青山劇場にて、劇団☆新感線の「髑髏城の七人」を観劇いたしました。
2004年の「アカドクロ」「アオドクロ」共演のときはチケットが取れず観られなかったこの作品。
なので、このタイトルの作品を観るのは初めてだったわけですが。
面白かった!
のも事実なんですが、それ以上に、痛い……とも思いました。
『神』を喪った三人の若者の、「その後」の物語。
全てを捨て、『神』を忘れて生きようとする者、偽の『神』になろうとする者、そして、生き残った罪を贖うために、新たな「護るべきもの」を造りだした者……
彼らが皆若いからこそ、『神』への憧憬と喪失の慟哭がストレートで純粋で。
その純粋さと、若いからこそ簡単に「絶望」に浸ることもできず、なんとか生きる道(理由)を探そうとあがく姿が、とても痛々しかった。
「髑髏城」という物語は、大人の物語ではなく若者の物語なんだな、と、
初めてみた「髑髏城」が“ワカドクロ”であった私には思えてなりませんでした(^ ^)。
話は相当に無茶苦茶で、特に2幕中盤あたりはかなり支離滅裂なんですが、なんていうか、理屈を吹き飛ばすようなパワーのある作品だな、と思いました。
小栗旬をはじめとする、若い役者たちの熱いエネルギー。そのパワーのほとばしりが、いろんな支離滅裂をフォローして、「まあ、そんなこともある……のかな?」という作品にしていたのはすごいなあと思います。
何度か再演されている作品ですので、ここから先はネタばれでいきます。
まあ、大したネタばれではありませんが、未見の方はご注意を。
脚本の中島かずきがプログラムに書いていますが、この作品、前回の上演までは捨之介(小栗旬)と天魔王(森山未來)が一人二役で演じられていたそうですね。
戦国乱世の「第六天魔王」を名乗っていた織田信長の影武者たちだから、同じ貌をしている、という設定だったそうで。
今回、天魔王と森蘭丸(早乙女太一)が信長の小姓、捨之介が草として人々の間で暮らす情報屋だった、という設定にしたことで、三人のキャラクターを若く(信長と同年代ではなく、青春真っ只中の若者に)設定することができて、荒唐無稽な物語に説得力を持たせることができたんだと思います。
役者も若いし、その方がいいと思う。捨之介と天魔王を裏表にすることで物語が深まる部分もあるけど、蘭丸を加えた三人が顔を合わせて会話することで、初めて見えてくるものもあるはずだから。
ただ、結構根本的な修正なので、最終的に物語が支離滅裂になったのはこの変更のせい、というのは言えるかもしれませんが。
……ラストに将監(栗根まこと)が捨之介を天魔王の身代わりとして告発する、っていうエピソードなんて、今回公演だけを観ていると意味不明だしなー。どうしてその二人の間で身代わりだなんだっていう話がでるの?って感じだった。
あと、蘭丸のキャラ設定にもだいぶ無理を感じたんですが、これは最初からあったキャラなんでしょうか…?(←すみません)「天(信長)地(捨之介)人(天魔王)」っていう言葉が象徴的に何度も出てくるんですが、これだと蘭丸の入る余地がないんですよね。なので、蘭丸は当初はいないキャラだったのかな…?と思ったりもして。
結構、これに付随する疑問点はいろいろあるので、「主人公」を二つにわける、という根本的な変更をした割には詰めが甘いなーという気はします。でもまあ、新感線だから(^ ^)細かいところは気にしない精神で観るのが正しいんだろうな、と思いつつ。
卑怯な裏切りによって「織田信長」という『神』を喪った三人の若者。
『神』と直接話す立場でもなく、草の者として、耳として、市井に混ざって暮らしていた若者は、『神』を喪ってすべてを捨てる。
浮世の義理もなにもかも全て捨て去って、「捨之介」と名乗り、諸国を流れて……そして、東の地へたどり着く。『神』の復活を望むつもりはない。ただ、『神』のいない世界はちょっとつまらない、くらいは思っている。『神』はエネルギーの源泉であり、破壊と創造、そして、進化のきっかけそのものだから。
でも、新しい『神』を欲するつもりは、ない。自分が『神』になるつもりも、ない。
自分にとっての『神』は信長公ただ一人で、誰も彼の替りにはならないのだから。
『神』に傍近く仕えてきた小姓頭(?)は喪神の事実に耐えられず、東の地で髑髏の城を築く。怨敵(浅井・朝倉)の髑髏を杯にした神にならい、神の髑髏を仮面と化して自らを神の偽姿と為し、神の骨から造った杯で酒を飲む。
