クラシコなスーツ【2】
2011年11月28日 宝塚(宙) コメント (8)東京宝塚劇場宙組公演「クラシコ・イタリアーノ/ナイス・ガイ」を観劇してまいりました。
大劇場で観た時の感想……というか、雑感はこちらに書かせていただきました。
http://80646.diarynote.jp/?day=20111107
えーっと。
脚本的にも芝居(役者)的にもかなり完成度が高くて、その完成度ゆえにかえって感想を書くのが難しい……と悩んでいるうちに大劇場が終わり、そのまま東宝が始まってしまいました。
いちおう宙組ファン(←最近すごくあやしいけど)の一員の日記として、公演の真っ最中なのに更新が20日ぶりってどうなんだ?いかんいかん!
……というわけで、東宝を観てまいりました。
人の動かし方とか間の取り方とか、細かいところの変更点はいろいろあったような気がしますが(少年サルヴァトーレのマイクが入っていたりとか)(レニーの「最後、セリ下がってましたよ…」とか)、とりあえず台詞レベルで違っていたところで気がついたのは2箇所ですかね(他にもあると思いますので、気がついた方教えてください!)。
1つ目は、最初の撮影前のミーナの電話。これは、場面として追加されてますね。
「初めての仕事が決まったんよ!明日が撮影!」
と“おばあちゃん”に掛ける電話で、大劇場からあった「CMが決まった!」という電話の前振りになるわけですが。
最初の撮影直前のミーナと、それを無事撮り終え、オーディションにも参加して、お情けではなく自力で仕事を獲得したミーナ。『誰かがいる』ことに気づいて、強くなった彼女の変化を表すための場面追加なんだろうなーー、とは思うのですが……あまりに短いうえに、相手のいない「電話」というのは、ちょっと難度が高すぎるような気がしました(; ;)。
すみ花ちゃんは可愛かったけど、どうせ増やすならレニーとミーナの会話(インタビューを取りたいとサルヴァトーレに伝言をする場面)が観たかった……いや、そこまでの時間はなかったかもしれませんが(^ ^;ゞ
しっかし、ほんの1,2分だと思うんですけど、この場面を入れるために何かを削った……はずですよねえ?転換の時間とかを削って捻出したのかなあ……?
もう一つは、マリオたちの酒場のシーンで、駆けつけてきたサルヴァトーレがマリオに掛ける言葉。
「ジュリアーノ(寿)が、お前に辞表を提出させたと聞いた」
という台詞が追加になって、これに続けて大劇場の時の
「俺がお前を追い詰めたのか?」
につながったんですよね。
ここの会話は、ル・サンクが出た時にだいぶ話題になりました。
印刷された脚本では
「ジュリアーノが、辞表を出すようお前を追い詰めたと聞いた。俺は、お前を守れなかった」
というセンチメンタルな台詞になっていて、、、いやー、削除されて良かった、と思ったものです。
しかし、東宝で変更された台詞は、同じことを言っているのに全然ニュアンスが違うのがすごいな、と感心しました。さすが景子さん(^ ^)。このたった一言があるかないかで、マリオの立場は全然違うものに見えてくるし、作品の印象さえ、だいぶ変わったような気がします。
脚本の台詞だと、サルヴァトーレとジュリアーノは完全に対立し、マリオは『犠牲者』になってしまう。マリオ自身がどう考えているかによらず、サルヴァトーレはジュリアーノに敗北したことになってしまうんですよね。だから、削除した。それは、正しい。
でも、この会話がないと、マリオがすごく勝手な男になってしまう。辞める必要はないのに、何もかも面倒になって、全部捨ててしまうヴァガボンドみたいな印象が残ってしまうんです。もちろん、実際にはマリオはそういう人間ではないはずので、台詞がなくてもそこは芝居でカバーするべき(してほしかった)部分ではあるんですけどね。
だから。
東宝で追加された台詞によって、ジュリアーノの立場がはっきりしたのはすごく良かったと思います。
ジュリアーノがサルヴァトーレの意志を無視してマリオを追いだしたわけじゃない。マリオがサルヴァトーレの意志を無視して勝手に出て行ったんでもない。サルヴァトーレの中にはジュリアーノに賛同する部分とマリオを必要とする部分の両方があって、ジュリアーノにもマリオにも、そしてサルヴァトーレ本人にも、その迷いは判っていたんですよね。だからこそジュリアーノが動き、だからこそマリオは納得し、、、、だからこそ、サルヴァトーレの目も醒める。
自分が今歩いている道は、本当に自分の理想につながる道なのか?ということを、考え始める……。
話の展開的に、ジュリアーノがヒューストン(悠未)から金を貰ってマリオを切ったとか、そういう話じゃないはずなんですよね。
