふっくらして丸みがついた方が女優としては良いでしょうけど、娘役さんはそのままキープしてほしいの(; ;)。ジュヌヴィエーヴは踊らないし、あまり身体の線が出ない服なので目立たないんだけど、、、でも、判るもん。ホントのとなみちゃんは、もっとずっと綺麗なんだもん!!(←贔屓目?)
ジュヌヴィエーヴの母(香寿たつき)
華やかな美しさのあるマダムっぷりで、なかなかの嵌り役でした。
なんとなく、カサールを挟んでジュヌヴィエーヴと恋敵みたいになるのかな?とか思ったのですが(←本当に映画を視たのか?)、普通に優しくてしっかり者の母、でした。
娘に対しては高圧的な、しっかりものでクールなビジネスウーマンタイプに見えて、8万フランの請求書が来た途端に崩れてしまって娘へ頼りきりになってしまうところとか、娘が結婚するとあっさり店を手放してパリへ行ってしまうとか、案外弱い女な面もあったり、相当複雑なキャラクターで難しかったと思うのですが、タータンはかなり的確に演じていたと思います。
もともとタータン自身が二面性のある役者なので、ちょうど良かったのかも。
歌はさすがでした。スタイルもますます磨かれて、イイオンナ度がアップ↑↑してました♪
カサール(岸田敏志(智史))
カッコいい!!
最初に出てきたときは、もっと胡散臭いキャラだったのに(ジュヌヴィエーヴが「詐欺だったのでは?」と疑う場面がある)実は物凄く良い人、というおいしい役(^ ^)。となみちゃんという天使を柔らかく包み込む「大人」の存在感がとても良かったと思います。
久しぶりにお姿を拝見して、大好きだった「クリスマス・キャロル」のボブ・クラチットを思い出しました♪素敵だったわ♪♪
ギィの伯母(出雲綾)
足が悪いという設定で、ほぼ座ったきりの役。ギィの唯一の身内という設定で、ジュヌヴィエーヴには見せられない弱さを零させるための存在でした。
やわらかくて温もりのある存在感で、宝塚現役時代の暑苦しい空気が無くなっていたのが不思議です。現役時代にこの空気を醸してくれていたら……と思わずにはいられませんが、彼女にとって「女優」としての成長はこれからなのかもしれませんね。
可愛らしい、愛情に溢れた素敵な伯母さんでした(はぁと)。
マドレーヌ(ANZA)
ギィの伯母さんを献身的に看護する、穏やかで辛抱強い、優しい女性。映画の設定によると、看護学校の生徒(?)のようですね。舞台を観ているときは、又従姉妹とかなんとか、要するに親戚なのかな?と思ったりもしたのですが。
一幕は、ほとんど出番はないものの、ギィに対するほのかな恋心をちゃんと表現していて、二幕の展開に唐突感がなかったのが嬉しかったです。しかし、以前、坂本昌行さんのギィと藤谷美紀さんのジュヌヴィエーヴで上演されたとき、マドレーヌは入絵加奈子ちゃんだったそうなので、エポニーヌ系の役者が配役されているようなのですが、音楽として聴いていると、もう少し柔らかなソプラノの方が音楽には合うような気がしたのですが……。
となみちゃんの声がまろやかな低音だから、そんな気がするだけかしら?
アンサンブル
最後に書いてますけど、この作品の目玉は、井上くんでもとなみちゃんでもなく、アンサンブルのダンスでした。
謝振付のカッコいいところを全部やっていた三組の男女に、乾杯。
とりあえず、久しぶりに思いっきり踊っている滝沢由佳さん(元四季)にお会いできて嬉しいです。こんなところにいらっしゃるとは!!(@ @)いやーーー、加藤敬二さん以外の振付で踊ってる滝沢さん、初めて観た……わけではないはずですが、文句無く素晴らしいダンスでした★ご馳走様★
あと、面白かったのは傘の行方、ですね。
一番最初の、ギィとジュヌヴィエーヴの出会いで、ギィがジュヌヴィエーヴに傘を渡す。これがきっかけに恋が始まるわけです。
で、その後、ジュヌヴィエーヴは、たしか街の乳母車を押した女性に傘を渡していた…ような気がする(←違うかも)。で、その女性からまた別のアンサンブルに渡されて……と、雨が降り出すたびに違う人の手を渡った傘は、最後にもう一度ギィの元に戻り、そして、ラストの別れのシーンで、ギィの手から事務所を出て車に向かうジュヌヴィエーヴに渡される。
特別な模様がついているような傘ではないので確信はありませんが、たぶん、そんな感じに回っていたと思います。
他にもいろいろエピソードがあって。
喧嘩してはまた仲直り、を繰り返すカップルとか、
乳母車を押していた女性が元夫と再会するドラマティックなシーンとか。
その元夫が、花売り娘の現恋人だったような気がするんだけど、あれ?とか。
一回しか観ていないので、すべてはチェックできていないと思うのですが、彼らには彼らの人生があって……というのが、すごく映画っぽいなと思いました。
……映画そのものは、ほとんど覚えていないのに、すみません(汗)。
ごくごくシンプルなメロドラマで、話は単純だし、ジュヌヴィエーヴの天使っぷりもどうかと思う部分はあるのですが。
でも、やっぱりこの物語の中には一つの真実が描かれているんだな、と思います。
切ないまでの、人間の心の真実、が。
弱いことは罪ではない、と。
弱いことが罪なのではなく、弱さ故に不誠実になることが罪なのだ、と。
美しい音楽にのせて綴られた、生粋のフランス映画。
物語の間中降りしきっていた雨が、ラストシーンで雪に変わる、その変化がとても美しいです。
美しいということは強さなのだな、と、そんなことを思ったりもした、日比谷の夜でした。
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そして。
麻子さん、
あひちゃん、
おときち、
あいちゃん、
りこちゃん、
しずく、
しおりちゃん、
もえちゃん、
ご卒業おめでとうございますm(_ _)m.
雨男(?)の麻子さんの千秋楽とは思えない暖かな夜で、いろいろ着こんでいったのは結構無駄な感じでしたが、人波の隙間から、とおく皆さんにお別れしてまいりました。
中継を観るかどうしようか迷ったのですが、パレードを優先して正解だったような気がします。愛おしい月組っ子たちの最後の笑顔を、この目で視ることができて、よかった。
みなさまの今後のお幸せと、そしてご活躍を、心から祈っています。
さて。
日生劇場にて、「シェルブールの雨傘」を観てまいりました。
ジャック・ドゥミ監督の脚本で1963年に公開された名作映画「シェルブールの雨傘」。
私も映画館で観たことはないので、これも「カサブランカ」同様テレビ鑑賞のみだと思うのですが。主題曲の美しいメロディと、カトリーヌ・ドヌーヴの美貌、そしていくつものカラフルな傘を上から撮影したエンドロール(?)の印象が残っているくらいで、ストーリーもなにも、ほとんど覚えていませんでした(^ ^;ゞ
この作品は、もともと映画用に創られたミュージカルであって、先に舞台があったものではないと思うのですが、今回の舞台化の成立の経緯がプログラムにも書いていないのでよくわからない……
普通に、謝珠栄さんによる新演出の初演、と思っていいのかな。以前にも何度か舞台化されているはずですが、それとは関係ないっぽいよね?
なんだかこの映画、主役はジュヌヴィエーヴ(カトリーヌ・ドヌーヴ)だと思っていたのですが、今回の舞台版では、カーテンコールの順序からみてギィ(井上芳雄)が主役だったみたいですね(^ ^)。
たしかに、アルジェリアの戦闘場面とかが入っているので、ギィの印象は映画よりだいぶ強くなっているなと思いましたが。……しかし、あのアルジェリアの場面で使っている音楽は映画にもあった音楽なんでしょうか(映画には戦闘場面は無かったはず)。まさかルグランに新曲を作ってもらったわけじゃないだろうし、別の場面の音楽を使ったとかなのでしょうか。
まずは、スタッフ。
脚本・作詞 ジャック・ドゥミ(映画版監督)
音楽 ミシェル・ルグラン
演出・振付 謝珠栄
翻訳・訳詩 竜真知子
装置 松井るみ
指揮 塩田明宏
ルグランの音楽については、何も言うことはありません。あの緩やかでペシミスティックなメロディラインの美しさは、原作映画の最大の魅力であり、その輝きは舞台になっても変わることはありませんでした。
そして、塩田さんの指揮も繊細でとても良かったと思います。こういう、心の襞をわけいってくるような切ない音楽も良いんですねえ。才能のある人だ。
松井さんの装置は、「パイレート・クイーン」とはちょっと違った面白い雰囲気。映画っぽい感じをよく出したイラスト調の街並みと、ひたすら雨を降らせ続けるバックスクリーンの電光との対比。本水を使うより、ずっと良い表現だったと思います。面白かった。
<この先ネタバレしています。ご注意を>
作品は、なんとなくのイメージとして残っていた以上にシンプルなメロドラマ。
1957年11月
20歳の若者と16歳の少女の熱烈な(だと本人たちは思っている)恋。
でもある日、若者の手許に一通の召集令状(←この時代のフランスでも“赤紙”だったらしい)が届く。二年間の兵役。戦場であるアルジェリアへの、出征命令。
一度きりの『思い出の夜』を過ごして、別れる二人。
1958年3月
ジュヌヴィエーヴは『思い出の夜』で出来た子供と共に不安な日々を過ごす。
ギィからの便りは途絶え、不安に苛まれる彼女に優しく手を差し伸べる宝石商のカサール。
「お腹の子供を二人で育てよう」と言うカサールに、心揺れるジュヌヴィエーヴ。
アルジェリア独立戦争の最前線で闘うギィ。ジュヌヴィエーヴへの手紙を書きかけては、そのたびに夜襲やなにかで中断させられ、手紙を書くことができない。
「それでも愛している。君にもう一度逢う為に、僕は生きる……!」
1959年1月
敵の手榴弾が近くにおちて、脚を怪我したギィは、負傷兵として除隊し、シェルブールに帰ってくる。
しかし、ジュヌヴィエーヴの母親がやっていた雨傘店は、無かった。
家に帰り、伯母からジュヌヴィエーヴが他の男と結婚し、店を閉めてパリへ移ったことを聞かされる。荒れるギィ。復帰した仕事(自動車の修理工)も放り出し、年金を食いつぶしながら街を彷徨う。
彼を心配する伯母と、伯母の世話をしてきたマドレーヌ。
そうこうするうちに、体の弱かった伯母が亡くなり、その遺産で念願だったガソリンスタンドを購入。支えてくれたマドレーヌと結婚して、ささやかながら新しい生活をはじめる。
1963年12月
クリスマスの飾り付けを終えたマドレーヌが、小さな息子と買い物へ行くのを見送るギィ。
そこへあらわれた一台のベンツ。車から降りた美しいマダムの顔をみたギィは、立ち竦む。
ギィの顔をみたジュヌヴィエーヴも、また。
「娘の用事で、近くに来たの。…シェルブールに来たのは、結婚以来初めてよ」
「そう……」
「なのに、こんなところで会うなんて……」
事務所へ招き入れたジュヌヴィエーヴが、奇妙な饒舌さで語る。
「このツリーの飾りは?あなたがしたの?」
「……いや、それは、………妻が、息子と」
ふと零れて落ちる、沈黙。
「………幸せ?」
「ああ、………幸せ、だよ」
万感の思いをこめて、見詰め合う二人。
交わすべき言葉はすべて過去のもので。今となっては、何も語ることなどなくて。
「子供の名前は…?」
「……フランソワーズ、よ」
すべては、もう、終わってしまったこと。
「会っていくでしょう?」
「……いや、いいんだ」
幸せそうに微笑んで、そう告げる男は、もう20歳の青年ではなくて。
それを聞いて、すこし寂しげに微笑む彼女も、もう16歳のマドモアゼルではなくて。
パリへ帰るベンツのテールランプを見送って、彼はもう一度、空を視あげる。
舞い落ちる雪に浸されて、追憶への旅を終えて。
買い物から帰ってきた妻と子を迎えて笑う彼には、もう翳り一つなく。
「幸せ、だよ…」 と。
ギィ(井上芳雄)
この人は、ソロよりもデュエットの方がいいんだなあ、ということを思いました。
これだけ歌えて、これだけ踊れるって凄いコトだなあと感心。
「ミス・サイゴン」のクリスの経験が生きたのか、アルジェリアでの戦闘場面の迫力やその追い詰められたエネルギー、シェルブールへ戻ったときの荒んだ雰囲気など、非常に的確な芝居だったと思います。
最初の能天気な若者から、戦場で疵付いた野良犬、そして、ラストの穏やかな大人の男まで、幅広い演技力を必要とする役でしたが、とても良かったと思います♪♪
ジュヌヴィエーヴ(白羽ゆり)
これが、宝塚卒業後初舞台…ってことでいいのかな?
残念ながら井上くんより4つも歳下の女の子には見えないので、一幕は苦戦していた印象ですが、二幕の心の揺れはさすがでした。天使だからね、となみちゃんは。人間と同じ理屈では動かないので。来ない手紙への不安、自分の中で大きく育っていくモノへの恐怖心。人間としての強靭さを持たない、儚げですぐに折れてしまう天使の心が、とても切なかったです。
私が一番好きだったのは、ラストの再会の場面。
マダムとしてのちょっと色っぽい(?)風情がとても良かったです。ああ、グルーシェニカをもう一度観てみたい…。
歌は現役時代より落ち着いて、良かったと思います。井上くんとはピッチがあうみたいで、デュエットの響きがすごく綺麗でした。
でも、、、体型はタカラジェンヌ時代をキープしてほしいよー(T T)。男役さんは、卒業したらすこしふっくらして丸みがついた方が女優としては良いでしょうけど、娘役さんはそのままキープしてほしいの(; ;)。ジュヌヴィエーヴは踊らないし、あまり身体の線が出ない服なので目立たないんだけど、、、でも、判るもん。ホントのとなみちゃんは、もっとずっと綺麗なんだもん!!(←贔屓目?)
ジュヌヴィエーヴの母(香寿たつき)
華やかな美しさのあるマダムっぷりで、なかなかの嵌り役でした。
なんとなく、カサールを挟んでジュヌヴィエーヴと恋敵みたいになるのかな?とか思ったのですが(←本当に映画を視たのか?)、普通に優しくてしっかり者の母、でした。
娘に対しては高圧的な、しっかりものでクールなビジネスウーマンタイプに見えて、8万フランの請求書が来た途端に崩れてしまって娘へ頼りきりになってしまうところとか、娘が結婚するとあっさり店を手放してパリへ行ってしまうとか、案外弱い女な面もあったり、相当複雑なキャラクターで難しかったと思うのですが、タータンはかなり的確に演じていたと思います。
もともとタータン自身が二面性のある役者なので、ちょうど良かったのかも。
歌はさすがでした。スタイルもますます磨かれて、イイオンナ度がアップ↑↑してました♪
カサール(岸田敏志(智史))
カッコいい!!
最初に出てきたときは、もっと胡散臭いキャラだったのに(ジュヌヴィエーヴが「詐欺だったのでは?」と疑う場面がある)実は物凄く良い人、というおいしい役(^ ^)。となみちゃんという天使を柔らかく包み込む「大人」の存在感がとても良かったと思います。
久しぶりにお姿を拝見して、大好きだった「クリスマス・キャロル」のボブ・クラチットを思い出しました♪素敵だったわ♪♪
ギィの伯母(出雲綾)
足が悪いという設定で、ほぼ座ったきりの役。ギィの唯一の身内という設定で、ジュヌヴィエーヴには見せられない弱さを零させるための存在でした。
やわらかくて温もりのある存在感で、宝塚現役時代の暑苦しい空気が無くなっていたのが不思議です。現役時代にこの空気を醸してくれていたら……と思わずにはいられませんが、彼女にとって「女優」としての成長はこれからなのかもしれませんね。
可愛らしい、愛情に溢れた素敵な伯母さんでした(はぁと)。
マドレーヌ(ANZA)
ギィの伯母さんを献身的に看護する、穏やかで辛抱強い、優しい女性。映画の設定によると、看護学校の生徒(?)のようですね。舞台を観ているときは、又従姉妹とかなんとか、要するに親戚なのかな?と思ったりもしたのですが。
一幕は、ほとんど出番はないものの、ギィに対するほのかな恋心をちゃんと表現していて、二幕の展開に唐突感がなかったのが嬉しかったです。しかし、以前、坂本昌行さんのギィと藤谷美紀さんのジュヌヴィエーヴで上演されたとき、マドレーヌは入絵加奈子ちゃんだったそうなので、エポニーヌ系の役者が配役されているようなのですが、音楽として聴いていると、もう少し柔らかなソプラノの方が音楽には合うような気がしたのですが……。
となみちゃんの声がまろやかな低音だから、そんな気がするだけかしら?
アンサンブル
最後に書いてますけど、この作品の目玉は、井上くんでもとなみちゃんでもなく、アンサンブルのダンスでした。
謝振付のカッコいいところを全部やっていた三組の男女に、乾杯。
とりあえず、久しぶりに思いっきり踊っている滝沢由佳さん(元四季)にお会いできて嬉しいです。こんなところにいらっしゃるとは!!(@ @)いやーーー、加藤敬二さん以外の振付で踊ってる滝沢さん、初めて観た……わけではないはずですが、文句無く素晴らしいダンスでした★ご馳走様★
あと、面白かったのは傘の行方、ですね。
一番最初の、ギィとジュヌヴィエーヴの出会いで、ギィがジュヌヴィエーヴに傘を渡す。これがきっかけに恋が始まるわけです。
で、その後、ジュヌヴィエーヴは、たしか街の乳母車を押した女性に傘を渡していた…ような気がする(←違うかも)。で、その女性からまた別のアンサンブルに渡されて……と、雨が降り出すたびに違う人の手を渡った傘は、最後にもう一度ギィの元に戻り、そして、ラストの別れのシーンで、ギィの手から事務所を出て車に向かうジュヌヴィエーヴに渡される。
特別な模様がついているような傘ではないので確信はありませんが、たぶん、そんな感じに回っていたと思います。
他にもいろいろエピソードがあって。
喧嘩してはまた仲直り、を繰り返すカップルとか、
乳母車を押していた女性が元夫と再会するドラマティックなシーンとか。
その元夫が、花売り娘の現恋人だったような気がするんだけど、あれ?とか。
一回しか観ていないので、すべてはチェックできていないと思うのですが、彼らには彼らの人生があって……というのが、すごく映画っぽいなと思いました。
……映画そのものは、ほとんど覚えていないのに、すみません(汗)。
ごくごくシンプルなメロドラマで、話は単純だし、ジュヌヴィエーヴの天使っぷりもどうかと思う部分はあるのですが。
でも、やっぱりこの物語の中には一つの真実が描かれているんだな、と思います。
切ないまでの、人間の心の真実、が。
弱いことは罪ではない、と。
弱いことが罪なのではなく、弱さ故に不誠実になることが罪なのだ、と。
美しい音楽にのせて綴られた、生粋のフランス映画。
物語の間中降りしきっていた雨が、ラストシーンで雪に変わる、その変化がとても美しいです。
美しいということは強さなのだな、と、そんなことを思ったりもした、日比谷の夜でした。
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帝国劇場にて、「パイレート・クイーン」を観劇してまいりました。
16世紀のアイルランドに生きた女海賊グレイス・オマリー(保坂知寿)と、イングランド女王エリザベス一世(涼風真世)。この二人が生涯でただ一度会見し、お互いの祖国の将来について語り合ったというエピソードをもとに、波乱に満ちたグレイスの人生を語ったミュージカル。
プログラムの解説を読むと、細かいエピソードはかなりフィクションだったようですが、ミュージカルとしての見せ場もあり、女たちのキャストも嵌っていて、作品として非常に面白かったです(*^ ^*)。
初演のプロデューサーは、アイリッシュダンスのショーとして日本にも何度か来ている「リバーダンス」のプロデューサーコンビ。谷正純さんの迷作「JAZZYな妖精たち」でいちやくタカラヅカファンにも認識されたアイリッシュダンスですが、今回のカンパニーは、「リバーダンス」でもメインに入っていたキャロル・リーヴァイ・ジョイスが振付を担当。本場のダンサーも男女数人が加わって、かなり高度なダンスを魅せてくれました♪
クリエイティブ・スタッフの中心となったのは、「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」を創ったブーブリル&シェーンベルクコンビ。春野寿美礼さんが主演した「マルグリット」も同じコンビですが、あれは音楽はミシェル・ルグランだったのに対し、今回はシェーンベルク本人が作曲。
「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」「マルタン・ゲール」と、どちらかというと交響楽的な重厚な音楽を得意とした人ですが、今回は、風のように響くケルティックな雰囲気を大事にしようとしたようで、響きの明るい軽やかな音楽をメインにしていました。楽器もケルティック楽器をつかっていたみたいで、珍しい音だったような気がします。
あと、演奏もオケボックスではなく舞台の奥だったのですが、全員が袖のたっぷりした白ブラウスにベストという衣装で楽しそうに弾いていたのが印象的でした。最初メンバーが出てきたときは、役者が座っているのかと思ったくらい(^ ^)。実際、ヴァイオリンと笛(←すみません楽器の名称がわからず)の方は、ダンスナンバーのたびに舞台前面に出てきて楽しそうに演奏していて、とても可愛かったです。
全体に、音楽とダンスの一体感がすごくあって。リバーダンスでもそうですけど、ダンサーの中にも、みなが踊るときにパーカッションをしてくれる人がいたりして、ああ、アイルランドのお祭はこんな風に皆で演奏して、皆で踊るんだろうなあ、なんてことを思いました。
日本版の演出は山田和也。元々、軽やかでショーアップされた小品を得意とする人ですが、小劇場でなくても、コメディではなくても、こういう作品は良いんだな、と感心しました。ドラマとしては結構深刻なテーマを扱った大河ドラマなんですけど、観終わった後の印象がすごく清々しくて「楽しかったなあ~♪」という感じなんですよね。ドラマの部分とショーの部分のつなぎが巧いから、物語がぶつぶつ切れずにちゃんと流れていったのだと思います。こういうのは、舞台転換のおおい小品を上手に仕上げてきた彼の強みなんでしょうね。
作品自体がよくできているのと、キャストが(ティアナン以外は)非常によく嵌っていたのもさすがによく役者を視ているなあ、という気がしました。
しかーし、なぜ山口さんを使ったんだろう……………(疑問)
装置は松井るみ。彼女の装置もいつも好きなんですが、今回のはシンプルでよかったです。盆がそのまま船のセットになっていて、微妙に八百屋になっていたのがカッコいい。
山田さんの演出もそうですが、すごくシンプルで質の高い、帝劇という大きさに負けていない作品に仕上がっていた、と思います。
厳しい気候と複雑な地形に分断され、群雄が割拠していたアイルランド島。
12世紀ごろから名目上はイングランド王がアイルランド王を兼ねるようになっていたようですが、最初の頃は東のダブリン周辺を支配するのみで、アイルランド全体がイングランドの支配下に降るのは17世紀初頭。ということは、エリザベス一世の治世(16世紀後半)には、まだまだ「アイルランド女王」という称号は名目上のものだったんですね。それでも、彼女の父親ヘンリー八世の時代から、少しずつアイルランド支配を実効力のあるものにしようという動きは始まっていたようです。
オマリー一族の族長ドゥブダラ(今井清隆)の娘として生まれたグレイスは、女の身で海を愛し、船に乗ることをを切望していた。ズボンをはいて父の操る船に密航した少女は、イングランド船との戦闘で手柄を挙げたことで認められ、族長の後継者候補となる。
次第に支配力を強めようとするイングランドに危機感を感じたオマリー一族は、“隣の氏族”であるオフラハティ一族と同盟しようとする。和平に応じたオフラハティ族長(中山昇)が出した条件は、グレイスと、自分の息子ドーナル(宮川浩)の結婚。
グレイスは幼馴染の恋人ティアナン(山口祐一郎)と別れて、一族の未来のためにドーナルと結婚する決意をする……。
(ちなみに、この後は最後までストーリーを書いてしまいましたので、ご注意を)
オマリー一族は海戦を得意とする海賊で、オフラハティは陸戦が専門だったらしく、同じゲール系とはいっても全く相容れない存在だった……とゆーことかな、あの対立っぷりは。
まあ、当時はまだイングランドは「遠くの敵」で、隣の氏族の方が恐るべき「近くの敵」だったのでしょうけれども。
いずれにしても、グレイスは一族を離れてオフラハティの土地で暮らすようになります。二度と海へ出ることもないと覚悟して、浮気な夫に癇癪を起こしながらも。
それでも、男勝りのグレイスは、男たちの留守を襲ってきたイングランド兵を女たちだけでやっつけたりして、女たちの人望を集めていく。
そんなとき。ティアナンが「オマリーの族長が怪我をして重篤だ」という報せをもって来る。慌てて帰郷するグレイス。グレイスの夫として、後継者指名を受けたいドーナルも共に行くが、族長が後継者に指名したのは、愛娘のグレイスだった……
族長の葬儀の場面(船に乗せて海へ流す海葬)の演出が非常に美しく、印象に残りました。オマリーの女として葬儀のソロを歌う荒木里佳さんが神秘的でとても良かった。そこからダンスに繋がる流れも自然で、結婚式や洗礼式などのお祭騒ぎとは違う、あくまでも厳粛なショーシーンでした。
二幕は、船の上で息子を産み落とすグレイスの場面から。
船に慣れなくて、へろへろと歩いている宮川さんがうまいなあ、と思いました。船の上がイヤでイヤでたまらない……という空気がちゃんとあって(^ ^)。
そこへ現れるイングランドの軍艦。慌てて降伏しようとするドーナルを怒鳴りつけ、出産直後の身体で船を守り抜くグレイス。夫に剣を向けて追い出すグレイスが、実に美しい。
その頃イングランドでは、女王エリザベス一世のもと、アイルランド併合へ向けて政治が動いていました。
“処女王”エリザベスをモノにすれば、イングランドは俺のもの、とばかりに野心を燃やすビンガム卿(石川禅)。「アイルランド全土を差し出した男となら(結婚を考えるかもね)」と示唆した女王に膝をついて、「必ずや」と誓ってみせる。
そんなビンガム卿に近づく男。オフラハティのドーナル。イングランドと密約を結んで、自分の息子(オーエン)の洗礼式に姿を現す。
「息子の洗礼式に、父の立会いを」と訴える元夫に、
「夫としては許さないが、息子の父親としてなら」と硬い表情で許すグレイス。
しかし。息子を抱く元妻に近づいたドーナルは、剣を抜いてグレイスに突きつける。
同時になだれ込んでくるイングランド兵たち。あっさりと捕えられるグレイス。
目の前でグレイスを奪われたティアナンは、ドーナルを殺してゆりかごの中の子供を連れ、逃げだした。いつかグレイスを取り戻すことを誓いながら。
それから七年。グレイスはダブリンの牢に繋がれたまま。
しかし、グレイス一人を奪っても、アイルランドの抵抗が息まない(←そりゃあそうだ。グレイスはアイルランドの女王でも何でもないんだから)ことに苛立つエリザベス一世は、ビンガム卿に当たり散らしながら日々を送っている。
ついに、アイルランドの主な士族たちがイングランドに降ってくる。一人一人、冠を差し出してイングランドに忠誠を誓う。その中にはオフラハティもいる。
そして。
その長い列の一番最後に、冠を持たない男が、一人。
オマリー一族のティアナン。族長はダブリンの牢にいる。自分はただ、エリザベス一世に頼みがある、と。
「7つになった息子に、母親を返して欲しい」と女王に訴えるティアナン。
「女海賊の心を支えているのは、この男と息子の愛なのか…?」
“処女王”エリザベスは自問し、惑い、そして、頷く。
「お前が彼女のかわりに、ダブリンの牢に入るというなら……」
牢から解放され、息子と抱き合うグレイス。
イングランドに搾取され、海賊行為を禁じられて疲弊した故郷。生来の負けん気で、ロンドンへ乗り込む決心をするグレイス。船に乗ってテムズ川を上り、エリザベス一世に直接の対話を申し入れる。
女王の私室で語り合う二人。二時間もかけて何を話し合ったのか、笑顔で出てきたエリザベス一世は、ティアナンの釈放と、ビンガムの更迭を命じる。
「お前は私の名誉を傷つけました…」
自分を女王として敬い、イングランド臣民としての自覚をもって働くならば、自治を認めようという女王の言葉に、笑顔でうなずく女海賊。おそらくは、他国(特にスペイン)の船を襲うぶんには、海賊行為も遠慮はいらない、というお墨付きも与えたことでしょう。
ティアナンを助け出し、抱きあう二人。未来への明るい希望を感じさせて、幕。
プログラムによると、史実としてエリザベス一世とグレイス・オマリーの会談というのは1593年のことだったようですね。この時エリザベスは60歳、グレイスも同世代だったようです。
でも。この物語では、ラストシーンでもグレイスとドーナルの息子オーエンが7歳。…この頃の結婚は早かったでしょうから、たぶんグレイスが20代後半からせいぜい30歳程度だったと思われます。
ってことは、1563年頃のことだということか。
……アマルダ海戦(1588年)に勝利して大西洋の制海権を握ったイングランドだからこそ、アイルランドをゆっくり制圧できたんだろうに、1563年じゃあちょっと時代的に無理があるんじゃないかと思ったりもするのですが……。
まあ、そんなことはいいのかなあ(^ ^;ゞ
不思議なのは、海賊の話なのにフランシス・ドレークたちイングランド海軍の名物提督が出てこないことなのですが。まあ、1563年頃までの話だとすると、時代的に確かに出てこなくても不思議は無いんですけどね。日本で思っているほど、彼らは有名人じゃないのかなあ。……まあ、イングランドじゃなくてアイルランドが主役の舞台だから、イングランドの有名人はエリザベス一人出てくれば十分なのか?
