日生劇場にて、ミュージカル「シラノ」を観劇してまいりました。



音楽は「ジキルとハイド」「スカーレットピンパーネル」のフランク・ワイルドホーン。
脚本はレスリー・ブリカス、演出は山田和也、座長は鹿賀丈史、劇場は日生……「ジキルとハイド」日本初演と同じ組み合わせですが。
……うーん、やっぱり山田和也はワイルドホーンみたいな重厚でドラマティックな音楽にはあまり向いてないような気がするんですよねぇ(T T)。彼の演出作品もずいぶん観ているし、軽やかな楽しいコメディは最高なんだけどなあ…。




作品的には、ワイルドホーンらしい音楽も随所にあったし、脚本もしっかりしていてとても良くできていました。「シラノ」のミュージカル版を観るのは二度目(前回観たのはオランダ版)ですが、今回の方が作品的には面白かったかな?(単に、ワイルドホーンのファンなだけかも)


ただ。
率直に書きますが、鹿賀さんは、また病気(?)が復活してしまわれたのでしょうか…?
もしそうだとしたら、今すぐ休演してでも療養されたほうがいいのではないかと思うのですが……。

声が出ない。舌が回らない。台詞も歌もかすれがちで、しかもそれが3時間の舞台が進むにつれて目に見えて酷くなっていく。あと一週間とはいえ、2年前の「ジキルとハイド」の後、一度は快復されたのに、あのときと同じくらい、いえ、あの時は歌は大丈夫だったので、あの時より悪いかもしれない。
もし、あれで安定しているのだとしたら、舞台役者としてはもう終わっていると思います。そのくらい、観ているのが辛い状態でした。作品のラストシーン、瀕死の状態でロクサーヌを訪ねてくる場面の緊迫感が半端なくて、本当に恐ろしかったです。こんな恐怖感は、観客としてあまり味わいたくないです…(T T)




のっけから暗い話になってしまいましたが、それ以外はとても良かったと思います。
助演陣も実力派ぞろいでよかったですし、アンサンブルも凄い迫力でした。個人的に、一番の名場面は「我らガスコン!」ですね(^ ^) いやー、あれは名曲です♪
アンサンブルはレ・ミゼラブル組がすごく多くて、ガスコン青年隊の場面は、どれもABCカフェやバリケードシーンに見えて、仕方なかったです(笑)。佐山さん……は、学生はやってないかな?でも、、林アキラさん、大須賀さん、小関さん、、、、懐かしい面々です。もちろん、阿部さん、岩田さん、大江さん、中山さん、、、(他にもいらしたらごめんなさい!)皆さん短いながらもソロもあって、どれもワンフレーズで誰だかわかる自分にちょっと驚いてしまいました(汗)。しかも台詞では全然わからないところがレ・ミゼ組(笑)
…学生の面影は、ある人もいれば無い人もいましたが(^ ^)。




女性アンサンブルも、皆さん美人で素敵でした!宝塚OG(85期)の岡本茜(神月茜)ちゃんが、凄く可愛かった~~!!出演していることを知らなくて、最初の場面で白い豪華なドレスを着てスポットライトを浴びて出てきたとき(マダム・シャヴニー役)、しばらく私はロクサーヌだと信じて疑わなかったという(汗)。ドレスから出ている胸元の柔らかさ、デコルテの美しさ、長い首とバランスの良い小さな頭。華やかな美女が出てきたぞっ!という雰囲気があって…(*^ ^*)。
オペラグラスで観て、“あれっ?ロクサーヌはコムさん(朝海ひかる)だったはずなのに?”と思ったというオチがつきましたが。



その後に出てきたロクサーヌは、ちょっと胸元は寂しかったけど(←おい)、もちろん!とっても美しかったです(*^ ^*)。私は、コムさんの男役時代の芝居はあまり好きではなかったのですが、女役の芝居は結構好きなんですね。TSミュージカルのカルメンも素晴らしかったし、今回のロクサーヌも、思い込みの激しい“若い娘”っぷりがよく似合っていて、歌も案外良かったです。



クリスチャンは、Wキャストの片方、浦井健治さんの方を観ました。
イケメンで優しくて、でも頭の中身は筋肉…という役ですが、なかなか魅力的なクリスチャンでした。ただ、シラノと掛け合いで歌う「完璧な恋人」(シラノの頭脳とクリスチャンの外見が合わされば、完璧な恋人が出来上がる…という歌)で、シラノの美点は「知識」「知性」「剣」「腕力「度胸」「愛嬌」と次から次と出てくるのに、クリスチャンはひたすら「美貌」と繰り返すばかり……というネタが(^ ^;ゞ。浦井くんはイケメンだけど、なんというか、そこまで絵に描いたような美貌というのとはちょっと違うタイプだと思うので……(汗)(汗)(汗)。

ただ、他のアンサンブルメンバーよりちょっと肌の色を白めにして、貴族の若者っぽく見せていたのはさすがだなと思いました。回りのガスコン青年隊メンバーとは違う空気を纏っている感じが出ていて、良かったと思います。…首や生え際は塗っていないので、横顔はちょっと違和感ありましたけどね。
中河内さんも観てみたかったなあ……写真で見るとすごく美形だし(笑)。




ロクサーヌの求愛者であるド・ギッシュ伯爵役の、鈴木綜馬さん(*^ ^*)。
いやー、壮年期のちょっとコミカル風味の色悪ぶりと、ラストシーン(15年後)の枯れた美老人ぶり、どちらも素晴らしかったです。歌が思ったより少なかったのが残念ですが、良い役ですよね。


戸井勝海さんは、シラノの友人、ル・ブレ。ガスコン青年隊のサブリーダー的な存在で、シラノの片腕(?)みたいな感じでした。彼がメインの場面こそ無いけど、歌もちょこちょこあって……なんとなく、レ・ミゼラブルのコンブフェール役を思い出して、とても懐かしかったです。
15年後の場面にも出てくるのですが、これがまた ものすごいイケメンな美老人で、ちょっとうっかり惚れ直してしまいました(^ ^;ゞ
いやー、「エリザベート」の重臣かツェップスあたりに出てくれないものでしょうか。美老人役をぜひまた観てみたいです。


しっかし。ガスコン青年隊は全員似たような栗色の長髪ソバージュの鬘で、見分けるのが本当に大変でした……(涙)。小関さんぐらい小柄だとか、体型的に特徴があれば解るんだけど(涙)。



光枝明彦さんは、ガスコン青年隊御用達のレストランのオーナー、ラグノー。
相変わらず硬軟自在で本当にステキ(*^ ^*)。大きなナンバーはレストランのナンバー(「料理人で詩人」)くらいだと思うんですが、あれを聴くだけで結構モトを取れたような気がしてしまいます(^ ^)。




作品的な目玉であるバルコニーシーン(シラノとクリスチャンが入れ替わりながらロクサーヌに愛の言葉を捧げる場面)は、一幕の半ばに。いやー、最初はクリスチャンに口伝えで言葉を教えてやって客席の爆笑を誘っているのに、そのうち次第にシラノ自身の歌に移り変わっていくあたりが、実に感動的で素晴らしかったです。鹿賀さんが100%なときに観てみたかった!!

その後のド・ギッシュとのやり取りもかなり笑えます。あのあたりの呼吸は、コムさん巧いなあ、と感心。ド・ギッシュの嫉妬で最前線に送られることになったガスコン青年隊、というか、クリスチャンの身を心配してロクサーヌが歌う「Take care of him」がとても良かったです♪


二幕はほぼ、最前線の砦で進行します。
包囲戦のはずなのに、何故か飢えに苦しむガスコン青年隊。しかしシラノは、ロクサーヌに約束したとおりクリスチャンをさりげなく護りつつ、毎日“クリスチャンの手紙”を送るために前線をこっそり突破し、手紙を送っていた。
ちょっと細かい突っ込みなんですけど、“包囲戦”なのにどうして“前線を突破して”郵便を届けるんだろう…??


そんな砦に、男装をしたロクサーヌが訪ねてくる。

この物語のミソは、この時点でロクサーヌが愛している(命を賭けて遭いに来る)のは、手紙をくれるクリスチャン(=シラノ)であるところなんだと思うんですよね。
でも、シラノはそれを信じない。彼女がシラノに言う「もう、私が愛しているのはあの人の美しさではないの」「あの人が世界で一番醜いものでも、私の愛は変わらないわ」という台詞が、どれほどに残酷な響きを持って彼の耳に到達することか。口ではそんなことを言っても、実際に手紙を書いたのが俺だと知ったら泣くだろうに…… と。

けれども、実際にロクサーヌと話をしたクリスチャンは気づいてしまう。彼女が愛しているのは既に自分ではないことに。
彼女の気持ちが解ってしまったクリスチャンが、断腸の思いでシラノに訴える「She Loves You」が素晴らしい名曲でした。この作品の中でも白眉になる名場面だったと思います。

シラノに「彼女に言ってあげてください!手紙を書いていたのは自分だと!」と言って、「外を見守ってきます」と砦から出て行くクリスチャン。
ロクサーヌに話そうか話すまいか迷っているうちに、敵軍が接近。クリスチャンが撃たれて運ばれてくる。
嘆くロクサーヌを慰める言葉を持たないシラノ。ただ「決して言えない…」と呟くばかり。
嘆きの歌「I Can Never Tell Her」「So Young, So Beautifull」もいい曲でした。

15年後の修道院の場の演出も、夕暮れの演出が印象的で美しかったです。
喪服に身を包んだロクサーヌがしっとりと美しく、未亡人の艶やかさがあって魅力的でした。静かな修道院に、ちょっと不思議な響きのあるまろやかな低い声がよく似合って、とても良かったです。
実年齢を考えれば、浦井くんとは随分な差があるはずなのですが、クリスチャンとの恋に身を焦がしている前半は同い年か浦井くんより下くらいにちゃんと見えたのがすごいなあ、と、この喪服の場面の落ち着きっぷりを見て思いました。ちゃんと芝居で若く見せていたんですね。凄いかも!(*^ ^*)




純粋な愛の物語で、宝塚でも上演したらいいかも、、と思いましたが……うーん、キャストがばっちり嵌る組がないなあ、今は。
トップが知性的な役が似合って、二番手が若く無鉄砲な超イケメンの体育会系で、色悪ができる上級生がいて、、、うーん、トウコさん時代後半の星組とか合いそうなんだけどなあ…。

…という話をしたら、友人に「剣と恋と虹と」という、シラノを元にした作品があったということを教えてもらいました。おおー、さすが宝塚。こんな有名な名作を見逃すはずはなかったですね(^o^)



数日前、赤坂ACTシアターにて「MISSING BOYS ~僕が僕であるために~」を観劇いたしました。


尾崎豊の音楽を使った、ジュークボックス・ミュージカル。
尾崎の伝記でこそないけれども、“彼”をイメージした、新しい物語。



尾崎豊。
彼の生前、私は決してファンではありませんでした。たぶん、「卒業」と「I LOVE YOU」と「シェリー」くらいしか知らなかったと思う。この三曲は、当時からカラオケで歌ってたくらい好きでしたけど。
でも、大人に(何歳だよ)なってから、彼のファンだった友人の影響で、あのかすれたハスキーヴォイスの魅力にあらためて嵌り、ベストアルバムを買ったりしました。
彼の思想や生き方にカリスマとしての魅力を感じてはいませんが、アーティストとしての彼は好きです。音楽も歌詞も、そして、何よりも声が。なので、今はそれなりにファンなんだろうと思います。信者じゃないけど。


というわけで、本当は命日である今日の公演を観たいような気もしたのですが、それはたぶん熱心なファンの方だけが行くべきだろう、と思いなおして、先週行ってまいりました。
今日の盛り上がりはどうだったのかなー。それとも、実際の観客は尾崎のファンではなくて出演者のファンだから、命日とか関係なかったりするのでしょうか…?
出演者やスタッフ側のほうが盛り上がってたりするのかな、この場合は。






1992年4月25日。
ちょうど17年前の昨日、彼は死んだ。
早朝に泥酔状態で発見され、一度は回復するが、容態が急変。死因は「肺水腫」。享年26歳。
GWまっただなかの護国寺での追悼式に集まったファンは、4万人とも5万人とも言われる。

当時、たまたま護国寺のすぐ近くに毎日通っていた私は、黒い服を着て、色とりどりの傘をさした人々の長い長い列を、おぼろげに覚えています。
喪服は着ても、さすがにこのためだけに黒い傘を買ったりはしないもんなんだなあ、なんてことを考えながら。(←ファンの方ごめんなさい)




『そして彼は伝説になった』という陳腐な表現が陳腐にならない、それが彼の人生だった。
彼の音楽が死後になって認められたのは、それが伝説だったからじゃない。
“オトナたち”が眉をひそめた“不良少年たちのカリスマ”は、落ち着いて歌詞を読んでみれば非常に普遍的なことを平易な言葉で書いていて、ああ、本当に頭のいい、感性の鋭い人だったんだなあ、と思います。
こういう、彼の作品の歌詞をそのまま使ったジュークボックス・ミュージカルに触れると、余計に。


彼は“伝説”になった人だから、彼の伝記的なミュージカルを創るという発想は、遅かれ早かれ出てきただろうと思います。17年目の今年はちょうど良い機会だったし、今回がなくても、たぶん20年目(2012年)には誰かがやっただろう。あるいは、遅くとも生誕50年(2015年)には、きっと。
死後17年たっても、忘れられるどころか新しいファンを増やしているアーティスト。しかも、今ちょうど創り手としてもあぶらが乗りつつある人々の、痛痒い青春時代を象徴する人だもの。

でも、今回の企画は、彼の伝記ではありません。
おそらくは今後も、彼の伝記ミュージカルは創られないでしょう。
それは、尾崎のプロデューサーだった須藤晃氏のコメントにもはっきりとあります。ありていに言えば、尾崎の人生は伝説になりすぎてしまった、ってことなんでしょうね。その“伝説”に自分の人生を投影している人が多いから、あらためて「これが尾崎だ!」っていうものを提供しても、受け入れられない。

だから。

今回の企画は、尾崎豊という存在を「見守る存在」という象徴的な幻想にはめ込んで、彼と同じように悩み苦しむ若いアーティストたちと、もうそんな悩みを忘れてしまった大人たちを群像で描きだす、という手法をとっています。
尾崎の音楽は、「マンマ・ミーア」のように脚本と一体化することなく、ただ登場人物の心の昂ぶりを表現するためだけに歌われる。前後につながる会話とは、あまり関係ないままに。


若い彼らの“エネルギー”を表現するために使われているのは、尾崎の音楽だけではありません。
熊谷和徳のタップダンス、そして、Song Ridersというグループのストリートバスケ

この作品が、新生なった赤坂ACTシアターの一周年記念公演だという事実を、観るまで私はまったく気にしていなかったのですが。あのタップダンスやらバスケやらごちゃまぜに放り込んだ「ごった煮」感は、テレビという懐の広いメディアで王座を競うTBSでなくては表現できないものだったんだな、とあらためて気づきました。
映像メディアの雄が、『映像ではできないもの』に殴りこみを賭ける場として創った劇場だったのかもしれない、と。
……だったら、もう少し金をかけて音響設備をなんとかしろよ、と思わないでもないですが(汗)。



プロデューサーは熊谷信也&白石久美(TBS所属)。白石さんは「CHICAGO」を始め、ブロードウェイミュージカルの日本上演をいくつか手がけてきた人。そもそもこの企画の発案は彼女だったようですね。実際にいろいろ動いたのは熊谷さんっぽい感じですが…(プログラムを読んだだけだからよくわからず)
脚本・演出は鈴木勝秀。いかにも彼らしい、なんというか、よくも悪くもぶっ飛んだ物語でしたが。
面白かったです。物語のキーとなる大人二人のキャラクターが実に魅力的でした。やべきょうすけと中村あゆみというキャスティングを決めたのはプロデューサーかもしれませんが、彼が「尾崎」を裏テーマにした作品を作るにあたって、ヨーコとユカワというキャラクターを創ったのが凄いな、と。







ストーリーはごくシンプル。
有名な音楽プロデューサーのユカワ(やべきょうすけ)。
彼が最近目をつけているのは、生まれた街(かなり都会)でロックバンドのヴォーカルをしているコウヘイ(早乙女太一)。ユカワは、コウヘイの歌には次代のスターの輝きがあると考えている。
「MISSING BOYs」の活動拠点となっているライブハウスのオーナー、ヨーコ(中村あゆみ)は、昔のユカワのバンド仲間(たぶん、元恋人)。夢を追って仲間を棄てたユカワ、街に残って若者たちを見守るヨーコ。別れた道は二度と交わることはなく、ユカワの勧誘に心揺れるコウヘイを、ヨーコは必死で諭す。
「あんな男についていって、あんたのやりたいことができると本気で思っているの?」
それでも、コウヘイはユカワを択ぶ。
「俺は、俺の音楽をもっとたくさんの人に聞いてほしい」

そんなコウヘイに与えられたのは、ユカワによって書き換えられた歌詞と、スタジオミュージシャンたちによる丁寧だがパワーのない演奏だった……。






MISSING BOY(藤本涼)
プログラムではトップクレジットですが、舞台のカーテンコールでは結構前のほうで出てきたような…。
今作がデビューのようですが、一幕ラストの長台詞(朗読?)もいい声で滑舌もよく、普通の芝居で観てみたいなあと思いました。透明な存在感があるのが、生来なのか演技なのかわかりませんが、雰囲気をかわれての出演だったんだろうな、と思います。

役どころは、ユカワの幻想……なんだろうな、たぶん。
振り向けばいつもそこに居て、何かを責めるような瞳で見つめている青年。何も言わない、白い服の幻影。
ただ見守ることしかできない、彼。

ユカワが自分の所業を“後ろめたい”と思えばこそ、幻影が彼を責めるわけです。彼自身が“これで良いのか?俺は?”と思っているからこそ、「そんなことしてちゃ駄目だよ!」と言いたげな青年の幻影を見る。

そんな彼は、ユカワにとってだけではなく、もう子供ではなくなってしまったクリエーターたち全てにとっての「尾崎豊」なんだろうな、と想いました。
もう死んでしまったカリスマ。
現実には居ないから、「それでいいんだよ」とうなづいてくれることは決して無い。
彼らが尾崎を思うのは、いつだって迷っているときで。
「これでいいのか?」と思っているとき。

だから、いつだって彼らの見る幻影のカリスマは、どこか悲しそうな、困ったような貌をしている。

プログラムのトップクレジットが彼だということは、この物語の視点は彼である、ということなのでしょう。
すべてを俯瞰した「神の視点」。登場人物の誰の視点でもなく、MBの視点でつづられる物語。
だからこそ、物語的にもテーマ的にもコウヘイが主役になるはずのストーリーが、MBが見守り続けるユカワを主人公に勘案された。それは、彼らが語りたかったのが「尾崎」ではなく、「尾崎を喪った俺たち」だからなのだと想いました。
その象徴が、役者として何の色もついていない、初舞台の藤本さんという配役だったんだろう、と。

藤本さんがこれからどんな道を歩まれるのか判りませんが。
この作品でデビューしたということが、良い方向に転ぶことを祈っています。




コウヘイ(早乙女太一)
ロックバンド「MISSING BOYs」のヴォーカル。ユカワという、多少腹黒いけれども目端のきく(だからこそ、今までいくつもヒットを出してきた)プロデューサーに惚れ込まれて、「お前の歌はやっぱりいいな」とか言われちゃう青年。
………いやー、、、すみません、ありえません。
私は彼のファンだと思うんですけど。それでもなお、ちょっと無理な感じでした……歌も、芝居も(T T)。
「15の夜」も「17歳の地図」も、めちゃくちゃ好きな曲なのにぃ。

……ごめんなさいm(_ _)m。いろいろ書くと悲しくなるので、書きません。才能のある人だし、朱雀座の仕事でお稽古に参加したのも最後のほうだけらしいので、一回一回、舞台を重ねるごとにどんどん良くなっていくだろう、と……信じて(泣)。




ユカワ(やべきょうすけ)
尾崎が歌った“腹黒いオトナ”を、こんなに見事に演技で表現できる人がいたとは(汗)。
「自分のやりたいこと」を、したたかに実現していく、それが大人というものの定義なわけで。

『僕が僕であるために』勝ち続けなきゃならない、という、名曲「僕が僕であるために」の歌詞をテーマにした作品ですが。
ユカワはまさに「俺が俺であるために」他を蹴落として「勝ち続けて」きた男なわけです。
そして、その結果として何一つ確かなものは手に入れられなかった。
何もかも喪ったときに、還るべき故郷さえとっくの昔に手放したつもりだった。

そのときになって初めて気づく。自分が「勝ち続けて」きたのは、「俺が俺であるため」ではなかった、ことに。
ただ自分は、「勝つために」己を棄ててしまったのだ、と。

彼がためらいもなく棄てた「己」が、MBとなって自分を見守っている。
責めているのか?俺を。お前を棄てた、おキレイな部分を棄ててしたたかに生きようとした、俺を。
……そんなことはないのに。彼は勝手に自分を追い詰めていく。もう還るところはないのだ、と思い込んで。

大丈夫。まだ還れる。
今振り返れば、まだちゃんと、手に届くところに「あなた」がいるから。
捕まえて。

あなたがあなたで居るため、に




ヨーコ(中村あゆみ)
ライブハウスのオーナー。
この人がもう40過ぎですか……(@ @)。
マジで信じられない。今でも「Seventeen 初めての朝」とか歌っていそうなイメージなのに。

尾崎とはソウルメイトだという言葉どおり、素晴らしい歌でした。彼女の歌う尾崎を聴くだけで、チケットの元は取れた感じ。尾崎の歌をなぞるのではなく、きちんと自分の歌にして歌いこなしたのはさすがプロの歌手だと感心しました。ここまで来ると、彼女自身の歌も1,2曲入っていてもよかったのになあ、と思わずにはいられません。

歌だけでなく、芝居も良かったです。演技らしい演技をするのは今回が初めてなはずだけど、本質的にああいうキャラクターなんでしょうかねぇ。本当に凄く良かった!温かみがあって頼りになる、優しい姐御。心弱い人のことはちゃんと支配(コントロール)してあげて、硬い人にはそっと寄り添ってあげるやわらかさもある。
いつでも真剣に「自分」と向き合ってきた人の、「自分」を棄てたことの無い人の、たわまない美しさがありました。
今後はまた、歌だけに絞るのかな……。ちょっと舞台も面白いな、と思ってもらえたら嬉しいんだけど。




Song Riders
ストリートバスケットボールチーム「大阪籠球会」で活動していたメンバーで、今は音楽活動をしているグループ。
面白い来歴ですが、舞台での居方もすごく興味深かった。

こういう、何か発散しきれないエネルギーを抱えた若者たちを表現するのに、バスケットっていうのは良い素材なんだなあ、と感心しました。ぶつかりあい、一つのボールを獲りあう中で生まれる感情。パワー。プロなみの技術を持つ彼らの動きは、平凡な振付で踊る並みのダンサーなんかよりもずっと流麗で美しく、軽やかで人間ばなれしています。その裏づけにあるのが、確かな技術と競技に賭ける想いの強さのパワーであることが、とても気持ちよくて。
今まで考えたこともなかったけど(^ ^;ゞ、案外と舞台パフォーマンス向きな競技なんですね、バスケって。
手具の扱い(ボールさばき)の技術が重要になるので、あんまり宝塚とかで安易に使ってもらいたくはないけど。

バスケばかりではなく、歌もなかなかでした。尾崎の歌をラップにアレンジしていたのには吃驚しましたが、「今」を尾崎が生きていたら、もしかしたらラップをやっていたかもね、と思ったりして、感慨深かったです。もともとは編曲のために呼ばれたというのもわかる感じ。
芝居はまぁ…別に芝居らしい芝居をしたわけではなく、ただ彼ららしく立っているだけだったのですが。
それでも、物語の最後にコウヘイを導き、ユカワを連れ戻すのは彼らなわけで。面白い素材をきちんと使って、良い料理を創ったな、と思いました。
この作品をきっかけに、いろいろ変わっていくこともあるでしょうけれども、今後のご活躍を楽しみにしています。




キジマ(コング桑田)
ヨーコの店に入り浸る、酔っ払いの「元アーティスト」。
ユカワの言動に批判的で、怪しげな人物。なんとなく、最後になって彼がなんらかの教えみたいなのを言うのかなーと思っていたのですが、特にそういうこともなく、若い連中の間で話が解決したのがちょっと拍子抜けでした。

彼だけじゃなくて、あとユカワにプロデュースしてほしい新人歌手(デレアヌ悟仁)とその社長とか、SongRidersのメンバーの恋人とか、脇筋のキャラクターがあまり魅力も見せ場もなくてちょっと残念でした。なんだか無駄なエピソードに見えてしまって。
デレアヌは「卒業」をワンコーラス歌うんですけど、これがまた、オペラチックな美声で朗々と歌う「卒業」のつまらないこと!せめて、それが詰まらない、ということに意味があればまだしも、なんだか名曲も歌い手も無駄遣いされた気がして、ちょっと嫌な気持ちになりました。



タップダンサー(熊谷和徳)
いやもう。説明は何もないです。
タップって、ただのダンスじゃないんですね。楽器としてのタップ、「音楽」としての美しさに感動しました。
素晴らしかった!!



