ギャツビーの憂鬱【2】
2008年9月16日 宝塚(月)月組日生劇場公演「グレート・ギャツビー」 キャスト編。
瀬奈じゅん(ジェイ・ギャツビー)
かっこいいっ!!よっ色男っ!!って感じでした♪
ただ、麻子さんって元々上流階級の男が似合う(「飛鳥夕映え」の軽皇子は絶品でしたもんね!)タイプなので、ギャツビーの鬱屈がちょっと弱かったかなーと思いました。
あれだと、「ダル・レークの恋」のラッチマン(実は王子様)と似た役作りになってしまって、ちょっともったいなかったなー。
あんまりギラギラした野心家も違うし、バランスの難しいところですけどね。
それにしてもカッコよかったなあ~(*^ ^*)。立ち姿の美しさとか、タンゴの流れるような身のこなしとか、ほんと目を惹き付ける魅力があって。ホンモノのショースターは違うなあ、と思いました☆
城咲あい(デイジー・ブキャナン)
美しかった!うっとりするほどキレイでした。ええ、本当に。
「あたしはキレイなの」という強い意志がものすごい勢いで放出されていて、私は完全に射抜かれてしまいました(*^ ^*)。
いかにも月娘らしい、意思を持ったデイジーでしたね。小池さんの中のデイジー像が揺らいでいる影響をもろに受けて、苦労したんじゃないかなーとも思いましたが、『世の中』の矛盾を一手に引き受けた、複雑でつかみどころのない、理解し難い女性像を構築していたと思います。
純情で一途な少女時代。
恋した少女は、離れ離れになった恋人に手紙を書く。
ひたすらに一途な思いをこめて、毎日顔を合わせていれば語ったであろう日常の些細な事件から、夜毎の夢、涙で濡れた枕のこと、妹が買ってもらった服の話、髪を切った話……
ベッドに入る前に、手紙を書いて、お祈りをして、眠る毎日。
…次第に、少女の頭の中で、手紙と祈りがごっちゃになっていく。
来ない返事に焦れていたのは、最初のうちだけ。
だんだん返事が来ないのが当たり前になっていく。
かみさまへの祈りに返事がないように、
恋しいひとへの手紙にも、返事は来ない。そう、そういうものなのだ、と。
返事はこないの。当たり前よ。
だってほら、かみさまだってお返事してはくださらないでしょう?
…自己防衛本能は、そんな言い訳で少女の心を守ろうとした。
その本能こそが彼女の心を決定的に壊してしまっていたことには、誰も気づいていなかった……
壊れた少女は、心の壊れた部分を抽斗の奥深くにしまいこんで、
両親に促されるままに結婚する。
愛情深い優しい両親が、“貧乏な生活”など出来るはずもない驕慢な娘のために選びに選び抜いた、“同じ階級の”名士と。
でも。抽斗の奥深くしまいこまれた小さなデイジーは、壊れたレコードのように同じ言葉を繰り返している。
ジェイ、ジェイ、ジェイ、ジェイ……
ひたすらな祈りの言葉のように、繰り返し。
ニックによって告げられた「ギャツビー」という名前は、デイジーにとって晴天の霹靂だったはず。
それは彼女にとって、「かみさま」が返事をくれた瞬間だったのではないでしょうか。
この場面から、実際にギャツビーの家に現れるまでのデイジーの、どこか現実離れしたふわふわした感じが、すごく面白いと思いました。それによって、実際にギャツビーという『生身の男』と出会ってからの彼女のとまどいが強調されて、現実離れした、離人感のようなものがありました。
ギャツビーと再会したことによる、恐怖。
夢が現実になる、といえば聞こえもいいのでしょうが、実際夢は良いものばかりじゃない。悪夢だって夢なのですから。
デイジーは、ぬるま湯の中でただ憧れていた「初恋」の思い出が現実に重なってきたときに、
今の“それなりに”心地よい居場所を捨てて、行き着く先に何が待つのかわからない、天国かもしれないけれども地獄なのかもしれない、そんな道を歩き出す勇気が持てなかった。
ギャツビーと二人で歩くなら、どんな山道も歩いていける、嵐も怖くない、と、
思うことができなかった。
…そういう恐怖を、そして怯える自分への侮蔑を、あいちゃんはよく表現していたと思います。
後ろ向きなキャラクターなだけに、女から観て魅力的な女にするのは難しいと思うのですが。とにかく精一杯に美しく、気まぐれでわがままで感情的に演じて、ギャツビーにとっての『運命の女』であろうと努力していました。
最終的に「トムの運転する車で葬式に現れる女」としての説得力を持たせるために、生い立ちからずっと、細かく計算して役を作っていったのでしょうね。…本当はもう一息、作り上げた役を捨てて舞台に立てるようになったら本物なのになあ、とは思うのですが……。
ただ、鬘はもう一工夫ほしいところでしたね。特に少女時代。
なんといっても、「中西部一の、音に聴こえた美女」でないと話が成立しませんので。
………プログラムの写真はキレイなのになぁ…(T T)。
青樹泉(トム・ブキャナン)
どうしても素の、人が良くて優しいところが見え隠れしてしまって、貴族ならではの「傲慢さ」が弱かったのが残念です。特に最初の登場で、「ME AND MY GIRL」のテニスプレーヤーたちの一人に見えたのがとてもとてもとっっっっても!!残念でした(T T)
どうして髭をつけなかったのでしょうか?今からでも遅くない!仲買人みたいな髭をつけるべきだ!(真剣)
新公時代からの弱点だった、台詞が鼻にかかる癖はすこーし改善されたかな?
