2009年がステキな一年になりますように☆
そんな祈りを篭めて、とりあえず初詣に行って来ました (^ ^)v

ご近所の八幡さまですが、それなりに地域では中心的な社なので思ったより混んでました。
初詣ってあんまり行かない(神社仏閣は好きだけど、人ごみが苦手)のですが、今年はいろいろ思うところもあって、日付が変わると同時に家を出たのですが。

さ、さ、さ、さむい……

お社に着いて、最初にしたことがお参りではなく甘酒購入&一気呑みだったことは、かみさまには内緒にしておいてください(^ ^;ゞ







さて。
2009年にはどんな舞台と出会えるでしょうか?

私の今年の初観劇は、花組「太王四神記」☆
ポスターのおかげで期待値がものすごーーーく高くなってしまっているのですが(はぁと)大丈夫かなー(ちょびっと不安)。


この日記も、相変わらずぐたぐたとまとまらない長文のまま続くかと思いますが。
どうぞ、2009年もどうぞよろしくお願い申し上げますm(_ _)m。



今年のお正月は、我ながらびっくりするほどの寝正月です(笑)。
元旦の一日、たぶん3時間くらいしか起きてなかった気がする。寝る前に初詣に行って、寝て、起きて餅焼いて喰って、寝て、起きて雑煮作って喰って、寝て、起きたらもう二日でした(^ ^;ゞ。

寝る子は育つ。
…でも、もう私、これ以上育たなくっていいんだけどな……。
(普段から朝食抜きなのに、朝バナナダイエットを始めて太ってしまった)(←当たり前)






というわけで(←だから何が!?)
花組ドラマシティ&青年館公演「銀ちゃんの恋」より

第十四場C すれ違う心

…今頃知ったのですが、「第十四場」って長いんですね。小夏のソロから生命保険までで一場なのか…。
塀の前⇒上手側に座敷(大部屋)のセット⇒下手側に店のセット⇒平場⇒また塀の前、と、セットもコロコロ変わるのに。

銀ちゃんとヤスのラヴシーン(←ラヴ言うな)の印象が強すぎて、そこだけ独立した場だとばかり思っていたのすが、場面の中のワンカットに過ぎなかったのか……愕。





差し入れを持ってきた小夏を置いて、席を立つヤス。
ヤスの背後で、お祝いの腹帯を贈る大部屋の仲間たち。やさしいまなざしで小夏の腹のあたりを見つめるトメさん、ちょっと気恥ずかしげに上目遣いで美しい“元女優”を見るマコト、そして、身体全体から憧れの気持ちダダ漏れでキラキラしているジミー。

幸せな、幸せな、…“擬似家族”の団欒風景。


その全てに背を向けて、ヤスは歩き出す。
流れるBGMが、小夏の幸せのソロのメロディから、なめらかにヤスの「映画の夢」へとつながっていくのが泣けました。

♪そんな夢を今も視るよ
♪幼いあの日の思い出のカケラを

彼の心にこだまする声は、ひとつだけ。
『せめて階段落ちがありゃあ…』

♪破れかけた町のポスターに
♪胸ふくらませた あの頃

ヤスにとっての、“すべて”だった銀ちゃん。
自分の人生を彩るポスターの中で、唯一のフルカラーの存在だった、銀ちゃん。

ヤスのすべては銀ちゃんのもの。
“銀ちゃんのためなら、俺は……”

それは決して犠牲心ではなくて。
犠牲だとは想っていないから、譲れない。絶対に。
銀ちゃんを守るのは、俺だ。その役だけは、絶対に誰にも譲らない。
…譲れ、ない。



小夏はヤスを選んだのに。
泣いて、喚いて、それでもヤスを選んだのに。

なのに、ヤスは小夏を選ばない。


ヤスの銀ちゃんへの“憧れ”、ひたすらに純粋な憧憬だったはずの想いが執着に変わったのは、たぶん、一幕ラストの銀ちゃんと小夏の会話を聞いてしまったとき、だったんだろうな。

憧れの小夏と一緒に暮らせることに有頂天になって。
必死で仕事を探して、傷だらけになってもがんばって。
小夏を愛している。心の底から。

たぶん、全てを懸けてもいいほどに。

なのに、
……銀ちゃんへの想いだけは譲れなかった……。




みつるくんが、花組版「銀ちゃんの恋」のヤスをどういう解釈で演じていらっしゃるのか、真実のところはわかりませんが。
なんとなーく、10年間ずーっと大部屋のつもりだったのかもなぁ、と思いました。主演経験がある、スターだった過去がある、っていう感じがしなかったので(←ごめんねみつる)

彼は、自分が美形でもスターでもないことを、負い目には思っていないような気がしたから。

「お客さん、こんな顔、見たがります?」
という自己突っ込みは、若い頃には色々あったのかもしれませんが、今はもう、それほどこだわっていないんじゃないかな、と。
もちろん、自己の全てを肯定するわけではないんですけれども、それよりも、みつるのヤスが持つ狂気は「銀ちゃんと俺は同じモノを見ているんだ」という確信だったような気がするのです。

“大人”の人間関係を結ぶことを、ハナから放棄していた二人。
思いの丈をぶつけて、殴り、殴られることでお互いの気持ちを確認しあっていた、ふたり。

そこに言葉はいらなかった。
言葉なんてなくても、俺たちは同じ思いを持って、それぞれの立場で戦っているはずだった。


大部屋とスタァ、当たる光の量は違っても、抱く夢が同じなら。
同じだから大丈夫、そう、信じてた-----。





物思いにふけって立ち止まっていたヤスが歩き出すと、
下手側の建物のセットから、監督と助監督が出てくる。

この二人の小芝居、大好きでした(はぁと)。観るたびに違ってて、
監督が助監督を叱りつけながら歩いてきたり、
セットを料亭か何かに見立てたらしく、鈴木が監督に奢ってもらった(多分)お礼を言いながら出てきたり、
監督が手真似で新しい作品のイメージ(多分)を語っていたり…

仲良さそうなお二人が、息ぴったりで楽しそうだったんですよね。
ちあき(白鳥かすが)がホントに楽しそうで、ああいう役が最後にやれて幸せだったろうなと思いました。
今頃ちあきはどうしているのでしょうか…。
近況をご存知の方がいらっしゃいましたら、是非教えてくださいませm(_ _)m。






立ち話している監督と助監督に、近づいていくヤス。

「俺に、階段落ちやらせてください!」

この映画、絶対ヒットさせたいんです!という必死の訴えに驚いて、しばらく固まっている監督。おろおろと二人を見比べる鈴木(助監督)。

「調子に乗るなこの莫迦!ホンモノのスタントマンでもないくせにっ!」

大道寺の罵声が、空間を満たす。

「お前死ぬんだよ!?よくて、半身不随になるんだよっ!!」

なんなら、俺、一筆書きますから、というヤスに、一番驚いたのは、多分鈴木だったと思います。

「本気なんだな!?」
「そんなぁ、監督ぅっ!」

止めようとする鈴木。でも止まらない。
映画に命を懸けているのは、ヤスだけじゃない。大道寺だって、それに多分、鈴木だって、同じ穴の狢だ。だから、止められるハズが、ない。

「よしわかった。撮影当日は、お前が主役だ。橘でも、銀ちゃんでもありゃしねぇ」

殺し文句を吐く監督を、おろおろと、でも諦めの入った眼で鈴木が視る。
人一人殺すのは、この人じゃない。他人事じゃないーーー俺も、殺すんだ、と、
その覚悟が未だ定まらない、気弱な瞳。




舞台に走る緊張を解す、橘一党の登場。
監督と助監督とヤスの、今の会話を聞いていたらしい。

「階段落ちなんて猿芝居で主役を獲られていいのか!?」

坂本竜馬なのに、どーして大部屋に負けるんだ!?という衝撃。スターらしくてかっこいいなあ、めおちゃん。喉を痛めた人の多いなか、めおちゃんの台詞の聞きやすさは快感でもありました(^ ^)。

「天井落ちでも、楽屋落ちでも、駆け落ちでも、なんでもいい!階段落ちより派手な手を考えろ~~!!」

と怒りまくる橘。スターってのはどこも我侭で感情的なものなんだなあ……(汗)

「この際、5人言わんと10人ほどまとめて殺したったらどうです?」

という輝良くんの突っ込みが結構好きでした。で、間髪いれずに応じる橘の

「馬鹿野郎!おめえらが全員死んじまったらいったい俺の面倒は誰が見るんだ~っ!!」

という悲鳴のような訴えと、「もう、ホント莫迦ばっか!!」とぷんぷんしながら袖に消えていく姿に、惚れまくりです(*^ ^*)。

橘を見送って、ちょっと呆然とする一党。嶺乃一真くんの

「殺すって…」

に対して、可愛らしく小首をかしげて応じる初輝よしやくんの

「ワテらのことかいな」

という一言が、とってもとっても好きでした(はぁと)。可愛い声ですよね。かなりのアニメ声だけど、この台詞のトボけた味は、ぴったりでした(^ ^)。
あーあ、ちあきもよしやくんも、もう居ないんだなあ……(しみじみ)








橘一党がハケると、セットの無い平場に銀ちゃんが登場。
追いかけるように、「銀ちゃ~ん!」と叫びながらヤスが登場。

この場面、初演のビデオを観たときはあまり印象に残らなかったのですが、
…再演花組版では、この場面が一番印象的だったかも(滝汗)。


「なんで引き受けた」「…俺のためにか」

地を這うような、銀ちゃんの極低音。
“鳩が豆鉄砲くらったような”ぽかんとした顔で長身の銀ちゃんを見上げるヤスが、無茶苦茶可愛い(はぁと)

「どうしたんです?銀ちゃん、喜んでくれないんですか?」

本気で、“銀ちゃんは喜んでくれる”と思い込んでいる、子供っぽい笑顔。

「…俺を、人殺しにするのか?」

搾り出すような銀ちゃんの声。
喉を痛めてかすれた祐飛さんの声が、このときばかりは“銀ちゃん”の哀しさを溢れさせる。

「お前から救いの手差し伸べられて、この映画がヒットして、」

紡ぐ言葉が、銀ちゃん自身を傷つける。
自傷に奔る銀ちゃんを、留められない、留めるすべを持たないヤスの、切ない瞳。

「…俺のプライドはどうなる?」

この台詞だけは、言いたくなかった。
この台詞だけは、言わせたくなかった。
驚いたように目を見開いて銀ちゃんを見上げて、そして、思わず目を逸らす、ヤス。

「俺が死んだら、銀ちゃんは小夏さんとよりを戻して」
「ばっかやろう!」

視線を合わせないヤスに焦れて、襲い掛かるようにヤスの胸倉を掴み挙げる銀ちゃん。
BGMに流れ出す、「蒲田行進曲」。

「どうしたんです?銀ちゃん。喜んでくれないんですか?」

宥めるような、ヤスの声。
ギリギリと歯を食いしばって、ヤスを絞り上げる腕に力を篭める、銀ちゃん。

「俺はおめぇから憐れみを受けるほど落ちぶれちゃいねぇんだよ!」

一息に吐き出して、拳をあげる。
ヤスの鼻先ギリギリで腕を止めて、やっと自分に戻ってきたヤスの視線の強さに、微かにたじろぐ。

「銀ちゃん。…どうして殴ってくれないんですか。どうしていつものようにぶっ叩いてくれないんですか。どうして…」

壊れたレコードのように「どうして」を繰り返すヤスを、投げ捨てるように手を離して、今度は銀ちゃんが目を逸らす。

「最近、立ち回りの時も全然本気で斬りかかってくれないしっ!?」

捨てられた女のように銀ちゃんをなじる、ヤス。

「ねぇ銀ちゃんっ!!」

責めるように掴みかかってくるヤスを、難なく捕えて身体ごと抱きとめる銀四郎。
ぎゅっ、と、まるで、もう二度と離すまいとするかのように、強く。
抱きとめられたヤスも、さっきまでの興奮が嘘のように、おとなしくその腕の中に囚われて。

凄まじい緊張を秘めたまま、メドゥーサに睨まれた恋人たちの彫像のように、動きを止めた二人。

「おめぇが死んだら」

ふ、と、ヤスの耳元に唇をよせて囁く低い声。
まるで、ハネムーンの甘い睦言のように。

「おめぇが死んだら、俺はいったい、誰をいじめりゃいんだよ…」

殺し文句というのは、人によってイロイロなんだな、と思いました。
こういう台詞が“殺し文句”になる倉丘銀四郎というスター、というか。
こういう台詞を“究極のキメ台詞”として口にできる大空祐飛という役者、というか。
あるいは、こういう台詞でコマされてしまうヤス、というか……

この場面にいたっても、まだ何一つ本音を吐かずに嘘ばかりの銀四郎と、嘘だと知っていてもその嘘に身を委ねてしまうヤスの、
その「本音」と「嘘」のバランスが秀逸すぎて。

祐飛さんなのか銀ちゃんなのか、ヤスなのかみつるくんなのか、わからなくなるほどの、緊迫感。




それにしても。
ドラマシティの最初に観たときは、そんな場面じゃなかったはずなのに、知らないうちに随分解釈が変わっていて、後半に遠征したときには完全に“ラヴシーン”としか言いようの無い場面になっていたことに驚きました(^ ^;ゞ
ナニかあったんですかあの二人。正視に堪えないほど切ない場面(←何か日本語の選択を間違えているような気がします)になっていたんですけど。




作劇上、この二人が本気で言葉を交わすのはココだけなんですよね。
ヤスのアパート(小夏を連れて来たとき)や焼肉屋では、銀ちゃんが一方的にヤスを責めるばかりだし。一幕ラストは会ってないし、回想シーンの銀ちゃんは思いっきりフィルターかかってるし。

銀ちゃんの語る言葉はここでも嘘ばかりなんだけど、あのヤスを抱きしめる腕の強さは嘘じゃない。このまま絡めとって自分の傍においておきたい、と、多分本気で思っている。

「どうして俺の気持ちがわからねぇんだ」
「俺とお前の関係は、そんなんじゃねぇんだよ…」

ほとんど泣き声にしか聴こえないのに、睦言は続く。
ヤスの心をとろかして、自分のところに戻らせようという、甘い罠。
ヤスのものは俺のもの。ヤスが差し出してくれるものなんか、いらない。ヤスが差し出さないものこそが、ほしい。
ヤス自身、自分が持っていることを知らないもの、が。

子供のような独占欲と、上に立つ“スター”としての見識。
ヤスが成長して、どこかへ行ってしまうことが怖い。

ただただ、今の今まで自分の腕の中にあったものを喪うことが怖いだけ。

言葉にすることはなくても、ヤスと同じ夢を追ってきた銀ちゃん。
いつの頃からか、ヤスの夢が自分の夢になっていた。
ヤスの語る自分でいなくてはならない、ヤスの夢見る自分であらねばならないという、重たいプレッシャー。
もちろん、そんなものに負けるつもりは、ない。自分は自分なのだから。

それでも。
ヤスの夢と、自分の夢。
区別がつかない程度には、お互いに依存していた、ふたり。



…そっと、銀ちゃんの暖かな腕から逃れ出るヤス。

「俺、もう後にはひけねぇっす」

俺だって役者ですから、と。
たった一度、観衆の前に立った快感が忘れられない、と。


必死で言い募る。
銀ちゃんが言った。「女も、役も、自分で獲ってこい!」と。
だから。


小夏が銀ちゃんを選ぶなら(←勘違い。小夏はヤスを選んでる)、
銀ちゃんが小夏を選ぶなら(←これは?)。

ならば俺は、銀ちゃんが望む自分になろう。
なってみせる。必ず。

「その日は、銀ちゃんじゃなくて、俺が、主役…です」

その言葉の重みに、銀ちゃんが目を伏せる。

「てめぇ。俺の許可なく、勝手に成長しやがって…」

すれ違う、二人の心。

「消えろ」

触れ合わない心。

「蒲田行進曲」の音楽が止まる。
無音の舞台に、ただひとり立つ、スター。



「おめぇも去っていくのか。ヤス…」



とてつもなく素晴らしい、大馬鹿野郎が、と。



涙も見せず、
泣きもせずに立ち竦む、



彼こそが。
子供で、大人で、たったひとりのスターなのだ、と。


たったひとりで歩かなくてはならない、孤独なスターなのだ、と……





早く終わらせたいので、さくさく行きます。
花組ドラマシティ/青年館公演「銀ちゃんの恋」について。




とりあえず、どこかで書こうと思っていたんですが、この作品の時間の流れについてここでまとめておきたいと思います(最後まで書けるかわからないので)。


まず。
ヤスのアパートに小夏を連れてきたとき、小夏は『4ヶ月』でした。
で、前にもどこかで書きましたが(いっぱいありすぎて探せない…)、このとき季節は6月か7月頃。雷雨があったってことはたぶん梅雨の終わりがけ、7月頭くらいだったんじゃないかと思います。

4ヶ月ってことは16週。単純計算して、年末くらいが予定日になるのかな?


このあと、ヤスが仕事を探して…それなりに稼いだりアレコレしているうちに1ヶ月くらいは軽く過ぎるでしょう。
で、8月頭くらいにプールサイドテラスの対決があって、その日に帰ってきてプロポーズ。
お盆には人吉に帰る、と。
はるばる九州まで行くんだから、安定期の5ヶ月か6ヶ月くらい。7月頭に4ヶ月だったとしたらだいたい妥当なセンですね。で、そこで挨拶したときはまだお腹はちいさかった訳で。

ところで、
…人吉の盆は旧盆でいいですよね?

#昔住んでいた九州の某地域では、七夕は旧暦(8月7日)にやるけど盆は新暦(7月)だったんですよねー。あれは結構不思議でした。




一幕ラストに撮影所で会ったときは、えらく腹がでかいんですけど、まだ結婚式前。
カレンダーも翌年のミュージカルの計画もだいたい決まって、でもまだ外部への発表前、な感じ。……ってことは、8月末か9月頃?と思ったのですが。衣装的にはあまり残暑厳しい頃っぽくないし、小夏の腹も随分育っているので、10月に入ってすぐくらいかな?と。(適当ですが)
初産であの大きさってことは、8ヶ月くらい…?とか思ってしまいましたが、せいぜい7ヶ月ちょいってとこか。個人差なのかな。


……そういえば、このとき小夏は撮影所に何しに来たんでしょうかねぇ?監督たちに挨拶でもしにきたのか?



