梅田のシアター・ドラマシティにて、 宝塚花組公演「銀ちゃんの恋」を観劇いたしました!!




面白かった!


切なくて、痛くて、苦しくて、
涙が止まらなくて、

でも、サイコーに楽しかったですp(^^)q!!



ぜひぜひ、一度は観てみてくださーい!!…みんな(主に心配なのは、銀ちゃんとヤス)の声が、ちゃんと出るうちに(笑)






なによりもまず、「銀ちゃん」のかっこよさに、乾杯。
思わず、「銀ちゃんかっこいい〜〜っ!!」と叫ばずにはいられない、輝かしさ。

そして、「小夏」の柔らかな可愛いらしさと「ヤス」の優しさ。おままごとのような、微笑ましい夫婦ごっこ。



この作品において、「銀ちゃん」はタイトルロールですが、観客の視点はつねにヤスに、あるいは小夏にあります。
一貫して、ヤスから見た「銀ちゃん」、小夏から見た「銀ちゃん」が描かれる。その二つの像は、つねに微妙な距離をおいて重なり合い、共鳴しあいつつ、「銀ちゃん」の実像には触れようとしない。

そこに居るのは、あくまでも“虚像のスター”としての倉丘銀四郎であって、“実在の個人”ではない。

だからこそ。

宝塚としては、あまりにリアルすぎて観るのも辛いほどだった、二幕のヤスと小夏の場面が、
(野々)すみ花ちゃんとみつる(華形ひかる)くんの、“かわいらしくて優しい”持ち味によってさりげなくカバーされ、その中で語られる銀ちゃんの性格破綻ぶりまでが、オブラートに包まれて、ファンタジーに、なる。
嘘のない、タカラヅカという名のファンタジーに。



銀ちゃんのカリスマぶりと、眩しいほどのスターオーラ。
そんなものが祐飛さんにあるなんて、今の今まで知りませんでした。
どんなに酷いひとでも、それ故にこそ愛さずにはいられない。それが、スターというものなのだ、と、

思い知って。



橘のめおちゃんの、さりげないスターオーラ。
まりんさんを中心とした、スタッフたちの手堅さ。
大部屋の俳優たち、
女優たち。



何よりも、下級生たちまで実に楽しそうに、遣りたい放題遣らせてもらって、楽しそうに輝いているのが、とても嬉しかったです。



楽まで、あと、10日。
みなさん、よろしくお願いいたします!!m(__)m
今日はいよいよ、ドラマシティ「銀ちゃんの恋」の初日公開舞台稽古の幕があがります。




……がんばれ、銀ちゃん。





10年以上も、前。
宝塚ファンになったばかり、月組ファンになったばかりの私が、
ビデオで観ただけにも関わらず、目が溶けるんじゃないかと思ったほど号泣した「銀ちゃんの恋」。
つかこうへいが好きで、「蒲田行進曲」が好きで。
「蒲田行進曲」をタカラヅカに持ってきた石田昌也の心意気に、惚れこんだあの時。



久世さんの銀ちゃん、

風花舞ちゃんの小夏、

汐風幸さんのヤス、

樹里ちゃんの橘。


監督さんから朋子まで、本当に全員が嵌り役だった初演の「銀ちゃんの恋」。


あれで、
あのビデオで私は月組ファンになったのかもしれません。





祐飛さん。
「銀ちゃん」主演おめでとうございます。

長いこと私は、祐飛さんのヤスが観てみたいと思っていました。
ずっと、本当に長いこと。



でも今、ヤスでなく銀ちゃんをやる祐飛さんを観ることができる、この幸せ。

みつるくんのヤスに、「銀ちゃんかっこいいーーーー!」と、
演技でなく言わせてしまうような銀ちゃんになってくれることを祈っています。

そして、めおちゃんの橘に「ケッ!」と思われるような銀ちゃんでもあってほしい。





はじめっから、同じものを観たいなんて思ってません。
だって、今は2008年で、ここは花組なんだもの。

初演が、月組の、月組による、最高に月組らしい作品だったように、

今回の再演が、花組の、花組による、花組らしい公演になりますように。



つかこうへいの世界と、タカラヅカの世界が初めて交わった、12年前。

久世さんみたいな役者が出てくることは二度とないだろうと思っていたのに、
思いもよらず、こうして再演が叶い……
そうして再び、こうしてあいまみえる「つかこうへいとタカラヅカ」の狭間。




二度と来ることのできないであろう世界で、思いっきり愉しみたいと思っています。





久世さん、優子姫、幸ちゃん、樹里ちゃん、檀ちゃん、さおり(高翔みずき)さん………

初演の関係者がみーんな“うち揃って”観に来てくださらないかなあ★
そんなメンバーが客席にいたら、祐飛さん、どんな貌をするんでしょうか(笑)。






…ま、とりあえずは。

初日をご覧になるみなさま、どうぞ愉しんでくださいね♪
で、猫にちょっと感想を教えてください!



週末の遠征を、楽しみにしています!


最近、浅田次郎を読み直しています。

あまりにも仕事が忙しくてぶち切れそうになっているのですが、浅田次郎はそういうときに良いような気がする。
あまり頭を使う人が出てこないから、頭が疲れているときにいいのかもしれません(^ ^;ゞ


私のお勧めは、なんたって「プリズンホテル」です♪
そもそもの最初は、石川禅ちゃんと毬谷友子さんが主演した音楽座ミュージカル「地下鉄(メトロ)に乗って」を観て、感動して読んだのが最初だった浅田次郎ですが、いろいろ読んでみて、やっぱり「プリズンホテル」かなあ、と。
「鉄道員」とかもモチロン傑作なんですけど、それでも私は、こういうスラップスティック(?)で大笑いできるのに切ないヤクザものは、この人しか書けないと思うんですよね。

特に好きなのは冬の章ですかねぇ…。ヤクザたちの寂しさを呑みこむ冬山の美しさが印象的で。秋の章の“往年の大歌手”も魅力的なんですが、やはり冬の章の“血まみれのマリア”こと阿部まりあ婦長が最高かな、と。






浅田さんの語る「ヤクザ」が、いわゆる「暴力団」とは違う、幻想の世界にしか存在しない「任侠団体」なところが良いんだと思います。私は、市東亮子さんの漫画「やじきた学園道中記」なんかも大好きだったりするわけですが、あちらにも「カタギ」とは別の世界に生きる任侠団体がよく描かれていますよね。ああいうのは、カッコいいなあ、と。

任侠団体、っていうのは、本来は社会の底辺を支える存在だったはずだと思うんですよ。「プリズンホテル」にも繰り返し出てきますが、「普通の社会にうまく嵌らない子供」たちの受け皿だったわけです。「奉公先でうまくいかない子」を引き取って、兵隊として使う代わりに食事の世話からすべてのしつけをする、“擬似家族”。盃を交わして、本当の「親子」になり、「兄弟」になるわけです。
あくまでもそれは「一家」であって、お上のいう「団体」ではないんですね。そこにいるのは、全員が“家族”だから。



ただ。
“集団”があれば、
“親父のためなら命もいらねぇ”という若い衆が集まっているとなれば、

そこには暴力が生まれてしまう。



たとえ、元は自分と家族の身を守り、地域社会を守るための“力”であったとしても、そこに「リーダー」と「兵隊」がいれば、それは「軍隊」になりうるわけです。
そして「軍隊」は、抑える力がなければ容易に「暴力」に変化する。
それは歴史の必然です。
荘園を守るために呼び込んだ武士たちが、土地を支配し、最終的に天下を取るのも必然。
外国と闘うために設置した“軍隊”に支配され、滅びるまで戦いつづけなくてはならなくなったのも、必然。




実社会では、とっくに「暴力団」に堕した彼らが、まだ「任侠」でいられる世界。
表の社会からはみ出した者たちが、まだ「一家の人間」でいられる世界。

そんな世界が、この平成の日本のどこかにあるのかどうか、私にはよくわかりませんけれども。





“世話になった”、あるいは自分を“男にしてくれた”親父さんに感謝し、「親が白いといやぁ、黒いカラスだって白いですねと肯くのが極道だ」とまで思い込める、
そうやって自ら道をふさぎ、自分の行く末を狭めて、目の前の道だけを真っ直ぐに歩くことが幸せな人もいるのです。

…たとえ、彼らの存在そのものが許されない社会になってしまったとしても。



他の道など、もう選べるはずがないことを知っていても。




「プリズンホテル」は、行く場所のない人々の吹き溜まり。
それでも、彼らが彼らなりに幸せになろうと努力することを、邪魔する権利のある人は誰もいない。

天国のような温泉に浸かって、
天使のような支配人に見守られて、

一人では歩くこともできない弱い彼らは、
手に手を取り合い、一家全員で固まって、歩きにくい一本道をただ歩いていくのです。







極彩色に輝く極楽、ただそれだけを目指して。







東京グローブ座にて、ミュージカル「アプローズ」を観てまいりました。
※ちなみに、有吉京子さんの漫画とは全く関係ありません(^ ^)




「アプローズ」は、1970年にトニー賞を獲った名作ミュージカル。
映画「イヴの総て」を元にしていますが、映画版のタイトルロールであるイヴではなく、その先輩の大女優マーゴが主役。日本初年は1972年、劇団四季。その後何度か再演されましたが、1983年の公演で主役マーゴを演じたのが、当時○歳の前田美波里。



今回の公演は、劇団四季とは直接関係はないようですが、26年ぶりにマーゴを演じる前田美波里を主演に迎え、その相手役としてビルを演じたこともある浜畑賢吉を演出に迎えての公演でした。

マーゴの恋人・ビル(演出家)は、バリトン歌手で普段はオペラを主戦場にしている「二期会のプリンス(←プログラムにそう書いてあったんだもん!)」、宮本益光。
マーゴの友人・ドウェインには、俳優の佐野瑞樹。
ヒット脚本家のバズとその妻に、オペラ&ミュージカルの越智則英と、元四季の駒塚由衣。
プロデューサーのハワードに、俳優の倉石功。

主題曲「アプローズ」を歌う役者の卵に、宝塚OGの紫城るい。
そして、影の主役・イヴ役は、宝塚OGの貴城けい。




40年も前に作られた作品とは思えない、内容の濃い名作でした。
芝居としてもとても良く出来ていて、映画を観てみたくなりました。


役者も皆素晴らしかった~!!
特に、ビルの宮本さんとイヴのかしげ(貴城)ちゃんは、もう他のキャストが考えられないくらい嵌り役で、素晴らしい!!女優として走り始めたばかりのかしげちゃんは勿論ですが、宮本さんは、ぜひぜひまたミュージカルに出てほしい!と思いました。




名だたるミュージカル俳優の誰よりも素晴らしい歌声で、歌による芝居がきっちりと出来て、
歌じゃなくて台詞の芝居もそこそこやれて、しかも、オペラ歌手にしては細身でスタイル良くてカッコいい(*^ ^*)。なんて完璧なんだ!!

ぜひ、ハイバリトンの中年男性で包容力のある美声を必要とする役……
市村正親さんがザザを引退した後のジョルジュとか?(*^ ^*)、「レベッカ」とか…?
……ぜひとも、コンサートでもいいので聴いてみたいですっっっ!!








ちょっと宮本さんで頭がぶっ飛んでしまいましたが。

かしちゃんも、本当に良かったです。一幕での野暮ったさと、二幕での変身ぶりの素晴らしさ。
メークやかつらだけでなく、姿勢から喋る声、ちょっとした仕草まで、一分の隙も無い変身ぶりが本当に見事でした。
…少なくとも、私が観た中ではかしちゃんのベストアクトですね、今回のイヴ役は。
今後も、ご活躍をお祈りしています!





(紫城)るいちゃんは、可愛かった!
「アプローズ」という歌は、音域は広いし、音程は微妙だし、フレーズがぶつ切れになりがちで、歌いにくい難しい歌なのですが、よくがんばっていたと思います。……ま、まだまだ上を目指してほしい感じではありましたが。
でも。ジョー・アレン亭にたむろする「役者の卵」たちのリーダーとして、パッと目を惹く華やかなオーラと、駆け出しではない貫禄があったのが凄く役に合っていて、芝居の役としてはとても良かったと思います。歌で心情を表現する技術がずいぶん身について、わずか二年でこんなに変わるのか、と思いました。




そして。
「アプローズ」という、この作品のテーマ曲を歌うのが、スターたちではなくアンサンブルであるということが、映画をミュージカル化するときのキモだったんだろうな、と思いました。

「拍手があたしを燃やすの」
「とり憑かれたの魔法の音 アプローズ(拍手)に」

場末の酒場ジョー・アレン亭にたむろする“ジプシー”(コーラス)たちが、歌い、踊る。

「あの音の虜だわ、アプローズ!」






意地悪な新聞記者に
「どうしても金が必要になったら、どっちを売る?ダンスシューズか、自分の母親か」
と問われて、即答する青年。

「おふくろ」

……迷いも無く。




彼らは選ぶのだ。
世界のすべてよりも、アプローズを。





だけど、
スポットライトの中にいるスターは、どうする?