それにしても。
この話、観ながらずっと思っていたんですが、河惣益巳の「サラディナーサ」に似てるんですよね。
っていうか、河惣益巳はグレイス・オマリーのエピソードを元にして「サラディナーサ」を描いたのでしょうか。物語の骨子は全然違うんですが(あちらはスペインが主舞台で、アイルランドのアの字も出てこない)、軍事に天才的な才能を見せる女海賊だとか、エリザベス一世との会談だとか、細かいところが良く似ていて、面白いなあと思いました。
そういえば、タカラヅカで「サラディナーサ」やればいいのに、と思ったことがあったなー、昔(^ ^)。
知寿さんと涼風さん。最後の最後まで出会わない二人の女傑が主役の物語でしたが、二人とも本当に素晴らしかったです。
エネルギッシュでパワフルで可愛い知寿さん、「クレイジー・フォー・ユー」の元気なポリーが帰ってきたかのような可愛らしさで、本当に懐かしかった!!もうそれなりの歳のはずなんですけど、小柄で細くてスタイルが抜群なので、遠目に観る分には十分若々しくて可愛かったです(*^ ^*)歌はさすが。帝劇を埋める歌を歌える数少ない人の一人だな、と改めて感心しました。
「マンマ・ミーア」も素敵だったけど、やっぱりポリーが最高!と思っている猫にとっては、嬉しいキャスティングでした♪
涼風さんはまた、知寿さんとはうって変わって、つかみどころのないファンタジックな存在感。割とコミカルな演技をしていましたが、わざとらしくない怖さがあって凄く良かったです。ああ、エリザベス一世ってこういう人だったのかもしれないなあ、という底知れなさがありました。
最初の「女王の朝」のナンバーからして、掴みはOK!!という感じでしたね。「ME AND MY GIRL」のマリア侯爵夫人も良かったけど、こういう少女アリス系の怖さを見せるとこの人に勝てる人は少ないだろうな、と思いました。
男性陣は、髭率が高くて嬉しかった!(^ ^)
なんといっても、今井さんの髭姿は美丈夫でしたね。貫禄ありすぎて神様みたいでした。
山口さんは仕草が挙動不審すぎる(^ ^;。っていうか。彼の武器は歌なわけですが、残念ながら今回は、その歌が個人的に駄目だったので……。二幕の歌はまだマシだったんですけど、一幕の歌がね。普通に若くて声の出るテノールが担当するべき歌なのに、いくら音域が広いといっても、ハイバリトンの山口さんに歌わせるのはキツいですよ、あれは。
「ゲッセマネ」の高音部みたいに、感情の昂ぶりの流れがあって出すならあの発声でも良いんですけど、あの歌は普通にテノールの音質で聴きたい(T T)。歌い始めからあの声じゃあ、「変な声」としか認識できないってば。
音質的にはマリウス系で、高音まで滑らかに出る人で、知寿さんとの釣り合いがとれて…と思うと、石丸幹二さんか石井一孝さんか、というあたりだと思うのですが。うーん、難しいなあ。
正直に言えば、知寿さんは若く見えるので、浦井くんでいいじゃん!!(←1月に「蜘蛛女のキス」です)あるいは山崎育三郎くんとか、そのあたりでどうよ。(←さすがに帝劇でそれは…)
宮川さんはちょっと惜しい、って感じだったかなー。彼はあまり、ああいう卑屈なキャラが似合わないんですね。体つきのわりにはインテリっぽい雰囲気のある人だし。今ひとつ闇が足りない、というか。いや、でも、歌は良かったです。ええ。
そして、禅ちゃん!!禅ちゃん、最近観た中でも一番良かったかも!? どうにも遣る瀬無いほどの小者感に溢れていて、とても素敵でした。髭も衣装も、ついでに体格も立派なのに、どうしてあんなに貫禄がないんだろう……フランツと同一人物とはどうしても思えません。「ウーマン・イン・ホワイト」も良かったけど、今回のワルっぷりは最高でしたね♪
作品としてはすごーく面白かったし、女二人のキャスティングやアンサンブルは最高でした。
音楽も良かったし、とにかくアイリッシュダンスは凄い!!です(*^ ^*)。久しぶりの帝劇でしたが、すごく楽しんでしまいました。
舞台装置の模型が「出張中」だったのだけがとっても残念……(^ ^)。
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16世紀のアイルランドに生きた女海賊グレイス・オマリー(保坂知寿)と、イングランド女王エリザベス一世(涼風真世)。この二人が生涯でただ一度会見し、お互いの祖国の将来について語り合ったというエピソードをもとに、波乱に満ちたグレイスの人生を語ったミュージカル。
プログラムの解説を読むと、細かいエピソードはかなりフィクションだったようですが、ミュージカルとしての見せ場もあり、女たちのキャストも嵌っていて、作品として非常に面白かったです(*^ ^*)。
初演のプロデューサーは、アイリッシュダンスのショーとして日本にも何度か来ている「リバーダンス」のプロデューサーコンビ。谷正純さんの迷作「JAZZYな妖精たち」でいちやくタカラヅカファンにも認識されたアイリッシュダンスですが、今回のカンパニーは、「リバーダンス」でもメインに入っていたキャロル・リーヴァイ・ジョイスが振付を担当。本場のダンサーも男女数人が加わって、かなり高度なダンスを魅せてくれました♪
クリエイティブ・スタッフの中心となったのは、「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」を創ったブーブリル&シェーンベルクコンビ。春野寿美礼さんが主演した「マルグリット」も同じコンビですが、あれは音楽はミシェル・ルグランだったのに対し、今回はシェーンベルク本人が作曲。
「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」「マルタン・ゲール」と、どちらかというと交響楽的な重厚な音楽を得意とした人ですが、今回は、風のように響くケルティックな雰囲気を大事にしようとしたようで、響きの明るい軽やかな音楽をメインにしていました。楽器もケルティック楽器をつかっていたみたいで、珍しい音だったような気がします。
あと、演奏もオケボックスではなく舞台の奥だったのですが、全員が袖のたっぷりした白ブラウスにベストという衣装で楽しそうに弾いていたのが印象的でした。最初メンバーが出てきたときは、役者が座っているのかと思ったくらい(^ ^)。実際、ヴァイオリンと笛(←すみません楽器の名称がわからず)の方は、ダンスナンバーのたびに舞台前面に出てきて楽しそうに演奏していて、とても可愛かったです。
全体に、音楽とダンスの一体感がすごくあって。リバーダンスでもそうですけど、ダンサーの中にも、みなが踊るときにパーカッションをしてくれる人がいたりして、ああ、アイルランドのお祭はこんな風に皆で演奏して、皆で踊るんだろうなあ、なんてことを思いました。
日本版の演出は山田和也。元々、軽やかでショーアップされた小品を得意とする人ですが、小劇場でなくても、コメディではなくても、こういう作品は良いんだな、と感心しました。ドラマとしては結構深刻なテーマを扱った大河ドラマなんですけど、観終わった後の印象がすごく清々しくて「楽しかったなあ~♪」という感じなんですよね。ドラマの部分とショーの部分のつなぎが巧いから、物語がぶつぶつ切れずにちゃんと流れていったのだと思います。こういうのは、舞台転換のおおい小品を上手に仕上げてきた彼の強みなんでしょうね。
作品自体がよくできているのと、キャストが(ティアナン以外は)非常によく嵌っていたのもさすがによく役者を視ているなあ、という気がしました。
しかーし、なぜ山口さんを使ったんだろう……………(疑問)
装置は松井るみ。彼女の装置もいつも好きなんですが、今回のはシンプルでよかったです。盆がそのまま船のセットになっていて、微妙に八百屋になっていたのがカッコいい。
山田さんの演出もそうですが、すごくシンプルで質の高い、帝劇という大きさに負けていない作品に仕上がっていた、と思います。
厳しい気候と複雑な地形に分断され、群雄が割拠していたアイルランド島。
12世紀ごろから名目上はイングランド王がアイルランド王を兼ねるようになっていたようですが、最初の頃は東のダブリン周辺を支配するのみで、アイルランド全体がイングランドの支配下に降るのは17世紀初頭。ということは、エリザベス一世の治世(16世紀後半)には、まだまだ「アイルランド女王」という称号は名目上のものだったんですね。それでも、彼女の父親ヘンリー八世の時代から、少しずつアイルランド支配を実効力のあるものにしようという動きは始まっていたようです。
オマリー一族の族長ドゥブダラ(今井清隆)の娘として生まれたグレイスは、女の身で海を愛し、船に乗ることをを切望していた。ズボンをはいて父の操る船に密航した少女は、イングランド船との戦闘で手柄を挙げたことで認められ、族長の後継者候補となる。
次第に支配力を強めようとするイングランドに危機感を感じたオマリー一族は、“隣の氏族”であるオフラハティ一族と同盟しようとする。和平に応じたオフラハティ族長(中山昇)が出した条件は、グレイスと、自分の息子ドーナル(宮川浩)の結婚。
グレイスは幼馴染の恋人ティアナン(山口祐一郎)と別れて、一族の未来のためにドーナルと結婚する決意をする……。
(ちなみに、この後は最後までストーリーを書いてしまいましたので、ご注意を)
オマリー一族は海戦を得意とする海賊で、オフラハティは陸戦が専門だったらしく、同じゲール系とはいっても全く相容れない存在だった……とゆーことかな、あの対立っぷりは。
まあ、当時はまだイングランドは「遠くの敵」で、隣の氏族の方が恐るべき「近くの敵」だったのでしょうけれども。
いずれにしても、グレイスは一族を離れてオフラハティの土地で暮らすようになります。二度と海へ出ることもないと覚悟して、浮気な夫に癇癪を起こしながらも。
それでも、男勝りのグレイスは、男たちの留守を襲ってきたイングランド兵を女たちだけでやっつけたりして、女たちの人望を集めていく。
そんなとき。ティアナンが「オマリーの族長が怪我をして重篤だ」という報せをもって来る。慌てて帰郷するグレイス。グレイスの夫として、後継者指名を受けたいドーナルも共に行くが、族長が後継者に指名したのは、愛娘のグレイスだった……
族長の葬儀の場面(船に乗せて海へ流す海葬)の演出が非常に美しく、印象に残りました。オマリーの女として葬儀のソロを歌う荒木里佳さんが神秘的でとても良かった。そこからダンスに繋がる流れも自然で、結婚式や洗礼式などのお祭騒ぎとは違う、あくまでも厳粛なショーシーンでした。
二幕は、船の上で息子を産み落とすグレイスの場面から。
船に慣れなくて、へろへろと歩いている宮川さんがうまいなあ、と思いました。船の上がイヤでイヤでたまらない……という空気がちゃんとあって(^ ^)。
そこへ現れるイングランドの軍艦。慌てて降伏しようとするドーナルを怒鳴りつけ、出産直後の身体で船を守り抜くグレイス。夫に剣を向けて追い出すグレイスが、実に美しい。
その頃イングランドでは、女王エリザベス一世のもと、アイルランド併合へ向けて政治が動いていました。
“処女王”エリザベスをモノにすれば、イングランドは俺のもの、とばかりに野心を燃やすビンガム卿(石川禅)。「アイルランド全土を差し出した男となら(結婚を考えるかもね)」と示唆した女王に膝をついて、「必ずや」と誓ってみせる。
そんなビンガム卿に近づく男。オフラハティのドーナル。イングランドと密約を結んで、自分の息子(オーエン)の洗礼式に姿を現す。
「息子の洗礼式に、父の立会いを」と訴える元夫に、
「夫としては許さないが、息子の父親としてなら」と硬い表情で許すグレイス。
しかし。息子を抱く元妻に近づいたドーナルは、剣を抜いてグレイスに突きつける。
同時になだれ込んでくるイングランド兵たち。あっさりと捕えられるグレイス。
目の前でグレイスを奪われたティアナンは、ドーナルを殺してゆりかごの中の子供を連れ、逃げだした。いつかグレイスを取り戻すことを誓いながら。
それから七年。グレイスはダブリンの牢に繋がれたまま。
しかし、グレイス一人を奪っても、アイルランドの抵抗が息まない(←そりゃあそうだ。グレイスはアイルランドの女王でも何でもないんだから)ことに苛立つエリザベス一世は、ビンガム卿に当たり散らしながら日々を送っている。
ついに、アイルランドの主な士族たちがイングランドに降ってくる。一人一人、冠を差し出してイングランドに忠誠を誓う。その中にはオフラハティもいる。
そして。
その長い列の一番最後に、冠を持たない男が、一人。
オマリー一族のティアナン。族長はダブリンの牢にいる。自分はただ、エリザベス一世に頼みがある、と。
「7つになった息子に、母親を返して欲しい」と女王に訴えるティアナン。
「女海賊の心を支えているのは、この男と息子の愛なのか…?」
“処女王”エリザベスは自問し、惑い、そして、頷く。
「お前が彼女のかわりに、ダブリンの牢に入るというなら……」
牢から解放され、息子と抱き合うグレイス。
イングランドに搾取され、海賊行為を禁じられて疲弊した故郷。生来の負けん気で、ロンドンへ乗り込む決心をするグレイス。船に乗ってテムズ川を上り、エリザベス一世に直接の対話を申し入れる。
女王の私室で語り合う二人。二時間もかけて何を話し合ったのか、笑顔で出てきたエリザベス一世は、ティアナンの釈放と、ビンガムの更迭を命じる。
「お前は私の名誉を傷つけました…」
自分を女王として敬い、イングランド臣民としての自覚をもって働くならば、自治を認めようという女王の言葉に、笑顔でうなずく女海賊。おそらくは、他国(特にスペイン)の船を襲うぶんには、海賊行為も遠慮はいらない、というお墨付きも与えたことでしょう。
ティアナンを助け出し、抱きあう二人。未来への明るい希望を感じさせて、幕。
プログラムによると、史実としてエリザベス一世とグレイス・オマリーの会談というのは1593年のことだったようですね。この時エリザベスは60歳、グレイスも同世代だったようです。
でも。この物語では、ラストシーンでもグレイスとドーナルの息子オーエンが7歳。…この頃の結婚は早かったでしょうから、たぶんグレイスが20代後半からせいぜい30歳程度だったと思われます。
ってことは、1563年頃のことだということか。
……アマルダ海戦(1588年)に勝利して大西洋の制海権を握ったイングランドだからこそ、アイルランドをゆっくり制圧できたんだろうに、1563年じゃあちょっと時代的に無理があるんじゃないかと思ったりもするのですが……。
まあ、そんなことはいいのかなあ(^ ^;ゞ
不思議なのは、海賊の話なのにフランシス・ドレークたちイングランド海軍の名物提督が出てこないことなのですが。まあ、1563年頃までの話だとすると、時代的に確かに出てこなくても不思議は無いんですけどね。日本で思っているほど、彼らは有名人じゃないのかなあ。……まあ、イングランドじゃなくてアイルランドが主役の舞台だから、イングランドの有名人はエリザベス一人出てくれば十分なのか?
それにしても。
この話、観ながらずっと思っていたんですが、河惣益巳の「サラディナーサ」に似てるんですよね。
っていうか、河惣益巳はグレイス・オマリーのエピソードを元にして「サラディナーサ」を描いたのでしょうか。物語の骨子は全然違うんですが(あちらはスペインが主舞台で、アイルランドのアの字も出てこない)、軍事に天才的な才能を見せる女海賊だとか、エリザベス一世との会談だとか、細かいところが良く似ていて、面白いなあと思いました。
そういえば、タカラヅカで「サラディナーサ」やればいいのに、と思ったことがあったなー、昔(^ ^)。
知寿さんと涼風さん。最後の最後まで出会わない二人の女傑が主役の物語でしたが、二人とも本当に素晴らしかったです。
エネルギッシュでパワフルで可愛い知寿さん、「クレイジー・フォー・ユー」の元気なポリーが帰ってきたかのような可愛らしさで、本当に懐かしかった!!もうそれなりの歳のはずなんですけど、小柄で細くてスタイルが抜群なので、遠目に観る分には十分若々しくて可愛かったです(*^ ^*)歌はさすが。帝劇を埋める歌を歌える数少ない人の一人だな、と改めて感心しました。
「マンマ・ミーア」も素敵だったけど、やっぱりポリーが最高!と思っている猫にとっては、嬉しいキャスティングでした♪
涼風さんはまた、知寿さんとはうって変わって、つかみどころのないファンタジックな存在感。割とコミカルな演技をしていましたが、わざとらしくない怖さがあって凄く良かったです。ああ、エリザベス一世ってこういう人だったのかもしれないなあ、という底知れなさがありました。
最初の「女王の朝」のナンバーからして、掴みはOK!!という感じでしたね。「ME AND MY GIRL」のマリア侯爵夫人も良かったけど、こういう少女アリス系の怖さを見せるとこの人に勝てる人は少ないだろうな、と思いました。
男性陣は、髭率が高くて嬉しかった!(^ ^)
なんといっても、今井さんの髭姿は美丈夫でしたね。貫禄ありすぎて神様みたいでした。
山口さんは仕草が挙動不審すぎる(^ ^;。っていうか。彼の武器は歌なわけですが、残念ながら今回は、その歌が個人的に駄目だったので……。二幕の歌はまだマシだったんですけど、一幕の歌がね。普通に若くて声の出るテノールが担当するべき歌なのに、いくら音域が広いといっても、ハイバリトンの山口さんに歌わせるのはキツいですよ、あれは。
「ゲッセマネ」の高音部みたいに、感情の昂ぶりの流れがあって出すならあの発声でも良いんですけど、あの歌は普通にテノールの音質で聴きたい(T T)。歌い始めからあの声じゃあ、「変な声」としか認識できないってば。
音質的にはマリウス系で、高音まで滑らかに出る人で、知寿さんとの釣り合いがとれて…と思うと、石丸幹二さんか石井一孝さんか、というあたりだと思うのですが。うーん、難しいなあ。
正直に言えば、知寿さんは若く見えるので、浦井くんでいいじゃん!!(←1月に「蜘蛛女のキス」です)あるいは山崎育三郎くんとか、そのあたりでどうよ。(←さすがに帝劇でそれは…)
宮川さんはちょっと惜しい、って感じだったかなー。彼はあまり、ああいう卑屈なキャラが似合わないんですね。体つきのわりにはインテリっぽい雰囲気のある人だし。今ひとつ闇が足りない、というか。いや、でも、歌は良かったです。ええ。
そして、禅ちゃん!!禅ちゃん、最近観た中でも一番良かったかも!? どうにも遣る瀬無いほどの小者感に溢れていて、とても素敵でした。髭も衣装も、ついでに体格も立派なのに、どうしてあんなに貫禄がないんだろう……フランツと同一人物とはどうしても思えません。「ウーマン・イン・ホワイト」も良かったけど、今回のワルっぷりは最高でしたね♪
作品としてはすごーく面白かったし、女二人のキャスティングやアンサンブルは最高でした。
音楽も良かったし、とにかくアイリッシュダンスは凄い!!です(*^ ^*)。久しぶりの帝劇でしたが、すごく楽しんでしまいました。
舞台装置の模型が「出張中」だったのだけがとっても残念……(^ ^)。
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独りの男、9人の女。
2009年12月13日 ミュージカル・舞台ル・テアトル銀座にて、ミュージカル「ナイン」を観劇してまいりました。
「PHANTOM」と同じ、コーピット(脚本)&イェストン(作詞作曲)コンビによるブロードウェイミュージカル。
1982年の初演時、トニー賞の作品賞その他の多くの賞を受賞。さらに、2003年のデイヴィッド・ルヴォー演出での再演時には同賞のリバイバル賞を獲得した話題作。
日本初演は2004年のデイヴィッド・ルヴォー版で、このときはルヴォーと何度か組んでいたTPTが主催でした。
アートスフィア(現・銀河劇場)の高い天井を活かした立体的な装置と、本水を舞台に満たした斬新な演出、そして、美しくドラマティックな音楽が強く印象に残っています。
今調べてみると、あのときの翻訳は青井陽治さんだったんですね。なるほど…。
今回公演の演出は、最近ミュージカルでもヒット続きのG2氏。
どうかなあと思っていたのですが、非常に良かったです!
演出はすごくシンプル。前回は演出の斬新さが際立っていたので、そういうところを評価していた人は物足りないかもしれませんが、演出のシンプルさを補ってあまりある、深い芝居を見せていただきました。
端的に言うならば、前回の公演はショーで、今回の公演は芝居だった …と思いました。
同じ作品なのに、どうしてこんなに印象が違うのでしょうか。脚本も、新訳なだけじゃなくて、結構構成自体をいじっているのかしら?(前回のは、あまり詳しいことを覚えていないのですが)
ただの『お芝居』として純粋に面白くて、すごく真剣に見てしまいました。今回のほうが、キャストがみなさん嵌り役だった(*^ ^*)というのもあるかな…?
舞台はシンプル。特に衣装は、非常にシンプルでした。
グィドは、基本的に黒っぽいストライプのスーツ一枚で、後半にカサノヴァとして撮影に臨むときに白い上衣を羽織るくらい。
女性たちは、基本はそれぞれのスタイルに合わせた黒い衣装で、カサノヴァの撮影中は白い上衣を纏ってやっていました。あとは、何度かある幻想的な場面で、上衣を脱ぐとチラシなどに使われている深紅のドレス、という演出がありました。
セットらしいセットの無いシンプルな舞台で、衣装の色で世界を変える。舞台美術の一環としてのドレス使いで、面白い使い方だな、と思いました。
特に、一幕終了直前の紅いドレスには、ちょっと感動しましたわ……。
とりあえず、登場人物のリストをおいておきます。
#()内は、前回公演のキャスト
グィド・コンティーニ 松岡充(別所哲也)
ルイーザ・コンティーニ 新島聖子(髙橋桂)
クラウディア 貴城けい(純名りさ)
カルラ シルヴィア・グラブ(池田有希子)
リリアン・ラ・フルール 紫吹淳(大浦みずき)
サラギーナ 浦嶋りんこ(田中利花)
スパのマドンナ 樹里咲穂(剱持たまき)
グイドの母 今陽子(花山佳子)
ネクロフォラス 寿ひずる(福麻むつ美)
マリア 入絵加奈子(宮菜穂子)
前回公演では、このほかに髙塚いおり・岡田静・江川真理子・山田ぶんぶん・鳥居ひとみ・家塚敦子・井料瑠美の7人が参加しており、全部で17人+子役1人の(今回に比べれば)大所帯でした。
今回は、女性を(タイトルに合わせて?)9人に絞り込んだことで、緊迫感のある作品になっていた面もあると思います。
っていうか。前回みたときは、アンサンブルまで含めた一人づつにそれぞれ見せ場があって、それがちょっと冗長だったような気がするんですよね。今回公演を観てみると、登場している9人の人物以外のエピソードなんて無かったんですが……あれは、全部カットになったのでしょうか?それとも、そもそもそんな場面なんて無くて、私の気のせい?(不明)
ああ、この日記を書き始める前に書いていた観劇記録のデータ、どこへ逃げてしまったのかしらん(T T)。
そして、子役(“9歳の”グィド)の名前をメモってくるのを忘れました(涙)
うーん、とても綺麗で安定したボーイソプラノの子でした。顔だちはちょっと薄め。松岡さんが非常に濃いので、「この子がどう成長したらこうなるんだ…?」と思ってしまった(汗)。
それでは、実際の公演のお話を。
ル・テアトル銀座。
銀座セゾン劇場だった頃から好きな劇場でしたが、見やすいし、椅子の座り心地も良いし、本当に良い劇場ですよねえ♪そういえば、最近あまり宝塚はここを使わなくなったなあ。使用料が高い……のかな?
今回、開幕前のアナウンスが相当面白いです。あまりギリギリに駆け込まず、5分くらい前に席に着くことをお勧めします♪(開演前も、二幕の前も!!)
とくに、リカさんがお茶目です。ぜひお聞き逃しなく!
世界的に有名なイタリアの映画監督、グィド・コンティーニ。
大空祐飛さんのファン的には、ここは笑うところです。
というか。私は、「Hollywood Lover」のあらすじが出たとき、一瞬「まさかナインのパクリか!?」と思ったんですよね(^ ^)(←実際の作品は全然違ってましたが、最初のあらすじは結構それっぽかった)。
過去にいくつものヒット作を生み出し、指折りの有名監督となったグィド。だが、ここ数作失敗が続いていて、ついには脚本が書けない(物語を思いつかない)状態まできてしまった。
そんなさなか、家庭を顧みずに浮気を繰り返す夫に焦れた妻・ルイーザが、離婚を言い出す。
彼女を宥めるために、そして、プロデューサー(リリアン)からの催促から逃れるために、ヴェネツィアのスパ・リゾートに行くことを思いつくグィド。
この、スパ・リゾートに行くと決めた後の、なんというか、「天国へようこそ~」的なスパのマドンナのソロが素晴らしかった(*^ ^*)。樹里ちゃん、最近ますますソプラノに磨きがかかって、ホントに凄いです。ボイトレがんばっているんだろうなあ~~。
前回の公演では超美声の剱持たまきさんが歌っていた曲ですが、ぜんぜんひけをとらなかったです!演出的には、前回ほどの女神様感(衣装や髪型までアテナ女神みたいだった)は無かったものの、前髪パッツンのストレートロングの髪型に相変わらずの無茶苦茶なスタイルを強調する衣装……ホントにギリシア風の彫刻みたいでした(*^ ^*)
スパ・リゾートに到着するなり、記者たち(入絵、寿、今……だったかな?)に取り巻かれるグィドとルイーザ。
次回作の予定は?どんな作品か?などとしつこく問われ、消耗するグィド。
「その女性と一緒にご旅行ということは、奥様はご存知で?」
「……その女性が、妻なんだが」
そんな会話を、固い貌で見守っているルイーザ。
スパ・リゾートの部屋でグィドとルイーザが一休みしていると、電話が鳴る。
愛人のカルラからの、「追いかけてきたわ」という電話に仰天するグィド。
ここのナンバーは、前回公演で一番印象的な場面でした。アートスフィアの高い天井から、舞台まで、太い縄一本に逆さに吊られて降りてきたんですよ、池田有希子さんが。
ブランコとかじゃなくて、身体に縄を巻きつけて、それ以外の支えは無い状態で。しかも、降りてくる途中の空中で姿勢を替え、縄と戯れながら。
……色っぽいというか、倒錯的なパフォーマンスで、物凄かったです……。
それに比べれば、今回のシルヴィアは、袖からソファに下着姿で寝そべって出てくるだけで、演出的には“ごく普通”でした。グィドに絡むダンスは、普通に色っぽくて(*^ ^*)とても良かったけどね。いや、普通に…というか、生々しい色気でしたが(汗)。ドキドキ。
目の前で愛人からの電話に出て、そんな妄想を繰り広げている夫を醒めた目でみているルイーザが怖いです。この場面ではまだ、彼女が気づいているかどうか観客にはわからないハズなのですが、新妻さんはかーなーり怖かったなあ…。
そして。また少したつと、プロデューサーのリリアンからも電話が入る。
「ヴェネツィアで何をしているの?まだ私は脚本を受け取っていないのだけれど?」
焦りのあまり、適当なことを言ってしまうグィド。
「もちろん、もうできています!!ヴェネツィアへ来たのは、撮影準備のためで」
「ヴェネツィアで撮影するのね!?わかったわ、すぐに行くわ。撮影部隊も行かせるわ!」
……身から出たさび。とゆーのはちょっと違うか?
とにかく、一時シノギのでたらめのつもりだった言葉に、さらに追い詰められるグィド。
リリアンが到着するまでに、脚本を仕上げなくてはならない。ほんの数日の間に。
いくら焦っても、スランプ中の彼に、インスピレーションの神様は降りてこない。
過去の体験を基にした作品を得意とする彼は、次第に自分自身の記憶の渦の中に巻き込まれていく。
たくさんの愛人たち。たくさんの女優たち。
9歳の頃、砂浜で『愛』を教えてくれたサラギーナ。
そして、息子を理解できない自分に、いつも傷ついていたママ。
ママを、そして愛人たちを傷つけてきた自分。
長いことグィドのインスピレーションの源だった女優・クラウディアが到着。彼女にすべての希みをかけたグィドに、クラウディアは問いかける。
「あたしの役は、何?」
「立っているだけで雰囲気のある女だ」
「……そういうのは、もうやったわ。何度も、何度も……
「じゃあ……」
「それもやったわ。……言ったでしょう?今までと違う役なら出る、と」
「クラウディア」
「同じ役しかやらせてもらえないなら、このまま帰るわ」
つれなく踵を返そうとするクラウディアに、グィドは縋りつく。
君がいなくては駄目なんだ、と。
でも。男のインスピレーションであることに疲れた女は、寂しげに背を向ける。
「あなたは、いつまでも子供なのね。カサノヴァみたい」
必死すぎて何も見えなくなっていた男にとって、その一言こそがインスピレーションだった。
神の啓示のように、彼の女神のお告げを受け止める男。
「カサノヴァ……そうだ、それだ!!」
ヴェネツィアを舞台にした物語。何もアイディアが浮かばない彼は、卑近な現実に取材した自伝的な脚本を書き始める。
なんの反省も無い、ただ事実を並べただけの、自伝を。
今回、前回と比べて一番印象的だったのは、グィドのキャラクターでした。
松岡さんのグィドは、正しく『間違えた男』だった。
9歳のときにサラギーナの手を取ったのが分かれ道。そこで間違った道を選んでしまった男。
愛することを知らない、愛されることを知らない、男。
……お母さんは、ちゃんと愛していたのにねえ……。
別所さんは、いかにもイタリア男っぽいマッチョさがあって、それは良かったんですが。彼は、どうしたって『気は優しくて力持ち』に見えてしまったんですよね。芸風が誠実すぎて。
それが、このグィドという役には致命的だった。毒のなさ、根っこのところでの真直ぐさが。
松岡さんは、持ち味としてもヒネた役が似合うと思うのですが、その中でも特に ヒネてるけど可愛い男、とゆーのが似合うと思います。
ヒネてるけど可愛くて、女がつい「守ってあげたい」と思ってしまう。愛さずにはいられない、男。しかも、「偉そうに振舞う」ことに慣れていて、舞台の上で嘘が吐ける!
グィドっていうのは、嘘吐きな男なので。彼はすごく嵌り役だったと思います。松岡さんをキャスティングしたG2さんは、神だと思う。
クラウディアのかしげちゃんも当たり役でした。
その美しさと、『立っているだけで雰囲気がある』存在感。どこか寂しげな風情と、やわらかなハスキーな声が、すごく役に合っていたと思います。
最後の方で、グィドに「あなたは一度も聞いてくれなかったけど、あたしにも生活はあるのよ。……女優として生きることを応援してくれる、優しい人が」と告げる場面。
涙をこらえて淡々と語るかしげちゃんの美しさ。切なさ。「愛すること」の難しさ。
……名演技でした(*^ ^*)。G2さん、ありがとう♪
そして、ルイーザ。
新島聖子さんの頑固な強さが、凄く生きた役だったな、と思います。ルイーザも元女優なんですが、グィドと結婚したときに引退するんですよね。宝塚OGの中に入るとちょっと垢抜けない雰囲気があるのが、そういう人生を選んだ人っぽくて、そんなところまで嵌っているなあと思いました。
ルイーザのグィドに対する愛というのは、ほとんど母性愛だと思うんですよね。
離婚を言い出しながらも、行き詰っている彼をサポートするために愛人たちに連絡を取ったり、後始末をしたり……ほとんどマネージャーに近い存在のように見えます。
それでも、彼女は彼女なりに、グィドを愛していた。
これ以上一緒に暮らすことはできなくても、彼の創り出す世界を、愛していた……。
前回の高橋さんはあまり印象に残っていなくて、こんな役だったっけ……?という感じなのですが、新妻さんのルイーザ、私は本当に感動しました。
リリアンはフォーリーズの元スターだったという設定があって、ひとしきりセンターで歌い踊った末に「こういうのを撮って頂戴!」という場面があって、その我侭ぶりにちょっと笑いました。
ドスのきいた低い声はさすが元男役、迫力があってよかったです♪
グィドに絡む9人の女たち、と言いながらも、大きく絡むのは妻のルイーザとクラウディア、カルラ、リリアン、グィドの母、そしてサラギーナの6人。
ネクロフォラスはリリアンが連れてきた評論家で、グィドの最近の作品について辛辣なことを言いますが、それ以上の関係はない。ただ、彼のクリエイティブ(=プライド)に傷をつけるという意味では唯一の存在で、もしかしたら一番影響力が大きいのかもしれませんね。
寿さんの重さのある芝居が非常に良かったです。特に、ラスト前に追い詰められたグィドの前に拳銃をおいていく前の「保険をかけておいて、本当に良かった」という台詞が素晴らしかった!
マリアは映画女優で、グィドが撮影する「カサノヴァ」の映画の中で、カルラに相当する役を演じる。あまりはっきりと説明されるわけではないのですが、現実にもグィドの浮気相手の一人であるらしい。加奈子ちゃんは達者な女優で、アルバイトも含めてどの役もすごく良かったです。
個人的には、プロローグの芝居(「ナイン」という映画を撮る直前の女優たち、という設定でいろいろ楽屋で喋っているっぽいのですが、微妙に物語にリンクしていて、面白いけど混乱する)の嫌味な女優が良かったです♪
グィドの中にあったはずの、『インスピレーション』という名の泉。
今はもう枯れ果ててしまったその泉の跡を覗き込みながら、なんの手もうてず、ただ泣きくれているだけの子供。
彼独りでは、二度とその泉を蘇らせることはできない。
たぶん、『愛』がなければ。
その『愛』を、与えようとしたルイーザ。
自分が与える愛では足りないなら、他の誰かと、と。
カルラでも、クラウディアでも、マリアでも。
あの人のインスピレーションを刺激してくれるなら、誰でも、と。
その『愛』を、ほしがっていたクラウディア。
たった一つ、グィドがあげられないものを、欲しがっていた女優。
彼女にだけは、それを求める権利があった。与えられはしなかったけれども。
その『愛』が、グィドにもあると信じたかったカルラ。
グィドに裏切られた彼女の、悄然とした背中が忘れられません。
激しいナンバーの間中、ぴくりとも動かずに、舞台の隅に佇むカルラ。迦楼羅の名に相応しく、翼をもがれた鳥のような、痛々しい背中でした( ←迦楼羅は、英語ではガルーダのハズだが……)
なんだか、幻想と現実と記憶が入り混じる複雑な構成の物語なので、後から説明しようとすると難しいなあ……。
観ているときは、すべてがわかったような気がしたのに。
とにかく、面白かったです。前回観て、ぴんとこなかった方にもお勧め。
(最近、そういうの多いような気がする。もしかして、許容範囲が広がっただけなんじゃないのか?>自分)(………宝塚作品を基準にしてるから、とか?)
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「PHANTOM」と同じ、コーピット(脚本)&イェストン(作詞作曲)コンビによるブロードウェイミュージカル。
1982年の初演時、トニー賞の作品賞その他の多くの賞を受賞。さらに、2003年のデイヴィッド・ルヴォー演出での再演時には同賞のリバイバル賞を獲得した話題作。
日本初演は2004年のデイヴィッド・ルヴォー版で、このときはルヴォーと何度か組んでいたTPTが主催でした。
アートスフィア(現・銀河劇場)の高い天井を活かした立体的な装置と、本水を舞台に満たした斬新な演出、そして、美しくドラマティックな音楽が強く印象に残っています。
今調べてみると、あのときの翻訳は青井陽治さんだったんですね。なるほど…。
今回公演の演出は、最近ミュージカルでもヒット続きのG2氏。
どうかなあと思っていたのですが、非常に良かったです!
演出はすごくシンプル。前回は演出の斬新さが際立っていたので、そういうところを評価していた人は物足りないかもしれませんが、演出のシンプルさを補ってあまりある、深い芝居を見せていただきました。
端的に言うならば、前回の公演はショーで、今回の公演は芝居だった …と思いました。
同じ作品なのに、どうしてこんなに印象が違うのでしょうか。脚本も、新訳なだけじゃなくて、結構構成自体をいじっているのかしら?(前回のは、あまり詳しいことを覚えていないのですが)
ただの『お芝居』として純粋に面白くて、すごく真剣に見てしまいました。今回のほうが、キャストがみなさん嵌り役だった(*^ ^*)というのもあるかな…?
舞台はシンプル。特に衣装は、非常にシンプルでした。
グィドは、基本的に黒っぽいストライプのスーツ一枚で、後半にカサノヴァとして撮影に臨むときに白い上衣を羽織るくらい。
女性たちは、基本はそれぞれのスタイルに合わせた黒い衣装で、カサノヴァの撮影中は白い上衣を纏ってやっていました。あとは、何度かある幻想的な場面で、上衣を脱ぐとチラシなどに使われている深紅のドレス、という演出がありました。
セットらしいセットの無いシンプルな舞台で、衣装の色で世界を変える。舞台美術の一環としてのドレス使いで、面白い使い方だな、と思いました。
特に、一幕終了直前の紅いドレスには、ちょっと感動しましたわ……。
とりあえず、登場人物のリストをおいておきます。
#()内は、前回公演のキャスト
グィド・コンティーニ 松岡充(別所哲也)
ルイーザ・コンティーニ 新島聖子(髙橋桂)
クラウディア 貴城けい(純名りさ)
カルラ シルヴィア・グラブ(池田有希子)
リリアン・ラ・フルール 紫吹淳(大浦みずき)
サラギーナ 浦嶋りんこ(田中利花)
スパのマドンナ 樹里咲穂(剱持たまき)
グイドの母 今陽子(花山佳子)
ネクロフォラス 寿ひずる(福麻むつ美)
マリア 入絵加奈子(宮菜穂子)
前回公演では、このほかに髙塚いおり・岡田静・江川真理子・山田ぶんぶん・鳥居ひとみ・家塚敦子・井料瑠美の7人が参加しており、全部で17人+子役1人の(今回に比べれば)大所帯でした。
今回は、女性を(タイトルに合わせて?)9人に絞り込んだことで、緊迫感のある作品になっていた面もあると思います。
っていうか。前回みたときは、アンサンブルまで含めた一人づつにそれぞれ見せ場があって、それがちょっと冗長だったような気がするんですよね。今回公演を観てみると、登場している9人の人物以外のエピソードなんて無かったんですが……あれは、全部カットになったのでしょうか?それとも、そもそもそんな場面なんて無くて、私の気のせい?(不明)
ああ、この日記を書き始める前に書いていた観劇記録のデータ、どこへ逃げてしまったのかしらん(T T)。
そして、子役(“9歳の”グィド)の名前をメモってくるのを忘れました(涙)
うーん、とても綺麗で安定したボーイソプラノの子でした。顔だちはちょっと薄め。松岡さんが非常に濃いので、「この子がどう成長したらこうなるんだ…?」と思ってしまった(汗)。
それでは、実際の公演のお話を。
ル・テアトル銀座。
銀座セゾン劇場だった頃から好きな劇場でしたが、見やすいし、椅子の座り心地も良いし、本当に良い劇場ですよねえ♪そういえば、最近あまり宝塚はここを使わなくなったなあ。使用料が高い……のかな?
今回、開幕前のアナウンスが相当面白いです。あまりギリギリに駆け込まず、5分くらい前に席に着くことをお勧めします♪(開演前も、二幕の前も!!)
とくに、リカさんがお茶目です。ぜひお聞き逃しなく!
