ローマの休日

2010年5月1日 演劇
銀河劇場にて、「ローマの休日」を観劇してまいりました。


不朽の名画「ローマの休日」の幻のオリジナルという発想で、マキノノゾミ氏が脚本・演出(脚本は鈴木哲也氏と)を務めたストレートプレイ。


以前帝国劇場で観たミュージカル版があまりぴんと来なかったので、「やっぱりローマは映画だな」と思っていたし、今回もそんなに行く気満々だったわけではないのですが、たまたまチケットが手に入ったので、せっかくだから…という程度の気持ちで行ってきました。


で。

とっても良かったです(^ ^)。




役者は三人。
ジョー・ブラッドレイに吉田栄作。
アーニャ(アン王女)に朝海ひかる。
アーヴィングに小倉久寛。

あとは、アン王女ご病気のニュースをひたすら喋るラジオのナレーターとして、あるいは、ラストの記者会見での記者として、川下大洋さんが声のみ出演。そして、サンタンジェロの船上パーティでアーヴィングと踊る女、アン王女と踊る男として人形が二体登場するだけ。
実にシンプルな舞台でした。



なんといっても、発想がいい!

「あの有名な『ローマの休日』には、実はオフ・オフ・ブロードウェイの舞台というオリジナルがあった!」というマキノさんの妄想(?)から立ちあがった、という今回の作品。
いやー、本当にオフオフでやっていそうな雰囲気があったのが、すごく良かったです。


セットと言えるのはジョーのアパートのみ。一幕は完全にワンシチュエーションで、アーニャの“最初の冒険”は丸ごとカット。
いっそのこと、2幕も完全なワンシチュエーションで構成すれば良かったのに、と思ったほど、ジョーのアパートでの緊迫感のある芝居が良かったです。



特ダネにあっさり撒かれて落ち込むジョー、そこにひょっこりと帰ってくる少女。最初の冒険にワクワクして、上気した頬が美しいアーニャと、背中を丸めて少し上目づかいに少女を見る中年男。

コムさんの“少女”っぽい透明感と硬さ、そしてコケティッシュな可愛らしさが同居する魅力が、三人では広すぎる舞台全体に漲るようでした。

そして、なんといっても、アーニャに真っ向から対峙する吉田栄作さんの、ダンディな魅力。言葉を飲み込んで煙草に火を点す仕草の格好良いことといったら!!(*^ ^*)ああ、「カサブランカ」を外部舞台で上演するなら、この人のリックを観てみたいな、と、そんなことさえ思いました。

そんな二人を賑やかに見守る小倉さんの独特の存在感と明るさも、役にぴったりでとても良かったです。三人のキャスティングは、三人ともはまり役で凄い!の一言。緊密な芝居に必要な役者を集めたステージでした。



<この後は、ネタばれがあります。映画も舞台も両方ネタばれして構わないという方だけお読みください>




原作の映画は大好きで、何度か観ているのですが、……意外と覚えていないものなんだなあ、と。「あ、これ映画とそっくり同じだ!」というのはわかるんですけど、「あれ?こんな場面あったっけ?」と思ったときに、映画と違うのか、同じだけど私が忘れているのか、全然わからない(汗)。


冒頭、タクシーから降りてアパートに向かうジョーが、タクシーの運ちゃんとやりあう(この女の子をどうするんだ?/俺には関係のない娘なんだ。千リラやるからどうにかしてやってくれ/そんなこと言われても困るよ/云々)会話を聞きながら、この会話は映画のとおりのような気がするけど、何かが違う……としばらく考えていました。
終わってから思い出したんですけど、映画には、この前に大使館で女官と話をするアン王女の場面がありましたよね?医者に睡眠薬を与えられて、そのまま外に出て、あくびしながら歩いている場面。

そして、一晩をジョーのアパートで過ごしたアン王女が、「帰る」と言ってアパートを出て行ったあとの“最初の冒険”、市場をふらふらして、床屋に入って、という場面が丸ごと全部カットされて、一通り冒険をした王女が、昼過ぎに「お礼を言うために」ジョーのアパートにまた戻ってくる……という展開になっていたのですが。

ああ、ドラマとしては、これで十分なんだ、と思ったんですよね。

あらためて、この話、『幻のオリジナル』として、ジョーのアパートでのワンシチュエーションものを考えたのは正解だったのかも、と思いました。だって、大使館の場面がなくても、「最初の冒険」が、その冒険を語る王女のキラキラした瞳と上気した頬だけの表現になっても、何の違和感もなく話が進んでたんだもん。

