シアタークリエにて「宝塚BOYS」を観劇してまいりました。
初演は2007年6月。二週間ほどの公演で、私は面白そうだなーと思いながら仕事をしたり「ダル・レークの恋」全国ツアーで遠征したりしていたらしい。……絶対に観るつもりだった「大阪侍」でさえ観られなかったんだから、手が回らなくても仕方ないかな(^ ^;
再演されたのが翌2008年8月。初演の評判が非常に良かったのですごく観たかったんですが、この年は諸般の事情により(^ ^;、九州でひと夏を過ごしたに近い状態だったので、東京ではほとんど何も観られなかったんですよね。
そんな状況だったので、今回キャストは変ってしまいましたが、無事観ることができて、とてもうれしかったです(^ ^)。東宝さん、再演してくれてありがとう!!
その昔、宝塚歌劇団に「男子部」があった!とという驚愕の歴史的事実をもとに、エピソード自体はフィクションで創られた物語。
初演キャストは観ていないのでどう違うのかは判りませんが、プログラムのベテラン陣(初風諄、山路和弘)のトークによると、今回のメンバーは「草食系というか、デリケートでナイーヴな感じ」(鈴木裕美)らしい。うーん、なんかわかるような気がする(^ ^)。実際、どの役もほとんど若返っているし、舞台経験を積んでいると言えるのは浦井くんと東山くんだけみたいなものだし。
たぶん、初演で狙ったものとは違うものが出てきているんだろうな、と思うんですよね。皆すごく細くてすらっとしてて、徴兵検査なら全員丙種でしょ?って感じだし。芝居の口調とかもどうしても現代っ子っぽい。芝居の質が現代芝居っぽいので、1950年前後の話だというのがピンとこないメンバーもいたんですよね。この辺、初演はどうだったのかな?と思うんですが、少なくとも芝居に関してはもう少し重厚なメンバーっぽかった気がします。(観てないのにすみません)
あと、ラストに華やかな宝塚系フィナーレがつくんですが、ダンスも歌も、ホントにお前たち9年もレッスンしたのか?とゆー出来な人が混ざっていたり、とか。……ああ、いや、研19になったってむにゃむにゃ(黙)
えっと。
でも、なんていうか、観ているかぎりではそんなこと全く気になりませんでした。
この作品は、根本的なところで、あの脚本と、鈴木裕美の演出と、そしてベテラン二人(初風・山路。この二人だけが初演から継続)が揃っていれば、たぶん、BOYSが誰であっても成立すると思うんです。
重厚な芝居の出来るベテランを集めればそのように、
舞台に慣れてはいないけれども、これからも舞台に出たいと思っている若手を集めたならば、そのように。
それぞれのBOYSが、それぞれの9年間を過ごして、それぞれのフィナーレを歌い、踊ってくれるのだと思う。
だから。
これからも、いろんなキャストで上演を繰り返してほしい、と思います。
すくなくとも、宝塚関係者が全員観るまで、は。
どんなに辛くても、苦しくても、宝塚関係者はこの作品を観なくてはいけないと思う。
ある人々にとって、どれほどタカラヅカが夢そのものになりうるのか、それがどれほどに偉大なる夢だったのか、を、忘れないために。
この作品を観て最初に感じたことは、根本的なところで「戦後」の物語なんだな、ということでした。
冒頭の場面は、1945年8月15日、そう、ちょうど55年前の本日に流れた、ラジオ放送から始まります。
大分の回天基地で、来る日も来る日も仲間の兵士たちの特攻出撃を見送ってきた通信兵の上原金蔵(浦井健治)。「次は自分か?」という恐怖が、「早く自分も」という渇望に変るほどの絶望の中を生きていた彼の、過去のすべてを否定してのけた、玉音放送。
このあたりの説明はまったくなく、基地のセットがあるわけでもなく、こぎれいなスーツを着て宝塚歌劇団に面接(?)に来た上原が、待ち時間に過去の追憶に浸った、という感じの場面なのですが……
ピンスポを浴びて闇の中に立ち尽くす上原の、苦悶の表情だけで、まず胸を攫まれました。
彼らがあんなにも純粋に「夢」を追いかけようとしたのは、それが「戦後」だったから、なのでしょうか。
すべての夢を破壊しつくした戦争という悪夢から醒めたとき、人々は夢の見かたを忘れてしまったのではないか。だからこそ彼らは、やっと見出した「夢」に固執した。眩くてただひたすらに美しい、「戦い」でさえ美しい世界に。
そして、自分たちも、その一員になりたい、と切望する。
僅か4ヶ月前まで、彼らの国は戦っていた。
彼らの国土は戦場になる寸前だった。
本土決戦を避けるために、彼らは命を懸けていたつもりだった。それがどんなに局所的な努力であったとしても。
戦争が終わったらどうしよう?なんて、そんなことを考えたことは無かったに違いない彼らが、現実に終戦を迎えた時。
もう自分は、魚雷を抱えて出撃することは無いのだ。
仲間たちの後を追うことは、もう、できない。
ならば、何をすればいいんだろう?
