東京宝塚劇場にて、宙組公演「黎明の風/Passion」、そして、新人公演「黎明の風」を観て参りました。


「黎明の風」という作品について、
まずは、個人的な好みの話から。

えー、賛否両論あるかと思いますが、私は結構好きかも、です(^ ^;



関係ないけど、そういえば私は「猛き黄金の国」も大好きでした(笑)。「パッサージュ」との組み合わせだったこともあって、轟さんのトップ時代では一番通った公演でしたし。

他にも、わりと石田さんの作品には好きなのが多いんですよね。「銀ちゃんの恋」「殉情」は今まで観た宝塚作品の中でもかなり上位に入る作品です。……宝塚ばなれしたところも含めて、好みなんだと思います(^ ^;ゞ



で、「黎明の風」。

まだ総括がなされていない“現代史”、第二次世界大戦の直前から朝鮮戦争〜サンフランシスコ講和(安保締結)まで、という、現代政治に大きく関わるさまざまなことが始まった時代を語る物語。
関係者にはまだまだ存命な方も多く、あの時代の「総括」は当分難しい。つまり、“観客の統一見解”といったものは、この時代に関しては無いと思った方が間違いない。

にも関わらず、当代にいたっても非常に微妙な問題(憲法問題とか)について、かなり突っ込んだ意見が出てくるんですよね、この作品は。

なのに、不思議と木村作品を観たときのような不愉快な押し付けがましさを感じないのは、その思想が「自明の真理」「神の言葉」として語られるのではなく、「ある人物の思想の産物」、「ある人物の個人的な意見」として出てくる言葉だから、なのだと思います。



「戦争なんてなければよかったのに」という「この世の真理」が語られることは、この作品においては、ない。
ただ、白州次郎という男の面白さを示すために、
「戦争が起これば食料が足りなくなる。だから俺は、田舎に行って農業をやる」
という名言を吐かせただけ、の。


思想を思想として声高に主張し、観客を染め上げることを目的とする作品ではなくて。
ただの娯楽作品として、「こんな面白いことを言った人がいたんだよー!」と、軽いノリで描き出す物語。

本来ならば青筋を立てて、畏まって語らなくてはならない話題なのに、と怒りを覚える人がいるのは当然だと思う。作劇上の制約も大きいし、思想的にも、政治史、経済史としてもごくごく浅いところしか語られていないのですから。

でも、石田さんの作品は「その時代」を生きる人びとの匂いが濃く漂うところが良いと思うんですよね。
底辺に生きる“庶民”の持つエネルギー。やみくもに「上」を目指す野心とは違う、“自分にもきっと何かできることがあるに違いない!”という思い。
悪い方向悪い方向へと流れていこうとする『時代』を、なんとか押しとどめようと必死で努力する子供のような、純粋だけれども報われない努力の美しさ。

コメディの印象が強くありながら、意外と破滅的な人物をよく描いているところも、きっとそういう話がお好きなんだろうなあ〜、と思います。



この作品は、結構思想的な言葉の多い作品ですよね。それも、とっても微妙なテーマが扱われていて。
憲法に関する考えも、安保に関する思想も、それが「真理」で「正しい道」で、それ以外は「間違い」だ、というスタンスで語られたなら、それは何らかのプロパガンダ作品に堕ちるわけですが。

実際の台詞はほとんど、「吉田茂」や「白州次郎」や「ダグラス・マッカーサー」や、そのほかのさまざまな実在の人物が、実際に誰かに語ったとされている言葉たち。

そういう考えで日本を動かそうとした人がいたんですよ、という、そういう作品。



戦後の日本を束ね、経済復興への道筋をつけた吉田茂。

彼の懐刀として、裏で日本経済の、日本外交の基盤を作った白州次郎。

彼らが、時に正面から、時に搦め手から全力で対抗しようとしたGHQ総司令官マッカーサー。



形式上の主役は白州次郎ですが、作品の主題はこの3人による日本経営であり、敗戦国の自尊心、モチベーションの保ち方。
なによりも、一番に「吉田茂」なんだよなぁ、と、
汝鳥さんの名演技を観ながらしみじみと感じ入りました。

裏も表も使えるコマは全部使って、
時には姑息に、時には大胆に、
日本の国益と日本国民の幸せを、勝ち得るため、に。





で。

だいぶ話が飛んでしまいましたが。

私はこの作品、実は結構泣いたわけですが。
キャストさえ“本来の”キャスティングがなされていれば、私の中の名作カウントに入った作品かもしれないなー、と思っていたりします。

では、何が間違っていたかといえば、

なんといっても白州次郎とマッカーサーの年齢設定、なんですけどね…。


だって。
白州次郎が老練な政治家で、マッカーサーが未経験な若者では、話が成立しないんです!

マッカーサーが百戦錬磨で、17年も祖国に帰ることなく転戦し続けてきた有能な軍人であり、白州次郎が恐れを知らぬ自尊心の高い働き盛りであればこそ、土下座の意味があるのです。

ちなみに。終戦(1945年)当時の実年齢は、白州次郎43歳、マッカーサー65歳、吉田茂67歳。
宝塚作品でこのとおりの年齢でやることはできませんが、せめて白州次郎30歳、マッカーサー45歳くらいの設定で考えてもらいたかったなあ、と。


タニちゃんの白州次郎、轟さんのマッカーサー。
こうだったら、もう少し面白くなっただろうに、と思うのです。



それからもう一つ、蘭トムくんが演じる辰美英次のキャラクターが…

広島で家族を亡くした彼と、真珠湾攻撃で弟を亡くしたグルーパー中佐(悠未ひろ)の対比の面白さに、本公演では気づかなかったんですよね、私。

日本軍の、宣戦布告無き不当攻撃と、
アメリカ軍の、非戦闘員に対する無差別攻撃と。

いずれも国際法的に禁じられた戦闘行為による、二つの“家族の死”。それを表現する、二人の態度の違い。

感情豊かに激しい怒りを爆発させ、日本人を皆殺しにしたいくらいの勢いで激するアメリカ人(=グルーパー中佐)と、
黙って哀しみに耐える日本人(=辰美)、という対比に使われるはずのキャラクターだったと思うのですが。

……蘭トムくん、熱すぎます…。

この対比という点に関してだけは、新公のカチャと暁郷(この二人同期なんですねぇ…しみじみ)、お二人を観て初めて気がつきました。面白い表現だったと思います。





ほんの戯言ですが。

この作品、今の花組出上演したら面白かっただろうになぁ、と思っちゃいました。

真飛さんの白州次郎(洒落者でやんちゃな野郎系)
祐飛さんのマッカーサー(フィリピンでの場面は無しでもいい)
壮ちゃんの辰美(クソ真面目で素朴で、一生懸命な軍人)
みわっち(愛音羽麗)のグルーパー中佐
まっつ(未涼亜希)のブレストン大佐

………ぴったりのような気がするのは私だけっ!?

女性陣も、役が豊富なので面白そう。マッカーサーの出番を減らせば、吉田和子にすみ花ちゃん、ジーンにきらりん、従軍記者のポーラにれみちゃん、でぴったり♪
ブギの女と東京ローズは、一花ちゃんかさあやちゃん(どちらがどちらでも)が希望です(^ ^)。



…なーんて、あり得ないからこそ暢気なことを言っていられるんですけどね(笑)。

もし、お気を悪くなさった方がいらっしゃいましたらごめんなさい!!ほんの思いつきなんです…

今の私が本気で花組本公演で観たいと思っているのは、まずは決定済みの「血と砂」、そして「黒い瞳(もちろん謝演出)」の、2作品です(*^ ^*)。(←マジ? ・・;)