天王洲の銀が劇場にて、「ANJIN - イングリッシュサムライ」を観劇してまいりました。
これが今年の観劇納めになりましたが、非常に完成度の高い、締めくくりに相応しい作品だったと思います(^ ^)。
関が原の合戦が起こる半年ほど前、豊後(大分県)臼杵の海岸に、一隻のオランダ商船が漂着した。
マゼラン海峡を渡ってはるばる太平洋を越えたあげく、嵐に見舞われて沈没寸前だった船の名は、リーフデ号。その航海士であったウィリアム・アダムズ(オーウェン・ティール)が、この作品の一方の主人公。
彼は、辛い航海で身体を傷めた船長の代理として徳川家康(市村正親)に会い、意気投合する。
西洋には未だ知られぬ「新しい」文明国・日本の支配者と、柔軟な思考をする新教徒の技術者と。
「儂はこの国を出たことがない。太閤秀吉の朝鮮征伐も留守番役だったしな。儂はここで、この国を守るのが仕事じゃ。ゆえに、外国の者に来てもらうよりほかはない。……のうアダムズ、儂に教えよ。西洋の技術をな。砲術、造船術、航海術、鉱山術、金属の精錬、、、何でもよい。思想はいらぬ、ただ、事実を語ればよいのじゃ」
アダムズのもたらした最新式の大砲を使った関が原の合戦に勝利した家康は、リーフデ号の修理は許したが、望郷の念やみがたいアダムズの帰国は許さない。三浦半島(横須賀)に領地を与え、旗本に取り立てて三浦按針という名を与え、、、この『青い目のサムライ』を傍に留めおき、友情を育んでいく。
アダムズ。その傍らで友情を育てるイエズス会の司祭ドメニコ(藤原竜也)。泰平の世を祈願した徳川家康。彼らが守ろうとした、時代というもの。
やがて家康は老い、二代将軍秀忠・三大将軍家光と、時代が下るにつれて厳しくなっていく鎖国政策の中、イギリス人として、そして日本人として生きたアダムズ。
日本と西欧の間に架けられたか細い橋は、すぐに消えてしまう運命でしたけれども、あの時に点された灯は、短い時間とはいえ、たしかに明るく輝いていたのでした。
脚本はマイク・ポウルトン。演出はグレゴリー・ドーラン。どちらもイギリス演劇界の重鎮。
ホリプロ50周年の記念作品の一つとして企画された公演で、「身毒丸」ロンドン公演に始まるホリプロの海外との文化交流の結晶というべきものであったようです。
西欧人の役は西欧人(イギリス人)俳優が、日本人の役は日本人俳優が演じ、台詞はほぼバイリンガル(日本語・英語)。
演出は堅実で、たしかに英国演劇っぽい、ちょっとお堅い感じがありました。シンプルな舞台装置や映像の使い方がイマっぽくて面白いのですが、意外と舞台転換が多くて、そのたびに暗転の間が長かったり、ちょっと間の取り方がいまひとつだったりというのはありましたが(特に、ラストシーンの余韻がちょっと短かったのが残念!!)、全体にはよく噛み合った美しい物語でした。
中でも、月明かりの下で家康とアダムズが語り合う場面の美しさが、強く心に残りました(*^ ^*)。
ちなみに、バイリンガルなので、日本語の会話には英語の字幕、英語の台詞には日本語の字幕がついていました。いやーーー、日本語の台詞に対する英語の字幕は、かなり面白かったです。小難しい武士言葉をシンプルに一言で終わらせたり。ああ、たしかに、相当な意訳だけど、ニュアンスは伝わりそう……(感心)、と。
昔、劇団昴が遠藤周作の「沈黙」を上演したときも、あんな感じだったなあ……。あのときは、最初から海外公演を予定していたのですが、この作品は海外公演の予定はないのでしょうか?非常に面白かったので、英国とかでも受けると思うんですけどねえ。……ウィリアム・アダムズという人物は、日本では有名だけど西欧では無名でしょうから難しいのかなあ。
