ショーヴランとアルマン
2010年7月3日 宝塚(月) コメント (2)東京宝塚劇場にて、月組公演「スカーレット・ピンパーネル」を観劇してまいりました。
えっと、何回目だ?みりおくんのショーヴランは三回目か。もうちょっと観たかったなー。
っていうか、最後にみりおくんのショーヴランで終わった今、とってもとってもまさおショーヴラン(+みりおアルマン)が観たい!!(切実)。もうDVDを買うしかないか、と考えはじめた今日この頃。
と、いうわけで。
役替りばっかりやっているという印象の、まさお(龍真咲)とみりお(明日海りお)。
実際に役替りが多いのはみりおくんで、まさおは今のところ、みりおとの役替り(博多座のジェラルド/ジャッキーと今回のショーヴラン/アルマン)だけ、ですよね?まあ、宝塚においては役替り自体が珍しいことなのですが、祐飛さんだって特出のオスカルのほかに、鎌足/石川麻呂をやっているし。
みりおは、「ホフマン物語」を別にしても、「ME AND MY GIRL」本公演と「エリザベート」があって……出演した海外ミュージカルですべて役替りしているという珍しい人。
そして、彼女の凄いところは、それらのすべてで確実に一定の基準を越えてきている、という事実。それは、彼女の卓越した安定感と勘の良さ、舞台センスの良さのおかげだと思うんですよね。決して美貌だけの人じゃない。とにかく相手の呼吸を読んで芝居を合わせる巧さは、天才的だと思うのです。
そんな彼女のショーヴランは、先日も書きましたが、とっても正統派、でした。
革命に「正義」を求めた真面目な青年、という役作りで、ヒーローのままショーヴランをやっていたんですよね。
しかも、みりおくんの一番の美点は、愛情深いところ。地に足のついた「愛する」芝居がちゃんとできるひとなんです。だから、アルマンがマリーやマルグリットを愛するのと同じレベルで、ショーヴランでも本気でマルグリットを愛していた。
ショーヴラン⇒マルグリットの愛を本気で表現するのって、難しいと思うんですよね。だって、マルグリットは絶対に返してくれないんだもん。
それでも、ひたすらに愛したみりおくんのショーヴランは、すごく「ヒーロー」だった。「君はどこに?」で思い出の愛に酔うショーヴランは、たぶん、マルグリットという一人の女をちゃんと愛していたんだと思う。
みりおのショーヴランが「正統派」なら、まさおのショーヴランは何だろう?
ここに名前をつけることがひどく難しくて、今まであまり正面からまさおのショーヴランについて書けずにいたのですが。
ただ。
その名付けの難しさが、イコールまさおショーヴランの個性だった、と思います。
一言でいえば、面白かった。
面白くて、そしてひどく興味深いショーヴラン、でした。
ただ。東京にきて、声がちゃんと出るようになって、すこーしだけ、その「面白さ」がトーンダウンしていたことは否めないんですけどね。
なんていうのかな。声が出なくてもがき苦しんでいるまさおが、行き詰った革命の中で、変節してしまったロベスピエールの許で、光を見失ってもがいているショーヴランと重なって見えたんです。前奏を聴くだけで体温のあがるワイルドホーンの名曲に触れていながら、その音楽を表現しきれない自分への怒りや不満。それでも、今できることがあるなら全部やり抜こう、という強い意志。
大劇場のまさおは、相手の呼吸を読むとか、相手に合わせるとか、そういうことを全部放棄した役作りだった、と思う。ただ、ショーヴランであること、それだけに集中して、閉じこもった役づくり。
そして、そんなまさおを、きりやんをはじめとする実力派の上級生たちと、下級生ながらしっかりもののまりもちゃんたちが、すごく守ってあげていた。
まさおの芝居のすべてを受け止めて、ちゃんと返してあげて。
「愛する」ことに不器用なまさおを、周りのメンバーが本当に愛して、守っていた。
それこそが今の、きりやん率いる月組なんだ、と思ったんです。
