日本青年館にて花組公演「カナリア」を観劇いたしました。
楽しかった!
ドラマシティの時と演出的に変わっていたのは……えっと、細かい違いはありすぎるほどあったけど、「演出の違い」となると……?なんかあったかな。
とりあえず、ヴィムが神父たちに投げつけようとする石の2個目が大きな岩になってました(←その説明じゃ全然わかんないよ)。あと、フィナーレのみわっちさんを取り囲む青いワンピの娘役さんたちのアクセサリーがこまごま変ってて、華耀きらり嬢の鬘も変わって(増えて?)ました。ドラマシティでのショートボブの鬘も超カワだったけど、栗色のベリーショートも滅茶苦茶似合ってた!!ホントに可愛すぎる!!
うーむ、でも、どっちも「演出変更」ではないですよねえ、多分。
全編通じてそんなんだらけで。
美容師(真瀬はるか)の一挙手一投足とか。
ヴィムとアジャーニのデュエットの拍の取り方とか。
シャンパングラスを掲げるアジャーニのタイミングとか。
小悪魔なきらりんと柚香光ちゃんのじゃれあいとか。
刑事二人(朝夏まなと・扇めぐむ)のやり取りとか。
アジャーニに襲われる銀行のスタッフさんたちの愛憎ドラマとか。
そして、ラブロー神父(愛音羽麗)のすべてとか。
何が細かくて何が重要なのか全く判らないほど、ヴィムの壮ちゃんからして毎日新鮮に演じてるな~~っ!!と、感心するしかありませんでした。
こんなに感想の書きにくい「面白い芝居」は久しぶりです。
本当に愉快で、楽しくて、そして、深い。
そして、正塚作品の面白さはその「テーマ性」にあるんだな、とあらためて思ったりしたのでした。
コメディでもシリアスでも、正塚作品はかなりメッセージ性が高いものが多いんですが、それらすべてのテーマは結構共通なものがあると思うんですよね。
で、それは、一言でいうなら「価値観の変革(逆転または転換)」…ってことになるんじゃないかな、と。
よく正塚作品のテーマは「自分探し」だと言われますが、、、、それはちょっと違う、と思う。ドラマっていうのは、大きくくくれば大概は「主人公の自分探し」が中心になるもので、その表現がいろいろあるだけだと思うんですよ。そのヴァリエーションが無限にある。
でも、正塚作品がどれも似通ったテーマに見えることは事実で、それは、前段としての「価値観の転換」=「自分は社会不適合者であるという自覚」が目立つからなんじゃないかと思うのです。
彼の作品の多くは、革命に敗れ(あるいは勝利し)て、その結果変わった世界に馴染めない自分、というところから始まるような気がします。世界は変わった、そして、その変革に自分は何の役割も果たせなかった……そういう忸怩たる思いを抱えて、それでも現実を生きて行くしかない主人公。だからこそ、彼らは「自分の生きる道」=「目の前の現実との折り合い」を探してさまようしかない。そのためには、革命を起こそうと思った過去の自分(の価値観)との決別が必須で、だからこそ、社会的な大きな事件がなくても、「誰かとの出会い」だけで彼の精神世界では大きなドラマとなる。
コメディ系の作品で、主人公に過去がない話(「メランコリックジゴロ」「マジシャンの憂鬱」など)は、物語が始まる前の主人公が「現実」と積極的に関わろうとしていなかったものが多いですよね。誰かの庇護下でぬくぬくと過ごしていた青年が「現実」の壁に直面して右往左往し、自分なりの価値観を確立させて「現実」と折り合いをつけるまでの物語。
シリアス系に入ると思うけど「CrossRoad」なんかもそんな感じでした。
そういうのと並べて考えると、「カナリア」はストレートに「価値観の逆転」そのものをテーマにした作品だなー、と思いました。「社会不適合」どころか、「悪魔」を主人公にして、「人間社会」を外から眺める……その発想自体は他にもいろいろあると思うのですが、彼らが半人前の学生であるという設定、そして悪魔の眼にうつる人間世界が「綺麗」だという事実が、非常に新鮮な印象でした。
