ル・テアトル銀座にて、湖月わたる芸能生活20周年記念公演「ACHE〜疼き」を観劇してまいりました。


作・演出は大野拓史。
大野さんの外部作品は初めて観た……のかな?私は。
しかも、芝居作品ではなくて、芝居付のショーという感じの構成。

大野さんのショーって、案外いいかも、と思いました。
荻田さんが神童系の天才(クリエーター)であるとするならば、大野さんはオタク系の天才なんだな、と(そして、石田さんは天才に憧れる普通の人なんだな、と…っていうのはまた全く別の話ですが)

出演者は、宝塚OGの彩輝なおと星奈ゆり。これにダンサーの附田政信と坂本まさる、そして芝居部分のみですが、ミュージカル俳優の戸井勝海、これにワタルさんを加えた6人。

振付は前田清美さんがメインで、御織ゆみ乃さん。
音楽は、玉麻尚一さん、長谷川雅大さん。
プログラムを買わなかったので、どの曲が誰、というのがわからないのですが、とりあえず主題歌(湖月わたる作詞)が素晴らしかったです。
ワタルさんって割と音域が狭い人だと思うんですけど、どんぴしゃの音域だけでもあんなにステキな音楽が作れるんだなー、と感心しました。正直な話、ワタルさんの歌を「ステキ♪」と思ったことはあんまりなかったんですけど、今回の主題歌は素直に良かったです。

作品は、ショー部分と芝居部分が半々くらいの割合で構成されていて、、、

お芝居部分のストーリーを説明してもかなり意味不明なんですけど(苦笑)、観ている分には面白かったです。
サエコさんの使いかたが見事で、さすが大野さんだなあ、という印象。「豊満な美女」と「妖しげな美少年」を、二役?二面性のある役?として演じるサエコさんは、本当に素晴らしかった。あのちょっと上擦ったような独特の声が色っぽくて、一幕ラストにワタルさんに向かって「もう忘れてしまったの?……僕を」を問いかけるところで、ゾクゾクっときました。



優里ちゃんは、サエコさんと対すると、余計にその硬質な美しさが映えますね。
オープニングから優里ちゃんとサエコさんが二人で踊っているんですが、とても印象的でした。優里ちゃんの優雅な仕草やスカートさばきに比べて、ダイナミックにスカートをフッ飛ばし、美脚を丸出しにして踊っているサエコさんの思い切りの良い美しさも捨て難くて。

二人が並んでいるところって初めて観たような気がするのですが、とてもお似合いでステキ♪
76期って本当に面白い期だったんだなあ、としみじみと思いますね。優里ちゃん、サエコさん、樹里ちゃん、優子姫(風花)、グン(月影瞳)ちゃん。…実に実に、バラエティに富んだ見事な期ですよね。
その中でも、優里ちゃんは、退団してから「優雅さ」に磨きがかかって、本当にうつくしいダンサーだな、と観るたびに感動します。




ワタルさんは、全編“ほぼ男役”で通されたのですが。
一幕ラストのダンスナンバーと二幕の頭は女性設定でした。

ちょっと感激したのは、一幕のラスト。
そもそもワタルさんの役は「舞台の上のスター」という役どころだったので、登場からそこまでずっと、細身のパンツに白いシャツ、そして白のかっこいいロング丈の上衣を着ていたのですが。
この上衣がかっこよくて。ホンモノの「男」である戸井さんたちよりも男らしい。背が高いだけじゃなくて、身体のラインが完全に“男”に見えるんですよね。肩幅も、出演者の誰よりもワタルさんが広かったんですよ(^ ^)。

その上衣を、ダンスナンバーの中で戸井さんが脱がせる。
すると。

細い肩を白い薄いシャツに包んだ、女性のラインが現れる…。


大野さんってひとは、こういう魔法を使う人なんだな、と。


実際に衣装を作るのはもちろん、衣装の有村さんなんでしょうが。その発想というか、「上衣を着ているときは誰よりも男らしくかっこいいスター」で、「上衣を脱ぐと、たおやかな女性」という、ギリギリのところを攻めて来たのは大野さんなんだろうな、と思ったのです。



二幕の頭は、うってかわって完全に女性の服。
パンツルックだけど、ギリシア風のドレープのたっぷり入ったやわらかな風合いのブラウスで、“美少年”サエコさんを翻弄する「どS」の女神
胸元もしっかり創りこんで(←ちょっと盛りすぎかも…)、女性らしいライン、まさに“女神降臨”という迫力。


ワタルさんは、「男でもあり、女でもあるもの」。
サエコさんは「男でも女でもないもの」。
優里ちゃんは「完全なる女」。
そして戸井さんは、「不完全な男」。

この4人が織り成す、この世の外の物語。

物語としては観念的にすぎていまひとつでしたけれども、全体を一つのショーと捕えれば、色っぽくてとても面白い作品だった、と思います。


二幕の後半は、完全に「湖月わたる OnStage!」。

途中で「トーク&会場の皆様からの質問コーナー」というMCがあって。私が観たときは、サエコさんが相手をしていたんですけど(日替わりっぽいことを言ってましたが…)、ワタルさんと喋るサエコさん、めちゃくちゃ可愛かったです(はぁと)。



全編を通して、ワタルさん格好いいなぁ〜、と、素直に思える作品でした。
個人的には、ワタルさんといえば美脚なので(←お前だけだ)披露してくれなかったのがとっても残念ですが(←期待しすぎ)、
“漢”なワタルさんと“女神”なワタルさん、ふたりのワタルさんにいっぺんに会える、幸せなショーでした。

ふつーに“男役”をするんなら、宝塚を退団する必要が無いじゃないか、とか思っていた私ですが、
やはりホンモノの男性を相手に「男役」をやれる人というのはとても少ないし、そういう意味では、ワタルさんにしか出来ないショーだなあ、と、しみじみ思いましたね。

……戸井さん以外にも、あとせめて一人、歌える人がいたら、もっと良かったのになあ(^ ^;;;、なんぞとも思いつつ。
歌唱指導に入っていた千秋慎さんも、出てくれたらよかったのになーーーーーっ。




だいぶ昔のことになりますが。(ちょうど一ヶ月前だわ)

天王洲の銀河劇場にて、「Cali 〜炎の女・カルメン」を観てまいりました。


TSミュージカルファンデーション作品なので、演出・振付は当然謝珠栄。
脚本は小手伸也さん、音楽(歌唱指導も)は林アキラさん。


「タンビエットの唄」以来のTS。
また全然違う傾向の作品でしたが、非常に興味深かったです。
謝さん的には、「激情」を演出していたときからあたためていたネタなんでしょうかねぇ……。おハナさまのカルメンを思い出して、感慨もひとしおでした。



キャストは以下のとおり。

カルメン  :朝海 ひかる

語り手
 ジャン   :今 拓哉(メリメの甥、という設定でした)
 ビゼー   :戸井 勝海(実は…という設定あり)

カルメンを愛した男たち
 ホセ    :友石 竜也
 スニーガ隊長:宮川 浩
 ガルシア  :天宮 良
 ヘンリー  :野沢 聡

盗賊団員
 ダンカイーレ:平野亙
 レメンダード:良知真次
 オマール  :東山竜彦
 ファニト  :三浦涼



林アキラさんの音楽は随分久しぶり(←タナボタ以来)でしたが、相変わらず耳にも心にも優しい美しい旋律の連続で、うっとりでした。
歌唱力のあるメンバーが揃っていたので、厚みがあってとても良かったです♪いやー、TSは良い人が集まりますよね、本当に。それだけ良い作品を作り続けていて、評価が高いってことなんでしょうね。


「カルメン」。
メリメの書いた小説。名作だけに、いろんなメディアで取り上げられ、作品化されていますが。
すべて、タイトルロールはカルメン、相手役はホセ、という構造は変わらず。

オペラでは、一幕はスニーガ、二幕はエスカミリオが恋敵役。
あとはジプシー仲間くらいで、ガルシアもヘンリーも殆ど出てきません。

宙組の、というか柴田さんの「激情 −ホセとカルメン−」では、二番手のタカコさんがメリメとガルシアを二役で演じ、三番手のワタルさんがエスカミリオ。樹里ちゃん以下は盗賊団でした。こちらもヘンリーのエピソードはなし。

謝さんの「Cali」は、スニーガ、ガルシア、ヘンリーと、ホセの嫉妬心の犠牲になった3人の男をメインに取り上げて、エスカミリオは登場せず。

最初にプログラムを観たとき、エスカミリオを出さないでどうすんだ!!と思ったのですが。
いやー、見事な落ちでした。謝さん、ブラボー。



ちなみに、スニーガはホセが所属する軍隊の隊長。ガルシアは盗賊団の首領でカルメンの夫。ヘンリーは、カルメンがその財産を手に入れるために近づいて籠絡しようとする金持ち男。
全員、嫉妬に狂ったホセによって殺される男たち。





えーっと。

一言で説明するならば。
非常に斬新な、新解釈のカルメンでした。


ものすごく面白かったです。
コムちゃんのカルメンは素晴らしかったし!歌もよかったよ!(←なぜ字が小さいんだよ?>猫)



ただし。

カルメンの死まで、で終わらせればもっと良かったのに、と、残念でなりません。戸井さんファンの一人として、彼の見せ場に文句をつけるのは非常に心苦しいのですが(←役者本人は悪くなかったから余計に)、
後半のメリメとビゼーの論争は蛇足だろうがっ!!



それこそ、「堕天使の涙」の金斗雲くらい蛇足だったと思います。(←そ、それはさすがに…)




謝さんが組み立てたカルメンが、本編そのままで十分素晴らしかっただけに。

心情表現力の弱いコムさんが、黒い肌とキツいメークに助けられて、つれない台詞の裏の女心を、隠し切れないホセへの深く濃い愛情を存分に表現していただけに!

メリメとビゼーが“カルメンの愛”の意味を説明しようとするのが、ウザくてたまりませんでした。(ごめんなさい)



後半の論争部分を全部削除して、ネタばれみたいに繰り返される解説シーンを本編の中に「物語」としてうまく入れ込んで、

「溢れんばかりに愛情豊かなカルメン」という新解釈のカルメン像を、普通に作品として表現すればよかったのに。



だって私は、後半のネタバレ解説場面なんて見なくたって、カルメンがホセに向かって言う台詞がいちいち泣けて泣けて、本編のラストは号泣してましたよ?

あれで、十分に表現できていたと思うのです。本能のままに男を愛し、守り抜こうとする母性に溢れた大地の女神が。



ビゼーがオペラで描いたカルメンは、ファム・ファタルでした。
決してただの“魔性の女”ではないんだけど。でも、「ファム・ファタル」だった。
自分が、愛した男を幸せにすることのできない女だと知っていた。

束縛を嫌い、自由がないと生きられない小鳥のような女。
自分が自分自身であるために、愛も恋も投げ捨てて、自分の道を貫き通す。そのためにはどんな犠牲もいとわない。
愛なんて一時の気の迷い。なくては生きていけないけど、続くものじゃない。そんな刹那的な人生論。





でも、違う。
謝さんのカルメンは、違う。

メリメのカルメンは、愛した男を幸せにするために全てを捧げる女だという新解釈。

自分の幸せも、身体も、大事なものなど何もない。ただ、愛する男が、ホセがいればいい。
ホセのために。
ただ、ホセを幸せにするためだけ、に。



以前東宝で上演された「カルメン」(大地真央主演、ホセはニッキ)では、たしかカルメンがホセの幸せのために自ら身をひいて金持ちの家へ行き、ホセを田舎に帰らせる、という、
椿姫みたいなエピソードが入っていましたが。
(今回の舞台の、ヘンリーのエピソードか?)


そんな中途半端な自己犠牲とは真逆の、
荒野を生きる、野生の狼のような女。



狼は、“自由を愛する生き物”ではありません。
彼らは常に小さな血縁集団を形成し、群れることで自分より大型の草食動物を狩ることができるようになったのですから。個体の、集団に対する忠誠心は絶大なんです。一夫一婦制を守り、自由行動など絶対にありえない。
また、ものすごく頭がよくて環境適応力が高く、学習能力も高いのだそうです。

狼といえば、ふらふらと出歩いて赤頭巾ちゃんを襲う、そんな生き物、というイメージですが。

実在する「オオカミ」という生き物は、小さなパーティ単位で狩をする群れ生活者であり、忠誠心の高い、愛情深い生き物なのです。

“カルメン”は、そういう女なのだ、と。



「犬と狼は一緒には暮らせないんだよ」
繰り返しカルメンが口にする、この台詞。

台詞自体は柴田さんの「激情」の脚本にもありましたので、メリメの小説にある言葉なんでしょうね。
普通に解される「荒野でも一人で生きていける一匹狼」的イメージで理解されると、カルメンの本質を見失うのかなー、と思いました。





そして。

敬虔なキリスト教徒である“ホセ”は、荒野の生き物ではなかった。
彼はあくまでも柵の中で世話されて生きている羊であり、荒野で生きていくことはできない。

カルメンを“自分の付属物”としか考えられず、彼女が彼女自身の意思で男を守ろうとすることなど想像もできない。
信じられないのではなく、想像できないのです。
そういうふうに、自律的に物事を考えることのできる女、という存在を。

赦せないのかもしれない。男を守ろうとする女が。
…男よりも先を歩こうとする、女が。


柵の中の羊は、案外凶暴です。
牧羊犬を蹴り殺したりすることもあるらしい。
犬は自分の仕事を知っているから、抵抗できないんですね。
自分の能力(本来は羊を食う生き物だということ)を、知っているから、歯止めがかかってしまう。



ホセを“守る”ことを優先して、自分の身を守らなかった女。
ホセの誤解を解くよりも、ホセを守ることを優先した、女。

たぶんそれは、ホセがそこまで判っていないと思わなかったから、なんですよね。
自分の“愛”が、深すぎて重たすぎて、子供には理解できない愛だということを。





そして。

コムさんのカルメンも素晴らしかったけど、
友石さんのホセがまた、それはそれは素晴らしかったです!
もし再演するのならば、この二人は外さないでほしい(^ ^)。

あり得ないほど体育会系。
そして、のうみそまで筋肉。

そんな言葉が、観ている間中、頭の中をくるくると……(^ ^;ゞ



聡明で視野が広くて経験豊富な“カルメン”という女を、ただ子供が母親を慕うように恋しがるだけで、
母親が自分の仕事をすることが赦せなくて、自分のそばで自分のごはんを作って頭を撫でる以外のことをするのが許せなくて、怒り狂う子供。

自分のごはんをつくるためには、材料を買ってこなくてはならないことも知らずに。


そんな、
「荒野を生きていく」能力のない男。

カルメンの100倍くらい、本能的に生きている、男。


……大好きだ♪友石くん、「ライオンキング」も良かったけど、こういう“のうみそまで筋肉”系のマッチョ男は最高にかっこいいです。歌も迫力、芝居も迫力!






最後に、毅然と胸を張って刃を待つカルメン。
自分の愛に自信があるから。
自分の行動に迷いがないから。
ホセがどんなに莫迦で阿呆でも、あたしは彼のそんなところもひっくるめて愛してる、と言い切れる強さ。

あまりにも無自覚で盲目的な、母性的な、愛。



背を丸めて、卑屈な目をして刃を突き立てるホセ。
自分の愛に自信がないから。
自分の行動に、確信がないから。

すべてをカルメンのせいにして、
カルメンがすべて悪いんだと言い聞かせて、

自分に「悪しき言の葉」を囁きかけるサタンを撃退するように。

多分、カルメンに向けた刃は“魔避けの銀のナイフ”なのだろう。
…彼にとっては。


カルメンという魔に魅入られた自分を、守るために。





そして、

牢の中で、彼は叫ぶ。


「カルメン!!」


未来永劫、叫び続ける。


「俺を見ろ!俺を愛せ!」


……と。



他の誰よりも深く愛されていたことに、気づこうともせずに。



.
東京芸術劇場中ホールにて、「A MIDSUMMER NIGHT’s DREAM 〜 THE じゃなくて、A なのが素敵〜」を観劇してまいりました。



演出は気鋭の演出家・G2。
初嶺麿代さんが出演されていた「憑神」は観られませんでしたが(笠原浩夫さんも出てたんだよね…観たかった!)、年末の「The Light In The PIAZZA」(主演:島田歌穂)は観ました。
ビジュアルへのこだわりと、勢いのあるスピーディーな演出。そして、“ダメな人間”への暖かなまなざし。私のとても好きな演出家の一人ですが。

彼が、今回は、シェイクスピアに挑戦!ってことで楽しみにしていた舞台。
一部分ですけれども。関西弁のシェイクスピアになってました。歌もたくさんあって、ちょっとした音楽劇っぽい構成。目新しくて面白かったです♪

キャスト。

元リリパット・アーミーの山内圭哉さんが、一応の主演格でした。
…だけど、役はディミートリアスなんだよねー。作品中ではごく普通の(関西弁だけど)ディミートリアスだったので、カーテンコールで最後に出てきたときはちょっとびっくりしました。
あと、途中でギターを弾いたりなんだり、いろいろなさってらっしゃいました。多芸な方なんですね。

ライサンダーは竹下宏太郎。
ハーミアは神田沙也加。
ヘレナは出口結美子

ヒポリタ/ティターニアは樹里咲穂。
私のお目当て★さんは、予想を10倍くらい超えた素晴らしさでした。なんだか嬉しい。っていうか、樹里ちゃんの母語は関西弁なんですね……