世界的に有名なイタリアの映画監督、グィド・コンティーニ。
大空祐飛さんのファン的には、ここは笑うところです。
というか。私は、「Hollywood Lover」のあらすじが出たとき、一瞬「まさかナインのパクリか!?」と思ったんですよね(^ ^)(←実際の作品は全然違ってましたが、最初のあらすじは結構それっぽかった)。
過去にいくつものヒット作を生み出し、指折りの有名監督となったグィド。だが、ここ数作失敗が続いていて、ついには脚本が書けない(物語を思いつかない)状態まできてしまった。
そんなさなか、家庭を顧みずに浮気を繰り返す夫に焦れた妻・ルイーザが、離婚を言い出す。
彼女を宥めるために、そして、プロデューサー(リリアン)からの催促から逃れるために、ヴェネツィアのスパ・リゾートに行くことを思いつくグィド。
この、スパ・リゾートに行くと決めた後の、なんというか、「天国へようこそ~」的なスパのマドンナのソロが素晴らしかった(*^ ^*)。樹里ちゃん、最近ますますソプラノに磨きがかかって、ホントに凄いです。ボイトレがんばっているんだろうなあ~~。
前回の公演では超美声の剱持たまきさんが歌っていた曲ですが、ぜんぜんひけをとらなかったです!演出的には、前回ほどの女神様感(衣装や髪型までアテナ女神みたいだった)は無かったものの、前髪パッツンのストレートロングの髪型に相変わらずの無茶苦茶なスタイルを強調する衣装……ホントにギリシア風の彫刻みたいでした(*^ ^*)
スパ・リゾートに到着するなり、記者たち(入絵、寿、今……だったかな?)に取り巻かれるグィドとルイーザ。
次回作の予定は?どんな作品か?などとしつこく問われ、消耗するグィド。
「その女性と一緒にご旅行ということは、奥様はご存知で?」
「……その女性が、妻なんだが」
そんな会話を、固い貌で見守っているルイーザ。
スパ・リゾートの部屋でグィドとルイーザが一休みしていると、電話が鳴る。
愛人のカルラからの、「追いかけてきたわ」という電話に仰天するグィド。
ここのナンバーは、前回公演で一番印象的な場面でした。アートスフィアの高い天井から、舞台まで、太い縄一本に逆さに吊られて降りてきたんですよ、池田有希子さんが。
ブランコとかじゃなくて、身体に縄を巻きつけて、それ以外の支えは無い状態で。しかも、降りてくる途中の空中で姿勢を替え、縄と戯れながら。
……色っぽいというか、倒錯的なパフォーマンスで、物凄かったです……。
それに比べれば、今回のシルヴィアは、袖からソファに下着姿で寝そべって出てくるだけで、演出的には“ごく普通”でした。グィドに絡むダンスは、普通に色っぽくて(*^ ^*)とても良かったけどね。いや、普通に…というか、生々しい色気でしたが(汗)。ドキドキ。
目の前で愛人からの電話に出て、そんな妄想を繰り広げている夫を醒めた目でみているルイーザが怖いです。この場面ではまだ、彼女が気づいているかどうか観客にはわからないハズなのですが、新妻さんはかーなーり怖かったなあ…。
そして。また少したつと、プロデューサーのリリアンからも電話が入る。
「ヴェネツィアで何をしているの?まだ私は脚本を受け取っていないのだけれど?」
焦りのあまり、適当なことを言ってしまうグィド。
「もちろん、もうできています!!ヴェネツィアへ来たのは、撮影準備のためで」
「ヴェネツィアで撮影するのね!?わかったわ、すぐに行くわ。撮影部隊も行かせるわ!」
……身から出たさび。とゆーのはちょっと違うか?
とにかく、一時シノギのでたらめのつもりだった言葉に、さらに追い詰められるグィド。
リリアンが到着するまでに、脚本を仕上げなくてはならない。ほんの数日の間に。
いくら焦っても、スランプ中の彼に、インスピレーションの神様は降りてこない。
過去の体験を基にした作品を得意とする彼は、次第に自分自身の記憶の渦の中に巻き込まれていく。
たくさんの愛人たち。たくさんの女優たち。
9歳の頃、砂浜で『愛』を教えてくれたサラギーナ。
そして、息子を理解できない自分に、いつも傷ついていたママ。
ママを、そして愛人たちを傷つけてきた自分。
長いことグィドのインスピレーションの源だった女優・クラウディアが到着。彼女にすべての希みをかけたグィドに、クラウディアは問いかける。
「あたしの役は、何?」
「立っているだけで雰囲気のある女だ」
「……そういうのは、もうやったわ。何度も、何度も……
「じゃあ……」
「それもやったわ。……言ったでしょう?今までと違う役なら出る、と」
「クラウディア」
「同じ役しかやらせてもらえないなら、このまま帰るわ」
つれなく踵を返そうとするクラウディアに、グィドは縋りつく。
君がいなくては駄目なんだ、と。
でも。男のインスピレーションであることに疲れた女は、寂しげに背を向ける。
「あなたは、いつまでも子供なのね。カサノヴァみたい」
必死すぎて何も見えなくなっていた男にとって、その一言こそがインスピレーションだった。
神の啓示のように、彼の女神のお告げを受け止める男。
「カサノヴァ……そうだ、それだ!!」
ヴェネツィアを舞台にした物語。何もアイディアが浮かばない彼は、卑近な現実に取材した自伝的な脚本を書き始める。
なんの反省も無い、ただ事実を並べただけの、自伝を。
今回、前回と比べて一番印象的だったのは、グィドのキャラクターでした。
松岡さんのグィドは、正しく『間違えた男』だった。
9歳のときにサラギーナの手を取ったのが分かれ道。そこで間違った道を選んでしまった男。
愛することを知らない、愛されることを知らない、男。
……お母さんは、ちゃんと愛していたのにねえ……。
別所さんは、いかにもイタリア男っぽいマッチョさがあって、それは良かったんですが。彼は、どうしたって『気は優しくて力持ち』に見えてしまったんですよね。芸風が誠実すぎて。
それが、このグィドという役には致命的だった。毒のなさ、根っこのところでの真直ぐさが。
松岡さんは、持ち味としてもヒネた役が似合うと思うのですが、その中でも特に ヒネてるけど可愛い男、とゆーのが似合うと思います。
ヒネてるけど可愛くて、女がつい「守ってあげたい」と思ってしまう。愛さずにはいられない、男。しかも、「偉そうに振舞う」ことに慣れていて、舞台の上で嘘が吐ける!
グィドっていうのは、嘘吐きな男なので。彼はすごく嵌り役だったと思います。松岡さんをキャスティングしたG2さんは、神だと思う。
クラウディアのかしげちゃんも当たり役でした。
その美しさと、『立っているだけで雰囲気がある』存在感。どこか寂しげな風情と、やわらかなハスキーな声が、すごく役に合っていたと思います。
最後の方で、グィドに「あなたは一度も聞いてくれなかったけど、あたしにも生活はあるのよ。……女優として生きることを応援してくれる、優しい人が」と告げる場面。
涙をこらえて淡々と語るかしげちゃんの美しさ。切なさ。「愛すること」の難しさ。
……名演技でした(*^ ^*)。G2さん、ありがとう♪
そして、ルイーザ。
新島聖子さんの頑固な強さが、凄く生きた役だったな、と思います。ルイーザも元女優なんですが、グィドと結婚したときに引退するんですよね。宝塚OGの中に入るとちょっと垢抜けない雰囲気があるのが、そういう人生を選んだ人っぽくて、そんなところまで嵌っているなあと思いました。
ルイーザのグィドに対する愛というのは、ほとんど母性愛だと思うんですよね。
離婚を言い出しながらも、行き詰っている彼をサポートするために愛人たちに連絡を取ったり、後始末をしたり……ほとんどマネージャーに近い存在のように見えます。
それでも、彼女は彼女なりに、グィドを愛していた。
これ以上一緒に暮らすことはできなくても、彼の創り出す世界を、愛していた……。
前回の高橋さんはあまり印象に残っていなくて、こんな役だったっけ……?という感じなのですが、新妻さんのルイーザ、私は本当に感動しました。
リリアンはフォーリーズの元スターだったという設定があって、ひとしきりセンターで歌い踊った末に「こういうのを撮って頂戴!」という場面があって、その我侭ぶりにちょっと笑いました。
ドスのきいた低い声はさすが元男役、迫力があってよかったです♪
グィドに絡む9人の女たち、と言いながらも、大きく絡むのは妻のルイーザとクラウディア、カルラ、リリアン、グィドの母、そしてサラギーナの6人。
ネクロフォラスはリリアンが連れてきた評論家で、グィドの最近の作品について辛辣なことを言いますが、それ以上の関係はない。ただ、彼のクリエイティブ(=プライド)に傷をつけるという意味では唯一の存在で、もしかしたら一番影響力が大きいのかもしれませんね。
寿さんの重さのある芝居が非常に良かったです。特に、ラスト前に追い詰められたグィドの前に拳銃をおいていく前の「保険をかけておいて、本当に良かった」という台詞が素晴らしかった!
マリアは映画女優で、グィドが撮影する「カサノヴァ」の映画の中で、カルラに相当する役を演じる。あまりはっきりと説明されるわけではないのですが、現実にもグィドの浮気相手の一人であるらしい。加奈子ちゃんは達者な女優で、アルバイトも含めてどの役もすごく良かったです。
個人的には、プロローグの芝居(「ナイン」という映画を撮る直前の女優たち、という設定でいろいろ楽屋で喋っているっぽいのですが、微妙に物語にリンクしていて、面白いけど混乱する)の嫌味な女優が良かったです♪
グィドの中にあったはずの、『インスピレーション』という名の泉。
今はもう枯れ果ててしまったその泉の跡を覗き込みながら、なんの手もうてず、ただ泣きくれているだけの子供。
彼独りでは、二度とその泉を蘇らせることはできない。
たぶん、『愛』がなければ。
その『愛』を、与えようとしたルイーザ。
自分が与える愛では足りないなら、他の誰かと、と。
カルラでも、クラウディアでも、マリアでも。
あの人のインスピレーションを刺激してくれるなら、誰でも、と。
その『愛』を、ほしがっていたクラウディア。
たった一つ、グィドがあげられないものを、欲しがっていた女優。
彼女にだけは、それを求める権利があった。与えられはしなかったけれども。
その『愛』が、グィドにもあると信じたかったカルラ。
グィドに裏切られた彼女の、悄然とした背中が忘れられません。
激しいナンバーの間中、ぴくりとも動かずに、舞台の隅に佇むカルラ。迦楼羅の名に相応しく、翼をもがれた鳥のような、痛々しい背中でした( ←迦楼羅は、英語ではガルーダのハズだが……)
なんだか、幻想と現実と記憶が入り混じる複雑な構成の物語なので、後から説明しようとすると難しいなあ……。
観ているときは、すべてがわかったような気がしたのに。
とにかく、面白かったです。前回観て、ぴんとこなかった方にもお勧め。
(最近、そういうの多いような気がする。もしかして、許容範囲が広がっただけなんじゃないのか?>自分)(………宝塚作品を基準にしてるから、とか?)
.
シアタークリエにて上演中の「グレイ・ガーデンズ」を観てまいりました。(だいぶ前ですが)
先月は、これと宝塚以外に二本のお芝居を観ました。
新国立劇場「ヘンリー六世」三本立てと、
銀河劇場「フロスト/ニクソン」。
どれも非常に面白かったのですが、まずは「グレイ・ガーデンズ」について。この週末が千秋楽なので、その前に書かせていただきます。
あ。でも。その前に一つだけ。
(花影)アリスちゃん、バウヒロイン、おめでとうございます!
歳上女房って珍しいような気がするけど、カチャ(凪七瑠海)とは「カサブランカ」でも夫婦役で組んでいて、な~んか雰囲気が似ているような気がして、よく似合うなぁと思っていたので、納得してしまいました。
それにしても、誰が出るんだろう……。かいちゃんにはドラマシティに来てほしいんだけどなあ(T T)、、、。
というところで、「グレイ・ガーデンズ」。
宮本亜門は、こういう緻密な中小劇場作品は最高だわ!
大劇場が悪いとは言いませんが、大劇場の演出には大劇場にふさわしい才能が必要だと思うんですよ。ある程度アバウトに割り切る才能ね。小池さんとか、小池さんとか、小池さんとか。
亜門さんは、本当にセンスのあるプロデューサーであり演出家なんですけど、大劇場の演出をやらせると演出的なケレンに走りすぎてしまって、芝居としてのドラマが盛り上がらなくなるきらいがあるんですよね(; ;)。
でも、今回は本当に良かったです。クリエという劇場のサイズが合うんじゃないかな。
作品としても面白かったし、キャスティングがまた秀逸でした(^ ^)。大竹しのぶと草笛光子。この大女優二人をそろえることができるなんて!…これは、さすが宮本亜門というべきなんでしょうか……。
実際観てみると、本当にこの役は大竹しのぶしか考えられないし、草笛光子じゃなくちゃ駄目なんだなあ、と。本当に、すごかったです。
この物語は、ドキュメンタリーの映画が原作になっています。
私は全然知らなかったのですが、アメリカでは有名な映画だそうですね。ジャクリーン・ケネディの親戚、上流階級の家庭で育ち、ジョン・F・ケネディの兄と婚約していたこともあるイーディス・ブーヴィエ・ビールと、その母親。かつては豪壮であったブーヴィエ家の邸宅「グレイ・ガーデンズ」で暮らす母娘二人の、ひどく悲惨で切なくて、非現実的で、けれどもきっと、なにか揺るがないものがある生活。
二幕は、このドキュメンタリーが撮られた時代(1970年代)を舞台にしています。荒れ果てたグレイ・ガーデンズ。権高で口喧しい貴族気質の母・イーディス(草笛光子)と、エキセントリックで性格の激しい娘・リトル・イディ(大竹しのぶ)、そして、御用聞きがてら訪ねてくる少年・ジェリー(川久保拓司)の、なんともいえず乾いた、ファンタジックな関係が丹念に描かれていました。
そして一幕は、その30年前。ドキュメンタリーが創られた後、本人や関係者に取材して構成したようです。まだ若く美しいリトル・イディ(彩乃かなみ)と、美しく華やかな母(大竹しのぶ)。リトル・イディの婚約者、ジョセフ・P・ケネディJr.(川久保拓司)と、屋敷の住み込みのピアニスト(吉野圭吾)。そして、イーディスの父親である厳格なブーヴィエ少佐(光枝明彦)。
一幕・二幕を同役で出演するのは、グレイ・ガーデンズの執事(デイビット矢野)のみ。いや、正確には彼も二幕では一幕の役の息子ということになっているんですけどね、まあ、、、気にしない気にしない(^ ^)。
これに、一幕に出てくるブーヴィエ家の二人の子供たち(後にケネディ夫人となるジャクリーンとその妹)を加えた計9人が、出演者の全て。こぢんまりとした舞台なのに、ものすごく濃いお芝居でした。
家柄も良く、美貌と才能に恵まれた母と娘。
写真で見ると、若い頃のイーディスもリトル・イディ(母と同じ名前なので、こう呼ばれたらしい)も物凄い美人で、女優を夢見るのも納得です。それこそ、ジャクリーン・ケネディ夫人よりずーっと綺麗なんですよね。
そんな美貌で、歌の才能も(そこそこは)あって。頭もよくて勝気で、気位が高くてわがままな、そんな女たち。
この物語に、イーディスの夫である弁護士のビール氏は出てきません。
娘の婚約パーティーにも来ようとしない夫。現実を生きる才能に溢れ、現実にしか興味の無い彼は、夢に溺れた妻の気持ちなど全く理解できなかったのでしょうね。
歌を愛し、舞台に立つ自分を夢見たイーディスは、繰り返しレコードに自分の歌を吹き込み、パーティーのたびに歌を披露し……そして、遂には夫から離縁されてしまう。グレイ・ガーデンズひとつを慰謝料に。
目立ちたがり屋で華やかで、自分が場の中心にいないと気がすまない母。
そんな母を愛しながらも、心のどこかで疎ましく思っている娘。海軍大尉ジョセフ(ジョン・F・ケネディの兄)との婚約パーティーでまで歌を披露しようとしている母を止めようとして、母を傷つけてしまう。
そして。
母は敬虔なカトリックだったジョセフに、リトル・イディの「武勇伝」を話してしまう……。
この場面の、大竹しのぶの怖さ!!
イーディスは、自分の無意識の悪意にまったく気がついてない、そのことがすごく怖かった。自分の娘の『幸せ』を引き裂いておきながら、自分ではそれは娘に対する愛情だと信じているのです。結婚は不幸に直結している。今現在不幸な結婚生活を送っているイーディスは、その思い込みから抜け出ることができません。
女性たるものは例外なく「貞淑であるべき」と決め付けられた時代に、他の何よりも「貞淑」を重要視するカトリックの男に向かって、お前の恋人は、お前なんかの手に負える女じゃないんだよ、と言い放つプライド。
それはたぶん、イーディスが自分の夫に、あるいは父親にずっと言いたかった言葉なのだろうに。
その激しい悪意に晒されたジョセフは、怯えて逃げ帰る。後に残されたリトル・イディは、母を責め、そして、涙をこぼしながら家を飛び出していく。
愛する母親を置いて。置き捨てて。
安全な『母親の腕の中』、美しいグレイ・ガーデンズを飛び出して、ニューヨークの雑踏の中へと。
そのまま一幕は終わり、二幕は、30年後の荒れ果てたグレイ・ガーデンズで始まります。
数十匹の猫と数年分のゴミが堆積し、保健所から退去命令がでるほどだったグレイ・ガーデンズ。
そこには、老いて身体の自由もきかなくなりつつあるイーディスと、ニューヨークから戻ってきていたリトル・イディが棲んでいる。
脚本の中では、この間の『空白の30年間』についてハッキリとは語られませんが、リトル・イディは父親を頼ってニューヨークに出て、モデルの仕事をしながら女優になろうとしたようですね。でも、(当たり前だけど)まっっったくの泣かず飛ばずで、経済的に困窮し、精神的にも壊れかけていたらしい。
舞台では、父親(早い段階でイーディスとは離婚し、愛人と暮らしている)とは何度か会ったりもしていたけれども、病院(おそらく精神病院)に放り込まれそうになったところで母に呼び戻されたことになっていたと思います。
経済的にも精神的にも自立できない“お嬢さん”なイディ。安全な母親の腕を振り切って、自立して生きていくほど娘も強くはなかったし、一人で豪壮な屋敷を切り回して生きていくほどには、母も強くはなかった。
結果として、壊れかけていた娘と、彼女を守ろうとした母親は、長い年月を世間から切り離されて過ごすうちにお互いへの依存ばかりが深まっていく。
もはや離れることはできず、けれども、愛することももはや出来ない。ジョセフとの結婚話が壊れたことを怨みつづける娘と、一度は自分を棄てたにも関わらず、自立に失敗して戻ってきた娘をなじる母親。
二人のあまりにもあからさまな悪意の応酬と、その冷たいやり取りの底にながれる遠慮のなさ、気持ちを曝け出せる安心感みたいなものが絶妙で。すごーく怖い場面だったんですけど、なんだか凄く、ラストに向けてグッときました……(^ ^;ゞ
私自身、今ちょっと親との関係が冷えていて、なるべく距離を置くようにしていたりするので、そういうのも影響したのかもしれませんが、結構泣けてしまいました。
かなみちゃんが、幻のリトル・イディ(30年前)として、何度も何度も家を出て行く場面を再現するのが、凄く痛い。
リトル・イディ(大竹しのぶ)の心の中には、あの光景は何度も何度もリピートされていたのだろう。まるで壊れたレコードのように。イーディス(草笛光子)もまた、娘が自分を棄てて出ていった朝の光景を、何度も何度も思い返したのだろう。痛みを持って。
……家庭をもたない娘と母親の関係って、案外難しいものだと思うんですよね。イーディスとリトル・イディは特殊な例なように見えますけれども、案外、娘が何をしてもなんとなく気に入らない親とか、親に何か言われる度に無性に腹が立つ娘っていうのは、居るんじゃないかな、と(←自分がそうだからって、それが普通だと思っちゃ駄目、かな…?)
そういう気持ちがリアルにわかるから、二人のすれ違いの切なさとか、それでも、無理なものは無理と諦めながらも、微かに歩み寄ろうとするラストシーンとか、すごく重たい、痛々しい感動がありました。
キャストの話を少しだけ。
大竹しのぶさんは、昔を思えばずいぶん歌えるようになったなあ、と(^ ^;ゞ
あの役は、歌手である必要は無いと思うし、パーティーの真ん中で歌うだけの華やかさはあったので、よかったと思います。二幕の奇抜なファッションも良く似合っていたし、他にこのファンタジックな役を演じてほしい女優もいないしね(^ ^)。
草笛さんは、、、、えーっと、あの方はたしか1933年生まれなので……76歳!?
十数年前に、何の作品だったかなあ……美しいおみ足を晒して踊る役を演じていらっしゃるのを拝見して、60過ぎても脚が出せるって凄いなーと思ったことも懐かしい。今回は貫禄のある“老夫人”っぷりが美しかった♪ 肺活量がだいぶ落ちているみたいで、往年の歌声がなかったのは残念ですが、芝居はさすが!!怖いほど貫禄に満ちた上流階級の女性。それでいて、茶目っ気や優しさに満ちて、でも娘に対しては辛辣で……。仕草のひとつひとつを吟味して役に入られているのがよくわかりました。女優たるもの、こうでなくっちゃ!
かなみちゃんは、若さに溢れたエネルギッシュな美女で、当たり役だったと思います。現役時代とはだいぶ芝居の創り方も変わってきて、いい芝居にめぐり合ってよかったね!と素直に思いました。
ただ。しのぶさんが細い(というかガリガリ)なので、もう少し絞ってくれるとバランスが良くなるんだけどな……。
川久保さんは、誠実そうな甘いマスクがどちらの役にもぴったり♪ 特に二幕の少年がお気に入りです。
吉野さんは、胡散臭くて腹黒くて、素晴らしかった!「グールド」って呼ばれているからてっきりグレン・グールドの若い頃かと思っていたのですが、全然関係ないみたいですね。
光枝さんは、一幕でイーディスを追い詰める父親役。どうしても光枝さんというとダンディで優しいイメージがあるので、こういう厳格一方の役は珍しいような気がするのですが、すごく良かったです。やはり声がいい役者は得ですね♪
そんなところかな。
とにかく、非常に興味深い作品でした。もう一回観たかった……(過去形)
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先月は、これと宝塚以外に二本のお芝居を観ました。
新国立劇場「ヘンリー六世」三本立てと、
銀河劇場「フロスト/ニクソン」。
どれも非常に面白かったのですが、まずは「グレイ・ガーデンズ」について。この週末が千秋楽なので、その前に書かせていただきます。
あ。でも。その前に一つだけ。
(花影)アリスちゃん、バウヒロイン、おめでとうございます!
歳上女房って珍しいような気がするけど、カチャ(凪七瑠海)とは「カサブランカ」でも夫婦役で組んでいて、な~んか雰囲気が似ているような気がして、よく似合うなぁと思っていたので、納得してしまいました。
それにしても、誰が出るんだろう……。かいちゃんにはドラマシティに来てほしいんだけどなあ(T T)、、、。
というところで、「グレイ・ガーデンズ」。
宮本亜門は、こういう緻密な中小劇場作品は最高だわ!
大劇場が悪いとは言いませんが、大劇場の演出には大劇場にふさわしい才能が必要だと思うんですよ。ある程度アバウトに割り切る才能ね。小池さんとか、小池さんとか、小池さんとか。
亜門さんは、本当にセンスのあるプロデューサーであり演出家なんですけど、大劇場の演出をやらせると演出的なケレンに走りすぎてしまって、芝居としてのドラマが盛り上がらなくなるきらいがあるんですよね(; ;)。
でも、今回は本当に良かったです。クリエという劇場のサイズが合うんじゃないかな。
作品としても面白かったし、キャスティングがまた秀逸でした(^ ^)。大竹しのぶと草笛光子。この大女優二人をそろえることができるなんて!…これは、さすが宮本亜門というべきなんでしょうか……。
実際観てみると、本当にこの役は大竹しのぶしか考えられないし、草笛光子じゃなくちゃ駄目なんだなあ、と。本当に、すごかったです。
この物語は、ドキュメンタリーの映画が原作になっています。
私は全然知らなかったのですが、アメリカでは有名な映画だそうですね。ジャクリーン・ケネディの親戚、上流階級の家庭で育ち、ジョン・F・ケネディの兄と婚約していたこともあるイーディス・ブーヴィエ・ビールと、その母親。かつては豪壮であったブーヴィエ家の邸宅「グレイ・ガーデンズ」で暮らす母娘二人の、ひどく悲惨で切なくて、非現実的で、けれどもきっと、なにか揺るがないものがある生活。
二幕は、このドキュメンタリーが撮られた時代(1970年代)を舞台にしています。荒れ果てたグレイ・ガーデンズ。権高で口喧しい貴族気質の母・イーディス(草笛光子)と、エキセントリックで性格の激しい娘・リトル・イディ(大竹しのぶ)、そして、御用聞きがてら訪ねてくる少年・ジェリー(川久保拓司)の、なんともいえず乾いた、ファンタジックな関係が丹念に描かれていました。
そして一幕は、その30年前。ドキュメンタリーが創られた後、本人や関係者に取材して構成したようです。まだ若く美しいリトル・イディ(彩乃かなみ)と、美しく華やかな母(大竹しのぶ)。リトル・イディの婚約者、ジョセフ・P・ケネディJr.(川久保拓司)と、屋敷の住み込みのピアニスト(吉野圭吾)。そして、イーディスの父親である厳格なブーヴィエ少佐(光枝明彦)。
一幕・二幕を同役で出演するのは、グレイ・ガーデンズの執事(デイビット矢野)のみ。いや、正確には彼も二幕では一幕の役の息子ということになっているんですけどね、まあ、、、気にしない気にしない(^ ^)。
これに、一幕に出てくるブーヴィエ家の二人の子供たち(後にケネディ夫人となるジャクリーンとその妹)を加えた計9人が、出演者の全て。こぢんまりとした舞台なのに、ものすごく濃いお芝居でした。
家柄も良く、美貌と才能に恵まれた母と娘。
写真で見ると、若い頃のイーディスもリトル・イディ(母と同じ名前なので、こう呼ばれたらしい)も物凄い美人で、女優を夢見るのも納得です。それこそ、ジャクリーン・ケネディ夫人よりずーっと綺麗なんですよね。
そんな美貌で、歌の才能も(そこそこは)あって。頭もよくて勝気で、気位が高くてわがままな、そんな女たち。
この物語に、イーディスの夫である弁護士のビール氏は出てきません。
娘の婚約パーティーにも来ようとしない夫。現実を生きる才能に溢れ、現実にしか興味の無い彼は、夢に溺れた妻の気持ちなど全く理解できなかったのでしょうね。
歌を愛し、舞台に立つ自分を夢見たイーディスは、繰り返しレコードに自分の歌を吹き込み、パーティーのたびに歌を披露し……そして、遂には夫から離縁されてしまう。グレイ・ガーデンズひとつを慰謝料に。
目立ちたがり屋で華やかで、自分が場の中心にいないと気がすまない母。
そんな母を愛しながらも、心のどこかで疎ましく思っている娘。海軍大尉ジョセフ(ジョン・F・ケネディの兄)との婚約パーティーでまで歌を披露しようとしている母を止めようとして、母を傷つけてしまう。
そして。
母は敬虔なカトリックだったジョセフに、リトル・イディの「武勇伝」を話してしまう……。
この場面の、大竹しのぶの怖さ!!
イーディスは、自分の無意識の悪意にまったく気がついてない、そのことがすごく怖かった。自分の娘の『幸せ』を引き裂いておきながら、自分ではそれは娘に対する愛情だと信じているのです。結婚は不幸に直結している。今現在不幸な結婚生活を送っているイーディスは、その思い込みから抜け出ることができません。
女性たるものは例外なく「貞淑であるべき」と決め付けられた時代に、他の何よりも「貞淑」を重要視するカトリックの男に向かって、お前の恋人は、お前なんかの手に負える女じゃないんだよ、と言い放つプライド。
それはたぶん、イーディスが自分の夫に、あるいは父親にずっと言いたかった言葉なのだろうに。
その激しい悪意に晒されたジョセフは、怯えて逃げ帰る。後に残されたリトル・イディは、母を責め、そして、涙をこぼしながら家を飛び出していく。
愛する母親を置いて。置き捨てて。
安全な『母親の腕の中』、美しいグレイ・ガーデンズを飛び出して、ニューヨークの雑踏の中へと。
そのまま一幕は終わり、二幕は、30年後の荒れ果てたグレイ・ガーデンズで始まります。
数十匹の猫と数年分のゴミが堆積し、保健所から退去命令がでるほどだったグレイ・ガーデンズ。
そこには、老いて身体の自由もきかなくなりつつあるイーディスと、ニューヨークから戻ってきていたリトル・イディが棲んでいる。
脚本の中では、この間の『空白の30年間』についてハッキリとは語られませんが、リトル・イディは父親を頼ってニューヨークに出て、モデルの仕事をしながら女優になろうとしたようですね。でも、(当たり前だけど)まっっったくの泣かず飛ばずで、経済的に困窮し、精神的にも壊れかけていたらしい。
舞台では、父親(早い段階でイーディスとは離婚し、愛人と暮らしている)とは何度か会ったりもしていたけれども、病院(おそらく精神病院)に放り込まれそうになったところで母に呼び戻されたことになっていたと思います。
経済的にも精神的にも自立できない“お嬢さん”なイディ。安全な母親の腕を振り切って、自立して生きていくほど娘も強くはなかったし、一人で豪壮な屋敷を切り回して生きていくほどには、母も強くはなかった。
結果として、壊れかけていた娘と、彼女を守ろうとした母親は、長い年月を世間から切り離されて過ごすうちにお互いへの依存ばかりが深まっていく。
もはや離れることはできず、けれども、愛することももはや出来ない。ジョセフとの結婚話が壊れたことを怨みつづける娘と、一度は自分を棄てたにも関わらず、自立に失敗して戻ってきた娘をなじる母親。
二人のあまりにもあからさまな悪意の応酬と、その冷たいやり取りの底にながれる遠慮のなさ、気持ちを曝け出せる安心感みたいなものが絶妙で。すごーく怖い場面だったんですけど、なんだか凄く、ラストに向けてグッときました……(^ ^;ゞ
私自身、今ちょっと親との関係が冷えていて、なるべく距離を置くようにしていたりするので、そういうのも影響したのかもしれませんが、結構泣けてしまいました。
かなみちゃんが、幻のリトル・イディ(30年前)として、何度も何度も家を出て行く場面を再現するのが、凄く痛い。
リトル・イディ(大竹しのぶ)の心の中には、あの光景は何度も何度もリピートされていたのだろう。まるで壊れたレコードのように。イーディス(草笛光子)もまた、娘が自分を棄てて出ていった朝の光景を、何度も何度も思い返したのだろう。痛みを持って。
……家庭をもたない娘と母親の関係って、案外難しいものだと思うんですよね。イーディスとリトル・イディは特殊な例なように見えますけれども、案外、娘が何をしてもなんとなく気に入らない親とか、親に何か言われる度に無性に腹が立つ娘っていうのは、居るんじゃないかな、と(←自分がそうだからって、それが普通だと思っちゃ駄目、かな…?)
そういう気持ちがリアルにわかるから、二人のすれ違いの切なさとか、それでも、無理なものは無理と諦めながらも、微かに歩み寄ろうとするラストシーンとか、すごく重たい、痛々しい感動がありました。
キャストの話を少しだけ。
大竹しのぶさんは、昔を思えばずいぶん歌えるようになったなあ、と(^ ^;ゞ
あの役は、歌手である必要は無いと思うし、パーティーの真ん中で歌うだけの華やかさはあったので、よかったと思います。二幕の奇抜なファッションも良く似合っていたし、他にこのファンタジックな役を演じてほしい女優もいないしね(^ ^)。
草笛さんは、、、、えーっと、あの方はたしか1933年生まれなので……76歳!?
十数年前に、何の作品だったかなあ……美しいおみ足を晒して踊る役を演じていらっしゃるのを拝見して、60過ぎても脚が出せるって凄いなーと思ったことも懐かしい。今回は貫禄のある“老夫人”っぷりが美しかった♪ 肺活量がだいぶ落ちているみたいで、往年の歌声がなかったのは残念ですが、芝居はさすが!!怖いほど貫禄に満ちた上流階級の女性。それでいて、茶目っ気や優しさに満ちて、でも娘に対しては辛辣で……。仕草のひとつひとつを吟味して役に入られているのがよくわかりました。女優たるもの、こうでなくっちゃ!
かなみちゃんは、若さに溢れたエネルギッシュな美女で、当たり役だったと思います。現役時代とはだいぶ芝居の創り方も変わってきて、いい芝居にめぐり合ってよかったね!と素直に思いました。
ただ。しのぶさんが細い(というかガリガリ)なので、もう少し絞ってくれるとバランスが良くなるんだけどな……。
川久保さんは、誠実そうな甘いマスクがどちらの役にもぴったり♪ 特に二幕の少年がお気に入りです。
吉野さんは、胡散臭くて腹黒くて、素晴らしかった!「グールド」って呼ばれているからてっきりグレン・グールドの若い頃かと思っていたのですが、全然関係ないみたいですね。
光枝さんは、一幕でイーディスを追い詰める父親役。どうしても光枝さんというとダンディで優しいイメージがあるので、こういう厳格一方の役は珍しいような気がするのですが、すごく良かったです。やはり声がいい役者は得ですね♪
そんなところかな。
とにかく、非常に興味深い作品でした。もう一回観たかった……(過去形)
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シアターサンモールにて、Studio Lifeの音楽劇「十二夜」を観劇してまいりました。
役替りを基本とするStudio Lifeなので、この公演も役替り。珍しく、ちゃんと二パターン制覇したりしてみました(^ ^)。だって、永遠のトップコンビ(←組んで芝居してるのはあまり観たことないのですが)=笠原浩夫&及川健が揃って出てるんだもん☆
ここしばらく、Studio Lifeの感想は「演劇」カテゴリーにいれていたんですが、これは「ミュージカル」カテゴリーに入れてみました。今まで観た作品の中では、音楽的には一番良かったし、印象にも残ったので。
オープニングとエンディングに歌われる、「人生は雨と風」というテーマ曲がとても良かったです。ちょっと感動しました(^ ^)。あと、二幕で歌われる「セバスチャンの歌」というそのまんまなタイトルの歌も素敵でした。
と、思いつつ、プログラムをチェック。作曲は林有三。(しばらく間があく)……えっ?あの林有三?(←観ているときは全然気がつかず/汗)
林さんがこういう音楽を創られるというのもちょっと意外な気がしました。でも、良かったです。また手がけてほしいな。(とか書いておいて、今までも音楽は全部林さんだよ!とゆーオチだったらどうしよう/凹)
作品としては有名な話ですし、シェイクスピアの脚本のかなり忠実にやっていたと思いますので、まずはキャストごとの感想を簡単に。「αチーム/βチーム」の順に役者名を書いています。
ヴァイオラ 山本芳樹/松本慎也
松本さんの『男装した美少女』の嵌りっぷりに感動しました。
一生懸命男の子を演じている女の子にしか見えない!!瑞々しい若さに溢れて、本当に可愛い!!