言葉関係でちょっと気になったのは、もっと前から日本にいて、プロテスタントのアダムズと対立することになるイエズス会宣教師の二人(デヴィット・アクトン、ジェイミー・バラード)が片言の日本語で喋っていたこと、ですね。
家康との会話は仕方ないけど、ドメニコとの会話は英語でよかったと思う。そのほうが自然。ドメニコは英語が喋れるんだし。
あと、ドメニコの通訳がかなり適当なこと(^ ^)。忠実に訳していることになっているんだから、そこはある程度字幕にあわせればいいのに。
字幕を見ながら観ているので、なんか違和感がありました。宣教師たちが通辞を勤めるときは、違うことを言っているのが判りやすくていいのですが、ドメニコの通訳は基本的に忠実なはずなのに…と。
同じ内容を二回(アダムズとドメニコと)言うことになると、長くなりすぎるのかな(^ ^;ゞ
ウィリアム・アダムズ(三浦按針)の数奇な運命を主軸に、徳川と豊臣の闘い、家康と秀忠の親子の相克、そして、旧教国スペイン(イエズス会)と新教国イギリスの諍いなどをも絡めた、壮大な大河ドラマ。
この時代は、ちょうどアルマダの海戦でイギリス海軍がスペイン無敵艦隊を破った少し後。先日観劇した「パイレート・クイーン」と同時代の物語です。
イギリス国内では、エリザベス一世が権力をふるってスコットランドを併合し、アイルランドを手中に収めんと画策していた頃。アダムズは、シェイクスピアと同世代です。ドレイク船長に倣って世界の海をめぐり、東の果ての国で陸に上がった男。
この物語のメインとなる三人は、皆何かに引き裂かれた男なんだな、と思いました。
望郷の念やみがたく、イギリスにいる妻と娘を忘れられず、それでも日本で愛した妻(お雪/桜田聖子)と子供たちへの愛着も棄て難く、望郷の念を棄てきれない自分と、日本を離れられない自分に引き裂かれたアダムズ。
太閤の後継者として今の時代をきちんと守って後継者へ引き渡し、日本という国を守るという使命と、海を渡り、知らない土地・知らないモノを見たいと願う少年の憧れに引き裂かれた徳川家康。
そして。
日本人(北条系の武士の家の出)でありながらカトリックを信仰し、洗礼を受けてイエズス会の司祭にまでなったドメニコの葛藤。
司祭でありながら、闘いの昂揚感を棄てきれない若さと、たとえ「イエズス会」を守るためという目的があったとしても不正を見逃すことのできない潔癖すぎる青さ。
司祭である自分と、武士である自分。二つに引き裂かれたドメニコの情熱は、彼自身を燃やし尽くしてしまうほど熱くて、激しいものだったのだと思います。
引き裂かれた男たちは、同じ疵を抱いた仲間を求めあう。
アダムズを手許に置いておくことを希った家康。
死を目前にした家康の見舞に、地球儀を持ってあらわれるアダムズ。
カトリックではアダムズの心をを救えないことに絶望したドメニコ。
鎖国&キリスト教の禁教が国策として動き出した日本で、囚われたドメニコの消息を求めて家光に面会を求めるアダムズ。
彼らの求めるものが、自分の未来ではなく他人の未来であったことが、とても切なかったです。
争いのない平和な国。
平穏で平らかな、幸せな人生。
そんな、決して手の届かぬ夢のような、モノ。
それを、手に入れようとあがくのが人生なのか、と。
……うーん、言葉って難しいなあ。舞台を観て、すごくたくさんのものを受け取ったのに、それを言葉にあらわすのってすごく難しい……(T T)。
「人形の家」ヘルメルでトニー賞を獲たこともある英国俳優・ティール。
最初の登場(漂流していてボロボロ)が、「海賊」と誤解されても仕方ないほど荒れていたのに、次の場面ではしっかり家康に謁見できるだけの貫禄をもっていたのは、さすが。
