もうひとつのベルサイユ
2008年9月23日 宝塚(花) コメント (4)「どうして二人(オスカルとアンドレ)は死ななくてはならなかったんだ!?」
『……坊やだからさ』
えっと。
花組全国ツアー公演「ベルサイユのばら アラン編/エンター・ザ・レビュー」を観てまいりました。
いやはや、
……すごい。
ショーは本当に最高でした。エンター・ザ・レビュー、大好きだ!ああ、もう一回観たいっ!!
そして、星組の「ベルナール編」をご覧になる予定のある方は、必見です。
……しかーし。
お芝居は、ほんとーーーーーっ!に凄かった……。
ネタすぎて、ある意味必見なんですけど。
あまりにもすごすぎて、書きたいことが山のようにあるので、ネタバレさせていただきます。
ごめんなさい。
何よりも凄いのは、これが池田理代子さんの原案と銘打たれていることです。
まるっと植田紳爾さんの創作なら、そんなこともあるかもね、と思うけど、この物語のそもそものテーマがディアンヌの兄への道ならぬ片思いだということになると、池田さんの意思も入っているはずですよね…?
ベルばらファンの、誰一人、思いつきもしなかったであろう、ディアンヌ・ド・ソワソンの自殺、衝撃の真相。……池田さんは、あの頃からディアンヌの動機をここにおいていらっしゃったのでしょうか…?こんなスピンオフを創る予定は当然無かったはずなので、ごく漠然としたものではあったとしても。
「エロイカ」に出すくらいには、アランというキャラクターへの愛はあったはずなのに?
……オスカルの死後、アランはどっかの酒場女と気楽にやってる、っていう設定では駄目だったのかなー。
俺の純情はオスカル一人のもの。オスカルのの遺志を継ぐために、今の俺のすべてがある、と思っているアランと、気風のいい、優しくて包容力のある大人の女(アランより年上)。
なんだったら、女の片思いでもいい。アランは、疲れたときは甘えに来るくせに、何かあrば何も言わずに出て行ってしまう身勝手な男。女を邪険に扱って、引き止める女を捨てて暗殺の現場に行くんだけど、最期に「あんがとよ」って言い置いて雪に埋もれて……って、それは違う話だが。
どうしても彩音ちゃんにディアンヌをさせなくてはならなかったとしても、せめて、一場面か二場面、生きたディアンヌも出してあげようよ。
ディアンヌとオスカルを出会わせてもいい。衛兵隊兵士を訪ねて家族がくるところに出しても良かったんじゃないか?
で、アランに妹を悼む歌の一曲くらい歌わせようよ。
幽霊なディアンヌは、アランをそっと見守るだけにして、あんな当たり前のように二人で笑いながら会話して、「お前はちょっと隠れてろ」みたいに背を押したりさせないでほしかった。
ああもう!!
せめて最後に「そろそろお前のところに行きたくなった」みたいなこと言わせるのだけはやめてほしかった!!そんなんアランじゃない!ついでに言えば、キリスト教徒なら、自殺者であるディアンヌの傍にはいけないんだからねっ!!きーーーーーっ!!