トムは根本的に“嫌な男”なので、もりえちゃんにはやりにくかっただろうとは思うのですが、別に“嫌な男”を演じなくても良い訳で……演じてほしいのは“トム”なんですよね。“田舎の上流階級”の出身で、都会っ子に対して(自分でも気づいていない)僻みがある、男。
だから、都会っ子のマートルにおだてられると物凄くいい気になってしまう、そんな単純な男。
美しい(でも自分と同じ田舎者の)デイジーが、他の男を愛することはないと思い込んでいるから、“都会の夢”をもてあそぶことができる。
だから、ギャツビーが現れた途端に彼はマートルへの興味を失ってしまう。
もともとマートルは、「都会人」である自分を飾るアクセサリーだったのだから。
…原作では、デイジー自身もトムにとってはただの「美しいアクセサリー」だったと思うのですが。
そこは、小池さんは当然のようにトムを愛妻家(←え?)に仕立ててきましたね。
でも。
トムが愛妻家だからこそ、最後に葬式出席する妻を車に乗せてくる光景が、余計あり得なくなるんですけれども……(汗)。
憧花ゆりの(マートル・ウィルソン)
素晴らしかった!抜群のキュートな魅力。思い切って真っ青に染めたまぶたと、弓形にくっきりひいた眉がすごくマートルらしい。
キャラクター的には、なんというかもう少し、グラマーで目のしたか口元あたりにめだつ黒子がありそうなタイプの女性なんですけど、すずなのマートルの魅力は、あの抱いたら折れそうな細さにあったような気がします。
美しい、というのではないけれども、トムが思う「都会」の象徴みたいな女の子。作品世界における自分の役割を知り尽くして、そのポジションに完全に嵌っていたのが気持ちよいくらいでした。
…しかしマートル、ウィルソンに押さえつけられている時にそんな大声でトムの名前を繰り返し呼んだら、浮気相手が誰なのかウィルソンにバレちゃうじゃん…?そしたらあのラスト、おかしいんだよ?マートルのせいだよ?(←いいえ、小池さんのせいです!)
遼河はるひ(ニック・キャラウエイ)&涼城まりな(ジョーダン・ベイカー)
語り手のお二人。
私は基本的に、どんな脚本であれ「説明役」や「狂言回し」はイラナイ派なんですけれども、この二人は実に巧く作られていて全然違和感がありませんでした。小池さん、GJ。
ギャツビーとデイジーの不安定な恋を、ドキドキしながら(ちょっと野次馬根性も覘かせつつ)見守っている二人、という構図がすごく良かったんですよね。しかも、シリアスで重たい作品の中の清涼剤の役割を務めながら、最後の最後にどんでん返しがあるところが憎い。
……ルイヴィルの森での物語も、基本的にはちゃんとデイジーの視点で描かれているから、『ジョーダンがデイジーから聞いた話』として電話で語っていても、それほど違和感がない。
『ジェローデル、お前いったいどこで見てやがったんだ!!』とつい思ってしまった「ベルサイユのばら」フェルゼン編を考えれば、まぁデイジーの母親がギャツビーに何を言ったのかくらい知ってても気がつかなかったフリが出来るし(←いや…けっこう忍耐力との戦いでしたが ^ ^;ゞ)。
あひちゃん、ラスト前あたりから葬式にかけては良かったです!特に、ジョーダンに「あなたちょっと重たいのよ」と言われるのもむべなるかな、と思わせる鈍重さがあったのが素晴らしかった。
でも、そこまでの「上流階級のぼんぼん」ぶりはやっぱり……ねぇ。あ、もちろん、ジェラルドよりは数段良かったですけどね(汗)。
うーん、あひちゃんにはいったいどんな役をやってもらえばいいんだろう……。
とりあえず、貴族のぼんぼんは当分やめておいたほうがいいかもね(^ ^;ゞ
長くなってきたので、ここでいったん切ります(^ ^)。
瀬奈じゅん(ジェイ・ギャツビー)
かっこいいっ!!よっ色男っ!!って感じでした♪
ただ、麻子さんって元々上流階級の男が似合う(「飛鳥夕映え」の軽皇子は絶品でしたもんね!)タイプなので、ギャツビーの鬱屈がちょっと弱かったかなーと思いました。
あれだと、「ダル・レークの恋」のラッチマン(実は王子様)と似た役作りになってしまって、ちょっともったいなかったなー。
あんまりギラギラした野心家も違うし、バランスの難しいところですけどね。
それにしてもカッコよかったなあ~(*^ ^*)。立ち姿の美しさとか、タンゴの流れるような身のこなしとか、ほんと目を惹き付ける魅力があって。ホンモノのショースターは違うなあ、と思いました☆
