東京宝塚劇場宙組公演「美しき生涯/ルナ・ロッサ」。

いよいよ明日で楽というところまで来てしまいました。
昨日からたまちゃん(天羽珠紀)も山伏とキャメルマン、そしてパレードの3場面に復帰して、元気そうな顔を視ることができました。まだ全場面じゃないけど、それでも、全員揃って千秋楽を迎えられそうなことがとても嬉しい。
やっとちや姉(風莉じん)の歌に慣れたところだったので、久しぶりのたまちゃんの山伏は、なんだか懐かしかったです♪ ああそうそう、こうだったこうだった!みたいな(^ ^)。



先週あたりに、ものすごく繊細になっていた祐飛さんの三成は、今日はちょっと力強さを取り戻して、でも痛々しさはそのまま、という微妙なラインで演じきってくれたような気がします。
日によってあちらを強調したりこちらを詰めたり、いろいろやってくれる人ですが、さすがに明日へ向けてまとめに入ったかな?という感じ。
すみ花ちゃんの茶々も、祐飛さんの弱さに乗じて強さを増しているようで、さらに魅力的。力強くて押しが強くて我がままで、最高に可愛いです(*^ ^*)。
明日はどこまで行ってしまうのかしら、あの二人……。



お芝居がまだ半分くらいしか書いていないのですが、とりあえず明日で楽なので、気になっているところだけ書きとめておきたいと思います。中途半端ですみませんm(_ _)m。


■第十場 大阪城(文禄2年=1593年)

三成と疾風が銀橋を渡りきってはけると、本舞台に秀吉と寧々がお拾(秀頼)を抱いて登場。

「二人目の子も、お前さまにはまったく似ておりませんなあ」
「淀に似たんじゃ。わしに似んで良かった」

秀吉は、拾を自分の子だと思っているんでしょうか。
未沙さんは、腹の底が深すぎて、まったくわかりません(^ ^;;;
自分の子だと当然のように思っているようにも見えるし、違うと知っているようにも見える。

ただ、一つ間違いないのは、秀吉は赤児を自分の子であると言いたいのだ、ということ。
自分には子を作る能力があると思いたいのかもしれないし、彼なりに淀を愛していて、彼女の立場を護りたいのかもしれないし、あるいは単純に彼女を自分に縛っておきたいのかもしれない。
……やっぱり、秀吉さんの考えていることは全然わかんないや(涙)。私程度が偉そうに解釈するには、深すぎる……。


で。
美穂さんの銀橋は、本当に本当に素晴らしいです。
この歌を聴けただけで、この作品の価値があると思う!(←言いすぎ?)



■第十一場A 聚楽第

朝鮮遠征を諌める五奉行。
五奉行はそれぞれ立場が違うので、あんなふうに5人揃って同じ考えを述べるようなことは考えにくいけど、まあ、気にするまい。
個人的に、増田長盛が割と好きなので、りくがやると聞いたときはちょっと嬉しかったんですよね。なのに、実際観てみたら単なる記号だったのが残念。
でもまあ、三成以外の4人は、あれしか出番ないのによく膨らませたなと思います。大劇場の前半とは別人のように、ちゃんとキャラがあるのがすごい。


朝鮮征伐(←もうこの言い方しないのかな)を続ける理由として秀吉が述べる「外敵が必要」というのは、正しい理屈なんですよね。たくさんの政権が、統一を果たしたところで揺らいでしまうのは、軍隊の処理の失敗からなのですから。
でも、それではいつまでたっても『民』は幸せにならない。
主君と三成の、もしかしたら初めてかもしれない、意見のずれ。

今までなら、対立しても話は聞いてくれたはずの秀吉は、もはや三成と会話しようとはしない。本題と関係のない話をして、会話が成立しなくなってしまった。
それは、子飼いの部下に裏切られた秀吉の報復なのか、それとも……?
「耄碌」という言葉が、三成の脳裏をかすめた、、、かもしれません。



■第十一場B 淀城(文禄4年=1595年)(秀吉逝去は1598年)

「みな死ねば良いのでございます」

九場で三成に頼んだ通り、茶々の傍付きになった疾風が、茶々の耳に毒を吹き込む。

「秀吉も寧々も皆、この世を去り、関白英次を亡き者にすれば、天下はお方さまと秀頼君と、石田三成のもの」

淡々と静かに、けれども深い熱を抱いて。


この場面、新人公演では茶々と疾風が向かい合い、膝をついた疾風に立ったままの茶々が話しかける、という、ちゃんと二人が「会話」をしている場面になっていたんですよね。
この演出良いなーと思い、本公演もこうすればいいのに、と思っていたのですが。本公演の疾風は、あの淡々と醒めたところが個性なので、お互いの顔を見ようとしない本公演の演出の方が合うんですね。なるほど納得。

二人があの立ち位置で喋っていると、疾風の存在が幻であっても話が成立するなーと思うんですよね。
この会話自体が、茶々の妄想なんじゃないか、と。

関白英次を亡き者にするよう、秀吉に願えと疾風は言う。
茶々は「なんてことを!」と言いながら首を横に振るけれども、
……女童たちは謡う。「間もなく関白秀次さまは無実の罪で切腹」。



さて、ここで問題です。
茶々は本当に秀次の死を願い、秀吉を唆したのでしょうか……?


