ああ言えば女優、こう言えば大女優
2009年10月30日 演劇PARCO劇場にて、「印獣 ~ああ言えば女優、こう言えば大女優」を観劇してまいりました。
感動した!!
三田佳子、という驚異の大女優の巨きさに、涙がでました……。
ねずみの三銃士(生瀬勝久・池田成志・古田新太)主催&出演、宮藤官九郎脚本、川原雅彦演出……5年前に「鈍獣」で組んだ5人が、また組む。5年前には宮藤に岸田國士戯曲賞を獲らせたメンバーが、今度は何をしてくれるのか?と愉しみにしていたのですが。
いやはや。やってくれました。
実に興味深かったです。
三田佳子が演じるのは、『大女優』という名の生き物。
その、圧倒されるより他にない、強烈な生き様。ブレのない存在感。
そして、その回りをうろちょろする三銃士の、これまたブレのないキャラクター造形の見事さ。
プロローグは、山道を走る車のセット。
運転席には、編集者の児島(岡田義徳)。
助手席には、最初は携帯作家の飛竜一斗(生瀬)。あれこれ会話をしているうちに、事故みたいな音がして、一瞬の暗転。その一瞬に助手席の人物が入れ替わって、今度は、絵本作家の上原卓也(池田)。今ひとつ流れのつかめない会話を聞いているうちに、またもや事故のような演出があって、一瞬の暗転、次の瞬間には、助手席の人物は風俗ルポライターの浜名大介(古田)に変わっている。
聞いているうちに、児島が三人を仕事場へ連れていこうとしていることがわかってくる。連れて行く先は温泉の近くであるらしい。三人は共同で何かを書くことを依頼されているようだが、詳しい内容はよく知らないらしい。
演出的に、児島が三人をそれぞれ一人ずつ車に乗せて走っているので、児島が三人いるというネタかと思いましたが、全然関係ありませんでした(^ ^;ゞ。コンビニだらけの風景が見えたり、暗転するためにいちいち事故ったときのブレーキ音みたいな効果音をはさむので、実は児島はこのあたりで事故で死んだ亡霊だった…とか?、などといろいろネタを考えたのになー。
走る車に合わせて流れる背景の画像がなかなかよく出来ていて、「山道を走っている車」というリアリティがありました。会話が進むにつれて、だんだん鬱蒼とした雰囲気になっていくのが良かった。それでいて、突然回りにコンビニが立ち並ぶ風景が出てきたりして、どうも「別世界」感を出そうとしたんだろうな、と思います。
……全然関係なかったけどな。
事故(?)で放り出された三人が、山道で出会う。
いつの間にか姿が消えている児島。
いつの間にか現れる、古びた洋館。
開く扉。
吸い込まれるように、洋館の中にはいっていく、三人。
紗幕があがり、洋館の中のセット。これでプロローグが終わって、本編の始まりか?と思ったのに、ちょっと会話をしているうちに、三人とも床の穴に落ちて消えていく。
またもや暗転して、洋館のセットの床が上にあがり、地下室のセットになって、そこからが本番、ということになるのですが。
なんというか。
もう、ここまでのプロローグですでにすっかり引き込まれちゃっているんですよね。基本的に理屈に合わない会話ばっかりなんですけど、なんかよくわかんないけど、面白い。そんな感じ。
地下室に閉じ込められた三人に語りかけてくる天の声。
「あなたたちには、私の自伝を書いていただきます!」
そんな宣言と共に、電飾の椅子に載って現れる大女優・長津田麗子(三田)。
拍手喝采。
誰も知らない大女優、という存在。
「長津田麗子?誰?」という彼らに、彼女は騒ぐことなく嫣然と頬笑んで言う。
「ええ。私こそが長津田麗子」
大女優の貫禄。誰も知らなくても、間違いなく大女優。
こう言えるのは、大女優だからこそ。
こう言えるからこその大女優。
こう言える、という理由で、大女優。
どれも真実で、どれも間違い。
児島の娘を誘拐して言うことをきかせ、
「自叙伝が出版されたら、印税は丸ごとあげるわ。三人で折半なさい」
そして、無名の女優の自叙伝が売れる訳がない!と騒ぐ彼らに
「私が買います」
とキッパリ。
その潔さ。というか貫禄。というか、凄味。
彼女の狂気に巻き込まれて、「娘の命が懸かっている」から、「なんとしても書いてもらう!」とナイフで脅す児島。
悪いのは麗子のはずなのに、書こうとしない作家たちを責め続ける。
「何してるんすか!?早く書いてください!」
狂気、という風が、少しずつ吹き始める。
投げ遣りな雰囲気で第一章を書き上げた浜名に、彼女は言う。
「そんな展開、つまらないわ」
と。
「ボタ山で見た夢が、ボタ山で叶ってしまったら、それで終わりよ。夢も希望もないじゃないの」
その、自信に満ちた穏やかな声。
「でっちあげでもいいから、もっともっとドラマティックに盛り上げて頂戴!」
えっと。
あの。
今、彼らが書いているのは、貴女の自叙伝、ですよね………?
