「カサブランカ」【14】
2010年2月2日 宝塚(宙) コメント (3)東京宝塚劇場宙組公演「カサブランカ」。
■第14場 リックの店(深夜) ~1941年12月3日 早朝(?)~
店の奥で乾杯したリックとイルザ。
そこに、店の表からバタバタと駆け込んでくる音がする。
イルザを二階に隠れさせて、様子を見に出るリック。
店の表には、侵入者が二人。……カール(寿つかさ)とラズロ(蘭寿とむ)。
ボスがまだ起きていることに気づいて驚くカールを二階に上がらせ、「2階のゴミを棄ててきてくれ」というリック。カールとイルザを片付けて、ラズロと対決するために。
しかーし。カールがサラッと「何人か捕まっちまって…」と言ってますけど、店のスタッフは皆無事なんでしょうか………?(心配)
カールを見送って、ふとかえりみるリック。
ラズロは、手の傷に巻いた包帯を直している(←その包帯はいったいどこから?)
「……あんた、本当に不死身だな……」
感心したように呟くリック。
「ナチスが滅びるまで、死ぬわけにはいかない」
案外と、軽い口調で返すラズロ。
「降りてしまいたくならないか?」
「いいえ、まったく」
という会話が、実はものすごく好きだったりします。
特に、この後の
「でも、ひとつ降りてもいいゲームがある。……イルザのことです」
というラズロの台詞のさりげなさが、すごく好き。
こんな公共の場に書いていい話題なのかどうかわからない……というか、書き方が非常に難しい話題なのですが。
実は。
私、大劇場で初めて観たときから、ラズロとイルザの間には、俗に言う“夫婦生活”がないんじゃないか、と思っております。と、小さな字で書いてみる(汗)。
すごく、宗教的なものを感じたんですよね、あの二人の関係に。
特に、銀橋でのラズロの抱擁が、あまりにもなんというか、痛々しくて。
蘭トムさんのラズロには、肉欲を感じないんです。
私の中で、蘭トムさんっていうのは、正真正銘の『アメリカン・ヒーロー』なんですよ……。
一番最初に印象に残った役は「月の燈影」の、犬っころみたいにまっすぐに幸蔵(彩吹真央)を慕う岡っ引きだったんですが、その後は、何と言っても「Never Sleep」と「逆転裁判」(『スカウト』は観てないんですすみません)なんです。
どちらも、アメリカのTVドラマにぴったりのヒーロー像だと思うんです。それこそ、大好きだったドラマの「アメリカン・ヒーロー」を宝塚化する日が来るなら(←来ないけど!)、ラルフは蘭トムさんしかいない!!と思っていたりします(^ ^)。
ドジで憎めなくて、一生懸命で可愛い“いい奴”というキャラが、あんなに嫌味なく嵌る人って他にあまり思いつかないんですよね。
二番手に回ってきがちな黒い役とかは結構苦戦しているケースも多いような印象もあるんですが、私は徳川慶喜もすごく好きだったし、とにかく、芝居としては「ヒーロー」が一番嵌るタイプの役者なのだと思っています。
「真ん中にしかいられない」という意味では宙組の前任トップであったタニちゃん(大和悠河)という人ががいますが、彼女はあくまでも「キラキラな王子さま」でしたよね。蘭トムさんは、決して『王子さま』ではなく、あくまでも『アメリカン・ヒーロー』なんです。私の中では(^ ^;ゞ
で。
アメリカのTVドラマって、恋バナは必ずあるけれども、濡れ場はない、という印象があるんですよ。アメリカという国のお茶の間事情があるんだと思っているんですが…っていうか、何か根拠があって書いているわけではなく、なんとなくのイメージに過ぎないのかもしれませんが。
蘭トムさんにはそういうイメージがあって、、、恋はするけれども、肉欲を感じない男、なんですね。
イルザのことを愛している。
だから、たとえようもなく優しい、甘い声で、
「僕はいつでも、君を愛しているよ…」
と囁く。
でも、それ以上は何もしない。そういう、『紳士』に見えるんです。
