フラガール、復興の旗振る 45年ぶり全国巡業復活へ(朝日新聞)
2011年4月4日 時事ニュース
2006年に公開され、2008年に舞台にもなった「フラガール」という映画をご存知でしょうか?
1960年代半ばに、事実上の閉山となった常磐炭田。町全体の存亡の危機となったこの状況で、新しい町おこしとして設立された常磐ハワイアンセンター(現:スパリゾートハワイアンズ)の、知恵と情熱の物語。
東日本大震災とそれに続く大津波、そして原子力発電所問題。観光立国としては致命的なほどの大変な状況の中、もう一度立ちあがって歩き出そうとする彼らを少しでも応援したくて、今日の日記を書かせていただきます。
スパリゾートハワイアンズ
http://www.hawaiians.co.jp/index.html
いつか、ここのブログに全国巡業の予定が載ったなら、私は絶対に観に行って、そして、ちゃんと募金もすると誓います。
いや、できれば、営業が再開されたらなるべく早く行きたいと思う。義捐金としてではなく、彼らの経済活動そのものを支援するには、その経済活動の結果に対価を払う存在がいなくてはならないのだから。
あそこで苦しんでいるひとたちに、がんばっている沢山の人たちに、ほんの少しでも元気をお届けできますように。
バブル時代には似たような施設が全国に作られましたが、高度成長の真っ最中に、ああいう土地にこういうものを創って観光収入を得よう!というアイディアはとにかくすごい!と思うし、なかなか他に例を見ない成功例だと思うんですよね。
まだ温泉ブームの「お」の字もなかった時代に、湯量だけは豊富な温泉を「ハワイ」に見立てる!壮大にして斬新なアイディアだと思うし、それを実現するための工夫もすごかった。冬は乾いた木枯らしで冷え込む太平洋岸に、湯をめぐらせた巨大温室を建設してヤシを植えるとか、どんな狂人がそんな夢を見たんだろうか、という感じ。
私は、設立当時はまだ生まれていませんでしたが、子供の頃は地元に住んでおりました関係で、何度か行ったことがあります。今思い出しても、十分に「リゾート」として楽しめる完成度だったし、本当に日本にいるとは思えないような、いろんな工夫が楽しかったのを覚えています。
あの夢の世界が、炭坑街の起死回生策だったというコトを知ったのは、映画「フラガール」が公開されたときだったんですが(^ ^;ゞ
ごく普通に、湯本温泉のお湯をうまいこと演出したもんだな、くらいに思っていたので、本当に吃驚しました。
あの奇跡を、もう一度!
柳の下に同じどじょうはいなくても、きっとその一族が待ってるはず!
だから。くじけないで、諦めないで。
震災による被災地、そして、原子力発電所による風評被害からの回復を、祈っています。
常磐炭鉱自体は、「常磐」という言葉が表わすとおり、常陸から磐城にかけて、つまり茨城県北東部から福島県浜通りにかけて広く存在した炭鉱ですが、産出量は多いものの硫黄分が多くてあまり質が良いとはいえず、オイルショック後の石炭が再評価された時代にももはや炭田としては振り向かれることはなかった…そうです。
逆に、そんな炭田だったからこそ、すんなりと観光に軸足を替えられたのかもしれませんが(^ ^)。
世界を変えた「エネルギー革命」にも負けなかった常磐の、そのエネルギーを信じて。
心からのエールを送ります。
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1960年代半ばに、事実上の閉山となった常磐炭田。町全体の存亡の危機となったこの状況で、新しい町おこしとして設立された常磐ハワイアンセンター(現:スパリゾートハワイアンズ)の、知恵と情熱の物語。
東日本大震災とそれに続く大津波、そして原子力発電所問題。観光立国としては致命的なほどの大変な状況の中、もう一度立ちあがって歩き出そうとする彼らを少しでも応援したくて、今日の日記を書かせていただきます。
スパリゾートハワイアンズ
http://www.hawaiians.co.jp/index.html
いつか、ここのブログに全国巡業の予定が載ったなら、私は絶対に観に行って、そして、ちゃんと募金もすると誓います。
いや、できれば、営業が再開されたらなるべく早く行きたいと思う。義捐金としてではなく、彼らの経済活動そのものを支援するには、その経済活動の結果に対価を払う存在がいなくてはならないのだから。
あそこで苦しんでいるひとたちに、がんばっている沢山の人たちに、ほんの少しでも元気をお届けできますように。
バブル時代には似たような施設が全国に作られましたが、高度成長の真っ最中に、ああいう土地にこういうものを創って観光収入を得よう!というアイディアはとにかくすごい!と思うし、なかなか他に例を見ない成功例だと思うんですよね。
まだ温泉ブームの「お」の字もなかった時代に、湯量だけは豊富な温泉を「ハワイ」に見立てる!壮大にして斬新なアイディアだと思うし、それを実現するための工夫もすごかった。冬は乾いた木枯らしで冷え込む太平洋岸に、湯をめぐらせた巨大温室を建設してヤシを植えるとか、どんな狂人がそんな夢を見たんだろうか、という感じ。
私は、設立当時はまだ生まれていませんでしたが、子供の頃は地元に住んでおりました関係で、何度か行ったことがあります。今思い出しても、十分に「リゾート」として楽しめる完成度だったし、本当に日本にいるとは思えないような、いろんな工夫が楽しかったのを覚えています。
あの夢の世界が、炭坑街の起死回生策だったというコトを知ったのは、映画「フラガール」が公開されたときだったんですが(^ ^;ゞ
ごく普通に、湯本温泉のお湯をうまいこと演出したもんだな、くらいに思っていたので、本当に吃驚しました。
あの奇跡を、もう一度!
柳の下に同じどじょうはいなくても、きっとその一族が待ってるはず!
だから。くじけないで、諦めないで。
震災による被災地、そして、原子力発電所による風評被害からの回復を、祈っています。
常磐炭鉱自体は、「常磐」という言葉が表わすとおり、常陸から磐城にかけて、つまり茨城県北東部から福島県浜通りにかけて広く存在した炭鉱ですが、産出量は多いものの硫黄分が多くてあまり質が良いとはいえず、オイルショック後の石炭が再評価された時代にももはや炭田としては振り向かれることはなかった…そうです。
逆に、そんな炭田だったからこそ、すんなりと観光に軸足を替えられたのかもしれませんが(^ ^)。
世界を変えた「エネルギー革命」にも負けなかった常磐の、そのエネルギーを信じて。
心からのエールを送ります。
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