トラファルガーの奇跡【3】
2010年8月11日 宝塚(宙)突然ですが。
今CSを観ていたら、星組バウ公演のCMらしきものが流れていました。
……爆笑しました。実際の舞台を観ても笑ってしまいそうです(^ ^)。
CMって、そういえば木村さんの「君を愛してる」では何パターンもやっていましたよね。
コメディじゃないと創りにくいのかな。同じ木村さんでも「誰がために鐘は鳴る」では作ってくれそうにないもんね……。
余談はそんなところにして、宙組東宝劇場公演「トラファルガー」について。
■第11場A ロンドン(つづき)
イギリス海軍の司令室(?)での会話がおわり、幕がおりる。
幕前に取り残されたネルソンのもとに、上手からジョサイア(愛月ひかる)が登場。
この作品における「名場面」のひとつ。
齋藤さんは、男女の愛よりも血のつながった相手に対する愛や憎しみをより深く描きたがる傾向があるのですが、今回も「夫婦の情」より「親子の情」を前面に出して、そして、見事に成功しました。
今まで「提督」とか「キャプテン」としか呼ばなかった息子が、、初めて自分を「父上」と呼んだ瞬間のかすかな喜びの表情がすごく好きでした。
この場面でのジョサイアは、大劇場の前半を思えば別人のように良い芝居をするようになってくれて、とても嬉しかったです。ジョサイアは作品的にもキーパーソンなので、愛月くんが期待に応えてくれたからこそ作品もレベルアップしたと思うし、これからもがんばってほしいなと思います。
■第11場B ロンドン ~賭け~
幕があがると、ハミルトン邸の庭。キャドガン夫人(美風舞良)が赤児を抱いている。
「♪天使の微笑 可愛いホレイシア」
どうか神様、と祈りながら。
眩い光に包まれた「幸い」の場面。
そこに入ることのできないネルソンの孤独が、よけいに沁みました(T T)。
「娘にかたく言われました あなたをホレイシアに逢わせてはいけないと」
孤独な男から目を逸らして、貴婦人が告げる。
「どうかこの手にホレイシアを!」
血を吐くような叫びにも背を向けて。
「エマも私も、ハミルトン家に厄介になっている身なのです」
細い肩を震わせながら、それでも毅然として。
「……許して」
悄然と立ち尽くす英雄の背中に、遠慮がちな声がかかる。
「父上」
たとえ理解しあったばかりの息子に軽蔑されたとしても、それでも知っておいてほしかった、と呟く弱さと、そして、揺らがない強さ。
愛しているものを「愛している」と胸を張って言うことに確信がある、というのが素晴らしいなと思います。
そんなネルソンに声をかけるハミルトン。
「その片腕が激戦の証か」
……先日の「齋藤くんの日本語突っ込みコーナー」には入れませんでしたが、この台詞もなんかおかしいですね、そういえば。「その右腕が」ならわかるんですけど。
「君も人の親だったわけだね」
……会話の流れ的に、ハミルトンのこの台詞はジョサイアのことを言っているような気がするのですが、これに対するネルソンの答えがホレイシアのことを言っているように聞こえるので……毎回「あれっ?」と思っていました。
本当はどういう意味だったんでしょうね(^ ^)。
ハミルトンがここで持ち出す「賭け」。
この人は、ホレイシオの勝利を信じきっていて、ひとかけらの疑いも無いんだな、と思いました。
最初からエマを自由にするつもりで、でも「ただで」譲るのは悔しいから条件をつける……そんな感じ。
彼はもう、エマへの愛情を自覚しているから。
愛していれば、彼女の幸せを希むのが人情というもの。自分の許にいるよりもホレイシオと居る方が幸せなのが明らかならば、まして子供ができた以上は、もう自分ではどうすることもできないのですから。
そもそも、ホレイシオが敗れたらイコール、イギリスはナポレオンのフランスによって蹂躙されることになるわけで。そうなったら、自分自身だってどうなるかわからない。エマどころの騒ぎではないかもしれない。
そうなる前に、ホレイシオを縛ってしまいたい。
エマのために。エマへの愛のために。
……史実では、ハミルトンとエマとホレイシオは三人で暮らしていた時期があるくらい、この三人の関係は複雑なのですが、そのへんはフィクションで処理した齋藤さんのセンスを買いたいと思います♪
■第11場C ロンドン ~忘れられぬ人~
ホレイシオ、ウイリアム、エマ、ファニーの4人で歌われるビッグナンバー。