正塚さんの眼には、この世界はそう見えている(いた?)んだなあ、と思ったんですよね。
彼の眼には、もっと汚い所に見えているのかと思っていたみたいです。でも、やっぱり、彼の眼に映る「人間界」は、ちゃんと「タカラヅカ」なんだな、と、、、そんなことに安堵したんですよね。
「価値観の逆転」。こう書けば、たかだか6文字の言葉です。
でも、それを実現するために、あの2時間と、実力者ぞろいの出演者全員の力が必要だった。
主人公はヴィムなので、作品の主筋はヴィムの変化にあるわけですが、実際には他のメンバーもほとんどが最初とは違う価値観を持つようになる。
物心ついたときから「不幸の極み」を生きてきて、それでも、殺されそうになったら「死にたくないよ!」と叫ぶアジャーニは、ヴィムが幸せなら自分も幸せ(=ヴィムが幸せでないなら自分も不幸)だと思うようになるし。ラブローは……良く判らないけど、変ったものはあるんだと思うんですよ。最初からちょっと違ってた、と言われたらそれまでだけど。
アジャーニと出会って、「思い通りにならない現実」にぶつかったヴィム。
ヴィムと出会って、「生きる意味」を見つけたアジャーニ。
はっきりとした「恋愛感情」には至らない二人ですが、「きっと俺は疲れているんだ/きっとあたし、好かれているわ…」というデュエットがとても好きです。恋を知って、生まれて初めて「幸せ」を感じている女と、「幸せ」ってなぁに?と思っている悪魔の、交わりそうで交わらない、すれ違っているようですれ違いきれない、絶妙な距離感。
価値観のずれは生きる世界のずれ。二人は結局、最後まで本質的な意味で「出会う」ことはないんですよね。それでも運命の扉は最後に開き、二人の途は一瞬だけ交錯し、再び分岐する。
最期の挨拶を交わすことも無いままに、アジャーニの時計は動き出す。ヴィムの「時」を、受け取るかのように。
……なんだかうまくまとまりませんが、長くなってしまったのでキャストごとの感想はまた後日。
いや、それにしても楽しい作品でしたっ!!今さらですけど、初演が観られなかったのが心の底から残念……。
以下ネタばれ注意。
ところで。
最初にドラマシティで観た時からずーっと気になっているんですが。
ヴィムって最後、記憶を奪われてませんよね?
ティアロッサミの杖でこつん、とやられて、思い出してますよね?「課題」に反応してるし。
ってことは、アジャーニの魂譲渡契約は破棄されていないのでは……?
パシャ先生は「お前の記憶がなくなると同時に破棄される」みたいなこと言ってたと思うんですけどね?
他にもそういうレベルの疑問がいくつかあって。
……これ、児玉さんや谷さんあたりがこういう脚本を書いたら、ふつーに袋叩きなんだろうなあ、と思ったりもしました(^ ^;ゞ
結局、作品の良し悪しは脚本に矛盾があるかどうかではなく、作者が伝えたいテーマがきちんと観客に伝わっているかどうか、その一点に尽きるんだな、と思います。
いや、観客が受け取ったものが「作者が伝えたいと思ったこと」であるかどうかも関係ない。とにかく、観た人が「何か」を受け取れれば、その観客にとってその作品は「成功」なんだし、「良い作品」なんだろうな、と。
そんなことを考えつつ、、、
舞台を観ているときは、何も考えずにひたすら笑ってるんですけどね(^ ^)。だってほら、壮ちゃんのヴィムは本当に宛書きだとしか思えないし。みわっちのラブローも、あの姿で生まれてきたとしか思えないし。みりおんのアジャーニは今まで観た中でいちばん良いみりおんだし。小悪魔はみんな可愛いし。役名はないけどやたらに出番が多くて目を惹きまくる人はいるし。娘役はみんな可愛いし(*^ ^*)。
花組最高!!