……いやー、「ソロモン/マリポーサ」と連続で観たもんで。
頭が痛いのを通り越して、途中から楽しくなってしまいましたわ(^ ^;ゞ
この物語は、雪組の「ジェローデル編」と裏表の関係になっています。
ジェローデル編のプログラムには「1795年10月」と明記して描かれている「ナポレオン皇帝暗殺未遂」事件。
今回のプログラムに明記してあるのは、「バスティーユの戦闘からおよそ10年の歳月が流れた」という一文。
そして、ナポレオンは未だ皇帝ではなく、『第一執政官』の地位にある。
…ちなみに。
史実をあたると、アランとの会話の中で語られる、ナポレオンの権力の源泉となるイタリア遠征は1796年~97年。
彼がクーデターを起こして権力を握り、第一ナントカ(訳語の問題もあるので役職名は省略)の地位につくのが1799年11月9日。バスティーユの陥落(1789年7月14日)からちょうど10年と4ヶ月後。
そして、ナポレオン一世の即位は1804年12月2日。
ジェローデル編のプログラムは誤植で処理するとしても、「新皇帝ナポレオンが即位したばかりの10月」というのはパラレルワールドにしか存在しないんだよね、という突っ込みは、前回は(もうどうでもいいやと思って)省略したんですが。
…まぁ、1799年か1800年の晩秋、世紀末に起こった事件だということで、ジェローデル編の記憶は修正しておきましょう(^ ^)。
今回の作品は、荒れ果てたベルサイユ宮殿跡地に佇むアランから始まります。
そして、ラストシーンでは、このベルサイユ宮殿跡地に雪が降り出す。
そして、アランは、
「ジェローデルが撃たれて死んだから、もう思い残すことは無い」(←すみません間はだいぶ端折っていますが、でも大意こういうことを言っていた)
と呟いて、ナポレオンの放った刺客に身をゆだねる。
いや、いちおう剣を抜いて闘う構えはみせますが、その前にディアンヌの幻に「今からお前のところに行く」と言ってるから、死ぬ気満々です。
なんで?どうして?
ジェローデル(フランス貴族の誇りにかけて、ナポレオンを暗殺しようとしたはず)が死ぬと、アラン(オスカルの遺志を継いで、自由・平等・博愛の国を作りたい)も死ぬの?二人の間にはどんな関係があるの?ねぇどうして?
バスティーユが陥落してから、10年間。
穏健派が脱落し、ジロンド派が脱落し、恐怖政治をしいたジャコバン派が崩壊し、ブルジョア政権による食料危機で再び民衆が立ち上がり、パリは混乱を極め……
そして、「力強いリーダー」として浮かび上がってきたナポレオンが権力を握るまで、
アランとジェローデルは何をしていたんでしょうか。
もとい。
アランは、まだわからんでもない。旧フランス衛兵隊を率いる将軍として、あっちこっちの戦争に駆りだされていたんでしょう、たぶん。プロシアと戦い、オーストリーと戦い、イギリスと戦い…、コロコロ変わる政権担当者に惑わされることなく「フランス」を守っていたんでしょう。
「隻腕将軍」と呼ばれて。
で、ジェローデルは?
近衛隊長であったはずのジェローデルは、パリ市民のヴェルサイユ行進の後、いったんパリを逃れ、スウェーデンのフェルゼンの元を訪ねる。王妃を救うためにフランスへ戻ることを誓うフェルゼンを見て、ジェローデルもまた、亡命貴族としてスウェーデンでソフィアと結婚する道を断り、パリへ戻った。
ヴェルサイユ行進で市民と戦ったであろう近衛隊長は、パリではお尋ねものだったんでしょうけれども、それなりに立憲王党派のひとびと(アメリカに一緒に行ったラ・ファイエット侯とか)に守られ、いろいろ策謀を練ったり、革命派の分裂を謀ったりしていたんだろうけど……。
この二人が組んでいたということは、彼らが、なんというか「オスカルの遺志を継ぐ会」を結成し、協力しあっていたってことでOK?
(そして、おそらくはベルナールがこの会の主催者なんですよね!?星組版が楽しみです☆)
しかーし!!
なぜ10年も待ったんだろう。
なぜ、ジャコバン派もブルジョア派も許せたのに、ナポレオンだけが許せなかったんだろう……
ナポレオンが「皇帝」になろうとしたから?
