残暑お見舞い申し上げます。

梅雨の真っ最中だった7月9日に初日を迎え(初日が終わった後に大雨が降ったな、そういえば)、立秋(8月7日)の翌日に千秋楽を迎えた宙組公演。
いやー、まだ夏が終わったわけではありませんが、それにしても、ほんの数日前の公演中とは雲泥の差がある気候に、ソーラーパワーとゆーか宙組パワーとゆーか……なにか非日常的なパワーを感じます。

さっそく月組の年末~正月のラインナップが発表になったり、宙組の次回大劇場公演「誰がために鐘は鳴る」の制作発表があったり……劇団も宙組っ子も、みんな次の公演に向けて全力投球!なところで、終わってしまった作品を引っ張るのは個人的にあまり好きではないのですが、、、、
あと少しなので書かせていただきたいと思います。



あ、でも、その前に!!
(桐生)園加、バウ主演、おめでとうございます!!
宙組東宝公演真っ最中ですが、あまり気にせず(←おい)楽しみにしたいと思います♪

それにしても。
あああ、こんな楽しそうな公演があるというのに、みっぽー、あなたは何故いってしまうの……(号泣)




それでは、「Trafalgar ~ネルソン、その愛と奇跡~」のつづき。


■第9場B ロンドン ~愛の迷宮~(つづき)

ネルソンに反発して飛び出していったトム・アレン(凪七瑠海)と入れ違いに、ハーディー(悠未ひろ)が部屋にはいってくる。
ハミルトン卿からの手紙を渡して、ネルソンの様子をうかがうときの様子が、まさにおあずけをくらった大型犬みたいで可愛いです♪

海軍内では和平交渉の話も出ている、とほのめかされて、激昂するネルソン。
「仮に条約を締結しても、あのナポレオンがおとなしくしているはずがない!!」

えーっと。
イギリスはこのとき、一連のナポレオン戦争における唯一の勝利者、という立場にあります。
陸での戦いがメインとなる、陸続きの大国(オーストリー、プロイセンなど)は悉く獅子に敗れ、スペインもイタリアも事実上ナポレオンの支配下に降っている。そんな中で、ナポレオンが門外漢である海だけは、イギリスの制海権を許している。そんな状況。

フランス(ナポレオン)にしてみれば、海の上では煩いけれども陸の上での戦いには関係のないイギリスを棚上げにして、とりあえず陸続きの国々を黙らせたいのが本音。ヨーロッパ半島を制圧すれば、さすがのイギリス海軍も補給路(基地)を維持できなくなって戦争が継続できなくなるのですから、当然の発想です。
イギリス側にしてみれば、自分たちが主役でいられる海での戦いで主導権を握り、存在感を示さなくてはならない。その間に他の国々がつぶし合って、共倒れてくれればラッキー(はぁと)だけど、そう巧くはいかないだろう。イギリス一国でヨーロッパ全体と闘う体力が無いことは明らかなのだから、他国が一緒に戦ってくれているうちに、決定的な勝利を掴まなければ、と焦る。

そのへんの心情はなんとなくわかるんです。でも、

「トマス、君は何故戦う?」
「国王陛下のため、そして、愛するものたちを守るため」
「……その通りだ、トマス。それこそが戦いの大義だ!!」

という感動的な会話が、、、構成上、ここにくる理由がよく判らない(涙)。>斎藤さん

何が言いたいかとゆーと、この会話より前に、ネルソンが「戦いの義」に疑念を抱く場面がないと、せっかくの良い場面が勿体無いってことです。
だって、この会話の直前になにをやっていたかというと、トム・アレンとの痴話喧嘩(←違うから)ですよ。ハミルトン夫人との浮気を責められ(←って書くと、トムが正妻みたいだな)、ヒステリーを起こして別れ話になったネルソンとトム(←そもそも付き合ってないってば!)。

パレルモでの「世紀のキス」で暗転して、次の場面でジョサイアに「父上は(愛する女性と一緒だから)この家には帰ってこないでしょう」と言われ、
トム・アレンに「ハミルトン夫人と会えなくなってから、キャプテンは変わった」と言われてしまうホレイシオ。
彼に「戦いの義とは?」と問われても、普通は困るよねえ…とか思ってしまいました。いや、ハーディーは困らなかったようですが(汗)。



この前のナポリ出動は、それこそ「義」のためだけの出陣で、国の命令さえ無視して、尊敬する友人たちへの個人の誠意を示すための戦いでした。
この「義」のための戦いが認められなかったことから来る不満なのであれば、そういう場面を間にはさむべきだと思うんですよね。それがあれば、「せっかく義のために出陣したのに、それは認められないのか……俺は今まで何のために戦ってきたのだ」とかいう独白もできるし、この会話にすんなり続くじゃないですか。