使命を果たしたなら、ナチスが滅んだなら、その時こそは必ず、と。まるで、そんな約束を交してでもいるかのような。
対するイルザのすみ花ちゃんと、リックの祐飛さん。
この二人はもう、やるべきことはとっととやってるだろう、としか思えません……(- -;ゞ
そしてイルザには、ラズロとの距離感に、物足りなさがあったんじゃないのかな、と。
『女』として、本当に愛されているのか、不安になるときがあったのではないか、と。
ラズロがあまりにも完璧な『世界を救うヒーロー』でありすぎて、『自分の男』だという確信が持てなかったのではないか、と。
だからこそ、リックとの『本能的』=『肉体的』な愛に抗いきれず、ラズロとの『理性的』=『精神的』な愛を裏切る結果になってしまうのではないか、と……
念のため、補足。
蘭トムさんに色気がない、っていう話では全くないんです。だって彼は、ショーでは誰よりも色っぽいんですから。
でも芝居では、不思議なほど禁欲的な役が似合うんですよね。
彼は常にヒーローだから。痩せ我慢こそがヒーローの美学、だから。
でも、祐飛さんは、そういうモノを抑えたことは一度も無い……ような気がする。「哀しみのコルドバ」のお髭のオジサマ・ロメロさんでさえ、何一つ抑えてはいなかったし、『痩せ我慢の美学』とは最も遠いところにいる役者だと思う。そういうものを抑えなくてはいけない役が回ってこない、というのは、宛書を身上とする宝塚においては正式な評価であり、制作部の総意なんだろうな、と思うワケですが。
そして、そういう評価が、小池さんの「キスシーンが巧い」につながっているんだと思っているワケですが。
…長々と書いてきましたが、以上のようなことは、漠然と大劇場で観たときから思っていました。
ただ、なんというか。このへんのことは、心の奥にしまっておこうと思っていたんですよね。
しかし。
新人公演を見て、やはり書かねば!と思ったのでした……。
新人公演のラズロとイルザは、普通に夫婦なんだな、と思ったので。
本公演のような、愛の形としてはいびつなものではなく、普通に愛し合って夫婦になっていた、イルザとラズロ。
新人公演はパリの場面が無かったので、芝居におけるラズロの比重がものすごく高くなっていた のですが、かいちゃん(七海ひろき)の芝居はものすごく愛に溢れていて……もう、イルザのことが心配で不安で、最初のカフェの場面でも、ワケありげな二人をみながらちょっと不愉快そうだったり、すっごく人間的だったんですよ。
出番のすべてにおいて、常に『ヒーロー』だった蘭トムさんに対して、かいちゃんのラズロは、対イルザの場面のみ、完全に『ただの男』だったのがすごく新鮮でした。
だからこそ。女としての自信を喪うこともなかった(藤咲)えりちゃんのイルザは、びっくりするほど精神的に強靭で頑固で、……なのに、思い出に溺れてしまってからは可愛かった★んですが(*^ ^*)。
ただ、どちらのラズロにしても、やはりイルザの不安は拭えないんですよね。
彼女の不安は、彼の『愛』は、果たして自分と同じものなのかどうか?という不安であり、また、自分は本当に彼にふさわしい女なのか?という不安でもある。つまり、自分自身に対する不安です。
リックはそういう不安を掻き立てる存在ではなかった。
ただ一緒に居るだけで幸せで、精神的にも肉体的にも満たされていた。
……短い時間だったけれども。
ラズロは、死の淵から生還した自分を出迎えてくれたイルザに、何かがあったことに気づいたのでしょうか?
「マルセイユで私のヴィザが発行されなかったとき、どうして先に行かなかったの?」
「……それは、君を愛していたから……」
という会話の裏に、
「あそこで君を置いて先に脱出していたら、君は本当に、追いかけてきてくれたんだろうか…?」
という不安が見え隠れしている…と思うのは、故ない妄想なのでしょうか……?
