原宿のラフォーレミュージアムにて、る・ひまわり製作の「マクベス」を観劇いたしました。
25歳の矢崎広を主役にした、若きマクベスの物語。
昔に観たことがあるマクベスは、平幹二郎主演のと、あと、、、誰だったかな(汗)、とにかく年配のベテラン俳優によるマクベスしか観たことがなかったので、今回、そのままの脚本で若い俳優がマクベスを演じる…というのがとても興味深かったです。
ここしばらく、「薄桜鬼」「サンセット大通り」と私の中ではヒットが続いている矢崎くん。
彼がマクベスって、いったいどういう翻案がされているんだろう……?くらいな気持ちで(ごめんなさい)観に行ったのですが、どうしてどうして、河合祥一郎の翻訳を元にした、ごくごく正統派な「マクベス」でした。
(大きなカットは、マクダフ夫人がいなことくらい?)
演出は板垣恭一。「大江戸鍋祭り」の演出家で、普通の舞台演出は初めて……かな?と思っていたのですが、経歴を見たら「サイド・ショウ」の演出家なんですね!おお、これは観ておいてよかった(^ ^)。っていうか、そうか、「サイド・ショウ」と「大江戸鍋祭り」って同じ演出家だったのか……戦国鍋ってすごいんだな(←すごいの基準は何?)
舞台を中央において客席で360°囲い、セット大道具は一切なし、小道具も剣と杯以外は椅子くらい……というシンプルな舞台(美術・野村真紀、照明・三澤裕史)。17世紀、シェイクスピアが現役だった時代とは違って、現代演劇では冒険とも思える簡素な舞台でしたが、しっかりと台詞を聞かせられる役者を揃えたこと、舞台転換に時間を取られないので、若さゆえのエネルギーが堰き止められることなく流れつづけたことなど、いろんな条件が揃って、実に見事に引き込まれました。
「マクベス」ってシェイクスピア作品の中でも難解というか、すごく共感しにくい作品だと思っていたのですが、今回すごく共感できたのは、マクベスの愚かしい若さゆえに、だったのかも、と思いました。
まず、開演前に読んだ、プログラムの河合さんの言葉にすごく共感したんですよね。
「相手が望む自分でありたいという若々しい恋心」「妻の期待に応えて『男らしい男』になろうとして道を踏み外してしまう」(以上転載)
なるほど!と目から鱗が落ちた気がしました。
マクベス夫人もマクベスも、お互いがお互いの望む自分になろうとする。妻の期待に応えて「男らしい男」になろうとする夫と、夫の期待に応えて「怯える夫を慰め、その背を押してあげる女」であろうとする妻。分別のない若者の野心と、愛する男の心奥がわかるだけに、彼が理性で抑えようとする欲望を熾してしまう女の優しさ。
マクベスと妻の間には、細やかな心の遣り取りがあって、愛情に裏打ちされた交感があった。それが最終的には破滅へ向かうわけですが、その過程では、何一つ間違ったことはしていないわけです。二人は互いを思い遣り、互いに叱咤激励して一歩一歩眼の前の道を歩んできただけ。
……ただ、最初の一歩が間違っていたから、行き着く先は悲劇になったというだけのこと。
マクベスは恐妻家なのではなく、愛妻家だった……というのも、言われてみればそうなんですけど、今まであんまり考えたことがなかったな、と気づきました。
そして。
二人の間にあれだけはっきりとした愛情があると、マクベス夫人に名前がないことにとても違和感を感じました。
愛する夫から「お前」あるいは「妃」としか呼ばれない女。馬渕英俚可さんが演じた彼女は、そんな記号的な女ではなく、もっとずっとリアルで情の深い女だったのだから、ロザモンドでもリーガンでもガートルードでも何でもいいから、名前をつけてあげれば良かったのに……。
戯曲的には、「どこにでもいる普通の妻」がいつでもマクベス夫人になりうる、ということで名前がないのだと言われているようですが、、、ううむ。