……そう、思った時に。
上原の脳裏に浮かんだのが、煌びやかに光り輝く「宝塚」だったということこそが、まず夢のような気がします。
そして、同じ夢を分かち合った彼らが、9年間も、その夢を持ち続けていけたことが、まさに夢のようです。
そんなことはあり得ない、と言いたくなってしまうほどの、「夢」。
宝塚が、それほどの「夢」であるという、その、衝撃。
宝塚を目指す女性たちは、音楽学校に入りさえすれば、よほどのことがない限り、大劇場に立つことができる。
そこから先は自分次第。すべては、自分の努力次第です。
でも。
男子部のメンバーは、その夢を9年間見続けて、しかも、最後まで叶わなかった……。
9年!
彼らが女性だったなら研9、いや、音楽学校時代をいれれば研7か。いずれにしても、新人公演の長を務める、立派な中堅メンバーです。研7より前に卒業してしまう下級生も少なくない中、舞台に立つチャンスもほとんど無いまま、9年間も続けられた彼らの夢の偉大さに、呆然とするよりほかはありません。
この作品の原作というべき、辻則彦氏著の「男たちの宝塚」によると、彼らも新芸座の舞台に立つチャンスは何度かあったようですね。
ただ、彼らが望んだ「宝塚大劇場の舞台」に「顔を出して」立つ、という夢は、叶う目途もたたなかった。
来る日も来る日も芸事のレッスンをして、ひたすらにレッスンをして、たぶんアルバイトもして、いつかきっと、あの舞台に立って見せると誓い合い、苦しくなると「宝塚わが心のふるさと」を歌いながら。
宝塚以外の舞台をあまりご覧にならないファンの方とお話していると、ああ、仕事が定期的にあるということがどれほどに幸せなコトなのか、宝塚しか観ていなかったらわからないだろうな、と思うことがあります。
以前某役者さんが仰っていましたが、役者は、仕事がないと役者とはいえない のだそうです。同じ自由業でも、作家なら自分が何らかの形で創作をしていれば「自分は作家だ」と名乗れる。だけど、役者は使ってもらわなくては役者ではないんだ、と。
どんなにレッスンしていても、ただの「役者志望」あるいは「役者くずれ」でしかない、と。
それでも、宝塚男子部には、それなりの居心地の良さはあったのでしょう。新芸座への出演の機会、「いつかは大劇場に」という夢を共有し、共にレッスンに励む仲間たち。そう。プロのダンサーからスカウトされた星野(東山義久)にしても、なんだかんだ文句を言いつつ最後まで付き合うのですから。
その仲間たちへのまっすぐなリスペクトと、夢を諦めきれない苦しさ。夢を諦めないのは、必ずしも格好いいことじゃない、という切なさ。
もう駄目なんだろうと判っている。たぶん、無理なんだろう、と。
なのに、細い細い「希望」という名の蜘蛛の糸にしがみついて、離せずにいる自分。
このあたりの心情が、すごく「戦後」なんだな、と思ったのでした。
日本は負けると判っていた。勝てるわけがないと。
人間魚雷。言葉はきれいだけれども、これがいかに無惨な特攻だったか、上原は知っていたはず。そんなことしかできない、この状況で。
それでも、どんなに細く脆い糸でも、一筋の希望の糸は切れない。離せない。
日本は勝つのかもしれない。
もしかしたら。自分のやってきたことに、意味はあったかもしれない。
日本を救うという、大いなる意義が。
宝塚歌劇団に、男子部は必要ではなかった。
それは、観ている観客にとってはすでに歴史的事実です。
