タカラヅカ以外の舞台についてはこちらで。
「----ー」の下は観劇順です。

■ミュージカル(新作または初見)
1.パレード
2.ノートルダムの鐘
3.手紙
4.不埒な花は誘惑する
5.Beautiful
6.BIG FISH
7.ビリー・エリオット
8.デパート
ーーーーーーーーーーーーーーー
フランケンシュタイン
キューティーブロンド
I LOVE A PIANO
魔都夜曲
ヤングフランケンシュタイン
パジャマゲーム
Tri-an-Gle
DOG FIGHT

「パレード」は圧倒的でした。。。石丸さんも敬子ちゃんも、ほかのメンバーも素晴らしかった!!


■ミュージカル(再演)
1.キャバレー
2.CATS
ーーーーーーーーーーーーーーー
ロミオ&ジュリエット
アルジャーノンに花束を
さよならソルシエ
きみはいい人、チャーリーブラウン
レミゼラブル
RENT
デスノート THE MUSICAL
レディ・ベス
メンフィス
HEADS UP!

基本的に、初演の印象が良かったから観に行ったわけなので(例外もありますが)、そういう意味ではどれも満足度は高かったです。そんな中で、以前観たときと印象が大きく違うものを取り上げると、この2作品かなあと。
「キャバレー」は、すごく良かった。石丸さんのMCなんて全く期待していなかったのに(←すみません)、いつの間にああいう空気を纏える役者になっていたんだろう。。。トートなんかイマイチのかたまりだったのに。
「CATS」は本当に久しぶりで、そもそもそんなに回数を観ていたわけでもないので、すっごい覚えているところもあったけど、まったく覚えていないところも多くて、懐かしいのに新鮮で、面白かった。

「ソルシエ」、「デスノート」、「メンフィス」、「HEADS UP!」は、どれも前回からそんなに時間も経っていないし、メインキャストは同じだし。。。継続キャストはパワーアップして、新規参入組がちゃんと新しい風を吹かせていて、すごく良かった楽しかった!
「チャーリーブラウン」は、観たのがあまりに昔で細かいところは全然覚えていなかったけど、とにかく楽しかった。
「アルジャーノン」は、キャストが変わったので構えて行ったのですが、そんなに違和感はなかったような。初演と再演でもだいぶ違ったので、その範囲内かなと思いました。
「ロミジュリ」「レミゼ」「RENT」は鉄板。キャストが違うから毎回違うんだけど、作品の根本は変わらないですね。あ、ジュリエットの木下晴香ちゃんは拾い物でした!

「レディ・ベス」は、、、去年の王家に続き、なぜ再演したんだろうなあ。。。


■2.5次元
1.デルフィニア戦記
ーーーーーーーーーーーーーーー
刀剣乱舞(ライブ・ビューイング)
マスカレードミラージュ(ライブ・ビューイング)

生で観たのは一本だけでした。でも、ライブ・ビューイングどちらもすごく面白かったです!!手拍手もしたりして、結構盛り上がりました。


■ショー・コンサート
デスノートINコンサート
Rhythmic Walk
CLUB SEVEN
シャンソンの黄金時代(大空祐飛)
井上芳雄コンサート
ジャニーズ伝説2017
SECRET SPLENDOUR
ジルベスターコンサート

こういうものに順位をつけるのは諦めました。なので、観劇順です。
どれも楽しかった!!


■演劇
1.あの記憶の記録
2.皆、シンデレラがやりたい
3.サクラパパオー
4.イヌの仇討
5.逢いたくて
6.髑髏城の七人 上弦の月
7.プレイヤー
8.円生と志ん生
9.謎の変奏曲
ーーーーーーーーーーーーーーー
磁場
足跡姫
アトレウス
陥没
炎 アンサンディ
白蟻の巣
ハムレット
それいゆ
フェードル
弁当屋の四兄弟
言葉の奥ゆき
それから
髑髏城の七人 花
髑髏城の七人 風
黒塚家の娘
THE SMALL POPPIES
君が人生の時
子午線の祀り
COUNTRY
ふるあめりかに袖はぬらさじ
怒りをこめてふり返れ
モマの火星探検記

チック
しずのおだまき
人間風車
危険な関係
はみ出しっ子
この熱き私の激情
ペール・ギュント
ティアーズライン

去年(2016年)は劇団チョコレートケーキ、今年は根本宗子さんとの出会いがありました。根本さんの秋の公演、見逃したみたいで残念だなあ。どうしたら情報を得られるんだろう。

「サクラパパオー」は、ほんと良かった。あんな素敵な作品が転がってるから、演劇界こわい。しずくが出てくれて本当に良かった。。。
「イヌの仇討」は、いわゆるワンシチュエーションものになると思うんですが、素晴らしかったなあ。ああいう芝居をじっくり観る時間って、貴重ですよね。
「逢いたくて」。最近朗読劇が流行っている気がしますが、こういうのもありだなあ、と思いました。まったく予習せずに行ったのですが、ゆうひさん竹中さん猪野さんバージョン以外だとどうなるのか、来年上演されたら観てみたい。

「髑髏城の七人」どのバージョンも面白かったけど、あえて天魔王にフォーカスを当てた月バージョンが面白い。まだ上弦しか観てないけど、下弦も観れたらいいなー。
「プレイヤー」「謎の変奏曲」は、演劇的な仕掛けがおもしろくて、劇場体験として素晴らしかった。
「円生と志ん生」こまつ座は外れないわー。

10位にしたい作品がたくさんあったので、あえて9位で切ってみました。


■個人賞
石丸幹二さん(キャバレー、パレード他)、濱田めぐみさん(デスノート、メンフィス他)に。


■今年の反省(観たかったのに観れなかったもの)
劇団チョコレートケーキの「熱狂」。「この記憶の記録」を観て、もう一回来なくてはーと思ったのに、日程を間違えて観れませんでした。。。ぐすぐす。。。
あとは、花、風、月と観て、あらためて髑髏城の鳥も観たかった!!もっと真剣に探していたら観れたはずなのにー(凹)


こうしてリストアップすると、今年も素敵な作品が多かったなー。楽しい1年を、ありがとうございました。
来年も素敵な出会いがありますように!!

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タカラヅカ関連は昨夜まとめましたので、それ以外のジャンルもまとめてみたいと思います。

こっちは割と当たりが多くて悩む・・・。
何かを考えさせられた、そういう視点で選んでみました。


■ミュージカル(新作または初見)
1.グランドホテル
2.Merry Me A Little
3.スペリングビー
4.ジャージーボーイズ
5.キンキーブーツ
6.エドウィン・ドルードの謎
7.オフェリアと影の一座
8.スカーレットピンパーネル
9.マーダーバラッド
〃 地下室の媚薬
〃 ラスト・フラッパー
〃 さよならソルシエ
〃 Color Of Life

「グランドホテル」と「スカーレットピンパーネル」は、演出がだいぶ違っていたので新作カウントで。
こうしてみるとオリジナル作品少ないなあ。。。ここに挙げてないのをいれても、「グレイト・ギャツビー」と「王家の紋章」くらい?どちらも普通に面白かったけど、やっぱり大劇場向けのミュージカル大作で「何かを考えるような作品」って難しいのでしょうか。

さよならソルシエとColor Of Lifeは、情報を受け止めきれていない気がするので、再演が愉しみです。観られるかどうかわかりませんが。


■ミュージカル(再演)
1.1789
2.ピーターパン
3.エリザベート
4.ジキル&ハイド
5.シスターアクト
6.シカゴ

1789再演希望!!!

ピーターパンは本当に感動しました。ふうかちゃんが無事復活してくれてうれしいです。復活の舞台は観られなかったけど、元気だと聞くとそれだけうれしい。来年もご活躍祈っています。


■2.5次元
一本も観てなかった……。


■ショー・コンサート
1.Heroes(グランアーツコンサート)
2.濱田めぐみコンサート
3.CUBE三銃士
4.ル・リアン
5.藤咲えり
6.井上芳雄 Sings Disney
7.Live Mojica
8.初姫さあや

Heroesは、貴重なものを見せていただいてとても楽しかったです。あのメンバーで「オペラ座の怪人」「エリザベート」「レ・ミゼラブル」の名曲集が聴けたのは幸せすぎました。。。

2位と3位は順当。4位と5位は、、贔屓目なのかなあ?っていうか、今年はあんまりコンサート系行かなかったんですね、私。


■演劇(朗読含む、新作または初見)
1.治天の君
2.逆鱗
3.ナミヤ雑貨店の奇跡
4.BENT
5.アルカディア
------
6.Voicarion
7.扉の向こう側
8.キネマの恋人
9.Take Me OUT
〃 ヘンリー四世(1部、2部)
〃 フリック
〃 磁場
 ------
10.ピアフ
11.ひょっこりひょうたん島
12.歌姫
13.あわれ彼女は娼婦
14.湖畔にて
15.家族の基礎
16.安倍晴明
17.星回帰線


それぞれ、すごく色々なことを考えさせられた作品だらけで、コメントを書き始めると止まらないのですが、、、

「治天の君」は、「桜華に舞え」と同時期だったので余計に響くものがあったなと思います。「治天」の意味とか重みとかをすごく考えました。
「アルカディア」は2回みたのですが、それでもまだよくわからないところがあって、もう一回観たかったなあ(←キリがない)

「逆鱗」「ナミヤ…」「BENT」など、「演劇表現」で奇跡を起こすものや、「扉」「フリック」「磁場」などの1セットもの(時間は飛ぶけどセットは一つ)などの、映像では出来ない表現が目立って、どれも新鮮で楽しかったです!

再演なのであげませんでしたが、祐飛さんの「ラヴ・レターズ」と、あとスタジオライフの「トーマの心臓/訪問者」は、何度見ても好きだなあ、と思いました。。


■個人賞
ストレートプレイからミュージカルまで、幅広く活動した浦井くんに。
「サヨナラは日曜日に」の電話の声も忘れられない(あわれ彼女は娼婦と続けて観たので、余計に)


■今年の反省(観たかったのに観れなかったもの)
いろいろあります。。。が、現時点で一番残念なのは年末に「プリシラ」が観れなかったことです。絶対観るつもりだったのに!


後味のいい作品、悪い作品どちらもありましたが、別の世界に連れて行ってくれる作品ばかりで、楽しい日々でございました。

楽しい1年を、ありがとうございます。
来年も素敵な出会いがありますように!!



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タカラヅカ関連は昨夜まとめましたので、それ以外のジャンルもまとめてみたいと思います。
観劇後、強く「もう一回観たい」と思った順になっています。もちろん、あくまで猫の私見です。
(あえて順位をつけなかったものは、観劇順です)


■ミュージカル(新作または初見)
1位 デスノート
2位 HEADS UP!
3位 スコット&ゼルダ
4位 End Of The Rainbow
5位 メンフィス
6位 パッション
(他)
ボンベイドリームズ
シャーロックホームズ2
CHESS
ショコラ・ショック(メリーゴーランド)

評価基準を、観劇直後に「もう一度観たい!」と思ったかどうか、にしたので、ちょっと割をくった作品が「メンフィス」と「パッション」。どちらも衝撃が大きすぎて、観劇直後には受け止められなくて、「もう一回観たい」とは思えなかった(泣)けど、どちらも素晴らしかったです。うん。もし再演が成れば、2回は観たい作品です。
「ショコラ・ショック」を7位にするかどうかは相当悩みました。。。ええ、もう一回観たかったですとも!ええもちろん!!



■ミュージカル(再演)
1位 タイタニック
2位 エリザベート
3位 CHICAGO
4位 サンセット大通り
5位 ひめゆり(ミュージカル座)
(他)
SAMURAI7
レミゼラブル
ラ・マンチャの男
ダンスオブヴァンパイア

タイタニックはイスメイの演出変更が大きかったし、ソウマさんの演技も凄すぎました。忘れられない。
エリザベートは2016年も再演されますね!とても楽しみ!
CHICAGOは、たまたま観たのが湖月わたるさん出演回だったのですが、素晴らしかったです。あまりにも素晴らしくて、ブロードウェイキャストと比較出来なかったのが残念。英語以外は良い勝負だったんじゃないかな!!(確信)

「SAMURAI7」は、前回観たときのほうが面白かったような気が。だいぶ演出が変わっていて、変更点が悉くツボらなかったんですよね(←私は)
レミゼは昨年と特に変更無い印象。元々作品が大好きすぎて、なかなか心が動きません。。。いやでも、今年は海宝マリウスとか上山アンジョルラスとか、ヒットキャストがたくさん居て楽しかったです。もう昔みたいには通えませんが、次も必ず観ますよ。
「ラ・マンチャの男」は、、、、ごめんなさい、私は今の幸四郎さんは無理でした……(涙)(大好きだったのになあ)(溜息)せっかくきりやんが素晴らしかったのに!アントニアも!サンチョも!!みんな!!(号泣)



■2.5次元
NARUTO
幕末Rock
THE SHINSENGUMI 2015
バイオハザード The STAGE

えーーっと。「2.5次元」の定義はとってもあいまいだけど、おそらく、興行側が「2.5次元舞台」の位置づけで企画しているんだろうな、と感じたのがこの4作品。
どれもそれぞれに個性的で面白かったんですが、あえて順位をつけるほどではなかった印象。(観劇順)



■ショー・コンサート
1位 Mon STARS コンサート
2位 Feel SO Good(壮一帆コンサート)
3位 GOLDEN SONGS
4位 CLUB SEVEN
5位 ミュージカルミーツシンフォニー2015
(他)
クリエ ミュージカルコレクション2
壮一帆DS
CONNECTION
大空祐飛SING&TALK
プリンスオブブロードウェイ

「PRINCE OF BROADWAY」の位置に迷いましたが、、、いや、観ていて楽しかったんですよ間違いなく!!っていうか、多ジャンルのコンサートの順位付けって難しいですね。それぞれについて、価値基準が全然違ってきちゃうから。
壮ちゃんのDSが順位ついてないのは、DSは二回観れないからです。主にお財布の事情です(真顔)。



■演劇(朗読含む)
1位 黒いハンカチーフ
2位 熱海殺人事件
3位 ラヴ・レターズ(TOSHI-LOW・大空祐飛)
4位 ファントム(スタジオライフ)
5位 ダブリンの鐘つきカビ人間
6位 とりあえず、お父さん
7位 夏の夜の夢(スタジオライフ)
8位 トロイラスとクレシダ
9位 女中たち
(他)
十二夜
死と乙女
私の頭の中の消しゴム(日野聡・愛原実花)
私の頭の中の消しゴム(加藤和樹・安倍なつみ)
大図(BQMAP)
TABU
銀河英雄伝説(星々の軌跡)
ペールギュント
アドルフに告ぐ(スタジオライフ・日本篇のみ)
ウーマンインブラック
もとの黙阿弥
RED
No.9 不滅の旋律
リーディング名作劇場「キミに贈る物語」(大空祐飛)
レミング
さよならヨールプッキ(BQMAP)