腹帯を貰ったのは結婚式の後なんですよね。「結婚式の御礼にご馳走を」みたいなこと言ってたし。
ってことは、結婚式が10月の大安吉日。その翌週か翌々週くらいに挨拶兼ねて差し入れに、って感じ?となると10月後半か11月頭。そのとき小夏は、8ヶ月を過ぎたくらい。
帯祝いは普通5ヶ月目だと思っていたのですが、9ヶ月目って地域もあるみたいだし、いろいろなんでしょうか。小夏はたしか群馬の出身だから……(←わかりません)

同じ頃、ヤスは「階段落ちやります」と言って銀ちゃんと気まずくなってる。

ただし、それを言った時点で、すでにヤスは
「最近、立ち回りの時も全然本気で斬りかかってくれないし」
と拗ねているので、銀ちゃんの態度が変わったのは一幕ラストの小夏とのやり取りから、なのでしょうね。
あの会話で、銀ちゃんは「ヤスに預けておいた」だけのつもりだった小夏が、もう戻ってこないことを知り、そうしてヤスが自分の腕の中から飛び立とうとしていることに気づいてしまった…。
もう、気安く殴ったり蹴ったりしてはいけないのかもしれない、と。ほんのちょびっとだけ、そう思っている。その遠慮(?)を、ヤスは見逃さない。ヤスにはヤスのわだかまりがあって、ある意味銀ちゃんに殴られないと、そのわだかまりが綻びない。ヤスにとっては、銀ちゃんに殴られない=殴られる距離にいられなくなった、ということだから。

そんな微妙なバランスの、細い細いライン上を歩く二人。まるでフィギュアスケートのコンパルソリのように、決められたラインを一ミリでも外れたら失格になると思っているかのように。



そんな、銀ちゃんとヤスの間がこじれて、すれ違っている時間が、1ヵ月半くらい。
ここは、場面的にはまったくの空白です。焼肉屋の時期は、明示されていないけども階段落ち前夜と考えて問題はなさそうだし。

で、階段落ち前夜。コタツも出ているし、あからさまに真冬。テーブルの上の可愛いラスカル(←嫌味ですかソレは)とか、もしかしてクリスマスの翌日とかですか?と思ったりしました。
ヤスが「銀ちゃんに似てるからつい買っちまったんだよ…」とか言って小夏にプレゼントしたのよきっと♪(←無いから)


で、この時はもう「今にも生まれそう」な感じ。
ほぼ予定日っぽいので、小夏がヤスのアパートに連れていかれてから、約5ヵ月半(24週)が過ぎていると思っていて間違いなさそう。
とりあえず、気忙しい年の瀬、なんですよね、多分。

二人が一緒に暮らし始めて、半年弱。

小夏が選んだのは、五年を共に過ごした「スタァ」ではなく、「傍に居てくれる人」だったはずなのに、
ヤスも飛んでいってしまうのだ、と、

……男とは、決していつまでも傍に居てはくれない“いきもの”なのだ、と……。







ってなところで、舞台に戻ります。

第十四場D 生命保険

上下から塀のセットが出てきて、立ち竦むスターを隠す。
と、袖から登場する小夏と、銀ちゃん組の大部屋3人、そして、保険屋(紫陽レネ)。

紫陽さんのお芝居、ドラマシティの最初の頃は空回りしていたりしたところもありましたが、後半から青年館にかけて本当によくなっていったのが印象的でした。
橘のマネージャー、「ししとう」のバーテン、保険屋、池田屋……どれも一人の人が演じているとは思えない多彩な役作りはさすが!!石田さんの信頼篤い名役者、って感じでしたよね♪
特にこの保険屋は、身体能力の高さもしっかりアピールしてくれて(笑)、毎回“今回は何回転するのかなっ!?”と楽しみにしておりました。

マメちゃん・さあやと同期では色んな意味で役を勝ち取るのが大変そうですが、楽しみな役者さんで嬉しかったです。太王四神記では、どんな役どころにいらっしゃるのかなあ~(^ ^)
最後の引っ込みでの「ハンコくだささいぃぃぃ~」という声というか言い方がめちゃめちゃ好きでした☆

もちろん、容赦なく突っ込みまくって足をひっつかんで無碍に引っ張っていくマコトの男らしさも大好きです(^ ^)一期下とは思えない遠慮のなさが、とってもステキ☆





第十五場 回想

「俺と銀ちゃんが出会ったのは、もう10年も前のことだ…」

塀の陰から姿を現したヤスが、野球帽を被りながら語りだす。
帽子を被ると10年前、脱ぐと今、という(一応)設定らしいのですが……うーん、もう少し芝居(声とか仕草とか)で10年前になってほしかったなーと思ったりはしました。
あまり大きな動きがない場面なので、難しいんだろうなと思いますが。

もう“いっぱしのスタァ”だった銀ちゃんと、そのファンの会話、なのかな、あれは。
それとも、ヤス自身何かスタッフとして撮影所の中に入ってたとかなのでしょうか?

「へぇー、おめぇ大学出て舞台やってんのか」
「はい!新劇です。チェーホフとか、赤毛ものを」
「そぉか!だからおめぇ、華がねぇんだよ!」


………(無言)。…ま、わからんでもないですが。

銀ちゃんの言いたいことは、多分「良い映画にはスタァが必要である」ってことなんでしょうね。
映画は映像ですから(もちろん)、観方が限定されます。フレームの中におさまったものしか伝えられないわけですし、もともと2次元で完成された映画は、その製作者が意図した見え方しか、基本的にはできないものです。

だから、“華”のある役者が一人居れば、それだけで画面がキまるわけで。
まずはそれがないと、どんなに脚本がよくても芝居が良くても、「映像」が良くなければ価値がないわけです。だって、その映像しか存在しないんだから。

でも、舞台はそもそもが3次元だから、映像と違い、見え方を製作者(演出家)が完全にコントロールすることは不可能なわけで。逆にいえば、「映像」としての完成度というのは全く要求されないわけです。
しかも、映像の片隅でいくら小芝居しても、フレームを外してしまえば観客に見せないでおく(あるいは撮り直すとか)ことができますが、舞台の片隅の小芝居は、ナマだから止めることもできないし、やりすぎれば舞台全体を壊してしまうことも可能。


でも。
舞台に狎れてしまえば、“映像向き”の華やかさ、目を惹く力といったものが薄れてしまうのは確かなのかもしれません。舞台の空気を動かすことと、映像で目を惹く華は、同じように見えて全く違うものですから。

両方を兼ね備えた稀有なスタァは、確かに存在しますけれども。
それは決して、多数派ではあり得ない。



それに気づいたとき、ヤスは銀ちゃんの歩く道を追いかけてみたい、と思う。
どんな道を往くのか、純粋な好奇心、で。

自分自身の運命の岐路の、一方を選んでしまったのだと、この時は気づかずに。

そして、10年後たっても尚、その選択を悔やむことはなかった……。



ここで。
「大学出のインテリ役者」だったヤスと、すでに「“若手スター”の一人」だった銀ちゃんが、ほぼ同い年なのは、大事なことではないんでしょうね、きっと。

精神的には、どっちも子供だったんですから。




ヤスは、終始この作品の事実上の主役(の片割れ)として舞台に立ちます。
物語は常に小夏とヤスの視点で語られ、結果として銀ちゃんという一つの容を描き出す。
銀ちゃんという「理不尽で酷いモノ」、人外の暴力的な存在を描き出すことで、その“嵐”に依存せずにはいられない弱い人間を描き出す物語だから。

だから。

ヤスという平凡な男、普通に大学を出て、趣味の芝居を楽しみつつサラリーマンをするはずだった男から“平凡な幸せ”を奪い、狂わせたのは、銀ちゃんという悪魔だった、と。
銀ちゃんと出会ったことで、ヤスの人生は“平凡”ではなくなった。
彼の無意味だった人生が、そこではじめて意味を持つのかもしれない。



倉丘銀四郎はナチュラルに悪魔だから、悪意はない。
そう。悪魔に悪意はないのです。
彼はただ、ヤスの幸せを祈っているだけ。
小夏に幸せになってほしいだけ。

それが、二人にとって迷惑以外のなにものでもなかったとしても、
そこにあるのは常に「愛」であり、「祈り」でもあった。
だからこそ銀ちゃんとヤスは、離れられない。

俺のものは銀ちゃんのもの。
両手いっぱいに宝を抱えたままで、天国の門をくぐることはできないから。
その全ての“価値あるもの”を、銀ちゃんに捧げたい。
その、依存。
銀ちゃんに渡したから、もう大丈夫、という依存。執着。

そして。
ヤスのものは俺のもの。
ヤスの全てを捧げられて、その全てを受け取らなくてはならないプレッシャー。
それでも、ヤスが捧げてくれるから自分でいられる、という依存。
ヤスがいなくては、自分の存在を確認できない、執着。


それでもヤスは、一歩を踏み出そうとする。
10年間守られてきた腕を振り払い、新しい一歩を踏み出そうとする。
好奇心に負けた10年前から、一歩も成長しなかった、成長することを拒否していた男が、
久しぶりに一歩を踏み出そうとする。


小夏のため、ではなくて、


……ただ、銀ちゃんのため、
銀ちゃんのためだけ、に……





宝塚花組大劇場公演「太王四神記」を観てまいりました。



綺麗で華やかで、とても楽しかったです(はぁと)。

ドラマは観ていなくて、NHKの特集本をパラパラ読んだくらいでしたが、さすがは“潤色の天才”小池修一郎の面目躍如♪♪ 「宝塚歌劇」として実にうまくまとめてあって、原作ドラマの存在なしでも、十分アジアもののコスチュームプレイとして成立して、普通に人気作になったんじゃないかと思いました。



まとぶん(真飛聖)のタムドクは、いかにも「宝塚」の主役らしくかっこよく、コスチュームの着こなしはさすが星組仕込み。うっとりするほど美しいです。
まだ始まったばかりのせいか、ちょっと物足りないくらいの“好青年”っぷりでしたが、これから色々な感情が出て来たら面白くなりそう!



桜乃彩音ちゃんのキハは、今までに観た彩音ちゃんの中で1番ステキ。後半のしっとりと落ち着いたたたずまいと、大長老(壮ちゃん)に操られているときの奇しい目つきが素晴らしいです。衣装もよく似合ってて、舞もキレイ(はぁと)。歌もよく頑張ってました!o(^-^)o



大空祐飛さんのヨン・ホゲは、前半の明朗快活な好青年から、運命に裏切られ、天に抗しようと神器を探して北国遠征し、民を虐殺してしまう将軍まで、芝居としては「血と砂」のプルミタスみたいな美味しい美味しい役でした(*^ ^*)。
ああいう役は久しぶりでしたが、 これだけのものを見せられる役者になっていたんだなあ、と感慨深く、身震いするほど恰好良かったです。



壮一帆さんの大長老プルキルは、ものすごくおいしい悪役。実に愉しそうに演じていらして、ホント新境地だ!と感心しました。今年は久しぶりのバウ主演も控えて、充実した一年になりそうですね♪



他のメンバーもそれぞれに遣り甲斐のある役を割り振られて、楽しそうでした!
特に、88期あたりまで満遍なく役がついていたのが嬉しかったです。やっぱり座付きはこうでなくっちゃねっ(^ ^)(←「マリポーサの花」も大好きですけど何か?)




ミュージカル仕立てで若手まで役が多く、92期の真瀬(はるか)くんまでソロがあったり、アーサー(煌雅あさひ)が武道大会の進行役で良い声聞かせてくれたり、ホゲ様についた騎馬隊長の(祐澄)しゅん様がめちゃめちゃおいしかったり、(夕霧)らいらいが美中年だったり、なんかいろんな意味でおいしい公演でした!(はぁと)

長くなるので、娘役については遠征から帰ってから書きますf^_^;



3日に観たときは、91期の輝良まさとくんが休演していたらしく、フィナーレの青龍に真瀬くんが入ったりしていましたが、4日には無事復帰されて、元気そうに踊っていたことにホッとしました。
風邪がまた流行りはじめているようですが、みなさまどうぞ、体調を整えて千秋楽まで突っ走ってくださいね!!






そして。
私事ですが、本日(1月4日)は、私が月組1000days劇場公演「黒い瞳」でプガチョフの代役に必死で取り組んでいた祐飛さんに(何度目かに)落ちた日から、ちょうど10年目の記念日でした。

……あれから10年。
今、ああして本役でプガチョフにも匹敵する敵役に(苦しみつつ)取り組む祐飛さんに出会うことのできた自分の幸運を、心から嬉しく思っています。

まとぶんと一緒に回る全国ツアーで「黒い瞳」を!という夢は破れましたが、今、花組でこの作品に出会えた幸運を噛み締めつつ、次回の観劇に向けて頭を整理したいと思います(^ ^)。


.
花組大劇場公演「太王四神記」より。



まっつ(未涼亜希)=ヒョンゴ 高句麗の隠れ里・コムル村の(新しい)村長

オープニングで上手花道にセリ上がりで登場します!ファンの方はお見逃し無く!!
全体を通して「語り手」という位置づけで、特に一幕前半の怒涛の展開は、滑舌がよくて声の良いまっつがわかりやすく説明してくれるからかろうじてついていける……という感じです。

あまり“説明役”のいる戯曲って好きではないんですけど、今回はどうしても必要だったのがよーくわかりました(T T)。かの「レ・ミゼラブル」以上にプロローグで説明しなくてはならないことが多すぎて、しかも言葉(地名とか)に親和性がなさすぎて耳に残らない(涙)。
まっつほど明瞭で聞き取りやすい語り口でも、一瞬でも気を抜いたらもう何もわかりません……(T T)。

まぁ、まっつの語る物語を「聞く」相手がいれば別に問題無かったのに、と思うんですけどね。ドラマではスジニに話して聞かせてたみたいですし。ただ、みわっちは神話の中でセオをやらないといけないから、ヒョンヤン(望海風斗)に、とか。あるいは誰かに子スジニをやらせるとかでも良かったのになぁ…。



みわっち=セオ/スジニ
かーわーいーいーーーーっ!!
プロローグ(神話時代)のセオの衣装が、シンプルなんですけどすごくよく似合ってて、可愛いです。虎族の女王カジン(桜乃彩音)の衣装がちょっと男っぽい赤みの強いものだったりするせいもあって、みわっちの方が娘役みたいでした(^ ^)。
スジニになてからも、まっつと同じ衣装で銀橋を駆け抜けていっても、肩にもつかないくらいのショートカットに鎧をつけた軍装に乱暴な言葉遣いでも、ちゃ~んと“男の子っぽい女の子”に見えたのが素晴らしいです。本当に性別を超越した人だ…。これでフィナーレは誰よりも男前でカッコイイんだから詐欺だよなー、と思いましたわ(*^ ^*)。

踊りながら歌う場面とかもあるんですけど、すごく聞きやすくてびっくり(←すみません)。音域があっているのか、娘役しているときの方が肩の力が抜けるのか…(^ ^;。小池さんってさすがだなあ、とあらためて思ってしまいました。



みつる(華形ひかる)=サリャン
東宝公演のプログラムでは、写真撮りなおしてあげてください、小池さん……。
とお願いしたくなるくらい、プログラムでは鬘も眉もなにもかもがもうだめ、って感じですが、舞台では普通に銀髪の美形さんでした。火天(ファチョン)会のメンバーで、壮ちゃんに従って2000年生きてきた……のかな?最初の場面にも居るってことは、そういうことでいいんでしょうか。
ちょっとラストに関わるので詳しくは書きませんが、二幕後半の祐飛さんホゲ様との場面は相当おいしいです。銀ちゃんとヤスふたたび(笑)。出番はそんなにありませんが、印象に残る良い役でした☆……だからさ、写真差し替えてあげてくれってばー!



めおちゃん(真野すがた)=青龍/カンミ城主チョロ
プロローグで青龍として踊った後、しばらくお休みのチョロ様。二幕でチョロ様として登場してからは、割と出ずっぱりでまとぶんに付き従いますが、それまでは暇を持て余して(?)いるらしく、町人としてだいぶバイトをされています♪この町人がすごくかっこいいんです♪一幕後半の町の場面では、たしか上手の方で小芝居していたはずなので、観てあげてくださーい(^ ^)。
本来のチョロ役では、登場時の気怠げな王子様っぷりと、仮面が取れて素顔が現れたときの「案外いい男だねぇ」という誰かの溜息がすごく納得できる美形っぷりでポイントGET!って感じでした。橘さんもそうでしたけど、めおちゃんのキャラにあっていてすごく良かったと思います。




桜一花=北の靺鞨(まっかつ)出身の鍛冶職人、パソン
かーわーいーいーーーーっ!!
子役も自分でやってた一花ちゃん。髪を横でひとまとめにした少女パソンが死ぬほど可愛いです。お兄ちゃん(天真みちる)におんぶされたときの小ささとか怯えようとか、もう完璧、って感じ。天真みちるくんも、短い場面ながら妹への愛が感じられていい場面でした。
大人になってからは、弟子(?)の嶺乃一真くんを連れ歩く姐さんですが、とにかく可愛いので何しても許してしまう(笑)。結構いろんなところで本題に絡む重要な役だし、ソロもあって一花らしい活躍ぶりでした。ああ、このところ一花ちゃんは立て続けに美味しい役にあたっていて幸せです。








…この調子で書いていくと全然終わりそうにないので、今日のところは神話の場面に話を絞りたいと思います。
私も3回観てやっと話の流れがわかるようになったので、これからご覧になる皆様に(ほんのちょっとですが)おすそわけというか、お伝えしたいと思います☆



第一場 神話時代

炎を操る虎族の女王カジンと、心優しい熊族の娘セオの対立。
虎族は魔力をもって熊族を支配する。炎を操る女王カジン、強大な魔力を持つ魔術師プルキル。二人の指導者を持つ虎族に、熊族は抗うことができない。

虎族によって弾圧される熊族(=人間)を救うため、“神の子”ファヌン(天を崇める北方民族?)が地上に降り来たりて、女王カジンの炎の魔力を宝玉に篭め、セオに与える。これによって力を喪った虎族は支配者の地位から脱落し、地上に平和が訪れる。
ファヌンとセオは愛し合い、子が生まれる。

しかし、魔力を奪われたカジンもまた、ファヌンに恋をしていた。プルキルに唆されたカジンは、セオの子を奪い、紅の宝玉と引き換えることを要求する。
わが子を救うため、宝玉を渡そうとするセオ。
地上の平和のため、セオを止めようとするファヌン。そのファヌンに、セオは「自分の子供を死なせる平和に意味など無い!」(←台詞はうろ覚えです)と言い放ちつつ、それでも一瞬は戸惑う。