ええ、私の自叙伝なんですから、ドラマティックでなければ!
17歳で女優の付き人を始め、
撮影所の「センセイ」の愛人になり、
それが「センセイ」の奥様にバレて、せっかくの(エキストラだけど)出演場面のフィルムを破棄される。
その後、長い下積みを経て、いわゆる「戦隊モノ」らしい「カイセンジゃー!」の悪役『毒マグロ貴婦人』役を掴んだのも束の間、哀しい事件が起こって役を降ろされてしまう……
そして、拾ってくれた流れの劇団で主役を掴み、ポスターに載ったのも束の間、舞台の最中にツワリで倒れ、団長の娘を産んだけど、そのまま置いて行かれて。
歯を食いしばって娘(ユキエ)を育て、「女優」の夢を娘に賭けるけれども。なかなか思うようにはいかず……
そんな人生を、一つ一つ肯きながら受け入れる麗子。
だんだんと、フィクションであるはずの物語が、現実とリンクしていく。
「フィクション」と「現実」を隔てる壁が、薄く低くなっていく。
撮影所の「センセイ」は、有名な作家だった飛竜の父親。飛竜は、麗子を追い出した「本妻の息子」だった……
毒マグロ貴婦人を追い詰めた子供は、幼い日の上原だった。
そして、ユキエを追い詰めたのは……
次第にフィクションと現実の境目が見えなくなっていく世界の中で、長津田麗子はすっくと立って、宣言する。
「この素晴らしくドラマティックな人生を本にして、映画化するの。それこそが私の、初主演作よ!!」
その、清々しいまでの美しさ。
色濃く劇場を覆うオーラの輝き。
この世のものならぬ大女優の、奇跡。
いやあ、泣きましたよ私。終盤の、長津田麗子の長いモノローグで。
娘と二人で生きてきた人生を語る、モノローグ。女優が女優であるために、棄てたものと、喪ったもの。
わがままで自分勝手な言い訳と責任転嫁と、そして欺瞞。
悔恨も反省もなく、ただただ悲嘆にくれるばかりの、我侭な人生。
ユキエ役の人形を相手に芝居をする長津田麗子の恐ろしさ。
ユキエ役を人形にした宮藤&河原の怖ろしいまでの悪意と、自分を憐れむことのない、麗子の鮮やかすぎる信念。何の賞でもいいから三田佳子に「主演女優賞」を捧げたい、と、心から思いました。ああ、観てよかった。
三田さんのことばかり書いてしまいましたが、もちろん、「ねずみの三銃士」の三人が素晴らしかったことは言うまでもありません。前半から中盤までを支配した池田さん、全体を通して舞台を締めて(占めて?)いた古田さん、そして、ラストに全部持って行った生瀬さん。彼らだからこそ、三田さんがどれだけやりたい放題しても何の問題もなく、安心して観ていられたのだと思います。
ブレのない世界観。人間だから時々ブレたり迷ったりするはずなのに、登場人物の誰一人、悩んだりわかんなくなったりすることはあっても、ブレることはなかった。
それは、ラスト近くの長津田麗子の宣言と、それに対する生瀬さんの「……ブレてねーわ、あんた」という賞賛(?)の呟きに象徴されています。なのに、その感動(?)シーンの直後に、麗子に「書きな○°○っ!」という台詞と独特のポーズをやらせてしまう宮藤さんの、天才というか悪意というか、常人ではない感性が素晴らしい。しかも、一度は削ったのにまた河原さんが復活させたというのが、いかにもそれらしい(^ ^)。
「コンフィダント・絆」のときも思いましたが、この、それぞれに自分の活動拠点のリーダーであり、脚本も演出もしちゃう三人が、それでもあえて呼ばずにはいられない脚本家であり演出家なんだな、と。そんなことを思いました。
この物語のテーマは、たぶん「ストックホルム症候群(拉致監禁された被害者が、監禁者に対して抱く依存感情)ということになると思うのですが。
それも含めて、いろんな狂気が渦巻く芝居の中で、私には、最後まで「女優」という生き物が自分自身に対して抱く愛と、娘に対していだく愛と憎しみ、その相克がとても印象的でした。
母と娘の相克のおそろしさ、というと、有吉佐和子の「母子変容」が浮かぶのですが。
今回、麗子は「大女優」なんだけど、世間的には認められていない「誰も知らない大女優」なので。どちらかといえば、浅田二郎の「プリズンホテル・春(終章)」に出てくる春野ふぶきに近い、かなあ?アチラは娘がデキた子なので幸せな親子でしたが。
