石田三成~永遠の愛と美【2】
2011年7月9日 宝塚(宙) コメント (4)東京宝塚劇場にて、宙組公演「美しき生涯/ルナ・ロッサ」を観劇してまいりました。
大劇場の千秋楽から3週間弱、私が最後に観てからは約4週間。
どんなふうに変わったかな、とワクワクしながら劇場に入ったのですが。
いやー、面白かったー!
具体的に『ここが変わったな』と思ったところは特になかったんですが、でも何となく、みんなにはゴールが見えてきたのかな?という気がしました。
目指す方向が一致しているのがわかった、というのかな。まだ完全にまとまってはいないけれども、ゴールのイメージは共有できている。そんな感じ。
……妄想かもしれませんが(^ ^;ゞ
ところで。
この作品を観た方にお伺いしたいことがあります。
#まだご覧になっていらっしゃらない方は、この先は読まない方がいいかもしれません。
#というわけで、改行をいれておきます。
みなさんは、この物語において、拾君(秀頼)は誰の子だという設定だと思われましたか……?
お捨(鶴松)は三成の子だと思うんですよ。
少なくとも、茶々と三成はそう思っていたんだろうな、と。
でも。
少なくとも、三成は秀頼を自分の子ではないと思っていたはずですよね?
「豊臣譜代の家臣を騙すことはできない」から、秀頼の影武者を立てることさえ拒否した三成が、秀頼の父親が自分だと知って、それを秀吉の跡取りとして立てることなどできるはずがない。
それは、物語の大前提にある三成の性格上、ありえないことです。
だいいち。
三成は、いくら「茶々に生きる意欲を与えてやってくれ」と言われても、主君の妻を抱くことなどできるはずがない、と思うんですよ。
『愛と忠義を秤にかけたら、忠義が重い男』だ、と、秀吉にも判っていたからこそ命じたのだし、茶々も、わかっていたからこそ『まだ妻ではない』今がただ一度のチャンスと思いきって飛び込んだのですから。
秀吉の申し出を受ける見返りに、恋しい男を手に入れる。
そんな決意で飛び込んだ茶々。
そして、二度目はないとわかっていたからこそ、ただ一度の夜を受け入れた三成。
二人だけの、最初で最後の夜。
そんな二人……というか、三成が、二度目の夜を受け入れるなんて考えられない!
100歩譲って、秀吉の死後ならあり得たかもしれませんけどね。でも、生前はありえないでしょう。
まして、自分の子が秀吉の後継者になったひには、腹を切ってお詫びしてしまいそう。
だから。
秀頼は三成の子ではない。それはもう、大前提でいいんじゃないかと思います。
ならば、秀頼は秀吉の子なのか?
……大劇場ではそう思っていたんですけどね。
東宝で観て、ちょっと考えが変わりました。
秀頼の父親は、疾風なんじゃないでしょうか。
そして、
茶々は、自分を抱いて子供を与えてくれた男が、三成だと信じていたんじゃないでしょうか。
「俺とお前は光と影」と銀橋で歌う二人をみながら、そんなことを考えました。
つまり。
疾風が、三成になりすまして茶々の閨に忍び込んでいたんじゃないのか、と。
そんなことを考えながら、最後まで観て。
夏の陣の片がつくまで、関ヶ原の後15年も茶々と秀頼を護っていた疾風の心中を思ったら、ちょっと泣けてきました(^ ^;ゞ
そして、
「俺もお前のように生きたかった!」
と叫びながら死んでいったデュシャン(byクロスロード)と、
「無理、かな……」
と呟いてセリ下がっていく疾風を、なんとなく比較したくなるのは………私だけでしょうね(^ ^;
まだ東京公演も始まったばかりなので、あまり深く突っ込むのはやめておきます。
ご覧になった方のコメントもお待ちしてます(^ ^)。
さいごにひとつ。
テルくんと祐飛さんの銀橋のデュエットは、またちょっと大劇場公演の前半なみに戻ってしまっていたので、、、、そこはぜひ頑張ってほしいなと思いました。
なんたって、「俺とお前は光と影」なんですから!(^ ^)
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大劇場の千秋楽から3週間弱、私が最後に観てからは約4週間。
どんなふうに変わったかな、とワクワクしながら劇場に入ったのですが。
いやー、面白かったー!