「♪忘れられないひと」
「♪我が言葉は あなたを苦しめていた……」
すれ違い、行き違う、4人の男女。
「♪懺悔さえ許されることのない罪びとたち」
「♪それでもいい」
「♪あなたに逢いたい」
忘れられない、ひと。
幻想の空間の中で、忘れてしまおうとしたひとに謝罪するネルソン。
「苦しめてきたな…」
幻想の空間の中で、初めて素直になった、ファニー。
「ジョサイアを助けてくれて、ありがとう」
一度はいとおしんだ妻の貌から目を逸らして、不実な夫は告げる。
「こんな私でも、彼の父親だ」
彼の父親で、そして、あなたの夫だった。
こんな私だけれども、それでも。
「……わたしは、レディ・ネルソンになれていたのかしら…」
レディ・ハミルトンの前ではそう名乗ったけれども、貴男の前でそう名乗ることが出来るのかしら。
お互いに目を合わせることなく、すれ違ったままに。
それでも。
出陣していく男を、妻は祈りとともに見送ったのでしょうか。
初めて気付いた、「レディ・ネルソン」の自覚をもって。
■第12場A 前夜(ロンドン)
フランスの宣戦布告を受けて、右往左往する軍人たち。
ホレイシオをアサインするだけで精一杯かよ(汗)と毎回思ってました(すみません)。
■第12場B 前夜(パリ)
このあたりは、トラファルガー海戦の「前夜」だから、1805年の秋なんですよね。
このときナポレオンは36歳。ちなみにリュシアン(春風弥里)が30歳、タレーラン(風羽玲亜)が51歳、フーシェ(光海舞人)が46歳。
もっとちなみに、ネルソンが47歳、バラス(鳳樹いち)50歳、シェイエス(天玲美音)57歳、ですね。ナポレオンって若かったんだなあ。……あまりそういう気がしないけど(^ ^;ゞ
そして、この場面を観ていて思ったこと。
「オーレリー、お前にとっての戦いの義とは何だ」
「それは、愛するものを奪った仇への報復」
「立派な義だ」
この会話をさせるために、オーレリー・バイロンという役はああいう役になったんだろうなあ、と。
何度か書いているような気がしますが、この役は本来ならただの「装填された銃」であるべきだと思うんですよね。
それでも、ネルソンの求める「義」に対するナポレオンの「義」を説明するために、ああいう役にならざるをえなかった……ような気がしました。
うーん、もうちょっと違うアプローチもあったんじゃないかと思うんだけどな……でも、対案がある訳ではないから仕方ないか(T T)。
■第12場C 指令(ロンドン)
このあたり、ロンドンの海軍省からそのまま幕を降ろさず、ちょっと脇にのけるだけでパリの様子を垣間見せ(しかもロンドンのオーレリーと会話までさせちゃう汗)、あげくに、さらに奥からネルソンが登場する……という流れにちょっとびっくりしました。最近の流行だと盆を回しそうなところなのに、それもしないのか!と(^ ^;
「頼もしいぞ!我が愛する友よ!」
と言って、ネルソンの手をぎゅっと握る王子殿下は、何か確信犯のような気がしてなりません……
そして、新人公演ではこの場面で物凄く心配そうにネルソンを見凝めるサー・ジャービス(月映樹茉)の視線に嵌った私でした。……うーん、珠洲さんのクールな視線もそれはそれでいいんだけど、あのえなちゃんの視線はすごく雄弁だった!!(←気のせい)
■第12場D 別れ(ロンドン)
またもや幕前に取り残されるネルソン。
ハミルトン邸の庭(?)にたたずむエマの姿が。
コペンハーゲンの戦い以降で、エマとネルソンが顔を合わせるのはこの場面が初めて。
だからエマは、真っ先にネルソンの腕に反応する。
噂には聞いていても、実際に隻腕となった愛人を観る衝撃は大きかったはず。そんなエマを慰めるように、優しい口調でネルソンが諭す。
「この腕一本が祖国の犠牲になったのであれば悔いなどない」
……えーっと。ここも、変な日本語だと思っていたのにそういえば書き忘れてました。
「この腕一本で祖国をまもれたのであれば」とかになるんじゃないでしょうかね、本来は。
いや、あの、、、、いまさらですが。
二人は心が通じている(テレパシーが通じる)ので、表面にあらわれている会話にはあまり意味はないんですが、
それでも。
「初めてみつけたのだ、戦いの意義を。愛する国を、愛する君を、そして、ホレイシアを護るために」
……ジョサイアは?エドマンドは?そして、、、ファニーは?