シーシアス/オーベロンは、コング桑田。やわらかーい雰囲気のオジサマ。美声がたっぷり聴けて幸せです♪

パックは、花組芝居の植本潤!!
予習不足で、植本さんが出ているのを知らず吃驚しました(^ ^;。白塗りに目元強調メーク、そして“挙動不審”(笑)。

ハーミア父/職人たちのリーダー役は、遊◎機械/全自動シアターの(今は違うのかな?)陰山泰さん。

妖精さんたち(職人さんたちと兼任)も豪華キャストでした〜!菜月チョビ、藤田記子、新谷真弓、権藤昌弘…私が存じ上げていたのは藤田さんと新谷さんだけですが、葉月さん権藤さんも素敵でした♪歌ってよし、語ってよしで、ステキ♪♪


これだけの多彩なメンバーが揃うっていうのが、G2というブランド、というか、演出家としての力なんだろうな、と思います。
「本当に笑えるシェイクスピア喜劇を」っていうコンセプトが、すごく良かったです。同時代人にとっては、シェイクスピア喜劇なんてきっと今の“よしもと”みたいな存在だったんだろうな、と、素直に思えたのが嬉しかったですね。

このコンセプトの中で、樹里ちゃんと山内さんをはじめとする関西弁でのやりとり(ディミートリアスとティターニアは会話しませんが)が、すごく自然に入っていたのがさすが。いや、ホントに自然でしたね。樹里ちゃんもヒポリタとしては東京弁のアクセントなんですけど、ティターニアとして関西弁でべらべら喋り始めると、「そっか、ヒポリタって異郷の人だったんだな」と思います(ヒポリタはアマゾネスの女王。アテネとの戦に破れてシーシアスの妻になる)。

あとは、衣装が凄かった……

ヒポリタの樹里ちゃんは、金色の円形をした金属板がびっしりとついた、ど黄色の超ミニワンピ。脚は丸出し(はぁと)。
あの金属板は、アマゾネスの鎧みたいなのをイメージしていたのかな?とは思うのですが、それにしても重たそうでした。

ティターニアは、黒づくめのエナメルコート。スリット…というか、腰から下は何本かの帯になっているような感じの服で、下にホットパンツを履いて黒いブーツ……だったような気がします。

とりあえず、樹里ちゃんのスタイルの良さがひたすら際だつ衣装でした。どちらも。


神田沙也加ちゃんは、流行っぽいAラインのミニ。……で。
白のかぼちゃパンツ!!
この服装で、思いっきり抱え上げられる場面とかあるんですよ(汗)。それはそれは、ステキな眺めでした(^ ^)。沙也加ファンの男の子はヤバかったんじゃないか、と(^ ^;;;;。

っていうか、沙也加ちゃんホントに可愛かったですっ!!
樹里ちゃんも、ヘレナの出口さんもスタイルがいいだけに、幼児体型なのが目立っていて、それを巧くギャグに使われていましたが。ヘレナと喧嘩する場面で「文楽人形!」とか「三頭身っ!!」とか言われてて。
いやもう、キツいアイメークに前髪パッツンの金髪ストレート、衣装は人形系、というそのビジュアルのインパクトと、キャラクターの可愛らしさと……ハーミア、という役からは考えられないほど面白いキャラクターでした。

出口さんは、もうちょっと大人っぽいラインの、でもやっぱりミニワンピ。こちらはアンダースコートみたいなひらひらのレースでした。
っていうか、ナニをチェックしているんだよ私っ!?

出口さん、何度か舞台でも観たことがありますが、美人でスタイルよくて、可愛いですよね。「私だって、ハーミアと並ぶ美人のはず…」っていう台詞に納得。ハーミアとは全っっっ然タイプが違いますが、可愛かったです。

……ヘレナって、私はどうしても「ガラスの仮面」の、あの鞭を持った強烈なヘレナを思い出してしまうのですが……



男二人は、「アテネの男の服装」と言われたパックが勘違いしなくてはいけないので、ラインの良く似た、派手派手なジャケットを着ていました。カラフルな色合いが男前☆二人ともカッコよかったなあ。



台詞は、シェイクスピア独特の美辞麗句というか、比喩的表現を安易に削ったわけではないのに、かなり自然な言葉になってました。
…ま、修正しきれなかった美辞麗句はネタにするという手で逃げていた部分もありましたけど(笑)。でも、さすがにある程度きちんと“喋れる人”が揃っているだけに、安心して観ていられました♪♪

重厚な台詞劇をお求める方にはあまり向いていないかもしれませんが、“シェイクスピアは眠い(T T)”と思っていらっしゃる方には滅茶苦茶お勧め。演出もスピード感があって途切れる瞬間がないし、少なくとも大団円の夜明けまでは、絶対眠くなるような間はないと思う。
……結婚式から後の、職人たちの劇中劇については、ちょっと長いかな、と思ったりもしますが……(^ ^;ゞ、うーん、でもあそこは切れないしなあ。っていうか、「詰まらない劇を笑顔で見守ってあげるオトナな貴族たち(シーシアスと若いカップル2組)と、散々あくびをした末に「詰まらないわ。まだやるの?」と言い放つヒポリタ、という構図で笑いを取るためには、その前の「詰まらない劇」を「つまらなく」やらなくちゃいけないからなぁ……仕方ない(汗)。

ま、ラストはともかく。
とにかく面白いですよ♪古典ではない、『今の時代を生き抜くシェイクスピア劇』だったと思います。
シェイクスピアは、あの冗長な台詞が飽きられがちですけれども、きちんと“今の言葉で喋れる”台本で、“ちゃんと喋れる”役者をもってすれば、こんなにちゃんと面白くなるんだなあ、と……そんな感銘を深くしてみたりして。

そして。

樹里ちゃんのティターニアは、もぅ最高でした♪♪大好きだ♪♪



東京厚生年金会館にて、ロックミュージカル「ヘドウィグ アンド アングリーインチ」を観劇してまいりました。


初演(三上博史主演)以来、上演されるたびに観たいと思いつつ、スケジュールが合わなくて観られなかったこの作品。やっと観ることができて、とても嬉しいです。

もしかしたら映画をご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが…。
原型となったパンクロック・ナイトから映画まで、ずっとタイトルロールを演じていた俳優ジョン・キャメロン・ミッチェルが作った、魂の物語。作詞・作曲はスティーヴン・トラスク。
演出は鈴木勝秀。最近私の注目の演出家ですが、やっぱり良い仕事してくれますね♪

タイトルロールのヘドウィグは山本耕史。
相方のイツァークは、韓国の歌姫 ソムン・タク。
二人+バンドメンバーが5人、計7人で、

東京厚生年金会館の巨大な空間を、物凄く濃ゆいもので埋めた1時間45分。



一人のロックミュージシャンの、一夜のライブ、という形式の作品。
冒頭、舞台上にバンドとイツァークが揃い、「HEDWIG!」と呼びかけると。

客席通路をゆっくりと歩いてくるヘドウィグに、スポット。


ちょうど通路後ろの席だったのですが。
…すぐ目の前を、腰まである金髪ロングの鬘をひらめかせた、厚化粧の耕史くんが通っていきました♪

客席はいきなり総立ち!!
完全にロックコンサートのノリで、最初のナンバー「TEAR ME DOWN」。

…わかんない(^ ^;ゞ

耕史くん、いつからガイタレになったの?と思うほど、ネイティブっぽい英語。宝塚のカタカナ英語ならなんとかなるけど、ガイコクゴに弱いんだよ猫は。涙目。


目の周りに大量にキラキラがついた、ものすごい厚化粧。
土方歳三が良く似合っていた、たくましいマッチョな身体を包む、華やかな衣装。



うらぶれたライブ会場。すぐ隣で、世界的ロック・アイドルのトミー・ノーシスがコンサート中。
彼は、最近巻き込まれた事故の怪我(?)から復帰したばかり。
その車を運転していたのは、恋人だった、

…ということになっている、らしい。


ヘドウィグは言う。

「あの車を運転していたのは、トミー」

「あたしは運転なんてしてる暇はなかった。だって、イイコトをしてあげていたんだもの、彼に」

「彼が前を見ていなかったのは、あたしのせいじゃないわ…」

時折、
ヘドウィグは袖に入って、外のドアをあける。

袖から入ってくる、眩いライト。大音量のスピーカーらしい割れた声が、遠くに聞こえてくる。

「今日は僕のために集まってくれてありがとう!」

「あの事故は、僕の人生にとって大きな事件でした…」


ヘドウィグのライブ・パフォーマンス。

「あんたたちが聞きたいのは、トミーの話。そうね?」

華やかだけれども、どこか安っぽい衣装をひらめかせながら、ヘドウィグは語り続ける。

「あたしの話を聞いて頂戴。あたし、今夜はなんだか喋りたい気分」

東ベルリンに生まれた美少年ハンセルは、「壁」を警護していたアメリカ兵ルーサーと恋(?)に落ち、“手術”を受けて西側への脱出。
母のパスポートを持った彼(女)は、自由の国アメリカでルーサーと結婚。しかしもちろん、人生そううまくはいかない。
あっという間に離婚した彼(女)は苦しい生活の中でロックに傾倒。そして出会った少年・トミーとの恋は、しかし、悲惨な終わりを迎える…


それにしても、割り切った舞台でした。
台詞は日本語ですが、歌はすべて英語。
舞台奥に、大きなスクリーンがあって、さまざまな映像が流れていました。たまーに字幕(←英語の歌詞がロールアップされるだけですが)が出たりして。
まぁ、話自体で解らないところはなかったですけど。耕史くんも、タクさんも、表現力はずば抜けていましたし。

……しかし、歌詞も知りたかったなぁ…。意味不明な歌を聴きながら、メッセージを受け取ろうと観る側も必死でした。訳詩の字幕は無理でも、せめて英語の字幕でもいいから出してほしかった。
でも、字幕があるとついそっちを観てしまって役者を見なくなってしまうから、正解だったのかもしれませんね…。


役者の力、というのをこんなに強く感じたのは、久しぶりでした。
最近、演出家の力(あるいは力の無さ?)を感じることが多かったので。

言葉がわからなくても、ここまで心を奪うことができるのか、と。
何度も何度も、立ったり座ったり(ヘドウィグ・ファンが多いので、皆さんタイミングもばっちりでした)しながら、ヘドウィグが語る一人の人間の人生に、共感していく。

『Better Half』、引き裂かれた半身。
その半身を捜して、もう一度『完全な人間』に戻りたい、それが“Origin Of Love”。引き裂かれた半身と出会うために旅をするのが、人生。
ハンセルの“半身”探しの旅は、とても悲惨で哀しいものなのですが。

彼(女)を見守るイツァーク、という存在。
その存在そのもの、在り方そのものが、素晴らしかった。
ヘドウィグとイツァーク。二人の関係。
二人の間を流れる感情。

トミー、という、舞台の上には存在しないもう一人の主役。
ヘドウィグから視たトミー。
ヘドウィグ視点での、トミー・ノーシス。



ラスト。

金髪の鬘という『最強の盾』を、かなぐり捨てるヘドウィグ。

濃ゆいアイメークを落として。
額に十字架を享けた、『ただひとりの』存在。


半身を得た彼に、天使が歩み寄る…

白いドレスに身を包んだ、天使が。



白い光。

天使が青年を抱きしめる。

上手袖から入る、白い光。
遠くから聴こえてくる、雑音。


山本耕史の、類い稀なボディパフォーマンスと、
ソムン・タクの類い稀なソウルフルな歌声と。

ふたりが響きあい、共鳴してさらにふくらみを増す、熱い空間。



東京厚生年金会館の、だだっ広い空間が。
息苦しいほどの熱で溢れた、1時間45分。



素晴らしいライブを、ありがとう。
二人の歌を、忘れません。



長くなってしまったコンサートレポート、ラストはもちろん、「Elizabeth」。


前回も書きましたが、まず最初の曲が面白くて印象的でした。
ソリスト抜きの、オケ+コーラスのみで演奏された「プロローグ」。
絡み合うオケとコーラスののメロディライン。なかなか聴く機会がない形なので、すごく面白かった。そうかなるほど、こうなっているのかー、と思いながら堪能しました♪どうしてもソロを追ってしまいますが、オケのメロディもかっこいいんですよね、この曲。
そして、なんといっても興味深かったのは、コーラス♪子音が多くて強い、独語の特徴を生かした詞に、スタッカートを多用した、子音のみを強く響かせるメロディ。日本語でやると、子音が弱いからちょっと間が抜けてしういがちなナンバーですが、語頭・語尾にくる破裂音・破擦音の激しさで、なんというか“ヴォイパ”みたいなんですよね。オケの中のパートの一つとしてヴォイパがある、っていう感じ。格好良かった…(←そればっかりだな猫)

ルキーニ役がいないのでナレーションは入らないのですが、「黄泉の帝王トート閣下!」だけは、ルカスが袖から出てきてやってました。
良い声だ!

トートは勿論、マテ。で、そのままルキーニとの掛け合いをルカスとやっていたと思います。いやー、思いもよらない面白さでしたこの曲。
「ONE DAY MORE」を数人で手分けしてやったり、というのはよくありますが、そういったものとはまた違う、旋律の一部を無視してコーラスの面白さで聞かせる、というコンサートならではの曲の魅せ方だなあ、と感心しました(*^ ^*)。



続いて「パパみたいに」。
子供時代のシシィは、勿論マジャーン(はぁと)もうめっちゃくちゃ可愛い!!私は単なるマジャーンのファンですねこうなってくると(^ ^;ゞ
いやもう、ホント可愛かった〜!!

ちなみにパパはアンドレ。これまたダンディで素敵でした。しかしシシィ、パパと旦那が同一人物かよ…どうなのよそれ(苦笑)。



で、次がびっくりの「愛と死の輪舞」。
なんと、マテが日本語で歌ってくれました!

……個人的には、別に日本語(っていうかカタカナな感じ)で歌ってくれるよりも、これは原詩がちゃんとあるんだから原詩で歌って欲しかったなーーー、と思ったりするのですが。
(だってCDにもほとんど入ってない曲なんだもん/涙)

たぶん、あの客席の中で、「ソノヒトミハ…」と流れてがっかりした唯一のファンなんだろうなあ、私は…。客席は皆喜んでいたからファンサービスとしては正解なんでしょうね、たぶん。
だけどせめて、一番だけ日本のファンへのサービスとして日本語で歌って、二番はトートとして原詩で歌う、っていう構成にしてほしかったなあ…マテが“自分のトート”では歌わない曲を、どんなふうに消化して歌うのか、すごーく興味があったのに(T T)。
ううう、残念。



そのまま続けて「Der Letzte Tanz」。
これは文句なし、さすがマテ!!拍手喝采!!でした♪

続いてのマヤの「Ich Gehor Nur Mir」も、モチロン文句なし!



さらには、アンドレの「Elizabeth, Mach Auf」も絶品で。

扉の陰できっぱりと夫を拒否するエリザベート、
肩を落として去るフランツ、
…袖からゆぅるりと出てくるトート。

乱暴モノでわがままなマテの声が、あり得ないほど甘く、優しく響く…
去年のコンサートでも驚愕しましたが、マテの声の幅、芝居の幅は本当に素晴らしいなあと感心します。この場面での、エリザベートに誘いかける声のひたむきな甘さ、最後に「Ich Liebe Dich…」と囁きかける声の切なさと痛々しさ…

いやもう、ホントに大好きです。きっぱり。



そして、「私が踊るとき」「僕はママの鏡だから」「闇が広がる」「夜のボート」「エピローグ」と怒涛の“二幕名曲集”。

去年の来日コンサートの感動を思い出しました。
また観ることができて、幸せです。

ちょっと残念だったのは、後半マジャーンの出番がなかったことくらいかな(^ ^;ゞ
芸達者なマジャーンだから、ものは試しでマダム・ヴォルフあたりやってみたら面白かったんじゃないかと思うのですが…(←単に聴きたいだけ)

ま、「パパみたいに」を聴けただけ良かった、かな☆



カーテンコールは総立ち。

アンコールに「闇が広がる」を、全員の歌い継ぎで聴かせてくださいました。
マヤの「闇は広がる」、迫力あってよかったなー。

でもまぁ、せっかくだし、どうせ歌い継ぐなら本編でもやった「闇は広がる」ではなく、「キッチュ」か「マダムヴォルフのコレクション」をしてくれたら良かったのになー。
練習の負荷が大きすぎて無理??(T T)

とにかく盛り上がったラストでした!!



しかーし。
あんなに素晴らしいコンサートなのに、二階には意外と空席があったりして、ちょっと切ない気もしましたが。(日曜夜だったからでしょうか?)
でもでも、普通の演目で考えれば、十分入ってましたよね?
またやってほしいなあ〜、来日公演。モチロン「Elizabeth」でもいいし、「Mozart!」でも「Romeo&Julia」でも。


毎年恒例、みたいになることを、心から祈りつつ。
毎年が無理なら隔年でもいいよー。とにかく、日本で彼らの声を聴かせてください。

どうぞどうぞ、お願いします!>梅田芸術劇場さま♪


エリザベート来日公演一周年記念、「ウィーンミュージカルコンサート」の、二幕。



二幕の前半は、「MOZART!」

1幕のウィーンの街で歌われるコーラスナンバーの後、ヴォルフとスタンツィのラヴデュエット。「愛していれば分かり合える」だっけ?
ヴォルフガングはもちろんルカス・ぺルマン、コンスタンツェも「勿論」マジャーン・シャキ。
マジャーンはどこかでスタンツィの経験もあるのでしょうか?すごく心細げな、非常にスタンツィらしいスタンツィでした。
ドイツ語圏ミュージカルのスターを見るたびにいつも感心するのは、歌唱力だけの電信柱系がいないこと。言葉は通じないのに、作品のストーリーも知らなかったりするのに、ちゃんとその「役」の心情が伝わってくるんですよね。なぜ伝わるんだろう?何が違うんだろう?不思議でなりません。


次はアンドレ・バウアーで、レオポルトのナンバー。アンドレはトークでコロレード大司教の経験があると言っていたので期待していたんですが、パパでしたね。日本でいえば鈴木総馬さん系の、穏やかで深みのある美声なのに、あの不満と野心に凝り固まったクソオヤジの歌。かなり胸に突き刺さる芝居歌でした。
あんなパパがいたら、そりゃーヴォルフも必死になるよな…。


次がスタンツィの二幕のソロだったかな?
これはもう、文句なく素晴らしかった!!一幕の内気で目立たない末娘から、今をときめくモーツァルトの妻としてダンスパーティに明け暮れる“ファーストレディ”への変化。その“ファーストレディ”の苛々と憤懣…「何かが足りない」焦燥感。
小池さんが演出した東宝版のコンスタンツェは、演者が誰であっても等しく「夫が構ってくれなくて淋しいのに強がっている、素直になれない女の子」だったのですが、マジャーンのスタンツィは、「最先端の女」だったのです。
女王のような、華やかで嘲笑的で破滅的な、“享楽的な女”。

…ああ、マジャーンのスタンツィを本編で観てみたいよーーーっ!!



