confidant。
2007年6月26日 ミュージカル・舞台 コメント (5)コンフィダント・絆。
今のところ、今年観たお芝居(脚本)のNo.1に輝いている作品。
大阪公演の楽が過ぎたら、詳しいストーリーとか細かい泣きポイントとかを書いてみようと思っていたのですが。
じたばたしているうちに、緑野こあら様があまりにも素晴らしいレポート(?)をしてくださいましたので、TBさせていただきます(^ ^;ゞ
http://diarynote.jp/d/22804/20070607.html
…まさにその通り!
付け加えることは何もございません、ってな感じでございます…。
というわけで。
私も妄想配役で遊んでみたいと思います(^ ^)。
花組さんは、こあら様の書かれた以上のキャスティングが思いつきませんので割愛しまして、
まずは月組。
天才ゴッホに霧矢大夢。
ゴッホに恋するゴーギャンに嘉月絵理。
理屈先行のスーラに大空祐飛。
空気の読めないシュフネッケルに遼河はるひ。
そして、ルイーズは末子姐。(←ココ重要)
…自分で書いておいてなんですが。大空祐飛さんのファンとしては、ものすごく痛い配役だな…。
ファンだから、贔屓役者にはやっぱりゴーギャンをやってほしい、っていう気持もあります。だって、そりゃあゴーギャンの方がかっこいいもん!
でも。
すごーく個人的になんですけど、2幕でゴッホが絵を切るのを見凝める場面、スーラが祐飛さんだったら、いったいどんな顔をしてくれるんだろう?というところにモノ凄く興味があるので。
そして、絵理さんは絶対スーラよりゴーギャンなので、
あえてこの配役、です。(…言い訳っ)
お披露目を迎えたばかり(オメデトウゴザイマス)の宙組。
まず、シュフネッケルのみっちゃんは決定ね(^ ^)。
で。
ゴーギャンはともちん、
スーラは七帆くんに。
で、ゴッホは……ウメちゃんがいいんだけどなあ……。
あの破壊力と繊細さの同居っぷりとか、持って生まれたモノを持て余している感じとか、生活能力なさそうなイメージ(←勝手なイメージですみません)とか、
…すごくぴったり。
で、ルイーズが蘭トムね(←マジか)
タニちゃんは、この4人の中でどれか、と言えばゴッホなんでしょうけど、個人的にはあまり積極的に観たいと思えない…。やっぱりタニちゃんには、もっと少年っぽい、王子さま系の役が似合うと思うんですよね。こういうドロドロした役よりも。
ウメちゃんが駄目なら、蘭トムの方がまだイメージ近いかな。ちゃんと壊れてくれそうな気がします。
まぁ、あの子供っぽい残酷さが出せるかどうかは…わかりませんが。
さて、星組。
ルイーズはあすか。これは決定。
トウコさんは、ホントはゴーギャンよりゴッホな気がするんですけど、せっかくルイーズがあすかなので、ここはあえてゴーギャンをやっていただきたいと思います。
スーラはすずみん。
シュフネッケルはしいちゃん。
で。
トウコさんのゴーギャンから、愛憎のありったけを向けられるゴッホ。
生活能力皆無の天才児、は。
……OGねったん特出でお願いします…。(←最終兵器発動中)
Confidant。
この言葉には、(打明け話のできる)親友・腹心、心許す相手、という意味があるそうですが。
これは本来、優越感を持つ者と劣等感を持つ者の間では成立しにくい関係、ですよね。
三谷の脚本において、スーラは「成功者」として描かれています。
独特の「点描画法」の開拓者として「成功」しており、展覧会などにも「呼ばれる」立場にある彼は、確かに『無意識の』優越感を抱いている。
スーラは、2幕でゴッホの絵を見るまで、彼の天才に気づいていなかった(…よね?)ので、あの瞬間まで、「4人の中で一番優れているのは自分である」と信じていたはず。
それに対して、ゴッホとゴーギャンが抱く「劣等感」は、「いや、でも、絵の才能は俺の方があるし」という確信によって「優越感」にすり替えられていまする。
「奴は才能なんぞない。人の描かない分野を開拓して悦にいっている、哀れな奴だ」と。
でもゴーギャンは、その欺瞞にも気づいてしまっている。
なんとなれば、自分より更に先行する天才の存在があるから。
ゴッホは自分が天才であることを知っている。
他のメンバーが天才でないことも知っている。
…でも、それを信じることができない。
シュフネッケルは「(仲間内では比較的)金持ち」でり、美術教師の定職もあって、経済的には余裕があった。
だから何も気づかない。彼はただ、「芸術」を「愉しんで」いる、だけ。
だから彼はしあわせで。しあわせなまま、コンフィダントでいられるのでしょう。
このシュフネッケルを見ながら、私は、昔読んだコミックの登場人物を思い出していました。
“芸術家”を志しながら、生家が「まともで幸せな、ごくありふれた家庭」であり、生い立ちもごく平凡で幸せなものであったことに、コンプレックスを抱く青年。
彼は“芸術家”たらんために事件を起こし、自分自身を不幸にしようとするのですが。
…家庭的な幸せと芸術の昇華、というのは、絶対的に相反するものなのでしょうか?
