1940年12月21日、スコット・フィッツジェラルドは44年と3ヶ月の生涯を閉じました。

それが、67年前の、今日。



3年前の「The Last Party」のラストシーンは、鮮烈に瞼に焼き付いています。

「1940年12月21日」と映るスクリーンを観るだけで泣けた、あの時。



今、宝塚バウホールでは、あのラストシーンから約8年(推測。多分)が過ぎたハリウッドを舞台に、新しい愛の物語が語られています。

女なら誰もが夢に見る“理想の男”と、映画界を代表するスター女優との、激しくて、切なくて、哀れな、恋。



1930年代後半。
スコット・フィッツジェラルドは、借金の返済と娘の学費を稼ぐためにシナリオライターとして映画会社と契約し、ハリウッドに住まう。ライターの仕事の合間に小説を書きながら、シーラ・グレアムとの穏やかな愛を得て。

それでもなお、アルコールを手放すこともできず、自身のことを「ハリウッドの雇われライター」と自嘲していた彼が、

若くて、ハンサムで、輝くような才能に溢れ、
自らのインスピレーションを最大に刺激してくれる生涯の伴侶と巡り会ったばかりのステファーノ・グランディと、出会ったとしたら?

たとえば、シーラの紹介で?



…なーんてことを毎日考えている自分が怖い……。



観劇なさっていないみなさまの為に一応申し添えておきますと、
当たり前ですが「Hollywood Lover」にフィッツジェラルドは出てきませんし、話題にもなりません。
シーラがちょっと匂わせるくらいで。

ただ、シーラの存在そのものが「The Last Party」を本歌取りしていることを明確にするためのキャラクターなのだとは思います。
出てこないけれども、物語の裏に、つねに「The Last Party」のテーマが、流れているので。



今回、映画監督、という異分野のクリエーターを主人公に据えながら、植田景子さんは、お得意の「創作とは」論をほとんど出していません。
「ル・プティ・ジャルダン」でもストレートに語られた、「創作」ということに対する彼女の想いの深さを思えば、今回全く語られないのが珍しいような、物足りないような気がするのです。

でも。
「無から何かをクリエイトする苦しみ」「創造者にとって恋愛とは何か」については、前作「The Last Party」という名作でかなりの深さまで描ききってしまったから。
だから今回は、もっと違う切り口で人生を語りたかったのだろうと思います。

愛、という軸で。

だから。
「“クリエーターの苦労”については、前作でも散々やってよね、それを思い出してね」というスタンスで作品を創られたのではないでしょうか。

シーラという記号でそこをつないで、
祐飛さんとあいちゃんの芝居力で納得させる。

無駄のない作劇だなあ、と感心するばかりです♪


「演技しなくていいんだ。誰もがたった一人のOnly ONEなんだから」(意訳)という、どこかで聞いた歌詞のような台詞があったりしますけど、ね(^ ^;ゞ。








話は違いますが。

今日は何の日?をながめていたら、新しい知識が!
12月21日は遠距離恋愛の日なんだそうです!\(^ ^)/

そ、そ、そんな日があったんかいっ!!

遠距離恋愛中の恋人同士が、クリスマス前に会ってお互いの愛を確かめあう日、なんだそうです。へーへーへーへー。

私たちファンも、遠距離恋愛…というか、永遠の遠距離片思い中、ということで、この記念日を心から祝いたいと思います……

東京の空の下で、ね(*^ ^*)。



大好きな祐飛さんに、
大好きな月組生に、
宝塚に関わるすべてのみなさまに、

……プロスト(乾杯)!