城咲あい(デイジー・ブキャナン)
美しかった!うっとりするほどキレイでした。ええ、本当に。
「あたしはキレイなの」という強い意志がものすごい勢いで放出されていて、私は完全に射抜かれてしまいました(*^ ^*)。
いかにも月娘らしい、意思を持ったデイジーでしたね。小池さんの中のデイジー像が揺らいでいる影響をもろに受けて、苦労したんじゃないかなーとも思いましたが、『世の中』の矛盾を一手に引き受けた、複雑でつかみどころのない、理解し難い女性像を構築していたと思います。
純情で一途な少女時代。
恋した少女は、離れ離れになった恋人に手紙を書く。
ひたすらに一途な思いをこめて、毎日顔を合わせていれば語ったであろう日常の些細な事件から、夜毎の夢、涙で濡れた枕のこと、妹が買ってもらった服の話、髪を切った話……
ベッドに入る前に、手紙を書いて、お祈りをして、眠る毎日。
…次第に、少女の頭の中で、手紙と祈りがごっちゃになっていく。
来ない返事に焦れていたのは、最初のうちだけ。
だんだん返事が来ないのが当たり前になっていく。
かみさまへの祈りに返事がないように、
恋しいひとへの手紙にも、返事は来ない。そう、そういうものなのだ、と。
返事はこないの。当たり前よ。
だってほら、かみさまだってお返事してはくださらないでしょう?
…自己防衛本能は、そんな言い訳で少女の心を守ろうとした。
その本能こそが彼女の心を決定的に壊してしまっていたことには、誰も気づいていなかった……
壊れた少女は、心の壊れた部分を抽斗の奥深くにしまいこんで、
両親に促されるままに結婚する。
愛情深い優しい両親が、“貧乏な生活”など出来るはずもない驕慢な娘のために選びに選び抜いた、“同じ階級の”名士と。
でも。抽斗の奥深くしまいこまれた小さなデイジーは、壊れたレコードのように同じ言葉を繰り返している。
ジェイ、ジェイ、ジェイ、ジェイ……
ひたすらな祈りの言葉のように、繰り返し。
ニックによって告げられた「ギャツビー」という名前は、デイジーにとって晴天の霹靂だったはず。
それは彼女にとって、「かみさま」が返事をくれた瞬間だったのではないでしょうか。
この場面から、実際にギャツビーの家に現れるまでのデイジーの、どこか現実離れしたふわふわした感じが、すごく面白いと思いました。それによって、実際にギャツビーという『生身の男』と出会ってからの彼女のとまどいが強調されて、現実離れした、離人感のようなものがありました。
ギャツビーと再会したことによる、恐怖。
夢が現実になる、といえば聞こえもいいのでしょうが、実際夢は良いものばかりじゃない。悪夢だって夢なのですから。
デイジーは、ぬるま湯の中でただ憧れていた「初恋」の思い出が現実に重なってきたときに、
今の“それなりに”心地よい居場所を捨てて、行き着く先に何が待つのかわからない、天国かもしれないけれども地獄なのかもしれない、そんな道を歩き出す勇気が持てなかった。
ギャツビーと二人で歩くなら、どんな山道も歩いていける、嵐も怖くない、と、
思うことができなかった。
…そういう恐怖を、そして怯える自分への侮蔑を、あいちゃんはよく表現していたと思います。
後ろ向きなキャラクターなだけに、女から観て魅力的な女にするのは難しいと思うのですが。とにかく精一杯に美しく、気まぐれでわがままで感情的に演じて、ギャツビーにとっての『運命の女』であろうと努力していました。
最終的に「トムの運転する車で葬式に現れる女」としての説得力を持たせるために、生い立ちからずっと、細かく計算して役を作っていったのでしょうね。…本当はもう一息、作り上げた役を捨てて舞台に立てるようになったら本物なのになあ、とは思うのですが……。
ただ、鬘はもう一工夫ほしいところでしたね。特に少女時代。
なんといっても、「中西部一の、音に聴こえた美女」でないと話が成立しませんので。
………プログラムの写真はキレイなのになぁ…(T T)。
青樹泉(トム・ブキャナン)
どうしても素の、人が良くて優しいところが見え隠れしてしまって、貴族ならではの「傲慢さ」が弱かったのが残念です。特に最初の登場で、「ME AND MY GIRL」のテニスプレーヤーたちの一人に見えたのがとてもとてもとっっっっても!!残念でした(T T)
どうして髭をつけなかったのでしょうか?今からでも遅くない!仲買人みたいな髭をつけるべきだ!(真剣)
新公時代からの弱点だった、台詞が鼻にかかる癖はすこーし改善されたかな?