我侭で気紛れで躁鬱で、実は気が小さくて不安神経症気味な大スター・マーゴが、最後に択ぶものは、何か。


イヴが求めたものは、なんだったのか。







……そう。

ひとりの観客として、素晴らしい作品に酔い、物語を愉しみながらも、
幕切れのマーゴの選択に、微かな淋しさをおぼえたことも、事実ではあります。



それは、この名作ミュージカルが「舞台作品」だからこそ、
舞台の上でスポットライトを求めて蠢いている「彼ら」の叫びを直に聞いてしまう作品構成だからこそ感じずにはいられない後味の苦さであり、

その苦さを呑みこんで、はじめてわかる“大人の味”なのだと思いました。





少なくとも。
もしもこの作品に、もっと若い頃に出会っていたならば、私は、あのラストに凄く理不尽な思いをしたかもしれません。

でも、今はもう、マーゴの選択を祝福することができる。

彼女のラストソングを、一抹の寂しさを感じつつ受け入れることができる。



そうすることで初めて、この物語が「イヴの総て」ではなく、「アプローズ」の物語に、なるのです。




ひたむきにアプローズを、“光”を求めることができる【若さ】と、

アプローズの重みを支えきれなくなって、柔らかな優しい“闇”を求め始める、【老い】。



そんな、

“時間”という名の魔法使いの残酷な所業に想いを馳せながら、彼らの夢に酔う3時間を。


ぜひぜひ、のぞいてみませんか?☆







今日は、宝塚月組大劇場公演「夢の浮橋/Apasionado!!」の集合日でした。



「夢の浮橋」の詳しい配役と、そして、

涼城まりな
朝桐紫乃

両名の卒業が発表されました(T T)。





85期のちわわ、86期のしのちゃん。
このあたりの学年が、公演のたびにぽろぽろと減っていくのが、とてもさみしいです。
ちわわのジョーダン・ベイカーは絶品だった!
でも、1番好きなのは、やっぱり「HollywoodLover」の、モニカ。有能で包容力のある、やさしい大人の女。
小柄で子役も多かったけど、印象に残っているのはどれも大人の役です。

しのちゃんの博多座ジャスパー卿も、本当に素晴らしかった!あと、私は「パリ空」の新公(越乃リュウ)がすごく好きでした。柄にあった大人の役がやっと回ってくるようになってきたトコロなのに、残念です。



最後の舞台は、すずなが“中将の御許”、しのちゃんが“右京大夫”。
大野さん、二人の魅力を、どうぞたくさん教えてくださいね。














そして、配役発表。

匂宮が麻子さん、薫がきりやん、浮舟が羽桜しずくちゃん。

八の宮の姉妹(大君、中君)が出てこないので、どういう経緯で薫と浮舟が出会うのか謎ですが。
「更に狂わじ」で、きりやんの色気というものを余すところなく引き出した大野さんが、「飛鳥夕映え」で、麻子さんにはハッタリのきいた色男な鎌足を演出した大野さんが、それぞれにどんな色っぽい薫を、どんな素敵な匂宮を書いてくれたのか、とても楽しみにしています。
と同時に、二人の愛の狭間に迷うしずくちゃんの浮舟も、まさに水に浮かぶ船のような揺れ動く想いを描き出してくれることと期待しています。

……ああ、来年まで待てないかも……。





個人的には、回想場面が死ぬほど楽しみなんですけど、いったいどういう構成になるんだろう…。

だってだって、配役が

光源氏:萬あきら
女三の宮:天野ほたる
柏木:美翔かずき

ですよ!!

萬さんの光源氏!!!
ほたるちゃんの女三宮!!!
そしてそして、みっしょんの柏木ーーーー!!



ありがとう、大野さん。やっぱりあなたは私の気持ちをわかってくださるわ(感涙)。
「みっしょんに役がなーい」と嘆けば役をつけてくれる大野さん。しかも柏木。美しいほたるに憧れて憧れて、忍び込んでしまうKYな男。それも、よりによって萬さんの恋敵!

これ、回想シーンのほんの5分で終わったら泣くからねっ!!



匂宮(幼少) 咲希 あかね
薫(幼少) 舞乃 ゆか
女一の宮(幼少) 花陽 みら


この3人の子供たちもツボー!
そして、可愛い3人を見守るおじいちゃんな萬さんと、おばあちゃんな梨花さんと、パパな磯野さん(はぁと)。


……大野さん、ここまで私のキモチを盛り上げておいて、源氏と夕霧は幽霊で狂言回し~♪ みたいなオチ(by NeverSleep)だったら許さん…。




道定のまさお(龍真咲)は結構ちょこちょこ出てくれそうだし、小君の千海華蘭ちゃんも楽しみだなあ。さぞ可愛かろう(*^ ^*)。

あと、あえて麻子さんの従者に(桐生)園加ちゃん、きりやんの従者にナホ(越乃リュウ)ちゃんをつけて、萌え心をくすぐる大野さんの確信犯ぶりに嵌りそうですわ。
いやあん、きりやん薫をイケズに見守るナホちゃんとか、めっちゃツボだから!




たぶん、大野さんなら何をしでかしても私のツボにだけは嵌りそうなので、何もかもが、とにかく楽しみです。
絶対「コレのどこが宇治十帖……?」ってゆー話になると思いますけど、ね。
(だって。匂宮が、薫の想い人である浮舟に嫉妬してその身体を奪う、って話になるんでしょう?)(←んなわけないだろーが)(- -;ゞ



ああ……新公配役発表が待ち遠しい……。っつか来年が待ち遠しい…。




ウメちゃん、舞台復帰おめでとうございます!!




今日はとにかく、その一言に万感をこめて。



待ってたんだよ。
戻ってきてくれてありがとう。

笑顔に会える日を、楽しみにしています。







宙組&宙組ファンのみなさま、大劇場公演初日おめでとうございますm(_ _)m。

花組全国ツアー公演「ベルサイユのばら アラン編/エンター・ザ・レビュー」を観てまいりました。




芝居はともかく(^ ^;ゞ、ショーは本当に名作なんだなあ、と素直に思いました。
大劇・東宝と博多を観ていますが、今回もとても良かった。もう一回観たいです。いやマジで。

お芝居だって、一見の価値有り!!ですよ(^ ^)。
まとぶんはキレイでかっこいいし、壮ちゃんはキャラに合っているし、みわっちのオスカルは、オスカル編じゃないのがもったいないくらい良かったし。
まっつの……(こほん)、革命の場面のまっつはとっても素敵でした(はぁと)。







今回、あらためて「ベルサイユのばら」スピンオフを観て、思ったこと。

…植田(紳)さんって、実は天才なのかも?

小池さんを潤色の天才というならば、
植田(紳)さんは、“売れるネタを見つける天才”なんじゃないか、と。


いや、“売れるハズのネタをツマラナクする天才”かもしれませんが(汗)。
もう少し立体的なイマジネーションのある脚本家と組むことさえできたならば、もっともっと素晴らしい名作を生み出せたんじゃないか、と。残念ながら、ご自身で脚本を書かれることに固執したばかりに、名作の親となる機会を逸してますよねー、絶対(^ ^;ゞ



なぜそんなことを思ったかというと。


いま、この2008年の春と秋に、「スカーレット・ピンパーネル」にぶつける形でベルばらのスピンオフを出してきたから、です。

「スカーレット・ピンパーネル」の原作は有名な小説ですが、「ベルサイユのばら」に慣れ親しんだ宝塚ファンにとっては、あまり慣れない設定(革命軍が敵役、とか)の作品。時代は、1792年のジャコバン派の政権奪取から少し後。



そこに、「ベルサイユのばら」のスピンオフを持ってくる。
ジェローデル、アラン、ベルナールロザリーという、オスカルを愛し、そして革命後まで生き延びた3人を主人公にして、

彼らがいかにオスカルを愛したか、

彼女の夢見た理想郷をいかに実現しようとしたのか(失敗しますけど)、

分裂し、混乱した「革命軍」に、純粋な理想の灯をどうやって取り戻させようとしたのか、




植田さんは、そういう物語を創りたかったのじゃないか、と思うのです。
そして、これに成功していれば、絶対に受けたはず。






でも。
実際には。

植田さんは、まず「彼らがいかにオスカルを愛したか」が描けなかった。
「オスカルがどんな人物か」が描けてないのに、彼女を愛する男を描けるわけがない。

そして、
「オスカルがどんな人物か」を描けていないから、彼女の理想がどんなものであったのかもわからない。言葉では説明されるけれども、説得力がなくて腑に落ちないんです。オスカル自身の言葉として語られていないから。


貴族であった彼女が、何のために衛兵隊に身を投じ、「国民の96%を占める」平民のために、敬愛する国王と王妃を裏切ったのか、が見えてこない。
だから、「オスカルの夢見た理想」が良くわからない。









でも。

ベルばらファンの私たちは、オスカルがどんな人物か、も、ジェローデルやアランがどんなふうにオスカルを愛したか、も良く知っているわけで。


その記憶と想像力で一から十までフォローしながら観ると、これはこれで面白いんですよ!


いや本当です。
ただし、

幽霊さえ出てこなければ、な。









アランが格好良くて、
アンドレがヘタレで、
オスカルが素敵で、
平民が意味不明ながらカッコよくて、
衛兵隊士がみんな可愛くて、
その家族がみんなみんなみんな超美形ぞろいで(面会に来るのにオーディションがあるんじゃないかと思った)、

寝る暇ないほど忙しい100分間でした(はぁと)。










そして。

「エンター・ザ・レビュー」は、正統派のパリ・レビューを堪能させてくれました。





リナちゃん再び、くらいに予想していたエトワールの、圧倒的な美しさと存在感に瞠目。
やっぱり全然違いますね。迫力が違う。




そして、えりたんのコメディアン(…博多のユミコさんも大概切なかったけど………無言)をはさんで、次の場面でのピエロの可愛らしさ!
変顔で降りてきて、女の子たちの胸触りまくり、いたずらしまくり……舞台前方をあっちこっちにちょっかい出しながら散々うろうろした末に、
センターで踊っている可愛いルイーズに一目惚れ。

動きがぴたっ、と止まって、
目と口があんぐりとあいて、

ルイーズの動きにつれて、顔ごと目がうごく。追っていく。



ハッと我に返って、さっき誰かにあげたバラの花を取り返し、「ルイーズ、どうぞ!」と呟きながらルイーズにバラを渡す練習をするピエロ。



可愛くて、可愛くて、可哀相で………


大好きです、まとぶんのピエロ。




ルイーズも可愛い!私はふーちゃんのルイーズがいまひとつ納得できなかったので、彩音ちゃんのルイーズは大満足です♪




落ち込んだピエロが悲しく立ち去ると、次は「エンター・ザ・レビュー」最大の見所、猛獣使い。
本公演の樹里ちゃんの猛獣使い&あすかの猛獣も、二人のスタイルの良さが際立って物凄い場面でしたし、
博多座の園加の猛獣使い&としこさんの猛獣は、二人で思う存分踊りまくりで、中でも園加が色気垂れ流しで、違った意味で物凄い場面でした。猛獣使い園加の舞台写真は即行で買いましたもんね、私。



しかし、今回は。

すみません、ごめんなさい、猛獣さんに食いつきすぎて、壮ちゃんを観る余裕がありませんでした。



ベルシャルマンAの一花ちゃんも本当に麗しかったんですが。

観る前は、華月由舞ちゃんと一花ちゃん、どっちを観るか迷っていたんですが。

冴月瑠那ちゃんのダルマも滅茶苦茶楽しみにしていたのですが。





……いきなり。

本当にいきなり、はるちゃん(天宮菜生)のネコ科な笑顔に落ちまして。


いやあ、あの人は本当に人間とは思えん。絶対野生のネコ科の生き物ですってば。

中詰めとか、キレイなドレスを着て、口をちゃんと閉じて踊っていると、ごく普通の、スタイルが良くて大柄な美人、というだけなんですけど。

ニコっと笑った瞬間に、ネコ科の生き物な自分を思い出す。
時には都会の闇に潜む野良猫になり、時にはサンルームでのびのびと昼寝をする三毛猫になるけれども。
とりあえず、分類するなら“食肉目 ネコ科”。ロケットで雛になっても、笑顔はやっぱりネコ科(笑)。



いやーーーー。
猛獣はるちゃんを観るためだけでもいいから、もう一回観たい!と思いました…。




というか。
うう、一花ちゃんも由舞ちゃんも瑠那ちゃんも、もう一回観たいよーーーーっ(涙)。





花組の下級生も、だいぶ覚えたつもりだったのですが。
ロケットは半分くらいしかわかりませんでしたねぇ(T T)。89期までなら、全ツメンバーは全員わかるんですが、90期以下はずいぶんあやしい。うーん、道は遠いわ…。

日高大地くんは、今回はちょろっと台詞をもらっていたんですが、相変わらず……(^ ^;ゞ。
もう、次回の新公である程度の役が付いてしまうのは確実っぽいので、ちょっと本気でがんばって貰いたい、と真顔で思ったりします。
ダンスがずば抜けているだけに、本当に惜しい。アフロの男は、本当にカッコよかった!

瑠那ちゃんはホントにキレイですよねー!ちょっと、月組の明日海りおくんに似ている時があって、一瞬吃驚するんですけど、私だけでしょうか。横顔が似てると思うのですが(正面顔は多分、瑠那ちゃんの方が細い)。意外と化粧が似ているのかしら?

(祐澄)しゅんさまと月央和沙さん、お芝居の衛兵隊士カルテットも、ショーの群舞も、いつも楽しそうで、観ていて幸せな気分になります。とみぃのほんわかな笑顔も大好きだし、まぁくんの若さの輝きも可愛いし、花組88期は面白いなあと思います。
願わくば、次の新公では扇&きらりんのコンビで……(←おいコラ)





ミッドナイトシティは、みほちゃんのための場面だったんだなあ、とあらためて思い、

新場面の「ウナモール」は、シャドーの男たちの衣装がまともで良かったな、とホッとし、


グランエスカリエ(「愛しかない時」)は、最初の女たちの群舞から小階段での男役群舞、4組デュエットと、流れるような場面転換が大好きで、また観れてすごく嬉しくて、




なによりも、まとぶんがすっかり「真ん中」の羽に馴染んで、楽しそうにそこに立っているのが嬉しくて。





……いいショーを観たな、と、気持ちよく帰ることができました。
まとぶん、えりたん、みんなありがとうございました!

10月17日の三重公演まで、怪我や病気のないように、無理をしないでくださいね♪




「どうして二人(オスカルとアンドレ)は死ななくてはならなかったんだ!?」

『……坊やだからさ』





えっと。

花組全国ツアー公演「ベルサイユのばら アラン編/エンター・ザ・レビュー」を観てまいりました。



いやはや、


……すごい。




ショーは本当に最高でした。エンター・ザ・レビュー、大好きだ!ああ、もう一回観たいっ!!
そして、星組の「ベルナール編」をご覧になる予定のある方は、必見です。





……しかーし。
お芝居は、ほんとーーーーーっ!に凄かった……。
ネタすぎて、ある意味必見なんですけど。

あまりにもすごすぎて、書きたいことが山のようにあるので、ネタバレさせていただきます。
ごめんなさい。






何よりも凄いのは、これが池田理代子さんの原案と銘打たれていることです。
まるっと植田紳爾さんの創作なら、そんなこともあるかもね、と思うけど、この物語のそもそものテーマがディアンヌの兄への道ならぬ片思いだということになると、池田さんの意思も入っているはずですよね…?

