宝塚大劇場月組公演「スカーレット・ピンパーネル」。


本公演と新人公演を観て、しみじみと思ったことは。

……私は、本当にワイルドホーンの音楽が好きなんだなあ…ということでした。




もちろん「ひとかけらの勇気」も大好きなんですけど、もともとあった曲も、どれも素敵なんですよね(*^ ^*)。
星組版の観劇前(オリジナルのCDをひたすら聴いていた)は、とにかく「マダム・ギロチン」と「舞い降りる鷹」が大好きで。今にして思えば、ただのショーヴランファンだったんだな、私(^ ^;ゞ。舞台は観たことがなかったので、誰のナンバーなのかは気にしていなかったのですが。「君はどこに」も「謎解きのゲーム」も、たまらなく好きなんです。大好き!!
このあたりの曲の、いかにもワイルドホーンらしい、不安をそそる不協和音を交えたコード進行が作品の魅力なんですー!(力説)。


ただ。一番好きな曲は、最初から「マダム・ギロチン」で変わらないのですが、月組はやっぱりコーラスが弱いのかなあ(T T)。群衆芝居の作りこみは凄いんですけど、コーラスは……(涙)。
「マダム・ギロチン」はコーラスが主役なので、ちょっとさびしいです。むしろ、新公のほうが、人数が少ないせいか(?)コーラスは揃っていたような(涙)。




実際に舞台(星組版)を観て、好きだなあと思ったのは「あなたこそ我が家」と「愛の絆」でしょうか。トウコさんとあすかちゃんのデュエットは、ハモリの音色が凄くキレイで好きだったんですよね(*^ ^*)。


そして、今回月組版を観て、いまさらながら良い曲だなあ~!、と感動したのは、「炎の中へ」と「目の前の君」。
なんでだろう。……トウコさんのパーシーもとっても好きだったんですけど、なんというか、霧矢さんの明るさ、元気の良さ、、、、そう、『イキの良さ』みたいなものに滅茶苦茶惹かれています。
すっごく“やんちゃ”なんですよね、きりやんのパーシーって。彼が無実の貴族たちを助ける行動の理由の、本音の一番奥底には、屁理屈をこねる革命政府をぎゃふんと言わせてやりたい という悪戯心があるに違いない!と思ってしまうんです。
義憤にかられてとか、無実なのにひどいとか、そういうのは後付けの理屈だったんじゃないか、と。
あるいは、元々は「正義のために」やっていたけど、次第に「敵を出し抜く」こと自体が面白くなって目的化してしまった、ということかもしれませんが(^ ^)。
とにかく、そういう気持ちが若干なりともありそうな感じ。


そういう「愉快」な『爽快感』、「おー、そんなことやっちゃうのか!!」みたいな爽快な気分を、私は、星組版ではあまり感じなかったんですよね。
作品自体に対して、もっとシリアスな恋愛劇、どろどろした三角関係がメイン、みたいな印象をもっていたんですよね。CDしか知らなかったので、ドラマティックなナンバーのイメージが強かったのかもしれませんが。
メイン三人のキャラクターが、聡明だけど嫌味で尊大な貴族の男と、驕慢な女優、そして愚かな若造、という構造に見えて。
あすかちゃんのマルグリットは、愛する人の前でも「女優」の仮面を脱げない自分に苦しみ、トウコさんのパーシーは、愛する人の前でも「貴族」の仮面を脱げない自分に苦しむ。そして、礼音くんのショーヴランは、『ただの女』であるマルグリットが欲しくて、パーシーに対抗意識を持つ……なんというか、『冒険活劇』なところよりも『ドロドロした恋愛劇』の面の方が強調されていた。

でも、そういう解釈で鑑賞するには、ショーヴランの設定があまりにも間抜けすぎると思うんですよ(涙)。だって、全然パーシーに対抗できていないのみならず、マルグリットとショーヴランの間に過去も未来も恋愛が成立するとは思えないんだもん!



