天王州の銀河劇場にて、DANCE&ACT「ニジンスキー」を観劇してまいりました。
脚本・演出は荻田浩一。
荻田さんがいずれ「DANCE&ACT」と銘打ってヴァーツラフ・ニジンスキーを描く日がくることは、予感があったような気がします。
それにしても、今回のキャスティングはあまりにも神すぎて、、、ちょっと観ることを躊躇しておりました。いや、荻田さんオリジナルの「やりたい放題」には、何回か痛い目にあっているので(汗)。
それでも、さすがに独り立ちして何年も過ぎ、大作もいくつか手がけた一人前の演出家。
楽直前に観に行ったのですが、さすがの完成度に心が震えました。これは、もう一回観たかったな……!
ニジンスキーの妹・ブローニャ(安寿ミラ)の語りでつづられる悪夢。
「私には二人の兄がおりました。上の兄の名はスタニスラフ、下の兄の名はヴァーツラフ……」
淡々と繰り返される、空虚な言葉たち。低くて柔らかい、なのにどこか切迫感のあるヤンさんの台詞回しは、この役割にぴったりだったと思います。
悪夢をみているのはニジンスキー(東山義久)。ニジンスキーとその兄妹たちは、生まれた時から悪夢の中で生きていた。そして、彼らの悪夢は、ときおり“奇跡”という名で現実世界に忍び込む。ニジンスキーの肉体を通して。人々が彼の上にみる“夢”を通して。
「私には二人の兄がおりました。上の兄の名はスタニスラフ、下の兄の名はヴァーツラフ……」
荻田さんの「ダンスアクト」というのは、空虚な言葉(ACT)と雄弁な肉体(DANCE)の両輪で走る自転車のようなもの。喋れる役者が喋り、踊れるダンサーが踊る。両方ができる人(ニジンスキー兄妹)は両方やる。みなが自分の得意分野を持ち寄って戦っている、そんな緊張感のある舞台でした。
ヴァッツァ(ヴァーツラフ)の妻ロミシュカ(遠野あすか)。ヴァッツァのパトロンにして希代のプロデューサーであったセリョージャ・ディアギレフ(岡幸二郎)。精神を病んだヴァッツァの主治医にしてロミシュカの不倫相手となった医師フレンケル(佐野大樹)。
これにニジンスキー兄妹を加えた5人と、「悪夢」を踊る男性ダンサー4人(そのうち一人はスタニスラフ役の和田泰右)と女性ダンサー1人(舞城のどか)。計10人の舞台。
人数が多すぎては成立しないほどの、痛々しい緊張感。観ている方まで緊張を強いられる、その研ぎ澄まされた空気は怖いくらいでした。
セリョージャのキャラは、キャスティングを聞いた時から予想していたイメージ通り。
その存在感、圧迫感、そして押しつけがましい優しさは、ヴァッツァが「吐き気がするほど嫌だ」、というのもわかる見事さでした。
ほぼアイドルのおっかけファンのノリのまま、ヴァッツァと結婚したロミシュカ。
なぜ彼が彼女を選んだのか、その場面はなかったのでよく判りませんが、結局彼女は「ヴァーツラフ・ニジンスキー」の妻であることを希求し、夫が「ヴァーツラフ・ニジンスキー」であり続けることを望んでいた……のが問題であり、そこを荻田さんにつけこまれたんだな、と思いました。
なんというべきか。
ロミシュカは彼女なりに彼の踊りに魅了されていたし、彼を深く愛してもいた。
けれども、ヴァーツラフ・ニジンスキーはヒトとして生きていなかった……。
彼は神の道具で、神の見せるヴィジョンを自分の肉体を通して、あるいは他人の肉体を通して表現することしかできない。誰かを愛し、誰かを求めて踊るわけではない。
ただ、自分を取り囲む悪夢に操られて。
そんなヴァッツァに振りまわされたロミシュカに同情し、彼女を救いたいと願う生真面目な医師・フレンケル。
悪夢に囚われてしまったヴァッツァの傍では、どうしても生きていけないロミシュカ。
6歳で精神を病んだまま、31歳まで精神病院で過ごした、ニジンスキー家の長兄スタニスラフ。
ヴァッツァとブローニャの兄妹には、そんな兄と同じ血が流れている。いつか自分も、なにもかもわからなくなってしまうのではないか、、、という恐怖。自分自身への怯え。
そんな恐怖を共有するブローニャ、そんな恐怖を理解できないなりに感じてしまうロミシュカ。そんな狂気の存在さえ認めないセリョージャ。
ヴァッツァの一番の理解者は誰なのか。
いずれにしても、ヴァッツァの傍で生きていける存在は、この作品の中には存在しません。
そんな存在が、彼の視る悪夢に耐えられる人間がいれば、彼はこの地上にとどまったかもしれない……と、そんな幻想さえ抱かせながら。
フォーキンが振付した「ヴァーツラフ・ニジンスキー」という作品で本領を発揮した「圧倒的なジャンプ力」よりも、ヴァッツァ自身が振付した「新しい表現」=地を這うような、「クラシックバレエにない動き」に近い、おかしな方向に曲がる関節、見慣れぬ動きの数々(振付・平山素子/港ゆりか)を見事に体現してのけた東山リーダーは勿論、スタニスラフの幻影を踊る和田さんを中心としたダンサーたちのレベルの高さに、瞠目しっぱなしでした。
あのダンスは一見の価値がある!!