ベルばらファンの、誰一人、思いつきもしなかったであろう、ディアンヌ・ド・ソワソンの自殺、衝撃の真相。……池田さんは、あの頃からディアンヌの動機をここにおいていらっしゃったのでしょうか…?こんなスピンオフを創る予定は当然無かったはずなので、ごく漠然としたものではあったとしても。
「エロイカ」に出すくらいには、アランというキャラクターへの愛はあったはずなのに?




……オスカルの死後、アランはどっかの酒場女と気楽にやってる、っていう設定では駄目だったのかなー。
俺の純情はオスカル一人のもの。オスカルのの遺志を継ぐために、今の俺のすべてがある、と思っているアランと、気風のいい、優しくて包容力のある大人の女(アランより年上)。
なんだったら、女の片思いでもいい。アランは、疲れたときは甘えに来るくせに、何かあrば何も言わずに出て行ってしまう身勝手な男。女を邪険に扱って、引き止める女を捨てて暗殺の現場に行くんだけど、最期に「あんがとよ」って言い置いて雪に埋もれて……って、それは違う話だが。

どうしても彩音ちゃんにディアンヌをさせなくてはならなかったとしても、せめて、一場面か二場面、生きたディアンヌも出してあげようよ。
ディアンヌとオスカルを出会わせてもいい。衛兵隊兵士を訪ねて家族がくるところに出しても良かったんじゃないか?
で、アランに妹を悼む歌の一曲くらい歌わせようよ。
幽霊なディアンヌは、アランをそっと見守るだけにして、あんな当たり前のように二人で笑いながら会話して、「お前はちょっと隠れてろ」みたいに背を押したりさせないでほしかった。

ああもう!!

せめて最後に「そろそろお前のところに行きたくなった」みたいなこと言わせるのだけはやめてほしかった!!そんなんアランじゃない!ついでに言えば、キリスト教徒なら、自殺者であるディアンヌの傍にはいけないんだからねっ!!きーーーーーっ!!


……いやー、「ソロモン/マリポーサ」と連続で観たもんで。
頭が痛いのを通り越して、途中から楽しくなってしまいましたわ(^ ^;ゞ










この物語は、雪組の「ジェローデル編」と裏表の関係になっています。

ジェローデル編のプログラムには「1795年10月」と明記して描かれている「ナポレオン皇帝暗殺未遂」事件。
今回のプログラムに明記してあるのは、「バスティーユの戦闘からおよそ10年の歳月が流れた」という一文。
そして、ナポレオンは未だ皇帝ではなく、『第一執政官』の地位にある。



…ちなみに。

史実をあたると、アランとの会話の中で語られる、ナポレオンの権力の源泉となるイタリア遠征は1796年~97年。
彼がクーデターを起こして権力を握り、第一ナントカ(訳語の問題もあるので役職名は省略)の地位につくのが1799年11月9日。バスティーユの陥落(1789年7月14日)からちょうど10年と4ヶ月後。
そして、ナポレオン一世の即位は1804年12月2日。





ジェローデル編のプログラムは誤植で処理するとしても、「新皇帝ナポレオンが即位したばかりの10月」というのはパラレルワールドにしか存在しないんだよね、という突っ込みは、前回は(もうどうでもいいやと思って)省略したんですが。

…まぁ、1799年か1800年の晩秋、世紀末に起こった事件だということで、ジェローデル編の記憶は修正しておきましょう(^ ^)。






今回の作品は、荒れ果てたベルサイユ宮殿跡地に佇むアランから始まります。
そして、ラストシーンでは、このベルサイユ宮殿跡地に雪が降り出す。


そして、アランは、
「ジェローデルが撃たれて死んだから、もう思い残すことは無い」(←すみません間はだいぶ端折っていますが、でも大意こういうことを言っていた)
と呟いて、ナポレオンの放った刺客に身をゆだねる。

いや、いちおう剣を抜いて闘う構えはみせますが、その前にディアンヌの幻に「今からお前のところに行く」と言ってるから、死ぬ気満々です。




なんで?どうして?
ジェローデル(フランス貴族の誇りにかけて、ナポレオンを暗殺しようとしたはず)が死ぬと、アラン(オスカルの遺志を継いで、自由・平等・博愛の国を作りたい)も死ぬの?二人の間にはどんな関係があるの?ねぇどうして?





バスティーユが陥落してから、10年間。
穏健派が脱落し、ジロンド派が脱落し、恐怖政治をしいたジャコバン派が崩壊し、ブルジョア政権による食料危機で再び民衆が立ち上がり、パリは混乱を極め……

そして、「力強いリーダー」として浮かび上がってきたナポレオンが権力を握るまで、

アランとジェローデルは何をしていたんでしょうか。




もとい。
アランは、まだわからんでもない。旧フランス衛兵隊を率いる将軍として、あっちこっちの戦争に駆りだされていたんでしょう、たぶん。プロシアと戦い、オーストリーと戦い、イギリスと戦い…、コロコロ変わる政権担当者に惑わされることなく「フランス」を守っていたんでしょう。
「隻腕将軍」と呼ばれて。



で、ジェローデルは?

近衛隊長であったはずのジェローデルは、パリ市民のヴェルサイユ行進の後、いったんパリを逃れ、スウェーデンのフェルゼンの元を訪ねる。王妃を救うためにフランスへ戻ることを誓うフェルゼンを見て、ジェローデルもまた、亡命貴族としてスウェーデンでソフィアと結婚する道を断り、パリへ戻った。
ヴェルサイユ行進で市民と戦ったであろう近衛隊長は、パリではお尋ねものだったんでしょうけれども、それなりに立憲王党派のひとびと(アメリカに一緒に行ったラ・ファイエット侯とか)に守られ、いろいろ策謀を練ったり、革命派の分裂を謀ったりしていたんだろうけど……。




この二人が組んでいたということは、彼らが、なんというか「オスカルの遺志を継ぐ会」を結成し、協力しあっていたってことでOK?
(そして、おそらくはベルナールがこの会の主催者なんですよね!?星組版が楽しみです☆)




しかーし!!
なぜ10年も待ったんだろう。
なぜ、ジャコバン派もブルジョア派も許せたのに、ナポレオンだけが許せなかったんだろう……
ナポレオンが「皇帝」になろうとしたから?

「銀河英雄伝説」のヤン・ウェンリーみたいに、「どんなに愚かな議会でも、議会が決めたことならば従う」みたいな思想の持ち主ならわかるんですよ。ジャコバン派も、ブルジョア派も、クーデターを起こしたり粛清したりはしていますけれども、あくまでも議会を表に立てていたことに変わりは無いから。



でも、そういう思想の持ち主には全く見えないんですよね、アランも、ジェローデルも。



議会政治は、そのリーダー格、たとえばトリューニヒト一人を殺しても、政治が混乱するだけであまりイイコトはありません。何一つ改善もしない。選挙するための態勢を整え、選挙を実施し、国民の意思を図らなくてはならないから。
しかも、暗殺事件による興奮状態で選挙をしても、大概ろくなことにはならない。わけのわからない風が吹いて、つまらない人物が勝つだけです。



でも、独裁者(ナポレオン)がいるならば。
その人を殺せば、その立役者がそのまま権力を握ることができる。それは、もともと「一人」に権力が集中するように構造ができているからです。





だから。

「オスカルの遺志を継ぐ会」のメンバーは、独裁者が現れるまで、どんなにパリが混乱を極めても、行動を控えて待っていた。

……ってことで納得しておけばいいですか? >植田(紳)さん






そのどこが、“オスカルの遺志”なんだよ。








「なぜ、二人(オスカルとアンドレ)は死ななくてはならなかったんだ!?」


『……坊やだからさ』




アランの悲痛な叫びに応えるのは、多分、齢33歳くらいの“若き”独裁者、ナポレオン・ボナパルト。
ハッチさんがやってるけど、でもたぶんアランより年下の、若き英雄。





青春の青い幻想に惑わされ、身分違いの恋に目が眩んで貴族の血を棄てた女と、
そんな女に身も心も捧げた平民の男。


そして、女が男と(事実上)心中してから10年も過ぎてさえ、「二人の遺志を継ぎたい」と社会の闇に紛れて活動を続ける二人(以上)の男。





『坊やだからさ』



政治的な覚悟も手腕も何も無い、坊やたちの革命だったのだ、と、
当時20歳になるならずだったナポレオンは、そう喝破する。自分の政治的優位と、今現在握らんとしている権力の大きさを自覚した“大人”として。

…もちろん、そんな台詞をハッチさんは言いませんが…。






アランは、死ぬ直前までディアンヌと楽しそうに会話しています。
明らかに脳内会話じゃない。電波な会話。

「オスカルとアンドレの、二人の遺志を継ぎたい」
「二人が死んだのは、パリを混乱に陥れるためじゃなかった。あんな独裁者に、フランスをいいようにさせるためじゃなかった。誰もが自由に、思うように生きられる社会を創ろうとして、その犠牲になったんだ」

「10年間がんばってきたのは、オスカルたちに顔向けできないと思ったからだ」
「でも、もういい」(なんでだ)

「ジェローデルも死んだ。俺も、もういいんだ」(だから何がだ。ジェローデルと何の関係があるんだ)

「後は誰かがやってくれる」(誰かって誰だよ)(ベルナールか?でもベルナールは君たちほどオスカルには傾倒してないぞ?)
「これでオスカルたちに顔向けできる」(だから何故なんだ?結局何もしてねーだろお前!?)
(あっ!ロザリーか?ロザリーなのか!?<オスカルの遺志を継いで、最後までやりぬく人)


オスカルの遺志を継ぎ、さらにアランの顔向けまでたててやるために、ナポレオンの失脚(廃位1814年)までさらに10年間、ベルナールとロザリーは待つんでしょうか……。
バスティーユから20年か。さすが夫婦、気が長いな……。







「もういいんだ」と、爽やかに宣言しつつ、ディアンヌを下がらせ、剣を抜いて見栄を切るアランは、物凄く!!カッコよかったです。はい。
後ろに並ぶ刺客メンバーが、何人かかっても絶対敵わないだろう、と確信できるほど。


しかーし。
そのカッコよさが何の役にもたっていないところが、涙が出るほど悲しかった。








アラン編は、いくらでもいい話に出来たと思うんです。ジェローデルと違い、原作でも十分書き込まれていたキャラクターだし、真飛聖という役者が、荒くれだけど結構純情一途なアランという役にぴったり嵌っているし。
実際、2001年の星組オスカル編で、まだ新公学年なのに本公演でアランという大抜擢だったときも、あまりにカッコよくて惚れそうだったんですよねー、私。
だから、今回の「アラン編」、結構楽しみにしていたんですよ。


なのに、


なぜこんな話になってしまったのか……悲しみは尽きません。
私に脚本書かせてくれ頼むから。






……長くなったので、キャストについてはまた次回。




昨日は、がんばって携帯から書き込みしてみたのですが……
PCから見ると、改行が出来てなかったみたいですね。読みにくくてすみません。携帯からしか見てなかったから全然気づいてませんでした。



というわけで(←何が?)
大劇場雪組公演「ソロモンの指輪/マリポーサの花」、幸運なことに千秋楽まで3回連続で観ることができました。
チケットのかみさま、ありがとう♪♪



朝かららぎちゃんとファンの皆様は、真っ白になっての楽屋入り。
みなさん笑顔で、泣いてみえる方がいないのが不思議な感じでしたが、ファンのみなさんに手を振っているらぎちゃんの満面の笑顔を見たら、納得してしまいました。
こういうのを“輝く笑顔”って言うんでしょうね。
やるべきことを終えて、新しい道に向かおうとする人の、輝き。

CSのの「わくわくカフェタイム」でご本人が言っていたとおり、「今すごく楽しい」と、心から思っていらっしゃるんだろうな、というのが本当にわかってしまう。
そして、ファンのみなさんもそれをホントに解っていらっしゃるんだな、と。



暖かな、いい入りでした。
すぐ後に続いたシナちゃんも、超可愛かった~~!!








自主的に真っ白になった猫は、
……なんだかすごーーーーく普通に作品を楽しんでしまいました(^ ^;ゞ

「ソロモン」の幕開き、未沙さんの宝石売りの口上で「今日は千秋楽~」と言ってたくらいで、
ショーも芝居も、アドリブの入る余地はほとんどなく。
ただただ、圧倒的なその世界に巻き込まれ、思考はぐるぐる回るばかりで。






でも。

暖かな、良い楽でした。

「ソロモン」で、シナキリンが人間に戻るところで大きな拍手。
そして、銀橋に走り出すラギシナに、さらに大きな拍手。
暖かな観客の目線。

新しい世界へ二人を送り出すキムちゃんの目が、いつにも増して暖かく、優しい。
新しい世界へ向かう二人を見送るひろみちゃんの目が、大きくてキラキラしてる。
新しい世界へ向かう二人とすれ違うとなみちゃんたちが、いつにも増して圧倒的な美しさで、
おままごとのような可愛らしい二人を微笑みで祝福する。


私がこのショーで一番好きな場面は、海が終わった後の嘆きの風の場面(5場)。
「白い花」のシナちゃんと、「白い風」になった85期の男役3人が水さんと踊り、
ハマコさんのひきづるような歌が心に沁みる。

「白」の4人は割とすぐにハケてしまうのですが、ヴァルキューレの群舞も好きなんです。
還らない過去への惜別と戻れない故里への郷愁、っていうのは荻田さんの創る世界の底辺をいつも流れるテーマのひとつですが、ここに一番それが溢れ出ていて、とても美しいと思うのです。




「マリポーサの花」は、昨日も書きましたが、本当にテンポが良くなりましたね!
会話の間が自然になって、ひっかかるところがほとんどない。本当に映画を見てるみたいな気持ちになります。



ただ。
「最後だ」と思ってあらためて見て、笑顔の少ない芝居だなーと思いました。
笑顔なのはショー場面のメンバーくらいで、あとはコロスも含めてずーっと真顔ばっかり。かろうじてアリシアと、コマちゃんのイヴァンくらいか、笑顔が出るのは。
らぎちゃんも、本当に笑顔なのは白い衣装でのショー場面と、あとはフィナーレのパレードのみ。フィナーレ男(6人口)も、キレイでかっこいいけどめっちゃシリアスだし。
あ、芝居のオープニングとエピローグのダンスは微かだけど笑顔か、いちおう。

まぁ、とにかく「ソロモンの指輪」の「楽園」でしっかり堪能しないと、“最後の大劇場”の満面の笑顔はほとんど見られないってことですね。……東宝にむけて心ておこうっと。





フィナーレの男(6人口)で、白い花をつけていたらぎちゃん。
ここは予想していたので、涙腺はちゃんとSTOPできました。せっかく正塚さんが愛情ひとつで出してくれた大事な場面、ちゃんと観られてよかった…(^ ^)。


パレードでは、中に着ている青いシャツに合わせて、鮮やかな青が一部に入った白い花。
こういうのって同期のみなさんが用意してくれるんだよね……まぁ雪組85期は人数多いから大丈夫だったろうけど、でも、本当にありがたい。




水さんを迎えて、銀橋に出る途中でハケていく卒業生。
そうか、ここでいなくなるのか!!とびっくりしました。銀橋出てこないんですね。知らなかった!……あれ?こないだの花組も、みほちゃんかりやんって銀橋にいなかったんだっけ?気づかなかった!!(どこ観てたんだ私!?)
(汐風)幸ちゃんは銀橋にも居た記憶があるから、サヨナラショーがある場合は違うのかな?

