若人たちの紅はこべ【6】
2010年5月21日 宝塚(月) コメント (2)宙組大劇場公演初日、おめでとうございます♪
まずは、明日のCSニュースが楽しみです(^ ^)。
そして、今日のびっくりニュース。
雪組新人公演主演コンビは、連続主演となる彩風咲奈さんと、なんと(@ @)配属されたばかりの研1から、夢華あみさん!
……私が宝塚を熱心に観るようになってから、研1でヒロインって初めてのような気がするんですが……すげーーーー。どれだけ逸材なんだいったい。
ちょうど昨日書いた「死の都・パリ」のところで、一瞬のソロフレーズを歌っていた夢華さん。確かに、力強くて艶のある、良い声だった……たしかに、歌はみなこちゃんより巧いかもしれないな(T T)いやでも、低音部ならみなこちゃんも悪くないし、そもそも、正塚作品なのでヒロインに歌があるかどうかわからない(T T)
ヒロインというのは芝居の要なので、頑張ってほしいな、と思うばかりです。
がおりちゃんがキムちゃんの役。まあ、順当ですかね。ファンなので、正塚作品で主演してほしかったのはやまやまですが(; ;)、咲奈ちゃんには良い経験になるでしょう。
っていうか、最後の新公となったあずりんが何をやるのか、早く知りたい。お願いだから役を書いてあげてください>正塚さん。
それでは。
宙組が始まる前に、と思っていた月組新人公演。あと少しですので、もう少しだけお付き合いくださいませ。
第8場 コメディ・フランセーズ
■イザベル(白雪さち花/沢希理寿)
若手の歌姫としてすっかり定着しているさち花ちゃん。さすがの貫録で、蓮っ葉な声、蓮っ葉な歌、っていうものがあるんだなーと感心しました。スターを喪い、安酒場のステージか何かのように荒れてしまった劇場。そこに帰ってきた、美しく華やかなヒロイン、という対比の見事さを、初めて感じました。
星組新公ではねねちゃんがやったんですよね。どうだったんでしょうね。っていうか、まりもちゃんのイザベル、ちょっとだけ観てみたかった(^ ^)。まさか新公出ないとはー(涙)。
今更ながら、冒頭の、マルグリットが歌うコメディ・フランセーズがカットされているので、「物語のように」を、りおんの声で聴けなかったのが残念です。
■座長(天翔りいら/鼓英夏)
本役も新公もどちらも美形なのに、せっかくの美形を白鬘で隠しているのが勿体無い(^ ^)。
さりげなく小芝居を挟むのは、本役の教育の賜物なのか、天翔くんもそういうキャラなのか……どちらにしても将来が楽しみです。
■ドゥ・トゥルネー伯爵(篁祐希/一色瑠加)
マリーのアトリエでアルマンに縋りつく場面がカットされているので、伯爵としての出番は冒頭のプロローグからここまで飛ぶんですよね。
この場面では単に連れてこられているだけなのであまりコメントすることもないのですが、ミクロンの桟橋でルイ・シャルルを庇う姿の優しさには、篁くんらしいおおらかさがあって、とてもよかったです♪
第9場 楽屋
ここでツボだったのは、スカーレット・ピンパーネルの正体に気がついた瞬間のゆりやんショーヴラン。……「なぜ今まで気がつかなかったんだ!?」って、愕然として言うのがすごくツボでした。なんか、星組の礼音くんも、本公演で観たまさおも、この場面では『ものすごい衝撃』を受けて慟哭(?)するので、観ていて真顔で「……いや、ホントなんで判んなかったの?」って思ってしまったのですが。
ゆりやんは、あまりにも悄然としているので、なんか「気がつかなかったものは仕方ないよ」と言ってあげたくなったんです。(←単なるファンかもしれません)
パーシーの正体は知っていても、グラパンの正体には全く気がつかないマルグリットがめちゃめちゃ可愛い(はぁと)。ええ。本気でグラパンに突っかかっていくところとか、可愛いなあもう。
本当に革命の闘士だったんだなあ、マルグリットは。…今は、こんなにカンペキに「オンナ」なのに(涙)。
そして、パーシーのソロ「目の前の君」。
……休憩なしで二時間、ぶっ通しで歌い上げ系の歌ばかり歌ってきたパーシーとショーヴラン。
最初から掠れていたショーヴランと違い、前半はつややかに美声を響かせていたパーシーの喉も、このあたりでかなり限界が来ていたような気がします。
なんとかしようと探りながら歌って、なんとか最後までつないだな、という感じ。こういう時のコントロールを覚えれば、歌に関しては怖いものは無いんだろうなあ。末怖ろしい。
あとは、調子が悪くなるとテンポも走りがちになるのと、低音部の音程が若干不安定になるところくらいかな。ゆったりした曲だから苦しいのはわかるんですが、落ち着いてね。ワイルドホーンは、旋律をきちんと歌えればそれで感情が出るし、伴奏も盛り上げてくれるから、小細工しなくても大丈夫☆