今年は結構観れた方ですかねえ。。。どうしてもミュージカルを優先してしまうので、これでも、観たかったけど諦めた作品は沢山あったのですが。

「黒いハンカチ―フ」は大ヒットでした。あんなに短期間で終わってしまって、本当に勿体無い!!日根先生にもう一度会いたいです(切実)。
「熱海殺人事件」は、みなこちゃん(愛原)が神すぎました。
「Love Letters」は、ずっと祐飛さんに出てほしいと思っていたので、決まった時すごく嬉しかったです。祐飛さんについては、泉鏡花とLove Lettersと二つも夢が叶ってしまって、残る夢も叶ってしまうんじゃないかと無駄にドキドキ(^ ^)。

4位以下のスタジオライフ、ダブリン、お父さん……さらに、あえて順位はつけませんでしたが、「もとの黙阿弥」や「ウーマンインブラック」、祐飛さんが出演していた「死と乙女」「TABU」など、良い作品にたくさんめぐり会えて、いい一年でした!
BQMAPの2作は、どちらもとても面白くて興味深かったので迷ったのですが。うーん、まあでも、こんなものかなあ。
逆に、すっごく期待して観に行ってちょっとがっくりして帰ったのは「No.9」。私の中に確固としてある「ベートヴェン」のイメージと稲垣くんが重ならなくて、最後までもどかしいまま終わってしまいました。先入観がなければもっと楽しめたかもしれない、と、反省をこめて。



■2015年の反省(観たかったのに観れなかったもの)
1位 「ライムライト」
2位 「RENT」
3位 「ドッグファイト」
4位 「アドルフに告ぐ」(スタジオライフ ドイツ篇、特別篇)
5位 「アドルフに告ぐ」(コムさんゆみこさんが出てた公演)

他にもいろいろありましたが。。。どれも、適当に時間見つけていこうと思っていたのに、そんな気合で観れるような作品でも仕事状況でもなかった……(泣)反省。



■2016年の抱負
絶対に観たい舞台のチケットは、ちゃんと事前に用意する。
特に、クリエ19時開演だから適当に平日観にいこう、、、という考えは、きっぱり捨てます!!




落ち穂拾い

2014年4月29日 演劇
2月、3月に観た作品の、落ち穂を拾わせていただきます(^ ^)。


■少年社中15周年記念公演「好色一代男」(紀伊国屋ホール)

矢崎広くんの世乃介!!ということで観にいきました(^ ^)
井原西鶴も少年社中も、ちゃんと観るのは初めてだったのですが、とても刺激的で面白い公演でした♪

外部でもご活躍されている毛利亘宏さんらが中心となって結成された「少年社中」。早大劇研出身だそうですが、骨組みのしっかりした芝居を創る、レベルの高い演劇集団で、機会があればまた観てみたいなと思っています。(ちなみに、次回公演は7月「ネバーランド」だそうです……ピーターパンってこと?)
たまたま観劇したのが少年社中さんの15周年のまさにその日だったようで、ご挨拶がありました。「15年もたつと、『少年社中』っていうか『中年社中』みたいになってきますが……」とさりげなく笑わせて、「『心は少年』でがんばります」と〆る話術もさすがでした(^ ^)。


西鶴の原作は、連作短編のような形式になっていたと思いますが、この芝居は原作の最終話、還暦を過ぎた世之介が、「責め道具」をいっぱいに積んだ舟で女護ヶ島へ向けて船出した後から始まります。

女護ヶ島への船旅の途中で嵐に逢い、難破した世之介。意識を取り戻した世之介は、若返った自分と、過去に関係をもった人々の姿を見出して驚く。さらに、その場に「お前の人生を語ってほしい」と言いだす人物が現れる。……このあたりで、いま世之介がいるのは「あの世」と「この世」の境目なんだな、というざっくりした設定は何となくわかったのですが、ネタバレ的な意味では、それが判っていて良かったのかどうか…?という気もしました。

セットは、舞台中央を占める大きな階段がメイン。そのど真ん中で、あちこち肌蹴てほぼ半裸みたいな衣装にざんばら髪の矢崎くんは、色っぽくてきれいで、とても魅力的で……これはもう、いろいろ仕方ないな、とすんなり納得できたことがたくさんありました。
やっぱり私、矢崎くんのお芝居、好きだなあ(*^ ^*)。


プロローグ的なひとくさりの後は、ほぼ原作に沿って世之介の人生が回想として辿られる。
とても優しくて、魅力的な世之介。男女を問わず、出会った人間は皆、彼に惚れてしまう。でも、深く付き合うには、優しすぎて、無責任で、掴みどころがなくて……その理由を探るうちに、彼の中の空虚があからさまになっていく。
親に愛されなかった子供。

「関係した女は3742人、男は725人」といわれるほどに沢山の男女と関係しても、愛することも愛されることも学ぶことができずに還暦を迎えた世之介の、細い身体を埋め尽くした空虚。
「孤独」でさえない、「孤独」に耐える強ささえない世之介が、身の裡に抱えこんだ「うつろ」。

それでも、世之介に惚れた人々は、彼の空虚を愛で埋めたいと願う。世之介のしたことで結果的に不幸になった人はたくさんいたけれども、それでも、彼らは世之介の動機が優しさであったことを知っていて、彼に幸せになってほしいと思う。愛を知らない不幸に、世之介だけが気づいていないことにさえ気づいていた。
だから彼らは、「自分など地獄に落ちた方がいい」と嘆く世之介に語りかける。
「ありがとう」と。
「あなたに会えてよかった」と。

愛とは何か、そんなことわからなくても、人に温かいものをわたすことはできる。
世之介が女たち(男も)に渡していたのは、愛ではないかもしれないけれども、それにとてもよく似た、温かくて柔らかな、優しいモノだった……だから。愛を知らないなら教えてあげる。心が虚ろで寒いなら、温めてあげる。そのために男と女がいて、「愛」という言葉があるのだから。

それを教えられた世之介の、最後の決断を、私はとても美しいと思いました。
彼の中にあった空虚が埋められた瞬間。埋めてくれたのは今まで関係してきた大勢の人たちであり、いま目の前で酒瓶を差し出している「彼」であり……そして、世之介自身の「世界」への肯定の意思でもある。
無責任に生きてきた世之介が、このとき初めて、1人の人間の人生に責任を持とうとする。その、重みに耐えようとする意思が、彼の空虚を埋める。その意思の清しさが、世之介自身が気づいていない「愛」なのだ、と。それがとても美しくて、自然に涙が出てきました。。。。
泣くような作品だと思っていなかったので、ちょっと驚きましたが(@ @)


この作品を観たのは2月なので、先日「心中・恋の大和路」を観たときは全く連想しなかったのですが、いまになって感想を書こうと思って思い出してみると……「色・欲・金」と「愛」に対する価値観の相違が面白いな、と感じました。
忠兵衛にとっては「ままならぬもの」だった三百両、それをポンと使って、女郎たちに幸せを振りまく世之介の、忠兵衛とは全く違う苦悩。

忠兵衛には「愛」しかなかったし、世之介には「色・欲・金」しかなかった……彼はそう感じていた。最後のあの瞬間まで。


井原西鶴と近松門左衛門。似たような時代の似たような地域(上方)で人気を博した二人のクリエーター。
仲の悪い浄瑠璃一座同士の争いで、両陣営が二人に注文をしたようなこともあったようですが、作風の違いがなかなか興味深い!!もっと他の作品も観てみたいなあ、と今更思ったりして。。。
近松を語るのが植田景子さん(近松・恋の道行き)であるならば、西鶴を語るのは齋藤さんとか石田さんとかが適任なのでしょうか。エロティックな話が多いので、宝塚では難しいとは思いますが、うまくまとめてkれるなら観てみたいな、と思います。




■SHOW-izm VII「ピトレスク」(シアタークリエ)
小林香さんの「SHOW-izm」シリーズ第七弾。私は今回が初だったのですが、お芝居仕立てのショーかな?くらいの軽い気持ちで観に行って、、、完全に打ちのめされました。
こんな物凄いお芝居だとは思わなかった!!もっと覚悟して観に行くべきだった……!!

時代背景は1942年9月、ナチス占領下の巴里……ユダヤ人の強制連行が始まった直後。時代的には、先月観た「国民の映画」の方が少し早い、かな?あれはベルリンの物語で、こちらは巴里ですが。
同時代の作品は色々ありますが、最初に「国民の映画」を連想したのは、観た時期が近かったのもありますが、それ以上に、どちらも「芸術」のもつ力について語る作品だったから、だと思います。
「国民の映画」は“ドイツ帝国の権威”の象徴としての名作映画で、「ピトレスク」は、“支配への抵抗と精神の自由”の象徴としてのショー(“燃えない絵”)、でしたけれども

作品タイトルにもなっている「pittoresque」は、フランス語で「絵のように美しいさま」を意味する詞。この詞を象徴的に「燃えてしまった絵」に対する「燃えない絵」の意味にも使った脚本は、とても美しくて残酷で、綺麗でした。

自由な巴里の象徴だったキャバレー「La Figue(いちじく)」。その店がナチスによって閉店させられた時、店の象徴だった絵を避難させた「La Figue」の関係者たちが、夜な夜な閉鎖された額縁工場に集まり、ショーを創っている。自由の精神を受け継いだ地下キャバレーを開店するために。

登場人物は9人。
「La Figue」の象徴となる絵を描いた元ドイツ貴族の画家タマラ(保坂知寿)
ユダヤ人の恋人を強制連行で連れて行かれた、脚本家のジャン・ルイ(中川晃教)
ベルリンから亡命してきた、ユダヤ系ドイツ人小児科医のマルゴー(クミコ)
元「La Figue」衣装係で、タマラに愛されるカミーユ(彩輝なお)
ロマの血をひく「La Figue」の歌手、マヌエラ(JKim)
「La Figue」にパンを卸していたロシア系のピョートル(岡本知高)、肉屋のリュシエンヌ(風花舞)、その夫トマ(三井聡)
占領軍の兵士で、ダンスが大好きで、憧れの巴里で芸術品を扱う任務についているフリードリヒ(舘形比呂一)
元女給のイヴェット(美鳳あや)

構造としては群像劇なので、明解な主役は居ないのですが、タマラとカミーユ、そしてフリードリヒの物語が主軸になっていたと思います。特に……私が保坂さんのファンであるせいか、タマラが事実上の主役にも見えました。突出した存在感で「亡命した元ドイツ貴族」かつ「ドイツ政府が欲しがる芸術家」という設定に説得力がありました。


とはいえ、群像劇として一人ひとりのドラマがきちんと描かれていたことで、厚みのある作品に仕上がっていたと思います。
それぞれの人生を必死に生きている人々。肉屋は肉屋の、パン屋はパン屋の日常があり、それでも夜中の地下活動にも協力する。
「なりゆきで」と嘯きながらも、一生懸命に。

でも、やっぱり「なりゆき」は「なりゆき」で……タマラの選択も、フリードリヒの判断も、、、リュシエンヌの叫びまで、すべては『運命』の命じるままに動くしかなくて。
それでも、一度は額縁工場を出ていった彼らが、もう一度戻ってくるラストシーン……あれはたぶん、心だけ、なのだと思うのですが……あの場面がとても温かいものとして心に残りました。
ほとんどトラウマになっていた「国民の映画」の「普通の人々」の怖さが、少し拭われたような気がしました。人間は怖いけど、でも、信じられる人もいるのだ、と。

そういう人に出会えること自体が、僥倖なのかもしれないけれども。


今作でもう一つ印象に残ったのは、出演者の出自のバラバラさ加減、でした。
でも、その出自のバラバラさを、それぞれの役の人物の出自と重ねて個性を出させていたのが、巧いなー、と思いました。

・フランス人(ジャン・ルイ、カミーユ、リュシエンヌ、トマ、イヴェット)
 ほぼミュージカル界から。しかも、うち3人は宝塚OG。

・ロシア系フランス人(ピョートル)
 クラシック系のソプラニスタ

・ロマ系フランス人(マヌエラ)
 韓国出身、劇団四季で活躍

・ユダヤ系ドイツ人(マルゴー)
 シャンソン歌手

・ドイツ人(タマラ、フリードリヒ)
 保坂さんは劇団四季、館形さんはコンボイ。

「天守物語」とはまた違った意味での「異種格闘技」でしたが、さまざまなジャンルから人を集めただけの意味がある、見事なキャスティングでした。

物語の合間合間に入るショーシーンも、ダンサーと歌手を揃えた座組の魅力がよく出ていて、どれもとても良かったです。。。芝居仕立てのショー、じゃなくて、ショーシーンのある芝居であるということが、先行のチラシではよく判らなくて、一回しか観なかったことを悔やんでいます……(T T)




Bunkamuraオーチャードホールにて、「天守物語」を観劇いたしました。



言わずと知れた、泉鏡花の傑作戯曲。播州姫路の白鷺城の天守に住まう、妖かしの姫のものがたり。

宝塚OGと能楽師、歌舞伎役者、そして現代劇の役者……相容れない様々なジャンルの役者が集まり、泉鏡花の「異界」を描く、というコンセプトがとても興味深くて、彼らをまとめる演出の高橋正徳さんの手腕を楽しみにしていったのですが。。。

いやー、面白い(興味深い)舞台でした!!


