宝塚歌劇団月組のみなさま、千秋楽おめでとうございます!


そして。

麻子さん、
あひちゃん、
おときち、
あいちゃん、
りこちゃん、
しずく、
しおりちゃん、
もえちゃん、

ご卒業おめでとうございますm(_ _)m.


雨男(?)の麻子さんの千秋楽とは思えない暖かな夜で、いろいろ着こんでいったのは結構無駄な感じでしたが、人波の隙間から、とおく皆さんにお別れしてまいりました。
中継を観るかどうしようか迷ったのですが、パレードを優先して正解だったような気がします。愛おしい月組っ子たちの最後の笑顔を、この目で視ることができて、よかった。

みなさまの今後のお幸せと、そしてご活躍を、心から祈っています。








さて。
日生劇場にて、「シェルブールの雨傘」を観てまいりました。
ジャック・ドゥミ監督の脚本で1963年に公開された名作映画「シェルブールの雨傘」。
私も映画館で観たことはないので、これも「カサブランカ」同様テレビ鑑賞のみだと思うのですが。主題曲の美しいメロディと、カトリーヌ・ドヌーヴの美貌、そしていくつものカラフルな傘を上から撮影したエンドロール(?)の印象が残っているくらいで、ストーリーもなにも、ほとんど覚えていませんでした(^ ^;ゞ


この作品は、もともと映画用に創られたミュージカルであって、先に舞台があったものではないと思うのですが、今回の舞台化の成立の経緯がプログラムにも書いていないのでよくわからない……
普通に、謝珠栄さんによる新演出の初演、と思っていいのかな。以前にも何度か舞台化されているはずですが、それとは関係ないっぽいよね?

なんだかこの映画、主役はジュヌヴィエーヴ(カトリーヌ・ドヌーヴ)だと思っていたのですが、今回の舞台版では、カーテンコールの順序からみてギィ(井上芳雄)が主役だったみたいですね(^ ^)。
たしかに、アルジェリアの戦闘場面とかが入っているので、ギィの印象は映画よりだいぶ強くなっているなと思いましたが。……しかし、あのアルジェリアの場面で使っている音楽は映画にもあった音楽なんでしょうか(映画には戦闘場面は無かったはず)。まさかルグランに新曲を作ってもらったわけじゃないだろうし、別の場面の音楽を使ったとかなのでしょうか。


まずは、スタッフ。

脚本・作詞 ジャック・ドゥミ(映画版監督)
音楽    ミシェル・ルグラン
演出・振付 謝珠栄
翻訳・訳詩 竜真知子
装置    松井るみ
指揮    塩田明宏

ルグランの音楽については、何も言うことはありません。あの緩やかでペシミスティックなメロディラインの美しさは、原作映画の最大の魅力であり、その輝きは舞台になっても変わることはありませんでした。
そして、塩田さんの指揮も繊細でとても良かったと思います。こういう、心の襞をわけいってくるような切ない音楽も良いんですねえ。才能のある人だ。


松井さんの装置は、「パイレート・クイーン」とはちょっと違った面白い雰囲気。映画っぽい感じをよく出したイラスト調の街並みと、ひたすら雨を降らせ続けるバックスクリーンの電光との対比。本水を使うより、ずっと良い表現だったと思います。面白かった。



<この先ネタバレしています。ご注意を>



作品は、なんとなくのイメージとして残っていた以上にシンプルなメロドラマ

1957年11月
20歳の若者と16歳の少女の熱烈な(だと本人たちは思っている)恋。
でもある日、若者の手許に一通の召集令状(←この時代のフランスでも“赤紙”だったらしい)が届く。二年間の兵役。戦場であるアルジェリアへの、出征命令。
一度きりの『思い出の夜』を過ごして、別れる二人。


1958年3月
ジュヌヴィエーヴは『思い出の夜』で出来た子供と共に不安な日々を過ごす。
ギィからの便りは途絶え、不安に苛まれる彼女に優しく手を差し伸べる宝石商のカサール。
「お腹の子供を二人で育てよう」と言うカサールに、心揺れるジュヌヴィエーヴ。

アルジェリア独立戦争の最前線で闘うギィ。ジュヌヴィエーヴへの手紙を書きかけては、そのたびに夜襲やなにかで中断させられ、手紙を書くことができない。
「それでも愛している。君にもう一度逢う為に、僕は生きる……!」


1959年1月
敵の手榴弾が近くにおちて、脚を怪我したギィは、負傷兵として除隊し、シェルブールに帰ってくる。
しかし、ジュヌヴィエーヴの母親がやっていた雨傘店は、無かった。

