紀伊国屋サザンシアターにて、こまつ座&ホリプロ公演「黙阿弥オペラ」を観劇してまいりました。
当初予定していた新作「木の上の軍隊」から演目を変更しての再演。
結局東京裁判三部作を観ることができなかった私にとっては、事実上の“井上ひさし氏追悼公演”であり、かつ、ずっと観たいと思っていた作品の再演でした。
明治から大正にかけてのお江戸を舞台に、狂言作家の河竹黙阿弥を中心に庶民の生活を描いた作品。
セットは、両国橋ちかくの蕎麦屋「仁八そば」の一杯のみ。
時代は1853年から1881年までの28年間。
まず、冒頭の場面は1853年の師走。ペリーの浦賀来航から半年。「幕末」はまだ始まったばかりで、庶民の生活にはまださほどの影響は出ていない頃。
冬の夜更けに、とっくに閉めた「仁八そば」の戸口をどんどんと叩く者がいる。71歳の女主人とら(熊谷真実)はゆるゆると起きてきて、ぶつぶつ文句を言いながら引き戸をあける。
雪の中、転がり込んできたのは38歳の狂言作家・河竹新七(吉田鋼太郎)と28歳のざる売り・五郎蔵(藤原竜也)。
すぐそこの両国橋で、身投げをしようとしたら、目の前で身投げをしようとする奴がいるんでつい助けてしまった、とお互いに言い募る二人。
新七(のちの黙阿弥)は、一座の座付き作家でありながら、新作を書かせてもらえない(旧作の再演や人形浄瑠璃の潤色ばかり……って、どこかの劇団みたいだな)苛立ちが募っての自殺未遂。
そんな彼に、五郎蔵が身の上を語る。女房をなくし、ざるも売れず、幼い娘を食わせてもやれず養女に出すしかなかった、と。
養女に出した幼い娘に陰から逢いにいったら、ただ働きの奴隷同然の扱いを受けていた。憤慨して顔を見せたら、娘に「父ちゃん、もう来てはだめ。お腹がすいたならこのお煎餅をあげる」と煎餅のカケラを渡されて、ふらふらと両国橋まで行ったんだ、と。
新七は自分の甘えに気づいて新作を創ることを誓い、一年後の再会を約して別れる。
一年後。
狂言役者の高島屋(四代目市川小団次)と組んで人気沸騰中の新七。
仁八そばで再会した女将のとらは、店に置き捨てられた赤子(おせん)に困り果てていた。
いろいろ話すうちに、「おせん株」を思いつく女将。養育費用を出資してもらい、いろいろ教育をして美しく育て、玉の輿に乗せて何倍にもして返す。
手放した娘の面影を求めてなけなしの金を出す五郎蔵、豊かな懐から一両だして夢を買う新七。女将を含めて三人の「おせん株仲間」は、毎年の定例会をすることを誓う。
おせんの成長を楽しみに一年一年を過ごすうち、仁八そばのおせん株仲間も増えていった。
噺やの円八(大鷹明良)、チンピラ少年の久次(松田洋治)、浪人の及川孝之進(北村有起哉)。
新七は押しも押されもせぬ人気作家として不動の地位を築いており、
五郎蔵は養女に出した先で娘が事故死したことに抗議して暴れたため、押し込み強盗と間違えられてお縄になり、人足場へ。そこで知り合った久次を仁八そばへ送り込む。
女将のとらは、すこし老けたけれども相変わらず。
成長したおせん(内田慈)が舞台に登場するのは、一幕の終わり近く。
細かいところはもう忘れてしまったのですが、あれはたぶん明治維新(1868年)の前後だったと思うので、物語の開幕からは15年前後の時間が流れています。おせんは18か19?色街で三味線を習い、とらに煮物を習い、着々と玉の輿へ向けての準備を調えている最中(^ ^)。
二幕は、ざんぎり頭になったおせん株仲間たちの「新しい時代」を生き抜くための努力と、おせんの成長ぶりを中心に描き、明治初期という時代の空気をよみがえらせてくれました。
パリの万国博覧会に、「三味線が弾けて、踊れて、客あしらいが出来て、煮物がつくれて、蕎麦がうてる」という条件を満たす唯一の芸妓として、「JAPAN」パビリオンのコンパニオンとして招聘されたおせん。
声の良いのに目を付けたオペラ座の関係者が世話してくれて、一人パリに残ったおせん。オペラの勉強をして、日本にもオペラを広め、いつか舞台に立つことを夢に見ながら、皆より数年遅れて帰国する。
心配して待っていた株仲間の皆は、すっかり垢抜けてドレスを着こなしたおせんに吃驚する。
オペラへの情熱やみがたく、おせんは横浜の外国人居留地のオペラハウスに参加し、歌うようになっていく。そして、新七の名台詞は、オペラの節にとてもよく合うということに気づく。
そんな頃、株仲間たちは、、、
下級士族の救済策の一つとして始まった「国立銀行」制度を利用して、おせん株仲間で資金を出し合い、銚子に国立銀行を設立する。
その「東京支店」として仁八そばの店を銀行にしようとして、とらの跡を継いでいたおみつ(熊谷真実/二役)に相談する。最初は反対していたおみつだが、最終的には協力し、色街のおねえさんを目当てにした東京支店がたちあがる。