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楽しかった!
ドラマシティの時と演出的に変わっていたのは……えっと、細かい違いはありすぎるほどあったけど、「演出の違い」となると……?なんかあったかな。
とりあえず、ヴィムが神父たちに投げつけようとする石の2個目が大きな岩になってました(←その説明じゃ全然わかんないよ)。あと、フィナーレのみわっちさんを取り囲む青いワンピの娘役さんたちのアクセサリーがこまごま変ってて、華耀きらり嬢の鬘も変わって(増えて?)ました。ドラマシティでのショートボブの鬘も超カワだったけど、栗色のベリーショートも滅茶苦茶似合ってた!!ホントに可愛すぎる!!
うーむ、でも、どっちも「演出変更」ではないですよねえ、多分。
全編通じてそんなんだらけで。
美容師(真瀬はるか)の一挙手一投足とか。
ヴィムとアジャーニのデュエットの拍の取り方とか。
シャンパングラスを掲げるアジャーニのタイミングとか。
小悪魔なきらりんと柚香光ちゃんのじゃれあいとか。
刑事二人(朝夏まなと・扇めぐむ)のやり取りとか。
アジャーニに襲われる銀行のスタッフさんたちの愛憎ドラマとか。
そして、ラブロー神父(愛音羽麗)のすべてとか。
何が細かくて何が重要なのか全く判らないほど、ヴィムの壮ちゃんからして毎日新鮮に演じてるな~~っ!!と、感心するしかありませんでした。
こんなに感想の書きにくい「面白い芝居」は久しぶりです。
本当に愉快で、楽しくて、そして、深い。
そして、正塚作品の面白さはその「テーマ性」にあるんだな、とあらためて思ったりしたのでした。
コメディでもシリアスでも、正塚作品はかなりメッセージ性が高いものが多いんですが、それらすべてのテーマは結構共通なものがあると思うんですよね。
で、それは、一言でいうなら「価値観の変革(逆転または転換)」…ってことになるんじゃないかな、と。
よく正塚作品のテーマは「自分探し」だと言われますが、、、、それはちょっと違う、と思う。ドラマっていうのは、大きくくくれば大概は「主人公の自分探し」が中心になるもので、その表現がいろいろあるだけだと思うんですよ。そのヴァリエーションが無限にある。
でも、正塚作品がどれも似通ったテーマに見えることは事実で、それは、前段としての「価値観の転換」=「自分は社会不適合者であるという自覚」が目立つからなんじゃないかと思うのです。
彼の作品の多くは、革命に敗れ(あるいは勝利し)て、その結果変わった世界に馴染めない自分、というところから始まるような気がします。世界は変わった、そして、その変革に自分は何の役割も果たせなかった……そういう忸怩たる思いを抱えて、それでも現実を生きて行くしかない主人公。だからこそ、彼らは「自分の生きる道」=「目の前の現実との折り合い」を探してさまようしかない。そのためには、革命を起こそうと思った過去の自分(の価値観)との決別が必須で、だからこそ、社会的な大きな事件がなくても、「誰かとの出会い」だけで彼の精神世界では大きなドラマとなる。
コメディ系の作品で、主人公に過去がない話(「メランコリックジゴロ」「マジシャンの憂鬱」など)は、物語が始まる前の主人公が「現実」と積極的に関わろうとしていなかったものが多いですよね。誰かの庇護下でぬくぬくと過ごしていた青年が「現実」の壁に直面して右往左往し、自分なりの価値観を確立させて「現実」と折り合いをつけるまでの物語。
シリアス系に入ると思うけど「CrossRoad」なんかもそんな感じでした。
そういうのと並べて考えると、「カナリア」はストレートに「価値観の逆転」そのものをテーマにした作品だなー、と思いました。「社会不適合」どころか、「悪魔」を主人公にして、「人間社会」を外から眺める……その発想自体は他にもいろいろあると思うのですが、彼らが半人前の学生であるという設定、そして悪魔の眼にうつる人間世界が「綺麗」だという事実が、非常に新鮮な印象でした。