「それほどまでにイルザが好きか?」
と問うリックの、激情を抑えて平静を装った貌。
「ええ、好きです。……自分の命に代えても!」
と応えるラズロの、確信に満ちたようにも、自分に言い聞かせているようにも見える、貌。
何かを言おうとするリックを遮るように、ドアが蹴破られて警官隊がなだれ込んでくる。
「ムッシュ・ラズロ?あなたを逮捕します!」
……さっつん(風羽玲亜)の声は本当に素敵だ♪(*^ ^*)
フランス兵(天風いぶき)に手錠をかけられるときに、傷に触られて「痛っ!」という顔をするラズロさんが結構ツボです。
「どうやら、運命の悪戯はまだ続くようだな…」
リックの言葉に、振り向くラズロ。
「また、会おう」
必ず、今の会話の続きを。
そう眼で語るリックに、軽くうなずくラズロ。
■第15場 本当のリック ~1941年12月3日 早朝~昼間?~
リックの頭の中で、さっきまでのラズロの台詞がぐるぐる回っている。
「あの通行証で、イルザを連れて二人でカサブランカを脱出していただきたい。どこか、安全なところへ!」
イルザを連れて、二人で。
あの男は確かにそう言った。
『イルザをカサブランカにおいておくのは危険だし、自分自身、女連れでは身動きがとれない。彼女に野宿させるわけにはいかないし、万が一彼女が囚われたら、自分にはもう選択の余地がない。』
たとえ世界と引き換えにしてでも、彼女を救いたいと思ってしまうだろうから。
それが、本当のヴィクター。
ならば、俺は?
♪金がほしくて始めたはずの 武器の横流し
椅子に掛けていたジャケットを取って、吐き出すように歌いだす。
♪だが人が死ぬのを見るのは怖い
♪人の笑顔を見ていたい
だからカフェを始めたのか!誰もが笑顔でいられる場所を作りたくて!!(ポン)
結果的には、あのカフェはレジスタンスの溜り場であり、ファシズムとの闘いの前線にもなったわけで、ある意味、すごく理想どおりなのかもしれませんね。……死人は出ちゃった(ウガーテ)んですけどね。
♪本当の俺はどこにいる
♪本当の俺はどう生きる?
銀橋下手にルノー(北翔海莉)が登場。
さっきまでの真剣な顔を拭い去って、こ狡い中年男の仮面を被ったリック。
「ラズロを釈放しないか?もっと大きな罪を着せて現行犯逮捕してやれば、お前も出世するだろう」
「どんな罪だ?」
「ドイツの通行証の窃盗」
口先八寸でルノーを騙しにかかる。
この場面、以前映画で観たときは、私は全然リックの本意に気がつかなくて、最後のどんでん返しですごく驚いた記憶があります。
でも、小池版では「本当の俺はどう生きる?」と歌いながらの挿入場面なので、観客が騙される余地がないんですよね。……まあ、わかりやすくていいのかな、と思いますが。
「ラズロ釈放のときは、尾行は外してくれよ?」
万が一シュトラッサーにバレたら、計画はおじゃんだ、と言いながら。
♪本当の俺はどこにいる
ちょっと苦しげに、囁くように、
♪本当の俺はどう生きる?
次は、フェラーリとの商談。
「店を譲ってくれるとは嬉しいが、急だな」
「営業停止になって思い立ったんだ。従業員たちの契約を今までどおりで守ってやってくれるなら、な」
「保証しよう」
「ならば、手打ちだな」
銀橋の真ん中で、ハイタッチをする祐飛さんと磯野さん、なんていう図が観られるとはねぇ……(しみじみ)
♪人のために危ない橋は渡らない、と誓ってきた
♪人のために涙は流さない
♪どんな女も愛さない
ラズロに限りませんが、「世界を救う」ことを希む人というのは、だいたい自分自身が本当に不幸になったわけではないことが多いんですよね。
両親を殺されたとか、妻を惨殺されたとか、そういう人は活動員として重要ですけれども、リーダーではないことが多い。リーダーは、それこそ「他人のために涙を流し」「他人のために危ない橋を渡ることを厭わない」人。つまり、「すべての人を愛している」人が多い。
だからこそ、ラズロの身近にいる人たちは大変だと思うのです。
イエスを愛したマグダラのマリア(ジーザス・クライスト・スーパースター)のように。
あるいは、イエスを愛したユダ、の、ように……(T T)。
でも、リックはそんな風には生きられなかった。
人の死に耐えることができないほどに、他人を愛してしまっていた、から……。
♪心に楔を打ち込んで あの日から生きてきた
♪本当の俺はどこにいる
♪本当の俺はどう生きる?