パレルモで「お咎めは避けられないであろう」とハーディーに言わせるくらいなら、実際に咎められる場面を作っちゃえばいいのに。ネルソンとヘンリー王子の関係から考えて、制裁として与えられる命令が「謹慎」であるのはありそうな話だし、ただでさえ嫌いな書類仕事に没頭させられ、しかもそれが自分の信じた「義」を貫いた結果となれば、ネルソンの機嫌が悪いのも当たり前。
なのに、それを「ハミルトン夫人と会えなくなって、キャプテンは変わった」だなんて見当違いなことを言い出す幼いトム・アレンに腹が立つ。「俺が悩んでいるのはそんなことじゃない。もっと高尚なことだ!」
でも、実際には、それも一面の真実だったりするから、咄嗟に振り上げたこぶしの持っていきどころがないままに、トム・アレンを行かせてしまう……そんな感じかなあ。

もしそういう事情であるならば、ジョサイアがネルソンが謹慎をくらったことを知らなくても不思議はない。現ナポリ王を救って貸しを作ったことは事実だから、表向きはお咎めなしになった。でも、実際には海軍省に留め置かれた……そんな感じ。そう考えれば、細かい謎が全部解決する。
でも、今の脚本はそういう組み立てになっていないので、、、なんだかすごく、この感動的な会話に素直に入れない(涙)のが、とても残念です。



そんな会話がひと段落ついたところで、ノックの音が。
アルバート(鳳翔大)が、エドマンド(風莉じん)・ファニー(花影アリス)と侍女(綾音らいら)を案内してくる。
早速始まった『冷めきった夫婦の会話』にオロオロする大くんの肩をさりげなく叩いて、「何をしている、行くぞ」とフォローするともちんがとても格好良かったです♪


音楽に乗せたさりげない会話。
最近多い手法ですが、いろんなトークを聞いていると、拍にあわせて会話をしつつ歌いつつ、という作品の方が、全編歌でつづられる作品よりも「感情を乗せる」という意味では難しいみたいですね。慣れの問題もあるのかもしれませんが、歌と台詞で発声の違う役者も(特に宝塚には)多いので、それを揃えるだけでも一苦労ですよね。しかしアリスは巧いなあ(*^ ^*)。あの嫌味な笑顔が素晴らしい。
この場面とは関係ないんですけど、みっちゃん(北翔海莉)の今回の苦戦はそのせいかな、と思ったり。もともと声が高いのを男役用に矯正したときに、歌用の発声と台詞用の発声が違う響きになってしまっていたので、歌と台詞がなめらかにつながらないんですよね。その点では、新公の(鳳樹)いちくんは巧かったなあ……。



■第9場C ロンドン ~愛の迷宮~
そのまま暗転、盆が回ってプラザのレストランへ。
下手側でコートを脱ぐファニー、コートを受け取って袖へ下がるミリー。
上手から登場するハミルトン、さりげなくテーブルへ案内しながら、笑顔で問いかける。
「そちらは?」
「はじめまして、ネルソンの妻です」
「これはまた、楽しい晩餐になりそうですな!」

ウィリアムさんの、嫌味な笑い声が素敵です。

エマと母親が登場。ネルソンの顔を見つめて、凍りつくエマ。
「ホレイシオ……」
美しい笑顔で立ち上がるファニー。
「ネルソンが大変お世話になっているようで…」
「はじめまして、レディ・ネルソン」
「ファニーって呼んで?」
ファニーの笑顔には隙がない。完全武装の、メタルな輝き。
そして、その輝きをまぶしそうに見つめる仔ウサギの、柔らかな毛並み。怯えたわけではなく、ただ、何が起きたのか理解できていない風情で。
さりげなく空気を読まない美風さんが大好きだ♪

『何故あなたがここに?』
『私はウィリアムに呼び出されただけだ…』

エマとネルソンの、心の会話。
今明かされる真実。「私たちは似ている」って、「二人とも同じ能力(テレパシー)を持った特殊な血族」って意味だったんですかっ!?

←納得すんな!!