■第13場 トラファルガー
東宝に来て、いきなりラ・マルセイエーズから始まるようになったのですが、毎回吃驚してしまいます。
大劇場の時の方が、ラ・マルセイエーズの印象が強かったような気がするんだけどなあ……。何のための変更だったんでしょうね。不思議。
ジョゼフィーヌ(五峰亜季)が口火を切って歌いだす。決して歌手ではないまゆみさんですが、印象的な声の持ち主なのでこの場面は良かったと思います。そして続くナポレオンのまゆさん。「カサブランカ」でも歌っていたし、へたをすると次の「誰がために鐘は鳴る」でも歌いかねん。「ラ・マルセイエーズ」のプロと呼びたい(^ ^)。
っていうか。
たしか「ラ・マルセイエーズ」って、ナポレオンが皇帝になったときに禁止されたんじゃありませんでしたっけ……私の勘違い?
盆が回って、イギリス軍。
このイギリス軍は、盆が回る前から芝居が始まっているので、二階席のときは凄く楽しかったです。
英雄ネルソンに挨拶しにいくる下士官たち、そして、ジョサイアと笑顔を交わすネルソンの楽しそうなこと(^ ^)。
エマといるときの何か苦しげな雰囲気とは全然違う、自分の居場所に居る男の落ち着き。
「海の上で生活している時間の方が遥かに長い」
ホンモノの、「海の男」の貌。
前景で「君たちに捧げよう、真の勝利を!」
と打ち上げて、この出陣の場では
「この勝利を、愛する者たちに捧げようではないか!」
と煽る。ネルソンは、将兵の戦意を昂揚させる方法を知っていたんだなあ、と思います。だからこその英雄で、だからこその「常勝」なんですよね、たぶん。人智を超えた力を引き出せるのは、人智を尽くしたうえでのこと。彼が「常勝」だったのは、誰よりも「勝利の仕方」を知っていたから。
戦争に一人で勝つことは、できないのだから。
ここでの長広舌と、それに続く「Victory」の大合唱。
公演が進むにつれて熱量を増していった場面ですが、千秋楽のこの場面は、ついに涙が止まらなくなってしまいました(T T)。
私、すごく弱いんですよ。ああいう「信じた人々」の場面は、かなりの確率で泣いてしまうんです。
せっかく「トラファルガーの奇跡」とゆータイトルで書いているので、もう一回だけ続きます。
ずるずると、すみません(汗)。
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今CSを観ていたら、星組バウ公演のCMらしきものが流れていました。
……爆笑しました。実際の舞台を観ても笑ってしまいそうです(^ ^)。
CMって、そういえば木村さんの「君を愛してる」では何パターンもやっていましたよね。
コメディじゃないと創りにくいのかな。同じ木村さんでも「誰がために鐘は鳴る」では作ってくれそうにないもんね……。
余談はそんなところにして、宙組東宝劇場公演「トラファルガー」について。
■第11場A ロンドン(つづき)
イギリス海軍の司令室(?)での会話がおわり、幕がおりる。
幕前に取り残されたネルソンのもとに、上手からジョサイア(愛月ひかる)が登場。
この作品における「名場面」のひとつ。
齋藤さんは、男女の愛よりも血のつながった相手に対する愛や憎しみをより深く描きたがる傾向があるのですが、今回も「夫婦の情」より「親子の情」を前面に出して、そして、見事に成功しました。
今まで「提督」とか「キャプテン」としか呼ばなかった息子が、、初めて自分を「父上」と呼んだ瞬間のかすかな喜びの表情がすごく好きでした。
この場面でのジョサイアは、大劇場の前半を思えば別人のように良い芝居をするようになってくれて、とても嬉しかったです。ジョサイアは作品的にもキーパーソンなので、愛月くんが期待に応えてくれたからこそ作品もレベルアップしたと思うし、これからもがんばってほしいなと思います。
■第11場B ロンドン ~賭け~
幕があがると、ハミルトン邸の庭。キャドガン夫人(美風舞良)が赤児を抱いている。
「♪天使の微笑 可愛いホレイシア」
どうか神様、と祈りながら。
眩い光に包まれた「幸い」の場面。
そこに入ることのできないネルソンの孤独が、よけいに沁みました(T T)。
「娘にかたく言われました あなたをホレイシアに逢わせてはいけないと」
孤独な男から目を逸らして、貴婦人が告げる。
「どうかこの手にホレイシアを!」
血を吐くような叫びにも背を向けて。
「エマも私も、ハミルトン家に厄介になっている身なのです」
細い肩を震わせながら、それでも毅然として。