そして、マヤ・ハクフォートの男爵夫人で「星から降る金」。
…マヤの声はどちらかというと鋭い声で、あまり包容力のある声ではないんですよね。だから、どんな場面のどういう意味を持って歌われるかを考えながら、ミュージカルの一場面として聴いてしまうと、ちょっと物足りない気がしたことは否定しません。

ただ、「一曲」としては本当に素晴らしかった!
全然違う作品の全く違う場面に使いたくなりそうなくらい、名曲で名唱で、そして、ド迫力でした(*^ ^*)。



そして極めつけ、マテ・カマラスのコロレード大司教!!
びっくりしました。マテは絶対シカネーダーだと思ったのに(^ ^;

いやー、ホント極めつけだった。マテの大司教。こんな解釈ありかっ!?って感じ。神に対する怒りと不満を真っ向から表にだして、あからさまに闘いを挑む、宣戦布告の音楽だったんです!
あのマテの大司教を軸に解釈して演出したら、すっごく面白い作品になるか、ぶっつぶれるか……どっちかだろうなあ。

私はあの怒りに満ちた大司教様が、大好きです。
そろそろ、日本でも新解釈の大司教様が出てこないかなー(←まだ当面無理か…/涙)



そして真打(?)、ルカスの「影を逃れて」。
ルカスは実際にこの作品でヴォルフガング役を演じたことはナイと思うのですが…(もしやってたらすみません)、
「愛していれば分かり合える」くらいのナンバーでは十分ヴォルフになりきっていたルカスも、さすがにこの歌は、「歌手ルカス・ぺルマン」として歌っていた印象でした。

音楽としても良い曲ではあるのですが、やっぱり根本的に芝居のクライマックスの歌なので、ちょっと惜しかったなー。声もテクニックも十分だし、雰囲気も衣装もぴったりなので、ぜひ彼にはヴォルフを演じてほしいです。

…いいのかそんな野望を書いて。ルカス&マジャーンのコンビで、マテがコロレード、なんて話になったら、貯金崩してしまいそうです私…。



ちょっとトークをはさんで、最後に「ELIZABETH」。
こちらはほぼ作品の順番どおり、だったかな?
残念ながら、衣装は全然違いましたけれども。

プロローグから早速面白かったんですが、とりあえず今日はここまで♪


梅田芸術劇場メインホールにて、「ウィーンミュージカルコンサート」を観劇してまいりました。



ほんっとーーーに感激しましたっっっ!!



わずか13000円(S席)で、
TANZ DER VAMPIRE
ROMEO & JULIA
REBECCA
MOZART!
ELIZABETH
という、5本の独仏ミュージカルの名作をまとめて観ることができて、とってもお得!って感じ(*^ ^*)。

本当に素晴らしかった〜!!



昨年の「ELIZABETH」来日公演で来日したマヤ・ハクフォート(エリザベート)、マテ・カマラス(トート)、ルカス・ペルマン(ルドルフ)の3人に、来日は初だけど「REBECCA」のフランク役オリジナルキャストでフランツ・ヨーゼフ役の経験もあるアンドレ・バウアー、「ROMEO & JULIA」独語版のオリジナルキャストで、「TANZ DER VAMPIRE」のザラなども経験のあるマジャーン・シャキ。

マジャーンも、去年の来日公演が終わった後の「ルカス・ぺルマン×中川晃教コンサート」に出演されていたので見ているし、アンドレ以外はみなさん「一年ぶりのこんにちは!」なんですよね(ルカスが出演していた「ファントム」は観られなかったからなぁ…涙)
みなさんお元気そうで、とっても嬉しいです(はぁと)



幕開きは「TANZ DER VAMPIRE」。
私は帝劇の舞台を一回観たのですが、実はあまり感銘を受けず……(汗)。音楽は良いけど、脚本・演出についていけなくて、「面白いんだけどちょっとしょぼん…」と思いながら帰ったのですが。
こうして音楽だけ抜き出してあらためて聴くと、ホントに素晴らしいですね(*^ ^*)。アルフレートのナンバーも、ザラのナンバーも、もちろんクロロック伯爵のナンバーも素晴らしいです。
……マテの、型破りなクロロック伯爵をフルナンバーで観てみたいです!



マテのトークをはさんで、次は「ROMEO & JULIA」。
これは2001年パリで世界初演されたフランスミュージカル。05年にウィーン版がルカス&マジャーンのコンビで開幕。海外ミュージカルファンの一部では話題作で、私もずっと観てみたいと思っていました。
昨年、ルカスが中川晃教とのコンサートでマジャーンとデュエットした『LIEBE』(「WEST SIDE STORY」における「ONE HAND, ONE HEART」にあたる曲)があまりにも素晴らしくて、CDを買ってしまった作品。今回はこの『LIEBE』のほかに、『BALCON』(それこそ「TONIGHT」)や乳母のナンバー、ジュリエット父のナンバー、そして何よりカッコいいロミオ&マキューシオ&ベンヴォーリオ3人のナンバーを歌ってくださいました。
いやはや、マキューシオを歌ったアンドレの渋さ(笑)と、ベンヴォーリオを歌ったマテの無駄な熱さ(笑)!
…いやあ、ルカスのかっこよさはよーく解っているツモリでしたが、男三人で元気に暴れまわるルカスはまた一段と魅力的で(笑)。ちょっと惚れてしまいそうです(*^ ^*)。

あと、日本で上演されていないので、プログラムに訳詩があるのが死ぬほど嬉しかったです。こういう歌詞だったのか…(知らずに聴いていた)う、嬉しい(喜)。


お願いです。「ROMEO & JULIA」、コンサートバージョンでもいいので、来日公演してください。…ルカス&マジャーンで(←無理)
日本人キャストでやるなら、浦井建治&笹本玲奈で、と、こないだ「ルドルフ」を観たばかりの私は切望していたりします(笑)。



またちょっとトークをはさんで、次は「REBECCA」。
これは、ちょうど今シアタークリエで上演中で、私は残念ながら来月まで観劇予定がないので(T T)、とりあえず、パス。
クリエ公演を観てから書かせていただきます。

っていうか、マヤのダンヴァース夫人を先に観てしまった私……(^ ^;ゞ、シルヴィア、がんばってくれ…(祈)。



1幕はここまで。
2幕は、「MOZART!」「ELIZABETH」の2作を、ほとんど半幕上演くらいのヴォリュームで聴かせてくださいました。
…そちらについては、また後日♪



とにかく素晴らしい公演でした!
あとわずか二日しかありませんが、ぜひぜひ観にいらしてください♪♪絶対に損はありませんからっ♪




東京會舘にて、玉野和紀さんと樹里咲穂さんのトークサロンに参加してまいりました♪♪

とりあえず、ディナーが美味しかった!東京會舘は、たま〜に手抜きだったりすることもあるけど大概はおいしいんですよね。今回も大当たりでした(嬉)。



食事が終わって、照明が落ちる。
前回(去年)のトークサロンでの経験を生かして、しっかり後ろを振り向いてみる。

……やったね!やっぱり後ろから登場したよ〜っ!



幕開きの音楽は、「CLUB SEVEN」のテーマ(?)曲。
衣装もオープニング&エンディングの“あの”衣装!(吃驚)
お二人ともさすがに似合ってた〜!!かっこいいですっ♪



テーブルの間を練り歩きつつ、二人で歌いながら舞台へ。

軽く挨拶して、「衣装着ちゃったね」「なんで着ちゃったかな…」みたいな軽いジャブの応酬があって、

「ではでは、せっかくこの二人が揃いましたので」
「プチプチプチプチ……なクラブセブンをご披露したいと思います!」

と、

吃驚仰天な宣言がありましたっ!



というわけで始まった「プチプチプチプチ…クラブセブン」。
まずは、樹里ちゃんのソロから。

黒の上衣を脱いで、カラフルなブラウスに。
曲は、……う、「LADY MARMALADE」だったっけ?「ムーランルージュ」の場面の前に、樹里ちゃんと優里ちゃんがぼんばぁな衣装を着て歌ってた曲だと思います。
カッコよかった!(はぁと)


袖に引っ込んでいた玉野さんが、背広っぽい服に着替えて登場。
樹里ちゃんもそのまま残って、

何をするのかと思ったら、

美輪さま、キターーーッッ!!

はい、かの東山&樹里の名場面、「人生は過ぎ行く」。
鏡の前でネクタイを結ぼうとする夫・玉野。
その姿を見守りながら「行かないで、傍に居て…」とかき口説き、すがりつく樹里(歌は美輪明宏)。
いやもう、何度観ても名場面ですわ。ほんとに。

ラストのオチは本公演のときとは全然違っていて、まだ新しいネタをかますか!とびっくりしたりもしましたが。
それにしても、樹里ちゃんの顔芸はやっぱり大画面に映してほしかった…それだけが心残りです、はい。



樹里ちゃんが袖にさがって、次は玉野さんのタップソロ。
ごめんなさい、タップのあまりの素晴らしさに見惚れていて、曲がどの曲かよくわからなかった(汗)。
派手な技は無かったけど、玉野さんのタップはやっぱり凄いです♪



で。終わると、樹里ちゃんがゴールドのレースのミニドレスで再登場。

二人でデュエット。曲は多分、1幕ラスト前のミニミュージカルのショータイムに、玉野さんセンター&樹里ちゃん&優里ちゃんで歌ってた曲だと思うのですが…違っていたらごめんなさい。
本公演とはだいぶ編曲が違うし、一回しか観ていないから曲がよくわからない(汗)

まぁ、何の曲であれ素晴らしく良い歌で、お二人の声の相性が良いのに感心しました(*^ ^*)。
樹里ちゃんの声って強い声だと思っていたんですが、実はものすごく合わせやすい声なんでしょうか?戸井さんとのデュエットも凄くよかったし、「モダン・ミリー」での岡幸二郎さんとのデュエットなんて、天井の音楽(←大袈裟)みたいだったし、
誰と歌ってもしっくり溶け合うんですよね。音程が確かで、声質に癖がないから、かな?

得がたい声だな、と、いつも思います。




以上をもって、「プチプチプチプチ…クラブセブン」は終了。
あとはトーク、トーク、トーク、ちょっと歌、またトーク…そんな感じ(^ ^)。
もう、トークの間中ずーっと笑いっぱなしだったんですけど…何の話してたっけなあ(汗)。

トークの中身とはあまり関係ないんですけど、なんだか、樹里ちゃんはもの凄く緊張していたような気がします。
玉野さんってやっぱり「先生」なんだなあ。

今までの樹里ちゃんのトークって、司会を務めるCSでのトーク番組ならゲストのほとんどが下級生だし、去年のトークサロンの相方は戸井さんだし(年齢は上だけど立場は対等っぽい…)、目上の人と喋っている樹里ちゃんってあんまり観たことなかったんですが。

…挙動不審なくらい緊張して、真剣に仕切ってました(笑)。めっちゃ可愛かったです♪
でも、時計もないのにちゃ〜んと腹時計でタイムキーパー役もこなしてたし、話題もちゃんとリストアップ(「宿題」って仰ってましたが)して進めてたし、さすがプロは違いますねぇ〜!
玉野さんがリラックスして伸び伸びとお話されていた隣で、樹里ちゃんがぽけぽけしつつもがんばっていらしたのが、とっても面白かったです♪



ここでの一連の会話、何を話していたのかよく覚えてません(滝汗)。
めちゃめちゃ笑いっぱなしだったんだけどなあ(涙)

ちと考える時間をくださいませ。
首尾よく思い出したら、書きます。

思い出せなかったら、トーク後の歌から、ってことで(^ ^)/~




赤坂ACTシアター「トゥーランドット」。(思いっきりネタバレあり)


久しぶりの赤坂。いやー、想像以上に雰囲気が変わってしまっていて、しばらく戸惑いました(汗)。いろいろ新しいのが出来たのは知ってたけど、実際行ってみると(@ @;)って感じです。
“赤坂ミュージカル劇場”時代も、“赤坂ACTシアター”時代も、あれやこれやと通ったのになぁ(感慨)。あの頃のBLITZ&ACTは、なんとなく場末っぽいというか、いかにもプレハブっていうか…な印象だったのに、えらくお洒落な街になってしまって、自分が凄い場違いな感じでした(^ ^;ゞ

さて、次はなっち。

安倍なつみ。

可愛い!!


……いや、あの。

以前、宝塚宙組で上演された「鳳凰伝」(木村信司)では、彩乃かなみ嬢が演じた女奴隷・リュー。
もちろん、作品が違うんだから全然違うキャラクターなのは当然なんですけど、この役はオペラでもほぼ準主役格の役なんですね。
トゥーランドットがあまりヒロインらしくないというか、いわば立役なので、いわゆる“ヒロイン系”はリューになる。宝塚でいえば、トゥーランドットはベテランの女役トップがやる役で、リューは若い娘役トップ、というのが一番わかりやすいかな?

今回は、潤色的にトゥーランドットが比較的普通の“恋する女の子”として描かれていたので、逆にリューがしっかり者で小生意気な子供になっていたのがすごく新鮮でした。
そして、なっちのリューの最大の魅力は、その子供っぽいけなげさだったのだと思います。
見返りを求めない必死さ。
カラフ以外は何一つ眼に入らない純粋さ。

カラフを想って歌う月夜の場面で。
傷ついたミンを膝枕する優しさと、
寝入った彼をおいて、カラフの幻を追うように歩き出す心もとなさ、
そして、激情にかられたあげく、慰めようとするミンを拒絶する、激しさ。

プライドの高い子供のような、
野生の獣のような娘。

馴らされた従順な飼い猫のようなミンとは全く違う激しさと、
二人に共通する、他人の中で人に仕えて生きてきた子供特有の、目配りの広さ。

私は「鳳凰伝」という作品があまり好きではなかったせいか、どうやら完全に記憶から抹消してしまったようなのですが。
かなみちゃんのリューは、もう少し大人で、もう少し計算高く“王子への片思い”を演じて酔っている印象があります。
その分、ラストの悲劇性が高くて、さすがかなみちゃん、という存在感ではあったのですが。

…なっちのリューは、とにかく真っ直ぐで可愛かった!!

イマドキ珍しいくらい、直球ど真ん中一本で勝負して、真正面で跳ね返されて。国を追われた王子にずっと仕えていたのも、供を命じられたからではなく、多分無理やりついてきちゃったんだろうな、なんて想像をしてしまいたくなるような。

岸谷カラフは、絶対「ついてくるな。戻れ」って冷たく言ったに違いない。それをティムールあたりが「そう仰らず。この子も食事の支度くらいはできますよ」かなんか言って許してやったんですよきっと。

とにかく、けなげで必死で可愛くて、しかも生活力のあるしっかり者で、
…ここまできたら、ちゃっかり生き残っても良かったのになぁ…と思っちゃいました(汗)。すごく生命力に溢れたリューで、“カラフとトゥーランドットが結ばれたら生きていられない”という儚さもなかったし、子供の一途さで、ほとんど刷り込み状態で追いかけているだけだから、いずれ諦めもついただろうに、…って。
本当は、ミンと二人で幸せになってくれれば、それが一番良かったんですけどねぇ…。でも、ミンが生き残るのは無理だったからなぁ……(T T)。


 
小林勝也。
さすがに文学座の重鎮は貫禄が違う!ストレートの舞台役者としてのキャリアは短い人が多かったので、こういう人がメインに一人いると安心です。お稽古も心強かったろうなあ。
…只者ではない貫禄が最初から漂いまくりだったのは、あれで正解、なんですよね…?カッコよかったです(*^ ^*)。

オペラではカラフの父親という設定のティムールを、カラフの従者で、実はトゥーランドットに仕えていた学者、という設定に大きく変えたために、だいぶ訳のわからない存在になっていましたが…(T T)。
ワン将軍とともに、今回の潤色の影響を強く受けた人の一人でした。


 
北村有起哉。
素晴らしかった!!
芝居は言うまでもなくて。歌も、身のこなしも、何もかも完璧(←褒めすぎ)と言いたくなるほど素晴らしかった。

北村さんがいたから、この「物売り」っていうキャラクターを設定したんだろうな、亜門さんは。いろんな説明をぜーーんぶやってくれるありがたーーーーい役でしたが、本当に素晴らしかったです!次の舞台も観にいくぞー!