そして、申し訳ないんですがそっちを先に観てしまったので、山本さんはハンサムな男性が美青年の役をやっているようにしか見えず(涙)。なので、ちゃんと可愛らしい女の子声で喋る姿に違和感があって、話に入れませんでした。
宝塚で、男役が女性の役を演じる(真琴つばさのジャッキー by ME AND MY GIRL)のと、男性の役で女装をする(真琴つばさのマリアンデル by 愛のソナタ)のが全然違うように、そして、そのいずれもが、「男装の麗人オスカル by ベルサイユのばら」とは全く違うモノであるように、
「男装の美少女」と「美少年」って、全く違う生き物なんですね。
いやあ、山本さんが悪いという話ではないんですが、とにかく松本さんが大当たりの嵌り役でした。いやはや、もう一回観たいくらいだ!!(真顔)
セバスチャン(奥田勉/関戸博一)
まず、キャスト表を見たときに、「ヴァイオラ」の次が「セバスチャン」だったことにちょっと目を瞠りました。この作品でこの役がこの位置にあるのを初めてみたわ。
お二人とも良かったですが、個人的には関戸さんの声が好きかな。笑顔が明るくて、ポジティヴなセバスチャンでした。アントーニオが尽くしてしまうのも解る魅力があってよかったと思います。
あと、最後に双子で並んだときのバランスも、松本&関戸は「確かに遠目で視たら間違えるかもねー」と思うくらいには似ていたような気がします。……いや、でも、結婚式を挙げる前には気づこうよ、オリヴィア…。
オーシーノ(曽世海司)
格好良かった!!ちょっと自己完結気味なキャラになってましたが、やさしい眼差しが好きなんです(*^ ^*)ちょっとばかりオリヴィアへの とゆーか、及川さんへの愛に溢れすぎてる気もしないでもなかったですが。
誰かもう少し若いオーシーノを出しても良かったのでは、とも思いましたが、特に曽世さんに不満はないです。最初にマイクを持って登場したときからステキでした(^ ^)。
ヴァレンタイン(及川健/山崎康一)
いやー、この役をこのキャスティングで来るとは!!
どっちもそれぞれに面白かったです。曽世さんとの相性も良かったし。山崎さんは普通におっさん臭く、及川さんは普通に可愛く。
山崎さんの髭面が自前だったのと、及川さんが眼鏡男子でめっちゃ可愛いくて萌えながら、どうみても30男だったことが衝撃的でした。
……いやー、可愛かった。
オリヴィア(舟見和利/及川健)
お二人とも佳い女っぷり。最初の場面の黒い喪服から、次の出番(シザーリオとの再会)では髪飾りだけ白くなっている女心がとても可愛かったです。
小柄な及川さんは、小さいのを武器にして跳んだりはねたり。どっかの場面で、垂直とびしてビンタしたのにびびりました。素晴らしいパフォーマンス!!いやー、やっぱりこの人の芝居は大好きです♪
舟見さんは、曲者の女を演じなれているせいか、視線の動きが色っぽくて意味ありげで、そこが面白いんですよね。スタイルが良いのでドレス映えして、綺麗でした。
サー・トービー(笠原浩夫/船戸慎士)
笠原さんのファンとして長らく過ごしてきた(途中だいぶ長期間抜けてますが)猫ですが。
彼にいったい何があったのでしょうか?つい一年前に比べて、輪郭が倍くらいに水増しされてますけどっ!?
い、い、いえ、あの、笠原さんが笠原さんの声で喋ってくれる限り、私は好きでいられると思うのですが。だし、サー・トービー的には、あのくらい丸々していてこそ納得できるので、あれは役作りだと思う。やくづくりやくづくりやくづくり(←ことだま?それとも呪文?)
笠原さんショックで、船戸さんの記憶が飛んでしまいました。すみません。
普通に格好良くて、髭面が渋くてステキなおじさまだったと思います。普通にマライアともお似合いで……うん。いいカップルでした。はい。
マルヴォーリオ(坂本岳大)
巧い人だなあと思いました。前半の“気取りまくった”髪型は凄くステキだったし、ラストに再登場したときのボサボサ髪も格好良かった!!今回公演唯一の客演ですが、いい風になったと思います。
ただ。
「十二夜」という物語は、ちょっと「ヴェニスの商人」チックなところがあるんですよね。マルヴォーリオがそこまで悪事を働いたわけではないのに、マライアたちは随分酷いことをするじゃないですか(^ ^;。シェイクスピア作品に多い、階級社会における理不尽さが出ているところだと思うんですが、見ていてちょっと後味が悪いなあと思う物語の一つではあります。
そういう意味で、私は、マルヴォーリオというキャラクターをもっと思い切ってデフォルメして、リアル感のないキャラクターとして創ったほうが(演出も、演じる側も)好きなのですが。
坂本さんは、たぶん、もともとはすごくリアルな芝居をされる人なんじゃないかなーと思うんですよね……。作品的に期待される以上のことをしてしまった、というか、彼自身も、そして回りも達者すぎて、オリヴィア館の使用人たちのやりとりが思いのほかリアルで怖くなっちゃったきらいはあったと思います。特に、笠原トービー&石飛マライアと組むと、あまりにも悪意が強くなりすぎてちょっと怖かったです。
全体でみれば喜劇としての面白さも十分にあるんですけど、オリヴィア館の部分は、根底にあるのが人を莫迦にした笑いなので、ちょっと後味が悪いなーと思ってしまいました。
こうなると、芸風的に達者すぎる人をもってきたこと自体がどうなんだろう、という話になってしまうんですけどね…(^ ^;ゞ
マライア(石飛幸治/林勇輔)
上に書いたような理由で、石飛さんのマライアはちょっと怖かったです。
石飛さんは、女役で数々実績があることは解っているんですけど、ここまでリアルな芝居ができる男なんだから、男役で使ってあげてほしいような気がします。
林さんのマライアは、根が明るくて真直ぐな印象があって。はっきりしないトービーに対する苛立ち、切ない女心の可愛らしさがすごくキュートで、魅力的でした。一番好きだったのは、一幕ラストに、ふっと立ち止まって屈託を見せたときの表情。本当に一瞬なんですけど、それまでのパワフルなイメージがパッと引っくり返るような、印象的な刹那、でした。
サー・アンドルー(青木隆敏)
いやはや。嵌り役でした。はい。心の底からそう思います。シングルキャストなのも納得です。
……以上。
フェステ(山崎康一/倉本徹)
倉本さんも良かったんですが、山崎さんのフェステは素晴らしかったです。片腕を隠して、一癖も二癖もある道化になりきった山崎さん。ヴァレンタインもステキでしたけど、いやー、抜群の存在感でしたね。ラストに、マルヴォーリオに向かって演説するところも凄く印象的で、ああ、これが締めなのか…と思いました。
思えば山崎さんって、私が初めてスタジオライフを観たときに、山本さんとダブルキャストでユリスモールに配役されていた……ような気がするんですが(- -;ゞ こんなステキなオジサマになるなんて思ってなかったなあ……。ああ、この方のマルヴォーリオもちょっとだけ見てみたい(*^ ^*)。
アントーニオ(牧島進一)
牧島さんの責任ではまったくないのですが。演出の倉田惇さんが、アントーニオの解釈にブレがあるような気がして、それってどうなの?と思いました。
アントーニオがセバスチャンに恋をしている、とゆー設定は、まああの恥も外聞もない最後の告白(シェイクスピアの脚本どおり)を聞けば誰でも思いつく解釈だし、いろいろ前例もありますけれども。
ラストシーンでのアントーニオの立ち位置くらい考えてから演出してください>倉田さん
アントーニオがセバスチャンに片思いという設定の場合、ラストにセバスチャンとオリヴィアの結婚を知った彼の反応には二種類あります。何事も無かったかのように笑顔で祝福するパターンと、振られた悲しみに耐えて、逃げるように去っていくパターン。
倉田さんが選んだ解釈は後者だったんですが、なんというか、結構『セバスチャンって酷い奴だなあ』という印象を与えてしまうんですよね。
せっかくの楽しいコメディなので、ラストに後味の悪さを遺さないように、もう少し何か演出的に考えてほしかったような気がします。
牧島さんご自身は、役はアレレでも、いかにも海賊っぽい眼つきの鋭さとか身のこなしの鋭さとか、格好良くてステキでした♪
船長・司祭(河内喜一朗)
いやはや。主宰が居ると舞台が締まりますね♪ どちらの役も、とても良かったです♪
コーラス隊
αチームでは、林・篠田仁志・冨士亮太の三人で、「鳩」と呼ばれていました。
……「可愛くない」らしい
βチームでは、大沼亮吉・荒木健太朗・三上俊・吉田隆太の四人で、「雀」と呼ばれていました。
……「まあ可愛い」と何回か言われてたな……
コーラスで歌ったり、ソロを歌うメインキャストの回りで踊ったり、休憩を宣言したり、お仕事はいろいろしていたのですが。
それ以外の場面でも基本的に舞台の上(セットの上とか)に固まっていることが多く、一応ずっと「鳥」の芝居をしているつもり、だったみたいです。芝居をしているキャストがセットの上に昇ってくると、パッと飛んで逃げてったりといったところが本当に小鳥みたいで可愛かったです♪♪
.
役替りを基本とするStudio Lifeなので、この公演も役替り。珍しく、ちゃんと二パターン制覇したりしてみました(^ ^)。だって、永遠のトップコンビ(←組んで芝居してるのはあまり観たことないのですが)=笠原浩夫&及川健が揃って出てるんだもん☆
ここしばらく、Studio Lifeの感想は「演劇」カテゴリーにいれていたんですが、これは「ミュージカル」カテゴリーに入れてみました。今まで観た作品の中では、音楽的には一番良かったし、印象にも残ったので。
オープニングとエンディングに歌われる、「人生は雨と風」というテーマ曲がとても良かったです。ちょっと感動しました(^ ^)。あと、二幕で歌われる「セバスチャンの歌」というそのまんまなタイトルの歌も素敵でした。
と、思いつつ、プログラムをチェック。作曲は林有三。(しばらく間があく)……えっ?あの林有三?(←観ているときは全然気がつかず/汗)
林さんがこういう音楽を創られるというのもちょっと意外な気がしました。でも、良かったです。また手がけてほしいな。(とか書いておいて、今までも音楽は全部林さんだよ!とゆーオチだったらどうしよう/凹)
作品としては有名な話ですし、シェイクスピアの脚本のかなり忠実にやっていたと思いますので、まずはキャストごとの感想を簡単に。「αチーム/βチーム」の順に役者名を書いています。
ヴァイオラ 山本芳樹/松本慎也
松本さんの『男装した美少女』の嵌りっぷりに感動しました。
一生懸命男の子を演じている女の子にしか見えない!!瑞々しい若さに溢れて、本当に可愛い!!
そして、申し訳ないんですがそっちを先に観てしまったので、山本さんはハンサムな男性が美青年の役をやっているようにしか見えず(涙)。なので、ちゃんと可愛らしい女の子声で喋る姿に違和感があって、話に入れませんでした。
宝塚で、男役が女性の役を演じる(真琴つばさのジャッキー by ME AND MY GIRL)のと、男性の役で女装をする(真琴つばさのマリアンデル by 愛のソナタ)のが全然違うように、そして、そのいずれもが、「男装の麗人オスカル by ベルサイユのばら」とは全く違うモノであるように、
「男装の美少女」と「美少年」って、全く違う生き物なんですね。
いやあ、山本さんが悪いという話ではないんですが、とにかく松本さんが大当たりの嵌り役でした。いやはや、もう一回観たいくらいだ!!(真顔)
セバスチャン(奥田勉/関戸博一)
まず、キャスト表を見たときに、「ヴァイオラ」の次が「セバスチャン」だったことにちょっと目を瞠りました。この作品でこの役がこの位置にあるのを初めてみたわ。
お二人とも良かったですが、個人的には関戸さんの声が好きかな。笑顔が明るくて、ポジティヴなセバスチャンでした。アントーニオが尽くしてしまうのも解る魅力があってよかったと思います。
あと、最後に双子で並んだときのバランスも、松本&関戸は「確かに遠目で視たら間違えるかもねー」と思うくらいには似ていたような気がします。……いや、でも、結婚式を挙げる前には気づこうよ、オリヴィア…。
オーシーノ(曽世海司)
格好良かった!!ちょっと自己完結気味なキャラになってましたが、やさしい眼差しが好きなんです(*^ ^*)ちょっとばかりオリヴィアへの とゆーか、及川さんへの愛に溢れすぎてる気もしないでもなかったですが。
誰かもう少し若いオーシーノを出しても良かったのでは、とも思いましたが、特に曽世さんに不満はないです。最初にマイクを持って登場したときからステキでした(^ ^)。
ヴァレンタイン(及川健/山崎康一)
いやー、この役をこのキャスティングで来るとは!!
どっちもそれぞれに面白かったです。曽世さんとの相性も良かったし。山崎さんは普通におっさん臭く、及川さんは普通に可愛く。
山崎さんの髭面が自前だったのと、及川さんが眼鏡男子でめっちゃ可愛いくて萌えながら、どうみても30男だったことが衝撃的でした。
……いやー、可愛かった。
オリヴィア(舟見和利/及川健)
お二人とも佳い女っぷり。最初の場面の黒い喪服から、次の出番(シザーリオとの再会)では髪飾りだけ白くなっている女心がとても可愛かったです。
小柄な及川さんは、小さいのを武器にして跳んだりはねたり。どっかの場面で、垂直とびしてビンタしたのにびびりました。素晴らしいパフォーマンス!!いやー、やっぱりこの人の芝居は大好きです♪
舟見さんは、曲者の女を演じなれているせいか、視線の動きが色っぽくて意味ありげで、そこが面白いんですよね。スタイルが良いのでドレス映えして、綺麗でした。
サー・トービー(笠原浩夫/船戸慎士)
笠原さんのファンとして長らく過ごしてきた(途中だいぶ長期間抜けてますが)猫ですが。
彼にいったい何があったのでしょうか?つい一年前に比べて、輪郭が倍くらいに水増しされてますけどっ!?
い、い、いえ、あの、笠原さんが笠原さんの声で喋ってくれる限り、私は好きでいられると思うのですが。だし、サー・トービー的には、あのくらい丸々していてこそ納得できるので、あれは役作りだと思う。やくづくりやくづくりやくづくり(←ことだま?それとも呪文?)
笠原さんショックで、船戸さんの記憶が飛んでしまいました。すみません。
普通に格好良くて、髭面が渋くてステキなおじさまだったと思います。普通にマライアともお似合いで……うん。いいカップルでした。はい。
マルヴォーリオ(坂本岳大)
巧い人だなあと思いました。前半の“気取りまくった”髪型は凄くステキだったし、ラストに再登場したときのボサボサ髪も格好良かった!!今回公演唯一の客演ですが、いい風になったと思います。
ただ。
「十二夜」という物語は、ちょっと「ヴェニスの商人」チックなところがあるんですよね。マルヴォーリオがそこまで悪事を働いたわけではないのに、マライアたちは随分酷いことをするじゃないですか(^ ^;。シェイクスピア作品に多い、階級社会における理不尽さが出ているところだと思うんですが、見ていてちょっと後味が悪いなあと思う物語の一つではあります。
そういう意味で、私は、マルヴォーリオというキャラクターをもっと思い切ってデフォルメして、リアル感のないキャラクターとして創ったほうが(演出も、演じる側も)好きなのですが。
坂本さんは、たぶん、もともとはすごくリアルな芝居をされる人なんじゃないかなーと思うんですよね……。作品的に期待される以上のことをしてしまった、というか、彼自身も、そして回りも達者すぎて、オリヴィア館の使用人たちのやりとりが思いのほかリアルで怖くなっちゃったきらいはあったと思います。特に、笠原トービー&石飛マライアと組むと、あまりにも悪意が強くなりすぎてちょっと怖かったです。
全体でみれば喜劇としての面白さも十分にあるんですけど、オリヴィア館の部分は、根底にあるのが人を莫迦にした笑いなので、ちょっと後味が悪いなーと思ってしまいました。
こうなると、芸風的に達者すぎる人をもってきたこと自体がどうなんだろう、という話になってしまうんですけどね…(^ ^;ゞ
マライア(石飛幸治/林勇輔)
上に書いたような理由で、石飛さんのマライアはちょっと怖かったです。
石飛さんは、女役で数々実績があることは解っているんですけど、ここまでリアルな芝居ができる男なんだから、男役で使ってあげてほしいような気がします。
林さんのマライアは、根が明るくて真直ぐな印象があって。はっきりしないトービーに対する苛立ち、切ない女心の可愛らしさがすごくキュートで、魅力的でした。一番好きだったのは、一幕ラストに、ふっと立ち止まって屈託を見せたときの表情。本当に一瞬なんですけど、それまでのパワフルなイメージがパッと引っくり返るような、印象的な刹那、でした。
サー・アンドルー(青木隆敏)
いやはや。嵌り役でした。はい。心の底からそう思います。シングルキャストなのも納得です。
……以上。
フェステ(山崎康一/倉本徹)
倉本さんも良かったんですが、山崎さんのフェステは素晴らしかったです。片腕を隠して、一癖も二癖もある道化になりきった山崎さん。ヴァレンタインもステキでしたけど、いやー、抜群の存在感でしたね。ラストに、マルヴォーリオに向かって演説するところも凄く印象的で、ああ、これが締めなのか…と思いました。
思えば山崎さんって、私が初めてスタジオライフを観たときに、山本さんとダブルキャストでユリスモールに配役されていた……ような気がするんですが(- -;ゞ こんなステキなオジサマになるなんて思ってなかったなあ……。ああ、この方のマルヴォーリオもちょっとだけ見てみたい(*^ ^*)。
アントーニオ(牧島進一)
牧島さんの責任ではまったくないのですが。演出の倉田惇さんが、アントーニオの解釈にブレがあるような気がして、それってどうなの?と思いました。
アントーニオがセバスチャンに恋をしている、とゆー設定は、まああの恥も外聞もない最後の告白(シェイクスピアの脚本どおり)を聞けば誰でも思いつく解釈だし、いろいろ前例もありますけれども。
ラストシーンでのアントーニオの立ち位置くらい考えてから演出してください>倉田さん
アントーニオがセバスチャンに片思いという設定の場合、ラストにセバスチャンとオリヴィアの結婚を知った彼の反応には二種類あります。何事も無かったかのように笑顔で祝福するパターンと、振られた悲しみに耐えて、逃げるように去っていくパターン。
倉田さんが選んだ解釈は後者だったんですが、なんというか、結構『セバスチャンって酷い奴だなあ』という印象を与えてしまうんですよね。
せっかくの楽しいコメディなので、ラストに後味の悪さを遺さないように、もう少し何か演出的に考えてほしかったような気がします。
牧島さんご自身は、役はアレレでも、いかにも海賊っぽい眼つきの鋭さとか身のこなしの鋭さとか、格好良くてステキでした♪
船長・司祭(河内喜一朗)
いやはや。主宰が居ると舞台が締まりますね♪ どちらの役も、とても良かったです♪
コーラス隊
αチームでは、林・篠田仁志・冨士亮太の三人で、「鳩」と呼ばれていました。
……「可愛くない」らしい
βチームでは、大沼亮吉・荒木健太朗・三上俊・吉田隆太の四人で、「雀」と呼ばれていました。
……「まあ可愛い」と何回か言われてたな……
コーラスで歌ったり、ソロを歌うメインキャストの回りで踊ったり、休憩を宣言したり、お仕事はいろいろしていたのですが。
それ以外の場面でも基本的に舞台の上(セットの上とか)に固まっていることが多く、一応ずっと「鳥」の芝居をしているつもり、だったみたいです。芝居をしているキャストがセットの上に昇ってくると、パッと飛んで逃げてったりといったところが本当に小鳥みたいで可愛かったです♪♪
.
だいぶ前に終わってしまった公演ですが。
日生劇場で「ジェーン・エア」を観劇いたしましたので、いまさらですが落ち穂を拾わせていただきます。
「ジェーン・エア」。
原作は、イギリスの小説家シャーロット・ブロンテが書いた同題の小説。私がシャーロットの名前を知ったのは、永井路子の「歴史を騒がせた女たち(外国篇)」だったかな?海外の歴史上著名な女性について語った本でした。妹・エミリーの「嵐が丘」は、かの有名な「ガラスの仮面」で興味を持って読んでいたので、なんとなく家にあった世界名作文学全集みたいなのを読み始めたのですが、あまりにも分厚いし訳は古臭いしで途中で飽きてしまって、最後まで読んだかどうかすら曖昧でした(汗)。
今回観劇して、非常に興味を持ちましたので、今度こそ(違う訳で)もう一度読み直したいと思います(反省)。
2000年にブロードウェイで初演。トニー賞に作品や主演女優賞などでノミネートされたけど、「プロデューサーズ」に負けて無冠で終わった作品なんですよね、たしか。私も観たことはないのですが、作品としてはすごく話題になっていた記憶があり、日本初演を楽しみにしていました。
演出は大御所ジョン・ケアード、手堅くてリアルな作風が特徴の人ですが、今回も何から何までピタッと嵌る、見事な演出でした。
作曲はポール・ゴードン。名前は時々聞く人ですが、日本にきたのは初めてかな…?音楽も聴きやすくてすごく良かったです。
しかし。
演出も音楽も出演者も間違いなく良かったんですけど、それ以上にストーリーが興味深かったですね。あんなに面白い話だったとは……(反省)全然違いますけども、でもちょっとだけ「レベッカ」とか「ウーマン・イン・ホワイト」を彷彿とさせる部分があるような気がしました。
あれが「イギリス文学の薫り」というものなのでしょうか…?
タイトルロールのジェーンは松たか子。ロチェスターに橋本さとし。
とにかく、この二人の魅力で全てを引っ張っていましたねぇ。松さんは、今まで観たなかで私は一番好きかも。歌もすごく良かったです。得意な音域だったのかしら。
橋本さんは、「ミス・サイゴン」のエンジニアも素晴らしかったけど、ロチェスターも本当に素晴らしい。こういう、裏街道を歩いている二枚目をやらせたら、右にでるものはいないんじゃないでしょうか。生きることに貪欲で、一生懸命で、しかも、自分では器用に生きていると思っているのに傍から見ているともの凄く不器用、、、そんな可愛らしさがありました。
松さんが、雰囲気は柔らかいけど、実は芯が強くて絶対に折れない柳のような人だとしたら、橋本さんは水面にゆらゆらと漂い、茎を折ろうと思えばポキンと折れてしまう睡蓮のようなイメージ。
ちょうど、凸と凹がかみ合っている名コンビ、という印象でした。
ロチェスターに仕える女官頭?(むしろ乳母みたいな感じ/汗)のフェアファックス夫人に、寿ひずる。
元々巧い人ですが、いや、本当にさすがでしたね。大好きです。落ち着きと格の高さ、そしておおらかな包容力。愛情をきちんと見せつつべたべたしない在り方が、作品の格をあげていたと思います(*^ ^*)。いやー、素敵でした♪
ジェーンの伯母(養母)のリード夫人に、伊東弘美。
物語の、というか、ジェーンの人生にとってのキーとなる人物ですが、昔はファンテーヌ(レ・ミゼラブル)をやっていた方とは思えないような嫌味っぷりで、惚れ惚れしました。テナルディエ夫人の経験の方がありそう(←無いよ!!)
この人がリアルで存在感があったからこそ、ラストで泣けたのだと思います//松さんとの呼吸も良かったし、さすがだなあ…。
孤児院の先生、謎の女、デント夫人の三役を演じた旺なつき。
美しい人なんですけど、あまり顔をさらす役がなかったのがちょっと残念。
三役とも全く雰囲気が違っていて、観ているときは同一人物であることを全然意識していませんでした。姿も違えば声も違う。役者だなあ……。
孤児院でのジェーンの親友、ヘレン・バーンズのさとう未知子。
松さんがかなり若く見えるので、ちょっと歳上気味に見えてしまったのが残念でしたが、落ち着きのある柔らかな雰囲気が役に合っていて、ジェーンとの友情に説得力があったと思います。
声も綺麗。ミュージカルは初出演とのことでしたが、これからは色々出て欲しいような気がします!
ロチェスターの友人・リチャードの福井貴一。
全然予習していなかったので、いきなり福井さんが出てきたときは凄く吃驚しました。
やー、いつ観てもカッコいいなあ(*^ ^*)。役割としては「…で?」って感じがしないでもないんですが、出てきただけで場をさらって空気を変える力が必要な役なので、福井さんで正解だったな、と思います。っつか、かっこい~!
そういえば、この人は「レ・ミゼラブル」初演のアンジョルラスでしたね。ジョン・ケアードが演出しているだけあって、レ・ミ経験者が多いんだなあ…(羨)。
あとは、牧師だのなんだの、いろんな役を演じてくれた壌晴彦。いやはや、立っているだけで怪しくて妖しくて、凄くいいです。こういう、ホラーというほどではないけどミステリーというにはゴシックロマン風味、みたいな作品の場合、立っているだけで妖しくて怪しい人が一人いれば、それだけですごく面白くなるんですよね♪
貴族のお嬢さんでロチェスターに恋をしているブランチ・イングラムに、オペラ歌手の幸田浩子。
ブランチのナンバーは割に有名で、コンサートとかで1,2度聴いたことがあるのですが。さすが現役のプリマドンナ(?)、見事なソプラノで、本気で聞き惚れました(*^ ^*)
芝居というほどの芝居ではないので、これは歌重視のキャスティング(というかゲストに近い?)なんだな、と思いました。もっとブランチとジェーンのやり取りを掘り下げても面白そうなんですけどね。なかなかそうもいかない、かな?
芝居としては、とにかくジェーンとロチェスターの関係、二人のお互いに向ける心情の変化が丁寧に描かれていたのがすごく良かったです。
なんたってロチェスターが素敵!すぎて、かなりクラクラしました。橋本さん、ああいう色っぽい役やると凶器になるんですねぇ(*^ ^*)。エンジニアでさえ色っぽくて思わず目を逸らしてしまう感じだったのに、こんな全開な……ドキドキ。
松さんとの並びが、ちゃんと「歳の離れた二人」なのに「好き同士」というふうにちゃんと見えたのが、何より良かった、と思います。はい。
「ジェーン・エア」については、そんなところでしょうか。
やっぱり、観たらすぐ書かないといけないですねぇ、感想って。時間がたってまとまることもあるけど、下書きはしておかないと忘れてしまう(涙)
あと落ち穂で残っているのは……
G2演出の「静かじゃない大地」、途中で止まってしまっている「二人の貴公子」と「フィフティ・フィフティ」、というところでしょうか。いや、遡れば色々あるのですが(^ ^;ゞ
雪組公演「ロシアンブルー/RIO de Bravo!」も、あと2日で千秋楽ですね。
良い作品だったので、もっと観たかったなあ……と思いつつ、18日の予定(なんのことはない、休日出勤の予定だったのですが)があいたので、駄目モトでサバキ待ちに行ってみよう!と思っています♪ もう一回観れたらいいなあ~☆
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日生劇場で「ジェーン・エア」を観劇いたしましたので、いまさらですが落ち穂を拾わせていただきます。
「ジェーン・エア」。
原作は、イギリスの小説家シャーロット・ブロンテが書いた同題の小説。私がシャーロットの名前を知ったのは、永井路子の「歴史を騒がせた女たち(外国篇)」だったかな?海外の歴史上著名な女性について語った本でした。妹・エミリーの「嵐が丘」は、かの有名な「ガラスの仮面」で興味を持って読んでいたので、なんとなく家にあった世界名作文学全集みたいなのを読み始めたのですが、あまりにも分厚いし訳は古臭いしで途中で飽きてしまって、最後まで読んだかどうかすら曖昧でした(汗)。
今回観劇して、非常に興味を持ちましたので、今度こそ(違う訳で)もう一度読み直したいと思います(反省)。
2000年にブロードウェイで初演。トニー賞に作品や主演女優賞などでノミネートされたけど、「プロデューサーズ」に負けて無冠で終わった作品なんですよね、たしか。私も観たことはないのですが、作品としてはすごく話題になっていた記憶があり、日本初演を楽しみにしていました。
演出は大御所ジョン・ケアード、手堅くてリアルな作風が特徴の人ですが、今回も何から何までピタッと嵌る、見事な演出でした。
作曲はポール・ゴードン。名前は時々聞く人ですが、日本にきたのは初めてかな…?音楽も聴きやすくてすごく良かったです。
しかし。
演出も音楽も出演者も間違いなく良かったんですけど、それ以上にストーリーが興味深かったですね。あんなに面白い話だったとは……(反省)全然違いますけども、でもちょっとだけ「レベッカ」とか「ウーマン・イン・ホワイト」を彷彿とさせる部分があるような気がしました。
あれが「イギリス文学の薫り」というものなのでしょうか…?
タイトルロールのジェーンは松たか子。ロチェスターに橋本さとし。
とにかく、この二人の魅力で全てを引っ張っていましたねぇ。松さんは、今まで観たなかで私は一番好きかも。歌もすごく良かったです。得意な音域だったのかしら。
橋本さんは、「ミス・サイゴン」のエンジニアも素晴らしかったけど、ロチェスターも本当に素晴らしい。こういう、裏街道を歩いている二枚目をやらせたら、右にでるものはいないんじゃないでしょうか。生きることに貪欲で、一生懸命で、しかも、自分では器用に生きていると思っているのに傍から見ているともの凄く不器用、、、そんな可愛らしさがありました。
松さんが、雰囲気は柔らかいけど、実は芯が強くて絶対に折れない柳のような人だとしたら、橋本さんは水面にゆらゆらと漂い、茎を折ろうと思えばポキンと折れてしまう睡蓮のようなイメージ。
ちょうど、凸と凹がかみ合っている名コンビ、という印象でした。
ロチェスターに仕える女官頭?(むしろ乳母みたいな感じ/汗)のフェアファックス夫人に、寿ひずる。
元々巧い人ですが、いや、本当にさすがでしたね。大好きです。落ち着きと格の高さ、そしておおらかな包容力。愛情をきちんと見せつつべたべたしない在り方が、作品の格をあげていたと思います(*^ ^*)。いやー、素敵でした♪
ジェーンの伯母(養母)のリード夫人に、伊東弘美。
物語の、というか、ジェーンの人生にとってのキーとなる人物ですが、昔はファンテーヌ(レ・ミゼラブル)をやっていた方とは思えないような嫌味っぷりで、惚れ惚れしました。テナルディエ夫人の経験の方がありそう(←無いよ!!)
この人がリアルで存在感があったからこそ、ラストで泣けたのだと思います//松さんとの呼吸も良かったし、さすがだなあ…。
孤児院の先生、謎の女、デント夫人の三役を演じた旺なつき。
美しい人なんですけど、あまり顔をさらす役がなかったのがちょっと残念。
三役とも全く雰囲気が違っていて、観ているときは同一人物であることを全然意識していませんでした。姿も違えば声も違う。役者だなあ……。
孤児院でのジェーンの親友、ヘレン・バーンズのさとう未知子。
松さんがかなり若く見えるので、ちょっと歳上気味に見えてしまったのが残念でしたが、落ち着きのある柔らかな雰囲気が役に合っていて、ジェーンとの友情に説得力があったと思います。
声も綺麗。ミュージカルは初出演とのことでしたが、これからは色々出て欲しいような気がします!
ロチェスターの友人・リチャードの福井貴一。
全然予習していなかったので、いきなり福井さんが出てきたときは凄く吃驚しました。
やー、いつ観てもカッコいいなあ(*^ ^*)。役割としては「…で?」って感じがしないでもないんですが、出てきただけで場をさらって空気を変える力が必要な役なので、福井さんで正解だったな、と思います。っつか、かっこい~!
そういえば、この人は「レ・ミゼラブル」初演のアンジョルラスでしたね。ジョン・ケアードが演出しているだけあって、レ・ミ経験者が多いんだなあ…(羨)。
あとは、牧師だのなんだの、いろんな役を演じてくれた壌晴彦。いやはや、立っているだけで怪しくて妖しくて、凄くいいです。こういう、ホラーというほどではないけどミステリーというにはゴシックロマン風味、みたいな作品の場合、立っているだけで妖しくて怪しい人が一人いれば、それだけですごく面白くなるんですよね♪
貴族のお嬢さんでロチェスターに恋をしているブランチ・イングラムに、オペラ歌手の幸田浩子。
ブランチのナンバーは割に有名で、コンサートとかで1,2度聴いたことがあるのですが。さすが現役のプリマドンナ(?)、見事なソプラノで、本気で聞き惚れました(*^ ^*)
芝居というほどの芝居ではないので、これは歌重視のキャスティング(というかゲストに近い?)なんだな、と思いました。もっとブランチとジェーンのやり取りを掘り下げても面白そうなんですけどね。なかなかそうもいかない、かな?
芝居としては、とにかくジェーンとロチェスターの関係、二人のお互いに向ける心情の変化が丁寧に描かれていたのがすごく良かったです。
なんたってロチェスターが素敵!すぎて、かなりクラクラしました。橋本さん、ああいう色っぽい役やると凶器になるんですねぇ(*^ ^*)。エンジニアでさえ色っぽくて思わず目を逸らしてしまう感じだったのに、こんな全開な……ドキドキ。
松さんとの並びが、ちゃんと「歳の離れた二人」なのに「好き同士」というふうにちゃんと見えたのが、何より良かった、と思います。はい。
「ジェーン・エア」については、そんなところでしょうか。
やっぱり、観たらすぐ書かないといけないですねぇ、感想って。時間がたってまとまることもあるけど、下書きはしておかないと忘れてしまう(涙)
あと落ち穂で残っているのは……
G2演出の「静かじゃない大地」、途中で止まってしまっている「二人の貴公子」と「フィフティ・フィフティ」、というところでしょうか。いや、遡れば色々あるのですが(^ ^;ゞ
雪組公演「ロシアンブルー/RIO de Bravo!」も、あと2日で千秋楽ですね。
良い作品だったので、もっと観たかったなあ……と思いつつ、18日の予定(なんのことはない、休日出勤の予定だったのですが)があいたので、駄目モトでサバキ待ちに行ってみよう!と思っています♪ もう一回観れたらいいなあ~☆
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終わってしまった公演なのですが、先日、博品館劇場にて、ドラマプレイ「美しき背徳」を観劇しました。
DIAMOND☆DOGS ACTシリーズ第二弾、と銘打ったこの公演。去年の秋に上演された「ラストシーン」を私は観ていないのでなんとも言えませんが、今後も継続されるのでしょうか?なかなか面白い試みでしたが、個人的には、一幕がお芝居で二幕がショー、という宝塚スタイルは、すごく正解なのかもしれないな、と思いました。
ラストの短い数分間のショーシーンに、チケット代の3/4を払ったな、と思ってしまいましたもん。
皆さん普通に芝居できるし、脚本も興味深かったんですけど、「DIAMOND☆DOGS」の何が観たくて劇場に行くのかっていったら、やっぱりダンス(と歌)なんですよ私は…。劇場に入ってからストレートプレイだということを知って、ちょっと凹みました(汗)。
いや、面白かったんですけど。ホントに。
出演はDIAMOND☆DOGSフルメンバー+岩崎大(Studio Life)+加藤良輔。加藤さんは「テニスの王子様」でデビューされた方だそうで、そろそろ『ミュージカルファン』を自認するなら「テニスの王子様」が外せない時代になってきたなあ…と思いますね(^ ^;ゞ。うーむ、興味はあるんだけどなかなか暇がない……(そしてチケットもない、のかな?)
