銀ちゃんが恋した蒲田行進曲
2008年10月5日 宝塚(花) コメント (4)梅田のシアター・ドラマシティにて、 宝塚花組公演「銀ちゃんの恋」を観劇いたしました!!
面白かった!
切なくて、痛くて、苦しくて、
涙が止まらなくて、
でも、サイコーに楽しかったですp(^^)q!!
ぜひぜひ、一度は観てみてくださーい!!…みんな(主に心配なのは、銀ちゃんとヤス)の声が、ちゃんと出るうちに(笑)
なによりもまず、「銀ちゃん」のかっこよさに、乾杯。
思わず、「銀ちゃんかっこいい〜〜っ!!」と叫ばずにはいられない、輝かしさ。
そして、「小夏」の柔らかな可愛いらしさと「ヤス」の優しさ。おままごとのような、微笑ましい夫婦ごっこ。
この作品において、「銀ちゃん」はタイトルロールですが、観客の視点はつねにヤスに、あるいは小夏にあります。
一貫して、ヤスから見た「銀ちゃん」、小夏から見た「銀ちゃん」が描かれる。その二つの像は、つねに微妙な距離をおいて重なり合い、共鳴しあいつつ、「銀ちゃん」の実像には触れようとしない。
そこに居るのは、あくまでも“虚像のスター”としての倉丘銀四郎であって、“実在の個人”ではない。
だからこそ。
宝塚としては、あまりにリアルすぎて観るのも辛いほどだった、二幕のヤスと小夏の場面が、
(野々)すみ花ちゃんとみつる(華形ひかる)くんの、“かわいらしくて優しい”持ち味によってさりげなくカバーされ、その中で語られる銀ちゃんの性格破綻ぶりまでが、オブラートに包まれて、ファンタジーに、なる。
嘘のない、タカラヅカという名のファンタジーに。
銀ちゃんのカリスマぶりと、眩しいほどのスターオーラ。
そんなものが祐飛さんにあるなんて、今の今まで知りませんでした。
どんなに酷いひとでも、それ故にこそ愛さずにはいられない。それが、スターというものなのだ、と、
思い知って。
橘のめおちゃんの、さりげないスターオーラ。
まりんさんを中心とした、スタッフたちの手堅さ。
大部屋の俳優たち、
女優たち。
何よりも、下級生たちまで実に楽しそうに、遣りたい放題遣らせてもらって、楽しそうに輝いているのが、とても嬉しかったです。
楽まで、あと、10日。
みなさん、よろしくお願いいたします!!m(__)m
面白かった!
切なくて、痛くて、苦しくて、
涙が止まらなくて、
でも、サイコーに楽しかったですp(^^)q!!
ぜひぜひ、一度は観てみてくださーい!!…みんな(主に心配なのは、銀ちゃんとヤス)の声が、ちゃんと出るうちに(笑)
なによりもまず、「銀ちゃん」のかっこよさに、乾杯。
思わず、「銀ちゃんかっこいい〜〜っ!!」と叫ばずにはいられない、輝かしさ。
そして、「小夏」の柔らかな可愛いらしさと「ヤス」の優しさ。おままごとのような、微笑ましい夫婦ごっこ。
この作品において、「銀ちゃん」はタイトルロールですが、観客の視点はつねにヤスに、あるいは小夏にあります。
一貫して、ヤスから見た「銀ちゃん」、小夏から見た「銀ちゃん」が描かれる。その二つの像は、つねに微妙な距離をおいて重なり合い、共鳴しあいつつ、「銀ちゃん」の実像には触れようとしない。
そこに居るのは、あくまでも“虚像のスター”としての倉丘銀四郎であって、“実在の個人”ではない。
だからこそ。
宝塚としては、あまりにリアルすぎて観るのも辛いほどだった、二幕のヤスと小夏の場面が、
(野々)すみ花ちゃんとみつる(華形ひかる)くんの、“かわいらしくて優しい”持ち味によってさりげなくカバーされ、その中で語られる銀ちゃんの性格破綻ぶりまでが、オブラートに包まれて、ファンタジーに、なる。
嘘のない、タカラヅカという名のファンタジーに。
銀ちゃんのカリスマぶりと、眩しいほどのスターオーラ。
そんなものが祐飛さんにあるなんて、今の今まで知りませんでした。
どんなに酷いひとでも、それ故にこそ愛さずにはいられない。それが、スターというものなのだ、と、
思い知って。
橘のめおちゃんの、さりげないスターオーラ。
まりんさんを中心とした、スタッフたちの手堅さ。
大部屋の俳優たち、
女優たち。
何よりも、下級生たちまで実に楽しそうに、遣りたい放題遣らせてもらって、楽しそうに輝いているのが、とても嬉しかったです。
楽まで、あと、10日。
みなさん、よろしくお願いいたします!!m(__)m