芝居と歌が中心となった幸ちゃんとあすかちゃんも良かったし、芝居も歌もダンスもなんでもござれなヤンさんはさすがだったし、、、でも、やはりなんといっても、リーダーは素晴らしかったね!!うん。ぶつぶつと手記(「ニジンスキーの手記」)を読み上げるていの台詞回しもすごく良かった。この人のチャーリー(←「アルジャーノンに花束を」)を観てみたい、と思いました。
(昔荻田さんが演出した「アルジャーノン……」は、チャーリー=浦井くんが歌いっぱなしだったけど。リーダーがやるなら、ぜひ“ダンスアクト”で!)
「ニジンスキー」というタイトルでは、昨年雪組さんで早霧さん主演で上演されたバージョンもありますが、さすが鬼才・荻田浩一!まったくレベルの違う「甘美な悪夢」をみせていただきました。
この舞台に出演された10人のみなさまと、荻田さんのますますのご活躍を祈りつつ、たまには宝塚の舞台も演出しにおいでよ!!と呟きつつ。
【7月1日まで、あと84日】
脚本・演出は荻田浩一。
荻田さんがいずれ「DANCE&ACT」と銘打ってヴァーツラフ・ニジンスキーを描く日がくることは、予感があったような気がします。
それにしても、今回のキャスティングはあまりにも神すぎて、、、ちょっと観ることを躊躇しておりました。いや、荻田さんオリジナルの「やりたい放題」には、何回か痛い目にあっているので(汗)。
それでも、さすがに独り立ちして何年も過ぎ、大作もいくつか手がけた一人前の演出家。
楽直前に観に行ったのですが、さすがの完成度に心が震えました。これは、もう一回観たかったな……!
ニジンスキーの妹・ブローニャ(安寿ミラ)の語りでつづられる悪夢。
「私には二人の兄がおりました。上の兄の名はスタニスラフ、下の兄の名はヴァーツラフ……」
淡々と繰り返される、空虚な言葉たち。低くて柔らかい、なのにどこか切迫感のあるヤンさんの台詞回しは、この役割にぴったりだったと思います。
悪夢をみているのはニジンスキー(東山義久)。ニジンスキーとその兄妹たちは、生まれた時から悪夢の中で生きていた。そして、彼らの悪夢は、ときおり“奇跡”という名で現実世界に忍び込む。ニジンスキーの肉体を通して。人々が彼の上にみる“夢”を通して。
「私には二人の兄がおりました。上の兄の名はスタニスラフ、下の兄の名はヴァーツラフ……」
荻田さんの「ダンスアクト」というのは、空虚な言葉(ACT)と雄弁な肉体(DANCE)の両輪で走る自転車のようなもの。喋れる役者が喋り、踊れるダンサーが踊る。両方ができる人(ニジンスキー兄妹)は両方やる。みなが自分の得意分野を持ち寄って戦っている、そんな緊張感のある舞台でした。
ヴァッツァ(ヴァーツラフ)の妻ロミシュカ(遠野あすか)。ヴァッツァのパトロンにして希代のプロデューサーであったセリョージャ・ディアギレフ(岡幸二郎)。精神を病んだヴァッツァの主治医にしてロミシュカの不倫相手となった医師フレンケル(佐野大樹)。
これにニジンスキー兄妹を加えた5人と、「悪夢」を踊る男性ダンサー4人(そのうち一人はスタニスラフ役の和田泰右)と女性ダンサー1人(舞城のどか)。計10人の舞台。
人数が多すぎては成立しないほどの、痛々しい緊張感。観ている方まで緊張を強いられる、その研ぎ澄まされた空気は怖いくらいでした。
セリョージャのキャラは、キャスティングを聞いた時から予想していたイメージ通り。
その存在感、圧迫感、そして押しつけがましい優しさは、ヴァッツァが「吐き気がするほど嫌だ」、というのもわかる見事さでした。