元々よく知っている宝塚OGを別にすると、一番印象に残ったのは、亀姫役の中村梅丸さんでしょうか。
まだお若いのに、滑らかでやわらかな所作の美しさと、そして、なんともいえないはんなりとした可愛らしさ!!まとう空気が本当にお可愛らしくて、シャキっと男前な祐飛さんの冨姫に比べると、本当に少女のようでした。お二人がイチャイチャと(^ ^)仲良く言い合っている場面がなんともいえず微笑ましくて、並びたっていながらも「おあねえさま」と慕う亀姫と、可愛い妹分を目を細めて可愛がる冨姫の関係が、とても素敵に見えました(*^ ^*)。


そして、泉鏡花役の三上博史さん。なんというか、「泉鏡太郎」ではなく、すでに“異界”を生きている感のある「泉鏡花」として舞台の上で生きていて、凄いなあと。
狂言回しのはずなのに、ちゃんと異界の存在だったのが面白いというかさすがだな、と思いました。
そういえば、私、昔はけっこう三上さんのファンだったんですよね。。。スワロウテイルとか、好きだったなあ(懐)


図書之助は須賀貴匡さん。過去にも舞台姿を観たことがありますが、そのときの印象とは全然違うなーと思いました。鏡花の美しい詞を紡ぐ口跡の美しさと、ちょっと無骨な感じが良かったです。
ただ、姫路城城主に愛された寵臣の役と考えると、もう少し色気があってもいいのかなー?と思ったりはしましたが(^ ^)


あとはやっぱり、青井陽治さんでしょうか。演出作品はいくつか観ていますが、板の上のお姿を拝見するのは初めてでしょうか?女形姿がとても自然で、やわらかくて表情豊かで……美しい台詞も口跡よく紡いでくださって、とても良かったと思います。


主演・冨姫の大空祐飛さん。
やっぱり、このひとの「世界観」の創り方、、、というか、客席と「世界観」を共有する能力は侮れないな、と思いました。異界の住人、という言葉がこんなに似合う人もなかなかいないと思うのですが、それ以上に、その纏う空気を客席に送り込み(?)、一時的にその世界の住人にしてしまう力を持っているなあ、と。
所作の技術という点では、まだ若い梅丸さんからもっともっと学んでほしいという感じでしたが、、、声の出し方や口調、表情などのリアルな「異界」感は、さすがでした。そして、化粧も含めて、超絶可愛かった!です(←のろけ)。
大江山花伝の茨木童子を思い出して、すごく懐かしかった(*^ ^*)。……そういえば、あれも「異界」の物語ですね。。。うん、


腰元の春風弥里(桔梗)、花瀬みずか(葛)、風莉じん(女郎花)、初姫さあや(萩)。
男役を卒業して間がないみーちゃんも含め、4人とも綺麗で役に似合っていて、違和感もなく、とても良かったです!
女優姿を初めてみたみーちゃんの、しっとりとした色っぽさと雰囲気。
さあやの、はんなりとした色気、隙のない存在感、美しい所作とやわらかな笑顔。
ちや姉の、やわらかくて寂びのある存在感と、あーちゃんの貫録や美貌……

いやー、宝塚ってすごいなあ、すごいところなんだなあ……すごく今更なんですけど、これだけの人材を次から次に輩出しているかと思うと、あらためて凄いなあ、と自慢に思いました(^ ^)。


出演者が発表されたときから、異種格闘技的な展開を想像しないでもなかった作品ですが、良い意味で「異界」の空気を感じられて、鏡花の世界にたっぷり浸ることができました。
美しい詞によって紡がれる、美しい恋の物語。短い公演ですが、堪能させていただきたいと思います!



最後にひとこと。
さあや可愛いよさあや………っ!!(感動)


国民の映画

2014年3月10日 演劇
パルコ劇場にて、「国民の映画」を観劇いたしました。

初演時は予定が合わなくて観られなかったこの公演。再演が発表されて、今度こそ観たいと思っていたのですが、無事千秋楽に観ることができました。



第二次世界大戦中のドイツ国宣伝大臣ゲッペルス(小日向文世)の、「風と共に去りぬ」を超える映画を創る!という『夢』の物語。


夢は美しく、美しい夢を見る権利は、すべてのひとにひとしく与えられる。

たとえそれが、悪魔の所業を決定し、実行したひとびとであったとしても。


華やかな夢。ハリウッドの総天然色の美しい夢。「風と共に去りぬ」を超える、すべての国民が誇れる「国民の映画」をという、映画ファンのゲッペルスにとっては、そう簡単には諦められない夢。

その「国民(nation)」に、同じ国土に住まう、ある民族が含まれていないとしても、その夢の美しさが嘘になるわけではない。
いっそ嘘になるなら、そのほうがずっと良いのだろうけれども。



親衛隊長ヒムラー(段田安則)が、物語の前半でゲッペルス夫人マグダ(吉田羊)に語るカイガラムシのくんだり。「害虫」と呼ばれるのは人間都合であって、カイガラムシが悪いのではないのだから、むやみに殺してはいけない、と。死んでしまったなら、丁重に葬ってげなくては、と。

そのあたりのエピソードの積み重ねに、背筋が冷たくなるような怖さがあるのは、ゲッペルスやヒムラーやゲーリング(渡辺徹)らが、「偉大な悪魔」などではなく、単なる想像力のない小市民的な小者にすぎない(すぎなかった)、という事実なのだ、と。
小悪魔でさえない、『小市民』の怖ろしさ。いま一緒に電車に乗って、隣に座っているひとが、さっき道を歩いていてすれ違ったひとが、何かの理由で、ある一つの民族の「生物的消滅」を望むことがあるのかもしれない。そういう、ものすごくリアルな怖さは、あのシンプルな台詞劇を支えた名優たちのたまものだと思うわけです。



名優・グリュントゲンス(小林勝也)の選択は、彼なら当然のことだし、それ(同性愛)は、俳優生命には関わったとしても、生物的な生命に影響を与える問題ではない。
逆に、ナチス高官たちに愛された若き女性映画監督レニ(新妻聖子)の、これまた「当然」の選択も、それに対するゲッペルスの選択も、説得力がありました。

けれども。
それまでずっとナチスに協力し、ゲッペルスの言いなりになって美味しい思いをしてきた映画監督兼俳優のヤニングス(風間杜夫)が、最後の最後、彼らが考えている「最終解決」の真実を知ってゲッペルスの許を去る最後の選択が、同じ小市民の私にとっては、大きな救いでした。まだ世界は大丈夫かもしれない。電車で隣に立っている人が突然「最終解決」と言いだしたりはしない、きっと、たぶん、と祈れる気がする。
それでも、彼にはゲッペルスの映画の先生だった執事のフリッツ(小林隆)を、救うことはできない。それまで、幾多の映画人たちを救ってきたフリッツなのに。

ゲッペルス自身にさえ、フリッツを救うことはできない。いや、本気で救おうとしたら手はあったのかもしれない。でも彼は、フリッツを守ろうとはしたけれども、救おうとはしなかった。仕方ない、という諦め。フリッツが喪うのは命なのに、それがどういうことなのか、想像できない男。
指導者において、想像力の欠如は罪なのに。



ナチスによって弾圧をうけた作家ケストナー(今井朋彦)の生き方のあやうさ。折れず、譲らず、命を捨てず……頭の中にある物語を形にするまでは死ねない、という固い決意が美しくて、重たくて、怖い。そのために何でもする、という彼の価値観の揺るがなさが。ここで醜い小者たちに魂を売っても、それでも、それよりも生き抜いて自分が生み出す芸術のほうが尊く、人類にとって価値があるのだ、という確信。
それはもしかしたら、ナチスよりも自己中心的な生き方だったのかもしれない、と。

ヤニングスの選択によって救われた気持ちが、ケストナーの選択によってもう一度突き落とされる感じ。
人間って怖い、生きるって怖い、、、でも、そういうものなのかもしれない、と納得できてしまったことが怖くて。

でも、たぶん、そうであってはいけないのだ、と。
想像力を捨ててはいけない。他人の痛みに鈍感になりたくない。だって、ゲッペルスには止められたはずなのだから。もっと早いどこかで。ここまで来てしまう、もっと前に、何らかの手を打てたはずなのだから。
どこがそのポイントだったのかはわからないけれども、どこかにきっと。
生物的消滅、なんていう言葉を使う前の、どこかに、きっと。


祈ることしかできないけれども。
信じることしか。


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少年十字軍

2014年2月13日 演劇
シアターサンモールにて、スタジオライフ公演「少年十字軍」Navisチームを観劇いたしました。


原作は、皆川博子の「少年十字軍」。残念ながら未読ですが、この少年十字軍の十年前に行われた第4次十字軍(1202年)については、塩野七生氏の本で読んでいたので、世界観含めて、だいたいついていけた……かな?

ヨーロッパの片田舎で、羊飼いの少年エティエンヌが大天使ガブリエルに抱かれ、「エルサレムへ行け」との神の声を聴く。それを聴いた子供たちは「エティエンヌが居るから大丈夫!」と聖地への長く危険な旅に同道することを望み、大人たちは、「純粋な子供たちによる十字軍」という夢に酔い、贖罪のための寄付を差し出す。。。



当時は、まだ第4次農業革命前の、三圃制が主流の時代ですよね。牧草栽培や舎飼い技術も確立されておらず、冬には大量の家畜を屠殺していた頃。この物語の主人公エティエンヌは、流れの羊飼いである伯父と共に村から村へ旅をしている、という設定のようなので、農業に従事する農民とは別の、牧畜の専門家がいたということなのでしょうか。農民たちが三圃のうち二圃の世話をしている間に、休閑地で放牧される家畜の世話をする人々(家畜の持ち主は農民)。

流れの専門家は、土地に縛られた農民にとって「マレビト」であり、何らかの特殊能力や特異な道具を持っていると考えられる。エティエンヌも、聖遺物が仕込まれた杖を持ち、それを媒介に天からエネルギーを得て、人や動物の怪我や病気を治すことができる「神に選ばれた無垢なマレビト」として舞台に登場する。
彼は鏡となって人々の心根を映しだし、その醜さを、その美しさを、分け隔てなく受け容れる。
神に選ばれた器。繰り返される「エティエンヌがいるから大丈夫!」という率直な憧憬に、眉ひとつ動かさずに歩き続ける……未来へ向かって。関わるすべての人への愛を持ちつづけて。そんな、「天使」の存在感が、とても見事でした。




それでは、出演者について簡単に。

・エティエンヌ(久保優二)
プラチナブロンドが白い肌に自然に映えて、まさに天使のようでした。つい見惚れてしまった。。。顔だちが幼いのもあるので、ぜひエーリク(「トーマの心臓」)を観てみたいなあ、と思いました。
割と無口なキャラなので、芝居の巧拙はよくわかりませんでしたが、声自体は聴きやすくて良かったし、これからの活躍を楽しみにしています。


・ガブリエル(松本慎也)
私はやっぱり、松本くんは男役のほうが似合うと思う。。。顔だちが男っぽいんですよね。今回は役柄的なものもあってキツめのメークでしたが、シャープな貌によく映えて、素敵でした。
記憶を喪って僧院の庭に倒れていたガブリエル。2幕の終盤で明らかになる彼の過去が、演出的にちょっと唐突だったのが残念でしたが、松本くん自身はすごく良かったです!


・サルガタナス(山本芳樹)
吃驚しました!ものすごくぴったりだったと思います。山本さんが演じる異常さというか、特異な雰囲気は抜群で、Fluctosで同じ役を演じる松本くんのイメージがまったくわかないくらいでした。
……逆に、Fluctusで山本くんが演じるガブリエルも、あまりにも想像力の外すぎて……観てみたいような、怖いような(←いや、観る予定は残念ながらないのですが)。


・アンヌ(宇佐見輝)
エティエンヌと親しい農民の少女。親によって人買いに売られそうになり、家を逃げ出してエティエンヌの十字軍に参加する。
見た目も可愛らしく、芯の強さのある可愛い女の子で、とても良かったと思います。この人も「トーマの心臓」で何か役がつくといいなあ。もっともっとお芝居を観てみたいです。


・ル―(千葉健玖)
「森」で生きていた青年。たぶんに妖精的な、エティエンヌを慕う子供たちの中でも特別な存在でしたが、ちょっと野生的な雰囲気といい、本能的な優しさといい、存在感があってとても良かったです。


とても役の多い作品でしたが、どれも適役で、皆さんとても良かったと思います。
笠原さんが、すべての場面で違う役、みたいな感じに修道院長やら領主やら、偉そうな役を次からつぎと演じた上で、最後に悪役までやってしまうあたり、その芝居の幅広さを見せてもらって、とても素敵でした(^ ^)。また外部出演しないかなあ。。。



倉田さんの演出は、相変わらず暗転+音楽⇒次景、の繰り返しで、そろそろ違う手法も試してみたほうがいいのではないかと思ったりもしました。客席の使い方とかはだいぶ良くなったなあと思うのですが。。。十回以上はありそうな場面展開をすべて同じパターンでやられると、どうしても「またか」と思ってしまうんですよね。
一度、盆のある劇場(載せ盆でもいいいけど)で公演してみたらどうだろう、と思ったりしました。



MIWA!!

2013年11月29日 演劇 コメント (2)
東京芸術劇場プレイハウス(旧:中ホール)にて、NODA・MAP 第18回公演「MIWA」を観劇いたしました。


当年とって78歳の美輪明宏(78才)をモデルに、「アンドロギュヌス」というフリークス(古田新太)に憑かれた美青年の半生を宮沢りえが演じきり、「昭和」の空気を見事に再生した舞台でした。
私は美輪さんの舞台は観たことが……もしかしたら無いのかしら?チラシを観るたびに観たいとおもっていたけど……結局、観ていないような気がします。

そんな私ですが、とても面白かったです。

主演の宮沢りえさんが瑞々しく美しく、そんなに似ているわけではないのでしょうけれども、こういう魅力のある人だったんだろうなあ、と、素直に納得できる気がしました。愛する人にすべてを否定され、あらゆる辛酸を舐めたひとが、ラストに辿りついた澄明な笑顔の美しさ。彼「女」の人生のすべてを観て、呑みこんできた「楽屋の鏡」ごしにみるその輝きに圧倒されて、茫然と見送ることしかできませんでした。

お目当てだった浦井健治さんは、銀巴里時代の歌手仲間。同性愛者であることを母親に否定されて死を選ぶ若い美青年の役で、「StarS」武道館コンサートで見せていたボケボケなイメージからは想像もつかない感じでした(←いまさら)。そして、タイツ姿で何度も脚線美を披露してくださいましたが、さすがでした。。。(なにが)

池田成志さんの七変化っぷりというか、たくさんの役の演じ分けもすごかったけど、それをあっさりネタにして「僕がここにいるから、オーナーは帰って来られないんだよ」とか言わせちゃう野田さんってやっぱり神だなあ、と思うのです。。。


古田さんの「アンドロギュヌス」の存在感はさすがすぎて、なんというか、飛び道具でしたね。野田作品では定番ともいえる、「いつも傍にいる」と約束してくれたフリークス。
決して美しくはない「化けもの」なのに、ぶっきらぼうに丸山少年を慰め、彼に生きる力を与えていたアンドロギュヌス。長じて自分の脚で歩きだし、銀巴里に居場所を見つけた彼がアンドロギュヌスを必要としなくなるとあっさり離れ、またっさりと戻ってくるあたりの展開もさすが。アンドロギュヌスが去った後、無意識にあたりを探る丸山青年の視線が寂しかったし、戻って来た時の感動的な演出のいっさいないさりげなさがとても好きでした。
野田さんがこの作品を思いついた次点で、すでに古田さんの登場は決定だったのだろうな、と思いました。



演出的に秀逸だったのは、原爆後の光景でしょうか。「世界」を覆う黒い薄布の下、苦しみもがく芝居にみせて、こっそり黒服に着替えていた「死体」たち。2階席の最後方センターの立ち見席から見下ろしたその光景は、巨大な光と熱量によって一瞬に焼けただれ炭になった人々の表現として、実にリアルでうつくしくて、凄惨で。
……そして、その「世界」を踏みつけて歩く「美少年」の輝かしさが眩しかった。踏みつけて、踏みしめて、彼は歩む。凄惨な世界の中を、諦めることなく、飽きることもなく、ただ、まっすぐに、「美」をもとめて。



それにしても!!
プログラムにある高校生時代の美輪さんの美しさには思わず息をのみました……まさに「奇跡の美貌」。あれはもはや、平凡な幸せなど望んでも得られないだろうから、ああやって燃え上がるしかなかったのだろう、と、、、すごくいろんなことがすとんと落ちた、そんな気がしました。




舞台とは全く関係ありませんが。
芸劇に行ったのは久しぶりだったのですが、建物の中の吹き抜けの空間に、正面から見ると羊の頭で、裏から見るとなんだかよくわからない容をした、不思議なバルーンオブジェ(?)があったのですが、、、あれはいったい何なのでしょうか?
昔読んだ童話「はなはなみんみ物語」に出てくる“おそろしい羊びと”を思い出したのは私だけ? 山を囲む雲が凝って生まれた化物、という設定にぴったりの姿だったんですが……(怖)


シアターコクーンにて、「唐版・滝の白糸」初日を観劇いたしました。


以前に私が観たのは、西岡徳馬の銀メガネ、富司純子のお甲、藤原竜也のアリダで、たぶん2000年版。……もう13年も前なのかーーーーー、驚愕。


今回のキャストは、平幹二郎・大空祐飛・窪田正孝。

平さんの銀メガネがさすがの貫録で、蜷川デビューの窪田くん、女優デビューの祐飛さんをしっかりと引き上げて、舞台としてまとめてくれていたな、と。
物語前半の枯れた印象と、ラストに豹変してからの色気の発散がすごかった!!