最後に、全般的に「作品」について。というか、亜門さんの潤色について。

私は、オペラ「トゥーランドット」も一回しか観ていないので、偉そうなことを書いていても、実はあまり詳細を覚えてはいないのですが。

タイトルロールのキャラクターについては、非常に勝手にある種のイメージを持っておりました。
(それがあったので、「鳳凰伝」も受け入れられなかったのですが)

えーっと、どう書けばいいのかな…(悩)

まず。
私は、「自分自身を他人に明け渡すことができない」という性格設定が、非常に好きだったりします。

恋に落ちても、それで全てを投げ出して“この世にあなただけ”になれない人が好き、なんです。
意地を張って“あんたなんて知らない!”って言っちゃうとか、“するべきことがあるからあなたと一緒には行けないわ”と静かに言ったりするようなヒロインに共感しやすい。
…そのあたりが、世間一般の宝塚ファンの平均値より石田作品が好きな理由なのかな、と思っているのですが。

それも、「一緒には行けないわ」と言うその動機が、純粋に「するべきことがあるから」ではない人の方がタイプ。

「恋人に自分の心の全てを明け渡してしまったら、自分自身を見喪ってしまいそうで怖い」
だから、意地を張って拒否してみせる、
あるいは、もっと危険なところに自ら飛び込んでいってしまう、そんな少女が、一番ハマるタイプなんです。



以前観たオペラの「トゥーランドット」のタイトルロールは、まさにそういうタイプで。
「カラフに心を預けることが怖くてたまらない」姫君だったんですよね。最初の出会いで恋に落ちているにも関わらず。

国を守るという重圧の中、自分自身を支えるだけで精一杯。
自分の肩に国が載っている以上、決して他者に屈することはできない、と、必死で“支配者の孤独”に耐えて、意地をはる。

3つの謎を解いた男、自分を超えた初めての男に心密かに恋をしながら、絶対にそれを認めない。男がそんな女の意地を読んでかけてきた謎に答えるために、どんな犠牲も払おうと決意する。

その謎に答えるということは、生まれたばかりの恋を喪うことだと知っていながら。

国を守るために、というのは言い訳で。
本当は、カラフに全てを明け渡すことが怖かったから張った意地。
男に全てを預けることが怖くて、捨ててしまおうとした、恋。

そして。
かはたれ時の薄闇の中で、カラフが口にする、謎の答え。


答えを与えられて、初めて気づく。
彼が、すでに全てを明け渡していることを。
彼自身の全てを、女王に差し出していることを。

彼にできることが、我に出来ぬはずは、ない。
そう、それはもしかしたら、喜びであるのかもしれぬ。

…今このとき、女王の心には全ての可能性がある。
打つべき手の全てが、可能性の全てが揃っている。
後は、どれを打つかを撰ぶだけ、という全能感。

そして、女王は、
…愛、を撰ぶ…



宮本亜門の演出では、かなり初期からワン将軍という「黒幕」が設定されていたようです。

そのおかげで、心理的に理解しにくいこの物語が、ものすごく簡単な話になっていたと思います。
ごく単純な、勧善懲悪もの、に。

女王の側近に“成り上がった”ワン将軍に、「トゥーランドット姫への恋慕」と「ミンへの優しさ」という同情設定を加えつつ、宮廷ににおけるすべての罪と矛盾をのっけてしまった。

トゥーランドットは側近に裏切られた悲劇の女王になり、
カラフは女王の側近くに仕える悪魔を成敗する神の使いの役割を果たして、
ワン将軍の指揮に忠実な軍隊が起こしたクーデターは、女王派の市民たちが抑えて、

そして、女王は退位し、市民主導の政府を作る……

ものすごく現代的な展開だし、
ものすごく現代的な解決方法なのに、

残念ながら、すごーく古典的なキャラクター配置になってしまったな、と(涙)。

トゥーランドット姫の心理は、いろんな解釈がなされるもので、どれが正解というモノはないのだと思うのですが。
ただ、やっぱり「トゥーランドット」というタイトルである以上、主題は“トゥーランドット”の物語であるべきだと思うのです。
トゥーランドットが正義である必要はないのですが、「トゥーランドットの物語」ではあってほしかった。
いずれにせよ、ワンという悪役を作ってしまったことで、話はわかりやすいけど、薄っぺくなったなー、というのが一番の感想です。

なのに、全編を通して語られるのが、異国の王子に恋をして、なのに国を背負う孤独に打ち震え、そして側近にだまされた…『可哀相な、愚かな女王』であったことが残念です。

そして。
ああいう展開にするのであれば、前半にもう一声、ワンとトゥーランドットの場面がほしかった。ワンに頼っているふうを見せるトゥーランドットでもいいし、トゥーランドットを脅しつけるワンでもいいので。

でも、そういう微妙な場面を作るには、アーメイさんの日本語能力が問題だったのかもしれないな、と思ってしまって……余計に残念なのですけれども。


この潤色の動機に、「新赤坂ACTシアターの杮落としだから、華やかに祝祭風に」という要望があったのだとしたら、ちょっと残念な気がします。
確かにこの設定にすることで後味は良くなったかもしれないけど、せっかくの杮落としにもっと重厚で歴史に残る脚本をやらせてあげたかった気もするし。

それになにより。「祝祭」感を出したかったなら、別にあの展開で無理やりリューを死なせなくても良かったんじゃないの?と思っちゃいますよね。…ティムールとミンは仕方ないけど、リューは元々「カラフの名を洩らさぬために」死ぬわけで。
その場面もないのに、あんな経緯で死ぬ必要はなかったのでは?
それがすごく理不尽な感じでした。


“演劇界の他流試合”は面白かったけど、作品としてはちょっと消化不良気味……というのが正直な感想です。
ごめんなさい。


あんまり関係ないこと?

ラストに、国に緑が戻った祝祭の場面で。
旅から戻ったカラフを涙を浮かべて迎えるトゥーランドットを、階段セットの上で見守るティムールとリューとミン。

まんま、バルジャンとエポニーヌとアンジョルラスに見えるんですけどっ!?(@ @;;


あんまり関係ないこと?

公演とおして「すげーーーーっ!」と思ったこと。
いくつかあったのですが、特にびっくりしたのが、ミンの拷問場面で鞭を操る拷問係の技の見事さ(*^ ^*)。長い長い鞭を、まさに“生き物のように”完璧に制御していました。音(録音かと思っていましたが、違うんだそうです。コメントありがとうございました…)とぴったりあっていたのも素晴らしい。

いやー、名場面でしたぁ(←それかなり違うから)




赤坂ACTシアターにて、音楽劇「トゥーランドット」を観てまいりました。



私の目当ては久しぶりの宮本亜門演出と、早乙女太一くんだったわけですが(汗)。
まずプログラムを見て、スタッフ欄の豪華さにびびりました。

プロデューサーの河出洋一さんは、宮本亜門と「香港ラプソディ」で始まったアジア三作以来のつきあい。この「トゥーランドット」の成功を期に、「香港ラプソディ」再演してくれないかしら。ディック・リーの音楽、もう一度聞いてみたいのですが。

音楽は久石譲、脚本は鈴木勝秀、作詞は森雪之丞…すげー憧れの人が揃っている気がするのは私がマニアだから?久石さんを引っ張り出せるのは亜門さんだけだろうし、鈴木さん森さんはここのところ立て続けにいい作品を発表していらっしゃるし。
装置はもちろん松井るみ。今回の装置、整然と舞台を埋め尽くすコの字型の総階段は実に見事でした。段が引っ込んで丈高な壁となり、段がせり出して舞台を埋め尽くし、逃げ道をふさぐ。見事な“もう一人の役者”っぷりでした。松井さんの装置、好きなんですー。
振付がダレン・リーと岡千絵、衣装はワダエミ。華やかな美しさ。質へのこだわりと絵面の壮麗さ。見事な仕事でした。

このスタッフと、そしてこのキャスト。河出さんらしい、豪華で華やかな、他流試合の勝ち抜き戦、でした。


キャストも本当に他流試合だったなー。

“氷の心を持つ姫君”トゥーランドットに、台湾の歌姫アーメイ。

彼女の心を溶かす異国の王子カラフに、地球ゴージャスの岸谷五郎。

トゥーランドットを愛する、強面のワン将軍に、中村獅童。

カラフの供で、彼に恋をしているリューに、「モーニング娘。」初代のひとり、安倍なつみ。

カラフの傅役のティムールに、文学座の小林勝也。

物語をひっかきまわすトリックスターの“物売り”に、北村有起哉。

そして、トゥーランドットに仕える宦官ミンに、劇団朱雀の2代目、早乙女太一。

ちなみに、大臣ズや女官ズには、宝塚OGのソン(秋園美緒)ちゃんやこんにゃく座の佐山陽規さん、越智則英さん、花山佳子さん、松岡美樹さんら本格的なミュージカル俳優(猫にとっては全員「レミゼ組」かも)が揃っていて、コーラスも聴き応えがありました。
久石さんって映画音楽のイメージが強くて、舞台音楽はどうかなーと思っていたのですが(←失礼)、迫力のあるコーラスが素晴らしく、ソロのアリアもとても良かったです。もう少しデュエットや小人数での曲があっても良かったかもねー、と思いつつ…。



物語は、プッチーニの「トゥーランドット」とはかなり違う展開でした。
スタッフコメントを読むと、基本的な展開はほぼ亜門さんが決めていて、脚本の鈴木さんは最後に加わっただけだったみたいですね。うーん、、、ってことは、あの展開は亜門さんの解釈だったのか…。うみゅーーーー。

まず先に、キャストについての感想を。

アーメイさん。
うーん。正直な感想を書くなら、今回彼女をキャスティングした理由があまりぴんと来なかった、です(T T)。席が前方端席で、あまり音響がよくなかったせいか、ソロもあまり迫力を感じられず。彼女の歌はとても好きなので、ナマで歌が聞けるってだけで舞い上がっていたのですが…ちょっと肩透かしでした。

しかも。私は基本的に耳で舞台を観る人なので、歌がどんなに良かったとしても、日本語が出来ない人に台詞を喋らせることには絶対反対なんですよ。歌の発音は全然問題なかったのですが、台詞はかなり無理な感じでした。
せっかく彼女を呼ぶのなら、全編歌のオペラ形式なら問題なかったのに、と思う。他のキャストをそろえることができないのなら、彼女だけ歌でも別にいいのに、と。「神の子」トゥーランドット姫は喋らないで歌うのみ、という設定でも、なんら違和感はなかったと思うのに……(悔)。

そして、彼女は笑っているべき人だと思いましたね。
二幕ラストからカーテンコールにかけての、華やかで明るい、太陽のような笑顔!!とにかく彼女は、想像していた以上に「太陽」そのものみたいでした。休憩をいれて3時間におよぶ作品の中で、9割の時間を怒っているか孤独に耐えているか、という女性の役をやらせるべきキャラじゃない。

なにはともあれ。
日本での舞台をこれっきりにするなんて寂しいことを仰らずに、また出てくださいますように。
次はぜひ、陽気で優しい、元気な女性の役で、ね!!



岸谷五郎。
「地球ゴージャス」でも、わりと良く歌が出てくるので、彼がある程度歌えることは知っていましたが。
上手いなあ、良い声だなあ(うっとり)。そして、ホントにかっこいいなあ……(^ ^)。

この作品におけるカラフは、オペラのカラフと違い、闘いに敗れて国を奪われたわけではなく、父親に疎まれて国を追われた、という設定…だったような気がします(あまりよく覚えていませんが)。
流浪の王子であることは同じでも、「亡国」と「国を追い出された」のでは決定的に意味が違う。それゆえに、カラフの性格もだいぶ違っていました。なんたって荒くれ者だし(笑)、かなり自暴自棄で、身体のどこかに怒りを溜め込んでいる男。

オペラでは、ふと垣間見たトゥーランドット姫に恋をして謎かけに挑戦するカラフですけど、今回は傅役のティムールにそそのかされて、トゥーランドット本人には大して興味ないくせに儀式の場へ出てしまいます。
自分の運を試すために。或いは、自分の運命と出会うために。
「どうせ死に場所を探しに来たのだ」と嘯きながら。

それでも、最終的には運命は同じところに転がっていくわけですけれども。

とりあえず、紅い衣装が実に良く似合って、良い男っぷりでした。殺陣もさすがだし、声もいいし。かっこいいなあ〜。



中村獅童。
ワン将軍は、オペラには無い役。
この役に、亜門さんのこだわりがすべて入っていますし、『亜門さんの』トゥーランドットを描き出すためには獅童さんでなくてはならなかったんだろうな、と、常に笑みのカタチに歪んだままの口元を見ながら思いました。

作品的な矛盾を一身に受ける役なので、役作りは苦労されたんだろうなー、と心から同情します。亜門さんも無茶をするよ…。



早乙女太一。
私は亜門さんが好きなので、元々観にいくつもりではありましたが、もし彼が出てなかったら、結構今月は忙しかったので結局観ないで終わったかもしれません。そのくらい、「太一くんが出るんだから絶対に行く!」という気持ちは強かった。

去年の「CLUB SEVEN SP」以来の早乙女太一。
結局あの後は忙しくて、彼のホームグラウンドである朱雀座は観にいけませんでしたが。
16歳の男の子って、たった半年でも育つものなんですねぇ…。肩のラインが少したくましくなって、なのに顔はまだふっくらしたまま。そのアンバランスさが異様なほどの魅力でした。

ワダエミさんの衣装を最高に生かすダレン・リーの振付で舞う姿の美しいこと。いっそサロメを観てみたい!と思ったほどです。
最初の儀式のとき、階段装置の上から、リューたちを見降ろす姿。ふ、と袖で口元を押さえる仕草。2,3段降りて、ふと立ち止まり、袖を翻して向き直る。……ちょっとした仕草一つにこんなに華がある人がいるなんて!!

そして、最大の見せ場(←違います。彼の見せ場は舞いの場面です。間違えないように)、最大の見せ場である(無視かよ)、拷問の場。
トゥーランドットの密命でカラフを逃がしたミンは、ワン将軍によって拷問にかけられる…この時の、髪を乱して鞭打たれる彼の姿。蒼い衣装によく映える白い肌、ピンクの唇。切れ長の眼を隠す髪、細いあごから喉元への、男でも女でもないライン…。
嗜虐的、って言葉を実感させる姿でした。

助け出された後の、リューとの場面も凄く良かったです。仕草に華がある、っていうのをここでも思いました。上衣を持って、カラフを思って泣くリューに後ろから着せ掛けてあげる…たったそれだけの仕草が、まるで舞を舞っているかのような美しさで。

宦官、という特殊な立場の特殊な人間を演じるのに、彼以上の人材はいないかもしれません。


ただし。

……今後も外部の舞台に立ち続けるのであれば(心の底から希望します!)、早急に台詞の発声を見直していただきたい!!と、これまた心の底から思ったことも、書いておきます。

舞台の上で“台詞”を喋る彼を観たのは初めてでしたが。

「宦官」である今回の役ならば、許される声であったとは思いますが。

声変わりは終わったのかな、まだ最中なのかな…。落ち着いたなら、すぐ訓練を始めてほしい。固まってからだと矯正に時間がかかるから。
朱雀座での活動もあるから難しいとは思いますが、今のままでは宦官(と女形)以外の芝居は出来ませんから…。

身体で語ることなら大の得意の彼ですし、それだけでも十分舞台を観にいく価値がある人ではあるのですが。
でも、台詞も語れて悪いことなどありません。ぜひ、なんとしても時間を作って外部の舞台にも出て欲しいし、そのためには、なんとしても発声の基礎を学ぶ時間を作ってほしいのです。

彼の魅力に恋をした観客の一人として、心の底からお願いします

私は彼に、いつか剣士の役をやってもらいたい。
CLUB SEVENでの流麗な殺陣が忘れられないから…。



……なんだか信じられないほど長くなってきたので、今日のところはこのあたりで。



なんだかすっかり書き終わった気でいました……「CLUB SEVEN」。
そういえば一幕終わったところまででしたね(汗)。


というわけで。間があいてしまいましたが、休憩をはさんで第二幕。
関係ないけど、「CLUB SEVEN」って今までも休憩ありましたっけ?先月のキャラメルボックスでは「初めての休憩」を売りにしていたんですが……。



幕開きは、Fantastic Musical「マネキンとあやつり人形」。

玉野さん扮する、仮面をつけた“怪人(ご本人談)”が幕前に登場。カカッツーン、カカッツーン、微妙にぶれたような、不可思議な足音が響く。
舞台センターに留まって持っていた鞄を開き、中から人形を取り出し、舞台前面にゆっくりと並べていく…と同時に幕があがり、後ろに立っているマネキン人形たちにライトがあたっていく。


怪人がまたゆっくりと立ち上がり、怪しげな足音を響かせながら立ち去ると。
徐々に人形たちが動き出す。
ゆっくりと、ぎこちなく、踊りだす。

でも。舞台奥の椅子に置かれたあやつり人形(東山)だけは、動けない。


踊り子人形(樹里)が、あやつり人形を踊りに誘う。彼を縛り付ける糸に気づいた踊り子人形は、ぎこちない動作で、一本づつその糸をはずしてあげる。

身軽く踊りだすあやつり人形。しばらくソロでパフォーマンスを愉しんで、それからふ、と気づいたように踊り子人形と組む。
人形たち皆の、楽しげな微笑。さんざめき。

そして。


華やかなダンスナンバーの最中に、

……怪人が、戻ってくる。



慌ててポジションへ戻る人形たち。

糸の外れたあやつり人形を見て怒った怪人は、舞台前面に並ぶ人形たちから踊り子人形をとりあげて。

…首を捻って投げ捨てる。

ばたり、と軽い音をたてて、崩れ落ちる舞台奥のマネキン(樹里)。

他の人形たちも、一瞬悲痛な目を向けて、
それでも何事もなかったようにポーズをとって立ち続ける。


怪人が去った後。

あやつり人形は、腕を伸ばす。
床に倒れた踊り子人形に向かって、精一杯に。

ふたたび糸につながれ、動くことのできない彼の、精一杯の、愛。


彼は、力づくで糸を引きちぎる。
ぶつん、ぶつん、と、運命の弓弦が鳴り響く。


糸が切れたあやつり人形は、踊り子人形のところへいけるのか?