後半の袴姿がしっくり似合う姿勢のよさ。約三時間の上演時間をかけて、徐々に日本の生活に慣れていくのがとても良かったと思います。前半は正座ができない設定だったのに、後半は日常正座で過ごしているね、という慣れを感じたところとか、そういう細かいところで。
日本語は片言なので抑揚などはわかりませんが、英語での芝居部分の迫力を見ていると凄いなあ、と思います。字幕がなくても何が言いたいのか顔を見てればわかる!!と驚きました。
日本演劇界の重鎮(?)市村正親。
ほどよい軽みと、悪戯っ子めいた雰囲気。観ていて、もしかしたら家康ってこんな人だったのかも?……と思わせる魅力がありました。
この手の、「スクルージ」系の役は本当に素晴らしいですね。大阪夏の陣のあと、息子秀忠と話をした後で、それまでもずっと傍に付き従ってくれていた本多正純(小林勝也)に愚痴ってるときの情けないリアリティとか、死の床で思いの丈をアダムズに伝えるところの迫力など、本当に素晴らしかったです。
その息子、秀忠役は、もと男闘呼組の高橋和也。彼は小早川秀秋もやっているのですが、背が高いので目立っていて、途中で何度か「彼は小早川じゃなくて秀忠」と自分に言い聞かせてました(^ ^)。
淀殿は床嶋佳子、秀頼は鈴木亮平。どちらも過不足無く、良い出来でした。キャラクターとしては割と良くある解釈でしたが、存在感のある芝居で。このあたりのキャスティングも、なかなかに興味深くて面白いな、と思います♪
石田三成と真田幸村の二役を演じた沢田冬樹。同盟軍から全く支持されない三成と、豊臣軍の信頼を一手にうける幸村の二役を同じ役者にふったのは何か不思議な感じでしたが、幸村の死に様が見事で印象に残りました。
……いや、それにしても小林勝也の抜群の間の良さは、さすがだわ(*^ ^*)。本多正純様、素敵(はぁと)
メインキャストの中では唯一の架空の人物、ドメニコの藤原竜也。
鞭のように細い身体を黒い司祭服に包んだ姿は、よく似合っていて可愛かったです。
後半の戦闘服姿もなかなか良かった。彼は動けるので、殺陣も決まってて格好良かったです。
司祭として生きているときの穏やかな笑顔と、それを振り捨てて武士に戻ったときの絶望に満ちた貌。カトリックの教えは棄てられず、けれどもイエズス会という組織には従えない矛盾に苦しむ彼は、宗教に振り回された多くの日本人の象徴のような気がします。
今回の芝居は、アダムズ側(そして徳川側)が主役なだけに、完全にイエズス会を悪役にしていましたが、実際の歴史はそんなものでは無かったんだろうな、と思いました。宗教的情熱に身を焦がして、世界の果てまでやってきた宣教師たち。どんなに自己満足で身勝手な理屈であっても、そこに情熱があったことは間違いないのだと思います。だからこそ、あれだけの追随者が出たのでしょうから。
藤原竜也の二面性、素直な笑顔の可愛らしさと、焼き尽くされるような熱量の激しさが、うまく使われた役だったな、と思います。しかーし竜也くん、髭は生やすか剃るかどちらかにしてくれ!!前半の可愛い司祭さまに、その無精ひげは似合わないよ(涙)。
全体と通して一番印象に残っているのは、家康とアダムズの対話かなー。
上でも書いた月明かりの場面もそうだし、最後の方で、家康の病床にアダムズが訪ねてきたときの場面もすごく感動しました。
アダムズから進呈された地球儀をいとおしそうに撫でながらアダムズと会話を続ける家康が、物凄く良かったです。
国を守る、平和をつくる、という目的意識をはっきりと持って、数十年間を生き抜いてきた男。
太閤秀吉を「友人であり、大切な殿である」、と言い切れる強さ。
歴史というのは誰か一人が目的をもって造るものではなく、
人と人の価値観がぶつかりあい、きしみをあげる中で、偶然できた形状を大切にするもの なのではないか、と。
