日本青年館にて、雪組公演「SAMOURAI」を観てまいりました。


作・演出は谷正純。「コード・ヒーロー」の衝撃が忘れられない猫としては、どんなものかと若干おそるおそる観にいったのですが。


いやあ、原作を読んでみたいなと思いました。
……そんな感じです。はい。




決してつまらなくはなかったです。名作ではないけど、駄作でもない、、、と、思う。たぶん。
ただ、なんていうのでしょうか。谷さんだなあ……と思うところはとてもたくさんあって。
一番致命的なのは、時代の空気を感じないことかな。

主な舞台がフランス・パリであるせいか、時代でいえば30年以上ちがうはずの「レ・ミゼラブル」や、100年も違う「ベルサイユのばら」と同じ世界観に見えるんですよね。
衛兵隊の制服が100年間変更されていなかったり、武器も同じだったり(←100年前の武器じゃ、そりゃあ戦争に負けるのも仕方ない)、市民の服装も、100年たったら流行も一回りして元にもどったの?という感じだったり。

実際には、1789年に始まったフランス革命と、この物語のメインの事件となる普仏戦争の間には、2度の共和制と復活王政、二度度の帝政(ナポレオン、ナポレオン三世)を擁する『昏迷の100年』があるんですよね。
それだけの混乱を経た第二帝政末期であるこの時代に、18世紀ブルボン王朝時代と全く変わらぬ「貴族と民衆」の対立を軸に物語を構築し、このころには実権をにぎっていたはずの「ブルジョア」たちはほとんど姿を見せないとなると、どうしても先行作品である「レ・ミゼラブル」や「ベルサイユのばら」との演出上・展開上の共通点ばかりが目についてしまって、、、
作品そのものを冷静に評価するのは非常に難しいです(T T)。


とりあえずは、原作を読んで出直したいと思います。




この物語のテーマは、「サムライとしてパリを守った日本人」の物語……ということになるんでしょうか。
それはそれで、史実であるにせよフィクションにせよ、非常に面白いテーマだし、「日本の武士道と西洋の騎士道」の対比という話も、面白かったとは思います。日本ではあまり知られていないパリ・コミューンの物語というのも、うまく語れば新鮮なテーマになったはずだと思う。

でも!
せっかく前田正名をテーマに据えるなら、一人の日本人として祖国の国力増強に真摯に取り組み、日本各地の産業振興に尽力した「明治の男」を、最後まできちんと描いた方が、面白かったんじゃないかとおもうんですよね。谷さんが自らプログラムの作家言に買いていらっしゃるとおりに。

月島氏の原作「巴里の侍」は、巴里時代の話だけなのかなあ……?谷さんには「愛と死のアラビア」という前科があるので、前田正名の一生を書いた話の、ほんの一部を切り取ったんじゃないかという疑念がぬぐえない(^ ^;
うーん、やっぱり原作を読むべきかー。



あと気になったのは、無理やり「モン・パリ」につないだことですね。
麻樹さんが演じた元タカラジェンヌの前田光子(文屋秀子)さんは、正名の息子の奥方。そういう縁もあって、谷さんが一生懸命つないだようですが。
いやー、前田正名と「モン・パリ」、関係ないじゃん(汗)。

どうしても光子さんを出したかったなら、正名たちとパリ・コミューンの物語がすべて終わったところで、プロローグに戻って、光子さんと新聞記者の鹿内(彩風)の会話でその後の正名の生涯を簡単に説明すれば良かったのに。

……正名の奥方はパリで出会ったマリーではなく大久保利通の娘らしいので、彼の後半生を語るのは難しかったんだろうなあ、という事情は了解しつつ(^ ^)。



とにかく、パリを守ることに命を賭けた「巴里のサムライ」の姿はみえても、「前田正名」という一人の人間が見えてこないのがもどかしかったです。




坂本龍馬(緒月)に師事し、明治維新を生き抜いて、大使候補の留学生としてフランスに派遣される前田正名(音月)。

明治維新期の日本から、第二帝政末期のパリへ。
フランスについたばかりの正名の眼には、絢爛たる「世界の都」パリは、どんなふうに映ったのでしょうか。その文化的ショックみたいなものを、もう少し描いても良かったのになー、というのも思いました。