いいえ。
糸が切れたあやつり人形は、動けない。
椅子からは立ち上がっても、ふらりとゆらめいて、ぱたりと倒れてしまう。踊り子人形が倒れたときよりも、もっとずっと軽い音をたてて。

それでも彼は、腕を伸ばす。
腕も、肩も、指も、精一杯に伸ばせるだけ伸ばして、

あと、少し。
あと、ほんの少しで、手が届く…



糸を断ち切った後悔と、
少しでも彼女に近づきたいという熱情と。
それらを滲ませたまま、動かなくなった彼の頬に当たるライトが。

切なくて。



セリフも歌も一切無い、動きのみのパフォーマンスでしたが。
まず、玉野さんの“怪人”ぶりが素晴らしかった。
カカッツーン、カカッツーン、という、頭に響く不可思議な足音。鞄から人形を取り出すとき、あるいは戻すときの、実に怪しい雰囲気。間の取り方。特に、鞄へ戻すときの、一体づつ人形を取り上げては一瞬考えこむ、その間の取り方の怖かったこと!!

そして、東山くん。糸につながれているときの不自由さと、解き放たれたときの優雅な美しさ。
そして、糸を無理やり切るまでの表情の変化と、切れた後の力尽きよう。
すべてが美しくて、哀しかった。

パワーのある存在が、そのパワーを奪われたときの脆さ。切なさ。
美しさには、パワーと脆さ、両方が必要なんだな、と。
心から納得しながら。



で。
ちょっとぶっ飛んでいた気持ちをしっかり戻してくださる、ありがたーい(そしておもろい)トークをはさんで、いよいよお待ちかね、の50音順ヒットメドレー。



これねぇ…終了後でもいいから、曲目リストを出してほしいものだ、と毎回思うんですよね。特に今回は、「新バージョン」ということで知らない曲が凄く多かったので。かなり真剣にほしいよー。
一応アンケートには書いてみたけど、まあ無理だろうなあ。
(ネタ的な使われ方の曲も多いし)



とりあえず、宝塚ファンとしてはずせないのは「うたかたの恋」2発でしょうか。
「ぬ」で、ものすごーーーーく良く知っている前奏が流れた!と思ったら、樹里ちゃんルドルフ&優里ちゃんマリーが!! くるくる巻き毛の優里ちゃんが物凄く可愛いです。そして、アンドレみたいな樹里ちゃんはとてもステキ……なんだけど、もちろん化粧替えの時間も男役用の下着に着替える時間もある訳が無い。実に女らしいラインのまま、軍服着て気障っている姿は……ちょっとヤバイよソレ……(^ ^;ゞ
がんばれ樹里ちゃん、負けるな樹里ちゃん(笑)。

その後、もう一回同じ前奏がかかったんだよね。何のときだったかな…
そのときは、オカマな二人が扮していて、ほとんど歌わずにすぐはけちゃいましたけど。

宝塚関係は、「すみれの花咲く頃」は毎回出るんですけど、今まではあんまり他の曲は使われていなかった……ような気がするのですが。(OGは必ず出てたのに)
今回は結構多かったような気がします。

えーっとえーっとえーっと。
すいません、私の海馬は旅に出てしまったらしく、全く思い出せない。あんなに笑ったのに。二度と忘れない!と思ったのに。
バイク旅行ネタも最高に面白かったんだけど、曲はなんだっけ…☆たちのパフォーマンスも、りんごの木も、優里ちゃんの蚊も、画面は物凄くよく覚えているのに曲を覚えてないから説明できない(T T)。うう、駄目かも。

ごめんなさい。やっぱりもっと早く書かなくちゃいけなかったですね…。


「ん」は定番の「Seasons Of Love」。どこで何度聴いても名曲です、これは。結局、この「50音メドレー」は、観客を思いっきり笑わせて、愉しませて、ラストにこの曲をやるための企画だったのだ、と思います。

525600の過ぎた時。
昨日もない、明日もない、ただ今日のこの日が、
この舞台があるだけの人生、

そんな思いをこめて。



「……LOVE…」という、ラストのユニゾンが。
ライトの落ちた舞台にとけていく。



そして、

ラストの締めは、いつもどおりの「CLUB SEVEN」リプライズ。
美しい彼らの、美しいダンス。
黒一色に身をかため、シンプルな舞台いっぱいに、伸び伸びと踊る7人の仲間たち。


私が観たのは千秋楽だったのですが、なんと!アンコールに応えてもう一度「CLUB SEVEN」を踊ってくださいました♪♪
……かなり皆へろへろりんでしたが……(^ ^;ゞ。


まぁ、とにかく。

理屈を言っても仕方がない!楽しいものは楽しいんです!

絶対に映像化することのできないこの作品。この眼で観ることができたことが、腹を抱えて笑うことができたことが、とても嬉しい。

幸せな時間を、幸せな3時間を、
3時間分の血と汗と涙(←すげー濃そう…)を、

本当に本当に、ありがとうございましたっっ(はぁと)。




語りたい舞台がたくさんあるので、急いで話を進めたいと思います。



品川プリンスの「Club Seven」1幕のつづき。


家族3態の次は「玉子のむちゃブリっ子!」コーナー。
ま、コントですな。玉野さんが可愛くおさげの女の子に扮して、メンバーに「予告ナシに無茶苦茶なネタをフる」という、メンバーにとっては(多分)地獄の時間。

それまでは毎日日替わりで3人ずつだったようですが、千秋楽だけは6人全員強制参加、でした。
…私は楽しか観ていないので、周囲のファンが「椅子が!!」とざわめいている意味がわからなかったのですが。どうやら「昼公演までは椅子を持ってくるスタッフは1人だったのに、2人も出てきたよ!!!(椅子が6つだから)」という驚きだったらしいです。
玉野さんってホント無茶するよなぁ……。

設定は、「CLUB SEVEN」応援団6人。
お題は、「CLUB SEVENの応援歌の振付をしてくれた皆さんです!」でした。

いやーもう、ステキだよみんな!
西村さんも凄かったし、
樹里&優里ペアの『揃わない振り付け(勿論、打ち合わせする時間なんぞあったはずがない)(←終わったあとで、玉子ちゃんに「ちょっと揃ってなかったみたい…」と突っ込まれた)』も凄かったし、
原&阿部ペアなんて、最後の決めポーズでいきなり事故ってたし!!(←阿部さんがポーズを決めた原くんを飛び越そうとして、思いっきり原くんの顔にダイビングした/涙。鼻血が出たかと思った)


でも。
なんといっても一番可愛かったのは、即興のフリが不満だったらしく、席に戻ってからもしばらく拗ねていた東山くんだったなぁ…。


ラストに、玉子ちゃんが「では、応援曲に合わせて踊っていただきましょう!」と言ったときの、皆の顔!
いやはや。
どんな曲がかかるかもわからないのに即興で踊らされて、それを曲に合わせてやれといわれて、それでもなんとなくそれらしくまとめてしまう6人のメンバー。
………凄すぎる(*^ ^*)。


っていうかさ、西村さんって本当に凄いですよね…。
あの無茶ブリにあっさり耐えた彼をみながら、しみじみ感動してしまいました。
ねこにとって、西村直人=マイ・ベスト・ジョリ(レ・ミゼラブル)、なんですよね。…レ・ミゼにはダンスがないので、こんなに踊れる人だっていうのもマリアート作品を観て初めて知ったし。芝居も出来るし、歌は勿論だし、
……コントも完璧(笑)、かぁ(*^ ^*)。




メンバーが引っ込んでから、玉子ちゃんがちょっと繋いで、次は、今回の作品で一番好きなシーン。
「人生は過ぎ行く」/「雪女」。

最初の「人生は過ぎ行く」は、東山くんと樹里ちゃんの夫婦の朝。っていうか、この二人さっきも夫婦だったなそういえば(汗)。

ベッドに半裸で眠る東山くん。
ガウン姿で一生懸命彼を起こす樹里ちゃん。

た・だ・し、歌は吹き替え
甘い男声(多分美輪様ご本人)の、「好きよ、好きよ、好きよ…」と際限なく繰り返すシャンソンが流れ、それにあわせて樹里ちゃんが口パク。しかも、わざと低音を出しているっぽく、喉を膨らませて……あの顔芸がたまりませんっ!!

やっと起き上がって着替え始めた東山くんに取りすがり、「行かないで」と唄う樹里ちゃん。マジで笑えますから。っていうか東山くん、口元ぴくぴくしてるってば(^ ^;
出て行こうとする旦那(単に会社に行くだけ)をひきとめようと、やっと履きかけたズボンを無理やり降ろしちゃう樹里ちゃん。タイミングから何から、もう何もかも最高でした。

ラストに、「毎朝毎朝、この曲で起こすのやめてくれよ」「だって好きなんだもん」という、明るくのんきな若い妻とのやりとりが……めっちゃイケてる(爆)。さりげない関西弁のやり取りが自然で、なんだかほのぼのとした二人でした。



しっかし。
こういう場面があるから、CLUB SEVENの映像化は不可能なんだよなぁ………。



そうやって妻を振り切って(←大袈裟)会社へ向かう東山くんは、途中で嵐(吹雪)に遭遇。
他の男性陣も加わって、嵐に翻弄されるサラリーマンのダンスに。シンプルな振りだけど、凄くカッコよかった〜(*^ ^*)。


白いひらひらした衣装に身を包んだ優里ちゃん登場。
男性陣ひとりひとりに絡んで、翻弄して、誘って、
……そして、白い息を吹きかける。
会場内の温度がすこーしさがった気がしたくらい、冷たい笑顔。

次々に倒れ伏す背広姿の男たち。

優里ちゃんの、笑顔の残酷さがいい。うん。樹里ちゃんみたいな、幸せそうなふにゃっとした笑顔ではなくて、凜とした、あるいは“どSな”笑顔。
最高に素敵。

ラスト、吹雪にあおられてふらふらしている男たちを尻目に、ゆっくりした足取りで舞台端の階段を上っていく雪女。

セットの上で白い衣装を脱ぎ捨てると、

ブラウスに黒のタイトスカートの、シンプルなOL風美女が出現する。

黒縁の眼鏡をかけて書類挟みを持った彼女が、セットの上から舞台面を睥睨すると、
いつの間にか服装を整えたサラリーマンたちが、きちんと並んで彼女に敬礼する。

「はい、部長!」

と。



……あの部長の笑顔がまた、どSで素敵でした(壊)。
私は“星奈優里”を舐めていたのかもしれない、と、本当に心の底から思いました…。

だって、優里ちゃんって“薄倖が似合う”タイプだとばかり思っていたんだよー。あんなに“どS”が似合うタイプだなんて露ほども思ってなかった。
芝居している優里ちゃんは“薄倖”だけど、ショーの優里ちゃんは、踊っている優里ちゃんは、“どS”なんですね…。ステキすぎる(^ ^;ゞ。




次は「スケッチ 桃太郎」/「スーパーカリフラジリスティック云々」。

噺家の玉野さんに、可愛いおかっぱの息子が4人。
4人を寝かしつけようと四苦八苦する玉野さん。桃太郎の物語を一生懸命きかせようとするが、ぜんぜんおとなしくなりゃしない……
そして、話をしながらそのまま寝てしまうパパさん。
………可愛い。

子供たちも、説明のしようがないくらいクソガキで可愛くてたまりませんでした。観ていない人にはさっぱりわからないコメントで恐縮ですが、「ぎょうざ☆」は最高だった。
あのクソガキたちのネタは毎日同じだったのか、アドリブだったのか…。

そして。
パパが寝てしまった後は、4人の悪ガキの、布団を使ったタップ場面に。いやー、ここのタップが凄かった!今までだったら絶対、“タップキング”玉野さんは悪ガキに入って、噺家のパパは西村さんあたりだったろうに、今回は西村さんが悪ガキリーダーになって、東山くんと二人でひっぱりながらのグループタップ。
いやーカッコよかったし、楽しかった。観ているだけでわくわくしました。




次は、Dance Musical(タイトルは特にないらしい)。
これはある意味、王道のショー場面でした。
ちょっと「サザンクロス・レビュー」のブエノスアイレスの場面みたいな感じの、対立する2グループのタンゴでの闘い。

樹里ちゃんと優里ちゃん、玉野さんのショーシーンで始まって、
樹里ちゃんの恋人が西村さん、優里ちゃんの男が東山くん、
西村さんと東山くんは、お互いに対立するグループのリーダー同士。

最初は穏やかに樹里&西村、優里&東山のペアで華やかに踊っているのに、いつの間にか東山くんが樹里ちゃんに関心をもつ…。

よく練られた場面で、樹里ちゃんの歌も良かったし、タンゴの振りもカッコよかった!玉野さん、ストーリーのある振付本当に巧いよね。仕草のひとつひとつに意味があって、かっこよくて、しかもドラマティックに盛り上がる。

でも。
……樹里ちゃんと西村さん……だいぶ身長違うのね(T T)。ほのぼのと可愛い二人(ラストは悲劇だけど)だったけど、さすがに踊りにくそうでした。
樹里ちゃんも、女性パートのタンゴはまだまだ本業とは言えないしなー。東山&優里ペアがお見事だっただけに、同じ振付はちょっと苦しかったかも。
そうはいっても、さすがにダイナミックさでは圧勝でしたけどね(^ ^;。




1幕ラストは、男性5人で「風見鶏」。
ダンスは無しで、ワンフレーズづつの歌い継ぎでしたが、
レミゼ組三人、元四季一人。さすがに聞き応えありました。

また長くなっちゃったので、2幕はまた後日〜(←全然急いでないし)


品川プリンスホテル ステラボールにて、「CLUB SEVEN 5th Stage!」を観てまいりました。

とりあえず、エイプリルフールに書くべきネタが見つからなかったので、2日の日付で真面目に(←無理)感想を。
(そういえば、今日は一日入社式だのなんだのかんだのと行事が多くて忙しく、嘘のひとつもついている暇がなかったな………/涙)


さて。

「CLUB SEVEN」は、もとはといえば品川プリンスホテルのCLUB-eXで行われていたワンドリンクつきのパフォーマンス。
基本的に男5人、女2人の7人構成。トータルクリエート&振付は基本的に玉野さん。女性はほとんどがタカラヅカOGです。

初演(1st)は、今も続く玉野・西村・原の3人に、吉野圭吾・NIRO(新納慎也)・久城彬・楓沙樹というメンバー。

2ndは、NIROくんが東山くんに替わり、女性陣は風花舞、三咲レア(蘭香レア)。

3rdは、吉野さん・東山くんが抜けて泉見洋平さん、桜木涼介さん。女性陣はタータン(香寿たつき)と笹本玲奈ちゃん。

4thは、泉見くんの替わりに吉野さん。このときはなぜか女性陣が3人(初風緑・風花舞・蘭香レア)になって、総勢8人に。はじめてCLUB-eXからステラボールに移ったときだったので、会場が広いから…だったのかもしれません。
ただ、やっぱりフォーメーションは7人の方がすっきりするし、タイトルもタイトルなので、やっぱり7人の方がいいんじゃないかなあ〜、と、今回観て思いました。舞台もあまってはいなかったしね(笑)。

基本的には年一回のお祭りですが、去年は1月に4thをやった後、夏に「CLUB SEVEN Section LIVE」としてスペシャル版を上演。
8月末の日記にも書いていますが、あれも素晴らしい公演でした〜(幸)。


…まぁ、そんな経緯を経て、
7人に戻ったCLUB SEVEN。

「CLUB SEVEN」の顔ともいうべき玉野和紀と西村直人、
おなじみの原知宏&東山義久、
今回初参加の阿部よしつぐ、樹里咲穂、星奈優里、の、7人。
個性溢れる7人衆。

……いやぁ、楽しかったです!!

幕開きは、毎回変わらぬ「CLUB SEVEN」。
黒い衣装に身を包んだストイックなダンス。痺れるほどかっこいい、とはこのことか!と毎回思います(はぁと)。これが入ると、“うおおぉぉぉ、CLUB SEVENだぁ〜っ!!”っと気持ちが盛り上がる盛り上がる♪♪


次は「LADY MARMALADE」/「ICE DANCE」/「スケッチ Bar・ムーランルージュ」/「ドレミの歌」。
樹里ちゃん優里ちゃん、二人で派手派手なボンテージ&カラフルな鬘に身を包み、階段の上でソウルフルに歌う。
樹里ちゃんが歌手なのは今更書くまでもないですが、優里ちゃんが上手くなっていたのに驚いちゃいました(←この上なく失礼)。もしかして、卒業してから物凄く伸びたのかな…?

