東京宝塚劇場にて、月組公演「バラの国の王子/ONE」を観劇いたしました。


大劇場で観た時の感想はこちら。
http://80646.diarynote.jp/201104260216074945/


もうあと3日で千秋楽を迎えてしまうので、慌てて書かせていただきます(^ ^)。


研ちゃん(研ルイス)、園加(桐生園加)、ひまりん(美夢ひまり)の卒業公演。

まずは、研ちゃん。
「ブエノスアイレスの風に」のバンドネオン弾きで名前を覚えてから、早いものでもう13年。すっかり上級生なんですよね。博多座「ME AND MY GIRL」の執事さん、大好きだった!でも、「プロヴァンスの碧い空」のソロ(ル・テアトル銀座のみ)でぐっと心を掴まれた猫としては、もっともっといろんな歌を聴いてみたかった気もします。
最後のカゲソロは面白い使い方で刺激的でしたけど、最期なので普通の歌も聴きたかったなあ……なんて、これは愚痴ですが。


園加は、ショーは基本的に(パレード以外は)二番手位置にいたような。きりやんが一人で歌っているところに最初に加わるのも全部園加だったし、上級生のダンスリーダーとして、(お芝居の分を取り戻す勢いで)きちんと活躍の場を与えられていて、良かったなと思います。
園加の好きだった役……月組に来てからは、「Hollywood Lover」のビリーと、博多座「ME AND MY GIRL」のジョン卿、かなあ。「夢の浮橋」も良かったけど。
でも、一番好きなのは、未だに忘れられない博多座「エンター・ザ・レビュー」の猛獣使い。卒業のその日まで、「花組らしさ」を忘れることなく突っ走ってほしい。それが桐生園加なんだろうから。
……そう、今は思います。多少は複雑なところもありますけれども。


ひまりんは、これはまた吃驚するほど完璧な「月娘」。それこそ「血と砂」の「6つよ!」という台詞以来ずっと見守ってきて、その硬い花弁をほんわりと開いた満開の今、この時に見送ることができて、良かったなと思います。
歌も芝居もダンスも、どれも高水準だったひまりん。好きだった役はたくさんありますが、やっぱり「二人の貴公子」の三人の王妃と、「HAMLET!」の墓掘りは秀逸だったと思っています。


お三方とも、ご卒業後はどうなさるのでしょうか。……ひまりんとか、シェイクスピア作品に出てほしいような気がしますが、さて(^ ^)。

なにはともあれ、新しい道が平坦で歩きやすい、明るい道でありますように。




それでは、お芝居の方でちょっと気になったことを箇条書きにしてみたいと思います!

・野獣と話します。言葉が通じるのですもの。
・言葉が通じるからといって、話し合えるとは限らない。

ベルが気付いた真実は、私の実生活においても真実だったりします。
「日本語が通じる」ことと、「話し合う」ことって全く違うし、まして「コミュニケーションをとる」ことはもっと違う。
この台詞を聞くたびに、たまには木村さんも良いこと言うじゃん、と思います。

っていうか、木村さん自身も、自分自身と話が通じてないような気がするのは気のせい…?


・言葉を離さぬ薔薇の声を聴き、花咲く日を夢見る。

この作品の中には、いくつかの基本設定があると思います。
「人」 =「言葉を話す」=「奪う」
「獣」 =「言葉で語る」=「与える」
「薔薇」=「喋らない」 =「受け入れる」
……みたいな感じの。

「人」と「獣」の対立のように見せかけておいて、実は「理想」あるいは「象徴」となるのは「薔薇」であるところが非常に面白い、と思いました。


・「手に入らない」ということが理解できません。

まさおがこの台詞を語るとすごい説得力がある……と思った私。
あはははは(乾笑)。


・決して満足しない

それが「人間」の業であり、「与えられたもので満足する=獣」という図式があるのかないのか、木村さんの中で整理されていないような気がしました。
このあたりがちゃんと整理されてラストにつながっていたら、それなりに納得できたと思うのですが……。


・王子だからではなく、王だからでもなく、たとえ再び野獣に変えられたとしても。

この台詞、本当は

「王子だからではなく、王だからでもなく、野獣だからでもなく!」

……と言ってほしかった……。
こういうところが、私と木村さんの感性が合わないところ、なんでしょうね。
うみゅー。



泣いても笑ってもあと3日。
私はもう観られませんが、大劇場に比べれば格段にまとまって面白くなっていたので、そのままの勢いで千秋楽までつっぱしてくれますように。


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