落ち穂拾い

2014年4月29日 演劇
2月、3月に観た作品の、落ち穂を拾わせていただきます(^ ^)。


■少年社中15周年記念公演「好色一代男」(紀伊国屋ホール)

矢崎広くんの世乃介!!ということで観にいきました(^ ^)
井原西鶴も少年社中も、ちゃんと観るのは初めてだったのですが、とても刺激的で面白い公演でした♪

外部でもご活躍されている毛利亘宏さんらが中心となって結成された「少年社中」。早大劇研出身だそうですが、骨組みのしっかりした芝居を創る、レベルの高い演劇集団で、機会があればまた観てみたいなと思っています。(ちなみに、次回公演は7月「ネバーランド」だそうです……ピーターパンってこと?)
たまたま観劇したのが少年社中さんの15周年のまさにその日だったようで、ご挨拶がありました。「15年もたつと、『少年社中』っていうか『中年社中』みたいになってきますが……」とさりげなく笑わせて、「『心は少年』でがんばります」と〆る話術もさすがでした(^ ^)。


西鶴の原作は、連作短編のような形式になっていたと思いますが、この芝居は原作の最終話、還暦を過ぎた世之介が、「責め道具」をいっぱいに積んだ舟で女護ヶ島へ向けて船出した後から始まります。

女護ヶ島への船旅の途中で嵐に逢い、難破した世之介。意識を取り戻した世之介は、若返った自分と、過去に関係をもった人々の姿を見出して驚く。さらに、その場に「お前の人生を語ってほしい」と言いだす人物が現れる。……このあたりで、いま世之介がいるのは「あの世」と「この世」の境目なんだな、というざっくりした設定は何となくわかったのですが、ネタバレ的な意味では、それが判っていて良かったのかどうか…?という気もしました。

セットは、舞台中央を占める大きな階段がメイン。そのど真ん中で、あちこち肌蹴てほぼ半裸みたいな衣装にざんばら髪の矢崎くんは、色っぽくてきれいで、とても魅力的で……これはもう、いろいろ仕方ないな、とすんなり納得できたことがたくさんありました。
やっぱり私、矢崎くんのお芝居、好きだなあ(*^ ^*)。


プロローグ的なひとくさりの後は、ほぼ原作に沿って世之介の人生が回想として辿られる。
とても優しくて、魅力的な世之介。男女を問わず、出会った人間は皆、彼に惚れてしまう。でも、深く付き合うには、優しすぎて、無責任で、掴みどころがなくて……その理由を探るうちに、彼の中の空虚があからさまになっていく。
親に愛されなかった子供。

「関係した女は3742人、男は725人」といわれるほどに沢山の男女と関係しても、愛することも愛されることも学ぶことができずに還暦を迎えた世之介の、細い身体を埋め尽くした空虚。
「孤独」でさえない、「孤独」に耐える強ささえない世之介が、身の裡に抱えこんだ「うつろ」。

それでも、世之介に惚れた人々は、彼の空虚を愛で埋めたいと願う。世之介のしたことで結果的に不幸になった人はたくさんいたけれども、それでも、彼らは世之介の動機が優しさであったことを知っていて、彼に幸せになってほしいと思う。愛を知らない不幸に、世之介だけが気づいていないことにさえ気づいていた。
だから彼らは、「自分など地獄に落ちた方がいい」と嘆く世之介に語りかける。
「ありがとう」と。
「あなたに会えてよかった」と。

愛とは何か、そんなことわからなくても、人に温かいものをわたすことはできる。
世之介が女たち(男も)に渡していたのは、愛ではないかもしれないけれども、それにとてもよく似た、温かくて柔らかな、優しいモノだった……だから。愛を知らないなら教えてあげる。心が虚ろで寒いなら、温めてあげる。そのために男と女がいて、「愛」という言葉があるのだから。

それを教えられた世之介の、最後の決断を、私はとても美しいと思いました。
彼の中にあった空虚が埋められた瞬間。埋めてくれたのは今まで関係してきた大勢の人たちであり、いま目の前で酒瓶を差し出している「彼」であり……そして、世之介自身の「世界」への肯定の意思でもある。
無責任に生きてきた世之介が、このとき初めて、1人の人間の人生に責任を持とうとする。その、重みに耐えようとする意思が、彼の空虚を埋める。その意思の清しさが、世之介自身が気づいていない「愛」なのだ、と。それがとても美しくて、自然に涙が出てきました。。。。
泣くような作品だと思っていなかったので、ちょっと驚きましたが(@ @)


この作品を観たのは2月なので、先日「心中・恋の大和路」を観たときは全く連想しなかったのですが、いまになって感想を書こうと思って思い出してみると……「色・欲・金」と「愛」に対する価値観の相違が面白いな、と感じました。
忠兵衛にとっては「ままならぬもの」だった三百両、それをポンと使って、女郎たちに幸せを振りまく世之介の、忠兵衛とは全く違う苦悩。

忠兵衛には「愛」しかなかったし、世之介には「色・欲・金」しかなかった……彼はそう感じていた。最後のあの瞬間まで。


井原西鶴と近松門左衛門。似たような時代の似たような地域(上方)で人気を博した二人のクリエーター。
仲の悪い浄瑠璃一座同士の争いで、両陣営が二人に注文をしたようなこともあったようですが、作風の違いがなかなか興味深い!!もっと他の作品も観てみたいなあ、と今更思ったりして。。。
近松を語るのが植田景子さん(近松・恋の道行き)であるならば、西鶴を語るのは齋藤さんとか石田さんとかが適任なのでしょうか。エロティックな話が多いので、宝塚では難しいとは思いますが、うまくまとめてkれるなら観てみたいな、と思います。




■SHOW-izm VII「ピトレスク」(シアタークリエ)
小林香さんの「SHOW-izm」シリーズ第七弾。私は今回が初だったのですが、お芝居仕立てのショーかな?くらいの軽い気持ちで観に行って、、、完全に打ちのめされました。
こんな物凄いお芝居だとは思わなかった!!もっと覚悟して観に行くべきだった……!!