尾崎豊の伝記ではないけれども、尾崎をイメージした幻影のキャラを前面に出した作品。
いろいろ乱暴な部分はありましたけれども、
キャスティングも一部疑問はありますけれども、
バスケやタップとのコラボレーションとか、いろんな意味で面白い試みがたくさんあって、意欲作だったと思います。
造り手側の思い入れが強すぎるほど強いのに、かろうじて声高な主張になる寸前で留めていたのはさすがでした。楽にむけて、作品としてもどんどん磨かれていくであろうことを期待しています。


だいぶ前になりますが、日生劇場にて、ミュージカル「マルグリット」を観劇いたしました。



ブーブリル&シェーンベルク、といえば、もちろん「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」を生み出した名コンビ。ただし、「マルグリット」の音楽はシェーンベルクではなく、「シェルブールの雨傘」などのミシェル・ルグランが担当。「そもそも、ルグランから持ちかけられた企画」だった、とプログラムに述べられているとおり、シェーンベルクの重厚でテーマ性のある音楽ではなく、ルグランの叙情的でメロディアスな音楽を生かすためにも、「椿姫」というドラマティックなメロドラマを題材として選んだのは正解だったと思います。

なのに、彼らが自分たちの得意分野である「社会派」の色づけをちょっと濃くしすぎてしまったのがちょっともったいなかった…かも(^ ^;。



ブーブリル&シェーンベルク。彼らの『歴史』に対する鋭い着眼点と、「優雅な貴族たち」にも「がむしゃらに生きている庶民」にも平等に注がれる温かな目。「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」の成功は、その目線をストレートに打ち出したことと、その社会派な切り口に、シェーンベルクの重厚な音楽が良く似合ったことによってもたらされたもの。
ミュージカル「マルグリット」は、小デュマの筆によるメロドラマの名作「椿姫」を『第二次世界大戦中のパリ』、あるいは『ナチスによる占領下にある“花の都”パリ』に舞台を移して構成された作品。さすがに世界的な巨匠、しかも地元フランスで活動しているお二人は、「花咲く港」を「パリの空よりも高く」にするような愚を冒すこともなく、細かい伏線もきちんと拾って矛盾なく翻案してのけました。
それこそ、「ロミオとジュリエット」→「ウェストサイド物語」なみの見事な翻案だったと思います。


でも。

貴族たちが雅を競った19世紀の社交界の徒花を、20世紀の大戦中、占領下で「新しい支配者」に愛された“愛人”の物語に移し変えたとき、求められる音楽も、繊細かつ華麗なルグランではなく、やはりシェーンベルクの重厚な社会派の音になっていたのかもしれないな、、、と。



音楽的な構造は、いかにもシェーンベルクらしい、同じメロディに違う意味を持たせてリプライズすることで、全体に深みをもたせる構成。
一回しか観ていないので全部はわかっていないと思いますが、一番印象的だったのは、アルマン(オペラのアルフレード)の姉・アネットが恋人と手を繋いでパリの街を歩きながら昔を懐かしむ「あの頃は」と、群衆(対独協力者)たちの大コーラス「デイ・バイ・デイ」。この、まったく違うシチュエーションで歌われる音楽が、非常によく似たメロディであったことは、大きなポイントだったと思います。

この二曲の類似には、いろいろ考えさせられちゃいました。
対独協力者たちにも、パリの街への愛はあったんだろうか、とか。
……あったんだろうな、とか。
作品上、彼らの真情はまったく語られることはないのですが、それでもこの曲が一曲あるだけで、行動とは裏腹な気持ちを憶測したくなるんですよね。音楽、という、言葉では表せないものを提示するモノを上手に使った、見事な構成だなあ、と感心しました。





第二次世界大戦中、ナチスの占領下におかれた、かつての“花の都”パリ。
かつてこの“花の都”でコンサートホールをわかせた歌姫・マルグリット(春野寿美礼)は、今はナチス将校・オットー(寺脇康文)の愛人として、対独協力者たちの中心的存在となっている。

この、“対独協力者たち”の変節ぶりが、この作品の中で大きなウェイトを占めるのですが。
上にも書いたとおり、彼らのコーラスナンバーである「デイ・バイ・デイ」のイマジネーションは、彼らが「希んでそういう存在であるわけではない」ことを示しているのかなー?と思いました。
「レ・ミゼラブル」に出てくるテナルディエ夫妻のように、「“宴会乞食”でいる自分を志向している」わけではなく、時代に翻弄されて“仕方なく”そうなってしまった。

だから彼らは、同じことをしていながら“清い存在”で在ろうとするマルグリットを羨み、憎まずにはいられない。

その心理が。
理解はできるけれども、納得はしたくなくて。
彼らがマルグリットを蔑む心根の底に、見え隠れする怯えと不満。その卑しさが、理解できてしまう自分がいやで。

最終的には、幕が降りた後まで後味の悪さが残ってしまった……というのが、正直な感想ではありました。
救いのなさ、というよりも、「救われたい」と思わない人々の物語だったなんだな、というところが。



もちろん、物語の主役はあくまでもマルグリットですし、彼女の悩みや苦しみがテーマの中心に常にあるのですけれども。
私には、この「対独協力者たち」=アンサンブルのドラマが、一番ドラマティックに感じられました。二つの世界大戦を乗り切るために、“名も無き人々”はいったい何をしたのか、してしまったのか、と。

…彼らにとっての“敵”とは、いったい何であったのか、と…。





マルグリット(歌姫/春野寿美礼)
原作からの改変点として、マルグリットが「高級娼婦」ではない、というのがあげられると思います。彼女はあくまでも『歌手くずれの愛人』であって、職業としての『高級娼婦』ではありませんから。

やっていることは似ているようで、心構えが全く違うと思うんですよね。
その道(男を魅了し、気持ちよく過ごさせる)のプロフェッショナルであるべき『高級娼婦』と、本来的な意味での“プロフェッショナル”である『歌手』と。どちらも“気持ちよく過ごしてもらう”ために何かを提供する、という意味では同じですし、『高級娼婦』は、もしかしたら歌えるかもしれないし、『歌手』も、もしかしたら男を魅了するかもしれません。でも、彼女たちはどちらも、それが目的ではないのです。“歌ってさえいれば幸せ”だったはずのマルグリットは、今は歌も(基本的に)やめて、ひたすらサロンを盛り上げようと恐々としている。
ただ、オットーのため、だけに。


これが宝塚歌劇団卒業後、初舞台となったオサさん。磨き上げられた艶のある美声が、ルグランの音楽によく合っていたと思います。現役時代の強い癖もきれいに矯正されて、もともとの声質の良さをそのまま響かせ、ソプラノから低音へのチェンジボイスもきれい。「あの人宝塚のOGなのよ!」とちょっと自慢したくなる美声でした。
これからミュージカルへの出演依頼も増えそうで、ファンの皆様も一安心、というところではないでしょうか。

ただ、ビジュアルはまだまだ工夫の余地あり、という感じでしたね。マルグリットの40歳の誕生日パーティーで始まる作品なので、ミュージカルのヒロインには珍しく、実年齢よりちょっと上の役。その年齢をちょっと意識しすぎじゃないかな、と思いました。
化粧もそうだし、中でも鬘が残念だったなあ(T T)。顔というか頭の形は理想的ではないかもしれませんが、鬘でどうにでもフォローできると思うんですよね…。うーん、特に今回は、オットーが惚れ込んで傍から離さない“自慢の愛人”なわけで。もう少しビジュアルの造りこみが必要だったんじゃないかなあ、と思いますね。

決して“美人”ではないあすかちゃんが、あれだけ創りこんで「南部一美しいクレアトール」という称号にふさわしい美女として舞台に立っているのだから、オサさんだって絶対できるはず。
椿姫は美人じゃないと話が始まらないので(テレサ・ストラータスのヴィオレッタは美しかった…)もし再演されることがあるならば、オサさんにはがんばってほしいなあと思います♪


オットー(ナチス将校/寺脇康文)
マルグリットへの恋心があまりにも表に出ていて、なぜマルグリットが気づかない(無視できる)のか不思議でなりませんでした。……もしかしたら、もう少しくらいは隠しておいたほうが効果的だったのかもしれません(^ ^;ゞ
ホームである地球ゴージャスでも良く歌っている寺脇さんですが、これだけのパワーを必要とする難曲を歌いこなせるほどの歌い手であることは、お恥ずかしながら初めて気づきました。
全然本業じゃないのに、凄いなあ。

恋する中年男の悲哀、というか、その痛々しいほど熱い恋情。
その裏側には、支配者としての強い自尊心と、“花の都パリ”への切ないほどの憧れ、劣等感があるんですね。こういう、闇に向かう感情さえもきちんと表現できる役者がオットーを演じてしまうと、ある意味、救いようがないほど暗いドラマになってしまうんだなあ、と思いました。
……素晴らしかったけど、観るのが辛くて、何度も観るのは苦しいです…。


アルマン(スウィング・バンドのピアノ弾き/田代万里生)
さすがにプロのオペラ歌手、歌は見事でした。ただ、デュエットはやっぱりミュージカルのルールに馴れてないなあ、という感じはしてしまいましたが。
見た目もハンサムで、スタイルも悪くないし、これからがとても楽しみな人です。本格的なオペラも一度聴いてみたいなあ。
芝居はまだ不慣れな初心者マークがついてましたが、少しづつでも経験を積んで、寺脇さんみたいな“ホンモノの良い男”になってくれますように。



アネット(アルマンの姉/飯野めぐみ)
これだけの大役に取り組むのは初めてのことだと思うのですが、とても良かったと思います。声が綺麗で素直な歌声が、アネットのキャラクターによくマッチしていました。「あの頃は」のデュエットがとても素敵。
芝居としてはとても難しい役でしたが、すごく良かったです。次に繋がる、良い仕事ぶりだったと思います!ご活躍、期待しています。



ルシアン(スウィング・バンドのベース。ユダヤ系。アネットの恋人/tekkan)
「レ・ミゼラブル」のクールフェラックで出会ってから、早いもので、もうすぐ12年。
いやあ、予想外にクールフェラックと似たような熱血革命家の役だったんで吃驚(^ ^)。カーンと響く強い声は相変わらずで、求められている声なんだなあと思いました。
もういい年だろうに、よく鍛えられた二枚目で、とても格好良かったです♪



ピエロ(スウィング・バンドのメンバー/山崎祐太)
ちょっとコミカルというか、息抜き的な部分を担当。演出的には微妙に中途半端だったのが残念ではありましたが、彼自身は自信を持って演じていて、良かったです。経歴を見ると、本格的なミュージカルは初めて……なのかな?でも、いい芝居をしていたし、歌も良かったです。



ジョルジュ(マルグリットのマネージャー/横内正)
………渋くて素敵でした。二幕の後半、戦争が終わった後で頼ってきたマルグリットを拒否する場面のさりげない芝居が、最高にイケズで、凄い迫力!!
「決してヒロイックな役ではない」どころか、ナチスに迎合して安楽に暮らし、戦争が終わったとみるやマルグリットひとりを犠牲に捧げて石を投げる、その冷酷なギャップが素晴らしかった、です…っ…。





若いアルマンに恋をしつつ、彼の身を案じて身を引こうとするマルグリット。
鏡に怯え、アルマンの愛が冷めることにおびえるマルグリット。
マルグリットに恋をして、彼女の気持ちが全く理解できないアルマン。
ユダヤ系であるがゆえに、ナチスに怯えるルシアン。
ルシアンを愛しながらも、アルマンを案じずにいられないアネット。

複数のテーマが絡み合い、影響しあいながら「時代」に色をつけていく、ブーブリル&シェーンベルクのいつもの手法は、さすがに見事でした。
ただ、セットや衣装にもう少し気を配ってもばちは当たらないだろうに……と思ったところも多く、細かいところで“ちょっと残念”が積み重なった作品でした。


キャスティングも含め、全体をもう少し練り直して再演されることを期待しています。



PARCO劇場にて、「SHOW STAGE NO.1 トライアングル ~ルームシェアのススメ~」を観劇してまいりました。



出演は井上芳雄、新納慎也、彩乃かなみの三人。
言わずとしれたミュージカル界のプリンスと小悪魔、そして宝塚の誇る歌姫、それぞれに肩書き(のようなもの)がくっついている三人。
…ですが、(まぁ小悪魔はともかく)「プリンス」と「歌姫」については、本来のキャラクターを前面に出し切って、伸び伸びと楽しそうに演じていて、とても幸せそうに見えました。

井上くんについては、一年前の「ウェディング・シンガー」以来の当たり役(猫的に)で、「ルドルフ ザ・ラスト・キス」の彷徨いっぷりが嘘のような好演でした。ああ、本当に嫌味で上から目線で思いやりのない嫌な奴なのに、どうしてあんなに可愛いんでしょうかねぇ……(*^ ^*)。
かなみちゃんも、『宝塚のトップ娘役』という檻に閉じ込められ、がんじがらめに縛り付けられた、ただただ可愛らしく在ることだけを要求されていた一年前のサリーよりも、大人っぽくて優しくて、気分屋で弱くて脆い芽衣の方が、何倍も魅力的に見えました。どこか垢抜けない、イケてないメークも髪型も、芽衣の個性と思えば可愛かったです。
ただ、衣装は……有村さん、かなみちゃんの肉体的な欠点なんて知り尽くしているだろうに、どうしてあんなぱつんぱつんのミニタイトとか穿かせるんですか(T T)。……まさか、かなみちゃんの希望ってことないだろうに……。





製作はPARCO劇場、演出は青年座のベテラン・宮田慶子、脚本は劇団「モダイスイマーズ」の蓬莱竜太。日生の「赤い城 黒い砂」の脚本も蓬莱さんなんですね。最近よくお名前を聞く方ですが、舞台を観るのははじめて……かな?等身大の若者言葉での語り口がわかりやすくて、こなれた脚本を作る方だなあ、と。宮田さんは藤原竜也の「エレファント・マン」以来何度も観ていますが、ミュージカル SHOW ACTはもしかしたら初めてかも?センスのいい、シンプルな演出で、とても良かったです。次回作が楽しみ。





音楽は、ほとんど既存曲をもとに、歌詞だけ替えて使用。「ジューク・ボックス・ミュージカル」というよりは、音楽劇とかショーアクトとか言われる形式に近いかなーと思うのですが、どうなのでしょうか。ジューク・ボックス・ミュージカル、っていうと。ある程度なんらかの基準をもって音楽を択んだイメージ(「マンマ・ミーア」みたいに全曲を一人のアーティストから択ぶとか、時代や分野を絞りこむとか)があって、その【音楽を択ぶ基準】そのものに意味があるもののことを言うようなきがするので。
そうでないと、宝塚のショーだってほとんど既存曲を使っているんだから「ジューク・ボックス・ミュージカル」ってことになっちゃいませんか?今回の作品も、新納くんのデビュー曲になる「月に吼える」だけは新曲……ですよねぇ?違うのかな(汗)。

とりあえず、主催者側にお願いがありまして。アンケートにも書いたんですが、既存曲をメインで使うのであれば、プログラムに曲目リストを入れていただけないでしょうか。観終わったあと、「あの曲知ってるメロディなんだけどなんだっけー?」と思ったときに、確認できないとちょっとストレスがたまります(涙)。
私がオリジナルを知っているのはビリー・ジョエルの「MY LIFE」くらいだったんですが(All By Myselfはスタンダードナンバーとして知ってはいたけど)、それ以外の曲も、ほとんどは聞いたことがあるような気がしたで、たぶんCMで使われてたとかそういうのがあるのかなあ、と。曲名やアーティストをご存知の方、ぜひぜひ教えてくださいませm(_ _)m。


ご参考までに。私が覚えているかぎりの、音楽リストを書いておきます。ご存知の曲がある方はコメントいただければ幸いです(_ _)m。

<一幕>
1.オープニング(インストゥルメンタル) 【新曲?】
2.月に吼える(幸三郎) 【新曲?】
3.ナツメのソロ。幸三郎とゴミ捨て場ですれ違った後。【】
4.孝三郎の部屋の前の芽衣のソロ。前奏は聞き覚えあるんだけど…。【】
5.酔っ払って乱入してきた芽衣を加え、三人で歌う“やるせないバラード”。【】
6.「彼女は刺激的すぎる!」と焦るナツメと「やりたいようにやるの!」と言う芽衣。【】
7.会社の愚痴を言いながら歌いだす芽衣のバラード。誰でも知ってる有名曲なんだけど、曲名が思い出せず(T T)。【】

<二幕>
8.“世界が変わった”ナツメのソロ。【】
9.幼稚園児の格好で三人で歌ってた曲。【】
10.その後も何曲かメドレーで歌っていたような…(?)
11.ナツメのソロ。【All BY MYSELF】
12.芽衣の告白を聞いたナツメのソロ。【】
13.もしかしたらね、きっとね。これも絶対知ってる曲の筈。【】
14.最後は明るく!【MY LIFE】

そんなところでしょうか。抜けている曲もあると思いますが。
ぜひぜひ、わかる曲だけでも教えてくださいm(_ _)m。






まだまだ当分公演中なので、内容に踏み込むのは遠慮しておきますが。

一幕は、とにかく爆笑につぐ爆笑で、途中で酸欠で死にそうになりました……。
かなみちゃんが面白すぎです。なんて可愛いんだかなみちゃん。
そして、新納くんがいい味出しすぎだから!あんたが主役だから!わかったから!!

…で、その勢いで二幕もいくのかと思ったのですが、二幕の後半は、かなり心が痛む展開でした。

現代社会って、“アラサー”がまだまだ“モラトリアムな若者”なんですねぇ。
20世紀であれば、大学生とか、せいぜい新社会人あたりがぶち当たっていたはずの壁に、もう7,8年働いているはずのベテランが嵌っていたり、30を目前にして未だに夢をあきらめずにデビューを真剣に目指していたり。



とんでもないきっかけで一緒に暮らし始める、他人同士の三人。

かなみちゃんの芽衣は普通に勤めがある会社員。
(かなり異常な生活を送っていたはずなんだけど、仕事は続けているんですね)
新納くんの幸三郎はデビューを目指してあれこれ活動を続けるミュージシャンの卵。
そして、井上くんの沢渡ナツメは、何年も佳作ばかりでいっこうにデビューできない小説家の卵。


三人ともいろいろ悩みはあるわけですが、中でも、ナツメの悩みが痛々しくて、観ていて辛かった。親が有名な小説家だから、『小説家を目指さなくてはならなかった』…んですよね、彼は。たまたま思い付きで書いた散文が佳作を獲ってしまって、「さすが沢渡孝明(字は適当)の息子!!」と賞賛されてしまい、後にひけなくなったのかもしれない。あるいは、書き始めた時には“書きたい”と思った題材があったのかもしれません。だけど今となっては、『書く』ことが目的化していて、書きたいものを見つけることができない……いや、書きたいものが無いなら、クリエイトすることはできないんだということにさえ気づけない

彼は、ただとじこもって文字を打ち続ける。
外に出ることも、人と出会うこともせず、世界を閉じた卵のようで。
出かけては帰ってくる幸三郎や芽衣とは違い、ナツメは『自分の城』である家に、ただじっと、膝を抱えて座っている。


そこは、繭。
彼はそこを、出なくてはならない。ヒトとして生きるため、に。




幸三郎がちょっと格好良すぎるきらいはありますが、とにかく面白かったです。
ラストに、全てを曝け出して一言つぶやく芽衣が、最悪のかっこ悪さで、莫迦まるだしで、そして、最高にイイ女でした。


一幕で爆笑しすぎて、二幕があんなにシリアスな展開になるとは思わず、しかも、散々シリアスな展開をどんでん返しつきでやらかしてくれた挙句に、なんの解決も無く終わってしまったのがちょっと不満でしたが(苦笑)、思い返してみれば、あの解決の無さがリアルなんだなあ、と納得しました。
観る人によって評価の分かれる作品かとは思いますが、私には非常に面白かったです。はい。
かなみちゃん可愛かったしー♪(^ ^)、井上くんも、新納くんも、三人ともの更なるご活躍を、心からお祈りしています!!





