The Men Who Bombed Hiroshma
2010年8月28日 演劇 コメント (2)シアターコクーンにて、「広島に原爆を落とす日」を観劇してまいりました。
作:つかこうへい、演出は岡村俊一。
出演は筧利夫、仲間リサ、リア・ディゾン、大口兼悟、馬場徹、武田義晴、山本 亨、山口紗弥加、他。
私はこの作品、初演(主演は風間杜夫)は観ていませんが、1997年の演出・いのうえひでのり版(主演は稲垣吾郎)は観ました。
友人が吾郎くんのファンだったのでチケットを取ってくれたのですが、ものすごく感情移入してしまって、挙句にすっかり吾郎くんのファンになったという(^ ^)。
ヒロインを演じていた緒川たまきも、多分このときが初めてだったと思うのですが、美人でスタイルがよくて声が良くて、吃驚した記憶があります。
あのときは、「広島に原爆を落とす」ことを決意した山崎(稲垣)が広島への想いを語る長台詞が心に嵌って、すごい勢いで泣いたものでした。
日本への、そして広島への愛ゆえに、そして、その広島で待つ愛する女のために、すべてを捨ててボタンを押そう、という、前向きな決意。戦争を終わらせ、平和を取り戻す、ただそのためだけに、愛する女のために。
……と感動した割に、記憶力の無い猫はあまり細かい設定を覚えておらず(T T)、あのとき、吾郎くんの山崎少佐はロシア人との混血だった……ような気がするのですが、違ったっけ??
今回の筧さんは韓国系日本軍人で、731部隊を率いて納豆の研究をしていたことになっていました。あれっ?食糧難から子供たちを救うための完全栄養の新型納豆の研究が、中国でやっていたことになってるぞ。たしか、何でもかんでも腐ってしまう南のジャングルの中で研究していた……ような気がするんだけど。
どうでもいいことですが、納豆菌は暑すぎると死んでしまうので、南の島では納豆にはなりにくいと思う(^ ^)いや本当にどうでもいいなそんなこと。
ヒロインの設定も、日本陸軍将校で、ベルリンで活動中というのは何となく記憶にあるけど、特殊能力によって迫害される髪一族なんていう設定、あったっけ……?
いやー、もう、本当に観たのか?何なんだこの記憶力の無さは。
細かいところは全く覚えていないのでとりあえずおいといて、
主筋にかかわる部分については。
今回、山崎の出自が韓国系になったことで、ちょっと話が縒れたような気がしました。この変更は作品にとっても非常に大きな変更だと思うのですが、つかさんご本人はどこまでかかわっていらっしゃったのでしょうか?
そもそもの展開に無理がある物語なので、韓国系日本軍人の山崎に何故アメリカからの指令が届くの?というレベルのことに疑問がわくと、素直に山崎の長広舌に感情移入できないんですよね。バタくさい顔の吾郎くんが「西洋系との混血」の役を演じて、アメリカでスパイをしていたみたいな設定があると、いろいろあってアメリカ軍からの依頼を請ける部分に説得力があるんですが、、、
うーん。
どうして山崎を韓国系にしたんでしょうね。つかこうへい追悼公演だから、つかさんご自身の出自に合わせてそうしたんじゃないの?と勘繰りたくなってしまいます。
そんなことない、何か理由があるんだ、と思いたいけど、プログラムにも何も書いていないし……うーん、わからんなあ。
【さくら貝さまからコメントをいただきました。このあたりの設定は、86年に出版された小説版の設定に合わせてあるそうです。大変失礼いたしました!】
なんだか、元々わかりにくかった物語が、枝葉(要素)が増えて複雑になったことで、余計に判りにくくなってしまったような気がしました。「現在」のストーリーって、こんなに分量ありましたっけ?もっと戦前~戦後の話に集中していたような気がするんだけどな。
特に、ラスト(山崎の決意)に至るまでのカタルシスが無くなってしまったことが気になりました。あそこでガーっとハマったんだけどなあ(T T)
とにかく、理由はわからないけれども、猫自身にとっては、前回は消耗するほど感動したことと、今回は「?」で終わってしまったことは両方とも事実なんです。
……うーん、単なる先入観や吾郎ファンの戯言である可能性もあるなあ~。、、、前回の記憶がもう少し残っていれば比較のしようもあるのですが、これじゃまるで云いがかりみたい(T T)。感想を書くのって難しいですね。