それにしても、本当に珠城くんのパーシーは可愛い。
明るくてまっすで優しくて、魅力的。
包容力は学年を重ねるうちに出てくるだろうし、今はとにかく、この難しい役をまっとうして、しかも魅力的に見せられるんだから十分だ、と思います。
……でも、次の新公では、また二番手あたりを経験して抽斗を増やしてもいいかもね(^ ^)。
第10場 栄光の日々
この歌、もともと好きなんですが……、
掠れて辛そうなゆりやんショーヴランの、
「♪あの夏 俺たちは連帯していた」
という絞り出すような声に、ちょっとほろっときました。
「♪握り合った手の熱さ 忘れない/栄光の日々はどこへ行った?/幻を見ていたのか」
と呟きながら、それでも
「♪俺は革命の夢を信じている」
と言い切るしかないショーヴランの痛々しさが、身を切られるように切なく響きました。
そして。
間奏に続けて歌いだすパーシーの
「♪人は誰もが 自由を求めて立ち上がる権利を持つ」
という明るくて真っ直ぐな声に、光と影、上から見下ろす者と下から見上げる者、決して混ざり合うことのない両者の遠さを、あらためて思いました。
マルグリットとパーシーがお互いの真実に気づくのにこんなに時間がかかったのも、やっぱりその「生まれの違い」「視点の違い」というのがあったと思うんですよね。
二人はこれからも、なにかとすれ違っては真実を思い出し、すれ違っては反省して暮らしていくんだろうな、と思うのです。
だからこそ、
「♪栄光の日々をもう一度/自分の手でつかむのだ」
という言葉が力強く響く。
与えられた「自由・平等・博愛」という旗印ではなく、自分が真実に求めるものは何なのか。
そうでなくては
「♪本当の自由 手に入れる/今度こそ」
ということには、ならないのですから。
ちょうど同じ時期に、東宝で上演されている花組公演「虞美人」。
そちらの主人公・項羽と、「スカーレット・ピンパーネル」のパーシーの共通点、みたいなものは、先日ちょっと書かせていただきました。
その中で書こうと思っていたのに、うまく入れられなかったのが「民衆」の姿だったのですが。
今回、木村さんの「虞美人」の民衆の姿は、「暁のローマ」でアントニウスの演説に翻弄される民衆と同じものに見えました。
なにものかに煽られて、簡単に向きを変えてしまう、たおやかなコスモスの花のような存在。
そして、「マダム・ギロチン」⇒「死の都・パリ」と流れる「スカーレット・ピンパーネル」の民衆たちもまた、同じような存在に見えます。
「上層部」が誰であっても同じ。ただ、自分たちの生活の不満を叩きつける対象であるというだけ。
でも。
彼らは、最後の「栄光の日々」で『自分の脚で立ち上がる』ことに気がつくんですよね。
「虞美人」の民衆たちが、最後まで床に座り込んだまま、立って戦う(政める)人々を見上げて、批判するだけで終わるのとは違って。
「栄光の日々を 新たに作り出さねばならない」
……この訳詞のベタさ加減はどうなの?と聴くたびに思うんですけどね!(^ ^)
でも、「自分たちの手で作り出そう」「自分たちががんばらなければ、理想に近付くことはできない」ということに民衆たちが気づくこと、それこそが近世の終わり、近代の始まりなのではないか、と……
私は、昔から木村さんの描く「民衆」の単純さ、というか、刺激(例・アントニウスの演説)に対する一人一人の反応が、あまりにも画一的すぎて気持ち悪くなるのですが(←故に「民衆」や「民意」の出てこない「オグリ!」や「君を愛してる」は許せる)。
「スカーレット・ピンパーネル」の「民衆」は、一人ひとり、違うタイミングで少しずつ考えを変えていくのが「栄光の日々」という一曲の中で表現されていて、そういうところが流石はアンサンブルのワイルドホーン、と、思います(真顔)。
最後は新人公演の感想、という議題からは大きく外れてしまいましたが、
ラストの「デイ・ドリーム号」甲板でのパーシーとマルグリットのデュエットが本当に素晴らしいから、もう、他のことは何がどうでも構いません!!!
……という気分になりました。
いやー、いい新人公演タだったんですよ(^ ^)
新公出演者も、スタッフのみなさまも、稽古を見てあげた上級生たちも、お疲れさまでした!
東宝で、お待ちしています♪
.
まずは、明日のCSニュースが楽しみです(^ ^)。
そして、今日のびっくりニュース。
雪組新人公演主演コンビは、連続主演となる彩風咲奈さんと、なんと(@ @)配属されたばかりの研1から、夢華あみさん!
