シアタークリエにて上演中の「グレイ・ガーデンズ」を観てまいりました。(だいぶ前ですが)
先月は、これと宝塚以外に二本のお芝居を観ました。
新国立劇場「ヘンリー六世」三本立てと、
銀河劇場「フロスト/ニクソン」。
どれも非常に面白かったのですが、まずは「グレイ・ガーデンズ」について。この週末が千秋楽なので、その前に書かせていただきます。
あ。でも。その前に一つだけ。
(花影)アリスちゃん、バウヒロイン、おめでとうございます!
歳上女房って珍しいような気がするけど、カチャ(凪七瑠海)とは「カサブランカ」でも夫婦役で組んでいて、な~んか雰囲気が似ているような気がして、よく似合うなぁと思っていたので、納得してしまいました。
それにしても、誰が出るんだろう……。かいちゃんにはドラマシティに来てほしいんだけどなあ(T T)、、、。
というところで、「グレイ・ガーデンズ」。
宮本亜門は、こういう緻密な中小劇場作品は最高だわ!
大劇場が悪いとは言いませんが、大劇場の演出には大劇場にふさわしい才能が必要だと思うんですよ。ある程度アバウトに割り切る才能ね。小池さんとか、小池さんとか、小池さんとか。
亜門さんは、本当にセンスのあるプロデューサーであり演出家なんですけど、大劇場の演出をやらせると演出的なケレンに走りすぎてしまって、芝居としてのドラマが盛り上がらなくなるきらいがあるんですよね(; ;)。
でも、今回は本当に良かったです。クリエという劇場のサイズが合うんじゃないかな。
作品としても面白かったし、キャスティングがまた秀逸でした(^ ^)。大竹しのぶと草笛光子。この大女優二人をそろえることができるなんて!…これは、さすが宮本亜門というべきなんでしょうか……。
実際観てみると、本当にこの役は大竹しのぶしか考えられないし、草笛光子じゃなくちゃ駄目なんだなあ、と。本当に、すごかったです。
この物語は、ドキュメンタリーの映画が原作になっています。
私は全然知らなかったのですが、アメリカでは有名な映画だそうですね。ジャクリーン・ケネディの親戚、上流階級の家庭で育ち、ジョン・F・ケネディの兄と婚約していたこともあるイーディス・ブーヴィエ・ビールと、その母親。かつては豪壮であったブーヴィエ家の邸宅「グレイ・ガーデンズ」で暮らす母娘二人の、ひどく悲惨で切なくて、非現実的で、けれどもきっと、なにか揺るがないものがある生活。
二幕は、このドキュメンタリーが撮られた時代(1970年代)を舞台にしています。荒れ果てたグレイ・ガーデンズ。権高で口喧しい貴族気質の母・イーディス(草笛光子)と、エキセントリックで性格の激しい娘・リトル・イディ(大竹しのぶ)、そして、御用聞きがてら訪ねてくる少年・ジェリー(川久保拓司)の、なんともいえず乾いた、ファンタジックな関係が丹念に描かれていました。
そして一幕は、その30年前。ドキュメンタリーが創られた後、本人や関係者に取材して構成したようです。まだ若く美しいリトル・イディ(彩乃かなみ)と、美しく華やかな母(大竹しのぶ)。リトル・イディの婚約者、ジョセフ・P・ケネディJr.(川久保拓司)と、屋敷の住み込みのピアニスト(吉野圭吾)。そして、イーディスの父親である厳格なブーヴィエ少佐(光枝明彦)。
一幕・二幕を同役で出演するのは、グレイ・ガーデンズの執事(デイビット矢野)のみ。いや、正確には彼も二幕では一幕の役の息子ということになっているんですけどね、まあ、、、気にしない気にしない(^ ^)。
これに、一幕に出てくるブーヴィエ家の二人の子供たち(後にケネディ夫人となるジャクリーンとその妹)を加えた計9人が、出演者の全て。こぢんまりとした舞台なのに、ものすごく濃いお芝居でした。
家柄も良く、美貌と才能に恵まれた母と娘。
写真で見ると、若い頃のイーディスもリトル・イディ(母と同じ名前なので、こう呼ばれたらしい)も物凄い美人で、女優を夢見るのも納得です。それこそ、ジャクリーン・ケネディ夫人よりずーっと綺麗なんですよね。
そんな美貌で、歌の才能も(そこそこは)あって。頭もよくて勝気で、気位が高くてわがままな、そんな女たち。
この物語に、イーディスの夫である弁護士のビール氏は出てきません。
娘の婚約パーティーにも来ようとしない夫。現実を生きる才能に溢れ、現実にしか興味の無い彼は、夢に溺れた妻の気持ちなど全く理解できなかったのでしょうね。
