STスポット横浜にて、「中也論 ~よごれたかなしみ~」を観劇いたしました。


脚本・演出はオノマリコ。
出演している俳優は5人。中原中也役の小栗剛、中原孝子役の大川翔子、中原家の書生・高森敦夫役と過去の中原を演じた戸谷絵里、青山二郎・富永太郎・小林秀雄の3役を演じ分けた芝博文、そして、長谷川泰子(小林佐規子)の百花亜希。



中也といえば、長谷川泰子をめぐる小林秀雄との三角関係かと思えば、むしろ、長男文也を喪って神経衰弱を患い、鎌倉に引っ越してからの短い時間をメインにしていたのが新鮮でした。

妻・孝子と二男・愛雅(よしまさ)と静かに暮らす鎌倉の中原家を訪ねてくる友人・青山二郎。
そして、中也の脳裏を去来する友人たち……富永太郎、小林秀雄、そして、かつての恋人・長谷川泰子。
自分は「芸術の器」だと語る中也に、青山二郎は言う。「詩人をやめろ」と。詩人をやめて、器ではなく、人間として生きろ、と。


富永太郎と青山二郎と小林秀雄。芝さんが微妙に着替えながら(^ ^)演じていた3役は、いずれも暴風雨のような中也に散々振り回された、中也の「年上の友人」。彼らにとっての中原中也は、本当に「困った奴」だったんだろうな、と思う。
そんな暴風雨を、それでも優しく見守る高等遊民の青山、耐えきれずに逃げ出す心優しい富永と、傲慢な小林。それぞれのキャラクターごとの微妙な中也に対する感情(評価)の違いを、ちゃんと適切に表現していた芝さんの巧さに、うなりました。すごいなあ。っていうか、青山の無関心な優しさと、富永の真摯な優しさの色の違いがちゃんと伝わるのってすごい。

そして、小栗さんの中也が、それぞれの人に魅せる貌の違いがとても怖くて、良かったです。
年上の友人たちに見せる、甘え切った子供の貌。妻に見せる貌、泰子に見せる貌、、、そして、書生の敦夫に見せる、冷たい「芸術家」の貌。中也にとって、家族以外の人間の評価軸には「芸術家」OR「芸術家でない」の2択しかなくて。後者に認定された敦夫が、それでも中也の傍に、中也の魂を知りたいと渇望するだけのカリスマが、たしかに見えたから。
文也を喪って擦り切れてしまったのは中也という「器」であって、芸術家の魂は、その磨り減って薄くなった器の壁越しに更に光っているのだ、と。薄くなってしまった中也の肉体では、もう、その魂を留めてはおけないのだ、と。


今まで私が勝手にイメージしていた孝子にぴったりな、実務能力の高い、リアルな生活臭のする、大川さんの孝子。中也との生活に擦り切れてはいても、まだ彼を包んであげられるしなやかな包容力。庭のエピソードとときおり爆発する怒りのボルテージ。たぶん、孝子は、中也にとって「家族」であると同時に「生活の芸術家」だったんだろうな、と思う。そういう評価があったからこそ、彼は彼女との絆を結び得たのだ、と。彼女がとても強かったから、中也がとても弱かったから。

百花さんの泰子は、とても魅力的で、次々と男を愛し、男に愛された「モガ」にぴったりでした。
可愛くて魅力的で、たおやかで優しくて芯がなくて、弱い……ある意味、「ジャン・ルイ・ファージョン」の王妃マリー・アントワネットのような、次々に男に愛されるけれども幸せにはならない女。
ラスト、中也の葬式で号泣する泰子(佐規子、咲子、、、名前は他にもたくさんあったけれども)。
結構ながい時間をずっと泣き続けていなくてはならない大変な役でしたが、不自然でなく、とても綺麗に泣いていて、そんなところが女優なんだな、と思ったりしました。



この物語のラストは、1937(昭和12)年。回想シーンで一番古いのは、中学を落第して京都に出てきた(出された)1923年、中也は16歳。
2012年9月の猫的には、「琥珀色の雨に濡れて」より少し後で、「サン=テグジュペリ」より少し前……という時系列で認識しているんですが、あっているのかな?
ちなみに、サン=テックスは1900年生まれで、小林秀雄より2歳上です。フィッツジェラルドが1896年だから、このあたりまで同世代とくくってもいいのかな……?1907年生まれの中也は、やっぱりちょっと年下な感じ。若くして亡くなったから、活動時期は短いですが。





最後に、この公演とは何の関係もない与太話を。

私には、祐飛さんのファンになったばかりの頃からずっと夢見ていた役がいくつかありまして、そのうちの一つがこの中原中也でした。
ケロさんの小林秀雄と祐飛さんの中也でW主演、という夢を、ケロさんが組替えするまでずっと抱いていたんだよなぁ(T T)。組替後は、しょうがないから中也の単独主演か……いや、宝塚的に無理だな中也単独は……と思っていたら、「The Last Party」と「銀ちゃんの恋」が回ってきてびっくりした思い出。

ああ、でも、やっぱり観てみたかったなー、中原中也。まともな宝塚ファンには、「銀ちゃん」以上に嫌がられるだろうけど(^ ^;;;;

外部では、藤原竜也がそろそろやらないと出来なくなっちゃうから早くやって!と思っています(いずれやる前提)(←誰が脚本演出するんだよおい)……要するに、私にとって「中也を演じられる俳優」の絶対条件は、丸顔で童顔、ってことなのか?(←「小柄」って条件は無視ですか)



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