4人の中で、唯一の「まともな家庭人」シュフネッケルの、最後の慟哭が。
真の“芸術家”たりえない、自分自身への深い絶望が。
もちろん、現実のシュフネッケルは、そのまま“そこそこの”人生を送ったのだと思いますが…
彼は、何か事件を起こしてでも、自分自身に不幸を招いて“芸医術家”として立つ路を考えることはなかったのだろうか、と。
そこまでの狂気は持たない人だった、という結論でいいのかどうか、と。
万が一、そうなった時に。
彼の「コンフィダント」たちは、いったいどうしただろうか、とか。
4つの部分に分けられるこの作品の中で、シュフネッケルのエピソードが最後に来るのは、「観客」という名の凡人にとって、一番痛いのが彼だから、なんだろうな、とか。
そんなことを考えながら。
さらには。
宝塚という、あるいは他の分野であれ、「舞台芸術」という総合芸における“互いの信頼関係”というのは、何なのか、と。
そこに「Confidant」が、…あるのかどうか?と。
役者として「信頼」しあうことと、舞台上で「馴れ合う」ことは、まったく違う次元のことですが。
この「コンフィダント・絆」という舞台作品において、馴れ合っている人は誰もいなかった。
これだけ長いつきあいのあるメンバーが一堂に会して、馴れ合うことなく、もの凄い緊張感を持って舞台に取り組んでいる。
それ自体が、奇跡なのかもしれない、とか。
そんなことが、泣き疲れて頭痛がする頭をぐるぐる回っていたのでした……。
最後に(また関係ない話だよ…)。
本命さんの記念日を吹っ飛ばしておきながら、コレを書くのはちょっと勇気がいるのですが、
(………絵理さん末子姐のばかぁっ!!)
未涼亜希さま、お誕生日おめでとうございます。
「舞姫」を観にいくこともしなかった私は、本当の“まっつファン”ではないのだけれども。
(…行けなかったんですけど、まぁファンなら何を差し置いても行ったよな…)
でも。
今、花組にまっつが居てくれる幸いに想いを馳せてみたりして。
…ご活躍をお祈りしています。
.
今のところ、今年観たお芝居(脚本)のNo.1に輝いている作品。
大阪公演の楽が過ぎたら、詳しいストーリーとか細かい泣きポイントとかを書いてみようと思っていたのですが。
じたばたしているうちに、緑野こあら様があまりにも素晴らしいレポート(?)をしてくださいましたので、TBさせていただきます(^ ^;ゞ
http://diarynote.jp/d/22804/20070607.html
…まさにその通り!
付け加えることは何もございません、ってな感じでございます…。
というわけで。
私も妄想配役で遊んでみたいと思います(^ ^)。
花組さんは、こあら様の書かれた以上のキャスティングが思いつきませんので割愛しまして、
まずは月組。
天才ゴッホに霧矢大夢。
ゴッホに恋するゴーギャンに嘉月絵理。
理屈先行のスーラに大空祐飛。
空気の読めないシュフネッケルに遼河はるひ。
そして、ルイーズは末子姐。(←ココ重要)
…自分で書いておいてなんですが。大空祐飛さんのファンとしては、ものすごく痛い配役だな…。
ファンだから、贔屓役者にはやっぱりゴーギャンをやってほしい、っていう気持もあります。だって、そりゃあゴーギャンの方がかっこいいもん!