しかしカジンは、宝玉を差し出そうとするセオを待たず(たぶん逡巡しているのを見てムカっときたんだろう)、子供を谷に投げ落とす。
子供を殺された衝撃のあまり、黒朱雀に変化するセオ。
地上を襲う炎を鎮めようと、ファヌンは雲・風・雷(←だったかな?)の3神を率いて雨を呼ぶが、セオの炎に抗しきれず、最後には自らセオを矢で射て落とす。




…ちょっと面白い神話なので、詳しく書いてみましたが。

実際の高句麗建国神話は、天帝の子と河の神の娘が結婚し、その子が長じて初代国王(朱蒙)になるというもの。「太王四神記」で語られる神話は、これより古朝鮮建国神話に良く似ています。こちらは、「天帝の子ファヌンが地上に降りると、熊と虎が「人間になりたい」と近づいてきた。人間に変化するためのルールを両者に伝えたが、そのルールを守れたのは熊だけだったので、ファヌンは熊女を愛し、世界樹の下で子供を作った。この子が長じて初代国王(檀君)になった」、というもの。熊は水に近しく、高句麗神話の河の神と同様、水の神(蛇)を崇める農耕民族のことではないかという説があるようです。

私が読んだ本には、檀君神話で人間になれなかった虎がどうなったのかは書いてなかったのですが、望みをかなえた熊を恨んで何かをしたというエピソードはあっても不思議はないですね(私が読んだのは日本の神話を解釈する目的で周辺国の神話をまとめたものなので、各国の神話の詳しいところはよくわからないのです)。
また、四神思想が入る前は“赤虎は炎、白虎は風”というモティーフもあったようなので、虎族が炎を操ったのも不思議はないのかもしれません。


しかーし、この神話で不思議なのは、最終的に黒朱雀になって地上を滅ぼそうとしたのは熊族のセオ(みわっち)であってカジン(あやね)ではなかったことなんですよね…。それなのに、炎の紅玉(朱雀の神器)の護り手は、セオの転生・スジニ(額に黒朱雀の烙印があった)ではなく、カジンの転生・キハ。なんか理屈に合わない。

そして、ファヌン(まとぶん)が愛したのはセオであって、カジンは一方的な片思いだったこともちょっと不思議。ドラマでは、タムドク(まとぶん)とキハ(あやね)とはいろいろありつつも、最終的にタムドクが選ぶのはスジニ(みわっち)なのでつじつまがあうのですが、小池版ではトップ娘役=キハですから、タムドクの恋人は完全にキハ一人なので…。
そのあたりは、配役的にどうしようもないところではあるのですが、細かい伏線に拘る小池さんらしくない杜撰さだなーと思ってしまいました。

まぁ、観る側が細かいことを気にしなければいのですけどね(苦笑)。




この時の三神(青龍・白虎・玄武)は、めおちゃん・まぁくん・だいもん。銀髪の鬘にそれぞれの色のメッシュを入れて、ビジュアルもがんばってました。
ただ。
いやー、わかるんですけどねぇ、雨・風・雷の“三神”+炎で“四神”、なのかーーーーーっ。

………なんだか素直に納得できない私は、ただの「創竜伝」ファンなのかもしれま(黙)

もとい。
中国系の「四神」思想と、扶余系の「五部族」思想が話の中で(舞台演出としても)混ざっているのが、一番の混乱の元かもしれませんね。






ファヌンは、セオを射ち落としたあと、

♪いつの日かチュシンの星が輝く夜に
♪世界を治める王を遣わす
♪チュシンの王は私に代わり
♪愛に満ちた世界を造る

と予言し、4つの神器を残して天に帰っていった。

虎族の魔術師プルキルは、秘密組織・火天(ファチョン)会を作り、その大長老としてチュシンの王の誕生を待つことにする。


……いいんですけどね、小池さん。
大長老の目的は、「チュシンの王を探し、その手許に自然と集まるはずの4つの神器を奪い、世界を制すること」…ってことでいいんですよね…?
いつの間にプルキルは、「4つの神器をそろえたものが世界を制することができる」ことを知ったんでしょうか。しかも、その4つの神器と護り手の仲を裂くための方法を、どうやって知ることができたのでしょうか……。
虎族の魔術師としてカジン様に仕えていた頃から知っていたのかなあ…?


ま、そんなことはともかくとして。
とにかくプルキルはそういう目的を抱いて、2千年の雌伏の時間を過ごす。

そして、あっという間に2千年後。
チュシンの星(チュシン=朝鮮、でいいんですよね…?“チュシンの星”って、北極星とかそういう意味はないのかな…違うよな、多分)が輝いを強めたとき、高句麗の王妃と王の妹は二人して臨月を迎えた。
余談ですが、占星術で輝く日がわかったようなので、たぶん何か天文学的に意味のある現象だったんでしょうね、「チュシンの星」。

王妃(初姫さあや)の清純で神秘的な美しさと、王妹(花野じゅりあ)の毒々しい野心に満ちた笑顔の落差にヤられました。小池さん、さすがに女役の扱いが秀逸です。美しい二人が美しく両側に並んで「眠れ良い子よ」と歌う場面が、たまらなく好きだったりします。美女二人は母として神々しいほどに美しく、音楽もいい(はぁと)




……というところで、今日のところは終わりにさせていただきます。

ああ、さあやの美しさの1/3(3役なので)だけでも伝えられて良かった……(^ ^)





花組大劇場公演「太王四神記」 続き。

昨日から、まとぶんが二幕で歌う「♪愛とは何か間違ってばかり…」「♪命賭けて愛した人は…」っていう(たぶん)歌のメロディがぐるぐる頭の中を回っています。
ああいうメロディライン、凄く好き。コード進行など、どこかで聞いたことがあるような気がしてならないのですが、心当たりのある方はいらっしゃいませんか…?

そして、なぜか「ファントム」のオープニングの音楽(「僕の叫びをきいてくれ」のリプライズ)もぐるぐる回ってる(^ ^;)。「太王四神記」って、なんか音楽の傾向が「ファントム」に似てませんか?……気のせいですかね(^ ^;ゞ




さて。

第二場 チュシンの星~王の誕生

チュシンの星が輝くのを見て、火天(ファチョン)会の大長老をやっていたプルキルは、「チュシンの王の誕生に呼応して輝くはずの神器を探せ」と会士たちに命じ、国中に振り向ける。
とにかく4つの神器を集めたものが勝ち、であるらしい。

この前の神話場面から、すでに火天会士の先頭に立っているサリャンがとっても怪しい(^ ^)。






玄武の神器はコムル村に。

護り手であるヒョンゴ(後のまっつ。子役は梅咲衣舞ちゃん)はまだ少年で、先代村長(悠真倫)の管理下にあり、旅をしながらも火天会の目からは無事隠し通したらしい。

“コムル村”の由来がよくわかりませんが、『火天会に先を越されないよう、ホンモノのチュシンの王のために4つの神器を集めとけ』とかいう言い伝えでもあったんですかね。
神話時代の熊族の末裔だとか、そういう感じなのでしょうか…(←てきとー)

梅咲衣舞ちゃんの子ヒョンゴが、めっちゃ当たり役でした。ちょっと寂しげな細面が、まっつの子供時代にぴったり(^ ^)。大人ヒョンゴと子ヒョンゴが隣(ちょっと離れてますけど)に並んで立っている場面があるんですが、この子がこうなるのね、すごく納得!!って感じでした。
声も可愛いし、無理して作った子供っぽさじゃない自然な“少年っぽさ”があって、とても良かったです♪






朱雀の神器は、東百済のサビ城に。

王の誕生に呼応した神器の輝きを隠し切れず、火天会によって火を放たれた城では、護り手であるキハ(後のあやねちゃん。子役は月野姫花ちゃん♪)はまだ幼く、その母である王妃(天宮菜生)はキハとその妹を逃がして自害。
キハ自身も結局は逃げきれず、抱いていた妹を床下に隠してそのまま火天(ファチョン)会に捕えられる。

ここの王妃様のはるちゃんがそれはそれは美しく、若さに似合わぬ威厳もあって、とても素敵でした。子供たちを見送って、厳しい貌で自害するときの思い切りの良さも好きです。今回は台詞無しだったような気がしますが、本役の近衛隊隊士もシャープで印象的だったし、やっぱ美人は得だなぁ~(*^ ^*)。

姫花ちゃん、スタイルが良すぎて(←頭が小さくて、頭身のバランスが大人っぽい)あまり幼な児には見えないのですが、舌っ足らずな喋り方が可愛くて良かったです。
タムドクとヨン・ホゲはこの日に産まれたわけで、当然キハの方が二人より歳上なんですけど、ここでせいぜい4つか5つの子供に見えないと本編に入ってからちょっとね…って感じになってしまうので、さらに可愛く幼くなってくれるとうれしいです。
それにしても本当に可愛いなぁ……。ピンクの衣装がすごい良く似合ってる。火天会に捕まって、プルキルの烙印を受けるために肩を剥かれるところが凄く萌えです(^ ^;;

火天会が去ったあと、床下に隠された赤児を見つけて抱き上げる子ヒョンゴ。
額の黒朱雀の烙印を見つけて怯える様子が可愛い。そして、「…あ、消えた♪」と嬉しそうに村長(悠真倫)に見せる仕草が、ちゃんと少年っぽいのは凄いなーと思います。不慣れな感じがよく出てる。役者だなあ…。

ちなみに、この赤児がスジニなんだから、スジニの方が何ヶ月かタムドクより歳上です。「これからも兄と妹のように…」は無いんじゃないのか?>小池さん






青龍の神器は、西百済のカンミ城に。

護り手であるチョロ(後のめおちゃん。子役は華耀きらりん♪♪)はまだ少年だが、神器を護ろうとした父によって、心臓の中に神器を隠される(神器は何をしても護り手を殺すことはないらしい)。

カンミ城主は、たぶんプログラムに「城主」としか書いてなかった王子(眉月凰)だと思うのですが…すみません、展開が速すぎて目が泳いでいたのでよくわかりませんでした(涙)。

きらりんは可愛い。本当に可愛い。目の大きな、野兎のように怯えきった美少年が、そっと胸元をあけて神器を受け入れるまでの逡巡が、それはそれはイロっぽくてクラクラしました。はい。萌え。
あの美少年が、長じてめおちゃんになるのか……それも萌え(←意味不明)






白虎の神器は、北方靺鞨(マッカツ)の鍛冶師の村に。

この場合、パソン(桜一花)は護り手ではないので、父親(紫峰七海)か兄(天真みちる)が護り手だったんでしょうか。展開が早すぎて、よく聞き取れなかったのですが。
とにかく、パソンの父は刀の柄から神器を外し、兄に渡して逃がす。鍛冶師なら、うった刀じゃなくて鍛えるための鎚にでも神器がついていそうな気もしますけどねぇ…。神剣なのでしょうかアレは。
兄は妹パソンを背負って逃げるが、すぐに追い詰められ、妹を薦に包んで隠し、自ら火天会に囚われる。(殺されるんでしょうか。それとも、ドラマでは後で出てきたりするのかな…?)

昨日も書きましたが、パソンが滅茶苦茶可愛いくて、見てるだけでドキドキします。はい。

本編に入って、大人パソン(同じく桜一花)の弟子としていつも一緒に居る嶺乃一真くんとは、どんなシチュエーションで出会って弟子になったのかしら、なーんてことが気になったりして。
火天会が去った後、パソンは父も兄も居なくなった村に戻って、鍛冶の修行をしていたと思っていいのかしら、とか…(T T)。






第三場 成長

少年タムドク(野々すみ花)と少年ホゲ(白華れみ)。

ヤン王(星原美沙緒)は皇子タムドクが“チュシンの星が輝く刻”に生まれた子供だということを隠し、「愚かでひ弱な皇子を演じる」ことを命じる。

タムドクに付き従うコ将軍(扇めぐむ)がめっちゃカッコイイです。髭萌え♪


一人で槍の稽古をするタムドクのところに、遊びに来たホゲ。
“チュシンの星が輝く刻に生まれた親王”として知られ、強く賢い有能な王となるべく鍛えられていたホゲは、タムドクに槍を教え、二人は友情を育む。

「君が王なら僕は将軍になる」
「君が王なら僕は……友達になる!」
「もうなってるよっ!」

……無邪気に笑いあう二人。

お約束の場面ではありますが、ラストまで一回観てから再度見ると、しみじみと泣けてきます。
すみ花ちゃんの透明で純粋な、いかにも花娘らしい朗らかな柔らかさと、れみちゃんの硬さ、いかにも元月娘らしい力強さや元気さの対比。さすが小池さん、子役の配役がどれも絶妙です(*^ ^*)。
これだけ子役が出てきていながら、ヒョンゴを筆頭に「なぜこの子が成長してこの人に…?」という疑問が沸くキャストが一人もいないのは快挙!すごいなー、どうやって決めたんでしょうか。この役割は。






子供たちの槍の稽古が一段落ついたところで、大人タムドクが登場。
近衛隊と騎馬隊の争いから、タムドクと騎馬隊長(祐澄しゅん)の立会いになり、そこにヨン・ホゲが登場して水を差す…という流れは、簡潔に人間関係を伝えられる巧い展開だな、と思いました。

近衛隊長は、この作品で卒業する望月理世ちゃん、今回本当に良い!です。ファンの方は男役姿が観たいでしょうけれども、私は今まで観た理世ちゃんの芝居の役の中ではこのカクダンが一番好きです!
そして、近衛隊の美女ぞろいっぷりに震えました。転向組のはるちゃん(天宮菜生)が特別大柄にも男っぽくも見えない、カッコイイ女たち。なのにちゃんと色っぽさもあるのは、さすが花娘ですね(*^ ^*)。
まだ他の3人はいまひとつ見分けられていないのですが、前髪を長めに脇に垂らしている美女に、軽く撃ち抜かれました。あれは誰なんだろう…。動きのしなやかさで目を惹いたのですが。

あんなに美女ぞろいで目の保養なのに、一幕だけな上に理世ちゃん以外は戦闘場面やダンス場面もあまり無いのがとっても残念。

そして、しゅん様(←めちゃくちゃ男前!!今回かなりしゅん様落ちしました)率いる騎馬隊は、輝良まさとくんが居るバージョンと居ないバージョンと両方観たので、ちょっと混乱してます(汗)。
とりあえず日高(大地)くんは鎧がよく似合ってました(^ ^)。

あ、日高くんと言えば、神話時代の黒朱雀が良かったです。抜群のスタイルとなめらかな腕の動きで、あえて日高くんにやらせた小池さんの気持ちがわかったような(^ ^)。



この後の、タムドクとホゲの仲良し場面は、まぁ本当にありがちな場面なんですけど(^ ^)。
ただ、子供時代は「君が王なら僕は将軍になる!」と暢気に歌っていたホゲが、その言葉を言わなかったことと、
タムドクが「君が王なら僕は平民になる。君と争ったり、疑ったり(疑われたり)したくないんだ」とかなり正直なことを言うのが印象的でした。

そんなタムドクに、「俺がお前を疑ったりするはずがない」と、やっぱりコイツ暢気だなと思わせる言葉を吐くホゲが可愛いです(*^ ^*)



血筋でいえば、玉座に近いのは、タムドク。
そして、タムドクは自分がチュシンの王であることを知っている。

ホゲは、「タムドクがチュシンの王なり」という神託を受けていることは知らないけれども、血筋で上位のタムドクが、実は自分と同じ刻(チュシンの星が輝いた時)に生まれたことを知っている。
だから彼は、能力(武芸や軍略)で自らが玉座の器であることを証明しなくてはならない。


タムドクは、そうやって幼い頃から玉座に向けて奮励努力してきたホゲを知っている。
奮励努力しなくてはならなかった友を、一番近くで見守ってきたのは自分なのだから。
だから彼は、自分よりも友の方が玉座にふさわしいと思っている。

玉座は民のためのものであり、であればこそ、その座に相応しい者が埋めるべきだ、と、無意識のうちにそう思っている。
そして多分、その無意識の認識こそ、彼がチュシンの王である証。

だからこそ、ホゲにはチュシンの玉座は埋められない。
彼は人の世の王なのであって、神籍に入って玉座を埋めるべき存在ではないから。
ホゲには、愛する女が黒朱雀と化して世界を焼いても、彼女を射落とすことはできないだろうから……




そして。
危ういバランスで均衡を保っていた二人の間に、傷がつくのは、もうすぐ。
タムドクがホゲ以外の「喪いたくない」存在に出会うのは、もうすぐ。


「喪いたくない」ものを知ったとき、タムドクは生まれてはじめて「望み」を抱く。

そして、いかなるものであれその「望み」を叶えるためには、大切なものを護るためには、権力を握らなくてはならないことに気づいてしまう。



チュシンの王が目覚めるのは、もうすぐ……





月の橋姫

2009年1月8日 宝塚(月)
東京宝塚劇場にて、月組公演「夢の浮橋/Apasionado!!」を観劇してまいりました。


年頭の誓い、じゃない、年末の誓い(週に一度はノー残業デー!)を守るべく、平日夜の日比谷に行ってまいりました(^ ^)。
この調子で来週からもがんばるぞ!!(←なにを)




何を隠そう、月組公演を担当している大野さん&藤井さん、あ~んど赤坂の雪組「カラマーゾフ…」の齋藤さん、この3人って、荻田さんが宝塚を卒業した今、「猫が大好きな演出家3人衆」なんですよね(^ ^;ゞ
この3人が東京に揃ったこの1月は、猫にとってもかなり幸せで、しかも忙しい(笑)季節です♪



いやーもう、とりあえず、月組ファン的には心が震えるサイコーのショーでした!
ホント、麻子さんも霧矢さんも素晴らしいショースターですねっっ!!(^ ^)しかも、並み居る月娘たちの男前でカッコイイこと!男役がずらりと並んだ中詰めの花々の場面、女装した男役さんたちがみんな可愛くてうっとりしました。周りを固める月娘たち、かっこよすぎです(←そんな月娘が大好きです)。




しかーし。藤井さんと齋藤さん、仲良すぎじゃない?
藤井さんの齋藤さん大好きっぷりにちょっと受けちゃいました。

もうご存知無い方も多いかもしれませんが、汐美真帆さんと大空祐飛さんがW主演をした齋藤さんの作品は「ライブ・アパシオナード 血と砂」というタイトルでした(爆)。
まさか「Apasionado!!」というタイトルの作品で、「血と砂」が出てこようとは。
フアン・ガルラードとドンニャ・ソルですよあなた。
しかもドンニャはみっぽー(美鳳あや)ちゃんですよっ!!
……牛だったくせにっっっ!!
で、ソロを歌うのがオトキチ(音姫すなお)ですよ!話を紹介するのが(城咲)あいちゃんですよ!
……ルシアだったり「砂」だったりしたくせにっっっ!!