ほぼアイドルのおっかけファンのノリのまま、ヴァッツァと結婚したロミシュカ。
なぜ彼が彼女を選んだのか、その場面はなかったのでよく判りませんが、結局彼女は「ヴァーツラフ・ニジンスキー」の妻であることを希求し、夫が「ヴァーツラフ・ニジンスキー」であり続けることを望んでいた……のが問題であり、そこを荻田さんにつけこまれたんだな、と思いました。
なんというべきか。
ロミシュカは彼女なりに彼の踊りに魅了されていたし、彼を深く愛してもいた。
けれども、ヴァーツラフ・ニジンスキーはヒトとして生きていなかった……。
彼は神の道具で、神の見せるヴィジョンを自分の肉体を通して、あるいは他人の肉体を通して表現することしかできない。誰かを愛し、誰かを求めて踊るわけではない。
ただ、自分を取り囲む悪夢に操られて。
そんなヴァッツァに振りまわされたロミシュカに同情し、彼女を救いたいと願う生真面目な医師・フレンケル。
悪夢に囚われてしまったヴァッツァの傍では、どうしても生きていけないロミシュカ。
6歳で精神を病んだまま、31歳まで精神病院で過ごした、ニジンスキー家の長兄スタニスラフ。
ヴァッツァとブローニャの兄妹には、そんな兄と同じ血が流れている。いつか自分も、なにもかもわからなくなってしまうのではないか、、、という恐怖。自分自身への怯え。
そんな恐怖を共有するブローニャ、そんな恐怖を理解できないなりに感じてしまうロミシュカ。そんな狂気の存在さえ認めないセリョージャ。
ヴァッツァの一番の理解者は誰なのか。
いずれにしても、ヴァッツァの傍で生きていける存在は、この作品の中には存在しません。
そんな存在が、彼の視る悪夢に耐えられる人間がいれば、彼はこの地上にとどまったかもしれない……と、そんな幻想さえ抱かせながら。
フォーキンが振付した「ヴァーツラフ・ニジンスキー」という作品で本領を発揮した「圧倒的なジャンプ力」よりも、ヴァッツァ自身が振付した「新しい表現」=地を這うような、「クラシックバレエにない動き」に近い、おかしな方向に曲がる関節、見慣れぬ動きの数々(振付・平山素子/港ゆりか)を見事に体現してのけた東山リーダーは勿論、スタニスラフの幻影を踊る和田さんを中心としたダンサーたちのレベルの高さに、瞠目しっぱなしでした。
あのダンスは一見の価値がある!!
芝居と歌が中心となった幸ちゃんとあすかちゃんも良かったし、芝居も歌もダンスもなんでもござれなヤンさんはさすがだったし、、、でも、やはりなんといっても、リーダーは素晴らしかったね!!うん。ぶつぶつと手記(「ニジンスキーの手記」)を読み上げるていの台詞回しもすごく良かった。この人のチャーリー(←「アルジャーノンに花束を」)を観てみたい、と思いました。
(昔荻田さんが演出した「アルジャーノン……」は、チャーリー=浦井くんが歌いっぱなしだったけど。リーダーがやるなら、ぜひ“ダンスアクト”で!)
「ニジンスキー」というタイトルでは、昨年雪組さんで早霧さん主演で上演されたバージョンもありますが、さすが鬼才・荻田浩一!まったくレベルの違う「甘美な悪夢」をみせていただきました。
この舞台に出演された10人のみなさまと、荻田さんのますますのご活躍を祈りつつ、たまには宝塚の舞台も演出しにおいでよ!!と呟きつつ。
【7月1日まで、あと84日】
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