歌を愛し、舞台に立つ自分を夢見たイーディスは、繰り返しレコードに自分の歌を吹き込み、パーティーのたびに歌を披露し……そして、遂には夫から離縁されてしまう。グレイ・ガーデンズひとつを慰謝料に。
目立ちたがり屋で華やかで、自分が場の中心にいないと気がすまない母。
そんな母を愛しながらも、心のどこかで疎ましく思っている娘。海軍大尉ジョセフ(ジョン・F・ケネディの兄)との婚約パーティーでまで歌を披露しようとしている母を止めようとして、母を傷つけてしまう。
そして。
母は敬虔なカトリックだったジョセフに、リトル・イディの「武勇伝」を話してしまう……。
この場面の、大竹しのぶの怖さ!!
イーディスは、自分の無意識の悪意にまったく気がついてない、そのことがすごく怖かった。自分の娘の『幸せ』を引き裂いておきながら、自分ではそれは娘に対する愛情だと信じているのです。結婚は不幸に直結している。今現在不幸な結婚生活を送っているイーディスは、その思い込みから抜け出ることができません。
女性たるものは例外なく「貞淑であるべき」と決め付けられた時代に、他の何よりも「貞淑」を重要視するカトリックの男に向かって、お前の恋人は、お前なんかの手に負える女じゃないんだよ、と言い放つプライド。
それはたぶん、イーディスが自分の夫に、あるいは父親にずっと言いたかった言葉なのだろうに。
その激しい悪意に晒されたジョセフは、怯えて逃げ帰る。後に残されたリトル・イディは、母を責め、そして、涙をこぼしながら家を飛び出していく。
愛する母親を置いて。置き捨てて。
安全な『母親の腕の中』、美しいグレイ・ガーデンズを飛び出して、ニューヨークの雑踏の中へと。
そのまま一幕は終わり、二幕は、30年後の荒れ果てたグレイ・ガーデンズで始まります。
数十匹の猫と数年分のゴミが堆積し、保健所から退去命令がでるほどだったグレイ・ガーデンズ。
そこには、老いて身体の自由もきかなくなりつつあるイーディスと、ニューヨークから戻ってきていたリトル・イディが棲んでいる。
脚本の中では、この間の『空白の30年間』についてハッキリとは語られませんが、リトル・イディは父親を頼ってニューヨークに出て、モデルの仕事をしながら女優になろうとしたようですね。でも、(当たり前だけど)まっっったくの泣かず飛ばずで、経済的に困窮し、精神的にも壊れかけていたらしい。
舞台では、父親(早い段階でイーディスとは離婚し、愛人と暮らしている)とは何度か会ったりもしていたけれども、病院(おそらく精神病院)に放り込まれそうになったところで母に呼び戻されたことになっていたと思います。
経済的にも精神的にも自立できない“お嬢さん”なイディ。安全な母親の腕を振り切って、自立して生きていくほど娘も強くはなかったし、一人で豪壮な屋敷を切り回して生きていくほどには、母も強くはなかった。
結果として、壊れかけていた娘と、彼女を守ろうとした母親は、長い年月を世間から切り離されて過ごすうちにお互いへの依存ばかりが深まっていく。
もはや離れることはできず、けれども、愛することももはや出来ない。ジョセフとの結婚話が壊れたことを怨みつづける娘と、一度は自分を棄てたにも関わらず、自立に失敗して戻ってきた娘をなじる母親。
二人のあまりにもあからさまな悪意の応酬と、その冷たいやり取りの底にながれる遠慮のなさ、気持ちを曝け出せる安心感みたいなものが絶妙で。すごーく怖い場面だったんですけど、なんだか凄く、ラストに向けてグッときました……(^ ^;ゞ
私自身、今ちょっと親との関係が冷えていて、なるべく距離を置くようにしていたりするので、そういうのも影響したのかもしれませんが、結構泣けてしまいました。
かなみちゃんが、幻のリトル・イディ(30年前)として、何度も何度も家を出て行く場面を再現するのが、凄く痛い。
リトル・イディ(大竹しのぶ)の心の中には、あの光景は何度も何度もリピートされていたのだろう。まるで壊れたレコードのように。イーディス(草笛光子)もまた、娘が自分を棄てて出ていった朝の光景を、何度も何度も思い返したのだろう。痛みを持って。
……家庭をもたない娘と母親の関係って、案外難しいものだと思うんですよね。イーディスとリトル・イディは特殊な例なように見えますけれども、案外、娘が何をしてもなんとなく気に入らない親とか、親に何か言われる度に無性に腹が立つ娘っていうのは、居るんじゃないかな、と(←自分がそうだからって、それが普通だと思っちゃ駄目、かな…?)