ルノーを呼びつけ、店を処分して。……リックがこのとき、考えていることは?
ラストにシャウトして、心の澱をすべて吐き出したリック。
もう、迷わない。
どこにいようと、どこへ行こうと、必ずめぐり合えるのだから。
世界の果ての、その先で。
.
■第14場 リックの店(深夜) ~1941年12月3日 早朝(?)~
店の奥で乾杯したリックとイルザ。
そこに、店の表からバタバタと駆け込んでくる音がする。
イルザを二階に隠れさせて、様子を見に出るリック。
店の表には、侵入者が二人。……カール(寿つかさ)とラズロ(蘭寿とむ)。
ボスがまだ起きていることに気づいて驚くカールを二階に上がらせ、「2階のゴミを棄ててきてくれ」というリック。カールとイルザを片付けて、ラズロと対決するために。
しかーし。カールがサラッと「何人か捕まっちまって…」と言ってますけど、店のスタッフは皆無事なんでしょうか………?(心配)
カールを見送って、ふとかえりみるリック。
ラズロは、手の傷に巻いた包帯を直している(←その包帯はいったいどこから?)
「……あんた、本当に不死身だな……」
感心したように呟くリック。
「ナチスが滅びるまで、死ぬわけにはいかない」
案外と、軽い口調で返すラズロ。
「降りてしまいたくならないか?」
「いいえ、まったく」
という会話が、実はものすごく好きだったりします。
特に、この後の
「でも、ひとつ降りてもいいゲームがある。……イルザのことです」
というラズロの台詞のさりげなさが、すごく好き。
こんな公共の場に書いていい話題なのかどうかわからない……というか、書き方が非常に難しい話題なのですが。
実は。
私、大劇場で初めて観たときから、ラズロとイルザの間には、俗に言う“夫婦生活”がないんじゃないか、と思っております。と、小さな字で書いてみる(汗)。
すごく、宗教的なものを感じたんですよね、あの二人の関係に。
特に、銀橋でのラズロの抱擁が、あまりにもなんというか、痛々しくて。
蘭トムさんのラズロには、肉欲を感じないんです。
私の中で、蘭トムさんっていうのは、正真正銘の『アメリカン・ヒーロー』なんですよ……。
一番最初に印象に残った役は「月の燈影」の、犬っころみたいにまっすぐに幸蔵(彩吹真央)を慕う岡っ引きだったんですが、その後は、何と言っても「Never Sleep」と「逆転裁判」(『スカウト』は観てないんですすみません)なんです。
どちらも、アメリカのTVドラマにぴったりのヒーロー像だと思うんです。それこそ、大好きだったドラマの「アメリカン・ヒーロー」を宝塚化する日が来るなら(←来ないけど!)、ラルフは蘭トムさんしかいない!!と思っていたりします(^ ^)。
ドジで憎めなくて、一生懸命で可愛い“いい奴”というキャラが、あんなに嫌味なく嵌る人って他にあまり思いつかないんですよね。
二番手に回ってきがちな黒い役とかは結構苦戦しているケースも多いような印象もあるんですが、私は徳川慶喜もすごく好きだったし、とにかく、芝居としては「ヒーロー」が一番嵌るタイプの役者なのだと思っています。
「真ん中にしかいられない」という意味では宙組の前任トップであったタニちゃん(大和悠河)という人ががいますが、彼女はあくまでも「キラキラな王子さま」でしたよね。蘭トムさんは、決して『王子さま』ではなく、あくまでも『アメリカン・ヒーロー』なんです。私の中では(^ ^;ゞ
で。
アメリカのTVドラマって、恋バナは必ずあるけれども、濡れ場はない、という印象があるんですよ。アメリカという国のお茶の間事情があるんだと思っているんですが…っていうか、何か根拠があって書いているわけではなく、なんとなくのイメージに過ぎないのかもしれませんが。
蘭トムさんにはそういうイメージがあって、、、恋はするけれども、肉欲を感じない男、なんですね。
イルザのことを愛している。
だから、たとえようもなく優しい、甘い声で、
「僕はいつでも、君を愛しているよ…」
