大江山の花の伝説【9】
2009年9月17日 宝塚(宙)宙組博多座公演「大江山花伝」。
■第十二場a 茨木の告白 続き(岩屋に近い路)
千年杉に率いられた都の姫たちが下手袖に入ろうとすると、上手側から坂田公時(鳳翔大)が登場。彼に気づいた花園衛門(愛花ちさき)が、前を行く紅少将(花里まな)を呼び止め、公時を示す。
「まあ、公時さま。お一人かしら?」
様子を伺いながら当たり前のように花園衛門の持っていた桶を受け取る紅少将は、当然、花園と公時の関係を知っているんですよね…?落ち着きのある大人の女、という風情があって、下級生とは思えないほど良かったです。
「公時どの」と呼びかけて駆け寄る花園、
「何も仰いますな」と語りかける公時。
「黎明の風」の頃から変わらない、大くんの美声。いやー、普通に喋っているときの大くんは、本当にいい声だし、巧いなあと思うんですよね。……ちょっとでも見得をきろうとすると、その瞬間にコントロールを失ってしまうのが残念でなりません。あれはいったい、何がいけないんでしょう…。
そんなに引っ込み思案なタイプには全然見えないんだけど。芝居心もあるしね。「やりたいこと」「みせたいもの」はしっかり作ってきているのに、実際に表現しようとすると気合が空回りしてしまう。あああ、勿体無い(T T)。
ある程度役がついてくれば、必ず『気合の入った台詞』というものが必要になってくるものなので。今回の公時も、頼光邸での会話とかは本当にヤバかったし。どうぞ、もっともっと自分の芝居に自信をもって、せっかくの格好良さと美声を生かしてほしい!と、切に祈ります。
……歌のことは、今は言うまい……。
恋しい女を「必ずお救い申し上げます」と力づけ、「しばらくのお別れです」と言い聞かせて立ち去る公時。
二人が別れて下手に消えると、入れ違うように、あるいは追いかけるように上手の袖から茨木童子が登場する。
「ああ……」
溜息のような、かすれ声。
「…あれは幻か?……昨日もあの二人を見た……あれは…」
うわごとのように、苦しげに呟く茨木。ふらふらと歩いて、くずれるように岩に座り込む。
岩の陰から現れる藤の葉。座っている茨木童子に駆け寄って、苦しそうな鬼を気遣う。
「お気分がお悪いのですか…?」
懐から布をだして、額あたりを拭う藤の葉。
されるままだった茨木がふと視線をあげる。心配げな藤の葉の視線と絡み合う、一瞬の間。
火傷でもしたかのように、手を離す藤の葉。
「嗤うがいい。鬼のこの身が、幻に悩まされている」
少し落ち着き、力を取り戻した声で、藤の葉に語りかける。
「…三年前に視た、幻…」
なのに、話の途中から、また彷徨いだす心。
「いや、あれは……幻ではなかった……?」
唐突に三年前のことを語りだす茨木を、ただ、心配げに見守るしかできない藤の葉の、寂しげな後姿。何ひとつしてあげられない無力さがひしひしと痛くて、ひどく哀れに見えました。
そんな少女の様子に気づきもせずに、自身の裡の闇に囚われて言葉を紡ぐ茨木も、また。
「恋しい姫と引き離されてこの山に連れてこられて……都恋しく何度も逃げ出したが、そのたびに連れ戻され……」
それでもなお、傷が癒えればまた逃げ出した、と語る茨木。
舞台奥から現れた胡蝶が、切なげに目を伏せて、そっと呟く。
「三年前のあの時は…旅が長かったわ…」
そして、あのとき初めて、自分から山へ帰ってきた……、と。
胡蝶が問うても口を噤んだままの茨木が、藤の葉の問いには言葉を零す。
「どうして…?」
それがどんなに切なくても、それでも、訊かずにはいられない女心。
胡蝶が哀れで、タマラナイ気持ちになりました。
「不思議なことがあるものよ」
夢を見ているような口調で、謡うように茨木が教える。
「そっくりな、あの、ふたり……」
花園と、公時。
……萱野と、そして……、と
■第十二場b 茨木の告白(ある荘園)
萱野(愛花ちさき)とこぞ丸(結乃かなり)。
三年前、旅に出た茨木が迷い込んだ荘園で、下働きをしていた二人。
あまりにも辛い生活の中、それでも手を繋ぎあい、笑顔でがんばっていた二人。二人の明るいまなざしに救われた茨木は、三人で逃げることを考えはじめる……。
