日本青年館宙組公演「ヴァレンチノ」。
月曜日の今日は、花組さんの休演日だったおかげで、客席がとっても豪華でした♪
壮さん、まりんさん、まぁくん、由舞ちゃん、だいもん、浦輝さん、アーサー、、、、OGでは(花影)アリスちゃん、紫陽さん、、、他にも何人か。あと、私は気がつかなかったんですが、安奈淳さんがいらっしゃってたそうですね。わー、すごいなー。
奇跡の再演の初日があいてから、2日。
わずか2日で、これまた奇跡のように進化している舞台に、瞠目しました。
一人ひとりの集中力が30人分集まると、こんなに凄いものになるのか(@ @)。ルディーやジューンたちメインキャストも素晴らしいけど、今回本当にすごいなあと思ったのは下級生たちです。通し役でこそないけれど、だからこそ、この短い公演時間にいくつもの役を生きる彼女たちが、それぞれの場面を精一杯に生きているのが印象的でした。
彼らがそうだからこそ、真ん中でストーリーを進めるルディーが、ジューンが、ナターシャが、ジョージが活きてくる。そういうところも、小池さんの天才ぶりがよくわかる、ような気がします。
で。
まずは、ドラマシティの時に書いていた文章にリンクさせていただきます。
http://80646.diarynote.jp/201103280224255887/
http://80646.diarynote.jp/201103290306101259/
http://80646.diarynote.jp/201103300312546724/
そのうち続きを書こう…と思っていたんですが、おそらく公演期間内に書き終わることは不可能だろうなあ……さて、どうしたものか(^ ^)。
まずは、【3】までに書いた部分で、ドラマシティの時とは大きく変わったことがあれば、それを書こうと思ったのですが。
「大きく変わった」ことは、無い……かな?
細かいところはいろいろと変ったような気がするし、全体から受ける印象はずいぶん違うのですが、台詞や動きがすごく大きく変わったところは無い……ような気がする。
でも、何かが違う。何か大きなものが変った。
そんな気が、します。
たとえば、ナターシャ。
回数を重ねるにつれて、段々と明確になってくるキャラクターの違い。
……うまく書けるかわからないんですが。
ドラマシティのナターシャは、それなりに才能のあった新進デザイナーが、恋に目がくらんで、そして、自分の真実から目を逸らしたために自滅してしまった……と思ったのですが。
青年館のナターシャは、そもそもの登場から、あまりスタッフに敬意を払われていないような気がしました。
ナターシャの才能とセンスを讃えるのは、ナジモヴァだけ……に見えるんですよね。
大女優ナジモヴァのお気に入りだから、みんな何も言わない。
ナジモヴァとナターシャの間に恋愛感情があるかないか、って話をしているんじゃないんですよ。せーこちゃんとカイちゃんのコンビに恋愛感情の入る隙間(?)は無いんですけど、ただ、ナジモヴァが認めるナターシャを、スタッフたちは否応なく受け容れるしかない……という空気をなんとなく感じるのです。
ある意味、ナターシャが、二幕で出てくる「ムッシュ・ボーケール」のヒロイン・ビーブ(妃宮さくら)の同類のようにも見えました。
ラスキー(寿)の愛人で、スタッフたちはそれを知り尽くしているから彼女の言うことは何でも聞く。監督のシドニー(月映)も、他のメンバーも。でも、女優としての彼女の才能を認めているかというと、そんな風には視えない。
だから。ナターシャがビーブを悪く言うのが、同類嫌悪のように見えてくる。ラスキーの愛人であることに満足しているビーブと、あたしは違う。大女優ナジモヴァが認めた天才。そう思いたい。だから、思いこんでる。思いこもうとしている。
回りのスタッフたちも、そういう目でナターシャを視ているような気がしてくるんですよね。
「自分」を信じて、「愛される自分」を信じて、そして人を愛してきたルディーの傍で、心を病んでいくナターシャ。自分の才能を過信して自滅したナターシャが、ルディーというインスピレーションを喪って「男爵」と共にアメリカに帰ってきたときの気持ちを想像すると、なんだか泣きたくなるんです。
「The Last Party」のゼルダ。高村光太郎の妻、智恵子。
ルディーはナターシャを喪っても変わらない。彼の心は、自由だから。
だから、ナターシャはルディーを喪っても何も変わらないというフリをする。それが彼女のプライドで、虚飾で、仮面で。
もしも。
もしも彼女が、素直に「ロドルフォ」を愛していたなら。
ファルコン・レアで、ルディーの「家族」になってあげることができていたなら。
……もし、も。
カイちゃんのナターシャが、すごく好きです(告白)
もちろん、すみ花ちゃんのジューンも、みーちゃんのジョージも、ともちんのデソウルも好きだけど。
でも、カイちゃんのナターシャが、すごく好き。
小池さんにもう少し時間があって、ナターシャとルディーの関係をもう少し深めた脚本に直すことができていたらなあ……。
ナターシャと別れ、「自立」を目指したルディーが「監督になりたい」という夢を語るのが、すごく切ないことであるような気がします。別れた後のナターシャを語るエピソードを、もう一ついれて欲しかった。伝聞での「男爵と一緒」だけじゃなくて。
今でも十分に、祐飛さんもカイちゃんも、役者にできる範囲で深めてくださってるんですけどね(^ ^)。観客は欲深いものなんです。
.