東京に来て、やっとまともな状態でのまさおの歌を聴いて、一番印象に残ったのは「栄光の日々」。泣きそうな貌で「俺は革命の夢を信じている」と歌われるたびに、胸キュンでした(^ ^;。
ちなみに、みりおのショーヴランで一番印象的だったのは、愛と切なさにあふれた「君はどこに」ですね。いや、全編好きなんですけど。
そして、ゆりやんのショーヴランの場合は、二幕の「鷹のように」でした。あの「強いものこそが正義のハズだ」ってところ。直前のロベスピエール様との会話があまりにも苦しいので、ここでついホロッと……。
まあ、新公のことは置いといて、本公演の話。
二人のショーヴランは、どちらも個性的で、とても面白かったです。少なくとも私は、どちらが良かった、というのは無かったですね。
どっちも好き。
ショーヴランクラスの役が替ると、必然的に回りも変わらざるを得なくて、結果的に違う芝居になるんですけど、、、でも、きりやんがナウオンで話していたとおり、パーシーとショーヴランって、あんまり深い意志の疎通はないんですね。ショーヴランからパーシーへは、嫉妬だの侮蔑だの、いろんな感情があるけど、パーシーからショーヴランに向かうモノは「排除すべき邪魔者」という感覚のみであって、ショーヴラン個人には全く興味がない。だから、ショーヴランが変わっても、パーシーの役作りは変わらない。
顔を合わせて会話する場面の芝居は変わるけど、それは物語全体に影響するような変化では、ない。
マルグリットは、ショーヴランとの関係が深い分大変だったと思うんですけど、まりもちゃんは大劇場の時からすごく安定していて、マリーのすずなと二人、突っ走りがちな役替わり組の二人をよくフォローしていたと思います。メインとなる娘役二人の包容力も、月組「スカーレット・ピンパーネル」の特徴だったと思う。
うん。そういうのもあって、力を出し切れたんだろうな、二人とも。
アルマンは……どちらも良かったし好きなんですけど、ごくごく個人的に、まさおのアルマンが印象に残ったなあ。いろんな意味で。
一つの役としてどちらがどう、というのは、それぞれ個性的で良かったよね、の一言なんですが、それぞれの役者個人で言ったばあい、龍真咲というキャラクターには、ショーヴランよりアルマンの方がずっと似合うな、とは思いました。
とにかくまさおは、タイプで分けるなら典型的な総受けタイプの役者なんだってば!!わがままで自己中心的で、唯我独尊なヘタレ受け。……ジャッキーがどれだけ嵌り役で魅力的だったことか!!(力説)
……みりおくんを分類するのはやめておきます。怖いから(^ ^;ゞ。
でも、みりおは間違いなく、ジャッキーよりジェラルドがニンだったなー。「愛する」ことが魅力の人だから。アルマンとショーヴランは、どっちも良かったけど。
なんだか、全然「ショーヴラン」という人物について語っていないなー。
みりおくんのショーヴランは、マルグリットを愛していて、忘れられなくて……たぶん、ちゃんとマルグリットの恋人だった時期があったんだろうな、と思いました。
だから、ブレイクニー邸の庭でショーヴランに腕を掴まれたマルグリットは、一瞬、フリーズする。
そして、パーシーに気付いた瞬間に、慌てふためくんですよね。ちょっと前から様子をうかがっていたパーシーが、平然と二人の方に歩いてくるのが、なんか怖かった。
まさおのショーヴランは、たぶん、女性への愛と革命思想への共感をごっちゃにしているだけで、マルグリットとのつきあいも、ただの「同志」に毛が生えた程度のものだったんじゃないか、と思う。
だから、同じ場面でショーヴランに腕を掴まれたマルグリットは、ごく邪険にその手を振り払う。ショーヴランが変わってしまったから嫌いになったのではなく、根本的に勘違いだったのよ、と。
そして、パーシーに気付いたとき、マルグリットは一瞬押し黙る。今までの会話を、どこまで聞いていたのか探るかのように。
パーシーが平然と二人の方に歩いてくるのは同じだけれども、マルグリットの態度は、みりおショーヴランの時より平静だった……ような気がしました。(もう一度観て確認したい……!!)