二人と茨木との交流については、原作では本編と同じ長さの外伝になっていて、かなり深く描かれているのですが、舞台ではほんの一瞬の回想場面なので、全然わからないんですよね(涙)。
ただ、紀国守の邸で人として育てられた茨木には、独りでは生きていられぬヒトの子の温かさが格別に懐かしく、愛おしいものであったことは想像できるでしょうし……あんな程度でも、伝えるべきことはきちんと伝えているからいいのかな、と思いました。
ただ。ちょっと気になったのは、「三年前」というキーワードですね。
芝居の流れ的に、“都を襲った大火事”で藤子を見失った茨木が、衝撃のあまり(あるいは、藤子を探して?)彷徨ううちに“ある荘園”に紛れ込み…という展開に見えるのですが、原作では、この物語は火事より前だとも後だとも明言されてはいません。
ただ、なんとなく火事よりも前のような気がする。その時点では、まだ、懐かしい紀国守の邸に行けば、幸せそうな藤子に会えることがわかっていて、でも、自分はもう鬼になってしまったから行かない(行けない)、という絶望感があったので。
“会えない”のと、“会わない”。
“見つからない”のと、“会いにいけない”。
茨木の絶望の深さと投げやり感は、後者の方が鮮明な気がします。
けれども。
運命はかく扉を叩く。
身を寄せ合って逃げる算段をする三人の前に、一人の盗賊(鳳翔大)が投げ込まれるーーーー。
「六郎太っ!?」
萱野の悲鳴。
「萱野!ここに居たのか!」
縛られ、連行されている盗賊の、悲痛な叫び。
「知り人か?」
「昔の私の恋人。私のために、盗賊の仲間に…」
と、なれば、
「…三人で逃げる話は…?」
問いかける茨木を、キュッと唇を噛んで、萱野が振り仰ぐ。
「あの人は、私のためにあんな姿に……」
手を握りあい、身を寄せ合って生きていた三人。
なのに今の萱野は、別の人間の手を求めている。
「わかって、茨木。……私は、行けない……!!」
茨木の手を振り払い、六郎太を追って走り去る萱野、
力なく伸ばした指の先には何も触れず、呆然と立ち竦む茨木。
「……萱野……」
萱野は六郎太を連れて逃げた。
後に残された茨木は、絶望の中に取り残されて不幸に浸りこむ。
凝っと何かに耐えるかのように肩を丸め、客席に背を向けて立ち竦む茨木。
「なぜ…私だけ…?」
独りじゃないのに、と思うんですよね。
声をかけることもできない こぞ丸の幼さが、切ない。ここで一言声をかけてあげていれば、茨木も目が醒めたかもしれない、のに。
ふいに音楽が変わり、照明が変わる。
紅く燃えるようなスポットライトの中、あらためて鬼として目覚めた茨木の哂い顔が、酷く痛い。痛いのに、凝っと視ずにはいられない。古傷をかきむしるみたいな、後ろ向きの快感。
「追わなくていいのか?たった今萱野は逃げたぞ!」
鬼に変じた茨木の表情の激しさは、大空祐飛という役者の真骨頂だったような気がします。
世界さえも支配する、彼の、絶望。
「……盗賊の六郎太と!!」
追っ手が放たれ、逃げ切れなかった二人は、お互いを庇いあって死んだ。
姉とも慕った萱野に縋って泣くこぞ丸に、正気を取り戻した茨木が、すいっと白い手を差し出す。
その手を振り払って、少年は叫ぶ。
「人でなしの、鬼!」
愛した人は死んでしまった。
鬼が、殺した。目の前に立つ、この、美しい鬼が。
指をさされてよろめく茨木の弱さが、哀しいです。弱いことは罪なんだな、と思う。
彼にもう少し強さがあれば、たぶん、萱野を追い詰めずにすんだと思う。六郎太と行かせてやるだけの器があれば。
でも、彼はあまりにも子供だった。妖力はあっても、精神的にはまるっきりの子供。
思うようにならない世界に苛立って、すべてを酒呑童子のせいに、して。
変わってしまった自分を藤子に見せる勇気もなく、
ただ、絶望に浸っているばかりの子供だったから……。
■第十二場c 茨木の告白(岩屋に近い路)
「何故あんなことをしたのか、自分でもよくわからない」
そう、茨木は告白する。大江山の途の上で。
「……知らぬ間に、鬼になっていた!」
激昂して取り乱す茨木を、必死に宥めようとする胡蝶。
「可哀相な茨木…」