「銀河英雄伝説」のヤン・ウェンリーみたいに、「どんなに愚かな議会でも、議会が決めたことならば従う」みたいな思想の持ち主ならわかるんですよ。ジャコバン派も、ブルジョア派も、クーデターを起こしたり粛清したりはしていますけれども、あくまでも議会を表に立てていたことに変わりは無いから。
でも、そういう思想の持ち主には全く見えないんですよね、アランも、ジェローデルも。
議会政治は、そのリーダー格、たとえばトリューニヒト一人を殺しても、政治が混乱するだけであまりイイコトはありません。何一つ改善もしない。選挙するための態勢を整え、選挙を実施し、国民の意思を図らなくてはならないから。
しかも、暗殺事件による興奮状態で選挙をしても、大概ろくなことにはならない。わけのわからない風が吹いて、つまらない人物が勝つだけです。
でも、独裁者(ナポレオン)がいるならば。
その人を殺せば、その立役者がそのまま権力を握ることができる。それは、もともと「一人」に権力が集中するように構造ができているからです。
だから。
「オスカルの遺志を継ぐ会」のメンバーは、独裁者が現れるまで、どんなにパリが混乱を極めても、行動を控えて待っていた。
……ってことで納得しておけばいいですか? >植田(紳)さん
そのどこが、“オスカルの遺志”なんだよ。
「なぜ、二人(オスカルとアンドレ)は死ななくてはならなかったんだ!?」
『……坊やだからさ』
アランの悲痛な叫びに応えるのは、多分、齢33歳くらいの“若き”独裁者、ナポレオン・ボナパルト。
ハッチさんがやってるけど、でもたぶんアランより年下の、若き英雄。
青春の青い幻想に惑わされ、身分違いの恋に目が眩んで貴族の血を棄てた女と、
そんな女に身も心も捧げた平民の男。
そして、女が男と(事実上)心中してから10年も過ぎてさえ、「二人の遺志を継ぎたい」と社会の闇に紛れて活動を続ける二人(以上)の男。
『坊やだからさ』
政治的な覚悟も手腕も何も無い、坊やたちの革命だったのだ、と、
当時20歳になるならずだったナポレオンは、そう喝破する。自分の政治的優位と、今現在握らんとしている権力の大きさを自覚した“大人”として。
…もちろん、そんな台詞をハッチさんは言いませんが…。
アランは、死ぬ直前までディアンヌと楽しそうに会話しています。
明らかに脳内会話じゃない。電波な会話。
「オスカルとアンドレの、二人の遺志を継ぎたい」
「二人が死んだのは、パリを混乱に陥れるためじゃなかった。あんな独裁者に、フランスをいいようにさせるためじゃなかった。誰もが自由に、思うように生きられる社会を創ろうとして、その犠牲になったんだ」
「10年間がんばってきたのは、オスカルたちに顔向けできないと思ったからだ」
「でも、もういい」(なんでだ)
「ジェローデルも死んだ。俺も、もういいんだ」(だから何がだ。ジェローデルと何の関係があるんだ)
「後は誰かがやってくれる」(誰かって誰だよ)(ベルナールか?でもベルナールは君たちほどオスカルには傾倒してないぞ?)
「これでオスカルたちに顔向けできる」(だから何故なんだ?結局何もしてねーだろお前!?)
(あっ!ロザリーか?ロザリーなのか!?<オスカルの遺志を継いで、最後までやりぬく人)
オスカルの遺志を継ぎ、さらにアランの顔向けまでたててやるために、ナポレオンの失脚(廃位1814年)までさらに10年間、ベルナールとロザリーは待つんでしょうか……。
バスティーユから20年か。さすが夫婦、気が長いな……。
「もういいんだ」と、爽やかに宣言しつつ、ディアンヌを下がらせ、剣を抜いて見栄を切るアランは、物凄く!!カッコよかったです。はい。
後ろに並ぶ刺客メンバーが、何人かかっても絶対敵わないだろう、と確信できるほど。
しかーし。
そのカッコよさが何の役にもたっていないところが、涙が出るほど悲しかった。
アラン編は、いくらでもいい話に出来たと思うんです。ジェローデルと違い、原作でも十分書き込まれていたキャラクターだし、真飛聖という役者が、荒くれだけど結構純情一途なアランという役にぴったり嵌っているし。
実際、2001年の星組オスカル編で、まだ新公学年なのに本公演でアランという大抜擢だったときも、あまりにカッコよくて惚れそうだったんですよねー、私。
だから、今回の「アラン編」、結構楽しみにしていたんですよ。
なのに、
なぜこんな話になってしまったのか……悲しみは尽きません。
私に脚本書かせてくれ頼むから。
……長くなったので、キャストについてはまた次回。
.
