オペラ座以前の「ファントム」
2011年6月29日 演劇シアターサンモールにて、Studio Life公演「ファントム」を観劇してまいりました。
この作品は、ガストン・ルルーの「オペラ座の怪人」に触発されて、イギリスの作家スーザン・ケイ(1953年生)が書いた二次創作作品「ファントム」を原作としたお芝居。
「オペラ座の怪人」は色々と謎の多い19世紀のゴシックホラーですが、これを現代人の感覚で読みほどき、僅かな記述を手がかりにエリックの少年時代~青年期~壮年期を構築しなおしたのが「ファントム」。私が初めてその存在を知ったのは、宝塚がコーピット版を上演するよりずーっと前だったのですが……実はまだ読んだことはないんですよね(ちなみに、ルルーの原作も読んでない)。
で、まあ、当時の私はロイド・ウェッバー版の「オペラ座の怪人」のファンだったので、そのファン仲間が読んでいろいろ感想をきかせてくれたわけですが……
ぶっちゃけ、ファンあがりの作家が書いたファンフィクションだと思っておりました(汗)。
今回、この作品を観てちょっと調べてみたんですが、スーザン・ケイは、1987年(?)に出版された「Legacy(エリザベスIの物語)」で賞をいくつかもらっているんですね。Amazonの著者評によると、綿密な調査研究とそれに基づいた明解なストーリーの組み立てと卓越した文章力が特徴……という感じ?(←英語なのであまり自信ない)。日本でいえば、永井路子……はケレンみが強すぎるかな。どちらかというと塩野七生みたいなイメージの作家なのでしょうか?
1990年に37歳で「ファントム」を発表。
彼女の著作で日本語に翻訳されたのはこれだけのようで、日本で「スーザン・ケイ」といえば「ファントム」なのですが、イギリスでは違うのかな。逆に、「ファントム」といえば「スーザン・ケイ」なのかも?という気もしますが。
同じ「Phantom」というタイトルでも、コーピット版の原作はあくまでもルルーの「Phantom Of The Opera」なんですよね。今回上演された芝居の原作とは、エリックの誕生にまつわる設定が全く違っています。
でも、なんというか……スーザン・ケイ版のベラドーヴァとコーピット版のベラドーヴァは、同じ人物の裏表なのだということがすんなり納得できたような気がします。
ルルーの本を読んだことがないのでなんとも言えませんが、エリックにとっての「母親」は、さぞ痛々しい存在だったのだろうな、と思うんですよね。自分の子供を愛せない母親は現実にも存在します(子供が“正常”であるかどうかとは無関係に)が、愛せないことに罪悪感を感じない母親はいないと思うんですよ。それは心の傷となり、その傷ゆえに子供をさらに傷つける。自分が母親を傷つける存在であると判らせることによって。
子供の容姿を否定して、ひたむきに無償の愛を捧げたコーピット版のベラドーヴァと、子供の見た目に惑わされて本来の姿を見失い、愛と憎悪の間を彷徨うスーザン・ケイ版のベラドーヴァ。そして、「母にも嫌いぬかれ」と哀しく歌う、ロイド・ウェッバー版のファントム。どれもそれぞれに痛々しくて、どれが一番…とか言えないなあ……。
今回のStudio Life「ファントム」は、2幕で原作の半分(7章のうち3章まで)を語り終え、最後は to be continued...で終わりました(@ @)。
たしかに本の厚みをみても長大な原作で、あれを2時間にまとめるのは無理だなあと思うのですが、、、しかしまさか、まとめる努力を放棄して「続く☆」で終わると思わなくて、とってもびっくりしました(^ ^;ゞ
ま、サトクリフの「血と砂」を途中でぶたぎって「愛と死のアラビア」にしてしまった某歌劇団の谷さんよりは良かったかな?と思いますけど(- -;
オペラ座どころか、パリに近づいたこともないであろうエリックの物語。
クリスティーヌもラウルもキャリエールも誰も出てこない、彼らに出会う前のエリックの物語。
以前、藤原竜也主演で観た「エレファント・マン」につながる世界観が新鮮でした。
長くなってきたので、作品そのものやキャストについてはまた後日。
.