「……許して」
悄然と立ち尽くす英雄の背中に、遠慮がちな声がかかる。
「父上」
たとえ理解しあったばかりの息子に軽蔑されたとしても、それでも知っておいてほしかった、と呟く弱さと、そして、揺らがない強さ。
愛しているものを「愛している」と胸を張って言うことに確信がある、というのが素晴らしいなと思います。
そんなネルソンに声をかけるハミルトン。
「その片腕が激戦の証か」
……先日の「齋藤くんの日本語突っ込みコーナー」には入れませんでしたが、この台詞もなんかおかしいですね、そういえば。「その右腕が」ならわかるんですけど。
「君も人の親だったわけだね」
……会話の流れ的に、ハミルトンのこの台詞はジョサイアのことを言っているような気がするのですが、これに対するネルソンの答えがホレイシアのことを言っているように聞こえるので……毎回「あれっ?」と思っていました。
本当はどういう意味だったんでしょうね(^ ^)。
ハミルトンがここで持ち出す「賭け」。
この人は、ホレイシオの勝利を信じきっていて、ひとかけらの疑いも無いんだな、と思いました。
最初からエマを自由にするつもりで、でも「ただで」譲るのは悔しいから条件をつける……そんな感じ。
彼はもう、エマへの愛情を自覚しているから。
愛していれば、彼女の幸せを希むのが人情というもの。自分の許にいるよりもホレイシオと居る方が幸せなのが明らかならば、まして子供ができた以上は、もう自分ではどうすることもできないのですから。
そもそも、ホレイシオが敗れたらイコール、イギリスはナポレオンのフランスによって蹂躙されることになるわけで。そうなったら、自分自身だってどうなるかわからない。エマどころの騒ぎではないかもしれない。
そうなる前に、ホレイシオを縛ってしまいたい。
エマのために。エマへの愛のために。
……史実では、ハミルトンとエマとホレイシオは三人で暮らしていた時期があるくらい、この三人の関係は複雑なのですが、そのへんはフィクションで処理した齋藤さんのセンスを買いたいと思います♪
■第11場C ロンドン ~忘れられぬ人~
ホレイシオ、ウイリアム、エマ、ファニーの4人で歌われるビッグナンバー。
「♪忘れられないひと」
「♪我が言葉は あなたを苦しめていた……」
すれ違い、行き違う、4人の男女。
「♪懺悔さえ許されることのない罪びとたち」
「♪それでもいい」
「♪あなたに逢いたい」
忘れられない、ひと。
幻想の空間の中で、忘れてしまおうとしたひとに謝罪するネルソン。
「苦しめてきたな…」
幻想の空間の中で、初めて素直になった、ファニー。
「ジョサイアを助けてくれて、ありがとう」
一度はいとおしんだ妻の貌から目を逸らして、不実な夫は告げる。
「こんな私でも、彼の父親だ」
彼の父親で、そして、あなたの夫だった。
こんな私だけれども、それでも。
「……わたしは、レディ・ネルソンになれていたのかしら…」
レディ・ハミルトンの前ではそう名乗ったけれども、貴男の前でそう名乗ることが出来るのかしら。
お互いに目を合わせることなく、すれ違ったままに。
それでも。
出陣していく男を、妻は祈りとともに見送ったのでしょうか。
初めて気付いた、「レディ・ネルソン」の自覚をもって。
■第12場A 前夜(ロンドン)
フランスの宣戦布告を受けて、右往左往する軍人たち。
ホレイシオをアサインするだけで精一杯かよ(汗)と毎回思ってました(すみません)。
■第12場B 前夜(パリ)
このあたりは、トラファルガー海戦の「前夜」だから、1805年の秋なんですよね。
このときナポレオンは36歳。ちなみにリュシアン(春風弥里)が30歳、タレーラン(風羽玲亜)が51歳、フーシェ(光海舞人)が46歳。
もっとちなみに、ネルソンが47歳、バラス(鳳樹いち)50歳、シェイエス(天玲美音)57歳、ですね。ナポレオンって若かったんだなあ。……あまりそういう気がしないけど(^ ^;ゞ
そして、この場面を観ていて思ったこと。
「オーレリー、お前にとっての戦いの義とは何だ」
「それは、愛するものを奪った仇への報復」
「立派な義だ」
この会話をさせるために、オーレリー・バイロンという役はああいう役になったんだろうなあ、と。
何度か書いているような気がしますが、この役は本来ならただの「装填された銃」であるべきだと思うんですよね。
それでも、ネルソンの求める「義」に対するナポレオンの「義」を説明するために、ああいう役にならざるをえなかった……ような気がしました。