いやーもう、たまらんほど可愛かったです。みっぽードンニャ。そして、残り少ない「血と砂」メンバーが総出で、楽しかったです(はぁと)。
麻子さん、ちゃんと闘牛服に着替えていただきたかったなあ………(←時間ないから無理)



というわけで、一番心に残ったのは、お花さんたちと「血と砂」。
…なんですけど、でも、とにかく全編好きです♪ なんというか、相変わらず藤井作品は「おもちゃ箱をひっくり返したような」という形容詞がよく似合うな、と。ごちゃごちゃしてまとまりがなくて、エネルギッシュでノンストップ!なところが。
あと、月組の今の体制をうまく使ったなーと思いました。ある意味、普通のトップ娘役よりトップスターに近かったあいちゃんの存在が、藤井さんのツボに入ったなーと思いました。


ただ。

藤井さんの創る作品は、突飛な衣装センスまで含めて大好き(真顔)な猫ですけど、それでもちょっとどうなの、と小一時間問い詰めてみたいと思ったのが、ノバ・ボサ・ノバの衣装の多用。
それ、ラテンだけどスパニッシュじゃないから!
…他に衣装無かったんか、と思っちゃいましたね。私にしては珍しく(^ ^)。






そして。
ちょっと順序が逆になりましたが、お芝居は大野さんの「夢の浮橋」。
いかにも大野さんらしい、ちょっと細かい所の詰めが甘いけど、大枠は「花のいそぎ」や「更に狂はじ」を思い出させる作品に仕上がってました(*^ ^*)。
これが大劇場デビューではありますが、一応「飛鳥夕映え」の演出経験があるので、人の動かし方やセットの使い方など、さすがでしたね。「飛鳥…」のときは、ちょっと大劇場の広い空間を使いきれていないなーと思ったのですが、今回は良かったです。



物語は、案の定「宇治十帖」とは何の関係も無かったです。
「宇治十帖」の外伝(スピンオフ)も違うんじゃ?と思ったほどにかけ離れた印象。

でも、「源氏物語」ではありました。だって、匂宮(瀬奈じゅん)が真実に意識しているのは、終始光源氏(萬あきら)なんだもん(- -;

……薫のことも、もうちょっとライバルとして意識してやってくださいよ(汗)。




「罪」をテーマにした宝塚歌劇。

美しくて、罪深いほど美しくて、……罪深さに苦しめば苦しむほど、甘美な毒に囚われていく。
そういう構造に、つい荻田作品を思いだしました。
「螺旋のオルフェ」の、「そして夜が明けたとき、明け方の空を美しいと思った。そして、そう思った自分を許せなかった」とか。
「凍てついた明日」の、「誰でも良かった。…でも、君だったんだ」とか。


暴力にとらわれないところは荻田さんとは違いますが、“「罪」に耐える姿こそが美しい”、という彼のイマジネーションは、「美しさは罪を孕んでいる」という荻田さんの幻想に通じるものがあって、私はものすごく嵌りやすかったりします。
…壊れているなあ、とは思うんですけどねぇ(^ ^;ゞ



特に今回、花組の小池作品と連続して観たので、「王座に座りたくない王」について色々と考えてしまいました。
小池さんの「太王四神記」は、「王座に座りたくない宿命の王」を主役に、「王座に座りたい英雄」を二番手に配し、王座には座らず「王座に座った者を思い通りに操りたいと願う魔術師」を三番手に振っています。
いわゆる「王道」ってやつですね(^ ^)。

それに対して、大野さんの「夢の浮橋」は「王座に座りたくない皇子」を主役に、「皇子の憧憬の対象」を二番手に、「王座に座りたい優等生」を三番手に配しました。
ただ、薫は「皇子の恋敵」であると同時に物語を「紡ぐ手」であり、「罪の子」として物語の根底にあるテーマ「罪」の象徴的な存在でもあります。
薫の渇望が物語世界を造り、匂宮の渇望が物語を動かす。

でも、匂宮が実際に執着を見せるのは、“罪”の象徴である「光る君」であり、「王座に座りたい優等生」である兄・二宮であって、薫ではない。




「太王四神記」と「夢の浮橋」の二人の皇子は、どちらも「自分より王座にふさわしいと思う人物」が身近に居ます。自分の立場と責任を自覚し、王座にふさわしくあらんと努力している人物、が。
でも、それを視て「俺より彼の方が王座にふさわしい」と思うこと自体が、神籍の王たる器なのではないか、というのは昨日も書きました。



一年前の荻田さんの「A-Rex」も「王座に座りたくなかった王」を主役にした作品ですが、あれは「自分より王座にふさわしいと思う人物」がいなかった例なんですよね。だから、あの作品では“A-Rexが真実“王の器”だったのか?”、ということについては触れていません。
ただ、A-Rexは王座に座った。そして旅に出た。それだけ。
あの作品で、瀬奈じゅんを“瀬奈じゅん”のまま舞台に置いた荻田浩一の鬼に思わず目を背けたくなった猫ですが、今回の大野さんは、麻子さんに“匂宮”の仮面をつけさせた上で、芝居をさせないという暴挙に出ていました。
立っているだけで人を魅了する、大輪の華。華はただひたむきに咲いていればいい、というのは“宝塚歌劇”の本質だと思うのですが、最近はそういう作品があまり無かったのでちょっと驚いてしまいました。

……荻田さんと大野さん。お二人の作品を観るたびに、物凄く良く似たところと、全く全然違うところがそれぞれあって、面白いお二人だなあと思います。
荻田さんが卒業されてしまった今、大野さんがその後を追うことのないように、祈るばかりです。






きりやんの薫は、昏い情熱をねつく醸し出していて、すごく怖かったです。あれだけの迫力あるお芝居ができるのはさすが。体調も戻られたみたいで、なによりです!(喜)


(羽桜)しずくちゃんの浮舟は、当たり役。彼女のいいところは、サリーの芝居でも思いましたが「あたしは憐れな女…」という自覚がないところ。常に相手のことだけを考えて、自分を卑下したり自己弁護したりするところが全くないんですよね。しずくちゃんご本人がどうなのかはわかりませんけれども、彼女の芝居は常に「相手の目を見凝めている」ところがすごく好きです。
だからこそ、相手の目を見る役者さんと組ませてあげたいなーと思いってしまいますね。技術的にはアレコレ拙いだけに(汗)。


あいちゃんの小宰相は嵌り役でしたね(*^ ^*)。美しくて華やかで、周囲の“貴族の”女性たちとは全く違う空気を纏った女。
彼女だからこそ、「誰だって自由じゃないのよ」という台詞に重みがあったのだと思いました。匂宮が無闇に憧れる「自由」なんてものは存在しないのだ、と。軽やかな口調で、匂宮の憧憬を切って捨てる、その邪気の無さ。
いい女になったよなあ、本当に……。



あーちゃん(花瀬みずか)の一宮も嵌り役でした♪最近のあーちゃんは良い役に立て続けに当たっていて、芝居がどんどん良くなっているのが嬉しい。ラスト前の匂宮とのやりとりの落ち着きが良かったです。
となみちゃんが卒業したら、「LUNA」のウサギちゃんたちで残るのはあーちゃん一人。学年を重ねても透明感を失わず、「母性」が出てこないのはある意味個性だと思うので、星組の柚美姉さまのような、素敵な女役さんになってくださいね♪




それぞれの子役は、匂宮が咲希あかねちゃん、薫が舞乃ゆかちゃん、女一の宮が花陽みらちゃん。花組の子役たちもみんな良かったけど、こちらもホントに成長後の姿と違和感がなくて、見事な配役でした(はぁと)。





そして。
個人的なこの公演の目玉、みっしょん(美翔かずき)の柏木&(天野)ほたるの女三宮。
予想通り回想シーン5分間のみの出番でしたが、あまりの美しさに衝撃を受けて、どうやら話題のシーンだったらしい“浮舟と匂宮の色事”場面を観おとしてしまいました……(T T)。つ、つ、次こそは。次こそは必ず。

……無理かな……(- -;ゞ





星組大劇場公演「愛する我が街」の新人公演キャストが発表されました。


ジョイ・ビー(安蘭けい)     真風涼帆
ルイーズ・デュアン(遠野あすか) 蒼乃夕妃

おお~っ、真風くんでしたか!!月組の蘭乃はなちゃんが92期の初ヒロイン(ですよね?)をしたなーと思ったら、その次は真風くんだったかー。楽しみな人だと思っているので嬉しいです(*^ ^*)。歌は未知数だけど、芝居は良いもの持っている人なので。
……チケット手に入るかなあ。

それにしても星組さんは、柚希くん時代を考えると嘘のように多彩なメンバーに新公主演させていますねー。楽しみだなあ。壱城あずささんも美弥るりかさんも、他のメンバーも、良い役がつきますように。



そして、ヒロインは「スカーレットピンパーネル」に続いてまりもちゃん(蒼乃夕妃)。芝居上手なダンサー。かなりお気に入りなので、今度こそヒロイン観られますように。(アンナ・カレーニナ、スカーレットピンパーネルと続けて観られなかったんだもん…)

それにしても、ヒロインの方が学年が上って珍しいですね。同期はよくあるけど。



今年が新公ラストになる89期も人材豊富なので、みんながんばってほしいです☆
私も(チケットゲットを)がんばります!







そして昨日、反応し損ねてしまったのですが、花組の壮一帆さんのバウヒロインが発表されました♪

「小栗判官物語」

常陸小栗  壮一帆
照手姫   野々すみ花

すごーーーーいっ!!「舞姫」「銀ちゃん」と続いた後だし、役も照手姫だし、今回はすみ花ちゃんじゃないだろうと思っていたのですが、意外です。
ま、そりゃあすみ花ちゃんがやってくれたら主演スターのファンとしては安心でしょうけど(^ ^)。
いやー、楽しみですねぇ(*^ ^*)(行く気満々)



これで、すみ花ちゃんは花組の男役、上からほとんどと組むんですね。
「黒蜥蜴」でまとぶん、「舞姫」でみわっち、「引き潮」でまっつ、「銀ちゃんの恋」で祐飛さんとみつる、「太王四神記」でまぁくん、「小栗」で壮ちゃん。めおちゃんもショーの群舞とかでは時々組んで踊ってますよね。でも、そういえば一場面丸々相手役っていうのは無いかな…?




はっ!そ、そ、そんなこと書いてる場合じゃない!!すみ花ちゃんがバウってことは、イコールすみ花ペドロは全国ツアーには居ないってことじゃないか!!
うぇぇん、誰がやるんでしょうねぇ(T T)。

そもそも、壮ちゃんが抜ける以上、みわっちが壮ちゃんポジに入ってシェルを誰か他の人がやる羽目になる(←失礼)可能性が高いんですけど……(^ ^;ゞ
シェルとペドロか~。誰だろう


でも、そういえば「絢爛」も、星組さんでウメちゃんがやった役を月組では月船さららんがやってたことがあったな。…男役と女役、入れ替えも可能か……

ってことは、一花か?一花なのか!?

ダメ!!一花には“かもめ”を踊って貰わなくちゃいけないんだからーーっっっ!!







「RED HOT SEA」、かなり嵌り度の高いキャストが多かったので、役替りが大変そうですね。
とりあえず、まとぶんと祐飛さんが変更ないといいなあ☆

みんなが怪我も病気もなく、初日から千秋楽まで楽しく舞台に立てますように!(祈り)





11人いる!

2009年1月10日 演劇
シアターサンモールにて、ブルーシャトルプロデュース アクサル公演「11人いる!」を観てまいりました。



言わずとしれた萩尾望都の名作SF漫画「11人いる!」を、かなり原作に忠実に舞台化した作品でした。

演出がすごく面白かった。原作読んでいるときは思わなかったんですが、舞台にするといわゆる“ワンシチュエーションもの”になるんですね!!「宇宙船の中」という、完全に閉ざされた空間での物語ですから。
舞台上にセットがわりに置かれた白い布の遣い方が巧くて、現実の風景とタダの幻想(記憶のフラッシュバック)の切り替えが見事でした。記憶のヴェールに隠された真実を、一枚一枚剥がしていくようなイメージがあって、クライマックスの電導ヅタの真実の姿と、それにつながるパニックへの演出が、凄い迫力。

結構歌も多くて、ちょっとミュージカルっぽいつくりだったのにちょっとびっくりしました(^ ^)。
そして、なにより驚いたのが、原作の色をしっかりと残しながら、そこかしこにお笑い要素をいれていたところ(^ ^;ゞ。脚本・演出の吉谷光太郎さんをはじめ、みなさん大阪出身っぽかったですね。真面目さとお笑いの行ったり来たり感が、いかにも大阪チックで斬新でした。吉谷さん(教官役で出演)なんて、登場から大笑いだったもんなあ……。
……まぁ、お笑い系のゲストを出すのは作品のイメージを考えるとちょっとヤリスギかな、とも思いましたが(←私が観たときは、長州小力さんがゲスト。「キレてないっすよ」ネタですっげー盛り上がりました/笑)、力技でしたけれども意外とうまく流れてた、かなー?

あと、原作よりもアマゾンが大きな役になっていて、彼と王様の対立と和解がテーマの一つになっていたのが印象的でした。ちょうど、花組&月組の「王様」たちのことを考えているときだったので、マヤ王バセスカの逡巡と挑戦への気概、そしてアマゾンの「プロレタリアート」の自信と他人への信頼が気持ちよかったです。




「アクサル」という劇団(?)、私は全然知らなかったのですが、劇団ひまわり系列のユニットだそうですね。二枚目の男優ばかりの集団というので、同じく萩尾作品をいくつも舞台化しているスタジオライフと同じようなイメージで観にいったのですが、それよりはずっと堅実な作品作りをする集団、という感じでした。
まぁ、美形度はライフの方が上かな?とは思いましたが(^ ^;ゞ。


それでは、キャストについて一言づつ。

タダトス・レーン(加藤巨樹)=タダ
良くも悪くも「普通の人」という印象でした。タダって「普通の人」だったんだなあ……。クソ面白くない真面目な優等生、って感じ。
多分それを狙って演じていたのだと思うので、もっと弾けた役での彼を観てみたいです。


フロルベリチェリ・フロル(大河元気)=フロル
“美少年”でしたねぇ~!原作ファン的には、やっぱりフロルには巻き毛でいてほしいのですが(笑)、黒髪ストレートも悪くなかった(はぁと)。汚い言葉遣いがちょっと慣れてない感じでしたが、いっそのこと関西弁でやったほうがよかったかもね(笑)。
色気の無さが、逆に萩尾作品のヒロイン(?)っぽくて似合ってました。船内温度があがって服を脱いじゃう場面は、素肌に白い布を巻いた形で肩をむき出しにして登場したんですけど、思わず皆が欲情してしまうのもわかる気が(^ ^)。
姿勢がもう少し良くなると、もっとビジュアル度が増すと思います★がんばれ★


アマゾン・カーナイス(柄谷吾史)=アマゾン
とにかくカッコよかったです。美形だしスタイルいいし、声も素敵♪原作でもおいしい役ですけど、さらに輪をかけてカッコよく描かれてました。王様との対立の場面も凄く良かったし、フロルの裸にドキドキしてるときは可愛かった♪


マヤ王バセスカ(林修司)=王様
複雑なキャラクターで、芝居としては一番難しいところを担当していましたが、さすがに巧かったあ~!ルドビコ★そのものは何回かしか観てないんですが、彼は結構よく外部出演していますよね。さすがな感じです。
しかしカッコよかった。自分自身への迷いとタダへの嫉妬まじりの猜疑心、アマゾンの指摘への反発…いろんな要素をきちんと一人のキャラクターとしてまとめてみせたのがさすが。続編の「東の地平、西の永遠」を彼の王様で観てみたいです♪♪


グレン・グロフ(田中照人)=石頭
まず衣装というか髪型をがんばって「石頭」にしていたことに感動(笑)。かなりお笑い系の芝居でしたが、今までどんな役をやってきた人なのかしら?ラストに、教官に声をかけらたれたときの芝居が面白かったです!!


ソルダム四世ドリカス(古川貴生)=フォース
原作では、育ちが良くて屈託のない、明るい二枚目という感じのキャラクターですが、舞台では王様のキャラに近い、猜疑心の強い根暗な雰囲気になってました。それはそれでありだけど、「東の地平・西の永遠」にはつながらない感じになってしまって残念かも。
コロスとしてタダの周りで踊るときなど、動きがキレイで目につきました。かなり踊れる人なのかな?


ヴィドメニール・ヌーム(松木賢三)=ヌー
鱗をどうするのかなーと思っていましたが、特に何事もせず、髪を僧侶っぽい雰囲気にしただけで演じていましたが、台詞の声に深みがあって良かったです。「すべては宿命」という口癖が自然でした。
……原作ファン的には、酔っ払ってるヌーが最高だったかも(^ ^)


ガニガス・ガグトス(山本建史)=ガンガ
カッコよかったし芝居もさすがでしたけど、なんというか……下腹が出てるガンガって許せない(←言っちゃった…ごめんなさい!)
ううう。ガンガはサイボーグで身体鍛えてる健康体なんだから、マッチョならわかるんだけどなあ…(T T)。
原作以上においしい、良い役でした。でもでも、優しいお父ちゃんみたいなんだよなぁ……(悲)


ドルフ・タスタ(田倉伸紘)=赤鼻
「赤いボタン(スクランブル発生=試験終了)のボタンを押したくなったら、この鼻を押してよ」っていう台詞って原作にありましたっけ…。その台詞にあわせてみんなでバシバシと鼻を叩く場面がメチャメチャ面白かったです。シリアスなのにね。
パンフの写真で観るとかなりの美形なのに、舞台では……(^ ^;ゞ。役者ですねぇ(感心)。


トト・ニ(田渕法明)=トト
トトがすっげー美少年なんでびっくりしました(汗)。植物への愛を歌いあげるナンバーがあったりして、大活躍。原作とは一番かけ離れたキャラで、面白かったです!