と囁く。
でも、それ以上は何もしない。そういう、『紳士』に見えるんです。
使命を果たしたなら、ナチスが滅んだなら、その時こそは必ず、と。まるで、そんな約束を交してでもいるかのような。
対するイルザのすみ花ちゃんと、リックの祐飛さん。
この二人はもう、やるべきことはとっととやってるだろう、としか思えません……(- -;ゞ
そしてイルザには、ラズロとの距離感に、物足りなさがあったんじゃないのかな、と。
『女』として、本当に愛されているのか、不安になるときがあったのではないか、と。
ラズロがあまりにも完璧な『世界を救うヒーロー』でありすぎて、『自分の男』だという確信が持てなかったのではないか、と。
だからこそ、リックとの『本能的』=『肉体的』な愛に抗いきれず、ラズロとの『理性的』=『精神的』な愛を裏切る結果になってしまうのではないか、と……
念のため、補足。
蘭トムさんに色気がない、っていう話では全くないんです。だって彼は、ショーでは誰よりも色っぽいんですから。
でも芝居では、不思議なほど禁欲的な役が似合うんですよね。
彼は常にヒーローだから。痩せ我慢こそがヒーローの美学、だから。
でも、祐飛さんは、そういうモノを抑えたことは一度も無い……ような気がする。「哀しみのコルドバ」のお髭のオジサマ・ロメロさんでさえ、何一つ抑えてはいなかったし、『痩せ我慢の美学』とは最も遠いところにいる役者だと思う。そういうものを抑えなくてはいけない役が回ってこない、というのは、宛書を身上とする宝塚においては正式な評価であり、制作部の総意なんだろうな、と思うワケですが。
そして、そういう評価が、小池さんの「キスシーンが巧い」につながっているんだと思っているワケですが。
…長々と書いてきましたが、以上のようなことは、漠然と大劇場で観たときから思っていました。
ただ、なんというか。このへんのことは、心の奥にしまっておこうと思っていたんですよね。
しかし。
新人公演を見て、やはり書かねば!と思ったのでした……。
新人公演のラズロとイルザは、普通に夫婦なんだな、と思ったので。
本公演のような、愛の形としてはいびつなものではなく、普通に愛し合って夫婦になっていた、イルザとラズロ。
新人公演はパリの場面が無かったので、芝居におけるラズロの比重がものすごく高くなっていた のですが、かいちゃん(七海ひろき)の芝居はものすごく愛に溢れていて……もう、イルザのことが心配で不安で、最初のカフェの場面でも、ワケありげな二人をみながらちょっと不愉快そうだったり、すっごく人間的だったんですよ。
出番のすべてにおいて、常に『ヒーロー』だった蘭トムさんに対して、かいちゃんのラズロは、対イルザの場面のみ、完全に『ただの男』だったのがすごく新鮮でした。
だからこそ。女としての自信を喪うこともなかった(藤咲)えりちゃんのイルザは、びっくりするほど精神的に強靭で頑固で、……なのに、思い出に溺れてしまってからは可愛かった★んですが(*^ ^*)。
ただ、どちらのラズロにしても、やはりイルザの不安は拭えないんですよね。
彼女の不安は、彼の『愛』は、果たして自分と同じものなのかどうか?という不安であり、また、自分は本当に彼にふさわしい女なのか?という不安でもある。つまり、自分自身に対する不安です。
リックはそういう不安を掻き立てる存在ではなかった。
ただ一緒に居るだけで幸せで、精神的にも肉体的にも満たされていた。
……短い時間だったけれども。
ラズロは、死の淵から生還した自分を出迎えてくれたイルザに、何かがあったことに気づいたのでしょうか?
「マルセイユで私のヴィザが発行されなかったとき、どうして先に行かなかったの?」
「……それは、君を愛していたから……」
という会話の裏に、
「あそこで君を置いて先に脱出していたら、君は本当に、追いかけてきてくれたんだろうか…?」
という不安が見え隠れしている…と思うのは、故ない妄想なのでしょうか……?