新しい文化、新しい制度が次々に導入され、その都度右往左往する“創作者”“表現者”たちと、それらを受け入れて変っていく“庶民”という存在。
そんななかで。
自分の作品の“表現者”であった高島屋を喪って落ち込んでいた新七に、「西欧風の『おぺら』を書くように」という新政府からの命令がくだる……。
……井上戯曲って、あら筋の説明がすごく難しい(涙)。
たくさんのエピソードが並行して動くし、登場人物はわずか数人なのに、全員にありとあらゆるエピソードがあるので、どれが本筋なのかよくわからなくなってくるんですよね。
とりあえず、この作品は、タイトルから言っても黙阿弥(新七)に「おぺらの脚本を書け」という命が降ったことと、それに対する黙阿弥の回答がメインテーマだと思うのですが、、、作品を観終わった後の印象としては、「おせん株仲間」とか、彼らが設立した「国立銀行」の顛末とかがすごく面白い。
でも、その辺は非常に複雑な物語なので、簡単にあらすじで説明しようとすると泥沼にはまる(^ ^;ゞ
舞台を観れば一目瞭然なので、ぜひともその目でご確認くださいませm(_ _)m。
いろいろ印象的な台詞はたくさんありましたが、やはり黙阿弥の
「食べるものさえ始末して貯めた小金を、ぎゅっと握りしめて木戸にやってきてくれた観客たちが、オペラを観て、白浪狂言を観たとき以上に幸せになって帰れるとは思えない」
というのが一番心にささりました。
成果物は、受け取り手(求める人)がいてくれて初めて存在意義があるという、ものすごく当たり前のことを、あらためて思いました。
お客さまが求めているものは何か?
西欧風のオペラをつくり、グラント将軍に見せて「日本の先進性」=「西欧化」というイメージを植え付けたい、というのは、政府都合です。
黙阿弥は反対なんだから創り手都合とは言い難いけど、プロデューサーという意味での「制作側都合」ではあると思う。
でも、それでは駄目なんですよ。
文化の成熟度を計る物差しは、舞台芸術においては常に 優れた見物客がどれだけいるか、です。一人や二人の優れた役者や作家がいるだけでは、社会全体の成熟度の物差しになんてなりません。
グラント将軍だって、そう簡単には騙されないでしょうよ。
江戸時代に結ばれた不平等条約の撤廃は、明治政府の悲願でした。
そのためには、費用を惜しまず何でもやった。意味があるんだかないんだかよくわからない対応を、ものすごくたくさん。
それらが意味があったのかどうか、今となってはよくわからない面もありますが、あの時代のなりふり構わなさというのは凄いものがあります。
それでも、芸術家としての良心に殉じようとした黙阿弥の勇気と潔さ、
そして、それを支えつつ、自分の道を歩きぬこうとしたおせんの凛々しさが、心に強く残りました。
結果的には、こういう人々が明治政府を支え、明治の日本をつくりあげたんだろうなあ、と。
それでは最後に、キャストごとに。
内田慈(おせん)
衣装の着こなしには若干の課題があったような気がしますが、愛され系のファニーフェースと個性的な声が魅力的で、役にぴったりだな、と思いました。
去年、G2演出の「静かじゃない大地」で観て、強く印象に残った彼女。これからはちょっと追いかけてみたい気がします。
オペラ歌手、という設定なので歌はもうちょっと頑張ってほしかったけど、でも、経歴を考えればそこの期待値はあまり高くなかったので(汗)、よく頑張っていたと思います。そして、歌唱力にかかわらず黙阿弥狂言の名台詞を「カルメン」のメロディに載せて歌った場面は、間違いなく名場面でした。
藤原竜也(五郎蔵)
最初の出番での、乞食のようなぼさぼさ頭に汚しメークに吃驚しましたが、悪党になり切れない中途半端さをよく演じていたと思います。
実年齢より若い役で始まって、最期はだいぶ年上までいきますが、意外と老け役も似合うな、というか、年齢を重ねたら良い俳優になるかもしれないな、と思いました。
吉田鋼太郎(河竹新七)
優しい風貌と語り口、それなりの地位にある人気作家という役を嫌味なく演じていて、説得力がありました。キャラクター的にはあの中では普通な人なのに、ちゃんと主役としてしっかり地に足のついた役柄で、とても良かった。
「観客に感動を与えるために」という、ある意味陳腐な台詞に素直に泣けたのは、吉田さんだからこそ、と思いました。
熊谷真実(とら/おみつ)
とら役での最初の出番では、誰だか全然わかりませんでした。
すごい思いきった老けメークで、最後までこのままかと思ってドキドキしたのですが、一幕のラスト以降は可愛いおみつ姐さんでした。
でも、芝居面でもとら役の方が印象的だなあ(^ ^)。
プログラムの素顔での稽古場写真を見ても、どっちの役を演じているのか表情でわかるところが凄いな、と思いました。役者魂、ここにあり!!