チャコ・カカ(八百谷匡洋)=チャコ
原作でもあんまり活躍の場のないキャラですが、舞台でも…って感じ。ただ、お笑い場面では常にリードしていたような?(^ ^;





公演パンフレットは、なんというか、昔の「タナボタ企画」のパンフみたいでした……(お笑い系の企画ものがあるあたりが)
うーん、確かにコアなファンが圧倒的に多そうな感じの客席でしたけど、もう少しどんな活動をしてきた劇団なのか、とか、キャストのプロフィールとかをもう少し書いといてほしかったなあ…。
知らない私がいけないのかもしれないけど。
だって原作の名前だけでふらっと観にいったんだもん、パンフレットに解説があるかなーと思うじゃないですか(汗)。

ま、大きく宣伝している様子もないのにサンモールが1週間埋まるんだから(私が観たときはほぼ満席でした)、ファンがついているってことなんでしょうね。
確かに面白かったし、原作の雰囲気を忠実に守っているわけでもないのにちゃんと世界を創っていたのは凄いなーと思いました。SFなのに、特殊メイクをするでなく自然な感じで。原作の構成の妙があってこそですけれども、舞台化するにあたってはいろんなハードルがあったはずなのに、そういう苦労を感じさせず、さらっとやっていたのが凄いなーと思いました!

次は、春に吉田秋生の「BANANA FISH」を上演するそうです☆ど、ど、どういう感じになるんだろうか……ちょっと興味アリです☆



今日は、雪組「カラマーゾフの兄弟」について書こうと思っていたのですが。



衝撃のニュースがあったので、そちらを先に。

2月に公演を予定していた、中川晃教主演の「スーパーモンキー」が、タカコ(和央ようか)さんの体調不良により、公演中止になったそうです(T T)。



タカコさん、体調不良って……何があったのでしょうか。公演中止というリスクを負ってまで降板したってことは、かなり心配な状況ってことなんじゃ……(泣)。ファンの皆様の不安はいかばかりかと……


しかし。
宝塚ファンとして、OGタカコさんの体調も心配だけど、
中川くんの一ファンとして、久しぶりの舞台を凄く楽しみにしていたので………凹みました~~っ!!中川くん自身、すごく楽しみにしていたっぽいのに。歌も多いらしかったのに。
代役が見つからず、と松竹さんのサイトには書いてありましたが、まだ公演まで1ヶ月近くあるんだし、手直しして男優でやるとか、アクションを減らして……とか、何か方法はなかったのでしょうか(T T)。
まぁ、いろいろ検討した挙句の中止決定なんでしょうけど、、、、あああ、残念だ!中川くんの舞台が観たかったよ~!!(号泣)


まぁ、こんな大事件になってしまって、復帰の目処もたたないであろうタカコさんや、そのファンの方のお気持ちを考えると、五体満足、元気で、楽しみにしていた舞台がなくなって残念がってる中川くんのファンの立場では言いにくいんですけど。
でもでも、悲しいです(涙)。
ぜひぜひ仕切りなおして、来年でも再来年でもいいから上演してほしいです!!






それにしても「公演中止」って……。
それも「代役がいないから」って……。

最悪のパターンだなー。

こういうのが個人事務所の弱いところなんでしょうか。大手の芸能事務所なら、自分とこの所属のタレントに何かあっても、事務所内でなんとか調整して代役を出すんでしょうに。
代役って、制作側が探す場合と降板する側が探す場合とありますけど、今回みたいなケースはある程度降板する側が責任持って探さないといけないみたいですね。でも、個人事務所だから他にタレントいないし、OGつながりでお願いしようにも「愛と青春の宝塚」と大浦さんの降板があったので、めぼしいところは仕事入っちゃってるし……。
まさかハナちゃんが出るってわけにもいかなかったんでしょうしね(^ ^;




しかも、「体調不良」としか出ないのが気になります。今後詳しいことが出てくるんでしょうか?最近、主演級の役者の降板劇がいくつかありましたけど、“こういう病気で手術をするので”とか、何か具体的な病名まで発表されていたような気がするのですが。

……なんにしても、心配ですよね(; ;) 。新年早々、辛い思いをしているであろう「スーパーモンキー」に関わった全てのスタッフと役者に、なにか良いことがありますように…。





雪組「カラマーゾフの兄弟」チームのみなさま、千秋楽おめでとうございます★
って、千秋楽を観てきたわけではないのですが(汗)、赤坂ACTシアターにて、宝塚雪組公演「カラマーゾフの兄弟」を観劇してまいりました。




胸を張って宣言したい。
私は齋藤作品が好きだ!!


その勢いで、14日までベニサン・ピットで上演していた「届かなかった手紙」(演出:齋藤吉正、出演:今拓哉、高野力也、麻乃佳代)も観にいくつもりだったのですが………仕事が終わらず(T T)。
どんな作品だったんでしょうね?チラシの雰囲気も、キャスティングも、あんまり齋藤さんらしくなくてすごく興味をもったのですが。
なにも、自身が演出した「カラマーゾフの兄弟」東京公演と同時にやることないじゃん!!と言いたかったです。解体前に、最後にベニサンに行くちょうどいい機会だと思ったのに。昔はよく行ったベニサンですが、ここ数年あんまり行ってなかったんですよねぇ……(; ;)。

ご覧になられた方がいらっしゃいましたら、様子を教えてくださーい!




…まぁ、観られなかった公演のことはおいといて。

「カラマーゾフの兄弟」。


もしも。
駅かどこかに貼ってあったポスターを見て、「へー、宝塚ってドストエフスキーもやるのね」な~んて興味を持ってご来場くださった元・文学少女の方がいらっしゃったなら。

齋藤さんに代わって心よりお詫びを申し上げますm(_ _)m。


…っていうか、翻訳の亀山さんとか、こないだトークショーでお話してくださった明治大学の斎藤孝明教授とか、そういった方々はご覧になってどんな感想をもたれたのでしょうか…?

こ、こわい。

「ロシア文学」を重苦しいものと捉えていらっしゃる方には、受け入れが難しいであろう有り余るエネルギーとパワーに溢れかえった物語世界。「愛」と「肉欲」と「トラウマ」と「政治」と「精神」と「神」と「民衆」……すべてを同じテーブルに載せて、全く同じエネルギーで表現しようとする、その表現者としての齋藤さんの“欲深さ”を、これでもか、これでもか、と舞台から見せ付けられるような気がしました。
あの長大な原作を、ミーチャとグルーシェニカを中心に、実に巧くまとめあげたことにまず感心します。登場人物もよく整理されていたし、宝塚的にイワンの思想的な部分ははしょらざるをえないし、スメルジャコフの扱いもこれ以上でもこれ以下でもおかしいという絶妙なバランスにあって、見事なものです。
二幕頭の「大審問官」が戦隊モノのテーマソングみたい(振り付けも)だったり、「欲望、渇望……」だの「衝動、衝動……」だの、と、お前はどこの木村信司だ!?と目を背けたくなるような面白い歌詞があったりもしましたが。
齋藤さんの良いところは、そういう歌詞を書いても押し付けがましくならないところ。
ただただ、溢れてしまったエネルギーのままに言葉を並べるとそういう歌詞になるんだな、と妙に納得してしまうんですよね。それ以外の部分もエネルギーが溢れすぎているから。

雪組さんのトップコンビ+二番手も揃って、かなり平均年齢の高いチームだったと思うのですが、本当にびっくりするほど皆さんパワフルでした(^ ^;
こうなってくると、「エル・アルコン~鷹~」も、一本ものにしてもう一度練り直してほしくなりますねー!!齋藤さんに足りないものは時間であって、構成力ではないみたいだから(^ ^)






とにかく。
プロローグから、いきなり「衝動、衝動、衝動、衝動、カラマーゾフの衝動!」と歌われて、激しい眩暈に襲われたのですが。

…齋藤さんが、このドストエフスキーの長大な原作から感じたものは、『衝動』であり『無茶なエネルギー』だったんでしょうね。
それが、本能的で野生的な男である父・フョードル(未来優希)や長兄・ミーチャ(ドミトリー/水夏希)の“わかりやすい”性的なエネルギーと、次兄・イワン(彩吹真央)の“陰にこもった”知的なエネルギー。どちらも同じ『衝動』であり、現れ方は違っていても、『衝動的な』『持て余すほどの』『扱いきれないほどの』膨大なエネルギーを抱えたカラマーゾフ家、という存在がすべてのきっかけをつくり、話を動かしていき、

そして、裁判でころころと態度を変える民衆、という『衝動的な存在』に行き着く。





原作を読んだのはもう遠い昔すぎて細かいことはすっかり忘れていた所に、齋藤さんの物語があまりにも衝撃的で、すっかりいろんなことが吹っ飛んでしまったのですが。

宝塚、というジャンル、もうあと5年もすれば伝統芸能の一員になろうというこの劇団に、まだまだこれだけの膨大なエネルギーが眠っていることを知って、とても嬉しかったです。
「カラマーゾフの兄弟」が名作かどうかは猫には判りませんが(だって齋藤ファンですから)、「この作品が創れる宝塚はまだ大丈夫」かもしれない、と、そんなふうには思いました。




そして。
すっかり優雅で美しい姫役者という評価を確立しつつあった白羽ゆりに、アグラフェーナ(グルーシェニカ)というどっしりと地に足のついた大地の女を与え、今までにない最大の魅力を引き出して見せてくれたことにも、心から感謝します。
そういえば、となみちゃんの猫的ベストアクトを書いたときに、日生劇場での「スカーレットII」を挙げるのを忘れていました。大好きだったんですよ、あの気の強さと気っ風の良さが。
アグラフェーナは、あの延長線上にある役だったんじゃないかと思いました。彼女は、自分で自分の生き方を選ぶ女ですから。「待つ」という生き方も含めて、流されたいと思うことはあっても、実際に流されることのない女。
月組時代からお気に入りだったとなみちゃんが、こんなに素敵な女優として大輪の華を咲かせてくれて……。育ててくださった雪組・星組のみなさま、特に相手役の水さんには、感謝の言葉もありません(感涙)。



そして。
水くんはじめ、メインのキャストは皆さん嵌り役すぎてあんまり書くことがない…(^ ^;ゞ
素敵でした。そして、説得力があった。水くんも、ユミコさんも、ひろみちゃんも、コマちゃんも、さゆちゃんも、ハマコさんも、大凪さんも……とにかく全員!


長くなりそうなので、続きはまた今度書きます。





……願わくば。
齋藤さんには、今後も名作文学シリーズを手掛けていただきたい!!
柴田さんで上演されているものは、もうちょっと齋藤さんが成長するまでは大事にとっておきつつ、
宗教方面で深い話(レ・ミゼラブルとか)は、今回のイワンの様子を観ているとそれだけで話を作るのが無理そうなので避けて通りつつ、

愛とか恋がひっ絡まって、どろどろしまくる話が向いていると思うので……

えーっとえーっと、「嵐が丘」とかどうでしょう!?
ヒースクリフ祐飛さんで。いや、祐飛さんの黒髪ロンゲをもう一度観たいだけなのがバレましたか(^ ^;ゞ
あるいは、ヘミングウェイとか向いているんじゃないでしょうかねぇ。軍服コスできるし、齋藤さんやりたそう。



……かくも妄想は翼を拡げ、天を覆う……



月組公演『エリザベート』 エリザベート役について、歌劇団から衝撃の発表がありました。


エリザベート役 ・・・ 凪七瑠海(宙組)



なんか、生半可なことでは驚かないつもりだったのですが。
霧矢さんでも、あいちゃんでも、しずくちゃんでも、みりおくんでも、まさおくんでも、りおんくんでも、蘭ちゃんでも、みらちゃんでも、ちゅーちゃんでも、ねねちゃんが戻ってきてくれても、あーちゃんでも、オトキチでも、すずなでも、こころでも、まなちゃんでも、さゆちゃんでも、かおりちゃんでも、アリスちゃんでも、れみちゃんでも、えーっとあと誰がいるかな、もりえちゃんでも、マギーでも、あひちゃんでも、もういっそナホちゃんでも、
……誰が来ても驚かないつもり、でした。(最後の方はちょっと自棄な感じですが)


しかーし!!


さすがに。
トップ娘役がいない月組。他の組からエリザベート役が来るんなら、イコールトップ娘役としてってことになるだろうし、ってことは当然娘役だろうと思っていたんですよね。
他の組からトップ娘役さんが組替えで来るか、組内の娘役か、男役か、その3パターンしか考えてなかった。

さすがに、他の組の若手男役さんが来るとは………!!

まさか、カチャ転向して月組トップ娘役、なんてことないですよね?宙組では小さいけど、麻子さんや霧矢さんの相手役するにはいくらなんでも大きい気が……(あひちゃんなら良いかもしれませんけど)

いや、たとえ転向はしないにしても、「エリザベート」が終わったらどうなるんだろう…?
歌劇団公式サイトの注意書きにも「宙組公演には出演しません」とは書いてあるけど、「特出です」とも「組替えです」とも明記していないんですよね(涙)。
まさか、今後どばっと組替え情報が出て、その中でカチャがどこかに(月に?)組替えというのがあるのか、逆に組替えじゃなくて「95周年は若手の特出役替り祭りをします!」みたいな話で、各組の87~89期あたりの誰かが他組に特出(それも女役で!?)することになるのか??



な、何が起こるのかさっぱり見当もつかなくって、すっごい不安になります~(T T)。




それにしても。次の正塚作品での新人公演主演は当然カチャだと思っていたのですが…。まさか、月組でみりおくんのシシィ相手にトートで新公するとか、そういう冗談は無いですよね?
これだけ衝撃的なことが起こると、本当に何が起きても驚かないような気がしてしまいますが、それにしても若手にとっては毎年が『大事な1年』なハズなので、ちゃんと大切にしてあげてほしいです。研10を超えてから、悔やんでも遅いので……。


とりあえず、カチャはヴォイトレが大変そうですけど、、、あ、でもどうせ中日もオスカル/ベルナールの役替りだし、中日終わってからも少し時間があるから、大丈夫なんでしょうかねぇ(汗)。


個人的に、マイベストシシィは文句なく麻子さん(ちなみにマイベスト麻子さんでもある/汗)なので、同じく男役のカチャシシィはとても楽しみです。ただ、麻子さんのシシィが良かったのは、包容力があって優しい(そして、とても幼くてカワイイ)サエコさんのトートあったればこそ、なワケで………、すごーく繊細な感じになりそうな麻子さんのトートに似合うのは、キレイな娘役さんのシシィの方なんじゃないのかなあ、と思ってしまうんですけどね。

これはもう、麻子さんには“俺様トート”でがんばっていただくしかない!!
ということで、健闘をお祈りしております……。


何かと話題豊富な月組「エリザベート」。
他のキャストも含めて、月組生がみんな楽しめる舞台になりますように。
そして、私もせめて一回は観られますように(^ ^;



宙組トップスター・大和悠河さんが、次回大劇場公演で卒業されることが発表されました。


1○年前、私が月組ファンになった公演で、衝撃的な“エトワール(‥)”をしていたタニちゃん。

初めて観た“新人公演”で、主役を演じていたタニちゃん。


キラキラとこぼれるような笑顔、どんな衣装も良く似合うゴージャスなスタイル、裏表のない華やかさ。タニちゃんのファンにはならなかったけど、彼女の存在は「タカラヅカスター」の一つの典型だったのだと思います。
歌はダメダメだけど(T T)ダンスが素敵で、コスチュームが良く似合うのは強み。「十二夜」のオーシーノーは本当に嵌り役でしたね!マント捌きも鮮やかで、華やかな衣装が本当に格好良かった!
勿論それだけじゃなくて。シンプルなスーツだった「長い春の果てに」のブリスも可愛くて大好きでしたし、室町時代の「更に狂はじ」も、となみちゃんもきりやんともお似合いで、本当に素敵でした(*^ ^*)。


OGの杜けあきさんのファンで、ああいう渋い芸風に憧れていらっしゃる、という話を聞いたときは、「天与の才を持つ人に限って、持っていないものをほしがるものなのかなあ……」と運命の皮肉に溜息をついたものですが。

……でも私はやっぱり、あの天与の輝き、キラキラした笑顔とか永遠の少年っぽさが好きでした。組替えしてからの作品は全部は観れていないのですけれども、やっぱり、私にとってのベスト・タニちゃんは、「A/L」のラウルであり、ビデオでしか観ていない「シンデレラ・ロック」のシドだったりします。
作品の力もありますけれども、齋藤さんも景子さんも、本当にタニちゃんを(そして他のメンバーを)実によく観て、よく宛て書きしてくださったなあ、と感激したものでした。



卒業公演は、正塚さんの『薔薇に降る雨』。
「ブエノスアイレスの風」初演でマルセーロを宛てた正塚さんが、どんな物語を紡がせるのか、興味は尽きません。
景子さんの「Paradise Prince」で、“キラキラした少年”の真髄を見せてくれたタニちゃんが、
劇団はやらせたかっただろうに縁のなかったコスチュームものの“ベルサイユのばら”を経て、
希望していただろうになかなか回ってこなかった、正塚ワールドの“過去のある大人の男”で卒業する。


「LUNA]のマーキュリーズ(大劇場はタニちゃん、きりやん、祐飛さん)の一人が、ついに欠けてしまうことがとても寂しい。
シューマッハ(ケロさん、祐飛さん、きりやん、タニちゃん)も半分になってしまう。
私がファンになったマミ(真琴つばさ)さん時代の月組の片鱗が、どんどん喪われていく。

とても寂しいです。

若いときからずっとスターで、数え切れないほど新人公演主演して、毎年のようにバウ主演していたタニちゃん。もっと長くやるものだと思っていました。100周年を迎えるのはタイミング的にちょっと無理でも、95周年が終わるまでは居てくれると、勝手におもっていたのに。

キレイな人だから、外部で映像の仕事とかやってくれないかな。
あの美貌が観られなくなるのは、とてもさびしい。




でもでも、その前に、まずは中日公演、ですね(はぁと)。
チケット取るぞーっ!!(^ ^;ゞ



本当なら、今日はせっかく遠征してまで観てきた雪組バウホール公演「忘れ雪」とか、花組大劇場公演「太王四神記」とかを書くつもりだったのですが。


……先週にカチャ(凪七瑠海)のエリザベート役が発表され、昨日タニちゃん(大和悠河)さんのご卒業が発表された、宝塚歌劇団。
カチャが公演の後どうなるかもわからないし、これだけいっぺんにいろんな人が卒業してしまうのに、組替えは絶対にある(それもかなり大規模に)はず……
これから何が起こるか本当にわからないんだなあ、とか、なんだか色々考えてしまいました(←今日も一日会議でヒマだっただけ)




と、いうわけで。
月組公演「エリザベート」の希望配役をひとつ。組替えもありうる前提で。

トート 瀬奈じゅん
シシィ 凪七瑠海
---ここまで確定。


まずは、シシィの夫、オーストリア皇帝フランツ。
フランツとシシィが並ぶ場面も多いし、ピンヒールを履いた(公称)170cmのシシィよりも大きく見えないと始まらない、役。
それだけのガタイがあって、難しいフランツの歌(特に、樹里ちゃんも苦労していた低音部)を歌いこなせそうな人、なんて……宝塚ひろしといえども、一人しか思い浮かびません。シシィと一緒に月組に来てください、ともちん(悠未ひろ)

背だけならあひちゃんも似合いなんだけどなーーーーー(T T)。あひちゃんが死ぬ気で低音部のボイトレをしてくれる前提で、ダブルキャストで是非。




続いて、きりやんの当たり役・ルキーニ。
出番も台詞もダントツ多くて、時代の狂気を体現する役。物語世界を広げて、閉じる、扇の要の役割を果たす存在感が必要。
これはもう、初演のオリジナルキャスト・轟悠さんしかいない!と思ったのですが、残念ながら雪組さんにご出演中でした(涙)。きりやんのルキーニをもう一度観たいのはやまやまですが、まぁそういうわけにもいかないでしょうから、ここはいっぱつ、「新エリザ」を象徴するキャストとして、世界初!城咲あいちゃんの女性版ルキーニで。(←意味不明?)