「それほどまでにイルザが好きか?」
と問うリックの、激情を抑えて平静を装った貌。
「ええ、好きです。……自分の命に代えても!」
と応えるラズロの、確信に満ちたようにも、自分に言い聞かせているようにも見える、貌。
何かを言おうとするリックを遮るように、ドアが蹴破られて警官隊がなだれ込んでくる。
「ムッシュ・ラズロ?あなたを逮捕します!」
……さっつん(風羽玲亜)の声は本当に素敵だ♪(*^ ^*)
フランス兵(天風いぶき)に手錠をかけられるときに、傷に触られて「痛っ!」という顔をするラズロさんが結構ツボです。
「どうやら、運命の悪戯はまだ続くようだな…」
リックの言葉に、振り向くラズロ。
「また、会おう」
必ず、今の会話の続きを。
そう眼で語るリックに、軽くうなずくラズロ。
■第15場 本当のリック ~1941年12月3日 早朝~昼間?~
リックの頭の中で、さっきまでのラズロの台詞がぐるぐる回っている。
「あの通行証で、イルザを連れて二人でカサブランカを脱出していただきたい。どこか、安全なところへ!」
イルザを連れて、二人で。
あの男は確かにそう言った。
『イルザをカサブランカにおいておくのは危険だし、自分自身、女連れでは身動きがとれない。彼女に野宿させるわけにはいかないし、万が一彼女が囚われたら、自分にはもう選択の余地がない。』
たとえ世界と引き換えにしてでも、彼女を救いたいと思ってしまうだろうから。
それが、本当のヴィクター。
ならば、俺は?
♪金がほしくて始めたはずの 武器の横流し
椅子に掛けていたジャケットを取って、吐き出すように歌いだす。
♪だが人が死ぬのを見るのは怖い
♪人の笑顔を見ていたい
だからカフェを始めたのか!誰もが笑顔でいられる場所を作りたくて!!(ポン)
結果的には、あのカフェはレジスタンスの溜り場であり、ファシズムとの闘いの前線にもなったわけで、ある意味、すごく理想どおりなのかもしれませんね。……死人は出ちゃった(ウガーテ)んですけどね。
♪本当の俺はどこにいる
♪本当の俺はどう生きる?
銀橋下手にルノー(北翔海莉)が登場。
さっきまでの真剣な顔を拭い去って、こ狡い中年男の仮面を被ったリック。
「ラズロを釈放しないか?もっと大きな罪を着せて現行犯逮捕してやれば、お前も出世するだろう」
「どんな罪だ?」
「ドイツの通行証の窃盗」
口先八寸でルノーを騙しにかかる。
この場面、以前映画で観たときは、私は全然リックの本意に気がつかなくて、最後のどんでん返しですごく驚いた記憶があります。
でも、小池版では「本当の俺はどう生きる?」と歌いながらの挿入場面なので、観客が騙される余地がないんですよね。……まあ、わかりやすくていいのかな、と思いますが。
「ラズロ釈放のときは、尾行は外してくれよ?」
万が一シュトラッサーにバレたら、計画はおじゃんだ、と言いながら。
♪本当の俺はどこにいる
ちょっと苦しげに、囁くように、
♪本当の俺はどう生きる?
次は、フェラーリとの商談。
「店を譲ってくれるとは嬉しいが、急だな」
「営業停止になって思い立ったんだ。従業員たちの契約を今までどおりで守ってやってくれるなら、な」
「保証しよう」
「ならば、手打ちだな」
銀橋の真ん中で、ハイタッチをする祐飛さんと磯野さん、なんていう図が観られるとはねぇ……(しみじみ)
♪人のために危ない橋は渡らない、と誓ってきた
♪人のために涙は流さない
♪どんな女も愛さない
ラズロに限りませんが、「世界を救う」ことを希む人というのは、だいたい自分自身が本当に不幸になったわけではないことが多いんですよね。
両親を殺されたとか、妻を惨殺されたとか、そういう人は活動員として重要ですけれども、リーダーではないことが多い。リーダーは、それこそ「他人のために涙を流し」「他人のために危ない橋を渡ることを厭わない」人。つまり、「すべての人を愛している」人が多い。
だからこそ、ラズロの身近にいる人たちは大変だと思うのです。
イエスを愛したマグダラのマリア(ジーザス・クライスト・スーパースター)のように。
あるいは、イエスを愛したユダ、の、ように……(T T)。
でも、リックはそんな風には生きられなかった。
人の死に耐えることができないほどに、他人を愛してしまっていた、から……。
♪心に楔を打ち込んで あの日から生きてきた
♪本当の俺はどこにいる
♪本当の俺はどう生きる?