いやあ、それにしても三田佳子、本当に恐るべし。ランドセル背負った小学生から、セーラー服の女子高生、旅一座の花形、、、そして、スーツを着た母親。小学生はともかくとして(^ ^)、女子高生もちょっとそのへんに置いといて、鮮烈なオーラを纏う大女優と、娘を抑圧する教育ママ。その両役を、過不足なく演じきれる狂気。
いつか「母子変容」を舞台化してほしい。三田佳子の森江耀子が観てみたい!!(とっくに上演済みかもしれませんが↓↓)
いやー、本当に、興味深いとしか言いようのない作品でした。
何度も大笑いしましたよ。もう、古田さんが口をひらくたびに面白くて面白くて。どこまでが脚本でどこからがアドリブなのか、一回しか観ていないのでさっぱりわかりませんが、初見でもしらけることなく、テンポも乱れず、でも絶対アドリブだろう!?と思わせるあたりはさすがでした。こういうのを観ると、「ロシアンブルー」の呪文の場面はちょっと無理矢理だったな、というか、「アルバートとヘンリーの芝居」じゃなくて「水夏希と彩吹真央の即興」だったんだな、と思ったりはしますね。あれはあれで良かったんですけど、あくまでもファン前提で、リピーター前提だったんだなあ、と、ね。
ねずみの三銃士たちの、次の作品に期待します。
ってゆーか、「鈍獣」も再演してほしいよー! 当時はあまり芝居を観る環境ではなかったので、観れなかったんだもん(T T)。話題作だったし、観たかったのにー。
(映画になってたのは知らなかった……無知ですみません。今度ツタヤで探してみよう)
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感動した!!
三田佳子、という驚異の大女優の巨きさに、涙がでました……。
ねずみの三銃士(生瀬勝久・池田成志・古田新太)主催&出演、宮藤官九郎脚本、川原雅彦演出……5年前に「鈍獣」で組んだ5人が、また組む。5年前には宮藤に岸田國士戯曲賞を獲らせたメンバーが、今度は何をしてくれるのか?と愉しみにしていたのですが。
いやはや。やってくれました。
実に興味深かったです。
三田佳子が演じるのは、『大女優』という名の生き物。
その、圧倒されるより他にない、強烈な生き様。ブレのない存在感。
そして、その回りをうろちょろする三銃士の、これまたブレのないキャラクター造形の見事さ。
プロローグは、山道を走る車のセット。
運転席には、編集者の児島(岡田義徳)。
助手席には、最初は携帯作家の飛竜一斗(生瀬)。あれこれ会話をしているうちに、事故みたいな音がして、一瞬の暗転。その一瞬に助手席の人物が入れ替わって、今度は、絵本作家の上原卓也(池田)。今ひとつ流れのつかめない会話を聞いているうちに、またもや事故のような演出があって、一瞬の暗転、次の瞬間には、助手席の人物は風俗ルポライターの浜名大介(古田)に変わっている。
聞いているうちに、児島が三人を仕事場へ連れていこうとしていることがわかってくる。連れて行く先は温泉の近くであるらしい。三人は共同で何かを書くことを依頼されているようだが、詳しい内容はよく知らないらしい。
演出的に、児島が三人をそれぞれ一人ずつ車に乗せて走っているので、児島が三人いるというネタかと思いましたが、全然関係ありませんでした(^ ^;ゞ。コンビニだらけの風景が見えたり、暗転するためにいちいち事故ったときのブレーキ音みたいな効果音をはさむので、実は児島はこのあたりで事故で死んだ亡霊だった…とか?、などといろいろネタを考えたのになー。
走る車に合わせて流れる背景の画像がなかなかよく出来ていて、「山道を走っている車」というリアリティがありました。会話が進むにつれて、だんだん鬱蒼とした雰囲気になっていくのが良かった。それでいて、突然回りにコンビニが立ち並ぶ風景が出てきたりして、どうも「別世界」感を出そうとしたんだろうな、と思います。
……全然関係なかったけどな。
事故(?)で放り出された三人が、山道で出会う。