ふと呟く藤の葉を、蔑むように唇を吊り上げて嗤う鬼。
「可哀相?」
冷たい瞳で、
「…俺は人間ではなかった。俺の中に、鬼が眠っていたのだから」
藤の葉だけを見据えて。
「俺はもう、ヒトとは暮らせぬ。女が欲しければ、攫って来て抱くだけだ!」
目を逸らす胡蝶。目を潤ませて、凝っと見凝める藤の葉。
「これが俺の、真の姿だ。わかったら都に帰れ!気紛れで拾った藤の葉にはもう飽きた!」
藤の葉にだけ語りかける茨木から、目を逸らす、胡蝶ーーーー。
「思い出くらいは作ってやろうか…?」
甘さのひとかけらもない囁きと共に、藤の葉を抱き寄せ、口づけを落とす、鬼。
茨木を突き飛ばして、泣きながら走り去る、藤の葉。
「いいの?…あれで」
堪らないげな胡蝶の問いかけに、止まっていた時間が動き出す。
いいんだ、と肯く茨木に、そっと誘いをかける。
「呑もうか…?二人で」
…ああ、お前と二人で呑むのも、悪くはないな……
どうせ残り、一日かせいぜい二日の平穏。頼光軍が来れば、この山は戦場になる。
だから、……それまでは全ての憂さを忘れて……
忘れられるはずがないことなど、百も承知で。
「そうだな。…すぐに行くから、先に行っていてくれ…」
瞳に絶望を浮かべながら、それでも気丈に「うん」と応じる胡蝶は、やっぱり野生の強さを持った鬼娘なんだな、と思います。
♪ひとでなしのあけくれに
鬼として生きる、ということは。
♪夢のむかしを拾いあつめて、温めて
ヒトであった“あの頃”の記憶のカケラを拾い集めては、飽かず眺める日々が続くということなのか。
♪…ひとときのまどろみのため、に…
それでも、思い出があるから生きていける。
水鏡に映すべき、思い出があるから。
萱野の微笑み、
こぞ丸の怒り、
そして、
藤子の泣き顔……
過去へと戻るタイムマシン(思い出)を持っている茨木は、たぶん、“今”に戻ってきたくないのでしょうね。
変わってしまった自分を見たくない。
幸せだった夢の中に、逃げ込んでしまいたい。
そんな風に後ろ向きに歩くことなど、できはしないのに。
.
■第十二場a 茨木の告白 続き(岩屋に近い路)
千年杉に率いられた都の姫たちが下手袖に入ろうとすると、上手側から坂田公時(鳳翔大)が登場。彼に気づいた花園衛門(愛花ちさき)が、前を行く紅少将(花里まな)を呼び止め、公時を示す。
「まあ、公時さま。お一人かしら?」
様子を伺いながら当たり前のように花園衛門の持っていた桶を受け取る紅少将は、当然、花園と公時の関係を知っているんですよね…?落ち着きのある大人の女、という風情があって、下級生とは思えないほど良かったです。
「公時どの」と呼びかけて駆け寄る花園、
「何も仰いますな」と語りかける公時。
「黎明の風」の頃から変わらない、大くんの美声。いやー、普通に喋っているときの大くんは、本当にいい声だし、巧いなあと思うんですよね。……ちょっとでも見得をきろうとすると、その瞬間にコントロールを失ってしまうのが残念でなりません。あれはいったい、何がいけないんでしょう…。
そんなに引っ込み思案なタイプには全然見えないんだけど。芝居心もあるしね。「やりたいこと」「みせたいもの」はしっかり作ってきているのに、実際に表現しようとすると気合が空回りしてしまう。あああ、勿体無い(T T)。
ある程度役がついてくれば、必ず『気合の入った台詞』というものが必要になってくるものなので。今回の公時も、頼光邸での会話とかは本当にヤバかったし。どうぞ、もっともっと自分の芝居に自信をもって、せっかくの格好良さと美声を生かしてほしい!と、切に祈ります。
……歌のことは、今は言うまい……。
恋しい女を「必ずお救い申し上げます」と力づけ、「しばらくのお別れです」と言い聞かせて立ち去る公時。
二人が別れて下手に消えると、入れ違うように、あるいは追いかけるように上手の袖から茨木童子が登場する。
「ああ……」
溜息のような、かすれ声。
「…あれは幻か?……昨日もあの二人を見た……あれは…」
うわごとのように、苦しげに呟く茨木。ふらふらと歩いて、くずれるように岩に座り込む。
岩の陰から現れる藤の葉。座っている茨木童子に駆け寄って、苦しそうな鬼を気遣う。