家に帰り、伯母からジュヌヴィエーヴが他の男と結婚し、店を閉めてパリへ移ったことを聞かされる。荒れるギィ。復帰した仕事(自動車の修理工)も放り出し、年金を食いつぶしながら街を彷徨う。
彼を心配する伯母と、伯母の世話をしてきたマドレーヌ。

そうこうするうちに、体の弱かった伯母が亡くなり、その遺産で念願だったガソリンスタンドを購入。支えてくれたマドレーヌと結婚して、ささやかながら新しい生活をはじめる。


1963年12月
クリスマスの飾り付けを終えたマドレーヌが、小さな息子と買い物へ行くのを見送るギィ。
そこへあらわれた一台のベンツ。車から降りた美しいマダムの顔をみたギィは、立ち竦む。
ギィの顔をみたジュヌヴィエーヴも、また。

「娘の用事で、近くに来たの。…シェルブールに来たのは、結婚以来初めてよ」
「そう……」
「なのに、こんなところで会うなんて……」

事務所へ招き入れたジュヌヴィエーヴが、奇妙な饒舌さで語る。

「このツリーの飾りは?あなたがしたの?」
「……いや、それは、………妻が、息子と」

ふと零れて落ちる、沈黙。

「………幸せ?」
「ああ、………幸せ、だよ」

万感の思いをこめて、見詰め合う二人。
交わすべき言葉はすべて過去のもので。今となっては、何も語ることなどなくて。

「子供の名前は…?」
「……フランソワーズ、よ」

すべては、もう、終わってしまったこと。

「会っていくでしょう?」
「……いや、いいんだ」

幸せそうに微笑んで、そう告げる男は、もう20歳の青年ではなくて。
それを聞いて、すこし寂しげに微笑む彼女も、もう16歳のマドモアゼルではなくて。



パリへ帰るベンツのテールランプを見送って、彼はもう一度、空を視あげる。
舞い落ちる雪に浸されて、追憶への旅を終えて。


買い物から帰ってきた妻と子を迎えて笑う彼には、もう翳り一つなく。

「幸せ、だよ…」 と。







ギィ(井上芳雄)
この人は、ソロよりもデュエットの方がいいんだなあ、ということを思いました。
これだけ歌えて、これだけ踊れるって凄いコトだなあと感心。
「ミス・サイゴン」のクリスの経験が生きたのか、アルジェリアでの戦闘場面の迫力やその追い詰められたエネルギー、シェルブールへ戻ったときの荒んだ雰囲気など、非常に的確な芝居だったと思います。

最初の能天気な若者から、戦場で疵付いた野良犬、そして、ラストの穏やかな大人の男まで、幅広い演技力を必要とする役でしたが、とても良かったと思います♪♪




ジュヌヴィエーヴ(白羽ゆり)
これが、宝塚卒業後初舞台…ってことでいいのかな?
残念ながら井上くんより4つも歳下の女の子には見えないので、一幕は苦戦していた印象ですが、二幕の心の揺れはさすがでした。天使だからね、となみちゃんは。人間と同じ理屈では動かないので。来ない手紙への不安、自分の中で大きく育っていくモノへの恐怖心。人間としての強靭さを持たない、儚げですぐに折れてしまう天使の心が、とても切なかったです。


私が一番好きだったのは、ラストの再会の場面。
マダムとしてのちょっと色っぽい(?)風情がとても良かったです。ああ、グルーシェニカをもう一度観てみたい…。

歌は現役時代より落ち着いて、良かったと思います。井上くんとはピッチがあうみたいで、デュエットの響きがすごく綺麗でした。
でも、、、体型はタカラジェンヌ時代をキープしてほしいよー(T T)。男役さんは、卒業したらすこしふっくらして丸みがついた方が女優としては良いでしょうけど、娘役さんはそのままキープしてほしいの(; ;)。ジュヌヴィエーヴは踊らないし、あまり身体の線が出ない服なので目立たないんだけど、、、でも、判るもん。ホントのとなみちゃんは、もっとずっと綺麗なんだもん!!(←贔屓目?)




ジュヌヴィエーヴの母(香寿たつき)
華やかな美しさのあるマダムっぷりで、なかなかの嵌り役でした。
なんとなく、カサールを挟んでジュヌヴィエーヴと恋敵みたいになるのかな?とか思ったのですが(←本当に映画を視たのか?)、普通に優しくてしっかり者の母、でした。
娘に対しては高圧的な、しっかりものでクールなビジネスウーマンタイプに見えて、8万フランの請求書が来た途端に崩れてしまって娘へ頼りきりになってしまうところとか、娘が結婚するとあっさり店を手放してパリへ行ってしまうとか、案外弱い女な面もあったり、相当複雑なキャラクターで難しかったと思うのですが、タータンはかなり的確に演じていたと思います。
もともとタータン自身が二面性のある役者なので、ちょうど良かったのかも。
歌はさすがでした。スタイルもますます磨かれて、イイオンナ度がアップ↑↑してました♪




