宙組東京宝塚劇場公演「風と共に去りぬ」
千秋楽おめでとうございます!
そして。
夢月くん、貴姿くん、咲花さん、そして、ともちん(悠未)、ご卒業おめでとうございます!!
明日からの日々が、夢に溢れた素敵なものになりますように。
今回の公演はチケットもなかったし、あんまり回数を観られなくて、、、あまり語る権利はないなと自分でも思うのですが(^ ^;ゞ。あくまでも個人的な印象を書くことを赦していただけるなら、組み合わせとして、Bパターンの方が興味深かったと思います。これで、パターンによらず「セントルイス・ブルース」のセンターはともちん固定だったら、文句なかったのになあ……と思ったくらいには。
ルネは、一幕のやんちゃさと二幕のギャップが大きいともちんの方が存在感があったし、
アシュレは、力強くて地に足がついた優しいともちんよりも、浮世離れした王子さまっぽさのあるまあくん(朝夏)のほうがイメージにあっていたと思うし……
スカーレットは、大人っぽくて美人の朝夏スカーレットよりも、最後まで少女のまま、大人の欲望に染まらないままだったBパターン(七海)のスカーレットが、私はとても好きでした。
脚本(お芝居)としては言いたいことは沢山ありますが、それでも、かいちゃんのスカーレットは魅力的で、バトラーが恋をするのも、そして、最後に「そんなふうに、君は子供なんだよ…」という言葉を(実感を篭めて)手渡して去っていくのも、すごく納得できたんですよね(T T)。
テルくん自身は「僕はいつだって独りだったんだから…」という台詞を大切に、そこに向けて役づくりをしているというお話を何かでされたようですが、Aパターンを観たとき、彼の孤独感が実感として伝わってきたので、ああ、こういう役づくりだったんだな、と思ったのでした。
ただ、Bパターンでは、かいちゃんの純粋さと子供っぽさの方が立ってみえて、バトラーの孤独よりも、スカーレットの子供っぽさ(バトラーとの世界観のずれ)のほうが印象として強くなっちゃうんですよね。
元々、バトラーの心情を追う脚本ではないので、どうしてもスカーレットに持っていかれてしまいがちで。。。AパターンとBパターン、スカーレットのキャラクターがあまりにも違うので、絡みの多いバトラーのテルくんは、本当に大変だっただろうな、と思いました。
そして、もう一人。今回の公演で「ほお」と感心したのは、メラニー(実咲)でした。正直、この脚本だとメラニーは作家が都合よく出してるだけで、意味のある台詞なんて殆どないのですが……それでも、みりおんの落ち着いた柔らかな声に良く似合っていたし、隙間のありすぎる脚本が、逆に彼女の性格に深み(想像の余地)を与えていたような気がします。
面白かったのは、みりおんのメラニーが天使じゃなかったことでした。
内心は、スカーレットと同じ進歩的な考え方を持ち、南部は今のままではいけないと考えているメラニー。敗戦で何もかも喪った後でも、豊かな北部と、もっと交流すべきだと思っているメラニー。
なのに、肝心なことは口には出さず、うるさ型の奥様方を上手にさばいて(←さばいている自覚もちゃんとあって)信頼を獲得し、、、ちょっとそこらには居ないくらい、ものすごく有能な参謀タイプなんじゃないか、と。
2幕後半を見ていて、へたをしたら、生活力のないアシュレ(朝夏)にうんざりしているんじゃないか、とか、むしろバトラーに憧れめいた気持があって、彼の一途な愛に応えてあげないスカーレットに苛ついているんじゃないか、とか、、、そんなことさえ勘繰りたくなるほど、リアリストで計算高くてしっかり者のメラニー。脚本全体のスカーレットの比重をもっと落して、バトラーとメラニーの心の交流をもう少し描いたら、面白い公演になったんじゃないか、、、なんてことも考えたくらい、みりおんのメラニーは印象的でした。
映画とは全然イメージが違ったので、本当にそれで良かったのかどうかはわかりませんが(^ ^;ゞ、
私は「風と共に去りぬ」は映画が好きで何度か視ています(とはいっても、映画館で視たことはなくてTVのみ)が、宝塚版は、轟さんがバトラーをされた日生劇場公演版を観たのみ。なので、、、プロローグが終わったらアトランタだった時には、驚愕のあまり声が出ました。まさかのタラ場面全カット……!!!日生劇場版が普通じゃないなんて誰も教えてくれなかった!!