『……坊やだからさ』
えっと。
花組全国ツアー公演「ベルサイユのばら アラン編/エンター・ザ・レビュー」を観てまいりました。
いやはや、
……すごい。
ショーは本当に最高でした。エンター・ザ・レビュー、大好きだ!ああ、もう一回観たいっ!!
そして、星組の「ベルナール編」をご覧になる予定のある方は、必見です。
……しかーし。
お芝居は、ほんとーーーーーっ!に凄かった……。
ネタすぎて、ある意味必見なんですけど。
あまりにもすごすぎて、書きたいことが山のようにあるので、ネタバレさせていただきます。
ごめんなさい。
何よりも凄いのは、これが池田理代子さんの原案と銘打たれていることです。
まるっと植田紳爾さんの創作なら、そんなこともあるかもね、と思うけど、この物語のそもそものテーマがディアンヌの兄への道ならぬ片思いだということになると、池田さんの意思も入っているはずですよね…?
ベルばらファンの、誰一人、思いつきもしなかったであろう、ディアンヌ・ド・ソワソンの自殺、衝撃の真相。……池田さんは、あの頃からディアンヌの動機をここにおいていらっしゃったのでしょうか…?こんなスピンオフを創る予定は当然無かったはずなので、ごく漠然としたものではあったとしても。
「エロイカ」に出すくらいには、アランというキャラクターへの愛はあったはずなのに?
……オスカルの死後、アランはどっかの酒場女と気楽にやってる、っていう設定では駄目だったのかなー。
俺の純情はオスカル一人のもの。オスカルのの遺志を継ぐために、今の俺のすべてがある、と思っているアランと、気風のいい、優しくて包容力のある大人の女(アランより年上)。
なんだったら、女の片思いでもいい。アランは、疲れたときは甘えに来るくせに、何かあrば何も言わずに出て行ってしまう身勝手な男。女を邪険に扱って、引き止める女を捨てて暗殺の現場に行くんだけど、最期に「あんがとよ」って言い置いて雪に埋もれて……って、それは違う話だが。
どうしても彩音ちゃんにディアンヌをさせなくてはならなかったとしても、せめて、一場面か二場面、生きたディアンヌも出してあげようよ。
ディアンヌとオスカルを出会わせてもいい。衛兵隊兵士を訪ねて家族がくるところに出しても良かったんじゃないか?
で、アランに妹を悼む歌の一曲くらい歌わせようよ。
幽霊なディアンヌは、アランをそっと見守るだけにして、あんな当たり前のように二人で笑いながら会話して、「お前はちょっと隠れてろ」みたいに背を押したりさせないでほしかった。
ああもう!!
せめて最後に「そろそろお前のところに行きたくなった」みたいなこと言わせるのだけはやめてほしかった!!そんなんアランじゃない!ついでに言えば、キリスト教徒なら、自殺者であるディアンヌの傍にはいけないんだからねっ!!きーーーーーっ!!
