日本青年館にて、宝塚星組「赤と黒」を観劇してまいりました。



脚本は、さすが柴田さん!!と思いました。
骨太な物語ですよねー。……ちょっと古いことは否めないけど(←これは演出の中村さんの責任も大きいと思う)


私は、スタンダールの「赤と黒」ってあまり好きではなくて、
鴎外の「舞姫」と『嫌いな文学作品』のトップを争う作品だったりします。
主役の性格が嫌い、
話の展開がくだらない、
ラストが情けない、の三重苦。

なんで感性豊かな思春期(当時)に、こんな作品を読んで感想文なんぞ書かなくちゃいけないんだろう、と思いつつ、それでも良い子ちゃんぶって無難にまとめた感想文を書いて自己嫌悪に陥った、思い出の2作品(^ ^;ゞ
そんな時代(高校時代)はや遠くに去りぬ……って感じですけれども。



観ている間中、「やっぱイヤな奴」と思いながら話を追っていた私ですが。
ラストのジュリアンの獄中のソロ一曲で、目から鱗。

愛の物語だったのか、これは!
彼自身でさえ「野心」だと思い込んでいたこれは、
すべてが「愛」だった、と。




一つの無駄な場面も、一言の無駄な台詞もなく、「ジュリアン・ソレル」という、当時のフランスの片田舎にはおさまりきれなかった、自尊心に満ちた青年を描き出す。

自分は何者かであるはずだ、という自尊心と、不甲斐ない自分に対する絶望と。

野心、とは、最終的に結果を得るからこそ美しいのに、彼はただ、『現状を否定すること』を野心と呼ぶ。
現状の自分を否定し、そうでないものになる。
それは結局、神職でもいいし、政治家でもいいし、ただの金持ちでも、もしかしたらキーンのような役者でも構わなかったのかもしれません。


彼はナポレオンになりたかったのではないんですよね。ただ、「彼に出来たことを成せない自分」に苛立っていただけ。
ジュリアンのナポレオンに対する気持ちは、憧れではなく信仰に近い。祈れば道がひらける、と思っているのですから。


ジュリアンの“野心”は、先月観た「WILDe Beauty」のオスカー・ワイルドを思い出させました。
なにものか、になるために、アイルランドの田舎からオクスフォードへ進み、「奇抜なファッション」「奇抜な言動」という武器を使って“雲の上の方々”の興味を惹きつけ、「上流階級」への仲間入りをするために自分自身を切り売りする天才児。

まぁ、ジュリアンは結局「上流階級への仲間入り」を果たすことは出来ず、過大な自尊心を持て余して破滅してしまうわけで、一時的にでも成功を収めたオスカーとは全然違うわけですが。



…思春期の潔癖な少女には、理解することのできなかった青年、でした。どちらも、ね。




トウコ(安蘭けい)さんのジュリアン。

ずっと「やりたい役」にあげていらっしゃっただけあって、見事な作りこみでした。
身体つきがほっそりして小柄なので、若く見えるのは得ですね♪
表の顔と裏の顔での口調の使い分けは見事でしたが、心許した人…フーケとか(?)と喋るときの口調、っていう抽斗がもうひとつあると完璧だったかなー。
あと、表の顔での口調はもう少し「真面目」「誠実」な感じにしてもよかったのでは。作り声すぎて、あれで本音に気づかないのもどうよ、と周囲の人物に疑問がわいてしまったので(^ ^;

…トウコさんは基礎の技術点の高い人なので、ついつい要求が細かくなりがちです(滝汗)。

それはともかく。
ラスト近く、獄中でのソロの激しさ、
あの熱情が、トウコさんの本領なんですよね。

歌唱力が素晴らしいのは勿論ですが、その根っこに「熱」があるから、「野心」を炙る熱量が一幕の冒頭からきちんと表現されていたから、ラストに燃え上がったときにも気持ちがつながっていく。
あそこで、いろんなことを全部吹っ飛ばして「愛」を謳いあげることが出来るから、『宝塚の「赤と黒」』になるんです。

技術点は高いにこしたことはないけれども、それだけでは芝居ができる訳じゃない。この作品だったら、「熱量」がなければラストが成立しなかった。
でも、あの「熱量」が、逆に邪魔になる作品も最近は多いです。
たとえば荻田さんの作品なんかは、アツくなったらおしまいですし、
正塚さんも植田景子さんも、あんまり「熱く」はならない作風ですよね。