そして、新公のゆりやんショーヴラン。
ゆりやんのショーヴランは、「共に闘った日々」を取り戻したい気持ちが強すぎるんですよね。
マルグリット自身を愛しているというよりも、マルグリットと共に走った日々に帰りたいのだろうな、と。
そういうところが、まさおくんの解釈に近かった、と思いました。アルマンを打つ前の逡巡も、倒れたアルマンを急いで別室に下がらせようとするところも、まさおと共通の痛みがあって。
その「共に闘った日々」の中には、アルマンも居たんだろうな、と。だから、打ちたくなかったんだろう、と。
ただ、そういう痛みに対して、あまりにも耐性がないショーヴランだったのが、ひどく痛々しかった。
優しすぎて、こんなに優しくて革命に飛び込むなんて無理だよ(T T)というか。
サン・シール侯爵を処刑する場面でさえどこか辛そうな……全篇とおして、とにかく胸が痛むほど自虐的なショーヴラン。
受けタイプの役者がショーヴランみたいな役をすると、必然的にこういう構成になるのかもしれないな、と思いました。
まさおは、さすがにいろいろな経験もあり(^ ^)新公ほど心弱い感じはしなかったんですけど、逆に、弱みを見せるまいと突っ張っていたのが余計痛々しく、そして、色っぽく見えました。
その突っ張り感と、痛々しさと、、、そして、それを庇おうと勝手に動いては自爆していたメルシエ(美翔かずき)との関係性が、あの面白さを生んでいたような気がします。
うん、ショーヴランによるメルシエの変化は、今回すごくツボでした(^ ^)。みっしょん、好きだー!!
みりおくんは、あまりそういう自虐的な痛みを見せません。それが、彼女のヒーロータイプたる由縁、なのかも。
ヒーローは前向きなものですから。
後ろ向きな痛々しさを個性の中に持っていると、ヒーローにはなりにくい。どうしてもアンチヒーローになるんですよね。まさおは、今までその美貌と実力でど真ん中を歩いてきた人ですけど、役者としての本質はヒーローじゃないんじゃないかな、と。
ただ、本人がそれを自覚していないというか、違う方向を目指しているので、その矛盾が毎回「面白いこと」になっているんですけど(^ ^;ゞ。
色んな意味で、まさおはちょっと頭で考えすぎているんじゃないか、と思いました。理想の形がすでにあって、その枠に填ろうと苦心惨憺している感じ。無我夢中だったであろう大劇場の方が、芝居としては良かったのをみて、余計にそんな気がします。
一度立ち止まって、「今の自分」をじっくりと見てみてみるべきだと思うんだけどなあ……。
ちなみに。
初演の礼音くんのショーヴランは、(あまりよく覚えていないのですが)ヒーロータイプのショーヴランで、分類するならみりおくんと同じ方向性だった、と思います。
ただ、組んだパーシーが違う。月組のパーシーは根っからの熱血ヒーロータイプ(^ ^)なので、ショーヴランがヒーローでもアンチヒーローでも、どちらでも作品としては成立するんですけど、星組さんはパーシーがアンチヒーロータイプだったために、ショーヴランがヒーロータイプだと、宝塚的には若干難しかったんだな、と、今になって思います。
ただ、まあ、ヒーロータイプって往々にして色気が足りないことが多いので(←後ろ向きな痛々しさと色気には、通じるものがあると思う)、パーシーとショーヴランが両方ヒーロータイプになると、すごく元気な冒険活劇になるんですけどね(^ ^)。
でも、それはそれで宝塚らしくて楽しかったしなー(^ ^)。
「紅はこべ」という物語に、「やっちゃおやっちゃお!」的な冒険活劇を求めるか、大人の三角関係を求めるか……どっちもありなんだと思います。ワイルドホーンの名曲は、どちらにも対応しているんだから、その音楽を表現できる人がそろいさえすれば。
宝塚化された「スカーレット・ピンパーネル」。
またいずれ、どこかの組で再演される日がくるんだろうなーと思いますが。
……すっごく個人的に、だいもん(望海風斗)のショーヴランを観てみたいです(^ ^)(←言い逃げ)
.
