月組東京宝塚劇場公演「ロミオとジュリエット」を観劇いたしました。


いちおう両バージョンとも観劇いたしまして、あらためてこの作品は面白いな!と思いました。
うん。何度観てもやっぱり面白い。センターの芝居も興味深いし、それ以上に、モンタギュー・キャピュレット両家の若者たちのダンスが本当に素晴らしくて、飽きません!大劇場で観た時と比べて、若者たちの「仲間」意識が増して、メンバー同士の交流がきめ細かくなったような気がしました。とゆーか、あちこちで全員が色んな人といろんな場面で絡みまくってくれるので、とてもとても全部は追いきれませんが……(^ ^)結局のところ、何回でも観たくなってしまうってことなんですが(^ ^)。

過去上演された組(星組・雪組)はどちらも「贔屓組」とはいえない組でしたので、両家のダンサーも全員はわからなくて、なんとなく、知っている人を中心に漫然と観ていた感じでしたが、今回はさすがに男役も娘役も全員わかるようになったので、1人1人の行動を追いかけて、場面ごとにアテレコたくなってしまうんですよね。
また、場面ごとに組む相手が違ったりするのも意外で興味深くて……あれ?としちゃん(宇月)の恋人は(白雪)さち花ちゃんだと思ってたのに、(紗那)ゆずはちゃんとラブラブしてていいの? とか、細かいところをつっこみたくなってしまいました(^ ^)。
月組っ子らしいリアルな小芝居をする場面が多くて、すごく楽しそうなのが、観ていて眩しいです。この作品の場合、へたに良い役がつくより絶対両家のダンサーがいい!と思っていましたが、好きなひとがみんなモンタギュー家になっちゃったんで滅茶苦茶忙しい、という問題があるの以外は、とても幸せです(*^ ^*)。



いろいろ書きたいことはとても沢山あるのですが、それはまたおいおい…ということで、まずは、役替りのロミオについて。

私は、以前にも書きましたが、どちらのバージョンもとても好きです。
どちらも違って、どちらも良い。本当にそう思う。それは、龍ロミオと明日海ロミオに限ったことではなくて、星組の柚希ロミオも素敵だったし、音月ロミオはマイベストロミオかもしれないと思っているし、彩風ロミオも可愛くて好きでしたし、たぶん珠城ロミオもすごく好きになると思う。
作品自体が主演を魅力的に見せる作品であるという以上に、この作品に取り組んで魅力的になれるのが「宝塚のトップスター」なんだな、と思うんですよね。必要とされる要素が似ているんだと思うのです、ロミオとトップスターと。

だから、大劇場公演を観た時に思った、「龍ロミオ・明日海ティボルト版の方が公演としてしっくりくる」という感想は、役者個人に関わるものではなく、やっぱり彼らの立場によるものなんだろうな、と、あらためて思いました。
さすがに東宝までくると、いろいろなしがらみは2の次になった印象で、まさおくんもみりおくんも遠慮なく自分の持てる力を出しきっているな、と思いました。なにより、両家のダンサーたちのパワーがすごく出てきたぶん、センターは余計なことを考える余裕がなくなった感じ。
良い意味で必死感が見えて、どちらもすごく良くなったと思います。


あらためて、お二人のロミオを観て思ったこと。

まさおくんのロミオは、純粋無垢な子供なんですね。
大劇場でも若くて元気なロミオだなあ、と思ったのですが、東宝ではさらに若返って、最初の登場シーンからして、本当に「子供」……いえ、ぶっちゃけ「ガキ」って感じ(^ ^;ゞ。自分を探しに来たベンヴォーリオにたんぽぽの綿毛を吹きつけてその隙に隠れちゃうとか、本当に悪戯っ子っぽくて、あーちゃん(花瀬)が「過保護な母親」になるのもわかるなあ、というガキっぷり。

モンタギュー家の跡取りだから大事にはされているけど、「世界の王」での雰囲気は、ぜんぜん「仲間」感がなくて、物凄く浮いているのも興味深かった。存在自体が浮いていて、いかにも「やっと仲間に入れて貰ったばかりの小さい子なんだけど、立場として上になるから大事にしている」感じが漂ってるなあ、と思ったんですよね。