窪田くんは、素直な芝居でとても好感をもちました。まだ初日なので、これからどんどん良くなるだろうな、と。
芝居の相手をしっかり視れているのが、すごくいい。非日常を描く難しい芝居なのに、素直で優しい少年の心情の変化がとてもストレートに伝わってきて、圧倒的な存在感で魅せた藤原竜也とはまた違う、魅力的なアリダでした(^ ^)。


祐飛さん、女優デビュー初日、おめでとうございます!
こういう役(芝居)で女優デビューできて、幸せな人だな、と思います。紅いシンプルなドレスがとてもよく似合って、可愛かった(*^ ^*)。登場した直後の数分間は声が出てなくて、大丈夫かな?と心配していたのですが、、、どうやら単純に緊張していただけらしく(^ ^;ゞ、最初のひとくさりが終わって台から降りた後は、とても良かったです。今まで舞台で聞いていたより少し高めの声は、発声に無理がないせいか聞きとりやすく、滑舌も良かったし(←贔屓目)、仕草も特に違和感なく、ウルフカットのミドルショートがとても良く似合って、本当に可愛かったです(*^ ^*)
……後半の水芸を見せる場面の和装(正装)は、、、なまじ着慣れているぶん、ちょっと男役がはみだしていましたが(^ ^)。

以前に観た冨司さんのお甲は、酸いも甘いもかみわけた、「大人のオンナ」の象徴的な存在に見えたのですが、祐飛さんのお甲は少女でした。
こんなにキャラクターが全然違っても、「芝居」として成立するところがすごいな、と思ったくらい。全然イメージが違ってて。でも、これはこれで、有りだなあ、と思ったんですよね。平さん・窪田くんに組み合わせるなら、あの「少女の必死」はありだなあ、と。
ハイティーンの少女が、守るべきものを守るために全てを投げ出してしまう必死さがとても強烈に印象的で、、、祐飛さんの、ああいう無茶な行動に説得力をもたせる力は相変わらずすごいなあ、と、素直に感心してしまいました。



……すみません、贔屓目すぎて、客観的なことがまったく書けていないのですが、、、あらためて、ああ、面白いお芝居だなあ、と思いました。昭和の(一万円札が聖徳太子だったり!)下町の、さびれた路地裏の、猥雑な世界観の中で繰り広げられる「くだらない」言い争い。そのリアルさとじっとりと湿った感じがすごく伝わってきて、ぞくっとするほど新鮮でした。

カーテンコールで登場された唐さん・蜷川さんも、ちゃんとゴキゲンに見えたので、初日としてはちゃんと良かったのではないかな、と勝手に思っています(^ ^)。

次に観る予定は週末なので、それまでにどのくらい進化しているのか、とても楽しみです!



ノーマルの隣で

2013年9月22日 演劇
シアタークリエにて、「Next to Normal」を観劇いたしました。


2009年にブロードウェイで上演され、その年のトニー賞の主演女優賞(アリス・リプリー)、楽曲賞(トム・キット)、編曲賞を受賞。作品賞は「リトル・ダンサー」に持って行かれたけれども、話題になったので、タイトルだけはそういえば記憶にある……かも?(←自信ない)



「双極性障害(いわゆる“躁鬱病”と同じっていう解釈でいいのかな?)」を抱えた独りの女性と、彼女を包む家族の物語。
題材的にはもっと突っ込んだ表現もできたと思うのですが、どちらかといえば「治療」の厳しさと精神科医のキャラクターにドラマを取られて、トラウマ部分については思ったよりサラッと解決させたな、という印象でした。
ところで、日本でもああいう治療はされているんですかね?あまり聞かないけど、ことがことだけに、当事者以外は知らないってのもあるだろうしな……。

個人的には、ヒロインのダイアナよりも、娘のナタリーに感情移入して観ておりまして、、、なんというか、途中でひどく辛くなったんですが、最後は思ったよりあっさり立ち直ってくれたので、良かったなと思いました。
ああいう世を拗ねた妹には、ああいう能天気な彼氏がいると安心ですね!(真顔)うん、きっとこれから良いことがあるよ、貴女の人生にも、辛いこともあるだろうけれどもね……と、声をかけてあげたい気持ち。

とかなんとか言いつつ、ラストは夫のダンに全部持って行かれました(*^ ^*)
ああ、岸さん素敵だった!!優しくて無力で、誰のことも(自分自身も)救えなくて。でも、確かに生きていました。彼が一番、リアルだった。彼がいちばん「ノーマル」に近いから、なんでしょうね、あのリアル感は。
実際には、もっとも「ノーマル」から遠いのも、彼なのだけれども。



この作品の最大の魅力は、やっぱり楽曲ですね。耳馴染みのいいロックとバラードが交互に流れる空間。作者の掌の上で、不安になったり高揚したり、彼らの思い通りに感情を転がされている気がするほどの、コントロールに優れた音楽。これ!という目立つアリアはないけれども、2時間を通して心をゆっくりと揺さぶり続ける音楽でした。

演出は「RENT」のマイケル・グライフ、日本版のリステージは、「Next to Normal」の前身となった2005年の「Feeling Electric」のADだったローラ・ピエトロピント。
舞台全体を埋める大きな3階建てのセットを組んで、それぞれのフロアで芝居をする斬新な演出は、平面的といえばこの上もなく平面的だけれども、立体的といえばこれ以上はないほど立体的で、とても効果的で面白く、圧倒的されました。
ただ、私は比較的後方のセンター席だったので、マーク・ウェンドランドの斬新な装置を堪能させていただきましたが、あれは、前方席だとかなり観にくいのでは……?と、人ごとながら心配になりましたが(^ ^;ゞ
前方席でご覧になったかた、いかがでしたか?





それでは、キャストごとに簡単に。
【ネタばれしておりますので、未見の方はご注意ください】





■ダイアナ(シルヴィア・グラブ)
シルヴィア、良かった!!歌も芝居も文句なく良かったです。ただ、一幕冒頭、「セックス、セックス!」と連呼する場面はもう少しセクシーに出てほしいな(冒頭だし)、と思いましたが、、、あれは演出なのでしょうか。抗鬱剤の副作用、という設定?

シルヴィアって、前田美波里なみに根っからのポジティブしかできないタイプに見えるけど、意外と闇を抱えた役が似合う役者なんですよね。今回はそれがすごくうまく嵌っていたなと思いました。
特に、同じ闇でも、「不安」と「自責」の泥沼に嵌っていく様子に説得力があって、それがすごく良かったです。
自分が悪いんだ、自分が家族の重荷になっている、という強迫観念は、結局家族全員を傷つける両刃の剣だから。それを握ってしまったダイアナの恐怖と怯え、その怯えた剣先を突き付けられたダンの報われなさ。
家の中には愛があるのに、それが地にうち捨てられ踏みつけになっている現実が、とても切なかったです。

今回はスケジュール的に一回しか観られないので、トウコさん(安蘭)のダイアナは観られないのですが、この役は本当に、二人とも観たくなる役替りだな、と思いました。
トウコさんはどんなふうにあのダイアナを演じるのでしょうか。私のイメージだと、もっと「怯え」を前面に出して来そうな気がするんですが、そうなると、話の根幹の設定がだいぶ変わるよなあ、、、と。
うーん、両方ご覧になったフラットな方の意見を聞いてみたいです(^ ^)。



■ゲイブ(ダイアナの息子/小西遼生)
ダイアナとダンの、幼い頃に死んでしまった息子……の、魂、なのかな?ダイアナの幻覚なんだけど、彼自身の意志があるものとして表現されていて、興味深い存在でした。
特にラスト、いままで自分のことを封じようとしてきた父親の前に現れた彼がとても優しくて、寂しそうで……なにかイケナイ展開が始まるのかとドキドキしてしまいました……すみませんすみませんすみません(滝汗)。

一幕の前半は、普通に「息子」として見えていて、彼が他の家族と会話をしていないことに全然気がつかなかったんですよね。演出が巧いんだけど、小西君もさりげなく巧いなーと思いました。特に「この世のものならぬ」雰囲気を出す必要のない役ではありましたが、場面ごとにコロコロと色を変えて登場してくれて、、、間がいいんだなあ、と感心しました。

小西くんといえば、「レ・ミゼラブル」にマリウスで出演してから、もう何年……?あの時は、歌が酷過ぎてあまり良い印象は無かったのですが、、、いや、今回は歌も良かったです。見た目は元々文句ないし、歌が上手になってくれて嬉しいです!これからのご活躍、チェックしていきたいと思います♪



■ダン(ダイアナの夫/岸祐二)
優しくて温かくて色気があって、愛情深いダイアナの夫。妻があの状態で、いったい何の仕事をしているのかちょっと疑問でしたが(汗)、歌も芝居も本当に良かったです。

ダイアナとの相互依存的な関係は、ダンか優しいだけにとても辛くて。
ドクター・マッデンに勧められて電気ショック療法を受けさせると決めるまでの葛藤はとても優しいのに、治療によって殆どの記憶を奪われた妻に、「なにもかもうまくいく…」と歌いながら次々に思い出の品を見せるところや、息子の死を隠そうとする場面の高圧的な感じのギャップが切なくて、そうせずにはいられないほど追いつめられた「夫」の苦悩が哀れでした。

記憶を取り戻した妻が出て行った後の、息子と二人の場面が、とても切なかった。ダンはそれまで、ゲイブのことは心から閉め出していた。ダイアナを喪ったことは、そのことへの罰なんですよね、きっと。
いつかきっと、ダイアナが帰ってくる。その日を信じて、時々カウンセラーに罹りながら待っている彼が、たぶん、「アメリカにおけるノーマル」なんでしょうね、きっと。

余談ですが、「ゲイブ」って「ガブリエル」の愛称なんですね。……生後たったの8ヶ月で逝ってしまったガブリエル。彼の誕生ゆえに若すぎる結婚をした二人にとって、彼の死は運命だったんだろうな。。。



■ナタリー(ダイアナの娘/村川絵梨)
ナタリーは「妹」なんだな、ということを、すごく強く思いました。
感性の鋭い、芸術家肌の「妹」。自分の中の母の血に怯え、自分にそそがれない愛情に飢えて、すべてに毒を吐き続ける。家庭に幸せがないから、新しい家庭をつくることに興味がもてない、孤独な少女。

現実には、彼女が生まれる前にゲイブは神に召されているので、彼女は「一人娘」なんですよね。でも、両親は彼女を「妹」として扱い、彼女自身も「自分は妹である」と思って育つ。彼女と両親の間には「兄」がいるんです。それは大きくて高い透明な壁で、彼女は親の愛を受けられなくなっている。

……正確には、彼女が受け容れられないだけで、それなりに愛は降り注がれてはいるのだけれど。

上でも書きましたたが、今回の観劇では、何故だかすごくナタリーに感情移入してしまったので、彼女がラストに母親と和解し、彼女の手を離してダンスパーティーに現れる場面で、かなり泣いてしまいました。
いままで彼女は、母親の手をつかむことができなかったから、離すこともできなかったんだよね。でも、あの病院で、はじめて彼女は魂の入った母親に抱きしめられて、愛されていることを実感する。
……だから、もう大丈夫、と手を離す。もう大丈夫、親離れできる、と。

彼女の中のダイアナの血が、彼女の魅力の一部を形作っているのだから、それを排除することはできない。
彼女がその「血」に怯えるさまはとても切なくて、リスクはなくならないから単純なハッピーエンドにはならないけれども、結局は自分を信じて前に進むしかない。ただ、「ノーマルの隣」で、諦めずに、孤独にならずに生きて行こう、と。もう独りではないのだから。



■ヘンリー(ナタリーの恋人/松下洸平)
優しくて能天気で、本能で生きている青年。
ナタリーみたいなタイプには、こういうまっすぐな好青年がいいよね!と思う。たぶん、ダンもこういう青年だったんだろうな、と(←それを思わせる演出もある)

松下さん、お名前は知ってましたが観たのは初めて……かな?温かみのある、いい芝居でした。ナタリーが、意地をはりつつも、気を抜くとつい甘えてしまう(←ただのツンデレ?)ところが可愛くて、そういう彼女の可愛いところを引き出したヘンリーの存在感に感心しました。良かったです!



