東京宝塚劇場にて、宙組公演「美しき生涯/ルナ・ロッサ」を観劇してまいりました。



大劇場の千秋楽から3週間弱、私が最後に観てからは約4週間。
どんなふうに変わったかな、とワクワクしながら劇場に入ったのですが。

いやー、面白かったー!
具体的に『ここが変わったな』と思ったところは特になかったんですが、でも何となく、みんなにはゴールが見えてきたのかな?という気がしました。
目指す方向が一致しているのがわかった、というのかな。まだ完全にまとまってはいないけれども、ゴールのイメージは共有できている。そんな感じ。
……妄想かもしれませんが(^ ^;ゞ




ところで。
この作品を観た方にお伺いしたいことがあります。




#まだご覧になっていらっしゃらない方は、この先は読まない方がいいかもしれません。





#というわけで、改行をいれておきます。












みなさんは、この物語において、拾君(秀頼)は誰の子だという設定だと思われましたか……?






お捨(鶴松)は三成の子だと思うんですよ。
少なくとも、茶々と三成はそう思っていたんだろうな、と。



でも。


少なくとも、三成は秀頼を自分の子ではないと思っていたはずですよね?

「豊臣譜代の家臣を騙すことはできない」から、秀頼の影武者を立てることさえ拒否した三成が、秀頼の父親が自分だと知って、それを秀吉の跡取りとして立てることなどできるはずがない。

それは、物語の大前提にある三成の性格上、ありえないことです。




だいいち。
三成は、いくら「茶々に生きる意欲を与えてやってくれ」と言われても、主君の妻を抱くことなどできるはずがない、と思うんですよ。

『愛と忠義を秤にかけたら、忠義が重い男』だ、と、秀吉にも判っていたからこそ命じたのだし、茶々も、わかっていたからこそ『まだ妻ではない』今がただ一度のチャンスと思いきって飛び込んだのですから。

秀吉の申し出を受ける見返りに、恋しい男を手に入れる。
そんな決意で飛び込んだ茶々。

そして、二度目はないとわかっていたからこそ、ただ一度の夜を受け入れた三成。

二人だけの、最初で最後の夜。



そんな二人……というか、三成が、二度目の夜を受け入れるなんて考えられない!

100歩譲って、秀吉の死後ならあり得たかもしれませんけどね。でも、生前はありえないでしょう。
まして、自分の子が秀吉の後継者になったひには、腹を切ってお詫びしてしまいそう。

だから。
秀頼は三成の子ではない。それはもう、大前提でいいんじゃないかと思います。



ならば、秀頼は秀吉の子なのか?




……大劇場ではそう思っていたんですけどね。

東宝で観て、ちょっと考えが変わりました。


秀頼の父親は、疾風なんじゃないでしょうか。

そして、

茶々は、自分を抱いて子供を与えてくれた男が、三成だと信じていたんじゃないでしょうか。



「俺とお前は光と影」と銀橋で歌う二人をみながら、そんなことを考えました。




つまり。

疾風が、三成になりすまして茶々の閨に忍び込んでいたんじゃないのか、と。







そんなことを考えながら、最後まで観て。
夏の陣の片がつくまで、関ヶ原の後15年も茶々と秀頼を護っていた疾風の心中を思ったら、ちょっと泣けてきました(^ ^;ゞ




そして、
「俺もお前のように生きたかった!」
と叫びながら死んでいったデュシャン(byクロスロード)と、
「無理、かな……」
と呟いてセリ下がっていく疾風を、なんとなく比較したくなるのは………私だけでしょうね(^ ^;





まだ東京公演も始まったばかりなので、あまり深く突っ込むのはやめておきます。
ご覧になった方のコメントもお待ちしてます(^ ^)。


さいごにひとつ。
テルくんと祐飛さんの銀橋のデュエットは、またちょっと大劇場公演の前半なみに戻ってしまっていたので、、、、そこはぜひ頑張ってほしいなと思いました。
なんたって、「俺とお前は光と影」なんですから!(^ ^)