と、そんなことを思った年の瀬でした。
家康が、最初から「平和」を得るために数十年を待ったのだとは思いません。
それはあくまでも「きれいごと」であり、結果論だと思う。
でも。
いろんな人と価値観がぶつかりあっていく中で、なんとはなく「平和」というものが見えてきたのだろうし、見えてくれば、「これはイイモノ」だ!!という確信も生まれるのでしょう。
そうやって家康は途を択び、戦国の世を終わらせて泰平の世にすることを希う。
アダムズがイギリスへ帰りたいと希う以上に。
ドメニコが正義を貫きたいと希う以上、に。
ちょっと話が飛びますが。
私は、偶然なんですけど、三浦按針の記念地にはだいたい縁があるんですよね。
彼が最初に上陸した大分県臼杵市の海岸にも行ったことがあるし(←びっくりするほど何も無かった)、彼が暮らした日本橋の屋敷跡は、取引先の会社に行く途中なので、何度も通ったことがあるし、イギリス商館のあった長崎県平戸や、彼が家康に命ぜられて船を建造した伊東は、普通に観光で行って、碑文も見ている。
そして、横須賀の按針塚(旗本としての領地)は、童話作家の佐藤さとるが描いた「わんぱく天国」という小説の舞台で、その小説のファンとして(?)遊びに行ったことがあるんです、実は(^ ^)。「わんぱく天国」の中でも按針についてはごく簡単に説明されていて、それが彼を知った最初だったかな?私にとって按針は、“名前くらいは知ってる”というよりも、もう少し身近なイメージの人でした。
こんな形で、彼の人生と、彼が生きた時代を追体験できたことがとても幸せです。
古代高句麗に始まって、江戸時代初頭の日本で終わった2009年。
……さ、大掃除でもしようかな、と(*^ ^*)。
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これが今年の観劇納めになりましたが、非常に完成度の高い、締めくくりに相応しい作品だったと思います(^ ^)。
関が原の合戦が起こる半年ほど前、豊後(大分県)臼杵の海岸に、一隻のオランダ商船が漂着した。
マゼラン海峡を渡ってはるばる太平洋を越えたあげく、嵐に見舞われて沈没寸前だった船の名は、リーフデ号。その航海士であったウィリアム・アダムズ(オーウェン・ティール)が、この作品の一方の主人公。
彼は、辛い航海で身体を傷めた船長の代理として徳川家康(市村正親)に会い、意気投合する。
西洋には未だ知られぬ「新しい」文明国・日本の支配者と、柔軟な思考をする新教徒の技術者と。
「儂はこの国を出たことがない。太閤秀吉の朝鮮征伐も留守番役だったしな。儂はここで、この国を守るのが仕事じゃ。ゆえに、外国の者に来てもらうよりほかはない。……のうアダムズ、儂に教えよ。西洋の技術をな。砲術、造船術、航海術、鉱山術、金属の精錬、、、何でもよい。思想はいらぬ、ただ、事実を語ればよいのじゃ」
アダムズのもたらした最新式の大砲を使った関が原の合戦に勝利した家康は、リーフデ号の修理は許したが、望郷の念やみがたいアダムズの帰国は許さない。三浦半島(横須賀)に領地を与え、旗本に取り立てて三浦按針という名を与え、、、この『青い目のサムライ』を傍に留めおき、友情を育んでいく。
アダムズ。その傍らで友情を育てるイエズス会の司祭ドメニコ(藤原竜也)。泰平の世を祈願した徳川家康。彼らが守ろうとした、時代というもの。
やがて家康は老い、二代将軍秀忠・三大将軍家光と、時代が下るにつれて厳しくなっていく鎖国政策の中、イギリス人として、そして日本人として生きたアダムズ。
日本と西欧の間に架けられたか細い橋は、すぐに消えてしまう運命でしたけれども、あの時に点された灯は、短い時間とはいえ、たしかに明るく輝いていたのでした。