我は『神』を喪ってなどおらぬ。ほれ見よ、此処に『神』は在る。この髑髏の仮面を着けた我は、信長公と同一化し、乱世を支配する破壊神、第六天魔王となるのだ……。
信長と共に本能寺にありながら、主を護れず、生き延びてしまった森蘭丸。
雑賀衆の生き残りと出会うことで新しい人生に出会った彼は、無界屋蘭兵衛と名乗り、『無界』を護ることに生きる意味を見出そうとする。そんな彼が、『神』の似姿に出会ってしまったならばどうなるか。
一幕はかなり、私的に蘭兵衛(蘭丸)主演、って感じで観てました(^ ^)。『神』を護れなかった痛手に耐えて、新しい「護るべきもの」を得た男の一時的な充足と、永遠に埋まらない空洞の相克。「護るべき者」を護るために、護れなかった『神』と闘うために、自分自身に賭ける彼の涼しげな背中がとても印象的です。
結局彼はその賭けに敗れ、二幕ではこの作品の「支離滅裂」っぷりを天魔王と二人で分け合うことになるわけですが(^ ^;ゞ、そこまでの展開に説得力があったので、まあ良いかな、という感じ。
個人的には、森山×早乙女のキスシーンは元々あったものなのか、誰かの希望で今回入ったのか、そのへんはっきりしてほしい!という気持ちでいっぱいです(←そこ?)
時代的には(パラレルワールドだけど)本能寺の変から8年後、秀吉による小田原攻めが始まる頃。
旧都鎌倉のさらに東、大きな湾の奥の荒地の片隅に、見事な城が築かれた。
天魔王を名乗る男がうちたてた、それこそが髑髏城。
南蛮渡来の鉄甲冑に身を固めた「鉄機兵」たちの集合隊「関東髑髏党」の首領として、人々に暴虐の限りをつくす天魔王。
ある日、髑髏党の面々がある村を襲う。村人は皆殺しにされ、最後に可愛い娘たちが殺されそうになったところに割って入る荒武者たち。。若さにまかせてエネルギーをぶちまけるだけの彼らが、訓練された軍隊に太刀打ちできるはずもなく、あっという間に追い詰められ、首領の兵庫(勝池涼)も殺されそうになる。
そんな場面で、颯爽と登場して良いところを全部持っていく捨之介。
小栗旬の魅力が、半端ない勢いで輝いていて、びっくりしました。
美形で動けて(殺陣がとっても格好良い!さすが!)、ちゃんと強そうに見えるところが素敵。そして、強いからこそすごく優しい、そういうところも真っ直ぐに表現されていて。
さぎり(仲里依紗)を心配する気持ちもすごく伝わってきたし、不器用な優しさには最初から最後まできゅんきゅんし通しでした(^ ^)。ホントにかっこいいなー、小栗くん。
兵庫の勝地さんも、美形で扮装が良く似合ってて、とても素敵でした。
物語的には主人公といっても良い役(本格的に髑髏城に向かうときの真ん中は彼だから)なのですが、ものすごく良かったです。
2幕の後半の立ち回りで、兄さの磯平(磯野信吾)と二人、背中あわせに鎌で闘う殺陣がめっちゃ格好良かった!!彼の部下たちの最期もとても切なくて、彼らにこれだけ慕われた兵庫は、やっぱりそういう星のもとに生きてきたんだろうな、と思いました。
一休みするために、関東一の色街・無界を訪れる一行。
無界の主人、蘭兵衛。いやー、早乙女太一くん、台詞が喋れるようになったねえ~!(感涙) 表情のあまり動かない、声にもあまり感情を出さない役なのですが、台詞が普通に聞けるようになったので、その裏の激しい感情が透けて見えるようでした。髑髏城に向かいながら笛を吹く場面の凛とした涼しげな佇まいと、髑髏城で天魔王と対決する場面の激しさ。あの美しい佇まいを観たら、思わず汚してしまいたくなる天魔王の気持ちもわかる……みたいな、なにか邪なものを呼び覚ましてしまうような存在感は、、、さすがだな、と。
そして、相変わらず流れるような美しい殺陣に見惚れました。いつまでも観ていたかった……(真顔)
後半の、薬酒に理性を奪われてしまってからの芝居はまだまだ(←でも、あれは脚本にも問題があると思うけど)でしたが、足許があやうくなって、殺陣の動きもそれまでと全然違うふうになる……のが凄いなあ、と思いました。身体で芝居するひとなんだな、やっぱり。
無界でトップを張る極楽太夫(小池栄子)。
佳い女でした! 美しくて色っぽくて強くてキツい、最高の女。
新感線には、よくこういう佳人が出てくるけど、本当に素敵でした(*^ ^*)。なんだろう。ちょっと元星組の水輝くん系の顔立ちでしたが、声も気風の良い声で。うん、本当に、気風のいい女って感じでしたね。良い役だったな~!