エリザベートに、ではなく、トートに恋した哀れなルキーニ。
叶わぬ恋の果て、恋しい死神の愛を成就させるために自らナイフを振りかざす。自らの運命の皮肉に、嘲いながら、嘆きながら……。そんな切ない女心を、あいちゃんなら短い場面でも見事に表現してくれると思うのですが。
……歌は、編曲よろしくお願いしまーす>小池さん♪(にっこり)。




悲劇の王子様・ルドルフ。
これはもう、まさおとみりおのダブルキャストでお願いします。
二人とも、ルドルフやってない期間はマデレーネってことで是非。




子ルドルフも本役に合わせてダブルで。
まさおの時は舞乃ゆかちゃん、みりおの時は都月みあちゃん、とかどうでしょう。なんとなく、顔立ちのふんいきだけですが。
ただし、お二人とも歌は未知数なので、必要に応じて吹き替えってことで…(←おい)。




…個人的に、シュヴァルツェンベルグとかヒューブナーとかが密かにメインキャストに入っていたりしますが、、、まぁそんな個人的事情はおいといて(^ ^)。




ゾフィーは、雪組のハマコさん(未来優希)に対抗できるのはきりやんゾフィーしかない、と思っているのですが、まぁそういうワケにもいかないでしょうから。
ここは順当に、美穂圭子さんでお願いしたいです。是非是非。…というか、絶対に!(ここだけ真顔)




そのほかの娘役さんの役は……。
ヘレネ       しずくちゃん。あ、シシィと同期だ(^ ^)。
リヒテンシュタイン あーちゃん(花瀬みずか)。おお、ぴったり♪
ルドヴィカ     おときち(音姫すなお)。あーちゃんと役替りでも可。
スターレイ     (天野)ほたる。
ヴィンディッシュ嬢 すずな(憧花ゆりの)。

そして!!マダム・ヴォルフにこころ(妃鳳こころ)!

……うおおお、こころのマダム・ヴォルフ絶対良いと思うぞっ!!(自画自賛)



黒天使は、この際尚さんの振付を捨てて、全く新しくしていただけないでしょうか(*^ ^*)。
ホントはヤンさん(安寿ミラ)あたりにお願いしたいところですが、難しいかもしれないので外部の方で良い方がいらっしゃれば、それで。
半分は娘役にしてリフト有の超絶難度ダンス、っていう感じで。
男役は(桐生)園加ともりえ(青樹泉)を中心に4人、娘役はみっぽー(美鳳あや)と麗百愛ちゃんを中心に、同じく4人。これにマデレーネ(ルドルフの片方)を入れた合計9人、ってことで。




わずか3年の間をおいて、月組で二回目のエリザベート。
間隔も短いし、やっぱり何らかの大幅な演出変更が必要だと思うんですよ。

黒天使の振り付け変更と、女性版ルキーニ。
ここまでやれば、だいぶ新作感があるのではないか、と思うのですが……。




……まぁ、近いうちにきっといろいろ発表されるんでしょうし、月組東宝が終わればすぐに制作発表もあるでしょうから、そのときまでのお楽しみ…ですね。
っつーか、焦らさないで決まっていることは早く発表してください>劇団


ま、なにはともあれ。
本当に譲れないのは一点だけです。
新公シシィは彩星りおんでお願いします!!




……きりやんは、どこに行っても輝ける人ですが、とりあえず一度花組に特出してくださいな(←単にきりゆひの並びをもう一度観たいだけ)(あ”、梅田芸術劇場はミーマイ発表済みだった……役が無いじゃん/しょぼん)(いっそジェラルドとジャッキーゆひきりで役替りとか?)(いやそんな、可愛くて実力派の花組若手に喧嘩売る気かお前……)




宝塚バウホールにて、雪組公演「忘れ雪」を観劇してまいりました。



多分私は、キムちゃんのファンなんだと思います。


どんなに作品が間抜けでも、キムちゃんがずーーーーっと舞台上にいて、
あの声で歌っているか、あの声で喋っているか、…それとも殴られているか(←おい)、
とにかく舞台上にずっと居てくれるという、喜び。


キムちゃんの声が好きです。歌声も、台詞声も。
なんだか、しみじみーと自覚した2時間半でした。



……作品がどんなに間抜けでも。



プログラムに、作・演出の児玉明子さんがこう書かれています。
「(前略)正直、初めは戸惑いました。これがテレビドラマや映画だったら良いのですが、歌も踊りもある宝塚で、いったいどうやって表現したら良いのだろう?…と(後略)」

こ、この無責任な他人事っっぷりは、いったい何!?
この原作を宝塚化しよう、と、最初言い出したのは誰なの!?

「忘れ雪」を音月桂で舞台化することを、そして、その実行部隊の総指揮官として、よりによって児玉明子を指名した誰かさんを、体育館裏(←どこだよ)に呼び出して、集団リンチにかけたい気分です……。




私は原作の「忘れ雪」(新堂冬樹)は読んだことがないのですが、
それなりの評価をされている作品のようですし、おそらく一つの物語としてちゃんとまとまっているんんだろうと思うんですよね。

だけど、児玉さんが舞台化するにあたって選んだ場面が、悉く間違っているような気がするのです。

クリエーターとして他の人の作品をきちんと読み込み、理解した上で「宝塚化したい!」あるいは「○○ にこの台詞を言わせたい!」という“思い”をもって舞台化したならば、「衝動、衝動、衝動~♪」でも、世界の名作「カラマーゾフの兄弟」が戦隊モノになっていても、観客にはしっかりと受け入れられるものなのです。

でも、「えー、宝塚で○○やんのー?なんであたしがー(凹)」という程度の“思い”で舞台化しようったって、そんなの巧くいくはずがない。宝塚化、潤色、といっても、それは立派な“創造”なのですから。
一つの物語世界をクリエートするには、それなりの犠牲が必要なのに、児玉さんにはその気合が感じられない。忘れ雪が降る世界をキチンと立ち上げよう、という気持ちが無いように見える。
正直、読み込みが足りないんじゃないか?という気もします。なぜ幼い深雪があんなに一希に入れ込むのか、なぜ一希が深雪のことを全く思い出さないのか、なぜ鳴海がああいう行動に出るのか、、、そのあたりの「何故?」を、児玉さん自身が全く解決できていないような気がするのです。
本人がわかっていないから、どのエピソードが必要でどのエピソードが不要なのか判断できない。だから、あんなにいらない場面ばかりの作品になってしまう。あれでは世界が立ち上がらないのに、それに気づくことさえできない。




確かに悲惨な物語です。
でも、悲惨だから×、とは、私は思いません。
たしかに暴力シーンが長すぎると思いますが、それは“無駄なエピソード”の一つであるというだけのことで、作品の評価において決定的な点だとも思いません。

ただただ、不要な場面が多すぎて、数少ないメインキャストの真情が全く伝わってこなかったのが残念です。



それにしても。
力技でキャラクターを立ち上げ、説得力を持たせてのけたキムちゃんとミナコちゃん(愛原実花)の、役者としての才能に感服しました。

二人に引っ張られて、ただただ真っ直ぐにキャラクターで魅きつけたみみちゃん(舞羽美海)や(大湖)せしる、キング(蓮城まこと)も良かったです。みみちゃん、やっぱり「凍てついた明日」のメアリーやっただけのことはある!「マリポーサの花」は本公演も新公もいまひとつだったので、正塚さんとは芝居(演出)の相性が悪いのかもしれませんが、あのけなげな可愛らしさは武器だなあと思いました。

テルくんは、ビジュアルは文句なく素敵なんですけど、「力技でキャラクターを立ち上げる」域に達するにはまだだいぶかかりそうだな、と(汗)。来年には研10になるテルくん。本公演でも番手がつく立場になりつつあるので、そろそろ「力技でなんとかする」ことが出来る役者になって欲しいかも。
「力技」で解決するためには、「私はこうしたい!」という強い意志、役に対する“思い”が必要なんですよ。テルくんはそういうものが感じられないところが個性でもあるのですが、やっぱりそれだけだと、「良い役がくれば良いけど、駄目なときはダメなのね~」で終わってしまって、もったいないと思うんですよね。
「凍てついた明日」で、舞台というか芝居の面白さがすこーし判ってきつつあるのかな?と思ったので、青年館で化けることを期待しています!

にわにわ(奏乃はると)は、、、歌も芝居も出来る人なのに、どうも「マリポーサの花」といい、なかなか良い役にめぐり合えませんねぇ。

キタロウ(緒月遠麻)は、、、、フェルッティの情けなさを思えば、短期間でよく成長したものだな、と☆

かおりちゃん(晴華みどり)は、みみちゃんの母親は本当に一瞬なので(汗)、クラブのシンガーの方が印象的でした。それにしても美人だなーーーーっ!

(真波)そらちゃんは、深雪(みみちゃん)の婚約者役、なのですが…。この役が一番意味不明だった(涙)。せめてもう少し……後から説明されるだけじゃなくて、南さんサイド(=深雪の父親サイド)の話をちゃんと書けば良かったのに、と思うんですよね。原作にあるのかないのか判りませんが、もし無いとしても適当に作っちゃってもいいくらい、重要なエピソードだと思うんですよ。
南=そら、深雪父=にわにわとかで2場面くらいあれば、随分話がわかりやすくなると思うんですよね。


とにかく、下手にサスペンス仕立てにして裏のエピソードを全部省いたばかりに、良くわからない話になってしまったような気がします。舞台で“サスペンスもの”は本当に難しいんだから、児玉さんが手を出すいは10年早いような気が……。
原作ではどういうふうに構成しているんでしょうね。(←読め)




がおりちゃん(香陵しずる)&沙月愛奈ちゃんの蛇が実に素晴らしかったので、もう少しこの蛇に関わるエピソードもちゃんとまとめて欲しかったなー。特に、「一緒に蛇になる」という鳴海の答えを、もっと象徴的な形でラストに示して欲しかった。

とにかく、いらない場面をスパっと削って、「これを伝えたい!」という“思い”を持って場面選定をしていただきたかったです。一幕最初の“クロスの訓練”の場面は丸ごといらないし、もったいぶって出てくる「マズルコントロール」というワードも、その後一度も出てこないし。



とりあえず、「なんで一希はあんなにキレイサッパリ深雪ちゃんのこと忘れてんのかしら。記憶喪失って感じでもないし。…あ、もしや、誰も知らないうちに別人とすり替えられている、とか?(鳴海だけが正体を知っている)…いやいや、きっとサイボーグなんだわ(鳴海だけが以下同文)」などと色々考えすぎてワクワクしていた時間を返してください……(←さかうらみ)




なにはともあれ、作品的にはいろいろあっても、キムちゃんがなんとか形にまとめてくれていました。
たぶん、脚本・児玉明子、演出・音月桂って書いたほうが実態に即しているんじゃないかと思うくらい、キムちゃん=一希の“思い”が空間を満たしていて、素晴らしかった!!
他のメンバーも、キムちゃんに引っ張られて、よくがんばっていたと思います。
上級生なのにコロス多すぎで、違う意味で泣ける人もいますが…。

青年館公演ももうすぐ始まりますね。
いろいろ大変そうですが、私ももう一回観られるので、皆がどんな風に成長しているのか、楽しみにしています☆






東宝劇場にて、月組「夢の浮橋」の新人公演を観劇してまいりました。



……でも、その前に。

星組の安蘭けいさん、遠野あすかさんの後任として、
柚希礼音くん、夢咲ねねちゃんの就任が正式に発表されました。

礼音くん、ねねちゃん、おめでとう!!

正直、あれ?まだ発表されてなかったんだっけ?とか思ってしまったりしましたが(^ ^;ゞ、
とにかく。
トウコさん、あすかちゃんの後任ではプレッシャーもあるでしょうけれども、せっかく若くして就任したのですから、これからがんばって大輪の花を咲かせて欲しいな、と思います。


たまたま、なんですけど、85期(礼音くん)も89期(ねねちゃん)も月組で同期全員のロケットをしていたコンビ、なんですね。

85期の本当の初舞台だった雪組さんの大劇場公演「ノバ・ボサ・ノバ」は、私が初めて観た「初舞台生公演」でした。
あれから10年。初舞台から見守ってきた二人が、今、星組でコンビを組む。

良い作品に恵まれて、幸せなトップ生活になりますように。
心の底から祈っています。


同時に発表された組替えの3人(凰稀かなめ/星へ、早霧せいな/雪へ、天咲千華/花へ)も、新しい組で新しい自分を見つけて、輝いてくれますように。


……とりあえず、、、、雪組さんは大劇場まで観に行くしかないのかな……(T T)。








ってなとこで、本題・「夢の浮橋」新人公演。


演出は、本公演と同じく大野拓史。
ああ、大野さんはコレがやりたかったのか、と納得しました。
全く同じ脚本・演出で、全く違う物語世界を立ちあげてのけること、それ自体が。


本公演の、甘やかで昏い、気持ちよく“罪”に浸って現世を否定する倒錯的な無常観と、
新人公演の、真っ直ぐで涼やかな、「乗り越える」強さと「振り向かない」強靭さを併せ持つ貴族精神と。


どちらも大野さんの「源氏」であり、大野さんの「タカラヅカ」でもあったのだろう、と思います。
残念ながら、本公演も一回しか観ていないので演出的な違いの詳細を指摘することはできないのですが、光源氏の存在感とか、秋好中宮や夕霧の立ち位置とか、観ていての印象はかなり違いましたね。
役者の個性による役の人物のキャラクターの違い以上に、演出手法というか、「世界観」の違いが鮮明で驚きました。


どちらが好きか、というのは好みの問題だと思うのですが、私は、新人公演の世界観が好きでした。
薫から数珠を受け取り、自分の運命を受け入れて玉座に向かう明日海匂宮の、ピンと伸びた背と、振り向くことのない潔さ。匂宮から光る君へ向かうベクトルが弱まって、薫への気持ち(=過ぎ去った幼い時間へのリスペクト)が明確になっていたのも印象的でした。


そのあたりをあえて弱めて、“罪”への怯えと光る君への執着を表に出した本公演も面白い試みだったのですが、どちらが好きかと問われるのであれば、私は新人公演の方が好きだ、としか言いようがありません。
演出意図自体は本公演の方が面白いので、うまく嵌ればそちらの方が気に入ったと思うのですが……。汚いものをじっと見凝めてしまう、嫌なものなのに何故か執着してしまう……そういう心理は理解できますし、そういう芝居も非常に好きなのですが、あえて「タカラヅカ」の、それも大劇場作品でそれを観たいと思わないので。
夢々しいものを求めるニーズにも対応しなくてはならない大劇場作品で、中途半端にやってほしくない。昏い方向に向かっていく物語は、中途半端にやると、どうしても気持ちよく不幸に浸ってしまうように見えてしまって非常に不愉快なものになってしまうものですから。

物語がどんなに悲惨でも、挫けずに前を向いて、あるいは足元をしっかりと見て、一歩一歩進んでいこうとする物語が、私は好きです。
どんなに悲しい、択びたくない道であっても、自ら択んだ以上は自覚をもって振り返ることなく歩いていく物語が、私は好きです。



…こんなコトを考えるのも、本公演と新公が同じ作品とは思えないほど違っていたから、ですo(^-^)o
殆ど同じ一つの脚本で、全く違う二つの物語を創り上げた立ち上げた大野さんと月組っ子たちに、プロージット。


…キャストごとの感想は、また後日☆






宝塚歌劇団 宙組娘役トップスターの陽月華ちゃんが、次回大劇場公演で卒業されることが発表されました。




ウメちゃぁぁぁぁあああん!!(叫)




今まで私は、新公卒業前に去っていく人以外は、あんまり騒がないように我慢していました。
彼女らには彼女らなりの人生があるわけで。
功なり名遂げて花園を去っていく人には、徒に惜しむよりも、新しい世界での幸せな人生を祈りたかったから。


でも。

ウメちゃん(泣)。


一公演まるっと休演して、本公演はたったの三作。
もっともっと、いろんなウメちゃんに会いたかった。いろんなウメちゃんを、体験させてあげたかった。観てみたかった。


歌は壊滅的だったけど、それでも大好きだった、いえ、まだ過去形ではなく“大好きな”ウメちゃん。
小さい頃から芝居心のある人でしたけど、新公卒業頃に改めて化けてくれて、観ていて本当に目が離れませんでした。星組ラストの「Halleluya!」といい、宙組に来てからの「A/L」のお転婆天使といい、「バレンシア」のイサベラといい、本当にそこだけピンスポが当たっているみたいで。


抜群のスタイルは、どんな無茶な衣装もぴたっと似合って、
ちょっとキツめの美貌は、静止画からは想像もできないほど表情豊かで、
やわらかな声は硬さとまろやかさを兼ね備えていて、
シャープなダンスは男前でカッコよくて、

……歌さえなければ、理想的だったのにねぇ……(^ ^;ゞ





タニちゃんが卒業を発表したとき、「もしかして」とは思いつつ、必死で否定していた私。
ウメちゃんの卒業に、「ああ、やっぱり」という思いもありました。
星組のトウコさん・あすかちゃんに続いて、宙組も同時退団しちゃうのかな?と。

猫は、マミさんのファンだったせいか(^ ^;ゞ トップコンビの同時就任・同時退団っていうのはあまり良い慣習だとは思ってないんですよね。娘役トップが残って次期トップスターを数作支えてから単独で卒業する、トップスターは新しい(若い)相手役を可愛がって育てる、っていうのが理想。
相手役が変われば、まわってくる役も変わるし、ショーの雰囲気も変わります。やっぱりご贔屓さんには色んな相手役さんと組んでみてほしい、というのがファンの希望だと思うし。昔の花総さんとか、今の月組みたいな状況は異常だとしても、途中で一回くらい相手役が変わるのは新鮮でいいんじゃないかなーと思うんですよね。



最近、同時就任・同時退団が増えているような気がして、ちょっと切ないです。
あすかちゃんもウメちゃんも、違う男役さんと組んだ姿をちょこっとくらい観てみたかった。
(もちろん、トウコさんもタニちゃんも違う娘役さんと組んだ姿を観てみたいんですけど、具体的に誰と組んで欲しいというのが思いつかない…)


でも、もうウメちゃんが決めたことだから、仕方ない。
7月まで、そしてその後も、ずっとずっと応援しています。



あなたの歩む道の先に、幸多かれ、と。





ところで。
……ウメちゃんは、ミュージックサロンはしないよね……?