作り笑いを浮かべるファニーは、凄艶なまでに美しい。
「パレルモはいかがでしたか?」
これだけの情を持って憎しみを描き出せる女優になったアリスが、宝塚を去った後、どんな活躍をしてくれるのか、とても楽しみです(真剣)。


そしてエマは、この『現実』を生きていない。
彼女にとって、今この場には、ホレイシオと自分しかいない。心のすべてをホレイシオに向けて、脊髄のほんの一部だけで、反射的にファニーの問いかけに答えている。
「革命騒ぎが嘘のような穏やかな日々でした」
うっとりと、夢見るように。

「カジノでカード遊びに興じたり、楽しい年の瀬を過ごされたり?」
妻からの実に的確な攻撃に、耐えかねて逃げ出すネルソン。
後も見ずに、彼を追うエマ。
パレルモの時と同様、咄嗟に追いかけることの出来ないウィリアム、そして、唇を噛んでテーブルを睨みすえるファニー。
テーブルに残された二人のなんとも言い難い表情が、「愛」を説明することの難しさを語っているかのようです。



銀橋でお互いの愛を確かめ合う二人。
英雄ネルソンのスキャンダルを恐れ、離婚を拒否するエマ。(←不倫ならいいのか?)興奮したあげく、貧血で倒れてしまう。妊娠初期の不安定な時期にあんな緊張を強いられたら倒れもしますわね。
銀橋の真中で倒れて、そのままネルソンの肩を借りて苦しげに銀橋を戻るところが、暗転後なのにちゃんと演技していたのが面白かったです。



■第10場 コペンハーゲン
1801年4月2日。当時の海戦がそういうものなのか、ネルソンが特別なのかわかりませんが、どの戦いも一日で終わっているんですね(^ ^)。

この戦いは確かに、あまり義のある戦いとは言い難い経緯で戦争に至っていますが、それなりに対ナポレオン的には必要な戦いではあったんですよね。シビリアンたちの外交的失敗の後始末ではありましたが。
ネルソンにとっては「義のない戦い」に分類されてしまいましたが……。それで利き腕を喪ったんだから、やりきれなかっただろうなあ。


危ないところをネルソンに助けられたジョサイアが、ネルソンの手を拒否するところが結構好きです。あのとき拒否した右手は、二度と差し出されることはないので。
あれで、救われた瞬間に「偉大な英雄」を憧れの眼で見る芝居がもう少し明解に挟まると、もっと良かったかも。(新公の七生くんがそんな感じで凄くよかったので)

そういえば。ネルソンの「愛する者」の中にはジョサイアは入っているんですけれども、ファニーは入っているのでしょうか…?



腕を斬られたネルソンがセリ下がると同時に、上手花道でナポレオン・リュシアン(春風弥里)・タレーラン(風羽玲亜)の会話が始まる。
いやー、ここの会話、大好きだ(はぁと)。腹の探り合いが素晴らしい!!っていうか、さっつん素敵すぎます。いやあ、今後が本当に楽しみ★




■第11場A ロンドン
コペンハーゲンの戦いの前に他国とはほぼ休戦していたフランスは、最後まで残っていた敵国イギリスと和平交渉をし、1802年に条約を結ぶ。その後、後顧の憂いなく内政の充実につとめたナポレオンは、1804年に皇帝として即位する……。

……という歴史の流れはさておいて。
あくまでもフランスとの戦いを主張する海軍側と、国力の疲弊や他国の情勢から、和平を是とする政府側の対立。
これはつまり、戦えば勝利することが分かっている海軍側と、個別の戦いの勝利では、もはや世界情勢が動かせないことがわかっている政府側の対立、という図式。



先日、私はネルソンと「銀河英雄伝説」のミラクル・ヤンことヤン・ウェンリーの類似ということを書きましたが。
好戦的な英雄ネルソンと、厭戦的な英雄ヤン・ウェンリー。二人の考え方の根幹は全く逆なんですよね。まさに、戦えば勝利することが判っているネルソンと、戦って勝利しても、それは局地的な勝利でしかないことが判っているヤンと。

いや、本当のネルソンはそのあたりも判っていたのかもしれませんが、斎藤さんの描くネルソン像を冷静に読むと、そんな感じです。ただ、それに祐飛さんがちゃんと深みをつけて、単純な好戦派の軍人ではない、というのを見せていたのが凄いなあ、と。だからヤン・ウェンリーとの連想も沸いたのかも。
斎藤さんも、ああいう脚本を渡して、そのギャップを埋めるのは役者本人に任せていたのかもしれませんね。さすがだなあ。

……そこが、新公との一番大きな違いだったかもしれません。りくくんのネルソンも、若々しく情熱的な英雄で、とても魅力的ではありましたが(^ ^)、ヤンには見えなかったので(←別に、そう見える必要はないんだけど)




コメント