その後も、スカーレットの妹が出てこないので、2人目の夫が飛ばされるのは予想していたのですが……まさかのプロポーズカットにも驚きました。恋愛ものなのになんでプロポーズがない!!?幕が上がったら結婚披露のパーティーだった時には、唖然として声も出ませんでした。
……話を聞くと、「バトラー篇」は昔からこういう脚本だったようなので、驚く私が今更なのでしょうし、今年上演した「ベルサイユのばら」の惨状を見るにつけ、今の植田(紳)さんが脚本変更しても、良くなるとは思えないので、そのままで正解なのだろうとは思うのですが。
しかし!!あれのどこがバトラー篇なのか、私には全くわかりませんでした!
(きっぱり)
バトラー篇というからには、樫の木屋敷(スカーレットの父母)と、カーテンのドレスを着たスカーレットが訪ねて来るところは必須なんじゃないかと…(T T)。私はスカーレット篇を観たことがないのですが、今回の脚本も十分に「スカーレット篇」だと思うんですよね。だって、徹頭徹尾スカーレット側の視点でしか語られないんだもの。
バトラーが自分が「南部の男」であることを自覚し、戦争に志願するきっかけになる少年兵のエピソードとか、戦争が終わってから一財産築くまでの間の彼の行動とか、、、タラの屋敷で困っているスカーレットとアシュレのエピソードとかいらないんですよ。緑のカーテンで作ったドレスを着こなしたスカーレットが、バトラーのところを訪ねてきたときに説明すればいい。どうせ説明台詞しかないんだから。
あるいは、スカーレットとアシュレの逢引がバレる経緯はあれでもいいけど、その噂をバトラーが聴きこんでショックを受ける場面をつくるとか……スカーレット篇とバトラー篇で、必要な場面は全く違うと思うんですよね。
……無意味に熱く語ってしまいました。どうせ誰にも届かないのに……せっかくの千秋楽に、すみません。
なにはともあれ、千秋楽おめでとうございました!!
次は中日(キャパ/シトラスの風に)と、ドラマシティ。上田久美子さんの新作は、まさに今再演中の「月雲の皇子」をあらためて観て、また一段と期待値が上がっております。
プレッシャーもあるかと思いますが、どうぞ宙っ子をよろしくお願いいたします!!
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千秋楽おめでとうございます!
そして。
夢月くん、貴姿くん、咲花さん、そして、ともちん(悠未)、ご卒業おめでとうございます!!
明日からの日々が、夢に溢れた素敵なものになりますように。
今回の公演はチケットもなかったし、あんまり回数を観られなくて、、、あまり語る権利はないなと自分でも思うのですが(^ ^;ゞ。あくまでも個人的な印象を書くことを赦していただけるなら、組み合わせとして、Bパターンの方が興味深かったと思います。これで、パターンによらず「セントルイス・ブルース」のセンターはともちん固定だったら、文句なかったのになあ……と思ったくらいには。
ルネは、一幕のやんちゃさと二幕のギャップが大きいともちんの方が存在感があったし、
アシュレは、力強くて地に足がついた優しいともちんよりも、浮世離れした王子さまっぽさのあるまあくん(朝夏)のほうがイメージにあっていたと思うし……
スカーレットは、大人っぽくて美人の朝夏スカーレットよりも、最後まで少女のまま、大人の欲望に染まらないままだったBパターン(七海)のスカーレットが、私はとても好きでした。
脚本(お芝居)としては言いたいことは沢山ありますが、それでも、かいちゃんのスカーレットは魅力的で、バトラーが恋をするのも、そして、最後に「そんなふうに、君は子供なんだよ…」という言葉を(実感を篭めて)手渡して去っていくのも、すごく納得できたんですよね(T T)。
テルくん自身は「僕はいつだって独りだったんだから…」という台詞を大切に、そこに向けて役づくりをしているというお話を何かでされたようですが、Aパターンを観たとき、彼の孤独感が実感として伝わってきたので、ああ、こういう役づくりだったんだな、と思ったのでした。
ただ、Bパターンでは、かいちゃんの純粋さと子供っぽさの方が立ってみえて、バトラーの孤独よりも、スカーレットの子供っぽさ(バトラーとの世界観のずれ)のほうが印象として強くなっちゃうんですよね。
元々、バトラーの心情を追う脚本ではないので、どうしてもスカーレットに持っていかれてしまいがちで。。。AパターンとBパターン、スカーレットのキャラクターがあまりにも違うので、絡みの多いバトラーのテルくんは、本当に大変だっただろうな、と思いました。