「お気分がお悪いのですか…?」
懐から布をだして、額あたりを拭う藤の葉。
されるままだった茨木がふと視線をあげる。心配げな藤の葉の視線と絡み合う、一瞬の間。
火傷でもしたかのように、手を離す藤の葉。
「嗤うがいい。鬼のこの身が、幻に悩まされている」
少し落ち着き、力を取り戻した声で、藤の葉に語りかける。
「…三年前に視た、幻…」
なのに、話の途中から、また彷徨いだす心。
「いや、あれは……幻ではなかった……?」
唐突に三年前のことを語りだす茨木を、ただ、心配げに見守るしかできない藤の葉の、寂しげな後姿。何ひとつしてあげられない無力さがひしひしと痛くて、ひどく哀れに見えました。
そんな少女の様子に気づきもせずに、自身の裡の闇に囚われて言葉を紡ぐ茨木も、また。
「恋しい姫と引き離されてこの山に連れてこられて……都恋しく何度も逃げ出したが、そのたびに連れ戻され……」
それでもなお、傷が癒えればまた逃げ出した、と語る茨木。
舞台奥から現れた胡蝶が、切なげに目を伏せて、そっと呟く。
「三年前のあの時は…旅が長かったわ…」
そして、あのとき初めて、自分から山へ帰ってきた……、と。
胡蝶が問うても口を噤んだままの茨木が、藤の葉の問いには言葉を零す。
「どうして…?」
それがどんなに切なくても、それでも、訊かずにはいられない女心。
胡蝶が哀れで、タマラナイ気持ちになりました。
「不思議なことがあるものよ」
夢を見ているような口調で、謡うように茨木が教える。
「そっくりな、あの、ふたり……」
花園と、公時。
……萱野と、そして……、と
■第十二場b 茨木の告白(ある荘園)
萱野(愛花ちさき)とこぞ丸(結乃かなり)。
三年前、旅に出た茨木が迷い込んだ荘園で、下働きをしていた二人。
あまりにも辛い生活の中、それでも手を繋ぎあい、笑顔でがんばっていた二人。二人の明るいまなざしに救われた茨木は、三人で逃げることを考えはじめる……。
二人と茨木との交流については、原作では本編と同じ長さの外伝になっていて、かなり深く描かれているのですが、舞台ではほんの一瞬の回想場面なので、全然わからないんですよね(涙)。
ただ、紀国守の邸で人として育てられた茨木には、独りでは生きていられぬヒトの子の温かさが格別に懐かしく、愛おしいものであったことは想像できるでしょうし……あんな程度でも、伝えるべきことはきちんと伝えているからいいのかな、と思いました。
ただ。ちょっと気になったのは、「三年前」というキーワードですね。
芝居の流れ的に、“都を襲った大火事”で藤子を見失った茨木が、衝撃のあまり(あるいは、藤子を探して?)彷徨ううちに“ある荘園”に紛れ込み…という展開に見えるのですが、原作では、この物語は火事より前だとも後だとも明言されてはいません。
ただ、なんとなく火事よりも前のような気がする。その時点では、まだ、懐かしい紀国守の邸に行けば、幸せそうな藤子に会えることがわかっていて、でも、自分はもう鬼になってしまったから行かない(行けない)、という絶望感があったので。
“会えない”のと、“会わない”。
“見つからない”のと、“会いにいけない”。
茨木の絶望の深さと投げやり感は、後者の方が鮮明な気がします。
けれども。
運命はかく扉を叩く。
身を寄せ合って逃げる算段をする三人の前に、一人の盗賊(鳳翔大)が投げ込まれるーーーー。
「六郎太っ!?」
萱野の悲鳴。
「萱野!ここに居たのか!」
縛られ、連行されている盗賊の、悲痛な叫び。
「知り人か?」
「昔の私の恋人。私のために、盗賊の仲間に…」
と、なれば、
「…三人で逃げる話は…?」
問いかける茨木を、キュッと唇を噛んで、萱野が振り仰ぐ。
「あの人は、私のためにあんな姿に……」
手を握りあい、身を寄せ合って生きていた三人。
なのに今の萱野は、別の人間の手を求めている。
「わかって、茨木。……私は、行けない……!!」
茨木の手を振り払い、六郎太を追って走り去る萱野、
力なく伸ばした指の先には何も触れず、呆然と立ち竦む茨木。
「……萱野……」
萱野は六郎太を連れて逃げた。
後に残された茨木は、絶望の中に取り残されて不幸に浸りこむ。
