東京芸術劇場中ホールにて、ブロードウェイミュージカル「サイド・ショウ」を観劇いたしました
(二度目)♪



いやー、今日が千秋楽だったんですよね。
本当に良い作品で、出演者のみなさまも輝いてました(*^ ^*)。公演期間が短かったのが心残り……。
同じメンバーで再演してほしいなあ。絶対観にいくわー。


キャストについては前回書いたので、今回は作品について。




同様に結合性双生児を取り扱った夢の遊眠社の「半神」(原作・萩尾望都)は、衣装が腰のところでつながっていたのですが、「サイド・ショウ」は、衣装や器具で二人の身体を固定することなく、ただ並んで立っているだけ。これはブロードウェイ版もそうだったようですが(途中で離れる演出もあるので)、本当に繋がって見えるのが凄いな、と思いました。
たとえば、デイジーが右へ行こうと思っても、ヴァイオレットが行きたくないと思っていれば、あとは力比べになるわけですよね。手をつないでいれば、手を引っ張るという芝居ができるけど、手を離しているときにそういうことがあれば、ちゃんと力負けしたほうは腰から引っ張られてるんですよ(@ @)。すごい自然でした。特筆する必要も感じないほどに。
あの自然さが凄い!
「Leave Me Alone」なんて、つかみ合いの喧嘩するのに(!)よく離れちゃわないなあ(^ ^;。

暗転してはけるときでも、離れずにちゃんとくっついたまま歩いていく二人が、とても可愛いです。セットの上で終わって舞台奥へはける演出も多いんですが、回れ右するわけにもいかず、くっついたまま大回りして回ってる二人も、すごく可愛い(*^ ^*)。




で。
とにかく、音楽が良かった!です♪

物語のテーマとして、冒頭から何度も流れる「Come Look at the FEAKS(バケモノを観においで」。
離れられない結合性双生児のヴァイオレット(貴城けい)とデイジー(樹里咲穂)が喧嘩をする「Leave Me Alone(一人にして)」。
一幕のラストに歌われる「Who will Love Me As I Am(ありのままの私を愛して)」
ジェイク(岡幸二郎)の真情を綴る「You Should Be Loved(君を愛すべき人)」
デイジーとテリー(下村尊則)、ヴァイオレットとバディ(伊礼彼方)のそれぞれの愛が交差する「Tunnel of Love(愛のトンネル)」。
そして、すべてを喪った姉妹が絶望の中で歌い上げるラストの絶唱「I Will Never Leave You(一人にしない、決して)」。

中でも、「Come Look at the FEAKS」に「ミニオイデ」「バケモノヲ」と同じ五音節の訳語をあてたのは秀逸だったな、と。あの複雑なコード進行に、このシンプルで印象に残る単語がきれいに乗って、忘れられないワンフレーズになりました。

そして、暗闇の中で自分たちの真実と向き合う、四重奏の「愛のトンネル」も。力強いリズムにのって、原初の欲望に向かい合うデイジーとテリー、未来への不安に怯えるヴァイオレットとバディ、二つの恋模様。下村さんのドラマティックな歌い方がちょっとヤリスギ感もありましたが、ディープキスの時の性急さといい、なんだかすごくエロティックな場面になってました。……樹里ちゃんに、あんな色気があるとは思わなかったよ(^ ^;ゞさすが、人妻経験(*^ ^*)のある人は違いますね(←そういうものなのか…?)




全体を貫くテーマは、一幕ラストのナンバーのタイトルになっている「ありのままの私を愛して」だと思いました。
結合性双生児、という、その身体を見せるだけで金が取れたヒルトン姉妹。
彼女たちを愛する3人の男。ミュージシャンのバディ、プロデューサーのテリー、そして、見世物小屋で一緒に育ってきた、黒人のジェイク。
ジェイクとバディは、姉妹と一緒に舞台に立ち、一緒にスターへの階段を上がっていく。
彼らのマネジメントをすることで名声を得るテリー。
三人がそれぞれに姉妹を利用しつつ、それでも、たしかな愛もあった。

ヴァイオレットの泣き顔を視ていられなくて、慰める言葉の勢いでプロポーズしてしまう、優しいけれども軽率なバディ。
思慮深すぎて、大切な一歩を踏み出せない『大人の男』テリー。