月曜日の今日は、花組さんの休演日だったおかげで、客席がとっても豪華でした♪
壮さん、まりんさん、まぁくん、由舞ちゃん、だいもん、浦輝さん、アーサー、、、、OGでは(花影)アリスちゃん、紫陽さん、、、他にも何人か。あと、私は気がつかなかったんですが、安奈淳さんがいらっしゃってたそうですね。わー、すごいなー。
奇跡の再演の初日があいてから、2日。
わずか2日で、これまた奇跡のように進化している舞台に、瞠目しました。
一人ひとりの集中力が30人分集まると、こんなに凄いものになるのか(@ @)。ルディーやジューンたちメインキャストも素晴らしいけど、今回本当にすごいなあと思ったのは下級生たちです。通し役でこそないけれど、だからこそ、この短い公演時間にいくつもの役を生きる彼女たちが、それぞれの場面を精一杯に生きているのが印象的でした。
彼らがそうだからこそ、真ん中でストーリーを進めるルディーが、ジューンが、ナターシャが、ジョージが活きてくる。そういうところも、小池さんの天才ぶりがよくわかる、ような気がします。
で。
まずは、ドラマシティの時に書いていた文章にリンクさせていただきます。
http://80646.diarynote.jp/201103280224255887/
http://80646.diarynote.jp/201103290306101259/
http://80646.diarynote.jp/201103300312546724/
そのうち続きを書こう…と思っていたんですが、おそらく公演期間内に書き終わることは不可能だろうなあ……さて、どうしたものか(^ ^)。
まずは、【3】までに書いた部分で、ドラマシティの時とは大きく変わったことがあれば、それを書こうと思ったのですが。
「大きく変わった」ことは、無い……かな?
細かいところはいろいろと変ったような気がするし、全体から受ける印象はずいぶん違うのですが、台詞や動きがすごく大きく変わったところは無い……ような気がする。
でも、何かが違う。何か大きなものが変った。
そんな気が、します。
たとえば、ナターシャ。
回数を重ねるにつれて、段々と明確になってくるキャラクターの違い。
……うまく書けるかわからないんですが。
ドラマシティのナターシャは、それなりに才能のあった新進デザイナーが、恋に目がくらんで、そして、自分の真実から目を逸らしたために自滅してしまった……と思ったのですが。
青年館のナターシャは、そもそもの登場から、あまりスタッフに敬意を払われていないような気がしました。
ナターシャの才能とセンスを讃えるのは、ナジモヴァだけ……に見えるんですよね。
大女優ナジモヴァのお気に入りだから、みんな何も言わない。
ナジモヴァとナターシャの間に恋愛感情があるかないか、って話をしているんじゃないんですよ。せーこちゃんとカイちゃんのコンビに恋愛感情の入る隙間(?)は無いんですけど、ただ、ナジモヴァが認めるナターシャを、スタッフたちは否応なく受け容れるしかない……という空気をなんとなく感じるのです。
ある意味、ナターシャが、二幕で出てくる「ムッシュ・ボーケール」のヒロイン・ビーブ(妃宮さくら)の同類のようにも見えました。
ラスキー(寿)の愛人で、スタッフたちはそれを知り尽くしているから彼女の言うことは何でも聞く。監督のシドニー(月映)も、他のメンバーも。でも、女優としての彼女の才能を認めているかというと、そんな風には視えない。
だから。ナターシャがビーブを悪く言うのが、同類嫌悪のように見えてくる。ラスキーの愛人であることに満足しているビーブと、あたしは違う。大女優ナジモヴァが認めた天才。そう思いたい。だから、思いこんでる。思いこもうとしている。
回りのスタッフたちも、そういう目でナターシャを視ているような気がしてくるんですよね。
「自分」を信じて、「愛される自分」を信じて、そして人を愛してきたルディーの傍で、心を病んでいくナターシャ。自分の才能を過信して自滅したナターシャが、ルディーというインスピレーションを喪って「男爵」と共にアメリカに帰ってきたときの気持ちを想像すると、なんだか泣きたくなるんです。