無界で女を買うやせ浪人、狸穴二郎衛門(千葉哲也)。いやー、渋くて裏表があってどっしりしていてとても良かったです。彼の正体は、まあそうだろうなと思って観ていたのでどちらかというと「案の定」って感じだったのですが、裏表のどっち側も良い男だなあと感心しました(*^ ^*)。
物語的な弱みは、上でも書いた「捨之介と天魔王が一人二役」という設定をやめたときの積み残しが結構あるのと、秀吉の関東攻めの話と天魔王の関東搾取の設定がごっちゃになって、捨之介にせよ、蘭兵衛にせよ、天魔王の敵ではあるけども、秀吉に味方するいわれがない……というあたりかな、と思いました。
まあ、これも一人二役をやめたことによる弊害なのかもしれませんが、わざわざ秀吉の関東侵攻寸前に、髑髏城を攻めようとすることになるのが理解に苦しむんですよね(T T)。
まあ、新感線ですから。
これぞ冒険活劇!!という明るさと、昏い闇が混在しているところがとても楽しかったです。
以前、「SAMURAI7」を観劇した時にも思いましたが……
巨匠・黒澤監督の「七人の侍」、観るべきだなあ。
そして。
殺陣がホントに見ごたえあって素晴らしかった!
というのを最後に叫んで終わりたいと思います(^ ^)。
.
2004年の「アカドクロ」「アオドクロ」共演のときはチケットが取れず観られなかったこの作品。
なので、このタイトルの作品を観るのは初めてだったわけですが。
面白かった!
のも事実なんですが、それ以上に、痛い……とも思いました。
『神』を喪った三人の若者の、「その後」の物語。
全てを捨て、『神』を忘れて生きようとする者、偽の『神』になろうとする者、そして、生き残った罪を贖うために、新たな「護るべきもの」を造りだした者……
彼らが皆若いからこそ、『神』への憧憬と喪失の慟哭がストレートで純粋で。
その純粋さと、若いからこそ簡単に「絶望」に浸ることもできず、なんとか生きる道(理由)を探そうとあがく姿が、とても痛々しかった。
「髑髏城」という物語は、大人の物語ではなく若者の物語なんだな、と、
初めてみた「髑髏城」が“ワカドクロ”であった私には思えてなりませんでした(^ ^)。
話は相当に無茶苦茶で、特に2幕中盤あたりはかなり支離滅裂なんですが、なんていうか、理屈を吹き飛ばすようなパワーのある作品だな、と思いました。
小栗旬をはじめとする、若い役者たちの熱いエネルギー。そのパワーのほとばしりが、いろんな支離滅裂をフォローして、「まあ、そんなこともある……のかな?」という作品にしていたのはすごいなあと思います。
何度か再演されている作品ですので、ここから先はネタばれでいきます。
まあ、大したネタばれではありませんが、未見の方はご注意を。
脚本の中島かずきがプログラムに書いていますが、この作品、前回の上演までは捨之介(小栗旬)と天魔王(森山未來)が一人二役で演じられていたそうですね。
戦国乱世の「第六天魔王」を名乗っていた織田信長の影武者たちだから、同じ貌をしている、という設定だったそうで。
今回、天魔王と森蘭丸(早乙女太一)が信長の小姓、捨之介が草として人々の間で暮らす情報屋だった、という設定にしたことで、三人のキャラクターを若く(信長と同年代ではなく、青春真っ只中の若者に)設定することができて、荒唐無稽な物語に説得力を持たせることができたんだと思います。