男子部があったなら、男子部が舞台に立っていたなら、どうなっていたか。歴史に対してたらればは無用。男子がいたら、宝塚はベルばらブームを作れなかったかもしれない。男子がいたら、宇宙戦艦ヤマトブームがあったかもしれない(←嘘です)
いろいろ想像してみても、いまさら意味はないのです。
日本は太平洋戦争に勝てたかもしれない。もし勝っていたならば。そういった夢想と同じレベルで、意味のない夢想。
『タカラヅカは、男子部を必要としなかった』これが史実。
そして、これからも必要とすることはないだろう、これが、現時点での予測。
それでも、彼らには夢が必要だった。
それは、戦後の苦しい生活の中に点った幽かな燈であり、確かな実感のある夢だった。
タカラヅカ、という夢。
それが夢であった、ということもまた、歴史的事実なのだと思います。
それが夢でありつづけられるかどうか、今はそれを問われている時代。
あれほどの渇望をもって「タカラヅカ」を求めてくれた人は、もういない。
それでも「タカラヅカ」には、それほどのポテンシャルがあるのだ、ということを、今あらためて確認できて、良かったと思います。
余談。
「宝塚BOYS」とは何の関係もない話で恐縮ですが。
ダル湖といえば。芸術劇場にTSミュージカル「タンビエットの唄」を観にいったのですが、あの全ツ「ダル・レークの恋」で卒業した彩橋みゆちゃんが出演されていました♪ 難度の高いTSのダンスをしっかりこなしつつ、キュートな笑顔でとても可愛かったー♪
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初演は2007年6月。二週間ほどの公演で、私は面白そうだなーと思いながら仕事をしたり「ダル・レークの恋」全国ツアーで遠征したりしていたらしい。……絶対に観るつもりだった「大阪侍」でさえ観られなかったんだから、手が回らなくても仕方ないかな(^ ^;
再演されたのが翌2008年8月。初演の評判が非常に良かったのですごく観たかったんですが、この年は諸般の事情により(^ ^;、九州でひと夏を過ごしたに近い状態だったので、東京ではほとんど何も観られなかったんですよね。
そんな状況だったので、今回キャストは変ってしまいましたが、無事観ることができて、とてもうれしかったです(^ ^)。東宝さん、再演してくれてありがとう!!
その昔、宝塚歌劇団に「男子部」があった!とという驚愕の歴史的事実をもとに、エピソード自体はフィクションで創られた物語。
初演キャストは観ていないのでどう違うのかは判りませんが、プログラムのベテラン陣(初風諄、山路和弘)のトークによると、今回のメンバーは「草食系というか、デリケートでナイーヴな感じ」(鈴木裕美)らしい。うーん、なんかわかるような気がする(^ ^)。実際、どの役もほとんど若返っているし、舞台経験を積んでいると言えるのは浦井くんと東山くんだけみたいなものだし。
たぶん、初演で狙ったものとは違うものが出てきているんだろうな、と思うんですよね。皆すごく細くてすらっとしてて、徴兵検査なら全員丙種でしょ?って感じだし。芝居の口調とかもどうしても現代っ子っぽい。芝居の質が現代芝居っぽいので、1950年前後の話だというのがピンとこないメンバーもいたんですよね。この辺、初演はどうだったのかな?と思うんですが、少なくとも芝居に関してはもう少し重厚なメンバーっぽかった気がします。(観てないのにすみません)
あと、ラストに華やかな宝塚系フィナーレがつくんですが、ダンスも歌も、ホントにお前たち9年もレッスンしたのか?とゆー出来な人が混ざっていたり、とか。……ああ、いや、研19になったってむにゃむにゃ(黙)