13年前の、夏。加々美与志也、という一人の男が、死んだ。
多額の遺産と、9人の男の子を遺して。
そして、13年が過ぎて。長男・悠平は、兄弟たちを呼び寄せる。
父親が死んだ、海近い崖に建つ旧い洋館に。
カモメたちが哀しげに啼き交わし、教会の鐘が寂しく響くーーーー函館の群青の海へ。
父親の死の真相を、知るために。
本妻の子:
・長男 悠平(岩崎大)
・次男 美宇(咲山類)
愛人その1の子:
・玲於(東山義久)
愛人その2の子:
・拓海(原知宏)
愛人その3(売春婦)の子:
・真樹(小寺利光)
愛人その4の子:
・双子の兄 心(森新吾)
・双子の弟 音(加藤良輔)
愛人その5(加々美家の家政婦)の子:
・涼(TAKA)
人工授精による子:
・リド(中塚皓平)
作・演出は友澤晃一。
ストーリーは、ぶっちゃけ栗本薫氏あたりが昔に書いていたような、あるいは篠田真由美氏あたりが書き続けていらっしゃるような耽美小説っぽいノリ。正直なところ、『この展開でいくなら、もう少し台詞の一つ一つに繊細な詩情があってほしかった』……とか思ったりしたところもありました。ちょっと説明口調が多かったので(いろいろ説明するところが多いので仕方ない面もあるんですけどねー)。役者たちは思ったよりもずっと芝居ができているのに、しかも、美形を揃えて(*^ ^*)明らかに『お耽美』を意識している作品なのに、脚本がお堅いんじゃあねぇ…。
しかも、それぞれに演劇的なバックグラウンドの違うメンバーが集まっているので、話し方やトーンがそれぞれ個性的すぎる。そのために、こういう緊迫感のある演劇をする上で必要な一体感が感じられず、ばらばらな感じがあったのも残念な気がしました。
9人のそれぞれの違いを、『同じ血をひいているけれども違う人生を歩んできたバラバラな兄弟』というイメージにつなげられるように巧く嵌めていけると、もっと面白くなったんじゃないかなーと思うんですけどね。ちょっと中途半端だった印象。
それと、クライマックスにきて愛憎が表沙汰になったり嫉妬が渦巻いたりし始めると、ちょっと観ていて引いてしまうのは……うーん、差別するわけじゃないけど、やっぱり『お耽美』っていうのは女性独特の世界なんでしょうか?と思ったりしますね。同じネタで同じメンバーで、「Studio Life」の倉田さんが作・演出だったらどんな作品になっただろうか?と、そんな、ある意味非常に下世話な興味を抱いてしまいました(^ ^;ゞ。
舞台装置は、基本一つ。崩れかけた教会をイメージしているように見えたのですが、話をきいていると、実は彼らの父親である加々美氏が生前住んでいた(そこで死んだ)豪邸……の、はず、で、あるらしい。その建物のイメージと現実の乖離の謎が、ちょっと篠田真由美氏の『建築探偵』シリーズっぽいなーと思ったりもしました。(多分関係ない)
演出は、ワンシチュエーションもの、ってことになるのでしょうか?セットは一つだけだし、時間もほとんど飛ばないし……(意識が飛んでいるかもしれません。すみません)
とにかく、上演中はずーっと彼ら9人(主に岩崎さん&リーダー)の会話を聞いているだけなのですが、台詞のないメンバーがちょこまか動き回るので、ついつい(いつもの癖で)追いかけて、気がつくと会話が飛んでいたり…ということがあったので、よく判っていないかもしれません(汗)。
岩崎さんは、ゲストなんですけど堂々たる主演に見えました。彼が兄弟たちを呼び集め、全てをコントロールしていくので。発散の場もなくて、なかなか難しい役でしたが、よくやっていたと思います。それにしてもカッコイイなあ(*^ ^*)。
……せっかく格好良かったので、フィナーレは別に出てくれなくても良かったのに……(小声)
リーダー(東山)は、まあ、よく動くしよく喋るし!!実は警察の関係者だという設定でしたが、ヤクザにも見えるし警察にも見える、という皮肉な立場が良く似合って、さすが胡散臭い役をやらせたら並ぶものは無い、と(←いやそんなことはないんですが)、そんな感じでした。
あと非常に印象的だったのは、威島真樹役の小寺さん。かなり高めの甘い声と、わざとらしく礼儀正しさを繕った雰囲気が実にぴったりで、加々美家の異常性をよく表現してくれていました。彼が喋るたびに不思議な空気が沸いてくるのが興味深かったです。うん。わざとオネエ言葉を使ったり小指が立っていたりするわけではないのに、、、本当に雰囲気なんですよね。不思議なものです。
水村心役の森さんも良かった。あのウザさがたまらない。こういう世界観の作品にはお約束のキャラクターではありますが、なかなか個性的で良かったと思います。うん。世界そのものに怯えきった風情がとても可愛かったです。
弟の水村音役の加藤さんは、ちょっとストレートプレイにはDIAMOND☆DOGSメンバーより更に不慣れな感じが漂っていましたが、それでも、あれだけの美貌があれば問答無用で「耽美」になれるんだな、と、そんなことに感心してみたりしました。
個人的に大好きなダンサー・中塚さんは、人工授精の子供、という特殊な役。……人工授精、といっても、なにも人工子宮で10月10日を過ごしたというわけじゃないだろうし、普通に代理母から生まれてしまえば普通の人として育つはずだと思うんですけど、設定的にはむしろアンドロイドのような、感情のない人形のような人間、というキャラクターでした。
中塚さんの、ダンサーとしての身体的な演技力というか表現力はDIAMOND☆DOGSの中でもダントツだと(ファンなので)思っていたりするのですが、…芝居、って、そういえば観たことないかも…?あの台詞回しは、アンドロイドのような人間、という設定だからああだったのか、あれしかできないからアンドロイドのようなキャラになったのか、微妙に不安になったりしました。
ラストのオチ…というか、『彼』の正体についてはほぼ読めていたので、特にどんでん返しという感じでは無かったのですが。何一つ解決していないのに、なんとなく『ちゃんと終わった』感があったのはすごいなー、と。
……もしかしたら、多少意識が飛んでいたのかもしれませんが……。
ラストのフィナーレは本当に格好良かったです。
お芝居は一幕で終わらせて、二幕はショーでよかったのにーーーーーー!!(それってどこの花組)
あああ、次のダンス公演、絶対行くぞ!!(決意)
.
DIAMOND☆DOGS ACTシリーズ第二弾、と銘打ったこの公演。去年の秋に上演された「ラストシーン」を私は観ていないのでなんとも言えませんが、今後も継続されるのでしょうか?なかなか面白い試みでしたが、個人的には、一幕がお芝居で二幕がショー、という宝塚スタイルは、すごく正解なのかもしれないな、と思いました。
ラストの短い数分間のショーシーンに、チケット代の3/4を払ったな、と思ってしまいましたもん。
皆さん普通に芝居できるし、脚本も興味深かったんですけど、「DIAMOND☆DOGS」の何が観たくて劇場に行くのかっていったら、やっぱりダンス(と歌)なんですよ私は…。劇場に入ってからストレートプレイだということを知って、ちょっと凹みました(汗)。
いや、面白かったんですけど。ホントに。
出演はDIAMOND☆DOGSフルメンバー+岩崎大(Studio Life)+加藤良輔。加藤さんは「テニスの王子様」でデビューされた方だそうで、そろそろ『ミュージカルファン』を自認するなら「テニスの王子様」が外せない時代になってきたなあ…と思いますね(^ ^;ゞ。うーむ、興味はあるんだけどなかなか暇がない……(そしてチケットもない、のかな?)
13年前の、夏。加々美与志也、という一人の男が、死んだ。
多額の遺産と、9人の男の子を遺して。
そして、13年が過ぎて。長男・悠平は、兄弟たちを呼び寄せる。
父親が死んだ、海近い崖に建つ旧い洋館に。
カモメたちが哀しげに啼き交わし、教会の鐘が寂しく響くーーーー函館の群青の海へ。
父親の死の真相を、知るために。
本妻の子:
・長男 悠平(岩崎大)
・次男 美宇(咲山類)
愛人その1の子:
・玲於(東山義久)
愛人その2の子:
・拓海(原知宏)
愛人その3(売春婦)の子:
・真樹(小寺利光)
愛人その4の子:
・双子の兄 心(森新吾)
・双子の弟 音(加藤良輔)
愛人その5(加々美家の家政婦)の子:
・涼(TAKA)
人工授精による子:
・リド(中塚皓平)
作・演出は友澤晃一。
ストーリーは、ぶっちゃけ栗本薫氏あたりが昔に書いていたような、あるいは篠田真由美氏あたりが書き続けていらっしゃるような耽美小説っぽいノリ。正直なところ、『この展開でいくなら、もう少し台詞の一つ一つに繊細な詩情があってほしかった』……とか思ったりしたところもありました。ちょっと説明口調が多かったので(いろいろ説明するところが多いので仕方ない面もあるんですけどねー)。役者たちは思ったよりもずっと芝居ができているのに、しかも、美形を揃えて(*^ ^*)明らかに『お耽美』を意識している作品なのに、脚本がお堅いんじゃあねぇ…。
しかも、それぞれに演劇的なバックグラウンドの違うメンバーが集まっているので、話し方やトーンがそれぞれ個性的すぎる。そのために、こういう緊迫感のある演劇をする上で必要な一体感が感じられず、ばらばらな感じがあったのも残念な気がしました。
9人のそれぞれの違いを、『同じ血をひいているけれども違う人生を歩んできたバラバラな兄弟』というイメージにつなげられるように巧く嵌めていけると、もっと面白くなったんじゃないかなーと思うんですけどね。ちょっと中途半端だった印象。
それと、クライマックスにきて愛憎が表沙汰になったり嫉妬が渦巻いたりし始めると、ちょっと観ていて引いてしまうのは……うーん、差別するわけじゃないけど、やっぱり『お耽美』っていうのは女性独特の世界なんでしょうか?と思ったりしますね。同じネタで同じメンバーで、「Studio Life」の倉田さんが作・演出だったらどんな作品になっただろうか?と、そんな、ある意味非常に下世話な興味を抱いてしまいました(^ ^;ゞ。
舞台装置は、基本一つ。崩れかけた教会をイメージしているように見えたのですが、話をきいていると、実は彼らの父親である加々美氏が生前住んでいた(そこで死んだ)豪邸……の、はず、で、あるらしい。その建物のイメージと現実の乖離の謎が、ちょっと篠田真由美氏の『建築探偵』シリーズっぽいなーと思ったりもしました。(多分関係ない)
演出は、ワンシチュエーションもの、ってことになるのでしょうか?セットは一つだけだし、時間もほとんど飛ばないし……(意識が飛んでいるかもしれません。すみません)
とにかく、上演中はずーっと彼ら9人(主に岩崎さん&リーダー)の会話を聞いているだけなのですが、台詞のないメンバーがちょこまか動き回るので、ついつい(いつもの癖で)追いかけて、気がつくと会話が飛んでいたり…ということがあったので、よく判っていないかもしれません(汗)。
岩崎さんは、ゲストなんですけど堂々たる主演に見えました。彼が兄弟たちを呼び集め、全てをコントロールしていくので。発散の場もなくて、なかなか難しい役でしたが、よくやっていたと思います。それにしてもカッコイイなあ(*^ ^*)。
……せっかく格好良かったので、フィナーレは別に出てくれなくても良かったのに……(小声)
リーダー(東山)は、まあ、よく動くしよく喋るし!!実は警察の関係者だという設定でしたが、ヤクザにも見えるし警察にも見える、という皮肉な立場が良く似合って、さすが胡散臭い役をやらせたら並ぶものは無い、と(←いやそんなことはないんですが)、そんな感じでした。
あと非常に印象的だったのは、威島真樹役の小寺さん。かなり高めの甘い声と、わざとらしく礼儀正しさを繕った雰囲気が実にぴったりで、加々美家の異常性をよく表現してくれていました。彼が喋るたびに不思議な空気が沸いてくるのが興味深かったです。うん。わざとオネエ言葉を使ったり小指が立っていたりするわけではないのに、、、本当に雰囲気なんですよね。不思議なものです。
水村心役の森さんも良かった。あのウザさがたまらない。こういう世界観の作品にはお約束のキャラクターではありますが、なかなか個性的で良かったと思います。うん。世界そのものに怯えきった風情がとても可愛かったです。
弟の水村音役の加藤さんは、ちょっとストレートプレイにはDIAMOND☆DOGSメンバーより更に不慣れな感じが漂っていましたが、それでも、あれだけの美貌があれば問答無用で「耽美」になれるんだな、と、そんなことに感心してみたりしました。
個人的に大好きなダンサー・中塚さんは、人工授精の子供、という特殊な役。……人工授精、といっても、なにも人工子宮で10月10日を過ごしたというわけじゃないだろうし、普通に代理母から生まれてしまえば普通の人として育つはずだと思うんですけど、設定的にはむしろアンドロイドのような、感情のない人形のような人間、というキャラクターでした。
中塚さんの、ダンサーとしての身体的な演技力というか表現力はDIAMOND☆DOGSの中でもダントツだと(ファンなので)思っていたりするのですが、…芝居、って、そういえば観たことないかも…?あの台詞回しは、アンドロイドのような人間、という設定だからああだったのか、あれしかできないからアンドロイドのようなキャラになったのか、微妙に不安になったりしました。
ラストのオチ…というか、『彼』の正体についてはほぼ読めていたので、特にどんでん返しという感じでは無かったのですが。何一つ解決していないのに、なんとなく『ちゃんと終わった』感があったのはすごいなー、と。
……もしかしたら、多少意識が飛んでいたのかもしれませんが……。
ラストのフィナーレは本当に格好良かったです。
お芝居は一幕で終わらせて、二幕はショーでよかったのにーーーーーー!!(それってどこの花組)
あああ、次のダンス公演、絶対行くぞ!!(決意)
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新日フィルのミュージカル
2009年9月26日 ミュージカル・舞台すみだトリフォニーホールの「ベスト・ミュージカル 〜新日本フィルハーモニー交響楽団とともに〜」に行ってまいりました。
ミュージカル界からの出演は、石井一孝・岡幸二郎・鈴木綜馬・伊東恵里・和音美桜の5人。
石井さんが地元出身だと仰っていたので、そのご縁でしょうか。
二年前、文京シビックセンターでやった「タナボタ企画★スペシャル」みたいなものを想像していたのですが、今回はごくごくごくごく真面目な、『ミュージカルWithオーケストラのコンサート』、でした。
まずは曲目を。
最初に、プログラムを見た瞬間に予想したキャストと実際のキャストの両方を書いています(予想キャストが違っていた場合は、 線で消去。正解はそのまま)
ACT1
●シーズンズ・オヴ・ラヴ(RENT) 全員
●愛せぬならば(美女と野獣) 鈴木綜馬
●アイ・フィール・プリティ(WEST SIDE STORY) 和音美桜
●サンセット・ブールバード(サンセット・ブールバード) 石井一孝
●愛した日々に悔いはない(コーラスライン) 伊東恵里
●シーイング・イズ・ビリーヴィング(アスペクツ・オヴ・ラヴ) 岡幸二郎&和音美桜
●ラック・ビー・ア・レイディ(ガイズ&ドールズ) 鈴木綜馬
●私はイエスがわからない(ジーザス・クライスト・スーパースター) 伊東恵里
●ゲッセマネ(ジーザス・クライスト・スーパースター) 石井一孝
●明日への階段(ルドルフ) 岡幸二郎
ACT2
●ブイ・ドイ(ミス・サイゴン)岡幸二郎 コーラスのみ
●ホワイ・ゴッド・ホワイ(ミス・サイゴン) 石井一孝
●すべての山に登れ(サウンド・オヴ・ミュージック)伊東恵里 岡幸二郎
●アイ・アム・ザ・スターライト(スターライトエクスプレス) 鈴木綜馬&伊東恵里 海宝直人
●オール・アイ・アスク・オヴ・ユー(オペラ座の怪人) 和音美桜&岡幸二郎 石井一孝
●ソー・イン・ラヴ(キス・ミー・ケイト) 鈴木綜馬
●メイク・アワ・ガーデン・グロウ(キャンディード)石井一孝 岡幸二郎
●私だけに(エリザベート)岡幸二郎 伊東恵里
●闇が広がる(エリザベート) 鈴木綜馬&石井一孝
アンコールは、全員で「エニイ・ドリーム・ウィル・ドゥ」 (ヨセフと不思議なテクニカラーのドリームコート)でした。
一幕は全問正解だけど、二幕は全滅に近い(^ ^;ゞ。受け狙いで「私だけに」を岡さんに振ったのが敗因か(↓)。
オープニングの衣装は、男性陣は黒タキ(?)、女性陣は、恵里ちゃんが青のドレス、たっちん(和音美桜)が白を基調のドレス。恵里ちゃんはエレガントに美しく、たっちんは膨らんだスカートで娘役っぽく可愛くまとめていました。
一幕の前半は、オーケストラ独特のテンポ感にちょっと乗り切れていない印象があったかも。
多分ほとんど合わせていないんでしょうね。ぶっつけ感ありありで、「Seasons Of Love」のハーモニーもちょっと微妙だったし。
「愛せぬならば」「I Feel Pretty」はどちらも持ち歌なのでとても良かったんですが、石井さんの「サンセット・ブールバード」はだいぶ苦戦していたような気が。指揮者も後ろにいるからお互い見れないし、ああいう変拍子の曲は難いのかな。
畳み掛けるような5拍子のリズムが忙しなく歌い手も聞き手も追い詰めていく曲なのに、オーケストラらしい(?)ちょっとゆっくり目のテンポで、微妙に5拍子のラスト一拍を長めに取るので“畳み掛ける”印象が弱い。あまり「交響楽団」向きの曲ではないのかもしれません。日本では上演されていない作品なのでなかなか聴けない名曲。せっかく石井さんが歌ってくれたのに、残念でした。
これで動揺したのか、私の期待度が高すぎたのか(ごめんなさい)、「ゲッセマネ」も思ったより伝わってくるものがなくて「……」と思ってしまいまった。ごめんなさい石井さん。
あと、「Seasons Of Love」の後に石井さん中心に少しトークがあったんですが、残念ながらちょっと滑りまくり(T T)。テンション上がりすぎて空回りしちゃってた感じ。気心しれたメンバーだけなら盛り上れたんでしょうけど、いつもとは空間も違うし、たっちんがちょっと異分子な感じで、どうにも石井さんのテンションについていけてなかった(T T)。
たっちんもそんなにお嬢さん気質じゃないし、ディナーショーのトークとか聞いてても結構スパスパ言うタイプみたいなので、恵里ちゃんとはキャラが合いそうなんだけどなあ…。
恵里ちゃんは、ディアナもマリアもとても良かったです。さすがベテラン、高値安定。
どちらの曲も、舞台の中で歌われるのとは結構違うアレンジをしていて、それが凄く格好良かったです。こんなに格好良い曲なのか!と吃驚しました。
岡さんとたっちんのアレックス&ローズもすごく良かった。岡さんの声は相変わらず若いなあ。17歳と言われても「まあ、そういうこともあるかな」って感じ(*^ ^*)。
そして、たっちんは、ほんの十数分前にはマリアだったことなど微塵も感じさせない『大人の女』っぷりが凄い。化けたなあ〜〜!!
衣装も当たり前のように着替えて、正面から見るとほっそりとシンプルで、裾を後ろに長く曳いた白のドレス。かなり高い靴を履いたみたいで、長身の岡さんと並んでもしっくりきました。マリアの声とは違う、やわらかな含みのある低音。岡さんのピッチは少し高めなんですが、綺麗にあわせてハモッていたのはさすがでした。
素晴らしかったなあ。
一幕の締めは、ワイルドホーンの「ルドルフ」より、「明日への階段」。二幕で、ルドルフが市民に向かって演説をする場面の曲。革命を前にした市民の高揚を描いた曲で、場面としては結構心配げに見守るグループがいたり、トリックスター(昨年の帝劇公演では浦井くんが演じた)が最後に悲しげな振りをしたりするので印象としてはもっと暗いイメージがあったのですが、こうしてこの曲だけを聴いてみると、いかにもワイルドホーンらしい盛り上がりっぷりで、コンサートの中詰めにちょうどいい感じ。
それにしても、岡さんの声は本当に金管楽器の音色ですねえ。本格的な交響楽団をバックにして、4、5本のトロンボーンによるファンファーレに負けない音圧で鳴り響く声。岡さんの声はシャワーなんだな、と、何度も思うことを今回も思いました(*^ ^*)。
休憩を挟んで、二幕のオープニングはオーケストレーションによる「ブイ・ドイ」から。
コーラスメンバーは海宝直人・川口竜也・二宮優樹・菅谷真理恵・中川菜緒子・三木麻衣子の6名。ほとんどはいろんな舞台で名前を聞いているメンバーでしたが、実に力強い声の方々で。
「I Feel Pretty」の女たちから、「おお!」と思っていたんですが、「ブイ・ドイ」の、メインのメロディはオケで鳴らしてコーラスだけ入る、という構成は、鳥肌が立つほどステキでした。
一幕はちょっとへろへろしていた(ように見えた)石井さんも、持ち歌でもある「神よなぜ」からは落ち着いて、ラウルもとても良かったです。
たっちんのクリスティーヌは実に美しく、綺麗なソプラノ、そのもので。できれば綜馬さんのファントムと「The Phantom Of The Opera」を聴いてみたかったです。っていうか、次回に期待(*~ ~*)。
「全ての山に登れ」は、ぜったい恵里ちゃんだと思っていたので、男性が出てきたときには吃驚してしまいました。衣装が普通だったので、最初は岡さんだとは思わなかったよ しかし!!素晴らしかった………(惚)。聞きほれるとはこのことでしたね。金管楽器の音色で「全ての山に登れ」。凄い迫力でした♪
この後に歌ったキャンディードも素晴らしかった。なんだか、久しぶりに岡さんの声に浸った公演でした。
スターライトエクスプレスは、鈴木さんの声が素晴らしくて、うっとり聴いていました。
相手役(?)が誰だろう?と思っていたら、コーラスの海宝さんでした。元チップなんですね(^ ^)。お名前だけは記憶にあって、チップだったか、シンバだったか…と思っていたのですが、紹介してくれてありがとう>岡さん。綜馬さんの野獣と共演したこともあるそうで、たぶん私も一回くらい観ているんじゃないかと思います(^ ^)v。綜馬さんに「…20年ぶり、くらいかな?」と言われて、すかさず「今21歳なので、そんなはずは…」と突っ込んでいたのがおかしかったです。
残念ながら、一番の高音でひっくり返ってしまいましたが、難しいフレーズをよくがんばっていたと思います!
綜馬さんは、「So In Love」もそりゃー素晴らしくて。もう、綜馬さんで上演されたら絶対観にいくのになあ(涙)。
岡さんの声が金管楽器なら、綜馬さんは弦楽器だな、と。深く響く柔らかな低音。ヴィオラかチェロの、豊かな響き。
恵里ちゃんの「私だけに」は、今までに聴いたことがないような解釈のシシィでした。
歌いだしの凛とした雰囲気。中盤から後半にかけての声の明るさ、力強さ。
宮廷に閉じ込められた哀れな小鳥ではなく、堂々と正面玄関を突破して出て行く戦士のような、力強い「私だけに」。公演の中で、シシィという役として歌うのではなく、この曲一曲をただ聴かせるために歌う歌手の、素晴らしい芝居っぷり。そうか、表現者はここまでやって良いんだな、と感心。
もっと聴きたかったよー。
「私だけに」が恵里ちゃんだったので、次の「闇が広がる」は、伝説の岡&石井か!?と期待したりしてみましたが、綜馬さん&石井さんでした。
いや、全然まったく不満は無いですが。いやはや、綜馬さんのトートも、実際の公演ではありえない配役なんですよね(T_T)。あ、でも、代役には入っているのかな?おお〜、代役公演を観てみたいぞ!
石井さんのルドルフも、とても良かったです。やっぱり石井さんのテノールは、二枚目の青年役なら全て似合う声なんだなあ(しみじみ)。
……アンコール前のトークで、「ずいぶん年取ったルドルフ」だの「今まで組んだ中で一番濃い」だの「彼だったら生き残りそう」だの言われてましたが(^ ^)、まあ、芝居で通してやるわけじゃないんで(^ ^)。この曲一曲を聴くなら、こんな素晴らしいドリームキャストも無いかも、というキャストでした。
実力派のミュージカル俳優5人をそろえ、交響楽団を丸ごとバックにしたコンサート。
練習期間も取れなかったり、いろいろ大変でしょうけれども、こういう催しも定期的にやってほしいなあ、と心から思います。歌唱力と芝居心を兼ね備えたメンバーで、ミュージカルを愛している人々に、いろんな組み合わせで色んな歌を歌って欲しい。それこそ、ワイルドホーンが一曲だけだったのはとても残念だし、フランスミュージカル「ロミオとジュリエット」あたりも聴いてみたい。
スケジュールを合わせるのも大変そうですが、デュエットももっといろんな曲が聴きたかったなあ。恵里ちゃんとたっちんで「あんな男に/私は愛してる」(WSS)とか「In His Eyes」(ジキル&ハイド)とか。岡&石井で「彼のためなら」(蜘蛛女のキス)とか。
今回のメンバーがすごくバランスがいいので、つい色々と考えてしまいます。
またこういう催しがありますように!と祈りつつ。
.
ミュージカル界からの出演は、石井一孝・岡幸二郎・鈴木綜馬・伊東恵里・和音美桜の5人。
石井さんが地元出身だと仰っていたので、そのご縁でしょうか。
二年前、文京シビックセンターでやった「タナボタ企画★スペシャル」みたいなものを想像していたのですが、今回はごくごくごくごく真面目な、『ミュージカルWithオーケストラのコンサート』、でした。
まずは曲目を。
最初に、プログラムを見た瞬間に予想したキャストと実際のキャストの両方を書いています(予想キャストが違っていた場合は、
ACT1
●シーズンズ・オヴ・ラヴ(RENT) 全員
●愛せぬならば(美女と野獣) 鈴木綜馬
●アイ・フィール・プリティ(WEST SIDE STORY) 和音美桜
●サンセット・ブールバード(サンセット・ブールバード) 石井一孝
●愛した日々に悔いはない(コーラスライン) 伊東恵里
●シーイング・イズ・ビリーヴィング(アスペクツ・オヴ・ラヴ) 岡幸二郎&和音美桜
●ラック・ビー・ア・レイディ(ガイズ&ドールズ) 鈴木綜馬
●私はイエスがわからない(ジーザス・クライスト・スーパースター) 伊東恵里
●ゲッセマネ(ジーザス・クライスト・スーパースター) 石井一孝
●明日への階段(ルドルフ) 岡幸二郎
ACT2
●ブイ・ドイ(ミス・サイゴン)
●ホワイ・ゴッド・ホワイ(ミス・サイゴン) 石井一孝
●すべての山に登れ(サウンド・オヴ・ミュージック)
●アイ・アム・ザ・スターライト(スターライトエクスプレス) 鈴木綜馬&
●オール・アイ・アスク・オヴ・ユー(オペラ座の怪人) 和音美桜&
●ソー・イン・ラヴ(キス・ミー・ケイト) 鈴木綜馬
●メイク・アワ・ガーデン・グロウ(キャンディード)
●私だけに(エリザベート)
●闇が広がる(エリザベート) 鈴木綜馬&石井一孝
アンコールは、全員で「エニイ・ドリーム・ウィル・ドゥ」 (ヨセフと不思議なテクニカラーのドリームコート)でした。
一幕は全問正解だけど、二幕は全滅に近い(^ ^;ゞ。受け狙いで「私だけに」を岡さんに振ったのが敗因か(↓)。
オープニングの衣装は、男性陣は黒タキ(?)、女性陣は、恵里ちゃんが青のドレス、たっちん(和音美桜)が白を基調のドレス。恵里ちゃんはエレガントに美しく、たっちんは膨らんだスカートで娘役っぽく可愛くまとめていました。
一幕の前半は、オーケストラ独特のテンポ感にちょっと乗り切れていない印象があったかも。
多分ほとんど合わせていないんでしょうね。ぶっつけ感ありありで、「Seasons Of Love」のハーモニーもちょっと微妙だったし。
「愛せぬならば」「I Feel Pretty」はどちらも持ち歌なのでとても良かったんですが、石井さんの「サンセット・ブールバード」はだいぶ苦戦していたような気が。指揮者も後ろにいるからお互い見れないし、ああいう変拍子の曲は難いのかな。
畳み掛けるような5拍子のリズムが忙しなく歌い手も聞き手も追い詰めていく曲なのに、オーケストラらしい(?)ちょっとゆっくり目のテンポで、微妙に5拍子のラスト一拍を長めに取るので“畳み掛ける”印象が弱い。あまり「交響楽団」向きの曲ではないのかもしれません。日本では上演されていない作品なのでなかなか聴けない名曲。せっかく石井さんが歌ってくれたのに、残念でした。
これで動揺したのか、私の期待度が高すぎたのか(ごめんなさい)、「ゲッセマネ」も思ったより伝わってくるものがなくて「……」と思ってしまいまった。ごめんなさい石井さん。
あと、「Seasons Of Love」の後に石井さん中心に少しトークがあったんですが、残念ながらちょっと滑りまくり(T T)。テンション上がりすぎて空回りしちゃってた感じ。気心しれたメンバーだけなら盛り上れたんでしょうけど、いつもとは空間も違うし、たっちんがちょっと異分子な感じで、どうにも石井さんのテンションについていけてなかった(T T)。
たっちんもそんなにお嬢さん気質じゃないし、ディナーショーのトークとか聞いてても結構スパスパ言うタイプみたいなので、恵里ちゃんとはキャラが合いそうなんだけどなあ…。
恵里ちゃんは、ディアナもマリアもとても良かったです。さすがベテラン、高値安定。
どちらの曲も、舞台の中で歌われるのとは結構違うアレンジをしていて、それが凄く格好良かったです。こんなに格好良い曲なのか!と吃驚しました。
岡さんとたっちんのアレックス&ローズもすごく良かった。岡さんの声は相変わらず若いなあ。17歳と言われても「まあ、そういうこともあるかな」って感じ(*^ ^*)。
そして、たっちんは、ほんの十数分前にはマリアだったことなど微塵も感じさせない『大人の女』っぷりが凄い。化けたなあ〜〜!!
衣装も当たり前のように着替えて、正面から見るとほっそりとシンプルで、裾を後ろに長く曳いた白のドレス。かなり高い靴を履いたみたいで、長身の岡さんと並んでもしっくりきました。マリアの声とは違う、やわらかな含みのある低音。岡さんのピッチは少し高めなんですが、綺麗にあわせてハモッていたのはさすがでした。
素晴らしかったなあ。
一幕の締めは、ワイルドホーンの「ルドルフ」より、「明日への階段」。二幕で、ルドルフが市民に向かって演説をする場面の曲。革命を前にした市民の高揚を描いた曲で、場面としては結構心配げに見守るグループがいたり、トリックスター(昨年の帝劇公演では浦井くんが演じた)が最後に悲しげな振りをしたりするので印象としてはもっと暗いイメージがあったのですが、こうしてこの曲だけを聴いてみると、いかにもワイルドホーンらしい盛り上がりっぷりで、コンサートの中詰めにちょうどいい感じ。
それにしても、岡さんの声は本当に金管楽器の音色ですねえ。本格的な交響楽団をバックにして、4、5本のトロンボーンによるファンファーレに負けない音圧で鳴り響く声。岡さんの声はシャワーなんだな、と、何度も思うことを今回も思いました(*^ ^*)。
休憩を挟んで、二幕のオープニングはオーケストレーションによる「ブイ・ドイ」から。
コーラスメンバーは海宝直人・川口竜也・二宮優樹・菅谷真理恵・中川菜緒子・三木麻衣子の6名。ほとんどはいろんな舞台で名前を聞いているメンバーでしたが、実に力強い声の方々で。
「I Feel Pretty」の女たちから、「おお!」と思っていたんですが、「ブイ・ドイ」の、メインのメロディはオケで鳴らしてコーラスだけ入る、という構成は、鳥肌が立つほどステキでした。
一幕はちょっとへろへろしていた(ように見えた)石井さんも、持ち歌でもある「神よなぜ」からは落ち着いて、ラウルもとても良かったです。
たっちんのクリスティーヌは実に美しく、綺麗なソプラノ、そのもので。できれば綜馬さんのファントムと「The Phantom Of The Opera」を聴いてみたかったです。っていうか、次回に期待(*~ ~*)。
「全ての山に登れ」は、ぜったい恵里ちゃんだと思っていたので、男性が出てきたときには吃驚してしまいました。衣装が普通だったので、最初は岡さんだとは思わなかったよ しかし!!素晴らしかった………(惚)。聞きほれるとはこのことでしたね。金管楽器の音色で「全ての山に登れ」。凄い迫力でした♪
この後に歌ったキャンディードも素晴らしかった。なんだか、久しぶりに岡さんの声に浸った公演でした。
スターライトエクスプレスは、鈴木さんの声が素晴らしくて、うっとり聴いていました。
相手役(?)が誰だろう?と思っていたら、コーラスの海宝さんでした。元チップなんですね(^ ^)。お名前だけは記憶にあって、チップだったか、シンバだったか…と思っていたのですが、紹介してくれてありがとう>岡さん。綜馬さんの野獣と共演したこともあるそうで、たぶん私も一回くらい観ているんじゃないかと思います(^ ^)v。綜馬さんに「…20年ぶり、くらいかな?」と言われて、すかさず「今21歳なので、そんなはずは…」と突っ込んでいたのがおかしかったです。
残念ながら、一番の高音でひっくり返ってしまいましたが、難しいフレーズをよくがんばっていたと思います!
