宙組東宝新人公演「Trafalgar」。


印象に残った人を、思いついた順に書いていきたいと思います。


鳳樹いち(ウィリアム/北翔海莉)
素敵でした(はぁと)。渋くてお髭で素敵なオジサマ。しかも、黒い!!
本役のみっちゃんよりも黒めの役づくりで、渋くて貫録があって、なんだかすごく「大使殿」だったような気がします(*^ ^*)。お髭は、ルノーのときの方が素敵だったなあ。今回はちょっと横広につけていたので、表情によっては「渋い」方向じゃなくて「淫猥な」方向にみえてしまって……いや、役がら的にはそれもアリなんですけどね。私のタイプじゃないというだけで(^ ^;ゞ。

一番印象的だったのは、パレルモでエマを叩いた後、その手をじっと見凝めて呆然としていたところかな。ネルソンに何か言われてカッとなって言い返して、、、でも動揺のあまり、エマが走り去ってもすぐには動けない。それでネルソンに先に行かれてしまって、その背中を見送りつつ、もう一度右手に目を落とす。……その手には、まだエマの頬の感触が残っている、そんなふうに。
本公演は、この場面、「どうしてウィリアムは動かないんだっ!!」とつい思ってしまう(←ここでウィリアムが追いかけてしまったら、話が始まりませんがな)のですが、新公のウィリアムは、この瞬間に自分がエマを愛しているということ、エマに向かう自分の感情が「愛」であるということに気がついたんだな、というのがすごく明解で、とっさに動けないほど動揺しているのが手に取るように判りました。素敵だった!

そして、この次にウィリアムが登場するのは、ロンドンに戻って、「オックスフォードのプラザで」食事の約束をする場面。
ここでのウィリアムは、、なんだかすごく可愛かったんですよね。冷たい、というよりも、心ここにあらずなエマに、一生懸命話しかけているのに、木で鼻をくくったような返事ばかりで、それでもくじけずに話しかける。不器用な人なんだな、とは思うけど、もう遅すぎる。今更そんなことを言われても、エマも素直になれるはずがない。というか、素直になる理由がない。「この人どうしちゃったのかしら?」くらいは思っているかもしれないけど、それ以上にはなりようがない。
それでも、ウィリアムは諦められない。「私たちは色々ありすぎた」……いいえ、色々ありすぎたわけではないわ。最初が悪かっただけ。「ホレイシオのことにも、神経質になりすぎていた」……それはむしろ、あなたの想像どおりだけれども?そんな、空回った会話がとても切なくて、必死なウィリアムが可哀想にさえ見えました。

この会食の本来の目的は、なんだったのかな、と思っていたのですが……みっちゃんの時には、まだ「面白がっている」感が強いのですが、新公のいちくんは、自分とエマが夫婦であることをネルソンに見せつけようとして設定したような気がしました。そこにちょうどファニーまで入ってくる。「これは面白い!」「こんなに楽しい夜なのに!」と。
……まさか二人の気持ちがそこまで進んでいるとは、ウィリアムは思っていなかったのかな……?と思いました。 
どうなんでしょうね、この場面は。本公演では、ネルソンとエマに恥をかかせてやろう、みたいな気持ちを強く感じるのですが、考えてみたら、ファニーが乱入していなかったらあの場面、ネルソンとエマは久しぶりの再会でラッキー、みたいな場面ですよね(^ ^)。

ウィリアムが、自分の気持ちと現状(エマは違う男に恋をしている)の溝に気付いてから、賭けを持ち出す心境に至るまでの葛藤を現す場面がないのがとても残念です。
いちくんがその時間をどんなにか有効に使って表現してくれたかと思うと、すごく観てみたかった。まあ、時間的に入らないので無理なんですが。
賭けを言い出して、そこから「忘れられない人」のコーラスに入るまでのドラマがちゃんと見えてくるのが、いちくんのお芝居の深いところだと思いました。



藤咲えり(ファニー/花影アリス)
幕あきは「波」の一人として最後まで踊ってくれて、次はロンドン市民。いやー、黄色いひらひらしたドレスのジゼラも滅茶苦茶可愛いけど、ロンドン市民も可愛いです(はぁと)小旗を振っているのを観ているだけで幸せ。
パリの議員さんたちに小柄な娘役さんがいっぱい混ざっていたので、もしや!?と思ったのですが……さすがにいませんでしたね。アルバイトはロンドン市民までで、次の出番はノーフォークのファニー。
ジョサイアからの手紙を読む姿には、特別苛々した感じとかは無いのが印象的でした。ただただ、寂しそうな背中。
そっか、ファニーは寂しいんだ……と、今更ながら当たり前のことに気付いてしまった(T T)。