■精神科医(新納慎也)
素晴らしかった!!「ダイアナにはロックスターに見える」ドクター・マッデンがメインでしたが、1幕前半の精神科医(薬物療法が中心)も、なんというか、、、あやしげで良かったです。

誰がどうみても、「ノーマル」から一番遠いのは彼でしたが、それは狙いどおりなのでしょうか?(^ ^;ゞ



6人の出演者が、全員役に嵌っていて、しかも誰ひとり歌も芝居もコケる人がいない。
素晴らしい座組で、素晴らしい音楽でした。人によっては受け入れにくいかもしれない、難しいテーマかなという気もしますが、私は良い作品だなと思いました(^ ^)。


木の上の兵士

2013年4月13日 演劇
シアターコクーンにて、「木の上の軍隊」を観劇いたしました


故・井上ひさしの脚本により、2010年に上演される予定だった「木の上の軍隊」。井上氏の逝去により幻となった作品を、蓬莱竜太が組み立てて栗山民也が演出した、まさに「幻」の公演。
松井るみによる巨大なガジュマルの樹が仁王立ちする舞台に、2010年にも出演予定だった藤原竜也と、山西惇・片平なぎさという3人の出演者が立ち竦む、、、そんな2時間(休憩なし)でした。


私が観たのは開幕してすぐの時だったのですが、山西さん(上官)と竜也くん(新兵)の会話の迫力に振り回されて、痛くて、もっていかれっぱなしでした。
あれから日も過ぎて、さらに迫力が増しているのでしょうか。もう一度観たいような、観るのが怖いような。蓬莱さんもよくこんな痛い脚本を書いてくれた、と感心するばかりです。



物語の舞台は、沖縄戦争末期の伊江島(沖縄本島から北西約9km)。

ときどき忘れそうになるのですが、いわゆる「沖縄戦争」は、「本土決戦」ではなかったんですよね。
私にとって「沖縄」は日本の一部で、だから日本軍は日本の国土としての沖縄を護ろうとして、護りきれなかった……と思いたいのですけれども。でも、実際には、資材も糧食も、兵士さえ現地調達した日本軍は、沖縄弁で喋ることを禁じ、志願兵にはろくな武器も渡さなかったと聞くと、忸怩たる思いが募ります。
それでも、「新兵」は「日本」を信じた……「日本」の代表としての「上官」を。その真っ直ぐな信頼は、重たかったかもしれないけれども、それでも「上官」は、ちゃんとそれを受け止めていたんですよね。
……戦勝パーティーの夜までは。

パーティーの意味に気づき、泣きながら残飯をあさる山西さんの慟哭に、理解しながら認められない「敗北」、「勝利」のために命を賭けていたからこそ認められない「敗北」の重さを感じて、胸が痛みました。
残飯の豪華さ、自分たちに支給された糧食との差に唖然とした彼の心が折れていくさまが哀しくて、痛くて。理性は「敗北」を認められないから、樹を降りることはできない。でも、彼の心は戦争が終わったことを理解している。「上官」として「新兵」に戦争が継続していることを信じさせながら、自分自身はその矛盾の狭間でどんどん壊れていく。……意味もわからずに「上官」の崩壊を見ているしかない「新兵」の不安も痛いし、「新兵」の眼を通じて自分の欺瞞を見せつけられる「上官」の懊悩も、今の私が受け止めるには、あまりにも痛すぎて。

「上官」と「新兵」は、どちらが正しいというのでもないと思うのです。ただ、自分が産まれ育った場所を護ろうとした志願兵と、軍人として戦略的・戦術的な目的をもって島にやってきた「上官」との、立場の違い。立場の違う二人が、最終的にわかりあえなかった……そういう物語。
もしも、あの夜、「上官」が何も気づかなかったなら。だとしたら、どうなっていたでしょうね。
食料が尽きる前に「上官」が「新兵」を殺して、そして、、、食料も毛布もないまま、樹の上で亜熱帯の冬を越せたかどうか、、、かな。
どちらにしても、「上官」と「新兵」が立場の違いを乗り越えて理解しあうことは難しかっただろうな、と思う。彼らの夢見た「平和」や「勝利」は、そもそも違うものだったのだから。
それが哀しくて、そして痛いのです……とても。



まだこちらには感想を書いていませんが、この公演を観る前に、宝塚歌劇団によるブロードウェイミュージカル「南太平洋」を観ました。
宝塚作品なので、南太平洋に展開したアメリカ軍にとっての「敵軍」が何かについては隠されていましたが、かつて南太平洋でアメリカと闘ったのはただ一国で、エミール(轟)とケーブル中尉(真風)が命を賭けて偵察した結果の勝利が太平洋の制海権奪取につながり、それが最終的には沖縄決戦につながったことは間違いないんですよね。
だから。後半の緊迫した場面で「新兵」が語る「アメリカ兵と遭遇した」というエピソードの「アメリカ兵」は、もしかしたらあの星組の海兵さんたちの誰かだったかもしれない、、、なんてことを考えながらの観劇になりました。

「南太平洋」における「貌のない敵軍」と、「木の上の軍隊」における「鬼のような敵軍」。
どちらも、実際に顔を合わせて会話をする機会があれば戦うことなんてできないだろうに、その機会を与えられず、ただ戦うことを強いられた彼らは、、、ある意味幸せだったのかもしれません。己の勝利を信じていられる間は。
「ハニー・バン」を歌いながら戦場に向かう海兵たちを視ながら、言葉にならない想いを持て余していたのですが、この「木の上の軍隊」を観て、どちらも同じものの裏表なんだな、と思ったら、なんというか、、、痛くてたまりませんでした。


「木の上の軍隊」を観た今、もう一度「南太平洋」を観たいような、もう観たくないような、そんな矛盾した気持ちがあります。喉にひっかかって呑みこめない、何かの叫びのように。
ガジュマルの木の上で、変わっていく「世界」を見凝めるキジムナーたち。彼らの眼には、こんなふうに揺らぐ気持ちが、どんなふうに映っているのでしょうか。

とはいえ、彼らは諦めたわけではない、と思うのですけれども。理解しあうことも、それ以外も、なにひとつ。
だって、ここで諦めるくらいなら、木の上に残らなかったと思うから。彼ら……彼らの魂は。



「作家」としての全てを賭けた蓬莱さんの気迫を、私がちゃんと受け止められたのかどうか、あまり自信がありません。
ただ、その痛みから目を逸らしてはいけないんだ、ということはわかったような気がします。上官の迷いからも、その矛盾からも。新兵が正しいのではない。ただ、彼らは「犠牲者」だった。上官が「犠牲者」であると同時に「加害者」でもあったのと同じように、全員が「犠牲者」だったのだ、と、、、言葉にすることの難しい、そんな想いは伝わったような気がします。


樹の上に残ったキジムナーたちの、ガラス玉のような瞳に映るものが、少しでも美しいものになりますように。


PARCO劇場の「ホロヴィッツとの対話」。

作・演出は三谷幸喜。
出演は、天才ピアニストにしてトスカニーニの娘婿ホロヴィッツに段田安則、“彼の”調律師モアに渡辺謙、モアの妻エリザベスに和久井映美、ホロヴィッツの妻ワンダに高泉淳子の4人。

『「コンフィダント・絆」「国民の映画」に続く海外芸術家シリーズ三作目』という売り文句に騙されて そそられて観に行った作品だったのですが、「コンフィダント・絆」とは全く雰囲気の違う作品でした。
面白かったけど、「コンフィダント」を期待していくと肩透かしというか。。。ホロヴィッツも芸術家として非常にギリギリの人生を歩んだ人で、そういうところまで描かれるのかな、と期待していたのですが、そういうところは通り過ぎた後、晩年の、我侭だけど好々爺なホロヴィッツの姿がそこにありました。

主人公であるモアも、彼はあくまでも芸術家の手足となる職人であって「芸術家」ではないわけで。
芸術家同士の相克を残酷なまでに描きだした「コンフィダント」とは、テーマの選び方もキャラクターの配置もまったく異なる作品でした。
……まあ、私みたいに「コンフィダント」の一言でふらっと観に行く人間がいるのだから、そういう意味では見事なキャッチだったのかもしれません。でも、作品の評価という意味では、、、「コンフィダント」をイメージさせたのはあまり良くなかったんじゃないかなあ、なんて、、、ちょっとだけ思ったりもしました。

まあ、期待しすぎてしまった私がいけないんですけれども、ね。



なんて、不満げなことを書いていますが、その先入観をとっぱらった「ホロヴィッツとの対話」は、とても興味深い作品だったと思います。
特に、段田ホロヴィッツの、いかにも芸術家然とした佇まいが非常に見事でした。

我侭だけど、案外に素直で可愛らしい好々爺。支配的な妻との長い闘争の果てに、大きな犠牲と引き換えに小さな平穏を見出した、神経質な芸術家。闘いに明け暮れた無残な日々は終わりを告げて、もはや護るべきものも何もない、孤独な男。生きていくこと自体が苦しみであった彼にとって、今はもう、終わりを待つだけの平穏な日々なのでしょう。心の平穏と肉体的能力の衰退。彼を「天才」たらしめていた全てを喪って、残ったものは名声と愛、ただそれだけ。。。。

自らが引き起こしたのかもしれない「悲劇」の井戸の周りをぐるぐると回っているワンダに、そっと差し伸べる不器用な手がとても優しくて、他人をいつくしんだことのない「天才」ピアニストの慣れない優しさが、傍若無人で、それがとても切なくて。

彼の長い人生(享年86)の中で、愛娘ソニアの死は半分をちょっと超えたくらいのところにあり、この物語で描かれた一夜の後も、彼は20年以上も生きるのだ、、、と思うと、なんというか、「悠久の」という言葉を捧げたくなります。
音楽と共に生きた天才。音楽を愛し、ピアノを愛し、常に“神の前で”演奏していたピアニスト。

ラストシーン。
ずっと舞台の真中に置かれていた沈黙のピアノの前に、ホロヴィッツが座る。
蓋をあけて、椅子を調節して、、、さて!というところで暗転し、全編を彩る音楽を生演奏で弾いていた荻野清子さんのピアノが流れ出す。
段田さんが弾く振りをして、、、とかではなくて、完全な暗転から舞台奥の紗幕を隔てた向こう側で弾いている荻田さんを見せる、見事な演出。
お洒落で粋で、そして、切ないラストでした。


段田さんばかり語ってしまいましたが、高泉さんのワンダも、すごく高飛車で、良い意味でも悪い意味でも浮世離れしていて、、、迫力満点で、とても素敵でした(はぁと)。舞台作品の主役は、間違いなく謙さん演じる「スタインウェイの職人」モアであり、和久井さん演じる「普通の主婦」エリザベスなのですが、やっぱりこの物語(脚本)は「ホロヴィッツ」あるいは「ホロヴィッツ夫妻」の物語であり、タイトルロールはその二人なんだな、と、そんなことを強く感じました。

こういう物語である、と納得したところで、もう一回落ち着いてみたいなあ、、と思いましたが、千秋楽直前の観劇で果たせず、残念です。
いや、当日券が取れただけでもラッキーだったのは判っているんですけどね。……再演しないかなあ。



ああ、でも、再演といえば!
「コンフィダント・絆」の再演はまだですかっっっ!?(←キャストが揃わないんだってば)



abcホールにて、激富公演「Angl Fang -天使の牙-」を観劇いたしました


もと宙組の藤咲えりちゃんがゲスト出演するということで観に行ったのですが、面白かったです!

物語は、古事記に魏志倭人伝を足して3で割って、四神伝説を加えたような感じでした(←たぶんちがう)
女王ヒミコ(椎名桂子)が治める邪馬台国は、周囲の各国を侵略して倭国に覇をとなえんと戦争を繰り返す強国。邪馬台国の侵略に怯える平和な国の代表は、王女テラス(藤咲えり)が護る箕直(みなくり)国、そして、王女タケヤ(中園彩香)がまとめる樫宮(かしみや)国。

ヒミコは先王の王妃から女王になった人物、テラスとタケヤはどちらも父親である国王の娘。3国とも女性が支配者であることに特別な意味はない…というか、「当時の政治体制は女がシャーマンとして国を治めるのが当たり前だった」的な設定ではありませんでしたが、三者三様の在り方で描かれていて、うまいなーと思いました。
邪馬台国が滅びた後の展開にはちょっと驚きましたが、そこまでの展開は、魏との関係を含め、すごく刺激的で面白かったと思います。



男優陣もみなさん魅力的だったのですが、それ以上に、女優陣がとても魅力的で、印象に残りました。

一方の主役というべき立役のヒミコは、椎名桂子さん。プログラムの写真だと普通に可愛らしい感じの方ですが、濃い目の舞台メイクで化けた姿はとても美しく、強烈な迫力がありました。
運命に翻弄されたというよりは、羨望の念や嫉妬心から間違った道に踏み込んだ異能者の哀しさをきちんと表現していて、えりちゃんの透明感との対比が素晴らしかったです。ヒミコが良かったからこそ、えりちゃんの涼やかさが際立ってみえて、その魅力が活きたのだと思いました。

タケヤ姫の中園さんは、とても愛くるしい雰囲気のある女優さんで、役柄にもぴったりでした。えりちゃんのテラス姫と幼馴染みという設定なのに、二人で並ぶ場面がなくて、とても残念。重たい秘密を抱えていながら、それを感じさせない柔らかな立ち姿がとても素敵でした。

テラスに従う箕直国の女将、キヨメ(上田晴海)。殺陣の鮮やかさに見惚れました。恰好良い~~~!!
宿命の命じるままにテラスを護り、「無償の愛」を教えるキヨメの巨きさがあってこその、ラストの選択だと思うのですが、その説得力が見事でした。

ヒミコの下で参謀的な役割を果たす副官・マガヒメ(染谷有香)。今回の舞台で、えりちゃん以外で一番印象に残った人でした。
美人でクールでキリッとしてて、ストイックな色気があって。ヒミコとの並びがとても良いなと思っていたら、“それ以上の仲”でしたが(滝汗)、なにをやっても清潔感のある、不思議な頑なさが、とてもキレイでした(はぁと)。
身のこなしも鮮やかで、恰好良かった!ちょっと「シャングリラ」の霙を思い出す雰囲気があって、この役も、えりちゃんが演じたらまた違うんだろうなーと思ったら、猛然と観たくなったりしました(^ ^)。……いや、染谷さんがとても素敵だったからこんな妄想を考えてしまうってだけですねすみません。

謎の歌人・サエズの結奈さん。白い神子衣装で、神の声を謡う不思議な存在(少年?)ですが、透明感のある美しい声が印象的でした。途中の一曲をえりちゃんとデュエットするのですが、不思議なくらい声がよく合っていて、美しいハーモニーでした(*^ ^*)。



肝心のえりちゃんは、「神の子」テラス役。
恋人(はだ一朗)によって父親を殺され、国を滅ぼされるところから物語が始まるのですが、過去と現在が錯綜する演出も、ちょっとした表情や声でしっかり表現してくれて、違和感なく、混乱もなく話をつなげられていたと思います(*^ ^*)。
危険なほどの一途な頑なさと、恋に迷う不安定さの両方が彼女の中に矛盾なくあって、恋に溺れても堕ちない清潔感とか、迷いを振り捨てたときの神々しいまでの美しさとか、、、ラスト前、ヒミコと凝っと見詰めあう場面のパワーのぶつかりあいも、えりちゃんならではの役だったな、と思いました。

見た目のかわいらしさはもちろんなんですけど、今回特に印象に残ったのは、その涼やかな「声」の魅力でした。昔から私はえりちゃんの声が好きで、好きで、大好き!!なのですが(汗)、今回の「神の子」という設定は、やっぱり「神の声」を持っているからこそなんですよね、たぶん。
途中でちょっと歌も歌ってくれるのですが、心に沁みる静かな声で、、、本当に綺麗だなあと。心にはいろんなドロドロしたものを抱えていても、表現形として非常に「綺麗」なものに昇華して舞台に載せてくれるのがえりちゃんの凄いところだと思っているので、「人の子」として嘆き、苦しむ「神の子」という存在は、まさに宛書きなんだろうなと思いました。

そして、殺陣。
娘役の割にはやっている方……ですよね?「シャングリラ」、「美しき生涯」新人公演、「逆裁」のフランジスカ、、、「誰がため」は銃を持ってたけど殺陣はなかったかな。まあでも、このくらいやっていれば十分「やっている方」ですよね。
もちろん、今回の参加者はほとんどが殺陣を売りにしている方々なので、その中に入ると、動きは綺麗だけど迫力のない……というか、ぶっちゃけ、見た目は派手だけどリアル感のない「殺陣ダンス」でしかない、のですが。。。いやでも、殺陣の相手を務めてくださった方々(主に、はださん)がめっちゃ恰好良いので、かなりサマになっていたと思います!(贔屓目?)