月組版の面白いところは、きりやんのやんちゃな明るさと、そして、まりもちゃんの幼さ、だったと思います。
まりもちゃんのマルグリットを観て、思わず膝を叩きました。そうか、こういう解釈がありなのか、と。
あすかちゃんのマルグリットは『女優』だったけど、まりもちゃんのマルグリットは、『純真無垢な少女』、だったんです。気の強い、でも素直すぎてだまされやすい、幼い少女。
「君はどこに」でショーヴランが探す『少女』そのものの、マルグリット。

あれだけ素直な少女なら、勘違いしてショーヴランを好きだと思った一瞬があったのかもしれない。
でも、それが勘違いであったことは、パーシーと出会ったときにわかったんでしょうね。ショーヴランに感じていたのは、ただの連帯感、あるいは、ただのまぼろしだったのだ、と。



だから。
本気で、木々の間に少女の影を探し求めるショーヴランが、ひどく哀れに見えました。
それは幻なのに。
最初から、どこにもいなかった。彼の記憶の中以外には。

ショーヴランはショーヴランなりに真剣なんだけど、傍から見ていると滑稽な感じってあるじゃないですか。
目の前にいるマルグリット本人ではなく、もうそこにはいない過去の幻を追いつづける男。まさおくんのショーヴランは、そういう印象でした。

ああ、なんとしてもみりおくんのショーヴランが観たいなあ……。




で。
面白いのは、新人公演。

珠城くんは、本公演のきりやん以上に「元気」で「やんちゃ」で、そして「若い」パーシーでした。
マルグリットに裏切られたと思っているときの寂しそうな背中とか、本当に可愛くて母性本能をかーなーりー刺激されましたよー(^ ^;ゞ
それに対する(彩星)りおんのマルグリットは、誰よりも大人っぽく落ち着いた、美しい貴婦人でした。『女優』というより、やっぱり『貴婦人』って感じ。

そして、紫門ゆりやくんのショーヴランは、ものすごく優しくて、哀しいほどクソ真面目で、、、優しすぎて壊れてしまった人、でした(T T)。


今回、私が観たショーヴランは、まさおもゆりやんも、それぞれ違う理由で歌に非常に苦しんでいて、なかなか芝居の解釈がどうこういえるような状態ではなかったのですが。
少し時間をおいて反芻してみると、二人とも、ものすごく面白い芝居をしていたような気がします。
現実とは少し違う時間軸に生きている男。
優しいんですよね、ゆりやんのショーヴランは。サン・シール侯爵の死に顔を伏せ、アルマンを鞭で打つことも出来ず、マルグリットとの約束も破れない。
クソ真面目で、ロベスピエールに心酔していて。(グラパンに対する微妙な対抗心がすごく可愛い♪)

また、ショーヴランが心酔するに足るだけの魅力が、宇月くんのロベスピエールにあるのが良いなあ、と思いました。
本公演のロベスピエール(越乃)はあまりにも胡散臭くて(^ ^)、ショーヴランは“恋は盲目”(違う)になっているとしか思えん!!とゆー感じでしたが、新人公演のロベスピエール(宇月颯)は、あちこちに綻びが見えてきた「革命」という楼閣を必死でに支えようとしている愚直さも感じられて、ショーヴランもそれなりに納得して仕えていたんだろうな、と思ったんですよね。
ただ、血に酔った『今の』ロベスピエールは、いつか自分をも処刑しようとするかもしれない、という恐怖もあるんだろうな、とも思いましたが。
変わってしまった「ボス」に対するショーヴランの寂しさ、「昔はこんな人じゃなかったのに…」という切なさを、すごく感じた新人公演でした。



ショーヴランは、今はもう革命の夢を信じてはいない。
今の「革命政府」が、自分が夢見た「革命」とは程遠いものであることも分かっている。

でも、彼はまだ夢を捨てられない。それはたぶん、「連帯」の夢なんですよね。
「全員が連帯した、革命の夜」。
それはたぶん、彼にとっては「青春」だったのだろう、と、すっかり削げてしまったまさおの頬をみながら、そして、まだまだ幼さを残したゆりやんの頬を見ながら、思ったのでした……。




ああ、東宝が楽しみだなあ♪♪
とにかくショーヴランが好きな私。みりおくんがどんな解釈でショーヴランを演じるのか、めちゃくちゃ楽しみです。
まさおくんも、ゆりやんも、喉をお大事に!!東宝は期待しています♪



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