それでも。
つかさんの描きたかった感情は、覚えているような気がするので、その印象を外挿しつつ、観劇を終えました。
つか作品は今まで、「再演」と言っても脚本は大きく変わっていることが当たり前でしたが。これからはどうなるんでしょうね。つかさんご本人は、もう2度と書きなおしてくださることはないのですが、、、
そう思うと、あらためて寂しいな。
今回の私みたいなこともあるけど、きっと、前回は全然ダメだったけど今回で凄く感動した!!と仰るかたも同じくらいいらっしゃるんでしょうに。
なによりも、つか作品は今でも「なまもの」だったんですよね。
それがもう、冷凍になってしまうんだとしたら……仕方のないことですが、残念な気がします。
そして。
13年前、この作品を観劇して、私は初めて「エノラ・ゲイに乗っていた人」のことを考えました。
それまで、一度も考えたことは無かったような気がします。
原爆を落とした日、
原爆が落ちた日、
原爆を落とした男、
……原爆を落とさせた、国。
アメリカは、原子爆弾を人間の上に投下する最初の国になることを恐れました。
アドルフ・ヒトラーは、女のために自分の祖国を犠牲にすることを選び、
そして山崎は、女のために自分の愛する街を犠牲に捧げる。
山崎とヒトラー、ヒトラーと山崎。
どちらがより深く自分の故郷を愛していたのか、
どちらがより深く、同じ女を愛したのか?
40万人を焼き殺すに足る愛。
……40万人の犠牲をさえ踏み越える、強い意思。
日記のタイトルは、プログラムの表紙に書かれたこの公演の英題から。
海外公演の予定があるわけではないようなので、深い意味はないのかもしれませんが、日本語の原題とは全く意味が違うことが若干気になりました。
直訳すると「広島を爆撃した男たち」……になりますよね?Bombedって、違う意味もあるのでしょうか。【←辞書をひいたところ、Bombには「爆弾を投げる/爆撃する」という意味の他に、口語で「みじめな失敗をする/どじを踏む」という意味があるらしいですね。…深いな】
いずれにしても、「Men」なんだな、というところには引っ掛かりました。
「日」でも「男(単数)」でもなく、「Men(男たち)」なのか、と。
戦争にかかわったすべての男たちが、どこかに原爆を落とすことを望んだ。
そのすべてが、この「Men」となる。
女性たちが望んだのは、もっと違うこと。
勝利することでも戦争を終わらせることでもなく、ただ、戦わない自由を。
「彼女」の手に握られた愛は、運命のボタンを押した男に、届いたのかどうか。
ボタンを押した男の愛は、山の上で光明を待っていたはずの女に、届いたのかどうか。
どちらにしても、世界の子供たちに納豆が届く日は来なかった。
腹を減らした子供たちの、「Give Me Natto!!」という切なる叫び声 が聞こえるような気がしたのは、ただの夢だったのか?
いや、たぶん、違う。
女は肉体という名の殻を捨て、
男は正気という名の牢獄を出て、
そして、どこかでたぶん、完全栄養の納豆を創っているのだ。
誰かが視た夢の中で、
世界が終わる日のために。
.
作:つかこうへい、演出は岡村俊一。
出演は筧利夫、仲間リサ、リア・ディゾン、大口兼悟、馬場徹、武田義晴、山本 亨、山口紗弥加、他。
私はこの作品、初演(主演は風間杜夫)は観ていませんが、1997年の演出・いのうえひでのり版(主演は稲垣吾郎)は観ました。
友人が吾郎くんのファンだったのでチケットを取ってくれたのですが、ものすごく感情移入してしまって、挙句にすっかり吾郎くんのファンになったという(^ ^)。
ヒロインを演じていた緒川たまきも、多分このときが初めてだったと思うのですが、美人でスタイルがよくて声が良くて、吃驚した記憶があります。
あのときは、「広島に原爆を落とす」ことを決意した山崎(稲垣)が広島への想いを語る長台詞が心に嵌って、すごい勢いで泣いたものでした。
日本への、そして広島への愛ゆえに、そして、その広島で待つ愛する女のために、すべてを捨ててボタンを押そう、という、前向きな決意。戦争を終わらせ、平和を取り戻す、ただそのためだけに、愛する女のために。
……と感動した割に、記憶力の無い猫はあまり細かい設定を覚えておらず(T T)、あのとき、吾郎くんの山崎少佐はロシア人との混血だった……ような気がするのですが、違ったっけ??