まぁ、それはともかく。


いつもどおりに幕が降りて、
組長さんのご挨拶、今後の予定(TCAスペシャルには触れず)、そして、卒業生の紹介。





「らぎちゃんが宝塚を受験しようとしたきっかけは、高校二年生の時に地元で観たツアー公演」

という話は聞いていましたが。

「部活を卒業してから1年間、ちゃんとレッスンしてから受験するつもりだったのに、記念受験のつもりで受けた一回目で思いもよらず合格」

……そりゃー、あの美貌とスタイルがあったら、私でも取るな。
でも、もう一年待てばよかったのにね!!(真顔)スタッフも今頃そう思っているに違いない…。

「雪組公演ノバ・ボサ・ノバで初舞台。それ以来、雪組一筋で、10年」

いやあの、85期は全員一人残らず月組ノバにも出てますから!!東宝では修正してください、お願い…(月ファンの呟き)。

「猛き黄金の国の新人公演で演じた沖田総司(本役・蘭香レア)を研究するうちに、嫌いだった新撰組が大好きになり

なんで嫌いだったの?ねぇ?

「Joyfull!のツアー公演で、初ソロで故郷に錦を飾り」

Joyfull!か~~。私が落ちたのもあのソロだったなあ……(懐)

「エンカレッジコンサートは、どうしても出たい!と思ってオーディションで一番に歌わせてもらった。はじめて自分で勝ち取った!と思った公演でした」

エンカレか…。行きたかったんですよねぇ、雪組も。エンカレッジコンサートという企画が好きだったので、都合がつくものはなるべく行くようにしていたんです(またやってほしいから)。
ああ、無理しても行けばよかったなあ。そうしたら、このときに落ちていたかもしれないのに…。

「昨年の中日劇場公演で、大好きな新撰組の井上源三郎として生きられたことが嬉しくて、心から楽しんで、もうこれ以上望むことも、思い残すこともなくなった気がしました」

……よ、よかったです、ここで満足して「エリザベート」で退団、とかしなくて。ホントに。
でも源さん、本当に良かったですもんね。山南さん切腹の引っ込みの後の台詞の力強さ、今でも忘れられません。


らぎちゃんの、きっと色々微妙だったであろう(笑)コメントを、キレイにまとめてくださり、

「これからは、雪組だけではなく、たくさんの世界の人にらぎの愛を届けてくれると思います」

と締めくくってくれた、優しい組長さん。
ありがとうございましたm(_ _)m。






シナちゃんの紹介もすんで、緞帳があがる。

「らぎ!」という組長の呼び声に、

「はいっ!!」と、男らしく(?)きっぱりと応えたらぎちゃん。




ど金髪をラフに固めて、宝塚歌劇団の制服・緑の袴に身を包み、ゆっくりと降りてきました。

一歩、一歩、噛みしめるように。




同期からのお花は、にわにわ(奏乃はると)から。
緑の袴に、鋭い線を描く白い花がとても映えます。

「今、とっても幸せな気持ちでいっぱいです!」

と、本当に本当に、心底幸せそうに言う、らぎちゃん。

どうして卒業生って、みんな判で捺したように同じことを言うんだろう。

みんなみんな、口を揃えて、

「幸せだ」

と。




本当に清しい笑顔で、声で、ただまっすぐに言葉を紡ぐらぎちゃん。

「『なんて楽しそうなんだろう!』なんて、少々安易な動機で受験した私ですが」

おいおい、いきなりそんな笑いを取りに来ないでください…

「入団後の芸の道は楽しいことばかりではなく、常に自分との戦いだった」

ところどころ詰まりながらも、

「でも、いつも独りではなく、雪組の仲間がいてくれました」

雪組の上級生、下級生、同期、諸先生方、スタッフのみなさま、家族、友人、お客様、ファンの皆様……お約束どおりの順番でひとつづつ数え上げ、礼の言葉を述べながら、

終始笑顔で、涙なく、
ただ、訥々と。





シナちゃんの方が、すこーし涙目で、鼻声だったような気がします。

「とても幸せで、だから今、別れが寂しい」

という切ない言葉で、かなりすすり泣きの声があがりました。

でも。

可愛いシナちゃんも、しっかりと最後は笑顔で挨拶をつとめあげて、
満面の笑顔で礼をして、後ろに下がって。




雪組トップスター・水夏希のご挨拶は、
鼻をぐすぐす言わせながらのご挨拶でした。





……泣くなよ……。





むしろ、らぎちゃんやシナちゃんが挨拶しているときより、こっちで貰い泣きしてた人多数でした。舞台上は。
でも、らぎちゃんはあくまでも笑顔でした(^ ^)。そんなに幸せか、お前!と突っ込みたかったです、私(←ぼろ泣きした人)






2回目か3回目のカーテンコールで、卒業生二人を抱えた水さんが、
「私は組替えしてきたので、初舞台から二人を見守ってきたわけではないのですが、雪組に来て以来、85期には本当に助けられました。」というような前置きをしてから、
「85期万歳!」
と言ってくれたのが、とても嬉しかったです。




スタンディングオベーションの嵐の中で。
あくまでも笑顔のらぎちゃんを見凝めながら。






ありがとう、本当にありがとう、と、繰り返して。





……東京在住の猫にとっては、これからが本番、というかなんというか。
とりあえずの一区切り、という以上のものではないのですが。



らぎちゃんにとって、シナちゃんにとって、そして、お二人のファンのみなさまにとって、
悔いのない一日であったなら良かったな、と思います。
すくなくとも、私にとっては、悔いなくお見送りできた気がして、とても幸せな一日でした。

らぎちゃん、本当にいろんな幸せをありがとう。
また11月16日まで、長いようで短い2ヶ月弱を、どうぞよろしくお願いします!





宝塚大劇場にて、雪組公演「ソロモンの指輪/マリポーサの花」を観てまいりました。



ナウオンステージで、正塚さんが「プロットは一年前にはできていて、どこでやろうかと考えていた」という主旨のコトを仰っていましたが。
…水くん、ユミコさん、キムちゃんが揃った雪しかないだろうなあ、と、あらためて納得しました。
麻子さんには、シャンドールがホントにぴったりだったしね。


ただ、今回、これだけ暗いシリアスな話で、音楽もマイナーコードが多いなかで、フィナーレナンバーを構成するのは難しかっただろうなあ、と。

「ソロモンの指輪」は大好きだけど、「マリポーサの花」は普通に前モノ芝居+後モノショーで観たかった、かも…
「まほろば/マジシャン」が、内容の濃いシリアスな芝居仕立てのショーに軽い芝居、というこの上ないコンビネーションだったので、
ちょっと惜しかったなあ、と思ってしまうのです。


いや、今回の二作品、どちらも目茶苦茶好きで、嵌っているんですけどね(汗)





さて。

いよいよ明日に迫った大劇場千秋楽。
久しぶりの観劇でしたが、舞台の上の集中力と緊張感が凄すぎて、一回観るだけでぐったりしてしまうほどでした。

出演者が皆、一回一回を大事にされているのがすごく伝わってきて、

終わってしまうのが怖くなった。



シナちゃんも、らぎちゃんも、ショーの冒頭からお芝居のラストまで、めずっとピンスポを浴びているみたいでした。
いいえ、違う。彼等はただ、自分の翼を拡げて飛び立つ準備をしていただけ。
自身の裡から輝いていただけ。




ルンペンらぎちゃんの美しいこと。
無垢な青年(彩那音)の美しさを護るために、指輪の見せる幻影の奥懐へ嵌りこみ、
そして愛を見つける、その愛の、哀しいほどの美しさ。





いつの間にか、銀橋に入るシナちゃんとらぎちゃんに拍手が入るようになったんですね。
ワクワクカフェタイムでも話に出ていたので、千秋楽は入るかな〜と楽しみにしていたのですが、まさか定番になっていたとは(@_@)。

…らぎファンとしては嬉しいけど、一観客としては、流れが切れるのでちと残念な気もしました。
東宝では最初から入るのかなー?



85男三人で踊る風の場面、振りがこなれて、すごく良くなっていました。らぎちゃんとひろみちゃんで肩を組む場面、ひろみちゃんがちょっとうるうるしていたように見えたのは、幻?


楽園の祭の賑やかさ。
後半、シナちゃんをセンターにひろみちゃんとらぎちゃんが並ぶ場面の、突き抜けたような明るさ。輝くような笑顔。

透明感のある白と金の衣装の洪水。そこに落とされた、毒々しく重たい純金の鈍い輝きと、ひとしずくの血の涙。






マリポーサ、コントレラスさんはだいぶ間がよくなりましたね(はぁと)。未沙さんにいろいろ教えていただいたんでしょうね。
お店のショーシーンで、白い衣装で出てきた時、衣装の余りように少しビビりました(汗)。もしかして、幕があいてから物凄く痩せたのでは…?
兵士の場面で、すごく小さく見えるのが気になって、気になって。

まだまだ、あと東宝楽まで二ヶ月もあるので、明日が終わったら少しゆっくりしてほしい…と思いつつ。


でも、そこで力いっぱい出し切ってしまうひとだから、私も好きになったんだな、と、

納得しつつ。





まずは、明日。
明日という一日を、

らぎちゃんも、もちろんシナちゃんも、


精一杯楽しんでくださいますように。
月組日生劇場公演「グレート・ギャツビー」 下級生編。



美翔かずき(ボブ/キャディ)
この人は本当にキレイだと思います。ちょっと細いけどスタイル抜群で、衣装の着こなしが本当にきれい。ここ数年急激に化粧が巧くなって、時々ハッとするほど美しいときがあります。

一番目立つ役は、二幕のゴルフ場でのキャディ役でしょうか。上手袖から登場してきたときから、動きも表情もめちゃくちゃ面白くて、あんなに美形なのにどうしてあそこまで出来るのか不思議でたまりません。あの役、初演ではどなたがなさったんでしょうか?興味深々。
あとは、二幕頭の「カリフォルニアに行って農夫になる」と夢を語るウィルソンの仲間(十行員?)の役が目立っていましたね。マートルが死んだ後の、みんながわらわら芝居をしているときの小芝居が面白かったです。

……でも!私は実は、回想シーンの軍服姿(ギャツビー中尉の仲間)がとってもお気に入りです(はぁと)。スタイルが良いせいか、軍服似合いすぎ!(*^ ^*)。一幕冒頭の警官姿もステキでした♪禁欲的な制服がなんて似合うのかしら…。
そしてモチロン、一幕ラストのタンゴ場面はめちゃめちゃ素敵です。ダンサーだなあ~♪




沢希理寿(タンゴの歌手)
出番自体は大勢口にすかさず出ていてたくさんあるし、居候も可愛かったのですが、なんといっても一幕ラストのタンゴシーンの歌手は素晴らしかった!初演とは曲も変わってだいぶ雰囲気の違う場面になったらしいですが、理寿ちゃんの歌はドラマティックで素晴らしいです。

同じ89期に博多座組の五十鈴ひかりさんもいて、なかなか歌の場面がめぐってくる機会の少ない人ですが、もっともっと使われて良い人だと思います☆がんばれ!




宇月颯(ディック)
ダンスも芝居も歌も、三拍子揃った宇月くんですが、今回はあまり目立たなかったような。
大人っぽい顔立ちのせいか、軍服を着ると本物のGIみたいでした(*^ ^*)。かっこいーーーー!




琴音和葉
もともと芝居の巧い娘役さんですが、今回はあんまりしどころがなかったかな…。
アイス・キャッスルの歌手が一番目立つ役だったのかしら。個人的にはマートルの死について捜査する警官たちと話す「通行人の女」みたいな役が、やっぱりこの人の芝居は違うなーという印象がありました。台詞があったもう一人がころんちゃんだったので、余計にそう感じたのかも。

博多座で侍女を演じていた真愛涼歌ちゃんを観るたびに、琴音さんに似てるなーーーーと思っていたのですが、実物を見るとそんなに似てなかったかも(^ ^)。どっちも可愛いけど(^ ^;;




瑞羽奏都
みづきちゃん、相変わらず役つかないですねぇ(T T)。みっしょん(美翔かずき)といい、不思議でたまりません。……いや、みっしょんは今回、役ついている方ですけどね…。

アイス・キャッスルの“クラブの男”の粋なかっこよさが一番ツボでした。そんなに芝居の印象はないけど、意外にちまちまと小芝居してくれるんですよ♪女の子と絡んで、喧嘩(?違うかも)してみたり、店の中を意味なくうろうろしたり。…意外と面白いキャラなのかも?(^ ^)




紫門ゆりや(エディ・ニコルソン)
いやーーーー、まなちゃんの従兄弟(?)で市長(あちょうさん)の息子。ぼんぼんぶりが実に良かったです! ぼんぼんで、優しくて、ちょっと変わり者の従姉妹に振り回されて……という構図が、前回新公で演じたジェラルドとよく似ているんですが、今回はまた、新公とは全然違う役作りしてて、本当に面白かったです。
今が一番、いろいろやれて楽しい時期なのかもしれませんね。本当に幸せそうに舞台に立っているなあ、と、いつも感心してしまうのです。
ゴルフの場面での曇りのない笑顔が、最高にキュートでした☆




白雪さち花(ジャッキー)
咲希あかね(ニッキー)
フラッパーガールの両端ではじけてて、お二人ともめちゃめちゃパワフルでした。「ME AND MY GIRL]くらいから急激に化粧が垢抜けて可愛くなってきた91期。丸っこい笑顔が可愛いさち花ちゃんと、ほっそりとひょろ長い美人のあかねちゃん、見た感じは全然違うお二人ですが、なんとなく共通するものを感じるのは同期だからなのでしょうか?