えっと、何回目だ?みりおくんのショーヴランは三回目か。もうちょっと観たかったなー。
っていうか、最後にみりおくんのショーヴランで終わった今、とってもとってもまさおショーヴラン(+みりおアルマン)が観たい!!(切実)。もうDVDを買うしかないか、と考えはじめた今日この頃。
と、いうわけで。
役替りばっかりやっているという印象の、まさお(龍真咲)とみりお(明日海りお)。
実際に役替りが多いのはみりおくんで、まさおは今のところ、みりおとの役替り(博多座のジェラルド/ジャッキーと今回のショーヴラン/アルマン)だけ、ですよね?まあ、宝塚においては役替り自体が珍しいことなのですが、祐飛さんだって特出のオスカルのほかに、鎌足/石川麻呂をやっているし。
みりおは、「ホフマン物語」を別にしても、「ME AND MY GIRL」本公演と「エリザベート」があって……出演した海外ミュージカルですべて役替りしているという珍しい人。
そして、彼女の凄いところは、それらのすべてで確実に一定の基準を越えてきている、という事実。それは、彼女の卓越した安定感と勘の良さ、舞台センスの良さのおかげだと思うんですよね。決して美貌だけの人じゃない。とにかく相手の呼吸を読んで芝居を合わせる巧さは、天才的だと思うのです。
そんな彼女のショーヴランは、先日も書きましたが、とっても正統派、でした。
革命に「正義」を求めた真面目な青年、という役作りで、ヒーローのままショーヴランをやっていたんですよね。
しかも、みりおくんの一番の美点は、愛情深いところ。地に足のついた「愛する」芝居がちゃんとできるひとなんです。だから、アルマンがマリーやマルグリットを愛するのと同じレベルで、ショーヴランでも本気でマルグリットを愛していた。
ショーヴラン⇒マルグリットの愛を本気で表現するのって、難しいと思うんですよね。だって、マルグリットは絶対に返してくれないんだもん。
それでも、ひたすらに愛したみりおくんのショーヴランは、すごく「ヒーロー」だった。「君はどこに?」で思い出の愛に酔うショーヴランは、たぶん、マルグリットという一人の女をちゃんと愛していたんだと思う。
みりおのショーヴランが「正統派」なら、まさおのショーヴランは何だろう?