今回の筧さんは韓国系日本軍人で、731部隊を率いて納豆の研究をしていたことになっていました。あれっ?食糧難から子供たちを救うための完全栄養の新型納豆の研究が、中国でやっていたことになってるぞ。たしか、何でもかんでも腐ってしまう南のジャングルの中で研究していた……ような気がするんだけど。
どうでもいいことですが、納豆菌は暑すぎると死んでしまうので、南の島では納豆にはなりにくいと思う(^ ^)いや本当にどうでもいいなそんなこと。
ヒロインの設定も、日本陸軍将校で、ベルリンで活動中というのは何となく記憶にあるけど、特殊能力によって迫害される髪一族なんていう設定、あったっけ……?
いやー、もう、本当に観たのか?何なんだこの記憶力の無さは。
細かいところは全く覚えていないのでとりあえずおいといて、
主筋にかかわる部分については。
今回、山崎の出自が韓国系になったことで、ちょっと話が縒れたような気がしました。この変更は作品にとっても非常に大きな変更だと思うのですが、つかさんご本人はどこまでかかわっていらっしゃったのでしょうか?
そもそもの展開に無理がある物語なので、韓国系日本軍人の山崎に何故アメリカからの指令が届くの?というレベルのことに疑問がわくと、素直に山崎の長広舌に感情移入できないんですよね。バタくさい顔の吾郎くんが「西洋系との混血」の役を演じて、アメリカでスパイをしていたみたいな設定があると、いろいろあってアメリカ軍からの依頼を請ける部分に説得力があるんですが、、、
うーん。
どうして山崎を韓国系にしたんでしょうね。つかこうへい追悼公演だから、つかさんご自身の出自に合わせてそうしたんじゃないの?と勘繰りたくなってしまいます。
そんなことない、何か理由があるんだ、と思いたいけど、プログラムにも何も書いていないし……うーん、わからんなあ。
【さくら貝さまからコメントをいただきました。このあたりの設定は、86年に出版された小説版の設定に合わせてあるそうです。大変失礼いたしました!】
なんだか、元々わかりにくかった物語が、枝葉(要素)が増えて複雑になったことで、余計に判りにくくなってしまったような気がしました。「現在」のストーリーって、こんなに分量ありましたっけ?もっと戦前~戦後の話に集中していたような気がするんだけどな。
特に、ラスト(山崎の決意)に至るまでのカタルシスが無くなってしまったことが気になりました。あそこでガーっとハマったんだけどなあ(T T)
とにかく、理由はわからないけれども、猫自身にとっては、前回は消耗するほど感動したことと、今回は「?」で終わってしまったことは両方とも事実なんです。
……うーん、単なる先入観や吾郎ファンの戯言である可能性もあるなあ~。、、、前回の記憶がもう少し残っていれば比較のしようもあるのですが、これじゃまるで云いがかりみたい(T T)。感想を書くのって難しいですね。
それでも。
つかさんの描きたかった感情は、覚えているような気がするので、その印象を外挿しつつ、観劇を終えました。
つか作品は今まで、「再演」と言っても脚本は大きく変わっていることが当たり前でしたが。これからはどうなるんでしょうね。つかさんご本人は、もう2度と書きなおしてくださることはないのですが、、、
そう思うと、あらためて寂しいな。
今回の私みたいなこともあるけど、きっと、前回は全然ダメだったけど今回で凄く感動した!!と仰るかたも同じくらいいらっしゃるんでしょうに。
なによりも、つか作品は今でも「なまもの」だったんですよね。
それがもう、冷凍になってしまうんだとしたら……仕方のないことですが、残念な気がします。
そして。
13年前、この作品を観劇して、私は初めて「エノラ・ゲイに乗っていた人」のことを考えました。
それまで、一度も考えたことは無かったような気がします。
原爆を落とした日、
原爆が落ちた日、
原爆を落とした男、
……原爆を落とさせた、国。
アメリカは、原子爆弾を人間の上に投下する最初の国になることを恐れました。
アドルフ・ヒトラーは、女のために自分の祖国を犠牲にすることを選び、
そして山崎は、女のために自分の愛する街を犠牲に捧げる。
山崎とヒトラー、ヒトラーと山崎。
どちらがより深く自分の故郷を愛していたのか、
どちらがより深く、同じ女を愛したのか?