ちょっと卑近なたとえですが、どこかの社宅の子供社会で、みそっかすの1年生が部長の息子だとか、そういう関係に見えました。
ロミオ自身は可愛くて素直な子で、ちょっと我侭だけどそれなりにみんなに愛されているし、6年生のベンヴォーリオとマーキューシオが目を光らせているから集団としてもまとまっていられる、的な。なんか全然伝わりそうにないけど、私にはそんな風に見えました。

なんていうのかな、「僕がいたら皆を止めたのに!」という台詞に、なんら現実味がなかったんですよね。
そもそも彼はいなかったし、何故いなかったのかといえば集団の中の居心地が悪いから、だとしか思えない。喧嘩も弱いみそっかすなのに身分だけは高い、そこに多少の忸怩たるものがあると思うんですよね。だからロミオは、1人でいるときの方がパワフルで、集団の中にいるときは少し強がっているように見える。本当に強い子ならば自然に1人でいられるのに、龍ロミオは弱いから、自分を守ってくれる集団の中で、居心地悪げに強がっている。そんな感じ。
マギーのベンヴォーリオは、全面的に体育会計だからそのへんは流している感じで、「無理だろ」と突っ込むまでもなく無理なんだけど、はっきり言っちゃったら可哀相だから黙ってる、みたいな微妙な間があるのが良い感じです。

だけど、2幕の「街に噂が」や決闘の場面の龍ロミオは、もうみそっかすの子供ではないんですよね。
彼はジュリエットを守るために大人になろうとした。喧嘩は一朝一夕には強くならないけど、気持ちの上ではちゃんと「一人前の闘士」として敵と対峙する気力がある。そうなって初めて、モンタギューの若者たちもロミオを「リーダー」と認めた……ように見えるんです。そういう場面があるわけではないんですが、なんとなく。



それに対して、みりおくんのロミオは、最初から大人でした。
「WEST SIDE STORY」のトニーと同じく、「元はモンタギューの荒くれ連中のリーダーだったが、いまはもう大人になって、『街の平和と発展』みたいなことを考え始めている」……んですよね、たぶん。
腕っ節も誰より強い……ようには見えないから、たぶん参謀タイプだったんでしょう(^ ^)。頭脳担当のロミオが抜けて、いまは実務担当のベンヴォーリオとマーキューシオがチームを引っ張っている、って感じかな。

きらきらしてて綺麗で若いんだけど、精神的にはかなり老成してる印象があったんですよね。どうしてそう思ったかと言うと、まず「僕がいたらみんなを止めたのに!」と言い方の重み、かな。じっさい、明日海ロミオになら止められるのかもしれない、と思いました。龍ロミオには止めようのない、あの渦巻くエネルギーを、明日海ロミオなら。
ただ、彼はあの場にいなかった。あの場にいるべき人間ではなくなってしまった。もう。若者でも大人でもない、何か中途半端な存在になってしまった青年。それは「恋」をする準備だったのかもしれません。パワーを喧嘩に費やしている間は、本気の恋はできないはずだから。




誰よりも弱くて、純粋無垢な、「可愛がられる子供」であった龍ロミオ。
彼が恋をしたときの「地に足のついていない」様は、目を逸らしたくなるくらい可愛くて、ふわふわで、甘やかでした。

誰よりも優しくて、寂しくて、誰かを愛したくてたまらない「愛したい青年」の明日海ロミオ。
彼が恋をしたときの幸せそうな様子は、涙が出るほどきれいで、切なくて、胸がきゅんとしました。

この二人と組むジュリエットが、「愛したがりの子供」であるちゃぴ(愛希)だったのは、、もうこれは、運命というか、ちゃぴだったからこそこの企画が成り立った、というか。

……大好きです、3人とも。





東宝が開幕して一週間。前半がまさおロミオ、後半がみりおロミオという変則的なスケジュールでしたが、来週からはまた毎日役替りなんですよね。特に新公メンバーは体力的に辛いところだと思いますが、せっかく良い作品に出ているのだから、たくさんのものを吸収して、どかんと成長していただきたいな、と思います。
組自体が若くなったところだから、新公メンバーが成長して「組」としてのレベルを底上げするしかないんですよね。綺麗だし、技術的なレベルは決して低くないんだけど、地に足のついた落ち着きに欠ける今の布陣。90期以下、特に新公学年以下のメンバーには、せっかくのチャンスなんだから、本当にがんばってほしいなぁと思います!