役者も若いし、その方がいいと思う。捨之介と天魔王を裏表にすることで物語が深まる部分もあるけど、蘭丸を加えた三人が顔を合わせて会話することで、初めて見えてくるものもあるはずだから。
ただ、結構根本的な修正なので、最終的に物語が支離滅裂になったのはこの変更のせい、というのは言えるかもしれませんが。
……ラストに将監(栗根まこと)が捨之介を天魔王の身代わりとして告発する、っていうエピソードなんて、今回公演だけを観ていると意味不明だしなー。どうしてその二人の間で身代わりだなんだっていう話がでるの?って感じだった。
あと、蘭丸のキャラ設定にもだいぶ無理を感じたんですが、これは最初からあったキャラなんでしょうか…?(←すみません)「天(信長)地(捨之介)人(天魔王)」っていう言葉が象徴的に何度も出てくるんですが、これだと蘭丸の入る余地がないんですよね。なので、蘭丸は当初はいないキャラだったのかな…?と思ったりもして。
結構、これに付随する疑問点はいろいろあるので、「主人公」を二つにわける、という根本的な変更をした割には詰めが甘いなーという気はします。でもまあ、新感線だから(^ ^)細かいところは気にしない精神で観るのが正しいんだろうな、と思いつつ。
卑怯な裏切りによって「織田信長」という『神』を喪った三人の若者。
『神』と直接話す立場でもなく、草の者として、耳として、市井に混ざって暮らしていた若者は、『神』を喪ってすべてを捨てる。
浮世の義理もなにもかも全て捨て去って、「捨之介」と名乗り、諸国を流れて……そして、東の地へたどり着く。『神』の復活を望むつもりはない。ただ、『神』のいない世界はちょっとつまらない、くらいは思っている。『神』はエネルギーの源泉であり、破壊と創造、そして、進化のきっかけそのものだから。
でも、新しい『神』を欲するつもりは、ない。自分が『神』になるつもりも、ない。
自分にとっての『神』は信長公ただ一人で、誰も彼の替りにはならないのだから。
『神』に傍近く仕えてきた小姓頭(?)は喪神の事実に耐えられず、東の地で髑髏の城を築く。怨敵(浅井・朝倉)の髑髏を杯にした神にならい、神の髑髏を仮面と化して自らを神の偽姿と為し、神の骨から造った杯で酒を飲む。
我は『神』を喪ってなどおらぬ。ほれ見よ、此処に『神』は在る。この髑髏の仮面を着けた我は、信長公と同一化し、乱世を支配する破壊神、第六天魔王となるのだ……。
信長と共に本能寺にありながら、主を護れず、生き延びてしまった森蘭丸。
雑賀衆の生き残りと出会うことで新しい人生に出会った彼は、無界屋蘭兵衛と名乗り、『無界』を護ることに生きる意味を見出そうとする。そんな彼が、『神』の似姿に出会ってしまったならばどうなるか。
一幕はかなり、私的に蘭兵衛(蘭丸)主演、って感じで観てました(^ ^)。『神』を護れなかった痛手に耐えて、新しい「護るべきもの」を得た男の一時的な充足と、永遠に埋まらない空洞の相克。「護るべき者」を護るために、護れなかった『神』と闘うために、自分自身に賭ける彼の涼しげな背中がとても印象的です。
結局彼はその賭けに敗れ、二幕ではこの作品の「支離滅裂」っぷりを天魔王と二人で分け合うことになるわけですが(^ ^;ゞ、そこまでの展開に説得力があったので、まあ良いかな、という感じ。
個人的には、森山×早乙女のキスシーンは元々あったものなのか、誰かの希望で今回入ったのか、そのへんはっきりしてほしい!という気持ちでいっぱいです(←そこ?)