それにしても、フラッパーの衣装って着こなしが本当に難しいんですねぇ………(^ ^;ゞ




華那みかり
どちらかというと大人っぽいタイプなので、周りが下級生ばかりの大勢口にいても自然と目だってました。
ルイヴィルの娘がきれいだったけど……ごめんなさい、りおんに気をとられて、他を全然見る余裕がなかったっす…(T T)。




舞乃ゆか
アイス・キャッスルの客の女が超可愛かった!……あれ?立ち位置チェックしたのに、間があいたら忘れてしまった……。センター上手のテーブルで、汝鳥さん・ナホちゃん相手にがんばっていたりおんをフォローしてたのがゆかちゃんだったっけか……?それとも、逆に下手側にいた…んだっけ?
「可愛い!と思った」事実だけは覚えているのになあ……汗。




煌月爽矢(バーテン)
バーテンとか従僕とか、細々した役をいろいろやっていましたが……あんまり印象には残っていないかも(^ ^;。逆に、役のなかったタンゴのダンサーが、色っぽくてカッコよかったです。




風凛水花
清楚な美貌で、ルイヴィルの娘がとってもキレイでした(*^ ^*)。
水花ちゃんは、この公演で唯一かもしれない「見分けられる自信のない人」だったのですが、今回でちゃんと覚えたような気がする。……次の東宝劇場公演まで覚えていられるかどうかは不安ですが。




鳳月杏
見ればみるほど祐飛さんにそっくり!と思いつつ、ギャツビー家の居候役が可愛くて可愛くてたまりません。それにしても肩に力入りすぎてません?なまじ肩幅があって顔が小さいのに、そこにさらに無駄な力が入って“いかり肩”になったら、もう誰もフォローできません……

ゴルファーは、一瞬真面目に祐飛さんがいるのかと思ってビビりました(^ ^;ゞ。ああいうラフな服を着てても普通に男でいられるスタイルは凄いなー。




花陽みら(タンゴの歌手)
「ホフマン物語」でわずか一週間とはいえ、オランピアを演じた花陽さん。
あれ自体ダンサーの役だし、他にオランピアを演じたのは、ダンサーの美鳳あやちゃんと、元々ヒロイン予定だった夢咲ねねちゃん。当然、大抜擢された花陽さんもダンサーなんだろうと思い込んでいましたが……今回はすごい!!完全に歌手扱い。
“タンゴの歌手”と、「神の眼」のカゲソロと、二曲も歌うのは花陽さんだけです!

素直な発声で、気持ちのいい声。あまりドラマティックに歌いあげるような場面ではなかったし、“タンゴの歌手”は理寿さんのメロディにオブリガード、という役割分担のパートが多かったので、適任だったと思います。
「神の眼」のソロも良かった!ホント素直で耳に優しい声ですね。もっともっと訓練して、またソロを聴かせてくださいm(_ _)m。




星輝つばさ
居候、面白すぎです!!そして、星輝くん自身はがんばりすぎです!(^ ^)。
ゴルファーの衣装のあまりの自然な似合いように、びっくりしました……。




真凜カンナ
本当に愛嬌があって表情豊かで、かつ笑顔の可愛い娘役さんですよねぇ(はぁと)。大好きです。あまり芝居をする役はつきませんでしたが、アイス・キャッスルのシガレットガールが可愛くて、楽しそうで、観ていて楽しかったです☆

すごーくどうでもいい話なんですが、プログラムの写真が雪組同期の真那くんに似てているような気がするのは、私の気のせいでしょうか……(誰か気のせいだと言って!)






最下は93期。全体的に、『ぜんっぜん男役(女役)の型が出来てない!まるっきりダメ!』っていう子はいませんでしたね。群舞もよく揃っていたし。特訓したのかなー。

今回はなぜかフィナーレがなかったので(絶対つけるべきだと思うのに!!ショースター・麻子さんの無駄遣いとしか思えない/泣)、ロケットが観られなくて残念です。下級生チェックするには、小劇場の方が楽しいのですが、ロケットがないと最後のぎりぎりで名前がわからなかったりするんですよねー。


しっかし、博多座メンバーのハジケっぷりに比べると、やっぱり短期公演は下級生の“必死”さが目立ちますね。「ME AND MY GIRL」は、役替りはあっても作品自体は知り尽くしてからの博多座でしたもんね。小芝居しまくりだし、召使たちも一人ひとりキャラ立ちすぎだし、凄かったもんなぁ……。

「グレート・ギャツビー」も、ミーマイ並みに5ヶ月も上演したら、あのくらいハジケてくれたのでしょうか…。ちょっと下級生がおとなしすぎて、せっかくの機会なんだからもっと色々試してみればいいのに、と強く思いました。
…まぁ、ミーマイも、3月に大劇場で観たときは全然だったし、東宝に来てもそこまでハジケていなかったので、やっぱり博多座という明るくて新しい劇場のおかげなのかもしれませんね。
日生はやっぱり、外観からして「由緒ある」劇場、って感じがしますものね。


下級生フリークとしては、一日も早く彼らが殻をやぶって飛び出してくることを祈っています。
彼らの前途に、イコール月組の前途に、幸多からむことを。





マージナル

2008年9月18日 演劇
新宿の紀伊国屋劇場にて、Studio Life公演「マージナル」を観劇してまいりました。



ひさしぶりに担当役者(だった)笠原浩夫さんが出演されるということで、萩尾ファンの猫は喜びいさんで行ってまいりました。




1985年に結成された劇団Studio Lifeは、脚本・演出の倉田淳を紅一点とした男優ばかりの劇団。
劇団が喧伝するほど美形ぞろいとも思わないのですが(苦笑)、萩尾作品や文芸耽美作品の舞台化で認められ、今にいたっている……のかな?私が初めて観たのは萩尾望都原作の「訪問者」(の、多分初演)で、その後「トーマの心臓」などいくつか観て……こないだの「カリフォルニア物語」が久しぶりのライフだったのですが。

今回で、だいぶ人を覚えたかなあ(汗)。





倉田さんの脚本は、漫画のコマ割りをそのまま舞台に再現しようとしているのか、場面が非常に細かく切られているので、よほど台詞術のある役者を揃えないと観客が流れについてきてくれない気がします。
あと、彼女の演出で特徴的なのは、強い台詞を言い捨てて暗転と、暗転の中のモノローグ、そして、暗転の中に響く大音量のクラシカルなBGM(大抵は、ファンタジーのあるボーイソプラノのソロ)。

暗転することで拡散した観客の意識をBGMに集中させ、BGMのヴォリュームを下げると同時に舞台に光を入れることでふたたび観客の耳目を集め、集中力を途切れさせない。ちょっと使い方は違いますが、世界のニナガワこと蜷川さんも時々使っていて、理屈のある演出手法だなあとは思うのですが、倉田さんの場合はちょっと多用しすぎ。
観客の意識を音と光で操る作業なので、ひとつの公演の中で何回も使われると観ていて疲れてしまうし、印象的な場面がぶつ切りになって物語そのものへの興味が切れてしまう。

宝塚歌劇団の植田景子さんもこの手法を良く使っていたのですが(「シニョール・ドンファン」は使う曲まで一緒で、倉田淳のパクリと当時言われてましたっけ…)、「Hollywood Lover」にはなかったんですよね。その代わりに、音楽に意味を持たせる手法を編み出したんだな、と。
“あ、景子さんは卒業したんだ!”と思ったものですが…。

対する倉田さんは、なかなか殻を捨てられないみたいですねぇ(; ;)。





今回の「マージナル」は、原作は単行本で5巻だか6巻だかにわたる長編漫画。
内容も複雑で、環境汚染によって死に瀕する地球、情報を統制されて全滅を待つばかりの羊のようなひとびと、月へ逃れた「上流階級」たち、火星へ移住した「先駆者」たち……多様な人間の集団が出会い、きしみ、彼らの利害と愛憎が絡み合い、縺れ合って、ラストに至る愛と救済のものがたり。

公演としては「砂漠編」と「都市編」に分けて構成されていて、私は、最終的にはWキャストのうち、WOMB(ウーム)チームの両編を観ました。



で。
今からこの作品を、しかも両方のバージョンを観る方に一つアドバイス!

砂漠編から先に観ることをお勧めします。



基本的に砂漠編が本編、都市編はその種明かしというか謎解き編というつくりになっているので、絶対そのほうが面白い。
あと、なんといっても、砂漠編は主人公がキラなので、ラストがきちんと語られているのが大きいですね。




砂漠編も、原作を全く知らなかったらちんぷんかんぷんでしょうけれども、それでも「なんかよくわかんないエピソードがいろいろあるけど、これは後で都市編を見たら解決するんだわきっと!」と思って見逃してあげてください。そうすれば大丈夫。
実際、都市編でそのあたりの疑問点は全部解決しますので。


砂漠編で中心となるメンバー(“地球人”)たちは、「何も知らない。」
その目線で語られる砂漠編の方が、予備知識(原作未読)の観客の意識に合うのです。





都市編は、まず主人公がメイヤードなところで終わっている(^ ^;ゞ、

こちらで中心となるメンバー(“月世界人”と“火星人”)たちは、「知っている」ひとびと。
だから、砂漠編で語りきれなかったエピソードを説明し、片付けるための物語になっているんですね。物語の全体の流れは知っている前提で、種明かしに時間を取られつつ話が進むので、予備知識がない観客はついていけないのではないかな、と。





まぁ、これは私の印象ですので、都市編から入ったほうが良いという方もいらっしゃるかもしれませんが…(^ ^;ゞ







舞台奥が高くなっている(よくある2階部分みたいな感じの)セットは、ほぼ転換無しで、砂漠も都市もこれ一つで表現する。美術担当は松野潤。なかなか良くできたセットでした。

今回、倉田さんの演出で、面白いなーと思ったのは、この2段になった舞台の使い方。
砂漠編では、原則として砂漠で起こることは本舞台で、都市で起こることは段上がりで描き、
都市編では逆に、都市で起こることを本舞台で、砂漠でのエピソードを段上がりで…という構成の妙。

ただ、物語の後半はどちらのバージョンも舞台が都市の中になるので、その区別がつけにくくなり、しかもキラを苦しめる幻影は常に段あがりにいるので、その人がどの立場の人なのか咄嗟にわかりにくくなってしまったりはするのですが。
もう少し話を整理して、砂漠編と都市編で入れるエピソードを完全に入れ替えるようなことができたら、もっと面白くできたと思うのですが、ちょっと中途半端だったかも。


それと、段あがりで演じられる芝居が、人が袖からちょろっと出てきて、何か喋って、またひっこむ、しかできないののがイマイチでしたね。段上なので奥行き狭いし、構造上真ん中が通れないセットなのであまり横の動きも出せなかったのはわかるのですが、それにしても…という感じ。
でも、都度暗転しなくてすむだけ良かったです。シーンの連続感があって、観ていて心を持っていきやすかったので。






……演出の話で長くなってしまいましたが、キャストの話も簡単に。



○キラ(荒木健太朗)
美形だけれども、やわらかみのないゴツゴツした男顔の美少年。“普段の”キラのキャラクターにはよく合っていたと思います。
ただ、“グリンジャと反応した”、両性具有モードの時のキラは、ちょっと物足りなかった…。

化粧を直すわけにもいかない場面なので、ライトをピンで当てて飛ばすとか、何か工夫して演出面でフォローしてあげてほしかったです。原作を読んでいなかったら、アシジンの驚きととまどいがサッパリ意味不明だったんじゃないかと思うので。(あそこが理解できないと、その後のアシジンのキラへの執着がぴんと来ないだろう)




○グリンジャ(笠原浩夫)
この人を目当てに観にいったので、もう単純に『あなたに会えて嬉しい』の一言です。
やっぱかっこいいし、外部出演が多いだけに芝居も達者だなあ、と。
ただ、割と愛情が溢れやすい人なので、グリンジャにしてはえらく愛情過多でしたね。もうちょっとクールなキャラだと思うんだけどおな、グリンジャは。

個人的な好みですが、アシジンを観てみたかったなーーーー。倉田さんのイメージするアシジンはタイプが違うのかしら?でも実際、笠原さんが「マージナル」に出るって言われて、最初に浮かんだのはアシジンだったんだけどなあ(T T)。




○アシジン(仲原裕之)
あんまり芝居が上手なんでびっくりしました。原作の美形っぷりを考えるとちょっと惜しいって感じですけど(←ごめんなさい)、グリンジャに対する妬みとか、いろんな複雑な感情が溢れ出るさまがすごく伝わってきました。
いい男だった!!……髪の毛大事にしてあげてください…。




○メイヤード(青木隆敏)
あの、人を小馬鹿にしきった喋り方と声は、わざとなんでしょうか…。砂漠編が終わったときには「虫唾がはしるほど嫌いだ!」と叫んでいた私ですが、都市編が終わったときにはなんだか納得してしまっていました……。
うーん、演出意図にぴったりと嵌っていたのは確かですね。他の人のメイヤードを観てみたかった気持ちはありますが、今回は彼で正解だったのかもしれません。
次回作を楽しみにしています。




○ミカル(三上俊)
かわいいいいいい!と、いいきなり激落ちしてしまいました(^ ^;ゞ 本当にいい加減にしろよ自分っ!
それにしても可愛いです。芝居も巧い。いや、キャラクター自体がミカルそのもの。まさに嵌り役とはこのことですっ!!いやーーーっ、惚れてしまった(汗)。次回公演「死の泉」で主演するらしいので、今から楽しみです♪



○ネズ(奥田努)
この人も、砂漠編では台詞に癖がありすぎて「ちょっといい加減にしてよ」…と言いたくなったりしたのですが、都市編は意外と良かったなあ~。それだけ、二つの物語は印象が違うってことなんでしょうけれども……。
メイヤードともども、自分がメインでない砂漠編での居方というのは、もう少し倉田さんと検討してみたほうが良かったかもね。