ヒューストンの目的は「アメリカ市場で馬鹿売れする(=大儲けできる)廉価なナポリスーツ」であって、何もサルヴァトーレ自身が欲しいとかそういう話じゃない。(←違いますよね? ^ ^;ゞ)
グランチェッロ側から売りこんだのか、ヒューストンが買いにきたのか、そのあたりは語られませんが、たぶん、最初の頃は「廉価なナポリスーツ」を提供してくれそうだったのはグランチェッロだけだったんですよね。
けれども、業界トップのグランチェッロは、プライドが高くて扱いにくい。何かというとすぐ「伝統の…」とか言い出して、歴史のない自分たちを馬鹿にしている(←ように聴こえる)
後から出てきた成り上がりのアジャーニの方が、言うなりになるだろうから、最初の話はなかったことにしてしまいたい。だから、グランチェッロがとても呑めないような条件を突きつけて、あとくされなく切ってしまおう……というのが、物語のスタート時点でのヒューストン側の意向のはず。
サルヴァトーレも、それは気づいているんでしょうね。先方は自分の商品に惚れこんで買いにきたわけではなく、話題性と物珍しさがほしいだけだ、と。品質が良ければそれに越したことはないくらいは思っているかもしれないが、それが付加価値になるとは思っていない、と。
だったら、こちらからお断りだ!……と自分の方から切り捨てるには、先行投資をしすぎてしまっている……というのが、グランチェッロ側の状況。少なくとも、ジュリアーノはそう思ってるんですよね。そういう台詞もあるし。
……たぶん、ミシンを大量に買っちゃってたんでしょう(^ ^)。
そんな状況の中で、今のマリオの存在は、邪魔でしかない。サルヴァトーレが決断するのを待っていては遅すぎる。だったら私が……とジュリアーノが動くのは、とても良く判ります。
長々と書いてしまいましたが、たった一言付け加えただけで、ジュリアーノとマリオの立場が全く違って見えるのが面白いなあ、と感心しました。
まあでも、こうなるとますます、サルヴァトーレ(とマリオ)が去った後の「グランチェッロ」の行く末が厳しそうに思えるんですが……仕事場の若者たちは大丈夫なのでしょうか(; ;)。
ジュリアーノも頑張ってくれるとは思うのですが、サルヴァトーレのセンスも技術面を支える存在もないとなれば、価格競争に陥るのは時間の問題ですからねえ……(泣)。
なーんて、、、余計なことばかり書いているような気がしますが。
そのくらい、本当にいろいろなことを考えてしまう作品でした。私にとっては。
その中でも、一番切ないのは、「アメリカ」という夢への純粋な憧憬なのかもしれません。
それは豊かさの象徴であり、平和の象徴であり、幸せの象徴でもあり……なにより、憧れのすべて、だったのでしょう。
映像の中の、ニーノ(月映)の語り。
「皆で手分けして作ったスーツがいつかアメリカに渡るかもしれねえ……そう思うと、ワクワクしてさ」
そのときの、えなちゃんの笑顔……。
手の届かない憧れだけど、憧れることができる自分は幸せなんだ、と。生きることだけに必死だった頃を思えば、夢を視ること自体が夢のようだよ、と。台詞ではそんなこと全然言ってないのに、そんな声が聴こえるような気がしてするんです。
「戦後のイタリア人にとって、アメリカは憧れそのもの。豊かさこそが幸せだと信じ、それを追い求めてきた。……だが、そのために喪ったものもあるのかもしれない。この国も、そして、自分も」
というサルヴァトーレのインタビューの直後なだけに、余計その憧れの純粋さが胸に沁みます。切なくて、痛々しくて、でもその純粋さが羨ましい、そんな感じ。
このお芝居はいろいろ胸に痛い台詞がたくさんあって、あちこちでうるうるしながらも泣くのは堪えている……んですが、その努力が無に帰すのは、だいたいこの場面ですなんですよね。映像を見ながら唇を噛みしめているサルヴァトーレも好きすぎる。
……毎回、あの場面のレニーの貌を見ようと思うんですが、未だ果たせてません(^ ^;ゞ おやっさんは結構観てるんだけどなあ。。。
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大劇場で観た時の感想……というか、雑感はこちらに書かせていただきました。
http://80646.diarynote.jp/?day=20111107
えーっと。
脚本的にも芝居(役者)的にもかなり完成度が高くて、その完成度ゆえにかえって感想を書くのが難しい……と悩んでいるうちに大劇場が終わり、そのまま東宝が始まってしまいました。
いちおう宙組ファン(←最近すごくあやしいけど)の一員の日記として、公演の真っ最中なのに更新が20日ぶりってどうなんだ?いかんいかん!