以前観たミュージカル版では、たしか床屋役を太川陽介さんがやっていて、髪を切る場面とか、そういう細かい冒険がいちいち凄いミュージカルナンバーだったような気がするんですが……芝居としては、後からの説明ひとつで終わるエピソードだったんだな、と。


そして。
この場面を観ながら思ったのは、この舞台の主役は、王女じゃなくてジョー・ブラッドレイなんだな、ってことでした。


映画は、今思い出してみても完全にアン王女が主役。
当時は無名な新人女優だったはずのオードリー・ヘップバーンを、よくこんな役に配したなとあらためて思うのですが、終始アン王女の冒険がメインテーマであり、市場を歩く王女、髪を切る王女、すべての視点は彼女に集中していて、彼女の魅力で作品世界が成立していたのですが。

でも。
マキノノゾミ演出の舞台版「ローマの休日」の主役は、レッドパージでハリウッドを追われた脚本家ジョー・ブラッドレイ。
信念に殉じて夢を懸けた仕事を喪い、心に染まない三流ゴシップ記者の仕事で心を荒らしていた中年男。

ハリウッドを追われたのは、自分自身に対する忠節を曲げなかったから(←査問会に呼び出され、仲間内のコミュニストの名前を言うように強制されたのを拒否したために議会侮辱罪を適用された)。
だから、戻りたいと願うことさえできずにいる。
ましてや、共にローマへ流れてきた仲間の前では。


でも、心の片隅では、果たされなかった夢の欠片が泣いている。
声もあげずに、ひっそりと。




そんな男の世界に、突然飛び込んできたティンカー・ベル。
「ローマ」という街をお伽話の街にしてしまう、ファンタジーの住人。
明るくて軽やかな、ネバーランドへの案内人。


でも、そんな彼女には義務があった。
ネバーランドにはネバーランド流の、果たされなければならない義務が。



だから彼は、「学校へ戻らなくては」と言うティンカーベルに、教えてあげる。
「人は、義務と同時に、権利も持っているもんだ」
人生にたった一日だけの休暇をとる権利が、と。

たぶん。この瞬間(一幕ラスト)だけは、彼は特ダネのことも、編集長が約束してくれた5千ドルのことも、忘れていたのでしょう。

俺も休暇を取るから、と、
そう口にした、この一瞬だけ、は。



この場面での、つかみどころのないコムさんの芝居がとてもよかったです。
ジョーと会話をしているときの一挙手一投足に気持ちがあふれていて、哀しいほどにきれいでした。
ジョーが「先に行ってる」とアパートを出た後、一人残されて電話に手を伸ばすまでの逡巡、声を張って「我が国の大使館を」と言いながら、「……いいえ、いいです」と電話を切るまでの、ピンと張りつめた細い背中。
くるりと振り向いて、ドアに向かって、もう一度振り返って、ドアをあけて、立ち止まって、歩きだして……一つ一つの仕草に込められた迷いと希望、あふれんばかりの喜びと、それを抑えようとする気高い意思のせめぎあいが、ひどく切なくて。


一日だけ、と口にしたジョーの『本当の願い』が、このときの彼女にはちゃんと分かっていたのかもしれない、と思いました。
願いをかなえる妖精として、彼女は“彼のために”一日の休暇を取ることに決めたのかもしれない、と、そんなふうに。




一幕をアパートで過ごしたジョーとアンは、2幕はローマの街をあちこち歩きます。
カフェ、べスパ(スクーター)、祈りの壁、真実の口。
このあたりの展開は、ほぼ映画のとおり。だったと思います。たぶん。
ひたすら楽しくて、誰もがローマ観光に行きたくなる名場面の数々。いやー、かなり本気でローマに行きたくなりました(^ ^)。

ただひとつ、祈りの壁での会話は映画とはだいぶ違っていて、アーニャはここでアーヴィングにジョーの過去を聞くんですよね。
「俺はそのリスト(コミュニストの名簿)に入っていた。でも、奴は俺の名前を言わなかった……」
淡々とした口調に、優しさがにじむのがすごくいい。それを聞いているアーニャの、切なげな風情も凄く良かったです。その場にいない(←ジェラートを買いにいっている)ジョーについて語る二人が、なんだかひどく切なくて。


夜をすごす、サンタンジェロの船上パーティー。
明るい音楽に乗って踊るアーヴィング(と人形)。
ゆったりとした音楽にあわせて踊るジョーとアーニャ。
床屋の人形を持ってでてくる小倉さん。
……いやー、ここ、文章では説明できないんですが。めっちゃ笑わせていただきました(^ ^)。



近衛隊(だっけ?)に見つかって、テヴェレ河に飛び込んで逃げる二人。
アパートに戻って着替えるアーニャ。

「夢がかなったわ。…雨は降らなかったけど、濡れて歩くことができた」
茶目っ気を見せるアーニャを、無言で見守るジョー。

言葉すくなに別れのあいさつをする二人が、とても切ない。
このあたりは映画のとおりだった……と思うのですが。



……すみません。別れ際にジョーの手帳を見てしまったアン王女が、彼の正体(と目的)に気づいて、彼を責める場面って、映画にもありましたっけ……?