綜馬さんは、「So In Love」もそりゃー素晴らしくて。もう、綜馬さんで上演されたら絶対観にいくのになあ(涙)。
岡さんの声が金管楽器なら、綜馬さんは弦楽器だな、と。深く響く柔らかな低音。ヴィオラかチェロの、豊かな響き。
恵里ちゃんの「私だけに」は、今までに聴いたことがないような解釈のシシィでした。
歌いだしの凛とした雰囲気。中盤から後半にかけての声の明るさ、力強さ。
宮廷に閉じ込められた哀れな小鳥ではなく、堂々と正面玄関を突破して出て行く戦士のような、力強い「私だけに」。公演の中で、シシィという役として歌うのではなく、この曲一曲をただ聴かせるために歌う歌手の、素晴らしい芝居っぷり。そうか、表現者はここまでやって良いんだな、と感心。
もっと聴きたかったよー。
「私だけに」が恵里ちゃんだったので、次の「闇が広がる」は、伝説の岡&石井か!?と期待したりしてみましたが、綜馬さん&石井さんでした。
いや、全然まったく不満は無いですが。いやはや、綜馬さんのトートも、実際の公演ではありえない配役なんですよね(T_T)。あ、でも、代役には入っているのかな?おお〜、代役公演を観てみたいぞ!
石井さんのルドルフも、とても良かったです。やっぱり石井さんのテノールは、二枚目の青年役なら全て似合う声なんだなあ(しみじみ)。
……アンコール前のトークで、「ずいぶん年取ったルドルフ」だの「今まで組んだ中で一番濃い」だの「彼だったら生き残りそう」だの言われてましたが(^ ^)、まあ、芝居で通してやるわけじゃないんで(^ ^)。この曲一曲を聴くなら、こんな素晴らしいドリームキャストも無いかも、というキャストでした。
実力派のミュージカル俳優5人をそろえ、交響楽団を丸ごとバックにしたコンサート。
練習期間も取れなかったり、いろいろ大変でしょうけれども、こういう催しも定期的にやってほしいなあ、と心から思います。歌唱力と芝居心を兼ね備えたメンバーで、ミュージカルを愛している人々に、いろんな組み合わせで色んな歌を歌って欲しい。それこそ、ワイルドホーンが一曲だけだったのはとても残念だし、フランスミュージカル「ロミオとジュリエット」あたりも聴いてみたい。
スケジュールを合わせるのも大変そうですが、デュエットももっといろんな曲が聴きたかったなあ。恵里ちゃんとたっちんで「あんな男に/私は愛してる」(WSS)とか「In His Eyes」(ジキル&ハイド)とか。岡&石井で「彼のためなら」(蜘蛛女のキス)とか。
今回のメンバーがすごくバランスがいいので、つい色々と考えてしまいます。
またこういう催しがありますように!と祈りつつ。
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東京芸術劇場中ホールにて、TSミュージカル「天翔ける風に」を観劇いたしました。
野田秀樹の「贋作・罪と罰」をもとにしたミュージカル。
そもそも、この「贋作・罪と罰」自体、ドストエフスキーの「罪と罰」を元に、時代を幕末の江戸にうつし、坂本竜馬を絡ませて翻案したもの。私が観たのは野田さんが日本に帰ってきてNODA・MAPを立ち上げた翌年だったかその次だったかだと思います。
もう10年以上も前(!)のことだし、一回しか観ていないので内容は殆ど覚えていないのですが。
大竹しのぶさんが演じていた三条英の黒い男服と、くっきりとした輪郭のある透明感、そして、あまりにも激しいアクションの連続が、すごく印象に残っています。
そして、「天翔ける風に」。
私が観たのは初演、まだタータン(香寿たつき)が現役タカラジェンヌ(専科)として特出した時。
で、男装で出てくるものと思っていたら、案外女性らしい衣装で出てきて、しかも現役タカラジェンヌとは思えない高い声(汗)。この人は、とっとと宝塚を卒業して女優になったほうが良いんじゃないか、と思ったことを鮮明に覚えています。
案の定、割とすぐに星組トップスターに就任(←特出時には内定発表されていたかも)、2年ほどで卒業。すっかりイイオンナになったタータンの、卒業後第一作として再演されたときは縁がなくて観られなかったのですが。
今回、久しぶりにこの作品を観て、あらためて、英の“女”に吃驚しました。
…いや、違う。“女”じゃない。英の“少女”に、です。
なんというか。今回の三条英は、すごく“理論に踊らされた被害者”的なイメージを感じました。…いや、“被害者”っていうとちょっと違うな。やっぱり“少女”かな?外界に対してすごく閉じられた存在。自分の中で完結しようとするあまり、外界からの刺激(=すべての出来事)に対して、まず拒否から入るタイプ。
もともとタータンは、その外見や年齢にそぐわない少女めいたところのある役者で、そのギャップが面白いんだと思うのですが(「ジキル&ハイド」のルーシィとか)、三条英は、その潔癖な理想家ぶり、孤高であろうとする強がりが酷く子供っぽくて、、、、才谷梅太郎(山崎銀之丞)が彼女を守りたいと思い、世の醜さに触れさせないために隔離したくなる気持ちがわかる、というか。
自分自身の力でなんとかしなくてはいけない、という切迫感が英にないぶん、彼女を見守り、その不器用な生き方を護ろうとした才谷、という人物が浮かび上がってきたような気がします。そして謝さんは、その潔癖症の少女性を三条英に求めているんだろうな、と。
獄につながれた英のもつ、透明感。
『あたしの彼方へ』と幸せそうに紡ぐ、言の葉たち。
その言の葉が舞い落ちる下で、血を流して倒れている、黒いシルエット。
今回の才谷は、昔から大好きな銀さま(山崎銀之丞)。
ちなみに、初演は畠中洋さんでした(*^ ^*)。
銀さまは銀さまで達者な人ですし、間のとりかたといい、包容力といい、文句なしに素敵だったのですが。ただ、どうしたって銀さまと畠中さんじゃミュージカルの出演歴が違うというか……いやいや、銀さまも予想以上に歌は良かったんですが、ミュージカル初出演の銀さまが畠中さんのレベルに達してないのはそれは仕方のないことでして。(←言い訳が長いよ)
すみませんすみません。銀さまの才谷、本当に素敵でした。
……でも、もう一回畠中さんの才谷に逢えるなら、日本全国どこにでも行くぞ私は。
今回観て、あれっ?と思ったのは、つかこうへいの「広島に原爆を落とす日」を連想したことでした。
何がどう連携したのか、自分でもよくわからないのですが。
ラスト近くの、才谷と英の会話を聞きながら。
二人の会話の透明感、明るさ、内容は一国を(幕府を)滅ぼす話なのに、ひどく明るく、幸せそうに語りあう二人を観ながら。
「だから、僕が、やるんだ。---誰よりも日本を愛している僕が、広島を愛している僕が、新しい世界を始めるために、僕にしかできないことを」と、晴れ晴れと宣言した場面が思い出されて。
…なんでかな、と思うんですけどね…(- -;
英を追い詰める担当刑事(←当時はまだ幕末で、そういう呼称は無かったはずだが…)の都司之助は、戸井勝海。お髭が素敵でちょっとうっとり(*^ ^*)。
いや、久しぶりに歌も芝居も大満足のできでした。あのイヤらしさがとってもお似合いです。あああ、髭萌え。(←結局そこか!)
あんなに“大人”な芝居をする戸井さん、珍しいような気がします。英の“理論”あるいは“論文”に関する一連の会話のイヤらしいこと!!まるっきり大人と子供の議論すぎて、勝負にも何もなっていなかったのは、ちょっと面白いくらいでした。初演もあんなだったっけかなあ…。彼女が血を吐く思いで叫んでいたはずの“理論”さえ、ちょっとかっこいい言葉を並べただけの机上の空論に聴こえてしまったんですよね。あれは意図したものだったのかなあ…?
英の父親で、酒のせいで仕事を喪い、身を持ち崩した甘井聞太左衛門に阿部裕。小者っぷりが切ないほどで、良い役ですよね。以前観たときはどなただったのかな…。
英の母親・三条清に福麻むつ美。妹・智に剱持たまき。なんだか、初演の印象では、この二人はもっと英を追い詰める存在だったと思うのですが、なんだか普通な感じでした。英の運命そのものに、あまり異常性が無かったしな。……よく覚えていないんですけど、三条家に関わる部分の演出はかなり違っているような気がします。家庭の異常性よりも、時代の異常性を表に出した印象。…全然違うかもしれませんが(滝汗)
退屈しのぎに人の運命をもてあそぶ、財産持ちの溜水石右衛門は、今拓也。うっとりするほど素敵な青髭っぷり♪ああ、なんてステキなSっぷりかしら。たまきちゃんを襲うところとか、すごく力弱い感じで素敵でした。たまきちゃん、強いんだもん(^ ^)。大好きだー!
志士たちのリーダーは、平澤智さん。いやはや、格好良かったです。
回りの志士たちもよく暴れてました。ただ、初演はもっとJAC系の役者が多くて振りつけもアクロバティックだったような気がするんですけど、気のせいでしょうか…?(むしろ『贋作…』の方かも)
志士たちは、幕府を倒したいわけじゃない。
新しい世界を創りたいわけじゃ、ない。
ただ、自分たちが勝利したいだけ。
だから彼らは、否定する。無血開城を実現させた、竜馬を。
無血で世の中を変えようとした、竜馬を。
どうせ王座は、血で購うもの。
江戸城は無血で開城しても、結局のところ戦は起こる。いつか、必ず。
それは、“新しい世の中”ではなく、“勝利”を求める人がいるから、だ。
…もしかしたら。
女が夢見るのは「新しい世界」で、
男が夢見るのは「勝利」なのかもしれない。
才谷は、竜馬は、英のために「新しい世界」を求めたのかもしれない。
ドストエフスキーの「罪と罰」を翻案するにあたり、野田さんがまずラスコーリニコフを女性に設定したことは、それだけの意味があったのだと思います。
そして、その三条英に、年齢的にも外見的にも技術的にも立派なベテランでありながら、芯のところで完全に無垢な少女性を抱いた香寿たつきをあてたことは、謝さんの慧眼、と、言うべきなのでしょう。
…そんなことを、思いながら。
途中、何度か登場するええじゃないか軍団は、プログラムには載っていないんですよね。どういう人たちなんでしょう。「オペラ・デ・マランドロ」のサンバチームみたいに団体名が書いてあることもないし、普通に出演者なんだとしたら、名前だけでも…と思うのですが。
志士たちの熱気と、宝塚以外の舞台では滅多に観ることのない大群衆(30人以上居るらしい)のパワー。幕末、という時代のもつ熱を表現するのに、これだけの人数を投入しなくてはならないのか、と思うと、本来の意味とは違う意味で感動を覚えます。
それにしても…本当に宝塚の本公演って人数多いんだなあ、と、そんなことにしみじみ感動したりしつつ(^ ^;ゞ
.
野田秀樹の「贋作・罪と罰」をもとにしたミュージカル。
そもそも、この「贋作・罪と罰」自体、ドストエフスキーの「罪と罰」を元に、時代を幕末の江戸にうつし、坂本竜馬を絡ませて翻案したもの。私が観たのは野田さんが日本に帰ってきてNODA・MAPを立ち上げた翌年だったかその次だったかだと思います。
もう10年以上も前(!)のことだし、一回しか観ていないので内容は殆ど覚えていないのですが。
大竹しのぶさんが演じていた三条英の黒い男服と、くっきりとした輪郭のある透明感、そして、あまりにも激しいアクションの連続が、すごく印象に残っています。
そして、「天翔ける風に」。
私が観たのは初演、まだタータン(香寿たつき)が現役タカラジェンヌ(専科)として特出した時。
で、男装で出てくるものと思っていたら、案外女性らしい衣装で出てきて、しかも現役タカラジェンヌとは思えない高い声(汗)。この人は、とっとと宝塚を卒業して女優になったほうが良いんじゃないか、と思ったことを鮮明に覚えています。
案の定、割とすぐに星組トップスターに就任(←特出時には内定発表されていたかも)、2年ほどで卒業。すっかりイイオンナになったタータンの、卒業後第一作として再演されたときは縁がなくて観られなかったのですが。
今回、久しぶりにこの作品を観て、あらためて、英の“女”に吃驚しました。
…いや、違う。“女”じゃない。英の“少女”に、です。
なんというか。今回の三条英は、すごく“理論に踊らされた被害者”的なイメージを感じました。…いや、“被害者”っていうとちょっと違うな。やっぱり“少女”かな?外界に対してすごく閉じられた存在。自分の中で完結しようとするあまり、外界からの刺激(=すべての出来事)に対して、まず拒否から入るタイプ。
もともとタータンは、その外見や年齢にそぐわない少女めいたところのある役者で、そのギャップが面白いんだと思うのですが(「ジキル&ハイド」のルーシィとか)、三条英は、その潔癖な理想家ぶり、孤高であろうとする強がりが酷く子供っぽくて、、、、才谷梅太郎(山崎銀之丞)が彼女を守りたいと思い、世の醜さに触れさせないために隔離したくなる気持ちがわかる、というか。
自分自身の力でなんとかしなくてはいけない、という切迫感が英にないぶん、彼女を見守り、その不器用な生き方を護ろうとした才谷、という人物が浮かび上がってきたような気がします。そして謝さんは、その潔癖症の少女性を三条英に求めているんだろうな、と。
獄につながれた英のもつ、透明感。
『あたしの彼方へ』と幸せそうに紡ぐ、言の葉たち。
その言の葉が舞い落ちる下で、血を流して倒れている、黒いシルエット。
今回の才谷は、昔から大好きな銀さま(山崎銀之丞)。
ちなみに、初演は畠中洋さんでした(*^ ^*)。
銀さまは銀さまで達者な人ですし、間のとりかたといい、包容力といい、文句なしに素敵だったのですが。ただ、どうしたって銀さまと畠中さんじゃミュージカルの出演歴が違うというか……いやいや、銀さまも予想以上に歌は良かったんですが、ミュージカル初出演の銀さまが畠中さんのレベルに達してないのはそれは仕方のないことでして。(←言い訳が長いよ)
すみませんすみません。銀さまの才谷、本当に素敵でした。
……でも、もう一回畠中さんの才谷に逢えるなら、日本全国どこにでも行くぞ私は。
今回観て、あれっ?と思ったのは、つかこうへいの「広島に原爆を落とす日」を連想したことでした。
何がどう連携したのか、自分でもよくわからないのですが。
ラスト近くの、才谷と英の会話を聞きながら。
二人の会話の透明感、明るさ、内容は一国を(幕府を)滅ぼす話なのに、ひどく明るく、幸せそうに語りあう二人を観ながら。
「だから、僕が、やるんだ。---誰よりも日本を愛している僕が、広島を愛している僕が、新しい世界を始めるために、僕にしかできないことを」と、晴れ晴れと宣言した場面が思い出されて。
…なんでかな、と思うんですけどね…(- -;
英を追い詰める担当刑事(←当時はまだ幕末で、そういう呼称は無かったはずだが…)の都司之助は、戸井勝海。お髭が素敵でちょっとうっとり(*^ ^*)。
いや、久しぶりに歌も芝居も大満足のできでした。あのイヤらしさがとってもお似合いです。あああ、髭萌え。(←結局そこか!)
あんなに“大人”な芝居をする戸井さん、珍しいような気がします。英の“理論”あるいは“論文”に関する一連の会話のイヤらしいこと!!まるっきり大人と子供の議論すぎて、勝負にも何もなっていなかったのは、ちょっと面白いくらいでした。初演もあんなだったっけかなあ…。彼女が血を吐く思いで叫んでいたはずの“理論”さえ、ちょっとかっこいい言葉を並べただけの机上の空論に聴こえてしまったんですよね。あれは意図したものだったのかなあ…?
英の父親で、酒のせいで仕事を喪い、身を持ち崩した甘井聞太左衛門に阿部裕。小者っぷりが切ないほどで、良い役ですよね。以前観たときはどなただったのかな…。
英の母親・三条清に福麻むつ美。妹・智に剱持たまき。なんだか、初演の印象では、この二人はもっと英を追い詰める存在だったと思うのですが、なんだか普通な感じでした。英の運命そのものに、あまり異常性が無かったしな。……よく覚えていないんですけど、三条家に関わる部分の演出はかなり違っているような気がします。家庭の異常性よりも、時代の異常性を表に出した印象。…全然違うかもしれませんが(滝汗)
退屈しのぎに人の運命をもてあそぶ、財産持ちの溜水石右衛門は、今拓也。うっとりするほど素敵な青髭っぷり♪ああ、なんてステキなSっぷりかしら。たまきちゃんを襲うところとか、すごく力弱い感じで素敵でした。たまきちゃん、強いんだもん(^ ^)。大好きだー!
志士たちのリーダーは、平澤智さん。いやはや、格好良かったです。
回りの志士たちもよく暴れてました。ただ、初演はもっとJAC系の役者が多くて振りつけもアクロバティックだったような気がするんですけど、気のせいでしょうか…?(むしろ『贋作…』の方かも)
志士たちは、幕府を倒したいわけじゃない。
新しい世界を創りたいわけじゃ、ない。
ただ、自分たちが勝利したいだけ。
だから彼らは、否定する。無血開城を実現させた、竜馬を。
無血で世の中を変えようとした、竜馬を。
どうせ王座は、血で購うもの。
江戸城は無血で開城しても、結局のところ戦は起こる。いつか、必ず。
それは、“新しい世の中”ではなく、“勝利”を求める人がいるから、だ。
…もしかしたら。
女が夢見るのは「新しい世界」で、
男が夢見るのは「勝利」なのかもしれない。
才谷は、竜馬は、英のために「新しい世界」を求めたのかもしれない。
ドストエフスキーの「罪と罰」を翻案するにあたり、野田さんがまずラスコーリニコフを女性に設定したことは、それだけの意味があったのだと思います。
そして、その三条英に、年齢的にも外見的にも技術的にも立派なベテランでありながら、芯のところで完全に無垢な少女性を抱いた香寿たつきをあてたことは、謝さんの慧眼、と、言うべきなのでしょう。
…そんなことを、思いながら。
途中、何度か登場するええじゃないか軍団は、プログラムには載っていないんですよね。どういう人たちなんでしょう。「オペラ・デ・マランドロ」のサンバチームみたいに団体名が書いてあることもないし、普通に出演者なんだとしたら、名前だけでも…と思うのですが。
志士たちの熱気と、宝塚以外の舞台では滅多に観ることのない大群衆(30人以上居るらしい)のパワー。幕末、という時代のもつ熱を表現するのに、これだけの人数を投入しなくてはならないのか、と思うと、本来の意味とは違う意味で感動を覚えます。
それにしても…本当に宝塚の本公演って人数多いんだなあ、と、そんなことにしみじみ感動したりしつつ(^ ^;ゞ
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ブラッド・ブラザーズ
2009年8月10日 ミュージカル・舞台 コメント (2)霧矢大夢さん、月組次期トップスター内定おめでとうございます〜〜〜(はぁと)
いやあ、今度ばかりは間違いないだろうとは思っていましたが、やはり正式に発表されると喜びもひとしおですね!!
中日お披露目、宙組の東宝公演が終わったら駆け付けますから、頑張ってくださ〜〜〜い!!
演目と相手役の発表を、楽しみにお待ちしています。
あああ、きりやんで観たい作品が多すぎる〜!(汗)
…で。
シアタークリエにて、「ブラッド・ブラザーズ」を観劇してまいりました。
『blood brother』。
“血を分けた兄弟”“切っても切れないもの”“同胞”“血盟の義兄弟”“戦友”、そして、“黒人同士の仲間”という意味もあるらしいですね。
この作品では、主に1番の意味と2番の意味を重ねて使っていたような気がします。
血を分けた兄弟であることを知らずに、血盟の義兄弟になった二人の、双子の兄弟の、ものがたり。
私は以前、島田歌穂と前田美波里が二人の母親を、そして、双子の兄弟を坂本昌行と赤坂晃が演じたバージョン(2003年だったらしい)を観たのですが……
正直、あのときはあまりぴんと来なかったんですよね。
歌穂ちゃんのジョンストン夫人はすごく良かったんですけど、他の三人がどうもミスキャストな気がして。特にあってないなあと思ったのが美波里さんで、彼女は「マンマ・ミーア」で演じたターニャみたいな、底抜けにポジティヴな、くじけないリアルな女がピッタリ嵌るタイプで、ライオンズ夫人みたいな、なんというか、後ろ向きで影に怯えるようなタイプにはどうしたって見えなかったんですよ。
音楽はいいのに、なんだか勿体無いなあ、という感想で終わった公演でした。
しかし!
今回、何が良かったって、ライオンズ夫人の久世星佳が!!
もう、本当に素晴らしかった!!穏やかでつつましくて、でも、結構追い詰められがちな女性。
思いあまってジョンストン夫人の首に腕を回すシーンの迫力とか、本当に凄かった(汗)。
この物語がそもそも悲劇である以上、あまりポジティヴな登場人物がいると話が合わないんですよね。キャラクターとして、ジョンストン夫人がすごくポジティヴで現実的なタイプなので、ライオンズ夫人は、もう少しこの世とあの世の境目をふらふらと歩いているタイプでないと。
その、絶妙のバランスが素晴らしかった。矛盾だらけの古臭い物語が、すごく説得力をもったのに、彼女の手柄は大きいと思います。
ジョンストン夫人は、私が観たのはTSUKASAでした。
いやーーーー、赤坂ACTシアターで「RENT」を観ながら、ああ、ミミがHIVを乗り越えて生き延びたら、まさにジョンストン夫人みたいなたくましい色気勝負のおっかさんになるのかなあ、、、なんて夢を見ました。(TUKASAは、日本版RENTのオリジナル・ミミ)
いやはや。
「まるでマリリン・モンロー♪」と繰り返す彼女のナンバーの切なさ。
次から次へと子供を産みながら、「でもねぇ、可愛いんですよみんな…」と呟く、とろけるような笑顔。
愛情に溢れた、素敵な母親。ちょっとハスキーな声は相変わらずで。酒と煙草で荒れた声に聴こえるところがまた素晴らしい。
ライオンズ夫人を狂わせるなんて思いもせずに、エディにロケットを渡す場面、とても切なかったです。
ジョンストン家の息子、ジョンストン家に残ったミッキーは、武田真治(8月)。
一幕のわんぱく坊や(だけど兄ちゃんには勝てない)から、二幕の真面目な労働者、そして、獄に入ってからのやつれたメイク……感情の振り幅が一番大きな役で、大変だっただろうなぁ、と思います。
すごく良かったんですけど、まだ開幕したばかりでいっぱいいっぱいだったのも感じたかな。1,2週間たったらさぞ深い芝居になるだろうに…と、ちょっと残念にも思いました。
腕白坊主のときの笑顔が、顔全体で笑っていてとても可愛くて、。
私は、このひとは多分、「エリザベート」のトートしか観ていないと思うのですが、実は、あの突拍子もない解釈のトートが大好きだったんですよね(汗)。役を自分に惹きつけるパワーのある役者だな、というのを凄く感じます。
金持ちのライオンズ家に貰われていったエディは、岡田浩暉(8月)。
何を隠そう、このひとが目当てだったわけですが(汗)。
期待に違わぬ、さすがの芝居でした。いやもう、あのぶっ飛んだ子供時代が最高です。ミッキーより悪ガキだよそれじゃ……と思うくらいな、間抜けでKYな“いい家の坊ちゃん”。
ミッキーが大好きで、ミッキーの傍に居たくて。
ミッキーの彼女だからこそ、リンダが欲しい。ミッキーに恋をしてるリンダと、一日中ミッキーの話をしていたい。そんな壊れた恋心。
彼の、あのさりげなくて実に自然なKYで嫌味な芝居が、本当に素晴らしかった!観客の気持ちを、ちゃんとミッキー側に送り出す空気づくりをきちんとやってのけて、それでも、エディに悪気はないことまできちんと伝えてみせる。凄いなあ、と思います。
最後の演説場面のスーツの似合いようも含めて、このひとのエディを観ることができて、良かったです。
ミッキーの幼馴染のリンダは、鈴木亜美。
とにかく可愛いです。文句なし。スタイルが良くて黄色いドレスがよく似合う。武田さんと並んでも違和感のないサイズなのがとても素敵。
積極的でポジティヴで、一生懸命な可愛い少女。ミッキーとエディ、二人の男に愛されるだけの魅力に溢れて、良かったと思います。
そして。
MCは、かの下村尊則。
劇団四季を退団してから、初めて舞台で拝見しましたが。
……いやあん。夢の配達人がそっこに居るじゃないの〜〜〜〜♪♪♪
何度か書いていますけれども、私はこういう、「説明役」がいるお芝居ってあまり好きではないんですが。
まぁ、さすがにこの話は説明役でもおかないと何がなんだかさっぱりわからないので、仕方ないんだろうなあ……。脚本的にはもう少し処理のしようがあったとは思いますが、この脚本でいく以上、下村さんというキャスティングは神だな、と思いました。
はい。
立っているだけであやしいし。(←怪しい?妖しい?)
ミルク売ってるし。(←ルキーニやってくれないかなあ……)
素敵だし。(←もしもし?)
脚本・音楽は、ウィリー・ラッセル。演出はグレン・ウォルフォード。
ロンドン初演が1983年……25年前、か。
脚本的には弱い部分もありますが、物語のほとんどをジョンストン夫人の視点で紡いでおいて、最後の最後に、ミッキーの一言によって全てを引っくり返してのけた脚本は、もしかしたらものすごく面白いんじゃないか、と思いました。
迷信の扱い方とか、MCが出張りすぎなところとか、ちょっと古臭い感じは否めないんですけどね、でも、テーマや時代はすごく“今”にマッチしているなあ、と思います。
25年前にこれが描かれていたのか、と思うと、しみじみと作家の先見を誉めたい気がします。
暗くて悲惨な物語なだけに、あまり積極的にお勧めはいたしかねるのですが。
……岡田さんのエディ&武田さんのミッキー、この二人の子役なんて滅多に観られるものではないので、観ておいて損はない、かも(^ ^;
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いやあ、今度ばかりは間違いないだろうとは思っていましたが、やはり正式に発表されると喜びもひとしおですね!!
中日お披露目、宙組の東宝公演が終わったら駆け付けますから、頑張ってくださ〜〜〜い!!
演目と相手役の発表を、楽しみにお待ちしています。
あああ、きりやんで観たい作品が多すぎる〜!(汗)
…で。
シアタークリエにて、「ブラッド・ブラザーズ」を観劇してまいりました。
『blood brother』。
“血を分けた兄弟”“切っても切れないもの”“同胞”“血盟の義兄弟”“戦友”、そして、“黒人同士の仲間”という意味もあるらしいですね。
この作品では、主に1番の意味と2番の意味を重ねて使っていたような気がします。
血を分けた兄弟であることを知らずに、血盟の義兄弟になった二人の、双子の兄弟の、ものがたり。
私は以前、島田歌穂と前田美波里が二人の母親を、そして、双子の兄弟を坂本昌行と赤坂晃が演じたバージョン(2003年だったらしい)を観たのですが……
正直、あのときはあまりぴんと来なかったんですよね。
歌穂ちゃんのジョンストン夫人はすごく良かったんですけど、他の三人がどうもミスキャストな気がして。特にあってないなあと思ったのが美波里さんで、彼女は「マンマ・ミーア」で演じたターニャみたいな、底抜けにポジティヴな、くじけないリアルな女がピッタリ嵌るタイプで、ライオンズ夫人みたいな、なんというか、後ろ向きで影に怯えるようなタイプにはどうしたって見えなかったんですよ。
音楽はいいのに、なんだか勿体無いなあ、という感想で終わった公演でした。
しかし!
今回、何が良かったって、ライオンズ夫人の久世星佳が!!
もう、本当に素晴らしかった!!穏やかでつつましくて、でも、結構追い詰められがちな女性。
思いあまってジョンストン夫人の首に腕を回すシーンの迫力とか、本当に凄かった(汗)。
この物語がそもそも悲劇である以上、あまりポジティヴな登場人物がいると話が合わないんですよね。キャラクターとして、ジョンストン夫人がすごくポジティヴで現実的なタイプなので、ライオンズ夫人は、もう少しこの世とあの世の境目をふらふらと歩いているタイプでないと。
その、絶妙のバランスが素晴らしかった。矛盾だらけの古臭い物語が、すごく説得力をもったのに、彼女の手柄は大きいと思います。
ジョンストン夫人は、私が観たのはTSUKASAでした。
いやーーーー、赤坂ACTシアターで「RENT」を観ながら、ああ、ミミがHIVを乗り越えて生き延びたら、まさにジョンストン夫人みたいなたくましい色気勝負のおっかさんになるのかなあ、、、なんて夢を見ました。(TUKASAは、日本版RENTのオリジナル・ミミ)
いやはや。
「まるでマリリン・モンロー♪」と繰り返す彼女のナンバーの切なさ。
次から次へと子供を産みながら、「でもねぇ、可愛いんですよみんな…」と呟く、とろけるような笑顔。
愛情に溢れた、素敵な母親。ちょっとハスキーな声は相変わらずで。酒と煙草で荒れた声に聴こえるところがまた素晴らしい。
ライオンズ夫人を狂わせるなんて思いもせずに、エディにロケットを渡す場面、とても切なかったです。
ジョンストン家の息子、ジョンストン家に残ったミッキーは、武田真治(8月)。
一幕のわんぱく坊や(だけど兄ちゃんには勝てない)から、二幕の真面目な労働者、そして、獄に入ってからのやつれたメイク……感情の振り幅が一番大きな役で、大変だっただろうなぁ、と思います。
すごく良かったんですけど、まだ開幕したばかりでいっぱいいっぱいだったのも感じたかな。1,2週間たったらさぞ深い芝居になるだろうに…と、ちょっと残念にも思いました。
腕白坊主のときの笑顔が、顔全体で笑っていてとても可愛くて、。
私は、このひとは多分、「エリザベート」のトートしか観ていないと思うのですが、実は、あの突拍子もない解釈のトートが大好きだったんですよね(汗)。役を自分に惹きつけるパワーのある役者だな、というのを凄く感じます。
金持ちのライオンズ家に貰われていったエディは、岡田浩暉(8月)。
何を隠そう、このひとが目当てだったわけですが(汗)。
期待に違わぬ、さすがの芝居でした。いやもう、あのぶっ飛んだ子供時代が最高です。ミッキーより悪ガキだよそれじゃ……と思うくらいな、間抜けでKYな“いい家の坊ちゃん”。
ミッキーが大好きで、ミッキーの傍に居たくて。
ミッキーの彼女だからこそ、リンダが欲しい。ミッキーに恋をしてるリンダと、一日中ミッキーの話をしていたい。そんな壊れた恋心。
彼の、あのさりげなくて実に自然なKYで嫌味な芝居が、本当に素晴らしかった!観客の気持ちを、ちゃんとミッキー側に送り出す空気づくりをきちんとやってのけて、それでも、エディに悪気はないことまできちんと伝えてみせる。凄いなあ、と思います。
最後の演説場面のスーツの似合いようも含めて、このひとのエディを観ることができて、良かったです。
ミッキーの幼馴染のリンダは、鈴木亜美。
とにかく可愛いです。文句なし。スタイルが良くて黄色いドレスがよく似合う。武田さんと並んでも違和感のないサイズなのがとても素敵。
積極的でポジティヴで、一生懸命な可愛い少女。ミッキーとエディ、二人の男に愛されるだけの魅力に溢れて、良かったと思います。
そして。
MCは、かの下村尊則。
劇団四季を退団してから、初めて舞台で拝見しましたが。
……いやあん。夢の配達人がそっこに居るじゃないの〜〜〜〜♪♪♪
何度か書いていますけれども、私はこういう、「説明役」がいるお芝居ってあまり好きではないんですが。
まぁ、さすがにこの話は説明役でもおかないと何がなんだかさっぱりわからないので、仕方ないんだろうなあ……。脚本的にはもう少し処理のしようがあったとは思いますが、この脚本でいく以上、下村さんというキャスティングは神だな、と思いました。
はい。
立っているだけであやしいし。(←怪しい?妖しい?)
ミルク売ってるし。(←ルキーニやってくれないかなあ……)
素敵だし。(←もしもし?)
脚本・音楽は、ウィリー・ラッセル。演出はグレン・ウォルフォード。
ロンドン初演が1983年……25年前、か。
脚本的には弱い部分もありますが、物語のほとんどをジョンストン夫人の視点で紡いでおいて、最後の最後に、ミッキーの一言によって全てを引っくり返してのけた脚本は、もしかしたらものすごく面白いんじゃないか、と思いました。
迷信の扱い方とか、MCが出張りすぎなところとか、ちょっと古臭い感じは否めないんですけどね、でも、テーマや時代はすごく“今”にマッチしているなあ、と思います。
25年前にこれが描かれていたのか、と思うと、しみじみと作家の先見を誉めたい気がします。
暗くて悲惨な物語なだけに、あまり積極的にお勧めはいたしかねるのですが。
……岡田さんのエディ&武田さんのミッキー、この二人の子役なんて滅多に観られるものではないので、観ておいて損はない、かも(^ ^;
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RENT HEADSたちの祭典
2009年8月9日 ミュージカル・舞台赤坂ACTシアターにて、「RENT」ツアー版を観劇して参りました。
ブロードウェイ オリジナルキャストのアンソニー・ラップ(マーク役)、アダム・パスカル(ロジャー役)の2トップが揃った、ドリームツアー。
一言で言うなら、
まさしく「RENT HEADSたちの祭典」でした。
いやー。
開幕前の、ミュージシャンが出て来た瞬間に沸き起こった拍手とか。
ミュージカルナンバーすべてがショーストップだったりとか。
…なんかもう、ホントにお祭りだった(汗)。
私もそれなりにRENT HEADで、今回のツアーはホントに楽しみにしていて。
博多座とかぶってさえいなければ、何回でも通いたいと思っていたのに。
…そんな私でも、あやうく置いていかれてしまいそうな、熱い熱い客席でした。
アンソニーは、何年か前にRENTコンサートのために来日したときに観ているのですが。
さすがに、 本気で役作りしてマークとして舞台に立つと、まるっきり別人ですね。あのときは、あくまで“アンソニー・ラップ”だったんだなあ。
いやはや、本当に素晴らしかった!