……というわけで、東宝を観てまいりました。
人の動かし方とか間の取り方とか、細かいところの変更点はいろいろあったような気がしますが(少年サルヴァトーレのマイクが入っていたりとか)(レニーの「最後、セリ下がってましたよ…」とか)、とりあえず台詞レベルで違っていたところで気がついたのは2箇所ですかね(他にもあると思いますので、気がついた方教えてください!)。
1つ目は、最初の撮影前のミーナの電話。これは、場面として追加されてますね。
「初めての仕事が決まったんよ!明日が撮影!」
と“おばあちゃん”に掛ける電話で、大劇場からあった「CMが決まった!」という電話の前振りになるわけですが。
最初の撮影直前のミーナと、それを無事撮り終え、オーディションにも参加して、お情けではなく自力で仕事を獲得したミーナ。『誰かがいる』ことに気づいて、強くなった彼女の変化を表すための場面追加なんだろうなーー、とは思うのですが……あまりに短いうえに、相手のいない「電話」というのは、ちょっと難度が高すぎるような気がしました(; ;)。
すみ花ちゃんは可愛かったけど、どうせ増やすならレニーとミーナの会話(インタビューを取りたいとサルヴァトーレに伝言をする場面)が観たかった……いや、そこまでの時間はなかったかもしれませんが(^ ^;ゞ
しっかし、ほんの1,2分だと思うんですけど、この場面を入れるために何かを削った……はずですよねえ?転換の時間とかを削って捻出したのかなあ……?
もう一つは、マリオたちの酒場のシーンで、駆けつけてきたサルヴァトーレがマリオに掛ける言葉。
「ジュリアーノ(寿)が、お前に辞表を提出させたと聞いた」
という台詞が追加になって、これに続けて大劇場の時の
「俺がお前を追い詰めたのか?」
につながったんですよね。
ここの会話は、ル・サンクが出た時にだいぶ話題になりました。
印刷された脚本では
「ジュリアーノが、辞表を出すようお前を追い詰めたと聞いた。俺は、お前を守れなかった」
というセンチメンタルな台詞になっていて、、、いやー、削除されて良かった、と思ったものです。
しかし、東宝で変更された台詞は、同じことを言っているのに全然ニュアンスが違うのがすごいな、と感心しました。さすが景子さん(^ ^)。このたった一言があるかないかで、マリオの立場は全然違うものに見えてくるし、作品の印象さえ、だいぶ変わったような気がします。
脚本の台詞だと、サルヴァトーレとジュリアーノは完全に対立し、マリオは『犠牲者』になってしまう。マリオ自身がどう考えているかによらず、サルヴァトーレはジュリアーノに敗北したことになってしまうんですよね。だから、削除した。それは、正しい。
でも、この会話がないと、マリオがすごく勝手な男になってしまう。辞める必要はないのに、何もかも面倒になって、全部捨ててしまうヴァガボンドみたいな印象が残ってしまうんです。もちろん、実際にはマリオはそういう人間ではないはずので、台詞がなくてもそこは芝居でカバーするべき(してほしかった)部分ではあるんですけどね。
だから。
東宝で追加された台詞によって、ジュリアーノの立場がはっきりしたのはすごく良かったと思います。
ジュリアーノがサルヴァトーレの意志を無視してマリオを追いだしたわけじゃない。マリオがサルヴァトーレの意志を無視して勝手に出て行ったんでもない。サルヴァトーレの中にはジュリアーノに賛同する部分とマリオを必要とする部分の両方があって、ジュリアーノにもマリオにも、そしてサルヴァトーレ本人にも、その迷いは判っていたんですよね。だからこそジュリアーノが動き、だからこそマリオは納得し、、、、だからこそ、サルヴァトーレの目も醒める。
自分が今歩いている道は、本当に自分の理想につながる道なのか?ということを、考え始める……。
話の展開的に、ジュリアーノがヒューストン(悠未)から金を貰ってマリオを切ったとか、そういう話じゃないはずなんですよね。