天王洲アイルの銀河劇場にて、ミュージカル「回転木馬」を観劇してまいりました。



日本初演は、1969年の宝塚雪組。1993年にブロードウェイでリバイバルされ、トニー賞を獲ったのをきっかけに東宝で上演(1995年帝国劇場)。
その昔、某作品について「宝塚で上演されても日本初演には数えられない(だから自分のところが日本初演だ)」などと失礼なことをヌかした某劇団関係者がいましたが、実際雪組さんの「回転木馬」はどういう構成だったんでしょうかね…?
そのままでは、あまり宝塚らしい世界観の作品ではないと思うのですが。

ロジャース&ハマースタインIIの名曲が詰まった作品。音楽は大好きでCDは何度も聴いているのですが、正直、帝劇公演はあまりぴんとこなくて(汗)、今回の上演も「…まぁ、一回くらい観ておくか…」くらいの気持ちで出かけたのですが。


……まんまと泣いてしまいました(^ ^; 涙腺弱すぎ>自分。




嫌な話だと思うんですよね。
物語の始まりは、「カルメン」に似てるなぁと思います。ミセス・マリン(風花舞)にクビを言い渡され、自棄になったビリー(浦井健治)と、雇い主のバスコム氏に「寮母さんに言い訳してあげるから、一緒においで」と言われても、たった今、自分のために仕事を喪ったばかりの男の傍から離れられないジュリー(笹本玲奈)が、リーリャス・パスティアの酒場で帰隊ラッパを聴いたホセにかぶる。

恋に落ちたばっかりに、仕事もプライドも喪った男。
彼は、自分が愛する女を守れない、食わせてやれない無一文であることに深く傷つき、しまいには自分を惹きつけた女に仕事が見つからないヤツアタリをするようになる。


でも。
「愛する女を殴るなんて!」と責める人々に、「たった一度だ!」と叫ばずにいられない彼の若さ、いえ、幼さがいとおしいんですよ。その不器用さ、いじらしくさえあるその幼さが、彼の魅力で、ジュリーもミセス・マリンも、それゆえに彼を諦められないのだと納得できてしまう。
だから、こんな悲惨な、救いのない物語なのに、ラストに何かが昇華されてしまうのでしょう……。




そしてジュリーが、ただの純粋な少女じゃなく、ちゃんと“女”だったのが凄く良かったです。
母性の塊のような、不器用でやんちゃな子供みたいなビリーを愛し、包んであげられるだけの器もった大人の女性。
ぱっと見の美人さ、顔立ちの華やかさは、キャリーのはいだしょうこ(千琴ひめか)の方が上なのに、玲奈ちゃんのたたずまいにはしっとりと落ち着いた柔らかさがあって、いかにも“永遠の少年”が恋をしそうな女性に見えました。
ビリーの持つ少年性と、ジュリーのもつ母性が惹き合った結果が、あの恋だったのだ、と。



玲奈ちゃんって、ただの可愛い少女もできるけど、年齢の割にしっかりした大人の女性が似合う人なんだなあ、とあらためて感嘆しました。「白衣の女」のヒロインも良かったもんね。
顔立ちは幼いのに、背が高くて(安奈淳さんより大きかったのに驚き!)スタイルが良いのでこの時代のドレスがよく似合います。特に、髪をアップにすると途端に大人びて美人になって、二幕後半の艶やかさは半端じゃなかった。

男と恋をしている真っ最中よりも、彼を喪って思い出に生きているときの方が美しい、そんなひと。



ラスト前に、天から戻ってきたビリーが見守る中、ベンチに放置された“星”を拾い上げて、呆然と座り込む場面の二人に泣かされてしまったことは、……別に内緒にはしてません(^ ^;ゞ






演出はロバート・マックィーン。
舞台の上半分に「天上」のセット(煌く星が飾られたオルゴールメリーみたいな……)。
その回りには回廊があって、「星の番人」(安原義人)と天使(西本健太郎/岡亮)がいる。地上を見守る存在、いわゆる「常に見ている存在」が具体的に居るんですね。

ビリーも、そういう存在を意識していたら、悪いことなんて出来なかったろうに、と思いながら。


「星の番人」たちは2幕でビリーが死ぬまで台詞はありません。たしか、帝劇版では前半は全く登場せず、最後になって突然出てきたんで「誰あんたたち」って思った……ような気がする(違うかも)。
今回は、オープニングでまず紗幕の向こうにきらめく星と番人たちをうっすらと見せる、という手法で“見守っている存在”を象徴的に表現していましたのが、メッセージとして解り易くて良かったです。

帝劇版で印象的に使われていた大きな回転木馬のセットみたいなものは最後まで登場せず、天上の星の下、人間界には大きなセットは登場せず、以前は「スフィア」と呼ばれていた円形の舞台を、円いままに使ったシンプルな舞台でした。



ちなみに、演奏も生オケ。天上のセットの奥にオケを入れて、プロローグの間は客席にも見せておき、そこだけ幕を降ろして本編が始まる、という見せ方がプロでした。
…一幕終わってふと振り向いたら、役者に指揮者が見えるよう設置された結構大きなスクリーンに、指揮の塩田明弘さんが大写しになっていたので笑ってしまいました(^ ^)。客席のど真ん中に、あんなに大きなスクリーンを置いて使う劇場も珍しい(笑)。




演出的に印象的だったのは、オープニング。一言の台詞もないけど、立派に芝居のシーンになっていたので。
オープニングの音楽が流れ、工場の男たち・女たちが踊りだし、舞台面が華やいだところで、遊園地のメンバーが登場。アクロバティックな踊りを披露するダンサー(中川賢、三木雄馬)たちが凄かった!他にも手品をしてる人とか、いろいろ。うわーかっこいいーーーーっ♪と思っていると、白いカウボーイ服で登場するビリー。チケット売り場(?)に座る経営者のミセス・マリンの手にキスをして、さて、と客引きを開始する。

きゃあきゃあ騒ぐ女の子たち。
その中でも、ひときわ熱っぽい目で彼を見つめるジュリーに、ちょっかいをかけるピエロ(?)。嫌がるジュリーを見て、そいつを殴り倒し、ジュリーの手をとって誘うビリー。
チケット売り場から出て、二人を引き離そうとするミセス・マリン。
明るく軽やかなカルーセル・ワルツに乗って、その後の悲劇につながる全ての種が蒔かれていく。



ミセス・マリンに嫌味を言われて(?)、駆け去るジュリー。追いかけるキャリーと、そして、ビリー。
音楽は鳴りつづける。回転木馬は回り続ける。ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる、と…。





この場面に限ったことではないのですが。
セットに頼らず、役者一人ひとりの感情の持っていき方をきちんと指導してこそ、初めてこういう難しい作品が成立するんだなあ、と、感心しました。
帝劇公演をご覧になって、「音楽は良いんだけど、うーん…」と思われた方は、ぜひご覧になってみてくださいませ(^ ^)。






それでは、キャストについて。

ビリーとジュリーについてはだいたい書いた…かな?
ビリーは、移動遊園地の回転木馬の客引き。
ジュリーは土地(アメリカ北東部の海辺の町)の娘。バスコム氏の紡績工場で働いている、おとなしいけれども芯の強い娘。
どちらも本当に当たり役でした。玲奈ちゃんはその包容力(母性)が、浦井くんはとにかくその後ろ向きな意地っ張り加減と精神的な脆さが、物語を動かす原動力になっていたと思います。
彼らでなかったら、この悲惨なストーリーにこんなふうに共感することは出来なかったと思う。
ありがとう(*^ ^*)。




ミセス・マリン(風花舞)は、回転木馬の所有者で、ビリーの雇い主。
ビリーへの執着は半端ないんですけど(ビリーが女の子とイチャついたくらいでクビにしちゃうくらいだから)、実際この二人は寝てた仲なのかなぁ…?などとちょっと下世話な興味を抱いてしまいました。
美しい、まだまだ女ざかりの色っぽい女。ミセスと名乗りながら旦那がいる気配がないってことは、死に別れたのか逃げられたのか?しっとりとした“大人の女”の色気と、ねつい口調の怖ろしさがとても良かったです。
優子姫って、いつの間にこんなに怖い女が演じられる女優になっていたんだろうか、と。

散々やりあった挙句、死んだビリーにそっとキスをする、その、愛。彼女なりに真剣な恋だったのだ、と、そう思わせて。
固唾を呑んで見守る連中(=観客)に、乱れたショールを巻きなおして対峙し、背筋をピンと伸ばして舞台の奥へ消えていく後姿。赤いショールに包まれた、その、虚勢を張った細い背中に、
……ああ、「ウェストサイド物語」のマリアがここに、と。




キャリー(はいだしょうこ)は、ジュリーの友達。
口調の可愛らしさと罪の無さ。本当に“小鳥のよう”な存在感で、実に実に素晴らしかった!(*^ ^*)。
二幕のジガーとのひと幕にも全く罪はなく、“人間界の善悪”に染まったスノウが、とても惨めに見えたほど。
普段からあんな喋り方なんでしょうかねぇ…。いやー、本当に可愛かった!!

スノウ(坂元健児)は、生真面目な漁師で、キャリーの恋人。
この役は、帝劇で演じた林アキラさんの印象が強すぎて最初は違和感あったのですが。キャリーとデレデレ恋を語っているばかりではない、生真面目な堅物、自分の理想にこだわりすぎてありのままのキャリーを全然見ていない器の小ささは、サカケンの方が合っていたような気がします。とにかくアキラさんは優しすぎ・器がゆるすぎて、二幕のジガーとじゃれているキャリーに対する怒りさえ“な、何を言い出すの?”という感じだったので。

突然怒り出す(いや、怒るのが当然なんですけどね!)スノウに吃驚して、しょぼんと背中を丸めるキャリーが可愛くて可愛くて、たまりませんでした。いやー、本当に天然だ…(っていうか、気づきなさい)




ジガー(川崎麻世)は、いわゆる「悪漢」。
ジュリーと結婚したものの、稼ぎも無くイラついているビリーにまとわりつく“前科モノ”。ビリーを唆して強盗をしようとするけれども、一度は断られ、それでも彼の傍を離れない。

これまた帝劇で演じていた市村正親さんの印象が強いのですが、川崎さんはまた全然違っていましたね市村さんは結構観客を笑わせながらいろいろやっていたんですが、川崎さんはひたすら“怖”かった。
ハンサムなのは当たり前ですが、ああやって無精ひげに髪ぼさぼさでも、それだけで男前度が下がるものではないんですね。苦みばしったいい男っぷりで、スノウが咄嗟に嫉妬するのもよくわかる、と思いました。

この男前なハンサムが、執拗にビリーを誘う。
その、ゆがんだ愛情が怖かった。むしろ恋なんじゃないかと思うほど、ビリーの家庭生活を心配するような素振りで、実際には二人の間に溝を作っているのは他ならぬジガーなわけで。
ビリーは気づいていないけど、ジガーには当然わかっているはず。

それでも、ジガーはビリーを諦めない。ビリーの青さ、脆さ、弱さ……ちょっと突けば掌に落ちてくるはずの青年が、なかなか堕ちてこないことに苛つきながら、それでも周到に網を張って待っている。まるで、蜘蛛のように。
そういう周到さ、執念にも似たビリーへ向かう想いのようなものは、帝劇版では感じなかったと思います。

演出なのか役者の個性なのかわかりませんが、川崎麻世さんの当たり役って、私の中ではずっとジャベールだったんですが、今回のジガーはジャベールを越えたなあ、と。それが、彼に関する感想のすべてかも。




ジュリーとビリーの娘・ルイーズ(玉城晴香)と、彼女と踊るカーニバルボーイ(西島千博)。
西島さんのバレエはさすがでした(*^ ^*)。時間は短いけど、彼のダンスを観るだけでも元がとれるかも、と一瞬思ったくらい凄かった!
ルイーズの玉城さんも素晴らしかったけど、残念ながらスタイルはいまいちだったなあ。同じ場面にカーニバルの女王として登場する優子姫の、惜しげもなくさらされた脚線美をみてしまうと……(^ ^;ゞ。ルイーズ、という清純な乙女の役であの振り付けを踊るには、ちょっと生々しい筋肉質な脚だったのが残念な感じ。
技術的な難しいことはよくわからないので、素人の意見ですけどね。っていうか、単に全盛期の優子姫であのヴァリエーションを観てみたいなあ、と思っているだけですが。

カーニバルボーイは本当にそこしか出ないのですが、ルイーズは結構しっかりと芝居がありまして、割と良かったと思います。気の強い、でも子供っぽいところが表に出ていて、一途で可愛かった♪
スノウ・ジュニア(俵和也)のぼけーっとしたぼんぼんぶりとも良い対比で、可愛いカップルだな、と思いました。

…つい今しがたまで、情熱的に踊っていたカーニバルボーイはどうするの?とも思いましたが。
もちろん、最終的に択ぶのはルイーズなんですけど。どうするんでしょうね?実際には。




ドクター・シェルドン(安原義人)は、“星の番人”と同じキャストを使うだけあって、ちょっと哲学的な台詞を述べる役どころ。
ラストのルイーズの卒業式で祝辞を述べる医者、という役なのですが、完全にルイーズに向けて語り聞かせる台詞が、すごくいい。
「父母の成功を忘れなさい。それは父母の成功である」「父母の失敗を忘れなさい…」
…父親がどんな人間でも、娘を愛していたことは間違いのない事実で。

それを否定してはいけない。お前は、愛されてこの世に生まれてきたのだから。



「聴くんだ!ルイーズ、彼の話を!」と脇で囁きながら。
その言葉を、自分で娘に言ってやれないビリーの悔しさと、そして透明な諦念。
もういいんだ、と。
自分がいなくても、この言葉を彼女に言ってくれる大人がちゃんと居るんだから、と。

ビリーが地上に一日だけ戻る権利があるのは、それだけ彼が地上で嘘をついていたから。
彼は一度も本当のことを言わなかった。
ジュリーに、愛している、という一言を。
ルイーズに、愛している、という一言を。
だから、その一言が言えなかった彼には、一日だけ戻る権利が与えられる。
その一言を言えなかった自分に気づき、反省させるために。

言えなかった自分に、「次があれば、必ず言うよ…」と言わせるために。


だから。
ビリーが地上に戻るのは、ルイーズを救うためじゃない。
ジュリーを救うためでもない。
ルイーズを、ジュリーを救うのは、地上の人がしてくれるだろう。

ビリーは、自分自身を救わなくてはならない。
自分自身を、掬い上げなくてはならないのだ。深くて暗い、後悔という名の海の底から。

もう一度、光になるために。
それこそが、神の慈悲なのだから。




シアタークリエにて、ミュージカル「ニュー・ブレイン」を観てまいりました。
……いえ、今日観てきたわけではなくて、花組公演中にお隣にこっそり(?)入ってみたんですけどね。今日まで忙しくて書くヒマがなかった(汗)。



といいつつ、その前に。
ウメちゃん(陽月華)ちゃんのミュージックサロンが発表されましたね!!
宝塚で平日のみ、って何のイジメ?七帆くんも出るし、東京でやったら絶対行くのに!あるいは、休日だったら遠征も考えたのに(涙)。週に一度のノー残業デーもおぼつかない今の私に、いくらなんでも平日遠征は厳しすぎる(涙)。
木曜日に早退してカクテルショー観て、泊まって、月エリザの初日を観て……という妄想も考えたけど、さすがにちょっと無理だよなあ。せめて花バウがこの日までやっていれば、もう少し真剣に考えるんだが(T T)

……ウメちゃーーーん!!






と、いうわけで。
シアタークリエ「ニュー・ブレイン」について。

面白かった!!凄く!!
キャスティングもなかなか隙がなくて興味深かったし。

ただ、結構露骨なゲイカップルの話なので、観る前にある程度覚悟をしておくことが必要かな、と思いました。
別に濡れ場があるわけじゃないんですけど、なんていうのかな……。すごくリアルなんですよね、そのカップルっぷりが(^ ^;。同じような題材を扱っていても、「RENT」とは全然違う現実感がある。ホンモノっぽく見えるんですよ。

それと、石丸さんってファンにとっては“王子さま”なので、そういうのを期待していると大きく裏切られます。劇団四季を退団して、初めての主演作だから、ファンは『格好良い石丸幹二』を期待してしまうみたいで、結構ショックであるらしい。

だってね!
今作の石丸さんは、ものすごく可愛いんですよっ!!

恋人(畠中洋)が来ないと言っては拗ねて、やっと帰ってきたと思ったら拗ねて喧嘩して、布団被って丸まっちゃうのっっっ!!(壊)……本当に子供みたいに可愛い!!(*^ ^*)
あんなに可愛い石丸さんを、初めて観たような気がします。「アンデルセン」のハンスも無茶苦茶可愛かったけど、それを超える可愛らしさでした。

そして私は、すっかり石丸さん(と畠中さん)のファンになりました!!(←何か?)(←ある意味、予定どおりだね)




それでは、キャスト別に一言づつ。

ゴードン(石丸幹二)

NYに暮らす売れない音楽家。脳の病で倒れ、脳手術をすることになる。
無事に戻ってこられるのか?たとえ命はあったとしても、脳に手をいれたら、今までの自分がいなくなってしまうのではないか?…音楽を創っているのはどこだ?脳じゃないのか?
現在の不安、将来への不安。さまざまな葛藤の中で悩み苦しみながら、手術の朝を迎える彼の懊悩を描いた作品なわけですが。それを、明るく楽しくサラっと軽やかに、そして日常的かつ現実的に表現してしまうところが、作詞・作曲・脚本のウィリアム・フィンの個性なんだろうなあ、と思いました。

フィンの作品、私はトニーの作詞作曲賞を獲った「スペリング・ビー」のCDを友人の家で聴かせてもらったことがあるくらいで、まったく観たことがないのですが、ブロードウェイではおなじみのミュージカル作家のようですね。
リアルでデイリーな舞台空間は、舞台があまり身近でなく、ドラマティックな作品を好む日本の観客にはちょっと選ばれにくい世界観かもしれませんけれども、絶妙なゆがみ方とか、抜き方が独特で、どっぷりと身を浸せばとても面白い世界です。むしろ吉本とかに近いんじゃないかな?と思うのですがどうなんでしょうか。
そういう世界に、石丸さんというピースがぴたっとはまったのが、面白い偶然だなあと思いました。




ロジャー(畠中洋)

ゴードンの恋人で、ヨットマン(?)。
最初、ゴードンが病気で倒れたときは、『遠いところを航海していて当分は帰れない』と言われていて、その言葉どおり、しばらく出てきません(苦笑)。

で、
やっと出てきたと思ったら、ソロの大曲ですよ!「I’d Rather be Sailing」素晴らしい名曲で、私はこの作品の中で一番好きな曲です。そうだなあ……宝塚なら、ユミコちゃん(彩吹真央)に歌ってほしい曲ですね。きりやんじゃなくて、ユミコちゃん。きりやんにはゴードンをやってほしいです(萌)…って話はおいといて。

とにかく畠中さんは格好良い!!よっ、男前!と声を掛けたくなるくらい男前でした。しかも色っぽい。たいしたことをするわけではないのに、凄い濡れ場だったような気にさせる人です。うん。いいなあ、良い役者だなあ(*^ ^*)。
畠中さんの格好良さは、彼が演じる人物の、人生の格好良さなんですよね。どの役を観ても、彼の人生に共感してしまう。それは本当に凄いことだと思います。

そして、ついつい ロジャー目線でゴードンを視てしまうので、すごく可愛く見えてくる(^ ^)。なんだか、魔法にかかったような気さえしてきます(汗)




ローダ(樹里咲穂)

ゴードン担当のエージェント。スーツの似合う遣り手のキャリアウーマン、という、等身大なようでちょっとズレのある役を、颯爽とこなしていました。かっこいい!!彼女は、ゴードンに打算まじりの好意を持ってはいるようですが、ロジャーから奪おうとかそういう気持ちは全く無い。「金持ちでハンサムで良い男なのに、女に興味がないなんてねぇ…」という自嘲めいた独り言が“らしい”です。

もうちょっと積極的にゴードンに迫ったりとか、そういうシーンがあるのかなー?と思っていたのですが、残念ながらまったくなくて。ゴードンとの関係は、あくまでも「親友」って感じでしたね。母親とのやり取りも多くて、芝居として重要な役割をきちんとこなしていました。
特別目立つソロというのは無かったと思いますが、フレーズ単位のソロはかなり多くて、声がたくさん聴けてよかったです♪




ゴードンのママ(初風諄)

文字通り、ゴードンのママ。勝気で頭の良い人で、夫はいない(家族を棄てて家を出たらしい)。
いやー、私がこの作品で一番泣いたのは、手術の前夜(?)、ロジャーを求める息子に「もうママはいらないの…?」と問いかけるところでした。
“母親の愛情”というものの、なんと無償で純粋なものなのか、と。

ゾフィーのような“厳格で尊大な母親”よりも、こういう、等身大で愛情深い母親のほうが、初風さんには似合うんだよなあ、と、最近拝見するたびに実感します。いつまでもお元気で、そのキャラクターと歌唱力を保っていただきたい、と、心から想います(^ ^)。




リチャード看護師(パパイヤ鈴木)

病院の看護師。……という以外の説明がひじょーに難しい!あれはもう、観ていただくしかないかと(笑)
キャラ勝ちな役でしたが、予想外に歌がお上手でびっくりしました。コレだけのメンバーの中にいて見劣りしないというか、安定していて全然違和感がないって凄いことだなあ、と。
芝居はもう、そこにパパイヤさんがいてくれるだけでいいです。これが宛書じゃなくてもともとある役だというのが信じられないくらい、個性的でした。はい。素晴らしい!!

ちなみに、この病院は結構ぶっ飛んだ病院でした(@ @)。
医者(友石竜也)もぶっ飛んでるし、もう一人の看護師ナンシイ(中村桃花)も、顔は最高に可愛いけどぶっ飛び具合ではパパイヤさんと良い勝負だし、牧師(田村雄一)(←それも病院のスタッフなのか!?)もなにげなくステキでしたね!
石丸さんがメインのせいか、元四季が三人揃って仲良くやっていて、その時代の四季を観てらした方なら懐かしいのではないでしょうか。




ホームレス(マルシア)

文字通り、ゴードンたちが生きている街(NY)をさまよう、影のような存在。

歌も芝居も素晴らしかったけど、正直、なぜマルシアがこの役なの?という疑問は残りましたね。
「RENT」の、片袖の取れたコートを売る女のような役割。こないだの再…演ではケロさんがやっていましたけど、本来はアンサンブルリーダー格の歌い手(「Seasons Of Love」のソロをとる人)がやる役だと思うんです。
本来はそういう役なのに、マルシアがやるから何か違和感がある。確かにソロは多かったし、演出的にも工夫されて、メインキャストらしい扱いにはなってましたけれども。
でも、本編とは全然関係ないし、出てくるたびにイミフだし、、、正直、なんで??って気がしてしまうんですよね……。

いえ、あの、マルシアのソロがたっぷりと聴けて、とても幸せな時間ではあったのですが。

もしかして、マルシアがこの作品に出たがったのでしょうか?声優の野沢雅子が「ラスカルの声をやりたい」と希望してオーディションを受けた、っていう話と似たような話なのか…?