ここに名前をつけることがひどく難しくて、今まであまり正面からまさおのショーヴランについて書けずにいたのですが。
ただ。
その名付けの難しさが、イコールまさおショーヴランの個性だった、と思います。
一言でいえば、面白かった。
面白くて、そしてひどく興味深いショーヴラン、でした。
ただ。東京にきて、声がちゃんと出るようになって、すこーしだけ、その「面白さ」がトーンダウンしていたことは否めないんですけどね。
なんていうのかな。声が出なくてもがき苦しんでいるまさおが、行き詰った革命の中で、変節してしまったロベスピエールの許で、光を見失ってもがいているショーヴランと重なって見えたんです。前奏を聴くだけで体温のあがるワイルドホーンの名曲に触れていながら、その音楽を表現しきれない自分への怒りや不満。それでも、今できることがあるなら全部やり抜こう、という強い意志。
大劇場のまさおは、相手の呼吸を読むとか、相手に合わせるとか、そういうことを全部放棄した役作りだった、と思う。ただ、ショーヴランであること、それだけに集中して、閉じこもった役づくり。
そして、そんなまさおを、きりやんをはじめとする実力派の上級生たちと、下級生ながらしっかりもののまりもちゃんたちが、すごく守ってあげていた。
まさおの芝居のすべてを受け止めて、ちゃんと返してあげて。
「愛する」ことに不器用なまさおを、周りのメンバーが本当に愛して、守っていた。
それこそが今の、きりやん率いる月組なんだ、と思ったんです。
東京に来て、やっとまともな状態でのまさおの歌を聴いて、一番印象に残ったのは「栄光の日々」。泣きそうな貌で「俺は革命の夢を信じている」と歌われるたびに、胸キュンでした(^ ^;。
ちなみに、みりおのショーヴランで一番印象的だったのは、愛と切なさにあふれた「君はどこに」ですね。いや、全編好きなんですけど。
そして、ゆりやんのショーヴランの場合は、二幕の「鷹のように」でした。あの「強いものこそが正義のハズだ」ってところ。直前のロベスピエール様との会話があまりにも苦しいので、ここでついホロッと……。
まあ、新公のことは置いといて、本公演の話。
二人のショーヴランは、どちらも個性的で、とても面白かったです。少なくとも私は、どちらが良かった、というのは無かったですね。
どっちも好き。
ショーヴランクラスの役が替ると、必然的に回りも変わらざるを得なくて、結果的に違う芝居になるんですけど、、、でも、きりやんがナウオンで話していたとおり、パーシーとショーヴランって、あんまり深い意志の疎通はないんですね。ショーヴランからパーシーへは、嫉妬だの侮蔑だの、いろんな感情があるけど、パーシーからショーヴランに向かうモノは「排除すべき邪魔者」という感覚のみであって、ショーヴラン個人には全く興味がない。だから、ショーヴランが変わっても、パーシーの役作りは変わらない。
顔を合わせて会話する場面の芝居は変わるけど、それは物語全体に影響するような変化では、ない。
マルグリットは、ショーヴランとの関係が深い分大変だったと思うんですけど、まりもちゃんは大劇場の時からすごく安定していて、マリーのすずなと二人、突っ走りがちな役替わり組の二人をよくフォローしていたと思います。メインとなる娘役二人の包容力も、月組「スカーレット・ピンパーネル」の特徴だったと思う。
うん。そういうのもあって、力を出し切れたんだろうな、二人とも。
アルマンは……どちらも良かったし好きなんですけど、ごくごく個人的に、まさおのアルマンが印象に残ったなあ。いろんな意味で。
一つの役としてどちらがどう、というのは、それぞれ個性的で良かったよね、の一言なんですが、それぞれの役者個人で言ったばあい、龍真咲というキャラクターには、ショーヴランよりアルマンの方がずっと似合うな、とは思いました。
とにかくまさおは、タイプで分けるなら典型的な総受けタイプの役者なんだってば!!わがままで自己中心的で、唯我独尊なヘタレ受け。……ジャッキーがどれだけ嵌り役で魅力的だったことか!!(力説)
……みりおくんを分類するのはやめておきます。怖いから(^ ^;ゞ。
でも、みりおは間違いなく、ジャッキーよりジェラルドがニンだったなー。「愛する」ことが魅力の人だから。アルマンとショーヴランは、どっちも良かったけど。
なんだか、全然「ショーヴラン」という人物について語っていないなー。
みりおくんのショーヴランは、マルグリットを愛していて、忘れられなくて……たぶん、ちゃんとマルグリットの恋人だった時期があったんだろうな、と思いました。
だから、ブレイクニー邸の庭でショーヴランに腕を掴まれたマルグリットは、一瞬、フリーズする。
そして、パーシーに気付いた瞬間に、慌てふためくんですよね。ちょっと前から様子をうかがっていたパーシーが、平然と二人の方に歩いてくるのが、なんか怖かった。
まさおのショーヴランは、たぶん、女性への愛と革命思想への共感をごっちゃにしているだけで、マルグリットとのつきあいも、ただの「同志」に毛が生えた程度のものだったんじゃないか、と思う。
だから、同じ場面でショーヴランに腕を掴まれたマルグリットは、ごく邪険にその手を振り払う。ショーヴランが変わってしまったから嫌いになったのではなく、根本的に勘違いだったのよ、と。
そして、パーシーに気付いたとき、マルグリットは一瞬押し黙る。今までの会話を、どこまで聞いていたのか探るかのように。
パーシーが平然と二人の方に歩いてくるのは同じだけれども、マルグリットの態度は、みりおショーヴランの時より平静だった……ような気がしました。(もう一度観て確認したい……!!)