正塚さんの眼には、この世界はそう見えている(いた?)んだなあ、と思ったんですよね。
彼の眼には、もっと汚い所に見えているのかと思っていたみたいです。でも、やっぱり、彼の眼に映る「人間界」は、ちゃんと「タカラヅカ」なんだな、と、、、そんなことに安堵したんですよね。
「価値観の逆転」。こう書けば、たかだか6文字の言葉です。
でも、それを実現するために、あの2時間と、実力者ぞろいの出演者全員の力が必要だった。
主人公はヴィムなので、作品の主筋はヴィムの変化にあるわけですが、実際には他のメンバーもほとんどが最初とは違う価値観を持つようになる。
物心ついたときから「不幸の極み」を生きてきて、それでも、殺されそうになったら「死にたくないよ!」と叫ぶアジャーニは、ヴィムが幸せなら自分も幸せ(=ヴィムが幸せでないなら自分も不幸)だと思うようになるし。ラブローは……良く判らないけど、変ったものはあるんだと思うんですよ。最初からちょっと違ってた、と言われたらそれまでだけど。
アジャーニと出会って、「思い通りにならない現実」にぶつかったヴィム。
ヴィムと出会って、「生きる意味」を見つけたアジャーニ。
はっきりとした「恋愛感情」には至らない二人ですが、「きっと俺は疲れているんだ/きっとあたし、好かれているわ…」というデュエットがとても好きです。恋を知って、生まれて初めて「幸せ」を感じている女と、「幸せ」ってなぁに?と思っている悪魔の、交わりそうで交わらない、すれ違っているようですれ違いきれない、絶妙な距離感。
価値観のずれは生きる世界のずれ。二人は結局、最後まで本質的な意味で「出会う」ことはないんですよね。それでも運命の扉は最後に開き、二人の途は一瞬だけ交錯し、再び分岐する。
最期の挨拶を交わすことも無いままに、アジャーニの時計は動き出す。ヴィムの「時」を、受け取るかのように。
……なんだかうまくまとまりませんが、長くなってしまったのでキャストごとの感想はまた後日。
いや、それにしても楽しい作品でしたっ!!今さらですけど、初演が観られなかったのが心の底から残念……。
以下ネタばれ注意。
ところで。
最初にドラマシティで観た時からずーっと気になっているんですが。
ヴィムって最後、記憶を奪われてませんよね?
ティアロッサミの杖でこつん、とやられて、思い出してますよね?「課題」に反応してるし。
ってことは、アジャーニの魂譲渡契約は破棄されていないのでは……?
パシャ先生は「お前の記憶がなくなると同時に破棄される」みたいなこと言ってたと思うんですけどね?
他にもそういうレベルの疑問がいくつかあって。
……これ、児玉さんや谷さんあたりがこういう脚本を書いたら、ふつーに袋叩きなんだろうなあ、と思ったりもしました(^ ^;ゞ
結局、作品の良し悪しは脚本に矛盾があるかどうかではなく、作者が伝えたいテーマがきちんと観客に伝わっているかどうか、その一点に尽きるんだな、と思います。
いや、観客が受け取ったものが「作者が伝えたいと思ったこと」であるかどうかも関係ない。とにかく、観た人が「何か」を受け取れれば、その観客にとってその作品は「成功」なんだし、「良い作品」なんだろうな、と。
そんなことを考えつつ、、、
舞台を観ているときは、何も考えずにひたすら笑ってるんですけどね(^ ^)。だってほら、壮ちゃんのヴィムは本当に宛書きだとしか思えないし。みわっちのラブローも、あの姿で生まれてきたとしか思えないし。みりおんのアジャーニは今まで観た中でいちばん良いみりおんだし。小悪魔はみんな可愛いし。役名はないけどやたらに出番が多くて目を惹きまくる人はいるし。娘役はみんな可愛いし(*^ ^*)。
花組最高!!
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