そういう気持ちがリアルにわかるから、二人のすれ違いの切なさとか、それでも、無理なものは無理と諦めながらも、微かに歩み寄ろうとするラストシーンとか、すごく重たい、痛々しい感動がありました。
キャストの話を少しだけ。
大竹しのぶさんは、昔を思えばずいぶん歌えるようになったなあ、と(^ ^;ゞ
あの役は、歌手である必要は無いと思うし、パーティーの真ん中で歌うだけの華やかさはあったので、よかったと思います。二幕の奇抜なファッションも良く似合っていたし、他にこのファンタジックな役を演じてほしい女優もいないしね(^ ^)。
草笛さんは、、、、えーっと、あの方はたしか1933年生まれなので……76歳!?
十数年前に、何の作品だったかなあ……美しいおみ足を晒して踊る役を演じていらっしゃるのを拝見して、60過ぎても脚が出せるって凄いなーと思ったことも懐かしい。今回は貫禄のある“老夫人”っぷりが美しかった♪ 肺活量がだいぶ落ちているみたいで、往年の歌声がなかったのは残念ですが、芝居はさすが!!怖いほど貫禄に満ちた上流階級の女性。それでいて、茶目っ気や優しさに満ちて、でも娘に対しては辛辣で……。仕草のひとつひとつを吟味して役に入られているのがよくわかりました。女優たるもの、こうでなくっちゃ!
かなみちゃんは、若さに溢れたエネルギッシュな美女で、当たり役だったと思います。現役時代とはだいぶ芝居の創り方も変わってきて、いい芝居にめぐり合ってよかったね!と素直に思いました。
ただ。しのぶさんが細い(というかガリガリ)なので、もう少し絞ってくれるとバランスが良くなるんだけどな……。
川久保さんは、誠実そうな甘いマスクがどちらの役にもぴったり♪ 特に二幕の少年がお気に入りです。
吉野さんは、胡散臭くて腹黒くて、素晴らしかった!「グールド」って呼ばれているからてっきりグレン・グールドの若い頃かと思っていたのですが、全然関係ないみたいですね。
光枝さんは、一幕でイーディスを追い詰める父親役。どうしても光枝さんというとダンディで優しいイメージがあるので、こういう厳格一方の役は珍しいような気がするのですが、すごく良かったです。やはり声がいい役者は得ですね♪
そんなところかな。
とにかく、非常に興味深い作品でした。もう一回観たかった……(過去形)
.
先月は、これと宝塚以外に二本のお芝居を観ました。
新国立劇場「ヘンリー六世」三本立てと、
銀河劇場「フロスト/ニクソン」。
どれも非常に面白かったのですが、まずは「グレイ・ガーデンズ」について。この週末が千秋楽なので、その前に書かせていただきます。
あ。でも。その前に一つだけ。
(花影)アリスちゃん、バウヒロイン、おめでとうございます!
歳上女房って珍しいような気がするけど、カチャ(凪七瑠海)とは「カサブランカ」でも夫婦役で組んでいて、な~んか雰囲気が似ているような気がして、よく似合うなぁと思っていたので、納得してしまいました。
それにしても、誰が出るんだろう……。かいちゃんにはドラマシティに来てほしいんだけどなあ(T T)、、、。
というところで、「グレイ・ガーデンズ」。
宮本亜門は、こういう緻密な中小劇場作品は最高だわ!