40万人を焼き殺すに足る愛。
……40万人の犠牲をさえ踏み越える、強い意思。
日記のタイトルは、プログラムの表紙に書かれたこの公演の英題から。
海外公演の予定があるわけではないようなので、深い意味はないのかもしれませんが、日本語の原題とは全く意味が違うことが若干気になりました。
直訳すると「広島を爆撃した男たち」……になりますよね?Bombedって、違う意味もあるのでしょうか。【←辞書をひいたところ、Bombには「爆弾を投げる/爆撃する」という意味の他に、口語で「みじめな失敗をする/どじを踏む」という意味があるらしいですね。…深いな】
いずれにしても、「Men」なんだな、というところには引っ掛かりました。
「日」でも「男(単数)」でもなく、「Men(男たち)」なのか、と。
戦争にかかわったすべての男たちが、どこかに原爆を落とすことを望んだ。
そのすべてが、この「Men」となる。
女性たちが望んだのは、もっと違うこと。
勝利することでも戦争を終わらせることでもなく、ただ、戦わない自由を。
「彼女」の手に握られた愛は、運命のボタンを押した男に、届いたのかどうか。
ボタンを押した男の愛は、山の上で光明を待っていたはずの女に、届いたのかどうか。
どちらにしても、世界の子供たちに納豆が届く日は来なかった。
腹を減らした子供たちの、「Give Me Natto!!」という切なる叫び声 が聞こえるような気がしたのは、ただの夢だったのか?
いや、たぶん、違う。
女は肉体という名の殻を捨て、
男は正気という名の牢獄を出て、
そして、どこかでたぶん、完全栄養の納豆を創っているのだ。
誰かが視た夢の中で、
世界が終わる日のために。
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コメント
猫さまは97年版もご覧になったんですね。
「asahi.com」の「演劇」8/1に演出の岡村さんのインタビューが載っていて、
「初演では白系ロシアの血を引く「ディープ山崎」という設定だった」とありました。
恨一郎が登場したのは、86年の小説版からだそうです。
8/12の日経夕刊「クローズアップ」によると、今回の舞台のベースはこの小説版とのこと。
私は今回がつかさん作品初めての観劇。圧倒されました。
特に後半。前半で呆れながら見た「Give me Natto!」の伏線が痛いくらい鮮やかに出てきたのと、
投下のボタンと、現代の「ボタン」を対比させたところが印象的でした。
初見の私も、恨一郎の出自の設定はない方がストーリーがはっきりしたのではないかなあ、と
思ったのですが、観劇後に小説版を読んだところ、こちらだと恨一郎の出自が
痛々しいほど本筋に絡んでくるので設定に説得力がありました。
もしお時間がありましたら、ぜひご一読を。
チラシを見た時にあれっと思ったのですが、猫さまが指摘されているとおり、英語版のタイトルは
「who bombed ~」なんですよね…。
「Men」だということには全然気づきませんでした。ふ、深い…。
いつもありがとうございます。そして、コメント本当にありがとうございました!!勉強になりました……(恥)
>恨一郎が登場したのは、86年の小説版からだそうです。
言われてみれば、会場で売ってたなーーー(遠い目)
買えばよかった。そんなに違う話になっていたとは思いもよらず、あっさりスルーしてしまったのですが。
>観劇後に小説版を読んだところ、こちらだと恨一郎の出自が痛々しいほど本筋に絡んでくるので設定に説得力がありました。
>もしお時間がありましたら、ぜひご一読を。
はい、了解しました!とりあえず、本屋で探してみます(汗)。
> 前半で呆れながら見た「Give me Natto!」の伏線が痛いくらい鮮やかに出てきたのと、
> 投下のボタンと、現代の「ボタン」を対比させたところが印象的でした。
そうなんですよね。あのへんの、言葉遊びのように見せかけて深い意味を持たせる手法は、野田秀樹にも受け継がれているものだったりしますが、
つかさんのそれは毎回新鮮な驚きがあります。
誰も思いつかないですよね、「Give Me Natto!」って(^ ^;ゞ
うーん、小説版を読んだら、また感想を書きますね。
だいぶ先になりそうですが(汗)。