コメント

nophoto
2011年7月12日12:59

こんにちは
>少なくとも、三成は秀頼を自分の子ではないと思っていたはずですよね?
そうだととってもわかりやすいですよね。でも、脚本と演出があからさまに秀頼が三成の子って感じで、そう書いてあった記事もあったと思います。
ここで、あえて三成の子としてちょっと考えてみました。
ここで疾風の存在がキーポイントだと思うのですが、彼は三成の分身だと私は思ってます。大石先生は三成を清廉に描きたいために彼の中の汚れ役的な要素を抽出してさらに脚色して疾風という役に作り上げたのだと思います。なので、三成と疾風の場面は三成の自問自答の場面だと思うのです。分身だとわかり難ければ、自らの立場から本音を話せない領主やお姫様に代わって本音を口にする道化みたいな存在です。
さて、茶々ですが最初は三成との今宵一夜を思い出に一生生き抜こうとしたと思うのですが、子が出来たと知ったとき直感的には彼女は三成の子だとわかったはずです。そして、三成の過ちを隠すため、そして父母を奪い三成との仲を引き裂いた秀吉への最大の復讐のため、家臣の子を秀吉の子として仕立て上げることを覚悟したのだと思います。
期せずして茶々の復讐の片棒を担がされた三成ですが、子供の死に直面し、実のところ家臣の子が天主様になることがなくなってほっとしていたのではないでしょうか?しかしながら、秀吉の死後茶々を守る方策を考えざる得なかったと思うのです。秀吉に子ができるはずがないと考えた三成は秀吉の忘れ形見のご生母として茶々を守ることを考えたのではないでしょうか?疾風が口にする覚悟とはこれのこと?と思いました。
秀吉が天下泰平を成し遂げて一つ目の成すことは達成され、二つ目と三つ目三つ成すことに比重が移っていったと思うのです。秀頼の出陣にこだわったのは、すでに秀頼が茶々を守るための影武者ですから、そこにさらに嘘を重ねることに抵抗感があったのですかね。ちょっと無理やりですが(笑)。
色々腑に落ちないところもありますが、今回の話は判りやすく言うならば美しい三成の潔き生涯ですかね。東京の初日を見たときは、大劇より人間らしくなっていて、牢獄のシーンは神々しいというより、人間の行いの愚かしさとそれに対する悲しみが溢れていました。それを見て、その愚かしささえも愛おしく思う気持ちが芽生えましたね。

みつきねこ
2011年7月13日1:57

rさま
こんにちは!コメントありがとうございますm(_ _)m。
詳しい考察を拝見して、なるほどなーと思いました。

> 秀吉に子ができるはずがないと考えた三成は、秀吉の忘れ形見の
> ご生母として茶々を守ることを考えたのではないでしょうか?
> 疾風が口にする覚悟とはこれのこと?と思いました。

三成と茶々に2度目(以降)の夜があったとすれば、解釈はこれしかないと思うのですが、、、
疾風がいくら唆しても、三成は実行しなかった……というのが私の解釈ですね。

でもまあ、rさまの論も成り立つんですよね。というか、一般的にはその解釈で通っているわけですし。うん。わかりやすまとめてくださってありがとうございます♪


ただ。

> でも、脚本と演出があからさまに秀頼が三成の子って感じで、そう書いてあった記事もあったと思います。

先日あらためて観てみて、脚本的には秀頼が三成の子じゃないという設定もありえるんだなーと思ったんですよね(^ ^)。牢獄でも確か「お方さまと二人」としか言わなくて、息子のことには触れなかったはず。
他の人(主に疾風)には、観客にそう思わせる台詞がたくさんあるんですが……「親子三人」とか。それを、「あえて誤解させようとしている」と解釈すれば成り立つんじゃないかな、と。

まあ、実際のところはrさまの解釈なんでしょうかね。祐飛さんすみ花ちゃんテルくんがどう思って演じていらっしゃるのか、ちょっと聞いてみたい気もしますが(^ ^)。

nophoto
r
2011年7月13日10:04

コメントありがとうございます。
>牢獄でも確か「お方さまと二人」としか言わなくて、息子のことには触れなかったはず。
そうでした!秀頼は秀吉の子だったため、命がけで豊臣家を守ろうとしたのですよね。自分の解釈だと三成の「正しきは勝つ。そうでなければ~」の汲んだりが腑に落ちなくて・・・
お蔭様ですっきりしました。でも、自分の解釈が一般的とか言われてちょっとびっくりしました。ちょっと異端かなと思って書き込んだんですよ(笑)。
今日の観劇はすっきりした気分で観れそうです。ありがとうございました。

みつきねこ
2011年7月14日0:18

rさま
コメントありがとうございますー!

> 自分の解釈だと三成の「正しきは勝つ。そうでなければ~」の汲んだりが腑に落ちなくて・・・

そうなんですよね。そこに説得力を与えるためには、やっぱり三成には心当たりがなかったということにしておきたくなるんです。

> 自分の解釈が一般的とか言われてちょっとびっくりしました。ちょっと異端かなと思って書き込んだんですよ(笑)。

そうだったんですね。すみません、私が最初そういう風に解釈しようとしていたので、それが普通なのかなと勝手に思ってました(^ ^)。

> 今日の観劇はすっきりした気分で観れそうです。ありがとうございました。

あらためてごらんになって、いかがでしたかー?
ぜひまた語ってください(^ ^)。

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