ヒューストンの目的は「アメリカ市場で馬鹿売れする(=大儲けできる)廉価なナポリスーツ」であって、何もサルヴァトーレ自身が欲しいとかそういう話じゃない。(←違いますよね? ^ ^;ゞ)
グランチェッロ側から売りこんだのか、ヒューストンが買いにきたのか、そのあたりは語られませんが、たぶん、最初の頃は「廉価なナポリスーツ」を提供してくれそうだったのはグランチェッロだけだったんですよね。
けれども、業界トップのグランチェッロは、プライドが高くて扱いにくい。何かというとすぐ「伝統の…」とか言い出して、歴史のない自分たちを馬鹿にしている(←ように聴こえる)
後から出てきた成り上がりのアジャーニの方が、言うなりになるだろうから、最初の話はなかったことにしてしまいたい。だから、グランチェッロがとても呑めないような条件を突きつけて、あとくされなく切ってしまおう……というのが、物語のスタート時点でのヒューストン側の意向のはず。
サルヴァトーレも、それは気づいているんでしょうね。先方は自分の商品に惚れこんで買いにきたわけではなく、話題性と物珍しさがほしいだけだ、と。品質が良ければそれに越したことはないくらいは思っているかもしれないが、それが付加価値になるとは思っていない、と。
だったら、こちらからお断りだ!……と自分の方から切り捨てるには、先行投資をしすぎてしまっている……というのが、グランチェッロ側の状況。少なくとも、ジュリアーノはそう思ってるんですよね。そういう台詞もあるし。
……たぶん、ミシンを大量に買っちゃってたんでしょう(^ ^)。
そんな状況の中で、今のマリオの存在は、邪魔でしかない。サルヴァトーレが決断するのを待っていては遅すぎる。だったら私が……とジュリアーノが動くのは、とても良く判ります。
長々と書いてしまいましたが、たった一言付け加えただけで、ジュリアーノとマリオの立場が全く違って見えるのが面白いなあ、と感心しました。
まあでも、こうなるとますます、サルヴァトーレ(とマリオ)が去った後の「グランチェッロ」の行く末が厳しそうに思えるんですが……仕事場の若者たちは大丈夫なのでしょうか(; ;)。
ジュリアーノも頑張ってくれるとは思うのですが、サルヴァトーレのセンスも技術面を支える存在もないとなれば、価格競争に陥るのは時間の問題ですからねえ……(泣)。
なーんて、、、余計なことばかり書いているような気がしますが。
そのくらい、本当にいろいろなことを考えてしまう作品でした。私にとっては。
その中でも、一番切ないのは、「アメリカ」という夢への純粋な憧憬なのかもしれません。
それは豊かさの象徴であり、平和の象徴であり、幸せの象徴でもあり……なにより、憧れのすべて、だったのでしょう。
映像の中の、ニーノ(月映)の語り。
「皆で手分けして作ったスーツがいつかアメリカに渡るかもしれねえ……そう思うと、ワクワクしてさ」
そのときの、えなちゃんの笑顔……。
手の届かない憧れだけど、憧れることができる自分は幸せなんだ、と。生きることだけに必死だった頃を思えば、夢を視ること自体が夢のようだよ、と。台詞ではそんなこと全然言ってないのに、そんな声が聴こえるような気がしてするんです。
「戦後のイタリア人にとって、アメリカは憧れそのもの。豊かさこそが幸せだと信じ、それを追い求めてきた。……だが、そのために喪ったものもあるのかもしれない。この国も、そして、自分も」
というサルヴァトーレのインタビューの直後なだけに、余計その憧れの純粋さが胸に沁みます。切なくて、痛々しくて、でもその純粋さが羨ましい、そんな感じ。
このお芝居はいろいろ胸に痛い台詞がたくさんあって、あちこちでうるうるしながらも泣くのは堪えている……んですが、その努力が無に帰すのは、だいたいこの場面ですなんですよね。映像を見ながら唇を噛みしめているサルヴァトーレも好きすぎる。
……毎回、あの場面のレニーの貌を見ようと思うんですが、未だ果たせてません(^ ^;ゞ おやっさんは結構観てるんだけどなあ。。。
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