……いやー、「ソロモン/マリポーサ」と連続で観たもんで。
頭が痛いのを通り越して、途中から楽しくなってしまいましたわ(^ ^;ゞ
この物語は、雪組の「ジェローデル編」と裏表の関係になっています。
ジェローデル編のプログラムには「1795年10月」と明記して描かれている「ナポレオン皇帝暗殺未遂」事件。
今回のプログラムに明記してあるのは、「バスティーユの戦闘からおよそ10年の歳月が流れた」という一文。
そして、ナポレオンは未だ皇帝ではなく、『第一執政官』の地位にある。
…ちなみに。
史実をあたると、アランとの会話の中で語られる、ナポレオンの権力の源泉となるイタリア遠征は1796年~97年。
彼がクーデターを起こして権力を握り、第一ナントカ(訳語の問題もあるので役職名は省略)の地位につくのが1799年11月9日。バスティーユの陥落(1789年7月14日)からちょうど10年と4ヶ月後。
そして、ナポレオン一世の即位は1804年12月2日。
ジェローデル編のプログラムは誤植で処理するとしても、「新皇帝ナポレオンが即位したばかりの10月」というのはパラレルワールドにしか存在しないんだよね、という突っ込みは、前回は(もうどうでもいいやと思って)省略したんですが。
…まぁ、1799年か1800年の晩秋、世紀末に起こった事件だということで、ジェローデル編の記憶は修正しておきましょう(^ ^)。
今回の作品は、荒れ果てたベルサイユ宮殿跡地に佇むアランから始まります。
そして、ラストシーンでは、このベルサイユ宮殿跡地に雪が降り出す。
そして、アランは、
「ジェローデルが撃たれて死んだから、もう思い残すことは無い」(←すみません間はだいぶ端折っていますが、でも大意こういうことを言っていた)
と呟いて、ナポレオンの放った刺客に身をゆだねる。
いや、いちおう剣を抜いて闘う構えはみせますが、その前にディアンヌの幻に「今からお前のところに行く」と言ってるから、死ぬ気満々です。
なんで?どうして?
ジェローデル(フランス貴族の誇りにかけて、ナポレオンを暗殺しようとしたはず)が死ぬと、アラン(オスカルの遺志を継いで、自由・平等・博愛の国を作りたい)も死ぬの?二人の間にはどんな関係があるの?ねぇどうして?
バスティーユが陥落してから、10年間。
穏健派が脱落し、ジロンド派が脱落し、恐怖政治をしいたジャコバン派が崩壊し、ブルジョア政権による食料危機で再び民衆が立ち上がり、パリは混乱を極め……
そして、「力強いリーダー」として浮かび上がってきたナポレオンが権力を握るまで、
アランとジェローデルは何をしていたんでしょうか。
もとい。
アランは、まだわからんでもない。旧フランス衛兵隊を率いる将軍として、あっちこっちの戦争に駆りだされていたんでしょう、たぶん。プロシアと戦い、オーストリーと戦い、イギリスと戦い…、コロコロ変わる政権担当者に惑わされることなく「フランス」を守っていたんでしょう。
「隻腕将軍」と呼ばれて。
で、ジェローデルは?
近衛隊長であったはずのジェローデルは、パリ市民のヴェルサイユ行進の後、いったんパリを逃れ、スウェーデンのフェルゼンの元を訪ねる。王妃を救うためにフランスへ戻ることを誓うフェルゼンを見て、ジェローデルもまた、亡命貴族としてスウェーデンでソフィアと結婚する道を断り、パリへ戻った。
ヴェルサイユ行進で市民と戦ったであろう近衛隊長は、パリではお尋ねものだったんでしょうけれども、それなりに立憲王党派のひとびと(アメリカに一緒に行ったラ・ファイエット侯とか)に守られ、いろいろ策謀を練ったり、革命派の分裂を謀ったりしていたんだろうけど……。
この二人が組んでいたということは、彼らが、なんというか「オスカルの遺志を継ぐ会」を結成し、協力しあっていたってことでOK?
(そして、おそらくはベルナールがこの会の主催者なんですよね!?星組版が楽しみです☆)
しかーし!!
なぜ10年も待ったんだろう。
なぜ、ジャコバン派もブルジョア派も許せたのに、ナポレオンだけが許せなかったんだろう……
ナポレオンが「皇帝」になろうとしたから?