そして、新公のゆりやんショーヴラン。
ゆりやんのショーヴランは、「共に闘った日々」を取り戻したい気持ちが強すぎるんですよね。
マルグリット自身を愛しているというよりも、マルグリットと共に走った日々に帰りたいのだろうな、と。
そういうところが、まさおくんの解釈に近かった、と思いました。アルマンを打つ前の逡巡も、倒れたアルマンを急いで別室に下がらせようとするところも、まさおと共通の痛みがあって。
その「共に闘った日々」の中には、アルマンも居たんだろうな、と。だから、打ちたくなかったんだろう、と。
ただ、そういう痛みに対して、あまりにも耐性がないショーヴランだったのが、ひどく痛々しかった。
優しすぎて、こんなに優しくて革命に飛び込むなんて無理だよ(T T)というか。
サン・シール侯爵を処刑する場面でさえどこか辛そうな……全篇とおして、とにかく胸が痛むほど自虐的なショーヴラン。
受けタイプの役者がショーヴランみたいな役をすると、必然的にこういう構成になるのかもしれないな、と思いました。
まさおは、さすがにいろいろな経験もあり(^ ^)新公ほど心弱い感じはしなかったんですけど、逆に、弱みを見せるまいと突っ張っていたのが余計痛々しく、そして、色っぽく見えました。
その突っ張り感と、痛々しさと、、、そして、それを庇おうと勝手に動いては自爆していたメルシエ(美翔かずき)との関係性が、あの面白さを生んでいたような気がします。
うん、ショーヴランによるメルシエの変化は、今回すごくツボでした(^ ^)。みっしょん、好きだー!!
みりおくんは、あまりそういう自虐的な痛みを見せません。それが、彼女のヒーロータイプたる由縁、なのかも。
ヒーローは前向きなものですから。
後ろ向きな痛々しさを個性の中に持っていると、ヒーローにはなりにくい。どうしてもアンチヒーローになるんですよね。まさおは、今までその美貌と実力でど真ん中を歩いてきた人ですけど、役者としての本質はヒーローじゃないんじゃないかな、と。
ただ、本人がそれを自覚していないというか、違う方向を目指しているので、その矛盾が毎回「面白いこと」になっているんですけど(^ ^;ゞ。
色んな意味で、まさおはちょっと頭で考えすぎているんじゃないか、と思いました。理想の形がすでにあって、その枠に填ろうと苦心惨憺している感じ。無我夢中だったであろう大劇場の方が、芝居としては良かったのをみて、余計にそんな気がします。
一度立ち止まって、「今の自分」をじっくりと見てみてみるべきだと思うんだけどなあ……。
ちなみに。
初演の礼音くんのショーヴランは、(あまりよく覚えていないのですが)ヒーロータイプのショーヴランで、分類するならみりおくんと同じ方向性だった、と思います。
ただ、組んだパーシーが違う。月組のパーシーは根っからの熱血ヒーロータイプ(^ ^)なので、ショーヴランがヒーローでもアンチヒーローでも、どちらでも作品としては成立するんですけど、星組さんはパーシーがアンチヒーロータイプだったために、ショーヴランがヒーロータイプだと、宝塚的には若干難しかったんだな、と、今になって思います。
ただ、まあ、ヒーロータイプって往々にして色気が足りないことが多いので(←後ろ向きな痛々しさと色気には、通じるものがあると思う)、パーシーとショーヴランが両方ヒーロータイプになると、すごく元気な冒険活劇になるんですけどね(^ ^)。
でも、それはそれで宝塚らしくて楽しかったしなー(^ ^)。
「紅はこべ」という物語に、「やっちゃおやっちゃお!」的な冒険活劇を求めるか、大人の三角関係を求めるか……どっちもありなんだと思います。ワイルドホーンの名曲は、どちらにも対応しているんだから、その音楽を表現できる人がそろいさえすれば。
宝塚化された「スカーレット・ピンパーネル」。
またいずれ、どこかの組で再演される日がくるんだろうなーと思いますが。
……すっごく個人的に、だいもん(望海風斗)のショーヴランを観てみたいです(^ ^)(←言い逃げ)
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コメント
みりおショー、若い!コレばかりは仕方ない…みりおちゃん貴公子の時にも感じたのですが、虫も殺さぬ顔なのに、黒い役をすると、嵌る!