脚本はマイク・ポウルトン。演出はグレゴリー・ドーラン。どちらもイギリス演劇界の重鎮。
ホリプロ50周年の記念作品の一つとして企画された公演で、「身毒丸」ロンドン公演に始まるホリプロの海外との文化交流の結晶というべきものであったようです。
西欧人の役は西欧人(イギリス人)俳優が、日本人の役は日本人俳優が演じ、台詞はほぼバイリンガル(日本語・英語)。
演出は堅実で、たしかに英国演劇っぽい、ちょっとお堅い感じがありました。シンプルな舞台装置や映像の使い方がイマっぽくて面白いのですが、意外と舞台転換が多くて、そのたびに暗転の間が長かったり、ちょっと間の取り方がいまひとつだったりというのはありましたが(特に、ラストシーンの余韻がちょっと短かったのが残念!!)、全体にはよく噛み合った美しい物語でした。
中でも、月明かりの下で家康とアダムズが語り合う場面の美しさが、強く心に残りました(*^ ^*)。
ちなみに、バイリンガルなので、日本語の会話には英語の字幕、英語の台詞には日本語の字幕がついていました。いやーーー、日本語の台詞に対する英語の字幕は、かなり面白かったです。小難しい武士言葉をシンプルに一言で終わらせたり。ああ、たしかに、相当な意訳だけど、ニュアンスは伝わりそう……(感心)、と。
昔、劇団昴が遠藤周作の「沈黙」を上演したときも、あんな感じだったなあ……。あのときは、最初から海外公演を予定していたのですが、この作品は海外公演の予定はないのでしょうか?非常に面白かったので、英国とかでも受けると思うんですけどねえ。……ウィリアム・アダムズという人物は、日本では有名だけど西欧では無名でしょうから難しいのかなあ。
言葉関係でちょっと気になったのは、もっと前から日本にいて、プロテスタントのアダムズと対立することになるイエズス会宣教師の二人(デヴィット・アクトン、ジェイミー・バラード)が片言の日本語で喋っていたこと、ですね。
家康との会話は仕方ないけど、ドメニコとの会話は英語でよかったと思う。そのほうが自然。ドメニコは英語が喋れるんだし。
あと、ドメニコの通訳がかなり適当なこと(^ ^)。忠実に訳していることになっているんだから、そこはある程度字幕にあわせればいいのに。
字幕を見ながら観ているので、なんか違和感がありました。宣教師たちが通辞を勤めるときは、違うことを言っているのが判りやすくていいのですが、ドメニコの通訳は基本的に忠実なはずなのに…と。
同じ内容を二回(アダムズとドメニコと)言うことになると、長くなりすぎるのかな(^ ^;ゞ
ウィリアム・アダムズ(三浦按針)の数奇な運命を主軸に、徳川と豊臣の闘い、家康と秀忠の親子の相克、そして、旧教国スペイン(イエズス会)と新教国イギリスの諍いなどをも絡めた、壮大な大河ドラマ。
この時代は、ちょうどアルマダの海戦でイギリス海軍がスペイン無敵艦隊を破った少し後。先日観劇した「パイレート・クイーン」と同時代の物語です。
イギリス国内では、エリザベス一世が権力をふるってスコットランドを併合し、アイルランドを手中に収めんと画策していた頃。アダムズは、シェイクスピアと同世代です。ドレイク船長に倣って世界の海をめぐり、東の果ての国で陸に上がった男。
この物語のメインとなる三人は、皆何かに引き裂かれた男なんだな、と思いました。
望郷の念やみがたく、イギリスにいる妻と娘を忘れられず、それでも日本で愛した妻(お雪/桜田聖子)と子供たちへの愛着も棄て難く、望郷の念を棄てきれない自分と、日本を離れられない自分に引き裂かれたアダムズ。