うーん、もうちょっと違うアプローチもあったんじゃないかと思うんだけどな……でも、対案がある訳ではないから仕方ないか(T T)。
■第12場C 指令(ロンドン)
このあたり、ロンドンの海軍省からそのまま幕を降ろさず、ちょっと脇にのけるだけでパリの様子を垣間見せ(しかもロンドンのオーレリーと会話までさせちゃう汗)、あげくに、さらに奥からネルソンが登場する……という流れにちょっとびっくりしました。最近の流行だと盆を回しそうなところなのに、それもしないのか!と(^ ^;
「頼もしいぞ!我が愛する友よ!」
と言って、ネルソンの手をぎゅっと握る王子殿下は、何か確信犯のような気がしてなりません……
そして、新人公演ではこの場面で物凄く心配そうにネルソンを見凝めるサー・ジャービス(月映樹茉)の視線に嵌った私でした。……うーん、珠洲さんのクールな視線もそれはそれでいいんだけど、あのえなちゃんの視線はすごく雄弁だった!!(←気のせい)
■第12場D 別れ(ロンドン)
またもや幕前に取り残されるネルソン。
ハミルトン邸の庭(?)にたたずむエマの姿が。
コペンハーゲンの戦い以降で、エマとネルソンが顔を合わせるのはこの場面が初めて。
だからエマは、真っ先にネルソンの腕に反応する。
噂には聞いていても、実際に隻腕となった愛人を観る衝撃は大きかったはず。そんなエマを慰めるように、優しい口調でネルソンが諭す。
「この腕一本が祖国の犠牲になったのであれば悔いなどない」
……えーっと。ここも、変な日本語だと思っていたのにそういえば書き忘れてました。
「この腕一本で祖国をまもれたのであれば」とかになるんじゃないでしょうかね、本来は。
いや、あの、、、、いまさらですが。
二人は心が通じている(テレパシーが通じる)ので、表面にあらわれている会話にはあまり意味はないんですが、
それでも。
「初めてみつけたのだ、戦いの意義を。愛する国を、愛する君を、そして、ホレイシアを護るために」
……ジョサイアは?エドマンドは?そして、、、ファニーは?
■第13場 トラファルガー
東宝に来て、いきなりラ・マルセイエーズから始まるようになったのですが、毎回吃驚してしまいます。
大劇場の時の方が、ラ・マルセイエーズの印象が強かったような気がするんだけどなあ……。何のための変更だったんでしょうね。不思議。
ジョゼフィーヌ(五峰亜季)が口火を切って歌いだす。決して歌手ではないまゆみさんですが、印象的な声の持ち主なのでこの場面は良かったと思います。そして続くナポレオンのまゆさん。「カサブランカ」でも歌っていたし、へたをすると次の「誰がために鐘は鳴る」でも歌いかねん。「ラ・マルセイエーズ」のプロと呼びたい(^ ^)。
っていうか。
たしか「ラ・マルセイエーズ」って、ナポレオンが皇帝になったときに禁止されたんじゃありませんでしたっけ……私の勘違い?
盆が回って、イギリス軍。
このイギリス軍は、盆が回る前から芝居が始まっているので、二階席のときは凄く楽しかったです。
英雄ネルソンに挨拶しにいくる下士官たち、そして、ジョサイアと笑顔を交わすネルソンの楽しそうなこと(^ ^)。
エマといるときの何か苦しげな雰囲気とは全然違う、自分の居場所に居る男の落ち着き。
「海の上で生活している時間の方が遥かに長い」
ホンモノの、「海の男」の貌。
前景で「君たちに捧げよう、真の勝利を!」
と打ち上げて、この出陣の場では
「この勝利を、愛する者たちに捧げようではないか!」
と煽る。ネルソンは、将兵の戦意を昂揚させる方法を知っていたんだなあ、と思います。だからこその英雄で、だからこその「常勝」なんですよね、たぶん。人智を超えた力を引き出せるのは、人智を尽くしたうえでのこと。彼が「常勝」だったのは、誰よりも「勝利の仕方」を知っていたから。
戦争に一人で勝つことは、できないのだから。
ここでの長広舌と、それに続く「Victory」の大合唱。
公演が進むにつれて熱量を増していった場面ですが、千秋楽のこの場面は、ついに涙が止まらなくなってしまいました(T T)。
私、すごく弱いんですよ。ああいう「信じた人々」の場面は、かなりの確率で泣いてしまうんです。
せっかく「トラファルガーの奇跡」とゆータイトルで書いているので、もう一回だけ続きます。
ずるずると、すみません(汗)。
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