大鷹明良(円八)
ちょっと怪しげな噺家。語りはもちろん、風貌や仕草のさりげない巧さに感心しました。さすがだなあ♪
なかなかに興味深い、面白い役だったと思います。スーツ姿も素敵だった♪
北村有起哉(及川孝之進)
出演メンバーの中では頭一つ大きくて、「浪人者」にぴったりな感じ。
あのイケてなさが最高でした。本当に巧いなあ~~~。
松田洋治(久次)
最初に出てきたときの、どこぞの大店の番頭見習いみたいな白塗り化粧の違和感と、三下っぷりを表に出した時の落差が良かったです。面白い役者だな、と思いました。
内田さんのおせんちゃんには全く不満はありませんが、他に誰か……と思ったら、遠野あすかちゃんなら、と思いつきました。
黙阿弥にわたるさん、
五郎蔵にトウコさん、
円八にしいちゃん、
久次にすずみん、
及川に礼音くん、なんてキャスティングはどうかしら(^ ^)。
(井上戯曲と宝塚歌劇………無理だな、当たり前だけど)
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当初予定していた新作「木の上の軍隊」から演目を変更しての再演。
結局東京裁判三部作を観ることができなかった私にとっては、事実上の“井上ひさし氏追悼公演”であり、かつ、ずっと観たいと思っていた作品の再演でした。
明治から大正にかけてのお江戸を舞台に、狂言作家の河竹黙阿弥を中心に庶民の生活を描いた作品。
セットは、両国橋ちかくの蕎麦屋「仁八そば」の一杯のみ。
時代は1853年から1881年までの28年間。
まず、冒頭の場面は1853年の師走。ペリーの浦賀来航から半年。「幕末」はまだ始まったばかりで、庶民の生活にはまださほどの影響は出ていない頃。
冬の夜更けに、とっくに閉めた「仁八そば」の戸口をどんどんと叩く者がいる。71歳の女主人とら(熊谷真実)はゆるゆると起きてきて、ぶつぶつ文句を言いながら引き戸をあける。
雪の中、転がり込んできたのは38歳の狂言作家・河竹新七(吉田鋼太郎)と28歳のざる売り・五郎蔵(藤原竜也)。
すぐそこの両国橋で、身投げをしようとしたら、目の前で身投げをしようとする奴がいるんでつい助けてしまった、とお互いに言い募る二人。
新七(のちの黙阿弥)は、一座の座付き作家でありながら、新作を書かせてもらえない(旧作の再演や人形浄瑠璃の潤色ばかり……って、どこかの劇団みたいだな)苛立ちが募っての自殺未遂。
そんな彼に、五郎蔵が身の上を語る。女房をなくし、ざるも売れず、幼い娘を食わせてもやれず養女に出すしかなかった、と。
養女に出した幼い娘に陰から逢いにいったら、ただ働きの奴隷同然の扱いを受けていた。憤慨して顔を見せたら、娘に「父ちゃん、もう来てはだめ。お腹がすいたならこのお煎餅をあげる」と煎餅のカケラを渡されて、ふらふらと両国橋まで行ったんだ、と。
新七は自分の甘えに気づいて新作を創ることを誓い、一年後の再会を約して別れる。
一年後。
狂言役者の高島屋(四代目市川小団次)と組んで人気沸騰中の新七。
仁八そばで再会した女将のとらは、店に置き捨てられた赤子(おせん)に困り果てていた。
いろいろ話すうちに、「おせん株」を思いつく女将。養育費用を出資してもらい、いろいろ教育をして美しく育て、玉の輿に乗せて何倍にもして返す。
手放した娘の面影を求めてなけなしの金を出す五郎蔵、豊かな懐から一両だして夢を買う新七。女将を含めて三人の「おせん株仲間」は、毎年の定例会をすることを誓う。
おせんの成長を楽しみに一年一年を過ごすうち、仁八そばのおせん株仲間も増えていった。
噺やの円八(大鷹明良)、チンピラ少年の久次(松田洋治)、浪人の及川孝之進(北村有起哉)。
