詩人の吉野弘さん死去(NHK)
2014年1月21日 時事ニュース
吉野弘さんの訃報にふれて、久しぶりに昔のことを思い出しました。
すごく個人的な思い出なのですが、ちょっとだけ。
私は学生時代に混声合唱をやっていたのですが、吉野さんの詩による、高田三郎さん作曲の組曲「心の四季」は、とても好きな作品の一つでした。
中でも「雪の日に」が好きで、よく一人で勝手に歌っていたんですよね。。。
雪がはげしく ふりつづける/雪の白さを こらえながら
そんなフレーズではじまるこの作品は、詩集「感傷旅行」所収。元々合唱からはいったせいもあって、私が彼の詩集に触れたのはずいぶん後なのですが、『言葉そのものが哀しいほど美しい』というよりは、『浮かぶ情景や心情がリアルでひどく辛い』という印象の詩が多かったような気がします。
詩というより、一遍の物語のような、、、いやむしろ、呟きのような?
どこに 純白な心など あろう/どこに 汚れぬ雪など あろう
合唱曲として、一曲のクライマックスにあたるこのフレーズは、叩きつけるような激しいメロディと共に、いままでも何かあるたびに思い出していました。
雪は 汚れぬものとして/いつまでも白いものとして/空の高みに生まれたのだ
その悲しみを どうふらそう
白くあらねばならない悲しみ、自分はいつまでも白くはいられないのに、他人から白くあることを求められる苦しみ、その期待に応えられない悔しさ。そういう矛盾や切なさを、
記事に書かれている「夕焼け」が、「心の四季」の吉野さんと同じだと気がついたのは、実はずいぶん後でした(^ ^;ゞ。あの詩も好きでしたし、当時の国語教師がいくつか彼の詩をピックアップして教えてくれたりしたのも、けっこうよく覚えています。私はどちらかといえば抒情的な詩が好きだったはずなのですが、吉野さんの作品は、「詩」というよりは「物語」と受け止めていたような気がします。
雪はおのれを どうしたら/欺かないで生きられるだろう
彼が言葉で描きだす、優しくて温かくて残酷な心象風景が、とても好きでした。
ずっと大ファンで詩集を何度も読んで、、、ということは無かったのですが、いま、ニュースにふれていろいろ思い出してみると、意外に私の感覚の根っこのどこかに彼の詩があるんだな、と、あらためて思ったりして、、、
雪の上に 雪が/その上から 雪が
あの時期に、ちゃんと彼の「詩集」を読んでいたら、どうなっていたかな、なんて考えたりします。
いや、たぶんなにも変わらないんでしょうけれども。
かさねられていく/かさなっていく かさねられていく
だって私は、私にしかなれなかったのだから。
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すごく個人的な思い出なのですが、ちょっとだけ。
私は学生時代に混声合唱をやっていたのですが、吉野さんの詩による、高田三郎さん作曲の組曲「心の四季」は、とても好きな作品の一つでした。
中でも「雪の日に」が好きで、よく一人で勝手に歌っていたんですよね。。。
雪がはげしく ふりつづける/雪の白さを こらえながら
そんなフレーズではじまるこの作品は、詩集「感傷旅行」所収。元々合唱からはいったせいもあって、私が彼の詩集に触れたのはずいぶん後なのですが、『言葉そのものが哀しいほど美しい』というよりは、『浮かぶ情景や心情がリアルでひどく辛い』という印象の詩が多かったような気がします。
詩というより、一遍の物語のような、、、いやむしろ、呟きのような?
どこに 純白な心など あろう/どこに 汚れぬ雪など あろう
合唱曲として、一曲のクライマックスにあたるこのフレーズは、叩きつけるような激しいメロディと共に、いままでも何かあるたびに思い出していました。
雪は 汚れぬものとして/いつまでも白いものとして/空の高みに生まれたのだ
その悲しみを どうふらそう
白くあらねばならない悲しみ、自分はいつまでも白くはいられないのに、他人から白くあることを求められる苦しみ、その期待に応えられない悔しさ。そういう矛盾や切なさを、
記事に書かれている「夕焼け」が、「心の四季」の吉野さんと同じだと気がついたのは、実はずいぶん後でした(^ ^;ゞ。あの詩も好きでしたし、当時の国語教師がいくつか彼の詩をピックアップして教えてくれたりしたのも、けっこうよく覚えています。私はどちらかといえば抒情的な詩が好きだったはずなのですが、吉野さんの作品は、「詩」というよりは「物語」と受け止めていたような気がします。
雪はおのれを どうしたら/欺かないで生きられるだろう
彼が言葉で描きだす、優しくて温かくて残酷な心象風景が、とても好きでした。
ずっと大ファンで詩集を何度も読んで、、、ということは無かったのですが、いま、ニュースにふれていろいろ思い出してみると、意外に私の感覚の根っこのどこかに彼の詩があるんだな、と、あらためて思ったりして、、、
雪の上に 雪が/その上から 雪が
あの時期に、ちゃんと彼の「詩集」を読んでいたら、どうなっていたかな、なんて考えたりします。
いや、たぶんなにも変わらないんでしょうけれども。
かさねられていく/かさなっていく かさねられていく
だって私は、私にしかなれなかったのだから。
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