ルノーを呼びつけ、店を処分して。……リックがこのとき、考えていることは?
ラストにシャウトして、心の澱をすべて吐き出したリック。
もう、迷わない。
どこにいようと、どこへ行こうと、必ずめぐり合えるのだから。
世界の果ての、その先で。
.
コメント
もう大好きですよ、ここ(笑)待ってました!!!
>>カールがサラッと「何人か捕まっちまって…」と言ってますけど、店のスタッフは皆無事なんでしょうか………?(心配)
私もラズロですら怪我したんだし、大丈夫?と心配しましたが、確かみー茶で店のメンバーは皆、逃げ足が速いので誰も捕まってないと言っていたと思います。でもあそこ、ドキドキしますよね
また珠洲さんが良い感じにスパイらしくて、でも憎めないヤツでうまいわ。
そして今回思わず食いつかずにいられなかった、大人の事情に話題は移ります(笑)
>>ラズロとイルザの間には、俗に言う“夫婦生活”がないんじゃないか
これ、すごくうまい表現でねこさまが触れていて感心してます。
私もらんとむラズロの「みんなのヒーローっぷり」とか『紳士』なところとかを見ていてふと思いました。
>>だからこそ、リックとの『本能的』=『肉体的』な愛に抗いきれず、ラズロとの『理性的』=『精神的』な愛を裏切る結果になってしまうのではないか、と……
そうそうそう! そうやって考えるとイルザがあんなに簡単に恋におちたのにも説得力が出ますよね。あの時代、全て手に掴んでいないとなくなってしまうような時代だからこそ、そこに掴むことのできるリックを愛してしまったと。
そういう女性の心理って、時代を隔てても、気持ち的にはよくあること という気もします。
そういえば、今回イルザの行動が二股と感じられて意味が判らないという意見も沢山見かけましたが、こういう大人な気持ちに対しての理解に到達してないんだなと。
でね、新公ラズロの意見もなるほど!と思いました。
新公ラズロは身分の違いを感じました。かいちゃんは何となくお坊ちゃんな風貌があって、彼は貴族の出で、オスロからパリに勤め口を探しにきたようなイルザとは身分が違う。
(イルザはパリで踊り子か縫い子とかやってるの・・・それって「哀愁」だったな)
そんなどこか不安定なところのある夫婦の空気をえりちゃんが漂わせて(自信無げっていうか)全然違う夫婦関係を見て面白いなぁと。
だからすみか茶で、同期だけどイルザのことは話し合わなかったというお返事にすごく説得力がありました。
どちらにしてもイルザにとってラズロは「私の夫」と言うだけじゃないのは確かだし。
そうして考えると、リックはみんなのボスなんだけど、ちゃんとイルザ一人だけのリックとして存在していて、「もう離れられない」とつぶやいてしまうイルザの気持ちがすごく理解できます。すみかちゃん、やはり天才です~
何と言うか理想を掲げてるラズロってナチスの拷問にも耐えたし、脱走もしたしですごい男なんだけど、でも公の人なので、この人には自分を全部預けてはいけないという感じで、
先生と生徒みたいなものがどこかに残っていたのじゃないかなと思います。
あと、拷問されているので身体も判らないし。
>>ラズロに限りませんが、中略「リーダーは、それこそ「他人のために涙を流し」「他人のために危ない橋を渡ることを厭わない」人。つまり、「すべての人を愛している」人が多い。
これもその通りだと思います。イルザが一人でパリにいることを考えるとつらい毎日だよね。しかも正式に披露されてないわけだし。
続く
澄輝さんもなかなか良い感じになってきたと思いますが、まだまだ??