時代的には(パラレルワールドだけど)本能寺の変から8年後、秀吉による小田原攻めが始まる頃。
旧都鎌倉のさらに東、大きな湾の奥の荒地の片隅に、見事な城が築かれた。
天魔王を名乗る男がうちたてた、それこそが髑髏城。
南蛮渡来の鉄甲冑に身を固めた「鉄機兵」たちの集合隊「関東髑髏党」の首領として、人々に暴虐の限りをつくす天魔王。
ある日、髑髏党の面々がある村を襲う。村人は皆殺しにされ、最後に可愛い娘たちが殺されそうになったところに割って入る荒武者たち。。若さにまかせてエネルギーをぶちまけるだけの彼らが、訓練された軍隊に太刀打ちできるはずもなく、あっという間に追い詰められ、首領の兵庫(勝池涼)も殺されそうになる。
そんな場面で、颯爽と登場して良いところを全部持っていく捨之介。
小栗旬の魅力が、半端ない勢いで輝いていて、びっくりしました。
美形で動けて(殺陣がとっても格好良い!さすが!)、ちゃんと強そうに見えるところが素敵。そして、強いからこそすごく優しい、そういうところも真っ直ぐに表現されていて。
さぎり(仲里依紗)を心配する気持ちもすごく伝わってきたし、不器用な優しさには最初から最後まできゅんきゅんし通しでした(^ ^)。ホントにかっこいいなー、小栗くん。
兵庫の勝地さんも、美形で扮装が良く似合ってて、とても素敵でした。
物語的には主人公といっても良い役(本格的に髑髏城に向かうときの真ん中は彼だから)なのですが、ものすごく良かったです。
2幕の後半の立ち回りで、兄さの磯平(磯野信吾)と二人、背中あわせに鎌で闘う殺陣がめっちゃ格好良かった!!彼の部下たちの最期もとても切なくて、彼らにこれだけ慕われた兵庫は、やっぱりそういう星のもとに生きてきたんだろうな、と思いました。
一休みするために、関東一の色街・無界を訪れる一行。
無界の主人、蘭兵衛。いやー、早乙女太一くん、台詞が喋れるようになったねえ~!(感涙) 表情のあまり動かない、声にもあまり感情を出さない役なのですが、台詞が普通に聞けるようになったので、その裏の激しい感情が透けて見えるようでした。髑髏城に向かいながら笛を吹く場面の凛とした涼しげな佇まいと、髑髏城で天魔王と対決する場面の激しさ。あの美しい佇まいを観たら、思わず汚してしまいたくなる天魔王の気持ちもわかる……みたいな、なにか邪なものを呼び覚ましてしまうような存在感は、、、さすがだな、と。
そして、相変わらず流れるような美しい殺陣に見惚れました。いつまでも観ていたかった……(真顔)
後半の、薬酒に理性を奪われてしまってからの芝居はまだまだ(←でも、あれは脚本にも問題があると思うけど)でしたが、足許があやうくなって、殺陣の動きもそれまでと全然違うふうになる……のが凄いなあ、と思いました。身体で芝居するひとなんだな、やっぱり。
無界でトップを張る極楽太夫(小池栄子)。
佳い女でした! 美しくて色っぽくて強くてキツい、最高の女。
新感線には、よくこういう佳人が出てくるけど、本当に素敵でした(*^ ^*)。なんだろう。ちょっと元星組の水輝くん系の顔立ちでしたが、声も気風の良い声で。うん、本当に、気風のいい女って感じでしたね。良い役だったな~!