馬渕さん、私が前回観たのは「銀河英雄伝説 自由惑星同盟篇」のジェシカ・エドワーズでしたが、、、冷静沈着なしっかりした女性で、夫(恋人)を深く愛し、理解もしている、、、という意味では共通点があるんだなあ、思いました。
恋人を奪った戦争の戦勝演説をする権力者に向かって歩いていく凛とした後ろ姿と、夫の前では笑顔で彼の不安を取り除きながら、眠ることもできずに手を洗い続ける憐れな姿。ちょっと発想に飛躍があるかもしれませんが(^ ^;ゞ、観ていての印象として、この二人の女は同じ事象の表と裏なのだ、という実感がありました。
そして、その両面をちゃんと演じられる人だからこそ、脚本の中では語られないマクベス夫人の優しさも表現出来てしまうんだろうな、と。
登場場面で着ている白いドレスがとても美しく、似合っていました。矢崎くんとの並びもお似合いで、芝居としても素晴らしかったです(*^ ^*)。あああ、いまさら(話も無関係)だけど「プライド」観たかったなあ……(再演祈願)。
馬渕さん以外のキャストは全員男性。声の良い人が多くて楽しかったです。
中でもマクダフ役の松村雄基さんは恰好よくて色っぽくて殺陣も巧くて……なにもかもさすがの一言。今回のメンバーの中ではベテランと言うべき唯一の人で、演出家もかなり彼に頼っている感がありました。
バンクォー役の国沢一誠さんは、演劇の舞台初出演。喋りは本職のはずですが、マイクなしの舞台で発声から苦戦していました。前半の準主役なので、もうちょっとがんばってほしいところもありましたが、千秋楽までに進化してくれますように。
一つ驚いたのは、ごく一部を除いて(すいません)ほとんどのメンバーが、まだ若いのにシェイクスピアの台詞を違和感なくこなしていたこと。特に主演の矢崎くんやヒロインの馬渕さんの台詞まわしの見事さには感心というか驚きました。難解で知られる台詞を滑らかに聞かせて、簡素なセットから情景をきちんと立ち上げる。さりげなくやっているけど、本当の意味できちんと芝居の訓練を受けている人たちなんだな、と……ああいや、もちろん、マクダフ役の松村雄基さんが巧いのは当たり前だから驚かなかっただけで、さすがに一日の長がありましたが(^ ^)。
個人的には、現在月組の「ロミオとジュリエット」に嵌っているので、幕開き早々に魔女たちの「綺麗は汚い」という台詞が流れたことに受けてしまいました。いや、もともと「マクベス」の台詞であることは知ってるんですが、つい(^ ^;。
この作品が初主演となった矢崎くん。立派な経歴になったと思います。
ハンサムで歌えて動けて、、、ミュージカルにも出てほしいし、ストレートプレイもやってほしいし、これからが楽しみな役者がまた一人出てきたな、と。
馬渕さんともども、これからの活躍が楽しみです♪
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25歳の矢崎広を主役にした、若きマクベスの物語。
昔に観たことがあるマクベスは、平幹二郎主演のと、あと、、、誰だったかな(汗)、とにかく年配のベテラン俳優によるマクベスしか観たことがなかったので、今回、そのままの脚本で若い俳優がマクベスを演じる…というのがとても興味深かったです。
ここしばらく、「薄桜鬼」「サンセット大通り」と私の中ではヒットが続いている矢崎くん。
彼がマクベスって、いったいどういう翻案がされているんだろう……?くらいな気持ちで(ごめんなさい)観に行ったのですが、どうしてどうして、河合祥一郎の翻訳を元にした、ごくごく正統派な「マクベス」でした。
(大きなカットは、マクダフ夫人がいなことくらい?)
演出は板垣恭一。「大江戸鍋祭り」の演出家で、普通の舞台演出は初めて……かな?と思っていたのですが、経歴を見たら「サイド・ショウ」の演出家なんですね!おお、これは観ておいてよかった(^ ^)。っていうか、そうか、「サイド・ショウ」と「大江戸鍋祭り」って同じ演出家だったのか……戦国鍋ってすごいんだな(←すごいの基準は何?)