えっと。
でも、なんていうか、観ているかぎりではそんなこと全く気になりませんでした。
この作品は、根本的なところで、あの脚本と、鈴木裕美の演出と、そしてベテラン二人(初風・山路。この二人だけが初演から継続)が揃っていれば、たぶん、BOYSが誰であっても成立すると思うんです。
重厚な芝居の出来るベテランを集めればそのように、
舞台に慣れてはいないけれども、これからも舞台に出たいと思っている若手を集めたならば、そのように。
それぞれのBOYSが、それぞれの9年間を過ごして、それぞれのフィナーレを歌い、踊ってくれるのだと思う。
だから。
これからも、いろんなキャストで上演を繰り返してほしい、と思います。
すくなくとも、宝塚関係者が全員観るまで、は。
どんなに辛くても、苦しくても、宝塚関係者はこの作品を観なくてはいけないと思う。
ある人々にとって、どれほどタカラヅカが夢そのものになりうるのか、それがどれほどに偉大なる夢だったのか、を、忘れないために。
この作品を観て最初に感じたことは、根本的なところで「戦後」の物語なんだな、ということでした。
冒頭の場面は、1945年8月15日、そう、ちょうど55年前の本日に流れた、ラジオ放送から始まります。
大分の回天基地で、来る日も来る日も仲間の兵士たちの特攻出撃を見送ってきた通信兵の上原金蔵(浦井健治)。「次は自分か?」という恐怖が、「早く自分も」という渇望に変るほどの絶望の中を生きていた彼の、過去のすべてを否定してのけた、玉音放送。
このあたりの説明はまったくなく、基地のセットがあるわけでもなく、こぎれいなスーツを着て宝塚歌劇団に面接(?)に来た上原が、待ち時間に過去の追憶に浸った、という感じの場面なのですが……
ピンスポを浴びて闇の中に立ち尽くす上原の、苦悶の表情だけで、まず胸を攫まれました。
彼らがあんなにも純粋に「夢」を追いかけようとしたのは、それが「戦後」だったから、なのでしょうか。
すべての夢を破壊しつくした戦争という悪夢から醒めたとき、人々は夢の見かたを忘れてしまったのではないか。だからこそ彼らは、やっと見出した「夢」に固執した。眩くてただひたすらに美しい、「戦い」でさえ美しい世界に。
そして、自分たちも、その一員になりたい、と切望する。
僅か4ヶ月前まで、彼らの国は戦っていた。
彼らの国土は戦場になる寸前だった。
本土決戦を避けるために、彼らは命を懸けていたつもりだった。それがどんなに局所的な努力であったとしても。
戦争が終わったらどうしよう?なんて、そんなことを考えたことは無かったに違いない彼らが、現実に終戦を迎えた時。
もう自分は、魚雷を抱えて出撃することは無いのだ。
仲間たちの後を追うことは、もう、できない。
ならば、何をすればいいんだろう?
……そう、思った時に。
上原の脳裏に浮かんだのが、煌びやかに光り輝く「宝塚」だったということこそが、まず夢のような気がします。
そして、同じ夢を分かち合った彼らが、9年間も、その夢を持ち続けていけたことが、まさに夢のようです。
そんなことはあり得ない、と言いたくなってしまうほどの、「夢」。
宝塚が、それほどの「夢」であるという、その、衝撃。
宝塚を目指す女性たちは、音楽学校に入りさえすれば、よほどのことがない限り、大劇場に立つことができる。
そこから先は自分次第。すべては、自分の努力次第です。
でも。
男子部のメンバーは、その夢を9年間見続けて、しかも、最後まで叶わなかった……。
9年!