○フェロペ/ローニ(渡部紘士)
か、かっこよかったです(*^ ^*)。フェロペ、もっと出てきてほしかったなあ☆(←原作読んでる癖に何を言うか)
フェロペがカッコよすぎて、ローニの情けなさがちょっと違和感(汗)。なぜこの二人を一人にふったんだ倉田さん。謎。




○スズキ・ゴー(山崎康一)
私が観ていたころは、ぴっちぴちの若手スターだった(ような気がする)山崎さん。
すっかりロマンスグレイが似合う素敵なオジサマになっていてびっくりしました。卑屈な感じが素敵♪
次は「死の泉」のクラウスを演じるみたいで、やっぱり観てみたいなあと思ったりします☆




「カリフォルニア物語」の私が観た回にイーヴを演じていた松本慎也くんは、荒木くんとWでキラを演じていますが、どうなんでしょうねぇ…。もう観にいくのは無理なのですが、ちょっとだけ気になっています。がんばってほしいなあ。

ちょっと、遠ざかっていたライフ熱が戻ってきた公演でした。
嵌っちゃったらどうしよう(汗)。



ああ、熊本に行きたい。
熊本に行って、まさお(龍真咲)のトークショーに参加したい!!
……と、一日中思いながら仕事をしていたくらいには、今の私はまさおファンらしい。

トークショーどうだったんだろうー。客席埋まったかなー(←失礼)。
参加された方、もしかしていらっしゃいましたら、ぜひ感想をお願いしますm(_ _)m。





さて。
月組日生劇場公演「グレート・ギャツビー」 上級生編。




と言いながら、いきなり下級生から書き始めさせていただきます。


今回娘役デビューとなった彩星りおん。


か、か、か、かわいーーーーーーっ!!(ぜぇぜぇ)


幕が開いて、華やかなギャツビー邸のパーティー。センターすぐ脇あたりにいるあの美人、誰?あんな子いたっけ??と、まず思ったのがりおんでした。台詞聞いてすぐにわかった(^ ^)。やっぱりあの声好きだなあ~♪
黄色いドレスがとても良く似合って、月娘デビュー!って感じでしたね(はぁと)。あとはずっと大勢口って感じで、役らしい役はラストの少年ギャツビーのみでしたけど、娘役としての居方を学ぶ、良い機会になったのではないでしょうか。
月組プロデューサーさん!力はある子だし、しかも美人なんだから、大事に育ててあげてくださいねっ!

回想シーンの白っぽいレースのドレスも、清楚によく着こなしてました。鬘とかはまだまだでしたけれども、がんばってほしいなーと思います。
新公のマリアも良かったけど、次の大劇場公演も期待!!です♪




今回で卒業する、春咲ころんちゃん。

あまり目立つ場面はなかったのですが、パーティーの客も、ルイヴィルの娘も、ゴルファーも、どの場面もすごく可愛かったです。私的に一番のヒットは、アイス・キャッスルのシガレットガール。大胆な衣装なのに可愛くて、キュートでした♪
入団してからも外部出演していたくらいだから、卒業したらそちらに集中するのでしょうか?機会があったら観にいきたいなーと思います。

ころんちゃんの前途に、幸多かれ。









では、冒頭に戻って、上級生順に。
一回しか観てないので、全部は網羅できてないと思います……ごめんなさい。





越乃リュウ(マイヤー・ウルフシェイム)
文句無くカッコイイし、単体では悪くなかったと思うのですが。
麻子さんとの関係が弱く見えたかなー。もう少し曲者感がほしかった気がします。
一幕ラストに、ギャツビーのシマを取り上げる場面の迫力はさすが。




一色瑠加(アンソニー・フェイ/スラッグル/カーター警部)
この人も、デイジーの父親が嵌る学年になったんですねぇ…って、もう今更ですが。梨花さんの旦那という立場が違和感無く嵌って、とてもハンサムで娘に甘い、「自慢のパパ」でした。

でも、私のツボは髪を乱してセクシーに踊るスラッグルさん(*^ ^*)。カッコいい~~~!!
ガチャは本当に良い男になったなぁ!(感慨)。ウルフシェイムセンターで歌い踊る場面のスラッグル、完全に落ちてましたわ私…。




妃鳳こころ(ヒルダ)
文句無く美しい。
こんなこと書いたら申し訳ないんですけど、この人を乳母に回してデイジーをするのって凄いプレッシャーだったのでは…?(いや、あいちゃんも十分美しかったよ)
あいちゃんデイジーとの「ヒルダ、喋ったのね!?」「当たり前ですわ!(←違うと思う)」という緊迫した会話の迫力がものすごくて、同期ならではの遠慮のなさなのかなあと思いました。

美人で目ヂカラがあって芝居ができて、そして歌える(今回は歌無しでしたけど)。得難い存在だなあ、といつも思います。あいちゃん、すずな、こころ。「Hollywood Lover」に引き続いての86期女役揃っての出演でしたが、このトリオ、3人とも好きなんですよね…もっとがっつり組んでほしかったな~。





美夢ひまり(サリー/マーゴット・ニコルソン)
回想シーンでのしっとりと美しい奥方、存在感がありました。あちょうさんともお似合い(*^ ^*)。
フラッパーのサリーは弾けてて見事。新公卒業して、大人っぽい役が回ってくるようになってよかったね!もう「6歳」じゃないんだね(←いつまで言われ続けるんだろうか、ひまりん…)





綾月せり(ユーイ/サム)
なんだか久々に、せりちゃんの芝居いいなあ~と思いました♪居候のピアニストも、場をホッとさせたり盛り上げたり大活躍だし、ウィルソンをなだめるサムをみて、大人っぽくなったなあ、と思ったし。
童顔で声が高くて発声もアレで、どうしても子供っぽい芝居になってしまう人なのですが、この辺で殻をやぶってくれると嬉しいな。もともと芝居心のある人なので、これからの成長を楽しみにしています!





羽咲まな(ジュディ・フェイ)
遣り甲斐のある役をもらって、うれしそうに演じているまなちゃんは、すごく可愛いです。的確な演技で、この人は本当に芝居が巧いなーと感心しました。「カメオのブローチ、もらえないのね」とかいう台詞の、タイミングといい、声色といい、本当に素晴らしかった。一瞬にして姉デイジーの激情に火をつける、その爆発を呼び覚ますに十分な、完璧なタイミングでした。

歌もさすが。ただ「声がいい」とか「音があってる」とかじゃない、「歌」としての完成度をあげるための声づくり。見事に場面を支配していました。大きな役ではないのですが、デイジーを追い詰める大事な役。髪型もメークも、よく工夫されていて良かったです!
……この役を純名里沙さんがやったのかー!!想像もできません(^ ^;ゞ

あと、まなちゃんが凄いなーと思ったのは、相手役のゆりやんが、若さの輝きだけでなんとかしようとするのを、きちんと引っ張りあげていたところ。ゆりやんにも良い経験になったのではないかしらん?大劇場でも良い役がつくようになりますように!





光月るう(ビロクシー)
冒頭、パーティーを仕切っているっぽい感じな芝居を見たときは、ギャツビーの執事か何かかと思いましたが、ウルフシェイムがギャツビーに付けた人間だったんですね。
表面的な真面目さ(いかにも執事めいた雰囲気)と、腹の底に溜め込んだ野心のバランスが見事でした。笑顔が可愛くて好きだったんですが、このくらい曲者感があるのも良く似合いますね♪

ただ、後姿がまだまだ女の子なのは、なんとかがんばってほしいです。体型的にも不利なので難しいのはわかるのですが、せっかくあんなに芝居が素敵なのにもったいない~っ(T T)。
特に気になったのは走り方。今回のお芝居、ウルフシェイムに「お前にギャツビーのシマを任せる」と言われて喜んでハケるところがキモなので、そこで可愛らしく内股に走られると、すごく興ざめしてしまうんです(T T)。

…まぁ、祐飛さんも、ちゃんと「男役」として走れるようになったのは新公卒業してからだったので、今はまだ仕方ないものなのかもしれませんが…、でも!!
どうか。楽までまだだいぶありますので、映像として残る前に修正してほしいです。切望。





夏月都(キャサリン)
マートルの妹、フラッパーガールの一人、キャサリン。なっつには本当にぴったりの役でした。
可愛くて、考えなしで、刹那的で、でも意外と姉を心底心配していたりする優しい面もあったりして。
ニックをはさんでジョーダンと睨み合う場面なんて、最高にキュートでした。可愛い~~~!!(撃沈)





彩央寿音(ラウル)
ビロクシーと同じような役割を担うキャラクターですが、きっしーがやるとどうしても包容力のある柔らかさ出てしまうので、ビロクシーみたいな切れ味はあまり感じなかったかなー。
ただ、底知れない感じはありましたね。笑顔の下で何を考えているのかわからない、みたいな。

抜群のスタイルを黒ずくめで包んだ立ち姿が色っぽくて、ドキドキしました。かっこいー。





華央あみり(ニコルソン市長/ビル)
あちょうさんはすごいなあ。どうしてあんなにカッコいいのでしょうか。梨花さん・ガチャと並び立って、ひまりんを奥さんにしても違和感のない新公学年ってどうなの。
ソルーナさんより器の大きな男に見える新公学年ってどうなの(←あえてそういう男を演じたソルーナさんも凄いけど)

かっこよすぎです!!

……絶対大野さんの好みのタイプだと思うので、次回大劇場公演をちょっとだけ楽しみにしております♪





紗蘭えりか(ミニー)
フラッパーガールの衣装も似合っていましたが、個人的にえりかちゃんはゴルファーがお勧め♪
ちょっと雰囲気がおとなしめだけど、実は美人なんですよね(*^ ^*)。
冒頭のパーティーでも台詞があって……あれ?何を言っていたっけ…?ごめんなさい、忘れてしまったけど、あの声好きなので嬉しかったです。あまり目立たないけど、落ち着きのある静かな芝居ができる人。舞台を楽しんでくだしさいね♪




…ってなところで、88期まで終了♪
次は89期から(^ ^)。



月組日生劇場公演「グレート・ギャツビー」 キャスト編。



瀬奈じゅん(ジェイ・ギャツビー)
かっこいいっ!!よっ色男っ!!って感じでした♪
ただ、麻子さんって元々上流階級の男が似合う(「飛鳥夕映え」の軽皇子は絶品でしたもんね!)タイプなので、ギャツビーの鬱屈がちょっと弱かったかなーと思いました。
あれだと、「ダル・レークの恋」のラッチマン(実は王子様)と似た役作りになってしまって、ちょっともったいなかったなー。

あんまりギラギラした野心家も違うし、バランスの難しいところですけどね。


それにしてもカッコよかったなあ~(*^ ^*)。立ち姿の美しさとか、タンゴの流れるような身のこなしとか、ほんと目を惹き付ける魅力があって。ホンモノのショースターは違うなあ、と思いました☆





城咲あい(デイジー・ブキャナン)
美しかった!うっとりするほどキレイでした。ええ、本当に。
「あたしはキレイなの」という強い意志がものすごい勢いで放出されていて、私は完全に射抜かれてしまいました(*^ ^*)。

いかにも月娘らしい、意思を持ったデイジーでしたね。小池さんの中のデイジー像が揺らいでいる影響をもろに受けて、苦労したんじゃないかなーとも思いましたが、『世の中』の矛盾を一手に引き受けた、複雑でつかみどころのない、理解し難い女性像を構築していたと思います。

純情で一途な少女時代。
恋した少女は、離れ離れになった恋人に手紙を書く。
ひたすらに一途な思いをこめて、毎日顔を合わせていれば語ったであろう日常の些細な事件から、夜毎の夢、涙で濡れた枕のこと、妹が買ってもらった服の話、髪を切った話……
ベッドに入る前に、手紙を書いて、お祈りをして、眠る毎日。

…次第に、少女の頭の中で、手紙と祈りがごっちゃになっていく。


来ない返事に焦れていたのは、最初のうちだけ。
だんだん返事が来ないのが当たり前になっていく。
かみさまへの祈りに返事がないように、
恋しいひとへの手紙にも、返事は来ない。そう、そういうものなのだ、と。

返事はこないの。当たり前よ。
だってほら、かみさまだってお返事してはくださらないでしょう?

…自己防衛本能は、そんな言い訳で少女の心を守ろうとした。
その本能こそが彼女の心を決定的に壊してしまっていたことには、誰も気づいていなかった……




壊れた少女は、心の壊れた部分を抽斗の奥深くにしまいこんで、
両親に促されるままに結婚する。
愛情深い優しい両親が、“貧乏な生活”など出来るはずもない驕慢な娘のために選びに選び抜いた、“同じ階級の”名士と。



でも。抽斗の奥深くしまいこまれた小さなデイジーは、壊れたレコードのように同じ言葉を繰り返している。
ジェイ、ジェイ、ジェイ、ジェイ……

ひたすらな祈りの言葉のように、繰り返し。




ニックによって告げられた「ギャツビー」という名前は、デイジーにとって晴天の霹靂だったはず。
それは彼女にとって、「かみさま」が返事をくれた瞬間だったのではないでしょうか。
この場面から、実際にギャツビーの家に現れるまでのデイジーの、どこか現実離れしたふわふわした感じが、すごく面白いと思いました。それによって、実際にギャツビーという『生身の男』と出会ってからの彼女のとまどいが強調されて、現実離れした、離人感のようなものがありました。


ギャツビーと再会したことによる、恐怖。
夢が現実になる、といえば聞こえもいいのでしょうが、実際夢は良いものばかりじゃない。悪夢だって夢なのですから。
デイジーは、ぬるま湯の中でただ憧れていた「初恋」の思い出が現実に重なってきたときに、
今の“それなりに”心地よい居場所を捨てて、行き着く先に何が待つのかわからない、天国かもしれないけれども地獄なのかもしれない、そんな道を歩き出す勇気が持てなかった。
ギャツビーと二人で歩くなら、どんな山道も歩いていける、嵐も怖くない、と、
思うことができなかった。

…そういう恐怖を、そして怯える自分への侮蔑を、あいちゃんはよく表現していたと思います。
後ろ向きなキャラクターなだけに、女から観て魅力的な女にするのは難しいと思うのですが。とにかく精一杯に美しく、気まぐれでわがままで感情的に演じて、ギャツビーにとっての『運命の女』であろうと努力していました。
最終的に「トムの運転する車で葬式に現れる女」としての説得力を持たせるために、生い立ちからずっと、細かく計算して役を作っていったのでしょうね。…本当はもう一息、作り上げた役を捨てて舞台に立てるようになったら本物なのになあ、とは思うのですが……。


ただ、鬘はもう一工夫ほしいところでしたね。特に少女時代。
なんといっても、「中西部一の、音に聴こえた美女」でないと話が成立しませんので。
………プログラムの写真はキレイなのになぁ…(T T)。




青樹泉(トム・ブキャナン)
どうしても素の、人が良くて優しいところが見え隠れしてしまって、貴族ならではの「傲慢さ」が弱かったのが残念です。特に最初の登場で、「ME AND MY GIRL」のテニスプレーヤーたちの一人に見えたのがとてもとてもとっっっっても!!残念でした(T T)

どうして髭をつけなかったのでしょうか?今からでも遅くない!仲買人みたいな髭をつけるべきだ!(真剣)

新公時代からの弱点だった、台詞が鼻にかかる癖はすこーし改善されたかな?