そして、真実に『ありのままの』ヴァイオレットを愛していた、ジェイク。



この物語の一番辛いところは、そんなジェイクの愛を拒否するヴァイオレットが、理由として口にした言葉だと思うんです。
この時点では、彼女はまだバディを愛していたし、信じている。だから、ジェイクの気持ちには応えられない。そういえばよかったのに。

なのに、彼女は、嘘が吐けない。
兄のように慕っていたジェイクにだけは。

♪だって、違うわ……肌の色が
そう口に出したとき、彼女は自分の愛に自信を失くしてしまう。

「ありのままの」ジェイクを愛せない自分が、バディに「ありのままの自分を愛してほしい」と望むのは、高望みなのではないか?罪なのではないか?……と。


「As I Am」~ありのまま、とは、何か。
ありのままの自分とは。

ミュージカルではよく出てくるフレーズなだけに、余計重たく心に響くテーマだったと思います。





サイド・ショー。
もとは、サーカスなどの脇(サイド)でひっそりと行われていた、アングラな見世物小屋で行われる、先天性の畸形や病気の後遺症、あるいは扮装などによってバケモノを模した人々によるショー。
骨盤を共有していたヒルトン姉妹も、イギリスに生まれ、実の母親にそういったところに売られて、その世界しか知らずに大きくなった。外の世界を知らない、外に出たいと思ったことさえなかったはずの、二人。閉ざされた世界の中で、座長の行動に疑問さえ抱くことなく。
それでも、その美貌と音楽的才能によって、彼女たちはサイド・ショーのスターになった。
そこまでは、史実どおりのようです。
彼女を“見出した”テリーとバディはフィクションのようですが、彼女たちは実際にも「Feaks」という映画に出ているし、実際、それぞれ別の男性との結婚経験もあるようですね。
障害の多い憂き世を、しっかりと手を繋いで生き抜いた、二人の美女。

20世紀前半。この時代には、実際にサーカスの脇でこういうひとたちがショーをしていたのか、と思うと、ひどく切なくなります。それでも、彼女たちは彼女たちなりに、プライドを持って『自分にしか出来ない仕事』をしていたんだろうなあ、と……
座長に言われるままに身体を見せるのではなく、歌で、ダンスで、観客を魅了して、スターになると決めたときに。



気が強くて前向きで、思い込んだら一直線!のデイジー。
優しくて泣き虫で、でも何かあれば誰より強くもしなやかにもなれる、ヴァイオレット。
寄り添って立っていても全く同じように見えるスタイルの類似性によって、その顔に浮かぶ表情の違いが鮮明に浮き上がる。常にお揃いの、左右対称な衣装を着て、同じ振り付けのダンスを踊って、それでも全く違って見える、二つの魂。

樹里ちゃんとかしげちゃんのキャラクターが、それぞれの役にぴったりと嵌っていて、驚きました。



人間の弱さを真正面から描いていて、観ていてとても辛いけれども。
でも、とても美しい物語。
そこには、嘘のない人生を送った二人の美女がいるから。


兄のように慕ったひとも、
結婚の約束をしたひとも、
愛を確認しあったひとも、

すべてを喪っても、まだ片手の先には、お互いを見出すことができる。

たとえ、そのすべてを喪った原因が、常に隣に寄り添う姉妹であったとしても。
それでも、独りではないことが、それだけが、辛い人生を生きる彼女たちの、唯一の救いだったーーーー。





他にもたくさん書こうと思っていたことがあるはずなのに(涙)、なんだか、胸がいっぱいで思い出せません。
とにかく良い作品でした。

……辛いけど。


もしも再演が実現したら、今回ご覧にならなかった方も、ぜひぜひご検討くださいませ。


せめてCDなりと出るといいんだけどなあ。音楽が素晴らしかったし、あれだけの歌唱力のあるキャストが揃うのも珍しいので。
そんな希望を抱きつつ。




全然関係ありませんが、日本語の「○○フリーク」って言葉は、この「フリークス(FREAKS/バケモノ)」と同じ語源なんでしょうか……。
おそらく、英語ではもっとインパクトのある言葉なんでしょうねえ。日本語だと、せいぜい「熱狂的なファン」くらいの印象ですけど。