風花舞嬢がやったみたいなダンスショーか、月影瞳さんがやったようなバウパフォーマンス(←どっちも荻田さんだよ!!)をやってほしいけど、無理なのかなあ………。



大空祐飛さんが花組に異動して、ちょうど一年が過ぎました。

……早いものですね。本当に。





ほとんど卒業公演のつもりで通いつめた「Hollywood Lover」。
月組ファンでもあった猫にとっては、月組から卒業したら、あとはもう余生くらいに思っていたのに。


今、あんなにも楽しそうに、そして何より幸せそうに舞台に立っている祐飛さんを観るたびに、涙がでるほど幸せな気持ちになります。
何度も書いていますが、暖かく迎えてくださった花組のみなさまには、心から感謝しています(; ;)。ありがとう!





…と、いうわけで、
今日観たわけではないのですが、先週遠征したときの花組公演のレポートを。




正月休みに観てから、半月。
一番「変わった」!と思ったのは、まとぶんのタムドクでした。
いかにも裏のない「真っ白な」二枚目っぷりに終始した役作りから、少しずつですが懐の深さを感じさせる王者像を創りつつあったと思います。

小池さんの作品って、割と単純な「勧善懲悪」モノになりやすいのですが(←それこそ“宝塚的”潤色の天才、と呼ばれるゆえん)、私みたいなひねくれたファンには、それだと物足りなかったりするんですよね。でも、タムドクがなぜ王位を拒否するのか?が見えてくると、ドラマが重層化して面白くなってくるんです。
ヨン・ホゲが玉座を欲するのは、ある意味当然のお約束。それだけではドラマとして弱い(ひねくれ度が足りない)。

なぜタムドクが玉座を拒否するのか?
命を救ってくれたキハをさえ疑わなくてはならない父王を幼い頃から見てきて、そんな立場になりたくないと思っていた、から。
だからこそ、父王の死を知って、「自分はヤン王のようではなく、“愛に満ちた世界”を創るために王になるのだ」という自覚を得て、神器を集める決意をしたのだ……
という流れがきっちり見えてきたのが、すごく納得できました。



あとは、まとぶんの癖なのかな?すこーし早口なのと、台詞の語尾を少し切り捨てるように言うのが一本調子で乱暴者っぽい口調になりがちなのが変われば、すごく良いんじゃないかと思います(はぁと)
「街へ独りで出たことがないんだ…(こんなんじゃ)君を案内できない」という台詞とか、これはアランじゃなくて深窓の皇子様なんだから、あんまりぶっきら棒に言わないで、ゆっくり間をとって落ち着いて喋ってほしいんですよね。
可愛い女の子の前で緊張している、っていう芝居ともまた違うし。



あと、キハはホントはやっぱり、もう少し歳上の役作りでお願いしたいなあ。
ホゲ様を相手にしているときは良い感じなのに、まとぶん相手になると途端に純情少女になるのが……それだけタムドクが素敵だってこと!?って感じなんですけど(汗)、
特に、この「独りで出たことがないんだ…」の場面は、
タムドクが王として自分の進むべき道に迷っているときに、王たるべき彼を認め、守ろうとしてくれた初めての女なわけですから。
もっともっと大人な、タムドクを守ってあげたいくらいの感じでいいと思うんですよね…。

今のままじゃ、何もわからない子供に「あなたは王だもの、きっと素敵な王様になるわ!」とかなんとか言われてその気になっちゃった莫迦皇子、みたいじゃないですか(T T)。





そして、そのチュシンの王の目覚めを目前で見たホゲは惑う。
…俺は、何のために玉座を望むのか?と

チュシンの星の輝く夜に生まれたから?
王座を切望していた母(本当は、自分が玉座に座りたかった)のために?
(幼い頃から王たるために鍛錬を重ねてきた)自分自身への褒美として?

タムドクは、世界を支配するためではなく、新しい世界を創るために、
忌避してきた玉座を希むことにした。

…ならば、自分は?


自分の手の中に何もないことに気づいたとき、“英雄”としてのホゲは、壊れてしまう。
他人(母だけど)の希みを自分の望と見間違えたときから、少しずつ始まっていた崩壊が、自分の真実の希みが何か見失ったことを知って、歯止めが外れてしまう。

そこにつけこんだプルキルの悪意が、怖かった。



最初に観たとき、私はごく素直に「どうしてプルキルはそんなにホゲに執着するんだろう?」と思ったんですよね。
実はホゲが好みのタイプだったのか?とか、勝手に邪推してたりしたんですけど(苦笑)。

今回あらためて観て、プルキルは最初から知っていたのかもしれないな、と思いました。
最初から、ホゲがチュシンの王ではないことを知っていた
チュシンの王ではないからこそ、自分の付け入る隙がある。
自分の思うように操ることができるだけの、隙が。

炎の巫女の預言を与えて、ホゲの魂を闇に堕し、自分のものにする。
英雄でもある彼をうまく操って、神器を集めさせる。真実のチュシンの王が座る玉座でないならば、神器さえあればどうにでもなる。
……そんなことを考えていそうな感じ。

真実のチュシンの王が座ってしまえば、神器を集めたくらいでどうなるものでもない。
それこそ、チュシンの王の血を引く子供の血で神器を洗うとか、そういう困難な儀式を必要とする。
…だったら、嘘で玉座を埋めてしまえばいい、と。





そうしてホゲは、「あなたこそチュシンの王なり」との預言を与えてくれた炎の巫女に縋りつく…。

それは最初から、愛ではなく、執着だった。
自分がキハを愛していないことを知りながら、
キハが自分を愛していないことを知りながら、
それでもキハを手放すことができない。キハがいなければ、自分はチュシンの王でいることができないから。

紅玉と引き換えにキハをプルキルに渡したとき。ホゲは自ら、炎の巫女の預言さえ否定する。
「俺はチュシンの王ではない。…だが、そんなことは関係ない」
俺は、高句麗の王になるのだから、と。


どんな国を創るのか。
ここに到ってもまだホゲははっきりとしたイメージを持つことができない。
彼は英雄。偉大な王を得て仕えることができることが、彼にとっても国にとっても一番の幸せ。
そして、その次の幸せは、平時の王となることだった。

でも、今は変革の時代。チュシンの星が輝きを放った後。
平時の王は勤まっても、導く先の見えない英雄に、変革を乗り越えることは出来ないだろう。
…“チュシンの王”でなければ。









ところで。

キハとホゲの「愛の無い結婚」の場面での、騎馬隊長の(祐澄)しゅん様(チョク・ファン将軍)の芝居が変わっていたんですけど……いつからなのっっ!?
正月休みに観たとき、ホゲ様をじぃーーーーーっと凝視するチョク・ファンの視線の強さに、真剣に心が震えたんですけどっ!

なんか、こないだは普通にパーティーの客と談笑していて、ホゲ様の方なんて全然見てなかったんですけど(T T)。ええーーーっ、なんでぇー?小池さんに注意されたんでしょうか…ぶつぶつ。


靺鞨(まっかつ)での戦闘場面で、ホゲの方針(虐殺してでも神器の情報を集めろ)に真っ向から反対したチョク・ファン。私は、この場面を見るたびに、小野不由美さんの「十二国記」シリーズの短編集、「華胥の幽夢」に収録された「乗月」を思い出します。

「王」の間近で、その「王」の悪政に悩んだ重臣が、王を討った、その後の物語なのですが。
重臣がその「王」のことを語る場面がとても印象的で。

『今から思えば』と、小野氏の筆は地の文で喝破する。
『彼は、王の転落をあれ以上見ていたくなかったのだ。なぜそんな、自らに泥を塗るようなことをする、自らを玉座と誉れから追い落とすようなまねをするのだ、と叫びたかった』

話自体は「太王四神記」とは全く関係のない物語なのですが、この靺鞨での場面と、その後の結婚式でのチョク・ファン将軍の苦しみは、そういうことなのかな、と思ったんですよね。
武芸には自信のあった自分でさえ、「腕を磨いて出直します!」と言わざるをえない英雄が、誰からも愛されて、市民たちにも人気のある御曹司が、なぜそんな愚かな真似をするのか!?と。

虐殺などしなくても、無理な戦争を始めなくても、
そもそも神器などなくてもいいじゃないか!…と。

『チュシンの王』でなければ王座に就けないわけではない。
実際、ヤン王は神剣を胸に享けて死んだ。ということは、「真の王」ではないということ。
4つの神器を集めなくても、玉座に就くことはできるのだ。
タムドク皇子を斬って、天地神堂を切ればいい。
どうせ五部族会議(選帝候みたいなもの)はヨン・ガリョに掌握されている。
放っておいてもホゲを推すはず。

なのになぜ、罪を犯してまで『チュシンの王』にそんなに拘る?



結婚式で食い入るようにホゲ様を見凝めるしゅん様を見ながら、そんな妄想の声を聴いていたのですが。
……違ったのか……ちぇっ(涙)



まぁ、チョク・ファン将軍は最後までホゲについているわけで(←そりゃそうだ)、
そんなに思い詰めて、チョク・ファンがホゲを討ってしまったら話がひっくり返ってしまうので。

仕方ないかな、と思ったりもしつつ(汗)。





世間一般では、こういう(食い入るようにホゲを凝視している)イメージがあるのはイルス(日向燦)のようですが。
イルスさんは、元々ヨン家の家司みたいなので、ある意味ホゲに従うのは当たり前なんですよね。
元々騎馬隊長という役職にあり、ヨン家の者ではないはずのチョク・ファンが惚れてしまう(←妙な意味ではありません)ところが好きだったんだけどなー。なんといっても、イルスはホゲに従うばかりで反論がないところが萌え足りない(苦笑)。



ホゲ様のラストで、全身で絶叫するマメちゃんと、小さく呟きながら(←ほとんどマイクには入ってない)、呆然と崩れるしゅん様。私はストイックな人に弱いのかなあ(*^ ^*)。




日本青年館にて、雪組公演「忘れ雪」を観劇してまいりました。


とりあえず、千秋楽も過ぎましたのでネタバレします。
(前回も書きましたが、原作は未読ですのでご了承ください)


まずは、桜木一希(音月桂)。

キムちゃんの芝居って、以前も書いたことがあると思いますが、凄く情が深いんですよね。
濃すぎるくらいの、一つ間違えばウザくなってしまうくらいの熱量があるタイプ。

一希は、本来ならもっと優柔不断な根っからの犬猫オタクであるべきなんじゃないのか?と思うんですけど、キムちゃんはむしろ、母の死によるトラウマを重要視して、外部へのアクセスを閉ざした引きこもりタイプと解釈して演じているのかな、と思いました。
深雪と出会った高校時代の一希(帆風成海)が、明るくて優しい「おにいさん」タイプだったことからの想像ですけれども。


表面上は誰にでも優しくて、でも、内面には誰も踏み込ませない、そういう青年。
愛することにも、愛されることにも怯えている。他人と深い感情をやり取りすることができないタイプ。
そして、そうなってしまったきっかけは、母の死だという解釈なんだろうな、と。



東宝劇場で上演中の月組「夢の浮橋」も、“愛しすぎた罪”をテーマにした物語ですが、「忘れ雪」も、根底にある設定はよく似ているんだな、と思いました。
…似ているのは設定だけで、そこから生じる事件は全く違いますけれども。

夫を愛しすぎた挙句、次第に壊れていく母を近くで見守っていた「長男」という一希の立場。
甘やかされた「末っ子」としての満(大湖せしる)の立場。

その結果として、父親(未沙のえる)は酒におぼれ、長男は心を閉ざして精神的“ひきこもり”のまま動物病院を継ぐ。
ちなみに、グレて“半端者の世界”へ行ってしまったらしい末っ子も、案外ちゃんと家に帰ってきてるし、看護師の静香と仲が良いってことは病院にも顔を出しているらしい。…いい子じゃないか(^ ^)。いい家族なんだなーと思います。
それを、鳴海との対比という形でもっと表に出しても良かったのに、と。




…ま、それはともかく。

この作品において、児玉さんはどうして一希の両親のエピソードを説明台詞ですませたのかなー?と不思議に思います。
これが無いから、どうも話がよくわからないということになる。鳴海父子の関係とか、鳴海父と南のエピソードとか、深雪と義父のエピソードも同様。どうも、「大人側の事情」が全然見えてこないのが全体のストーリーを意味不明にしているような気がしてならないのです。



なにも、齋藤さんみたいに一希をマザコンにする必要はないんですよ。
でも、一希が高校時代と7年後で全く別人のように(実際別人だっていうのは置いといて)なってしまったことの契機となったのが母の死であるならば、そのエピソードは入れて欲しかった。
どんな芝居であれ、主役が首尾一貫した性格でないと観ている方は混乱するんです。たった7年で人格が変わってしまうなら、せめて「こんなことがあったら、変わっちゃっても仕方ないよね」という納得がほしい。

壊れていく母親にすがり付いて泣いている満と、必死で世話をする一希、みたいな回想シーンを入れてもいい。
父親に抗議する満だけじゃなくて、その時の一希の立場をもう少し明確に描くだけでも違う。
それも無理なら、せめて鳴海との会話の中で「いろんなことがあったから、高校時代のことは何も覚えていないんだよ俺」とか独白するだけでもいいんです。
とにかく、“ちょっとオクテで引っ込み思案だけど、心優しい普通の男の子”だったはずの一希が、7年を経て“優柔不断で潔癖症の子供みたいな男”になった理由を納得させてほしいんです。

ついでに、記憶障害の理由も、な……。

10代の女の子は変わりますから、7年も経ったらそりゃー深雪の顔はわからなくても不思議はないですけど、クロスの名前を聞いて、十字架の傷跡をみて、それでも気がつかないってどゆこと!?ホント、真顔で“ホンモノの一希はどうなっちゃったんだろう?ここに居るのは誰なんだろう……”って考えこんじゃいましたよ…(T T)私だけ?




…ま、それはともかく。
キムちゃんの「本当に」凄いところは、そんなオタクで優柔な引きこもり青年が、深雪の本音を聞いた途端、情熱を取り戻し、熱く燃え盛る火の玉みたいになっても違和感がないところ(^ ^)。
愛に怯え、好意を寄せられることにさえ嫌悪感を抱いていたはずの一希が!?とか思ってしまいそうな場面なのに、なぜか納得してしまうのは、その前に深雪に魅かれている一希が観客に見えているからなんですよね。
あのしょうもない遊園地の場面(マーチングバンドは楽しいけど、意味が無いにも程がある)と、それに続くマリア公演の僅か2場面で、実に丁寧に感情の動きを表現している。
深雪に魅かれていく自分へのとまどい。

その思いが、自ら張り巡らせた囲いをトントン叩いていることを、自身もなんとなく気づいている。

だから、深雪への気持ちを自覚したときに、いろんなものを叩き壊してやっと外へ出てきた「一希」は、子供のように自由で思い込みが強くて、猪突猛進なキャラになっているんです。
今まで閉じ込められていたから、そういうところだけが突出している。




……あの手紙を読んだら、男なら“怖い…”と思うのが普通なんじゃないか、とか言っちゃいけないんだろうなあ(^ ^;ゞ





鳴海昌明(凰稀かなめ)。
バウと青年館で観て、一番変わったなーと思ったのはテルくんでした。
まだまだ、『駄作をちからづくでなんとかする』域には全然達していないんですけれども、「自分がやらなくてはならない」という自覚を持って役に向き合うことができるようにはなったみたいだな、と、少し安心しました。

作品の中での自分の役の立場をきちんと把握して、全体のバランスを見ながら芝居をしようとしていたのが嬉しい。
まだまだ成果としてはキムちゃんにおんぶに抱っこでしたけど、「公演の二番手」という立場で“やるべきこと”を、ちゃんと考えられるようになったかな、と。

星組に異動して、どういう立場になるのか判りませんけれども。とにかく、その美貌とキャラクターを武器にして、挫けないでがんばってくださいねっ!!