……私が宝塚を熱心に観るようになってから、研1でヒロインって初めてのような気がするんですが……すげーーーー。どれだけ逸材なんだいったい。
ちょうど昨日書いた「死の都・パリ」のところで、一瞬のソロフレーズを歌っていた夢華さん。確かに、力強くて艶のある、良い声だった……たしかに、歌はみなこちゃんより巧いかもしれないな(T T)いやでも、低音部ならみなこちゃんも悪くないし、そもそも、正塚作品なのでヒロインに歌があるかどうかわからない(T T)
ヒロインというのは芝居の要なので、頑張ってほしいな、と思うばかりです。
がおりちゃんがキムちゃんの役。まあ、順当ですかね。ファンなので、正塚作品で主演してほしかったのはやまやまですが(; ;)、咲奈ちゃんには良い経験になるでしょう。
っていうか、最後の新公となったあずりんが何をやるのか、早く知りたい。お願いだから役を書いてあげてください>正塚さん。
それでは。
宙組が始まる前に、と思っていた月組新人公演。あと少しですので、もう少しだけお付き合いくださいませ。
第8場 コメディ・フランセーズ
■イザベル(白雪さち花/沢希理寿)
若手の歌姫としてすっかり定着しているさち花ちゃん。さすがの貫録で、蓮っ葉な声、蓮っ葉な歌、っていうものがあるんだなーと感心しました。スターを喪い、安酒場のステージか何かのように荒れてしまった劇場。そこに帰ってきた、美しく華やかなヒロイン、という対比の見事さを、初めて感じました。
星組新公ではねねちゃんがやったんですよね。どうだったんでしょうね。っていうか、まりもちゃんのイザベル、ちょっとだけ観てみたかった(^ ^)。まさか新公出ないとはー(涙)。
今更ながら、冒頭の、マルグリットが歌うコメディ・フランセーズがカットされているので、「物語のように」を、りおんの声で聴けなかったのが残念です。
■座長(天翔りいら/鼓英夏)
本役も新公もどちらも美形なのに、せっかくの美形を白鬘で隠しているのが勿体無い(^ ^)。
さりげなく小芝居を挟むのは、本役の教育の賜物なのか、天翔くんもそういうキャラなのか……どちらにしても将来が楽しみです。
■ドゥ・トゥルネー伯爵(篁祐希/一色瑠加)
マリーのアトリエでアルマンに縋りつく場面がカットされているので、伯爵としての出番は冒頭のプロローグからここまで飛ぶんですよね。
この場面では単に連れてこられているだけなのであまりコメントすることもないのですが、ミクロンの桟橋でルイ・シャルルを庇う姿の優しさには、篁くんらしいおおらかさがあって、とてもよかったです♪
第9場 楽屋
ここでツボだったのは、スカーレット・ピンパーネルの正体に気がついた瞬間のゆりやんショーヴラン。……「なぜ今まで気がつかなかったんだ!?」って、愕然として言うのがすごくツボでした。なんか、星組の礼音くんも、本公演で観たまさおも、この場面では『ものすごい衝撃』を受けて慟哭(?)するので、観ていて真顔で「……いや、ホントなんで判んなかったの?」って思ってしまったのですが。
ゆりやんは、あまりにも悄然としているので、なんか「気がつかなかったものは仕方ないよ」と言ってあげたくなったんです。(←単なるファンかもしれません)
パーシーの正体は知っていても、グラパンの正体には全く気がつかないマルグリットがめちゃめちゃ可愛い(はぁと)。ええ。本気でグラパンに突っかかっていくところとか、可愛いなあもう。
本当に革命の闘士だったんだなあ、マルグリットは。…今は、こんなにカンペキに「オンナ」なのに(涙)。
そして、パーシーのソロ「目の前の君」。
……休憩なしで二時間、ぶっ通しで歌い上げ系の歌ばかり歌ってきたパーシーとショーヴラン。
最初から掠れていたショーヴランと違い、前半はつややかに美声を響かせていたパーシーの喉も、このあたりでかなり限界が来ていたような気がします。
なんとかしようと探りながら歌って、なんとか最後までつないだな、という感じ。こういう時のコントロールを覚えれば、歌に関しては怖いものは無いんだろうなあ。末怖ろしい。
あとは、調子が悪くなるとテンポも走りがちになるのと、低音部の音程が若干不安定になるところくらいかな。ゆったりした曲だから苦しいのはわかるんですが、落ち着いてね。ワイルドホーンは、旋律をきちんと歌えればそれで感情が出るし、伴奏も盛り上げてくれるから、小細工しなくても大丈夫☆
それにしても、本当に珠城くんのパーシーは可愛い。
明るくてまっすで優しくて、魅力的。
包容力は学年を重ねるうちに出てくるだろうし、今はとにかく、この難しい役をまっとうして、しかも魅力的に見せられるんだから十分だ、と思います。