そんな中で。あれだけの「熱量」を持っているスターは、どんどん数が減っているような気がします。時代の要請なんでしょうかねぇ?
トウコさんのジュリアン・ソレルは素晴らしかったけど、柴田さんの名作は今後もまた再演してほしいなあと思うんですよ。
でも、そのときに主演する人は誰が考えられるか、というと……
…水くん、かなあ。あと祐飛さんとか。

なんとなく、それ以下の世代には難しいような気がするんですよ、往年の柴田作品って。時代感が合わないんじゃないかな、と。
78〜79期あたりが最後の「柴田世代」と言っていいんじゃないかなあ……気のせいならばいいのですが……
(とか言いつつ、実はまとぶんは案外嵌るかも、と思っています。元々野郎系だし。柴田作品、花組に回ってこないかな〜♪♪)(←できれば謝演出で!!)




あすかちゃんのレナール夫人。

言うことないです。(すみませんファンです)
あすかちゃん、絶対良いだろうと思っていましたが、本当に良かった!!!絶賛!

たおやかな弱さと潜めたときめき、人妻らしい柔らかさ。
あの“暴走少女”が、本当にイイオンナになったなあ、と、感服しました。
星組で幸せそうに、満面の笑みで思いっきり手を拡げて(膝は曲げてるけど/爆)いる姿を観るたびに、しみじみと嬉しくなります。

トウコさん、あすかちゃんを可愛がってくれて、守ってくれて、本当にありがとう。心からの感謝をこめて。
……なんだかすごーく少ないけど。本当に言葉にできないほど良かったので、これだけで。



(夢咲)ねねちゃんのマチルド。

可愛い。
ほんとーに、可愛いぃ!!

ちょっとオタクな、思い込みの激しい少女。原作のイメージぴったりで、見事な仕上がりでした。月組時代から心の芝居がしっかり出来ている人なので心配はしていなかったのですが、やっぱり月組芝居と星組芝居は違うから、噛み合わなかったらどうしよう…と思っていたんですよね。

でも。ねねちゃんのマチルドは、強気でわがままな、可愛い“姫君”でした。宝塚の娘役なのに良い子ちゃんにならず、ジュリアンに負けないプライドの高さや、人を見下す“嫌な女”感をきっちりと表現してしまうねねちゃんの芝居、やっぱり好きなんですよね、私。
子供っぽい夢想(雪の上を愛する者の首をもって歩く幻想)に浸るイッちゃった感、
手紙をやりとりするときの可愛らしさ、
“ちょっと焦らしてみよう”という小悪魔の悪戯っ気、
そして、冷たくされて本心に気づくまでの不安げな顔。

観た人に「嫌な子よね!ジュリアン、あの子にお仕置きしてやんなさい!」と思わせてこそのマチルドなので。ねねちゃん、見事に星組さんでの初仕事をこなしているなー、と、非常に嬉しかったです。


あえて苦言を書くならば。
ホフマン物語の時にも書きましたが、低い声でゆっくり喋ることが出来るようになるといいなあ…。
口調のバリエーションが増えれば、役柄も拡がるし、無敵だと思うんですよ。正直なところ、縦も横(肩幅)も娘役としては破格に大きい人なので、性格としての「強い〜弱い」のレンジをもう少し「弱い」側に広げておかないと、出番が増えるにつれてどんどん苦しくなっていくと思うんですよね。

あすかも全く同じ苦労をしてきた人なので、あのまろやかな低声とか、おっとりとした口調とか、しっかり盗んでいただければ!!



それにしても!!!
あすかちゃんとねねちゃんが並ぶ星組さん。
5組合わせても脚の長さとスタイルで選んだら、絶対娘役の五指に入るであろう人が、2人。大劇場ともなれば、これにさらに蒼乃由妃ちゃんも加わるんでしょう?


ずっるーーーーい!一人、花組に頂戴!!(月組にはあいあいが居てくれるので我慢します)


………いや、そうじゃなくて。

「スカーレット・ピンパーネル」の次のショーでは、彼女たちのダルマは必須!!でお願いします >星組プロデューサー様
(←結局それ?)