私は、すみ花ちゃんの茶々は、そのくらいやっても不思議はないと思っています。
彼女は、一刻も早く秀頼を正式な秀吉の後継者としてお披露目しなくてはならなかったのですから。

だって、
……彼女は、秀頼が秀吉の子でないことを知っていたはずなのですから。




私は、以前ちらっと書きましたが、「秀頼は三成の子ではない」と考えていたりします。
祐飛さんご本人は、当然三成の子だとお考えのようでしたが……すみません、やっぱりそうは見えないんだよー。

新人公演を観て、この三成なら、茶々が立ち直るまで何度も慰めに行ってもおかしくないなと思ったし、その結果として子ができたとしても、あんまり気にしないんじゃないかと思った。
秀吉が認めたなら、全力でそれに従うべきだ、と、そんな風に考えていそうに見えたので。


でも、祐飛さんの三成は、なんていうか、繊細すぎるんですよ……


脚本的には、どうにでも解釈できるようになっていると思います。
本人たち以外は、「100人からの側室がいるのに、子ができたのは淀殿一人」と、淀の密通を疑っているけど、本人たちはそれらしいことは一切言わないので。


私が脚本的にひっかかったのは、牢獄での茶々と三成の会話でした。
「契りを交わしたあの晩」……あの言い方は「契りを交わした夜」が二回も三回もあったようには聞えませんよ?
「初めて契りを交わしたあの晩」ならわかるんですけど。なぜあえてそこで単数なんですか?

そして、あの世で夫婦になるお許しを…の場面でも、夫婦のことしか言わないんですよね。
子供のことは言わない。家族三人で、とも言わない。
まあ、鶴松のことも言わないので、ここは生きている限り子供のことは口には出さぬと誓っているとか、そういう可能性もありますけど。


でも、素直に聞けば、三成は秀頼を秀吉の子だと考えていると思っていいんじゃないかな、と。

そうなると、矛盾が生じる。
茶々は、秀頼を三成の子だと思ってるよね……?
少なくとも、秀吉の子だとは思ってない。たしかにそう見える。


と、いうわけで。
やっぱり私の結論は、「疾風が三成になりすまして茶々を慰めに訪れた」です(^ ^)。
たぶん、そんなに回数は重ねてないと思うんですよね。1回か、せいぜい数回、傷心の茶々を慰めるために。
子供が出来たのは運命なのだと思う。だから彼は、最期まで茶々と秀頼につき、我が子と愛する女が死んだときに出家する。
その間、なんと15年。でも彼は、茶々にも秀頼にも感づかれることなく、忍びに徹していたのでしょう、きっと。

だから。彼は大阪城が落ちたとき、ホッとしたのかもしれません。

これでやっと、俺も自由になれる。
あとは三成、頼んだぞ、と。


大津城に茶々を連れて向かう前の「幸せな男だ…」という独白は、そういう意味だったんじゃないかなー?と。
三成を喪った茶々を護るのが自分の使命だと、そう覚悟を決めた男の貌。



あはは。本文に書いちゃった(^ ^)。
でも、これ、ありだと思うんだけどなあ。……駄目でしょうかね、やっぱり。


鶴松が死んだ後の立ち回りでの会話でも、三成は明解な返事をしないんですよね。
逆に疾風が自分の気持ちに気づいてしまう。抑えきれない想いに。

「俺とおまえは、光と影……」

どちらが光でどちらが影なのか、祐飛さんとテルくんだと、微妙だな……なんて思いつつ。

うーん……やっぱり無理かなあ(無理だよ)





話は違いますが、大石さんの脚本について、思ったことを書きとめておきます。

大石さんの脚本は、第三者視点の脚本だな、と思いました。
登場人物の誰の視点でもないから、誰のモノローグもない。あるのは会話だけ。比較的モノローグに近いのは5回ある銀橋わたりのソロ(三成、正則、疾風、寧々、茶々)くらいで、「説明台詞」どころか、モノローグとかが全然ないんですよね。
じっくりと時間をかけられる2幕物ではなく、筋立てがシンプルなことが多いワンシチュエーションものでもなく、大河ドラマを短くまとめた1幕物で、しかも団体客の多いタカラヅカで、説明台詞もモノローグもない(!)というのは、作劇としてかなり面白い試みだったんだな、と改めて思いました。