新七は押しも押されもせぬ人気作家として不動の地位を築いており、
五郎蔵は養女に出した先で娘が事故死したことに抗議して暴れたため、押し込み強盗と間違えられてお縄になり、人足場へ。そこで知り合った久次を仁八そばへ送り込む。
女将のとらは、すこし老けたけれども相変わらず。
成長したおせん(内田慈)が舞台に登場するのは、一幕の終わり近く。
細かいところはもう忘れてしまったのですが、あれはたぶん明治維新(1868年)の前後だったと思うので、物語の開幕からは15年前後の時間が流れています。おせんは18か19?色街で三味線を習い、とらに煮物を習い、着々と玉の輿へ向けての準備を調えている最中(^ ^)。
二幕は、ざんぎり頭になったおせん株仲間たちの「新しい時代」を生き抜くための努力と、おせんの成長ぶりを中心に描き、明治初期という時代の空気をよみがえらせてくれました。
パリの万国博覧会に、「三味線が弾けて、踊れて、客あしらいが出来て、煮物がつくれて、蕎麦がうてる」という条件を満たす唯一の芸妓として、「JAPAN」パビリオンのコンパニオンとして招聘されたおせん。
声の良いのに目を付けたオペラ座の関係者が世話してくれて、一人パリに残ったおせん。オペラの勉強をして、日本にもオペラを広め、いつか舞台に立つことを夢に見ながら、皆より数年遅れて帰国する。
心配して待っていた株仲間の皆は、すっかり垢抜けてドレスを着こなしたおせんに吃驚する。
オペラへの情熱やみがたく、おせんは横浜の外国人居留地のオペラハウスに参加し、歌うようになっていく。そして、新七の名台詞は、オペラの節にとてもよく合うということに気づく。
そんな頃、株仲間たちは、、、
下級士族の救済策の一つとして始まった「国立銀行」制度を利用して、おせん株仲間で資金を出し合い、銚子に国立銀行を設立する。
その「東京支店」として仁八そばの店を銀行にしようとして、とらの跡を継いでいたおみつ(熊谷真実/二役)に相談する。最初は反対していたおみつだが、最終的には協力し、色街のおねえさんを目当てにした東京支店がたちあがる。
新しい文化、新しい制度が次々に導入され、その都度右往左往する“創作者”“表現者”たちと、それらを受け入れて変っていく“庶民”という存在。
そんななかで。
自分の作品の“表現者”であった高島屋を喪って落ち込んでいた新七に、「西欧風の『おぺら』を書くように」という新政府からの命令がくだる……。
……井上戯曲って、あら筋の説明がすごく難しい(涙)。
たくさんのエピソードが並行して動くし、登場人物はわずか数人なのに、全員にありとあらゆるエピソードがあるので、どれが本筋なのかよくわからなくなってくるんですよね。
とりあえず、この作品は、タイトルから言っても黙阿弥(新七)に「おぺらの脚本を書け」という命が降ったことと、それに対する黙阿弥の回答がメインテーマだと思うのですが、、、作品を観終わった後の印象としては、「おせん株仲間」とか、彼らが設立した「国立銀行」の顛末とかがすごく面白い。
でも、その辺は非常に複雑な物語なので、簡単にあらすじで説明しようとすると泥沼にはまる(^ ^;ゞ
舞台を観れば一目瞭然なので、ぜひともその目でご確認くださいませm(_ _)m。
いろいろ印象的な台詞はたくさんありましたが、やはり黙阿弥の
「食べるものさえ始末して貯めた小金を、ぎゅっと握りしめて木戸にやってきてくれた観客たちが、オペラを観て、白浪狂言を観たとき以上に幸せになって帰れるとは思えない」
というのが一番心にささりました。
成果物は、受け取り手(求める人)がいてくれて初めて存在意義があるという、ものすごく当たり前のことを、あらためて思いました。
お客さまが求めているものは何か?