具体的に『ここが変わったな』と思ったところは特になかったんですが、でも何となく、みんなにはゴールが見えてきたのかな?という気がしました。
目指す方向が一致しているのがわかった、というのかな。まだ完全にまとまってはいないけれども、ゴールのイメージは共有できている。そんな感じ。
……妄想かもしれませんが(^ ^;ゞ
ところで。
この作品を観た方にお伺いしたいことがあります。
#まだご覧になっていらっしゃらない方は、この先は読まない方がいいかもしれません。
#というわけで、改行をいれておきます。
みなさんは、この物語において、拾君(秀頼)は誰の子だという設定だと思われましたか……?
お捨(鶴松)は三成の子だと思うんですよ。
少なくとも、茶々と三成はそう思っていたんだろうな、と。
でも。
少なくとも、三成は秀頼を自分の子ではないと思っていたはずですよね?
「豊臣譜代の家臣を騙すことはできない」から、秀頼の影武者を立てることさえ拒否した三成が、秀頼の父親が自分だと知って、それを秀吉の跡取りとして立てることなどできるはずがない。
それは、物語の大前提にある三成の性格上、ありえないことです。
だいいち。
三成は、いくら「茶々に生きる意欲を与えてやってくれ」と言われても、主君の妻を抱くことなどできるはずがない、と思うんですよ。
『愛と忠義を秤にかけたら、忠義が重い男』だ、と、秀吉にも判っていたからこそ命じたのだし、茶々も、わかっていたからこそ『まだ妻ではない』今がただ一度のチャンスと思いきって飛び込んだのですから。
秀吉の申し出を受ける見返りに、恋しい男を手に入れる。
そんな決意で飛び込んだ茶々。
そして、二度目はないとわかっていたからこそ、ただ一度の夜を受け入れた三成。
二人だけの、最初で最後の夜。
そんな二人……というか、三成が、二度目の夜を受け入れるなんて考えられない!
100歩譲って、秀吉の死後ならあり得たかもしれませんけどね。でも、生前はありえないでしょう。
まして、自分の子が秀吉の後継者になったひには、腹を切ってお詫びしてしまいそう。
だから。
秀頼は三成の子ではない。それはもう、大前提でいいんじゃないかと思います。
ならば、秀頼は秀吉の子なのか?
……大劇場ではそう思っていたんですけどね。
東宝で観て、ちょっと考えが変わりました。
秀頼の父親は、疾風なんじゃないでしょうか。
そして、
茶々は、自分を抱いて子供を与えてくれた男が、三成だと信じていたんじゃないでしょうか。
「俺とお前は光と影」と銀橋で歌う二人をみながら、そんなことを考えました。
つまり。
疾風が、三成になりすまして茶々の閨に忍び込んでいたんじゃないのか、と。
そんなことを考えながら、最後まで観て。
夏の陣の片がつくまで、関ヶ原の後15年も茶々と秀頼を護っていた疾風の心中を思ったら、ちょっと泣けてきました(^ ^;ゞ
そして、
「俺もお前のように生きたかった!」
と叫びながら死んでいったデュシャン(byクロスロード)と、
「無理、かな……」
と呟いてセリ下がっていく疾風を、なんとなく比較したくなるのは………私だけでしょうね(^ ^;
まだ東京公演も始まったばかりなので、あまり深く突っ込むのはやめておきます。
ご覧になった方のコメントもお待ちしてます(^ ^)。
さいごにひとつ。
テルくんと祐飛さんの銀橋のデュエットは、またちょっと大劇場公演の前半なみに戻ってしまっていたので、、、、そこはぜひ頑張ってほしいなと思いました。
なんたって、「俺とお前は光と影」なんですから!(^ ^)
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