……いやはや、みなさんの殺陣が恰好良すぎて、それを観ているだけで幸せでした(はぁと)(結論)(←え?)




激富(げきとん)は、フランキー仲村さんが主宰する関西拠点の劇団。「激富」の「富」は「富田林」の「富(とん)」らしいです。
私は初観劇でしたが、演出の雰囲気や音楽の使い方が劇団☆新感線っぽいなーと思っていたら、仲村さんが新感線出身ときいて納得(^ ^)。あと、台詞回しが野田系っぽい役者が何人かいて、日本の小劇場世界は意外に狭いのかも、と思いました(^ ^;ゞ

あまり宝塚とは接点が無さそうなのに、どういう経緯でえりちゃんが出演することになったのかなあ?と不思議に思っていたのですが、激富さん側の希望は「宝塚の卒業生」というだけで、特に誰というのはなかったみたいですね。
(座長のフランキー仲村さんがパンフレットで熱く語っていらっしゃいましたが、えりちゃんの舞台は観たことがなかったらしい)(OGが出演するのは初めてだそうです)


実際に演じた役柄が先にあって、「清冽な透明感と清らかさのある娘役で、殺陣の経験者」を希望していて、その通りの人を紹介してもらえた感じだったのか、えりちゃんを紹介されたので、彼女に宛ててああいう役になったのか、どっちかな、、、?と思いつつ。



エッグ

2012年10月28日 演劇
新装なった東京芸術劇場プレイハウスにて、NODA MAP公演「エッグ」を観劇してまいりました。


ここ数年、チケットが手に入らないこともあってご無沙汰していたNODA MAPですが、久しぶりに観て、、、なんというか、野田作品を観るには、ある意味「慣れ」のようなものが必要なんだな、と思いました。
それなりの緊張感を持って、しかも台詞を追うんじゃなく空気に浸らないと、すぐ置いていかれてしまうんですよね(- -;ゞ。すべての台詞は2重3重に罠が仕掛けられているので、ずっと裏を読んでいかないといけないし。なんだかこの感覚久しぶりー!と思ったら、なんというか、それだけで楽しくなってしまいました(滝汗)。


作品は、なんというか、野田さんらしい展開だな、と。
「エッグ」という、おそらくサッカーをボールの代わりに卵でやるようなイメージの(?)空想上のスポーツがあって、それに人生を賭けている人々の物語……として始まったようにみえて、途中で何度もパラダイムシフトをおこして、最期にはまったく違うテーマが見えてくる……。
その呼吸が、なんだか懐かしい気がしました。野田さんご自身はずっと新しい挑戦を続けていらしているのですが、根底に流れる「野田流」という部分は変っていないんだなあ、というか。
ずっと観ていれば一作ごとの違いに目がいくのかもしれませんが、なまじ久しぶりだっただけに、余計にその「変わらなさ」が懐かしくさえ感じられた気がします。





チームの主将・粒来(仲村トオル)と、新しいスターとして彼を超えることになる阿倍(妻夫木聡)。阿部のフルネームが「阿倍比羅夫」であることにはあまり意味を持たせていませんでしたが、彼の出身地が「東北(二重の意味がある)」であることには深い意味がありました。
粒来の焦りと、鈍感なまでの阿倍の若さ。お芝居の前半には重要なテーマであったはずの二人の相克が、後半に、意味を喪っていくのが切ないほどでした。歴史の渦に巻き込まれた個人的な相克の意味の軽さ。二人が青春と人生を賭けた「夢」の意味のなさと、二人の背番号(粒来が「7」で阿部が「31」の重さ。まるでお遊びのような数字の羅列が象徴する「意味」と、二人が生きた「人生」に何の関係もないところが、なんだかとても、辛かったです。

すべての鍵を握る、アイドル歌手の苺イチエ(深津絵里)。
作品の目玉の一つであった椎名林檎の唄を、あの独特の声でしみじみと歌いあげ、「音」で芝居世界を盛り上げる。基本的に生歌ではなく録音だったわけですが、いかにも「アイドル」ちっくな歌い方と、いかにも「なんちゃってアイドル」に作りこんだ外観と、いつもどおりのリアルな存在感のある芝居が織りなす非現実感に心奪われました。
「愛」とか「愛してる」とか、、、彼女の口からそういう台詞が出てくることにいちいち驚きながら。

「エッグ」チームのオーナーで、「世界中の9割を所有している人の娘」を演じた、秋山菜津子。
こういう役で観るのは久しぶりな気がしましたが、何をやっても魅力的な人ですね。物語の後半、何度目かのパラダイムシフトの結果、舞台となっているのが満州であることが解った後の、「世界」を支える屋台骨の自覚と、すべてを見捨てたい衝動の合間で立ち竦んでいる姿が、とても印象的でした。こういう存在が、きっとあの時代にもたくさんいたんだろうし、きっと今の時代にもたくさんいるんだろうな、と、2重写しになってブレて歪んだ「世界」を視ながら思ったのでした。


チームの監督・消田(橋爪功)は、パラダイムシフトの鍵をさりげなく落とす担当として、ベテランの味をたっぷりとみせてくださいました。
劇場案内係と芸術監督の二役を演じた「芝居小屋の妖精」・野田秀樹は、、、野田さんは、そろそろ自分を出さない芝居を書くべきだと思うなあ。彼が舞台に出るっていうのは、やっぱりどこか反則な気がするというか、「必要悪」な気がしてしまう。ワイルドカードなんだもん、野田戯曲の野田さんって。
そろそろ芝居小屋の妖精には楽屋に収まっていただいて、役者だけで紡ぐ芝居を創ってみてほしいな、と思うんですよね。役者の野田さんも好きだけど、逆に、違う演出家の作品に出てほしい、とも思う。ワイルドカードじゃなくて、「役者」の野田さんに逢ってみたい、という気がします。



新装なったプレイハウスでの初の上演を意識してか、一番最初の場面は「建設中の劇場の楽屋」。
そこにやってきた修学旅行中の学生が、柱に貼り付けられていた未完成の脚本を発見する。「寺山修司」と署名のあるその脚本は、「エッグ」という、不思議なゲームに人生を賭ける人々の物語だった……。

ロッカールームに並ぶロッカーの一つ一つがバラバラに動いて、殆ど唯一の舞台装置として機能する。彼らの目指す「東京オリンピック」が、2020年⇒1964年⇒1940年と、どんどん意味を変えていく中で、物語が東京から満州へと世界を変容させていくなかで、人の出入りにも使われるロッカーだけが、「世界」と「物語」の繋ぎ目としての意味を変えずに存在しつづけていました。
その確固たる存在感と、それが動きまわる「世界」の中で渦をまく言葉たちの空虚。舞台の上に立ち並ぶロッカーたちが、意味を喪って消えていく言葉たちを凝っと眺めているような、そんな感覚がありました。
不思議な体験。物語を理解できたかと言われるとだいぶ疑問だし、面白かったかと問われるとちょっと困る、というのが正直なところなのですが、、、「不思議な体験」をしたような気がしています。

NODA MAP。なかなか観れない公演が多いのですが、もう少しチケットを取る努力をするべきだな、と思いました。……そんな感想ですみません(汗)。




STスポット横浜にて、「中也論 ~よごれたかなしみ~」を観劇いたしました。


脚本・演出はオノマリコ。
出演している俳優は5人。中原中也役の小栗剛、中原孝子役の大川翔子、中原家の書生・高森敦夫役と過去の中原を演じた戸谷絵里、青山二郎・富永太郎・小林秀雄の3役を演じ分けた芝博文、そして、長谷川泰子(小林佐規子)の百花亜希。



中也といえば、長谷川泰子をめぐる小林秀雄との三角関係かと思えば、むしろ、長男文也を喪って神経衰弱を患い、鎌倉に引っ越してからの短い時間をメインにしていたのが新鮮でした。

妻・孝子と二男・愛雅(よしまさ)と静かに暮らす鎌倉の中原家を訪ねてくる友人・青山二郎。
そして、中也の脳裏を去来する友人たち……富永太郎、小林秀雄、そして、かつての恋人・長谷川泰子。
自分は「芸術の器」だと語る中也に、青山二郎は言う。「詩人をやめろ」と。詩人をやめて、器ではなく、人間として生きろ、と。


富永太郎と青山二郎と小林秀雄。芝さんが微妙に着替えながら(^ ^)演じていた3役は、いずれも暴風雨のような中也に散々振り回された、中也の「年上の友人」。彼らにとっての中原中也は、本当に「困った奴」だったんだろうな、と思う。
そんな暴風雨を、それでも優しく見守る高等遊民の青山、耐えきれずに逃げ出す心優しい富永と、傲慢な小林。それぞれのキャラクターごとの微妙な中也に対する感情(評価)の違いを、ちゃんと適切に表現していた芝さんの巧さに、うなりました。すごいなあ。っていうか、青山の無関心な優しさと、富永の真摯な優しさの色の違いがちゃんと伝わるのってすごい。

そして、小栗さんの中也が、それぞれの人に魅せる貌の違いがとても怖くて、良かったです。
年上の友人たちに見せる、甘え切った子供の貌。妻に見せる貌、泰子に見せる貌、、、そして、書生の敦夫に見せる、冷たい「芸術家」の貌。中也にとって、家族以外の人間の評価軸には「芸術家」OR「芸術家でない」の2択しかなくて。後者に認定された敦夫が、それでも中也の傍に、中也の魂を知りたいと渇望するだけのカリスマが、たしかに見えたから。
文也を喪って擦り切れてしまったのは中也という「器」であって、芸術家の魂は、その磨り減って薄くなった器の壁越しに更に光っているのだ、と。薄くなってしまった中也の肉体では、もう、その魂を留めてはおけないのだ、と。


今まで私が勝手にイメージしていた孝子にぴったりな、実務能力の高い、リアルな生活臭のする、大川さんの孝子。中也との生活に擦り切れてはいても、まだ彼を包んであげられるしなやかな包容力。庭のエピソードとときおり爆発する怒りのボルテージ。たぶん、孝子は、中也にとって「家族」であると同時に「生活の芸術家」だったんだろうな、と思う。そういう評価があったからこそ、彼は彼女との絆を結び得たのだ、と。彼女がとても強かったから、中也がとても弱かったから。

百花さんの泰子は、とても魅力的で、次々と男を愛し、男に愛された「モガ」にぴったりでした。
可愛くて魅力的で、たおやかで優しくて芯がなくて、弱い……ある意味、「ジャン・ルイ・ファージョン」の王妃マリー・アントワネットのような、次々に男に愛されるけれども幸せにはならない女。
ラスト、中也の葬式で号泣する泰子(佐規子、咲子、、、名前は他にもたくさんあったけれども)。
結構ながい時間をずっと泣き続けていなくてはならない大変な役でしたが、不自然でなく、とても綺麗に泣いていて、そんなところが女優なんだな、と思ったりしました。



この物語のラストは、1937(昭和12)年。回想シーンで一番古いのは、中学を落第して京都に出てきた(出された)1923年、中也は16歳。
2012年9月の猫的には、「琥珀色の雨に濡れて」より少し後で、「サン=テグジュペリ」より少し前……という時系列で認識しているんですが、あっているのかな?
ちなみに、サン=テックスは1900年生まれで、小林秀雄より2歳上です。フィッツジェラルドが1896年だから、このあたりまで同世代とくくってもいいのかな……?1907年生まれの中也は、やっぱりちょっと年下な感じ。若くして亡くなったから、活動時期は短いですが。





最後に、この公演とは何の関係もない与太話を。

私には、祐飛さんのファンになったばかりの頃からずっと夢見ていた役がいくつかありまして、そのうちの一つがこの中原中也でした。
ケロさんの小林秀雄と祐飛さんの中也でW主演、という夢を、ケロさんが組替えするまでずっと抱いていたんだよなぁ(T T)。組替後は、しょうがないから中也の単独主演か……いや、宝塚的に無理だな中也単独は……と思っていたら、「The Last Party」と「銀ちゃんの恋」が回ってきてびっくりした思い出。

ああ、でも、やっぱり観てみたかったなー、中原中也。まともな宝塚ファンには、「銀ちゃん」以上に嫌がられるだろうけど(^ ^;;;;

外部では、藤原竜也がそろそろやらないと出来なくなっちゃうから早くやって!と思っています(いずれやる前提)(←誰が脚本演出するんだよおい)……要するに、私にとって「中也を演じられる俳優」の絶対条件は、丸顔で童顔、ってことなのか?(←「小柄」って条件は無視ですか)



夢を護る鍵

2012年8月18日 演劇
文京シビック小ホールにて、劇団メリーゴーランドの「夢守の鍵/エターナル・シー」を観劇いたしました。


知人に誘われて観にいったのですが、なかなか面白かったです。
http://sky.geocities.jp/merrygo_tokyo/

素人劇団なんだろうな、と思っていたのですが、どうしてどうして、意外に本格的な舞台で吃驚しました。
セットもちゃんと時代色があったし、ああいう舞台にしては照明がちゃんと効果的に活用されていたし。
なにより、音楽が芝居ショーとも完全オリジナルだったのはすごいな、と(作曲:内海治夫/芝居、美広まりな/ショー)。不思議な響きのある音楽が全編を彩っていて、たぶん音域とかも出演者に合わせているのでしょうけれども、どれもちゃんと歌いこなしていて、とても良かったと思います。



お芝居の「夢守の鍵」は、「人の役にたちたくて」探偵をやっている貴族のボンボン(マイク/華波蒼)と、その従姉妹で占い師のオリヴィア(綾庭来美)を中心とした物語。
ある日、マイクは道で女の子(アネット/羽良悠里)を拾う。道を歩いていて知らない男に襲われた、という彼女は、奪われてしまった「夢守の鍵」を探してほしい、と探偵に依頼する。
そして同じ日に、ちょっと高慢な依頼人(リリー/夢音かりん)がやってくる。王室の秘宝を探してほしい、と。
滅多に客などこないのに、同じ日に依頼人が二人。これは偶然?それとも……いや、それ以前に、「夢守の鍵」っていったい何だ……?