アン王女は、記者会見の場でジョーに会って初めて彼の正体を知ったのだと思っていたんですけど、私。それって、本当に映画を観たのかっ!?と言われても仕方ないような重大な問題だと思うんですが……ううう、自信ない(^ ^;ゞ




まあ、とにかく。
この場面が良かったんです、凄く(T T)。

王女の威厳を取り戻し、「独占インタビューを受けましょう」を言う王女。
決まりきった質問をするジョー。
「今回のご旅行で、印象に残ったご訪問地は?」
「どの街もそれぞれに美しく、どれか一つをあげるのは困難ですわ……」
有名な台詞を、そこで切って終わらせる。
硬く凍った、美しい人形のような無表情。硬質な声。

別れを告げてドアへ向かって歩きだす王女の背に、新聞記者の最後の質問が投げかけられる。

「祈りの壁で、何を祈られたのですか」

小さく震える背中。

「大きな願い事と、小さな願い事を」

「具体的には、どのような」

「大きな願い事は、世界の平和と国民の幸せ。小さな願い事は、……あまりに個人的なことですので」

「そこをなんとか。わが社だけに」

唇をキュッとかみしめて、王女が身体ごと振り返る。

「私の大切なお友達が、もう一度映画の世界にお戻りになれるように、と」



……いやはや。

泣かされました。コムさんと、吉田さんに。
いや違う、マキノさんに。




ラストの記者会見は、ほぼ映画のとおり。
白い衣装に身を包んだアン王女殿下は、輝くばかりに美しく、コケティッシュな笑顔で記者たちの質問に答えていました。

役者がいないので、ジョー以外の記者はただの光。声は川下さんと小倉さんがやっていらしたと思います。
最後にアン王女が一人一人と握手をするところも、コムさんのパントマイムでした。


この、握手の場面が。
世界に俺(ジョー)と彼女(アーニャ)しかいない的な演出効果があって、実に秀逸だったと思います。
下手の端で王女を待つジョーの背中が、彼女が近付くにつれてだんだん緊張感を増していくのが、すごく面白かった。
これは、役者を三人と割り切ったことの勝利だな、と思いましたね。


記者会見を終え、退出した王女殿下を見送った後。
そのままそこに残ってぼーっと待っているジョーの芝居が、また良かったです(T T)。
夢の王女が、もう一度そこからあらわれるのではないか、と、そんな虚しい夢をみながら、そんなことが二度と現実に起こることはないことを知っていて、
……それでも、そんな夢をもう一度見ることのんできた自分を心底喜んでいる、そんな芝居。

必ず、彼はもう一度映画の世界に戻るだろう、
そこでたぶん、夢の国の王女の物語を語るのだろう、と、そんな予感を残して。

そうして彼は微笑みを浮かべて退場し、物語の幕が下りる。


“夢の世界”のおしまいを告げるエンドロール。
セットはジョーのアパートだけにして、ローマの街を映像だけで描いた世界観にふさわしく、古臭いフォントで「The END」と描かれたエンドロールが印象的。




「幻のオリジナル」という設定にぴったりの舞台だったと思います。
残念ながら、あの時代にこんなに映像を駆使した舞台が作れたはずはないのですが(^ ^)、この舞台からインスパイアされて、あの映画が作られる、という設定がすごく自然。
素晴らしい!と思いました。


男役としてのコムさんにはあまり興味がなかった猫ですが、女優としてファム・ファタルを演じることができるコムさんは、素敵だなあと毎回思います、うん(*^ ^*)。
中性的な魅力、硬質で涼しげなたたずまい。なにもかも、立っているだけでアン王女でした。
可愛かった♪

そして。
吉田栄作のダンディな魅力に嵌りました(滝汗)。さすが、「抱かれたい男No.1」(←いつの話ですか)だけあります。
舞台を拝見したのは初めてなんですが、ぜひぜひこれからもいろんな舞台に出てほしいです!次はミュージカルなんてどうでしょう(真顔)。

いやー、吉田さんの格好良さを見るだけでも、チケット代の半分は元が取れますよ♪などと売り込んでみたりして♪


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