文化の違いに驚くところを全部すっ飛ばして、いきなりマリーお嬢さん(舞羽)の「東洋人に対する侮蔑」や、レオン少佐(大湖)の苛めから始まると、、、なんというか、びっくりするので。



「戦いたいから戦う」渡会晴玄(早霧)と、「戦いが好きではない」正名。
生きるために戦いが必要な渡会と、龍馬の教えのとおり、なにかを「守る」ためなら戦いは辞さないと覚悟をきめている正名。

弱い者が困っていたら助けることを義務とするのが西欧の「騎士」
弱きものを守るために存在するのが「侍」


そんな言葉遊びみたいな定義づけの結果として、「巴里を守る」ために全てを懸けることになったサムライたち。
それでも、彼らは「生きたいように生きた」のだと思う。戦うために生きる。生きるために戦う。守るために戦う。マリーを守るために、自分のプライドを守るために。

でもやっぱり、もうすこし、正名や渡会にとって「巴里」が何であったのか、それを語ってほしかったような気がします。正名の後半生を語らないで物語を終わらせるなら、せめて、巴里の何を守ろうとしたのか、だけでも。




1871年3月末から5月まで続いたパリ・コミューン。
2幕はそのパリ・コミューンの時代が中心になります。いや、現実の「パリ・コミューン」は出てこないんですが、立ち上がったパリ市民たちによる戦闘参加が物語の骨子になっているので。

……ついに市民が立ち上がらなかった「レ・ミゼラブル」との演出上の相似点は、オマージュなのか?パクリなのか?そのあたり、「レ・ミゼ」マニアにとっては非常に疑問でした……。



音楽は、あまりヒットがなかったなあ……むしろ、既存曲の使い方が見事で感心しました。
パリ・コミューンの崩壊の象徴として歌い継がれた「さくらんぼの実るころ」を歌う透水さらさの、涼やかなソプラノが美しい。
この歌とか、幻想のチプリアニ(香稜)からノエル(奏乃)⇒ガスパール(彩風)⇒コーラスと歌い継ぐ「ラ・マルセイエーズ」の使い方が良いなあと思いました。歌唱力のある歌手がソロで歌い継ぐ「ラ・マルセイエーズ」って割と珍しい気がして、嬉しかったです。



キャストについてと、細かいツッコミについては、また後日書きたいと思います。



【7月1日まで、あと165日】

コメント

nophoto
hanihani
2012年1月19日13:47

こんにちは!
ご観劇いただき有難うございました~

先ず、原作はあくまでライトノベルだから読んでもきっと疑問箇所への回答はありません。(スカスカで・・・なんて言い切るのはまずいけど、45分くらいで読みきれます)

>>実際には、1789年に始まったフランス革命と、この物語のメインの事件となる普仏戦争の間には、2度の共和制と復活王政、二度度の帝政(ナポレオン、ナポレオン三世)を擁する『昏迷の100年』があるんですよね。

うわぁ~!!
と、今更ながら驚いたりして。今回は歴史的なことはぶっ飛ばして考えてましたが、そうですよね。

>>その文化的ショックみたいなもの
>>正名や渡会にとって「巴里」が何であったのか

あ、そういうものは原作にも無いから描けないかもしれません。

先日作者の月島氏が観に来て、自分が描こうと思いながらも描ききれなかった
パリの市民、カフェの一場面とか今回舞台で描いてもらえて
とても嬉しかったとおっしゃっていたそうです。
つまり・・・ねこさまみたいな造詣の深い方にしてみたら、あちこち突っ込みどころ
多数の原作なんですよ。「レミゼ」って岩波文庫で何巻あったっけ?!
あれと同じ土俵には載せないでくれると嬉しいです。