西欧風のオペラをつくり、グラント将軍に見せて「日本の先進性」=「西欧化」というイメージを植え付けたい、というのは、政府都合です。
黙阿弥は反対なんだから創り手都合とは言い難いけど、プロデューサーという意味での「制作側都合」ではあると思う。
でも、それでは駄目なんですよ。
文化の成熟度を計る物差しは、舞台芸術においては常に 優れた見物客がどれだけいるか、です。一人や二人の優れた役者や作家がいるだけでは、社会全体の成熟度の物差しになんてなりません。
グラント将軍だって、そう簡単には騙されないでしょうよ。
江戸時代に結ばれた不平等条約の撤廃は、明治政府の悲願でした。
そのためには、費用を惜しまず何でもやった。意味があるんだかないんだかよくわからない対応を、ものすごくたくさん。
それらが意味があったのかどうか、今となってはよくわからない面もありますが、あの時代のなりふり構わなさというのは凄いものがあります。
それでも、芸術家としての良心に殉じようとした黙阿弥の勇気と潔さ、
そして、それを支えつつ、自分の道を歩きぬこうとしたおせんの凛々しさが、心に強く残りました。
結果的には、こういう人々が明治政府を支え、明治の日本をつくりあげたんだろうなあ、と。
それでは最後に、キャストごとに。
内田慈(おせん)
衣装の着こなしには若干の課題があったような気がしますが、愛され系のファニーフェースと個性的な声が魅力的で、役にぴったりだな、と思いました。
去年、G2演出の「静かじゃない大地」で観て、強く印象に残った彼女。これからはちょっと追いかけてみたい気がします。
オペラ歌手、という設定なので歌はもうちょっと頑張ってほしかったけど、でも、経歴を考えればそこの期待値はあまり高くなかったので(汗)、よく頑張っていたと思います。そして、歌唱力にかかわらず黙阿弥狂言の名台詞を「カルメン」のメロディに載せて歌った場面は、間違いなく名場面でした。
藤原竜也(五郎蔵)
最初の出番での、乞食のようなぼさぼさ頭に汚しメークに吃驚しましたが、悪党になり切れない中途半端さをよく演じていたと思います。
実年齢より若い役で始まって、最期はだいぶ年上までいきますが、意外と老け役も似合うな、というか、年齢を重ねたら良い俳優になるかもしれないな、と思いました。
吉田鋼太郎(河竹新七)
優しい風貌と語り口、それなりの地位にある人気作家という役を嫌味なく演じていて、説得力がありました。キャラクター的にはあの中では普通な人なのに、ちゃんと主役としてしっかり地に足のついた役柄で、とても良かった。
「観客に感動を与えるために」という、ある意味陳腐な台詞に素直に泣けたのは、吉田さんだからこそ、と思いました。
熊谷真実(とら/おみつ)
とら役での最初の出番では、誰だか全然わかりませんでした。
すごい思いきった老けメークで、最後までこのままかと思ってドキドキしたのですが、一幕のラスト以降は可愛いおみつ姐さんでした。
でも、芝居面でもとら役の方が印象的だなあ(^ ^)。
プログラムの素顔での稽古場写真を見ても、どっちの役を演じているのか表情でわかるところが凄いな、と思いました。役者魂、ここにあり!!
大鷹明良(円八)
ちょっと怪しげな噺家。語りはもちろん、風貌や仕草のさりげない巧さに感心しました。さすがだなあ♪
なかなかに興味深い、面白い役だったと思います。スーツ姿も素敵だった♪
北村有起哉(及川孝之進)
出演メンバーの中では頭一つ大きくて、「浪人者」にぴったりな感じ。
あのイケてなさが最高でした。本当に巧いなあ~~~。
松田洋治(久次)
最初に出てきたときの、どこぞの大店の番頭見習いみたいな白塗り化粧の違和感と、三下っぷりを表に出した時の落差が良かったです。面白い役者だな、と思いました。
内田さんのおせんちゃんには全く不満はありませんが、他に誰か……と思ったら、遠野あすかちゃんなら、と思いつきました。
黙阿弥にわたるさん、
五郎蔵にトウコさん、
円八にしいちゃん、
久次にすずみん、
及川に礼音くん、なんてキャスティングはどうかしら(^ ^)。
(井上戯曲と宝塚歌劇………無理だな、当たり前だけど)
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