大劇場が悪いとは言いませんが、大劇場の演出には大劇場にふさわしい才能が必要だと思うんですよ。ある程度アバウトに割り切る才能ね。小池さんとか、小池さんとか、小池さんとか。
亜門さんは、本当にセンスのあるプロデューサーであり演出家なんですけど、大劇場の演出をやらせると演出的なケレンに走りすぎてしまって、芝居としてのドラマが盛り上がらなくなるきらいがあるんですよね(; ;)。
でも、今回は本当に良かったです。クリエという劇場のサイズが合うんじゃないかな。
作品としても面白かったし、キャスティングがまた秀逸でした(^ ^)。大竹しのぶと草笛光子。この大女優二人をそろえることができるなんて!…これは、さすが宮本亜門というべきなんでしょうか……。
実際観てみると、本当にこの役は大竹しのぶしか考えられないし、草笛光子じゃなくちゃ駄目なんだなあ、と。本当に、すごかったです。
この物語は、ドキュメンタリーの映画が原作になっています。
私は全然知らなかったのですが、アメリカでは有名な映画だそうですね。ジャクリーン・ケネディの親戚、上流階級の家庭で育ち、ジョン・F・ケネディの兄と婚約していたこともあるイーディス・ブーヴィエ・ビールと、その母親。かつては豪壮であったブーヴィエ家の邸宅「グレイ・ガーデンズ」で暮らす母娘二人の、ひどく悲惨で切なくて、非現実的で、けれどもきっと、なにか揺るがないものがある生活。
二幕は、このドキュメンタリーが撮られた時代(1970年代)を舞台にしています。荒れ果てたグレイ・ガーデンズ。権高で口喧しい貴族気質の母・イーディス(草笛光子)と、エキセントリックで性格の激しい娘・リトル・イディ(大竹しのぶ)、そして、御用聞きがてら訪ねてくる少年・ジェリー(川久保拓司)の、なんともいえず乾いた、ファンタジックな関係が丹念に描かれていました。
そして一幕は、その30年前。ドキュメンタリーが創られた後、本人や関係者に取材して構成したようです。まだ若く美しいリトル・イディ(彩乃かなみ)と、美しく華やかな母(大竹しのぶ)。リトル・イディの婚約者、ジョセフ・P・ケネディJr.(川久保拓司)と、屋敷の住み込みのピアニスト(吉野圭吾)。そして、イーディスの父親である厳格なブーヴィエ少佐(光枝明彦)。
一幕・二幕を同役で出演するのは、グレイ・ガーデンズの執事(デイビット矢野)のみ。いや、正確には彼も二幕では一幕の役の息子ということになっているんですけどね、まあ、、、気にしない気にしない(^ ^)。
これに、一幕に出てくるブーヴィエ家の二人の子供たち(後にケネディ夫人となるジャクリーンとその妹)を加えた計9人が、出演者の全て。こぢんまりとした舞台なのに、ものすごく濃いお芝居でした。
家柄も良く、美貌と才能に恵まれた母と娘。
写真で見ると、若い頃のイーディスもリトル・イディ(母と同じ名前なので、こう呼ばれたらしい)も物凄い美人で、女優を夢見るのも納得です。それこそ、ジャクリーン・ケネディ夫人よりずーっと綺麗なんですよね。
そんな美貌で、歌の才能も(そこそこは)あって。頭もよくて勝気で、気位が高くてわがままな、そんな女たち。
この物語に、イーディスの夫である弁護士のビール氏は出てきません。
娘の婚約パーティーにも来ようとしない夫。現実を生きる才能に溢れ、現実にしか興味の無い彼は、夢に溺れた妻の気持ちなど全く理解できなかったのでしょうね。
歌を愛し、舞台に立つ自分を夢見たイーディスは、繰り返しレコードに自分の歌を吹き込み、パーティーのたびに歌を披露し……そして、遂には夫から離縁されてしまう。グレイ・ガーデンズひとつを慰謝料に。
目立ちたがり屋で華やかで、自分が場の中心にいないと気がすまない母。
そんな母を愛しながらも、心のどこかで疎ましく思っている娘。海軍大尉ジョセフ(ジョン・F・ケネディの兄)との婚約パーティーでまで歌を披露しようとしている母を止めようとして、母を傷つけてしまう。
そして。
母は敬虔なカトリックだったジョセフに、リトル・イディの「武勇伝」を話してしまう……。
この場面の、大竹しのぶの怖さ!!