でも。
すごーく個人的になんですけど、2幕でゴッホが絵を切るのを見凝める場面、スーラが祐飛さんだったら、いったいどんな顔をしてくれるんだろう?というところにモノ凄く興味があるので。
そして、絵理さんは絶対スーラよりゴーギャンなので、
あえてこの配役、です。(…言い訳っ)
お披露目を迎えたばかり(オメデトウゴザイマス)の宙組。
まず、シュフネッケルのみっちゃんは決定ね(^ ^)。
で。
ゴーギャンはともちん、
スーラは七帆くんに。
で、ゴッホは……ウメちゃんがいいんだけどなあ……。
あの破壊力と繊細さの同居っぷりとか、持って生まれたモノを持て余している感じとか、生活能力なさそうなイメージ(←勝手なイメージですみません)とか、
…すごくぴったり。
で、ルイーズが蘭トムね(←マジか)
タニちゃんは、この4人の中でどれか、と言えばゴッホなんでしょうけど、個人的にはあまり積極的に観たいと思えない…。やっぱりタニちゃんには、もっと少年っぽい、王子さま系の役が似合うと思うんですよね。こういうドロドロした役よりも。
ウメちゃんが駄目なら、蘭トムの方がまだイメージ近いかな。ちゃんと壊れてくれそうな気がします。
まぁ、あの子供っぽい残酷さが出せるかどうかは…わかりませんが。
さて、星組。
ルイーズはあすか。これは決定。
トウコさんは、ホントはゴーギャンよりゴッホな気がするんですけど、せっかくルイーズがあすかなので、ここはあえてゴーギャンをやっていただきたいと思います。
スーラはすずみん。
シュフネッケルはしいちゃん。
で。
トウコさんのゴーギャンから、愛憎のありったけを向けられるゴッホ。
生活能力皆無の天才児、は。
……OGねったん特出でお願いします…。(←最終兵器発動中)
オマケ。
ルイーズ=堀内敬子嬢がコゼットをやっていた時代の、レ・ミゼラブル(マリウス)メンバーで選ぶとしたら。
ゴッホ 石井一孝
ゴーギャン 戸井勝海
スーラ 津田英佑
シュフネッケル 石川禅
かな…。津田さんのスーラがちょっと微妙。戸井さんと逆でもいいかも。
アンジョルラスも入れるなら、ゴーギャンに今拓也さん、スーラに戸井勝海さん、かな。岡幸二郎さんは、イマイチこの作品のイメージに合わない気がするのでパス(汗)で
Confidant。
この言葉には、(打明け話のできる)親友・腹心、心許す相手、という意味があるそうですが。
これは本来、優越感を持つ者と劣等感を持つ者の間では成立しにくい関係、ですよね。
三谷の脚本において、スーラは「成功者」として描かれています。
独特の「点描画法」の開拓者として「成功」しており、展覧会などにも「呼ばれる」立場にある彼は、確かに『無意識の』優越感を抱いている。
スーラは、2幕でゴッホの絵を見るまで、彼の天才に気づいていなかった(…よね?)ので、あの瞬間まで、「4人の中で一番優れているのは自分である」と信じていたはず。
それに対して、ゴッホとゴーギャンが抱く「劣等感」は、「いや、でも、絵の才能は俺の方があるし」という確信によって「優越感」にすり替えられていまする。
「奴は才能なんぞない。人の描かない分野を開拓して悦にいっている、哀れな奴だ」と。
でもゴーギャンは、その欺瞞にも気づいてしまっている。
なんとなれば、自分より更に先行する天才の存在があるから。
ゴッホは自分が天才であることを知っている。
他のメンバーが天才でないことも知っている。
…でも、それを信じることができない。
シュフネッケルは「(仲間内では比較的)金持ち」でり、美術教師の定職もあって、経済的には余裕があった。
だから何も気づかない。彼はただ、「芸術」を「愉しんで」いる、だけ。
だから彼はしあわせで。しあわせなまま、コンフィダントでいられるのでしょう。
このシュフネッケルを見ながら、私は、昔読んだコミックの登場人物を思い出していました。
“芸術家”を志しながら、生家が「まともで幸せな、ごくありふれた家庭」であり、生い立ちもごく平凡で幸せなものであったことに、コンプレックスを抱く青年。
彼は“芸術家”たらんために事件を起こし、自分自身を不幸にしようとするのですが。
…家庭的な幸せと芸術の昇華、というのは、絶対的に相反するものなのでしょうか?
4人の中で、唯一の「まともな家庭人」シュフネッケルの、最後の慟哭が。
真の“芸術家”たりえない、自分自身への深い絶望が。
もちろん、現実のシュフネッケルは、そのまま“そこそこの”人生を送ったのだと思いますが…
彼は、何か事件を起こしてでも、自分自身に不幸を招いて“芸医術家”として立つ路を考えることはなかったのだろうか、と。
そこまでの狂気は持たない人だった、という結論でいいのかどうか、と。
万が一、そうなった時に。
彼の「コンフィダント」たちは、いったいどうしただろうか、とか。
4つの部分に分けられるこの作品の中で、シュフネッケルのエピソードが最後に来るのは、「観客」という名の凡人にとって、一番痛いのが彼だから、なんだろうな、とか。
そんなことを考えながら。
さらには。
宝塚という、あるいは他の分野であれ、「舞台芸術」という総合芸における“互いの信頼関係”というのは、何なのか、と。
そこに「Confidant」が、…あるのかどうか?と。
役者として「信頼」しあうことと、舞台上で「馴れ合う」ことは、まったく違う次元のことですが。
この「コンフィダント・絆」という舞台作品において、馴れ合っている人は誰もいなかった。
これだけ長いつきあいのあるメンバーが一堂に会して、馴れ合うことなく、もの凄い緊張感を持って舞台に取り組んでいる。
それ自体が、奇跡なのかもしれない、とか。
そんなことが、泣き疲れて頭痛がする頭をぐるぐる回っていたのでした……。
最後に(また関係ない話だよ…)。
本命さんの記念日を吹っ飛ばしておきながら、コレを書くのはちょっと勇気がいるのですが、
(………絵理さん末子姐のばかぁっ!!)