そして、もう一人。今回の公演で「ほお」と感心したのは、メラニー(実咲)でした。正直、この脚本だとメラニーは作家が都合よく出してるだけで、意味のある台詞なんて殆どないのですが……それでも、みりおんの落ち着いた柔らかな声に良く似合っていたし、隙間のありすぎる脚本が、逆に彼女の性格に深み(想像の余地)を与えていたような気がします。
面白かったのは、みりおんのメラニーが天使じゃなかったことでした。
内心は、スカーレットと同じ進歩的な考え方を持ち、南部は今のままではいけないと考えているメラニー。敗戦で何もかも喪った後でも、豊かな北部と、もっと交流すべきだと思っているメラニー。
なのに、肝心なことは口には出さず、うるさ型の奥様方を上手にさばいて(←さばいている自覚もちゃんとあって)信頼を獲得し、、、ちょっとそこらには居ないくらい、ものすごく有能な参謀タイプなんじゃないか、と。
2幕後半を見ていて、へたをしたら、生活力のないアシュレ(朝夏)にうんざりしているんじゃないか、とか、むしろバトラーに憧れめいた気持があって、彼の一途な愛に応えてあげないスカーレットに苛ついているんじゃないか、とか、、、そんなことさえ勘繰りたくなるほど、リアリストで計算高くてしっかり者のメラニー。脚本全体のスカーレットの比重をもっと落して、バトラーとメラニーの心の交流をもう少し描いたら、面白い公演になったんじゃないか、、、なんてことも考えたくらい、みりおんのメラニーは印象的でした。
映画とは全然イメージが違ったので、本当にそれで良かったのかどうかはわかりませんが(^ ^;ゞ、
私は「風と共に去りぬ」は映画が好きで何度か視ています(とはいっても、映画館で視たことはなくてTVのみ)が、宝塚版は、轟さんがバトラーをされた日生劇場公演版を観たのみ。なので、、、プロローグが終わったらアトランタだった時には、驚愕のあまり声が出ました。まさかのタラ場面全カット……!!!日生劇場版が普通じゃないなんて誰も教えてくれなかった!!
その後も、スカーレットの妹が出てこないので、2人目の夫が飛ばされるのは予想していたのですが……まさかのプロポーズカットにも驚きました。恋愛ものなのになんでプロポーズがない!!?幕が上がったら結婚披露のパーティーだった時には、唖然として声も出ませんでした。
……話を聞くと、「バトラー篇」は昔からこういう脚本だったようなので、驚く私が今更なのでしょうし、今年上演した「ベルサイユのばら」の惨状を見るにつけ、今の植田(紳)さんが脚本変更しても、良くなるとは思えないので、そのままで正解なのだろうとは思うのですが。
しかし!!あれのどこがバトラー篇なのか、私には全くわかりませんでした!
(きっぱり)
バトラー篇というからには、樫の木屋敷(スカーレットの父母)と、カーテンのドレスを着たスカーレットが訪ねて来るところは必須なんじゃないかと…(T T)。私はスカーレット篇を観たことがないのですが、今回の脚本も十分に「スカーレット篇」だと思うんですよね。だって、徹頭徹尾スカーレット側の視点でしか語られないんだもの。
バトラーが自分が「南部の男」であることを自覚し、戦争に志願するきっかけになる少年兵のエピソードとか、戦争が終わってから一財産築くまでの間の彼の行動とか、、、タラの屋敷で困っているスカーレットとアシュレのエピソードとかいらないんですよ。緑のカーテンで作ったドレスを着こなしたスカーレットが、バトラーのところを訪ねてきたときに説明すればいい。どうせ説明台詞しかないんだから。
あるいは、スカーレットとアシュレの逢引がバレる経緯はあれでもいいけど、その噂をバトラーが聴きこんでショックを受ける場面をつくるとか……スカーレット篇とバトラー篇で、必要な場面は全く違うと思うんですよね。
……無意味に熱く語ってしまいました。どうせ誰にも届かないのに……せっかくの千秋楽に、すみません。
なにはともあれ、千秋楽おめでとうございました!!
次は中日(キャパ/シトラスの風に)と、ドラマシティ。上田久美子さんの新作は、まさに今再演中の「月雲の皇子」をあらためて観て、また一段と期待値が上がっております。
プレッシャーもあるかと思いますが、どうぞ宙っ子をよろしくお願いいたします!!
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