また、ダンスのしなやかな美しさ!(感)
Dancin’ Crazyの優里ちゃんも美しかったけど、今回の美しさはまた格別!でした。っていうか、樹里ちゃんと並ぶと、優里ちゃんのダンスのラインの美しさが際立つような気が……するのは、気のせい……?樹里ちゃん、がんばれ……(ダイスキだよ)

一曲終わると、お約束のメンバーが出てくる。
イケイケねーちゃん系の衣装を着こなして、お化粧もばっちり!の、5人のむさくるしい女の子たち。

いやはや。
…玉野さんの違和感のなさはなんなんだいったい。
西村さん・原くんのお約束どおりな気持ち悪さはいいとして、
東山くんの、無駄な美貌はいったいどうしたらいいのやら。
そして、
阿部さん……洒落になってません。樹里ちゃんより可愛くなってどうするんですかアナタ。今あなたがやっているのはネタですよ、ネタ!(T T)。笑いを取ろうよ、笑いを……(涙)。

7人で一曲踊ったら、そのままコントへ続く、
これが「CLUB SEVEN」のお約束。

「Bar ムーランルージュ」。
玉野さんが、気弱げな中年男の客。
西村さんと原くんが、お約束のホステス。

まぁね、玉野さんと西村さんが揃ってて、面白くないはずがない。
すっごいくだらないネタばっかりなんだけど、それでもなお、一挙手一投足のすべてがとにかく笑える。
そして、原くんがとぼけた味で茶々を入れつつ、暴走しがちな二人をやんわりと抑えてくれる。この絶妙なバランス。

ああ、CLUB SEVENだなあ〜、と実感する瞬間その2。

オチの付け方もさすがでした。
オチのネタとして歌う「ドレミの歌」の替え歌っぷりが最高です。ああいうのは本当に誰が考えるんだろう…玉野さんなのかなあやっぱり…。


次は「家族三態」。
怒涛の「家族」「朝食」ネタ3連発!でした。

毎回「家族の食卓」ネタって必ずあるような気がするのですが、
毎回私は超爆笑してしまいます。よくあんなに色々思いつくよなぁホントに。

「全力家族」は、妻・樹里、夫・東山、息子・阿部。
いきなりヒョウ柄の服きて駆け出してきた樹里ちゃん。
関西弁でのコントでしたが、東山くんもそういえば関西人だったね。息もぴったりで、このまま二人でよしもとに立っても驚かないぞ、という見事さでした。
阿部くん、ついていくのが精一杯………(涙目)。

とにかくなんでも全力でやる、という設定の家族。舞台上を所狭しと駆け回り、走り続け、叫び続け………
樹里ちゃんも東山くんも、喉強いよなあ、と感心しました。

とりあえず、「なんてあたしは美しいんだ!」と感動にむせび泣く樹里ちゃんと、その樹里ちゃんに「おかあちゃん今日もほんまキレイやなー!」と破顔一笑して抱きついてくる東山くんがめっちゃキュートでカッコよかったです♪♪♪

「ミュージカル家族」は、妻・星奈、夫・玉野。
それこそ「The Hills Are Alive…」ばりの勢いで朗々と唄う優里
ちゃん。いやー、ほんっとーに歌うまくなったよね(*^ ^*)。美しい朝の感動と、旦那への愛を歌い上げる、美しい妻そのもの、でした。

旦那の玉野さんも、椅子に足をかけて高らかに愛を歌い上げまくり。素晴らしかったです。はい。

玉野さんに「もういらない」といわれて、衝撃のあまり床にひれ伏す優里ちゃんの、“不幸”の背負い方が最高に見事でした。さすが、“薄倖な女性をやらせたら宝塚一”と現役時代に思っていた私の目に狂いはない!(←そんな役観たことないだろう)

それにしても、優里ちゃんのくるくる巻き毛に白いリボン、白いレースのエプロン姿がめっちゃ嵌ってました。ああ、ロリロリなたっぷりスカートから覗く細い脚……(←落ち着け)


「ヒップホップ家族」は、母・樹里、息子・西村&原。
樹里ちゃんは子持ちのバツイチらしい。
そして、息子はあり得ないほど良い子たちだった(汗)。

こういうネタを3回やるとなると、どうしても二人しかいない女性のどちらかが2回やるか、男性の誰かが女装するか(どちらかといえば、今まではこっちが多かった)になるわけですが。
今回、樹里ちゃんが2回やるっていうのは最初から決まってたんだろうな、とすんなり信じられる巧さでした。

樹里ちゃん、本当にあなたは素敵なエンターテイナー!!

そして私は、ミュージカル家族の“薄倖な妻”優里ちゃんに惚れました。
あんな素敵な嫁さんがほしい…(←おい)



とってもとっても長くなりそうなので。
まだ一幕の半分くらいしか書いてないんですけど、ここでいったん切ります。
続きはまた後日♪



日生劇場にて「ベガーズオペラ」を観劇してまいりました。



演出はジョン・ケアード。1985年にトレヴァー・ナンとの共同演出で「レ・ミゼラブル」をいう名作を生み出した彼が、1992年にロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)で上演した「ベガーズ・オペラ」が、今回上演された作品のオリジナル。
日本では、2006年の初演に続く再演。

出演者は内野聖陽、橋本さとし、島田歌穂、笹本玲奈、森公美子、村井國夫、原田優一、入絵加奈子、近藤洋介、他。(順不同です失礼があったらすみません)



私は、初演は観たいなーと思いながらスケジュールが合わず(T T)。今回は絶対観るぞ!と思っていたのですが、3月は諸々忙しく、やっと取れたチケットは1階前列のサイドブロック真ん中。この作品は通路際が楽しいと聞いていたのでちょっと残念だった(贅沢!)のですが、そんな贅沢いうなよ、って感じでした(^ ^;;
ああ〜、でも次は舞台上の席に座ってみたいなあ〜。



メインのストーリーは、真矢みきさんの花組で上演された「SPEAK EASY」の原作であるブレヒト&クルト・ヴァイルの「三文オペラ」と同じ。劇中劇で語られる“マクヒース”(McHeath、ヒースの息子という意味だそうです。SPEAK EASYでは“マクフィス”になってたよなー確か…)と、彼をめぐる女たちの物語。

そのマクヒースの物語を「ベガーズ」が演じる、一夜限りの興行。
それが、物語の大きな枠となっています。


ベガーズは、普通“貧民”とか“乞食”と訳されますが。本来は物乞いではなく、大道芸人や曲芸師などのことだそうです。
つまり、雪組公演で高らかに歌い上げられる「サーカス魂」とは、すなわち「ベガーズソウル」なんですね!

テント小屋で芸を見せている彼らが、大きな伝統ある劇場で芝居を上演する。
緊張と不安と、そして、自信。

ドキドキしながら役を演じて、そこここでふと“ベガー”に戻る、そのオン/オフの演出が非常によくできていて、興味深い作品でした!



役者は本当に粒ぞろいでした!
ジョン・ケアードが「全員オーディションで選んだ。歌唱力はもちろんだが、台詞劇の側面も重視して、シェイクスピアの長台詞を課題に出した」とコメントしているとおり、本当に全員が、気持ち良いくらい上手かったです。
あれだけの人数の出演者全員が、きちんと台詞術を身に付けている!それ自体、日本では結構珍しいことなんですよね、哀しいことに。さすがはRSCの顔、素晴らしい仕事をしてくれたと思います。


なんといっても内野さんが素晴らしかった(*^ ^*)。「エリザベート」初演の頃を思うと、嘘みたいな素晴らしい歌声。ストレートプレイは元々本業だし、本当に素敵でした。色っぽくて、ワルくって、いい加減だけど陽気でおおらかな、愛すべき男。女が愛さずにはいられない、男も憎むことができない、エネルギーに溢れた魅力的な男。


「三文オペラ」では彼の妻は3人でしたが、「ベガーズオペラ」ではちょっと曖昧。笹本玲奈(ポリー・ピーチャム)、島田歌穂(ルーシー・ロキット)、入絵加奈子(ジェニー・ダイヴァー)がメインだけど、他の女性たちも皆恋人だった時がある感じ。

それにしてもポリーが可愛かったよぉおぉ(はぁと)。
ルーシーの歌穂ちゃんもさすがの演技力で実に実に可愛くてけなげで素敵でしたが、やっぱり笹本ポリーの天然の可愛らしさは格別!!でした。いやー、可愛い。歌も素晴らしかったし、眼福耳福。


ポリーの両親(Mr.&Mrs.ピーチャム)橋本さん&森クミさんも本当に良かった。もちろん、ルーシーの父親ロキットの村井さんも別格に上手かった!(感涙)
あと、印象に残ったのは原田優一くんのフィルチ(ピーチャムの部下?)。いかにもアンジョルラス役者らしい硬質の美声で、すごかったです。ああ、「ミス・サイゴン」のクリスが楽しみだー。



と、役者ひとりひとりや、劇中劇の“その場面”に出ていないベガーズのうろうろした動きなどの細部は非常に非常〜〜!に面白かったのですが。
一つの公演としての「ベガーズオペラ」という作品については、私は残念ながら、ちょっと世界に入りきれなくてもどかしい思いを抱えて帰宅いたしました(T T)。

うまく嵌れなかった一番の原因は、ちょっと体調を崩していて、最後まで集中できなかったことがあると思うのですが…(祐飛さんのディナーショーに行くために仮病を使ったら、罰があたったらしい/泣)、

たぶん、それだけではなく。

劇場全体に漂う「馴れ馴れしさ」というか「猥雑感」に、初見ではついていけなかったせいではないか、と。

この作品では、“劇中劇”的に出番外のベガーたちも、衣装替えがあるとき以外は殆ど袖にひっこまないで、ずーっと舞台端や客席通路あたりをうろうろしているのです。
舞台を降りた、一人の“ベガー”として。

でも。

…席が前過ぎたせいか、うろうろして喋ったり観客にちょっかいをかけたりする“ベガー”ズに気をとられて、劇中劇に集中できなかったんですよね。したがって、そこで語られる台詞も全部は頭に入らなくて。
なんというか、作品世界全体を見渡すことができなかったんですよね……。

体調が万全で、きちんと集中してみていたならば、そんなことはなかったのかもしれません。
あるいは、席がもう少し後ろ、あるいはグランドサークルあたりの見やすい席だったら、ベガーたちに惑わされることなく“舞台”に集中できたでしょうし、もっとわかりやすかったのかもしれない。

あるいは、これだけ長くて複雑な構造の作品なので、せめて2回は観ないと理解できない、ただそれだけのことなのかもしれない。


…でも。

私の周りの、明らかにリピーターらしき人たちの中に、私を含めて何人か、完全においていかれたひとたちが居たんですよね。

その、リピーターの盛り上がりようとおいていかれた人たちの遠い眼っぷりとの、温度差が。

……せっかくの前方席なのになーーーー、という感じでした。



何が悪い、ということもないのに。
脚本は興味深いし、俳優と演出は最高級の素晴らしさで、音楽も悪くはない、イマドキ珍しいほどよく出来た作品、のはずなのに、

何か物足りない、得るものがなかった気持ちで家路につきました。

……内野さんのあまりの魅力に、くらくらしながら。
(それで十分なんじゃないのか…?)



また2年後に再演があったなら、

今度こそ(!)体調を整えて観劇したい、と思いました。




銀座博品館劇場「WILDe Beauty」、千秋楽おめでとうございます。
いやあ、面白かったです。幸せな体験でした。


オスカー・ワイルド、という作家について、私はほとんど何も知りません。
かろうじて読んだことがあるのは「サロメ」のみ。「ドリアン・グレイの肖像」をはじめ、あらすじくらいは知っているものもありますが、実際に読んだことはありません。あ、「幸福な王子」は絵本で読んだけど、あれを書いたのがワイルドだったとは今回初めて知りました。
アイルランド生まれだったことも、最後の裁判のことも、それにいたる経緯についても、ほとんど知りませんでした。なんとなーく、いろんな意味で妖しげなイメージはもっていたのですが、詳しいことは何も。
むしろ、「サロメ」の挿絵を描いたオーブリー・ビアズリーの方が詳しいくらいで。



だから。

荻田さんがワイルドを取り上げる、と聞いて、ちょっと意外な気がしていたのですが。


…すいませんごめんなさい。ワイルド、読んでみます。はい。
と、ひれ伏したくなってしまいました…。



でも、荻田さんが本当に描き出したかったのは、「オスカー・ワイルド」という一人の人間ではないのだ、と思いました。
彼が描きたかったのは、『人間は、絶対的な“美”に全てを捧げることができるか?』だった。
それはたぶん、月組DC公演「A-“R”ex 」の副題、如何にして大王アレクサンダーは世界の覇者たる道を邁進するに至ったかと、たぶんまったく同じ問いかけだったのではないでしょうか。如何にして、美の伝道者オスカー・ワイルドは、美を追求する道を邁進するにいたったか?、と。

父によって天賦の才を与えられ、
母によって自分の役割を規定され…
彼自身、“美の伝道者”であり続けるためのさまざまな見栄に疲れ果てる瞬間もあったかもしれない。
それでも、彼は諦めない。「一人の人間」であることに価値を見出すことができないままに、破滅へ向かって走り続ける。

植田景子さんの「舞姫」で、太田豊太郎が「私という人間は、(母や友によって)望まれるとおりに演じる役者のようなもの」と述懐するのとまったく同じ感慨を、荻田作品の登場人物は常に抱えて生きている。ただ、荻田作品の登場人物は、そんなわかりきった青臭い台詞をわざわざ吐かないことと、植田景子作品の登場人物ほど「リアル」に描かれていないだけ。
太田豊太郎は、その台詞を独白した後、自分の来し方を見て「新しい生き方」を模索しはじめる。
たまたまそれがエリスとの出会いと重なったこともあって、「新しい生き方」の象徴としてエリスを愛し、逆に「エリスを愛する自分」に酔うことになる…。


オスカーは、違う。最初から、「美の伝道者」であるために見栄をはり、欺瞞でかためた自分の姿を愛することはない。
そうやって「有名な」ひとびとにもてはやされる自分というもの、「名誉ある」交際に長けた自分自身を嫌悪し、唾棄すべきものと思いながら、そこを離れて“新しい生き方”を探そうとは思わない。
逆に、彼は『その道』を極めることを望む。

極めるならば、それが真実へ続く道だと思っているから。



荻田作品の中で、登場人物自身が「創造する」ことについて説明的な台詞を吐くことはありません。
むしろ彼らは、「創造する」ことを汚いものであるかのように語ることが多い。それは排泄物なのだと。美を追い求めることは、「それと共に生きる」「自分が美しいものになる」ことが目的なのであって、「自分が美しいものを生み出す」ことに重きをおいてはいない。
むしろ、自分が「排泄物」として棄ててしまいたいものを、他人が褒め称え、崇めることに我慢ができない、そんな気分が強い。

荻田さん自身が、『なんでも好きなことをやれる』はずの外部舞台で、人間の汚い部分をことさらに引きずり出し、気分が悪くなるような昏く醜悪な物語を愉しげに、まるでその醜悪さこそが気持ちいいかのようにさらけだし、見せつけたがるのは、この「ワイルド・ビューティ」にいたる前段階だったのかな、と思いました。
自分が生きていくためには吐き出さなくてはならない「排泄物」だから、どんなに醜悪なものでも表に出すしかない。そんな、ギリギリの「クリエーター」。

彼と波長が合う人と、合わない人と。「醜悪なものにまみれた美しさ」こそが美だ、という主張にのれるひとと、のれないひと。そんなことを考えながら、ワイルドの嘆きを聞いていました。



オーブリー・ビアズリーと、その姉・メイベルとの、ギリギリの会話。
決定的なことは何も掴ませない、それでもはっきりと「あのうわさ」をあてこすっている会話。
二人の間に流れる愛情と、恋情と、欲望と、そして絶望と。
死にゆく弟。姉を置いて逝く弟。共に死んでくれない姉。共に死んであげられない姉。
そんな、直接的な言葉のいっさいない、切なすぎる姉弟の対話。
お互いに相手の目を見ることなく、手を握り合っても目線はそらしたままで、
「ねぇさん、…」と。

それが実際に彼の枕元で交わされた会話だったのか、それとも、メイベルの頭の中で鳴りつづける嘆きなのか、そのあたりは曖昧に濁したまま、場面は移り変わっていく。
オスカーの最後の恋人、ボジー(アルフレッド・ダグラス)。
ボジーを演じる浦井くんが、本当に凄い、と、千秋楽になってあらためて思いました。
「野心的な目」と宮川さんが歌う、オスカーの記憶の中のボジー。
ギラギラと瞳を輝かせて、破滅的な快楽に彼を誘う青年。


“軽妙な受け答え、豊富な話題、一風変わったファッション”
“真面目そうな貌をして、実はへんなヤツ”
そんな、「若い頃のオスカー」を演じる浦井くんの、飄々としてどこかつかみどころのない青年ぶり。野心的な言葉の数々も、わがままも、「まぁ仕方ないか」と思わせる、周囲の愛情を享けるに足る存在感。
そんな浦井くんが、ファッションもメークもそのままで、悪魔的な魅力を湛えた美青年・ボジーを演じる。表情と、声と、変化をつけられるのはそれだけなのに、まさに別人として出現する、抗いがたい魅力。

どちらの青年も、宮川さんが演じる“晩年のオスカー”の頭の中から出てきたもの、“晩年のオスカー”が記憶して(たぶん少し美化していて)いた自身の青年時代と、自分を捕らえて離さなかったボジーと。
彼(“晩年のオスカー”)の中で、その二人は『うつくしきもの』という同じポジションに置かれている。

そして、彼は、『うつくしきもの』のために全てを喪ったことを、悔いてはいないのだ。
それは彼にとっては究極の幸福。

『美』のために全てを捧げた、と思うことができること、そのものが。




繰り返し歌われる「塔の上の幸福な王子」の歌。
『うつくしきもの』のために、自分自身の持てる全てを捧げることは、彼にとってあまりにもアタリマエなことだから。


副題にもなっている「幸福な王子」が、最初から最後までほとんど出てこないこと、
むしろ、副題に「肖像画」が入っていないことが不思議なほど、繰り返し語られる「肖像画」というものに対する恐怖心。


その象徴が、メイベルが大事に包んで持ってきた「オーブリーが最後に描いたオスカーの肖像画」だったのだ、と、納得しました。



一番最後に、肖像画の包みを解くラストシーンが、あまりにも印象的で。

出てきたものは、ほぼ予想通りではあったのですが、
それをのぞきこむ宮川さんの、浦井くんの表情に、

「金の肌も、サファイアの瞳も、何もかもはぎとられた」…いえ、「何もかもを捧げた」、幸せな王子の貌が

たしかに浮かんでいたから。



とまらない涙の向こうに、オスカー・ワイルドの「幸福」が。

その幸福を見守って、その足元に息絶えるつばめの、「幸福」が。




荻田さんって、本当に子供のように残酷だ、と思いながら…





銀座博品館劇場にて、「WILDe Beauty」を観てまいりました。


「サロメ」「ドリアン・グレイの肖像」、童話「幸福の王子」、そして、宝塚ファン的には「Ernest In Love」の原作である「まじめが肝心」の作家、オスカー・ワイルド。
彼の人生を、出獄した晩年の彼と、彼を訪ねてきた女優・メイベルの会話で語らせる………