イーディスは、自分の無意識の悪意にまったく気がついてない、そのことがすごく怖かった。自分の娘の『幸せ』を引き裂いておきながら、自分ではそれは娘に対する愛情だと信じているのです。結婚は不幸に直結している。今現在不幸な結婚生活を送っているイーディスは、その思い込みから抜け出ることができません。
女性たるものは例外なく「貞淑であるべき」と決め付けられた時代に、他の何よりも「貞淑」を重要視するカトリックの男に向かって、お前の恋人は、お前なんかの手に負える女じゃないんだよ、と言い放つプライド。
それはたぶん、イーディスが自分の夫に、あるいは父親にずっと言いたかった言葉なのだろうに。
その激しい悪意に晒されたジョセフは、怯えて逃げ帰る。後に残されたリトル・イディは、母を責め、そして、涙をこぼしながら家を飛び出していく。
愛する母親を置いて。置き捨てて。
安全な『母親の腕の中』、美しいグレイ・ガーデンズを飛び出して、ニューヨークの雑踏の中へと。
そのまま一幕は終わり、二幕は、30年後の荒れ果てたグレイ・ガーデンズで始まります。
数十匹の猫と数年分のゴミが堆積し、保健所から退去命令がでるほどだったグレイ・ガーデンズ。
そこには、老いて身体の自由もきかなくなりつつあるイーディスと、ニューヨークから戻ってきていたリトル・イディが棲んでいる。
脚本の中では、この間の『空白の30年間』についてハッキリとは語られませんが、リトル・イディは父親を頼ってニューヨークに出て、モデルの仕事をしながら女優になろうとしたようですね。でも、(当たり前だけど)まっっったくの泣かず飛ばずで、経済的に困窮し、精神的にも壊れかけていたらしい。
舞台では、父親(早い段階でイーディスとは離婚し、愛人と暮らしている)とは何度か会ったりもしていたけれども、病院(おそらく精神病院)に放り込まれそうになったところで母に呼び戻されたことになっていたと思います。
経済的にも精神的にも自立できない“お嬢さん”なイディ。安全な母親の腕を振り切って、自立して生きていくほど娘も強くはなかったし、一人で豪壮な屋敷を切り回して生きていくほどには、母も強くはなかった。
結果として、壊れかけていた娘と、彼女を守ろうとした母親は、長い年月を世間から切り離されて過ごすうちにお互いへの依存ばかりが深まっていく。
もはや離れることはできず、けれども、愛することももはや出来ない。ジョセフとの結婚話が壊れたことを怨みつづける娘と、一度は自分を棄てたにも関わらず、自立に失敗して戻ってきた娘をなじる母親。
二人のあまりにもあからさまな悪意の応酬と、その冷たいやり取りの底にながれる遠慮のなさ、気持ちを曝け出せる安心感みたいなものが絶妙で。すごーく怖い場面だったんですけど、なんだか凄く、ラストに向けてグッときました……(^ ^;ゞ
私自身、今ちょっと親との関係が冷えていて、なるべく距離を置くようにしていたりするので、そういうのも影響したのかもしれませんが、結構泣けてしまいました。
かなみちゃんが、幻のリトル・イディ(30年前)として、何度も何度も家を出て行く場面を再現するのが、凄く痛い。
リトル・イディ(大竹しのぶ)の心の中には、あの光景は何度も何度もリピートされていたのだろう。まるで壊れたレコードのように。イーディス(草笛光子)もまた、娘が自分を棄てて出ていった朝の光景を、何度も何度も思い返したのだろう。痛みを持って。
……家庭をもたない娘と母親の関係って、案外難しいものだと思うんですよね。イーディスとリトル・イディは特殊な例なように見えますけれども、案外、娘が何をしてもなんとなく気に入らない親とか、親に何か言われる度に無性に腹が立つ娘っていうのは、居るんじゃないかな、と(←自分がそうだからって、それが普通だと思っちゃ駄目、かな…?)