太閤の後継者として今の時代をきちんと守って後継者へ引き渡し、日本という国を守るという使命と、海を渡り、知らない土地・知らないモノを見たいと願う少年の憧れに引き裂かれた徳川家康。
そして。
日本人(北条系の武士の家の出)でありながらカトリックを信仰し、洗礼を受けてイエズス会の司祭にまでなったドメニコの葛藤。
司祭でありながら、闘いの昂揚感を棄てきれない若さと、たとえ「イエズス会」を守るためという目的があったとしても不正を見逃すことのできない潔癖すぎる青さ。
司祭である自分と、武士である自分。二つに引き裂かれたドメニコの情熱は、彼自身を燃やし尽くしてしまうほど熱くて、激しいものだったのだと思います。
引き裂かれた男たちは、同じ疵を抱いた仲間を求めあう。
アダムズを手許に置いておくことを希った家康。
死を目前にした家康の見舞に、地球儀を持ってあらわれるアダムズ。
カトリックではアダムズの心をを救えないことに絶望したドメニコ。
鎖国&キリスト教の禁教が国策として動き出した日本で、囚われたドメニコの消息を求めて家光に面会を求めるアダムズ。
彼らの求めるものが、自分の未来ではなく他人の未来であったことが、とても切なかったです。
争いのない平和な国。
平穏で平らかな、幸せな人生。
そんな、決して手の届かぬ夢のような、モノ。
それを、手に入れようとあがくのが人生なのか、と。
……うーん、言葉って難しいなあ。舞台を観て、すごくたくさんのものを受け取ったのに、それを言葉にあらわすのってすごく難しい……(T T)。
「人形の家」ヘルメルでトニー賞を獲たこともある英国俳優・ティール。
最初の登場(漂流していてボロボロ)が、「海賊」と誤解されても仕方ないほど荒れていたのに、次の場面ではしっかり家康に謁見できるだけの貫禄をもっていたのは、さすが。
後半の袴姿がしっくり似合う姿勢のよさ。約三時間の上演時間をかけて、徐々に日本の生活に慣れていくのがとても良かったと思います。前半は正座ができない設定だったのに、後半は日常正座で過ごしているね、という慣れを感じたところとか、そういう細かいところで。
日本語は片言なので抑揚などはわかりませんが、英語での芝居部分の迫力を見ていると凄いなあ、と思います。字幕がなくても何が言いたいのか顔を見てればわかる!!と驚きました。
日本演劇界の重鎮(?)市村正親。
ほどよい軽みと、悪戯っ子めいた雰囲気。観ていて、もしかしたら家康ってこんな人だったのかも?……と思わせる魅力がありました。
この手の、「スクルージ」系の役は本当に素晴らしいですね。大阪夏の陣のあと、息子秀忠と話をした後で、それまでもずっと傍に付き従ってくれていた本多正純(小林勝也)に愚痴ってるときの情けないリアリティとか、死の床で思いの丈をアダムズに伝えるところの迫力など、本当に素晴らしかったです。
その息子、秀忠役は、もと男闘呼組の高橋和也。彼は小早川秀秋もやっているのですが、背が高いので目立っていて、途中で何度か「彼は小早川じゃなくて秀忠」と自分に言い聞かせてました(^ ^)。
淀殿は床嶋佳子、秀頼は鈴木亮平。どちらも過不足無く、良い出来でした。キャラクターとしては割と良くある解釈でしたが、存在感のある芝居で。このあたりのキャスティングも、なかなかに興味深くて面白いな、と思います♪
石田三成と真田幸村の二役を演じた沢田冬樹。同盟軍から全く支持されない三成と、豊臣軍の信頼を一手にうける幸村の二役を同じ役者にふったのは何か不思議な感じでしたが、幸村の死に様が見事で印象に残りました。
……いや、それにしても小林勝也の抜群の間の良さは、さすがだわ(*^ ^*)。本多正純様、素敵(はぁと)
メインキャストの中では唯一の架空の人物、ドメニコの藤原竜也。