続きます。
>>でも、小池版では「本当の俺はどう生きる?」と歌いながらの挿入場面なので、観客が騙される余地がないんですよね。……まあ、わかりやすくていいのかな、と思いますが。
うーん、私は最初に観劇したときに映画の終わり方を知っていた癖に、ああそうくるのかと驚いちゃいました(笑)
あれは、私のイメージでは、数学の問題も日本語が不得意なために解けなくなっている人が増えているので、気持ちの持って生き方、裏にある主人公の気持ちの動きに関しての『呼び水』というのか、うま~く誘導しているのじゃないかなと・・・
だから「判りやすくする」と割り切ってしまうのとは、また違うかなと感じました。
感受性が鋭いねこさまとかには全く必要ないと思うんだけどね。
ともかくああいうちょっとヒネくれた男の感情の流れを想像する手助けは、初めて宝塚を観た観客(年代性別の区別抜きで)にも親切だと思います。
昨日後ろにおじさんが多い職場団体観劇みたいな人たちがいたのですが
おじさんたちがあの銀橋のところで、みんな「うーん」とか唸って同意してたみたいなので、台詞で一から十まで説明してなくてもリックの気持ちにちゃんついていけてたみたいでしたし。
そうそう、イルザがリックを愛していたと言った後に結構時間が経っているという意見も賛成です。いつも見ていて思うのですが、カールたちが逃れてきたときにイルザをすぐに二階に逃しますが、イルザのピストルの入ったバッグはどこにあるのかってこと。
二階ですよね、じゃ、二階にはいつ持って上がったのか、リックの上着は部屋の隅に脱いでおかれていたけれど・・・というふうに考えてああ、二人は本当にパリの思い出に戻ったというか正直になったんだなぁ~なんて見てます。
「カサブランカ」が今週で終わってしまうなんて寂しいよー
続いてお店から飛行場の場面もお待ちしてますね☆
リックとイルザは別の人生を歩むけど、イルザのこれからの人生では、元気の源は「リックに愛された」思い出にあると思うから。
なんか、一番語りたかったことを無事(?)書けて、ホッとしています♪
とにかく、本公演のイルザの心情の動きは、私にとっては全然不思議じゃなかったんですよ。初見のときから。
でも、ネットとかで結構「どうして?」みたいな意見があって。あれっ?なんで自分は違和感がないんだろう?とずっと思っていたんです。それが、何回目かに観たときに、なんかすとんと落ちたんですよね。
ああ、そっか、そうなのかもね、と。
だからこそ、本公演のラズロは蘭トムさんでなくてはならなかったし、新人公演のラズロはかいちゃんでなくてはならなかったんだな、と思いました。それぞれ、自分のイルザとの相性は抜群ですものね(♪)
トップがアンチ・ヒーローで、準トップがヒーローで、娘役トップが準トップ(ヒーロー)の妻。トップコンビがヒールである、そういう構造が、一番似合うトップ3。
本来のタカラヅカは、やっぱりトップ=ヒーローであるべきなんだろうな、とは思うのですが。
まあ、5組もあるんだから、たまにはこういう組も興味深い作品が上演できて良いのかな、と、そんな常識ハズレなトップのファンは思ったりします(苦笑)。ずうずうしくてすみませんm(_ _)m。
> すごい男なんだけど、でも公の人なので、この人には自分を全部預けてはいけない
そうなんですよね。たぶん、イルザのラズロへの気持ちっていうのはそういう面があるんだと思うんです。自分のものじゃなくて、「公の人」だ、という感覚。女ってわりと独占欲が強いイキモノなので、それってたぶん、イルザは寂しいよね……と思うんですよ(T T)
> ああ、二人は本当にパリの思い出に戻ったというか正直になったんだなぁ~なんて見てます。
ねー、そこはもう、そうでしょう、絶対(*^ ^*)。
>「カサブランカ」が今週で終わってしまうなんて寂しいよー
ああ……あと4日なんですねぇ(涙)。
初見のときに、もう、さすがに強運の祐飛さんでもこれで作品運を使い果たしたか?と思ったほど、心底から名作だと思った「カサブランカ」。
「シャングリラ」も「トラファルガー」も、「カサブランカ」に負けない名作でありますように。
それにしても。これだけの作品ならいずれ再演されることもありそうですが、再演メンバーはプレッシャーでしょうねぇ…(T T)。私は絶対観にいきますけどね♪