ミスター・バンジー(赤坂泰彦/本間ひとし)

ゴードンのボス。着ぐるみのカエルが歌い踊るショーのプロデューサーか何かなのでしょうか?
舞台には、基本的にゴードンの妄想として登場します。カエルの着ぐるみを着て。
リアルで日常的な作品世界をぶっ壊すために異界から遣わされたモノ、みたいだよ(汗)。

私が観たときは赤坂さんでしたが、カエルの着ぐるみも実によく似合ってらして、Wキャストの相手がかわいそうだなあなーんて思っていたのですが……本間さんの回を観た友人は「断然本間さんがいいわ!!」なんて言っていたし、どうなんでしょうね。作品も面白かったので、もう一回本間カエルを観にいくのもありかなーと思ったりはしています。
……




ちょっと馴染みのない作品世界でしたが、石丸さんは可愛いし、畠中さんはカッコイイし、樹里ちゃんはステキだしで一見の価値はあるかも!(^ ^)。正直、あまり売れてないみたいで(←そりゃそうだろう)いろんなサービスチケットが出ているみたいですので、もしご覧になる方がいらっしゃいましたらネットとかで調べてみるといいかもしれませんよ☆


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シアタークリエにて、「スーザンを探して」を観劇してまいりました。

……だいぶ前、ですが。カラマーゾフと同じ頃ですから(汗)。
私が観たときの「スーザン」役は、真琴つばささん。
今はもう香寿たつきさんに替わられてしまいました。タータンさんのスーザンも観たいと思っているんですけど、予想外に二月は忙しくて、ちょっと無理かも(T T)。




さて。
パンクロックバンド「ブロンディ」の音楽を使った、いわゆる「ジュークボックス・ミュージカル」。2007年ロンドン初演。当時もウェスト・エンドミュージカルとしてそれなりに話題になっていましたが、こんなに早く、ブロードウェイより先に日本公演が行われるような作品だとは思いませんでした。

私はあまり(というか全然)ロックに詳しくないのでデボラ・ハリーの名前くらいしか知らなくて、曲は一つも知らなかったのですが(T T)、、、無知すぎ?
「ジュークボックス・ミュージカル」隆盛のはしりというべき「マンマ・ミーア」のABBAは知っていたんだけどなぁ……。「マンマ・ミーア」や「Movin’ OUT」(ビリー・ジョエル)を観て超感動し、「We Will Rock You」(クイーン)、「Our House」(マッドネス)あたりを観て、“………(T T;)”と思った私。やっぱり、「ジュークボックス・ミュージカル」は、元歌を知っているかどうかで感動が全然違う!と思っています。

まぁ、「マンマ・ミーア」はストーリー自体もよく出来ていたので、もしかしたらABBAの元歌なんて知らなくても感動したかもしれないな、と思いましたけれども。




で、話を戻しまして、「スーザンを探して」。
ストーリーの原案は、1985年の映画「マドンナのスーザンを探して」。猫は、こちらも全く知りませんでしたが…(^ ^;ゞ
オリジナル台本はウェストエンドの俳優、ピーター・マイケル・マリーノ。翻訳・演出はG2。
…なんだか最近G2づいてるなあ、私。

ストーリーは結構複雑で波乱万丈。
ブロンディの音楽を知らないので、作品の本質的な評価はできませんけれども、ラストのロバータの結論にはすごくうなずけるものがありました。説得力のある作品になっていたと思います。
スーザン側の登場人物の心理はかなりぶっ飛んでいてリアルじゃないんですが、ロバータ側の人物が皆ものすごく地に足がついている感じで、その落差も面白かったです。
良く出来た作品だな、と。原案になっている映画も、どこかのビデオ屋にあったらちょっと観てみたいなーと思いました。





ヒロイン・ロバータは保坂知寿。

幻のような女・“スーザン”に憧れる、抑圧された主婦。難しい役をよくこなしていました。スタイル抜群で立っているだけで華やかな人ですが、尊大な夫に支配される無気力な主婦の寂しさをよく出していたと思います。
劇団四季を退団して、二作目。次も大作が待っているし、これからも活躍が楽しみです♪



そして、相方(?)のスーザンは、OGの真琴つばさ。

私は本当にマミさんの大ファンだったのですけれども、現役当時も卒業後になっても、歌が巧いと思ったことが一度も無い(T T)。いや、声は好きなんですよ。だからファンになったわけで。
でも、こういう本格的なロックが歌えるような人だとはあまり……。
でもでも。
マミさんのスーザン、よかったです。蓮っ葉で、奔放で、気紛れで、自堕落で、いつだってその場しのぎで生きてきた女、しかも決して若くはない、、、というのがピンとくる。嵌り役でした。ああいうバランス感覚とセンスは、天性のものなんでしょうね。
タータンさんの歌も聴いてみたかったですが、とりあえずマミさんのスーザンが観れて幸せでした。


ただ。
この話、奔放な幻の女・スーザンに憧れる平凡な主婦・ロバータが、ひょんなことからスーザンの上衣を手にいれて、それを着て歩いていたらスーザンに間違われて……というのがドラマのきっかけになっているのですが。
…マミさんと知寿さん、肩幅が違いすぎて、同じ服を着ていても同一人物には見えない…というか、そもそも模様と背中の面積の比率が全く違うので、同じ服にも見えないんですけど。どうしたら。



スーザンの恋人・ジェイは、吉野圭吾。

まー文句なくせくしーでカッコよかったです!割としようもない役なんですけど(苦笑)、吉野君の魅力は満開でしたね。
……それにしても、マミさん若いなあ。ちゃんと、吉野くんと同い年くらいには見えたよ…?



ジェイの友人・デズは、加藤久仁彦。

いやー、素敵でした。「狩人」のお兄さんですよね。
舞台は馴れてない感じが漂ってはいますけれども、ちょっと気弱で、優しくて、優柔で、柔らかくて、でも頑固。っていうキャラクターにはぴったりはまってました。
そして、なんといっても、良い声だったなーーーーっ!



ロバータの義妹・レスリーは、杜けあき。

急遽の休演となった大浦みずきさんの代役として舞台に立ったはず…なのですが。
全然まったく違和感なく、っていうか、この役をなんのためにナツメさんがやる予定だったのかよくわかりませんでした(汗)。ダンスもないし、すごい普通の主婦の役でしたよ?
G2さんが、この役をわざわざ大浦さんにあててどんな演出をしようとしていたのか、ちょっと観てみたかったなーと思います。

でも、この“普通”さが結構難しい。そういう役でした。杜さん、適役だったと思います!
ちょっと仇っぽい、髪は隙なく結い上げて、ちょっとセクシーな香水をつけているような…絶妙なアンバランスさがとても魅力的でした。
こういうキャラクター芝居がきっちりできるところが、芝居のできる人の強みですねぇ。久しぶりの杜さんでしたが、やっぱりこの人の芝居は温かくて素敵です。



ロバータの夫・ゲリーは、山路和弘

この人の、なんというか“悪意の見える薄っぺらさ”みたいな芝居は怖いんですよね。けっこう、外面の尊大さに比べて情けない役だと思うんですけど、さすがに良い味出してました。
ラストの態度もポイント高いです。ホントにかっこいいなあ、この人は(*^ ^*)。





いかにも“薀蓄を語りたい人”がいっぱいいそうな作品らしく、プログラムは充実していてなかなか面白かったです。作品の舞台となった「1979年」という時代について語る対談が一番面白かった。読み応えありましたよ♪

で。
観終わった帰り道、プログラムを読んでいたら「マジック指導・駒田一」と書いてあって、すっごいウケてしまった!!!……なのに、どの場面にマジックがあったのか、思い出せない……(T T)


東京国際フォーラムC「タイタニック」について、のつづき。



■ウィリアム・マードック(一等航海士)戸井勝海

ちょっとインテリっぽい容貌がこの役にはぴったりでした。その割に、底が浅いキャラクターが得意なのはこの人の強みなのか、それとも弱みなのか?などと思いつつ。

彼の見せ場は、船が沈むことが確定した後、船長に「私はあなたの期待に応えられなかった…」と言うところだと思うのですが、ちょっと芝居としては中途半端な印象があったのが残念です。
良い場面なのになあ。
…中途半端、っていうとちょっと違うのかもしれません。
一幕で船長に「何故君は船長にならずに(私の下で)航海士をしているんだね?」と聞かれた時の芝居と、この場面での芝居が続きすぎていて、この台詞自体が頭で考えた台詞に見えてしまったんですよね。
血を吐くような悔恨の中から出てきた言葉、のはずなのに。

一幕での「自信がありません」という台詞が、本当に自信がないから正直にそう言った、っていう芝居に見えたんです。戸井さんの解釈がどうであったのかわかりませんが、私にはそう見えた。だけど、「船長の期待に応えたい!」「応えなくっちゃ!」というプレッシャーに苦しみ、負けてしまった、というふうには見えなかった。
真ん中に立つ自信がなくて、船長を偉大な人だと尊敬しているという解釈なら、もっと熱い瞳で船長を見凝めていてほしかった。憧れの船長を、憧れの目でみてほしかった。

逆に、「あんたがとっとと引退してくれてれば、この船の船長は俺だったんだよ!」くらいの生意気さをもっている解釈もありだと思うのです。芝居的には、このあと銃を持って乗客を脅す(パニックを抑えるために)場面もあるので、そのくらい自信過剰なタイプも解釈としては成立するので。…でも、戸井さんの芝居は、ところどころに自信がほのみえつつも、そこまで確信的ではなかったんですよね。

だから、“中途半端”という印象だけが残ってしまったのでした…。

……すみません、戸井さん好きなので、ちょっと要求が細かすぎるかもしれません(汗)。
歌は多くは無かったですが、相変わらず良い声してますね。嬉しかったです♪

あああ、でも、初演では岡田浩暉さんがマードックだったと聞くと、どんな解釈で演じられていたのか観たくてたまらない気持ちになります…(涙)。船長を憧れの眼で見上げる、一生懸命で優しい航海士を想像してしまったら、止まりませんっ!
誰か教えて。どんなマードックだったのーっ!!
ちなみに、カーテンコールの引っ込みの時。上手側に船長(宝田)、バレット(岡田)、マードック(戸井)と並んでいたのですが。
船長が引っ込むのを袖の入り口で直立不動で(たしか敬礼もしてたはず)待つ岡田さんを見ていたら、岡田さんのマードックはこんな感じだったのかなー?と思ってしまいました(^ ^)。



■ジム・ファレル(三等船室の客)Kimeru
■ケイト・マクガワン(三等船室の客)華城季帆

ジムは、有名な映画「タイタニック」でレオナルド・ディカプリオが演じたジャックと同じような役なのかと思いましたが、だいぶ違ってました。
3等船室、っていうのは、最低の船室。タイタニック号ともなれば、さすがに雑魚寝ではなくて蚕棚みたいなベッドがあったかもしれませんが、おそらくは大部屋です。
彼らは客ではないので甲板に上がる権利はほとんどなく、ほぼ荷物に近い存在として“運ばれて”いた。

それでも彼らは、一等船客よりも皆、若く、明るく、夢を抱いて生きている。
一幕での、一等船客たちのパーティー(船長列席)と、三等船客たちのパーティーの違い。生きているというリアル感の多寡が印象的でした。溢れんばかりのパワーに溢れた三等船客たちが眩しくて、楽しそうで。
ケイトの複雑な人生の陰影、それを丸ごと守ろうとするジムの包容力。
生き残った二人の新天地での生き様は、きっとそれだけで一本のミュージカルになるに違いありません。

Kimeruさんは、舞台で観るのは初めて、かな?だいぶ個性的なお化粧でしたが、元々美形なんだからもっと普通でよかったのに、と思いました。でも歌は良かったです。ケイトに振り回されっぱなしの情けなさがすごく良かった。
ナルちゃん(華城季帆)ちゃんは、「黒蜥蜴」集合日での衝撃の退団から、はやくも2年たったんですねぇ…。宝塚の娘役現役時代は、どうも芝居が空回りしがちな人だという印象しかなかったのですが、今回はすごく良かったです。たしかにこういう芝居をする人に娘役は難しかったかもね…と思ったりしました。
こういう、歌で芝居をつづっていく作品はいいですね。気が強いのにどこか脆い、弱みをもっている女の子がとっても似合ってました。歌はさすがです。胸声で張るところから頭声で響かせるところまで、音色のコントロールをきちんと仕切っていたのが凄い。ボイトレしたんでしょうねぇ………。



■アリス・ビーン(エドガーの妻)入絵加奈子
■エドガー・ビーン(二等船室の客)青山明

金物屋、って言ってたかな?ちょっと成功して小金持ちになった2等船室の客。
まぁ、「中産階級」なんでしょうねぇ、たぶん。同じ船に有名人がたくさんいると知って、「なんとかお近づきになりたい!!」と猪突猛進していく行動力のある妻・アリスが、めちゃめちゃ可愛かったです。加奈子ちゃん相変わらずすごいパワーだなあ(*^ ^*)。
青山さんのおっとりゆっくりと良い感じに対照的で、眼が離せませんでした。そして、そんな二人のキャラクターを如実にあらわしつつ、ついでに一等船客のメンバー紹介をしてしまう波止場の場面の構成に、脚本のピーター・ストーンの底力を感じました。

それにしても……ラストの別れの芝居もそうですが、加奈子ちゃんって、あいう子供っぽいところの残ったおばさんをやらせたら右に出る者はいませんねぇ~!歌はもちろん文句ないし、本当にステキでした。



■ウォーレス・ハートリー(バンドマスター)浜畑賢吉

何がどう、ということもないのですが、居てくれるだけで場面が締まる、さすがの存在感でした。
結構、オケの人が舞台の方まであがってきて演奏することも多かったのですが、浜畑さんは本当に弾いていたような……。あれがフリだったら、それはそれで凄い技術だと思います。

ラストのパニックの中、「もう誰も聴いてませんよ!」という部下の訴えに「音楽は人の心を落ち着かせるんだ」(だったかな)と応える落ち着いた声。ああ、この声がパニックを鎮めるんだな、と納得した声でした。
浜畑さんが居てくれたことが本当に嬉しいです。ステキでした!(^ ^)。



■J・ブルース・イズメイ(ホワイト・スターライン社社長)大澄賢也

イヤらしい、クソ忌々しい“いばりんぼ”な小物、という存在感を全身で醸し出した大澄さんに、心からの拍手を。
イズメイは、この人しか考えられません!とにかく記録が創りたくて仕方が無い、記録のために処女航海の船に無理をさせようとする。無理なはずがないだろう、君が設計した船で、君が船長なんだから、と殺し文句を重ねながら、少しづつ少しづつスピードを上げて、少しづつ少しづ
、逃げ道をふさいでいくその話術の見事さ。
大澄さん、ちょうど一年前の「ウェディングシンガー」のグレンも独特のキャラクターが生きた面白い役でしたけれども、今回も本当に似合っていましたよーっ(*^ ^*)。

二幕。
「誰のせいだ」と船長やアンドリュースに責任を押し付けたイズメイ。
オケボックスの隅に創られた「救命ボート」に、“最後の一人”として“ちょこん”と正座して(?)乗って、タイタニックに残る人々が賛美歌を歌うなかセリ下がっていくときの、パラパラといろんなものが毀れていくようなその貌に、見入ってしまいました。
彼はたぶん、助かってももう、まともな社会生活は営めないのだろう、と、そんな予感の残る壊れ方でした。



■ヘンリー・エッチィズ(一等船室の客室係)藤木孝

なにもかもが終わって、救命ボートが去って、あとは沈むのを待つばかり、となった長くて短い夜。
1等船室を回って、超高級なシャンパンを注いで回る彼。諏訪マリーさんに「あなたは?」と薦められて、「わたくしは未だ仕事中でございますから」とサラリとかわすエッチィズ。
いい男だなあ、と感じ入りました……



■キャプテン・E・J・スミス(タイタニック号船長)宝田明

いやあー、なんかもう、絶対この人ホンモノのタイタニックに乗っていたでしょう!?と思ってしまうほど、船長そのものでした。
久しぶりの宝田さんでしたが、最強ですね。戸井さんゴトキのたちうちできる相手じゃない、って感じでした。
これはもう、「貫禄」の一言で終わり、ってことで…(^ ^)。。






謎の未亡人、ミセス・カルドザ(岡千絵)と、ロジャース(その正体は、トランプ詐欺師のイェーツ/泉拓真)のちょっとしたエピソード、
三等船室の“三人のケイト”の大ナンバー、
小さな物語があちらこちらに散りばめられた、巨大な「船」。

一つの世界そのものでもあった船の中でみた夢、叶った夢、忘れた夢……たくさんの夢の欠片を拾いに行く、観客たち。

世界の全てかと思った船が沈んでも、それでも地球はまだ回ってる。
だから、明日もまた陽は昇り、また沈んでいくのだろう…きっと。

人間の叡智と、神の気まぐれと。
故障もせずに最大速度を超えた速度を維持しつづけた、優秀なエンジンと、
氷山の配置と、いつにない規模。

それでも人は智恵をしぼり、“誰も行った事のない世界に行く”ことを望みつづけるのだろう。
新井素子が「ネプチューン」で語ったとおり、単細胞で海を漂っていた超古代から、ずっと。



東京国際フォーラムCにて、ミュージカル「タイタニック」を観劇してまいりました。



私はこの作品、初演は諸事情あって観られなかったことを大変悔いていたので、今回観ることができて嬉しかったです。キャストがだいぶ変わっていますが、初演もご覧になった方の感想はどうなんでしょうね?私はとても大満足したのですが。


「ファントム」と同じ、モーリー・イェストン作曲のミュージカル。映画「TITANIC」とはストーリーの切り口も音楽も全く違う、独立した作品でした。いわゆる「グランドホテル形式」の作品ですが、最後の結末がわかっているだけに、本家の「グランドホテル」以上にエピソード一つ一つに重みがあって、深く腹にひびいてくる感動がありました。
プログラムで演出のグレン・ウォルフォードが書いているとおり、悲劇を演じていないからこそ、伝わってくる感動だったと思います。


グレン・ウォルフォード女史の演出で観たことがあるのは、「グランドホテル」だけかな?私は。
うーん、賛否のある演出だったと思いますが、とりあえず「グランドホテル」より「タイタニック」の方が彼女の持ち味が生きていたんじゃないかと思います。ラストの演出はあまり好きではないのですが(汗)、その前までのいかにもな「悲劇」じゃない、悲劇的な状況の中で人々がどう行動するかを皮肉まじりに描き出す、という………ああいうのを「英国的」って言うんでしょうかねぇ。すごく好きでした。悲劇をちょっと高みから眺めて皮肉ってみせる、みたいなところの、絶妙な匙加減が。



まぁ、私は涙もろい性質なのでこんなテーマの作品観たら泣くに決まっているのですが、それにしても久しぶりなくらい号泣しました(^ ^;ゞ。
一番泣けたのは、二幕での諏訪マリーさんと光枝晴彦さんのデュエット。
死を見据え、輝かしい過去を振り返りながらしみじみと愛を歌い上げるラヴソングに、本当に“滂沱の涙”でした。
今週末には楽を迎えてしまいますが、今からご覧になる方、タオルハンカチは必須ですよ!




スタッフワークで印象的だったのは、音楽と装置だったのですが……
プログラムには「装置」ってないんですね。「美術」の島川とおるさんってことになるのかしらん?
舞台の中央に橋を渡したような、鉄筋づくりのシンプルでがっしりした装置一つで最初から最後まで通すんですが、橋の上を艦橋に見立てたり、本舞台を3等船室・橋の上を一等船室に見立てたり……船を適当なところで輪切りにして眺めているような、不思議な感覚がありました。
この装置が、本格的に船が沈む時にはセットごと客席側に倒れてくるのが物凄い迫力で、私は1階後方席だったのですが、1階前方席だったら怖いかも、と思いました(汗)。
あれって2階席だとどんな風に見えるんでしょうか…?ちょっと色んな席で観てみたくなりましたね(^ ^)。

私は「ファントム」の音楽がとても好きなのですが、この作品もさすがに素晴らしかったです(*^ ^*)。ただ、映画みたいなキャッチーな曲がなくて、シンプルなメロディの繰り返しだったのであんまり覚えられなくて(涙)。
音楽として耳に残って印象的だったのは、一幕で宮川浩さんと岡田浩暉さんの掛け合いの歌でしょうか。…歌えるほどは覚えられませんでしたけど(T T)。




ストーリーを説明するにも、グランドホテル形式なのでまずは登場人物を紹介しないといけないので、とりあえずキャストごとに整理してみたいと思います!
……メインのキャストだけでも結構な人数なんですけど(涙)。とりあえず順番は、プログラムを基本に。(違うこともありますが)



■トーマス・アンドリュース(タイタニック号設計士)松岡充

舞台で拝見するのは初めて、だと思います。っつーか、何が衝撃って、私はこのプログラムで初めて4月に舞台版「キサラギ」が上演されることを知りました。チケット取らなきゃ!松岡さんが主演らしいんですけど、あの作品の“主演”って家元?古沢さんの脚本そのままじゃなくて別で脚本を起こしてるってことは、映画版の舞台化ってことなんでしょうかねぇ…
………はっ、すみません、全然関係ないのに書かずにはいられず(汗)。


もとい。

「SOPHIA」のボーカルとしてお名前は存じてましたし、歌も聞いてましたけれども、ミュージカルとしてもこれだけ聞かせる歌になるのかー、と驚きました。トランペットかトロンボーンのような、カーンと鋭く突き抜けるような強い響きの声ですね。表現力もさすがでした。
プログラムに「自分、船長、社長の三人は、この船における神である」ということを書いていらっしゃいますが、確かに……と思いました。それだけの存在感と支配力を感じさせる役者ぶりだったと思います。

幕開きのソロでどかんと存在感を見せたあと、しばらくはおとなしく船内をくまなく歩いて私たち観客の案内人のような役割を果たすアンドリュース。このあたりの、社長のあしらい方とか、人々とのちょっとした交流の様子など、芝居も細やかでとても良かったです。
彼が、氷山に衝突した船の上で、やるべきこと・やれることが全て終わってしまった後に
「今ならわかる。船室の壁が低すぎたんだ。ここをこうすればいい、こうすれば誰も死ななかった、今からでもなおせるものなら…」と煩悶しながら歌う、血を吐くようなソロ。
もう彼は神ではなく、一人の力弱き人間として、救えたはずの人を救えなかった罪に苛まれながら船と共に沈んでいく。
しかも、残酷な作者はこのソロの前に船長・社長と三人で「誰のせいだ!」と責任を押し付けあう、物凄く深刻なんだけど切ないほど自分勝手な一曲を掛け合いで歌わせている。その一曲の傲慢さと、最期のソロの苦しさ。観ているだけでも胸が苦しくなるほど、アンドリュースの苦しさと絶望は圧倒的な迫力でした。

……あり得ないことですが、もし万が一「レ・ミゼラブル」に出演してくださるのなら、アンジョルラスで聞いてみたい声だなあと思いました(*^ ^*)。



■ハロルド・ブライド(二等通信士)岡田浩暉

笑顔の優しさといい、集中していると回りの音がまったく耳に入らない様子といい、宙を見据えているアブナい眼つきといい、ブライドのキャストとして他の人は考えられないくらいの嵌り役でした。…でも、初演はたまさん(鈴木総馬)だったんですよね?どんなだったんだろう~~っ!?たまさんなら、歌だけじゃなくて芝居も外すことは無いはずなんだけど、どうにもこうにも想像ができませんわ(T T)。

対人恐怖症で引っ込み思案のブライド。彼にとって、「通信士」という仕事は天職だった。
夜の闇を縫って飛び交う無線電信。一寸先も見えない闇の中、通信士は遠くからの声を聞く。
誰にという宛てもない、「誰かに」向けたメッセージを。
ツー、トン、トン、ツー……無機質な音の向こうに見える、“愛している、聞いて”というメッセージを。

通信士の孤独。闇の中にたった一人で幽り世の声を聞く巫女のような孤立。他の人には聴こえない音に耳をすます存在への、畏怖。それでも彼は、このうえもなく優しい。教育もないボイラー係のバレットの恋文を、そっと受け容れてあげられるほどに。
でも、彼の優しさでは誰一人救うことはできない……。
船が沈むまでの長くて短い時間、皆が賛美歌を歌っていたあの時間を、彼が独りで過ごしたのではないことを祈っています。



■フレデリック・バレット(ボイラー係)宮川浩

3等船室の客よりもさらに下層に属するボイラー係。愛する恋人をイギリスに残して旅にでる。
たぶん、いわゆる“船乗り”のイメージに一番近いのは彼なんだと思います。他のメンバーは、いかにも定期航路って感じ(←どんな感じだよ)がするのですが、彼だけはどこか「いつ帰れるかわからない」というイメージがあるんですよね。あれは狙いなんでしょうか。

「帰ったら結婚しよう」と切なく歌う、バレットのプロポーズソングは、この作品でも随一の甘く美しいメロディでした。ちょっと野生的で不器用そうなバレットが、生真面目な顔をして虚空に見える愛しい恋人の幻に微笑みながら腕を差し伸べる姿に、ほろっ、と(^ ^;

ただ。
宮川さんのガタイや、それに見合わない甘いテノールが、ボイラー係のバレットにぴったりなのはわかるのですが……
うーん、彼に「ダーリーン、帰ったら結婚しよう」って魅力的にかつ切なく歌われると、なんか…「40歳で初恋?いや50歳だっけ?」(←まぁ、そういうこともあるんだろうけど)って思ってしまうのがなー。……私だけ?
うーん、本来ならマリウスキャストの役だと思うんですが、設定年齢は何歳なんでしょうか。浦井君とかも似合いそうなんだけどなー。



■イジドー・ストラウス(メイシーズ百貨店経営者)光枝明彦
■イーダ・ストラウス(その妻)諏訪マリー

商売の一線は退いた、余裕たっぷりの老夫婦。
とにかく素晴らしかった!!褒め言葉も出ないほど素晴らしかったです。
存在の全てが愛おしかった。
印象的なデュエットも、音楽が素晴らしいだけじゃなくて、そこに持っていくまでの芝居がまた素晴らしいんですよ(*^ ^*)もう、あの場面を観るためだけにもう一回観たい!と思ったくらい素晴らしかったです。

そして。ラストのデュエットで全てをもっていってしまって、実は私は、あの曲の後エピローグっぽいラストシーンがあって終わったんだと思ってました……。
アンドリュースのソロも、ブライドのリプライズも、もちろん場面としては観ているしよく覚えているんですけど、ストラウス夫妻のデュエットより前にあったと思い込んでました。
……いやー、お二方に、乾杯♪




メインキャストだけでもまだまだたくさんいるんですが、長くなってきたのでいったん切りますね♪ では♪



今日は、雪組「カラマーゾフの兄弟」について書こうと思っていたのですが。



衝撃のニュースがあったので、そちらを先に。

2月に公演を予定していた、中川晃教主演の「スーパーモンキー」が、タカコ(和央ようか)さんの体調不良により、公演中止になったそうです(T T)。



タカコさん、体調不良って……何があったのでしょうか。公演中止というリスクを負ってまで降板したってことは、かなり心配な状況ってことなんじゃ……(泣)。ファンの皆様の不安はいかばかりかと……


しかし。
宝塚ファンとして、OGタカコさんの体調も心配だけど、
中川くんの一ファンとして、久しぶりの舞台を凄く楽しみにしていたので………凹みました~~っ!!中川くん自身、すごく楽しみにしていたっぽいのに。歌も多いらしかったのに。
代役が見つからず、と松竹さんのサイトには書いてありましたが、まだ公演まで1ヶ月近くあるんだし、手直しして男優でやるとか、アクションを減らして……とか、何か方法はなかったのでしょうか(T T)。
まぁ、いろいろ検討した挙句の中止決定なんでしょうけど、、、、あああ、残念だ!中川くんの舞台が観たかったよ~!!(号泣)


まぁ、こんな大事件になってしまって、復帰の目処もたたないであろうタカコさんや、そのファンの方のお気持ちを考えると、五体満足、元気で、楽しみにしていた舞台がなくなって残念がってる中川くんのファンの立場では言いにくいんですけど。
でもでも、悲しいです(涙)。
ぜひぜひ仕切りなおして、来年でも再来年でもいいから上演してほしいです!!