「The Last Party」のゼルダ。高村光太郎の妻、智恵子。
ルディーはナターシャを喪っても変わらない。彼の心は、自由だから。
だから、ナターシャはルディーを喪っても何も変わらないというフリをする。それが彼女のプライドで、虚飾で、仮面で。
もしも。
もしも彼女が、素直に「ロドルフォ」を愛していたなら。
ファルコン・レアで、ルディーの「家族」になってあげることができていたなら。
……もし、も。
カイちゃんのナターシャが、すごく好きです(告白)
もちろん、すみ花ちゃんのジューンも、みーちゃんのジョージも、ともちんのデソウルも好きだけど。
でも、カイちゃんのナターシャが、すごく好き。
小池さんにもう少し時間があって、ナターシャとルディーの関係をもう少し深めた脚本に直すことができていたらなあ……。
ナターシャと別れ、「自立」を目指したルディーが「監督になりたい」という夢を語るのが、すごく切ないことであるような気がします。別れた後のナターシャを語るエピソードを、もう一ついれて欲しかった。伝聞での「男爵と一緒」だけじゃなくて。
今でも十分に、祐飛さんもカイちゃんも、役者にできる範囲で深めてくださってるんですけどね(^ ^)。観客は欲深いものなんです。
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東京宝塚劇場にて、花組公演「ファントム」を観劇してまいりました。
とりあえず、Aパターン(ショレ=愛音、セルジョ=華形、シャンドン=朝夏)でした。
蘭寿さん、東京でのお披露目おめでとうございます!!の気持ちを拍手に籠めて。
大劇場でも観たんですが、東宝で、あらためて思ったこと。
蘭トムさんのエリックは、天使のようでした。
「カサブランカ」のヴィクター・ラズロについて語ったときも書いたと思うんですが。
私にとって蘭トムさんって、すっごく格好良いしダンスは素敵だし歌もちゃんと歌えるし……だけど、なんていうか、リアリティのない役者なんですよね。
湿り気がない、というか。あくまでもアメリカン・ヒーローで、すごく前向きで、いつだってポジティヴで。
現世の塵芥にまみれたことのないひと、というイメージがあるんです。
そのキャラクターで、なぜお披露目がエリックなんだろう?と思っていたのですが。
観てみて、なんとなく納得しました。
エリック=天使って、演出的にありだったんだな、と。
カーンと響く、金管楽器系の声質が、軽やかで明るいオケの音(指揮:塩田明弘)との相性も良くて。数々の演出変更がいい方向に作用して、重厚なゴシックロマンから、現代的な作品に生まれ変わった「ファントム」。
とても興味深く、面白かったです。
演出は今まで通り中村一徳さんですが、全面的な振付変更による従者たちのクローズアップといい、数々のセットの変更といい、ちょっとした人の動かし方といい、なんだか今までとは全然意がう印象を受けたところがたくさんありました。
今まで、「ファントム」という作品は音楽は大好きだけど演出がイマイチ、と思うことが多くて、あまり嵌っていなかったのですが、今回は嵌りそうです(^ ^)
中村さんも三回目の上演でいろいろお考えになった部分もあるでしょうし、演出助手さんが新しい感性で手伝った部分もあるんでしょうね、きっと。ちなみに演出助手は、新公を担当した田渕さんと、もう一人、生田大和さんのお名前が入っています。田渕さんも新公を観るかぎり才能ありそうですし、生田さんの才能については私はとってもとっても期待しているわけで(^ ^)。いや、なかなかに羨ましい布陣です。
……お披露目はやっぱり、劇団側も精一杯のスタッフを揃えてくれるんでしょうか(^ ^)。
蘭トムさんのエリックが「現実」を生きていない天使だなあと思ったところはいろいろあったんですが。
あらためて東宝で観て、一番印象に残ったのは「My Mother Bore Me」でした。
「My True Love」を歌ってくれたクリスティーヌに逃げられてしまったのに、絶望しないエリック。