アダムは、ディズニーミュージカル「アイーダ」のラダメス役(オリジナルキャスト)を観ているのですが、音域の広い美声は相変わらずで素晴らしかった!個人的には、アダム自身にはロジャーよりラダメスの方がキャラが合っていると思っているんですが。…先に観たせいでしょうか。
セットや演出はオリジナルのまま。劇場に入った瞬間、すごい懐かしさを感じました。先年クリエで上演したときは、新演出でしたから。
私はどちらの演出も同じくらい好きですけど、やっぱり、あのワイヤーのセットにクリスマスの灯が点るところとか、オリジナルのセットの素晴らしさってあるんですよ。
…新演出で、コリンズが「I’ll Cover You」リプライズを歌う後ろで、エンジェルがゆっくりと階段をあがっていく演出は凄く好きだったなあ……(T_T)(オリジナルでは、舞台の後ろを上手袖にハケていくだけ)
今回の公演は、正直なところ、大半の客がアンソニーとアダム目当てで、他のキャストはあまり気にしてなかったと思うのですが、どちらかというと、女性陣のレベルが高くて印象に残りました。
中でも、ミミ役のレクシー・ローソンが素晴らしく美人で、体つきも色っぽいのに、完璧な“少女”で(*^_^*)。
ひたむきで不安げで、守ってあげたくなるような、すごく好きなミミだった(はぁと)
モーリーンは派手な美人でスタイル抜群、ジョアンナは美人じゃないけど地に足のついた理知的なタイプで、かなりいいコンビ。
アンサンブルの女性陣も、「Seasons of Love」のソリストをはじめ、皆さん素敵でした♪
「Seasons of Love」のソリストが、ちゃんとゴスペルシンガーだったのは嬉しかったなあ♪そうこなくっちゃ!!という感じでした。
あと、アレクシー役が日本人(高良結香)だったのですが、凄く小柄で可愛らしいので、浮浪者役のときはどう見ても“浮浪児”で(汗)。
そういう狙いか?と思うほど、ガブローシュそのものでした。
本国では「コーラスライン」のメインに入っていた(←コニー?)のに、わざわざオーディションを受けてこちらのアンサンブルに入った以上、相当なRENT HEADSなんでしょうし、実際アレクシーの芝居はもの凄く良かったのですが……
…ライフ・カフェの場面のビキニみたいな衣装とか、もうちょっとなんとかならなかったのか、と問いたい……。
男性陣は、よくも悪くもアンソニーとアダムが圧倒的すぎて、ベニーがかろうじて対抗(年の功?)、コリンズとエンジェルは勝負にならない、という印象f^_^;
これから、公演回数を重ねて、変わっていくのでしょうね。ああ、やっぱりもう一回観たいなあ…(↓)。
…なにはともあれ。
アンソニー・ラップのマーク・コーエンを生で観ることができた幸せ、を、
この胸に抱きしめて。
.
ブロードウェイ オリジナルキャストのアンソニー・ラップ(マーク役)、アダム・パスカル(ロジャー役)の2トップが揃った、ドリームツアー。
一言で言うなら、
まさしく「RENT HEADSたちの祭典」でした。
いやー。
開幕前の、ミュージシャンが出て来た瞬間に沸き起こった拍手とか。
ミュージカルナンバーすべてがショーストップだったりとか。
…なんかもう、ホントにお祭りだった(汗)。
私もそれなりにRENT HEADで、今回のツアーはホントに楽しみにしていて。
博多座とかぶってさえいなければ、何回でも通いたいと思っていたのに。
…そんな私でも、あやうく置いていかれてしまいそうな、熱い熱い客席でした。
アンソニーは、何年か前にRENTコンサートのために来日したときに観ているのですが。
さすがに、 本気で役作りしてマークとして舞台に立つと、まるっきり別人ですね。あのときは、あくまで“アンソニー・ラップ”だったんだなあ。
いやはや、本当に素晴らしかった!
アダムは、ディズニーミュージカル「アイーダ」のラダメス役(オリジナルキャスト)を観ているのですが、音域の広い美声は相変わらずで素晴らしかった!個人的には、アダム自身にはロジャーよりラダメスの方がキャラが合っていると思っているんですが。…先に観たせいでしょうか。
セットや演出はオリジナルのまま。劇場に入った瞬間、すごい懐かしさを感じました。先年クリエで上演したときは、新演出でしたから。
私はどちらの演出も同じくらい好きですけど、やっぱり、あのワイヤーのセットにクリスマスの灯が点るところとか、オリジナルのセットの素晴らしさってあるんですよ。
…新演出で、コリンズが「I’ll Cover You」リプライズを歌う後ろで、エンジェルがゆっくりと階段をあがっていく演出は凄く好きだったなあ……(T_T)(オリジナルでは、舞台の後ろを上手袖にハケていくだけ)
今回の公演は、正直なところ、大半の客がアンソニーとアダム目当てで、他のキャストはあまり気にしてなかったと思うのですが、どちらかというと、女性陣のレベルが高くて印象に残りました。
中でも、ミミ役のレクシー・ローソンが素晴らしく美人で、体つきも色っぽいのに、完璧な“少女”で(*^_^*)。
ひたむきで不安げで、守ってあげたくなるような、すごく好きなミミだった(はぁと)
モーリーンは派手な美人でスタイル抜群、ジョアンナは美人じゃないけど地に足のついた理知的なタイプで、かなりいいコンビ。
アンサンブルの女性陣も、「Seasons of Love」のソリストをはじめ、皆さん素敵でした♪
「Seasons of Love」のソリストが、ちゃんとゴスペルシンガーだったのは嬉しかったなあ♪そうこなくっちゃ!!という感じでした。
あと、アレクシー役が日本人(高良結香)だったのですが、凄く小柄で可愛らしいので、浮浪者役のときはどう見ても“浮浪児”で(汗)。
そういう狙いか?と思うほど、ガブローシュそのものでした。
本国では「コーラスライン」のメインに入っていた(←コニー?)のに、わざわざオーディションを受けてこちらのアンサンブルに入った以上、相当なRENT HEADSなんでしょうし、実際アレクシーの芝居はもの凄く良かったのですが……
…ライフ・カフェの場面のビキニみたいな衣装とか、もうちょっとなんとかならなかったのか、と問いたい……。
男性陣は、よくも悪くもアンソニーとアダムが圧倒的すぎて、ベニーがかろうじて対抗(年の功?)、コリンズとエンジェルは勝負にならない、という印象f^_^;
これから、公演回数を重ねて、変わっていくのでしょうね。ああ、やっぱりもう一回観たいなあ…(↓)。
…なにはともあれ。
アンソニー・ラップのマーク・コーエンを生で観ることができた幸せ、を、
この胸に抱きしめて。
.
マランドロたちのオペラ
2009年7月31日 ミュージカル・舞台東京芸術劇場中ホールにて、「オペラ・ド・マランドロ」を観劇してまいりました。
ブレヒトの「三文オペラ」を原作とする作品は数多くありますが、これはブラジルの著名な作曲家シコ・ブアルキによる「ならず者のオペラ」。
日本版の脚本は鈴木勝秀、演出は荻田浩一、主催はアトリエ・ダンカン。
「マランドロ」は、ブラジル語で「ごろつき」「ならず者」という意味になるようですが、作品から受けた印象としては、もう少し愛のある言葉だったような気がします。「ろくでなし」とか、そんな感じ。
1941年、リオデジャネイロ。
1930年代後半から、独裁者ヴァルガスを中心に中央集権、ファシズムに向かっていたブラジル政府がナチス政権支持の声明を発表し、戦争に向かってまっしぐらに向かっていく、そんな時代。
マランドロたちの首魁マックス(別所哲也/マクヒース)は、娼婦マルゴ(マルシア/ジェニー+ルーシー・ロキット)のヒモ。マルゴに子供が出来たと聞いたマックスは、結婚の口約束をし、金を受け取って立ち去る。
その裏で、資産家で娼舘を営むシュトリーデル(小林勝也/ピーチャム氏、夫人は杜けあき)の娘・ルー(石川梨華/ポリー)と密かに結婚式をあげるマックス。
怒り心頭のシュトリーデル夫妻は、マックスの幼馴染で今は刑事(?)のタイガー(石井一孝/ロキット氏)にマックスを逮捕するように命じる……。
役者名の後ろは、「ベガーズオペラ」での役名です。
作品全体をブラジルの慈善団体「シングルマザーの家(代表:杜けあき)」のチャリティー公演、という枠に納めた形式の脚本は、もともとそういう形なのかな?ベガーズオペラもそうでしたし。
もともと、ラストのハッピーエンドが非常に唐突なので、こういう理屈づけもあるんだなあ、と納得しました。
あと、大きな役の中では、タイガーの娘が出てこなくて、彼女の役割(マクヒースの子供ができる&牢獄でポリーと鉢合わせして大喧嘩する)と、は娼婦マルゴがやっていました。確かに、女が三人居ると混乱するので、二人の方がすっきりしていたかも……。
で、マクヒースを裏切る娼婦ジェニーの役割を、ゲイでマックスの部下のジェニ(田中ロウマ)がやっていて、ブラジル流の面白い解釈だな、と思いました。
宝塚花組で上演された「SPEAKEASY」では、二番手の愛華みれさんがピーチャム役でしたが、今回は完全に、石井さん、が演じたタイガーが準主役。それ自体は別に違和感は無かったです。
タイガーがマックスの昔馴染み、というネタは、原作にある設定なのでしょうか?すみません、ちょっと記憶にない……。
タイガーがシュトリーデルの脅迫に屈する最大の原因が「昔はマランドロの仲間だった」ことをバラされたくない、という思いと、女(マルゴ)の存在である、という理由付けがはっきりしていたのも解りやすかったです。作品として、それがいいか悪いかは別として、すごく「解りやすい」脚本でした。
「三文オペラ」は、とにかく登場人物が多くて一回では飲み込めない部分があったので、解りやすくてよかったと思います。
ただ、やっぱりああいう猥雑さというか、いろんな人間関係が入り組んでごちゃごちゃしている中での感情の行き違いみたいな厚みは、弱くなってしまった……かもしれません。
荻田さんの演出は、脚本の面白さを前面に出して、あまり奇を衒わずシンプルでストレート。
随所に荻田さんらしいなあと思うところもありましたが、全体に登場人物の内面描写を重視して、閉塞感のある丁寧なつくりでした。
ただ。
一場面でもいいから、舞台全体を広く使う開放的な場面をいれると、あの閉塞感がもっと生きると思うんですが……。
もともと彼は、わりと大きなセットで舞台を埋めて、閉じられた小さな空間で芝居を作るのが好きなタイプの演出家なんですよね。「凍てついた明日」初演なんかは、芝居をする空間をごく小さくして、そのかわりに「オーディエンス」という役を置いて空間を囲む、という手に出ていたし。
ショーでは、あの広い宝塚大劇場の舞台の端から端まで&銀橋や花道まで、広々と使っていろんな物語を同時進行させていた人ですが、芝居で使う空間は、集中度を増すために小さくなりがち。
最初から最後まで、ごちゃごちゃと大きなセットが舞台の左右を占拠して、せっかく中ホールでやっているのに、小ホールよりもっと小さい舞台面しか使っていなかったと思う。
時代の閉塞感、登場人物の立場(差別される側)からくる夢のなさ、将来への夢の無さという閉塞感を出すには直感的にわかりやすいセットなのですが、いかんせん、一度もそれがハケないので、「本来はもっと広い世界にいける連中なのに、ここに閉じこもっている」という風には伝わらず、そもそも世界が広いという事実を知らない連中、というふうに見える。
……まぁ、それはそういう狙いなのかもしれませんが、あの舞台世界に入ってしまうと、観客も世界が広いことを忘れてしまうので、勿体無いと思うんです。
せっかく、マックスの仲間たちとして DIAMOND☆DOGSが全員出演しているんだから、一場面だけでも舞台全体使って思いっきり躍らせてやってほしかった……。
いや、それはもちろん、ちょこっと踊る振りがどれも粋で格好良かったんですけどね(^ ^;、
フィナーレじゃなくて、芝居の中で、一場面くらいセットを飛ばして欲しかったなあ、と。
「蜘蛛女のキス」の時も思ったのですが。
あの、閉塞感へのこだわりというのは荻田さんの個性なので、あれはあれで良いと思うんですけどね。ただ、やっぱり彼のショーが良かったのは、広い舞台を使い切る場面もちゃんと入れていたからだと思うんですよね。バリエーションがあってこそ、ポイントが生きるわけですから。
観客の立場としても、あれだけのダンサーが出ているミュージカルなんだからダンスシーンを期待してしまいますし。
せっかく才能に溢れた演出家なので、小さな世界に閉じこもることなく、(宝塚を離れても)広い舞台を使い切ることを忘れないで世界構築をしてほしいな、と思います。
それから、もう一つ面白かったのが、ルーのキャラクター。
可愛らしくて気が強い、普通の女の子、だと思っていたのですが……
むしろ、「ユーリンタウン」のヒロイン・ホープのようなキャラクターだったので吃驚しました。
マックスの妻として“事業”を引継ぎ、「表の家業」に変えていこうとする。
が、何もわかっていない強引な手段でマランドロたちの反発を招き、最終的には彼らを解雇して自分自身もマックスも窮地に陥れる。その先の見えなさというか、思いこみの激しさというか……彼女自身が必死であればあるほど、哀れで、そして、滑稽で。
女性であるルー、マルゴ、娼婦たち。
ゲイであるジェニ。
戦争へ向かうファシズムの中で、最初に切り捨てられるのは弱き者たち。彼女たちは無条件に差別され、蔑まれ、才能を認めらずに全てを奪われていく。
ユダヤ系であるシュトリーデルもある意味その仲間なのだけれども、彼はうまく立ち回って抑圧する側に回っているんですね。そのあたりの皮肉がきいていて、苦い物語でした。
別所さんは、男前。
調子が良くていい加減でハンサム。歌もさすがで、良かったと思います。公演が始まってからすぐに観たので、もう少し上演回数を重ねれば、バルジャン以来のヒットになるかも。
ただ、もうちょっと熱量があると、あの物語を支配下におさめることができると思うんですが。ちょっと二枚目すぎて大人しかった印象。マランドロというよりジゴロみたいな感じでした。
石井さんは、嵌り役(^ ^)。
生まれながらのタイガーでした……似合いすぎる。いやー、「蜘蛛女のキス」の主役・モリーナといい、荻田さんの信頼がありますね。むしろ彼に合わせて周りを演出したんじゃないかと思うくらい、自然にブラジル人で(汗)、ほんとうに良かった!!
マルシアは、ある意味主役だった!
マルシアと石井さんが並ぶと、ブラジルの空気が流れ出す気がしました。素晴らしかった!!
石川梨華さんは、回りのメンバーと全く空気が違うのが、良い意味で嵌っていたと思います。
これだけ持っている雰囲気が回りと違うと、こういうそもそも浮いた役が似合うなあ、と思います。この人は、回数を重ねて周りと馴染んでしまう前に観たほうがいいかもしれません(^ ^;
小林勝也さんは、文句なしの達者さ。
杜けあきさんは、新境地でした。いやー、最高だった!!杜さんを観るためだけに観にいっても、悔いは無いと思います☆お勧め☆
田中ロウマさんは、似合ってたなあ。「RENT」のエンジェルより、こういう毒々しいキャラクターの方が似合うような気がしました。
次は、ふつうの男の子の役も観てみたいなあ。そして、この役は一度新納くんで観てみたい、かも(*^ ^*)。
マランドロたちは、Diamond☆DOGSのメンバー。
それぞれにキャラクターがあって、グループ芝居をしていたんですが。リーダーの東山さんを中心に、がんばってました♪ 回数を重ねれば、また盛り上がってくるんだろうなあ…。
娼婦たちは、小此木麻理、岡本茜、荒木里佳、JuNGLEの4人。それぞれに個性的なキャラ付けがあって、もちろん役に合わせて役者を選んだんでしょうけれども、すごいぴったりでした。
小此木麻理ちゃんが可愛くて巧くて、大人になったなあ~と感慨深かったです。ここ最近あまり観ていなかったのですが、やっぱり可愛いなあ♪
そして、お目当ての一人だった岡本茜ちゃんが、娼婦のあちこち剥き出しな(汗)衣装でずーっと居てくれて、とても眼福で幸せでした(はぁと)
物語としても面白く、実力者ぞろいで、よくできた作品でした。
アトリエ・ダンカン、最近面白い企画が続いてますね♪これからも期待しています(^ ^)
.
ブレヒトの「三文オペラ」を原作とする作品は数多くありますが、これはブラジルの著名な作曲家シコ・ブアルキによる「ならず者のオペラ」。
日本版の脚本は鈴木勝秀、演出は荻田浩一、主催はアトリエ・ダンカン。
「マランドロ」は、ブラジル語で「ごろつき」「ならず者」という意味になるようですが、作品から受けた印象としては、もう少し愛のある言葉だったような気がします。「ろくでなし」とか、そんな感じ。
1941年、リオデジャネイロ。
1930年代後半から、独裁者ヴァルガスを中心に中央集権、ファシズムに向かっていたブラジル政府がナチス政権支持の声明を発表し、戦争に向かってまっしぐらに向かっていく、そんな時代。
マランドロたちの首魁マックス(別所哲也/マクヒース)は、娼婦マルゴ(マルシア/ジェニー+ルーシー・ロキット)のヒモ。マルゴに子供が出来たと聞いたマックスは、結婚の口約束をし、金を受け取って立ち去る。
その裏で、資産家で娼舘を営むシュトリーデル(小林勝也/ピーチャム氏、夫人は杜けあき)の娘・ルー(石川梨華/ポリー)と密かに結婚式をあげるマックス。
怒り心頭のシュトリーデル夫妻は、マックスの幼馴染で今は刑事(?)のタイガー(石井一孝/ロキット氏)にマックスを逮捕するように命じる……。
役者名の後ろは、「ベガーズオペラ」での役名です。
作品全体をブラジルの慈善団体「シングルマザーの家(代表:杜けあき)」のチャリティー公演、という枠に納めた形式の脚本は、もともとそういう形なのかな?ベガーズオペラもそうでしたし。
もともと、ラストのハッピーエンドが非常に唐突なので、こういう理屈づけもあるんだなあ、と納得しました。
あと、大きな役の中では、タイガーの娘が出てこなくて、彼女の役割(マクヒースの子供ができる&牢獄でポリーと鉢合わせして大喧嘩する)と、は娼婦マルゴがやっていました。確かに、女が三人居ると混乱するので、二人の方がすっきりしていたかも……。
で、マクヒースを裏切る娼婦ジェニーの役割を、ゲイでマックスの部下のジェニ(田中ロウマ)がやっていて、ブラジル流の面白い解釈だな、と思いました。
宝塚花組で上演された「SPEAKEASY」では、二番手の愛華みれさんがピーチャム役でしたが、今回は完全に、石井さん、が演じたタイガーが準主役。それ自体は別に違和感は無かったです。
タイガーがマックスの昔馴染み、というネタは、原作にある設定なのでしょうか?すみません、ちょっと記憶にない……。
タイガーがシュトリーデルの脅迫に屈する最大の原因が「昔はマランドロの仲間だった」ことをバラされたくない、という思いと、女(マルゴ)の存在である、という理由付けがはっきりしていたのも解りやすかったです。作品として、それがいいか悪いかは別として、すごく「解りやすい」脚本でした。
「三文オペラ」は、とにかく登場人物が多くて一回では飲み込めない部分があったので、解りやすくてよかったと思います。
ただ、やっぱりああいう猥雑さというか、いろんな人間関係が入り組んでごちゃごちゃしている中での感情の行き違いみたいな厚みは、弱くなってしまった……かもしれません。
荻田さんの演出は、脚本の面白さを前面に出して、あまり奇を衒わずシンプルでストレート。
随所に荻田さんらしいなあと思うところもありましたが、全体に登場人物の内面描写を重視して、閉塞感のある丁寧なつくりでした。
ただ。
一場面でもいいから、舞台全体を広く使う開放的な場面をいれると、あの閉塞感がもっと生きると思うんですが……。
もともと彼は、わりと大きなセットで舞台を埋めて、閉じられた小さな空間で芝居を作るのが好きなタイプの演出家なんですよね。「凍てついた明日」初演なんかは、芝居をする空間をごく小さくして、そのかわりに「オーディエンス」という役を置いて空間を囲む、という手に出ていたし。
ショーでは、あの広い宝塚大劇場の舞台の端から端まで&銀橋や花道まで、広々と使っていろんな物語を同時進行させていた人ですが、芝居で使う空間は、集中度を増すために小さくなりがち。
最初から最後まで、ごちゃごちゃと大きなセットが舞台の左右を占拠して、せっかく中ホールでやっているのに、小ホールよりもっと小さい舞台面しか使っていなかったと思う。
時代の閉塞感、登場人物の立場(差別される側)からくる夢のなさ、将来への夢の無さという閉塞感を出すには直感的にわかりやすいセットなのですが、いかんせん、一度もそれがハケないので、「本来はもっと広い世界にいける連中なのに、ここに閉じこもっている」という風には伝わらず、そもそも世界が広いという事実を知らない連中、というふうに見える。
……まぁ、それはそういう狙いなのかもしれませんが、あの舞台世界に入ってしまうと、観客も世界が広いことを忘れてしまうので、勿体無いと思うんです。
せっかく、マックスの仲間たちとして DIAMOND☆DOGSが全員出演しているんだから、一場面だけでも舞台全体使って思いっきり躍らせてやってほしかった……。
いや、それはもちろん、ちょこっと踊る振りがどれも粋で格好良かったんですけどね(^ ^;、
フィナーレじゃなくて、芝居の中で、一場面くらいセットを飛ばして欲しかったなあ、と。
「蜘蛛女のキス」の時も思ったのですが。
あの、閉塞感へのこだわりというのは荻田さんの個性なので、あれはあれで良いと思うんですけどね。ただ、やっぱり彼のショーが良かったのは、広い舞台を使い切る場面もちゃんと入れていたからだと思うんですよね。バリエーションがあってこそ、ポイントが生きるわけですから。
観客の立場としても、あれだけのダンサーが出ているミュージカルなんだからダンスシーンを期待してしまいますし。
せっかく才能に溢れた演出家なので、小さな世界に閉じこもることなく、(宝塚を離れても)広い舞台を使い切ることを忘れないで世界構築をしてほしいな、と思います。
それから、もう一つ面白かったのが、ルーのキャラクター。
可愛らしくて気が強い、普通の女の子、だと思っていたのですが……
むしろ、「ユーリンタウン」のヒロイン・ホープのようなキャラクターだったので吃驚しました。
マックスの妻として“事業”を引継ぎ、「表の家業」に変えていこうとする。
が、何もわかっていない強引な手段でマランドロたちの反発を招き、最終的には彼らを解雇して自分自身もマックスも窮地に陥れる。その先の見えなさというか、思いこみの激しさというか……彼女自身が必死であればあるほど、哀れで、そして、滑稽で。
女性であるルー、マルゴ、娼婦たち。
ゲイであるジェニ。
戦争へ向かうファシズムの中で、最初に切り捨てられるのは弱き者たち。彼女たちは無条件に差別され、蔑まれ、才能を認めらずに全てを奪われていく。
ユダヤ系であるシュトリーデルもある意味その仲間なのだけれども、彼はうまく立ち回って抑圧する側に回っているんですね。そのあたりの皮肉がきいていて、苦い物語でした。
別所さんは、男前。
調子が良くていい加減でハンサム。歌もさすがで、良かったと思います。公演が始まってからすぐに観たので、もう少し上演回数を重ねれば、バルジャン以来のヒットになるかも。
ただ、もうちょっと熱量があると、あの物語を支配下におさめることができると思うんですが。ちょっと二枚目すぎて大人しかった印象。マランドロというよりジゴロみたいな感じでした。
石井さんは、嵌り役(^ ^)。
生まれながらのタイガーでした……似合いすぎる。いやー、「蜘蛛女のキス」の主役・モリーナといい、荻田さんの信頼がありますね。むしろ彼に合わせて周りを演出したんじゃないかと思うくらい、自然にブラジル人で(汗)、ほんとうに良かった!!
マルシアは、ある意味主役だった!
マルシアと石井さんが並ぶと、ブラジルの空気が流れ出す気がしました。素晴らしかった!!
石川梨華さんは、回りのメンバーと全く空気が違うのが、良い意味で嵌っていたと思います。
これだけ持っている雰囲気が回りと違うと、こういうそもそも浮いた役が似合うなあ、と思います。この人は、回数を重ねて周りと馴染んでしまう前に観たほうがいいかもしれません(^ ^;
小林勝也さんは、文句なしの達者さ。
杜けあきさんは、新境地でした。いやー、最高だった!!杜さんを観るためだけに観にいっても、悔いは無いと思います☆お勧め☆
田中ロウマさんは、似合ってたなあ。「RENT」のエンジェルより、こういう毒々しいキャラクターの方が似合うような気がしました。
次は、ふつうの男の子の役も観てみたいなあ。そして、この役は一度新納くんで観てみたい、かも(*^ ^*)。
マランドロたちは、Diamond☆DOGSのメンバー。
それぞれにキャラクターがあって、グループ芝居をしていたんですが。リーダーの東山さんを中心に、がんばってました♪ 回数を重ねれば、また盛り上がってくるんだろうなあ…。
娼婦たちは、小此木麻理、岡本茜、荒木里佳、JuNGLEの4人。それぞれに個性的なキャラ付けがあって、もちろん役に合わせて役者を選んだんでしょうけれども、すごいぴったりでした。
小此木麻理ちゃんが可愛くて巧くて、大人になったなあ~と感慨深かったです。ここ最近あまり観ていなかったのですが、やっぱり可愛いなあ♪
そして、お目当ての一人だった岡本茜ちゃんが、娼婦のあちこち剥き出しな(汗)衣装でずーっと居てくれて、とても眼福で幸せでした(はぁと)
物語としても面白く、実力者ぞろいで、よくできた作品でした。
アトリエ・ダンカン、最近面白い企画が続いてますね♪これからも期待しています(^ ^)
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ライブ in クリエ
2009年7月28日 ミュージカル・舞台 コメント (2)シアタークリエにて、『戸井勝海&辛島小恵joint live with石井一彰 「Welcome to Musical Tour!」』を観てまいりました。
東宝芸能所属の俳優たちが、さまざまなパフォーマンスを見せる、一夜かぎりの夢の舞台。
26日から31日までいろんな方がやられていて、26日の高橋由美子さんから始まって今日が三日目。出演者は、戸井勝海、辛島小恵、石井一彰のお三方。
ミュージカル界ではそれなりに知名度もあるメンバーで、ミュージカルの名曲を歌いまくろう、という企画。
企画・制作・主催は東宝芸能。
おそらくは。
宝塚でいう、「イゾラベッラ・サロン・コンサート」みたいな企画なのかな、と思いました。いや、イゾラベッラコンサートは行ったことないんですけど(汗)、演出家は無しで、プロデューサーと、制作のいろんな手配をする担当者はいるけれども、どんなパフォーマンスをするか、どんな歌を歌って、どう動いて……みたいなのはある程度出演者に任されていた感じ。
こんなコンサートがあること自体全く知らなかったので、週末に観た「サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ」で配布されていたチラシの束の中にこの案内を発見したときは仰天しました。これでも一応、戸井さんはチェックしていたつもりだったのにぃ(T T)。
なんとか仕事を抜けられたので行っちまえ!と思って行ってまいりましたが、実力派ぞろいでなかなか面白いコンサートでした。
もうちょっと、ちゃんと心構えをもってじっくり聴きにいきたかったです(汗)。
1997年から「レ・ミゼラブル」に参加し、2001年までにグランテール・コンブフェール・マリウスと三役を演じた戸井勝海。(その後、コンサートツアーにもマリウス役で参加)
2007年の「レ・ミゼラブル」にコゼット役で参加した辛島小恵。
同じく、2007年の「レ・ミゼラブル」フィイ役でデビューした石井一彰。
歌唱力も表現力も半端ない、なかなかいい組み合わせで、実のあるコンサートでした(はぁと)
しかし。
お願いですから、こういうキャストでコンサートをやらせる場合は、司会をつけるか、きちんと喋れる人をまぜてあげていただけませんか。
とにかく、キャリアも年齢も一番上だからって、戸井さんに喋らせるな。無理なものは無理なんだから。あの人は、きちんと脚本を与えて役作りさせるか、歌だけ歌わせておけばいいんです。ファンの集いと公式のコンサートの区別がつかない子供みたいな人なんだから、フォローしてあげてほしい(汗)。
なんて。いきなりちょっと文句モードに入ってしまいましたが、歌は文句無く素晴らしかったです。
曲目リストが無かったので、印象に残った曲だけになりますが。
「This is the Moment」(ジキル&ハイド)を聴くことができて、とても幸せです。
昔から、戸井さんに一度歌ってほしいと思い続けていた曲の一つだったので。
ラストの方で辛島さんと歌った「Take Me As I Am」も素晴らしかった!ワイルドホーンのナンバーは、戸井さんの鋼のように強くもなり、薄衣のように軽やかにもなれる幅の広い声に、よく似合うんです。私の夢は「スカーレット・ピンパーネル」のショーヴランのナンバー、とくに「マダム・ギロチン」を戸井さんの声で聴きたい!というものなので、いつか夢が叶ったら嬉しいなあ……
あと、特に希望してはいなかったのですが、予想外に素晴らしくて感動したのが、辛島さんとデュエットした「Phantom Of The Opera」(オペラ座の怪人)。「Music Of The Night」を歌う戸井さんはあまり想像ができませんが(あまり甘い声ではないので…)、そういえばこのテーマ曲とか、「The Point Of No Return」はいかにも似合うなあ(*^ ^*)。
あまり大型ミュージカルのメインキャストをはったことが無い人なので、持ち歌は少ないんですが、あえて「Empty Chairs at Empty Tables」(レ・ミゼラブル)を歌わなかったことは評価したいです。そのかわりに歌った「STARS」は、今後に繋がるといいなあ、と思わせる出来でした。
持ち歌といえるのは、「I Love You~愛の果ては?~」のナンバーくらいだったかな?あれはもう、さすがの一言ですね。全体通して、やっぱり持ち歌は違うな、と思いました。あれはいい作品だったのでもう一度観たいんですけどねぇ……初演のメンバーがあまりにもハマっていたから、再演は難しいんだろうなあ……。
「Bui Doi」(ミス・サイゴン)は、舞台でジョンを演じたことはないけど、ある意味持ち歌なんですよね。何度か聴いていますが、今回が一番良かったかなあ。久しぶりに鳥肌がたちました(*^ ^*)。
「アンセム」(チェス)は、ここ数年、お気に入りみたいで何かと言うと締めに歌っていらっしゃる曲ですが、だいぶ持ち歌っぽくなりましたね。緩急の付け方とか。歌詞を大切に、一言一言を芝居のように表現するのが、同じ歌を持ち歌みたいにしている岡幸二郎さんとの違いなんですが、良い歌だなあ、と毎回思います。
あとは何か歌ったっけ……?(記憶障害)。すみません!!覚えてないよー(T T)。
あ。幕開きのメドレーに続けて、「君住む街」(マイ・フェア・レディ)と「夜のボート」(エリザベート。辛島さんと)を歌ってたのを思い出した。そのくらいかな?(←すごくあやしい)
非常に残念だったのは、今回石井さんが「サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ」の公演中ということで、あまりお稽古もできなかったらしく、戸井さんと石井さんのデュエット、っていうのが無かったんですよね。
「モーツァルト!」のヴォルフとレオポルドのナンバーとか、「闇は広がる」とか、そういう男性二人のデュエットを聴いてみたかったなあ、と思いました。
辛島さんは、私もこの日記でその歌を絶賛したことがあるような気がしますが、2007年にコゼットでミュージカルデビューするまで、オペラ界を目指していた方。今回もさすがの歌声でした。
一番感動したのは、バーンスタインの名作「キャンディード」より、「着飾って、きらびやかに」。これはもう、本当に素晴らしかった!!稽古場で男二人が“ぽかぁん”と口をあけて聞き入ってしまう、というのも納得でした。歌も素晴らしかったけど、とにかくパフォーマンスとして素晴らしい。どんなキャラクターの、どんな場面なのか、「キャンディード」という作品を観たことがなくてもすんなり理解できてしまいそうな表現力でした。
この次に歌った「Take Me As I Am」もやわらかな響きに包容力があってよかったですし、後半はとにかく良かったです。ただ、残念ながら前半は、五線譜を超えた高音になると急に響きが低めになってしまって……聴かせどころの音域でピッチが低くなるので、ビブラートでぶれてしまったり、ピタッとこないもどかしさがありました。特に残念だったのは「Phantom Of The Opera」のオブリガード。オペラ歌手が歌うクリスティーヌって滅多に聴けないので、すごく楽しみにしていたのですが……(↓)しょぼん。
……なんでかなあ。緊張していらっしゃったのでしょうか。
それがあったので、余計にキャンディードの名唱とその後に歌った数曲の見違えるような煌びやかさに感動したんですけれども(汗)(←計算?)
途中、「クラシックを勉強していた自分の背景とつながるものを」ということで、A. L=ウェッバーの「レクイエム」より「Pie Jesus」と「Time To Say Goodbye」を歌われましたが。
どちらも大好きな曲なので、調子が万全の時に聴きたかったなあ(T T)。
彼女自身のラスト一曲に選んだのが、ミス・サイゴンの「命をあげよう」だったのは意外でした。あの歌は、もっと強い声の人でないと映えないので。
メロディラインをキレイに聞かせる歌唱はさすがでしたが、私は、せっかく彼女が万感こめて歌うなら、シェーンベルクならせめてファンティーヌが聴きたかったし、希望を書いていいなら、“クリスティーヌのナンバー”、ロイド・ウェッバー版の「Think Of Me」か、コーピット版の「Melody」とか「My True Love」を歌ってほしかったです…。
石井一彰さんは、幕開きのメドレーの後の最初の一曲が「Maria」(ウェストサイドストーリー)。あと、「ライト・イン・ザ・ピアッツァ」の歌と、辛島さんと「愛していればわかりあえる」、ソロで「残酷な人生」(モーツァルト)……だけだったかな?とにかく、彼は現在公演中ということで、出番も少なめだったし歌も少なかったんですよね。
しかし、美形だしスタイルが良くて(戸井さんがすごくおじさんに見えたわ…/涙)声も良い。なかなか存在感があって、華やかな人でした。マリウスもアンジョルラスも出来そうだし、ルドルフなんかも(軍服が)似合いそう。ヴォルフも悪くなかったし、すごく正統派の二枚目になりそうで、東宝ミュージカルアカデミーもいい人材を育てましたねぇ♪ これからの活躍が、凄く楽しみです♪
戸井さんがカフェ・ソングを歌わなかったので、彼が歌うのかなあ?と思ったのですが、残念ながらやらなかったですね。聴きたかったなー。「Why God, Why?」とかも似合うんじゃないかと思うんですよね。トゥイは持ち歌がないから残念だなあ。
若手の二枚目俳優は、井上・浦井、それに続くマリウス陣といっぱいいるので、そう簡単に役がもらえるものではないのかもしれませんが、将来有望な実力派の二枚目だと思うので、がんばってほしい!