時代背景は1942年9月、ナチス占領下の巴里……ユダヤ人の強制連行が始まった直後。時代的には、先月観た「国民の映画」の方が少し早い、かな?あれはベルリンの物語で、こちらは巴里ですが。
同時代の作品は色々ありますが、最初に「国民の映画」を連想したのは、観た時期が近かったのもありますが、それ以上に、どちらも「芸術」のもつ力について語る作品だったから、だと思います。
「国民の映画」は“ドイツ帝国の権威”の象徴としての名作映画で、「ピトレスク」は、“支配への抵抗と精神の自由”の象徴としてのショー(“燃えない絵”)、でしたけれども

作品タイトルにもなっている「pittoresque」は、フランス語で「絵のように美しいさま」を意味する詞。この詞を象徴的に「燃えてしまった絵」に対する「燃えない絵」の意味にも使った脚本は、とても美しくて残酷で、綺麗でした。

自由な巴里の象徴だったキャバレー「La Figue(いちじく)」。その店がナチスによって閉店させられた時、店の象徴だった絵を避難させた「La Figue」の関係者たちが、夜な夜な閉鎖された額縁工場に集まり、ショーを創っている。自由の精神を受け継いだ地下キャバレーを開店するために。

登場人物は9人。
「La Figue」の象徴となる絵を描いた元ドイツ貴族の画家タマラ(保坂知寿)
ユダヤ人の恋人を強制連行で連れて行かれた、脚本家のジャン・ルイ(中川晃教)
ベルリンから亡命してきた、ユダヤ系ドイツ人小児科医のマルゴー(クミコ)
元「La Figue」衣装係で、タマラに愛されるカミーユ(彩輝なお)
ロマの血をひく「La Figue」の歌手、マヌエラ(JKim)
「La Figue」にパンを卸していたロシア系のピョートル(岡本知高)、肉屋のリュシエンヌ(風花舞)、その夫トマ(三井聡)
占領軍の兵士で、ダンスが大好きで、憧れの巴里で芸術品を扱う任務についているフリードリヒ(舘形比呂一)
元女給のイヴェット(美鳳あや)

構造としては群像劇なので、明解な主役は居ないのですが、タマラとカミーユ、そしてフリードリヒの物語が主軸になっていたと思います。特に……私が保坂さんのファンであるせいか、タマラが事実上の主役にも見えました。突出した存在感で「亡命した元ドイツ貴族」かつ「ドイツ政府が欲しがる芸術家」という設定に説得力がありました。


とはいえ、群像劇として一人ひとりのドラマがきちんと描かれていたことで、厚みのある作品に仕上がっていたと思います。
それぞれの人生を必死に生きている人々。肉屋は肉屋の、パン屋はパン屋の日常があり、それでも夜中の地下活動にも協力する。
「なりゆきで」と嘯きながらも、一生懸命に。

でも、やっぱり「なりゆき」は「なりゆき」で……タマラの選択も、フリードリヒの判断も、、、リュシエンヌの叫びまで、すべては『運命』の命じるままに動くしかなくて。
それでも、一度は額縁工場を出ていった彼らが、もう一度戻ってくるラストシーン……あれはたぶん、心だけ、なのだと思うのですが……あの場面がとても温かいものとして心に残りました。
ほとんどトラウマになっていた「国民の映画」の「普通の人々」の怖さが、少し拭われたような気がしました。人間は怖いけど、でも、信じられる人もいるのだ、と。

そういう人に出会えること自体が、僥倖なのかもしれないけれども。


今作でもう一つ印象に残ったのは、出演者の出自のバラバラさ加減、でした。
でも、その出自のバラバラさを、それぞれの役の人物の出自と重ねて個性を出させていたのが、巧いなー、と思いました。

・フランス人(ジャン・ルイ、カミーユ、リュシエンヌ、トマ、イヴェット)
 ほぼミュージカル界から。しかも、うち3人は宝塚OG。

・ロシア系フランス人(ピョートル)
 クラシック系のソプラニスタ

・ロマ系フランス人(マヌエラ)
 韓国出身、劇団四季で活躍

・ユダヤ系ドイツ人(マルゴー)
 シャンソン歌手

・ドイツ人(タマラ、フリードリヒ)
 保坂さんは劇団四季、館形さんはコンボイ。

「天守物語」とはまた違った意味での「異種格闘技」でしたが、さまざまなジャンルから人を集めただけの意味がある、見事なキャスティングでした。

物語の合間合間に入るショーシーンも、ダンサーと歌手を揃えた座組の魅力がよく出ていて、どれもとても良かったです。。。芝居仕立てのショー、じゃなくて、ショーシーンのある芝居であるということが、先行のチラシではよく判らなくて、一回しか観なかったことを悔やんでいます……(T T)




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