トムは根本的に“嫌な男”なので、もりえちゃんにはやりにくかっただろうとは思うのですが、別に“嫌な男”を演じなくても良い訳で……演じてほしいのは“トム”なんですよね。“田舎の上流階級”の出身で、都会っ子に対して(自分でも気づいていない)僻みがある、男。
だから、都会っ子のマートルにおだてられると物凄くいい気になってしまう、そんな単純な男。

美しい(でも自分と同じ田舎者の)デイジーが、他の男を愛することはないと思い込んでいるから、“都会の夢”をもてあそぶことができる。
だから、ギャツビーが現れた途端に彼はマートルへの興味を失ってしまう。
もともとマートルは、「都会人」である自分を飾るアクセサリーだったのだから。


…原作では、デイジー自身もトムにとってはただの「美しいアクセサリー」だったと思うのですが。
そこは、小池さんは当然のようにトムを愛妻家(←え?)に仕立ててきましたね。


でも。
トムが愛妻家だからこそ、最後に葬式出席する妻を車に乗せてくる光景が、余計あり得なくなるんですけれども……(汗)。







憧花ゆりの(マートル・ウィルソン)
素晴らしかった!抜群のキュートな魅力。思い切って真っ青に染めたまぶたと、弓形にくっきりひいた眉がすごくマートルらしい。
キャラクター的には、なんというかもう少し、グラマーで目のしたか口元あたりにめだつ黒子がありそうなタイプの女性なんですけど、すずなのマートルの魅力は、あの抱いたら折れそうな細さにあったような気がします。

美しい、というのではないけれども、トムが思う「都会」の象徴みたいな女の子。作品世界における自分の役割を知り尽くして、そのポジションに完全に嵌っていたのが気持ちよいくらいでした。

…しかしマートル、ウィルソンに押さえつけられている時にそんな大声でトムの名前を繰り返し呼んだら、浮気相手が誰なのかウィルソンにバレちゃうじゃん…?そしたらあのラスト、おかしいんだよ?マートルのせいだよ?(←いいえ、小池さんのせいです!)





遼河はるひ(ニック・キャラウエイ)&涼城まりな(ジョーダン・ベイカー)
語り手のお二人。

私は基本的に、どんな脚本であれ「説明役」や「狂言回し」はイラナイ派なんですけれども、この二人は実に巧く作られていて全然違和感がありませんでした。小池さん、GJ。

ギャツビーとデイジーの不安定な恋を、ドキドキしながら(ちょっと野次馬根性も覘かせつつ)見守っている二人、という構図がすごく良かったんですよね。しかも、シリアスで重たい作品の中の清涼剤の役割を務めながら、最後の最後にどんでん返しがあるところが憎い。

……ルイヴィルの森での物語も、基本的にはちゃんとデイジーの視点で描かれているから、『ジョーダンがデイジーから聞いた話』として電話で語っていても、それほど違和感がない。
『ジェローデル、お前いったいどこで見てやがったんだ!!』とつい思ってしまった「ベルサイユのばら」フェルゼン編を考えれば、まぁデイジーの母親がギャツビーに何を言ったのかくらい知ってても気がつかなかったフリが出来るし(←いや…けっこう忍耐力との戦いでしたが ^ ^;ゞ)。




あひちゃん、ラスト前あたりから葬式にかけては良かったです!特に、ジョーダンに「あなたちょっと重たいのよ」と言われるのもむべなるかな、と思わせる鈍重さがあったのが素晴らしかった。

でも、そこまでの「上流階級のぼんぼん」ぶりはやっぱり……ねぇ。あ、もちろん、ジェラルドよりは数段良かったですけどね(汗)。

うーん、あひちゃんにはいったいどんな役をやってもらえばいいんだろう……。
とりあえず、貴族のぼんぼんは当分やめておいたほうがいいかもね(^ ^;ゞ



長くなってきたので、ここでいったん切ります(^ ^)。
月組日生劇場公演「グレートギャツビー」を観劇してまいりました♪




博多座に引き続き、月組っ子たちホントにがんばってました!!汝鳥さん、磯野さん、梨花さんの専科陣も素晴らしい。なかでも、ジョージ・ウィルソンの磯野さんが本当に素晴らしかった!!原作でイメージしていたウィルソンが、そのまま容を与えられてそこにいる、という感じでした。

私は初演も映画も何も観ていなくて、だーいぶ遠い昔に読んだまますっかり薄れてしまった原作の記憶くらいしかイメージがなくて、ほとんとマッサラで観たと言っても嘘じゃないと思うのですが。





一幕が終わって、最初に思ったことは、
……あれ?「華麗なるギャツビー」ってこういう話だっけ?
でした。



わかってます。
今回の作品は「グレート・ギャツビー」であって、私が以前読んだ「華麗なるギャツビー」じゃない。
宝塚歌劇団で上演される「グレート・ギャツビー」という別の作品なのだ、と、頭ではちゃんとわかっています。


でも、観ていてかすかな不協和音を感じたことは事実なのです。






私は先週、星組「スカーレットピンパーネル」を観て書きました。
「小池修一郎は潤色の天才である」

この実感は、ウィーン版の「エリザベート」を観たときにも強く思ったことなのですが、彼は、本来“宝塚的”でないものを、宝塚的な展開に持っていく天才だと思うのです。

「エリザベート」には「愛と死の輪舞」を。
「スカーレットピンパーネル」には「ひとかけらの勇気」を。

この一曲を加えただけではなく、その一曲を軸に物語の構成を組み替えてのけた。それは、「花咲く港」を「パリの空よりも高く」に変えたような乱暴でいい加減なものではなく、自由な発想と緻密な計算によって確立された一つの物語世界を壊して更地に戻し、そこから同じ部材を使って“宝塚歌劇”を組み上げてのけたのです。





ならば。
そんな小池修一郎が「華麗なるギャツビー」という世界の名作を『宝塚歌劇』として再構築するにあたって、いったい何をしたのか?
「エリザベート」に「愛と死の輪舞」を与えたように、
「スカーレットピンパーネル」に「ひとかけらの勇気」を与えたように、
そして、「ドラキュラ」に20世紀の後日譚を与えたように。




…この作品はそもそもが再演ですし、原作も著名な小説なので遠慮なくネタバレさせていただきますが。




小池さんは、「華麗なるギャツビー」を宝塚歌劇に潤色するにあたって、
ラストのギャツビーの葬式に現れるデイジー、という新しいデイジー像を創ったのだ、と、私は思っています。




「華麗なるギャツビー」という作品は、小池さん自身がプログラムにも書いているとおり
“何度も企画を出したけれども、「ヒロインが宝塚的でない」という理由で却下されてきた”作品。
…それはそうですよね?
「愛している」と言いながら“ギャツビー”という現実と向き合うことが出来ずにゴルフ場から逃げだし、車を駆って事故を起こしたあげく、その事故があった事実さえ直視することができないデイジーに、自分の身替りになってギャツビーが死んだ事実など受け入れられるわけがありません。
死を受け入れられないのに葬式に来ることはできない。だから、デイジーは墓参りに来ない。来るわけがない。これは原作を読めば当然の帰結であって、そもそも、デイジーが墓参りに来るような女だったら、こんな話は成立しないわけです。



でも、宝塚歌劇のヒロインでありながら、自分の(事実上)身替りで死んだ主役の葬式にも来ない女、というのはあり得ない。
宝塚のヒロイン=主役と運命的な恋に落ちる女性=主役を深く愛する女。
17年も前にこの“三段論法”を崩すことは不可能だったでしょうし、まして大劇場作品で、観客も受け入れなかっただろうと思います。


だから、デイジーの性格を宝塚ヒロインらしく変更した=最後にギャツビーの葬式に姿を見せる女性として説得力を持たせるために、小池さんはすべてを組み立てなおしたはずなのです。






そして。

初演を観ていない私が、すべて憶測でものを書いていいのかどうかわかりませんが。





小池さんは、初演を構築したときに、デイジーというキャラクターを表現する場面をあえて作らなかったのではないでしょうか…?

デイジーの性格変更、というのは、かなり根本的な物語世界の骨格の変更になります。デイジーがああいう駄目な女だからこそ「華麗なるギャツビー」という小説が成り立っているわけで、デイジーがもっとまともな生活能力のある女だったらあんなことにはならないのです。ちょっとやそっとのことではフォローできない。

だから。

どうせ、人間関係の入り組んだ長編ドラマです。二本立てで、100分もない芝居の時間の中にどれだけの場面が納まっていたのかわかりませんが、基本的に主役はギャツビーで二番手はニックだったわけですから、この二人にある程度時間は取られて、デイジーに回せる時間は少なかったはず。
だから、あえてデイジーを生身の女として表現することを避け、「ギャツビーから見た夢の女」に徹底することによって、デイジーの行動の理屈のなさ、意味不明さを誤魔化してしまう、という手を使ったのではないかしら、と……


初演をご覧になったみなさま、すみません(^ ^;;;。根も葉もない憶測なのですが、どうなのでしょうか…

…全然ちがーーーーうっっ!!という感じでしたら、この後の論は、どうぞなかったことにしてやってください…お慈悲をm(_ _)m。






で。

今回の再演にあたり、どういうところから「ギャツビー再演、それも2幕ものに変更して」という案が出たのか、私なんぞには全くわかりませんが、
小池さんの構想として、「おお、じゃあ初演の時に時間が足りなくて削った場面をアレもコレもいれられるなっっっ(^ ^)」という喜びはあったのだろうと思います。

でも。



もうちょっと考えてみよう!
なぜ初演で削ったのか、思い出してみて?>小池さん




ギャツビーとデイジーの心理状態を、丁寧に追っていく展開。
そのなかで浮き彫りにされる、原作のイメージにかなり近い、見事なデイジーの造形。

だからこそ、
そのラストはあり得ません






あいあいが、完璧なまでに演技で“デイジー”を造形しきればしきるほど。

ゴルフ場でのトムの糾弾に耐えられない、弱い女。
ギャツビーと生きる、そのために今の生活を捨てなくてはならない、その二者択一に耐えられない、莫迦な女。

「女の子はきれいでばかな方がいい…」

そんな歌が、似合えば似合うほど、

「女の子で、良かった…」

そんな呟きが、説得力を持てば持つだけ、




ラストに現れるデイジーが、“あり得ないもの”になっていく。





トムの車でギャツビーの葬式に現れ、花を供えて無言で去っていく、

そんな行動がとれるような、理性ある女だったら、あそこでゴルフ場から逃げ出したりしない。
そんな常識ある大人だったら、人を轢いたことに気がついても見なかったフリして逃げたり、しない。
ギャツビーに「俺が運転していたことに」と言われて、安易にうなずいたり、絶対しない。






小池さんは、再演にあたってあれこれ考える前に、もう一歩踏みとどまって考え直すべきだったのではないか、と思います。


だって。今は17年前とは違うんですもの。

今だったら、原作どおりのラストでも誰も違和感はなかったと思う。まして、大劇場公演ではない、主演者のファンが客席のほとんどを占める中劇場公演です。主役に合わせて練り上げればよかったのです。
二幕ものにして、初演で切り捨てたあれやこれやの場面を追加し、デイジーという人間の説得力を増したうえで、

ラストを原作どおりに戻す。

これが可能であったはず。今の彼の、評価と実績をみれば。





でも彼は、17年前の呪縛から逃れられなかった……

“潤色の天才”が、自分の作品を潤色することだけは不得手だというのでしょうか。
東宝ミュージカル「エリザベート」に、不必要な「愛と死の輪舞」を残してしまったように、
2幕ものとして構成しなおした「グレート・ギャツビー」に、“宝塚的ヒロイン”なデイジーを残してしまった。





そのきしみは、一人デイジーだけではなく、作品全体に及んでいます。


一番大きなきしみは、デイジーがそういうキャラクターになってしまったばっかりにギャツビーが物凄く後ろ向きな男になってしまったこと。



原作のギャツビーは、もうちょっと野心のある男に描かれていたと思うのです。前向きでタフで、諦めの悪い男、に。
そして、その野心家がふと見せる弱み、それがデイジーとの愛の記憶。



それなのに、日生劇場に立っているギャツビーは、冒頭の「朝日が昇る前に」からして、ひとかけらの希望も持っていないように見えました。入り江の向こうに遠く見える灯をただ羨んで、そこに辿りつけない自分を哀れみ、蔑んでいる。

ギャツビーは、一度でもデイジーの愛を信じたことがあったのか、と思いました。

隣の劇場で毎日歌われている「ひとかけらの勇気」を歌ってあげたくなるほどに、寂しげな、孤独な、愛を信じられない後姿。




デイジーとの愛を無条件に信じているギャツビー、
“再びめぐり合うことさえできれば、何もかもうまくいく”と理屈抜きで信じているギャツビー、
そんな、前向きでタフな大人のオトコは、どこにもいない。

「俺が運転していたことに」といいながら、デイジーのために犠牲になる自分に酔っている。
手の届かない“上流階級の女”に、自分という存在を刻み込む好機だとくらいに思っているのではないか?と思うほどに、酔いは深い。