とにかく全国的には忘れ去られた人だけど、北海道人では有名な?「前田正名」という人がいて、
彼が留学中にパリの市民戦争に加わったという事実ありきでスタートしているお話なので、
今回は谷先生としては「べるばら」っぽいもので華を加え
「レミゼ」っぽいもので、市井の人々にも目を向けさせる
コンセプトで頑張って書いた作品だなと思って観ています。

「見よパリ市民たちよ、これが国だ…時勢と共にいかようにも変わる、あやふやなものなんだ」
という演説なんて原作のままですが、谷先生がすごく同意を示して演出しているのが
目に見えますよね。

あと、ちぎちゃんは射撃の名手として書かれているのですが、それははっきり芝居の中で出してもよかったよね。

銃弾がラスト2発なのに3名倒せる!と正名が判断する理由として必要だったと思います。

一時代まえのちょっと固い、思い作品で「おんなのこがキュン」となる作品ではありませんが
男の友情、舞台上の団結などなどすごく芝居の基本みたいなところが含まれている
ある意味芝居らしい芝居
「仮面の男」の後の雪組には多分こういう作品で癒される必要があったんじゃないかと思います。

こんなことを書いていいのかとも思ったけど、ねこさん削除してくれてもいいです

みつきねこ
2012年1月20日8:40

hanihaniさま
いつもコメント本当にありがとうございます!そして、二日連続でお世話になりました(^ ^)。

> 先ず、原作はあくまでライトノベルだから読んでもきっと疑問箇所への回答はありません。

そ、そうなんですね。そもそもラノベだったとは(@ @)。そんなことも知りませんでした……失礼しました。
でもまあ、読んでみたいと思ったので、とりあえずBOOKOFFで探してみます!
そんな風に思ったということは、やっぱり舞台としても興味深かったんだと思います(^ ^)。


> 先日作者の月島氏が観に来て、自分が描こうと思いながらも描ききれなかった
> パリの市民、カフェの一場面とか今回舞台で描いてもらえて
> とても嬉しかったとおっしゃっていたそうです。

そうなんですね。たしかに、あのカフェの場面はすごく良かったです。あそこはちょっと時代の空気を感じたんですよね。ただのステレオタイプな「貧しい民衆」ではなく、リサちゃんには生き方を自分で選ぶ強さ、みたいなものがあったから。

まあ、原作がラノベだから舞台がつまらなくて当然、ってことはないと思うし、題材はすごく興味深い作品だと思うんですよね。前田正名という人物は非常に魅力的だし、パリ・コミューンという時代も、宝塚では新鮮だし、面白かったです!
ただ、地の文がある小説と違って、いくら台詞で説明しても伝わらないのが「時代の空気」なので、そこが小説を舞台化するうえでのハードルになりやすいんでしょうね。まあでも、谷さんなりにかんばっていたのはよく判ります(^ ^)。

> 「見よパリ市民たちよ、これが国だ…時勢と共にいかようにも変わる、あやふやなものなんだ」
> という演説なんて原作のままですが、谷先生がすごく同意を示して演出しているのが
> 目に見えますよね。

この演説、良かったですよねー!
ああ、この演説のためにこういう展開になったんだなーと納得したんでした。そういえば(←おい)(すみません)

> あと、ちぎちゃんは射撃の名手として書かれているのですが、

ほえええ!それは全然判りませんでした(涙)。

> 銃弾がラスト2発なのに3名倒せる!と正名が判断する理由として必要だったと思います。

そうだったのか……すみません、そこは台詞の言い間違いかとばかり(^ ^;
確かに2発で3人倒してましたね、そういえば!!(目から鱗)


> ある意味芝居らしい芝居

たしかに、それはそうですね。「仮面の男」を真摯に演じていた雪組っ子たちが、楽しそうに芝居をしていたのは印象的で、良かったね、と思います。
願わくば、次の「ドン・カルロス」でも、やりがいのあるお芝居ができますように。