新公の(鳳)真由ちゃんの「My Mother Bore Me」の歌い方がちょっと中途半端だなあと感じていたのですが、そうか!と思いました。
本公演は全く絶望していないから、ああいう歌い方になるのも当然なんですけど、新公は、エリックの解釈が全く違うのに歌い方だけ引き継いでいたから、なんか違和感あったんだな、と思いました。
蘭寿さんのエリックなら、あそこはあのくらい希望に溢れて歌うのが当然で、全く違和感はなくて。あの場面のエリックの確信が強く、そして深ければ深いほど、何もせずに地下へ戻ることができずに、クリスティーヌの姿を視た途端に飛び出してしまうエリックに納得もできて。
なるほど………。
そしてもう一つ、印象的だった変更点(というか、キャラクターの違い)。
今回のクリスティーヌは、フィリップに恋してますよね?
ビストロの後のデートシーン。
「ごめんなさいフィリップ。私はなんだか混乱しているの」
という、クリスティーヌのソロ。
……今まで、宙組版でも花組版でも、ここはクリスティーヌは別にフィリップのことはどうも思ってないのよ、今はちょっと舞い上がって混乱しているだけなの、という場面だと思っていたのですが。
今回に限っては、その次の
「優しいあなたに見守られて歌いたい」「恋に落ちた、そんな気持ち♪」
というフレーズに意味がある、ように見えました。
この場面のラストに、シャンドン伯爵の御者が来るのは以前のバージョンも同じだったのでしょうか?(←覚えてない)
そこのちょっとしたやり取りを見て、すごく二人(クリスティーヌとフィリップ)の心が近い感じがしたんですが。
そして、それと同時くらいに上手から登場するエリック。
まず、仮面を着けただけで、ふつーに花束持ってあらわれるのがとっても好きです。初演宙組の、電話ボックスみたいなセットがぐるっと回るとあらわれるのがすごく不思議だったので(^ ^;。
で。
御者を追うように、仲良く走っていくフィリップとクリスティーヌ。
それを切ない瞳で見送って、新曲「If She Loves Him」を歌うエリック。
ああ、そうなんだ。クリスティーヌは、フィリップを愛しているという設定なのか、と。
エリックに対する気持ちは、「先生」に対する感謝と信頼と、そして、「天使のような美少年」に対する憧れまじりの母性愛、それだけなのか、と。
初演の宙組版を観た時は、クリスティーヌは最初からエリックしか見えていなくて、フィリップがいくらアピールしても眼中にない!という感じでしたし、前回の花組は、そもそもエリックが愛したのはクリスティーヌの声であってクリスティーヌではない、という気がしていました。
でも、今回は違う。
クリスティーヌは、はっきりとフィリップに恋をしている。
ロイド=ウェッバー版の「オペラ座の怪人」のクリスティーヌが、ファントムに「父親」を視ていたような意味で、コーピット版のクリスティーヌがエリックに視るのは、最初は「先生」であり、そして、素顔を知った後では「ピュアな美少年」だった……のだ、と。
絶望しない、「前向き」で「ポジティヴ」なエリック。
エリックに感謝はしても「恋」はしない、現実的なクリスティーヌ。
そして、典型的なヒーロー像の一つとしての「貴族の御曹司」、フィリップ。
私が本公演を最初に観たのは、大劇場の新人公演の日の昼公演で、まぁくんのフィリップだったのですが。
その時はそんなふうには思わなかったんですよね。
フィリップがもっと可愛くて、ふわふわしてて、、、なんというか、エリックと「対等」には視えなかったから、なんでしょうか。
フィリップ単体では若々しくて美形で歌がうまくて、良いなあ…と思っても、やはりフィリップ役には「エリックと対等の存在感」がないと駄目なんだなあ……、と。
とはいいつつ、まぁくんのフィリップも決して悪くはなかったので、東宝でのBパターン観劇を楽しみにしているのですが(^ ^)。
とりあえずは、そんなところでしょうか。
蘭ちゃんは、大劇場で最後に観た時が一番良かったなーー……がんばれーっ!!蘭ちゃんはやればできる!だって大劇場で出来てたんだから!!