トムは根本的に“嫌な男”なので、もりえちゃんにはやりにくかっただろうとは思うのですが、別に“嫌な男”を演じなくても良い訳で……演じてほしいのは“トム”なんですよね。“田舎の上流階級”の出身で、都会っ子に対して(自分でも気づいていない)僻みがある、男。
だから、都会っ子のマートルにおだてられると物凄くいい気になってしまう、そんな単純な男。
美しい(でも自分と同じ田舎者の)デイジーが、他の男を愛することはないと思い込んでいるから、“都会の夢”をもてあそぶことができる。
だから、ギャツビーが現れた途端に彼はマートルへの興味を失ってしまう。
もともとマートルは、「都会人」である自分を飾るアクセサリーだったのだから。
…原作では、デイジー自身もトムにとってはただの「美しいアクセサリー」だったと思うのですが。
そこは、小池さんは当然のようにトムを愛妻家(←え?)に仕立ててきましたね。
でも。
トムが愛妻家だからこそ、最後に葬式出席する妻を車に乗せてくる光景が、余計あり得なくなるんですけれども……(汗)。
憧花ゆりの(マートル・ウィルソン)
素晴らしかった!抜群のキュートな魅力。思い切って真っ青に染めたまぶたと、弓形にくっきりひいた眉がすごくマートルらしい。
キャラクター的には、なんというかもう少し、グラマーで目のしたか口元あたりにめだつ黒子がありそうなタイプの女性なんですけど、すずなのマートルの魅力は、あの抱いたら折れそうな細さにあったような気がします。
美しい、というのではないけれども、トムが思う「都会」の象徴みたいな女の子。作品世界における自分の役割を知り尽くして、そのポジションに完全に嵌っていたのが気持ちよいくらいでした。
…しかしマートル、ウィルソンに押さえつけられている時にそんな大声でトムの名前を繰り返し呼んだら、浮気相手が誰なのかウィルソンにバレちゃうじゃん…?そしたらあのラスト、おかしいんだよ?マートルのせいだよ?(←いいえ、小池さんのせいです!)
遼河はるひ(ニック・キャラウエイ)&涼城まりな(ジョーダン・ベイカー)
語り手のお二人。
私は基本的に、どんな脚本であれ「説明役」や「狂言回し」はイラナイ派なんですけれども、この二人は実に巧く作られていて全然違和感がありませんでした。小池さん、GJ。
ギャツビーとデイジーの不安定な恋を、ドキドキしながら(ちょっと野次馬根性も覘かせつつ)見守っている二人、という構図がすごく良かったんですよね。しかも、シリアスで重たい作品の中の清涼剤の役割を務めながら、最後の最後にどんでん返しがあるところが憎い。
……ルイヴィルの森での物語も、基本的にはちゃんとデイジーの視点で描かれているから、『ジョーダンがデイジーから聞いた話』として電話で語っていても、それほど違和感がない。
『ジェローデル、お前いったいどこで見てやがったんだ!!』とつい思ってしまった「ベルサイユのばら」フェルゼン編を考えれば、まぁデイジーの母親がギャツビーに何を言ったのかくらい知ってても気がつかなかったフリが出来るし(←いや…けっこう忍耐力との戦いでしたが ^ ^;ゞ)。
あひちゃん、ラスト前あたりから葬式にかけては良かったです!特に、ジョーダンに「あなたちょっと重たいのよ」と言われるのもむべなるかな、と思わせる鈍重さがあったのが素晴らしかった。
でも、そこまでの「上流階級のぼんぼん」ぶりはやっぱり……ねぇ。あ、もちろん、ジェラルドよりは数段良かったですけどね(汗)。
うーん、あひちゃんにはいったいどんな役をやってもらえばいいんだろう……。
とりあえず、貴族のぼんぼんは当分やめておいたほうがいいかもね(^ ^;ゞ
長くなってきたので、ここでいったん切ります(^ ^)。