それにしても「公演中止」って……。
それも「代役がいないから」って……。

最悪のパターンだなー。

こういうのが個人事務所の弱いところなんでしょうか。大手の芸能事務所なら、自分とこの所属のタレントに何かあっても、事務所内でなんとか調整して代役を出すんでしょうに。
代役って、制作側が探す場合と降板する側が探す場合とありますけど、今回みたいなケースはある程度降板する側が責任持って探さないといけないみたいですね。でも、個人事務所だから他にタレントいないし、OGつながりでお願いしようにも「愛と青春の宝塚」と大浦さんの降板があったので、めぼしいところは仕事入っちゃってるし……。
まさかハナちゃんが出るってわけにもいかなかったんでしょうしね(^ ^;




しかも、「体調不良」としか出ないのが気になります。今後詳しいことが出てくるんでしょうか?最近、主演級の役者の降板劇がいくつかありましたけど、“こういう病気で手術をするので”とか、何か具体的な病名まで発表されていたような気がするのですが。

……なんにしても、心配ですよね(; ;) 。新年早々、辛い思いをしているであろう「スーパーモンキー」に関わった全てのスタッフと役者に、なにか良いことがありますように…。





日生劇場にて、「ラ・カージュ・オ・フォール」を観劇してまいりました。



塩田明弘さんは、「ラ・カージュ」を振らずしていったいどこにいらっしゃるのでしょうか?

……と思ったら、「エリザベート」を振っていらしたんですね。
名指揮者の、なんて無駄遣い。
軽やかで明快な音を真骨頂にするマエストロに、重厚で野心的なウィーンミュージカル……。
「レ・ミゼラブル」も、短縮版(2003年)から塩田さんが振っていらっしゃいますが、どうも無駄遣いな気がしてならないんですよね。彼に重厚な音楽が作れないとは言いませんが、あの音楽の軽さは本当に編曲が変わったせいだけなのか?と思ってしまうし。なにより、最高にゴキゲンで楽しい音楽を作れる人に、なにもこんな作品をやらせなくても……と思ってしまうのです。
まぁ、東宝的には一番の稼ぎ頭で“大事”な作品をマエストロに任せている、という認識なんでしょうけれども。


ああ、でも、「ラ・カージュ」は、塩田さんの出世作なのに~~~っっ!!まだ市村さんが卒業してもいないのに、指揮者が先に卒業するなんてあり得ない~(涙)。







……のっけから文句言って、すみません。実際に指揮を担当されていた井村誠貴さんには、何の不満もありません。ごめんなさい。





で、「ラ・カージュ・オ・フォール」。

初演からずーっとジョルジュを演じてこられた岡田眞澄さんが亡くなられてから、初めての上演。ダンディでおしゃれでステキなオジサマ、の代名詞のようなジョルジュ役を演じられる役者が他に思いつかなくて、「今度ラ・カージュが上演されるときにはもう市村さんのザザじゃないかも…」と思っていたのですが、まさかの鹿賀丈司さんのジョルジュが実現!!
鹿賀&市村の共演(しかも市村座長)なんて昔は想像も出来なかったのに、世の中っていうのはすごいですね。「ラ・カージュ」は基本的にザザが単独主役の作品なのに、よく鹿賀さんがOKされたな、と思いました。…まぁ、キャスト紹介の並びは一応ジョルジュがトップになっていたのは、東宝側も気をつかったのかな?(^ ^)。

市村ザザの「ファイナル」を飾るに足る、見事な公演でした。満足です。はい。
「もっとマスカラを!」の見事な芸を堪能できて幸せです。さすがの美貌も衰えは隠せませんが、それを気合でカバーしていらっしゃるあたりはザザそのものでした。
もう市村さんの「I AM WHAT I AM」が聴けないのかと思うととても寂しい。また「市村座」やってください!




鹿賀さんのジョルジュは、台詞も歌もあぶなげなく、包容力があってとてもステキでした。「砂の上のラヴレター」はさすが!の歌唱力。岡田さんに比べるともう少し情熱的な、優しいばかりではないジョルジュでかっこよかったです。
…それにしても。「かもめ」で復活を確認していたのでそんなに心配していたわけではないのですが、やはり最初の台詞がキレイに出たときにホッとしてしまうのは否めない。「ジキルとハイド」の時の衝撃はなかなか抜けないものみたいです。やはり、役者はあまりギリギリまで舞台に立つべきではないと思いますね。初めての観客が「おかしいな」と思うような状態で舞台に立ってほしくないです。後々まで不安を引きずってしまいますから。




ダンドン夫妻は、森久美子&今井清隆。無駄に美声のお二人、とても良かったです。
一人息子のジャン・ミッシェルは、山崎育三郎さん。今回の目当ては実は彼だったんですが、あの優しくて無力な感じがとても良かったです。このまま純粋で優しい青年のまま伸びていってほしいなあ…。



ジャン・ミッシェルの恋人・アンヌは島谷ひとみさん。「ガールフレンズ」に出ていらした方ですよね?本当に申し訳ないのですが、私は当たり前のように(ごめんなさい)池田有希子さん版を観にいったので、島谷さんは初めて拝見したのですが……(汗)。
さすが本職の歌手だけあって、キレイな声でした。ただ、踊りはもしかして初めてなのでしょうか?
この役は本来バレリーナの役で、たしかブロードウェイオリジナルはプロのバレリーナだったはず。私が初めて「ラ・カージュ」を見たときも元バレリーナの床嶋佳子さんで、歌はかなり大変なことになっていましたが、ワンシーンとはいえダンスの美しさに「このためのキャスティングだから仕方ないな」と思ったものです。
その前は遥くららさん・毬谷友子さん、そして床嶋さんの次が卒業直後の風花舞嬢と森奈みはるさん(1999年)。踊れないキャストは今回が初めてだったと思います。が……
やっぱりこの役は、踊れることが一番大事!!なんですよね(T T)。

歌もあるので全く歌えないバレエダンサーをキャスティングするのはちょっと疑問ですが、たいした歌があるわけでなし、あえて島谷さんを選んだ意味がよくわかりませんでした。
私は風花嬢のアンヌが一番好きでしたが、宝塚の娘役出身者でダンサーと呼ばれた方なら誰でも似合うでしょうにねぇ…。今だったら舞風りらちゃんとか、踊れるし歌えるし、ぴったりだと思うんですけど。他の仕事が入ってたのかな?




ジャクリーヌは香寿たつき。「ルドルフ」のラリッシュ夫人も良かったですが、今回もはまってました。
シャンタルの新納慎也、ハンナの真島茂樹をはじめとする「Folles」の皆様が、相変わらず最高でした。この作品は、なんたってこのレビューシーンを楽しみに観にいくのが基本です!!(力説)。
振付や衣装は新しくなっていたような気がしますが(すみません、詳細は覚えていません)、いつだって最高の、今となっては宝塚でも滅多にみられないほど完璧な「レビュー」なんですよね(*^ ^*)。また観ることができて、幸せです。




物語としても本当によくできているし、音楽も素晴らしい。いい作品だなあ、としみじみと思います。
本当はもっと毎年のようにやってほしい作品なのですが、なかなか上演されないのが残念。

特に今回は、市村ザザの「ファイナル」という売り文句がはっきりと出てしまった以上、新キャストが出るまでまた数年あいてしまうんだろうなあ……(T T)。


個人的には、次代のザザには、昨年「蜘蛛女のキス」で新境地をひらいた石井一孝さんを期待していたりするのですが。この役を切望していた岡幸二郎さんもいいけど、どうなるかな?(岡さんがザザの悲哀を演じられる役者になってくれるなら、それが一番嬉しいのですが……)



まぁ、先のことを考えても仕方が無いので。
とりあえずは、この貴重な公演を観ることができた自分の幸福に、乾杯♪




劇団四季劇場「秋」にて、「劇団四季ソング&ダンス 55ステップス」を観劇してまいりました。


ちなみに、 ★☆★ただいまクリスマスカーテンコール中★☆★ でした(^ ^)。
ご興味のある方は、あと数日がチャンス!?(最近どっかの回し者率高いな私)



「ソング&ダンス」シリーズでは、8年前の「Over The Century」にハマって通いつめた過去がある猫。
アレ以来の「ソング&ダンス」でしたが、似ているところもあったし、似ていないところもありましたね。とりあえず、もはや「四季ファン」とは言えない猫にとっては、「あまりよく知らない人ばかりだった」という感じがどうしてもしてしまって……
それにしても、阿久津くんがヴォーカルパートの筆頭メンバーになる日が来ようとは!!

彼らが現実に『今が旬』のスターたちなのであって、『Over The Century』で唄ったり踊ったりしていたメンバーはこの数年で殆どが退団してしまったのだ、と、そんな現実にまだ向かい合えていないようです……。






構成・演出・振り付けは、もちろん加藤敬二。
でも、残念ながら加藤さんが出ている回は観られず、出演者は以下のとおりでした。

ヴォーカルパート:
阿久津陽一郎、高井治、李涛
井上智恵、早水小夜子、花田えりか

ダンスパート:
脇坂真人、岩崎晋也、西尾健治、萩原隆匡、松島勇気
厂原時也、斎藤洋一郎、徳永義満、神谷 凌

坂田加奈子、柴田桃子、高倉恵美、杏奈、泉春花
加藤久美子、須田綾乃、恒川愛、駅田郁美、斉藤美絵子




「アプローズ」で幕をあけ、「アイーダ」「ライオンキング」で、ぐっと観客を引き込み、盛り上げる。続いて「壁抜け男」を挟んで「ノートルダムの鐘」「メアリ・ポピンズ」「マンマ・ミーア」。そして「サウンド・オヴ・ミュージック」で客席を巻き込んで、「リトルマーメイド」でひと息いれて、ラストは「美女と野獣(BE OUR GUEST!)」で盛り上げて、幕。


宝塚の「La Festa!」は、“源流”ともいうべき民謡メドレーで幕をあけましたけれども。
四季は「財産」である作品、率直に言えば“今一番の稼ぎ頭”であるディズニーミュージカルで始まった、というのが面白いなーとあらためて思いました(^ ^)。
“偉大な作曲家を偲んで”というお題目を唱えつつ、自らの原点を大切にしようとする宝塚と、
常に貪欲に新しいものを求めて成長しつづけるパワーを持つ劇団四季。
どちらも、日本の興行界では化け物クラスの動員を誇りながら、かたやオリジナルを大切にし、スター制度に拘って観客の好みの多極化に悩み、かたや「大規模な商業ミュージカルで儲けを出してフランスや日本の良質な現代劇を提供したい」と語り、ファンの反対を押し切ってキャストホンを廃止してのける。

今年55周年を迎えた劇団四季と、
来年95周年を迎える宝塚歌劇団。

どちらも、100年後200年後まで元気に残ってくれますように、祈りつつ。
(…その前に、日本が無くなったりしませんように……)




さて。
それでは、印象に残った場面をいくつか。


「ライオンキング」より「早く王様になりたい」
ボクシングの試合を模した演出が面白かったです。今回は、他の曲がどれも原作のイメージを大切にした演出だったので、これだけすごく違っていて面白かった。




「ノートルダムの鐘」より「トプシー・ターヴィー」(阿久津陽一郎)
あ、あ、阿久津くん、すげーーーーっ!!
色っぽくてワルくて妖しい。凄かったです。それこそ「キャバレー」のMCとかやらせてみたいくらい色っぽかった!!どうにも「アイーダ」のラダメス(=筋肉で考えるタイプ)のイメージが強くて、こういう色悪ができるタイプだと思っていませんでした(^ ^;ゞ
ちょっとユダ(ジーザス・クライスト・スーパースター)とか観てみたい気がしました。

そして、この場面の立役者はもう一人。エスメラルダを踊った加藤久美子さん。
宝塚ファン的には、卒業した舞城のどかちゃん系のゴージャス美女。浅黒く肌を塗って、超オトコマエだった!他の場面でのダンスをみていると、ちょっと男っぽい直線的なダンスを得意とするタイプみたいで、柔らかい女性的なダンスはいまいちなのかな?と思ったのですが、ここのエスメラルダの振り付けは本当に男前で、あれをあれだけ男前に踊りきれるダンサーは少ないだろうなーと思いました。



「マンマ・ミーア」から、「この手をすり抜けて」(早水小夜子)
早水さんのドナは観たことがない(っていうか、保坂知寿さんしか観たことがない)のですが、今の早水さんなら観てみたいかも、と思いました。
しっとりとやわらかく、切なげなのにあたたかみのある声。末次美沙緒さんのような「母」そのものの存在感ではなくて、やっぱりこの人の当たり役はグリザベラ(CATS)なんだなあ、と思ってしまいますが、この曲はすごく良かったです。
ソフィの花田さんは可もなく不可もなく、って感じでした。下手ではないけど、印象に残らない歌を歌われる方ですね。




「美女と野獣」より「BE OUR GUEST!」
李涛さんのルミエールは、カジモド(「僕の願い」)より数段良かったです(*^ ^*)。カジモドはやっぱり、ビデオで吹き替えをした石丸幹二さんとか、Over The Centuryでしばらく担当していた道口瑞之さんとか、ああいう超美声で肺活量が半端なくてロングトーンを支えられるひとで聴きたい曲なのですが、ルミエールは解釈次第でいろんなアプローチがあるので。
李涛さんのルミエールは、ちょっとコミカルなルミエールで、可愛かったです(はぁと)
【注意※申し訳ありません!!コメント欄でご指摘いただきましたが、この曲を歌われたのは李さんではなく、松島勇気さんだそうです。大変失礼いたしましたm(_ _)m。】


群舞は黒燕尾。いや、振り付けはカッコよかったんですけど、、、
すみません、私は宝塚ファンなもんで、どうしてもみなさんの着こなしが許せません………(汗)。黒燕尾のパンツがだぶだぶってどゆことよっっ!?
一番キレイに着てたのは坂田&高倉のOver The Century組(しかも女性)だったのは偶然でしょうか…?黒燕尾ってそれ自体が“芸”なんですねぇ。

ま、文句は言いつつも、やっぱり振付はカッコよかったです。はい。盛り上がりましたよ、さすがに♪




二幕は、前半が劇団四季オリジナルミュージカル(昭和三部作含む)、後半がロイド=ウェッバー特集でした。で、ラスト前に「ヴァリエーションズ」が入って、「スーパースター」で〆、という構成。



「夢から醒めた夢」から「夢を配る」(阿久津陽一郎)
……阿久津配達人、キターーーーっ!!と興奮しました。
寡聞にして知らないんですけど、彼は配達人やったことがあるのでしょうか?ものすごく似合ってましたけどなにか。怪しげで妖しくて。
ちょっと楽しみな人になりましたわ♪



「ユタと不思議な仲間たち」から「夢をつづけて」(井上智恵)
三木たかしの名曲、作品のラストを見送る一曲ですが。
可憐なソプラノではなく、経験豊富な智恵さんの声で聴くと、ますます森新一か森昌子あたりがカバーしていそうなナンバーに聴こえて仕方が無い……(; ;)
公演タイトルが「ソング&ダンス」なんだから、「ユタ」から持ってくるにしても体力づくりにすればいいのにーとちょっと思ってしまいました。




ここから、「異国の丘」「李香蘭」「南十字星」と“昭和3部作”の音楽が流れるのですが……
正直、ショーの構成として、ここの流れの意味がよくわかりませんでした。
作品を象徴するナンバーはほとんど使われていないし、でも全体を通して一つの場面になっているわけでもない。扱いがすごく中途半端でした。もっと、作品を象徴する曲を1~2曲と、ダンスナンバーにできる曲(「ラグタイムバンド」はそのままでいいから、「バリ舞踊」をやめて李香蘭の「五族協和」にするとか…)を入れて構成した方がよかったのでは、と思うんですよね。

「李香蘭」を象徴する曲が「二つの祖国」なのは納得なのですが、「異国の丘」と「南十字星」は違うだろう!!自分とこの劇団が、思いをこめて(ちょっと押し付けがましいけど)メッセージとして発信していこうという作品なのに、この切り口はないんじゃないか、と思いました。




「ジーザス・クライスト・スーパースター」から「ピラトの夢」(高井治)
高井さんのピラトは本当に絶品ですが、この場面(「祖国」の次)にこの曲が流れるとちょっと驚きます。智恵ちゃんの「私は彼がわからない」ではダメだったんでしょうか……(涙)。




「CATS」から「ラム・タム・タガー」(阿久津陽一郎)
いやー、阿久津さんすっかり「ソング&ダンス」の顔ですね!!
たしかにこのメンバーだと阿久津くんしか唄う人居ないけど……びっくりしました。
色っぽくてかっこいいです。ちょっと乱暴だけど、まぁ魅力にマイってもいいかな!?と思いました(*^ ^*)。




「CATS」から「メモリー」(早水小夜子)
十八番、というのはこういうものを言うんですね。
Over The Centuryでも同じ曲を唄っていた早水さん、さすがの貫禄でした。
シラバブは花田さん。彼女はシラバブが一番良かったような気がします。純真無垢でなんの色もないから。

そして!!
月明かりの中、紅いドレスで踊る女(演出としてはOver The Centuryと同じだけど、振付は全然違いました。ダンスの方が前に出てくる感じ)の高倉恵美さんがあまりにも美しくて、本当にステキでした!
相変わらず、白くて滑らかで傷一つない背中が輝くようです。小顔で首が長くて腰が豊かでスタイル抜群!本当に美しかった……うっとり。




「オペラ座の怪人」より「ミュージック・オヴ・ザ・ナイト」(高井治)
これまた十八番とはこのことか、と思いました。はい。実は高井さんのファントムって一回か二回しか観ていないのですが、また観たいなあ~~~!!

クリスティーヌはかなり本格的なバレエで華を添える感じでした。斉藤美絵子さん。最後の方で男性のバレエダンサーも出てくるのですが、こちらは松島勇気さんだったのかな?
今回ダンサーパートは本当に脇坂さんと坂田さんと高倉さんくらいしか知っている人がいなくて、あまりのメンバーの変わりように心底びっくりしました(T T)。

バレエのレベルとかは良くわかりませんが(^ ^;ゞ、斉藤さんの踊りは素晴らしかったです。音もなくふわっと跳んで、ふわっと降りる、その時間の流れが何か不思議なくらいでした。
高井さんの美声に酔い痴れながら、あの踊りを観る幸せ……(*^ ^*)。



「エヴィータ」から「ブエノスアイレス」(井上智恵)
智恵さん本領発揮!これまた十八番!!
このあたりは。本当にベテラン陣が十八番を出しまくりで、本当に「ミュージカルの花束」本領発揮、って感じでした♪演出の流れもよかったし、楽しかった!!




そして。
盛り上がって、盛り上がって、盛り上がったところで!

「ソング・アンド・ダンス」より、「パガニーニのヴァリエーションズ」

もちろん、加藤敬二さんがいないんだからトップダンサーは坂田加奈子。
暗い舞台にピンスポが入った瞬間に、涙が出るほど懐しかった~!(感涙)。

大好きだった「ヴァリエーションズ」。
あの一場面のために通った…とは言えないけれども、あの場面がなかったらあれだけの回数はいかなかったかもしれません。そのくらい、大好きで大好きで、見飽きることのない場面でした。
加奈子ちゃんのヴァリエーションズ。

…加奈子ちゃん、すいぶん痩せました?いや、全体のバランスが女らしくなったせいかな?
8年前は、むくつけき(笑)男たちを従えて誰よりも男前だった加奈子ちゃん。今は、一回りほっそりと(回りが大きいのかな?)小柄になって、屈強な兵士たちに守られる姫君みたいでした。

ただ守られるばかりの花じゃないのはもちろんですけど、でも、“花”だった。
あの、加奈子ちゃんが。

……すごく不思議な光景、でした。



ああああ、こうなってみると、「ヴァリエーションズ」が観たかったのはもちろんだけど、どーして「コンタクト」のイエロードレスがないんだあああああっっっ!!と叫びたい(汗)。
色気のひとかけらも無かった時代でさえ、あんなに魅力的でカリスマに溢れたイエロードレスだった加奈子ちゃん。
今の彼女のイエロードレスは、文句なく最強かもしれないじゃないか!(ラインの補整も詰め物の詰めこみ方も、だーいーぶ巧くなったことだし!)観たい!観たいぞーーーーっ!!