いつの間にか姿が消えている児島。
いつの間にか現れる、古びた洋館。
開く扉。
吸い込まれるように、洋館の中にはいっていく、三人。
紗幕があがり、洋館の中のセット。これでプロローグが終わって、本編の始まりか?と思ったのに、ちょっと会話をしているうちに、三人とも床の穴に落ちて消えていく。
またもや暗転して、洋館のセットの床が上にあがり、地下室のセットになって、そこからが本番、ということになるのですが。
なんというか。
もう、ここまでのプロローグですでにすっかり引き込まれちゃっているんですよね。基本的に理屈に合わない会話ばっかりなんですけど、なんかよくわかんないけど、面白い。そんな感じ。
地下室に閉じ込められた三人に語りかけてくる天の声。
「あなたたちには、私の自伝を書いていただきます!」
そんな宣言と共に、電飾の椅子に載って現れる大女優・長津田麗子(三田)。
拍手喝采。
誰も知らない大女優、という存在。
「長津田麗子?誰?」という彼らに、彼女は騒ぐことなく嫣然と頬笑んで言う。
「ええ。私こそが長津田麗子」
大女優の貫禄。誰も知らなくても、間違いなく大女優。
こう言えるのは、大女優だからこそ。
こう言えるからこその大女優。
こう言える、という理由で、大女優。
どれも真実で、どれも間違い。
児島の娘を誘拐して言うことをきかせ、
「自叙伝が出版されたら、印税は丸ごとあげるわ。三人で折半なさい」
そして、無名の女優の自叙伝が売れる訳がない!と騒ぐ彼らに
「私が買います」
とキッパリ。
その潔さ。というか貫禄。というか、凄味。
彼女の狂気に巻き込まれて、「娘の命が懸かっている」から、「なんとしても書いてもらう!」とナイフで脅す児島。
悪いのは麗子のはずなのに、書こうとしない作家たちを責め続ける。
「何してるんすか!?早く書いてください!」
狂気、という風が、少しずつ吹き始める。
投げ遣りな雰囲気で第一章を書き上げた浜名に、彼女は言う。
「そんな展開、つまらないわ」
と。
「ボタ山で見た夢が、ボタ山で叶ってしまったら、それで終わりよ。夢も希望もないじゃないの」
その、自信に満ちた穏やかな声。
「でっちあげでもいいから、もっともっとドラマティックに盛り上げて頂戴!」
えっと。
あの。
今、彼らが書いているのは、貴女の自叙伝、ですよね………?
ええ、私の自叙伝なんですから、ドラマティックでなければ!
17歳で女優の付き人を始め、
撮影所の「センセイ」の愛人になり、
それが「センセイ」の奥様にバレて、せっかくの(エキストラだけど)出演場面のフィルムを破棄される。
その後、長い下積みを経て、いわゆる「戦隊モノ」らしい「カイセンジゃー!」の悪役『毒マグロ貴婦人』役を掴んだのも束の間、哀しい事件が起こって役を降ろされてしまう……
そして、拾ってくれた流れの劇団で主役を掴み、ポスターに載ったのも束の間、舞台の最中にツワリで倒れ、団長の娘を産んだけど、そのまま置いて行かれて。
歯を食いしばって娘(ユキエ)を育て、「女優」の夢を娘に賭けるけれども。なかなか思うようにはいかず……
そんな人生を、一つ一つ肯きながら受け入れる麗子。
だんだんと、フィクションであるはずの物語が、現実とリンクしていく。
「フィクション」と「現実」を隔てる壁が、薄く低くなっていく。
撮影所の「センセイ」は、有名な作家だった飛竜の父親。飛竜は、麗子を追い出した「本妻の息子」だった……
毒マグロ貴婦人を追い詰めた子供は、幼い日の上原だった。
そして、ユキエを追い詰めたのは……
次第にフィクションと現実の境目が見えなくなっていく世界の中で、長津田麗子はすっくと立って、宣言する。
「この素晴らしくドラマティックな人生を本にして、映画化するの。それこそが私の、初主演作よ!!」
その、清々しいまでの美しさ。
色濃く劇場を覆うオーラの輝き。
この世のものならぬ大女優の、奇跡。
いやあ、泣きましたよ私。終盤の、長津田麗子の長いモノローグで。
娘と二人で生きてきた人生を語る、モノローグ。女優が女優であるために、棄てたものと、喪ったもの。
わがままで自分勝手な言い訳と責任転嫁と、そして欺瞞。