また、七本槍の描き方も面白かった。第三者視点だからあまり一人ずつの心情には踏み込まなんだけど、最初のおにぎりの場面では一致していた「三成をはじめとする文治派への反感」が、関ヶ原をはさんでどんどんバラけていくのが面白かったし、それぞれのメンバーがそれぞれの立場でいろんなことを考え、思想的に成熟していく様子がどんどん明解になていく様子が面白かったです。
「おかかさま」である寧々の懐を抜け出して、「世界」を見つけた子供たち。初めて海をみたガンバのように、吃驚して塩水をかぶっていればいいんですよ、ええ(^ ^)。

大劇場の頃、7人ともそのあたりの表現に迷っていた感じだったけど、回を重ねるごとにだんだんにしっくり噛み合ってくるのが楽しかった。彼らも手ごたえを感じて楽しかったんじゃないかな。いい勉強になったと思います♪





それにしても、今回はショーについて殆ど書いてないなあ。
結構好きなショーなんですけどね。下級生を探すのも楽しいし。


泣いても笑ってもあと一日。
素敵な一日になりますように。



コメント

nophoto
カナリヤ
2011年8月7日9:48

みつきねこさん、おはようございます。
昨日の前楽、見納めと観てきました。やはり一日を残すのみとなり熱を帯びて、三成さまは、力強かった。そして、三成が心の奥底で願っている事を疾風に表現させ、その対比を強くしているのだろうと考えていました。
ショーは私も好きでした。ゆうひさんとかなめちゃんの神秘性が上手く作用して赤い月が魅力的でした。オギーチックな作風もピッタリと嵌っていますね。
次から次へと繰り出してくる人海戦術が楽しく、歌える人、踊れる人の多い宙組の本領発揮です。昨日は前方席でしたので、カイちゃん、大ちゃん、かなめちゃんのウインクもしっかりと見られ、皆さんの顔も見られて楽しかったです。ずっとニコニコして舞台を観ていました。

みつきねこ
2011年8月8日0:28

カナリヤさま
こんにちは(^ ^)。コメントありがとうございます!

> ゆうひさんとかなめちゃんの神秘性が上手く作用して赤い月が魅力的でした。

神秘性……そうですね。そんな雰囲気のあるお二人ですよね♪

> 歌える人、踊れる人の多い宙組の本領発揮です。

そうなんですよー。歌も踊りも、意外と(←すみません)レベル高いんですよ宙組♪

> ずっとニコニコして舞台を観ていました。

幸せな時間ですよね!終わってしまって寂しいですが、またすぐにファントムとヴァレンチノが始まるので、それが楽しみです♪

nophoto
r
2011年8月8日13:03

いい千秋楽でしたね。
たまちゃんも部分的に復帰できたし、祐飛さんにたまちゃんの山伏が聞きたいって手紙に書いてたので、復帰はとってもうれしかったです。
すみかちゃんの茶々は新人公演後ますます強くなって三成との対比がとってもよかったです。
>美穂さんの歌を聴けただけで、この作品の価値があると思う!(←言いすぎ?)
→言いすぎじゃないです。藤子の独白に匹敵するくらいの場のさらいかた(笑)外せない感動ポイントでした。
>茶々は本当に秀次の死を願い、秀吉を唆したのでしょうか……?
→私も、すみ花ちゃんの茶々は、そのくらいやっても不思議はないと思いました。
でも、秀頼は三成の子でない。そんな風にみえないもん(笑)。疾風も実のところ彼女に触れてないと思う。りかちゃんの疾風からはそう感じました。
さて、誰が父親か?三成は自分が行くと見せかけて、眠っている茶々のところに来たのは実は秀吉だったと思う。まるで、川端の雪国みたいな設定かもと思ってしまいました(笑)
三成の子だと茶々は信じてたけど、実は太閤の正当なお世継ぎだったという。
皆さんの芝居を見ていてそう私は感じてしましました。

みつきねこ
2011年8月9日6:45

rさま
コメントありがとうございます!そう、たまちゃんの復帰はとても嬉しかったですね♪ ヴァレンチノもよろしく!って思いました♪

>>茶々は本当に秀次の死を願い、秀吉を唆したのでしょうか……?
>→私も、すみ花ちゃんの茶々は、そのくらいやっても不思議はないと思いました。

そうですよね!その激しさが茶々の魅力なんだと思います。

>眠っている茶々のところに来たのは実は秀吉だったと思う。まるで、川端の雪国みたいな設定かもと思ってしまいました(笑)

なるほどー!「雪国」か。それもありですね(^ ^)。

結局、観てて確実だなと思ったのは、三成は秀吉の子だと思っていて、茶々は三成の子だと思っている、ということだけだったんですよね。疾風と秀吉は、本音のところでどう思っているのかは見せない芝居だったと思うのです。
そういう一番重要なところがどうにでもとれるあたりが、この作品の面白さであり、わかりにくさでもあったんだろうな、と。
私は好きなんですよね、こういう「説明」のないお芝居が。役者の組み合わせによって、全然違う話に見えてくるところが芝居の醍醐味だな、と(^ ^)。