まさおショー、ネチネチと未練タラタラな…なんかなぁ〜でもとってもセクシーなショーでした。
アルマン…みりおアルマン、賢そうな青年、マリーちゃんに秘密を話して仕舞いそうには見えませんでした。
まさおアルマン…。まぁ〜こんなん出ました〜て感じ?
クルクルの縦ロールの鬘…ショーも縦ロールだったわ! 今回縦ロールにこだわったとか…お茶会出た方のブログに…。
キミはマリーちゃんのペットかい、色男金と力は無かりけり
まさおってあんなにへたれが嵌るのね
すーさんがマリーだったからありのアルマンだと思いました。
そう言えばまさおショーがミクロンの場面でメルシェにウインクしてきたとか…見た後でしたから確認出来ませんでしたわ。
今回も娘と二人楽しんで来ました!
娘は最後のデュエットダンスを見てウルウルしたと…
今からジプシー何とかチケット取るよう言われてます。
あたしはいつでも見よう思えば見れるのですが、今年は東宝の休演日と部活の休みが重なって、お手上げですわ!
>みりおショー、若い!
た、確かに(凹)
で、でも、幼くはなかったので安心しました。ちゃんと格好良かったです!
>虫も殺さぬ顔なのに、黒い役をすると、嵌る!
そうなんですよね~~。
黒い役に、キラキラしたまま嵌ることができる、という矛盾が、みりおくんの最大の魅力だと思っています(^ ^)。
>まさおショー、ネチネチと未練タラタラな…なんかなぁ〜でもとってもセクシーなショーでした。
そ、そうか!!あれは、「セクシー」と言えばいいのか(驚)。
……すみません、「面白い」という言葉しか出てこなかった(汗)。
>今回縦ロールにこだわったとか…お茶会出た方のブログに…。
まさお………(爆)
そ、そ、そういうぶっとんだところもふくめてかわいい、t(棒読み)
>キミはマリーちゃんのペットかい、色男金と力は無かりけり
あまりにも的確な表現に縷々書いていた自分が情けなくなりました……ありがとうございます。
>すーさんがマリーだったからありのアルマンだと思いました。
そうですね。それは本当にそう思います。
みりおくんのアルマンは、マリーが誰であっても成立したと思うのですが、まさおのアルマンは、万が一すずなに何かあって代役に誰か(新公の花陽みらちゃんとか)が入るような事態が起こっていたら、根本から作りなおさなくてはならなかったと思いました。
……そんなことにならなくて、本当に良かった……。
>そう言えばまさおショーがミクロンの場面でメルシェにウインクしてきたとか…見た後でしたから確認出来ませんでしたわ。
そ、そんなことが(@ @)。全く気がつかなかった……(T T)。
>今からジプシー何とかチケット取るよう言われてます。
がんばってくださいねー♪ 一日くらい部活を休んでも大丈夫ですよ、たぶん(^ ^)。