鞭のように細い身体を黒い司祭服に包んだ姿は、よく似合っていて可愛かったです。
後半の戦闘服姿もなかなか良かった。彼は動けるので、殺陣も決まってて格好良かったです。
司祭として生きているときの穏やかな笑顔と、それを振り捨てて武士に戻ったときの絶望に満ちた貌。カトリックの教えは棄てられず、けれどもイエズス会という組織には従えない矛盾に苦しむ彼は、宗教に振り回された多くの日本人の象徴のような気がします。
今回の芝居は、アダムズ側(そして徳川側)が主役なだけに、完全にイエズス会を悪役にしていましたが、実際の歴史はそんなものでは無かったんだろうな、と思いました。宗教的情熱に身を焦がして、世界の果てまでやってきた宣教師たち。どんなに自己満足で身勝手な理屈であっても、そこに情熱があったことは間違いないのだと思います。だからこそ、あれだけの追随者が出たのでしょうから。
藤原竜也の二面性、素直な笑顔の可愛らしさと、焼き尽くされるような熱量の激しさが、うまく使われた役だったな、と思います。しかーし竜也くん、髭は生やすか剃るかどちらかにしてくれ!!前半の可愛い司祭さまに、その無精ひげは似合わないよ(涙)。
全体と通して一番印象に残っているのは、家康とアダムズの対話かなー。
上でも書いた月明かりの場面もそうだし、最後の方で、家康の病床にアダムズが訪ねてきたときの場面もすごく感動しました。
アダムズから進呈された地球儀をいとおしそうに撫でながらアダムズと会話を続ける家康が、物凄く良かったです。
国を守る、平和をつくる、という目的意識をはっきりと持って、数十年間を生き抜いてきた男。
太閤秀吉を「友人であり、大切な殿である」、と言い切れる強さ。
歴史というのは誰か一人が目的をもって造るものではなく、
人と人の価値観がぶつかりあい、きしみをあげる中で、偶然できた形状を大切にするもの なのではないか、と。
と、そんなことを思った年の瀬でした。
家康が、最初から「平和」を得るために数十年を待ったのだとは思いません。
それはあくまでも「きれいごと」であり、結果論だと思う。
でも。
いろんな人と価値観がぶつかりあっていく中で、なんとはなく「平和」というものが見えてきたのだろうし、見えてくれば、「これはイイモノ」だ!!という確信も生まれるのでしょう。
そうやって家康は途を択び、戦国の世を終わらせて泰平の世にすることを希う。
アダムズがイギリスへ帰りたいと希う以上に。
ドメニコが正義を貫きたいと希う以上、に。
ちょっと話が飛びますが。
私は、偶然なんですけど、三浦按針の記念地にはだいたい縁があるんですよね。
彼が最初に上陸した大分県臼杵市の海岸にも行ったことがあるし(←びっくりするほど何も無かった)、彼が暮らした日本橋の屋敷跡は、取引先の会社に行く途中なので、何度も通ったことがあるし、イギリス商館のあった長崎県平戸や、彼が家康に命ぜられて船を建造した伊東は、普通に観光で行って、碑文も見ている。
そして、横須賀の按針塚(旗本としての領地)は、童話作家の佐藤さとるが描いた「わんぱく天国」という小説の舞台で、その小説のファンとして(?)遊びに行ったことがあるんです、実は(^ ^)。「わんぱく天国」の中でも按針についてはごく簡単に説明されていて、それが彼を知った最初だったかな?私にとって按針は、“名前くらいは知ってる”というよりも、もう少し身近なイメージの人でした。
こんな形で、彼の人生と、彼が生きた時代を追体験できたことがとても幸せです。
古代高句麗に始まって、江戸時代初頭の日本で終わった2009年。
……さ、大掃除でもしようかな、と(*^ ^*)。
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