東京宝塚劇場雪組公演「仁」。


全編にわたり、卒業生たちへの、そして雪組子への齋藤さんの愛が籠められた、楽しい作品でした。

役が多いだけではなく、大勢が出ている場面が多くて、しかもそれが無駄じゃないところがとても好きです。
「江戸の町」の温かみ、絆の深さ、、、そういったものが如何にこの作品にとって重要なモチーフであるか、それを100%理解して、幸せそうに演じている組子たち。江戸に生きる人々が全員愛しくて、その一途なエネルギーにほだされて、思わず私も「この場所で生きてみたい!」と思ってしまいそうでした(^ ^)。
あの時代、生きていくのはそれなりに大変だったと思うんですけどね。

それにしても、舞台が江戸であるせいか、大政奉還に至るまでの血なまぐさい事件がすべて割愛されているのは興味深いなと思いました。
あのあたりの数年間って、戦乱続きというイメージがあったんですが・・・関東では何事もなかったんだっけ。蛤御門から続く一連の戦は、確かに全部西日本だけど。桜田門外の変が1860年の早春、坂下門外の変が1862年の2月で、仁先生がタイムスリップするのがその数ヵ月後?(←季節がよくわからないけど) その後は、大政奉還の1867年の年末まで、江戸は平和だったんですよね、たぶん。火事や伝染病や、事件はいろいろあっても、政治に関わらない一般庶民にとって、江戸に「戦」はなかった。平和な江戸。平和な都市。

「現代」で恋人を喪った(救えなかった)という瑕を背負い、外界との関わりを絶って孤独に生きていた名医が、平和な江戸の街の清澄な明るさと優しさに触れて心を開き、「この場所で生きていこう」と決心するまでの説得力。あの詰め込み過ぎなエピソードの羅列の中でも押さえるべきところを外さなかった脚本と、「江戸のひとびと」の圧倒的な存在感に助けられて、キムちゃんの丁寧な芝居がちゃんと生きていたのが良かったのだと思います
どちらかといえば明るさとかパワー重視にみられがちなキムちゃんですが、繊細な芝居も良いんだということを最後に表現できて、良かったんじゃないか、と(^ ^)。



仁と深くかかわることになる、咲ちゃんと恭太郎さん(未涼)、そして二人の母親・えい(梨花)。
治療方法のなかったコレラで命を落とした父親(江戸末期のコレラの流行は、箱根で止められて江戸には入らなかったとも言われていますが、まあ、そんなことはおいといて)のために、医者を志す娘。一途で頑固な妹が目に入れても可愛くてしかたない兄と、躾に厳しい母親。厳しいけれども、愛情に溢れた良い家庭。
みみちゃん演じる咲ちゃんを観ていると、幸せになる切符を持っている娘なんだな、と無条件に信じられる。この娘を幸せにしなくちゃいけない、と。
そして、その幸せはこの江戸の町にあるのであって、東京にはないんだろうな、と。

仁先生が「将来」を考えないのは、自分がいずれは現代に帰れると思っていたからなんですよね。
ゆめの居ない東京に帰りたいという渇望はない(だから比較的すんなり江戸に馴染んだ)にせよ、やっぱり自分の生きる場所は東京であり、東都大学病院だという気持ちはあったはずだから。
でも、「この場所で生きていく」と決意したとき、驚くほどすんなりと過去の自分と訣別できた自分を発見する。きっかけになったのは咲の存在であっても、「自分の居場所はどちらなのか」と問い続けてきた自分の出した答えは、もっとずっと前からわかっていたことなんじゃないか、と。
仁には咲と一緒に東京へ帰るという発想は、ない。東京で愛した女はゆめで、江戸で愛した女は咲。ゆめと咲は貌が似ているだけで、同一人物ではないから。最終的に2012年の東京に戻ってきた彼にとって、本当に生きるべき世界がどちらなのか、一度出した答えが間違っているのかどうか、、、それはもう、決して答えの出ない問いだから。
それでも、咲は一途だから。仁が150年後に還っても、自分が選んだ道を、自分が選んだとおり、迷いなく、ますぐに歩いていく。その道の果てに、仁がいることを信じて。