ヴァリエーションズが終わったら、「ジーザス・クライスト・スーパースター」で締め。

そのあとフィナーレ(パレード?)があって、バンドの紹介があって……

いったん幕が降りる。


で。袖から齋藤洋一郎さんが登場。「I GOT RYTHEM」のタップでカーテンコールの始まりです。


曲目リストによると、この後はそれなりに曲を用意していたようですが、とりあえず「クリスマス特別カーテンコール」期間中は、タップが終わったらクリスマスソングメドレーになってました(^ ^)。
みんながサンタ帽かぶってくれて、盛り上がってましたよーーー♪




何度も何度も幕があがって、
何度も何度も感動を伝えることができて、
…とっても楽しかったです。




帰りには、舞台上で俳優さんたちが勢ぞろいして撮った写真をプレゼントしてくれました。
…芝さんがいたり、実際にその日の舞台に立っていた人が映っているわけではないのが残念でしたが(汗)、いい記念になりました。

来年になって、カーテンコールが通常に戻った頃に、もう一度行ってみようかなー、なーんて思ったりしつつ(^ ^)。
でもやっぱり、「Over The Century」は楽しかったなーーーーー(元ファンのぼやき)



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シアタークリエにて、「RENT」を観てまいりました。



「RENT」が東宝主催で上演される、と聞いたとき、私にはかなり強烈な拒否反応がありました。
「ええーーーーーっ!!」って感じ。
東宝でやる作品じゃない、と思ったんです。だって、「RENT」を創ることができるのは、いわゆるRENT HEADS、RENTフリークだけだと思うから。


……ごめんなさい!!
東宝のスタッフは、本当に良い仕事してくれました。

「ジキル&ハイド」と「レ・ミゼラブル」の短縮版で絶望して以来、東宝さんには何も期待しないようにしていたもんで、つい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。






作・演出のジョナサン・ラーソンが初演初日直前に亡くなった、というドラマで有名なこの作品。

でも、1996年のブロードウェイ初演から今日まで人気が続いているのは、どっかの三面記事みたいなドラマのおかげではなくて、ただ、この作品の持つチカラです。
だって「RENT」は素晴らしい。音楽も素晴らしいし、歌詞も良いし、なによりもテーマが本当に明快でストレートで、そして、純粋で力強い。

でも、素晴らしい作品を素晴らしい舞台に仕上げるには、スタッフ側にも作品そのものへの共感と愛、そして、その作品をよりよいものにするためにどんな犠牲を払おうとという意思がなくてはなりません。それがなければ、その素晴らしいテーマも観客には届かない。

そして、「RENT」には、関わるスタッフをそういう気持ちにさせるナニカがあるのだと思います。



今回演出を手がけたエリカ・シュミット。寡聞にしてお名前は知りませんでしたが、小さな舞台で良い仕事をしている方のようですね。この人に声をかけた東宝スタッフ、中でもプロデューサーの小嶋麻倫子さんには、心からの賞賛と感謝を捧げます。
ええ。「RENT」は「今」の物語だから、レ・ミゼラブルみたいに30年も同じ演出でやるべき作品じゃないんです。なのに、今でもほとんどの国では初演演出を踏襲してやっているはず。これだけ完成度の高い成功作品の演出を変えるのは勇気がいるうえに、変更にOKを出してくれるオリジナルの作者がいないんですから…。
しかも、演出を変えるとなった場合に相手にしなくてはならないのは、完全に伝説化しているジョナサン・ラーソンの“イメージ”。マークのマフラーを変えただけで文句が出るかもしれない。ミミのブーツを変えただけで、「そんなキャラじゃない!」といわれるかもしれない。そのくらい、観客の幻想も執着も強烈な作品なのですから。





でも。




演出は変わっても、やっぱり「RENT」は「RENT」でした。

切なくて痛い物語だったことには変わりは無いし、コリンズの絶唱に涙は止まらず、なのも、
終わったあとの爽快感も、変わらない。

衣装も違うしセットも違うし、キャストが違うだけじゃなくてアンサンブルの役の振り分けが全然違うから結構細かい所で印象が違ってましたね。男性が歌ってたはずのところが女性だったり。歌の順番は同じでしたけど、編曲も結構違う。あと、歌詞が随分変わってました。同じなところもあるけど、知ってる歌詞と違うとどうしても『違和感』になるもので、これは慣れるまでちょっとかかりそう。

でも、あくまでも「RENT」は「RENT」。
迷って、惑って、怒りっぽくて、
それでも真っ直ぐに前を見て進む、“若者”たちの物語でした。








で。

とりあえず、
米倉利紀さんのコリンズが素晴らしかった!

初演以来、日本でコリンズといえばこの人しかいない!と思っていた石原さんの声にも負けぬ、柔らかな低音の響きに惚れました。はい。
石原さんの創ったキャラクターより若くてハンサムで、マークやロジャーと同年代で、『無茶』をしても不思議のない、悪戯っ子な一面を残したままの「天才青年」。

全体に、“若さ”が印象的な演出で、若いメンバー(アンサンブルの数人を除く)でしたが、その中でもコリンズの若さと軽やかさが一番印象的だったような気がします。その“若さ”ゆえに、エンジェルへの惜別の「I’ll Cover You Reprise」が、悲しい別離の歌ではなく、真摯なラヴソングでありえたところがすごいな、と。
天国への階段を昇るエンジェルと、その背の翼を見据えたまま、その耳に届くようにと歌い上げるLove Song。どここまでも高く飛翔する、やわらかで豊かな響き。
本当に、素晴らしかった!(*^ ^*)コンサートあったら行きたいよぅ~~…。(←I’ll Cover Youを歌ってくれるわけでもないのに…?)






森山未来くんのマークは、予想よりずっと似合ってました。
この役は、こんな風にトリックスターとして創ることができたんですね。ダンサーなのに、なんでこんな踊らない役(初演ではせいぜいタンゴ・モーリーンくらい)なのかと思いましたが、アンサンブルに混ざって踊りまくりだったことに驚愕(^ ^)。

この作品はもともとマーク視点の物語として創られていますが、今回はトップクレジットを張っているだけあって、完全にマークが主役の物語でした。日本初演は「マークが語るロジャー」が主役(トップクレジットは宇都宮隆さん)だったんですが、今回は、マークが主役として自分の進むべき道を探す物語になっていましたね。
ロジャーが主役だと、どうしてもロジャーとミミのラヴストーリーがメインになってしまいがちなのですが、主役がマークになると、“まともでつまらない男”であるマークの「回りの個性的な人たち」が強調されて、群集劇っぽいつくりになっていたと思います。


ただ、再演のラストにやっと腑に落ちた「なぜマークはアレクシーの誘いを断るのか」が、今回歌詞がだいぶ変わったこともあって、また見えにくくなってしまっていたのが残念でした。
あそこは、山本耕史さんの芝居が凄くて、「What You Own」が作品全体の一番の山場になっていたくらい凄い迫力だったのに(T T)。せっかくマークが主役という演出なんだから、そこはもう少しがんばってほしいなーと思いました。





ダブルキャストの方は、両方観てからまとめてコメントさせていただくとして……
とりあえず、シングルキャストの方のみ。


ジョアンヌのSHIHOさんは、どちらかというとアレクシーとか向きの声なんじゃないかと思いました。ジョアンヌはもう少し低音に豊かな響きがあった方が、モーリーンとの言い争い(「Take Me Or Leave Me」)が効果的になるんですが……。かなり硬めの強い声なので、モーリーンの声とぶつかってしまって残念でした。
今まで観たジョアンヌの中では一番の美人さんで、スタイルもよくてステキでしたけど(^ ^)。




ベニーの白川裕二郎さんは、、、「HONK!」以来だよ!!すっげー懐かしい!!(^ ^;ゞ
すごい格好良くなっていて吃驚しました!歌もさすがです♪ 私は、再演の泉見くんのベニーがすごく好きだったのですが、白川さんも芝居の方向性は再演系のベニーでしたね。皆(マーク、ロジャー、コリンズ)と仲良くしたくて、彼らと一緒に見た夢を追いかけているベニー。なのに、どうして皆が“語り合ったあの夢”を忘れてしまったのかが理解できない、という、子供っぽい寂しさ。
そういう子供っぽさを、うまく出していたのが良かったと思います。そして、ハンサムなのでミミとの並びがとってもお似合い(^ ^)。ロジャーが嫉妬するのも良くわかる二枚目っぷりでした(*^ ^*)。




メインキャストは、本当に森山くんと白川さん以外誰ひとり知らなかった私ですが(望月英莉加さんが以前RENTに出ていたRYO-KOさんだと知ってびっくり!!です)、…アンサンブルは結構知ってる(笑)。元マリウスの安崎求さん、宝塚OGのYOKO(汐美真帆)さん、元四季の田村雄一さん、RENT組の彼方リキトさん、、、みなさん元気でやっているんだなあ、と感慨深く思います。
「RENT」初演・再演メンバーも、今でも結構いろんな作品でお見かけすることが多くて。エンジェルのKOJIROさんはこないだ「DUET」で久々にお会いできたし、森川美穂さんも活動再開されているみたいだし……RENTフリークとしても嬉しい限りです★




なんだか、「RENT」という作品について、とか全然語ってませんけど……大丈夫かな(汗)。
「昨日も 明日も ない/今日を生きるだけ」という歌詞がなくなってしまったのはとても残念でならないのですが(T T)、「未来も過去もいらない」という歌詞も、もちろん意味はおんなじで、
要するに「NoDAY But TODAY」…「今この時を生きるだけ」なのだから。

庇いあって、支え合って、ありのままを認め合って、尊重しあって、そうやって“今”を生きていく。
「I’ll Cover You」、「Life Support」、「I Should Tell You」……
そして、「Seazons Of Love」。

シンプルでシリアスな、いろいろな、愛。



「愛してる」と真っ直ぐに告げる愛と、「どう言えばいいの?」と問いかける愛。
どちらも同じ、“LOVE”…それだけ。




新生「RENT」。

根底にあるものは、ジョナサンが描いた夢と変わっていなかったと思います。
そこに愛があるから。だから「No DAY But TODAY」なのだ、……と、その一番重要なポイントだけは。

チケットはあと一枚持っていますが、なんとかもう一回増やしたいなーと思っています★
米倉さんの歌をもっと聴きたい!!



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新宿FACEにて、女性三人(シルヴィア・グラブ、林希、蘭香レア)のユニットによるライブパフォーマンス「Gravity Vol.3」を観てまいりました。


いやー、楽しかった!
20時スタートの全席自由ワンドリンク付、っていうから、もっとライブっぽいノリなのかと思っていたのですが(^ ^)、普通のパフォーマンスでした。
元々、シルヴィア、林希、岡千絵さんの3人で始まった「Gravity」。私は、2年前の岡千絵さんがいたときのを観たのですが、去年はレアちゃんが参加したにもかかわらず、どうしても行けなくて(たぶん、何かの遠征か出張とかぶっていたんです…涙)、今年は絶対に行くぞ!と思っていたのですが★無事観ることができて、本当に良かったです(^ ^)。


舞台は、ファッションショーとかでよくある、センターにせり出した形の舞台。
前回はすごく小さなところだったので、舞台が広くてびっくりしました。
客席は超豪華だった……(*^ ^*)ジャニーズの子がたくさん来ていたのですが、誰の関係かな?他にも役者やら演出家やら、どっかで見たことある人ばかりで、ちょっとキョロキョロしてしまいましたよ!!





スタートが20時だったので、せいぜい1時間半くらいの短いショーだろうと思っていたのに(涙)、15分の休憩を挟んで二幕、た~っぷり魅せてくれました!

一幕は演歌(じゃないものもあったけど)のメドレーとアニメメドレー(@ @; でハジケまくり。二幕はミュージカル曲を中心に、ちょっとJazzyに大人っぽく。
基本的にシルヴィアがリーダー、林さんが上手、レアちゃんが下手。絶対下手側!と思った私は正解だったかもしれません(*^ ^*)目の前でレアちゃんが踊ってくれて幸せだった~~~(はぁと)

あ、でも。いつも「衣装の布が少なくてすむ」と言われるレアちゃん、今回に限ってはむしろお姉さま方の方が露出は大きかったかと(^ ^)。なんたって、二幕通して一回も腹を出さなかったのはレアちゃんだけだった!!林さんは二幕ともへそ出し。シルヴィアは一幕はへそ出し、二幕は腹は隠したけど背中は前回という露出っぷり。
レアちゃんは、太腿(←太くないけど)は出してくれたけど、腹は出しませんでした。

なんて勿体ない!!

……と思ったことは、内緒です。




客電が落ちてから、客席の両側に設置されたスクリーンでちょっと前振りの映像が流れた後、3人が登場。
一幕のオープニングは、「りんご追分」。なんと、3人とも濃い色の浴衣でした!!

シルヴィアはショートで紅いメッシュの、ちょっとこないだの「SHOWTUNE」でウタコ(剣幸)さんが被っていたのと似たような形の鬘をかぶって、ちょっと濃い目のメーク。林さんはレゲエ、レアちゃんは軽やかな巻き毛を左側にまとめて、メークはおとなしめ。


「Gravity」⇒「引力」⇒「ニュートン」⇒「りんご」っていう連想ゲーム(byシルヴィア)の結果として「りんご追分」で浴衣でのOpeningになった、っていのは、後でトークでばらされてましたけれども。
ちょっと面白いコーラスで、良かったですよ。「りんご追分」。


曲が終わって、テンポが変わると、レアちゃんから前(客席の真ん中らへん)まで出て、「Sexy!レア!」と紹介を受けながら、浴衣を脱いでポーズ!
黒いビスチェにピンクチェックの超ミニ、黒いブーツ。いやーーー、スタイルの良い人は何を着ても似合うんですけど、レアちゃんってホントーーーーにスゴイですっ!
私は前方席だったので、脱いだ瞬間の様子はシルエットで見えなかったのですが(T T)、通路を戻るレアちゃんが超可愛くて幸せでした♪
「蘇州夜曲」から「東京の屋根の下で」まで9曲、懐メロというにも古すぎる曲ばかりでしたが、3人とも物凄く楽しそうでした。一番印象に残ったのは、シルヴィアの「かもめが翔んだ日」かな。レアちゃんの「夜が明けたら」も、椅子を使ったパフォーマンスも含めてよかったです。

総じて、一番低いパートが常にレアちゃんの声なのが不可思議な違和感でしたね。考えてみれば、元男役なんだから低音部が得意なのも不思議はないんですけど、見た目とのギャップが激しすぎる(@ @)。…シルヴィアや林さんと互角に歌えるような歌唱力は無いはずなんですけど、二人より低い音域が得意なのもあって、うまく聴こえました。
あのけだるげな声が大好きなので(^ ^)、久々にたっぷり歌が聞けて嬉しかったです♪




歌っていてもトークしていても、いつも自然体で面白いシルヴィアと林さんに比べて、レアちゃんは物凄くキャラクターを造り込んで舞台に立っていました。終始「Sexyレア」という役を演じていた印象。
自分の美貌とスタイルに絶対の自信をもっていて、他の人をちょっと見下していて、外見を磨くことに必死で、しわの一本に大騒ぎする、イヤミで高慢ちきな女。
そんなイヤミな女を可愛らしく、シャープに演じていて、すごく面白かった。

一応、3人の役割分担としては「Sexyレア」「Wildのんちゃん」「Coolシルヴィア」ということになっていたようですが、レアちゃんはSexyというよりむしろSharpだったし、シルヴィアはCoolというより、むしろぼけぼけで可愛かったです(^ ^;。




演歌シリーズの次は、ボロボロなトークをはさんで、アニメメドレー。
こちらは私と世代もぴったりで(笑)。「ルパン三世」のオープニングなんて、前奏聴いただけでスタンディングしたくなりましたわっ!!
次はCAT’S EYEをシルヴィアメインで。
そういえば、あれは3姉妹の話だったなあ、とか思いながら見ていたら、レアちゃんが曲の途中から後ろにひっこんで水を飲みはじめました。お、これは次がソロだな、と思っていたら……「キューティーハニー」ならぬ「キューティーレアー」(^ ^ゞをフルコーラス歌ってくれました
いやーーーー、ありがとう!(誰に)

歌い踊るレアちゃんに見惚れていたら、次の曲のオープニングでいきなり現実に。
林希嬢の「キャンディ・キャンディ」は、「ぶさいくだって気にしないわ」で始まる、林希ストーリー。…鏡は「笑ってノンちゃん♪」って歌ってくれるらしいです。
いやー、寝転んで足をぶらぶらさせながら肘をついて歌う林さん、超可愛かった!

ゲゲゲの鬼太郎から銀河鉄道999(映画版主題歌)まで、誰が選んだのか知りませんがどの曲も楽しくて楽しくて。しかも替え歌多いし(笑)。
アニメメドレーの後、2曲(「やさしい悪魔」「翼の折れたエンジェル」)歌って休憩に入ったのですが、この二曲も含めて、選曲の世代ピンポイントぶりにちょっと受けました。
観客席はかなり性別も世代もさまざまだったんですけど、みなさんどうだったのかなーーーー?






二幕は、「I Gotcha」で始まり、「Jesus Christ Superstar」「All That JAZZ」「If I can’t have you」……と、完璧なミュージカルメドレー。
個人的には、レアちゃんが歌い踊った「All That JAZZ」がものすごーーーく嬉しかったです。
ダンスはもちろんなんですけど、あのけだるげな声が曲にあっててステキでした。他の二人との歌唱力の差を見事に誤魔化してのけた選曲が素晴らしい!(^ ^)。

ラストは、フットルースの「Somebody’s eyes」と、ウェディング・シンガーの「Saturday Night in the City」で締めでしした。
「Saturday…」は、ウェディングシンガーの1幕ラストのナンバーで、樹里ちゃんが歌い、踊り、ラストに水を被ったあの印象的な場面の曲。今回は、レアちゃんが最後の力を振り絞って踊りまくってくれて、今にも上から水が落ちてくるんじゃないかと思ってワクワクしてしまいました(笑)。



止まらない拍手がしばらく続いて、出てきたときには上から下まで全部着替えていた3人。
ポルノグラフィティに創ってもらったというオリジナルの曲と、今回新しく(ごめんなさい、お名前を忘れてしまいました…滝汗)創っていただいたという曲、2曲続けて歌ってのフィナーレでした。


リーダーの「Coolシルヴィア」はあくまでもぼけぼけと可愛らしく、
「Wildのんちゃん」は熱く激しく過剰に熱く、
下級生の「Sexyレア」は控えめに可愛らしく高慢ちきに(^ ^;、

いや~、ホントに楽しかったです★

また来年も行きたいな~♪今度は岡千絵さんも入って4人でやってくれないかしらん♪
楽しみにしています!




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天王洲の銀河劇場にて、ブロードウェイミュージカルショー「SHOW TUNE」を観劇してまいりました。



『「It’s TODAY」に始まり「It’s TODAY」に終わる「SHOWTUNE」』と、演出の三木章雄さんは書かれていらしゃいますが。その、実際のナンバー構成だけではなくて、たしかに「今、このときがすべて。祝おう今こそ!」というテーマが明確に伝わってくるショーでした。

ポジティヴで、真っ直ぐで、ちょっとくらいコケても気がつかないくらい必死で前を向いて歩き続ける人たち。悩みがないわけじゃない、悩みなんて誰にだってある、でも、そんなものに挫けてみたって誰もフォローなんてしてくれない。自分の道は自分で切り開くの、だって私は私(I am What I am)なんだから!

そんな、ハーマンの数々の作品を貫く黄金のワンパターン。



私が彼の作品で観たことがあるのは「ラ・カージュ・オ・フォール」と「ハロー・ドーリー」。あとは、「Mame」と「Mack&Mabel」は一部の音楽を聴いたことがあるくらいですが、やっぱり「ラ・カージュ・オ・フォール」の音楽が物凄く好きなので、チラシを見ては、観たいなーどうしようかなーと悩んでいた作品でした。

……なぜ悩んでいたかといえば。正直に書いてしまいますけれども、私がマリコ(麻路さき)さんの声がすごく苦手だったから、でした…(T T)。巧い下手以前に、声そのものがどうにも受け付けなかったんですよね…
でも、今回、某所でウタコ(剣幸)さんの「I am What I am」が聴けるらしいと読んで、慌ててチケットをGETしたのでした。



……良かったよーーーーー、観に行って本当によかった~~っ!!


マリコさんの声も、全然気になりませんでした。あの、どこかから声が漏れ出ているみたいだった不可思議な響きが、ずいぶん集束してきれいに響くようになって、聴きやすかったです。同期の千秋慎さんの特訓の成果?(笑)
っていうか、噂には聞いてましたがマリコさんのピアノは本当にスゴイ!!まぁ、ラストの弾き語りはだいぶ(歌が)コケてましたけど(^ ^)、でも、あんなに自在に歌手を歌わせられるピアノが弾けるなんて、本当にすごい!!真実プロ級の腕をお持ちなんだなあと感心しました。
そして、9人の役者の中で唯一の男役というべき格好よさ。存在感は圧倒的でした。
ああ、この人はやっぱり、永遠の「タカラヅカトップスター」なんだろうな、と。







観る前は、ハーマンの音楽を使っての小人数でのショー形式、ということしかわからなかったので、なんとなくシャンソン歌手のジャック・ブレルをテーマにした「ジャック・ブレルは今日も巴里に生きて歌っている」みたいな形式の作品かなーと想像していたのですが、
…まぁ、当たらずといえども遠からず、という感じでしょうか。
「シャンソン」は一曲の中にドラマがあるせいか、基本的に一曲一場面で全体を構成していましたが、今回の曲は「ミュージカル作品の中の一曲」なので、何曲かセットでドラマを構成し、それをつないでいく…というところは違っていましたね。っていうか、こう書くと普通の“ショー”と何が違うのかわかりませんが(^ ^;ゞ

たった2時間でハーマン作品を何本も観たような気がするのに、音楽的にはいろんな作品のナンバーを入り混ぜて使っていて、全然違和感も唐突感もないのがすごい。
ブロードウェイ版を構成したPAUL GILGERという人がどんな経歴の人なのか、プログラムにも何も書いていないので判りませんが、センスのあるショー作家なんだろうなあと思います。機会があれば、彼の他の作品も観てみたいです。



あと、私的にとっても嬉しかったのは、「Mack&Mabel」の音楽を生で聴けたこと♪
ヅカファン的にわかりやすく説明するなら、月組の霧矢大夢さんが主演したバウ公演「SLAPSTICK」の主人公である映画監督マック・セネットと彼が愛した女優メイベルの恋をテーマにしたミュージカル…なんですけど、私も古いミュージカルソングを集めたCDに入っていた数曲を聴いたことがあるだけなので、すごく新鮮でした。良かったよーっ♪







ブロードウェイ版では男女7名(PIANOMAN+たぶん男3名女3名?)での上演だったそうですが、今回は宝塚OGのみ9名(うち元男役5名、元娘/女役4名)での上演。

でも。
率直な感想としては。
女優一人(剣)+男役一人(麻路)をメインに、娘役が一人(風花)華を添えて、あとはコーラス(出雲、初風、楓、芽映、大真、雪菜)という印象でした。


あまりにも女優・剣と男役のPIANOMAN・麻路の印象が強くて、他の印象が弱かった、かも。
特に男役の3人が弱かったのがとっても残念!