「銀河英雄伝説」のヤン・ウェンリーみたいに、「どんなに愚かな議会でも、議会が決めたことならば従う」みたいな思想の持ち主ならわかるんですよ。ジャコバン派も、ブルジョア派も、クーデターを起こしたり粛清したりはしていますけれども、あくまでも議会を表に立てていたことに変わりは無いから。
でも、そういう思想の持ち主には全く見えないんですよね、アランも、ジェローデルも。
議会政治は、そのリーダー格、たとえばトリューニヒト一人を殺しても、政治が混乱するだけであまりイイコトはありません。何一つ改善もしない。選挙するための態勢を整え、選挙を実施し、国民の意思を図らなくてはならないから。
しかも、暗殺事件による興奮状態で選挙をしても、大概ろくなことにはならない。わけのわからない風が吹いて、つまらない人物が勝つだけです。
でも、独裁者(ナポレオン)がいるならば。
その人を殺せば、その立役者がそのまま権力を握ることができる。それは、もともと「一人」に権力が集中するように構造ができているからです。
だから。
「オスカルの遺志を継ぐ会」のメンバーは、独裁者が現れるまで、どんなにパリが混乱を極めても、行動を控えて待っていた。
……ってことで納得しておけばいいですか? >植田(紳)さん
そのどこが、“オスカルの遺志”なんだよ。
「なぜ、二人(オスカルとアンドレ)は死ななくてはならなかったんだ!?」
『……坊やだからさ』
アランの悲痛な叫びに応えるのは、多分、齢33歳くらいの“若き”独裁者、ナポレオン・ボナパルト。
ハッチさんがやってるけど、でもたぶんアランより年下の、若き英雄。
青春の青い幻想に惑わされ、身分違いの恋に目が眩んで貴族の血を棄てた女と、
そんな女に身も心も捧げた平民の男。
そして、女が男と(事実上)心中してから10年も過ぎてさえ、「二人の遺志を継ぎたい」と社会の闇に紛れて活動を続ける二人(以上)の男。
『坊やだからさ』
政治的な覚悟も手腕も何も無い、坊やたちの革命だったのだ、と、
当時20歳になるならずだったナポレオンは、そう喝破する。自分の政治的優位と、今現在握らんとしている権力の大きさを自覚した“大人”として。
…もちろん、そんな台詞をハッチさんは言いませんが…。
アランは、死ぬ直前までディアンヌと楽しそうに会話しています。
明らかに脳内会話じゃない。電波な会話。
「オスカルとアンドレの、二人の遺志を継ぎたい」
「二人が死んだのは、パリを混乱に陥れるためじゃなかった。あんな独裁者に、フランスをいいようにさせるためじゃなかった。誰もが自由に、思うように生きられる社会を創ろうとして、その犠牲になったんだ」
「10年間がんばってきたのは、オスカルたちに顔向けできないと思ったからだ」
「でも、もういい」(なんでだ)
「ジェローデルも死んだ。俺も、もういいんだ」(だから何がだ。ジェローデルと何の関係があるんだ)
「後は誰かがやってくれる」(誰かって誰だよ)(ベルナールか?でもベルナールは君たちほどオスカルには傾倒してないぞ?)
「これでオスカルたちに顔向けできる」(だから何故なんだ?結局何もしてねーだろお前!?)
(あっ!ロザリーか?ロザリーなのか!?<オスカルの遺志を継いで、最後までやりぬく人)
オスカルの遺志を継ぎ、さらにアランの顔向けまでたててやるために、ナポレオンの失脚(廃位1814年)までさらに10年間、ベルナールとロザリーは待つんでしょうか……。
バスティーユから20年か。さすが夫婦、気が長いな……。
「もういいんだ」と、爽やかに宣言しつつ、ディアンヌを下がらせ、剣を抜いて見栄を切るアランは、物凄く!!カッコよかったです。はい。
後ろに並ぶ刺客メンバーが、何人かかっても絶対敵わないだろう、と確信できるほど。
しかーし。
そのカッコよさが何の役にもたっていないところが、涙が出るほど悲しかった。
アラン編は、いくらでもいい話に出来たと思うんです。ジェローデルと違い、原作でも十分書き込まれていたキャラクターだし、真飛聖という役者が、荒くれだけど結構純情一途なアランという役にぴったり嵌っているし。
実際、2001年の星組オスカル編で、まだ新公学年なのに本公演でアランという大抜擢だったときも、あまりにカッコよくて惚れそうだったんですよねー、私。
だから、今回の「アラン編」、結構楽しみにしていたんですよ。
なのに、
なぜこんな話になってしまったのか……悲しみは尽きません。
私に脚本書かせてくれ頼むから。
……長くなったので、キャストについてはまた次回。
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