舞台を中央において客席で360°囲い、セット大道具は一切なし、小道具も剣と杯以外は椅子くらい……というシンプルな舞台(美術・野村真紀、照明・三澤裕史)。17世紀、シェイクスピアが現役だった時代とは違って、現代演劇では冒険とも思える簡素な舞台でしたが、しっかりと台詞を聞かせられる役者を揃えたこと、舞台転換に時間を取られないので、若さゆえのエネルギーが堰き止められることなく流れつづけたことなど、いろんな条件が揃って、実に見事に引き込まれました。
「マクベス」ってシェイクスピア作品の中でも難解というか、すごく共感しにくい作品だと思っていたのですが、今回すごく共感できたのは、マクベスの愚かしい若さゆえに、だったのかも、と思いました。
まず、開演前に読んだ、プログラムの河合さんの言葉にすごく共感したんですよね。
「相手が望む自分でありたいという若々しい恋心」「妻の期待に応えて『男らしい男』になろうとして道を踏み外してしまう」(以上転載)
なるほど!と目から鱗が落ちた気がしました。
マクベス夫人もマクベスも、お互いがお互いの望む自分になろうとする。妻の期待に応えて「男らしい男」になろうとする夫と、夫の期待に応えて「怯える夫を慰め、その背を押してあげる女」であろうとする妻。分別のない若者の野心と、愛する男の心奥がわかるだけに、彼が理性で抑えようとする欲望を熾してしまう女の優しさ。
マクベスと妻の間には、細やかな心の遣り取りがあって、愛情に裏打ちされた交感があった。それが最終的には破滅へ向かうわけですが、その過程では、何一つ間違ったことはしていないわけです。二人は互いを思い遣り、互いに叱咤激励して一歩一歩眼の前の道を歩んできただけ。
……ただ、最初の一歩が間違っていたから、行き着く先は悲劇になったというだけのこと。
マクベスは恐妻家なのではなく、愛妻家だった……というのも、言われてみればそうなんですけど、今まであんまり考えたことがなかったな、と気づきました。
そして。
二人の間にあれだけはっきりとした愛情があると、マクベス夫人に名前がないことにとても違和感を感じました。
愛する夫から「お前」あるいは「妃」としか呼ばれない女。馬渕英俚可さんが演じた彼女は、そんな記号的な女ではなく、もっとずっとリアルで情の深い女だったのだから、ロザモンドでもリーガンでもガートルードでも何でもいいから、名前をつけてあげれば良かったのに……。
戯曲的には、「どこにでもいる普通の妻」がいつでもマクベス夫人になりうる、ということで名前がないのだと言われているようですが、、、ううむ。
馬渕さん、私が前回観たのは「銀河英雄伝説 自由惑星同盟篇」のジェシカ・エドワーズでしたが、、、冷静沈着なしっかりした女性で、夫(恋人)を深く愛し、理解もしている、、、という意味では共通点があるんだなあ、思いました。
恋人を奪った戦争の戦勝演説をする権力者に向かって歩いていく凛とした後ろ姿と、夫の前では笑顔で彼の不安を取り除きながら、眠ることもできずに手を洗い続ける憐れな姿。ちょっと発想に飛躍があるかもしれませんが(^ ^;ゞ、観ていての印象として、この二人の女は同じ事象の表と裏なのだ、という実感がありました。
そして、その両面をちゃんと演じられる人だからこそ、脚本の中では語られないマクベス夫人の優しさも表現出来てしまうんだろうな、と。
登場場面で着ている白いドレスがとても美しく、似合っていました。矢崎くんとの並びもお似合いで、芝居としても素晴らしかったです(*^ ^*)。あああ、いまさら(話も無関係)だけど「プライド」観たかったなあ……(再演祈願)。
馬渕さん以外のキャストは全員男性。声の良い人が多くて楽しかったです。
中でもマクダフ役の松村雄基さんは恰好よくて色っぽくて殺陣も巧くて……なにもかもさすがの一言。今回のメンバーの中ではベテランと言うべき唯一の人で、演出家もかなり彼に頼っている感がありました。
バンクォー役の国沢一誠さんは、演劇の舞台初出演。喋りは本職のはずですが、マイクなしの舞台で発声から苦戦していました。前半の準主役なので、もうちょっとがんばってほしいところもありましたが、千秋楽までに進化してくれますように。
一つ驚いたのは、ごく一部を除いて(すいません)ほとんどのメンバーが、まだ若いのにシェイクスピアの台詞を違和感なくこなしていたこと。特に主演の矢崎くんやヒロインの馬渕さんの台詞まわしの見事さには感心というか驚きました。難解で知られる台詞を滑らかに聞かせて、簡素なセットから情景をきちんと立ち上げる。さりげなくやっているけど、本当の意味できちんと芝居の訓練を受けている人たちなんだな、と……ああいや、もちろん、マクダフ役の松村雄基さんが巧いのは当たり前だから驚かなかっただけで、さすがに一日の長がありましたが(^ ^)。
個人的には、現在月組の「ロミオとジュリエット」に嵌っているので、幕開き早々に魔女たちの「綺麗は汚い」という台詞が流れたことに受けてしまいました。いや、もともと「マクベス」の台詞であることは知ってるんですが、つい(^ ^;。
この作品が初主演となった矢崎くん。立派な経歴になったと思います。
ハンサムで歌えて動けて、、、ミュージカルにも出てほしいし、ストレートプレイもやってほしいし、これからが楽しみな役者がまた一人出てきたな、と。
馬渕さんともども、これからの活躍が楽しみです♪
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