で。
話は飛びますが、まっつの恭太郎がとても好きです。妹にめろめろで、女に弱くて、でも一本筋がとおった旗本の総領息子。
青天が素敵だとか、裃が似合ってるとか、道着が普段から着ているみたいに自然だとか、そういう視ればわかることはおいといて(^ ^)、不器用で一本気な男、ってまっつにぴったりだなあと思うんですよね。
お母様のみとさんと合わせて、本当に不器用で一途で一本気な家族だなあ、と。まさに遺伝、というか(^ ^)。
豪放磊落な坂本龍馬(早霧)とは気が合わない、と言いながら、自分とは違う考え方と視野の広さをもつ龍馬に対する微妙な感情を隠さないところがとても可愛い(*^ ^*)。フェリペにムーアと、役の心の闇の部分を顕わにする役が続いたこともあって、今までならあまり表だって表現しなかったであろう嫉妬や卑屈さを素直に出した役づくりが、とても新鮮でした。
幕府を護る一本の剣であろうとした恭太郎が、土壇場でやっぱり龍馬を斬れないのは、龍馬との関係だけではなくて、仁(や咲)がその場にいたから、、、という構図がとても切なくて。戦いの高揚の中で高岡側の武士を斬り捨て、戻れない道に入り込んだところで、そこまでしても龍馬を護れなかったことに気がついて絶望の表情で手を伸ばすところが、角度的に顔はあまり見えないのですが、ひどく切なくて、、、(T T)。



チギちゃんの龍馬は、豪放磊落でちょっと阿呆な一面と、その裏にある活動家としてのエネルギーのバランスがとれてきて、大劇場で観た時よりずっと良くなっていたと思います。この芝居では、龍馬個人の活動にはほとんど触れられず、仁(恭太郎)に見せる面だけが強調されて表現されるわけですが、、、それでも、ちょっとしたところでちゃんと裏を感じさせるところとか、うまいなーと思いました。
チギちゃんが宙組で演じた「龍馬伝」の龍馬は、主役だったからそのあたりはやりやすかったと思うのですが、ああいう役を脇で演じるのって難しいんだろうなあ、とあらためて思いました。



みっちゃんの勝先生は、ちょっと若づくりだなーと思いましたが(仁や恭太郎と同期生に見える……のは先入観かもしれませんが)、二枚目のセンセーで、素敵でした(はぁと)。
1862年には39歳。仕草を重々しくするほどの年ではないけど、26歳の坂本龍馬や、もっと若いかもしれない恭太郎と同世代に見えるのは、ちょっと勿体無いなあと思いました。見た目以上に、声が高いのが若く見えてしまう要因の一つなので、せめて髭くらいつけたほうが良かったんじゃないかと思いますが、、、そのあたりは拘りなんでしょうかね。
とはいえ、裃を着て銀橋で恭太郎と会話する場面がとても好きです。息子のように思っている恭太郎の身を心配しつつ、幕臣として口をつぐみつつ、、、という腹芸が良かった。江戸の街を質にして西郷と交渉する凄腕の政治家としての一面は見られませんでしたが、同期のスターとがっぷり組んで、計算だけではない芝居を少し見せてもらえたような気がします。



他にも魅力的な人がたくさんいて、書ききれないかも・・・・・↓


ところで。
訊いてはいけないことかもしれませんが、一つ質問してもいいですか。
なんだか思わせぶりに語られる野風の子供ですが、あれはいったい、誰の子設定なんでしょうか………?
(原作では、実は……というのは聞いたのですが。舞台でもそうなの?)



コメント

nophoto
hanihani
2012年12月17日17:12

@TAKARAZUKA では、ちゃんと大ちゃんルロイさんの子供らしいですよ。

みつきねこ
2012年12月17日21:42

hanihaniさま

おおお!そうなんだ!……案外と手が早いなルロンさん(^ ^)(いや、中の人が中の人なだけに当たり前か)
情報ありがとうございました!