……でも、次の新公では、また二番手あたりを経験して抽斗を増やしてもいいかもね(^ ^)。
第10場 栄光の日々
この歌、もともと好きなんですが……、
掠れて辛そうなゆりやんショーヴランの、
「♪あの夏 俺たちは連帯していた」
という絞り出すような声に、ちょっとほろっときました。
「♪握り合った手の熱さ 忘れない/栄光の日々はどこへ行った?/幻を見ていたのか」
と呟きながら、それでも
「♪俺は革命の夢を信じている」
と言い切るしかないショーヴランの痛々しさが、身を切られるように切なく響きました。
そして。
間奏に続けて歌いだすパーシーの
「♪人は誰もが 自由を求めて立ち上がる権利を持つ」
という明るくて真っ直ぐな声に、光と影、上から見下ろす者と下から見上げる者、決して混ざり合うことのない両者の遠さを、あらためて思いました。
マルグリットとパーシーがお互いの真実に気づくのにこんなに時間がかかったのも、やっぱりその「生まれの違い」「視点の違い」というのがあったと思うんですよね。
二人はこれからも、なにかとすれ違っては真実を思い出し、すれ違っては反省して暮らしていくんだろうな、と思うのです。
だからこそ、
「♪栄光の日々をもう一度/自分の手でつかむのだ」
という言葉が力強く響く。
与えられた「自由・平等・博愛」という旗印ではなく、自分が真実に求めるものは何なのか。
そうでなくては
「♪本当の自由 手に入れる/今度こそ」
ということには、ならないのですから。
ちょうど同じ時期に、東宝で上演されている花組公演「虞美人」。
そちらの主人公・項羽と、「スカーレット・ピンパーネル」のパーシーの共通点、みたいなものは、先日ちょっと書かせていただきました。
その中で書こうと思っていたのに、うまく入れられなかったのが「民衆」の姿だったのですが。
今回、木村さんの「虞美人」の民衆の姿は、「暁のローマ」でアントニウスの演説に翻弄される民衆と同じものに見えました。
なにものかに煽られて、簡単に向きを変えてしまう、たおやかなコスモスの花のような存在。
そして、「マダム・ギロチン」⇒「死の都・パリ」と流れる「スカーレット・ピンパーネル」の民衆たちもまた、同じような存在に見えます。
「上層部」が誰であっても同じ。ただ、自分たちの生活の不満を叩きつける対象であるというだけ。
でも。
彼らは、最後の「栄光の日々」で『自分の脚で立ち上がる』ことに気がつくんですよね。
「虞美人」の民衆たちが、最後まで床に座り込んだまま、立って戦う(政める)人々を見上げて、批判するだけで終わるのとは違って。
「栄光の日々を 新たに作り出さねばならない」
……この訳詞のベタさ加減はどうなの?と聴くたびに思うんですけどね!(^ ^)
でも、「自分たちの手で作り出そう」「自分たちががんばらなければ、理想に近付くことはできない」ということに民衆たちが気づくこと、それこそが近世の終わり、近代の始まりなのではないか、と……
私は、昔から木村さんの描く「民衆」の単純さ、というか、刺激(例・アントニウスの演説)に対する一人一人の反応が、あまりにも画一的すぎて気持ち悪くなるのですが(←故に「民衆」や「民意」の出てこない「オグリ!」や「君を愛してる」は許せる)。
「スカーレット・ピンパーネル」の「民衆」は、一人ひとり、違うタイミングで少しずつ考えを変えていくのが「栄光の日々」という一曲の中で表現されていて、そういうところが流石はアンサンブルのワイルドホーン、と、思います(真顔)。
最後は新人公演の感想、という議題からは大きく外れてしまいましたが、
ラストの「デイ・ドリーム号」甲板でのパーシーとマルグリットのデュエットが本当に素晴らしいから、もう、他のことは何がどうでも構いません!!!
……という気分になりました。
いやー、いい新人公演タだったんですよ(^ ^)
新公出演者も、スタッフのみなさまも、稽古を見てあげた上級生たちも、お疲れさまでした!
東宝で、お待ちしています♪
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コメント
沢樹くるみ 6.21-ハウ・トゥー・サクシード(新公7.16*第1幕=舞風/第2幕=沢樹)
紺野まひる 8.9-虹のナターシャ(新公8.27)
以上~です!
コメントありがとうございます!!
そうか、くるみちゃん・まひるちゃんの82期コンビが最後だったんですね……
私が見始めたのは「エルドラード」からだから、そりゃあ初耳ですわ。研1ヒロイン。
すごいなあ。本当に大抜擢だわ(@ @)