そういう気持ちがリアルにわかるから、二人のすれ違いの切なさとか、それでも、無理なものは無理と諦めながらも、微かに歩み寄ろうとするラストシーンとか、すごく重たい、痛々しい感動がありました。
キャストの話を少しだけ。
大竹しのぶさんは、昔を思えばずいぶん歌えるようになったなあ、と(^ ^;ゞ
あの役は、歌手である必要は無いと思うし、パーティーの真ん中で歌うだけの華やかさはあったので、よかったと思います。二幕の奇抜なファッションも良く似合っていたし、他にこのファンタジックな役を演じてほしい女優もいないしね(^ ^)。
草笛さんは、、、、えーっと、あの方はたしか1933年生まれなので……76歳!?
十数年前に、何の作品だったかなあ……美しいおみ足を晒して踊る役を演じていらっしゃるのを拝見して、60過ぎても脚が出せるって凄いなーと思ったことも懐かしい。今回は貫禄のある“老夫人”っぷりが美しかった♪ 肺活量がだいぶ落ちているみたいで、往年の歌声がなかったのは残念ですが、芝居はさすが!!怖いほど貫禄に満ちた上流階級の女性。それでいて、茶目っ気や優しさに満ちて、でも娘に対しては辛辣で……。仕草のひとつひとつを吟味して役に入られているのがよくわかりました。女優たるもの、こうでなくっちゃ!
かなみちゃんは、若さに溢れたエネルギッシュな美女で、当たり役だったと思います。現役時代とはだいぶ芝居の創り方も変わってきて、いい芝居にめぐり合ってよかったね!と素直に思いました。
ただ。しのぶさんが細い(というかガリガリ)なので、もう少し絞ってくれるとバランスが良くなるんだけどな……。
川久保さんは、誠実そうな甘いマスクがどちらの役にもぴったり♪ 特に二幕の少年がお気に入りです。
吉野さんは、胡散臭くて腹黒くて、素晴らしかった!「グールド」って呼ばれているからてっきりグレン・グールドの若い頃かと思っていたのですが、全然関係ないみたいですね。
光枝さんは、一幕でイーディスを追い詰める父親役。どうしても光枝さんというとダンディで優しいイメージがあるので、こういう厳格一方の役は珍しいような気がするのですが、すごく良かったです。やはり声がいい役者は得ですね♪
そんなところかな。
とにかく、非常に興味深い作品でした。もう一回観たかった……(過去形)
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コメント
で、慌てて公演みたいなと思ってチケット売り場に行ったら全席売り切れで立ち見だったので、驚いてます。
シアタークリエ初の立ち見じゃないかなぁ?
感想を読んで、すごい作品だったんだなぁと改めて思いました。
こういう作品に、そしてこの2女優と共演できて本当によかったね、かなみちゃん。
来年のかなみちゃんが楽しみです。で、オフをみても、ちょっとふっくらしていて
スタイルとしては一般人な感じでした(笑)
親しみがあっていいけど・・・
>先日、クリエの楽屋口に通りかかったらかなみちゃんがさらっと一人で楽屋入りしていて
おお~、そんな偶然が(^ ^)。相変わらず可愛いですよね、かなみちゃん。丸いけど。
>で、慌てて公演みたいなと思ってチケット売り場に行ったら全席売り切れで立ち見だった
えーっっ!?そうなのか……まあ、でも納得です。いい作品なので。こういう作品がちゃんと売り切れる(それも、自分はちゃんと観た後で/笑)っていうのは、すごく嬉しいです♪
日曜日の楽まで、がんばってほしいです。
かなみちゃん、できればカマラ姫のときくらいの体型を維持してくれるといいんだけどなあ……(- -)。
シアタークリエ初の立ち見じゃないかなぁ?
感想を読んで、すごい作品だったんだなぁと改めて思いました。
こういう作品に、そしてこの2女優と共演できて本当によかったね、かなみちゃん。
来年のかなみちゃんが楽しみです。で、オフをみても、ちょっとふっくらしていて
スタイルとしては一般人な感じでした(笑)
親しみがあっていいけど・・