なーんて説明を信じたら、たぶん全く違う作品をイメージすることになるだろうなあ。私が観劇するまで、まったく違う世界を創造、いえ想像していたように。

…だから、
まずは演出家に倣って、スペックのご説明からはじめましょう。


作・演出は荻田浩一。
音楽は斉藤恒芳。
振付は港ゆりか。

出演は、浦井建治、池田有希子、森新吾(Diamond☆Dogs)、
小野妃香里、良知真次、朝澄けい、上野真未、戸井勝海、宮川浩の9人。
2年前に同じく荻田さんの演出で舞台化された「アルジャーノンに花束を」メンバーが半数以上を占める公演でした。


っていうか、このキャストって、ほぼ外部舞台における「荻田組」ですよね。
浦井くんは「蜘蛛女のキス」。森くんは前にも「Rythm Rythm Rythmに出ていたし、小野さんは「Red Shoes, Black Stokings」以来の常連。カヨコ(朝澄けい)ちゃんは現役時代から「荻田組」だったし、戸井さんも「蝶々さん」があったし。
池田さんはぜったい荻田作品向きで、今まで出ていないことがかえって不思議なくらいの印象。

荻田さんは演じ手に拘る“クリエーター”だから、こういうキャストが一番やりやすいんでしょうねぇ、きっと。
楽しかったんじゃないかと思います。創る過程が。


なんといえばいいのか。
ーマや内容は全く違うのですが、「A-L(R)ex」で出来なかった世界構築を、今回やり遂げたんだ、という感がありました。

…いえ、内容もテーマも全然違うんですけどね、「A-L(R)ex」とは。



でも、表向き“一人の人間の人生を語る”形を取っておいて、実はそんなこと全然気にしていない、という「あれっ?」という感じは同じでしたね。
「A-L(R)ex」はアレクサンダー大王、「WILDe Beauty」はオスカー・ワイルド。どちらも非常に著名な歴史上の人物で、かたや当時知られていた“全世界”を統一し、世界の果てを目指そうとした伝説の主。かたや己の信じる「美」をよりどころに、その価値観で世界を征服しようとした「美の伝道者」。

出生から基本的に時系列にそって回想しつつ、時折時間を超越してみたり、現実に戻ってみたりするところも同じ。しかも、この時間が飛ぶときに演劇のお約束っぽく衣装が変わったり照明が変わったり、しない。
変わるのは音楽。それも、同じ。


前置きも何もなく時間が突然飛びまくるので、観客が一瞬でも気を抜くと置いていかれてしまうわけですが。
こういう構成は嫌いではないので、特に違和感はありませんでした。

とにかく、これだけのキャストが揃えば、これだけ「喋れる」キャストが揃えば、荻田さんのやりたいことは全部実現できるんだな、と、

それに一番感動したかもしれません。



ただひたすらに、印象的な、詩のような言葉をひたすらに紡ぎ続けるだけの2時間半。
言葉遊びの多用、一連の言葉を何人かでわけて繰り返し語らせる話術、一人の役者いろんな役を次々に切り替えて演じていく手法…そのあたりには、色濃く野田秀樹の影響があるような気は今回もします。
でも、「A-L(R)ex」のときのような、「野田作品かと思った」という印象は無かった。声や語り口調のバラエティの広さがすごく良かったと思います。役者個人のバックボーンの違いが、台詞回しのひとつひとつに如実に出ていて、声のコントロール、話す速度のコントロールで、驚くほど舞台に緊張感が生まれる。


「A-L(R)ex」が、あくまでも「宝塚」という世界の中で閉じた作品だったというならば。
「WILDe Beauty」は、「日本の演劇界」に投じる一つに石になりうるのかもしれない。
…ならないかもしれないけれども。



とにかく、面白かったです。
「宝塚での荻田さんは好きだけど、外部作品はどうも…」という方には結構お勧めしたいかも。
今までいくつか観てきた彼の外部作品は、どれもテーマか役者のキャラクターか技量かスタッフ陣か、どこかに根本的なズレがあることが多くて。
どうしても、「演出家がやりたいことをただ垂れ流すだけなら、マスターベーションと同じじゃないか」と辛辣なことを思うことが多かったのですが。


今回は、すべてがぴたっと合った。

そんな気がしました。




…根本的に、言葉遊びが駄目な人、荻田さんの台詞が好きじゃないひとには、まったく無理だと思いますけれども。
だって、あの詩のような言葉の数々には、意味はないんだもん。

ただ“美しい”だけの言葉たち。
空疎な音の羅列。
言葉が空疎であることが、ワイルドの求めた「美」の無意味さをあらわしている。

言葉で「感動」を表現することはできないのだから。
「感動」のないものは「美」ではないのだから。




浦井くんは、本当に荻田役者だなーと思います。
後半に立て続けに歌うソロ二曲、魂を振り絞っての歌でしたが、

素晴らしかった。



宮川さんが「年老いた」オスカー、浦井くんは「若い頃の」オスカーと、オスカーが愛した青年たちの両方を演じる、という形で演じ分けていたのですが、想像していたより浦井くんの声と宮川さんの声の相性が良くて、二人で語り継ぐようなところや、宮川さんの台詞に浦井くんが合いの手を入れるところなど、すごく自然で、まさに「心の声」という感じでした。
あの切り替えが一番面白かった、かも。



池田有希子さん、本当に本当に大好きな人。久しぶりに拝見できただけでも嬉しいのに、あんなに出ずっぱりで歌って踊って芝居して……
子供のような声と、大人っぽい声の使い分け。存在自体が太陽のように陽性の空気を生み出す、その雰囲気。なのに追い詰められた「陰」の芝居もお見事で。「死」に関して語る部分の迫力は、本当に素晴らしかったです。



森くんは、今回は歌って踊っての大活躍。良知くんとほぼ対という感じでしたが、歌うまくなったなーと感心しました。
良知くんは、四季時代は残念ながら観たことがないのですが、あんなハンサムな子がいたら惚れてただろうな、私(^ ^)。



小野さんは言うことなしです。メインはオスカーの母とサラ・ベルナール役。華やかな容姿と、けだるげな声の冷たさ。戸井さんとともに、すこーしコミカル風の大袈裟演技で場を盛り上げたり、大活躍でした。



カヨコちゃんは、出演作を観るたびに思うんですが、本当に滅多にない独特の声ですよね。
あの声が、荻田さんは本当好きなんだろうなあ…。とにかく。印象的な言葉はぜんぶカヨコちゃんが言っていたような気がします。役者たちが順番に一言づつ“印象的な”単語を並べていく、荻田さんお得意の場面でも、カヨコちゃんが喋ると一瞬空気が止まるんですよね。すごく面白い存在感。
そして、なんといってもあのリアル感のなさは凄い!姿も声も、どこか夢の中の人っぽいんです。現実に眼の前に立っている感じがしないひと。不思議なくらいに。



上野真未ちゃんは、まだ17歳の新鋭。9歳で死んだオスカーの妹と、サロメのイメージでしたが。これまた現実感のない可愛らしさで、とても印象的でした。歌はちょこっとでしたがいい声だったので、これからのご活躍が楽しみです♪



戸井さんは、オスカーの最初の先生とプリンス・オブ・ウェールズ。そして、オスカーの最後の恋人の父親。
ちょっとコミカルな役どころも多く、情けない様子やかっこつけた空っぽぶりをがんばっていらっしゃいました。

プリンス・オブ・ウェールズとオスカーの会話は、去年日生でやった「KEAN」でのキーンとプリンスの会話を彷彿とさせて面白かったです。いっそ「KEAN」を来年あたり荻田さんの演出で再演しないかなあ。……ぜひぜひ、今回のメンバーで!浦井くんの「KEAN」は…ちょっと年齢が若すぎるかもしれないけど、意外とやれるような気がします。「舞台に魂を売った」男なので。
(轟さんのを観たとき、外部で上演するなら藤原竜也で! なーんて思ったことは秘密です)







まぁ、最後の最後に、戯言をひとつ。

「せっかくこのメンバーを集めたんだったら、『アルジャーノンに花束を』も再演してほしかったよーーーーーーーーーーっ」

「WILDe Beauty」にも大満足させていただいたことは明記した上で。

やっぱり「アルジャーノンに花束を」再演切望っ!(祈)




天王洲の銀河劇場にて、Studio Lifeプロデュースの「カリフォルニア物語」を観劇してまいりました。

…花組さんの「舞姫」が開幕する前に、観たものは書いておかないとねっ!(汗)


えーっと。
吉田秋生さんの名作「カリフォルニア物語」を原作とする、今回の公演。普通のライフ公演ではなく、大勢のゲストを迎えてのプロデュース公演だったんですね。あまりにも知らない人が多くて、凄くびっくりしてしまったのですが(^ ^;;;。

まぁ、たしかに私、ライフの舞台を観るのはずいぶんと久しぶりでした。
初めて観た「訪問者」は、まだ笠原浩夫さんがオスカーをやっていらした頃で、あまりの格好良さに惚れこんでしばらくお手紙書いていたんですが……。公演があるたびに「行きたいなあ」と思いながら、なかなかタイミングが合わず。いつの間にか案内も来なくなっちゃって、気になりながら、年単位で時が過ぎてしまったんですよね…。

別に嫌いになったわけじゃないのに、なんとなく遠ざかってしまったことに気がつく。なんだか凄くさびしいことなのかも(T T)。

だからといって、「これからは心を入れ替えてライフもちゃんと毎公演観にいこう!」と思ったわけではないんですけどね…(ごめん、友よ)。

だって。
…「いいなあ」と思った人は、元々大好きだった及川くん以外、みーんなゲストだったんだもん(涙)。


「カリフォルニア物語」。
(役者名は、私が観た回のキャストです)

“西から来た男”ヒース・スワンソン(林剛史)。
“西に憧れる天使”イーヴ・ルチアーノ(松本慎也)。

この二人の心の交流を丁寧に描いた原作。

すこーし頭が弱いイーヴが、ひたすらに憧れつづける「カリフォルニア」。

この作品のミソは、タイトルが「カリフォルニア物語」なのに、物語の舞台は終始変わらず、ニューヨークであることです。
それはたしか、原作の解説か何かにも書いてあったし、
実際私も、読んでいて一番印象に残ったのはそこでした。

ヒースと父・マイケル(石飛幸治)との確執や、兄・テリー(HILUMA)との微妙な感情の行き違い、義姉スージー(HILUMA)への仄かな思慕なんかは、回想の中の出来事。ヒースにとっては、イーヴがいるニューヨークでの生活が現実で、カリフォルニアはむしろ過去の悪夢なのに、
なのに、イーヴは執拗にカリフォルニアへの憧れを口にする。

東海岸の住人にとっては“夢の国カリフォルニア”でも、そこに生きていたヒースたちにとっては“痛い現実”。
それでも生きていかなくてはならないから。

西海岸では生きていけなかったヒースが、東を目指す。
…すべてを捨てて、夢も捨てて。


ヒースの絶望と、イーヴの「西=幸せ」への渇望。
そのすれ違いがドラマを生むから、
その舞台がニューヨークだから、

だからこそ「カリフォルニア物語」なのに。

…倉田惇さんって、割と私の印象では原作に忠実に、その空気をきちんと描いてくれる演出家だと思っていたのですが。

今回はちょっと期待はずれだったかなー。


まず、カリフォルニアでの回想を表に出しすぎです。
あれはあくまでも『回想』だからこそテーマがなりたつのに、あれじゃ大きな事件が起こらないニューヨークでの物語の方が付け足しみたいじゃないですか。

演出のやりようで、同じ脚本でもカリフォルニアのトーンを減らすことができたと思うんです。
「ヒースがニューヨークで過去を思い出している」らしく演出することは出来たはず。なのに、なぜ真正面からカリフォルニアでのドラマを見せてしまったのか。

ドラマティックなのはカリフォルニアでの事件です。イーヴがニューヨークで巻き込まれる事件より、ヒースがカリフォルニアで巻き込まれた事件の方が衝撃度が大きい。だから、その二つを同じレベルで演出してしまったら、ぜったいにカリフォルニアでの物語の方がメインに見えてしまう。
それじゃあ、どうみてもヒースの心はずっとカリフォルニアにあったのですとしか見えないじゃないですか。

ヒースはカリフォルニアを拒否してニューヨークへ出てきた。
なのに、ラスト近くになって彼は、一度故郷へ帰ることになる。やむをえない事情によって。
そこで彼は、過去を清算し、ひとつ大人の階段をのぼって、

ニューヨークへ『帰って』いく。


幕開きには「西から来た男」だったヒースが、ラストの前に「東へ帰る男」になる。

それが一番のドラマなのに。

あんなにカリフォルニアでの話を中心に進めたんじゃあ、そこがボケちゃうじゃないか!
そこがボケちゃうってことは、本当のラストに起こる事件が軽くなってしまうということ。
ヒースがなんのためにどこへ帰るのか、がぼやけてしまうということ。

…あんな話じゃないはずなんだけどなぁ、「カリフォルニア物語」は……(涙)。


まぁ。
そんな文句も言ってますが。

楽しかったです。
とっても。

ええ。

……林くん、超好みですよ私★


ヒースの傲慢さ、
ヒースの沸点の低さ、

そして、
ヒースのあやうげな色っぽさ。

彼はすごーく難しい役だと思うのですが。
林くん、はまり役だったような気がします。
吉田さん、嬉しかったんじゃないでしょうか。自分の主人公にあんなにぴったりな役者がいて。


イーヴの松本くんは、…悪くはないと思うのですが、イーヴ役としてはいまひとつぴんときませんでした。私は。
イーヴは天使なんだもん。リアルさはなくていいの。もっともっと浮世ばなれした天使でいてほしい。
どんな男に買われても、傷ひとつ、汚れひとつつかない、それがイーヴ。
あれはもう、生まれつきのキャラクターが必要な役なので、合わないとなったらもうどうしようもないんでしょうけれども……。

……とりあえず、ああいう作品づくりをするなら、公演前だけではなくて日常のレッスンでの歌レッスンをがんばってくださいまし。公演前だけの歌唱指導って、カサノボー晃さんはすっげー大変だったと思いマス…


カリフォルニア、って、やっぱり東海岸から見たら“憧れの地”なんでしょうか。
…「十二国記」シリーズで、ひとびとが「蓬莱(=日本)」に憧れるように。

そこで生きている人たちの気持ちなど、おかまいなしに。


それを思うと。
「ハリウッド」もまた、一つの虚構なんですよね。
“全米の憧れ”という名の、虚構。


そう呼ばれることが、必ずしも幸せなわけではないのに、

“王”であることが、必ずしも幸せなわけではないのに、


それでも人々は憧れ続ける。
そのひとにとっての「カリフォルニア」、西海岸の太陽、に。



とっくに終わってしまった公演ですが。

日生劇場にて、ミュージカル「ウェディング・シンガー」を観劇してまいりました。


いやー、サイコーにゴキゲンで楽しいミュージカルでした(はぁと)。
原作は1998年の同名映画。アダム・サンドラーとドリュー・バリモアがコンビで主演した作品だそうです。私は残念ながら観ていませんが、ゴキゲンな映画だったんでしょうね(^ ^)。
ミュージカル版は2006年に開幕。トニー賞も5部門にノミネートされたようですが、「ジャージーボーイズ」と同じ年だったため、全部逃してしまったようです。…まだこの年の作品はほとんど日本に来ていないので、これが嚆矢になるのかな?「ウェディング・シンガー」を抑えてトニー賞を総なめにした「ジャージー・ボーイズ」を観てみたくなったくらい、今回の公演は楽しかったです(^ ^)。



主人公のロビー(井上芳雄)は、結婚式を盛り上げるバンドのボーカル。アメリカではこれが一つの職業として成立しているんでしょうか。ウェディング・シンガー、か…いい肩書きだなあ(笑)。

ヒロインのジュリア(上原多香子)は、ロビーが契約している宴会場のウェイトレス。彼女の恋人・グレン(大澄賢也)は、ウォール街の証券マン…なのかな?とにかく金儲けの巧いエリートの大金持ち、という設定でした。ジュリアとグレンは婚約一歩手前。ジュリアはグレンからのプロポーズを心待ちにしている状態。

ジュリアの従姉妹・ホリー(樹里咲穂)も同じ職場でウェイトレスしていて、ロビーのバンド仲間のサミー(鈴木綜馬)と付き合っていた(る?)。ホリーは「あんな冴えない男はもう嫌」と思っているが、サミーはまだまだ未練たらたら。

ロビーのバンド仲間のもう一人、キーボードのジョージ(新納慎也)は心優しいニューハーフ。これに、ロビーの恋人・リンダ(徳垣友子)、ロビーの祖母・ロージー(初風諄)、ジュリアの母親・アンジー(ちあきしん)が絡んで物語が進みます。



最初の事件は、ロビー本人の結婚式。
愛するリンダは「ロックスターじゃないあなたには興味がなくなった」と手紙を残して結婚式をドタキャン。
衝撃のあまりPTSDに陥ったロビーを心配して、必死に慰めようとするロージー、サミー、ジョージ、そしてジュリア。
心優しく愛に純粋なジュリアに、次第に惹かれていくロビー。

ジュリアはジュリアで、恋人グレンの傍若無人さに傷つき、心優しく夢を大切にしてくれるロビーに惹かれていく…
さて、二人の恋の行方は?