悔恨も反省もなく、ただただ悲嘆にくれるばかりの、我侭な人生。
ユキエ役の人形を相手に芝居をする長津田麗子の恐ろしさ。
ユキエ役を人形にした宮藤&河原の怖ろしいまでの悪意と、自分を憐れむことのない、麗子の鮮やかすぎる信念。何の賞でもいいから三田佳子に「主演女優賞」を捧げたい、と、心から思いました。ああ、観てよかった。
三田さんのことばかり書いてしまいましたが、もちろん、「ねずみの三銃士」の三人が素晴らしかったことは言うまでもありません。前半から中盤までを支配した池田さん、全体を通して舞台を締めて(占めて?)いた古田さん、そして、ラストに全部持って行った生瀬さん。彼らだからこそ、三田さんがどれだけやりたい放題しても何の問題もなく、安心して観ていられたのだと思います。
ブレのない世界観。人間だから時々ブレたり迷ったりするはずなのに、登場人物の誰一人、悩んだりわかんなくなったりすることはあっても、ブレることはなかった。
それは、ラスト近くの長津田麗子の宣言と、それに対する生瀬さんの「……ブレてねーわ、あんた」という賞賛(?)の呟きに象徴されています。なのに、その感動(?)シーンの直後に、麗子に「書きな○°○っ!」という台詞と独特のポーズをやらせてしまう宮藤さんの、天才というか悪意というか、常人ではない感性が素晴らしい。しかも、一度は削ったのにまた河原さんが復活させたというのが、いかにもそれらしい(^ ^)。
「コンフィダント・絆」のときも思いましたが、この、それぞれに自分の活動拠点のリーダーであり、脚本も演出もしちゃう三人が、それでもあえて呼ばずにはいられない脚本家であり演出家なんだな、と。そんなことを思いました。
この物語のテーマは、たぶん「ストックホルム症候群(拉致監禁された被害者が、監禁者に対して抱く依存感情)ということになると思うのですが。
それも含めて、いろんな狂気が渦巻く芝居の中で、私には、最後まで「女優」という生き物が自分自身に対して抱く愛と、娘に対していだく愛と憎しみ、その相克がとても印象的でした。
母と娘の相克のおそろしさ、というと、有吉佐和子の「母子変容」が浮かぶのですが。
今回、麗子は「大女優」なんだけど、世間的には認められていない「誰も知らない大女優」なので。どちらかといえば、浅田二郎の「プリズンホテル・春(終章)」に出てくる春野ふぶきに近い、かなあ?アチラは娘がデキた子なので幸せな親子でしたが。
いやあ、それにしても三田佳子、本当に恐るべし。ランドセル背負った小学生から、セーラー服の女子高生、旅一座の花形、、、そして、スーツを着た母親。小学生はともかくとして(^ ^)、女子高生もちょっとそのへんに置いといて、鮮烈なオーラを纏う大女優と、娘を抑圧する教育ママ。その両役を、過不足なく演じきれる狂気。
いつか「母子変容」を舞台化してほしい。三田佳子の森江耀子が観てみたい!!(とっくに上演済みかもしれませんが↓↓)
いやー、本当に、興味深いとしか言いようのない作品でした。
何度も大笑いしましたよ。もう、古田さんが口をひらくたびに面白くて面白くて。どこまでが脚本でどこからがアドリブなのか、一回しか観ていないのでさっぱりわかりませんが、初見でもしらけることなく、テンポも乱れず、でも絶対アドリブだろう!?と思わせるあたりはさすがでした。こういうのを観ると、「ロシアンブルー」の呪文の場面はちょっと無理矢理だったな、というか、「アルバートとヘンリーの芝居」じゃなくて「水夏希と彩吹真央の即興」だったんだな、と思ったりはしますね。あれはあれで良かったんですけど、あくまでもファン前提で、リピーター前提だったんだなあ、と、ね。
ねずみの三銃士たちの、次の作品に期待します。
ってゆーか、「鈍獣」も再演してほしいよー! 当時はあまり芝居を観る環境ではなかったので、観れなかったんだもん(T T)。話題作だったし、観たかったのにー。
(映画になってたのは知らなかった……無知ですみません。今度ツタヤで探してみよう)
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