楓(沙樹)さんは、スタイルが女として抜群に良くて素敵なダンサーさんですけれども、逆にそのせいで補正無しでは全く男役には見えないタイプ。仕方がない面もあるかとは思いますが、でも、今回の作品は全場面男役なんだから、もう少し気合を入れて補正して、その気になって出てほしかったです。歌もダンスも、悪くはないけど男役としては中途半端な感じがつきまとって、すごく残念な感じでした(ごめんなさい)。

ガイチ(初風緑)さんに関しては、ソロで歌った二曲が男役じゃなかった(「Nelson」はピエロ系、「I’ll Be Here Tomorrow」は女性)のが残念だったなー。「SONG ON THE SAND」の前半は、ガイチさんの声で聴きたかったよー(T T)。
相変わらずの伸びやかな歌声は魅力的なんですが、キャラクター的にも声質的にも、男役をやるより女優の方が似合うのかも、とは思いました。今回の公演も、いっそタキさんポジションに入った方が魅力が出たんじゃないかなー、と。

(大真)みらんちゃんは、3人の中では一番「男役」してましたね。まだ卒業してからの時間が短いから?女優としての舞台をそんなに経験していないから?わかりませんけれども、長い髪もあまり気にならなかったくらい、ちゃんと「男役」でした。声も良かったし。ちょっと丸くなってたのが惜しかった(^ ^;


彼らの中途半端さが三木さんの狙いだというのなら、少し考え直してほしいなーと思いますね。
私が観たいのはちゃんとした「タカラヅカ」であり、ちゃんとした「ブロードウェイミュージカル」なんですよ…(T T)。中途半端なモノはいらないんですよ。せっかくいい人たちを集めているのに…。





元娘(女)役さんたちは、概ね健闘されていたと思います。
「娘役」っていうのは「女優」とは全く違う技術を必要とされるモノなんですが、さすがに「男役」よりはハードル低いんだなあと思いました。皆自然な佇まいで、衣装も良く似合って美しかったです。
芽映はるかちゃんの可憐な娘役っぷりに目元も口元も緩みまくり、
雪菜つぐみちゃんの、相変わらずの「月娘」らしい気風のよさに惚れ惚れとし、
……この二人と大真みらんちゃん、みーんな同じ84期なんだなーと思うと、なんだかびっくりしてしまいます(^ ^;


風花舞嬢は、本当に歌が安定しましたね。
もっともっと踊ってほしかったのは本音ですが、歌ももう手に汗握るコトもなく、安心して聴いていられます。ただ、まぁ、やはり「歌姫」ではないし、ある意味「娘役の鑑」みたいなひとなので、どんな歌も「娘役」として歌ってしまってドラマを消してしまうのは、弱みなのかもしれませんね。
「Shalom」だけは、もう少しドラマティックに歌える人で聴いてみたかったような気も。
でも、「SONG ON THE SAND」はしっとりと温かみがあってすごく良かったです。「I am What I am」の歌いだしも透明感があってすごく良かったし。ああ、こういう表現の仕方もあるのか!とすごく吃驚したのが印象的。
…こうやって書いてみて気づく。ドラマの表現にはご本人の作品に対する思い入れが出るのかもしれませんね(風花さんの退団後初出演が「ラ・カージュ・オ・フォール」)。


そんな中、「歌姫」タキ(出雲綾)さんが苦戦していたのがとても残念。タキさんは胸声になる低音部もすごくよく響く人なのに、最近流行っている風邪(突然喉に来るタイプ)にヤられちゃったんでしょうか(T T)。高音部の頭声は綺麗に響いていたので良かったのですが、後半になるにつれて出る音域が狭くなっていく(ちょっとでも響きが下がるとゴロゴロする)のでヒヤヒヤしました。
なんとかかろうじて千秋楽の幕を降ろせて、ご本人もほっとしましたんじゃないでしょうか…。
またすぐ関西公演が始まるので、がんばって治してください!




で。

ただひとりの「女優」、剣幸。


この人の素晴らしさは、一曲がちゃんとお芝居になるところだと思います。
歌いだす前の姿勢、シルエットの肩のラインだけで「挫折」を表現してみせる。で、歌いだしてから少しづつ立ち直っていく様を描いて、ラストのワンフレーズで晴れ晴れと前を向き、「大丈夫、がんばれる!」と高らかに謳いあげる…
ジェリー・ハーマンというクリエーターの創る世界に、ウタコさんの存在感がぴったりとハマっていたと思います。
舞台演出どおり、鏡に向かって化粧しながら歌う「もっとマスカラを!」も素晴らしかったし、
ピアノの脇にふとたたずんでマリコさんの愛を享ける「I Won’t Send Roses」も素晴らしかった。
そして、「If He Walked Into My Life」の絶唱…


ウタコさんが歌うたびに涙が溢れて、とまりませんでした。


そうかと思えば、
男装場面は粋に格好良く(髪をタイトにまとめてくれていたらもっと格好良かっただろうに…)
二幕のメイベルはキュートで可愛く、

そして、なんたって最高だったのは、マリコさんのメイムと思いっきりやりあうドーリー!!



ウタコさんという女優は大好きでしたし、それなりに、条件があえばなるべく観にいっていたつもりでしたが、今回は本当に目から鱗が落ちた気分でした。
ウタコさんの歌に、こんなに力があるなんて知らなかった。芝居の人だとばかり思っていたのに、年齢を感じさせない力強い声と、自信に裏打ちされた圧倒的な表現力。芝居の人だからこそたどり着いた、完璧な解釈と高い技術の交錯するポジション。


……ただ一つ残念だったのは、「I am What I am」を歌ってくれなかったこと(あ、いえ、もちろん歌ってます。ワンフレーズはソロで、後は全員で。しかも、そのワンフレーズのソロで泣きました私)(…でも、ソロで全曲歌ってくれると思ったんだよ……)。
見事に騙されました。……いや、騙してくれてありがとう、って感じではありますが(^ ^)。


ああ、でも、本当~にウタコさんの「I am What I am」が聴きたい………。ディナーショーか何かで歌ってくれるんなら、絶対に行くぞ!
あの歌は本当にドラマティックな大曲なので、今回みたいにみんなの歌い継ぎコーラスにするのは勿体ないんですよー!せっかくあれを一人で歌いきれる女優が出演しているのに、もったいない~(涙)。
二幕の「砂の上のラヴ・ソング」も歌い継ぎだったし、なんか「ラ・カージュ・オ・フォール」はかなり無駄遣いされてしまったような気がします。
…ま、日生に市村ザザファイナルを観にいけ、って感じですかね……(苦笑)。





日本では「ジェリー・ハーマン」があまりメジャーとは言い難いので、ちょっとチケットの売れ行き的には苦戦しているみたいでしたけれども、ショーの構成はとても良かったと思います。
とにかく、ハーマンの「明日はHAPPY!」というメッセージが全編に溢れていて、幸せな気持ちで家に帰りました。本当に楽しかったです~!(^ ^)西宮での公演はまだこれからなので、ぜひぜひ皆様、足を運んであげてくださーい(はぁと)。






赤坂REDシアターにて、「傾く首 ~モディリアーニの折れた絵筆~」を観劇してまいりました。




エコール・ド・パリ。
20世紀前半の、猥雑で混乱に満ちた、パリ。モンマルトル、モンパルナス……ボヘミアン的な生活をしていた芸術家たち。
三谷幸喜の「コンフィダント・絆」で描かれた時代よりも、もう少し…そうたぶん、1/4世紀ほど後の物語。



エコール・ド・パリ。
「パリ」という学校に学んだ芸術家たち。
19世紀末から20世紀初頭、「世界の最先端」だったパリ。いやむしろ、「世界のすべて」だったパリ。
「技術だったらイタリアでも学べた!でも、俺はパリで画家になるんだ!」
そう語るモディリアーニを主役に、彼と、彼を取り巻くひとびとを語るものがたり。


「コンフィダント・絆」にあった、救いと絶望。
そういうもののまったくない、完全に突き放された語り口。諦念と無常観。





三谷さんと荻田さん。二人の「天才」が、同じ素材をどう料理するのか?
それは下世話な興味にすぎないんですけれども。
でも、そこには確かに共通するモティーフとテーマがあって、その解釈の仕方が全然違っていて。
両方観ているからこその面白さ、というものが確かにありました。





……ストーリーは説明しにくいので、とりあえずは登場人物の紹介を。

アメディオ・モディリアーニ(吉野圭吾)
1884年、イタリア・トスカーナ生まれのユダヤ人。22歳でパリに出て画家を目指すが、パリの画壇に拒否され、酒と麻薬におぼれる。愛称は「モディ」。


ジャンヌ・エビュテルヌ(内田亜希子)
モディリアーニより15歳(?)年下の、内縁の妻 兼モデル。モディリアーニが肺結核で死んだ後、窓から身を投げて自殺。享年21歳。


レオポルド・ズボロウスキー(戸井勝海)
ポーランド系の画商。モディリアーニの理解者で、援助者だった。詩人を目指してパリに出てきたが、挫折した過去をもつ。
妻は何度かモディリアーニのモデルになっている。愛称は「ズボ」。


ルニア・チェホフスカ(小野妃香里)
モディリアーニの友人 兼モデル。ポーランド出身。ズボロウスキーの紹介でモディと知り合った。名門の出で、モディリアーニをずいぶん援助したらしい。夫は軍人で、第一次大戦に出征。その間のパリ滞在だった。愛称は「カカシュカ」。本人的には、本職は詩人。


モーリス・ユトリロ(岩田翼)
いわずと知れた、20世紀を代表する風景画家の一人。1883年、フランス生まれ。“エコール・ド・パリ”には珍しいフランス人だった。モディリアーニの親友で、のんだくれのアルコール中毒(そもそも、アル中の治療の一環として医者に絵を薦められたことは有名)。愛称は「モモ」。


ハイム・スーチン(溝呂木賢)
1893年、リトアニアに生まれたユダヤ人。20歳でパリに出る。この時代の画家としては、生前にある程度の成功を収めた珍しい人。








「コンフィダント」のプログラムには、ゴッホ、ゴーギャン、スーラ、シェフネッケルのそれぞれの絵が紹介されていて、彼らの業績が非常にわかりやすかったのですが、今回の「傾く首」のプログラムは、そういう面ではとても不親切。モディリアーニだけは年表もあるけれども、他の3人については解説もないし。
でも、全体の構成はよく似てる。
違う作者による、まったく違うテーマのまったく違う作品なのに、「コンフィダント」と「傾く首」は、とてもよく似ています。


歌も踊りもなく、なんの事件らしい事件も起こらない数日間、の物語。
ただひたすらに、自分の感情を垂れ流すばかりの、会話にならない、言葉の洪水。

己をさらけだし、傷つけあうばかりの“芸術家”たち。
彼らを理解したくて、救いたくて、なのに傍に侍ることさえ拒否される“芸術家くずれ”たち。

芸術に身をささげた、という意味では、画商も芸術家のパトロネスも同じなのに、
それさえも闇雲に否定され、傷つけられる。



「コンフィダント」には、語り手たる娼婦 兼モデルのルイーズがいましたが、「傾く首」には語り手らしい語り手はなく、ただ、案外カカシュカが結構自分語りしていました。
…何の説明もしなかったですけどね。





三谷さんの「痛さ」と、
荻田さんの「痛さ」の違い。

同じような題材で、同じような構造の作品なだけに、その差が強く印象に残りました。
「コンフィダント」の痛さは、ゴーギャンの痛さであり、スーラの、シェフネッケルの痛さだったんですよね。
“ゴッホ”という光に勝てない自分、という痛み。そして、それでもゴッホという光から離れることができない痛み。
そしてもう一つ、そんな彼らを理解できないルイーズの痛み。


でも。
「傾く首」の一番痛いところは、彼らが「パリに見捨てられている」ところなのだと思うのです。
この物語の中で、「コンフィダント」におけるゴッホの位置にいるはずなのは、年若いハイムです。彼は『他の人には見えないものを視る目をもつ男』として描かれている。溝呂木さんの芝居がまた実に見事だったんですが(*^ ^*)、彼は明らかに「他の人」とは違う。

でも。
荻田さんは、そこで満足はしない。彼は、もう一度世界をひっくり返す。
ハイムに視える「世界」に、意味はないのだ、と。
モディリアーニはモデルを通して「世界」を視る画家であり、その視点は世界を超えているのだ、と。

だから、ハイムはモディリアーニのモデルを欲しがる。
ハイムの瞳を欲しがるモディと、モディのモデルを欲しがるハイム。

そして、その二人とは最初から違う世界を生きているユトリロ。




誰ひとり、相手を理解しようとはしない。
彼らにとって世界は大きすぎて、視界いっぱいに拡がる「神の貌」を画布に写すだけで精一杯で、ちっぽけな「人間」を視る余裕などありはしない。

その、彼らの孤独さの切実な痛み。
彼らが「孤独」の痛みに気づいてさえいないことに対する、痛み。





彼らを見守るズボの、カカシュカの、痛み。
物語の後半、冷たい雨に降られるモディとモモを迎えにくるカカシュカの、寂しい横顔。後姿。
「あたしはただのモデル」
そう繰り返し、言い聞かせ、言い聞かせ、……自分自身ん。

「あたしはただのモデル……」




そして、ジャンヌ。
元々は画学生として芸術の道を目指していたはずの、ジャンヌ。

芸術に身をささげるつもりだった彼女は、若い身空で「現人神」に身をささげてしまった。
カトリックの彼女が、ユダヤ人のモディに。
親の大反対で籍も入れられず、精神的には18歳のまま、
もうすぐ2歳になろうとする娘のことも、根本的には意識にない。

「ジャンヌとつけたの。あのひとが。あたしと同じ名前。そして、ジョヴァンナと呼ぶの、イタリア風に」

「ジョヴァンナよ!そう呼んで!あの娘の半分はイタリア人なんだからっ!!」

モディへの、崇拝としか言いようのない恋着。彼女自身が目指した芸術の夢さえも、夫に託して。
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全てを託された「神」の苦悩。
モディの愛と苦悩。








良い役者をそろえられて、荻田さん幸せだったろうなあ、と、ほんの一ヶ月前とは逆のことを思いました。
歌もダンスもないストレートプレイは久しぶりでしたが、やっぱり「芝居ができる」ひとたちが集まっていれば、そして適切なサイズの劇場を択べば(←これは重要)、休憩なしの2時間も全然長くない。
「コンフィダント」のように、痛くて痛くて号泣するような作品ではありませんでしたが、ひそっと胸に刺さった棘が、未だに抜けずに痛みを増しているような、そんな気がします。


モディの吉野さんも良かったですが、今回のVIPは女優二人にあげたい感じ。ジャンヌの内田さんも、カカシュカの小野さんも、素晴らしかった。母性のかけらもない、「少女」のままで時を留めたジャンヌと、隠し切れない母性と女性の狭間を揺れ動くカカシュカ。硬くて響きのない、カツカツした内田さんの声と、まろやかでやわらかい、しっとりと濡れたような小野さんの声と。
ジャンヌは朝澄けいさんでも良かったかなと思いましたが、朝澄さんだともっと抑圧されたキャラクターになってしまうかなーと思いなおしました。内田さんの、追い詰められているのに強気な声が、ジャンヌというキャラクター、逆にモディを追い詰めるキャラクターにぴったりでした。これだけ作品がいいと、常連の朝澄さんがいないのが寂しくなるのですが(^ ^;ゞ、たぶん、荻田さんの中で、朝澄さんはもうちょっと音楽的な作品で使いたい人なんだろうなー。

ハイムの溝呂木さん、初めて拝見しましたが物凄い二枚目ですね(汗)。どきどきしました。
声もいいし、荻田さんの好みな感じ。

「劇団昴」の新鋭・岩田くんはまた巧くなってて、相変わらず可愛いし達者だし、いい子だなあ(*^ ^*)。次は何に出るんだろう…(←とりあえずは昴でしょ?)

戸井さんは、ここ最近の荻田作品にはほとんど呼ばれてますが、どうにも荻田さんは彼の何が欲しくて使い続けているのかなー?と疑問に思う使い方が多かったのですが………
なんだか、わかったような気がする。
不完全な父性。
戸井さんのファンとしては、ちょっと不本意なんですが(汗)、彼に求められているのはそういうものなんだなあ…。

戸井さんは、私生活ではちゃんとパパなんでしょうけど、確かにあまり父性を感じない役者さんではありますね。
小野妃香里さんが、女の本能としての母性は演じられても、実際に誰かの「母親役」をやってたら違和感ありまくりだろうなあ、と思うのと同じで、キャラクターというか、記号としての「父親」は演じられても、「父性」は感じない役者。
それは彼の個性なんですけど、年齢を考えるとちょっと不利な個性だなーと思うんですよね。
でも、荻田さんは、彼のそういうところが気に入っているのかな、と思うと、ありがたい演出家だなあと(^ ^;
今回は、ひさびさにファンとして観ても幸せな役をいただいて、嬉しかったです。
今後も呼んでいただけると良いのですが。……どうなんでしょうねぇ…。








舞台の幕開きは、モディの死の直後。
不安定になったジャンヌを気遣うカカシュカと、ズボ。
酔っ払ったままのモモ。

そして、窓に映るモディの、影。

吉野圭吾、という役者の、圧倒的な存在感。
シルエットの美しさ、腕の筋肉、指の動き。


窓が不規則に灯に照らされて、
うかびでるクロス。
浮かび上がる、影。


「ジャンヌ!窓に近寄らないで!」

カカシュカの悲痛な叫び。





壊れたレコードのように、ジャンヌが繰り返し呟く。
「冗談じゃない」

繰り返し、
繰り返し。

「じょうだんじゃ、ない……」



神を喪ったジャンヌに、生きる意味などない。

……こども?

こどもって、なに…?



それが、愛?
それとも、恋?

いいえ。

それは崇拝。それは執着。
愛はなかった。どちらにも。

だから。



愛は、なかった。
……誰にも。





銀座博品館劇場にて、「D~永遠という名の神話」を観劇してまいりました。





明日はいよいよ雪組東京公演初日。
みなさん舞台稽古に励んでいらっしゃるころでしょうね。
らぎちゃんも、シナちゃんも、楽しい思い出いっぱい作っているでしょうか……。




そして、雪組で上演する「ソロモンの指輪」に連動するかのように、博品館劇場で上演中の荻田浩一脚本・演出の作品「永遠という名の神話」。


ジェームス・ディーンー生涯にたった三本の名作を鮮やかに人の記憶に刻みつけ、銀幕を駆け抜けていった、若き伝説。
「彼の存在以前には、ナイーヴな子供と分別ある大人しかいなかった」とさえ言われる、「抗う若者」の象徴ともいうべき、ジェームス・ディーン。

宝塚でも何度か取り上げられている人物ですが、私は残念ながら観ていません。また、彼の出演した3本の映画…「エデンの東」「理由無き反抗」「ジャイアンツ」、いずれも全然知りません。
本当に、映像には興味がないんですよ私……(T T)。「蒲田行進曲」も、映画は観たことないし。




荻田組が勢ぞろいしたキャスティング。


ジェームス・ディーン
 東山義久

ジュリー・ハリス、ピア・アンジェリ
 舞風りら

ナタリー・ウッド
 朝澄けい

ポール・ニューマン、サル・ミネオ
 良知真次

マーロン・ブランド、ロック・ハドソン、コリー・アレン
 原知宏

“ディレクター”、エリア・カザン、ニコラス・レイ
 平澤智

ジョージ・スティーブンス、レイモンド・マシー、ジム・バックス
 戸井勝海

エージェント、ミルドレッド、母、先生
 峰さを理

“オーディエンス”
 佐野大樹




ひとことでいうと。
「Alex」「WILDe Beauty」に続く、ひとりの人間を語るシリーズの第三弾、というイメージのお芝居でした。ひとりひとりが、「ディーン」という神話について語っていく。東山くん自身が、“ディーンという役者を演じるディーン”というイメージで役に臨んでいて、その全体の「ディーン」という芝居を演出するのが平澤さんの“ディレクター”という感じ。



……うーん、「WILDe Beauty」の完成度に比べると、今回は全体にかみ合ってなかったような印象がありました。歌もちょっとハズレ気味だったし。ダンサーをそろえているので、ダンス場面はめちゃめちゃカッコいいんですけどね。
若い人たちが中心になって芝居をしなくてはならない作品なだけに、荻田さんの膨大で意味不明な台詞をこなすのに精一杯で、観客を引き込むところまで行けていなかったような気がしました。やはり、浦井くん以外はベテランで固めた「WILDe Beauty」は凄かったんだなぁ、とあらためて思ったり。


ただ、正直私の体調もかなり最悪に悪かったので……あまり偉そうなことは言えないのですが……(^ ^;ゞ




東山くんは役に良く似合っていて、良かったです。正直、もっと普通の「ディーン」をやらせてあげたかったくらい、ジーンズに赤のジャケットという“定番”の格好が死ぬほど似合っていて、ばっさり切った髪が実に男前で、素敵でした。
あれで、もう少し芝居がなんとかなればなあ~。
彼をキャスティングするには、ちょっと公演期間が短いなあというのが正直な感想です。とてもかっこいいけど、役のイメージにはよく似合っているけど、芝居の中で「ディーン」として生きられた時間がすごく短かったのが残念でした。



舞風りらちゃんは、可憐だった!宝塚現役時代は、ダンサーとしての舞風りらは結構好きでしたけど、どうも芝居がぴんとこなくて、どちらかと言えば苦手な娘役さんだったのですが、今回のジュリーとピアはどちらもよく似合ってました。
でもでも、せっかく東山&舞風で組むんだから、がっつり踊ってほしかったです!!
ダンスが少なかったのが残念だ~~!二人とも、典型的なショースターなのに~~(T T)





カヨコちゃんは、相変わらず美しかった。
何度でも書きますが、とにかくあの声が好きです。薄倖の佳人の、声。
あれを聴けるだけで、幸せでした。




良知くんは、観るたびに巧くなってますね!ダンスシーンも、東山くんとはまた違う、基礎のあるダンスで凄くカッコ良いです。原くん共々、荻田作品以外の芝居にもタマには出てほしいんですけどねx……。




今回初めて拝見した、佐野大樹さん。
*pnish*のリーダーさんか~!どっかで聴いたことがある声だと思っていたんですが、そっか(汗)。一回観たことがあるのに気がつきませんでした(汗)。

ものすごく美形で、スタイルが良くて(細身で脚が長くて腰が細くて肩幅がある。めちゃめちゃどっかで観たことがあるバランス)、そして、声が物凄く良い!!
滑舌もしっかりしていて、明瞭で聴きやすい台詞。「オーディエンス」というのは、「凍てついた明日」などで荻田さんがよく使う手、「スターを見守る大衆」の象徴的な役柄ですが。今作品での佐野さんの役どころは、まぁ率直に言ってしまえば「説明役」って感じでしたね…。
もう少し巧い使い方が(脚本的に)あったと思うんだけど~~!?という気もするのですが、あの美声を聴いていると幸せになってしまうので、いっぱい台詞をくれてありがとう、という感じでした。





平澤さんは、ジミーを取り巻く「大人たち」の象徴として、かなり出突っ張りの喋りっぱなしでした。佐野さんと二人(時に峰さんと三人)で説明役を買って出てた印象。
「ジミー」に対して、大衆の見る夢としての「ジェームス・ディーン」を実現するための演出というか、稽古をつけているような立場で物語が進みます。
ところどころで、「エデンの東」を撮ったエリア・カザン、「理由無き反抗」の原作兼監督だったニコラス・レイなど、役を演じる場面もあるのですが、そのときでさえ、キャラクターはあまり変わらず。ただただ、「若者の側に立った大人」を演じていました。




となると、一番“大人”だったのは戸井さんってことになるのかな?ジミーの父親とか、映画で父親役を演じる俳優とか、そのあたりの役をまとめて演じていましたが…
相変わらず巧いんだけど、あの髪型はどうにかならないんでしょうか。…グランテール、マリウスと演じていた頃は、文句無く「美形」だったはずなのになあ(T T)。ここ数作品、毎回髪型で失敗しているような気がします。
父親の三態、じゃないんですけど。毅然とした冷たい父親、気が弱くて現実と向き合えない、不良息子と正面から向き合えない父親、、、いろんな父親を演じていましたが。なかなかの嵌り役だったような気がします♪
荻田さんは、この人を何故使うんだろう……と思っていたのですが。
たぶん、やっぱり、あの声なんだろうなぁ~。(納得)




峰さんは、結構いろんな役をやっていました。ジミーのマネージャー、それもブロードウェイの人とハリウッドに言ってからの人は違うみたいだったし、他にもジミーの母親の幻想とか、いろんな役を演じていましたが……
さすが!でした。落ち着きと気品、そしてキャラクターの幅広さ。
私は、峰さんの舞台って多分OG公演の「心中・恋の大和路」の八右衛門さましか観ていないと思うのですが、さすがに女役の良さは全然違うなーと思いました。歌はもちろんさすがだし、芝居を締めていたと思います。カッコよかった(*^ ^*)







荻田作品は、本当に当たり外れがかなり大きくありますが。
今回の「D~」は、かなり評価が分かれるだろうなあ、と思いました。
私はたぶん、もっと体調の良いときに行ったなら、すごく面白かっただろうと思います。

……教訓。観劇は体調を整えてから行きましょう。ね。




あれだけのダンサーを集めているんだから、もっともっとダンスシーンを増やしてほしかったよ~~~!!
ラストのラスト、証明が落ちる寸前の、東山くんの高々としたジャンプに気圧されました。
奇跡のようにカッコよかった……。
あれを観るためだけでも、7800円の価値がある、……かもしれません(^ ^)。




東京グローブ座にて、ミュージカル「アプローズ」を観てまいりました。
※ちなみに、有吉京子さんの漫画とは全く関係ありません(^ ^)




「アプローズ」は、1970年にトニー賞を獲った名作ミュージカル。
映画「イヴの総て」を元にしていますが、映画版のタイトルロールであるイヴではなく、その先輩の大女優マーゴが主役。日本初年は1972年、劇団四季。その後何度か再演されましたが、1983年の公演で主役マーゴを演じたのが、当時○歳の前田美波里。



今回の公演は、劇団四季とは直接関係はないようですが、26年ぶりにマーゴを演じる前田美波里を主演に迎え、その相手役としてビルを演じたこともある浜畑賢吉を演出に迎えての公演でした。

マーゴの恋人・ビル(演出家)は、バリトン歌手で普段はオペラを主戦場にしている「二期会のプリンス(←プログラムにそう書いてあったんだもん!)」、宮本益光。
マーゴの友人・ドウェインには、俳優の佐野瑞樹。
ヒット脚本家のバズとその妻に、オペラ&ミュージカルの越智則英と、元四季の駒塚由衣。
プロデューサーのハワードに、俳優の倉石功。

主題曲「アプローズ」を歌う役者の卵に、宝塚OGの紫城るい。
そして、影の主役・イヴ役は、宝塚OGの貴城けい。




40年も前に作られた作品とは思えない、内容の濃い名作でした。
芝居としてもとても良く出来ていて、映画を観てみたくなりました。


役者も皆素晴らしかった~!!
特に、ビルの宮本さんとイヴのかしげ(貴城)ちゃんは、もう他のキャストが考えられないくらい嵌り役で、素晴らしい!!女優として走り始めたばかりのかしげちゃんは勿論ですが、宮本さんは、ぜひぜひまたミュージカルに出てほしい!と思いました。




名だたるミュージカル俳優の誰よりも素晴らしい歌声で、歌による芝居がきっちりと出来て、
歌じゃなくて台詞の芝居もそこそこやれて、しかも、オペラ歌手にしては細身でスタイル良くてカッコいい(*^ ^*)。なんて完璧なんだ!!