無界で女を買うやせ浪人、狸穴二郎衛門(千葉哲也)。いやー、渋くて裏表があってどっしりしていてとても良かったです。彼の正体は、まあそうだろうなと思って観ていたのでどちらかというと「案の定」って感じだったのですが、裏表のどっち側も良い男だなあと感心しました(*^ ^*)。
物語的な弱みは、上でも書いた「捨之介と天魔王が一人二役」という設定をやめたときの積み残しが結構あるのと、秀吉の関東攻めの話と天魔王の関東搾取の設定がごっちゃになって、捨之介にせよ、蘭兵衛にせよ、天魔王の敵ではあるけども、秀吉に味方するいわれがない……というあたりかな、と思いました。
まあ、これも一人二役をやめたことによる弊害なのかもしれませんが、わざわざ秀吉の関東侵攻寸前に、髑髏城を攻めようとすることになるのが理解に苦しむんですよね(T T)。
まあ、新感線ですから。
これぞ冒険活劇!!という明るさと、昏い闇が混在しているところがとても楽しかったです。
以前、「SAMURAI7」を観劇した時にも思いましたが……
巨匠・黒澤監督の「七人の侍」、観るべきだなあ。
そして。
殺陣がホントに見ごたえあって素晴らしかった!
というのを最後に叫んで終わりたいと思います(^ ^)。
.
コメント
コメントされるかたも少ないかと思って、
書き込ませて頂きます。
天魔王×蘭のキスシーンは、前からあります。
前作まで(天魔王も捨も信長の影武者設定)
の頃の方が、蘭兵衛のお小姓臭が強かったので、
愛してやまぬ、でももう二度と会えない男と
同じ顔にキスされることで、断ち切れない情に
絡みとららていく演出に説得力がありました。
今回は薬のせいにしていましたけど(苦笑)。
天地人に蘭兵衛が入る余地がないと思われた
とのところですが、もともと三人で主役というバランス
の話ではないんです。
むしろ、三角関係というほうがしっくりきます。
天魔王が蘭に拘るのは蘭が殿の女だから。
蘭丸を手に入れる事で、殿に近付きたいという意味
だと感じました。
観ないで終わりますが、
>>捨之介(小栗旬)と天魔王(森山未來)が一人二役で演じられていたそうですね。
そうなんですのよ、この役は同じ顔の一人二役がよかったのにぃ~
と思ったし(私は染ファンだったし)
全然別の芝居をするタイプの二人で平気かな?と思ったのですが
先日TVで見かけた森山未来くんがすごく男っぽくてかっこよくて
ちょっと小栗くんに通じる空気があったので、あ、なんかいけてる♪
と思えました。
ますますチケットが無いのが悔しい・・・
でもいつ見れるか春頃はまだ判らなかったんだよぉ(泣)
コメントありがとうございます!すごくありがたいです。
> 前作まで(天魔王も捨も信長の影武者設定)
> の頃の方が、蘭兵衛のお小姓臭が強かったので、
> 愛してやまぬ、でももう二度と会えない男と
> 同じ顔にキスされることで、断ち切れない情に
> 絡みとららていく演出に説得力がありました。
なるほど!!!
そうか、天魔王と信長が同じ顔、っていうのはそういう効果もあるんですね。
天魔王側の執着は観ていてわかったのですが、蘭兵衛側の執着は思いつかなかったなー
(←読みとれなくてすみません)
> もともと三人で主役というバランスの話ではないんです。
そうなんですよね。今回の演出は、かなり三人主役に近いものになっていたような気がしますが、元々は違うんだろうなというのはわかりました。
> 蘭丸を手に入れる事で、殿に近付きたいという意味だと感じました。
それは今回のでもちゃんと出ていたと思います。森山くん、芝居うまいなーと感心しました(^ ^)。
蘭兵衛というキャラ設定が、今回は結構男っぽかった(「護る側」に見えた)ので、天魔王の執着が滑稽なものに見えたりもしましたが……。
うーん、やっぱりあの時、高額チケットに手を出してでも観ておけばよかったなあ……。
コメントありがとうございます!ご覧にならないんですね、残念……
森山くんすごく良かったですよ!
私、彼を舞台で観るのはかなりお久しぶりだったのですが、こんなに巧くなっていたのか!?と目から鱗でした。迫力と自信に溢れ、求心力もあって素晴らしかったです。
これからは真面目に観たいと思います……。
> でもいつ見れるか春頃はまだ判らなかったんだよぉ(泣)
ですよねえ……。この時期では無理ですよね~。
まあ、まだしばらくやっている公演ですので、どっかからチケットが転がり出てきたら、ぜひ観てあげてください(^ ^)。