蘭ちゃんのクリスティーヌ、私はとても好きです。可愛くてピュアで幼くて、なのに母性がある芝居は、「クリスティーヌ」という役にとっても嵌っていると思う。
これで、歌がもうちょっとだけ安定しさえすれば!!!
……祈。
最後に、新人公演の感想としてエリックのことを書いたページにリンクさせていただきます。
案外ちゃんとエリック論(?)を展開しようとしてたんだな、私。
http://80646.diarynote.jp/201107140301062952/
で。この感想の中で、真由ちゃんの「My Mother Bore Me」について語っていることは、どうぞ忘れてください(汗)。
「演出」と「解釈」の狭間で迷子になっているだけで、技術的な問題ではなかったようですものねっ(^ ^;ゞ
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とりあえず、Aパターン(ショレ=愛音、セルジョ=華形、シャンドン=朝夏)でした。
蘭寿さん、東京でのお披露目おめでとうございます!!の気持ちを拍手に籠めて。
大劇場でも観たんですが、東宝で、あらためて思ったこと。
蘭トムさんのエリックは、天使のようでした。
「カサブランカ」のヴィクター・ラズロについて語ったときも書いたと思うんですが。
私にとって蘭トムさんって、すっごく格好良いしダンスは素敵だし歌もちゃんと歌えるし……だけど、なんていうか、リアリティのない役者なんですよね。
湿り気がない、というか。あくまでもアメリカン・ヒーローで、すごく前向きで、いつだってポジティヴで。
現世の塵芥にまみれたことのないひと、というイメージがあるんです。
そのキャラクターで、なぜお披露目がエリックなんだろう?と思っていたのですが。
観てみて、なんとなく納得しました。
エリック=天使って、演出的にありだったんだな、と。
カーンと響く、金管楽器系の声質が、軽やかで明るいオケの音(指揮:塩田明弘)との相性も良くて。数々の演出変更がいい方向に作用して、重厚なゴシックロマンから、現代的な作品に生まれ変わった「ファントム」。
とても興味深く、面白かったです。
演出は今まで通り中村一徳さんですが、全面的な振付変更による従者たちのクローズアップといい、数々のセットの変更といい、ちょっとした人の動かし方といい、なんだか今までとは全然意がう印象を受けたところがたくさんありました。
今まで、「ファントム」という作品は音楽は大好きだけど演出がイマイチ、と思うことが多くて、あまり嵌っていなかったのですが、今回は嵌りそうです(^ ^)
中村さんも三回目の上演でいろいろお考えになった部分もあるでしょうし、演出助手さんが新しい感性で手伝った部分もあるんでしょうね、きっと。ちなみに演出助手は、新公を担当した田渕さんと、もう一人、生田大和さんのお名前が入っています。田渕さんも新公を観るかぎり才能ありそうですし、生田さんの才能については私はとってもとっても期待しているわけで(^ ^)。いや、なかなかに羨ましい布陣です。
……お披露目はやっぱり、劇団側も精一杯のスタッフを揃えてくれるんでしょうか(^ ^)。
蘭トムさんのエリックが「現実」を生きていない天使だなあと思ったところはいろいろあったんですが。
あらためて東宝で観て、一番印象に残ったのは「My Mother Bore Me」でした。
「My True Love」を歌ってくれたクリスティーヌに逃げられてしまったのに、絶望しないエリック。
新公の(鳳)真由ちゃんの「My Mother Bore Me」の歌い方がちょっと中途半端だなあと感じていたのですが、そうか!と思いました。
本公演は全く絶望していないから、ああいう歌い方になるのも当然なんですけど、新公は、エリックの解釈が全く違うのに歌い方だけ引き継いでいたから、なんか違和感あったんだな、と思いました。
蘭寿さんのエリックなら、あそこはあのくらい希望に溢れて歌うのが当然で、全く違和感はなくて。あの場面のエリックの確信が強く、そして深ければ深いほど、何もせずに地下へ戻ることができずに、クリスティーヌの姿を視た途端に飛び出してしまうエリックに納得もできて。
なるほど………。
そしてもう一つ、印象的だった変更点(というか、キャラクターの違い)。
今回のクリスティーヌは、フィリップに恋してますよね?