この作品は、ガストン・ルルーの「オペラ座の怪人」に触発されて、イギリスの作家スーザン・ケイ(1953年生)が書いた二次創作作品「ファントム」を原作としたお芝居。
「オペラ座の怪人」は色々と謎の多い19世紀のゴシックホラーですが、これを現代人の感覚で読みほどき、僅かな記述を手がかりにエリックの少年時代~青年期~壮年期を構築しなおしたのが「ファントム」。私が初めてその存在を知ったのは、宝塚がコーピット版を上演するよりずーっと前だったのですが……実はまだ読んだことはないんですよね(ちなみに、ルルーの原作も読んでない)。
で、まあ、当時の私はロイド・ウェッバー版の「オペラ座の怪人」のファンだったので、そのファン仲間が読んでいろいろ感想をきかせてくれたわけですが……
ぶっちゃけ、ファンあがりの作家が書いたファンフィクションだと思っておりました(汗)。
今回、この作品を観てちょっと調べてみたんですが、スーザン・ケイは、1987年(?)に出版された「Legacy(エリザベスIの物語)」で賞をいくつかもらっているんですね。Amazonの著者評によると、綿密な調査研究とそれに基づいた明解なストーリーの組み立てと卓越した文章力が特徴……という感じ?(←英語なのであまり自信ない)。日本でいえば、永井路子……はケレンみが強すぎるかな。どちらかというと塩野七生みたいなイメージの作家なのでしょうか?
1990年に37歳で「ファントム」を発表。
彼女の著作で日本語に翻訳されたのはこれだけのようで、日本で「スーザン・ケイ」といえば「ファントム」なのですが、イギリスでは違うのかな。逆に、「ファントム」といえば「スーザン・ケイ」なのかも?という気もしますが。
同じ「Phantom」というタイトルでも、コーピット版の原作はあくまでもルルーの「Phantom Of The Opera」なんですよね。今回上演された芝居の原作とは、エリックの誕生にまつわる設定が全く違っています。
でも、なんというか……スーザン・ケイ版のベラドーヴァとコーピット版のベラドーヴァは、同じ人物の裏表なのだということがすんなり納得できたような気がします。
ルルーの本を読んだことがないのでなんとも言えませんが、エリックにとっての「母親」は、さぞ痛々しい存在だったのだろうな、と思うんですよね。自分の子供を愛せない母親は現実にも存在します(子供が“正常”であるかどうかとは無関係に)が、愛せないことに罪悪感を感じない母親はいないと思うんですよ。それは心の傷となり、その傷ゆえに子供をさらに傷つける。自分が母親を傷つける存在であると判らせることによって。
子供の容姿を否定して、ひたむきに無償の愛を捧げたコーピット版のベラドーヴァと、子供の見た目に惑わされて本来の姿を見失い、愛と憎悪の間を彷徨うスーザン・ケイ版のベラドーヴァ。そして、「母にも嫌いぬかれ」と哀しく歌う、ロイド・ウェッバー版のファントム。どれもそれぞれに痛々しくて、どれが一番…とか言えないなあ……。
今回のStudio Life「ファントム」は、2幕で原作の半分(7章のうち3章まで)を語り終え、最後は to be continued...で終わりました(@ @)。
たしかに本の厚みをみても長大な原作で、あれを2時間にまとめるのは無理だなあと思うのですが、、、しかしまさか、まとめる努力を放棄して「続く☆」で終わると思わなくて、とってもびっくりしました(^ ^;ゞ
ま、サトクリフの「血と砂」を途中でぶたぎって「愛と死のアラビア」にしてしまった某歌劇団の谷さんよりは良かったかな?と思いますけど(- -;
オペラ座どころか、パリに近づいたこともないであろうエリックの物語。
クリスティーヌもラウルもキャリエールも誰も出てこない、彼らに出会う前のエリックの物語。
以前、藤原竜也主演で観た「エレファント・マン」につながる世界観が新鮮でした。
長くなってきたので、作品そのものやキャストについてはまた後日。
.
コメント