いや、もっと前、すべてのシマをウルフシェイムに取り上げられたときに、すでに「すべてをデイジーに捧げる」「愛のためにすべてを」と思う自分に酔っているように見えてしまう。



だから、一幕が終わって最初に思ったことが「あれ?ギャツビーってこういう話だっけ?」だったのでしょう…。



小池さんの構想と、瀬奈さんの演技プラン、どちらが先なのかはわかりません。
でも、
私には、違和感がありました。


そういう話ならそういう話でいいんです。
“そういう話”で筋が通っていれば。私が原作の影から逃れられなくても、誰も困りません。


でも。
違和感、というのは、一つの作品の中で“あれ?”と思うところがあったということです。





デイジーを愛し、手に入れたいと思い、
デイジーの母親になじられた自分の出生を恨み、
黒社会に身を投じてまで財をつくり、デイジーと同じところまで昇ってきた、ギャツビー。
その前身に、なっとくがいかない。



ルイヴィルの森でのギャツビー中尉殿。
他の男たちを差し置いて、デイジーを射止めた、デイジーに選ばれたという自負と誇り。
自分の生い立ちに関する秘密。それを秘密にしなくてはならないことに対する怒り。
そして、自分を蔑んだ連中を見返してやりたい、という思い。

青年ギャツビーには、そんなどす黒い感情があったはずなのに、

芝居として表現されているのは、「王子と王女」のおままごとのような純粋な恋心のみだから、必要以上にギャツビーが純情素朴に見えるのです。
エディとジュディの二人の方が、むしろ大人に見えてしまうくらいに。




あくまでも少年めいた、裏表のない自己犠牲心。
少年の心を忘れない、というよりは、少年そのものの純粋さ、というお芝居は、瀬奈じゅんというスターが得意とする王道のパターンではありますが、ジェイ・ギャツビーとしては、ちょっとそぐわなかったような気がします。
そういう心の持ち主が、ウルフシェイムに認められたのが不思議だから。
そういう心の持ち主なら、財を成した時点でデイジーを訪ねていく方が自然だから。


そういうキャラクターを表現したかったのなら、「華麗なるギャツビー」である必要はなかった、と思うのです。ああいう展開にする必要がなかった。

もっとシンプルな物語の方が、瀬奈さんのキャラクターが生きたのではないでしょうか?





…ちょっと暗くなってしまいました。ごめんなさい。
おかしいな、“月組ファン”としてはめちゃくちゃ楽しかったのに!


というわけで、作品の話は終わりにして、次はキャストの話を♪




9月13日の日記は、夜中になるまでニュースを知らなかったので全然違うことを書くつもりだったため、ちょっと考えがまとまらないままに書きなぐってしまいました…反省。




いずれちょっと書き直したいと思っておりますが。
一つだけ、補足させてくださいませ。

荻田さんが宝塚を退団される、と聞いて、一番最初に思ったことを書いていませんでした。





クリエーターとしての荻田さんを喪っても、宝塚はなんとかなるだろうけれども、
表現の場としての宝塚を喪っても、荻田さんは何も問題ない(と思っている)のだろうけれども、



「指導者」としての荻田さんを喪った宝塚は、結構先行き暗いかも……(T T)。




柴田さんが第一線を引いた今、
正塚さんと共に、荻田さんに教育面を期待していた私。



「凍てついた明日」での、学年に見合わない下級生の充実ぶり。
ショーでの人の使い方の巧さ。

座付きでいれば、「自分の好みの役者を育てる」楽しみがある。
見出すだけではなく、出会うだけでなく、“育てる”楽しみ。それが判っていて、荻田さんはあえて制約の多い座付きの座に座っているのだろう、と、

…私が勝手に思っていただけですが。





外部演出家として宝塚作品を創ることがあったとしても、
指導者として戻ってくることは難しいのでしょうねぇ……。

作品そのものは、荻田さんがアリなら、いのうえひでのり(劇団☆新感線)さんとか、宮本亜門さんとか、才能ある外部作家はたくさんいらっしゃるのでどうにでもなるだろう、と思うのですが。


役者の指導者としての荻田さんは……貴重だったんだけどなあ………





正塚さん、まだ枯れるのは早いです。
もうしばらく、指導者としてがんばっていただけませんかね(涙)。



宝塚歌劇団 演出家の荻田浩一氏が、退団されるそうですね。



スポニチ宝塚支局の、「グレート・ギャツビー」の記事の最後に、ちょこっと書いてありました。
http://www.sponichi.co.jp/osaka/ente/takarazuka/backnumber/080913/takarazuka.html



慌てて公式サイトに行ってみたけど、何も書いてないよ(涙)。
演出家の退団は、いちいち載せないんだなあ……



荻田さん、今までだって十分外の仕事をやっているじゃないか!

どうして今までのペースじゃ駄目なの?小池さんだって、宝塚に所属したまま「エリザベート」も「モーツァルト」もやっている。別に、大作をやらせてもらえないわけじゃないじゃないか!





と、嘆きつつ。





でも、たしかにここで一度「宝塚歌劇」から離れることが、彼にとっては必要なのかもしれない、と納得している私も確かに存在しています。








「A-Rex」と「オスカー・ワイルド~或いは幸福な王子」を観たときに。
キャストを選べない「タカラヅカ」のシステムに、限界を感じてしまったのかな、と。



キャスティングから自分の好きなようにできる“外”の世界で、力を試してみたくなったのかな、と。







本当の本音を言えば。

私は、荻田さんは本質的に「与えられたキャストを一番輝かせる」方が得意なクリエーターだと思っています。

彼自身の自己評価がそうでないことは知っていますが、
そしてタカラヅカファンの大多数がそうは思っていないことも知っていますが、

あえて、観客として彼の作品を観てきて、私はそう思っている。





だって、彼は、
真実、役者の幸せを祈ってくれるクリエーターだから。

たとえ汚い役でも、苦しい役でも、役者としての幸せを噛み締めることができる役を創ってくれるひと。

役者のファンとして観ていると、いろいろと辛いことも多いのですけれども。
でも、ご本人がとても真っ直ぐに自分の役と向き合っていられる役を書いてくださるから、私も幸せになれるのです。

サヨナラが荻田作品にあたったタカラジェンヌの、幸せそうなこと。
シナちゃん、らぎちゃんの、幸せそうなこと…(T T)








……また、いつか。
いつかなんて約束はに、意味なんてないけれども。


でも、いつの日か、きっと。

謝さんのように、「外部演出家」として宝塚作品も手がけてくださることを祈りつつ。









最後の作品を、(らぎちゃんのおかげもあって)通いまくることが出来て、幸せです。

これからも、どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m。





……っていうか。
「D」も「モディリアーニ」も当然のように観ますし、私にとっては、退団しようがするまいが「演出家をやめて作家になります」とか言い出さないかぎり、大きな違いではない!んですけどね(^ ^)。





ただ。
祐飛さんが結局、「螺旋のオルフェ」ただ一作で終わってしまうことがとても残念なだけ、で。
(祐飛さんが卒業後女優を続けるとも思えないし)

……荻田さん、祐飛さんが卒業する前に、一度戻ってきてくれませんかねぇ……(←無理)





3万文字も書けることがふと判明したりする、ニュー・diarynote。
誰が書くんだ。っつーか、誰が読むんだ3万字。

長々と、昔書きかけたチェ・ゲバラとカストロの話とかアップしたくなるじゃないか!(笑)





……もとい。





初回放送を録画しそこねた「雪組85期 楽屋わくわくカフェタイム」を、無事GETすることができました(はぁと)。

いやぁ。
シナ(山科愛)、ひろみ(彩那音)、ヒメ(舞咲りん)、らぎ(柊巴)。
このメンバーの中にいると、らぎちゃんが口を挟む隙はまったくないんだなあ……
と、しみじみと感動してしまいました。

……いや、らぎちゃんの場合、どんなメンバーでも口を挟むのは難しそうですけどね(^ ^;ゞ




月組時代、ひろみちゃんってひたすらおとなしくて可愛いタイプと思いこんいたのですが。
キチッと仕切って、天然なヒメをちゃんと操縦して、黙ってニコニコしているらぎちゃんに話を振って……八面六臂の大活躍!だったのがすごく新鮮でした。
典型的な“妹”キャラかと思っていましたが、案外しっかりモノなんですねぇ(はぁと)。



シナちゃんは、本来なら優等生らしくキッチリ仕切ってくれそうな気もしますが、今回はひろみちゃんとヒメに任せてた感じでした。卒業生ということでお客さま扱いになってたのかな?
もうもうもぅ、とにかく可愛かったですーーーー!(惚)



ヒメはひたすら天然の盛上げ屋!失言っぽいのもあったけど(^ ^)、最高に面白かったです!
ひろみちゃんが「ちゃんと考えて喋ろうね」と抑えてしまったネタが何だったのか知りたい(笑)。


らぎちゃんは、きっといつもあんな感じなんでしょうねぇ…。
「睡れる月」のナウオンも、「Daytime Husler」のナウオンも、おとなーしく黙ってひたすらニコニコしてたもんなぁ(^ ^)。そういうところが可愛くて好きです。
そして、話を振られると慌てて考えて、考えて、考えて…(間)えーっと、えーっと、と言いながら目が泳いでいるのも大好きです(←だから駄目なんだってば)

一番笑ったのは……
ひろみちゃんが自分の演説場面でのヒメの様子を話してて、ヒメが「そういえば、『しゃしゃり出る』って舞台稽古ですごく噛んじゃって……」という話になって。
「みんな『しゃしゃりでる』って言ってみて!」と言われて、シナちゃんとひろみちゃんはすぐ言ったのに(上手だった!)、
らぎちゃん一人だけニコニコして何も言わずに誤魔化してたところ(^ ^)。

3人とも気がついてただろうに(ヒメはわかりませんが、ひろみちゃんはチラっと見てたような)何事もなかったように流してあげたところも、本当に優しいな、と思いました。

らぎちゃん、素敵な同期に囲まれて、本当に良かったね(はぁと)(85期大好き!)



シナちゃん、らぎちゃん。
あと、大劇場公演が1週間ちょっと。
東宝までいれても、2ヶ月とちょっと。

10年分の、たくさんの思い出を作って、
そして、

舞台を楽しんでくださいますように。






それにしても、雪組85期……楽しそうだなあ~♪まずは、研10になって8人っていうのが凄い!けど。雰囲気がいいんでしょうねぇ(*^ ^*)。


diarynoteがリニューアルしました………


う、わ、わからん!!なことがいっぱい(涙)。
日記を書き込むときの「評価」とか「場所」っていう項目がまずわからん(涙)。
自分で「評価」を選ぶの?自分の日記を?いみふめいーーーー!
そして「このスポットの場所」として表示される「住所」って……店を紹介するときとかに使うのかしら。これもイミフ。

とりあえず、入力しないで投稿できるのかどうかドキドキしつつ。




とりあえず、「同ジャンルの日記」へのリンクがなくったのがかなしい。とりあえずチェックしていたのに(T T)。

あと、RSSに新着を出すか出さないかが選べないのが残念ー。突然旧い日記の“てにをは”間違いに気がついてこっそり直したときとか便利だったのに、“こっそり”が通用しなくなるのね(T T)

なんだか、たいした機能じゃないんですけど無くなるとさびしいです。
もうちょっと真剣にアンケートに答えれば良かったなあ。







どなたか、可愛い猫の画像(自画像用)をご提供くださるかたを募集中。
っていうか、朝日新聞様に載ったハウルくんの写真使ったら怒られるでしょうか…。

そして、ふつーのブログみたいにヘッダーの画像が登録できるようになったらしい。
………どなたか可愛い猫の写真を(以下略)







体裁が変わっても、日記の内容がレベルアップするわけではないのですが。
とりあえず、どんなに長くても携帯でちゃんと読めるようになったのは収穫かな…>>ね、Kちゃん。
URLが変わったみたいなので、万が一ブックマークをしてくださっていた方がいらっしゃいましたら(←いねーよ)是非変更をお願いいたしますm(_ _)m。




9月は仕事が忙しすぎてあまり観劇できないので、更新もだいぶ滞ってしまいそうですが……
(CSも録画はしてるけどあまり観てないし)

でも、せっかくサイトも新しくなりましたので、がんばって何かしら書いていきたいと思います。
いつも遊びにいらして下さるみなさまに、心より感謝申し上げつつ。




博多座ミーマイのレポートが一幕で終わっている事実とか、
「夏の夜のロミオとジュリエット」とか「宝塚BOYS」とか、すごく面白かった舞台なのに感想書いてないのがたくさんある事実とか、そのアタリには目をつぶって。




これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます!





…早くバックアップ機能ができますように(祈)。


……最近、星組さんとはとことん縁のない私。

やっとの思いで入手したヤクルトホール星組トークショーチケット、、、、、

仕事が終わらず、帰れませんでした(号泣)。



ともみん(夢乃聖夏)、まりも(蒼乃由妃)ちゃん、ベニー(紅ゆずる)、なんてさ、

私の星組お目当てメンバー9人のうちの3人なのにさ、
(←そんなに居るのか!?っていう突っ込みは今更無しで)

せっかく月組、花組と順調にノー残業デーしてきたのにさ………

ちゃんとレポしようと思って、あれこれ心の準備(←何をいったい)していたのにさっ!!

3人のお話、聞きたかったよーーーーー(T T)。

……たぶん、アンナ・カレーニナを観にいか(け)なかった時点で、星組さんのかみさまに見放されてしまったんでしょうねぇ…。


というわけで、新人公演に引き続き、レポートをお待ちしておりますm(_ _)m。(ひとだのみ)



これだけではナンなので…

すっごく今更なのですが、やっと!録画しておいた星組新人公演のニュース映像を観ました♪

いやーーーー、まりもちゃん可愛い(*^ ^*)。やっぱりこの子の芝居はかなり好きです私(はぁと)。

そして、ベニーがかっこいい!!
どうしても映像だと歌の評価はナマより悪くなってしまうものなので、そのあたりはさっぴかせていただいて(^ ^)、文句無しの美形で、本当に素敵☆ああ、ナマで観たかった〜〜〜ぁっっ(涙)。

ああ、水輝くんの僅かな美声が耳に沁みる……もっと聴きたいのに〜〜〜っ(T T)。




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