そんなところから始まる物語。

「夢守」とは、文字通り「夢を守る人」。人々の夢から夢を渡り歩いて、悪夢を追い払い、泣いている子を慰める。そのために、他人の夢に入り込むために必要な「鍵」が、アネットが伯母から受け継いだ夢守の鍵……。
そんな“ありがちな”ファンタジックな設定は、ちょっと佐々木淳子の古い短編漫画「赤い壁」を思いださせました。
ほとんどの説明は歌ですますので、ちょっと集中力が切れると意味がわからなくなったりしそうな部分はありましたが、出演者はみんな滑舌も良くて聞き取りやすかったし、台詞で説明されるよりむしろわかりやすかったのではないかと思います。

登場人物それぞれの悩みや迷いがストレートに提示されて、お互いがお互いの悩みに共感し、自分の迷いを整理するきっかけとする。マイクの、そしてアネットの夢が「ひとびとを笑顔にしたい」であったと判るくんだり、そして、リリーとオリヴィアのやり取りがとてもリアルで、ちょっとうるっとなりました。
事件の真相は割と早い段階でネタが割れていたし、ラストもだいぶご都合主義な感じでしたけれども、そこに至る過程が丁寧に描かれていたので、それなりに納得感はあった……のでは。



吊り物の使えない、大道具もそうそう動かしたりできない舞台でしたが、マイクの家、アネットの伯父セドリック(紗蘭広夢)の家、そして街路など、低い舞台面をうまく使って表現していて巧いなーと感心しました。

出演者は、マイク役の華波蒼さんとオリヴィアの綾庭来美さんが歌も芝居も達者で、頭一つ抜けていた印象。華波さんはスタイルもよくて身のこなしもきれいだし、声も良かった(^ ^)綾庭さんは、出てきてニコッと笑っただけでぱぁっと光が射すような明るさが魅力。こちらもお芝居も歌も素晴らしくて、特にお芝居のコケティッシュな魅力は素敵でした。良い役者さんですね。
ヒロイン格の羽良さんは、美人でヒロインオーラたっぷり(^ ^)
セドリックの紗蘭さんは、こういう役をするには声が高いのが残念ですが、落ち着いた佇まいは魅力的だったと思います。
夢音さんは、芸名どおりのとても不思議な声の持ち主。アニメ声というのともちょっと違う、フルートのような……いえ、まさに「夢の音」のような、声。特に、高音域での不思議な響きが印象に残りました。本格的に訓練を受けてみる気はないのでしょうか……聴いてみたい気がするのですが。



ショーは、海をテーマにしたストーリーのある作品。
特に印象に残ったのは、中盤の華波さんと羽良さんのダンスシーンです。素晴らしかった!華波さん、もしかして相当に踊れるんでは?(振付:俵ゆり・仲由恵)もうちょっとゆっくりダンスを観てみたかった気がします。

最初と最後の青い衣装も素敵だったけど、途中で出てくるクラゲさんたち(羽良・彩庭・夢音)が、アイドルっぽくて可愛かったです(^ ^)。あと、個人的には綾庭さんの「深海の妃」が、それまでと思いきってイメージを変えたメークとヘアがすごく似合ってて、素敵でした!!


今回が第二回公演で、来夏に第三回公演を予定しているとのこと。面白かったので、時間があえば次回もぜひ行きたいなと思っています♪



若きマクベス

2012年8月15日 演劇
原宿のラフォーレミュージアムにて、る・ひまわり製作の「マクベス」を観劇いたしました。

25歳の矢崎広を主役にした、若きマクベスの物語。
昔に観たことがあるマクベスは、平幹二郎主演のと、あと、、、誰だったかな(汗)、とにかく年配のベテラン俳優によるマクベスしか観たことがなかったので、今回、そのままの脚本で若い俳優がマクベスを演じる…というのがとても興味深かったです。



ここしばらく、「薄桜鬼」「サンセット大通り」と私の中ではヒットが続いている矢崎くん。
彼がマクベスって、いったいどういう翻案がされているんだろう……?くらいな気持ちで(ごめんなさい)観に行ったのですが、どうしてどうして、河合祥一郎の翻訳を元にした、ごくごく正統派な「マクベス」でした。
(大きなカットは、マクダフ夫人がいなことくらい?)


演出は板垣恭一。「大江戸鍋祭り」の演出家で、普通の舞台演出は初めて……かな?と思っていたのですが、経歴を見たら「サイド・ショウ」の演出家なんですね!おお、これは観ておいてよかった(^ ^)。っていうか、そうか、「サイド・ショウ」と「大江戸鍋祭り」って同じ演出家だったのか……戦国鍋ってすごいんだな(←すごいの基準は何?)

舞台を中央において客席で360°囲い、セット大道具は一切なし、小道具も剣と杯以外は椅子くらい……というシンプルな舞台(美術・野村真紀、照明・三澤裕史)。17世紀、シェイクスピアが現役だった時代とは違って、現代演劇では冒険とも思える簡素な舞台でしたが、しっかりと台詞を聞かせられる役者を揃えたこと、舞台転換に時間を取られないので、若さゆえのエネルギーが堰き止められることなく流れつづけたことなど、いろんな条件が揃って、実に見事に引き込まれました。



「マクベス」ってシェイクスピア作品の中でも難解というか、すごく共感しにくい作品だと思っていたのですが、今回すごく共感できたのは、マクベスの愚かしい若さゆえに、だったのかも、と思いました。

まず、開演前に読んだ、プログラムの河合さんの言葉にすごく共感したんですよね。
「相手が望む自分でありたいという若々しい恋心」「妻の期待に応えて『男らしい男』になろうとして道を踏み外してしまう」(以上転載)
なるほど!と目から鱗が落ちた気がしました。
マクベス夫人もマクベスも、お互いがお互いの望む自分になろうとする。妻の期待に応えて「男らしい男」になろうとする夫と、夫の期待に応えて「怯える夫を慰め、その背を押してあげる女」であろうとする妻。分別のない若者の野心と、愛する男の心奥がわかるだけに、彼が理性で抑えようとする欲望を熾してしまう女の優しさ

マクベスと妻の間には、細やかな心の遣り取りがあって、愛情に裏打ちされた交感があった。それが最終的には破滅へ向かうわけですが、その過程では、何一つ間違ったことはしていないわけです。二人は互いを思い遣り、互いに叱咤激励して一歩一歩眼の前の道を歩んできただけ。
……ただ、最初の一歩が間違っていたから、行き着く先は悲劇になったというだけのこと。

マクベスは恐妻家なのではなく、愛妻家だった……というのも、言われてみればそうなんですけど、今まであんまり考えたことがなかったな、と気づきました。



そして。
二人の間にあれだけはっきりとした愛情があると、マクベス夫人に名前がないことにとても違和感を感じました。
愛する夫から「お前」あるいは「妃」としか呼ばれない女。馬渕英俚可さんが演じた彼女は、そんな記号的な女ではなく、もっとずっとリアルで情の深い女だったのだから、ロザモンドでもリーガンでもガートルードでも何でもいいから、名前をつけてあげれば良かったのに……。
戯曲的には、「どこにでもいる普通の妻」がいつでもマクベス夫人になりうる、ということで名前がないのだと言われているようですが、、、ううむ。

馬渕さん、私が前回観たのは「銀河英雄伝説 自由惑星同盟篇」のジェシカ・エドワーズでしたが、、、冷静沈着なしっかりした女性で、夫(恋人)を深く愛し、理解もしている、、、という意味では共通点があるんだなあ、思いました。
恋人を奪った戦争の戦勝演説をする権力者に向かって歩いていく凛とした後ろ姿と、夫の前では笑顔で彼の不安を取り除きながら、眠ることもできずに手を洗い続ける憐れな姿。ちょっと発想に飛躍があるかもしれませんが(^ ^;ゞ、観ていての印象として、この二人の女は同じ事象の表と裏なのだ、という実感がありました。
そして、その両面をちゃんと演じられる人だからこそ、脚本の中では語られないマクベス夫人の優しさも表現出来てしまうんだろうな、と。

登場場面で着ている白いドレスがとても美しく、似合っていました。矢崎くんとの並びもお似合いで、芝居としても素晴らしかったです(*^ ^*)。あああ、いまさら(話も無関係)だけど「プライド」観たかったなあ……(再演祈願)。



馬渕さん以外のキャストは全員男性。声の良い人が多くて楽しかったです。
中でもマクダフ役の松村雄基さんは恰好よくて色っぽくて殺陣も巧くて……なにもかもさすがの一言。今回のメンバーの中ではベテランと言うべき唯一の人で、演出家もかなり彼に頼っている感がありました。
バンクォー役の国沢一誠さんは、演劇の舞台初出演。喋りは本職のはずですが、マイクなしの舞台で発声から苦戦していました。前半の準主役なので、もうちょっとがんばってほしいところもありましたが、千秋楽までに進化してくれますように。

一つ驚いたのは、ごく一部を除いて(すいません)ほとんどのメンバーが、まだ若いのにシェイクスピアの台詞を違和感なくこなしていたこと。特に主演の矢崎くんやヒロインの馬渕さんの台詞まわしの見事さには感心というか驚きました。難解で知られる台詞を滑らかに聞かせて、簡素なセットから情景をきちんと立ち上げる。さりげなくやっているけど、本当の意味できちんと芝居の訓練を受けている人たちなんだな、と……ああいや、もちろん、マクダフ役の松村雄基さんが巧いのは当たり前だから驚かなかっただけで、さすがに一日の長がありましたが(^ ^)。



個人的には、現在月組の「ロミオとジュリエット」に嵌っているので、幕開き早々に魔女たちの「綺麗は汚い」という台詞が流れたことに受けてしまいました。いや、もともと「マクベス」の台詞であることは知ってるんですが、つい(^ ^;。




この作品が初主演となった矢崎くん。立派な経歴になったと思います。
ハンサムで歌えて動けて、、、ミュージカルにも出てほしいし、ストレートプレイもやってほしいし、これからが楽しみな役者がまた一人出てきたな、と。
馬渕さんともども、これからの活躍が楽しみです♪



集合日から4日がすぎて、やっと宙組の次回公演「銀河英雄伝説」の配役が発表されました。


いやー、もう、何に驚いたか、って!!

ルビンスキーの鳳樹いちくんと、トリュー二ヒトのモンチ(星吹彩翔)ですよ!!

と思ったんですが、よーく考えてみたら、私が以前書いた予想では、帝国篇のトリューニヒトは凛きらだった……そのあたりに来る役なのかも(ちなみにモンチはルッツと予想してました。逆だったか)。
主筋には絡まないだろうけど、たぶん演説場面のメインにはなるだろうから、けっこうおいしいよねきっと!(^ ^)。……ジェシカ・エドワーズが出てくるってことは、彼女が乱入するところかな?

ルビンスキーは、、、役者的には納得なんですが、ヴィジュアルどうするんだろう……(← そ こ で す か)



などなど、いろいろ書きたいことはあるのですが。
とりあえず、今日発表されたキャストの一覧です。

■帝国軍
マリーンドルフ伯爵       天風いぶき
フリッツ・ビッテンフェルト   澄輝さやと
コルネリアス・ルッツ      凛城きら
アウグスト・ザムエル・ワーレン 愛月ひかる
カール・グスタフ・ケンプ    蒼羽りく

なんでミュラーとファーレンハイトがいないの!?と思ったんですが、そういえばその二人がラインハルトの幕僚に入るのは3巻以降だった……本当に2巻で終わるんだなあ。しょぼん。
あっきーのオレンジ色の髪が楽しみです!!(そこか?)


■回想
ラインハルトの父     天玲美音
アンネローゼ(少女時代) 瀬音リサ
ラインハルト(少年時代) 彩花まり
キルヒアイス(少年時代) 真みや涼子

ラインハルトとキルヒアイスの子供時代が子ソラ&子カイとか!!小池さんわかってるなあ(はぁと)
せっかくなので、アンネローゼもりあんちゃんなら良かったのに……なんて一瞬思いました(ありさちゃんに不満があるわけではない)が、りあんちゃんは多分、マグダレーナの方が似合うはず(^ ^)。


■皇帝周辺
皇帝フリードリヒⅣ世  寿つかさ
リヒテンラーデ侯爵   磯野千尋
ベーネミュンデ侯爵夫人 美風舞良
アンネローゼ      愛花ちさき
アンネローゼの女官   舞花くるみ
グレーザー(医師)   松風輝
ヴェストパーレ男爵夫人 夢涼りあん

リヒテンラーデが磯野さんはちょっと意外でしたが、結構大きな役になるってことですよね。
完全に2巻までに絞って、その代わり2巻までの話はちゃんと描く、ってことかな……?
あんまり、こういう情けない役を演じている磯野さんって記憶にない感じなんですが、どんな感じになるんでしょうね。

ベーネミュンデ侯爵夫人シュザンナだけでなく、その意をうけてアンネローゼ暗殺に協力するグレーザーも出てくるんですね。そのあたりまでちゃんと描かれるってことは、戦闘場面よりも宮廷側の話がメインになるのかな?それならそれで楽しみですが、……時間の割り振りが心配(^ ^;ゞ

グリューネワルト伯爵夫人アンネローゼがたらちゃんなのは、嬉しくないわけじゃないけど、ちょっと残念な気持ちもあります。猫はたらちゃんの元気な笑顔が好きなんだよー!ただ立って微笑んでいるだけみたいな飾り物系の役、たらちゃんのムダヅカイ!!……いや、スタイル抜群だからドレス映えしてさぞ美しいだろうし、制作発表で話が出た程度に、ラインハルトやキルヒアイス、あるいは皇帝陛下ともしっかり芝居をする場面があるなら、すごく嬉しくて幸せなんですけどねぇ。

ヴェストパーレ男爵夫人マグダレーナがりあんちゃん……!本編にはほとんど出てこない彼女ですが、気が強くて優しくて、すっごく佳い女なんですよ!どういう絡み方になるんでしょうか。単なる舞踏会の美女の一人だったら泣いてやる。……せめて、アンネローゼとお茶する場面くらいあったらいいんですが……。


■貴族連合
ブラウンシュヴァイク公爵 一樹千尋
リッテンハイム侯爵    風羽玲亜
フレーゲル男爵      月映樹茉
アマーリエ        鈴奈沙也
サビーネ         花里まな
クリスティーネ      花音舞
エリザベート       綾瀬あきな

ヒロさんのブラウンシュヴァイク公!!さっつんのリッテンハイム侯!!素直に嬉しいし、楽しみ!