未涼亜希さま、お誕生日おめでとうございます。
「舞姫」を観にいくこともしなかった私は、本当の“まっつファン”ではないのだけれども。
(…行けなかったんですけど、まぁファンなら何を差し置いても行ったよな…)
でも。
今、花組にまっつが居てくれる幸いに想いを馳せてみたりして。
…ご活躍をお祈りしています。
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コメント
妄想配役に最終兵器投入してイイなら、星組にケロでお願いします。ゴッホ@トウコにゴーギャン@ケロ。観客に年齢制限必要なくらいエロエロになると思いますよっww
そしてみつきねこさん、月組にだけトップスター様の名前がありませんよ……。や、ウチもなんで大きな声では言えませんが……。
きりやんの『大坂侍』も、みわっちの『舞姫』も観て欲しかったっす。みつきねこさんの感想が聞きたかった……。まっつがすごい良かったんですよぉー(個人的意見の押しつけはヤメヨウ)。
それだけは書くまい、と思って、あえてトウコさんゴーギャンにしたのにぃ〜。(で、ねったん投下してたら意味ナシ)
その場合、ルイーズはあすかじゃなくて、人生の裏も表も知り尽くしたお姉さまか、何も知らない清らかで無邪気な美少女か、どちらかでお願いしたいですねっ(^ ^)
トップスター様のお名前…わっ!素で考えてませんでしたっ(滝汗)宙はわざわざ言い訳したのにっごめんなさい麻子さんっっっ。
いや、あの、言い訳させていただきますが。月組はそもそも、ゴーギャン=絵理さん、ルイーズ=末子さんから始まったんで。で、ナホちゃんシュフネッケル、まいちゃん(一色)スーラ、だったの。
でもゴッホがいないなー、と。で、ゴッホ=きりやん、ってピースを見つけて、あとはすんなり。そんな感じで考えたので、トップスター様は別枠だったんですよー。
…麻子さんが、あそこまで自分の醜さをさらけださなくては演じられない痛い芝居に取り組んでいる姿を想像できなかった、ってのもありますが…。
大坂侍も舞姫も、ほんとーにほんとーにほんとーーーーー!に観たかったんですぅ(悔泣)。
舞姫は、ぜひぜひ来年3月の「ラスパ枠」での東上を期待してます♪(後援会の皆様、署名活動などなさる際にはぜひ猫にも声を…)
でもののすみちゃんが、日々前進してしまってるので
半年経ったら、また違うエリスになってしまって
やはりあの「舞姫」はあのときに観ないとだめだったんだろうなぁと思ったりもします。
ところで、私も今の時点での今年のNo.1作品です!
ルイーズ=堀内敬子嬢がコゼットをやっていた時代の、レ・ミゼラブル(マリウス)メンバーで選ぶとしたら。
ゴッホ 石井一孝
ゴーギャン 戸井勝海
スーラ 津田英佑
シュフネッケル 石川禅
戸井さんと津田さんは逆がいいかなと思いました。
禅さんで最後の場面が浮かびます。
泣いちゃいそうだーーー
>やはりあの「舞姫」はあのときに観ないとだめだったんだろうなぁと思ったりもします。
……(T T)。
禅ちゃんのシュフネッケル、観たいですよねー!
すっごい泣けると思う。ラストも。
津田さん、私にとってはマリウスよりベストプルヴェールの印象が強いんですが。やっぱりどちらかといえばゴーギャンかな…。
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話は変わるのですが、芸術家を志す青年の話を聞いて、ある小説家のエッセイを思い出しました。彼女は子供の頃から小説家を夢見ていましたが、自分がなれるとは思っていませんでした。なぜなら、彼女は平和な日本の普通の家に生まれて、ごく平凡な人生を送ってきたから。彼女は小説家とは「何年も投獄されたり、戦争を生き抜いたりした人がなるもの」だと信じていたのです。彼女は悩んだ結果、日本を飛び出すことを決意し、最期には偉大な作家になります。その青年も平和な日本や普通の家庭から離れたどこかに行ってみるという選択肢もあるはずだったとおもうのですが、いかがでしょうか?
(まあ、彼女は元からかなり変わった人ですが。彼女がファンタジーを書くようになったのは、外国が舞台の歴史小説を書こうとして、外国語が大の苦手で挫折→そうだ、自分で0から世界をつくればいいんだ、と思ったのがきっかけだと語っていますが、こんな発想はなかなかできないと思います)