正直、鳴海という役はテルくんには難しい役柄だったと思います。
なくとも児玉脚本での鳴海は、攻めでヘタレでM、という、ある意味すごく難しいキャラでしたから。

そもそも、テルくんには攻めキャラが難しい。圧倒的な美貌とスタイルで、立っているだけで視線を集めてしまうテルくんには、状況に流されてどこまでも彷徨ってしまうクライドが良く似合っていました。受け身でヘタレでどM、というキャラクターが。

Sなキャラはできるんですよね。本音を見せないロジャー(マリポーサの花)はOKでしたから。でも、攻め(=能動的に行動する)キャラクターは難しい。
あくまでも受け身の役者なんですよね。

児玉さんの脚本を素直に読めば、鳴海は一希に熱烈に恋をしているとしか解釈できないはず(真顔)なのに、テルくんの鳴海はどうしてもそうは見えなかった。かといって、深雪に恋しているようにはもっと見えない(描かれていない)。
だから、何故鳴海が深雪を一希から隠すのか理解できないんです…。
鳴海と深雪、二人の場面が一つも無いのに、どうやって恋心を表現しろっちゅーねん!?って感じですけどね(T T)。児玉さん的には、『鳴海が愛しているのは一希だけ。一希が深雪を愛したから、鳴海も深雪に恋してみることにした』っていう設定だから鳴海と深雪の場面なんていらないのよ★ってなところなんじゃないかと思うんですが、その設定間違ってるから!!>児玉さん


テルくんの芝居は根本的なところが優しくて可愛いので、一幕は良かったと思います。深雪との場面がないのはテルくんの責任じゃないし。
でも、二幕になると完全に破綻してしまう。深雪への恋情も、父親(飛鳥裕)への甘えまじりの反発も、どちらも表現しきれない。まぁ、父親との確執については飛鳥さんの責任も大きいんですけど(涙)、それにしても無理すぎる。
それがバウでの正直な感想でした。

でも。青年館では父親との会話の雰囲気が少し変わっていました。
バウではもっと、拗ねた子供のような甘えた感があったと思うんです。直前の一希との会話での狎れた雰囲気を引き摺っていて。その、なんというか“べたべた”した感じがラストの告白に繋がらなくて、すごく妙な印象が残りました。
それが、青年館では、一希との会話が終わってスツールを立った瞬間、それまでの甘えたな感じが消えて、ぴったりとシャッターを降ろしたような感じがしたんですよね。
豹変した、というか。

息子として“父親”に無闇に反発するのではなく、一人の青年として納得できないことに反論している感じを出したいのかな、と思いました。…残念ながら出来てはいなかったし、そもそも飛鳥さんがそういう変化を受け止められなくて全然ダメダメだったんですけど、テルくん自身が能動的に芝居を創ろう(動かそう)としたことを評価したいです。



個人的には。
差し伸べた手を一希に力いっぱい振り払われた瞬間のテルくんの苦しげな瞳に、クラッとできなかったのが残念でした。

視力を喪った深雪と一緒に逃げようとする鳴海。
「恋人が蛇になったら、自分も蛇になって共に生きる」…それが彼の、優しさゆえの選択。

でも、それはただの逃避で、現実の否定にすぎない。
彼は、一希に手を振り払われて初めてその事実に気づく。
自分には、一希を救う権利が無いことに。

あのとき、外科医の彼は一希が長くは保たないことを知っていた筈ですよね。
それでも行かせる……
……そういう、濃すぎる想いって……テルくんの一番の不得意分野だよな……。



テルくんの鳴海なら、原作どおりに静香さんが一希を刺した方が良かったと思います。>児玉さん






金井静香(愛原実花)。
脚本的には何一つ書き込まれていないのに、ミナコちゃんが立っているだけでナイトメアのオーラが漂うようで、ワクワクしました。
原作ではもっとヤバい人なんだろうな(宝塚で、若いスターが演じる役が原作より悪い人になることはまずあり得ないので)、とか想像しつつ、宝塚離れした悪意のあるキャラクターを見事に造形してのけるミナコちゃんに心底感動しました。
素晴らしい。



たぶん、この物語の中で真実「ピュア」なのは、一希と静香の二人だけなんですよね。
たった一つのことだけを思い詰めて、その一色に心を染めあげてしまった人。
鳴海にも深雪にも、邪念があった。父親への反発とか、一人ぼっちになることへの恐怖とか、一希へのライバル心とか、功名心とか。
でも、一希と静香には、それがない。

“深雪を迎えにいく”という一念を貫くために、命も鳴海もいらないと思った一希。
“一希が欲しい”一念で心を闇に染め上げて、“アチラ側”へ行ってしまった静香。


愛は人を幸せにするけれども、恋は人を鬼にする。
でも、もしかしたら。
鬼になってしまえるのなら、その方が幸せなのかもしれない……。

共に、鬼になって傍に居てくれる人がいるのなら。




…ミナコちゃんなら、最後に一希を刺すところまでキチンと説得力をもって創りあげてくれただろうに、もったいない……。




あれ?長くなってしまった。なんでだろう。
……すみません。続くみたいです……(嘆)。






宝塚歌劇団雪組の、
81期のゆり香紫保さん、
86期の谷みずせさん、穂月はるなさんの3人が、東京宝塚劇場千秋楽をもって卒業することが発表されました。


すでに発表済みの白羽ゆり嬢(84期)と合わせて、4人。
誰が辞めても寂しいのにかわりはないのでしょうけれども、4人とも悲しいなあ。

ラギちゃんが卒業されて、これからは仲良しさんだったジャニーズ系美少年・たにやんを応援しよう!と思っていた矢先でした。
「星影の人」で、きゃびぃ(早花まこ)と二人でヤンヤヤンヤしていたはるなちゃん、「Joyfull!2」でも「ミロワール」でも、ラギちゃんと組んで踊ってくれたはるなちゃん、本当に本当に、可愛くてお気に入りだったのになぁ…(T T)
そして、ラギちゃんやシナちゃんの最後の白い服に、可愛いキリンとゾウのアップリケをしてくれたゆり香さん。雪組は上級生が少なくて、灯さんが卒業された今、娘役の一番上はゆり香さんだったんですよね。下級生にとってはすごく心強い存在だったんだろうと思います。
となみちゃんももちろん残念だし、4人とも……(T T)。

最後の公演が、素敵な作品になりますように☆





さて。
日本青年館「忘れ雪」。

今日は、橘深雪さん(舞羽美海)から。

みみちゃん、とりあえず、ランドセルが似合ってたことに驚きました。
どちらかといえば学年の割に大人っぽい美貌だと思うし、ダンサーでスタイルも良くて、あまり子供っぽい感じでは無いはずなんですが、本当に違和感なく小学生でしたね。
不思議な人だ。

そして。
私はずっと、彼女が絵を描く人だというのをもっと前面に出せばいいのに、と思っていました。
事故によって彼女が喪ったものは、ただの視力ではなく「絵を描くことそのもの」であり、「画家としての未来」でもある…んですよね。

巴里へ留学してまで勉強してきた、絵。それを奪われた深雪。
深雪はただ、「眼が見えなくなった」から一希の前から逃げたのではないのだろう、と思うのです。
夢を喪ったから、もう一希の前には出られない、と思った。
新しい夢を見つけるまで(そんな日はこないかもしれないけれども)、夢を追い続けるあの人のもとに戻ることはできないのだ、と。

去年の年末に上演されていた宙組の「Paradise Prince」のキャサリンの迷いが思い出されて。
…その作品力のあまりの違いに、涙が出ました。
児玉さんには、そういう意図は全くないだろうことが余計に腹立たしい。もうちょっと考えるべきことがあるでしょう!サックスやマーチングを練習させるよりも、もっと大事なことがあるんじゃないのかっ!?(怒)

………いかんいかん、落ち着け自分。




「絵の勉強」を、義父や婚約者から逃げる方便につかっただけにしか見えなかったのが残念です。
深雪は、もう少し前に義父や南と対決するべきだった。
対決した上で逃げ出すならいいんです。養女にすぎない彼女の立場が弱いのは仕方が無いんだから。でも、その場面は入れるべきだった、と思う。

そちらの家庭での様子が全くわからないので、深雪が今まで長いこと遠慮して小さくなって生きてきたのか、そうでもないのか、南との婚約も強圧的に決められて断れなかったのか、マリア公園で一希と静香のデートを目撃した深雪が自棄を起こしてOKしただけなのか、そのあたりが不明なままなのですが…

まぁ、義父っていっても赤の他人ではないわけで、深雪から見たら「叔父さん」になるのかな?両親が死んで、伯父さん(葵吹雪)のところに引き取られたらその伯父の家が破産して、「京都の弟」のところに行った、んだから、叔父さんですよねぇきっと。
ランドセルを背負った可愛い小学生だった深雪と、7年が過ぎて美しく女らしく成長した深雪に、人格的な変化がない(←子役を使わなかったので当然)ってことは、そう虐待された生活を送っていたわけではなく、まあちょっと遠慮がちではあったとしても普通に生活していたってことなのかなー?と思うんですよね。
そうなると、南との婚約も自棄を起こした深雪自身が「Yes」と言ったとしか思えないわけで。
それを「何も言わずに一人で巴里へ行きます」って………
おいっ!!と思うわ(^ ^;


もうちょっと、鳴海と父親くらいの扱いで、深雪と義父の親子関係も示しておくべきだったんじゃないか、と思います。
……んで、深雪義父はにわにわ(奏乃はると)でお願いします、是非♪♪(言いたかったのはそれか!)



一幕ラストと二幕ラスト。深雪は二回(正確に言うなら、最初の京都行きを含めて三回)一希の前から姿を消すわけですが。

なんだかねー、せめて二幕の方だけでも、
絵を描けない私なんて生きる意味がないわ、とか、
一希さんの貌も見えないのに、傍にいちゃいけないんだわ、とか、
そういうのが欲しい。
じゃないと、一希がすごく無駄死ににみえるので。

……いや、実際無駄死にじゃん、って言われると返す言葉がないんですが(T T)。






笹川宗光(緒月遠麻)。

鳴海代議士(飛鳥裕)の秘書。
……いや、あんな政治家秘書ありえないでしょ。眼つきが悪すぎですから(- -;

いやー、バウで見たときは「フェルッティよりはだいぶマシか…」以上の感想はなかったのですが。

青年館で一番心が震えたのは、キタロウでした。
キタロウの「昌明さん」は、危険物だと思います。

この人、危ない。
反射的にそう思ってしまいました。
この人、ヤバい。だってこの人、なんだかんだ理屈つけてるけど鳴海代議士のことなんてこれっぽっちも考えてないでしょ!
愛しているのは昌明だけ

昌明のために彼の恋敵を潰そうとしたのか、あるいは、昌明が惚れた男が憎かったのか?
……どっちだよ、おい。

っていうか、後者ですよね?だって、一希が邪魔なだけだったらあんな手間隙かけて楽しそうに暴力を振るう必要無いんですもの。薬でも飲ませて、海に放り込んでThe END。あんな中途半端に暴力を振るってちゃったら、最終的に口を封じたっていろいろバレちゃいそうだし…。だったらさっさと(恋しい「昌明さん」にバレる前に)ヤっとけ、って!!




で。

そっと告白します。
私は、この公演みて、結構マジで泣いたんですが。

一番号泣したのが、ミナコちゃんの「先生を誰にも渡したくなかったからっっっ!!」という絶叫で、

その次が、キタロウの「…昌明さん……っ」でした……(^ ^;ゞ

あははははは(腐)。






気を取り直して、一希の弟、桜木満(大湖せしる)。

あははははー、満が出てくるたびに、「えっとこの話、時代はいつだっけ」と思いました。
まぁ、“半端者”は得てして時代遅れな服を着ているものですが、それにしてもさぁ……

それでもステキでした。せしる好きだー!!ああいう“チャラい”役をやらせると本当に絶品だと思うんですよ(*^ ^*)。ビジュアル万歳。ヘタレなツッパリ万歳。

…誰だよ、せしるにチャモロだのネロだのやらせやがったのは。



「兄貴のことは諦めなよ…」
静香さんに対して、不器用に思いを告げる満がかなり好きです。ミナコちゃんの受け方がいいのもあって、すごく切ない場面に仕上がっていた。せしるの不器用さがすごく愛おしいです。
そんな満に「そういう兄貴、きらいじゃないぜ」とか言わせてしまう児玉さんを東京湾に沈めたいんですけど、いいでしょうか。…まぁ、あの台詞を衒いもなく言えるせしるが一番凄いのかも、と思ったので、差し引きゼロでいいんですけど。
でも、結局とっ捕まって、そこでまた無駄にしょうもないことを言っちゃう満。ああ、本当に児玉さん、何を考えているんだ。何も言わないで、「……ごめん兄貴、ドジ踏んでホントごめん…」だけにしておけばいいのにっ!!



ここで笹川たちが「待ち構えて」いるのは、鳴海の密告があったからなんですよね?
鳴海は、父親の立場を守るタメに、そして深雪を得るために、親友を売った。

「一希には瑕をつけるな」とは言ったにしても、
「ライターからお前の正体がわかったらしい。適当に誤魔化して追い返せ」って言ったつもりだったとしても、
売ったことにかわりはない。

鳴海が、どんなふうに笹川たちに指示をしたのかがどうしても想像できなくって、児玉さんが(そしてテルくん本人が)どういうふうに考えて組み立てていらっしゃったのかが知りたいです。
深雪へ向かう気持ちを表現する場面がなかったのも残念。モノローグの歌一曲では無理でしょう普通。そういう、脚本にあいた大穴を埋められるようになったら鬼に金棒なんだけどなあ、テルくんは。




ところで。
なんで笹川たちはライター一個でそんなに逆上すんの?
たかがライターひとつ。警察に証拠物件として認められてもいない、本当に事件と関係しているのかどうかだってわかりゃしないものなのに。
死体の下になっていたとか、血痕がついてたとか、事故の直前まではそこにはなかったとか、何かそういう条件があるならまだしも、浮浪者(葵吹雪)が小遣い稼ぎのために適当なことを言って、そこらで拾ったライターを出した可能性だって否定できないのに…。
なのに、何故…?





中里信一(蓮城まこと)。

「腹に一物」抱えているひとたちと、「ピュアすぎて」闇に堕ちてしまった人たちしか出てこないこの物語の中で、唯一中里くんだけが普通でまともな人物でした。
とにかく普通の人。可愛くて優しくて、抜けてるんだけど意外とよく見てて、陽気で、元気で、歌が巧くて(?)、彼がいてくれるだけで、空気が明るくなる、そんな感じ。
鼻歌は毎日日替わりだったみたいですね。よくがんばった!!

満の静香さんへの気持ちは案外突っ込んで描いてあったのに、中里くんの気持ちはすごくおざなりだったのが微妙でした。もう少し突っ込んでもいいと思うんですが。「テリアの形の海苔」だけじゃなくって、ね。
あと、年齢設定が微妙だったなあ……眼鏡をかけると逆に大人っぽい感じになるんですね、キングって(*^ ^*)。いっそのこと、一希よりずっと歳上設定にしてしまう手もあったのでは、と思いました。清一郎(未沙のえる)の助手として長年勤めてきたベテランで、静香の狂恋をそっと見守る、みたいなスタンスの人にしても良かったのでは、と。
原作どおりなんですかねぇ…。
……掃除しないと鼻歌が歌えないから、下っ端にした、とか?(←ありそうで嫌だなあ)





最後に、高校時代の一希(帆風成海)。

みみちゃんと同期、ですか………わか~い!
高校時代を別人にする必要があるのだとしたら、キムちゃんより童顔でキムちゃんより子供体型で…っていうと帆風さんしかいないな、と納得できる人選ではありました。
仕草やらなにやらは、もっさりしていて垢抜けない感じでしたけど、一希の生来の優しさとオクテな感じは良く出ていたし、いい配役だったと思います。この学年にしては声も出来ていたし(*^ ^*)。これから痩せていけば、いい男役さんになるんじゃないでしょうか♪
次回大劇場の「ゾロ」でも、早速役がついたみたいなので(真那春人くんにはまだつかないのに/涙)、ぜひぜひがんばってほしいです!!

むしろ、深雪の子供時代は違う子の方がよかったと思うのですが、香盤を見ると娘役の最下がみみちゃんなので、無理だったんでしょうねぇ(T T)。

一番笑ったのは、帆風くんを笹川の事務所で見つけたときでした。
高校時代の己にぶちのめされる一希……萌え。





がおりちゃん(香稜しずる)は、メインは二幕ラストの蛇なんですけど、私は一幕のバーアルカトロスの客(最上手テーブル)の美貌に撃ち抜かれてました。いやあん、ホントにカッコイイ。
アルカトロスは、バーテンさんたちのダンスもカッコイイし、踊り子さんたちも可愛いし、思いっきり眼が泳いでました。
相変わらず花帆杏奈ちゃんが気になる私。ショーシーンの最初で、バックライトに浮かぶシルエットのラインを見て「おっ、イイオンナ♪」と思ったのが杏奈ちゃんでした(^ ^;ゞ。見惚れるわ~~!




二幕の刑事は、にわにわとがおりちゃん。この二人、本当にリアルで滅茶苦茶ステキでした。もっと出てくればいいのにーーーーっ。
にわにわの“つかみどころの無い”いやらしさと、がおりちゃんの性急な青さ。いいコンビネーションで、きっと検挙率高いんだろうなあ~と思わせるコンビでした。



卒業されてしまった葵さんは、深雪の伯父さんとか浮浪者とかあちこちで活躍しまくりでしたが、個人的なツボは、アルカトロスのバーテンさん。ショーを観ながら、なんか一人まぁるいひとがいるなー、と思ったらあーたんだった(汗)。ステキすぎる。


一希と深雪がデートをする遊園地の天使は、じんじん(神麗華)。「ホフマン物語」のピティキナッチョ(未沙のえる)をちょっと思い出してみたりしました。笑顔が可愛くてしっかり踊ってくれるじんじん、すごい良かったです。ありがとう児玉さん。



そして最後に、深雪の婚約者・南信一(真波そら)。

雪組の誇る美形軍団の筆頭の一人であるそらちゃん。あー、やっぱりカッコイイし、好きだ(*^ ^*)。
でも、やっぱり南の役をちゃんとやらせるのは無理だったんだろうなあ……(T T)。

あまりにも南が意味不明な人すぎるので、せめてあと二場面は欲しいんですよね。
一幕で、深雪義父と二人、あるいは深雪を入れて三人で今後について話し合う場面。
そして、二幕で深雪を探して一希のところに来る場面、あるいは、飛ばして鳴海代議士と対決する場面だけでもいいです。
この作品を物語として成立させるためには、かなり重要な役だと思うんですが……。

うーん、ホントはキタロウと逆の方がよかったような気がします。
そらちゃんの笹川は、キタロウとは違う意味で怖くてよかっただろうな、と思うし。




ただ観ながら思ったことを書いているだけなのに、結構不満が多いなあ。
面白かったんですけどね。やっぱりあれじゃあ役者が気の毒だもんねぇ。


それでも、挫けず諦めず投げ出さず、最後まで踏みとどまってがんばった総勢30名(専科の未沙さん含む)のがんばりに、大きな大きな大きな拍手!!を。

そして、この作品で卒業された葵さんの歩み往く道に、幸いの多からんことを祈って。