彼らが女性だったなら研9、いや、音楽学校時代をいれれば研7か。いずれにしても、新人公演の長を務める、立派な中堅メンバーです。研7より前に卒業してしまう下級生も少なくない中、舞台に立つチャンスもほとんど無いまま、9年間も続けられた彼らの夢の偉大さに、呆然とするよりほかはありません。
この作品の原作というべき、辻則彦氏著の「男たちの宝塚」によると、彼らも新芸座の舞台に立つチャンスは何度かあったようですね。
ただ、彼らが望んだ「宝塚大劇場の舞台」に「顔を出して」立つ、という夢は、叶う目途もたたなかった。
来る日も来る日も芸事のレッスンをして、ひたすらにレッスンをして、たぶんアルバイトもして、いつかきっと、あの舞台に立って見せると誓い合い、苦しくなると「宝塚わが心のふるさと」を歌いながら。
宝塚以外の舞台をあまりご覧にならないファンの方とお話していると、ああ、仕事が定期的にあるということがどれほどに幸せなコトなのか、宝塚しか観ていなかったらわからないだろうな、と思うことがあります。
以前某役者さんが仰っていましたが、役者は、仕事がないと役者とはいえない のだそうです。同じ自由業でも、作家なら自分が何らかの形で創作をしていれば「自分は作家だ」と名乗れる。だけど、役者は使ってもらわなくては役者ではないんだ、と。
どんなにレッスンしていても、ただの「役者志望」あるいは「役者くずれ」でしかない、と。
それでも、宝塚男子部には、それなりの居心地の良さはあったのでしょう。新芸座への出演の機会、「いつかは大劇場に」という夢を共有し、共にレッスンに励む仲間たち。そう。プロのダンサーからスカウトされた星野(東山義久)にしても、なんだかんだ文句を言いつつ最後まで付き合うのですから。
その仲間たちへのまっすぐなリスペクトと、夢を諦めきれない苦しさ。夢を諦めないのは、必ずしも格好いいことじゃない、という切なさ。
もう駄目なんだろうと判っている。たぶん、無理なんだろう、と。
なのに、細い細い「希望」という名の蜘蛛の糸にしがみついて、離せずにいる自分。
このあたりの心情が、すごく「戦後」なんだな、と思ったのでした。
日本は負けると判っていた。勝てるわけがないと。
人間魚雷。言葉はきれいだけれども、これがいかに無惨な特攻だったか、上原は知っていたはず。そんなことしかできない、この状況で。
それでも、どんなに細く脆い糸でも、一筋の希望の糸は切れない。離せない。
日本は勝つのかもしれない。
もしかしたら。自分のやってきたことに、意味はあったかもしれない。
日本を救うという、大いなる意義が。
宝塚歌劇団に、男子部は必要ではなかった。
それは、観ている観客にとってはすでに歴史的事実です。
男子部があったなら、男子部が舞台に立っていたなら、どうなっていたか。歴史に対してたらればは無用。男子がいたら、宝塚はベルばらブームを作れなかったかもしれない。男子がいたら、宇宙戦艦ヤマトブームがあったかもしれない(←嘘です)
いろいろ想像してみても、いまさら意味はないのです。
日本は太平洋戦争に勝てたかもしれない。もし勝っていたならば。そういった夢想と同じレベルで、意味のない夢想。
『タカラヅカは、男子部を必要としなかった』これが史実。
そして、これからも必要とすることはないだろう、これが、現時点での予測。
それでも、彼らには夢が必要だった。
それは、戦後の苦しい生活の中に点った幽かな燈であり、確かな実感のある夢だった。
タカラヅカ、という夢。
それが夢であった、ということもまた、歴史的事実なのだと思います。
それが夢でありつづけられるかどうか、今はそれを問われている時代。
あれほどの渇望をもって「タカラヅカ」を求めてくれた人は、もういない。
それでも「タカラヅカ」には、それほどのポテンシャルがあるのだ、ということを、今あらためて確認できて、良かったと思います。
余談。
「宝塚BOYS」とは何の関係もない話で恐縮ですが。
ダル湖といえば。芸術劇場にTSミュージカル「タンビエットの唄」を観にいったのですが、あの全ツ「ダル・レークの恋」で卒業した彩橋みゆちゃんが出演されていました♪ 難度の高いTSのダンスをしっかりこなしつつ、キュートな笑顔でとても可愛かったー♪
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