ぜひ、ハイバリトンの中年男性で包容力のある美声を必要とする役……
市村正親さんがザザを引退した後のジョルジュとか?(*^ ^*)、「レベッカ」とか…?
……ぜひとも、コンサートでもいいので聴いてみたいですっっっ!!








ちょっと宮本さんで頭がぶっ飛んでしまいましたが。

かしちゃんも、本当に良かったです。一幕での野暮ったさと、二幕での変身ぶりの素晴らしさ。
メークやかつらだけでなく、姿勢から喋る声、ちょっとした仕草まで、一分の隙も無い変身ぶりが本当に見事でした。
…少なくとも、私が観た中ではかしちゃんのベストアクトですね、今回のイヴ役は。
今後も、ご活躍をお祈りしています!





(紫城)るいちゃんは、可愛かった!
「アプローズ」という歌は、音域は広いし、音程は微妙だし、フレーズがぶつ切れになりがちで、歌いにくい難しい歌なのですが、よくがんばっていたと思います。……ま、まだまだ上を目指してほしい感じではありましたが。
でも。ジョー・アレン亭にたむろする「役者の卵」たちのリーダーとして、パッと目を惹く華やかなオーラと、駆け出しではない貫禄があったのが凄く役に合っていて、芝居の役としてはとても良かったと思います。歌で心情を表現する技術がずいぶん身について、わずか二年でこんなに変わるのか、と思いました。




そして。
「アプローズ」という、この作品のテーマ曲を歌うのが、スターたちではなくアンサンブルであるということが、映画をミュージカル化するときのキモだったんだろうな、と思いました。

「拍手があたしを燃やすの」
「とり憑かれたの魔法の音 アプローズ(拍手)に」

場末の酒場ジョー・アレン亭にたむろする“ジプシー”(コーラス)たちが、歌い、踊る。

「あの音の虜だわ、アプローズ!」






意地悪な新聞記者に
「どうしても金が必要になったら、どっちを売る?ダンスシューズか、自分の母親か」
と問われて、即答する青年。

「おふくろ」

……迷いも無く。




彼らは選ぶのだ。
世界のすべてよりも、アプローズを。





だけど、
スポットライトの中にいるスターは、どうする?


我侭で気紛れで躁鬱で、実は気が小さくて不安神経症気味な大スター・マーゴが、最後に択ぶものは、何か。


イヴが求めたものは、なんだったのか。







……そう。

ひとりの観客として、素晴らしい作品に酔い、物語を愉しみながらも、
幕切れのマーゴの選択に、微かな淋しさをおぼえたことも、事実ではあります。



それは、この名作ミュージカルが「舞台作品」だからこそ、
舞台の上でスポットライトを求めて蠢いている「彼ら」の叫びを直に聞いてしまう作品構成だからこそ感じずにはいられない後味の苦さであり、

その苦さを呑みこんで、はじめてわかる“大人の味”なのだと思いました。





少なくとも。
もしもこの作品に、もっと若い頃に出会っていたならば、私は、あのラストに凄く理不尽な思いをしたかもしれません。

でも、今はもう、マーゴの選択を祝福することができる。

彼女のラストソングを、一抹の寂しさを感じつつ受け入れることができる。



そうすることで初めて、この物語が「イヴの総て」ではなく、「アプローズ」の物語に、なるのです。




ひたむきにアプローズを、“光”を求めることができる【若さ】と、

アプローズの重みを支えきれなくなって、柔らかな優しい“闇”を求め始める、【老い】。



そんな、

“時間”という名の魔法使いの残酷な所業に想いを馳せながら、彼らの夢に酔う3時間を。


ぜひぜひ、のぞいてみませんか?☆







銀座博品館劇場にて、ミュージカル「SHOUT!」を観てまいりました。

女性5人+演奏3人による、60年代ロンドンを舞台にしたミュージカル。
一言で感想を書くのが非常に難しい作品ではありましたが、
間違いなく一見の価値はありました。

うん、楽しかったですー!とっても!

「Stylish&Cool」モデル系美女・ブルー=紫吹淳
「Domestic&Material」良妻賢母代表・オレンジ=樹里咲穂
「Sexy&Surprising」恋多き女性・グリーン=岡千絵
「Naive&Unique」キュートな個性派・レッド=入絵加奈子
「Adventurous&Enthusiastic」パワフルガール・イエロー=森口博子

いやーーーーー、この5人を集めたキャスティングディレクターに、まずは大きな拍手を送りたいです。
すごかった!!
だってもう、岡千絵さん、リカさん、樹里ちゃんの三人が、ミニスカはいて並ぶんですよ!!(壊)
しかも、リカさんはただのミニじゃないの。超ミニ

鼻血。


いやー、良いモノを見せていただきました。

 

 

 
まずは、岡・樹里の二人を従えてさえ、「超絶スタイルのモデル系」と言われて説得力のあるリカさんの凄味。
サスーン風の、っていうか60年代風のショートボブにくっきりアイラインのモードメイクがものすごく似合って、そのまま本当にファッションショーに出てきそう。一人だけモデル立ちだし、モデル歩きだし、なんだか凄くいい感じに浮いていました。

ソロ歌は、他の4人の声がパワフルすぎてちょっと……えーっと(^ ^; 元々やわらかくてぼわんと響く声なので、パワーに欠けていたのは否めません。でも、コーラスの低音でつやのある声が響いていて、素晴らしかったです。
リカさんがいたからこそ、あの難しいコーラスができたんだと思う。さすがの貫禄でした!

チラシやカーテンコールのイメージほど「主演」色のない作品でしたけれども、リカさんはリカさんの仕事をきっちりこなして、良い作品に仕上げたなーと思います。あの“超絶スタイル”は他にいないし、良い配役だったと思います。

 

 

 
樹里ちゃんは、今更何もコメントすることはありません。
主役のいない作品ですが、基本的にコーラスのリードを取るのは殆どオレンジ。これは、元々オレンジの仕事なのか、樹里ちゃんだから任されたのか、オリジナルを観たことがないのでわからないのですが…

キャラクターもキュートで可愛かったです。
恋愛結婚するんだけど、夫が実は同性愛者だった(らしい)という設定で、帰ってこない旦那を待ってキッチンドランカーになっった、という設定の場面とかあるんですが、どんなに悲惨(なはずの)場面でも、樹里ちゃんがやるとなんともいえずキュートになってしまうのが凄いなあ、と。
パントマイムで酒を飲んで、パントマイムで掃除をして、パントマイムで窓を拭いて(←これが爆笑でした…ホントはすごく哀しいんだけど)、パントマイムでまた酒をがぶ呑みする……

樹里ちゃんって、私が思っていたよりもっと凄い人なのかも、と
思いました。

月組ファンとしては、樹里ちゃんとリカさんが並んでいるのを観るだけでなんだか懐しくて、幸せな気持ちでした☆(ベルナルド&アニタも、ニコラス&リカルドも、大好きだったなぁ…)

 

 

 
岡千絵さんは、ス・テ・キ。
色っぽくてハチャメチャで、スタイル抜群!ちょっと垂れ目に唇の下のつけぼくろが色っぽい。本当に、可愛くてイイオンナなんですよね♪

男を次から次と変えていく“恋多き”セクシーガール、だけど最後には「たったひとりのベターハーフ」と出会って幸せに結婚する。
結婚がイコール幸せではない(オレンジ)けれども、愛する人と結婚して共に生きることが幸せ(グリーン)なのだ、と、そんなメッセージを担うキャラクターでした。

ちょっとヤバい場面もあったりして、「清く正しく美しい」宝塚ファンの猫なんぞは思わず目を伏せてしまったりするんですけれども(←え?)、とにかく歌も芝居も踊りも、何もかもステキでした(はぁと)

 

 
何を着せても似合う人間離れしたスタイルの3人は、基本的に脚線美を強調するミニスカートにパンプスのスタイル。
そして、加奈子ちゃんには黒のハイソックス、森口さんには白いビニールのブーツ、という絶妙なアイテムを加えて、キャラクターの個性づくりに一役かう…衣装は十川ヒロコさん、でいいのかな?実に見事な仕事をされていました。
どれも本当に似合ってて可愛かったです♪

60年代ファッションは、私にとってはかなり“レトロな”ファッションなんですけれども。それでも、この舞台で披露される衣装の数々は、「世界の最先端だったロンドン」の薫りが色濃く出ていて、とても新鮮でした。

 

 

 
博子さんはポール・マッカートニーのファンで、彼のおっかけをやっちゃうような積極的な女の子。なにごとにも体当たりでぶつかっていく、冒険的でアメリカンなイメージ。

私は、タレントとしての「森口博子」を全然知らない(←あの頃から本当にテレビを見ていなかった…)人間なのですが、あまりの歌の巧さと魅力に、本当にびっくりしました。
ってゆーか、可愛い〜!!40歳にはとても見えない。どう見ても樹里ちゃんと同世代でしょ!?という感じ。
美人で、エネルギッシュで、パワフルで、ものすごーく魅力的。後半に大きなナンバーが集中しているのですが、ホントステキでした♪ダンスはあまり得意でないようでしたが、ちゃんとついてってたし、何よりリズム感がいいんですね。

とにかく、歌の巧いのには驚きました。「タイタニック」、観られなかったのが残念です…。せっかく来年再演されるのに、出ないなんて(涙)。

 

 

 
加奈子ちゃんは、結構お久しぶり………かな?
一番最近に観たのは何だろう。相変わらずちっさくて可愛くて、歌声がパワフルで、顔芸すごくて、最高に面白かったです。
他の4人よりだいぶ年下の設定で、物語の最初は中学生かなにかなんですよね、たしか。それがまた違和感アリアリな可愛らしさで。
相変わらずだなあ〜、と。

永遠の少女、といえば、ミュージカル界には土居裕子さんとか、伊東恵里さんとか、他にも劇団四季関係に何人かいますけれども。
加奈子ちゃんの「少女」っぷりは、結構怖いところが毎回良い味になっているんですよね…。今回も、あまりにもレッドがハマり役すぎて、本当に驚いてしまいました。
あれだけの顔芸ができる「永遠の少女」っていない……(^ ^;ゞ。

「ミス・サイゴン」の初演が1992年だから、加奈子ちゃんの名前を初めて覚えてから、もう16年もたつんですね。
キムもエポニーヌも、本当に大好きでした。特にエポニーヌは、個人的には歌穂ちゃんより好きになったくらい、当たり役だったと今でも思っています。

あのキムが、エポニーヌが、
16年を経て、レッドが演れる女優になったんですね。
素晴らしい、と思います。心の底から。これからも、舞台でお会いできるのを楽しみにしています。



作品的には、「すごく楽しいけどワケが解らない」というのが正直なところでした。

60年代のロンドン・ポップスを次から次へと歌いついで、その合間にショートコントが挟まる形式のショー。

架空の女性誌「SHOUT」をキーに、
1962年から1970年までを一年づつ、
その年に流行った音楽と、その年に起こった事件をネタに、

5人の女の子(レッドがローティーン→、他の4人はハイティーン→)の生活と恋を、一人芝居(っていうか、コント)でつづっていく。

…何の予習もせずに客席に座ってしまったので、まず、この作品の形式を理解するまでにちょっと時間がかかりました。
いきなり5人の歌から始まって、怒涛のように歌い踊られてしまうので、息をつく暇がないんですよね。

ああ、こういう形式で進むんだな、と、大枠が見えてきたのは、もう終わりかけの頃で。それまで結構混乱しっぱなしで、もったいないことしたなあと思います。
これからご覧になる方は、“そーゆー形式なのね”と頭の隅においとかれると良いかもしれません。


そうやって、一年一年、丁寧に思い出を辿っていって、
女の子たちも、一年一年、丁寧に年を重ねていって。

男と出会い、別れ、また出会い、また別れ…
「話題はLOVE。だってそれしかないじゃない!?」
という年頃から、
「わたしらしく」
を合言葉に、生き方を模索しはじめる年齢になって。

そして。

ラストシーンは、たぶんもう80年代なんですよね。ちゃんと、ファッションがそんな感じになっているし。

彼女らも一人前の大人のオンナになって、それぞれに「自分の人生」と「人生の伴侶」を見つけている、時代。

そして、
「あの頃は楽しかったね!」と語り合う、5人のキュートな女性たち。

その輝き、
そのエネルギー、

その、生きるために必要な、パワー。


生きることは楽しいでしょう?というメッセージが明快で、あまりの眩しさに涙が出ました。
嫌なことがたくさんあるわけですよ。5人の人生には。
美人じゃなかったり、
男と長続きしなかったり、
夫がホモだったり、
出会いが無かったり、
……自分がレズだったり。

マリファナを吸ってみたり、
LSDに逃げてみたり、
いろいろやってみて、

でも、逃げられない。

逃げたって仕方が無い。だって、生きているんだもの。

生きていれば、嫌なことはたくさんある。
でも、

……楽しい事だって、あるじゃない?



難しいなあ、と思ったのは、私があまりにも「60年代ロンドン」について何も知らないからなのだと思います。
曲も2曲くらいしかわからなかったし、ダンスも見覚えがない。
とにかく、芝居の中にちりばめられた当時の当地ネタがさっぱりわからない。時代の空気がせっかく舞台の上に色濃くあるのに、それを感じられない自分がとても悲しかった。

そういう、「2008年の日本」の観客にはわからない、あるいは気づきにくいネタについては、もう少しわかりやすく表現できなかったのかなあ、と思ったことは否定しません。
ただ、今回の「SHOUT!」については、プログラムで「60年代ロンドン」という特別な時代に関する薀蓄を語るページが充実していて、とても面白かったです。

まぁ、開演前にこれを読んだ方がいいかどうか、は、判断の分かれるところだと思いますが。


でもまぁ、わからなくても感動はできます。
感動は頭で理解したって得られない。感動するのはハートですから。

5人の女の子たちの10年間を一緒に追体験して、
そして最後に、

「楽しかったね」「生きるのって楽しいよね」と、力強く言ってもらえる、感動。

……そうだね、楽しいのかもしれないね。
自分自身が、楽しく生きよう!と思いさえすれば。



まぁ、論じるより観るが易し。

ぜひぜひみなさま、お時間のアキがありましたら、ご観劇くださいませ(今月末まで)。
そして、ぜひぜひ私に細かいネタの種を教えてくださいm(_ _)m。

あ。
一つだけ忠告。休憩無しなので、開演前のトイレは必須ですよ♪


シアタークリエにて、ミュージカル「Duet」を観劇してまいりました。


元・劇団季の看板女優・保坂知寿の、退団後第一作、しかも石井一孝さんとの初共演!!ってことで話題を集めた作品。

ものすごく楽しかったです。はい。
まだ遅くない!ご興味のあったみなさま、明日にでもぜひクリエにGO!!(^ ^)v



脚本は、「おかしな二人」のニール・サイモン。
キャロル・ベイヤー・セイガーが詞をつけて、マービン・ハムリッシュ(コーラスライン)が作曲した佳作。



有名作曲家ヴァーノン(石井一孝)の元に、売れない作詞家(ヒット曲はたった一曲)のソニア(保坂知寿)が訪ねてくる。
エージェントに言われて、『良い仕事』をするために。



演出(と上演台本)は、最近私の中でブームになっている鈴木勝秀。

本当に良く出来た作品だったのですが、一番印象的だったのは、装置でした。(美術:松井るみ)
舞台いっぱいいっぱいに、(溢れんばかりに)大きな白いピアノのセットが一つ。“舞台装置”と言えるものは、これ一つ。

蓋があくと、中に部屋のセット。盆が回って、反対側に椅子を並べるとレストラン。尻尾の丸みの在る部分にライトをつけて自動車に。鍵盤側ではヴァーノンが作曲しているし、若干ですがソニアのダンスシーンもあったりする。
一つの装置が、盆の上でくるくる回りながら全ての場面のセットの元になることで、小さな舞台が大きく使えて、転換もスムーズ。スピード感があって巧い演出だなあ、と感心しました。
見立てが巧いのもスズカツ演出の特徴の一つですが、ホントしみじみと面白いこと考えてくれますよねぇ(*^ ^*)。

 

メインで芝居をするのは二人だけですが、作品としては男三人、女三人のコーラスメンバーがいます。
(あたしの中のソニアたち、あなたの中のヴァーノンたち)

GIRLS:久保田陽子、白神直子、中山眞美
BOYS:大嶋吾郎、KOHJIRO、結樺健
※私が観たときはこのメンバーでしたが、今は結樺健さんが体調不良で降板されていて、足立夏海さんが出演されているそうです。

スタジオを中心に活躍されている久保田陽子さん・大嶋吾郎さんは初めてでしたが、白神直子さんは何度か舞台で拝見しているはず。中山眞美ちゃんはGODSPELLのメインメンバーでしたね。(そういえば、GODSPELL最近上演していないような気が…。またやってください!> 青井陽治サマ)

KOHJIROさんと結樺(ゆから)健さんはRENT初演メンバー。(健さんはGODSPELL等、他にも何本か舞台に出ていますが)。っていか、まさかこんなところで伝説の(?)初演エンジェルとお会いでききるとは……。物凄くびっくりしました!相変わらずキレイな人だなあ(*^ ^*)。舞台復帰されていたんなら、今度のRENT再演も出てほしかったよー(オーディションは受けてくださったのかしら/涙)



そして。

純粋に実力で選ばれたシンガーたち(スズカツさんの人脈の広さには驚かされます)を従えて歌い踊る、日本ミュージカル界の誇るスター二人の、その圧倒的な存在感と芝居、そして実力と輝ける魅力。

ただもう、その輝きにうっとりと見惚れて、浸りきって、
良く出来た「ウェルメイド」な物語を愉しんで。




細かいことにうるさくて、あれこれと考えすぎなヴァーノン。
売れっ子作曲家だけど、その「幸運」がいつまで続くか不安で、心を支えきれずにカウンセラーに頼りながら。
それでも、心の泉から湧き出る“うつくしいもの”に容を与えるために必死で。しがみつくように曲を創って。

なけなしの「売れっ子」としてのプライドをソニアにコテンパンにヤられながら、それでもソニアを愛し、彼女を求めて、待ち続ける懐の大きさ。
石井さんの大きさ、情熱、そしてヴァルジャンを経て身についた包容力。
素の石井さんは、むしろソニアっぽいというか(笑)、語り始めると止まらないし、時間にてきとーで情熱の赴くままに本能で生きてるっぽいところがあるんですけれども、、、実際に作曲をなさっていらっしゃるだけに、創造にかける情熱やその苦しみを、とても良く知っている人なんだと思います。

自分を捨てて、格好悪い“莫迦で可愛い男”に成りきることができる、その思い切りの良さも素敵。歌唱力や芝居の巧さを語る以前に、「ヴァーノン」になれる素質っていうのは役者として大切な要素なんですよね。こういう役を演じるには技術も必要だけど、まず本人に魅力がないと、ただの“格好悪い男”になってしまうから。

…他に、この役をやれそうなスター俳優って思いつかないくらい、石井さんはハマり役でした。



そして、ソニア。

知寿さんの素晴らしささ、というのは、私が観始めてからだけでも
「永遠の処女テッサ」タイトルロールや水の妖精オンディーヌの透明感、
「李香蘭」川島芳子のシャープな格好良さ、
「クレイジー フォー ユー」ポリーの切なくて可憐な可愛らしさ、
「アスペクツ オブ ラヴ」ローズの愚かしい我侭さと美しさ、
そして何より、大評判を取った「マンマ・ミーア」ドナの、あの圧倒的な存在感と包容力……

こうして書き出してみると、役柄の幅の広さと華やかさには本当に驚かされるのですが。


スタイルが最高に良くて、歌えて踊れて芝居ができて華やかで。
知寿さんの魅力を語り始めたら絶対に5000文字突破してしまうんで自粛しますが、彼女の魅力が客席の一つ一つを直撃して観客を強制的に幸せにしてしまった、みたいな、そんな感動がありました。
なんなんでしょうね、あの逃れようのない魅力は。

あれが“華”とか“オーラ”とかいうものなのでしょうか…。



ストーリーをネタバレしないで語るのは結構難しいので、とりあえず割愛します。
とにかく、「売れっ子作曲家」と「売れない作詞家」が、互いを探りあい、共鳴しあいながら「新しい歌」をクリエートしていく、その過程が秀逸でした。

お互いに、相手の行動が想像を絶する奇矯な行動、としか思えなくて、どうしても理解しあえない二人。
それでも、お互いがクリエートする音楽と詞に惚れこんで、ぶつかりあいつつも仕事自体は実にスムーズに進む。

それが恋に変わり、さらに愛に落ち着くまでには、まだまだいろんなハードルがあって、ゴールはまるっきり見えないのだけれど。



良くある、「障害はたくさんあったけれども、二人で乗り越えられてよかったね」という“ウェルメイド”ではないところが、とても好きです。
いい作品だなあ、としみじみと思います。本当に面白かった!!


そして、もし万が一、この作品を宝塚で上演することになったならば、

……水&あすかでどうでしょうかねぇ。
(←それコンビじゃないし無理だから!)
(あ、でも、なんか水&となみも意外と似合うかも、という気がしてきた…)

OGまぜてもよければ、絶対絶対!!樹里&あすかなんですけどねっ!!
あるいは、コンビになる可能性が0じゃない二人で考えるなら、きりやん&たっちんとか案外嵌るかも?

なーんて、いろいろ妄想してみたくなるほど、楽しかったです(*~ ~*)v
あああ、花組と被ってさえいなければ、絶対もう一回観たのになぁ………(T T)。




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