カサール(岸田敏志(智史))
カッコいい!!
最初に出てきたときは、もっと胡散臭いキャラだったのに(ジュヌヴィエーヴが「詐欺だったのでは?」と疑う場面がある)実は物凄く良い人、というおいしい役(^ ^)。となみちゃんという天使を柔らかく包み込む「大人」の存在感がとても良かったと思います。
久しぶりにお姿を拝見して、大好きだった「クリスマス・キャロル」のボブ・クラチットを思い出しました♪素敵だったわ♪♪




ギィの伯母(出雲綾)
足が悪いという設定で、ほぼ座ったきりの役。ギィの唯一の身内という設定で、ジュヌヴィエーヴには見せられない弱さを零させるための存在でした。
やわらかくて温もりのある存在感で、宝塚現役時代の暑苦しい空気が無くなっていたのが不思議です。現役時代にこの空気を醸してくれていたら……と思わずにはいられませんが、彼女にとって「女優」としての成長はこれからなのかもしれませんね。
可愛らしい、愛情に溢れた素敵な伯母さんでした(はぁと)。




マドレーヌ(ANZA)
ギィの伯母さんを献身的に看護する、穏やかで辛抱強い、優しい女性。映画の設定によると、看護学校の生徒(?)のようですね。舞台を観ているときは、又従姉妹とかなんとか、要するに親戚なのかな?と思ったりもしたのですが。
一幕は、ほとんど出番はないものの、ギィに対するほのかな恋心をちゃんと表現していて、二幕の展開に唐突感がなかったのが嬉しかったです。しかし、以前、坂本昌行さんのギィと藤谷美紀さんのジュヌヴィエーヴで上演されたとき、マドレーヌは入絵加奈子ちゃんだったそうなので、エポニーヌ系の役者が配役されているようなのですが、音楽として聴いていると、もう少し柔らかなソプラノの方が音楽には合うような気がしたのですが……。
となみちゃんの声がまろやかな低音だから、そんな気がするだけかしら?




アンサンブル
最後に書いてますけど、この作品の目玉は、井上くんでもとなみちゃんでもなく、アンサンブルのダンスでした。
謝振付のカッコいいところを全部やっていた三組の男女に、乾杯。


とりあえず、久しぶりに思いっきり踊っている滝沢由佳さん(元四季)にお会いできて嬉しいです。こんなところにいらっしゃるとは!!(@ @)いやーーー、加藤敬二さん以外の振付で踊ってる滝沢さん、初めて観た……わけではないはずですが、文句無く素晴らしいダンスでした★ご馳走様★


あと、面白かったのは傘の行方、ですね。
一番最初の、ギィとジュヌヴィエーヴの出会いで、ギィがジュヌヴィエーヴに傘を渡す。これがきっかけに恋が始まるわけです。
で、その後、ジュヌヴィエーヴは、たしか街の乳母車を押した女性に傘を渡していた…ような気がする(←違うかも)。で、その女性からまた別のアンサンブルに渡されて……と、雨が降り出すたびに違う人の手を渡った傘は、最後にもう一度ギィの元に戻り、そして、ラストの別れのシーンで、ギィの手から事務所を出て車に向かうジュヌヴィエーヴに渡される。
特別な模様がついているような傘ではないので確信はありませんが、たぶん、そんな感じに回っていたと思います。

他にもいろいろエピソードがあって。
喧嘩してはまた仲直り、を繰り返すカップルとか、
乳母車を押していた女性が元夫と再会するドラマティックなシーンとか。
その元夫が、花売り娘の現恋人だったような気がするんだけど、あれ?とか。

一回しか観ていないので、すべてはチェックできていないと思うのですが、彼らには彼らの人生があって……というのが、すごく映画っぽいなと思いました。
……映画そのものは、ほとんど覚えていないのに、すみません(汗)。



ごくごくシンプルなメロドラマで、話は単純だし、ジュヌヴィエーヴの天使っぷりもどうかと思う部分はあるのですが。
でも、やっぱりこの物語の中には一つの真実が描かれているんだな、と思います。
切ないまでの、人間の心の真実、が。

弱いことは罪ではない、と。
弱いことが罪なのではなく、弱さ故に不誠実になることが罪なのだ、と。

美しい音楽にのせて綴られた、生粋のフランス映画。
物語の間中降りしきっていた雨が、ラストシーンで雪に変わる、その変化がとても美しいです。


美しいということは強さなのだな、と、そんなことを思ったりもした、日比谷の夜でした。



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