でも、ここのヒットはえなちゃんのフレーゲルですよ!!わー、こういう役珍しいですよね?リップシュタット戦役だけなのかなあ。その前の、ミッターマイヤーとの確執をやってくれないだろうか(←時間がありません)。
フレーゲルがえなちゃんなら、ぜひともシューマッハにはかけるくん(風馬)あたりに来ていただきたいところです。まさか、シューマッハ出るよね!?……えなちゃんはこれで卒業なんだから、短くてもある程度メイン格で芝居する場面があることを祈っています(願)。

アマーリエ以下の4人は、フリードリヒ4世の娘二人(アマーリエ・ブラウンシュヴァイク、クリスティーネ・リッテンハイム)とそれぞれの娘(サビーネ・リッテンハイム、エリザベート・ブラウンシュヴァイク)……でしょうか?
それこそ、舞踏会でそれぞれの旦那や父親と踊って一言台詞……とかがせいぜいになりそうなキャスティングだなあ。。。いや、題材が「銀河英雄伝説」な時点で、娘役は一回お休み決定なんですけどね!!(涙)


■自由惑星同盟
ムーア中尉    磯野 千尋
ロベール・ラップ 凪七 瑠海
ジェシカ     純矢 ちとせ
ラオ少佐     天風 いぶき
シトレ元帥    天玲 美音
フレデリカ    すみれ乃 麗
トリュー二ヒト  星吹 彩翔
アーサー・リンチ 美月 悠
ユリアン・ミンツ 伶美 うらら

ムーア中尉とラップ少佐は、原作一巻のアスターテ会戦で戦死するので、、、たぶん1幕の最初にちょっとだけ出て終わり、、、なんですよねきっと。磯野さんはリヒテンラーデ、カチャはアンスバッハで後半は忙しいはずだから。
外部舞台の同盟篇(河村隆一ヤン)では、ヒロインジェシカ、ラップ2番手という感じで、特にラップは回想場面も多かったし、ヤンの内面を描くために何度も何度も出てきましたが、ああいうことはないんだろうな、きっと。

っていうか、この同盟篇のキャスティング、すごいなあ。ムーアとラップとジェシカがいて、ラオがいて、、、なのにアッテンボローもシェーンコップも撃墜王たちもいない(T T)。本当に2巻までなんですね(しみじみ)。2巻までってことは、ラオはまだヤンの参謀か。その後アッテンボローの参謀(副官?)になるはずだけど、そもそもアッテンボローがいないし(涙)。
同盟側はヤンが1人で語り部として出るのかもしれない、と思っていたくらいなので、メンバーが少ないこと自体は不思議でもなんでもないのですが、、、いるメンバーが不思議。シトレとトリューニヒトとリンチがいて、キャゼルヌもグリーンヒルもいないだなんて。

特に、リンチがいる以上、救国軍事会議のクーデターをある程度の場面を割いてやるんだろうに、そこにグリーンヒル大将がいないってどういうこと……?なんとなく、「トラファルガー」のちーちゃん(蓮水)みたいな役になりそうだなあ。
しかし!!美月くんに役らしい役がついたのはとても嬉しい!!小池さんありがとう!っていうか、そういえば小池さんは、「カサブランカ」で美月くんに本公演ソロを歌わせた人だった……信じて待とう(はぁと)


■フェザーン
ドミニク・サン・ピエール 大海亜呼
アドリアン・ルビンスキー 鳳樹いち

これは、もう!ルビンスキーとドミニクが出てくるなら、これしかない、というキャストですね(^ ^)。


しっかし。
このキャストが発表されて……使われそうなエピソードがだいぶ見えてきたんですが、同時に、あらためて全体像の想像がつかなくなった気がします。特に、救国軍事会議の扱いがわからーん!発表された中では最下に近い下級生がリンチだし。やっぱり、ラインハルトが密命をくだすところだけで、実際の同盟での動きはやらないのかなあ。……そりゃそうですよね。フェザーンも出すんだし、そこまでやってたら時間なさすぎ(苦笑)。


まあでも、小池さんの「宝塚化」の潤色能力はすごいと思っているので、、、原作ヲタな私みたいな人間が納得するかどうかはともかく(^ ^; 原作を知らない宝塚ファンのみなさまが納得できる作品にはしてくれるだろう、と信じています!

次のお楽しみは新公配役ですね(^ ^)。主演の発表が来週にはあるはずですが、、、今回のポスターメンバーは全員出ますように!




っていうか。
私、集合日から今日までの4日間、まったく更新できなかったんだなあ……。先週観たものについても、早く感想書かないと忘れてしまいそうだわ(滝汗)。

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陽だまりの樹

2012年5月19日 演劇
新歌舞伎座にて、「陽だまりの樹」を観劇してまいりました。


手塚治虫の名作漫画を原作とした、幕末の時代劇。
女に弱い、やんちゃな蘭医に上川隆也、生真面目な青臭い武士に吉川晃司。なかなかの豪華キャストで、どうしても観たいと思っておりましたので、無事観ることができて良かったです。

舞台でのお芝居には慣れていない吉川の堅苦しさが、頑なに「徳川さま」を守ろうとする伊武谷万ニ郎役にぴったりでした。そして、いい加減に生きているように見えても、熱い心で「人を救う」ことに命を賭けられる若き医師手塚良庵の、時代を超えた軽やかさは上川によく似合っていたと思います。

ただ、、、さすがの上川も、もうそろそろ良い年なんだな、とは思ってしまいました(^ ^;ゞ
立派な大人なんだけど、中身が若い(いやむしろ子供)っていうのが彼の魅力で、だからこそドラマの「ステップファザーステップ」の「俺」みたいな役がひどく良く似合うわけですが。
こういう、年齢的にも立場的にも「ひたすら若い」役、ていうのは、さすがにそろそろ厳しいな、と。
同い年の吉川晃司は若く見えたんだけどなー、さかやきの武士姿のせいなのかなあ……。



あと、印象的だったのは、手塚良庵の父親である蘭医、石倉三郎。
ごく普通の、女好きでちょっといい加減で、でも真面目な医者で。
良庵の熱い心は、この父親譲りなんだろうなと素直に納得できる良い芝居でした。

ヒロインは高野志保さんだったのですが、印象としてはイマイチだったかなあ。もうちょっと、透明感というか、少女らしい頑なさが欲しかった役のような気がしました。

芸者役の花影アリスちゃんは、さすがの美しさ。ストーリーにまったく絡まなかったのが残念なくらい、綺麗でたおやかで、なかなかの色っぽさでした。



最後の挨拶は、基本的に上川隆也が仕切ってましたね。まあ、散々やってて慣れてるからなー。挨拶、関係各位へのお礼、そして宣伝と手慣れた調子でまとめていて、さすがでした。
吉川はおとなしく、振られたら喋る、て感じでした。私が観た日の前日はかなり彼が喋ったみたいで、「俺は昨日ので反省したから今日はおとなしくしとく」みたいなことを言ってました(^ ^)。



物語としては、長い話をダイジェストにしているせいか、どのエピソードも中途半端な感じが否めませんでしたが、最後に向かっての盛り上がりはさすがでした。
幕末という時代を生きることの難しさ。何が正しいのか、「どっちが前なのか」がわからない時代に、自分の信じた方向が「前」なのだという信念を持ち続けることの難しさ。

彼らの生きた時代。
今の私たちが生きる時代。
「どっちが前なのか」に悩むのは同じだけど、その方向はだいぶ違うんだろうな、なんてことを考えながら帰りました。

生き延びて、末に手塚治虫につながった手塚家の系譜。
夢を抱いて「時代」を走り抜けた若者たちに、乾杯。


【7月1日まで、あと43日】
東京国際フォーラム ホールCにて、「銀河英雄伝説~第二章:自由惑星同盟篇」を観劇してまいりました。



あまり期待していなかったのですが、予想以上に面白かったです(^ ^)。

ただ、なんというか……「面白い舞台」ではなく、「面白い映画」のような印象でした。別に悪い意味ではないのですが。

たぶん、映像と芝居の関係が非常に緊密だったことと、音作りが映画っぽかったことがそういう印象につながったと思うんですよね。
特に、印象を左右したのは音かな。BGMの使い方とかがミュージカル映画っぽくて。フォーラムの音響も元々ああいう感じなので、余計に「ナマ」っぽさが消えて、映画っぽい仕上がりになっていたのだと思います。

映像の使い方は面白かったです。今まで観た舞台作品の中では一番興味深かったかも。フライングボール(映像)を使ったダンスシーンも面白かったし、殺陣(戦闘機によるビーム線)での使い方もアイディアの勝利でした。
ただ、私は1階センター席だったので、おそらく演出家のイメージにかなり近い映像を観ていたと思うのですが、端席とか3階席とかで観たらどうだったのかなあ?とは思いましたが……。



第一章の帝国篇は、ビジュアル的にやっぱり外部作品だと厳しいなと思った点もありましたが、同盟篇は、その点衣装もシンプルだし、あまり違和感を感じずに最後まで楽しむことができました。
艦橋の表現の仕方も面白かったし、なにより、額縁の広さ(高さ)を生かしたセットが良く出来ていて、映像とのコンビネーションも相俟って舞台転換に違和感がなかったのが良かったと思います。
結構実験的かつ画期的な舞台面になっていると思うので、また続編が楽しみです。
と同時に、この舞台面はDVDだとどうなるのかなあ?と、さらに興味深いです(^ ^)。




物語は、アスターテの会戦からイゼルローン奪取、そして、その後の出兵決定まで。
原作の流れにほぼ沿って語られていたのですが、驚いたことに、ヒロインはジェシカ・エドワーズ(馬渕英俚可)で、二番手はロベール・ラップ(野久保直樹)でした(^ ^)。
ロベールは冒頭のアスターテで全滅する弟六艦隊の一員なのですが、その後のストーリーの中にも学生時代の回想が何度も入り、ロベールとの友情と、ジェシカとのすれ違いを意外と丁寧に描いていました。

ヤン・ウェンリー役は河村隆一。舞台で観たことがないので、キャストが決まったときは「へーっ」と思っただけでしたが、予想以上に声がイメージどおり で、とても吃驚しました。
淡々とあまり感情を入れずに語る語り口は、舞台俳優として巧いのかどうか判断に迷うところもありますが、ことヤン役にはぴったりだったと思います。
ヴィジュアルはおいといて(すみません)、芝居は良かったと思います(^ ^)。


この作品は元々ミュージカルではないのですが、今回はラストにジェシカとフレデリカ(はねゆり)ではじまるフィナーレナンバーがあって、これはいちおう生歌だったと思う……たぶん。後半は録音かな?という気もしましたが、最初の歌い継ぎは生歌だったはず。ちょっとだけでしたが、中川晃教くんの歌が聴けて嬉しかったです。
第一章の時から言われていましたが、ミュージカル作品の常連キャストが多く出演しているのに歌わないのは勿体無いので、こういうフィナーレナンバーで歌うのは良い演出だなあと思いました。




その他、印象に残ったキャストについて。

まず、ムライの大澄賢也。
こういうストイックな役が似合うとは予想外すぎて、本当に驚きました。でも
というか、大澄さんが出演すると聞いた時から、ずっとトリューニヒトだと信じて疑わなかったので、トリューニヒト(井田國彦)が登場したときにはしばらく呆然としておりました(真顔)(^ ^;ゞ


そして、キャゼルヌの天宮良。
天宮さんといえば、私にとっての最初の出会いはナリス様(グイン・サーガ)。
あれから何年たったんだ……?と、その穏やかな渋みのあるおじさまっぷりを観ながら思ってしまいましたが。いや、あれ以来初めてというわけではもちろんないはずなんですが、なんとなく。軍服だからかなあ?(←全然時代が違いますが)
まあ、そんな与太話はおいといて、素敵でした。河村さんのヤンを包み込む優しさとさりげないユーモアがいかにも「キャゼルヌ」な感じで。奥方が出てこなかったのが残念だなあ。


ポプランの中川くん。
出演していることはもちろん知っていましたが、役が何なのかは意識していなかったので……朱いスペーススーツ(?)に身を包んで登場したときには吃驚しました。赤毛のソバージュで、陽気でやんちゃで自信家のポプランには合っていたけど、、、正直、女にモテモテなイメージはなかったなあ(←ごめんなさい)
うーん、中川くんって男と友情をはぐくむイメージも、女の尻を追い掛けてるイメージもないんですよねー。典型的な天才型で、一人の中で自己完結してるイメージが強い。そういう役はだいたい成功してるし、そうでない役は、私の中で「いまいち」に分類されてることが多いし。
じゃあ誰が良いのか、というと、具体的に浮かぶ訳ではないのですが。特に、次の作品が「撃墜王篇」でポプラン主役ってことを考えると、ある程度知名度もないと無理だし……ぶつぶつ。


イワン・コーネフの中村誠治郎さん。
すみません。猫は同盟軍では断然コーネフ贔屓なので、ドキドキしながら観ていたのですが、最初に撃墜王が4人出てきたときから恰好良いなと思った人がコーネフだったので嬉しかったです(^ ^)。
クールでクレバーな雰囲気がちゃんとあって、落ち着いた語り口もコーネフらしくて、すごく良かったと思います(贔屓目)。撃墜王篇が楽しみ!
……いま、プログラムを読んで知った。「戦国BASARA」の石田三成役をやってる人なのか……!!(←だから何なの)(「戦国BASARA」観にいく暇はないと思うけど?)



だいぶ長くなってきたので、いったん切ります。
他のキャストはまた後日。


【7月1日まで、あと77日】

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