…ってなところでしょうか、あらすじは。



なんといいましょうか。
ストーリーはかなりどうでも良かったです、はい。
とにかくキャラクターが強烈に面白い人ばっかりで、その人たちが織り成すタペストリーがものすごく面白かったです。
演出もべたべたのベタ演出で、ある意味、演出家・山田和也の真骨頂でしたね。そして最高に面白かったのは、やはりキンクリートの飯島早苗の脚本でしょう(*^ ^*)。テンポのよさ、語呂合わせの巧さ、そしてキャラクターにあわせた言葉遣いの隙のなさ。
翻訳ミュージカルが楽しくなるかツマンナイかは、特にコメディの場合は脚本の良し悪しの影響ってものすごーく大きいので、飯島さんで本当に良かったなー、と思いました♪



ホリーもグレンもサミーもリンダもロージーもジョージも、いろんな役をこなすアンサンブルのメンバーもホントに皆芸達者で凄かった!!いやもう、樹里ちゃんまた惚れ直しちまったよ(汗)。素敵すぎます。

だけど。この作品で一番驚いたのは、ロビーを演じる井上くんの成長っぷりでした。
元々私は、「エリザベート」のルドルフより「ファンタスティックス」のマットが好きなのです。声が日本人には珍しいくらい軽やかなテノールなので、あまり重厚な作品よりも「軽さ」や「優しさ」のある役の方が似あうんじゃないかなーと思っていたんですよね。
でも、「ME&MY GIRL」のビリーは、もちろん悪くはなかったけど、そんなに「素晴らしい!!」ってほどでもなかったので。あれ?と思っていたのですが。

この作品のロビーは、本当に素晴らしかったんですーっ!!

まぁ、私が観たのは公演も終盤に入ってからだったので、初日頃はもっとだいぶん堅かったという話も聞きましたが。
…もう、最後の1週間のテンションは凄かったですね。リンダに振られて、ぼろぼろになってベッドに転がっている場面とか鬼気迫るものがありましたし、そんな精神状態で歌う「Somebody Kill Me!」なんてホント絶品でした。

あれだけの壊れっぷりは、なかなかできるものじゃあありません。井上くんも、さぞ楽しかったのではないでしょうか。
元々彼は大のミュージカルファンで、有名作品に出られるのが嬉しくて嬉しくてしょうがない、みたいな可愛いところがありましたけれども、今回の作品との出会い、今回のカンパニーとの出会いは、彼にとってものすごく大きなものだったんじゃないかなー、と思いました(はぁと)。


このウェディング・シンガーに出る直前に出ていた「ロマンス」もとても良かったらしいんですが、

他の作品を見て“井上くんってどこがいいのかワカンナイ”って思っていらした方にこそ、ぜひ観ていただきたかったです!



ジュリアの上原さん。さすがに可愛いし歌も良かったです。他のメンバーが割りと重厚な歌手ぞろいだったので、良い意味で浮世離れした感じがあったのが役にあっていたと思います。ちょっと不思議な存在感の持ち主ですね。個性的な登場人物ばかりの作品の中で、一条の光というか、透明な水のような印象があって、一人だけ別世界を観ている感があったのが印象的でした。

ただまぁ、台詞はね……。舞台に出続ける気があるのなら、台詞の勉強はぜひお願いしたいところです(汗)。




ホリーの樹里ちゃんは、もうホントに言うことなくミュージカル女優でした。いやーホントに、人妻とは思えませんわ!!腹を出しても可愛い、サイコーにイイオンナ。優しくて情に厚くて、ホント樹里ちゃんそのものみたいな役でした♪



グレンの賢也さん、面白すぎ。口調から仕草の細かい一挙手一投足まで完璧に作りこんで、工夫しつくした「変なヤツ」っぷりが!!ツボりまくりでした。こういう人がいるから面白いんですよね、舞台って。



ロビーの祖母、ロージーの初風諄サマ。素敵だったわ……(惚)。
秋に「蜘蛛女のキス」のモリーナの母親役で観たとき、初演で同役を演じた大方斐紗子さんに声や喋り方が良く似ていてびっくりしたのですが、今回も「あれっ?大方さん出てたっけ?」と何度か思ったくらい、よく似ていらっしゃいました。
「エリザベート」のゾフィみたいな役より、こういう役の方が似合うような気がするなぁ…。可愛らしいおばあちゃま、でも時々かっこよく変身!みたいな。…ブロードウェイにはこういうおばあちゃん役者がたくさんいるんでしょうねぇ。日本では他にあまり思いつきませんけれども。
毒も邪気もない、素敵なおばあさまでした。変身してもかっこいいし(*^ ^*)。…当分忘れられそうにありません…。



キーボードのNIROくんは、また極端に色濃い役で出てきましたね(汗)。何作か2枚目で観ていて、すっかりそちらに定着したのかと思っていたのに、まだこんな役もやれたんですか(!)
常に小指をたてて、足には紅いハイヒール(これがまたデカイんですが)。度肝を抜く衣装が妙に似合っているところが最高でした。うん、可愛かったです!けなげで一生懸命で明るくて、ね。いい子なんですよー、ホントに(^ ^)。

一番ツボだったのは、ロージーとのラップデュエット。
サイコーでした。他に言葉が見つかりません…。




リンダの徳垣さん。音楽座でも見ていましたが、印象的だったのはGODSPELL。大好きな女優さんの一人ですが、日生劇場でこれだけの大役は初めてだったのでは?いやー、可愛いくて毒々しくて素敵でした!
結婚式をドタキャンした時の置手紙の歌も最高でしたし、2幕のベッドでのやりとりも素晴らしかった!!
この役を、この作品を足がかりに、また大きく羽ばたいてほしい魅力的な女優さんです☆



いやー、思い出してみても実に実に楽しかった!
2月は本当に忙しくて、一回しか観ることができなかったのがとても残念です。
もう一回観たかったなぁ〜!!

ぜひぜひ再演希望です。それも、絶対にこのキャストで、ね!!



東京芸術劇場にて、TSミュージカル「タン・ビエットの唄」を観てまいりました。


初演は2004年…ってことは、もうすぐ4年になるんですね。
あのときは、愛華みれさんが主役(?)のフェイ。
ティエンの土居裕子さんとトアンの畠中洋さん、ミンの宮川浩さんは今回と同じでした。

ちなみに私の目当ては、初演の時はトアンの畠中さんと、ハインの沢木順さんだったんですよね……懐かしいわーーーー!!
今回、ハインが若くてハンサムな吉野圭吾さん、ってことで、いったいどんな話になるのかと思ったのですが…


す、すみません。
初演はあまり細かいところを覚えていないので、脚本的・演出的な違いはよくわかりませんでした(^ ^;ゞ。
ただ、縄で作った舞台装置(大田創)がすごく印象的だったので、また観ることができてよかったです。うん、やっぱりいいです、あの装置は。虚仮脅しがなくて、大好き。


「タン・ビエット」というのは、「さよなら」という意味のヴェトナム語だそうです。
有名なソンミ村虐殺事件をモデルに、架空の村(ハン・ティン村)で起こった虐殺から逃げ延びて、解放民族戦線の兵士たちに助けられた姉妹(姉ティアン、妹フェイ)と、彼女たちを助けた男たちにとっての「戦争という現実」の物語。

物語の契機となるハン・ティン村虐殺事件を1969年(ホー主席死去の年)において。
1971年に渡英したまま帰らなかった妹・フェイが、“1990年代後半”にヴェトナムに現れ、姉・ティエンを探し始めるところから物語りは始まります。

20年以上前に、ジャングルの中でティエンとフェイの二人を助けた、開放民族戦線の5人の兵士たち。
トアン(畠中)、ミン(宮川)、ビン(駒田はじめ)、ゴク(戸井勝海)、そしてハイン(吉野)。

1975年のサイゴン解放=ヴェトナム戦争終結から20年。
混迷を深めるヴェトナムで、観光客相手のシクロ(人力車)漕ぎで生計をたてるトアンを見つけたフェイは、戦争中に行方不明になったティエンを探す手伝いを頼む…。



初演は、確か「ミス・サイゴン」の再演を夏に控えた春だったと思います。「ミス・サイゴン」は、西欧から眺めたヴェトナム戦争という印象が拭えませんでしたが(←でも好きな作品です)、この「タンビエットの唄」は、アジアから眺めたヴェトナム戦争になるんだろうな、と思って観にいったので。



…痛かった…。



5人の「元兵士」たちの抱えた心の傷が、自分の記憶に灼きついたかのようでした。
痛くて痛くて、泣くのも苦しかった。

トアンが最後の最後に「それが俺の夢だったんだ…」というんですよ(涙)。
そうとしか言いようのない時代だった、と。

「それ」が何なのか書くとネタバレてしまうので遠慮しておきますが、それにしても本当に、痛い物語でした。


「みんな戦争が悪いのよ」なんぞと、木村信司さんみたいなことを絶対に言わせない謝さんは流石だなあ、と思ってしまいました。
戦争を肯定するわけでは勿論ないのですが、「戦争の中でやむをえず犯してしまった罪」と、どうおりあいをつけていくのか。
特に。戦時における最大の罪のひとつである「逃亡」。
逃げることが罪となった時代を、どうやって生き延びたのかをテーマにした作品ですから。「生きること」への限りない肯定と、愛…その深さに、驚くばかりです。
プログラムのコメントもとても素敵です。「母国」と「祖国」と…自分の人生をきちんと見つめている人にしか言えない、深い言葉だな、と思いました。



まだ週末まで一週間弱上演されておりますので。
ぜひ一度、ご覧になってくださいませ。

「良い作品」かどうかはわかりませんが(テーマがテーマなので、駄目な人もたくさんいらっしゃるかと)、
「痛い作品」であることは保障いたします(^ ^;。




天王洲の銀河劇場に、ミュージカル「ハレルヤ!」を観て参りました。


スタッフとキャストを聞いた瞬間に、これは行かねば!と思った作品は久しぶり。

大当たりでした。



日本を舞台にした、和製ミュージカル・コメディの名作、と言っていいんじゃないかと思います!(←大袈裟?)

和製ミュージカルも最近だいぶ増えてきつつはありますが、やはり「ミュージカル界」においては、まだまだ少数派の日陰者。
いちミュージカルファンとして、(宝塚の和物を含めた)日本をテーマにした作品を大事にしたいし、大事にできる作品が一つでも二つでも増えてほしい、という願いを、あらためて思い出しました。

■スタッフ
脚本:鈴木哲也&マキノノゾミ(劇団M.O.P)
演出:鈴木裕美(自転車キンクリート)

■キャスト
川平慈英(冴えない牧師)
山路和弘(謎の男)
山崎育三郎(教会の少年)
田中利花(笑顔を忘れたおばちゃん)
高谷あゆみ(〃)
山崎ちか(〃)
岡千絵(〃)


こ、こ、こ、濃いな…………(^ ^;ゞ。




舞台は昭和44年、東北の港町の小さな教会。

孤児で、教会で育てられた努(川平)と広志(山崎育)。
努は信仰深く真面目な牧師として教会を守り、礼拝のたびに一所懸命に“かみさま”の話をするが、なかなか理解してもらえず、悩んでいる。
教会を訪れるのは、週に一回の礼拝を集会所か何かと間違えている(^ ^;)、信仰とは無縁の、田舎生活に疲れ切った近所の主婦たち4人、だけ。

そんなある日。
一人のみすぼらしい服装の男がふらりと教会を訪れ、不相応な大金を献金して出て行く。

これをきっかけに、沸き起こる「嵐」。



ネタバレするのでストーリーには深入りしませんが、
……かなりぶっ飛んだ話ではあります(^ ^)。

宗教観、という非常に深いテーマと、このキャストが象徴する地に足のついたお笑いが、糾える縄のごとく絡まりあって、「昭和44年の東北」という時代空間に巻き付いて伸びている。
太い蔓草が隙間なくはりめぐらされた照葉樹林のような、生暖かくて、じめじめして、薄暗い、けれども「生き物」で満ち溢れた、嘘のない世界。


川平慈英さんが「生真面目で信仰深い牧師」を演じる、という時点ですでに笑えるのですが(^ ^)。

4人の“おばさんたち”の強烈さといったら、それはもう、例えようもないほどなのですが。



なんといっても、山路和弘さんのダンディな渋さと、それを顧みないぶっ飛んだキャラ立ちぶりには、惚れ直さずにはいられません。

山路さんといえば青年座の大スター、私にとっては「ファンタスティックス」のエル・ガヨが印象深かったりするんですが、
いやもう、本当にかっこいい〜!(*^ ^*)。

役は、さすらいのギャンブラー(競馬狂い)。食い詰めて、東北の寒村へ流れてきて。たまたま通りすがった教会で「祈れよ、さらば与えられん(だったかな?)」という掲示板のコトバを読んで。
…ふらっ、と中へ入って、祈ってみたら、大勝ちしちゃった!!

それで、「さあ、この教会で祈れば必ず勝てるぞ!ほら、俺を見てみろよ!」という騒ぎを起こすわけですが。

とにかく、話を動かすのはすべて彼=荒巻さん、です。
生活に疲れた“笑顔を忘れたおばちゃんたち”に秘策(教会で祈ってから馬券を買う)を授けて儲けさせ、「『信じる者』と書いて『儲かる』と読むのだ!」と説く。


「『祈り』は『お願い』ではなく、『感謝』であらねばと、慈英くんがプログラムに書いていらっしゃいますが。
荒巻さんの、「祈れば勝てる。勝てばお金が入る。お金があれば幸せになれる」という3段論法に、慈英くん=努さんは、真っ向から反論します。
「祈りはお願いではない」、と。


それは理念。
それは事実。

それでも。

「お金がなければ不幸になる」ことが現実の事実である場合に、いったい牧師はどうしたらいいのか。

お金がなければ、さびれたしもたやにしがみついた中年夫婦は、新しい商売を始めることもできない。

お金がなければ、身勝手な家族たちに振り回される主婦は、気晴らしすることさえできずに日々の雑務に追い回され、すり減ってしまう。

お金がなければ、亭主と死に別れて小学生の娘を育てる主婦は、上司のセクハラに文句も言えない。(当時は)

お金がなければ、核家族の新居を構えることもままならず、夫の実家に居候して舅や姑の奴隷も同然の生活に耐えるしかない。

お金がなければ、さびれつつある故郷を守るために、ホタテ貝の養殖法を研究したい、そのために大学へ進みたい、という夢も、諦めるしかない。


そして、極めつけ。
お金がなくて地代が払えなければ、神の家そのものが立ち退きをくらってしまう。



賭けろよ、と、荒巻は言う。
プライドなんて守っている場合か。お前には守るべきものがあるはずだ。それを守るために、金が必要ならば。そして、金を得る手段があるのならば。
手を伸ばして、それを取るべきだ、と。

賭けようよ、と、弟は言う。
だって、にいちゃんがいくら祈ってもあげられなかった“笑顔”を、荒巻さんはおばちゃんたちに取り戻し得あげたじゃないか。
あれが祈りの成就だ。違うのかい?



ダメだ、と牧師は叫ぶ。

「人はパンのみにて生くるにあらず。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」のだ。
信じる者は儲からない。なぜなら、多くを持つ者は天国の門をくぐれないからだ。得たモノを隣人と分け合わなくてはならないからだ。
祈りはもっと純粋なものであり、ギャンブル自体が禁じられているのに、その勝利のために祈るなんて、冒涜もいいところだ。



その言い争いを軸に、物語は進みます。
途中でいろんなことがあって、まぁ、ラストがハッピーエンドで終わるのはお約束、なわけですが(^ ^)。
でも、ずいぶん皮肉なエピソードもはさまれているんですよね。

コメディはコメディだけど、あくまでも“大人の”コメディだなあ、と思いました。
皮肉に溢れた、でも、心がじんわりと温かくなって、元気が出てくるラスト。


原作はヘンリー・スレッサーの「アミオン神父の大穴」。読んだことはないのですが、牧師と“ギャンブル狂”の二人に関する展開は、ラストまでほぼそのままのようです。
…おばさんたちや、牧師の弟は出てこないっぽいですが(^ ^;ゞ

物語としても物凄く面白かったので、ちょっと原作本を探してみようかなーと思っています♪




4人のおばさんたちは、予想以上の濃さ。
歌も芝居もダンスも!全員がハイレベルで、しかも、濃すぎるほど、濃い。
慈英くんにも山路さんにも、濃さで負けない、って、どんだけ濃いんだよ!!と突っ込みたいです。

そして。
大概のことには驚かないつもりでしたが、4人揃ってダルマ姿で出てきた時は本当に仰天しました……。
いや、岡千絵さんとか山崎ちかさんとかは眼福なんですけどっ!!
……いえ、あの、素敵でしたよ四人とも。さすがに現役の役者はボディラインも綺麗ですよねー!!っていうか、綺麗だったことが一番の驚き(^ ^;ゞ。




ぶっ飛んだキャスト陣と観客席をかろうじて繋ぎ、作品を「支えた」のは、実は山崎育三郎くんだったと思います。
歌も芝居もしっかりしていて、とても(子役時代を除けば)マリウスが初舞台だとは思えない落ち着きぶり。マリウスも良かったけど、今回の広志役は、彼にとっても勉強になったでしょうし、ミュージカル界全体にとっても、大きな財産になったんじゃないかと思います。

勿論、私にとっては、とっても大きな収穫でした☆

決して狭くない銀河劇場の空間を一人で埋める実力。
メインで芝居を動かしているキャラクターの呼吸を読んで、舞台の端から端まで動き回れる勘の良さ。

カッコよかったです、ホントに♪♪
当面、彼の芝居は優先順位をあげていきたいなーと思っています(*^ ^*)。



ちなみに。
「儲」という文字は、漢和辞典によると「信+者」ではなく、「人+諸」なのだそうです。……これって常識ですか?すいません(^ ^;ゞ





1 2 3 4 5 6 7 8