凝っと何かに耐えるかのように肩を丸め、客席に背を向けて立ち竦む茨木。
「なぜ…私だけ…?」
独りじゃないのに、と思うんですよね。
声をかけることもできない こぞ丸の幼さが、切ない。ここで一言声をかけてあげていれば、茨木も目が醒めたかもしれない、のに。
ふいに音楽が変わり、照明が変わる。
紅く燃えるようなスポットライトの中、あらためて鬼として目覚めた茨木の哂い顔が、酷く痛い。痛いのに、凝っと視ずにはいられない。古傷をかきむしるみたいな、後ろ向きの快感。
「追わなくていいのか?たった今萱野は逃げたぞ!」
鬼に変じた茨木の表情の激しさは、大空祐飛という役者の真骨頂だったような気がします。
世界さえも支配する、彼の、絶望。
「……盗賊の六郎太と!!」
追っ手が放たれ、逃げ切れなかった二人は、お互いを庇いあって死んだ。
姉とも慕った萱野に縋って泣くこぞ丸に、正気を取り戻した茨木が、すいっと白い手を差し出す。
その手を振り払って、少年は叫ぶ。
「人でなしの、鬼!」
愛した人は死んでしまった。
鬼が、殺した。目の前に立つ、この、美しい鬼が。
指をさされてよろめく茨木の弱さが、哀しいです。弱いことは罪なんだな、と思う。
彼にもう少し強さがあれば、たぶん、萱野を追い詰めずにすんだと思う。六郎太と行かせてやるだけの器があれば。
でも、彼はあまりにも子供だった。妖力はあっても、精神的にはまるっきりの子供。
思うようにならない世界に苛立って、すべてを酒呑童子のせいに、して。
変わってしまった自分を藤子に見せる勇気もなく、
ただ、絶望に浸っているばかりの子供だったから……。
■第十二場c 茨木の告白(岩屋に近い路)
「何故あんなことをしたのか、自分でもよくわからない」
そう、茨木は告白する。大江山の途の上で。
「……知らぬ間に、鬼になっていた!」
激昂して取り乱す茨木を、必死に宥めようとする胡蝶。
「可哀相な茨木…」
ふと呟く藤の葉を、蔑むように唇を吊り上げて嗤う鬼。
「可哀相?」
冷たい瞳で、
「…俺は人間ではなかった。俺の中に、鬼が眠っていたのだから」
藤の葉だけを見据えて。
「俺はもう、ヒトとは暮らせぬ。女が欲しければ、攫って来て抱くだけだ!」
目を逸らす胡蝶。目を潤ませて、凝っと見凝める藤の葉。
「これが俺の、真の姿だ。わかったら都に帰れ!気紛れで拾った藤の葉にはもう飽きた!」
藤の葉にだけ語りかける茨木から、目を逸らす、胡蝶ーーーー。
「思い出くらいは作ってやろうか…?」
甘さのひとかけらもない囁きと共に、藤の葉を抱き寄せ、口づけを落とす、鬼。
茨木を突き飛ばして、泣きながら走り去る、藤の葉。
「いいの?…あれで」
堪らないげな胡蝶の問いかけに、止まっていた時間が動き出す。
いいんだ、と肯く茨木に、そっと誘いをかける。
「呑もうか…?二人で」
…ああ、お前と二人で呑むのも、悪くはないな……
どうせ残り、一日かせいぜい二日の平穏。頼光軍が来れば、この山は戦場になる。
だから、……それまでは全ての憂さを忘れて……
忘れられるはずがないことなど、百も承知で。
「そうだな。…すぐに行くから、先に行っていてくれ…」
瞳に絶望を浮かべながら、それでも気丈に「うん」と応じる胡蝶は、やっぱり野生の強さを持った鬼娘なんだな、と思います。
♪ひとでなしのあけくれに
鬼として生きる、ということは。
♪夢のむかしを拾いあつめて、温めて
ヒトであった“あの頃”の記憶のカケラを拾い集めては、飽かず眺める日々が続くということなのか。
♪…ひとときのまどろみのため、に…
それでも、思い出があるから生きていける。
水鏡に映すべき、思い出があるから。
萱野の微笑み、
こぞ丸の怒り、
そして、
藤子の泣き顔……
過去へと戻るタイムマシン(思い出)を持っている茨木は、たぶん、“今”に戻ってきたくないのでしょうね。
変わってしまった自分を見たくない。
幸せだった夢の中に、逃げ込んでしまいたい。
そんな風に後ろ向きに歩くことなど、できはしないのに。
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