感想の最初に、トーク(というか、進行)のぐだぐださについて書かせていただきましたが。
本音を言えば、このコンサートの最大の“もったいない”は、演出家がいなかったことだと思います。
誰がトークを仕切って進行をコントロールするか、っていうのも、ある程度演出家が台本を作ってあげればなんとかなったろうし。コンサート全体を見渡して構成を考える人がいなかったのが残念。
だって。
歌のプロである三人(特に戸井さんと辛島さん)のコンサートのラストを、ボディーパフォーマンスメインの「I GOT RYTHEM」で締めるなんて、あり得ない!
ボディーパーカッションに三人で初挑戦するのは良いと思うんです。がんばってたし、楽しかった。
でも、プロなら、自分の専門じゃないモノをラストには持って来ないはず。挑戦系のパフォーマンスは、オープニングの次くらいに持って来るのが当たり前です。
で、ラストは一番得意なもので締める。それが普通です。終わりよければ全てよし、なんですから。
この三人なら、ありがちですけどうまく編集して「ONE DAY MORE」で盛り上げるとか、そういうのが一番良かったんじゃないかと思うんですよね。カーテンコールもなかったから、なんだか拍子抜けしたまま終わってしまって、残念でした。
コンサート全体の演出を考える人がいなかったのが残念だなあ、というのは、そういうところです。出演者にそういう能力があればいいけど、、、それって歌の実力とは全く違う能力だからなあ(涙)。
……なんて、文句も書いてますけれども、他では聴けない素晴らしい歌を聴くことができて、楽しいコンサートでした。
価格もお手ごろだし、またやってほしいです(^ ^)。東宝芸能さん、よろしくね♪
.
東宝芸能所属の俳優たちが、さまざまなパフォーマンスを見せる、一夜かぎりの夢の舞台。
26日から31日までいろんな方がやられていて、26日の高橋由美子さんから始まって今日が三日目。出演者は、戸井勝海、辛島小恵、石井一彰のお三方。
ミュージカル界ではそれなりに知名度もあるメンバーで、ミュージカルの名曲を歌いまくろう、という企画。
企画・制作・主催は東宝芸能。
おそらくは。
宝塚でいう、「イゾラベッラ・サロン・コンサート」みたいな企画なのかな、と思いました。いや、イゾラベッラコンサートは行ったことないんですけど(汗)、演出家は無しで、プロデューサーと、制作のいろんな手配をする担当者はいるけれども、どんなパフォーマンスをするか、どんな歌を歌って、どう動いて……みたいなのはある程度出演者に任されていた感じ。
こんなコンサートがあること自体全く知らなかったので、週末に観た「サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ」で配布されていたチラシの束の中にこの案内を発見したときは仰天しました。これでも一応、戸井さんはチェックしていたつもりだったのにぃ(T T)。
なんとか仕事を抜けられたので行っちまえ!と思って行ってまいりましたが、実力派ぞろいでなかなか面白いコンサートでした。
もうちょっと、ちゃんと心構えをもってじっくり聴きにいきたかったです(汗)。
1997年から「レ・ミゼラブル」に参加し、2001年までにグランテール・コンブフェール・マリウスと三役を演じた戸井勝海。(その後、コンサートツアーにもマリウス役で参加)
2007年の「レ・ミゼラブル」にコゼット役で参加した辛島小恵。
同じく、2007年の「レ・ミゼラブル」フィイ役でデビューした石井一彰。
歌唱力も表現力も半端ない、なかなかいい組み合わせで、実のあるコンサートでした(はぁと)
しかし。
お願いですから、こういうキャストでコンサートをやらせる場合は、司会をつけるか、きちんと喋れる人をまぜてあげていただけませんか。
とにかく、キャリアも年齢も一番上だからって、戸井さんに喋らせるな。無理なものは無理なんだから。あの人は、きちんと脚本を与えて役作りさせるか、歌だけ歌わせておけばいいんです。ファンの集いと公式のコンサートの区別がつかない子供みたいな人なんだから、フォローしてあげてほしい(汗)。
なんて。いきなりちょっと文句モードに入ってしまいましたが、歌は文句無く素晴らしかったです。
曲目リストが無かったので、印象に残った曲だけになりますが。
「This is the Moment」(ジキル&ハイド)を聴くことができて、とても幸せです。
昔から、戸井さんに一度歌ってほしいと思い続けていた曲の一つだったので。
ラストの方で辛島さんと歌った「Take Me As I Am」も素晴らしかった!ワイルドホーンのナンバーは、戸井さんの鋼のように強くもなり、薄衣のように軽やかにもなれる幅の広い声に、よく似合うんです。私の夢は「スカーレット・ピンパーネル」のショーヴランのナンバー、とくに「マダム・ギロチン」を戸井さんの声で聴きたい!というものなので、いつか夢が叶ったら嬉しいなあ……
あと、特に希望してはいなかったのですが、予想外に素晴らしくて感動したのが、辛島さんとデュエットした「Phantom Of The Opera」(オペラ座の怪人)。「Music Of The Night」を歌う戸井さんはあまり想像ができませんが(あまり甘い声ではないので…)、そういえばこのテーマ曲とか、「The Point Of No Return」はいかにも似合うなあ(*^ ^*)。
あまり大型ミュージカルのメインキャストをはったことが無い人なので、持ち歌は少ないんですが、あえて「Empty Chairs at Empty Tables」(レ・ミゼラブル)を歌わなかったことは評価したいです。そのかわりに歌った「STARS」は、今後に繋がるといいなあ、と思わせる出来でした。
持ち歌といえるのは、「I Love You~愛の果ては?~」のナンバーくらいだったかな?あれはもう、さすがの一言ですね。全体通して、やっぱり持ち歌は違うな、と思いました。あれはいい作品だったのでもう一度観たいんですけどねぇ……初演のメンバーがあまりにもハマっていたから、再演は難しいんだろうなあ……。
「Bui Doi」(ミス・サイゴン)は、舞台でジョンを演じたことはないけど、ある意味持ち歌なんですよね。何度か聴いていますが、今回が一番良かったかなあ。久しぶりに鳥肌がたちました(*^ ^*)。
「アンセム」(チェス)は、ここ数年、お気に入りみたいで何かと言うと締めに歌っていらっしゃる曲ですが、だいぶ持ち歌っぽくなりましたね。緩急の付け方とか。歌詞を大切に、一言一言を芝居のように表現するのが、同じ歌を持ち歌みたいにしている岡幸二郎さんとの違いなんですが、良い歌だなあ、と毎回思います。
あとは何か歌ったっけ……?(記憶障害)。すみません!!覚えてないよー(T T)。
あ。幕開きのメドレーに続けて、「君住む街」(マイ・フェア・レディ)と「夜のボート」(エリザベート。辛島さんと)を歌ってたのを思い出した。そのくらいかな?(←すごくあやしい)
非常に残念だったのは、今回石井さんが「サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ」の公演中ということで、あまりお稽古もできなかったらしく、戸井さんと石井さんのデュエット、っていうのが無かったんですよね。
「モーツァルト!」のヴォルフとレオポルドのナンバーとか、「闇は広がる」とか、そういう男性二人のデュエットを聴いてみたかったなあ、と思いました。
辛島さんは、私もこの日記でその歌を絶賛したことがあるような気がしますが、2007年にコゼットでミュージカルデビューするまで、オペラ界を目指していた方。今回もさすがの歌声でした。
一番感動したのは、バーンスタインの名作「キャンディード」より、「着飾って、きらびやかに」。これはもう、本当に素晴らしかった!!稽古場で男二人が“ぽかぁん”と口をあけて聞き入ってしまう、というのも納得でした。歌も素晴らしかったけど、とにかくパフォーマンスとして素晴らしい。どんなキャラクターの、どんな場面なのか、「キャンディード」という作品を観たことがなくてもすんなり理解できてしまいそうな表現力でした。
この次に歌った「Take Me As I Am」もやわらかな響きに包容力があってよかったですし、後半はとにかく良かったです。ただ、残念ながら前半は、五線譜を超えた高音になると急に響きが低めになってしまって……聴かせどころの音域でピッチが低くなるので、ビブラートでぶれてしまったり、ピタッとこないもどかしさがありました。特に残念だったのは「Phantom Of The Opera」のオブリガード。オペラ歌手が歌うクリスティーヌって滅多に聴けないので、すごく楽しみにしていたのですが……(↓)しょぼん。
……なんでかなあ。緊張していらっしゃったのでしょうか。
それがあったので、余計にキャンディードの名唱とその後に歌った数曲の見違えるような煌びやかさに感動したんですけれども(汗)(←計算?)
途中、「クラシックを勉強していた自分の背景とつながるものを」ということで、A. L=ウェッバーの「レクイエム」より「Pie Jesus」と「Time To Say Goodbye」を歌われましたが。
どちらも大好きな曲なので、調子が万全の時に聴きたかったなあ(T T)。
彼女自身のラスト一曲に選んだのが、ミス・サイゴンの「命をあげよう」だったのは意外でした。あの歌は、もっと強い声の人でないと映えないので。
メロディラインをキレイに聞かせる歌唱はさすがでしたが、私は、せっかく彼女が万感こめて歌うなら、シェーンベルクならせめてファンティーヌが聴きたかったし、希望を書いていいなら、“クリスティーヌのナンバー”、ロイド・ウェッバー版の「Think Of Me」か、コーピット版の「Melody」とか「My True Love」を歌ってほしかったです…。
石井一彰さんは、幕開きのメドレーの後の最初の一曲が「Maria」(ウェストサイドストーリー)。あと、「ライト・イン・ザ・ピアッツァ」の歌と、辛島さんと「愛していればわかりあえる」、ソロで「残酷な人生」(モーツァルト)……だけだったかな?とにかく、彼は現在公演中ということで、出番も少なめだったし歌も少なかったんですよね。
しかし、美形だしスタイルが良くて(戸井さんがすごくおじさんに見えたわ…/涙)声も良い。なかなか存在感があって、華やかな人でした。マリウスもアンジョルラスも出来そうだし、ルドルフなんかも(軍服が)似合いそう。ヴォルフも悪くなかったし、すごく正統派の二枚目になりそうで、東宝ミュージカルアカデミーもいい人材を育てましたねぇ♪ これからの活躍が、凄く楽しみです♪
戸井さんがカフェ・ソングを歌わなかったので、彼が歌うのかなあ?と思ったのですが、残念ながらやらなかったですね。聴きたかったなー。「Why God, Why?」とかも似合うんじゃないかと思うんですよね。トゥイは持ち歌がないから残念だなあ。
若手の二枚目俳優は、井上・浦井、それに続くマリウス陣といっぱいいるので、そう簡単に役がもらえるものではないのかもしれませんが、将来有望な実力派の二枚目だと思うので、がんばってほしい!
感想の最初に、トーク(というか、進行)のぐだぐださについて書かせていただきましたが。
本音を言えば、このコンサートの最大の“もったいない”は、演出家がいなかったことだと思います。
誰がトークを仕切って進行をコントロールするか、っていうのも、ある程度演出家が台本を作ってあげればなんとかなったろうし。コンサート全体を見渡して構成を考える人がいなかったのが残念。
だって。
歌のプロである三人(特に戸井さんと辛島さん)のコンサートのラストを、ボディーパフォーマンスメインの「I GOT RYTHEM」で締めるなんて、あり得ない!
ボディーパーカッションに三人で初挑戦するのは良いと思うんです。がんばってたし、楽しかった。
でも、プロなら、自分の専門じゃないモノをラストには持って来ないはず。挑戦系のパフォーマンスは、オープニングの次くらいに持って来るのが当たり前です。
で、ラストは一番得意なもので締める。それが普通です。終わりよければ全てよし、なんですから。
この三人なら、ありがちですけどうまく編集して「ONE DAY MORE」で盛り上げるとか、そういうのが一番良かったんじゃないかと思うんですよね。カーテンコールもなかったから、なんだか拍子抜けしたまま終わってしまって、残念でした。
コンサート全体の演出を考える人がいなかったのが残念だなあ、というのは、そういうところです。出演者にそういう能力があればいいけど、、、それって歌の実力とは全く違う能力だからなあ(涙)。
……なんて、文句も書いてますけれども、他では聴けない素晴らしい歌を聴くことができて、楽しいコンサートでした。
価格もお手ごろだし、またやってほしいです(^ ^)。東宝芸能さん、よろしくね♪
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座・高円寺にて、ミュージカル「ユーリンタウン」を観劇してまいりました。
世界的な大干ばつに襲われた世界で、水資源をどのように護るか、という物語……なんていう言い方をしたら、全然イメージ違うんですよねぇ……実際、そういう話なんですが(汗)。
2001年にオフ・ブロードウェイで開幕。2002年のトニー賞で、作品賞を含む10部門にノミネートされ、3部門(演出・脚本・楽曲)を獲得した作品。
日本初演は2004年。演出は宮本亜門、劇場は日生劇場でした。
「有料公衆トイレの話」としかあらすじには出てなくて、いったいどんな話なんだろう??とハテナをいっぱい飛ばしながら観にいって、興行側のあまりの作品軽視にあきれ果てて帰った記憶があります。
100歩譲って、宮本亜門はいい。彼は本来、もっとテーマがシンプルで具体的な作品をわかりやすく華やかに演出することが得意な人で、ああいうひねりにひねって最後にとんぼを切って逃げちゃうみたいな作品はいまひとつなことが多いのですが、まぁ、演出の名前で客が呼べる数少ない人の一人だし。
でも、大劇場の真ん中に慣れた、メインキャストの面々。この人たちが日生に集ってトイレの話とか、ありえないから。演出・脚本・楽曲三賞を獲っておきながら、作品賞を逃したのは何故だと思っているんだ(汗)。
なので。
今回の公演は、上演を知ったときからメチャクチャ楽しみにしていました。
元々歌や踊りのある演劇をやっていた流山児★事務所が「ユーリンタウン」に目をつけてくれたか!!と。
いや~、期待以上のできでした♪♪ そうよ、これが私の観たかった、むこうでの劇評を読んで楽しみにしていた「ユーリンタウン」ですよ!!
コメディ仕立てではあるけれども、実際はもの凄く悲惨な話なんですよ。
世界的な大干ばつで、水資源が枯渇しつつある、近未来の地球。
すべての水資源を一括で管理し、使用量を抑えるために、自宅用のトイレを禁止し、すべての用足しは有料の公衆トイレを使わなくてはならなくなっている。
正規の場所以外のところで用足ししたら、“ユーリンタウン(小便街)”へ追放=死刑。
トイレの規制とか、そういうシモの規制っていうのは人間の尊厳に関わる話だから、本来なら規制するとしても最後の最後のはずなんですよね。だけど、たとえばトイレの水は簡単に処理して、何度でもトイレを流すためだけに使う、ってなことを考えるなら、汚物処理装置つきのトイレを少数設定するのが一番効率的。同じ水を繰り返し使うんだから、一日に何回使われても必要な水の量は変わらないし。
そういうことを考えると、割と早い段階でトイレを規制するっていうのはあり得ない話じゃない。
まして、そこに巨大な利権が絡むとなれば。
ただ、市民たちにはあまり詳しい情報を与えていないから、彼らは状況がそこまで深刻であることを知らない。
だから当然、強い反発が生まれる。きっかけ一つで、抑圧された人民はすぐに立ち上がってしまう。
そして。
一度立ち上がってしまえば、そうそう簡単に座りなおすことはできない。
もう公演も終わったから、ネタバレしてしまいますが。
革命のリーダーとなった青年(遠山悠介)が、トイレ(=水資源)を管理するUCC(ウッシッシ)のクラッドウェル社長(塩野谷正幸)の罠にはまって殺された後。
彼の恋人にしてクラッドウェルの娘・ホッピー(関谷春子)は、彼の遺志を継いで革命を続行。自分のIDで平民たちを連れてUCCビルに侵入し、父親を倒します。
こうして革命は成功。彼らは『入りたいときに入りたいだけトイレに入る権利』を得て、じゃんじゃん水を流しまくります。
その結果、どうなるか。
当然、残り僅かだった水資源を僅かな時間で使い切り、彼らは皆、ばたばたと斃れていく……という、ラスト。
「じゃあ、どうすれば良かったのかねぇ?」と、皮肉な口調で尋ねられたような後味。
物語としての結論がないところが、私はとても納得できます。
だって、この物語ってびっくりするほどリアルな問題を扱っているから。ここで、すっきり納得できるような結論があったら、しのごの言わずにそれを今すぐやれっ!!っていう話になるだろうし。
小野不由美さん著「華胥の幽夢」に収録された中篇「華胥」で語られる、「責難は成事にあらず」という言葉を、あらためて思い出しました。
今現在権力を持って事を成そうとしている人(UCC)を非難することはたやすい。だって、現実に今、目の前に困っている人がいるんだもの。
でも、それはただ、彼らが事を成すことを邪魔しているだけで、何一つ解決しない。
ただ、UCCが成した事(トイレの規制)を非難するだけで、否定するだけで、彼らが何故、なんのためにそれを成したのかを理解しようとしない。トイレの規制をすることが何故悪で、それを撤廃したらどういう問題が起こって、その問題を解決するのに「トイレの規制」以外にどんな方法があるのか、そこまで事前に検討してから撤廃しなくてはいけないのに。
クラッドウェルの娘でありながら、ホッピーは全く父親のやっていたことを知らなかった。
利権を独占していたことも知らなかったし、水資源を護っていたことも知らなかった。
……知っていなくてはいけなかったのに。
「水」という限られた資源に対する計画経済社会において、自由主義者たちが反乱を起こしたようにも解釈できるし、
横暴な資本家に対して、労働者が革命を起こしたようにも見える。
いずれにしても、『革命』を起こす当事者たちは、いつだって真剣で、生真面目で、理想に燃えている んですよね。
旧ロシアのボルシェビキたちもそうだっただろうし、
全共闘の闘士たちもそうだったんだろう。
……たぶん。
そして、この「ユーリンタウン」の瀬戸際な労働者たちの希望も、実に生理的に切実でリアルなだけに、外から見ていると非常に滑稽なんですけれども。
でも、彼らが本当に真剣に、生真面目に、理想に燃えて、必死で立ち上がろうとする姿は、ひどく痛々しく響いてくるんですよね。
………でも。
だけど、この革命はうまくいかないだろう、と。……それが、話の途中でも、あからさまにわかってしまうことが、一番の喜劇であり、かつ悲劇でもある。
ラストの皮肉の切れ味が、さすが百戦錬磨な流山児★事務所、見事なものでした。流山児祥さんの手腕は素晴らしい!大劇場では表現の難しい脚本的な難所、皮肉・嫌味・回りくどい説明・ちょっとハズした会話………細かいネタを落とさずにちゃんと拾って組み立ててくれたのが、とても嬉しかった!
なんだか長くなってしまった……。
くだくだと書いてしまいましたが、結論としては「私は今回の公演、すごく面白かった!!再演希望!」ってことで。
最後に、キャストについて、一言ずつ。
名前は、ブロードウェイ版の名前をちょっとずつ変えた名前をつけていたので、そちらで書きます。()の中は、日生劇場版キャスト(わかる人のみ)。
巡査部長ロクスッポ(南原清隆)千葉哲也
すごく良かったです。エリザベートで言えばルキーニみたいな存在(←ちょっと違う)で語り手なんですけど、とにかく存在感があって。彼が居るだけで、あやしげでヤバげな空気が漂うのが素敵だな、と。
最初の語りだし(歌いだし)も彼だし、ラストのオチを語るのも彼だし……。面白い役者でした。
巡査バレバレ()曾我泰久
ロクスッポの部下。ロクスッポと会話しながらいろいろ観客に説明してくれる人。
歌はあまり無かったですが、なかなか良いキャラでした。曾我さんは巧いねー!
ちびサリ(高泉淳子)坂井香奈美 ホームレスの少女
「30歳すぎて九州から出てきて子役だなんてっ!」と自分で言ってらっしゃいましたが(笑)、
自然に子供に見えて、可愛かったですよ?(真顔)。
ちょっと「レ・ミゼラブル」のガブローシュみたいな存在(途中では死なないけど)なんですよね。ロクスッポと会話したり、あちこちで独り言言ったりして(^ ^)いろいろ説明してくれる。
この芝居って、とにかく話が複雑なせいか、ロクスッポ・バレバレ・ちびサリと説明役が3人もいるんだな…(今頃気づいたか)
クラッドウェル社長(藤木孝)塩野谷正幸
いやー、藤木さんの社長がかなり好きだったので微妙かな~?と思っていたのですが、すごく良かったです!チョビ髭が笑えた(^ ^)。ちょっとヒトラーを意識しているようにも見えましたが、どうなんでしょうか。
彼が単純な悪ではなかったことが、今回の公演の成功の要因だったんではないか、と思います。
ホッピー(鈴木蘭々)関谷春子 クラッドウェルの娘。
東宝ミュージカルアカデミー出身なんですね(^ ^)。華やかな美貌、伸びやかな歌声、上流階級の娘にちゃんと見える確かな芝居。ヒロインとしてきちんと立った存在感が見事でした。ビンボーとの会話のトンデモさとか、いろんな意味ですごく良かった。彼女の明るさに救われた面は大きいと思います。
ペニペニ(マルシア)伊藤弘子 “街で一番汚い公衆便所”の管理人。
素晴らしかった!歌も芝居も、本当に良かった(^ ^)
ふてぶてしいのに痛々しくて、クライマックスの、革命軍(?)に告白する場面の迫力とか、クラッドウェルに裏切られたときの反応とか、本当に凄いって感じでした。
日生劇場公演はマルシアだったのか……全然印象に残ってない(^ ^;ゞ
ビンボー・スットボケ(別所哲也)遠山悠介 ペニペニの助手。
世間知らずの女の子が「あらちょっと素敵」と思う程度の見掛けで、しかも優しくて誠実。偶然出会ったホッピーと、恋に落ちるのも当然のキャラ。
だけど、彼は主役じゃないんです。ヒロインが恋をする相手だけど、物語的には主役じゃない。彼が主役だと、ラストの衝撃が意味を為さないから。
そういう劇構造を考えても、日生劇場版は、この役を別所さんにふったのがそもそもの間違いだったな……歌は素晴らしかったんですけどね(T T)。
遠山さんは、芝居は悪くないけど歌は……がんばれ(励)。
ヒップご意見番()三ツ矢雄二
こんなところでお会いできるとは(汗)。いやー、三ツ矢さんの七変化、って感じでとても面白かったです。歌もさすが。以前舞台でお見かけしたとき、今後はもっとミュージカルにも挑戦したいとか仰ってたけど、、、お忙しいのかしら。
マッキッキ()栗原茂 クラッドウェル社長の秘書、なのかな…?
ラストシーンの直前、革命が成功してホープの下に降った後。
「ホープ様、社長は水不足を解消するために今までコレだけの研究を重ねてまいりました……」
と訴えるシーンが凄く好き。
そして、その必死の訴えをあっさりと退けて、
「私たちは、父のやり方ではなく、私たちのやり方で幸せを手に入れるのです!」
と宣言するホープの、何もわかってない純真っぷりに対する、彼の絶望が身に沁みました。
クラッドウェルの秘書&警官をやっていた、元月組OGの青葉みちる嬢は、それはそれは美しく、スタイルも抜群でロケットの脚もきれいにあがって、とにかく華やかで素敵でした(はぁと)。
次は是非、芝居をしているみちるに逢いたいです………(祈)。
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世界的な大干ばつに襲われた世界で、水資源をどのように護るか、という物語……なんていう言い方をしたら、全然イメージ違うんですよねぇ……実際、そういう話なんですが(汗)。
2001年にオフ・ブロードウェイで開幕。2002年のトニー賞で、作品賞を含む10部門にノミネートされ、3部門(演出・脚本・楽曲)を獲得した作品。
日本初演は2004年。演出は宮本亜門、劇場は日生劇場でした。
「有料公衆トイレの話」としかあらすじには出てなくて、いったいどんな話なんだろう??とハテナをいっぱい飛ばしながら観にいって、興行側のあまりの作品軽視にあきれ果てて帰った記憶があります。
100歩譲って、宮本亜門はいい。彼は本来、もっとテーマがシンプルで具体的な作品をわかりやすく華やかに演出することが得意な人で、ああいうひねりにひねって最後にとんぼを切って逃げちゃうみたいな作品はいまひとつなことが多いのですが、まぁ、演出の名前で客が呼べる数少ない人の一人だし。
でも、大劇場の真ん中に慣れた、メインキャストの面々。この人たちが日生に集ってトイレの話とか、ありえないから。演出・脚本・楽曲三賞を獲っておきながら、作品賞を逃したのは何故だと思っているんだ(汗)。
なので。
今回の公演は、上演を知ったときからメチャクチャ楽しみにしていました。
元々歌や踊りのある演劇をやっていた流山児★事務所が「ユーリンタウン」に目をつけてくれたか!!と。
いや~、期待以上のできでした♪♪ そうよ、これが私の観たかった、むこうでの劇評を読んで楽しみにしていた「ユーリンタウン」ですよ!!
コメディ仕立てではあるけれども、実際はもの凄く悲惨な話なんですよ。
世界的な大干ばつで、水資源が枯渇しつつある、近未来の地球。
すべての水資源を一括で管理し、使用量を抑えるために、自宅用のトイレを禁止し、すべての用足しは有料の公衆トイレを使わなくてはならなくなっている。
正規の場所以外のところで用足ししたら、“ユーリンタウン(小便街)”へ追放=死刑。
トイレの規制とか、そういうシモの規制っていうのは人間の尊厳に関わる話だから、本来なら規制するとしても最後の最後のはずなんですよね。だけど、たとえばトイレの水は簡単に処理して、何度でもトイレを流すためだけに使う、ってなことを考えるなら、汚物処理装置つきのトイレを少数設定するのが一番効率的。同じ水を繰り返し使うんだから、一日に何回使われても必要な水の量は変わらないし。
そういうことを考えると、割と早い段階でトイレを規制するっていうのはあり得ない話じゃない。
まして、そこに巨大な利権が絡むとなれば。
ただ、市民たちにはあまり詳しい情報を与えていないから、彼らは状況がそこまで深刻であることを知らない。
だから当然、強い反発が生まれる。きっかけ一つで、抑圧された人民はすぐに立ち上がってしまう。
そして。
一度立ち上がってしまえば、そうそう簡単に座りなおすことはできない。
もう公演も終わったから、ネタバレしてしまいますが。
革命のリーダーとなった青年(遠山悠介)が、トイレ(=水資源)を管理するUCC(ウッシッシ)のクラッドウェル社長(塩野谷正幸)の罠にはまって殺された後。
彼の恋人にしてクラッドウェルの娘・ホッピー(関谷春子)は、彼の遺志を継いで革命を続行。自分のIDで平民たちを連れてUCCビルに侵入し、父親を倒します。
こうして革命は成功。彼らは『入りたいときに入りたいだけトイレに入る権利』を得て、じゃんじゃん水を流しまくります。
その結果、どうなるか。
当然、残り僅かだった水資源を僅かな時間で使い切り、彼らは皆、ばたばたと斃れていく……という、ラスト。
「じゃあ、どうすれば良かったのかねぇ?」と、皮肉な口調で尋ねられたような後味。
物語としての結論がないところが、私はとても納得できます。
だって、この物語ってびっくりするほどリアルな問題を扱っているから。ここで、すっきり納得できるような結論があったら、しのごの言わずにそれを今すぐやれっ!!っていう話になるだろうし。
小野不由美さん著「華胥の幽夢」に収録された中篇「華胥」で語られる、「責難は成事にあらず」という言葉を、あらためて思い出しました。
今現在権力を持って事を成そうとしている人(UCC)を非難することはたやすい。だって、現実に今、目の前に困っている人がいるんだもの。
でも、それはただ、彼らが事を成すことを邪魔しているだけで、何一つ解決しない。
ただ、UCCが成した事(トイレの規制)を非難するだけで、否定するだけで、彼らが何故、なんのためにそれを成したのかを理解しようとしない。トイレの規制をすることが何故悪で、それを撤廃したらどういう問題が起こって、その問題を解決するのに「トイレの規制」以外にどんな方法があるのか、そこまで事前に検討してから撤廃しなくてはいけないのに。
クラッドウェルの娘でありながら、ホッピーは全く父親のやっていたことを知らなかった。
利権を独占していたことも知らなかったし、水資源を護っていたことも知らなかった。
……知っていなくてはいけなかったのに。
「水」という限られた資源に対する計画経済社会において、自由主義者たちが反乱を起こしたようにも解釈できるし、
横暴な資本家に対して、労働者が革命を起こしたようにも見える。
いずれにしても、『革命』を起こす当事者たちは、いつだって真剣で、生真面目で、理想に燃えている んですよね。
旧ロシアのボルシェビキたちもそうだっただろうし、
全共闘の闘士たちもそうだったんだろう。
……たぶん。
そして、この「ユーリンタウン」の瀬戸際な労働者たちの希望も、実に生理的に切実でリアルなだけに、外から見ていると非常に滑稽なんですけれども。
でも、彼らが本当に真剣に、生真面目に、理想に燃えて、必死で立ち上がろうとする姿は、ひどく痛々しく響いてくるんですよね。
………でも。
だけど、この革命はうまくいかないだろう、と。……それが、話の途中でも、あからさまにわかってしまうことが、一番の喜劇であり、かつ悲劇でもある。
ラストの皮肉の切れ味が、さすが百戦錬磨な流山児★事務所、見事なものでした。流山児祥さんの手腕は素晴らしい!大劇場では表現の難しい脚本的な難所、皮肉・嫌味・回りくどい説明・ちょっとハズした会話………細かいネタを落とさずにちゃんと拾って組み立ててくれたのが、とても嬉しかった!
なんだか長くなってしまった……。
くだくだと書いてしまいましたが、結論としては「私は今回の公演、すごく面白かった!!再演希望!」ってことで。
最後に、キャストについて、一言ずつ。
名前は、ブロードウェイ版の名前をちょっとずつ変えた名前をつけていたので、そちらで書きます。()の中は、日生劇場版キャスト(わかる人のみ)。
巡査部長ロクスッポ(南原清隆)千葉哲也
すごく良かったです。エリザベートで言えばルキーニみたいな存在(←ちょっと違う)で語り手なんですけど、とにかく存在感があって。彼が居るだけで、あやしげでヤバげな空気が漂うのが素敵だな、と。
最初の語りだし(歌いだし)も彼だし、ラストのオチを語るのも彼だし……。面白い役者でした。
巡査バレバレ()曾我泰久
ロクスッポの部下。ロクスッポと会話しながらいろいろ観客に説明してくれる人。
歌はあまり無かったですが、なかなか良いキャラでした。曾我さんは巧いねー!
ちびサリ(高泉淳子)坂井香奈美 ホームレスの少女
「30歳すぎて九州から出てきて子役だなんてっ!」と自分で言ってらっしゃいましたが(笑)、
自然に子供に見えて、可愛かったですよ?(真顔)。
ちょっと「レ・ミゼラブル」のガブローシュみたいな存在(途中では死なないけど)なんですよね。ロクスッポと会話したり、あちこちで独り言言ったりして(^ ^)いろいろ説明してくれる。
この芝居って、とにかく話が複雑なせいか、ロクスッポ・バレバレ・ちびサリと説明役が3人もいるんだな…(今頃気づいたか)
クラッドウェル社長(藤木孝)塩野谷正幸
いやー、藤木さんの社長がかなり好きだったので微妙かな~?と思っていたのですが、すごく良かったです!チョビ髭が笑えた(^ ^)。ちょっとヒトラーを意識しているようにも見えましたが、どうなんでしょうか。
彼が単純な悪ではなかったことが、今回の公演の成功の要因だったんではないか、と思います。
ホッピー(鈴木蘭々)関谷春子 クラッドウェルの娘。
東宝ミュージカルアカデミー出身なんですね(^ ^)。華やかな美貌、伸びやかな歌声、上流階級の娘にちゃんと見える確かな芝居。ヒロインとしてきちんと立った存在感が見事でした。ビンボーとの会話のトンデモさとか、いろんな意味ですごく良かった。彼女の明るさに救われた面は大きいと思います。
ペニペニ(マルシア)伊藤弘子 “街で一番汚い公衆便所”の管理人。
素晴らしかった!歌も芝居も、本当に良かった(^ ^)
ふてぶてしいのに痛々しくて、クライマックスの、革命軍(?)に告白する場面の迫力とか、クラッドウェルに裏切られたときの反応とか、本当に凄いって感じでした。
日生劇場公演はマルシアだったのか……全然印象に残ってない(^ ^;ゞ
ビンボー・スットボケ(別所哲也)遠山悠介 ペニペニの助手。
世間知らずの女の子が「あらちょっと素敵」と思う程度の見掛けで、しかも優しくて誠実。偶然出会ったホッピーと、恋に落ちるのも当然のキャラ。
だけど、彼は主役じゃないんです。ヒロインが恋をする相手だけど、物語的には主役じゃない。彼が主役だと、ラストの衝撃が意味を為さないから。
そういう劇構造を考えても、日生劇場版は、この役を別所さんにふったのがそもそもの間違いだったな……歌は素晴らしかったんですけどね(T T)。
遠山さんは、芝居は悪くないけど歌は……がんばれ(励)。
ヒップご意見番()三ツ矢雄二
こんなところでお会いできるとは(汗)。いやー、三ツ矢さんの七変化、って感じでとても面白かったです。歌もさすが。以前舞台でお見かけしたとき、今後はもっとミュージカルにも挑戦したいとか仰ってたけど、、、お忙しいのかしら。
マッキッキ()栗原茂 クラッドウェル社長の秘書、なのかな…?
ラストシーンの直前、革命が成功してホープの下に降った後。
「ホープ様、社長は水不足を解消するために今までコレだけの研究を重ねてまいりました……」
と訴えるシーンが凄く好き。
そして、その必死の訴えをあっさりと退けて、
「私たちは、父のやり方ではなく、私たちのやり方で幸せを手に入れるのです!」
と宣言するホープの、何もわかってない純真っぷりに対する、彼の絶望が身に沁みました。
クラッドウェルの秘書&警官をやっていた、元月組OGの青葉みちる嬢は、それはそれは美しく、スタイルも抜群でロケットの脚もきれいにあがって、とにかく華やかで素敵でした(はぁと)。
次は是非、芝居をしているみちるに逢いたいです………(祈)。
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