ネルソンは不実な夫だったかもしれないけれども、ファニーも良き妻ではなかった、というのがこの物語の根幹にあるんですよね。
で、本役のアリスちゃんは、「子供っぽくて意地っ張りな、心は少女のままのわがまま娘」をファニーのキャラクターにしたんだと思います。どこまでアリスちゃん本人が意図したのかはわかりませんが、私はそんな印象を受けました。
それに対して、えりちゃんのファニーは大人で、寂しがり屋で、そして、物凄くリアルに「女」でした。
観ていてすごく思ったのは、えりちゃんは、最初の夫の設定をどういう風に考えていたのかな、ということでした。アリスちゃんのファニーは、あまりそういう「過去」の影を感じないのですが、えりちゃんのファニーは「過去」を強く感じたんですよね。具体的には、最初の夫は軍人ではないという設定だったのかな、と。植民地で出会ったはずなので、農民か何か、あまり旅に出て帰ってこないとか、そういうことのない、安定した人生を歩んでいた人なんじゃないか、と。
そんな彼女が、ふとハンサムな海軍軍人と恋をして結婚する。イギリスへ旅をし、ノーフォークのネルソン家で義父の世話をしながら過ごして。
……夫と過ごす時間のあまりの少なさに、愕然としたんじゃないでしょうか。

寂しい。
あの人は帰ってこない。
知らない土地に一人取り残されて、あたしはいったいどうしたら良いの?

……寂しい。

ネルソンは結婚したからといって生活を変えるわけにはいきません。彼は軍人ですから。
海に出て、女っけのない閉鎖空間で何カ月も過ごし、命のやり取りをして、、、、家に帰ったら、可愛い妻がただただ温かく迎えて、黙って傍にいてくれるだけで十分幸せなんだろうに、ファニーは、残念ながらそういう女性ではなかった。寂しいのに、それを表に出すわけにはいかないから、必死で理性を保って出迎えて……その緊張感で、かえって疲れてしまう、、、そんな二人だったんじゃないかな、と思いました。
アリスちゃんと祐飛さんは、もっと大幅にすれ違っている気がするんですけど、えりちゃんとりくくんは、お互いほんの一言が足りない、ほんの一歩ずれている、、、そんな気がしました。
それでも、その一言が、一歩が、埋められない溝なんですけどね(T T)。



プラザでの会食の場面で、視線を交わして心の中で会話をするネルソンとエマ。
それを隣の席から凝っと見ながら、ワイングラスを呷るファニー。
一息に飲み干して、そのまま歪んだ笑顔をうかべて、二人の視線での会話を断つように
「パレルモはいかがでしたか?」
と問いかけるファニー。

その歪んだ笑顔が切なくて、リアルでみにくくて、そして何よりキレイで。



今回の新公、私の泣きポイントは3つありまして。
一つ目は「忘れられない人」のラストのファニー。
二つ目が「ホレイシア」のキャドガン夫人、
そして三つ目が、トラファルガー海戦後のロンドンのハミルトン邸、エマを訪ねてくるファニー・エドマンド・ジョサイア、でした。


まー、その中でも、CSのトークでえりちゃんとトニカちゃんが語っていた「忘れられない人」のラストのファニーとネルソンは号泣寸前なポイントで(T T)。
「苦しめてきた、な」
と、苦しそうに告げるホレイシオ、そのホレイシオの手を握りしめ、凝っと眼を視ながら
「ジョサイアを救けてくれて、ありがとう」
万感の感謝をこめて礼を言うファニー。その真摯な瞳に気圧されたかのように、軽く手を引きながらも真剣な貌で
「こんな私でも、彼の父親だ」
……そう、ホレイシオはジョサイアを守った。ジョサイアの父親である自分を、自らの右腕で贖った。
ならば、私は?ファニーは、ホレイシオから眼を逸らして、自分自身に問いかける。

「私は、レディ・ネルソンになれていたのかしら………」

その切ない呟きが。酷く哀しくて。
彼女がレディ・ネルソンとして、ネルソンに安寧や幸いを与えられなかったことと、ネルソンが他の女性を愛したことには、直接の因果関係は無いのに。
それでも、ファニーは、そんな自分を責めて、ネルソンを肯定しようとする。
「私は、レディ・ネルソンに、」
……なりたかったのかしら?と。



この物語を考えるたびに、アーサー・ランサムの「ツバメ号」シリーズに出てくる、ウォーカー兄妹のお母さんを思い出します。海軍軍人の妻である彼女は、夫が帰ってくるときには彼の希みをすべて叶えるために生きていると言っても過言ではありません。子供たちもそのように躾けて、人間関係も大切にして、ひたすら彼の幸せと満足のために立ち回っています。
時代はだいぶ違いますが、ファニーにはこのウォーカー夫人のように生きることも出来ただろうに。

男と女のコトに「たられば」を言っても仕方がないのですが。
もし、ファニーがそうやって生きていたなら、ネルソンはエマと出会ってもあんなふうにはならなかった……の、かなあ?

……「俺にはわからねえ~~!」(byトム・アレン)



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