ビストロの後のデートシーン。
「ごめんなさいフィリップ。私はなんだか混乱しているの」
という、クリスティーヌのソロ。
……今まで、宙組版でも花組版でも、ここはクリスティーヌは別にフィリップのことはどうも思ってないのよ、今はちょっと舞い上がって混乱しているだけなの、という場面だと思っていたのですが。
今回に限っては、その次の
「優しいあなたに見守られて歌いたい」「恋に落ちた、そんな気持ち♪」
というフレーズに意味がある、ように見えました。
この場面のラストに、シャンドン伯爵の御者が来るのは以前のバージョンも同じだったのでしょうか?(←覚えてない)
そこのちょっとしたやり取りを見て、すごく二人(クリスティーヌとフィリップ)の心が近い感じがしたんですが。
そして、それと同時くらいに上手から登場するエリック。
まず、仮面を着けただけで、ふつーに花束持ってあらわれるのがとっても好きです。初演宙組の、電話ボックスみたいなセットがぐるっと回るとあらわれるのがすごく不思議だったので(^ ^;。
で。
御者を追うように、仲良く走っていくフィリップとクリスティーヌ。
それを切ない瞳で見送って、新曲「If She Loves Him」を歌うエリック。
ああ、そうなんだ。クリスティーヌは、フィリップを愛しているという設定なのか、と。
エリックに対する気持ちは、「先生」に対する感謝と信頼と、そして、「天使のような美少年」に対する憧れまじりの母性愛、それだけなのか、と。
初演の宙組版を観た時は、クリスティーヌは最初からエリックしか見えていなくて、フィリップがいくらアピールしても眼中にない!という感じでしたし、前回の花組は、そもそもエリックが愛したのはクリスティーヌの声であってクリスティーヌではない、という気がしていました。
でも、今回は違う。
クリスティーヌは、はっきりとフィリップに恋をしている。
ロイド=ウェッバー版の「オペラ座の怪人」のクリスティーヌが、ファントムに「父親」を視ていたような意味で、コーピット版のクリスティーヌがエリックに視るのは、最初は「先生」であり、そして、素顔を知った後では「ピュアな美少年」だった……のだ、と。
絶望しない、「前向き」で「ポジティヴ」なエリック。
エリックに感謝はしても「恋」はしない、現実的なクリスティーヌ。
そして、典型的なヒーロー像の一つとしての「貴族の御曹司」、フィリップ。
私が本公演を最初に観たのは、大劇場の新人公演の日の昼公演で、まぁくんのフィリップだったのですが。
その時はそんなふうには思わなかったんですよね。
フィリップがもっと可愛くて、ふわふわしてて、、、なんというか、エリックと「対等」には視えなかったから、なんでしょうか。
フィリップ単体では若々しくて美形で歌がうまくて、良いなあ…と思っても、やはりフィリップ役には「エリックと対等の存在感」がないと駄目なんだなあ……、と。
とはいいつつ、まぁくんのフィリップも決して悪くはなかったので、東宝でのBパターン観劇を楽しみにしているのですが(^ ^)。
とりあえずは、そんなところでしょうか。
蘭ちゃんは、大劇場で最後に観た時が一番良かったなーー……がんばれーっ!!蘭ちゃんはやればできる!だって大劇場で出来てたんだから!!
蘭ちゃんのクリスティーヌ、私はとても好きです。可愛くてピュアで幼くて、なのに母性がある芝居は、「クリスティーヌ」という役にとっても嵌っていると思う。
これで、歌がもうちょっとだけ安定しさえすれば!!!
……祈。
最後に、新人公演の感想としてエリックのことを書いたページにリンクさせていただきます。
案外ちゃんとエリック論(?)を展開しようとしてたんだな、私。
http://80646.diarynote.jp/201107140301062952/
で。この感想の中で、真由ちゃんの「My Mother Bore Me」について語っていることは、どうぞ忘れてください(汗)。
「演出」と「解釈」の狭間で迷子になっているだけで、技術的な問題ではなかったようですものねっ(^ ^;ゞ
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